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2012年8月20日 (月)

医療訴訟件数、認容率とも減少傾向へ

医療訴訟について近年ようやく医療従事者の間でもその対策が本格化してきた感があり、各地で講演会なども開催される他に手軽な手段としてネット上での訴訟関連情報の共有が進んでいます。
さすがに例題として出てくるだけにそれぞれに興味深い判例が多いのですが、先日見ていましたこちらのケースからその一部を紹介させていただきましょう。

◆判例に学ぶ 医療トラブル回避術 入院の勧め足りず6000万円の賠償金(2012年8月15日日経メディカル)より抜粋

(略)
事件の概要

 当時47歳だった患者は2000年7月、前々月から労作時息切れを感じていたためA大学病院の内科を受診した。A大学病院で胸部X線検査をしたところ、心胸郭比が68.8%で肺うっ血があった。心電図検査では、左室肥大に加えて心筋障害が見られ、かつ、巨大陰性T波および第一度房室ブロックの所見もあった。

 聴診では、左第二肋骨に収縮期・拡張期雑音、ギャロップリズムを聴取。さらに、患者は15歳のときに心臓カテーテル検査により大動脈弁狭窄症との確定診断を受けたものの手術はせず、それ以降、心疾患での受診歴がないことも分かった。

 これらより、内科のB医師は大動脈弁閉鎖不全状態(AR)によるうっ血性心不全の可能性が高いと考え、すぐに入院して精査する必要があると患者に説明した。しかし、患者は多忙な仕事を理由に入院を拒絶し、外来受診を継続することにした。

 その間に患者は、セカンドオピニオンを求めて他病院の循環器科を受診し、診療経過や症状を説明したが、A大学病院での治療の継続が適している旨のアドバイスを受けた。2000年9月2日には、A大学病院に患者を紹介したかかりつけ医のC開業医を受診。その際は比較的元気だったが、血圧130/80mmHgで心窩部痛と心音に収縮期雑音があったため、Cは強心剤を増量して処方した。しかし、同日の夕方に自宅で倒れて死亡している患者が発見された。死因は、大動脈弁閉鎖不全症およびうっ血性心不全だった。

 その後、患者の家族は、生命の危機が迫っていることや入院の必要性を説明しなかったBの過失などを指摘し、計約1億1000万円の損害賠償を求めて提訴した。

 これに対してA大学病院は、いつ死亡してもおかしくない病状であることを患者に説明したほか、入院するよう説得したと主張。さらに、それを推測できる内容をカルテにも記したと反論した。だが、患者の家族は、カルテの記載は改ざんされたものであると主張した。

判決

 裁判所はまず、患者は自ら納得した上で治療方針を決めるべきだが、治療により予測される結果は専門的知識がないと判断できないことを指摘。そのために医師には、治療を受けるべきか否かを判断するのに十分な情報を患者に提供する義務があり、患者が病状や治療について誤解をしていると予見できる場合は、より詳しく説明をして誤解を解かなければならないとした。

 その上で本件では、患者は小児期から重大な心疾患がある点を認識していたが、それほど危険性の高い病態ではなく、入院は必要ないと誤解していたと推認できると判じた。その理由として、何十年にもわたって心疾患について受診する必要がなかった上、症状が出た後も処方薬である程度改善された点を挙げた。一方、病院側は、患者の病態が予断を許さないことを認識していた。

 このため、B医師には、抽象的に入院精査の必要性を説くのではなく、病態などを正確に説明して患者の誤解を解くほか、患者の妻やほかの医師の協力を得てでも入院を実現させる必要があったと判断。さらに、それでも納得してもらえなければ、自身の方針に従うか転医するかの選択を求めるべきで、漫然と経過観察を続けたことは患者の誤解を助長させたと判示した。

 また、生命の危険が高いため入院を強く勧めたにもかかわらず、患者が拒否した上、それを推測できる記載として、「きわめて多忙」とカルテに記したとするBの主張も、裁判所は認めなかった。

 カルテには感圧紙が含まれており、一番上の用紙に文字を書くと、感圧紙の下の紙に転写される仕組みになっていたが、ほかに記載されていた内容は転写されているにもかかわらず、「きわめて多忙」との記述のみが転写されていなかった。こうした状況から裁判所は、この記載が後ほど加筆されたものではないかと疑い、Bが入院を強く勧めたかどうかは明らかではないと言わざるを得ないとした。

