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2011年7月 8日 (金)

見ざる言わざる聞かざるとはこのことですか?

毎日新聞の林由紀子と言えば、かの大淀病院事件において同僚の青木絵美記者とともに中核的役割を担ったとして有名な記者ですが、さすがに奈良には居づらくなったということなのかその後大阪に転勤になっていたということです。
その林記者がわざわざ高校にまで出向いて授業をしたと言うのですからどんな斜め上の内容であったのかと興味が湧きますけれども、どうも自著の宣伝混じりの内容であったようですね。

記者と学校交流:人権問題テーマに 毎日新聞記者が出前授業--四條畷高校 /大阪(2011年7月1日毎日新聞)

 四條畷市の府立四條畷高校(長廻暢一校長)で30日、毎日新聞大阪本社社会部の林由紀子記者が3年生320人を前に、
人権問題について出前授業をした。
 林記者は、部落差別やいじめをテーマに人権劇を演じるなど、独特の教育を実践してきた京都市立弥栄中学校を取材。人権学習を
通して成長する生徒たちの姿を連載記事にまとめた。
 出前授業では、同和地区や児童養護施設で育った生徒を取材した経験を通して、差別や偏見をなくすには「正しい知識と想像力が
大切」などと話した
 弥栄中の生徒が自らの胸の内を自分の言葉で語る場面を映像で紹介すると、高校生らは真剣な表情で見入っていた。

ま、自著が学校教材にでも採用されて大量購入ありがとうございますということにでもなれば林記者の老後も安泰ということなのでしょうが、実のところこの人権問題なるものと大淀病院事件は密接な関係があるのではないかという話はかねてからささやかれていたところなのですね。
要するに人権問題にかねて繋がりのある林記者が事件が明るみに出る以前からこの問題に関わり、大淀病院事件において主導的役割を担ったというのは必然であったらしいということなんですが、もちろん当の毎日新聞を含めた大手のマスコミにおいてはこうした話題は一切取り上げるところではありません。
さて話はかわって、先日以来世間を賑わせてきた松本前復興担当相を巡る一連の騒動ですが、平素から政治家の失言問題にはあれほど熱心な大手マスコミ諸社の動きが当初からひどく緩慢であったということは広く指摘されているところで、当事者の間でも同様の認識があるらしく各方面から「何をやっているんだ!圧力に屈したか!」との声があがっています。
ちなみに、県庁における松本氏の発言内容に関してはこちらの記事を参照頂きたいと思いますけれども、知事に対する全く根も葉もない因縁つけまがいの言いがかりもさることながら、ここで特に問題になっているのが「最後の言葉はオフレコです、いいですか、みなさん。書いたらその社は終わりですからね。」の部分であることに留意ください。

松本大臣問題:マスコミは大臣のオフレコ圧力に屈したのか?(2011年7月5日BLOGOS)

 宮城県、岩手県での暴言が原因で、松本震災復興担当大臣が辞表を提出した。この問題を発生当日の7月3日(日)にきちんと放送したのはTBS系列の東北放送だけであった。この東北放送のニュース映像がYouTube等にアップロードされ、ツイッターやFaceBookで拡散して、大きな騒ぎになっていった。かくいう私もツイッターやFaceBookで複数の知人から教えてもらって初めてこの事態を知った。

 当日の夜、私が東京でチェックしている全国ネットのテレビニュースでは報道されていなかった。なので私は「宮城県知事と松本大臣の会談を取材していたのは東北放送だけなのだ」と思っていた。

 ところがネットの影響で翌7月4日(月)になり騒ぎが大きくなってくると、テレビ朝日、日本テレビ、NHKがそれぞれ知事と大臣の会談模様を流し始めた各社は取材映像を持っていながら、事態発生から丸一日たってネット等で騒ぎが大きくなってから放送したことになる。ということは松本大臣の「今の最後の言葉はオフレコ。いいですね。皆さん。書いたらその社は終わりだから」という圧力に屈したということではないか。

