« 今日のぐり:「うどん坊」 | トップページ | 今日のぐり:「六甲山ジンギスカンパレス」 »

2011年9月24日 (土)

本当に木鐸が必要なのは誰か?

先日これぞ「お前が言うな」と言うべき記事が毎日新聞に掲載されていましたが、しかしいつも思うんですが彼らマスコミが好んで使う「われわれ」というフレーズの対象は具体的にどこのわれわれなんでしょうね(苦笑)。

発信箱:政治を褒め生かす=倉重篤郎(論説室)(2011年9月22日毎日新聞)

 われわれは、日本の政治についてすでに二つの共通認識を持っている。

 一つは、今の日本が大きな転換期に差し掛かっている、ということだ。かつて、どの国も経験したことのないような少子高齢化、人口減少が、経済の成長力を弱め、現行の社会保障制度に持続不可能の赤ランプを点灯させている。20年前のバブル崩壊後、事実上民間の負債を肩代わりしてきた財政もとうとう累積赤字額が1000兆円となる。これもまたグローバルマーケットから警告(国債の格下げ)を受けている。

 外交・安保の周辺環境も様変わりだ。米の突出したパワーがたそがれ始め、中国が台頭、力の均衡をどう維持・管理するか、かつてなく日本の役割が注目されている。

 二つ目は、これらの問題はいずれも政治でしか解決できない、との共通認識だ。成長戦略から人口対策、増税、安保に至るまでのコンセンサス作り、財源手当て。すべては、民主主義のルールに従って国会で議論し法制化することでしか実現できない。

 となれば、これらの問題解決をどう政治にやらせるか、という三つ目の共通認識作りこそ、重要なのではないか。まずは、時間を与えることだ。民主主義には手続きと熟議が欠かせない。だからこそ決まったものに価値がある。衆院議員任期の4年間で何ができるのか、を一つの目安にしたい。

 次に難しい注文だが、政治家をもっと大切にできないものか。国家国益を背負って国民に奉仕するこの職業が軽視されてはいないか。例えば褒めてみたらどうだろうか。ご苦労さん、という声掛けからでもいい。政治家を褒めてその気にさせて本来の力を倍発揮させる。そのくらいのパワーアップがなければとても解決できない難問ばかりだ。自分たちの幸せのため政治をどう使うか。賢い戦略がほしい

いや、それら全ての問題点は当のマスコミが一生懸命破壊すべく努力してきた認識であって、愚かな戦略ばかりだった自らの前非を悔いて今後は真摯に反省し贖罪に勤めますと言うならまだしも、当の本人がその上から目線はどうなのかです。
先日も鉢呂吉雄前経産相の辞任騒動にまつわる彼らマスコミの数々の問題点を取り上げましたが、まさしく彼らが何の長期的視点もなく政治家を使い捨てにするという行為がどれほど日本の政治の熟成を妨げ、口当たりがいいだけで遠く本質を外れた部分にのみ終始するような電波芸者の眷属のような政治家を蔓延させてきたかということですね。
民主党政権と言えば反自民と言うマスコミに担がれて政権の座についたということからも当初はマスコミと蜜月関係を築いていくものと思われていましたが、ついに事ここにいたってマスコミと決別しつつあるように見えるのは誰が悪かったのかと考えてみるべきでしょう。

失言警戒?野田首相だんまり…ぶら下がり応じず(2011年9月19日スポニチ)

 野田佳彦首相が記者団の「ぶら下がり取材」に1度も応じていない。記者会見も2日の就任時に1回しただけで、東日本大震災から半年の節目や鉢呂吉雄前経済産業相の辞任の際にも会見は開いていない。失言を警戒しているようだが、説明責任を果たしていないとの批判が出そうだ

 野田首相は就任会見で、ぶら下がり取材を求められたのに対し「検討する」と答えていたが、応じる気配はない。官邸を出入りする際に、遠くから記者団が大きな声で質問を発する「声掛け」も無視されることがほとんど。数少ない例外は、鉢呂氏辞任の翌11日に立ち止まって「福島県民の心を傷つけた」と頭を下げた時だ。

