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2011年6月 3日 (金)

救命救急士事件続報 そして医師の能力別給与制導入を求める声について

昨日取り上げました救命救急士が休日に遭遇した事故現場で勝手に点滴をしていたという事件に関連して、少しばかり事情が詳しい記事が出ていましたので紹介しておきます。

救急救命士が休日に救命処置 「停職6か月は厳し過ぎる」の声(2011年6月1日J-CASTニュース)

   救急救命士(54)が勤務外で救命処置をしたとして停職6か月の処分を受けたことが、「厳し過ぎる」と批判が相次いでいる。注射針などの備品を勝手に持ち出した問題はあるものの、関係者は、緊急時に救命士を生かせない制度上の欠陥が背景にあると指摘している。

   救命処置をしたのは、茨城県石岡市消防本部のこの救急救命士男性が休みの日だった。

「重症になるのではないかと考えた」

   静岡県内の東名高速下り線で2011年4月14日昼ごろ自家用車を運転していたところ、トラック運転手の男性が追突事故を起こしたのを目撃した。消防本部によると、救急救命士は、男性が「胸が痛い」と訴えるのを聞き、ハンドルで強く打っているとすれば重症になるのではないかと考えた

   そこで、震災後にもしものときに災害現場で必要と考えて無断で持ち出していた消防本部の備品をトランクから取り出し、この男性に救命処置をした。この備品は、体液に近い液体を注射針で点滴できる医薬品の「輸液セット」で、血管縮小を防いで病院で薬剤を注入しやすくするためのものだった。男性は大事には至らなかった

   とはいえ、この処置は、静脈路確保と呼ばれ、救急救命士といえども、救急車の中で医師の指示を受けて心肺機能停止の人にしかできない。この問題を審議していた石岡市の懲罰委員会では、消防司令という管理職の立場であることも考え、救急救命士を5月31日付で停職6か月の懲戒処分にした。救命士はすでに依願退職したという。

   処分は、地方公務員法違反(信用失墜行為)としてだったが、医師法などいくつかの法に抵触する可能性があるという。

   このことが6月1日になって報じられると、ネット上では、処分への疑問が相次いだ。2ちゃんねるを見ると、「備品持ち出しは良くない」「助けたければ医師の資格を取ればいい」との指摘もあるが、「人を助けて失職ってやってられねぇな」「これは厳しすぎる処分だろ」「人命より法律優先」といった声が渦巻いている。

関係者は、制度上の欠陥を指摘

   厳し過ぎるとの声について、石岡市消防本部では、「法を守るのが公務員ですし、管理職ということも考えれば、それなりの処罰が必要と考えています」(広報担当者)と言う。困っている人を助けたいなら、止血などの応急処置に留めるべきだったとしている。

   とはいえ、医師や看護師なら、勤務時間外でも医療行為をすることができる。救急救命士は、救急車の中で医療行為をと生まれたものなのに、なぜ勤務時間外はそれができないのか。命の危険がある人を前に、なぜ免許を生かしてはいけないのか。

   そこには、そもそも制度上の問題があるようなのだ。帝京平成大学講師でもある日本救急救命士協会の鈴木哲司会長は、こう指摘する。

    「アメリカなどでは、救急救命士は救急車以外でも医療行為ができます。しかし、日本では、勤務時間外には免許を生かすことはできない。なぜならば、法律により救急車内でしか業を行ってはならないという場所制限があります

   鈴木さんは、今回の救急救命士の男性について、「注射針などの消防機関の備品を外部に持ち出したのはよくない。また、意識のある傷病者への静脈路確保は、救急救命士法違反である」と言う。そのうえで、「現行法では心肺機能停止傷病にしか行えない環境にあるが、意識のある傷病者への静脈路が確保しやすいのは確かである」としている。

免許があっても消防機関に属さないと、それが役に立たない問題もある。救急救命士の免許保持者は、4万1000人余いるが、消防署員ではない残りの1万人余が資格を生かせていないという。日本における、救急救命士の業務は消防機関による官業独占であり、市場開放が進んでいないからだ。