 「オフレコ」という言葉が安易に使われがちだが、誘拐事件発生時等に行われるものと同様、取材する側とされる側との間で成立する一種の「報道協定」であり、公権力を取材する現場においては気軽に乱発すべき種類のものではない。

しかも「オフレコ」成立には一定のルールがある。まず取材を受ける側が事前に「ここからオフレコでいいか?」と宣言しなくてはならない。そしてマスコミ側がその宣言を了承してはじめてオフレコは成立する。後になってから「あそこはオフレコ」というのは認められないのだ。

 今回の松本大臣の映像を見ると、オフレコを宣言したのは全てが終わった後であり、オフレコはまったく成立していない。にもかかわらず東北放送以外のテレビ局が映像の放送を自粛したとしたら、これは大問題だ。大臣と知事の会談という重要な場面で、大臣が暴言を吐くという大事件に対して、大臣側からの「書いたらその社は終わりだから」という圧力、すなわち言論統制に屈したことになるからだ。

 今回の事態をきちんと放送した東北放送の行動は評価されるべきである。そして本来なら宮城県内のローカルニュースで放送されて終わりだったものが、ネットで拡散され、多くの国民の知るところとなって大騒ぎになり、マスメディアも後追いで映像を流さざるを得なくなり、そして大臣辞任に繋がった。改めてネットの力を見せつけられた事態でもあった。

【日本版コラム】松本前復興相の発言騒動、本当に問題なのはどの部分か/金井啓子のメディア・ウオッチ(2011年7月6日ウォールストリートジャーナル日本版)

 就任後たった9日目で、松本龍復興兼防災担当相が辞任した。震災復興に関する岩手・宮城両県知事との会談で「知恵を出さないやつは助けない」と述べたことなどがきっかけとなった。彼は就任以来、記者会見中にサングラスをかけたり、「自民党も民主党も公明党も嫌いだ」と述べたりしたことでも注目を集めていた。一連の行動を見ていると、復興相就任があまりに不本意だったがために、自ら不祥事を起こし退任につながる雰囲気を作り出そうと意図したのではないかと勘繰りたくなるほどだ。

 ただ、こういった行動が衆目を集めたのは、彼の言葉づかいの悪さや、いわゆる「上から目線」の態度の大きさ、東日本大震災の被災者に対する思いやりのなさなど、言ってみれば見かけや行儀作法に関する部分だ。筆者の個人的な見方としては、実はこうしたことは取るに足らないと感じている。取るに足らないというのが言い過ぎだとすれば、これぐらいなら目くじら立てて騒ぐ必要はないという感想だ。もちろん人柄がいいに越したことはない。だが、企業の経営者であれ、政治家や官僚であれ、顔も会わせたくないほど性格が悪い人間はいくらでもいる。そんな人々を「態度が悪いから」とクビにするだろうか。要するに仕事の成果を出していればいいわけだ。復興相の人柄がいくら下品に見えようが、復興に向けて貢献さえすればいいというのが私の考えだ。もちろん、政治家の中には人柄も仕事ぶりもそろってすばらしい人がいることもわかっている。だが、あえて今回の世間の極端な反応ぶりに異を唱えたい。

 とは言え、今回松本氏を取り上げたのは彼を擁護するためでなく、やはり批判するためである。私が気になったのは、前述した態度や言葉ではなく、宮城県知事とのやりとりを取材していたマスコミ陣に対しての彼の発言だ。知事が先に部屋にいなかったことに腹を立てた後、「今の言葉はオフレコだ。書いたらその社は終わりだ」と言い放ったのだという。

 筆者自身も元記者なので、オフレコ取材というものが存在することは知っているし、経験もした。オフレコ取材は通常、取材する側とされる側の相互信頼があった上で、約束によって取り決められる。つまり双方が合意した場合でなければ成立しない。また、ある言葉の発言者を守るよりも、その言葉を報道することのほうが社会的使命が重いと記者が判断すれば、そこでオフレコの取り決めは破っても仕方ないものだとも考えている。つまり、国民の知る権利というのは、それほど重いものなのだ。

