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2011年11月18日 (金)

イレッサ訴訟、高裁逆転判決下る

すでにご存知のように先日はイレッサ訴訟に関して高裁での逆転判決がありましたが、すでに原告側が上告を決めているようにこの問題はまだまだ尾を引きそうですよね。

注意文書欠陥認めず イレッサ遺族側逆転敗訴 (2011年11月16日日本経済新聞)

 肺がん治療薬「イレッサ」を巡る訴訟で、原告側逆転敗訴とした15日の東京高裁判決は、国と会社の責任を認めた一審・東京地裁判決から一転、説明文書の欠陥を認めず、両者の責任を否定した。会社の責任だけ認めた大阪地裁判決も含め、司法判断が3つに割れた格好。重い副作用が前提の抗がん剤被害の救済の難しさが改めて浮き彫りになった。

 原告側は判決後、上告する方針を示した。

 イレッサの医療機関向けの添付文書には当初、間質性肺炎の副作用についての「警告欄」がなかった。別の欄には記載があったものの、下痢など他の症状に続く4番目の記載にとどまっていた。原告側は「致死的との注意喚起が必要だった」と主張した。

 園尾隆司裁判長は判決理由で、間質性肺炎を「抗がん剤や抗リウマチ薬など多くの薬で発症する一般的副作用。イレッサを使うがん専門医らは間質性肺炎での死亡があり得ることを把握していた」と指摘。強い警告の表現がなくても、専門医なら副作用のリスクを認識できたはずだとの判断を示した。

 さらに肺がんは難治性で死因の特定が難しいことや、海外の臨床試験での死亡事例がイレッサと因果関係があるとはいえなかったことなども挙げ「文書に欠陥はなかった」と結論付けた。

 製造物に欠陥がないと判断した以上、原告側が安全対策を怠ったと主張した国の責任も「前提事実がない」として認めなかった。

 控訴審は2回の口頭弁論で結審し、文書の欠陥を認めた一審判決を覆した。

イレッサ訴訟 国・企業の責任認めず(2011年11月16日東京新聞)

 肺がん治療薬「イレッサ」に重大な副作用の危険があったのに適切な対応を怠ったとして、死亡した患者三人の遺族が、国と輸入販売元の製薬会社「アストラゼネカ」(大阪市)に総額七千七百万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(園尾隆司裁判長)は十五日、国とア社の責任を認めた一審東京地裁判決を取り消し、原告側の請求を棄却した。原告側の逆転敗訴となった。 

 判決は医師の副作用告知のあり方に影響を与える可能性がある。原告側は上告の方針。

主な争点は、副作用で間質性肺炎を発症する危険性の注意喚起が十分だったかどうか。ア社は二〇〇二年七月の輸入承認時、医師向け添付文書の「重大な副作用」欄に間質性肺炎を記載しただけで、致死的な副作用などを記す警告欄や、死亡の可能性があるとの表示もなかった

 二審判決は、処方する専門医は間質性肺炎による死亡の可能性を知っていたはずだなどとして、「警告欄や、副作用が致死的となり得るという記載がなくても、欠陥とはいえない」とア社の製造物責任を否定。間質性肺炎の記載が「重大な副作用」欄の四番目だったことについても「一~三番目の副作用も死亡の可能性があった」と順序の妥当性を認めた

 また原告側の死亡患者三人のうち一人については投与と死亡との因果関係を認めなかった。八百人以上の副作用報告の死亡症例の中には、副作用によるといえないものが相当ある可能性も指摘した。

 三月の一審判決は「警告欄を設けるか、致死的となる可能性を記載するよう指導すべきだった」と国の責任を認めたうえで、患者二人の遺族に計千七百六十万円を支払うよう命じていた。

 イレッサをめぐる訴訟は東京、大阪両地裁で起こされ、二月の大阪地裁はア社の責任だけを認めて国の責任を否定し、一審の判断は分かれていた。大阪訴訟は高裁での審理が続いており、高裁の判断は初となった。

◆主張認められた

 小宮山洋子厚生労働相の話 イレッサの副作用で苦しみを受けた方々、亡くなった方々に心からお悔やみを申し上げる。国として法的な責任はないと主張してきたことが認められた。判決の内容にかかわらず、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)の徹底、医薬品安全対策の強化、抗がん剤による健康被害の救済などの政策課題を着実に実行していく。

