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2012年1月14日 (土)

おかしいと自覚があるなら改めるべきでは?

朝日新聞の発行するメディア専門誌「Journalism」に先日こういう記事が出たと言うことで、その冒頭部分を朝日から転載させてもらいましょう。

なぜ「政治報道」は批判されるのか~大震災・原発事故下の政治報道メディアは何を誤ったのか?/『Journalism』最新号より(2012年1月6日朝日新聞)より抜粋

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で浮き彫りになった政治の混迷。その政治状況を報ずるメディアへの視線も厳しさを増し、いっそう政治不信を深化させているように見える。果たしてこの間の政治報道のあり方に問題はなかったか。被災地・福島県の県紙・福島民報の佐藤光俊氏、全国紙で政治報道に携わる与良正男氏(毎日新聞)、根本清樹氏(朝日新聞)に、司会・藤田博司氏を交えて議論していただいた。 (朝日新聞『Journalism』編集部)

藤田博司(司会) 政治報道については、かねてからいろいろと批判や議論があるわけですけれども、東日本大震災および東京電力福島第一原発事故以降、改めて政治報道が問題にされる場面がいく度か見られたように思います。政治報道に対して、これまでになく批判的な見方が強まっている、政治不信と同時にメディアに対する不信も高まってきているような印象があります。
(略)

佐藤光俊(福島民報)
(略)
 大震災以来、それまでは解散・総選挙を視野に入れる「政局」中心の政治報道を続けていた全国紙でも、被災地の復興や原発事故の収束にかかわる政治報道が確かに増えました。ただ、それがすぐ「菅首相おろし報道」に変わってしまったという印象が否めない。我々福島県民からすると、大震災・原発事故という国難を利用して解散・総選挙をあおるようなムードを感じました。政局を伝えることは、日本の今後のあり方を問う意味で、確かに重要な報道でしょう。しかし、政治報道が政局報道になって、解散・総選挙へと関心が移り、いつの間にか被災地が取り残されてしまった。報道が政治空白を助長して、復興の遅れを招いているのではないかというのが、被災地からの見方です。

■「菅おろし報道」は政治報道の歴史に汚点

藤田 佐藤さんは、特に「菅おろし報道」に代表される政局中心の報道が、被災地の人たちの生活をないがしろにしている、被災地に寄り添った報道になっていないことをご指摘になったと私は理解したんですが、この点はどうでしょうか。根本さん、中央のメディアとしてはそういう印象をお持ちでしょうか。

根本清樹(朝日新聞) 福島県をはじめ被災地の方々からすると、不安をあおられ、取り残されている感があるというお話には、全くそのとおりだな、そうだろうなと思わざるを得ません。しかし、他方で、では、あのときの「菅おろし」の報道をどうすればよかったのかというと、なかなか答えを見つけにくいなというのが率直な感想です。やっぱり、永田町で政争が行われているということ自体を報じないわけにはいかないし、避けて通れなかったと思います。そうした政治のあり方に対しては、社説などで「何をやっているんだ」と批判しましたが、それが読者の皆さんあるいは被災地の皆さんに十分に伝えられなかったという感想を持ちます。

藤田 なるほど。与良さんは、その点、いかがでしょうか。

与良正男(毎日新聞) 僕はもう少し厳しくとらえていて、あの「菅おろし報道」というのは、政治報道の歴史の中でひどい汚点を残したと思っているんです。やっぱりもう少し自制すべきだったと思います。政治家も政治記者も、原発は収束しないし、復旧・復興も遅々として進まないしということで、うまくいかないことを「すべて菅が悪い」と、一種、不満のはけ口みたいにしてしまった

 毎日毎日、とにかく「今日も居座った」、「今日もおろそうとした」、「また今日も菅さんは延命しようとした」と繰り返した。6月に不信任決議案が否決されたときに、もう少しけじめをつければよかったんだけれども、それからまた2カ月余り、同じような堂々めぐりを続けた