 藤村修官房長官は「政権発足間もない時期で、情報発信はスローペースかもしれない」と釈明した。ただ、一方で首相は12日からブログ「官邸かわら版」を開設し、所信表明演説を終えた感想などを掲載している。

 公明党の漆原良夫国対委員長は「政権が何を考え、どうしようとしているのか首相は国民に知らせる責務があるのに、ぶら下がりも会見もしないで逃げ回っている」と批判した。

「マスコミは怖い…」鉢呂前経産相が胸の内明かす(2011年9月19日産経新聞)

 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発周辺地域について「死の町」などと発言したことで引責辞任した鉢呂吉雄前経済産業相が19日までに産経新聞社のインタビューに応じ、「発言は覆水盆に返らずで、辞任は自業自得だ」と胸の内を明かした。

 鉢呂氏は8日深夜、東京・赤坂の衆院議員宿舎でのオフレコ(非公式)の記者懇談で「放射性物質をうつしてやる」という趣旨の発言もした。鉢呂氏は発言について「記憶にないが、不用意だった」と述べた。

 ただ、「テレビ局の記者が伝聞形式でまず放送したが、発言があったというなら事前に本当か確認くらいはしてほしかった」とも述べ、「今思えば、オフレコ懇談には付き合わなければよかった。自分が甘かったし、注意していればよかった。でも、マスコミは怖いですね」とこぼした。

 鉢呂氏は「常々、政治家の発言はすべてがオン(公式)扱いだと言ってきた」という。それだけに今回の辞任劇で「もう冗談も言えなくなった。ただ、型通りの話ばかりするわけにはいかず、今後は記者にどう信頼を置いていけばいいのか」と戸惑いをみせる。

マスコミなどを相手に信頼を置こうだの、冗談を言おうだのと考える時点で脇が甘いと言われても仕方がないところですが、信用に値しない連中を信用したツケが結局は回り回って国民の不利益につながっているのだとすれば、いったいマスコミの存在とは日本にとってどれほどの害悪なのかということになってしまうでしょう。
記事にもあるように歪曲捏造お手の物のマスコミを通さず直接国民に語りかけるという手法は最近すっかり定着しましたけれども、政治家の間にマスコミ不信がどれだけ広がっているのかを示すものであると同時に、マスコミなどという百害あって一利無しに近い余計なバイアスを排除することこそ国民の知る権利に直結するという現実を彼らマスコミ自身もそろそろ認識すべきでしょう。
先日も東京新聞の岡村記者が都知事定例会見の席で「子供じゃないんだから。質問にもならない質問するなよ」と一括されるという一幕がありましたが、とにかく物事の本質がどこにあるのかを考えることが出来ない、脳まで届かず脊髄辺りで折り返してきたかのような考えの浅いマスコミ関係者が増えているのも問題ですし、彼らが今や国政の行方すら左右しつつあるというのは悲劇と言うしかない話です。
さすがに彼らお得意の「言葉狩り」の馬鹿馬鹿しさというものは今やマスコミ報道しか知らないようないわゆる「情弱」な人々にも感じられるようになってきていますが、今回の鉢呂氏の発言に対する彼らの揚げ足取りぶりがどれほど意味不明なものであるか、彼ら自身の過去の行動からも明らかですよね。

国会で「死の町」発言した大臣いた その時は問題視されなかった不思議(2011年9月15日J-CASTニュース)

   鉢呂吉雄経済産業相が辞任に追い込まれた、いわゆる「死の町」発言。だが、4か月ほど前にも鉢呂氏同様、原発周辺地域を「死の町」と表現していた大臣がいた

   しかしこの時は、発言に対する非難が起きた形跡はない。一方、さかのぼること25年前のチェルノブイリ原発事故の際には、マスコミが「死の町」と使っていたケースもたびたび見られる

