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2012年2月 8日 (水)

また問題発言!?と叩く前に

石原都知事の新党構想が注目されている中で、今度は息子である自民党の石原幹事長の発言がちょっとした波紋を投げかけていますが、まずは報道から取り上げてみましょう。

胃ろうに石原幹事長「エイリアンみたい」(2012年2月6日スポニチ)

 自民党の石原伸晃幹事長は6日のBS朝日番組で、病院で腹部に開けた穴から栄養剤を送る「胃ろう」の措置を見学した際の感想として「意識がない人に管を入れて生かしている。(病院で)何十人も寝ている部屋を見せてもらった時に何を思ったかというと(映画の)エイリアンだ。人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言した。

 終末期医療が抱える問題点を説明する意図があったとみられるが、SF映画のエイリアンへの例えは患者家族らの批判を招く可能性がある。

 石原氏は同時に「そこで働いている人に感動した。看護師さんたちが、反応はないのに患者に語りかけながら面倒を見ている」と現場の職員の動きを評価したが、「こんなことをやったらお金がかかる。医療はやはり大変だ」と指摘した。

石原・自民幹事長「胃瘻はエイリアン」 厚労相が不快感 (2012年2月7日日本経済新聞)

 小宮山洋子厚生労働相は7日の閣議後記者会見で、自民党の石原伸晃幹事長が6日のBS朝日の番組で腹部にチューブを入れて胃に流動食などを送る胃瘻(いろう)について「(映画の)エイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言したことを受け、「患者や家族に不快な思いをさせる言葉遣いは慎重であってほしい」と求めた。

 胃瘻は食事を飲み込めなくなった高齢者らに導入する治療法で、全国で26~40万人が利用しているとされる。小宮山厚労相は「胃瘻で命をつないでいる患者もいる」と患者や家族の気持ちに理解を求めた。

伸晃氏 エイリアン発言で釈明「間違いだ しっかりとセンテンスを見て」 (2012年2月7日スポニチ)

 自民党の石原伸晃幹事長は7日の記者会見で、腹部に開けた穴から栄養剤を送る「胃ろう」措置を受けた患者を「エイリアン」に例えた自身の発言について「そんなダイレクトな言い方はしてないと思う。間違いだ。しっかりとセンテンスを見ていただきたい」と釈明した。

  6日のBS朝日番組で、石原氏は胃ろう措置を見学した際の感想として「意識がない人に管を入れて生かしている。(病院で)何十人も寝ている部屋を見せても らった時に何を思ったかというと(映画の)エイリアンだ。人間に寄生しているエイリアンが人間を食べて生きているみたいだ」と発言した。

 同時に会見で石原氏は「私は人間の尊厳を重んじなければならないと絶えず言っていて、私自身もそういうこと(胃ろう措置)は夫婦の間で行わないと決めている」と述べた。

これだけの報道を見ると胃瘻を見てエイリアンとは思いつかなかったと言いますか、言葉のセンスがちょっと独特な人なんだろうなあという感想を抱くのですけれども、特に医療に関係が深いわけでもない石原氏から唐突にこういう不思議なコメントが出てきた、つまりはそれだけの強い違和感を感じたという理由がどこにあったのかということですよね。
これら各社報道では単にそこらの病院に出かけて寝たきり老人を見学して唐突にエイリアンを連想したかのようにしか受け取れませんが、実際の石原氏の言っていることはもう少し異なった、あるいは特殊な状況で生まれたものであったようです。

「エイリアンのよう」=胃ろう患者で発言-自民・石原氏(2012年2月6日時事通信)より抜粋

(略)
 石原氏は「社会の最下層で身寄りもない人の末期医療を担っている所に行くと、意識が全くない人に管を入れて生かしている。何十人も寝ている部屋を見たとき何を思ったか。エイリアンだ」などと述べた。 

