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2011年8月23日 (火)

事故はなるべく避けたいものですが、事故を避けることが目的化するのは違いますよね

先日は他ならぬ日医からまたこういう話が出ていまして、以前から断続的に出ている話の続報ではあるのですけれども、自分などは「大丈夫かな」と思いながら拝見させていただいているところです。

医療事故 再発防止策を提言(2011年8月22日NHKニュース)

診療中に患者が死亡するなどの医療事故が年々増えているなかで、日本医師会は、再発防止に向けた取り組みを進めるため、事故を起こしたすべての医療機関が調査委員会を設置するなどとした提言をまとめました。

医療事故などの情報を集めて分析している「日本医療機能評価機構」によりますと、診療中に患者が死亡したり重い障害が残ったりするなどの医療事故は年々増えていて、おととし1年間で1895件の報告があり、このうち死亡事故は156件に上っています。こうしたなかで、およそ17万人の医師が加入する日本医師会は、再発防止に向けた取り組みを進めるための提言をまとめました。

それによりますと、事故を起こした医療機関は、みずから積極的に調査を行う必要があるとして、地域の医師会などの協力を得ながら調査委員会を設置し、原因究明や再発防止策の検討を行う必要があるとしています。そして、調査委員会で原因が判明しなかった死亡事故については、大学の専門家らで構成する第三者機関で調査を行うとしています。また、調査結果については、患者の家族にも通知すべきだとしています。

日本医師会は、厚生労働省とも連携しながら提言の実行を目指し、医療事故の発生を防ぎたいとしています。

ま、失礼ながら会員諸氏の実際の臨床現場におけるポジションを考えた場合に、他ならぬ日医がこうした取り組みを主導するというのも斜め上方向に逸脱しそうな不安が拭えないのですが、まさか「私達はこんなに熱心に仕事をしています」なんてアピール目的に絵空事を並べるだけに終わるようなことのないようにしていただきたいものです。
しかし日医に限らず現実の世界から遊離した夢想家的な発想による再発防止策では全く意味がないのであって、その大前提として現場における実情を正しく把握し、地に足のついた実効性ある対策を立てなければならないことは言うまでもないはずですが、どうも頭のいい先生方はともすると「お前は無理だった。だがオレなら助けられた」的発想に走りがちということなのでしょうか。
先日は厚労省の研究班からこうした調査結果が出ていましたが、どうもそれはちょっとどうなのよと思わずうなってしまった人も多かったのではないかという気がします。

出産時出血死の妊産婦10人救えた?治療に不備(2011年8月21日読売新聞)

昨年1年間に全国で出産時の大量出血で死亡した妊産婦は16人おり、うち10人は、輸血などの処置が適切だったならば救命できた可能性が高いことが、厚生労働省研究班の調査でわかった。

 研究班は、体内での出血の進行の見落としや、輸血製剤の不備などで、治療が手遅れになったと分析している。

 研究班は、日本産婦人科医会の協力で、全国約1万5000人の産婦人科医からカルテなどの提供を受け、死因や診療内容の妥当性を分析した。

 16人の年齢は26~42歳で、17~1・4リットルの出血があった。このうち、兵庫や東京、埼玉など9都県の10人が、救命できた可能性が高いと判断された。

 年間数千件の出産を扱う大規模な産婦人科病院のケースでは、39歳の母親が子宮破裂で出血。血圧が異常低下して、1時間後に輸血が開始されたが、輸血製剤が不足し、止血のためのガーゼが子宮に過剰に詰め込まれた。各委員からは「輸血体制が不備だった」「ガーゼで傷が悪化したのでは」などと問題点が指摘された

