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2011年9月15日 (木)

苦を避け楽を求めることは悪徳ですか?

決して良いニュースでも何でもないのですが、所変わればお上の対応もこうなるのかと感心したのがこちらのニュースです。

運送会社所長ら4人逮捕=名神6人死傷、過労運転命じた疑い―大阪府警(2011年9月13日時事通信)

 大阪府茨木市の名神高速道路で6月、渋滞の車列に大型トラックが突っ込み6人が死傷した事故で、府警高速道路交通警察隊は13日、道交法違反(過労運転下命)容疑で、運送会社「ランドキャリー」(本社名古屋市)の岐阜営業所所長鈴木弘一容疑者(47)=愛知県春日井市高蔵寺町=ら4人を逮捕した。同隊によると、いずれも容疑を否認しているという。
 事故は6月13日午前11時ごろ、茨木市穂積台の名神高速上り線で発生。2人が死亡し4人が重軽傷を負った。大型トラックを運転していた丹羽潤被告(42)=自動車運転過失致死傷罪で公判中=は同隊の調べに「厳しい勤務状態で疲労がたまり、居眠りしてしまった」などと話していた。
 4人の逮捕容疑は、6月12日、岐阜営業所内で、丹羽被告が連続勤務による過労で正常な運転ができない恐れがあるのに、運転を命じた疑い。
 同隊によると、丹羽被告は日曜日の昼に岐阜営業所を出発、5日間連続でわずかな睡眠時間で1日約700キロ走行し、金曜日の夜に同営業所に戻る勤務を事故直前まで7週間にわたり続けていたという。 

700キロ運転を週6日…過酷な乗務を指示(2011年9月14日読売新聞)

 大阪府茨木市の名神高速道路で6月、2人が死亡、4人が重軽傷を負った玉突き事故で、大阪府警高速隊と交通捜査課は13日、最後尾から追突した大型トラックの運転手に過重な乗務を指示したとして、運送会社「ランドキャリー」(本社・名古屋市)の岐阜営業所長・鈴木弘一容疑者(47)ら社員・元社員計4人を道交法違反(過労運転下命)容疑で逮捕した。

 4人は容疑を否認しているという。

 発表によると、鈴木容疑者らは6月12日午後、同社の運転手・丹羽潤被告(42)(自動車運転過失致死傷罪で公判中)が長時間乗務で過労状態にあることを認識しながら、愛知―兵庫間の往復運転を指示した疑い。

 事故は6月13日午前、渋滞の車列に丹羽被告の大型トラックが突っ込み、5台が炎上。当時36歳の女性と同51歳の男性が死亡した。丹羽被告の睡眠不足と過労による居眠り運転が事故原因だったとされる。

 府警は本社や同営業所を捜索。押収資料などから、丹羽被告が4月24日~6月13日、名古屋市、愛知県豊橋市、兵庫県たつの市、同県明石市などを1日で回る約700キロのルートを一人で運転する勤務を週6日間繰り返し、その間、車中で寝泊まりしていたことが判明した。

 同社の森部鐘弘社長は「ご遺族やけがをされた方には申し訳ない。本社も営業所も(丹羽被告が)過労状態だったことを把握できていなかった」と話した。

亡くなられた犠牲者の方々にはお悔やみを申し上げるしかありませんけれども、居眠り運転の結果事故を起こしてしまったというトラック運転手も加害者であると同時に被害者でもあるということであり、それを命じた側を逮捕するという形で公に間違った勤務状況であったという認識が示されたことはよかったのではないかと思います。
この「過労運転下命」による逮捕というのは以前にも取り上げたことがありますけれども、まさしくこうした事態が頻発していることを懸念した結果2002年より道路交通法が改正され厳しく使用者責任が問われるようになったもので、過労運転をさせることそのものが罪であるということが明文化され実際にこうして運用されるようになっているというのは労働者個人は元より、何より社会にとって心強いですよね。
もちろんこれも以前から取り上げているようにトラック業界の過労運転の元凶というものは運送費用が安すぎることに加えてその極端な下請け、孫請けの慣習に根ざしているとは言われるところで、不当な安値で過酷な運送体制を強要する親会社を取り締まらずしてどれほどの効果があるのかという疑問はありますが、下請け側にとってはこうした法規制が正当なコスト転嫁を行うための後押しにはなり得ると思います。
特に昨今では国民全体のワープア化が進み、安く使える労働力を徹底的に使い潰すのが賢い経営術であるかのような風潮すらありますから、同業界に限らず広く国全体に対して一石を投じることになればいいのですけれどもね。

