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2011年12月21日 (水)

議論が白熱しているテーマだからこそ、説得力は重要でしょう

各大学既存の医学部において定員増がもはや限界だという声も聞かれる中で、地域格差を是正するためにもやはり医学部新設しかないという声もあれば、いや国も議論しているふりをしているだけで新設などまともに相手にしているわけではないという声もありますが、いずれにしても現状を端的に要約すれば「直ちに新設にとりかかるわけではない」という状況であるようです。

医学部新設の動きが活発化(2011年12月7日日経メディカル)

 1979年以降新設されていない医学部。医師不足に悩む自治体を中心に、準備を進める動きが活発になっている。ただ、新設に向けた国の議論は一向に進んでおらず、いまだ実現のめどは立っていない

 今年9月、医師不足の解消を目的に医学部誘致を公約に掲げる茨城県知事の橋本昌氏が、早稲田大に医学部新設を働き掛ける書簡を郵送したと報じられた。また9月30日には、以前から県立医大の創設に意欲を見せていた埼玉県知事の上田清司氏が県議会で、「既存の私立大医学部の誘致は可能なアイデアだ」と、県立医大の代替案に言及した。

 そもそも医学部新設は以前から、医師不足に悩む自治体にある大学などが実現を望んでおり、2010年2月には北海道医療大(北海道当別町)、国際医療福祉大(栃木県太田原市)、聖隷クリストファー大(浜松市北区)の私立3大学が、医学部新設に向けて準備を進めていることを公表した(表1)。

 08年6月に舛添要一元厚生労働相が医学部定員数の増員を提言。その後民主党が医師養成数を1.5倍にする方針を示し、10年2月には当時文科副大臣だった鈴木寛氏が「医学部の新設も模索していきたい」と話した。こうした動きから、これらの大学は医学部新設が具体化されるとみて“見切り発車”したわけだ。

大学と連携して目指す病院も

 その中で、以前から医学部新設に向け着々と準備を進めてきたのが、国際医療福祉大だ(表2)。4つの附属病院を運営し、臨床実習の実施体制や教員数が整っている同大は07年ごろから構想を練り始め、08年には検討委員会を設置している。

 同大学長の北島政樹氏は、「国際的なレベルの医師を育てるには、今よりも医師を増やして競争を促進し、技術力を上げる必要がある」と医学部新設の必要性を説く。また、同氏は現在の医学教育に対し、「医学部の定員は増えているが、教員数などの医学教育環境が整備されていない。もっと臨床に特化した教育を行う医学部もあるべきだ」と指摘。今後のチーム医療の重要性を強調し、「学生のうちからチーム医療の概念を学べるモデル大学を設立してもよいのではないか」と語る。

 新設が実現すれば、地域の中核病院で活躍する医師の育成を基本理念とし、附属病院と複数の関連病院で臨床実習を行う方針。定員は125人としてうち25人は学士編入にし、卒業生に決められた地域で一定期間の勤務を義務付ける地域枠や奨学金制度枠も設ける考えだ。
(略)

「医師偏在の解消が先決だ」

 しかし、医学部新設の実現には障壁が多い。財源の問題に加え、全国医学部長病院長会議や日本医師会などの反対意見も強い。

 これまでの医学部定員増により今年度の入学定員数は8923人で、08年度より1298人増えた。そのため、医師不足には十分対応できているというのが反対派の主張だ。加えて、さらに医学部を新設して定員を急激に増やすと、医学教育の質が低下し、将来の医療を担う医師の質を担保できない上、医療現場の即戦力となる医師が教員として引き抜かれるので医療再生の妨げになるといった理由も挙げる。このほか、需給状況に応じて医師養成数を減らしにくくなる点や、医師の養成には10年以上かかり、その間の社会情勢などの変化に対応しにくい点も懸念する。

 全国医学部長病院長会議会長で東京慈恵医大病院長の森山寛氏は、「病院再編や医師数調整により地域や診療科の医師偏在を解消し、女性医師の活用、医師の事務業務の軽減、勤務医の定年延長などにも取り組むのが先決だ」と話す。

文科省の結論はいまだ出ず

 こうした中、医学部新設を認可する立場の文科省は10年12月以降、賛成派と反対派の両者が委員として入る「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」を開催。今年8月10日にはこれまでの議論の内容をまとめた「論点整理」の素案を出し、11月29日には素案に対する国民の意見を募集することを決めた。

 論点整理では、賛成派と反対派のそれぞれに課題を提示。賛成派には医師過剰になった際の解決策を、反対派には地域・診療科偏在問題の改善策を示すよう求めた。両者共通の課題として、これまでの医学部定員増により増えた医師の今後の処遇方法やキャリアパスのあり方に関する意見も求めた。