   鈴木さんは、「民間における救急救命士の活用するシステムが存在しないがために、今回の大震災のときにも、こうした貴重な人材が活用できませんでした。そんな歪んだ救急救命士制度を正すためには、規制・制度緩和を図り構造改革を推進し新しい枠組みをつくるべきです。救急救命士制度は、もはや制度疲労を起こしています」と話している。

しかし色々なソースの情報を総合し、ネット上などの声なども見た上で改めてこうして当事者の考えというものを聞いてみると、やはりこれは少しばかり違うんじゃないかと考えざるを得ませんね。
例えば同じ救急隊の装備を無断で持ち出すにしても、これが気管内挿管の道具一式を持っていたとか、あるいはエピネフリン皮下注液であったとか、さらには(高いからまずあり得ないでしょうけれども)AEDであったりというのであれば、それは確かに救急車の到着も待てないという局面はあるわけですから例えルール違反でも理解出来るものはあると思うのですよ。
ところが法を犯してでも人の命を救うためには何でもやらなければならぬとまでの覚悟を決め、いざというときに何が必要かを考えに考え抜いた結果、この救命救急士が選んだのはリンゲル液と思われる輸液と点滴セットを常備することだったのですから、それはラスボスの根城に乗り込むのに装備するのは樫の棒と粗末な服というくらいなもので、確かに何も無いよりはマシかも知れないけれども…と言うしかないですよね。
それも熱き情熱燃えたぎる新米ならともかくこの方は救命救急士としては大ベテランで、言ってみればこれ以上はないというほど知識も経験も高まっているはずの人材が考え抜いてもこのレベルの判断になったということが、何よりも救命救急士の権限拡大に関しては逆風となってしまうんじゃないかという気がします。

もちろん、緊急時の善意に基づく行為はむやみやたらに責められるべきではないという善きサマリア人法の 視点から考えても、また現場で体を張る救命救急士の士気という観点から考えても、むやみやたらに教条的な扱いはどうかということですが、ルールを無視してでも好き勝手をやる大前提として、きちんと事態に対処出来る知識や能力がないことには話にならないでしょう。
もちろん状況によっては早い時間帯の方が血管確保しやすいのは確かですが、失礼ながらほとんど経験がないだろう素人同然の救命救急士が一生懸命処置に時間をかけるよりはさっさと病院に運び込んだ方が話が早いという場合がほとんどで、仮にこうした行為によって搬入が少しでも遅れるといったことがあるならそちらの方が問題になりそうですよね。
そして無事にルートを確保したところで、そこに用いる緊急用薬剤なりが使用できないのであれば多くの場合劇的な効果など期待出来ないわけで、要するに法を破ってでもとにかく何かをやらなければ直ちに命に関わるという局面で、それが単にリンゲルでルートを取ることであるという確率は極めて低いと言えるわけです(そして、その極めてレアなケースでも例えば止血等の行為の方が多くの場合合法的かつ有益かも知れません)。
そう考えると救命救急士として最上位のレベルでもこの程度の医学的知識と判断力しか持っていないという事実があるというのに、その点を改善しないまま処置の権限だけを与えるということは、下手をすると失礼ながら何とかに刃物にもなりかねないということでしょう。

ところがマスコミの考えはずいぶんと違っているようで、救急医療の専門医などではなく救命救急士協会会長にコメントを求めているというのもずいぶんと的外れに感じますが、このあたりからも客観的分析よりも政治的な目的を優先しての記事なのかなという印象を強く受けるところで、その背景として「救命救急士の権限はもっと拡大すべき」という結論が見えていることは言うまでもありません。
無論何かをやらなければならない局面でルールに縛られてやらない人材よりは、思い切ってルールを突き破れるくらいの行動力を持った人間を求めるのは大衆心理として当然ですけれども、少なくとも行為の結果事態が良くなる確率の方が相応に高くなる程度のスキルは持っていなければまずいわけで、人を助けるために役立つ行為という大前提が崩れてしまっては単なるルール無視の暴走にしか過ぎませんよね。
権限拡大云々と言った話に関わりなく仮にも平素から人の命に関わっているわけですから、早急に教育システムを改善するなりしてもっともっとレベルアップは図っていかなければならないでしょうし、例えばこうした場面でも医師に直接相談した上で行動に移せるようなシステムでも用意しておかなければ、今のままの能力で独断専行されたのでは正直怖いという気がしてなりません。