 菅さん自身、やることなすことすべて自分の延命に利用しようとしていた節があったのは事実ですけれども、報じる我々政治記者側も、何をやっても進退問題に結びつけた。例えば浜岡原発停止の判断についても、その政策的な是非ではなくて、菅さんの延命策であるとか、あるいは経産相の海江田万里さんが手柄を取られて怒っているとか。話としては面白いんですけれども、そういう書き方をしてしまったことについて、僕は本当に汚点を残したと思います。
(略)

与良 今はこういう立場ですけれども、僕も現場にいたら、何を期待されているかということを錯覚するかもしれません。菅さんが何か進退について言及することがニュースになるんだと。とりわけ若い記者はだんだん錯覚してくるんですよ。根本さん、どうですか。

根本 若い記者に限らず、首相の進退ともなれば、政治記者にとって最大の正念場だと、どうしても過熱してしまいますからねえ……。

藤田 だけど、どこかでそういう流れをせき止める力は働かないんでしょうか

与良 社内でももちろん、僕ら社説の世界では「馬鹿馬鹿しいからおよしなさい。今、この時期に野党が不信任決議案を出して政局をやっている場合ですか」と、連日のように訴えてきました。僕も実名のコラム(紙面2)で書いたし、テレビコメンテーターもやっていますから、テレビでも叫び続けてきた。だけど、新聞の1面に載る記事は、「今日も居座った。また延命策」という記事になるんですよ。
(略)

政治家のいわゆる失言問題をああまで煽り立てるマスコミ心理などなかなか興味深い内容で、いささか長い記事なのですが是非ともご一読いただきたいところなんですが、結局のところマスコミが世間の批判の目線もスルーしてひたすら内なる論理にのみ従い暴走するということに関しては、「判っちゃいるけどやめられない」という事情であるようです。
一昔前であれば何よりマスコミの報道内容こそが唯一の情報源ですから、国民の側からそれに対してクレームがつくということなど滅多になかったし、新聞の投書欄などには「マスコミ様は何とすばらしい!我々愚民が世の中を知ることが出来るのも全てマスコミ様のおかげです!ありがたやありがたや」と拝み奉るかのような読者の声ばかりが並んでいたものでした(今考えると相当にキモチワルイ光景ですが)。
それがネット上でマスコミそれぞれの報道内容が簡単に比較できるようになり、それに対してリアルタイムで批評や批判が出来るようになってくると、あちらからもこちらからも「マスコミってなんていい加減なんだ」という声ばかりが聞こえてきているようにも感じられますが、今の時代になって堕落したというよりも元々がそうしたものであったものが誰の目にも明らかになってきただけなのかも知れません。
その一つの理由として過去何十年間もマスコミ自体を評価する外部の目線が存在しなかったということも挙げられると思いますが、業界内部で内輪の論理だけを優先してきた排他的集団となっている彼らの現状が客観的に見てどんな馬鹿げたことになっているか、一目瞭然となってしまったのが先日ニュースになった台湾人留学生殺害事件に関わるこんな一幕です。

台湾メディア、台湾留学生殺人事件の警視庁会見締め出され憤慨(2012年1月9日サーチナ)

  台湾メディア・中国時報は9日、日本の警視庁が台湾人留学生殺害事件の記者会見への台湾メディア出席を拒否したことに対して「荒唐無稽だ」と不満を示す記事を掲載した。

  警視庁は8日東京で記者会見を開き、台湾人女性留学生殺人事件にかんして台湾人男性の指名手配を発表した。台湾メディアも会見用に足を運んだが「記者クラブ会員」ではないことを理由に追い出されてしまった、と記事は伝えた。

  記事は、日本の各省庁がそれぞれ大手国内メディアで構成される「記者クラブ」を持っていて、会員でないスポーツ紙や週刊誌はもちろん、外国メディアでさえ各省庁の記者会見に出席できないことを紹介。台湾メディアの記者は「国会記者証」や「外務省記者証」を持っていて国会や首相官邸に出入りできるにも関わらず、警視庁の記者会見に参加できないとした。