 ただ、検討会の結論が出るのはもっと先になりそうだ。各医学部が現在取り組んでいる地域枠の設置により、医師の地域偏在がどれだけ解消されるかといった効果も見極める必要もあるからだ。検討会の座長を務める日本学術振興会理事長の安西祐一郎氏は「議論はこれからだ。国民の意見を聞いて結論を出す必要がある」と話す。

しかし一部には未だに「医師を余るほど増やせば競争が激化してレベルが上がる」という考えの方々もいらっしゃるようですが、それではすでに余るほど増やしてしまった歯科医や弁護士の世界でレベルが上がるどころか、経験不足から基礎的な実務能力すら怪しい人々が激増し問題化しているという現実をどう説明するつもりなのでしょうかね?
一般職においてこうした競争原理が働くのは彼らが選別を受けていないからこそ実務の過程でふるい落としていくしかないためであって、元々理系トップクラスという上澄みを選別されている医師のような高度専門職においては間口を広げても上側に広がることはあり得ず、今までふるい落とされていた下側に人材を求めることになるしかないのは当然です。
その点で国際医療福祉大あたりが「医師のレベルをもっと上げなるためには」云々などと口を出すのは失礼ながら身の程を知れと言われても仕方がないもので、医師のレベルを言う前に自前の受験生のレベルを上げろというものですし、昨今医学部新設を狙っている各大学が早稲田を除いて軒並みいわゆる底辺であることに素朴な危惧を抱いている人々も多いのは事実でしょう。
無論先日も紹介しましたように医者はもっと馬鹿ばかりにして余計なプライドを捨てさせなければ、などと言う持論をお持ちの方々や、先頃ようやくブログから身を引かれた某大先生のように何も考えず馬車馬のごとく働く奴隷を安く大勢抱え込みたいという欲望に燃える方々のような確信犯もいらっしゃいますが、それを世のため人のためであるかのように偽り語るのは詭弁ないしは詐術というものでしょう。

もちろん医師が必ずしも知的エリートである必要があるかどうかは議論の余地あるところですが、逆に患者目線で考えて「あ、こいつ俺と比べても明らかに馬鹿っぽいな」と思えてしまうような人間に自分の体を好き放題いじくらせたり、失敗したら即命に関わるような治療をさせようという気になるだろうか?ということですよね。
専門性の高い職種ほど量より質を重視する、その代わりに彼らにしか出来ない業務に特化させてその他の雑用はなるべく非専門職に回すというのが高度な専門技能を担保した上での本来的なチーム医療というものですし、そうした広大な裾野を持つピラミッド構造を構築してこそ国の言う医療主導の経済成長論にも結びついていくはずです。
幸いにも(?)医療専門職は医師のみに限られた話でもありませんし、日本では看護師から介護スタッフに至るまで医療関係者は軒並み人手不足という状況ですから誰であれ貢献できる余地はいくらでもあるかと思うのですが、一方ではこんな声もあるというのですから世の中なかなかうまくいかないものです。

これが言いたい:医師不足理由に看護の専門性を軽んじるな=日本赤十字看護大学名誉教授・川嶋みどり(2011年12月15日毎日新聞)

 ◇特定看護師案の危うさ直視を

 「診療できる看護師」という特定看護師(仮称)の新資格を設ける案がいよいよ法制化に向かう段階のようだ。一種の危機感を覚えるのは私だけではあるまい

 「チーム医療」の推進を目的としてスタートし、医師不足緩和策の狙いが組み込まれたこの議論には看護という領域の専門性を揺るがしかねない危うさがある。これからの医療のあり方を考える上でも再考を求めたい。

 現在、看護師の医療行為は法律上あくまで「補助」にとどまる。これに対し特定看護師案は「医行為」すなわち、医師法第17条に規定する「医業」--医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、または危害を及ぼす恐れのある行為--の一部を、看護師に負わせようとするものだ。

 もともと、この案はチーム医療を充実させるとのふれこみで議論がスタートした。しかし、そもそもチーム医療とは医療従事者が共通目的に向かい、それぞれの専門性を発揮し連携する医療のあり方をいう。特定看護師案はそれとは反対の、他職種への侵犯行為である。

 特定看護師制度を肯定する意見はその理由として過労で疲弊した医師の負担軽減や、介護など今後の急激な社会の高齢化への対応を挙げることが多い。だが、看護師不足を放置したままで看護師を看護の専門性から遠のかせ、新体制を作ろうというのは本末転倒だ。

 医業は古くから“医術を用いて病気を治すこと”とされてきた。これに対し看護は19世紀のナイチンゲール以来、人間にそなわる「自然の回復過程を整える」ことに価値をおき、その人固有の自然治癒力を引き出し高めるケアをその本分としている