さて、連日過酷な労働を続け職場で寝泊まりが続くなどと聞けば某業界の事がどうしても思い浮かぶという方々も多いのではないかと思いますが(苦笑)、実のところ過去半世紀ほどを通じて最も医師の労働環境改善が進みつつあるのが医師不足だ、医療崩壊だと社会的にも大騒ぎされるようになったここ数年のことであるというのは一見なんとも不思議な現象にも思えますね。
医者という人種はああ見えてかなり体育会系なノリの人間が多く(医学部学生のみによって行われる運動大会である西医体、東医体は国体に次いで日本第二、第三の規模を誇ると言われます)、努力や根性といったスポ根的要素は平均的にかなり高い水準で持ち合わせていると思われますから、「睡眠なんて一日合計三時間で十分」「休みはないのが普通」などと大抵の事は黙って我慢してきた経緯がありました。
しかし近年労働環境がさらに一段と厳しさを増しどうやら人間の耐えられる範疇を超え始めた、そして何よりここで自分が過労死覚悟で頑張っても状況は今後も一向に上向きそうにないらしいと悟ってしまえば人間心が折れるもので、その結果が逃散などといった個人レベルでの労働環境改善に現れてきたわけですよね。
どこの大学でも内科、外科、産科に小児科という患者の全身を取り扱う、いわゆるメジャー診療科四科への入局者数が長期的に下落を続ける一方で、限定的な領域だけを扱ういわゆるマイナー診療科に人材が流れている傾向が顕著ですが、先日は厚労省から報告された臨床研修経験後の志望先の変化を見ても同様の傾向が認められているようです。

臨床研修後、内科、外科など希望者減- 厚労省WG(2011年9月12日CBニュース)

 厚生労働省の「臨床研修制度の評価に関するワーキンググループ」(座長=堀田知光・国立病院機構名古屋医療センター院長)の会合が9月12日に開かれ、厚労省が、臨床研修の前後で将来希望する診療科に変化があったかどうかを研修医に聞いたアンケート結果を報告した。それによると、必修7診療科のうち、研修後に希望者が減った科目は、内科系、外科系、小児科、産婦人科の4診療科。一方、増えたのは麻酔科、救急、精神科の3診療科だった。

 アンケート調査は、昨年3月に臨床研修を修了した全国の研修医7512人を対象に同月に実施。5250人から回答を得た。

 それによると、研修前に比べ研修後に希望者が減った科は、内科系(研修前1829人、研修後1674人、以下同)、外科系(613人、604人)、小児科(546人、417人)、産婦人科(338人、295人)の4科。一方、増えたのは麻酔科(181人、311人)、救急(103人、131人)、精神科(218人、262人)の3科だった。

 研修後、ほかの科を希望するようになった理由を聞いたところ、どの科でも「ほかの診療科の方が魅力がある」が最も多く、このほか「仕事内容が想像と違った」「相性が合わない」などの回答が目立った。外科系では、「体力的にきつい」「拘束時間が長い」、救急では「将来、専門性を維持しづらい」などの回答も多かった。
 一方、研修後にほかの科から移行してきた理由を聞くと、どの科でも「やりがいがある」「学問に興味がある」「相性が合う」が上位を占めた。