いやしかし子宮破裂で一時間後に輸血を開始したなんて決して遅れた対応のようには見えないのですが、それは輸血の備えが文字通りに万全であれば助かったかも知れませんが、その万全とは毎回お産のたびに17リットルの輸血をキープしとけってか?と思わず突っ込みたくもなります(年間数千件の出産をする産科病院でも、出産時の大量出血の確率1/300を考えるとそうそう輸血の機会はないはずですし)。
多くの医者達が出血の危険が予想される際にはそれなりの出血防止策をとり、場合によっては血液製剤等も確保しておいて事に及んでいるというのにお産に限らず出血による死亡が絶えないという理由の一つに、血液製剤が高価であるのみならず非常に稀少なものであり、なおかつ(製剤の種類にもよりますが)基本的に保存が利かないということがあります。
毎年のように「血液が足りません!ご協力をお願いします!」という呼びかけがあるのは周知の通りですが、特に利用する医療側から見ると昔は使用期限内の製剤は血液センターに返品することが出来、センターからまた緊急の輸血を必要とする別の医療機関に配達するという形で地域内での無駄が可能な限り減らせるようにしていたわけですよね。
ところが近年は返品どころか下手すると発注後のキャンセルすら受け付けてもらえなくなってきた、その結果連日大量の血液を使う一部の大病院はともかくとして、それこそ大野病院のような地域の中小医療機関では万一に備え膨大な赤字を覚悟でまず使われる事のない血液を常時ストックするか、それともリスクを覚悟で常識的な備えに留めるかの究極の二者択一を迫られているわけです。

日赤側の言い分としては製剤の安全性確保だとか血液適正利用の推進だとか色々とあるようですが、要するに賞味期限切れとなる不良在庫を抱え込み大赤字を出すリスクを病院側に押しつけたということですし、その根拠となったとも言えるのが厚労省が医療費削減政策の一環で進めてきた血液製剤使用の適正化政策であることは明らかです。
その厚労省が今回こんなことを言い出したというのはそれこそ「お前が言うな!」ものですし、産科学会のガイドラインでも輸血は幾らくらいは用意しておけと言った目安となる記載が一切ないのもそのあたりに対する政治的配慮かと深読みしたくなりますが(苦笑)、前述の研究班調査を見てもお判りのように一番突っ込まれやすい肝心の領域なのに「いやそこは担当医の判断で」と逃げを売っているとも取れそうです。
こういう話を一般社会に照らし合わせて考えて見れば判りますが、「泥棒による被害を検討した結果、監視カメラを設置し警備員を常時立たせておけば防げた可能性が高い」と言うのと同じで、それが例えば高額な収蔵品を多数納める美術館等であればそうしたコストも許容されるでしょうが、ごく普通の一般家庭においてそこまでのコストをかける意味も実現性もないのは言うまでもありませんよね。
前提条件を無視した現実性のない「こうすれば防げた」論は意味がないどころか時に有害ですらあるわけで、実際のところ客観的にどの程度のリスクがありどこまでが許容されざるリスクであるのか、それに対して社会的にどの程度のコスト投入が許されるのかということを考えなければ、実社会において有益な情報を還元出来るような実りある議論にはならないでしょう。

当の厚労省が数年前に発表したことですが、出産時に大量出血など一時的にでも生命の危機があるような重篤な状態に陥った妊婦は実際の死亡者の70倍以上、出産250件に一人の割合に登っていたと言うことですが、一方で国内の妊産婦死亡はおおよそ100万のお産件数に対して数人程度で、世界的な妊産婦の致死率0.45%から予想される4000~5000人という数とは比較にならない少数に留まっています。
少し古い文学作品などでは主人公の母親はお産絡みで亡くなっているものと相場は決まっていたくらいで、かつては日本においても周産期の妊婦死亡が決して珍しいことではない時代がありましたが、過去数十年に渡る関係者の地道な努力によって実に100分の1にまで激減していると言う事実は、基本的に今までの方向性が間違っていなかったことを証明するものですよね。
しかしどれほど少なくなったとしてもお産にまつわる死亡をゼロにすることは出来ないし、全ての妊婦さんを全科的に対応出来る大病院に入院させあらゆる事態を想定して備えをするということも現実的ではない(そして、それをやっても死亡はゼロにはならない)ことを考えれば、自宅の近くで産みたいだとか医療費や医療リソースは適正に使用すべきだと言った諸事情とどこかで折り合いをつけなければならないはずでしょう。

