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2011年9月 5日 (月)

ここでも日本の常識は世界の非常識なんだそうです

テレビ番組などで幅広くご活躍中の石井苗子氏が読売にコラムを持っていますけれども、先日はこんなことを書いていました。

石井苗子の健康術 日本の医療システムのどこが悪いのですか?(2011年9月3日ヨミドクター)

(世界から見ると日本は最高なんだそうです)

 「ランセット」という科学雑誌があります。ここに論文が掲載されれば研究者として世界的に認められたことになります。そのランセット社から今年、日本が皆保険制度導入50周年を記念して特集号が出ました。これは大きな出来事です。

 日本の50年に渡る医療改革とその実績、さらには将来の展望について数々の論文が掲載されています。今回の東日本大震災での地域医療についても書かれてありました。8月には本社の編集長が日本を訪れ、東京で2日間のシンポジウムもやりました。

 あれ!?と感じたのは、シンポジウムに参加していた海外ゲストスピーカーたちが日本の医療制度問題にあまり詳しくなかったことです。どうして地域医療は医師不足なのか、どうして患者は地元の医師にかかろうとしないのか、なぜ小児科医の数が不足しているのか、説明が今ひとつピンと来ないなどと質問するのです。

 ある日本の医師が、海外の医師が日本で治療しないのは高い料金を取れないからだと指摘しました。良い治療も悪い治療も日本では料金が同じ、場所もどこでも同じ、だから海外から市場を守ることができたと説明したのです。「なぜ近くでよい治療を高額で得ようとしないのか」と質問されると、日本側は「同じ治療を安く、よりよい施設で受けられる事が出来るからです」と答えていましたが、ピンとこないようでした。

 「高齢社会なら年齢で治療の制限の上限を設ける政策もあるだろう」という質問には、「昨日まであった良いものからハシゴを外すような改革政策を取るのは極めて難しい。国民ひとりひとりが考え方を変えてもらえるように教育をしていくしかない」が日本側の答えでした。

 こうしたやりとりを聞きながら、私は先日あった出来事を思い出していました。夜中に義歯が取れてしまったと救急車で運ばれてきた人、便秘を診てもらいたいから東京の大学病院に紹介状を書いてほしいと言ってきた人の事などです。

 患者中心の皆保険制度のもとでは、どのような要求にも応えなければならないのでしょうか。「国民を教育していく」と言いますが前途多難です。治療の地域格差、公立病院の経営赤字と医師の過労問題など、矛盾を抱えた医療制度を高齢社会に合わせてどう変えていくことができるでしょうか。若者の数が少なくなり、経済を支える力が衰えてきていても、もっと良いサービスを安く受けたいと言われれば、それに応えていかなくてはなりません

 どうすればいいのでしょう。

いやまあ、どうすればいいも何もないものですが、日本の常識が世界の非常識であるといってもここまでずれていると問題点を話し合おうと思っても話も通じなくなると言うことでしょうか。
通常の社会ではアクセスの容易性やサービスの質など顧客の得られる利益に応じてその対価も決まってくるものですが、日本の医療においてはいつ、どこで、誰の診療を受けようが同じ内容であり同じ費用をいただくということを国が規定しているわけで、当然ながら自然な反応としての市場原理による調整など働きようがありません。
例えば田舎で医者が来ない、それ以前に患者も少なくて経営が成り立たないから、それじゃ僻地では特別に1点10円の公定価格を15円にさせてもらおうということも出来ないし、逆に競争の激しい都市部でうちはコスト削減につとめて1点9円で提供出来ますということもやってはいけないわけです。
医療をお金の面からだけ考えるのはどうかという意見もありますが、医療の常識は世間の非常識などとさんざん揶揄されてきたことの一端が、世界的に見てもごく当たり前な考え方を試してみることすら出来ない制度面にもあったことは認めなければならないでしょうね。