◆薬事行政に禍根

 原告側弁護団の水口真寿美弁護士の話 国と企業の責任を否定する極めて不当な判決で、これではおよそ薬害を防止することなどできない。将来の医薬品安全対策、薬事行政に禍根を残す。全面解決まで闘い抜く。

イレッサ控訴審、企業と国の責任認めず 原告逆転敗訴(2011年11月15日朝日新聞)

 肺がん治療薬イレッサをめぐり、副作用で死に至る危険性を十分に説明していなかったとして、死亡した患者3人の遺族が販売元のアストラゼネカ(大阪市)と国に計7700万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が15日、東京高裁であった。園尾隆司裁判長は、ア社と国の双方の責任を認めた一審・東京地裁判決を取り消し、遺族側の請求を全面的に退けた

 高裁判決は、副作用の危険性は説明書に書かれており、医師も危険性を認識していたことから、製造物責任法の「指示・警告上の欠陥」はなかったと判断してア社の責任を否定した。さらに、ア社の責任を認めない以上、国の責任も認められないとした。

 イレッサの副作用をめぐっては、東京、大阪両地裁で遺族らが提訴。大阪地裁では2月にア社の責任だけを認める判決が出て大阪高裁で控訴審が続いており、高裁段階の判断は初めて。製薬会社、国双方の責任が認められなかったことは、国が検討している抗がん剤の副作用被害救済策の議論にも影響を与えそうだ

 イレッサは2002年7月に輸入が承認され、販売が始まった。当初の説明書では、動脈に酸素が取り込みにくくなる間質性肺炎が「重大な副作用」の4番目に書かれ、死に至る可能性は明記されなかった。しかし、発売直後から間質性肺炎による死亡例が相次ぎ、厚生労働省の行政指導を受けたア社はこの年の10月、説明書に「警告」を追加して注意を呼びかけた。

 今年3月の東京地裁判決は、警告を出すまでの国とア社の対応を違法と認め、それまでに服用した患者2人について計1760万円を支払うよう命じていた。国の責任は「臨床試験の結果から副作用で人が死ぬ可能性があると認識していたのに、ア社に十分な説明をするよう行政指導をしなかった」と判断。ア社には「指示・警告上の欠陥」があったと指摘した。これに対し、ア社と国がいずれも控訴していた。

肺がんはがんの中で死者数が最も多く、09年には約6万8千人が死亡した。イレッサの年間使用患者数は推計で約1万6千人(09年)に上る。

 二つの訴訟では、東京、大阪両地裁が今年1月に和解を勧告し、遺族側は応じる姿勢を見せたが、国とア社が拒否して和解が成立せず、判決に至っていた。(根岸拓朗)

不幸にして亡くなられた方々のご冥福をお祈りするしかありませんが、確かにこの訴訟の行方は「将来の医薬品安全対策、薬事行政に禍根を残す」と以前から言われているところではありますよね。
さて、当「ぐり研」でも以前からたびたび取り上げているこのイレッサ訴訟問題というもの、訴訟の細部はともかくとしても現場医療関係者にはやはり幾らかの違和感があるのではないかと思います。
その一つは争点となっているのが添付文書の記載問題だということなのですが、記載の順序や警告表示の有無などがひどく大きな問題だとして取り上げられていますけれども、そもそも抗癌剤を用いるに当たって添付文書を元にして治療計画を組み立てる医師がどれほどいるのかということです。
もちろん一般論として添付文書に一通り目を通しておくのは常識ですが、通常こうした強力な治療は学会等で標準プロトコールなどという形で治療法が提示され、副作用情報や対策などもそちらから提供されてくるのが当たり前になっていますから、正直なところ添付文書上の記載順序が何番目だったのが問題などと言われても「はあ、だから何か?」と感じている医師も多いのではないでしょうか?
また肺癌の中でもイレッサの治療対象となるのは非小細胞癌と言われるタイプで、このタイプでは手術適応とならず化学療法に回らざるを得ないという段階で治ることはない病気だという認識が一般的ですから、「父はイレッサに殺されたんだ!」と言われても「いやいや、肺癌のせいだろう」とやはり違和感を覚えてしまうのも正直なところですよね。

いずれにしても社会的関心を呼ばずにはいられないこの訴訟の行方は各紙も注目しているようで、社説などを見ていますとそれなりに各方面に配慮したと言うことなのでしょうか、主張が総花的結論に流れがちな面もありますが、一部紙面ではかなり批判的論調でこの判決を取り上げているようです。