つまり状況を整理するとこういうことになるんだと思いますが、身よりもなく自前の財産もない方々が高齢で寝たきりになり、そういう方々が何十人も胃瘻になって寝かされている状況を見て「まるでエイリアンだ」といった感想を抱いたということなんですが、この一連の発言から石原氏の意図をどう解釈するかですよね。
ご存知のように映画「エイリアン」では捕まえた人間を生きたまま幼虫の住み処として利用するシーンが非常に衝撃的に描かれていますが、この場合は認知症で何も判らない上に身よりもない(当然ながら医療方針に口を出す親族もいない)人々がただ何かを養うためだけに生かされているかのような状況がまさしくエイリアンのようだと感じたということでしょう。
もちろんこの場合生かされているのがエイリアンならぬ医療業界の人間であると形の上ではなりますけれども、これに対して石原氏はスタッフの仕事ぶりに感嘆しつつ「こんなことをやったらお金がかかる」「医療はやはり大変だ」とも考えたということですから、管の入った患者の姿をまるでエイリアンのようだと表現した、あるいは人間をそんな風に扱っているエイリアン=病院関係者を批判したという単純な話ではないはずです。

エイリアンにしても医療にしてもこれら寝たきりの方々を生きて(繁殖して)いくタネにしている構図は同じですが、それでは医療の中の人が身寄りのないお年寄りをさらに大勢囲い込んでもっと儲けたいと望んでいるかと言えばそんなわけはない、むしろそれだけの労力やコストをより建設的で有意義なことに振り向けられればそれに越したことはないと誰でも感じているわけですね。
ましてや石原氏の言う「社会の最下層で身寄りのない人の末期医療」など今どきどんな医者も濃厚医療をしたいと思うはずもなく、それでは何故今までそうしたことが行われざるを得なかったかという背景を考え、それをどう解消すべきかということこそ適切な命題の立て方というものでしょう。
実際に先日来お伝えしているように日本の末期医療はやり過ぎではないかという自省の声が治療差し控えもあり得るという学会指針の形で出てくる時代ですから、医療費抑制というお国の事情による政策誘導的な話を抜きにしても何事にも限度というものがあると素朴な違和感を抱いている人々がそれだけ業界内にも増えてきていると言うことです。
となれば、有力政党の幹事長が何かがおかしいんじゃないかという問題意識を持つことは医療側からも歓迎すべき話ですし、例によって批判される前から「○○からの批判が予想される」式の煽り報道で盛り上げようとするマスコミの意図に反してというべきでしょうか、当の患者家族からもこんな声が上がっているという事実は無視すべきではないはずですよね。

「 うちの親父は胃ろうになって2年で、ずっと病院に入院しているけれども、入院費は月に5万もかからない
入院している病院も、どういうワケか「何十年居て貰っても大丈夫ですよ」と言う。
俺はは意識のない、回復もしない親父の様子をたまに見に行くだけで介護も一切しない。
入院費より入ってくる年金の方が多いから貯金が貯まる
こんなことっていいのかと常日頃おもうよ。 」

「 俺の母の隣のベッドの人がそんな感じだな。2か月前はもう少し元気だったような記憶があるが
別の人だったかな。まあ、いずれにしても眼を背けたくなるよね。
そういう人と比べれば俺の親は恵まれているのかもしれない。とりあえず歩行器で歩けるレベルだから。 」

「 エイリアンかどうか知らんが、人間に見えないのはホントその通りだよ
うちのじいちゃん、ナナメのベッドに貼り付けにされて、管つけられて、ガリガリな状態でずっと生かされてた
あんな状態にされて生きながらえるなんて、俺は絶対嫌だよ
家族もみんな絶句してた 」

現場のスタッフはこんな終末期医療をせざるを得ない事態を何とかしたいと思っている、患者家族にしてもこういう状況は嫌だなと感じている、そして政治家もおかしなことだなと感じ、官僚ですら医療費抑制の点から望ましくないと思っているなら、そんな誰も望まない状況はさっさと改めるべきだろうと誰でも思うところですが、それでは一体誰が(あるいは何が)抵抗勢力になっているのかということです。
先日以来のマスコミ報道を見ていて、かつてはスパゲッティ症候群だとあれだけバッシングに走ったマスコミは終末期の胃瘻にも反対なんだろうと思っていましたが、単に何であれ他人を批判せずにはいられない職業的習性の発露に過ぎなかったのかどうか、石原発言への取り扱い方も一つの試金石になるかも知れませんね。

