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2012年1月31日 (火)

老年医学会から高齢者終末期医療の指針出る

こちらは先日から突然のように出てきた話ですけれども、具体化に向けて地道に話が進んでいるようですね。

終末期胃ろう「治療差し控えも」…老年医学会(2012年1月29日読売新聞)

 日本老年医学会(理事長・大内尉義(やすよし)東大教授)は28日、高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給について、「治療の差し控えや撤退も選択肢」との見解を示した。

 終末期医療に対する同学会の基本的な考え方を示す「立場表明」の改訂版に盛り込まれ、同日の理事会で承認された。

 「立場表明」は2001年に策定されたが、その後の実態に即したものにするため、10年ぶりに改訂された。近年、口から食べられない高齢者に胃に管をつないで栄養を送る胃ろうが普及。病後の体力回復などに効果を上げる反面、欧米では一般的でない、認知症末期の寝たきり患者などにも広く装着され、その是非が議論になっている

 改訂版では、胃ろうなどの経管栄養や人工呼吸器の装着に対する見解が初めて盛り込まれた。高齢者に最善の医療を保障する観点からも、「患者本人の尊厳を損なったり、苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや撤退も選択肢」とし、「患者の意思をより明確にするために、事前指示書などの導入も検討すべき」とした。

胃ろう中止も選択肢に 終末期医療の原則、学会が改定(2012年1月29日朝日新聞)

 高齢者の終末期医療とケアについて、日本老年医学会は28日、胃に管で栄養を送る胃ろうなどの人工栄養や人工呼吸器の装着は慎重に検討し、差し控えや中止も選択肢として考慮するとの「立場表明」をまとめた。最新、高度な医療をすべて注ぎこむことは必ずしも最善の選択ではないと判断した。表明の改定は11年ぶり。

 終末期医療の手続きなどを定めた法的ルールはない。この立場表明にも拘束力はないが、高齢者医療に携わる医師が治療方針を考える際の基本原則とするもの。具体的な手順などを定めたガイドライン(指針)を作る際のもとになる

 まず、高齢者の終末期における「最善の医療およびケア」を「必ずしも最新もしくは高度の医療やケアの技術すべてを注ぎこむことを意味するものではない」と明記。高齢者の心身の特性に配慮し「残された期間の生活の質(QOL)を大切にするものだ」との考えを示した。

 その上で、高齢者が最善の医療およびケアを受ける権利の一環として「(おなかに穴を開け、管を通して水分や栄養剤を胃に送る)胃ろう造設を含む経管栄養や気管切開、人工呼吸器装着などの適用は慎重に検討されるべきだ」と指摘した。具体的には「本人の尊厳を損ねたり、苦痛が増えたりする可能性があるときは、差し控えや撤退を考慮する必要がある」と記した。

高齢者への胃ろう、問題点は(2012年1月26日読売新聞)

 高齢者への胃ろうの使い方が論議を呼んでいますね。何が問題なんですか。

「苦痛では」疑問の声も

 胃ろうは、口から食べられなくなった患者に対し、おなかに開けた穴から胃に管をつなぎ、人工的に栄養や水分を流し込む方法。内視鏡を用いた手術で短時間で作れる。米国で1979年に開発され、日本では90年代から普及、着ける人が増えている。

 人工栄養補給には他に、鼻から通した管で胃に栄養剤を送る方法や点滴もあるが、鼻から管を入れるより患者の苦痛が少ない上、点滴に比べ、腸を活動させるので免疫機能の維持につながるといった利点があると言われる。

 一定期間の栄養補給に用い、回復したら再び口から食べるのが理想的な使い方だ。ところが、手術や管理が簡単なこともあり、日本では回復が見込めない高齢者にも用いられるようになった。急増した背景には、
〈1〉肺炎などの治療後、食べられないままより、栄養が取れる方が退院させやすい
〈2〉口から食べさせるより介護の手間がかからない
――など、医療・介護施設などの事情も指摘される。

 口から食事を再開できなくても、一定期間、本人の意識が保たれ、ある程度満足できる生活が送れるなら、有意義とされる。だが、衰弱し意識のない高齢者が延命される例も目立ち始めた。このため、介護現場などから、「本人は苦痛なのでは」といった疑問の声が上がるようになった。