  そして、批判すべきは「日本の大手メディアが排他的な『記者クラブ』で情報を独占しようとする体制」「警視庁が(台湾人関連の殺人事件という)特殊な状況下で緊急措置を取らず、台湾メディアによる報道の自由を無視したこと」であると断じた。

  記事はさらに、台北駐日経済文化代表処の陳調和代表は台湾メディアに「記者クラブ」の存在について説明したこと、同処が警視庁に連絡してようやく警視庁側が説明係を1名派遣してきたことを明かした。(編集担当:柳川俊之)

日本の記者クラブ制度なるものの弊害については今更言うまでもないことですが、例えば日本のマスコミが海外においてこうした扱いを受けた場合に日本人がどう感じるか、そもそも独裁国家でもない民主主義を標榜する先進国でそんなことをやっている国があるのかということです。
台湾と言えば先の震災においては世界一の支援金を送り届けてくれたありがたい友邦ですけれども、今回の殺人事件によってただでさえ日本は何をやっているんだと批判の声が上がっているところでこの扱いですから、先方からしてみればまさに恩を仇で返されたような気分でしょうね。
同様に恩を仇で返したと言えば、先日新婚早々にわざわざ日本を訪問していただいたブータン国王夫妻に対する侮辱があまりにひどすぎると話題になっていますが、まずは記事から紹介してみましょう。

フジテレビ「笑っていいとも」ブータン国王夫妻の物まねに、非難殺到(2011年12月29日サーチナ)

  フジテレビで28日に放映された、「笑っていいとも! 年忘れ特大号2011」で、劇団ひとりさんがAKB48の秋元才加さんとともに、ブータン国王夫妻の物まねを披露した。しかし、これが国王夫妻を侮辱したとして、インターネットを中心に波紋が広がっている。

  2ちゃんねるでは、「これ、ブータンの人が見たらどう思うだろう」「超えちゃいけないライン完全に超えてる」「ブータンに申し訳ない」「局がどうかしている」などと非難の声が上がっている。

  また、ツイッター上では劇団ひとりさんのアカウントにもコメントが相次いでおり、「ブータン国王のものまねは最低だ。本当にTVは終わってる」「フジテレビをはじめ、マスコミは許せない」「これは酷い。大人のする事じゃない」といった抗議の声も見られた。

  一方、YouTubeやニコニコ動画にも、同番組の動画がアップされていたが、現在はフジテレビの申し立てによって、多くは削除されているようだ。

  ブータン国王は親日家として知られ、東日本大震災発生直後の12日には日本の被災者のための式典を行い、復興支援として義援金100万ドル(約8000万円)を日本に寄付した。また11月には国賓として日本を訪れ、福島の被災地の小学校を訪問し、子どもたちを激励するなどした。(編集担当:李信恵・山口幸治)

実際の様子を交えた報道はこちらに取り上げられていますが、「さすがフジテレビ」「ありえない」「呆れてものが言えん」といった反応も当然ですが、それ以上に何より全く笑えないというのが芸人として致命的に痛すぎるというものですよね。
近頃ではテレビ業界も視聴率低下がとどまるところを知らず「若者のテレビ離れが危惧される」などと言っているようですが(苦笑)、こういう馬鹿げた番組を拒否するという当たり前の健全な判断力を持つことは批判されるようなことなのか、それとも今の日本ではマスコミ並みの倫理観欠乏症に罹患しなければ一人前だと認められないとでも言うのでしょうか。
ネット上では「フジは親日国を貶めることはあっても、チマチョゴリを来たイミョンバク大統領夫妻をおちょくったりは絶対にしないだろうに」などという穿った(?)意見まであるようですが、これが天下のNHKともなれば親日国どころか自らの国そのものを貶めることに熱心だと定評があるようです。