【社説】イレッサ判決 薬の副作用 徹底説明を(2011年11月17日北海道新聞)

 肺がん治療薬「イレッサ3 件」の副作用をめぐる訴訟で、東京高裁が国と製薬会社に対する遺族側の賠償請求を棄却した。

 イレッサは副作用を考慮しても効果があり、医師向け説明文書に欠陥はなかったとして、国と製薬会社の責任を認めなかった。

 今年3月の一審東京地裁は、国と製薬会社の責任を認めていた。東京高裁は2度の弁論を開いただけで、正反対の結論を出した

審理は本当に尽くされたのだろうか。原告側の怒りや悲しみを見るにつけ、そんな思いに駆られる

 同様の訴訟で大阪地裁は2月に、会社だけに責任を認める判決を出した。今回を含め、3通りの異なる判断が示されたことになる。

 原告側は上告する。今後の裁判に注目したい。

 東京、大阪両地裁は患者の救済を優先し、幅広く因果関係を認めた。東京高裁は新薬開発が萎縮することにも配慮し、厳密に判断したといえよう。

 ただ、これでは、裁判中の遺族はもちろん、抗がん剤治療と向き合う患者も戸惑うばかりではないか。

 国と製薬会社は控訴審で勝訴したとはいえ、副作用があった事実は重く受け止めなければならない

 大切なのは、製薬会社や医師が薬の有効性や副作用の可能性を丁寧に患者に説明し、納得して治療を受けてもらうことだ。

 イレッサはがん細胞だけを攻撃する「夢の新薬」として、厚生労働省が2002年に世界に先駆けて輸入販売を承認した。だが、副作用として間質性肺炎を併発する例が相次いだ。

 イレッサ訴訟の最大の争点は、副作用の注意喚起が十分に行われたかだ。

 東京高裁は、▽副作用と死亡の因果関係は明確ではない▽医師は説明書により副作用の危険性を十分に認識していた-などと指摘。国と製薬会社の副作用の指示・警告に欠陥はないと判断した。

 だが、説明書に、よりはっきりとした警告があれば、防止できたのではないかという意見もある。記述が改善された後は、副作用が原因とみられる死亡例が減っているからだ。

 がん患者は、わらにもすがる思いで新薬の承認を待っている。

 そうした願いに応えるために、国は迅速な審査を心がけるべきだが、承認後の状況についても責任があるのは言うまでもない

 一連の裁判を教訓に、国は副作用情報を集め、いち早く医療機関や国民に公表することを徹底してほしい。抗がん剤専門医の養成を支援するなど、より安全な治療環境の整備も急ぐ必要がある。

【社説】イレッサ判決 安全は誰が責任を持つか(2011年11月17日西日本新聞)

 新薬が承認されるとき、すべての効能や障害が明らかになっているとは限らない。だが、他に治療法がない、薬がないとなれば新薬に対する期待は高まる。国は早急な承認を迫られることになる。

 ただ、誰にでも同じように効くとはいえない。逆に新薬服用の結果、重い副作用が起き、死に至ることもあり得る。

 このとき、誰に責任があるのか。新薬を勧めた医師か。服用を決めた患者か。承認した国か。販売した製薬会社か。事例によって責任の程度は変わるだろう。

 ただ、国や製薬会社が、副作用など安全に関する情報を迅速に、正しく、あまねく伝達していることが大前提になる。

 では、肺がん治療薬イレッサの場合はどうか。イレッサは2002年7月に承認され、販売が始まった。このとき、製薬会社による副作用などの情報提供は十分だったか。国による行政指導は適切だったか。裁判所の判断は分かれた。

 イレッサの重大な副作用の危険を知りながら適切な対応を怠ったとして、死亡した患者3人の遺族計4人が、国と輸入販売元の製薬会社アストラゼネカ(大阪市)に計7700万円の損害賠償を求めた控訴審判決が東京高裁であった。

 一審の東京地裁は、イレッサの最初の添付文書では、イレッサを使用する医師などに対し、患者が間質性肺炎を起こし死に至る恐れがあるとの情報提供が不十分だった、と製薬会社の責任を認めた。