 終末期医療に関しては、厚生労働省が、医師の独断でなく、医療・ケアチームが患者や家族と話し合って判断すべき、との指針を作っている。だが、「延命手段を中止したら、罪に問われないか」などと心配する関係者も多い。

 これを踏まえ、日本老年医学会の作業部会は昨年末、新たな指針案を発表した。関係者が十分話し合った結果なら、胃ろうなどを着けるのを控えたり、中止したりできるとし、「適切な意思決定過程を経れば、法的にも責任は問われない」との考え方を示した。

 より長く生きるのか、生活の質を重視するのか。早い時期から、身近な人と話し合っておきたい。(高橋圭史)

同学会の立場表明がまだ書き換えられていないので元の文章には当たれていないのですが、寝たきりの超高齢者への経管栄養については医師や家族、そして恐らく当の本人も含めた関係者の多くが積極的に望んでいないだろうという背景があるにも関わらずやらざるを得ない、始めれば止められないという状況が続いてきたことが根本的な問題点としてあげられるのではないかと思います。
かつてはマスコミなどが主導して過剰医療だ、スパゲッティシンドロームだとさんざんにバッシングしていましたが、何故医療現場ではそうしたことになるのか、それを望まないのであれば法整備も含めてどのような社会的体制が必要なのかという議論を抜きにして単に批判のための批判だけに終始してきたため、今や急性期よりもはるかに長期化しやすい慢性期終末医療において同様の問題が顕在化しているわけです。
そうした目で見ると読売などはわざわざ解説記事まで用意していて、しかも経管栄養を中止する=人の死ということに対しても何ら批判的な論調が見られないという「積極推進派」であるように見えますし、朝日にしてもお得意の「だがちょっと待って欲しい」のフレーズすら差し挟んでいないあたり、彼らにしてもこの件については全く異論なく推進すべきだという立場なのでしょうね。

今回の指針では経管栄養のみならず人工呼吸器等についても一定の言及をしているようですが、本人はすでに苦痛を感じる状況にない場合がほとんどですし、尊厳を損ねる云々という抽象的な表現では現場にとっては何も言っていないことと同じです。
そして結局のところ止めた結果当然ながら患者がなくなった、その結果何かしら法的、社会的責任を問われるという事態になることが現場では一番困るわけですから、誰もが積極的に望んでいないからというだけではなくこの辺りの実際的な担保なり保障なりがなければ絵に描いた餅で終わってしまいますよね。
今回も医療側の側から指針策定の動きが出てようやく具体的に話が進み出したという状況ですが、失礼ながら医療の世界の中でも決して影響力の強い団体とは言い難い(失礼)老年医学会あたりの指針にどの程度の意味があるのかが問題で、前回も話が出たようにさらに国の指針としてある程度法的拘束力に準じたものを備えた段階で始めて実効性あるものになっていくのでしょう。
例えば法改正とまでは言わないまでも、少なくとも厚労省通達などの形で公のルールとして発信され、世間もそれを周知した段階でようやく現場も後顧の憂いなく動けるということになるでしょうが、そもそも内外の課題山積であるにも関わらず先送りを続けているような国政の状況にあって、こうした当面急ぐことでもない上に一部から根強い反発も出そうな話がすんなり進むものなのかと心配になってきます。

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コメント

医療関係者の間ですら全く周知徹底されていないようですから、一般市民がどれくらいこの指針の存在を知っているか疑問ですね。
だいいち遠い親戚がクレームをつけてきたときにどれほど有効なのかも全く未知数ですし…

投稿: ぽん太 | 2012年1月31日 (火) 09時49分

一応学会ガイドラインレベルと考えると、裁判の際にはそれなりに有用なのではないかとも思います。
ただし実際にこの指針によって方針がどの程度変わるかは未知数ですから、効果を見ながらいずれ再改訂が必要になるかも知れませんね。

投稿: 管理人nobu | 2012年1月31日 (火) 13時35分

積極延命待望論が表立って出てこないというのが不思議と言えば不思議
爺さんの年金や恩給で暮らしている家族も多いだろうに
高齢者末期医療の自己負担分は収入スライド制にしてもいいんじゃないか