 これらから、裁判所はA大学病院に対して、6000万円弱の損害賠償金を患者の家族に支払うよう命じた(東京地裁06年10月18日判決)。
(略)

解説によればカルテに後日追記した痕跡が認められたということが裁判官の心証を悪くしたといった経緯もあったようなのですが、割り箸事件などを見ても患者側が「カルテにそんなことは書いていなかった!」と後日主張することはままあることですから、多忙に紛れて患者が退室してから必死にカルテを整えるタイプの先生方はよくよく注意しておかなければならないでしょうね。
それはともかくとして、入院の必要性があるのに入院を拒否された、その結果重大な事態に至ってしまったというケースは日常診療でもままあることで、説明しても拒否した相手が勝手にどうにかなったのに6000万も取られるのではやっていられない!と感じる先生方も多いのではないかと思います(今回相手が医師個人ではなく大学病院だったことも金額に影響していたのかも知れませんが)。
解説ではこうしたケースで特に患者が亡くなった場合、自らは医師から直接説明を受ける機会のなかった遺族との間でトラブルにつながりやすいとしており、単に文書に残し説明を受けた旨のサインをもらうのみならず重傷例では家族との早期コンタクトの必要性も感じられるのですが、今回それ以上に気になったのは判決の中にある「それでも納得してもらえなければ、自身の方針に従うか転医するかの選択を求めるべき」の一文です。
要するにこれでJBM的には「聞き分けの悪い患者は余計なことはせずさっさと放り出すべきだ」ということになったようなんですが、こうして明確な形で医療が手を引くべきタイミングを示したという意味ではそれなりに重要な判決だったのかなという気がしますがどうでしょうか。
さて、このところCBニュースが医療にまつわる各種データをまとめて公開していますが、先日はこれまた医療訴訟に関してこんな記事が出ていました。

データで見る医療(10) 訴訟と院内暴力 (2012年8月17日CBニュース)より抜粋

 今回は、医療訴訟と院内暴力のデータについて見てみる。2011年の医事関係訴訟を見ると、原告側の請求が認められる割合が前年からやや上昇している。

 最高裁がこのほど公表した、2011年の医事関係訴訟に関する統計(速報値)をみると、11年の新受(新たに起こされた訴訟)は767件で、既済(その年に処理できた事件)は801件、平均審理期間は25.1か月だった。

 医事関係訴訟事件の認容率(原告の請求が一部でも認められた件数の割合)は、25.4%で、前年の20.2%から5ポイント上昇した。ただ、02-04年の認容率は40%前後で推移していたのと比べると低い水準と言える。また、一般の民事裁判であれば、認容率は8~9割となっている。

 訴訟となった診療科をみると、11年は一部の科を除いて、訴訟件数が前年に比べ低下している。特に内科では56件の減で、外科でも19件減っている。
(略)

ひと頃は年間1000件超のペースであった医療訴訟件数が落ち着いてきており、また原告の訴えが一部なりとも認められたという認容率についてもかつての40%から半減しているということが注目されますが、これも前述したような現場での訴訟対策が奏功しつつあることの現れなのかも知れませんね。
記事にもありますが、かねて一般的な民事訴訟の認容率が8割程度であったことに対して医療訴訟では半分程度でしかない、これをもって「白い巨塔」に象徴される医療の閉鎖性が患者側の不利益につながっているのだ!という一部方面からの根強い主張がなされていましたが、これではますます彼らの血圧が跳ね上がりかねないような非常事態と言えそうです。
ところでこの一般訴訟との認容率の差ということに関して10年ほど前に弁護士の安東宏三氏から行われた興味深い指摘があるようなのですが、該当する部分を引用してみましょう。

