« 仕分けを受けて進む診療報酬改定議論 その行方は | トップページ | 「無能者は不要だ」で済む話でもないので困るのですが »

2011年12月 6日 (火)

ついに出てきた経管栄養中止議論 医療の抜本的改革への第一歩となるか

いかにも自主性や自己責任を重視するアメリカらしいというのでしょうか、先日はこういう記事が出ていてちょっとした話題になりました。

93歳の米女性、「自殺キット」を通販 少なくとも5人死亡(2011年12月4日産経ニュース)

 米カリフォルニア州の自宅で地元メディアの取材に応じているのは「自殺キット」の通信販売をしていた元小学校の理科教諭、シャーロット・ハイドーンさん(93)。12月2日、2007~2010年の通信販売をめぐる税関連の罪を認めた。

 米連邦捜査局(FBI)は5月下旬に自宅を医療機器販売・取扱規制違反などの疑いで捜索。関係者によると、少なくとも5人が自殺キットの使用で死亡した。

何とも微妙な容疑で司法の手が入ったというあたりにこの問題のデリケートさが現れているようにも思えるのですが、ご本人にしてもこのお年にしてこのようなキットを売りに出すと言うのは人生の黄昏を迎えて思うところがあったというところなのでしょうか?
いわゆる積極的安楽死ではすでに苦痛なく目的を達する方法論はほぼ確立していて、あとは積極的に死に至らしめるという行為の是非であるとか、特にALS等で本人がそれを行えない場合に誰が最後のスイッチを入れるのかといった部分が議論されていますが、遠からず肉体的手段に寄らず本人意志を反映する手段は実現するでしょうし、絶対数は少ないながらも次第に増えていくのではないかという気がしています。
実際に日本国内でいわゆる自殺機械を用いるとすれば入院患者なら医療現場の黙認が必要になるかと思いますが、例えば在宅で点滴ルートを持っているような方であればご家族等の介助によって人知れず装置を接続することは可能でしょうから、いずれ日本でもこうした装置の使用例が出てくるのか、あるいはもしかすると人知れずすでに使用されている例もあるのかも知れません。
いずれにしても積極的安楽死ということに関しては比較的稀なケースで数はそう多くないだろうと考えるのですが、それに比べると圧倒的に数も多く日常臨床においても迷う機会が多いのが寝たきり高齢者等に対してどこまで延命治療を行うのか、あるいはそうした処置を行わない(中断する)ことによる消極的安楽死は許されるのかという問題ですよね。

特に日本の場合は国民皆保険制度に加えて高齢者は二重、三重の手厚い医療費保護を行っていますから病院に預けておくのが一番安上がりでいいなどと言われる、さらには年金や恩給等で家族内の稼ぎ頭になっているような場合もありますから、現金収入の乏しい地方などに行きますと「何があっても爺ちゃんを死なせるんじゃねえぞ」なんてことを家族から迫られるケースもあるわけです。
しばしば「寝たきり老人など一人もいない夢の国」などとヨイショされる北欧諸国のように、配膳まではスタッフが行うが自力で食事が取れなくなればそのまま何もせずにお亡くなりになるまで放置するという「北欧方式」をいきなり取り入れるのも極端なのかも知れませんが、いやしくも老人医療に関わった経験のある医療関係者であればこの国の現状は何かがおかしいのではないかと感じたことのない人はいないのではないでしょうか?
とりわけ昨今は医療費抑制に対する財政的な圧力が強いわけですが、そんな折りにまさしくタイミングを見計らってということなのでしょう、厚労省や学会がこんなことを言い出したというのは非常に興味深いですよね。

人工栄養法、導入しない選択肢も示す 厚労省が指針案(2011年12月5日朝日新聞)

 口から十分な栄養や水分をとるのが難しくなった高齢者に栄養を送る人工栄養法について、厚生労働省研究班は4日、導入までの手順や考え方を定めた指針案を公表した。生命維持の効果が少なく、患者に苦痛があるだけの場合、導入せず自然な死を迎える選択肢もあることを患者本人や家族に示し、導入後に中止や減量ができることも盛り込んだ。

