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2011年12月27日 (火)

福島の闇はなお深い?

先日は河北新報が福島県は双葉病院の記事を改めて掲載していましたが、ご覧になりましたでしょうか。

証言/福島・双葉病院の真相/「置き去り」誤解広まる/福島(2011年12月22日河北新報)

 福島県大熊町の双葉病院は福島第1原発事故直後、「患者を置き去りにした病院」と批判を受けた。自衛隊による救出時、病院に医師や看護師がおらず、患者だけが残されていたからだ。病院関係者は本当に患者を見捨てたのか。関係者の証言を基に真相を探ると、伝わっている話と違う事実が浮かび上がってくる。(勅使河原奨治、橋本俊)

<暗転>
 東日本震災当日の3月11日夜、双葉病院は暗闇に包まれていた。午後に起きた大地震で停電。非常用電源も夕方すぎに使えなくなった。看護師らは懐中電灯の明かりを頼りに、患者のたんを注射器で吸引したり、点滴を交換したりした。
 病院は第1原発から南西4.5キロに位置する。精神科と内科が診療対象で、寝たきりの重症患者を含む337人が入院していた。
 12日、夜明けとともに事態は暗転した。町の防災広報が原発の危機を知らせ、役場前からバスで避難することを呼び掛けていた
 午後2時ごろ、症状の軽い患者209人が第1陣として町の手配したバス5台に乗り込み、病院を出発した。
 院内には楽観ムードが漂っていた。すぐに次のバスが来ると信じていたからだ。残留組を除く第1陣の病院関係者は水や非常食、薬、おむつを車に積み込み、バスの後を追った。

<報告>
 杉山健志医師(49)もその一人だ。「院長も乗ってくださいと声を掛けたが、『最後まで見届ける』と言われた。すぐに合流できると思い、気に留めなかった」
 しかし、この日、後続のバスは来なかった
 大熊町は12日午後3時すぎに役場を撤退し、県に避難完了を報告した。渡辺利綱町長は「双葉病院も避難を終えたと思っていた」と振り返る
 病院には重症患者ら128人と鈴木市郎院長(77)ら医師2人、事務員2人が残された。
 午後8時ごろ、警察と自衛隊が双葉病院を訪れた。「頼みの綱にいなくなられては困る」と鈴木院長は必死に警察官の服をつかんだが、「救出は明日になる」と告げられた

<限界>
 翌13日、救助は来なかった。十分な食料や水、医療器具がなく、患者は極限状態に追い込まれた。残った職員4人は夜を徹して看病したが、それも限界を迎えた。
 14日午前5時すぎ、鈴木院長が仮眠から目を覚まして院内を巡回すると、患者3人が死亡していた。
 「名前と死因を書いた紙を患者のポケットに入れることしかできなかった」

◎無援、極限の苦闘/混乱・不備、悲劇に拍車

 第1陣の患者と共に、いわき市に避難した双葉病院(福島県大熊町)の杉山健志医師(49)は3月14日夜、第2陣の患者34人を乗せて、いわき光洋高に到着した自衛隊のバスを迎えた。
 車内に入り込むなり、顔をしかめた。「死臭が漂っていた」。車内で3人が亡くなっていた。生き残った患者も意識がもうろうとし、座席の下に転げ落ちたり、失禁したりする人もいた。
 光洋高では炊き出しのおにぎりが用意されたが、杉山医師は支給を断った。「脱水症状を起こして衰弱している。食べさせたら窒息死する」
 光洋高に到着後、第2陣の患者のうち、さらに7人が死亡した。その後も患者全体の中で28人が転院先の病院などで亡くなった。

<到着に10時間>
 第2陣のバスは14日午前10時半ごろ、双葉病院の患者のほか、隣接する系列の介護老人保健施設の入所者らを乗せて病院を出発した
 いわき市は双葉病院から直線で南に30キロ足らずで普段なら車で1時間程度で着く。バスは出発後、北上して南相馬市の相双保健所を経由し、福島市から東北道、常磐道を通っていわき市に入った。移動距離は200キロに及び、到着まで10時間近くかかった。
 相双保健所の江尻一夫主査(60)は道案内のため、南相馬市でバスに乗り込んだ。「患者は誰も動ける状態でなく、うめき声のような小さな声を上げていた」と振り返る。
 第2陣のバスは鈴木市郎院長(77)が乗車対象患者を運びだそうとしているさなかに出発した。
 「また置いていかれたと思った」。患者91人と鈴木院長ら病院関係者4人が取り残された。
 第2陣の救助に携わった県警双葉署の新田晃正副署長(当時)は自衛隊から「搬送後に戻る」と言われた。だが、直後の14日午前11時1分、福島第1原発3号機が水素爆発。バスは戻って来なかった
 14日午後10時すぎ、新田副署長が双葉病院に飛び込んだ。「原発が危険な状態だ。いったん避難して救助を待とう」。残留を望む鈴木院長を説得して3人の病院関係者と共にパトカーに乗せ、患者を残して病院を後にした。
 パトカーは原発から約20キロ先の川内村の県道のトンネルに着き、自衛隊の救助隊と合流するのを待った。だが、郡山市を出発した救助隊は県道の北側の国道を通り、院長らと合流することはなかった