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コメント

石原発言について障害者団体などからはさっそく声が上がっているようです。
政治家としては少し思慮に欠ける言葉でしたが、マスコミが大きく取り上げるほど問題提起にはなるでしょうね。
当院でもちょうど先日胃ろうについての話し合いがあり、老年医学会の新しい指針もふまえて適応についてはきちんと検討していくことを再確認しました。
医学的適応だけでなく社会的適応も十分にふまえての終末期医療を模索していく必要があります。

投稿: ぽん太 | 2012年2月 8日 (水) 08時40分

エイリアンというより植物園だろjk

投稿: | 2012年2月 8日 (水) 09時56分

ベジ部屋を見て「エイリアンの一シーンを想起する」というのは素直な反応だと思います。
そういったことを、世間(現時点で胃瘻とは無関係・無関心な人達)に知らせるのは良いことだと思います。
ただし、それだけでは見えないことがあります。
脳卒中や低酸素脳症などで急激に経口摂取不能に陥ったのでない限り、胃瘻を作った時からそんな状態だったわけではない、ということです。
例えば誤嚥性肺炎がきっかけで胃瘻を作った人などは、その時点では多少認知機能に問題があろうとも、人格を感じさせるだけの能力は残っています。そこからベジの仲間入りするまでには年単位の時間が必要なわけです。家族にとってのその年月をどう評価するかです。
あるいは、胃瘻を作るのは医療・介護者が楽をしたいからだろうという意見を時折見ますが、実際 療養病院の入院患者が全員経口摂取していたら どういうことになるか?自力で食事ができる人などほとんどいません。50人の病棟でせいぜい10人でしょう。40人の被食事介助者に対して、看護師・看護助手が何人いるか?日勤でも10人はいません。おそらく一人で5人以上介助する必要が生じると思います。介助が必要な人が1回の食事に何分かかるか?速い人なら15分ですが、30分以上かかる人もめずらしくありません。とても一日の看護業務が回るものではありません。食事時だけのパートタイムを雇うことが現実的な対応とも思えません。

現在 胃瘻が作られすぎている、というのは多分その通りでしょう。
しかし、胃瘻を抑制していくとしたら、その影響がどこにどのように現れるのか、検討と対策が必要だと思います。

投稿: JSJ | 2012年2月 8日 (水) 10時08分

医療に対して投下すべき資金や人材の上限が見えてきた今日、結局これも一種のトリアージなのかなという気がします。
同じお金やスタッフをどこに優先的に使うべきかという点において、現在こうした高齢者へ重点的に医療資源を配分するという流れにはありません。
国の方針がそうであるからこそ、それを受けたマスコミがこのところ急に終末期だ、胃瘻だと書き立てている印象も受けています。

胃瘻に関して言えば、終末期に対して深い考えもないまま急性期の担当者が単に管理が簡単で早く退院できるからという理由で安易に造設して送り出すのも問題でしょうね。
指針の改定がどうあれ、やはり作ってしまった以上は何も入れずに看取りというのも難しいですから、本来であればそれ以前の段階で十分に家族と話し合うべきことがあるんじゃないかと思います。
子供が小さな大人ではないというのと同じように、高齢者もまた単なる体の弱った大人ではないという前提に立っての対応が必要でしょう。

投稿: 管理人nobu | 2012年2月 8日 (水) 10時28分

なんでもかんでも胃ろうにしてしまう馬鹿ほどさっさとよそにスルーパスだして仕事したつもりでいるんだから、ほんと始末に負えないわな

投稿: aaa | 2012年2月 8日 (水) 11時36分

胃瘻だけを、そして急性期医だけを悪者にしていても、経鼻栄養が増えるだけで、根本的な解決にはならないと思います。

投稿: JSJ | 2012年2月 8日 (水) 12時39分

何が悪者というより、内科や外科の一診療という位置づけにとどまらない老人科学あるいは終末期学のようなものがあるべきだってことじゃないのかな
研修時代に産婦人科の偉い先生の診療を一生懸命メモってたら「妊婦は黙って専門家に任せておけ!」と一喝されたことがあるが、積極治療から外れた高齢者も本来ホスピスが担うべきなのかも知れん