細川前厚生労働相が参院行政監視委での答弁で

    「本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました

   これは鉢呂前経産相の発言ではない。2011年5月16日に開かれた参院行政監視委員会で、当時の細川律夫厚生労働相が、民主党・石橋通宏氏の質問に答えたときのものだ。石橋氏は、細川氏が5月7日に東京電力福島第1原子力発電所を訪問して事故処理にあたる原発作業員に会い、現場環境を視察した件に触れて「政府の責任として作業員の皆さんの命、健康を守るんだという思いについて、改めて大臣のご見解をお願いしたい」と促した。

   細川氏はこれに応じ、原発作業員の拠点として使われているサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)から福島第1原発にマイクロバスで行く途中、人影が全く見えない風景に接して、冒頭の発言につながったとした。その後、現場で作業員を激励したエピソードを明かし、作業員の健康管理について「しっかりやっていきたい」と結んでいる。

   鉢呂氏の場合、福島第1原発を視察後に周辺の自治体について「人っ子1人いない、まさに死の町」と話したが、現地の感想を語った内容としては細川氏と大差ないようにも思える。異なるのは、鉢呂氏が記者会見の場で報道陣にダイレクトに語ったのに対して、細川氏は国会の委員会で、議員の質問に答えたという点だ。

   それにしても、細川氏の発言の際には特に問題視されたとは思えない。当日、行政監視委には野党議員も出席しているが、その場で訂正を求めたり非難したりといった記録は残っていないようだ。大きな騒動に発展したわけでもなく、細川氏は菅内閣が総辞職するまで厚労相を務めあげている。

チェルノブイリ事故でも新聞記事に「死の町」

   「死の町」という言い方ではないが、住民がほかの土地へ移ったため無人化したという意味の「ゴーストタウン」という言葉は、東日本大震災の被災地や福島第1原発の周辺地域を指す表現としてたびたび、国会の委員会で使われている。例えば2011年4月5日の衆院総務委員会で、自民党の吉野正芳氏は出身地の福島県いわき市について、原発事故後「一時期ゴーストタウンになりました」と説明。また6月6日の参院決算委員会でも、新党改革の荒井広幸氏が、被災地となった宮城県仙台市の状況について「31か所、2100戸の住宅が大変な被害に遭って、そこにいるわけにいかないのでゴーストタウン化しているし……」と話した。いずれも現地の状況を示したもので、「住民感情を逆なでした」などと非難されることはなかった

   マスコミでも、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の報道で「死の町」という言葉を記事に載せている。事故の翌年に大手各紙は現地に記者を送ってルポを掲載しているが、原発近くにある地域を指して「人影ひとつ見当たらず、完全に『死の町』と化し」(毎日新聞)「約千人の作業員が15日交代で周辺の放射能汚染の除去作業などに当たっている『死の町』である」(読売新聞)と表現した。

   鉢呂氏の場合、「死の町」のみならず、記者に向かって「放射能をうつす」といった趣旨の発言をしたことも伝えられたため、一連の不適切発言の責任をとる形で大臣の座を降りた。だが「死の町」という言い回しについては、新聞の投書欄やインターネットで「深刻な事実を率直に表現しただけではないか」という疑問や、「誰が死の町にしたのか」と原発事故そのものに対する責任を問う声もある。

自分達がやることは全く問題ないが他人がやるのは我慢ならないとはどんなDQNダブスタかという話ですが、何がよくて何が悪いかをマスコミの恣意的な判断が決定するということになれば、まさしく鉢呂氏辞任で「大臣の首を取った」と高笑いした彼らマスコミの思惑通りの世の中になっているということにもなりかねません。
先日の民主党代表選などでも彼らマスコミによる「介入」ぶりがバラされてしまい、当事者である議員などは怒るとか嫌悪するというよりもむしろ苦笑と共に振り返っていたと言いますが、まともな専門教育も受けていない人間がいっぱしの事情通のような顔で好き放題をすることがどれほど危険なことであるかということですね。
彼らが好き放題をやりながら「いや、マスコミは第三の権力として一定の力を保持することが社会正義の実現のためにも重要である」なんて寝言を口にするというのであれば、彼らの横暴によってどれだけ社会正義が実現されたのか、その代価として彼らの傍若無人な振る舞いが許容されるだけの勝ちがあるのかということを立証してみせる必要があるはずです。
ところが実際には増長する一方の彼らマスコミは、国民の権利を守るどころか阻害する役にしかたっていないということが昨今のネットの発達によって明らかになってしまったわけですが、ネットの敵視は元より恐ろしいことに先日の辞任会見で「暴言記者」を追い詰めたフリージャーナリストの田中龍作氏にも圧力がかかっているというのですから驚くしかありません。