医療過誤訴訟の現状/安東宏三(2001年8月15日webzine医療改善のために第2号)より抜粋

(略)
2.認容率(原告側の勝訴率)はどの程度か

 民事訴訟では、原告側が勝訴するケースが大多数であるのが一般的です。原告側には、自分が不利だと思えば「訴訟を起こさない」という選択肢があるのですから、訴訟を敢えて選択したケースで「認容率」(原告側の勝訴率のこと。原告側の主張が認容されることからこう呼ばれます。)が結果的に高いのは、当然のことなのです。
 実際、判決に至った通常訴訟での認容率(一部認容を含む)を見ますと、平成3年から平成12年までの10年間の平均値で、86.0%(このうち欠席判決等を除くいわゆる対席判決のみでも76.8%)、という圧倒的な比率となっています。
 ところが、これに対し医療過誤訴訟では、同じく平成3年から平成12年までの10年間の平均値で、認容率は37.1%でしかありません。これは通常訴訟の認容率の実に「半分以下」、ということになります(「医事関係民事訴訟事件統計」(平成13年3月)による)。通常訴訟と比較した場合、医療過誤訴訟で勝訴を得ることの相対的な困難さが窺われます。
 もっとも、長期的に見れば、医療過誤訴訟での認容率は、近年次第に上昇傾向にあります。
 認容率は、例えば昭和45年には11.1%という低水準にありましたが、昭和50年代になって30%を超えるようになり、平成8年(40.3%)、平成10年(44.0%)、平成12年(46.8%)にはそれぞれ40%を超える認容率が記録されています。このパーセンテージは前述の昭和45年のそれの「4倍以上」であり、ある意味では隔世の感があるともいえましょう。
 これは、ひとつには、権利意識の高揚とともに、いわゆる「専門家責任」に対する社会の視線が厳しさを増したことの反映であろうと思われます。また、医療過誤訴訟に専門的ないし集中的に取り組む原告側弁護士層が形成され、技術・ノウハウ等が次第に集積されるようになったことの成果であろうとも思われます。
 もっとも、医療過誤訴訟では、一般に、その困難性から提訴のハードルは通常事件以上に高い(したがって結果的に立件率が低い)ものとされており、そのことを考慮すれば、本来認容率はさらにもっと高くて良いはずではないか、との議論があり、現状がそうではないことについて、患者側弁護士の間ではその原因分析と検討が行われています。
(略)

医療訴訟もかつては手探りであったものが専門的な弁護士集団の形成や世論の高騰などによって訴訟件数も認容率も引き上げられた、一方ではその結果医療崩壊と言われる現象の引き金にもなり医療機関側の対策も進んだ結果、現在では再び医療訴訟・認容率とも減少傾向にあるというのですから、こういう変化を概観するだけでも法廷という場に唯一絶対の正義などというものが存在するという幻想は抱かない方がよさそうですよね。
それはともかく、民事訴訟というものは結局のところ損害をお金で償う、その金額を決定するための場にしか過ぎず、しかも弁護士費用にしろ訴訟に要する人的・時間的経費にしろ決して安価とは言えないわけですから、訴えても元が取れそうにない民事訴訟などは本来あまり起こるはずがないということは理解出来るところです。
これに対して専門分野の訴訟テクニックも向上し認容率がようやく上昇し始めた10年前の段階においても医療訴訟の認容率が4割程度に留まっていたというのは単純に医療の閉鎖性だとか原告側弁護士の経験値の問題に留まらず、医療訴訟の場合は勝ち負けを度外視して訴えている人々が相応にいるのではないかと想像せざるを得ないのではないでしょうか?

医療訴訟の原告というものは非常にマスコミなどへの露出が多いので訴訟に至った事情もよく知られているケースが多いのですが、彼らが非常にしばしば口にする「真実を知りたいから訴訟を選んだ」ということに関しては法廷とはあくまで勝ち負けのための戦術を駆使する場であって、それがためにかえって真実から遠ざかってしまうこともままあると言うことがようやく知られるようになってきました。
航空機事故調など大規模事故にまつわる調査では必ず関係者の免責を条件に証言を得ないことには後の改善策につながる正しい情報は得られないということが知られているのですが、それでも個人責任を追及したい、被害者の行き場のない気持ちはどうしてくれるんだ!という声は根強いようです。
しかしかつて東京高裁裁判長が「裁判所は謝罪をする場所ではない、こころのケアをする場でもない、金額を決める場所です」と語ったそうですが、ひと頃見られたような勝ち負けを度外視したかのような医療訴訟の乱発によって関係者の気が済み、心が晴れたのかと言えばどうもそうではないらしい、むしろ当事者の声を聞く限りでは以前よりも悪くなったケースの方が多いように感じられます。
そしてその結果医療自体の発展と改善には全く縁遠いJBMばかりが蓄積されていくだけなのであれば、これは誰にとっても不毛なものだと言わざるを得ないのではないでしょうか。

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コメント

地裁判決ってときどき変なこと言ってたりしますもんね。
でも大学病院からどこに紹介すればいいんだろ?