投稿: kan | 2012年2月 8日 (水) 13時52分

誰が抵抗勢力ってやっぱり医師じゃないですかね。
だって認知で飯食えなかったり、誤嚥性肺炎を繰り返す老人の方の家族に対し点滴や経鼻(胃ろう)栄養をしないで天命を待ちましょうってICできる方ってどれくらいいますか?僕はマスコミや世間が怖いって言うより何もしないで餓死されるかたをみる勇気が無いです。急性期病院でずっと働いているせいかもしれませんがやはり何もしない訳にはいかないって少量の点滴でお茶を濁して徐々に弱るのを待つことが多いです。転院っていっても数ヶ月まちなので大概、転院前にお亡くなりになるケースが多いです。

投稿: 優駿 | 2012年2月 8日 (水) 14時59分

人として正しい逝き方とか、そんな贅沢いってる余裕あるわけない
だいたい何もしないんなら最初から病院にくるな
家で最後まで面倒見てやれと言いたい
ただ寝かせてるだけで儲けにもならないベッドをいつまでも占拠されたって在院日数かさむだけだろうが
国の方針通りの医療が嫌なら高齢者看取り加算でもたっぷりつけるように国に言え

投稿: 根は正直者 | 2012年2月 8日 (水) 16時03分

胃瘻が医療費を押し上げているというのが本当だとして、それって 介護職員が胃瘻栄養を取り扱えるようになれば解決しませんかね?

あるいは、胃瘻を抑制するのではなく、胃瘻を作ったら在宅へ帰すという方向性ではダメなんですかね?
胃瘻なら介護も楽だし、末梢静脈栄養と違って毎日往診(あるいは訪問看護?)を受ける必要もないし、いいと思うのですが。
在宅なら、家族が栄養維持をやめたくなったら、簡単にやめられるし。

投稿: JSJ | 2012年2月 8日 (水) 18時53分

老健や特養の看護師さんで専門知識のアップデートが止まっている方たちが
「うちで何かあったらどうするんですか!」と言って、
胃ろうでなければ受け入れないような流れを作ってきたんじゃないかなあ、と介護現場に近い立場から感じています。
入所者家族も施設職員も、もっと施設で看取るってことを真剣に考えないといけないです。はい。
でも40度も熱出てたら、救急車呼んじゃうんだろうなあ。

ちなみに4月から条件付きで介護職員でも胃ろうの処置ができるようになりました。というか、「今まで見逃してあげてたけど、今度からきっちり研修受けろよ」って感じですけど。

投稿: のりぞう | 2012年2月 8日 (水) 20時23分

自宅で胃ろう患者の介護をしている家族は、最後も引くべきところは引く印象があります。
困るのは普段施設に預けっぱなしで、熱を出したりしながら職員がなんとか食事介助してきた人が入院したときですね。
経口摂取はもう難しいと説明しても「なぜこんなになるまで放置してた」だの「昨日まで食べていたのに食べられないはずがない」だの…
一番大事なのは患者家族への教育じゃないでしょうか?

投稿: ノリダー | 2012年2月 8日 (水) 21時59分

すべての人に一律な対応ができる問題でもないし、するべきでもないというのはコンセンサスだと思います。
それでも日本ではこうした寝たきり高齢者が非常に多いし、今後もさらにどんどん増えていく勢いであるのは確かであるわけです。
人道とか財政とか色々な視点があるにしても、誰もその状況をすばらしい、もっと推進していくべきだとは思っていないはずですなんですけどね。
それでもそうなってしまったのは、やはりそうした方が皆都合がいい面も多かったということでしょう。