NHK「平清盛」、初回視聴率が歴代ワースト3 「惨敗」は昨夏から決まっていた!(2012年1月10日J-CASTニュース)

   NHK大河ドラマ「平清盛」の初回視聴率が、大河ドラマ歴代ワースト3の17.3%だったことがビデオリサーチの調べで分かった。前作の、評判が芳しくなかった「江」の初回よりも4.4%下回った。

   ネットでこの原因について検証が行われていて、「低視聴率は始めから分かっていた」という意見が多く出ている。

「王家」連呼はNHKがやってはならないこと

   初回(2012年1月8日放送)が放送されると、ネット上には「やっぱり『王家』が連呼されている!」などと騒ぎになった。

   実は11年8月にNHKホームページに掲載されたドラマ「平清盛」の紹介が間違っている、などと騒ぎになり、NHKに抗議が殺到した。

   ドラマに登場する鳥羽天皇、上皇、後白河天皇などの「天皇家」を「王家」と表示し、「この国最強の王になった」などと解説していたからだ。皇室は王家ではないし、皇帝は王よりも位が上。日本の天皇を「王」と呼ぶ韓国などの国も存在するが、それは権威を貶めたいためであり、NHKがやってはいけないことだ、という批判だった。

   NHKはこうした批判を受け、「王家」の表示を「朝廷」に変更したが、実際のドラマではそのまま「王家」が使われていた。ネットでは、

    「日本の皇室を王家と辱めた番組なんて誰が見るんだよwww

などと批判が続いた。

   NHKは、最近の「平清盛」の番組宣伝でも再び「王家」の表現を使っており、番組開始前から、そのことに対してネットで批判の声が再燃していた。

主役が登場してから論じようという意見も

   初回視聴率が歴代ワースト3だったことがわかると、「王家」使用が大きな失点となり、日本の歴史ドラマファンを敵に回していたのだから当然、といった意見が多く出た。

   また、「江」が独自の歴史観や、登場人物の奔放な振る舞いが仇となって人気が低迷したことを反省せず、「平清盛」でも「王家」騒動によって似たような展開になると感じた視聴者が観るのを避けたし、大河ドラマ離れをした人が増えたはず、と発言している人もいる。
(略)

ま、そもそも昨今の大河ドラマはあまりに脚本がひどすぎるという声も多いようですけれども、その一つに歴史的事実を全く無視して独自解釈(笑)に走りすぎるというところがありますよね。
今更フィクションのドラマに向かって歴史のことをどうこう言っても仕方がないのかも知れませんが、日本においては王という呼び方は皇族に連なる親王より下位の男子に対する称号であって、王家と言うのはその方の一族という意味ですから、天皇家とは全く異なる意味になってしまいますよね。
記事中にもありますように断固として天皇などと呼ぶべきではない!あれはあくまでも日王である!と独自表記で統一している近隣国家も存在するのは事実ですが、日本の国民からお金を集めて運営している放送局が他国に向けたドラマを作るというのはおかしなことではないでしょうか?
NHKでは昨年末にも「日本の若者の間には日本語にハングルを混ぜることが流行っている!」などと大々的に報道して「聞いたことねえよw」と大炎上、結局は韓国人アイドルのファンクラブ会員に取材しただけだったと言うことが明らかにされていますが、捏造を交えてでもご機嫌を取らなければならない事情でもあるのでしょうかね?
いずれにしても特権的地位にあぐらをかいておかしなことをやっているばかりの人々がいるということであれば、それに対してちょっとおかしいよとNOを突きつけることも不毛な政治批判以上に健全な民主主義社会の成熟に必要なことではないかなと思います、

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コメント

マスコミは反自民親民主などではなく、単なる無責任な批判屋であると判ったのが政権交代の最大の意義だった気がする

投稿: kan | 2012年1月14日 (土) 10時03分

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