 さて、今回のケースだが、公開の場で会っていた大臣と知事を取材していたわけだから、そもそもオフレコの合意は存在していない。にもかかわらず、自分にとって都合の悪い場面になったからいきなりオフレコを命じるというのは、勘違いも甚だしいと言わざるを得ない。

 ただし、このような出来事は最近よく耳にする。つい最近も、資源エネルギー庁長官が官房長官を批判した「オフレコ発言」を東京新聞・中日新聞の論説副主幹である長谷川幸洋氏がコラムに書いたことで、東京新聞の経済産業省の記者クラブ詰め記者に対して、事務次官などの幹部との懇談への「出入り禁止処分」が行われた。「オフレコ」という魔法の呪文を口にすればマスコミがおとなしく従うと思う人が多いのか、この言葉をやたらと連発する人たちが増えている

 こういった勘違いはもちろん困る。ただ、こうした勘違いを許してしまっているのは、メディア側にも問題がある。つまりメディアの甘い態度がきっかけとなって「ちょっと脅せば、どうせ唯々諾々と従うだろう」とナメられてしまっているのだ。信頼関係を築くことと、癒着関係に陥ることは、距離の近さは似ていても、全く違う現象である。

 今回の松本氏の「オフレコ発言」が発せられた時、当初は地元のテレビ局だけが報じ、それがじわじわと広がったようだ。つまり、他のメディアはこの一方的なオフレコ宣言に従ってしまったということらしい。こんな態度が、発言者の勘違いを育んできたことにそろそろ気づかなければならない。ただし、当の地元テレビ局の「勇気ある」行為を英雄視する声があると聞くが、本来これが当たり前なのであって、あまり特別扱いすることには違和感を持ってしまう。

 世間では、とにかく松本氏の態度の悪さの方にばかり大きな注目が集まってしまった。だが、今回の騒動で本当に大切なのはそこではないということに、より多くの人たちに注目して欲しい。濫発されるオフレコ宣言に、なんの検証もなく言いなりになるマスコミばかりでは、多くの人々が、知るべき重要事項を知ることができなくなってしまうからである。

大臣の「これはオフレコ」に反論せず 「記者たちはなめられている」(2011年7月6日J-CASTニュース)

  松本龍・前復興相の「オフレコ」恫喝に多くのマスコミは当初は屈していたのか。オフレコ強要発言をいち早く報じた地元の東北放送や宮城県庁記者クラブ関係者にきいてみた。

   「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん。いいですか? はい。書いたらもうその社は終わりだから」。松本復興相(当時)が2011年7月3日、宮城県庁での村井嘉浩知事との会談中、取材中の記者らにこう注文をつけた。

記者から「異論」出ず

   松本氏の発言に対し、その場で異論を唱える記者はいなかった。記者らは「オフレコ」を受け入れてしまったのか。

   宮城県庁関係者に話をきくと、当日取材にきていたのは、大臣の「番記者」ではなく、ほとんどが地元の記者クラブ関係者だった。

   「オフレコ恫喝」場面を含んだ映像をいち早く3日午後に報じた東北放送(TBS系)に聞いてみた。すると、「今回の件はオフレコ(が成立している)とは認識していない」との答えが返ってきた。当日の状況については「報道したことが全てなのでコメントは控えさせて頂きます」との回答だった。

   宮城県庁の記者クラブ員のある男性記者にきくと、松本氏の「オフレコ」発言については、受け入れるかどうかなどクラブ内では議論もされず、「相手にしてない」状態だったという。冗談だと受け止めた記者もいたようだ。

   東北放送以外の社は、「オフレコ」を受け入れてしまったのではないか、との見方が出ていることについては心外に感じている

   確かに、松本氏が「オフレコ」だと指定した「今の最後の言葉」とは、村井知事に対し、松本氏が「お客さんが来るときは自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と話した部分だ。その発言部分を報じている社は複数あり、オフレコに乗ったわけではない、というわけだ。