救命救急士問題はまた改めて取り上げることもあるでしょうからとりあえず一段落して、ここからは本日のテーマとも関連して、最近週刊ポストが医者絡みでなかなか愉快な連載記事を載せていることを紹介しておきましょう。
肥満患者の問題なども単なる手間だけのことで済めばいいのですが、明らかに医学的に見ても余計な問題が起こりやすいわけですから、こういうのはリスク要因として考えても勘弁して貰いたいというのは本音でしょう。

【参考】肥満患者への手術 医師は「脂肪加算料金がほしい」とグチる(2011年5月25日NEWSポストセブン)

【参考】手術室の録音テープ入手 患者を挟んで執刀医が助手に怒声(2011年5月25日NEWSポストセブン)

【参考】手術中 もたつく助手に医師キレてメスを投げ、キックする(2011年5月26日NEWSポストセブン)

【参考】医師 手術中に「クソババア、何歳まで生き延びるつもりだ!」(2011年5月27日NEWSポストセブン)

昨今では若手もずいぶんと人扱いされるようになってきて、業界名物の「アホ馬鹿死ね」連呼もすっかり見られなくなってきたという声もあるようですけれども、それでもついつい手ならぬ脚が出てしまうなんて局面もありがちではあるでしょう。
しかしズタボロの血管を必死で再建していれば「何歳まで(略」とも言いたくもなるのでしょうが、世間的には「何たる暴言だ!許し難い!」という感覚で取り上げられるのは仕方ないにしても、ジョークや暴言を吐いているより「うわ、もうダメ!この患者ステるかも!どうしよどうしよ!」なんて執刀医が半泣きになってる方がよほど嫌だなと個人的には思うのですがいかがなものでしょうね?
まあそうした余談はそれとして、医者の技量が人それぞれというのは今さら言うまでもないことですが、日本全国どこの医療機関、どんな医者にかかっても同じ内容の医療を受けられるというタテマエになっていることが今の国民皆保険制度の大きな歪みの原因であるという声は根強くあります。
先日も「いやそれはおかしい!医者一人一人の能力をきちんと評価するべきだ!」と言ってしまった先生がいるということなんですが、なぜ誰しもそう感じながら話が一向に進まないのかということがこの記事だけでも読み取れてしまいそうですよね。

スキル高い医師「ドクターフィー」で評価を-脳神経外科学会の小川常務理事(2011年5月27日CBニュース)

日本脳神経外科学会の小川彰常務理事(岩手医科大学長)は5月25日、キャリアブレインのドクターアカデミー(DA)の収録で、スキルの高い医師を評価するため、「ドクターフィー」を導入して報酬に反映させるべきだとの認識を示した。

小川氏は、日本専門医制度評価・認定機構の池田康夫理事長との対談で、現在の仕組みについて、「努力して新しい知識を身に付けて技術を磨いている医師と、10年前、20年前の知識と技術で治療している医師のフィー(報酬)が同じになる」などと問題視。医師による研さんを促すためにも、技術や知識の習熟度を報酬に反映する必要があると指摘した。
また、こうした考えについて「国民の思っているところと大きく違うことはない」とも述べた。
対談は、7月上旬ごろに配信する予定だ。

ま、日医あたりからは大反対されそうな見解ではありますけれども(苦笑)、総論としてドクターフィー導入に賛成する現場臨床医は少なからずいると思うのですが、実際の導入に当たって何をどうやって評価するかが一番の問題であり、それが決まらないからこそ一向に話が進まないんじゃないかという気がしています。
例えば専門医などは能力を担保する指標にはなり得ないとは良く言われていて、実際に外科とか内視鏡のような手技的能力はそういう側面が少なからずあるのでしょうが、一方でそうした資格を取得し維持する労力を払うという努力に対してそれなりに報いるということはあっていいんじゃないかという気はしますよね。
他方で内科系などは大概ペーパーテストで評価できるかのような錯覚がありますが、いわゆる客あしらいの能力など臨床の現場で一番重要なスキルは全く評価できないわけで、しかも記事の文言からすると小川先生がそうした昔ながらの知識や技術は評価するに値せずと言い切っている(ように見える)ことに突っ込みたくなる人も少なからずかと思います。
知識の更新という一点だけで医師の価値を評価するのが妥当なのかどうか、それなら診療もせず学会や講演会ばかり行っている医者が一番偉いのか、一般外科医などがごく定型的な手術の習熟度をひたすら極め続けることは無価値なのか、内視鏡医が苦痛の少ない挿入技術をひたすら磨き上げることは意味がないのかと突っ込みは幾らでも予想できますし、もちろん小川先生にしてもそんな突っ込みは本意ではないところでしょうね。