同じように皆保険制度下で医療を万人に安く提供してきた英国などではアクセスの制限を行い、保険診療でかかる限りは初診は必ず近所のかかりつけ医(GP)を受診しなければならないルールになっていますが、そこから通常のルートで大きな病院に紹介受診しようとすれば数ヶ月待たされるということになってしまいます。
また腎不全に対する人工透析などは年齢の上限が決められている場合もかなり多く、例えば「1977年の調査で、全ヨーロッパの透析センターの約30%が65歳以上の患者を排除するという年齢制限を行い、また「選択的受入」および「受入なし」を行うセンターがそれぞれイギリス57%、33%、スウェーデン68%、18%、西ドイツ24%、0.6%、フランス31%、3%(星川純一)」という現実があります。
また有名なアメリカ以外に各国でドクターフィーが別に加算されるようになっていますけれども、高い医者安い医者といった区別によって患者の受診状況をコントロールするなどということは日本の医療制度では不可能であるからこそ、便秘で大学病院にかかろうなどという発想が当たり前に出てくることになるわけです。

全国どこでも同じ医療を同じ価格でというタテマエが医療を歪めていることの最たる例が昨今何かと話題になることの多い僻地医療というものだと思いますが、スーパーの値札一つ比べて見ても流通コストのかかる割に顧客が少なく多売が効かない田舎の方が都市部よりも割高な値がついているというのは誰でも知っている常識ですよね。
ところが公定価格である医療の場合はそうしたリスクを価格に織り込むことが出来ないわけですから民間の医療機関は僻地進出にはよほど慎重にならざるを得ない、その結果として毎年少なからずの赤字を垂れ流しながら各地の自治体が住民サービスとして公立病院を維持するということになるわけですが、果たしてそんな経済原則も何も無視して存在するような施設で仕事をしたがる人間がどれほどいるのかです。
もちろん地元出身の人間にとってはこうした施設が貴重な雇用先となっている側面もありますけれども、医師を始め高度な専門性を有する医療スタッフほど外部から呼び寄せなければ仕方ないというのに、晴耕雨読で暇をもてあますだけのやり甲斐のない施設にわざわざ行きたがる人間が持つ専門的能力がどれほどのものかと想像してみるべきですよね。
そうしたわけで医療を極めたいという志の高い医者ほど僻地に行くことは嫌がるものですが、ものを知らない若造であれば騙しやすいと思っていたら案外そうでもなかったというのは学生への奨学金制度と同様の状況であるようです。

医師不足 若手派遣の県制度苦戦 都会志向ネックに /兵庫(2011年9月1日神戸新聞)

若手医師を「後期研修医」や「地域医師」として採用し、医師不足が深刻な地域に派遣する制度を設けた兵庫県が、医師の呼び込みに苦戦している。2007年度以降(地域医師は09年度から)、毎年それぞれ10~20人程度を募集してきたが、採用実績は5年間でわずか計16人。都会志向が強い若手医師を引きつける決め手に欠き、制度の見直しを迫られそうだ。(井関 徹)

 兵庫県によると、04年の新臨床研修制度の導入により、都市部の民間病院を研修先に選ぶ若手医師らが増加。医師不足になった大学病院が派遣していた医師を引き揚げる動きが相次ぎ、地方の医師不足の一因となっている。

 県は公立病院を中心とした医師不足を補うため、若手医師の採用制度を導入。卒業後2年間の初期研修を終えた医師を「後期研修医」として県職員に採用し、4年間、中核病院や地域の医療機関などで勤務しながら、医師確保が困難な小児科、産科、麻酔科などの専門医療を学んでもらう制度を07年度に設けた。

 09年度からは、後期研修を終えた若手を「地域医師」として採用。4年のうち2年間、指定の公立病院に勤務してもらう一方で、研究や研修費用を助成している。

 制度創設から5年目を迎えた後期研修医は、毎年度10人程度を募集してきたが、採用は4~1人で推移し、これまで計9人地域医師も定員20人程度に対し、3年間で採用は7人にとどまる。

 現在、県は2012年度の採用医師を募集しているが、依然、厳しい状況は続いており、「呼び込みを図る手法をさらに検討するなど、枠組みを見直さなくてはならないかもしれない」とする。

 県ではこのほか、医学生の学費を貸与するなどして医師を養成し、一定期間へき地勤務をしてもらう制度もあり、今年5月現在、29人が各地の公立病院などで勤務。これら3制度により、09年度から5年間で計150人の医師確保を目指している。