新聞協会「取材源の秘匿などと同次元」

   とはいえ、大臣が「オフレコです」と発言したこと自体を問題視した記事にしなかったことへの疑問の声は挙がっている。

   元産経新聞記者の福島香織さんは7月4日、ツイッター(@kaokaokaokao)で松本氏オフレコ発言について「私なら、囲みネタにぴったり、とか思うけど」とつぶやいた。

   そもそもオフレコとは、どういう仕組みでどんな意味があるのか。日本新聞協会編集委員会は、1996年2月に見解をまとめている。

   見解では、「取材源側と記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさない」などの条件で行われる取材だ。「取材源の秘匿」などと同次元のもので、「その約束には破られてはならない道義的責任がある」と重々しくその意義に触れている。

   一方で、「これは乱用されてはならず」「安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」とも注意を促している。

   見解に従えば、松本氏のような「発言後の一方的通告」ではオフレコは成立しないことになる。

背景にはメディアの甘い姿勢

   とはいえ、松本氏のオフレコ発言が浮き彫りにした問題点は、「松本氏の資質」だけなのだろうか。

   元ロイター通信記者で近畿大准教授の金井啓子さんは、メディア側の問題点を指摘する。「オフレコだ」と言えばマスコミがおとなしく従うとばかりに、オフレコを連発する人たちが増えているからだ。背景にはメディアの甘い姿勢があり、「ナメられている」。つまり、松本氏の例は、氷山の一角というわけだ。

   金井准教授は、信頼関係構築の観点からオフレコ取材の一定の必要性は認めている。しかし、取材源側の「いいなり」でいいはずはない。

   今回の騒動については、「態度の悪い政治家がいた」という側面が注目されているが、むしろこんなに簡単にオフレコ発言が政治家から出てきたこと、さらにそのオフレコ発言を当初は一部のメディアしか報じなかったことの危機的状況に対して注目すべきだと指摘している。

当のメディアの側からは「いや、前大臣の勝手なオフレコ宣言なんて最初からスルーしてますが何か?」という釈明も出ているようですが、BLOGOSの記事にもあるようにマスコミ各社の動きも含めた一連の経過がすっかり明らかになってしまっているわけですから、これは非常に苦しい言い訳にしか聞こえませんよね。
ただ彼らはあくまで「大臣の圧力に負けた」と言っていますけれども、マスコミ各社が現在進行形で一生懸命菅内閣を巡って辞めろ、いや辞めなくて良いと大騒ぎをしている、それも根本にあるのは震災後の対応がなっていないという批判である中で、当の復興担当相が任命早々に被災地へ出かけて行ってこれだけの言いたい放題をした上でオフレコだと宣言して報道封じ込めまで図った、普通に考えればこれはとてつもなく美味しいネタですよね。
ましてや同じ民主党の梶川ゆきこ氏などは「大臣をわざと怒らせて、それをハイエナのようにパパラッチが喰らいつく。復興利権がかかっているから、大騒ぎになるよう仕込んだんでしょ。松本大臣は、はめられただけ」などと、知事側にもメディアにもケンカを売る気満々で逆ギレしているくらいですから、平素のマスコミであれば大喜びで食いついて「また大臣が暴言!菅総理の責任問題必至か?!」などと大見出しで書き立てるはずの局面です。
特に未だに総理の擁護に熱心だと言われている毎日あたりならばともかく、内閣の失点を虎視眈々とスクープしようと狙っている他社までが追随して報道自主規制に走るというのはおかしな話で、単純に現職閣僚が言論圧力をかけたからというだけに留まらない背後関係があるのではないか?と誰でも思うところですが、それに対して一言で切って捨てた共産党の小池晃氏株がこのところ急上昇中と言います。

共産党・小池前参院議員「松本大臣発言は部落解放同盟の地金」(2011年7月5日J-CASTニュース)