要するにこの問題、ただ医師であるということに安住して自己研鑽の努力を怠っている者と、日々努力している者とが同じ評価でよいのかという点が出発点なのでしょうし、もちろん素朴な感情として頑張った人にそれなりの見返りをという話にはなるのですけれども、努力を評価すべきなのか結果を評価すべきなのかでも意見が分かれるのだろうし、そもそも能力もあり仕事にも熱心で周囲の目から見ても「もっと報いてやりたい」という臨床医とはどういう存在なのかという点でも意見が分かれるところなのでしょう。
医者の世界に限らず世の中ほとんどの評価基準は努力の結果何を達成したかによって為されていて、努力の過程そのものはほとんど評価の対象にはなっていませんが(専門医などは研修期間などといった形で、最低限これだけの努力は必要であるという前提条件は示されますが)、漫然と学会所属年数だけで経過措置により専門医資格を取得した先生がいったいどれだけ努力したのかと考えると、なしえたことで評価されるのなら今現在バリバリ働いている若手の先生方はずいぶん損をしそうに思えます。
医者にしても一人一人持って生まれた能力も異なるわけで、ちょちょいと学会誌を斜め読みする程度で遊び暮らしていても最新知見に基づく治療法を自由自在に使いこなす医者もいれば、日々夜を徹して努力していても相変わらず診断も治療も残念な医者もいるわけですが、気持ちの上では例えスキルが低くても頑張っている先生に報いたいという反面、患者からすれば純粋に能力の高い前者の先生にかかりたいのも本音ですよね。
「努力をしている」ということに力点を置いて評価したいのか、それとも「新しい知識を身に付けている」というところを評価したいのかで全く話は変わってくるでしょうし、ほとんどの医者は専門外の領域に関しては昔の知識をベースにやっているわけですから、全医学領域での知識を評価するのか、それとも狭い専門領域だけを評価するのかといったspecialistとgeneralistの間でも損得勘定は難しいでしょう。

そんなこんなで揉めることが判りきっているからこそ総論賛成でも一向に話が進まなかったのがこのドクターフィー問題でもあったわけですが、それならいっそ実際臨床の場における状況を解消するために役に立つか立たないかという判断基準もありなのかなと言う気がしますし、当面導入に当たっても一番異論が少なそうなのが顧客を何人さばいたかという出来高による加算なんじゃないかと思います。
もちろん内科系と外科系といった診療科による違い、患者の重傷度による手間のかかり方の違いなどはきっちり補正しなければなりませんが、多忙を極める臨床現場で少しでも多く働いた方がより沢山の見返りを得るというのは常識的ですし、それによって医師のモチベーションが上がるということであれば広く社会一般にとっても悪くない話ですよね。
レベルの低い医者が適当な診療をして数ばかり稼ぐんじゃないかという懸念もあるかも知れませんが、患者からすればレベルが低い上に混んでいる医者にわざわざ余計な加算を払ってまでかかりたいとも思わないでしょうし、リピーター理論が正しいのであれば彼らは数をこなすほど地雷を踏むリスクが増して自然に排除されることになるでしょう。
数を指標にすると症例を厳選して難症例をじっくり扱いたいという先生方にとっては不利じゃないかと言う声もあるでしょうが、これは疾患の特殊性や紹介率による加算等である程度カバーできるでしょうし、例えば専門医に関しては入院/外来患者比に応じて加算するというシステムにすれば国の進める基幹病院の入院診療特化にも役立つかも知れません。