ネットが暴いた記者クラブメディア暴言事件の顛末-【田中龍作】(2011年9月16日BLOGOS)

9月10日経産省で開かれた、鉢呂大臣の辞任会見。大臣に説明を迫る記者の言葉遣い・態度が悪く、大きな波紋を呼んだ。後日、その記者は上司と共に鉢呂氏の所へ謝罪に行ったそうだが、現場でその記者を注意したジャーナリストの田中龍作氏に、事の顛末と記者クラブ問題について、ご寄稿いただいた。
-----------
A記者「あなたねえ、国務大臣をお辞めになる理由くらいちゃんと説明しなさい」。

鉢呂氏「私も記者さんとの非公式の懇談でございまして、一つ一つに定かな記憶がありませんので」。

A記者「定かな記憶がないのに辞めるんですか?定かな記憶があるから辞めるんでしょ。きちんと説明しなさい。最後くらい」。

鉢呂氏「私は国民の皆さん、福島県の皆さんに不信の念を抱かせた…」。

A記者「何を言って不信を抱かせたか、説明しろって言ってんだよ

「死の街」「放射能…」発言で経産相の職を辞することになった鉢呂吉雄氏の辞任会見で、大手メディアのA記者はヤクザまがいの口調で迫った。社名も氏名も名乗らない。挙手さえしないままで、だ。

あまりの酷さに同業のこちらまで恥ずかしくなった。脊髄反射するかのように考える間もなく筆者は言葉を発した。「そんなヤクザ言葉はやめなさいよ。敬意を持って質問して下さい。記者なんだから」。

「うるせえな」、A記者は悪びれもしなかった。だが記者証はシャツの中に隠した。姑息という他ない。

会見後、あるフリーランスから私にクレームが寄せられた。「A記者に対する田中さんの叱責が記者クラブのプライドを傷つけたようだ。近くクラブ総会が開かれ田中さんのことが議題になる可能性がある。総会の結果、『フリーは出禁』ということになったら困るんだ」。

エネルギー問題など経産省ネタを専門に取材執筆する、そのフリーランスはさも迷惑そうに語った。「A記者叱責事件」がフリーランス全体に波及することを彼は恐れていた。

ところが会見の一部始終がインターネットでライブ中継されていた。会見を見ていた視聴者の反響は驚くほど大きかった。「暴言記者」への抗議はネット上だけで収まらず、彼が所属する会社にまで電話をかける視聴者も少なくなかった。

ネットで顔が割れているため記者証を隠しても、身元が判明するのだ。筆者のもとにも「A記者」の具体的なデータが送られてきた。入社年、支局経歴、東京本社に上がってからの担当記者クラブなどだ。過去に担当したクラブで起こしたトラブルまでが書かれている。ご丁寧に「ガン首写真」(顔だけのアップ写真)までが添えられていた

読者が抗議の電話をかけたことは、社にとってプレッシャーだったようだ。A記者は鉢呂前大臣の事務所に謝罪に行かざるを得なくなったのである。

もしインターネット中継がなかったら逆の展開になっていただろう。筆者はじめフリーランスは出禁となり、A記者はクラブ内で批判されることさえなかったはずだ。

強きを助け弱きをくじく大マスコミ

記者クラブの力をかさに社名・氏名を名乗らずに、前大臣にヤクザ言葉を浴びせる。ノンキャリ役人など人とも思っていないかのような口のきき方をする

ところが相手が強大だとうって変わって下手に出る。これも大手メディア記者の特徴だ。福島第一原発の事故で東京電力の記者会見には多数の記者が詰めかけ、乱暴な言葉で質問を繰り返していた。ところが3月28日を境に社名と氏名を名乗らなくてはならなくなった