 一般からも意見を募り、日本老年医学会が来春にも指針として完成させ、医療・介護現場で活用してもらうことを目指す

 代表的な人工栄養法で、おなかの表面に穴をあけて胃に管を入れて栄養を送る「胃ろう」は現在、推定40万人が導入している。高齢者ケアの現場では、十分に栄養をとることで再び口から食べられるようになる人も一部にいる。一方で、近年、高齢者の体に負担や苦痛を伴い、人工的な延命につながりかねない場合もあるとの指摘が出ていた。

終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案(2011年12月5日読売新聞)

 高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給は、延命が期待できても、本人の生き方や価値観に沿わない場合は控えたり、中止したりできるとする医療・介護従事者向けの指針案が4日、東京大学(東京・文京区)で開かれた日本老年医学会のシンポジウムで発表された。

 近年、口で食べられない高齢者に胃に管で栄養を送る胃ろうが普及し、認知症末期の寝たきり患者でも何年も生きられる例が増えた反面、そのような延命が必ずしも本人のためになっていないとの声が介護現場を中心に増えている。

 そこで、同学会内の作業部会(代表・甲斐一郎東大教授)が試案を作成した。広く意見を募って修正し、来年夏までには同学会の指針としてまとめるという。

終末期は“胃ろうせずも選択肢”(2011年12月4日NHK)

口から食べることができない人に、胃にチューブで栄養を送る「胃ろう」を、回復の見込みがない認知症の終末期の患者にも行うかどうかを話し合う集会が、東京大学で開かれ、本人や家族の意向で行わないという選択肢も尊重すべきという意見が多く出されました。

この集会は、高齢者の医療に携わる医師たちで作る日本老年医学会が開いたもので、医療や介護の関係者およそ1000人が集まりました。集会では、これまで胃ろうを積極的に進めてきた国際医療福祉大学の鈴木裕教授が、「胃ろうは栄養状態をよくし、生存期間を延ばすが、認知症の末期患者など回復が不可能で患者の利益とならない場合は、本人や家族の意向を踏まえ見直しや中止の検討も必要だ」と述べました。また、終末期医療に詳しい東京大学法学政治学研究科の樋口範雄教授は「いかに生き、死ぬかという問題は、法律ではなく倫理と個人の問題だ。胃ろうを行うことが患者のためになるかどうか、医師と患者が話し合いを行うプロセスをまとめた指針を作ることが必要だ」と述べました。

日本老年医学会では、4日の集会で寄せられた意見も参考に、今年度中をめどに、患者と医療関係者がどのように胃ろうを行うかどうかを判断する指針を策定することにしています。

国の言うことにしては珍しくと言うのでしょうか、医療の提供者側からも財政上の要請からも、そして多くの心ある医療の利用者たる国民の側からも歓迎されそうな方向での指針策定ということになりそうですが、注目していただきたいのはしばしばこうした話になると「○○の観点から反対意見も予想される」式の事を書かないではいられない日本の進歩的マスコミの皆さんが、今回に限っては一言の反対意見もつけていないことでしょうか。
もちろん実際には前述のような経済的側面のみならず、様々な思想信条等から「いや、そういうことをされては困る」という方々も多いでしょうし、当然ながら当初は医学的にも本人家族の希望の上でももうこれ以上は望まないという症例に限っての運用から始まることになると思いますが、ひとたびこうしたことが行われるようになってくると国民の死生観にも影響を与えずにはいられないでしょう。
極めて限定的に行われているに過ぎないとは言え、誰でもいつ何時臓器移植のドナーになる可能性はあるという認識がじわじわと滲透しつつあるように、とりわけ終末期医療は地域や親族の目線を気にしながら行われてきた地方などにおいてこうしたこともありなのだと言う認識が広まってくると、やがては終末期医療の常識も変わってくることになるかも知れませんね。