 さらに、国は製薬会社に対し、安全確保のための行政指導をしなかった、とその責任を認めた。原告の勝訴だった。

 発売当時、イレッサが「夢の新薬」などと騒がれたことが背景にある。イレッサは従来の抗がん剤と違う、副作用も軽い。そんなイメージを患者も医師も抱きやすい状況だったことを考慮に入れた。

 では、二審の東京高裁はどう判断したか。製薬会社と国の責任は認めず、原告の請求を棄却し、逆転敗訴になった。

 理由はこうだ。専門医は、がん患者が間質性肺炎にかかって死に至ることがあり得ることは承知している。問題の添付文書第1版には、間質性肺炎は重大な副作用の4番目に記載されていたが、順番にかかわらず、医師は注意するはずだ。

 承認前の国内の臨床試験で間質性肺炎の発症が3例あったが、死亡例はなかった。以上から添付文書の記載で指示・警告上の欠陥があったともいえない。東京高裁は、製薬会社に過失などがない以上、行政指導する国の責任もないとした。

 だが、患者の急変に対応できる施設にいる経験豊富ながん専門医だけがイレッサを使ったのか。そうではあるまい

 イレッサ発売から3カ月後、厚生労働省は緊急安全性情報を出し、重い間質性肺炎の発症に対する「警告」を発した。

患者と医師、製薬会社は現実には対等ではない。患者が自分で治療法を選択するには国の手助けがいる。迅速で分かりやすい医療情報の提供だ。東京高裁の判決で国の責任が軽くなるわけではない

ま、いったい誰が「夢の新薬」などと騒いだのかと言った細部はいちいち突っ込みませんが、どうも医師と一般人の間の認識の差というものが見え隠れする記事だなと思うのですが、しばしば使われる副作用が重い、軽いということがどういう意味を持つのかと言う事を、医療関係者も含めてもう一度きちんと定義していかなければならないと思います。
以前にこのイレッサ訴訟の東京地裁判決が出た際にも取り上げましたが、そもそも内服薬で一般的な抗癌剤と比べて副作用も少ないということを医療側ももちろん患者に伝えるわけですが、嘔気や脱毛など抗癌剤治療に伴いがちな副作用は軽めであるという意味で伝えているものを、患者側は死につながるような重大な副作用は起きないというイメージで捉えていたというギャップがあったということですよね。
「ビタミン剤とはいわないまでも、抗生物質くらいか」という患者遺族の言葉に象徴されますが、例えば10人に一人の割合で軽微な副作用が出る薬と10万人に一人致死的な副作用が発生する薬とではどちらが「副作用が軽い」のか、このあたりは患者のみならず医療関係者の間でも状況によって言葉の使い方に混乱があり、時として思いがけない誤解につながっているように感じます。
重い軽いといった主観的な言葉はきちんと使っていかないと抗癌剤に限らず認識のギャップは決して埋まることはありませんし、そうした情報伝達のトレーニングというものは学生教育のレベルからきちんと行っていかなければならないはずなのに、未だに現場各個人の経験頼りな部分が極めて大きいというのも医療現場の大きな課題ではありますよね。

そしてもう一つ、副作用というものは程度の差こそあれ何の薬でも必ず起こるわけですから、もちろんそれが発生した場合にきちんとした補償を行っていくルートが確保されていなければならないというのは全くその通りなんですが、それと責任がどこにあるのかという話は全くの別問題であるのに未だに同じ文脈で語られがちであるということです。
このあたりは肝炎訴訟などにも共通する課題ですが、薬剤承認時には未だ判明していなかった副作用がその後大きな問題としてクローズアップされてくるということは普通にあるわけで、そこで承認手続きの是非など責任の所在を問う訴訟と、補償を受けられるかどうかという問題は本来リンクさせるべきではないのです。
あなたの場合には国に責任があることだから補償します、あなたの場合は責任が認められないから補償対象外ですでは患者側が納得出来ないのは当然ですし、またその結果何かあればとにかく国や製薬会社の責任を求めて争わざるを得ないとなれば当然国や製薬会社も慎重にならざるを得ず、ますますドラッグラグ問題なども深刻化していくのは当然ですよね。
薬害に限らず医療行為に起因する障害は全て無過失補償の対象に、なんて話になればこのご時世またぞろ財源をどうするのかということになりますが、多くの人々にとって有益な効果をもたらしている薬剤すら一部の副作用によって迅速適正な利用が阻まれるということになれば、一体日本の医療は患者を治すための治療を目指しているのか、それとも副作用ゼロの治療を目指しているのかと問われかねません。