その途端、別人のように記者たちの言葉が丁寧になった東電を問い詰めるような質問さえ出なくなった。特に民放記者はおしなべて借りてきた猫に変身した。巨額の広告費を頂く東電の機嫌を損ねることは重罪に値するからだ。

記者クラブが国民の知る権利を守るために権力と戦っている、などと夢にも思ってはならない。強者には揉み手ですり寄り、弱い立場の者、弱った相手はリンチも同然に叩く。これが記者クラブである。

警察記者クラブ詰の記者は自社の同僚や上司の「交通違反のもみ消し」に、建設省(現・国土交通省)クラブ詰は「公団住宅への入居」に、大蔵省(現財務省)詰は「国有地の払い下げ」に奔走するのである。

見返りに役所の都合のいいように記事を書く。「TPP推進」「増税」「原発再稼働」…枚挙に暇がない。

のが現実だ。残念ながら国社の利益に沿った記事や社説が、あたかも「世論」であるかのように報道されている民の多くはそれに気づいていない。

「原発をゼロにする」と方針を示していた鉢呂経産相は、記者クラブとのオフレコ懇が命とりになった。経産大臣は「言葉狩り」と「捏造の疑いさえある問題発言」で辞任に追い込まれた。

氏名、社名も名乗らずにヤクザ言葉を国務大臣に浴びせる人物が幅をきかす記者クラブ。そんな組織が政治家の出処進退を左右する国は遠からず滅びる。(田中龍作)

問題の箇所

いや、所属氏名を名乗らなければならなくなった途端に借りてきた猫に一変するというのは何とも笑える話ですけれども、強い者にはこびへつらい弱い者は徹底的に叩く、これこそ正しくその筋の人間の行動パターンかなという気がしますが、そんな手合いに国の行く末すら左右されかねない国民こそ悲劇でしょう。
自浄能力などというものはおよそ期待出来ないマスコミというものの腐敗に対しては、徹底してそれに対抗する力をもって行うしかないということがよく判る話だと思いますが、その意味でこの国における真のジャーナリズムはかろうじてネットによる検証や批判精神を通じてのみわずかに存在を許されているのではないかという気がします。
先日以来世間をあれだけ賑わしてきたフジテレビに対するデモ活動なども先日になってようやく朝日が取り上げたことが「どうせ無視するなら最後まで徹底しろよw」と世間の失笑を買っていますが、彼らがどれほど無視しようとも今後彼ら以外の系路で情報をやり取りし、それに基づいて行動を決定していく人々は増えることはあっても減ることは考えられません。
たまに彼らがネット発の行動に口を開けば「もっと冷静に」などと一生懸命制止に回ることしか出来ませんけれども、世界の目からすれば数々の山積する社会問題に対してこれまで沈黙を守りすぎて不気味ですらあった日本人達が、近頃ようやく普通の国の人間のように感情を表に出して行動するようになったと安堵しているような状況であって、いかに日本のマスコミが世界標準の考え方から遠いかがよく判る話ですよね。
この国のマスコミがジャーナリズムとして奇跡の再生を遂げるか、それとも完全にぶっ壊れてしまうかは判りませんけれども、他人に対して一方的に批判するばかりで肥大しきった彼らの自我を少しでも正常化するためにも、悪いことをした時や間違っていた時にははっきりそれは悪い、間違っているとしつけていくことが必要なのでしょう。

|

« 今日のぐり:「うどん坊」 | トップページ | 今日のぐり:「六甲山ジンギスカンパレス」 »

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/52812195

この記事へのトラックバック一覧です: 本当に木鐸が必要なのは誰か?:

« 今日のぐり:「うどん坊」 | トップページ | 今日のぐり:「六甲山ジンギスカンパレス」 »