投稿: ぽん太 | 2012年8月20日 (月) 08時47分

宛先のない紹介状渡して「後は自分で探せ」でおkw

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2012年8月20日 (月) 10時34分

認容率から考えると医療訴訟はまだまだ多すぎるという言い方も出来るのでしょうか。
いい加減な鑑定は許されないという流れから認容率が下がってきているのであれば喜ばしいことですが、よく見ているとまだ「なぜそんな?」と思う判決もありますのでね。
ただ弱者救済ということを旗印にしていたらいつの間にか医療の側が弱者になっていたということを司法の方でも認識し始めている気配は感じます。

投稿: 管理人nobu | 2012年8月20日 (月) 11時00分

>聞き分けの悪い患者は余計なことはせずさっさと放り出すべき

またマスゴミにたらい回しと叩かれる悪寒w

投稿: aaa | 2012年8月20日 (月) 11時31分

情報の格差など当事者が対等でない場合は契約自由の原則は妥当せず消費者の保護が必要です

投稿: あっちゃん | 2012年8月20日 (月) 11時55分

あっちゃん様

>消費者の保護

医療では現在のリソースから考えて、患者が過保護になっているのが問題なのですが。
分からないのなら、互い不幸になりましょうか。

投稿: 通りすがり | 2012年8月20日 (月) 12時19分

15歳時に心カテで確定診断されているのに47歳までたぶん症状もあったはずなのにギリギリ(瀕死状態)まで循環器にかからず放置してた患者の自己責任はどうなのでしょうか?普通に考えておかしいだろ?と思いますが。
裁判所も何でもかんでも患者過保護判決ばかりでは救急医療は崩壊していくだけでしょ。
結果が悪ければ訴訟。内容を検証せず訴えた患者=被害者。医療側=加害者で決めつけでは誰も救急医療なんてやらなくなりますよ。
目先の患者側に同情ポーズのパフォーマンスをするだけなら裁判などする意味なし。やめてしまえといいたい。

投稿: 元神経内科 | 2012年8月20日 (月) 15時46分

地裁の判決ですが、大学病院サイドは妥協せずに最高裁まで戦うほうが宜しいのでは?
自己責任を放棄した患者と、言いがかり家族に、妥協する必要はありません。
患者や家族におもねない、医師としての毅然とした態度も必要です。

投稿: とある内科医 | 2012年8月20日 (月) 19時19分

>情報の格差など当事者が対等でない場合は契約自由の原則は妥当せず消費者の保護が必要です

どんな業界でもプロの供給者とアマの消費者の情報格差は存在します。保険・證券・建築・不動産・・・etc.変額保険・投資信託・仕組み債、など十分なリスク説明を受けずに購入して損しても「自己責任」で片づけられるのが通例でしょう。医療の世界だけ結果責任を異常に提供者に押し付けていますよ。

>結果が悪ければ訴訟。内容を検証せず訴えた患者=被害者。医療側=加害者で決めつけでは誰も救急医療なんてやらなくなりますよ

別に救急医療に限られた問題点でもないと思いますけど。10年位前から同様の主張はありますが、医学部進学希望者は一向に減少しませんね。

投稿: ぐりはま | 2012年8月20日 (月) 21時20分

>10年位前から同様の主張はありますが、医学部進学希望者は一向に減少しませんね。

医学部進学希望者=ほぼ高校生ですからねえ。貴方高校生の時、そこまで深く考えてました?

ハイリスクな科の志望者は間違いなく減ってますし、そもそも医師や医学生の意識が激変しています。ハイリスクな科へ行く奴は情弱か変態だってw

本当の地獄は多分これからだと思います。

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2012年8月21日 (火) 11時02分

そろそろドロップアウト先も優良物件は埋まってきてるような
これから先はこの商売も営業力が必要になるかな?って気もしてます
それにあぶれた人達が仕方なく救急担当にでもなるんですかね

投稿: 元僻地勤務医 | 2012年8月21日 (火) 15時12分

情弱や変態が必ずしも医師として無能とは限りませんが…ねえw?

まあ私なら、救急担当するくらいなら麻薬を含むありとあらゆるドラッグを処方出来、各種診断書を発行出来、別に病気じゃなくても人体にメスを入れる事が出来る便利な紙切れの悪用…もとい。最大有効活用を考えますね。リスクは似たようなもんだけどw遥かにハイリターンww

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2012年8月21日 (火) 16時59分

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