<情報独り歩き>
 救助隊は15日午前9時40分、双葉病院に到着した。病院関係者の姿はなく、患者だけがいた。既に死亡していた1人を除く90人を助け出した。
 県災害対策本部は17日、双葉病院での出来事を発表した。「自衛隊到着時、病院に関係者は誰もおらず、重篤患者だけが残された」「第2陣の搬送に関係者が付き添わなかった」。背景が分からないまま、断片情報が独り歩きした。
 県警幹部は「極限状態の中で病院関係者は必死に対応した。院長らは『逃げた』『置き去りにした』と非難されたが、本気で逃げるなら、もっと遠くに行くはずだ」と擁護する。
 原発事故の想定、対応の不備が、双葉病院の悲劇に重くのしかかった。

すでにこの双葉病院の一件に関しては当「ぐり研」でも何度か取り上げさせていただいていますが、福島県当局からは「患者を置き去りにして逃げたとんでもない病院」と名指しで非難され、民主党震災対策副本部長からは「患者を置いて逃げた医者はけしからん!」と叩かれた、しかし実際にはそうではなかったという風評被害の実態が明らかになっています。
そして今回なぜそうしたことになってしまったのかということを知る上で注目したいのが「大熊町は12日午後3時すぎに役場を撤退し、県に避難完了を報告した。渡辺利綱町長は「双葉病院も避難を終えたと思っていた」と振り返る」と言う一文で、要するに行政側の勝手な思い込みによって避難バスも送られず患者やスタッフが脱出できなくなってしまったのがそもそもの避難遅れの発端であったということですよね。
行政側の失態によって多数の死者が出る騒ぎになった上に、行政側の勝手な思い込みからその責任を転嫁され悪人扱いでは双葉病院の側も全くやりきれないというものですが、注目すべきは震災から9ヶ月も過ぎたこの時期になってこうした記事が出てくるということでしょう。

ご存知のように福島県と言えば「こう書かないと賠償金が出ないから」と担当医有責の報告書をごり押しし、かの大野病院事件をまさに壮大な事件に仕立て上げたことなどから聖地とあがめられる土地柄ですが、こうした事情が全国に知れ渡ったことに加え今回の震災被害も重なり、医師らの県外流出がとどまるところを知らないと言います。
大野病院事件においては当初からマスコミ各社が(控えめに表現すれば)担当医に対する世間のイメージ形成に大きな役割を果たしたことが知られていますが、無罪判決後は手のひらを返したように「医師を逮捕までする必要があったのか」「判決は医療界の常識に沿ったもの」などと人ごとのような論評を繰り返していたことは記憶に新しいところですよね。
うがった見方をすれば地元ブロック紙として「置き去り」報道に荷担した河北新報が前非を悔いて検証のための取材を続けていたとも受け取れる内容ですが、「背景が分からないまま、断片情報が独り歩き」させてしまったのが誰であったのかという主体を明確にしないままの記事は、事実関係の究明と再発防止という観点からするとはなはだ不十分であるというしかないでしょう。
ところでその福島県ですが、こうした状況にある中で今度はこんなことを言い出しているようです。

医師不足解消へ前線基地 県立医大に支援センター /福島(2011年12月23日読売新聞)

県立医大に支援センター

 県内の医師不足解消に取り組む前線基地となる「県地域医療支援センター」が22日、県立医大に開設された。

 同様の支援センターは今年度、厚生労働省の補助を受け、医師不足で悩む全国15道府県に設置される。中でも福島県は東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響が深刻で、県によると、震災後に県外へ流出した常勤医師は50人以上に上るという。県は同大との連携を深めることで、対策を強化する。

 支援センターには、県地域医療対策監に就任した同大の紺野慎一教授と、県職員2人が勤務。同大からの医師派遣や地域偏在解消に向けた調整を担う。医師不足が著しい産科や小児科、麻酔科医を外部から招いたり、医学生を県内に定着させるための支援を行ったりする。年明けには、同大から専任の医師1人が新たに配置される予定だ。

 22日に同大で行われた開所式で、紺野教授は、「医師の定着と招聘(しょうへい)が進展し、県内医療の充実が図れるよう県と力を合わせていきたい」と抱負を述べた。

いや、失礼ながらどのような観点からも現状で医師が福島で働くという選択肢だけは出てこないだろうjkと思うのですが、もともとさして求心力があるとも思えない県立医大にセンターを開設して何かしら実効性のある対策となり得ると考えているのであれば、福島ブランドを過大(過少?)評価しているとしか言いようがありませんよね。
ただ先日もお伝えしましたように福島では今回の震災被害を奇貨として「国は強制力を発揮して医師を配置しろ」などと言うにとどまらず、双葉病院の地元ではミニ新幹線を走らせ国際的大型娯楽施設や放射線研究機関を誘致しろなどという冗談のような声まであると言いますから、元々がそうした土地柄であるということなのでしょうか?
何しろ医療に関しては何をやってもただでさえ全国の医師達から注目されずにはいられない福島だけに、これ以上その名を高めるようなことばかり繰り返して一体どうするつもりなのかと本気で心配になってくるのですが、これもまた地域の選択の結果ということなのでしょうかね。

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