 現行の臨床研修制度では、内科、救急が必修診療科。外科、麻酔科、小児科、産婦人科、精神科の5科が選択必修で、この中から2診療科を選ぶことになっている。

ま、「実際に行ってみたら思っていたのと全然違っていた」などということは医療に限らずあることですけれども、とりわけ外科系などで「体力的にきつい」「拘束時間が長い」といった理由で忌避する傾向が顕著になってきているというのは、一昔前の何も現実を知らず初心なままで入局していた時代ではなく実際に各科ローテートを経験した世代の意見だけに、各科相対的に比べて見ても確かにそうなんだろうなと説得力はありますよね。
医師とは単なる金を稼ぐための職業ではなく崇高なものであって、自分の労働環境がどうこうなどと文句をつけることがあってはならない…なんて時代錯誤なことを言う先生はさすがに昨今いらっしゃらないと思いますが、冒頭の事件にもあるように何より人様の命をお預かりする仕事であるならばこそ、それが最上の状態でこなせるように自らの健康状態も含めてマネージメントすることが求められているはずです。
幸いにも今であればまだ医療の世界は売り手市場で労働者個人の発言力が強い、とりわけ専門職である医師や看護師にとっては長年放置されてきた労働環境を改善するための(もしかしたら最後の?)チャンスであって、社会責任を果たしていく上でも自ら環境改善を望み求めていく姿勢を示さなければならないとも言えそうですね。
そうした状況を踏まえた上で最近面白い試みだなと思ったのは、東京医療センターで臨床研修科医長を勤める内科医の尾藤誠司先生が提唱されている「『もはやヒポクラテスではいられない』21世紀 新医師宣言プロジェクト(「もはヒポ」プロジェクト)」という試みなんですが、日経メディカルから抜粋させていただきましょう。

◆尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」 「もはヒポ」プロジェクトを始めた理由(2011年8月31日日経メディカル)より抜粋

(略)
 私がこのプロジェクトを立ち上げた理由を一言で言うなら、今の医療者が自らの職責とともに患者に誠実に対峙するためには、現在に即した新たな「患者-医療者関係」モデルの提示が必要だと考えたからです。

 もう少し詳しく解説します。一時期大きく揺れていた「患者-医療者関係」が、若干落ち着きつつあるように見えます。その理由は二つあって、一つは「患者に黙って勝手なことをした医師はケシカラン!」とか「救急車の受け入れを断るなんて何やってんだ!」といった新聞などの報道が、恐らく報道機関側の意図によってかなり少なくなってきたこと。もう一つは医師に代表される、医療者自身の患者に対するスタンスが変化してきたことが要因として考えられます。

 患者の権利に対する意識が高まり、インフォームド・コンセントが医療の中で重要視される中で、医師の独善的な態度やそれに基づく行為にダメ出しをされるようになりました。多くの医師は、それらの批判を「医師は過剰に患者にコミットせずに、技術者になりきらないといけない」と受け取ってしまったように私の目には映ります。

 私は常々、患者に対する医師の一般的なたたずまいを、「王国の騎士」のようだと思っていました。王様によって統治された国の大切な民を守るために、王の命を受けて全力で戦う騎士のようだと。その使命を全うすることで、騎士は国民から尊敬され、騎士は国民を守るという使命感とともに、身を削っても堂々と立っていられる。そんなたたずまいを、この国で患者のために身を粉にして働く医師の姿から感じ取っていました。

 この場合で言えば、騎士である医師が戦う対象は病気であり、おそらく医師に命令を出している王に当たるものは、教授とか院長とかではなく、臨床試験などから得られたエビデンスや病態生理学的な整合性などの「医学的に正しいこと」だと私は考えます。いずれにしても、近寄りがたいけど頼りになる「騎士=医師」、それに守られる存在としての「民=患者」という関係性によって、これまでの関係は成立していたと考えます。

 それがインフォームド・コンセント全盛の時代になり、「患者‐医療者関係」に変化が起きました。今までのたたずまいにダメ出しをされた医師は、“鎧を着たまま患者から引いていく”という選択をしてしまったのです。これでは、患者も医師自身も浮かばれません。本当は、医師が騎士の鎧と剣を外し、同じ土俵で患者と向き合うことが必要だったのではないでしょうか。

 そこで私は、ちょっと自虐モードにある現在の医師が、重い鎧を脱いだ上で、もう一度患者の手を握っていくような意識変革を起こしたいと考えました。そのためには、非常に立派ではありますが、私にはあまりにも騎士道的に映る“ヒポクラテス的な医師像”の呪縛から、現代の医師を解放する必要があると考えたのです。それが「もはヒポ」の始まりです。
(略)

◆私の視点 ヒポクラテスではない、等身大の医師宣言を皆で作ろう(2011年2月27日日経メディカル)より抜粋

(略)
 ヒポクラテスの誓いを改めて見直してみると、個人として神に誓い、それをひとつの象徴として医療のあるべき姿を考えるというものだということが分かります。もちろん、最終的には皆が変わっていかなければいけないですが、まずは医師個人が患者のケア、現場を意識した宣言を作る方が実行力があり、インパクトがあるものになると思ったのです。患者にとってもそのような宣言の方がリアルに感じられ、「こういう医者だったら受診してもいいな」「こういう医師にならば話してもいいな」、と思ってもらえるのではないでしょうか。