このあたりは「クレーマーは高い店よりも安い店に多い」という逆説と同じで、実のところ誰でも安く平等に医療を受けられる日本だからこそ深刻化してくる話なのかも知れませんが、例えば諸外国ではお金がないから副作用覚悟で新治療の実験台になるなんてことはごく普通にあることですし、患者側も自らリスクとメリット、デメリットを勘案しながら自分で選択するというのが当たり前になっているわけです。
ところが日本では「先生よろしくお願いします」で黙っていても最善の医療が出てくるのが当然という妙な認識が定着してしまっていて、インフォームドコンセントの徹底における最大の阻害要因が患者側の無理解であるなどと言われるのはどうなのかですが、患者側が自ら主体になって自分の命と健康の行方を判断するという習慣を定着させるためにはこうした訴訟も意味があると前向きに捉えておくべきなんでしょうか。
病院にも市販薬にも関わり合いになることなく原始そのままの生活を続けていれば確かに副作用被害者はこの世から根絶されるでしょうが、それが国民の福祉と健康のためになるかと言えば全く別問題であるという当たり前のことが、当たり前の大前提として理解されるようにするところから話を始めていかなければならないのかも知れませんね。

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コメント

副作用で死亡まで至らずとも致命的な障害をもたらした事例で、すべて国か製薬会社か医師かの責任を問うべきだということになれば、臨床現場の投薬医療そのものが成立しなくなる可能性がありますね。
よく頻用されているスタチンやベンゾジアゼピンや非定型抗精神薬や抗てんかん薬などで重度の副作用に至った事例を多く見たことがありますので、ひどい副作用が出たら全部悪だと言い始めればキリがないでしょう。

ただ投薬を受ける患者側にも医療側に「高いクスリは高いリスク」だという常識が定着していない現実があります。
「せっかく値段の高いクスリを使ったのになぜ死ななければならんのだ?」という憤りがあるでしょう。
特にイレッサのような値段も効果も高いがリスクも高い劇薬に関しては手術前の同意書と同様の部類のものを渡して薬剤師や専門家が十分な説明をしているのでしょうか?とかく日本の病院現場はスタッフが慢性人出不足なのに患者が無駄に殺到しすぎているので多忙すぎてのでそういう時間も余裕もなさそうですが。

このことで騒ぎすぎれば日本のがん治療の進歩の停滞を招くことによる損失も考慮すべきでしょう。
分子標的薬剤を使用する立場の医師の意見が聞いてみたいですね。医療にはリスクはつきものですから。

投稿: 元神経内科 | 2011年11月18日 (金) 11時18分

この種の訴訟で原告が勝って医療が停滞するとなると、患者団体が原告を訴えることもあるのかな?

投稿: aaa | 2011年11月18日 (金) 13時04分

>>この種の訴訟で原告が勝って医療が停滞するとなると

医療費抑制できるなら、財務省あたりが喜びそうですね。

投稿: 浪速の勤務医 | 2011年11月18日 (金) 15時09分

安いからと切れの悪い薬をダラダラ使っているとかえって長引くという症例も往々にして経験しますが、薬剤や治療法に関しても単に奏効率などのみならず医療経済学的側面からも再検討していく必要はあるのでしょうか。
いずれにしてもこれからの医療は「医は算術」の精神が必要になってくるということですね…

投稿: ぽん太 | 2011年11月18日 (金) 16時49分

言うまでもなく医は算術の視点は大事ですよ。
より大勢によりよい医療を提供するという視点においても算術は極めて重要です。
むしろ算術という客観データに基づいた話を歪めたところからいわゆる僻地問題なども発しているとも言えるでしょうね。
リスクのみを過度に取り上げるバランス感覚を欠いた批判もまた、主観によって算術を歪めてしまうところに問題があります。

投稿: 管理人nobu | 2011年11月19日 (土) 09時16分

全くそうですね。算術ができないから結果的に財政破綻してしまうのでしょうね。
1億3000万人もの人口を抱える我が国で国民全てに負担のかからない高額な高度医療を提供するという事自体がもう限界なんじゃないでしょうか?
ここは北欧諸国やブルネイではないのですから。

投稿: 元神経内科 | 2011年11月19日 (土) 11時14分

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