医療の側からすればできる限りのことをやりましたという言い訳も立ち、変な言いがかりをつけられるリスクが低くなります。
家族も入院させるほど儲かるという話がありましたが、親族から親を見殺しにしたと後ろ指さされずにすみますよね。
むろん介護施設にしてもただでさえ忙しいんですから、胃瘻にしてくれた方がありがたいに決まってます。
それでもやはり感覚的にはおかしいと皆感じているわけですし、社会全体でみれば固定経費ばかりがどんどん増えていく構造になっているのは困るはずなんですよね。

少なくともこれからは、ああまでして無理やり生かし続けるのはちょっと…というご家族に対してはいや、その感覚は決しておかしくないし、別な道もあるんですよと提示するところまでは医療の側の仕事になりそうです。
その結果今までは何となくお定まりのコースで済ませていた人たちの中からちょっとずつでも違った選択をする人が増えてくれば、やがては国民全体の死生観も変わって行くんだろうと思います。
だからまずは皆で議論を始めるべきだし、一番馬鹿馬鹿しいのはマスコミお得意の言葉狩りに乗せられてしまって、そんなことは考えるのもケシカランことなのだという風潮が世に広まってしまうことでしょうね。

投稿: 管理人nobu | 2012年2月 8日 (水) 22時41分

胃瘻を作るか作らないかで悩むことないです。
悩んだ時は、医学的禁忌でない限り、作っちまえばいいです。
課題はやはり、一旦作った胃瘻を 本人の尊厳の問題も含めた社会的理由で中止できるようにすることだと思います。

ベジ部屋を見て異様に感じた石原氏の直感は正しいです。
でも その解決を「胃瘻を作るか作らないか」という選択肢にして、医療現場に委ねられては困ります。
政治家なら、選択肢を「経管栄養を継続するか中止するか」にして、中止ができるように法整備をして頂きたい。

胃瘻はとりあえず作っちゃえ、という理由は三つ。
一つめは、たとえ認知症による摂食機能の低下であっても、栄養状態を改善すれば 一時的であったとしても意外と再び口から食べられるようになる例が皆無ではないこと。
二つめは現在の急性期医療のおかれている状況。末梢静脈栄養だけになると、ヒトは病気がなくても通常2〜4ヶ月で亡くなります。
経管栄養にすれば、病気によって予後が規定されない限り、いつ死ぬかは分からなくなります。
急性期病院に「とりあえず病気は治りましたが、余命は数ヶ月です」なんて説明させていたら、ベッドが廻らないでしょう。
そういう仕事は療養病院・介護施設・在宅医に担わせればいいです。
三つめは、中止するという選択肢が担保されれば、そもそも作るか作らないかで悩むのはナンセンスだからです。
家族の死を受け入れるにも潮時というものがあります。私が勤務する療養病院に転院してくる方の家族で、入院当初は「何かあったら急性期病院に再転院して濃厚な延命治療を希望します」なんて言っていた人でも 普通の理解力を持っている人なら、2年、3年経過してだんだん無言無動に近づく様子をみていれば、「もうこのまま自然に看取ってください」て言いますよ。

投稿: JSJ | 2012年2月 9日 (木) 00時03分

これだけ議論になるのも関心の高さを表しているんでしょうね。
看取り方なんて各人なりの人生観がいちばん現れるところなんですから、正解なんてあるわけないです。
当院でも先生ごと、家族ごとにほんとうにばらばらでやってますよ。
新指針がどれほど役に立つのかといいますが、単純に選択枝が広がったと考えればいいんです。

投稿: ぽん太 | 2012年2月 9日 (木) 07時17分

こういうところは死生観が表れやすいのは確かですね。
学会の指針一つで直ちに何が変わるとも思いませんが、厚労省が後押ししている事実は小さくないと思います。
次回はともかくいずれ診療報酬改定にも何かしらの反映がなされていくかも知れません。

投稿: 管理人nobu | 2012年2月 9日 (木) 11時53分

件の発言は、小宮山かあるいは他の閣僚がやれば
辞めろ辞めろの大合唱だったでしょうね。(特にネット上では)

投稿: 名無子 | 2012年2月10日 (金) 06時28分

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