 ところがヒポクラテスの誓いにも問題がありました。パターナリズムに立脚しているのです。神に宣誓して、“聖”として凡人に施すという姿勢ですから、今の時代にはそぐいません。現在の医師患者関係の問題の根本にあるのは、医師が“聖”という存在であること、すなわち「神に誓いを立てた私がすることは正しいことである」という姿勢だと思っています。“聖”を抜き、斜に構えず、クライアントたる患者に専門家として正対していく。今回掲げた「もはやヒポクラテスではない」というスローガンには、そのような思いを込めています。
(略)
 現在、Webサイト上で、皆の「宣言」のツイートを閲覧できますが、正直なところ、これほどの宣言が集まるとは夢にも思っていなかったですね。「脱ヒポクラテス」というコンセプトですから、医療者の価値観の傲慢さに対するアンチテーゼとしてのツイートは出てくると考えていました。ですが、「私は高血圧の患者に、あなたにとって血圧よりも重要なことは何か尋ねます」「私はあなたの本当の痛みや苦しみを完全に理解することはできません」「私は患者がどんな医療も受けない権利を尊重します」「私の間違いに気付いてくれる人を大切にします」などなど、いい具合に行儀悪く、私の想像以上に胸に来る宣言が集まっています。

 ここまでは8割がた成功しているという感触を持っていますが、もっと多くの方に自分の生活のリアルのことをつぶやいていただきたいですね。「昼ごはんをちゃんと食べます」でもいい。いろんな人がいろんな考え方を持って、現実生活の中での現実の話をツイートすることで、自分の考えている医師のあり方を広くしていくことができると思うのです。公に発表するわけですから、格好をつけたくなる気持ちも分かります。ですが、“すっぴん”で発言すると、自分にまだ情熱が残っていたことに気づくいい機会にもなります
(略)

ここで出てくる「ヒポクラテスの誓い」とは看護師にとっての「ナイチンゲール誓詞」のようなものですが(ちなみに出自からすると後者が前者を参考に定められたものだと言うことですね)、医者なら誰しも一度くらいは目にしたことがあるにしろ、看護におけるナイチンゲール誓詞のように暗唱テストまで課されるような扱いを受けていないのは、さすがに医療の現状にそぐわないという認識が医学教育者の間にもあるからなんでしょうか。
もちろん見て頂ければ判る通りプロジェクト自体は別に医師の労働環境改善を主眼としたものではありませんが、現場を見ない「かくあるべし」論から始めるのではなく、素直に医療の現状に立ち返ってよりよい医療を追求するための一つの指針を示すべきだという考え方は、24時間働けますかどころではなく30時間、40時間の連続労働が日常診療の中で当たり前に設定されている現状を見直す動機にもなるものでしょう。
「うまくいって当たり前でひとつまちがえば叩かれる/これを理不尽と考えてはいけないと思うのです/それはどんな職業でも当然のことなのです」なんて有名な名台詞(?)がありますが、どんな職業でもその水準が当然のこととして要求されるからこそ、どんな職業でも確保されるべき労働環境というものが設定されているわけで、それを医者だから特例で無視して良いなんて馬鹿な理屈はないはずです。

夜勤における業務効率は酩酊者のそれと同レベルであるという話はかつて労働科学研究所の佐々木司氏が紹介して一躍有名になったものですが、日勤の後にそのまま当直という名目の実質的な夜勤に突入する、それをさらに超えて翌日の常勤に入り当たり前のように残業までこなし、場合によってはそのまま泊まり込むような状態は立派な仕事ぶりどころではなく、本来ならいったいどんな低レベルの仕事をしているのかと顧客からクレームがつくはずのものなのだと言うことでしょう。
患者にとっては一生に一度の大手術を前に髪はボサボサ荒れ放題、両目を血走らせて「いやあ、もう三日寝てないんですよね。手術中に居眠りしちゃったらごめんなさいねアハハ…」なんて先生よりも、見るからに心身ともに充実した様子で「最善の医療を提供するための準備は全て整えていますから」と言ってくれる先生の方が、どう考えても頼りがいがありそうなのは当然ですが、その当たり前のことにすら気付かないほど今までの医者は両目を血走らせて視野狭窄に陥っていたいたとも言えるんじゃないでしょうか。

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