   辞任を表明した松本龍復興担当相の発言をめぐり、共産党の小池晃・前参院議員は2011年7月4日、ツイッターで松本氏の出自について言及しながら批判を展開した。

   小池氏は、松本氏の発言を

    「内容も口調も人間として最低。大臣はもちろん国会議員の資格なし」

と批判した上で、

    「『書いたら終わりだぞ』というマスコミ恫喝は、部落解放同盟の地金が出たものでしょう

と続けた。松本氏が部落解放同盟の副委員長を務めていることを引き合いに出したものだ。

   さらに小池氏は、

    「いわれのない差別がまかり通ってきた旧同和地区でも長年の住民の努力で同和問題は基本的に解消。不公正で乱脈な同和対策を続けること自体が新たな偏見を生みます。部落解放同盟による無法な利権あさりを許さず同和行政の完全終結を!。『解同』に対する批判を『差別』だというのは完全なスジ違いです」

と、解放同盟への批判を展開した。解放同盟と共産党は、1960年代後半から対立関係にある。

かねて解同とは徹底した対立路線にある共産党からのコメントだけに「地金が出た」云々はさすがに人格攻撃と取られても仕方がないところですけれども、何しろ松本氏と言えば解同の指導者とされる他にその筋に名を知られた超大物であるだけに、一大臣のオフレコ宣言などというレベルとは比較にならない強力なプレッシャーがマスコミ各社にかかっただろうことは想像に難くありませんよね。
声の大きい人達に対してはとにかくだんまりを決め込んだ方が良いだろうというマスコミの事なかれ主義が思わぬところで露呈した実例で、奈良の善良な産科医をバッシングするにはあそこまで熱意にあふれていた彼らのここまで腰の引けた手のひら返しぶりもいつものお約束なんですが、こういうものが彼らの言うところの「正しい知識」なのだとすれば、世間の常識とはいささか乖離が過ぎるんじゃないでしょうか。

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コメント

それなりに賢い学校だと「マスゴミによる」人権侵害を具体例を挙げて指摘する生徒がいそうなものですが、この学校ではどうだったのでしょうか。興味があります。

投稿: 放置医 | 2011年7月 8日 (金) 16時46分

その昔は教師による人権侵害を例を挙げて指摘した結果生徒指導を逃れたという強者がいましたなあ…
い、いや、あくまでそういう話もあったという伝聞ですけれどもね、ええ…

投稿: 管理人nobu | 2011年7月 8日 (金) 17時26分

あまり関係ないんですがちょっと笑いました。

松本前復興相発言を解放同盟が批判
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/255585
 書記長によると、松本氏の「B型で短絡的」発言は、B型肝炎問題に取り組む人たちからも「そんなことを言われると街頭活動ができなくなる」と抗議を受けたという。

投稿: ぽん太 | 2011年7月28日 (木) 08時27分

いつも有益なる情報、深い分析には心より感謝申し上げます。
産科医療業界を揺るがした「大淀病院事件」から早いもので5年以上経ちますが、その初報は毎日新聞奈良支局(当時)の青木絵美記者と林由紀子記者が手掛けたものでした。
 先日、何気なく毎日新聞社HP新卒採用に目を移しますと20名程の社員紹介の中で、林由紀子記者が顔写真入りで登場していました。ご自身のこれまでの歩み、思い出深い事績、一日の流れがまとめられていました。
 モットーとして「人の心に寄り沿う記事を」として、一見すると大いに結構なことに見受けられます。しかし、時として涙する者にとっては非情で避けうることができなかった現実、限界というものがあろうかと思います。医学的にいかに奮闘しても避けられなかった悲劇に直面した「被害者」に寄りそう記事を書いた後に残されたのは奈良県産科医療の荒廃がより一層加速した現実でした。
 青木・林両記者のみに責任があるという積りはありませんが、医学・医療の限界・現実を率直に受け止め理解した上での報道ではなしにひたすら「人の心に寄り添う記事」を印篭の如く社会に突き付けられたらまたしても大淀病院事件とその後の医療崩壊の再来を招きかねないと危惧した次第です。
 今後ともマスコミ批評、特に医療報道に関する深い分析力、洞察力に基づいた解説を期待しております。

投稿: 農夫 | 2014年2月28日 (金) 10時28分

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