自動車事故による死者を無くすためには自動車を全て廃止すればいいという発想が現実離れしていることは誰でも判るわけで、一方では社会的に受容される範囲でコストをかけハードウェアとしての安全性を高めながら(実際に死者数はかなり減っていますよね)、他方では何かあった時に補償が出来るように保険加入を義務づけるなどの対応によって、世の中は何とか車との折り合いをつけているわけです。
産科領域においても近年非常に限定的ながら無過失補償制度の運用が始まるなど「折り合いをつける」ための試みが始まっていますが、こうした試みをさらに広範囲に適応させていくためには当然ながら原資が必要であるし、実際問題として際限なくコストを投じることが無理である以上はリスク低減にあまり効果がない割に多大なお金や労力を要する領域はある程度避けがたいものとして甘受することも立派なリスク管理と言えるでしょう。
要するに現実的には避け得ない領域のリスクまでも避けなければならないと重箱の隅を突くことに多大な労力を投じるくらいなら、その分のコストとマンパワーを他の部分に注ぎ込んだ方がよほど国民の幸福につながるんじゃないかと言うことですが、もちろん医療側の感覚における避けがたいリスクと、妊婦さんの側におけるそれとが必ずしも一致しないことには留意しなければなりませんよね。
その意味では先日もご紹介したような出産には適齢期というものがあり、それを逃せばリスクが高くなるという当たり前の常識すら知らない国民が多数派であるといった認識のギャップこそ、真っ先に解消していかなければならない産科領域最大のハイリスク要因であるとも言えそうです。

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コメント

岡目八目と言う言葉があることを彼らは知らないんだろうね
症例検討会のノリで徹底的に粗探しをしてやるのが本人のためにもなるという感覚が抜けないと、大野事件の鑑定書のようなものが出来上がるわけだ

投稿: aaa | 2011年8月23日 (火) 10時42分

出産時の医療事故をゼロにするには、お産を辞めた大野病院の対応が唯一解なわけですが・・・・

投稿: 浪速の勤務医 | 2011年8月23日 (火) 11時59分

訂正 大野病院->大淀町立大淀病院でした。

投稿: 浪速の勤務医 | 2011年8月23日 (火) 12時04分

「糞を垂れる前にサーと言え!」式の教育のための活動と、事故調査や鑑定書といった客観性を要求される活動とを混同している先生が多いということですよ。
もしかしたら長年に渡ってそういうやり方しかやってこなかったものだから、今さら他の流儀では出来ないと言うだけなのかも知れませんがね。

投稿: kan | 2011年8月23日 (火) 12時09分

医者に限らず専門職は概してそんなものなのかも知れませんが、10の労力で100の効果が得られるような当たり前のことよりも、10の労力で1しか効果がないような重箱の隅つつきが好きですよね。
オレは誰も言っていないこんなことまで気がついているんだ、どうだすごいだろうって心境なのかも知れませんが、統計的長期的に見て状況を改善していくのは奇をてらったレアケース向けのアイデアではなく、ごく当たり前で退屈な基本の積み重ねであるということが少なくありません。
本当に再発防止が目的であるというのであれば、事故への寄与度と改善に要する労力、軽費なども全て算出して何にどれだけの努力を傾注するのが再発防止に最善かということを言わないといけないはずなんですが、どうもその方面のプロはあまり表立って関わってなさそうな印象を受けます。

投稿: 管理人nobu | 2011年8月25日 (木) 08時24分

<<「泥棒による被害を検討した結果、監視カメラを設置し警備員を常時立たせておけば防げた可能性が高い」と言うのと同じ

絶妙と思います。ありえないことですが、こんな絶妙の考察ができる新聞記者がいればなあと妄想してしまいます。

投稿: あぽ | 2011年8月25日 (木) 14時39分

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