投稿: kan | 2012年1月31日 (火) 17時25分

厚労省が超高齢者にこれ以上金を使いたくないがために、大新聞に世論誘導の記事を書かせているにすぎないのでしょう。
たしかに今後増加する高齢者への終わりなき濃厚医療が医療費を増大させる大きな要因でしょうから。
それでも日本で経管栄養や人工呼吸を中止する事は不可能でしょうね。
たとえ意識がなかろうが認知症の末期であろうが家族が強く延命を希望するケースはまだまだかなり多いですよ。
むしろ家族が延命を希望しないケースのほうが稀ではないでしょうか?厚労省や大新聞は現場を全く知らないからわからないでしょうが。
年齢や重症度で区切りを決めて、明らかな終末期とみられる患者に関しては延命医療はすべて自己負担(保険医療対象外)にするしかないのでは?それに加えて延命中止が医療側が罪にならない法改正も絶対に必要でしょうが。
高額の医療費を長期に全額負担してまで延命しようという家族はかなり限られてくるので結局はカネで解決できると思いますが。

投稿: 元神経内科 | 2012年1月31日 (火) 17時41分

食べられなくなったらそのまま家で自然にしてくれたらいいんだけど結局病院連れてきちゃいます、しかも救急車で、そしたら点滴しない訳にはいかないじゃないですか。
経管栄養なら家で見ようという家族もそれなりにいますが点滴管理になったら家で管理してくれる家族なんてほぼいないし転院する病院も少なく結局急性期病院に何ヶ月も入院となります。そんな患者さんが常に入院されています。

投稿: 優駿 | 2012年1月31日 (火) 19時22分

最近何もせずに看取るという人が立て続けに二人出ました。
ホスピスよりももう少し気楽な看取り用の施設があれば需要はあるのかな?とも思うのですけど。
一般病院では看護師からも治療しないのか?と圧力がかかりますからねぇ…

投稿: ぽん太 | 2012年1月31日 (火) 19時37分

>たとえ意識がなかろうが認知症の末期であろうが家族が強く延命を希望するケースはまだまだかなり多いですよ

東京23区にある勤務先の病院では、反対に延命治療をほとんどのご家族が希望されません。
高級住宅街の病院ではなく、一般庶民の住む地域です。
苦しまないで最期を迎えればよくて、積極的なことは希望されない家族が大半を占めます。
救急車で来ても、初めから延命治療なしてと言われます。

前勤務先は比較的裕福な方の多い地域でしたが、今の勤務先と同じ状況でした。

啓蒙活動はしていませんが、ネットなどを通じて、そういう認識ができているのかもしれません。

他の地域のことはわかりません。

投稿: とある内科医 | 2012年1月31日 (火) 19時40分

地域性もある程度関係あるのでしょうが、同じ施設内であっても担当医の舌先加減一つで全員DNRから全員フルコースまで家族の意見というのは変わりえますからね。
結局医療側の意識改革も抜きでは何も変わらないはずですが、後で何かあって揉めるのも面倒だからとりあえず濃厚医療で…というのは現状では無難な正解ということになってしまっているのが困りものです。
そのあたりの状況をどう変えるのかという道筋を示さない限りは現場も変わりたくとも変わりようがないでしょう。

投稿: 管理人nobu | 2012年2月 1日 (水) 09時06分

ふ〜ん、時代は動くのでしょうかね。
http://www.asahi.com/national/update/0205/TKY201202040565.html
『生涯学習のあり方を話し合う文部科学省の有識者会議が近く、「人生の締めくくり方の学びも必要」と、死生観に言及した異例の報告書をまとめる。』

投稿: JSJ | 2012年2月 5日 (日) 07時33分

別に北欧諸国のように国民全てのコンセンサスとして全ての高齢者に同じ対応を行う必要はないと思うのですよ。

ただ医療費自己負担上限制の絡みで高齢者医療費が実質定額性になっている中で、本人も家族も必ずしも望んでいないのに何となくの流れで何でも出来ることを全て希望される、その結果保険診療の上限一杯の医療が漠然とつぎ込まれていく現状はやはりちょっとどうなの?ということです。
単に死を先延ばしにするだけの医療から看取るための医療へと一部でも流れが変わってくるだけでも、たいていの医療政策よりも医療経済に与える影響は大きいんじゃないかと思います。

投稿: 管理人nobu | 2012年2月 6日 (月) 09時00分

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