いやまあ、「呼び込みを図る手法をさらに検討する」と言いますけれども、医局華やかりし時代に現役で田舎も経験してきた諸先輩達が自分達でも「ああいう環境ではダメだ」と考え、後輩に向かっても口を揃えて「田舎勤務はやめとけ」とアドバイスして回っている現実をまず直視しろと言うことですよね。
厚労省なども僻地ドサ回りに対するモチベーションを必死に高めようとしているのでしょう、僻地での診療経験を医師としてのキャリアパスにどう組み込んでいくかということを検討しているようですが、そもそも僻地医療のプロになると何かメリットがあるとでも言うのでなければ、いずれ都市部に戻るために田舎暮らしをどうそつなく過ごすかという話で終わってしまいます。
診療報酬面でも近頃ではますます高度医療を優遇しよう、高次救急をしている医療機関は手厚く遇しドクターフィーも入れようと言った傾向が強まっていて、もちろんそれはそれで重要なことなのでしょうけれども、地域で小さな顧客集団を相手に地道に診療に従事するといった仕事はキャリアの面のみならず報酬の面においても負け組であると公式に認定されつつあるということですね。
今後例えば厚労省が言うように一定以上の僻地診療の経験を積めば何かしらの資格認定をしてくれるといった話になったとして、では努力してそうした資格を得ることがどのようなメリットにつながるのかという保証がないことには、いくら医者に資格マニアが多いといってもおいそれとモチベーションアップにはつながらないでしょう。

そもそも日本で医者をやるのであれば誰しも同じルートで取得した同一の医師免許を持ち、皆保険制度のタテマエの上ではどんな国手クラスの名医であろうが有象無象の迷医であろうが区別はされない状況ですから、まともな自尊心を持っている人間であれば同じであるはずの他人と自分の待遇に明らかな差がついていればおもしろくないわけです。
諸外国では資格や制度、料金などによって医師の間には明らかな違いが存在していて、特に一般医と専門医は仕事の内容においても明確に異なるものと認識されているのに、日本においては専門医であっても一般医としての仕事もしなければならないし、逆に本当は高度な専門的技術を持っているのに単なる一般医として仕事をしていたりするのはずいぶんと非効率だと誰でも感じるはずですよね。
医療制度を抜本的に変えていくことが必要なのだとすれば、そろそろいつどこで誰の手になる医療を受けても同じものであるという皆保険制度のタテマエを何とかしなければならない時期に来ているのかなという気がしますし、どこでも同じであるという保証を求めることもやめなければならないはずですが、それこそ「ハシゴを外すような改革政策」と言われてしまうのでしょうか。

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コメント

いなか暮らしなんて医局命令で交換条件の提示があるからかろうじて期間限定なら我慢出来てただけ
それでも優秀な人材が欲しいならそれに見合った適正なリターンを提示するのが筋だろう
公務員待遇にしてやるんだから喜んで来るはずだという発想がすでにおかしいことに気付けよw

投稿: aaa | 2011年9月 5日 (月) 15時14分

「ハシゴを外すような改革政策」などしなくても国家予算の赤字がこれだけ続けばハシゴは自然に消滅するのだと思います。国有鉄道が不採算に耐えかねて民営化されたように結局経済的に引き合わないような制度や組織は自然消滅するでしょう。

投稿: 元外科医 | 2011年9月 7日 (水) 16時58分

少し前の医療崩壊華やかしきころにはネットでも医者が真面目に崩壊を避けるにはどうするべきかと意見を沢山出してましたが、世間からは全く相手にされませんでした
だって世間の常識じゃ文字通りに自分は損だけど国民の為にはこうすべきなんて話、あまりに胡散臭過ぎて眉唾物としか見えませんからね
最近は医者もある程度自分を素直に出せるようになってきて口が悪いんですが、その分世間からの信頼は少し上向いてきたように思います
この調子で現場の本音が伝えられる世の中になっていったら少し風通しも良くなるのかなと

投稿: 管理人nobu | 2011年9月 7日 (水) 23時17分

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