実際的な運用を行っていく上ではまず学会等によるガイドラインという形で「この方式であれば処置の中止を行っても問題ない」という部分をまずがっちりと固めておいていただく必要があると思いますが、老年医学会が今後行っていく指針策定作業においてもあれやこれやと広く意見を募るのはよいとして、現場で使い物にならない実用性に乏しい指針にならないことを是非とも希望したいと思いますね。
寝たきり老人40万人のうち仮に数万人規模が人工栄養中止を選択したとして、単純計算でも一気に数千億規模の医療費が削減される計算になる、それも一時的 支出ではなく毎年必ず必要とされていた固定的経費の部分がごっそり消えてしまうわけですから、誰も反対しないのなら何故今まで放置していたのかということにもなりかねませんよね。
来年に指針が出てきた段階でまず各施設内で患者説明のための文書等を用意し、指針の適応がありそうな患者家族に対して順次意思確認をしていくという流れになってくるのでしょうが、実際にどれくらいの方々が指針の適用を希望してくるのかということによっては、切迫している医療や介護がリソースの上でも財政の上でも一気に激変してくる可能性すらあるかも知れません。
気になるのは仮にこの話が官僚側主導で出てきたというのであれば政治主導(苦笑)で余計な横やりを入れられないかですが、民主党政権にしてもいつまでも大事なところに目をつぶるばかりではなく、この機会に骨抜きにしてしまった後期高齢者医療制度の前向きな観点からの見直しなどやるべきことを粛々とやってくれればいいのですけれどもね…

|

« 仕分けを受けて進む診療報酬改定議論 その行方は | トップページ | 「無能者は不要だ」で済む話でもないので困るのですが »

心と体」カテゴリの記事

コメント

今さらながらこんなのは当然のことだけど、現場でやれるかどうかは別問題なんでそこが問題かと
それよりも誰がこれに反対と言い出すかがおもしろそうだ

投稿: kan | 2011年12月 6日 (火) 09時38分

この10年余り、イケイケドンドンで胃瘻を造ってきた流れに一石を投ずるものだとは思いますが、この程度の指針なら 私は要りません。

朝日記事にある指針案の抜粋の5項目のうち 上3つはまぁいいです。私には「導入しない選択肢」を示さない なんて考えられませんが。

4番目の「導入後の中止・減量もありうる」これはどういう状況を想定しているのでしょう?イレウスとか胃食道逆流による呼吸器感染のコントロールとか悪液質による栄養のギアチェンジとかの場合は今でも中止・減量をしています。
そういった医療上の理由がなくて中止・減量する場合に どういう条件を満たせばネグレクトや傷害致死にならないのかを、提案してほしいです。

5番目の「家族の都合で決めない」は、本人の意思が確認できない時こそが問題なのだから、これはまさに空文ですね。よく言って努力規定でしょうか。
いっそ、「本人の意思が確認できないときには行わない」くらいブチあげてほしいです。

投稿: JSJ | 2011年12月 6日 (火) 10時22分

いつも楽しく拝見しています。
山本七平さんの終戦時のお話し思い出しました。

《この状態は、実は最高戦争指導会議のおエラ方でも青年将校でも同じで、前者は、み
な内心では、だれかが「降伏しよう」と言い出してくれないかと、それだけを心待ちに
していた。いわば「陸軍が始めたのだから陸軍が言い出すべきだ、今日言うか、この次
に言うか」と一方が梅津参謀総長に期待すれば、御当人は「軍人は最後までそれが口に
できないのだから、だれかが言ってくれないとこまる。外務大臣は言わないのだろうか、
今日言うか? 明日言うか?」期待し合っていた状態である。一方、威勢のいい後者に
ついては、面白い例が小松真一氏の『虜人日記』に出てくる。それは無条件降伏と聞い
た瞬間、東京の自分の家作が無事かどうかの心配を口にした、ある参謀の話である。〝
ぬいぐるみ〟をとれば、彼の通常性的関心は、家作からの家賃と自分の恩給による平穏
な生活だけなのである。》

投稿: falcon171 | 2011年12月 6日 (火) 10時55分

皆さんおっしゃるように実際の現場への導入にあたっていくらでも問題が予想されるのが一番の難点です。
ただ、何も議論しないよりはたたき台を出して皆で議論していった方が百倍マシなのは言うまでもないと思いますね。
その結果一人、二人と後に続く流れが出来てくれば次の改訂でさらに話が進んでいくと思います。

投稿: 管理人nobu | 2011年12月 6日 (火) 14時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/53410818

この記事へのトラックバック一覧です: ついに出てきた経管栄養中止議論 医療の抜本的改革への第一歩となるか:

« 仕分けを受けて進む診療報酬改定議論 その行方は | トップページ | 「無能者は不要だ」で済む話でもないので困るのですが »