 看護学はいまだ若い学問ではあるが、独自の理念と方法論を基盤にした看護実践の方法も種々編み出している。医薬品や機械を用いず、痛みや恐怖や心配などを起こさせない方法など症状緩和や治癒に向かうプロセスは、看護独自のものだ。他の医療行為に見られない優位性がある。

 現在日本では、看護系大学・学部が200を超え、38の看護系学会が毎年学術集会を開催し、看護学研究の成果を発表している。そうした看護の教育・研究的背景も独自の役割も認めず「医師が指示さえすれば少々危険な行為をやらせてもよい」というような発想を感じてしまう。旧態依然たる医師・看護師関係にとらわれ、その延長線上にあるとさえいえよう。

     *

 今後の日本医療のあり方の方向性に逆行しかねないとの懸念もつきまとう。

 近代医療は高度医療に名を借りた効率優先の道をひた走り、まるでオートマチックな人体修復工場と化し、医療従事者も機械に巻き込まれて疲弊し、患者の人間疎外も進めてきた。そうした中で、今回の東日本大震災は医療行為と看護が車の両輪となる大切さ、機械以上に人的な活動の大切さを痛感させた。

 キュア(治療)からケア、医学モデルから生活モデルへのギアチェンジこそ「医療復興」の課題であるとともに、これからの医療のあり方ではないか。だとすれば、医療と看護それぞれの専門性をわきまえずに効率だけを求めて垣根を取り払うような方向性には首をかしげてしまう

 

看護師が本来持つ力を十二分に発揮させることが大切なのだ。その機動力を生かして医療モデルの転換を図ることこそ、政府が追求すべき道である。

 ■人物略歴
 ◇かわしま・みどり

 看護師、日本赤十字看護大学教授などを歴任。健和会臨床看護学研究所長。

いや、看護師が本来持つ力を十二分に発揮させるためにこそ権限強化は望ましいことなのではないかと思うのですが、むしろ看護研究(笑)大好きなこの種の人々が大喜びで手を出しそうなNP制度にもこうした反対論というものがあるというのも現実なのでしょうね。
医師であれば「少々危険な行為」と聞けばこれは頑張ってレベルアップしなければと張り切って自己研鑽につとめるタイプが多いものですが、看護師(特に、看護大学教授などを歴任されるような看護師)の場合は川島氏に象徴されるように19世紀以来の伝統を固守し、自らの職分という高い城壁の中に閉塞することをもってよしとするタイプが多いということなのでしょうか?
しかし何か妙に既視感を感じさせる文章だなと思って拝見していたのですが、そういえば医療に限らず技術専門職の世界では古いというと時代遅れにつながると必ずしも肯定的な評価ばかりを受けるわけではありませんけれども、とにかく古いからいいんだと主張されてひと頃話題になった一派もありましたよね。
あの方達も現代医療のあり方に常々疑問を呈し、とにかく自然治癒力ということをキーワードにされていましたけれども、あれほど社会問題化したのに看護協会はなかなかコメントを出さないと不審に感じていたものですが、かの業界と看護の世界とはやはり相当に深いところでつながりがあったということだったのでしょうか。

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コメント

ひと頃あれだけ盛んに議論されていたメディカルスクール創設の件はどうなったんでしょうね?
けっきょく定員増加だけで医師数はまかなえそうですから、あとは地域格差をどう埋めるかだけだと思うのですが。
さすがに都道府県限定免許は非現実的ですから、可能性があるとしたら研修医の研修先を出身大学近辺に限定するくらいでしょうか。
医師会にしても若造を人身御供に差し出して済むなら安いものだと考えるかも知れませんし。

投稿: ぽん太 | 2011年12月21日 (水) 11時28分

今から医学部新設では明らかに遅すぎる
もはや厚労省にその意志はないと考えるべき

投稿: kan | 2011年12月21日 (水) 20時01分

医師のトレーニング・システムと医師不足の病院の充足は別物で、臨床研修はあくまで臨床医としてのスキルを身につけるためのもの。

医師不足の地域と病院には、医師が集まらないだけのそれ相応の理由があります。

それを度外視して、トレーニングの内容や質も考えずに地域限定というのは地域枠入学など特殊な状況を除けば卒後医学教育上、間違ったことです。

もう言い尽くされているのですが。

投稿: 鶴亀松五郎 | 2011年12月22日 (木) 19時32分

おっしゃるとおりで、そもそも臨床研修システムを変えて一定の収入水準を保証するようにまでしたのも、研修医は安い労働力ではないという原則を徹底する意図があったはずです。
研修の実ということを抜きにしても、昨今の研修医を再び使い勝手のいい駒としか考えていないような世間の論調を危惧するものですが、日医などは確かに彼らを売り渡しそうな気配ですからねえ…

投稿: 管理人nobu | 2011年12月22日 (木) 20時25分

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