評価基準としてはもう一つ、正診率であるとか治癒率などといった指標も顧客であれば誰しも気になるところでしょうが、これまた高いスキルを持つ医者ほど難しい患者を扱う機会が増え成績が悪化しがちだとか、初診と再診で当然診断上の有利不利があるなど、なかなか公平な評価基準として採用するには難しいところがあります。
主観的評価としては医者同士で肩を並べて働いていれば何となくあの先生は腕が良い、あの先生は今ひとつという感覚はあるもので、実際にボーナス査定において職員相互の評価を組み込むような施設もありますけれども、全国一律の指標とするには無理があるとしても診療報酬は施設単位で出ているわけですから、報酬の一部を院内ルールで割り振るといった運用は今でも可能ではあるのでしょうね。
そこまで主観的な評価を入れるというのであれば顧客満足度という指標の導入も検討されるところでしょうが、医療が人気投票になってしまうという反発は予想されるものの、究極的には病状が悪化しようが患者様が亡くなろうが顧客にご満足いただければ勝ちなのがいずれ必ず亡くなる人の命を扱う医療と言うものなのですから、医療従事者の意識変化を促すという意味では大いに意味があるかも知れません。
いずれにしても実際に導入するにあたっては議論百出して容易にはまとまらないことは目に見えていますが、制度改訂の議論に参加するような日医幹部や大病院管理職といった大ベテランの先生方にとっては間違っても損にはならない評価指標が出ることだけは確実なんでしょうね(苦笑)。
しかしこうした問題も実のところ他業界の労使問題と全く同様に、根本に横たわっているのは「アメリカ人は機会の均等を求め、日本人は結果の均等を求める」などと言われる民族性の問題に関わってくることなのかも知れません。

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コメント

 私は、各医師が自分の指名料を設定するのがよいと思っています。
 どこかの心臓外科医なら一人手術すれば一ヶ月生活できるような指名料を提示するでしょうし、俺は薄利多売でいく と思えばゼロ円にすればよいです。
 それこそノブ先生が並べたパラメータを全て反映した 個々の医師の「能力」に応じた額に収束するのではないかと思います。

投稿: JSJ | 2011年6月 3日 (金) 08時39分

いったい誰のことかと最初思ったという…お願いですから先生はやめてください先生は(笑
ご指摘のような指名料制度も非常によいのですが、自由診療との絡みで関係ない方面からの猛反発を招く危険性が高そうだなと危惧しています。
ただ個人が決めるというのではなく時間外加算のように、病院側がこの先生は幾ら増しと決めるというやり方はいずれ導入されるかも知れませんね。

この話、確かに国民にしろ能力の高い医師には追加料金があってもいいと思っているかも知れませんが、国民が追加料金を認める医師と同僚からみて「もっと給料出してやれよ」と思う医師とがイコールなのかどうかという疑問があります。
どうせやるなら「先生は週三回午前中だけ仕事すればいいから楽ですね」なんて言ってしまう人達の物差しで決められるよりは、やはり当事者同士ですんなり納得できるような形での決着をつけてもらいたいと思うのですね。

投稿: 管理人nobu | 2011年6月 3日 (金) 10時20分

はて?看護師って時間外にも医療行為ができましたっけ?
そもそも、医師の指示・監督のもとでしかできないんじゃなかったっけ?
まぁ、救急救命処置は素人でもやっていいんですけどね。人工呼吸とか、AEDの使用とかは。

アメリカなどでは、救急救命士は救急車以外でも医療行為ができます。って、アメリカの救急救命士は普段から道具を持ってるんでしょうかね?市販されてるのかな?w

何かやりたいのなら、まずは誤嚥しないように体位を取って、脈をチェックして、人工呼吸なり心臓マッサージなりをやり、
救急車が到着するのを待って、その装備を使ってやればいいんですよ。
職場の備品を持ち出して何をやりたいんですかね。言い訳のしようが無いと思いますよ。
だから、

>例えば同じ救急隊の装備を無断で持ち出すにしても、これが気管内挿管の道具一式を持っていたとか、あるいはエピネフリン皮下注液であったとか、さらには(高いからまずあり得ないでしょうけれども)AEDであったりというのであれば、それは確かに救急車の到着も待てないという局面はあるわけですから例えルール違反でも理解出来るものはあると思うのですよ。

この考えは非常に危険だと思います。
馬鹿を煽るようなことは止めていただきたいものです。
本日のテーマと関係なくてすみません。

投稿: 通りすがり | 2011年6月 3日 (金) 23時15分

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