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2011年5月30日 (月)

日本の医療はまだまだ望ましからぬ状況なのだそうです

12歳から渡米してアメリカで教育を受け、今回医学部学生として日本での実習を選択した大内啓氏が、日米の医療現場の差を日経メディカルに寄稿していますけれども、彼の地での医療を学んできた同氏からすると日本の医療はかなり奇異なものに映ったようです。
外来診療などにおいても患者数の多さなど様々な驚きがあったようですが、何より同氏を驚かせたのは入院医療の違いのようで、「いったいそれは入院適応があるのか?」とは日本人医師においても時に感じないではない素朴な疑問であるかも知れませんね。

大内啓「いのちに“格差”があるアメリカ医療」 米国の医学生として帰国し、母国の医療に驚き(2011年4月21日日経メディカル)より抜粋

 まず私が驚いたのは、日本の病院における軽症入院患者の多さです。たくさんの患者が病院の中をパジャマ姿で歩き、コンビニに行ったりテレビを観たりと動き回っています。基本的に私の大学病院または現在勤務する病院では、1人で歩いている患者にはなかなか出会いません

 アメリカで廊下を歩いている患者は、理学療法士に付き添ってもらってリハビリに励んでいる人、自分のケアに対して不満を持ち医師に抗議するため部屋から出て来た人、薬物・アルコール依存症や精神疾患で目が離せず、看護師の眼が届くところまで出されている人くらいです。

 アメリカでは、病気で弱っている患者については、安全のために「見張り係」の看護助手が付けられます。こうした患者の1人歩きを許して事故になると、訴訟に発展する可能性が高いからです。歩けるほど健康で検査の合間に暇を持て余している患者は、1日中病院を走り回っていても、ほとんど目にすることがありません

 あまり重篤な状態ではなく、「入院する必要が本当にあるのか?」と思える患者はアメリカにもいます。ところが日本では、そういった患者がとても多いと感じました。若くして肺炎で入院している人もいれば(アメリカでは、よほどのことでない限り外来治療です)、手術の数日前から検査のために入院している人もいます。入院に対する概念が、日本とアメリカの医療では根本的に違うという印象を持ちました。

 例えば、アメリカの医療者はとにかく入院日数を減らそうとします。その理由は、(1)不必要な入院をさせると入院費が病院負担となる(保険会社や公的保険が「不必要な入院」と判断した場合、または病気に応じてある程度規制されている入院日数を超えた場合)、(2)入院日数が長いほど悪いこと(院内感染や事故)が起こる確率が高い、(3)軽症患者の入院は病院の限られたリソースの無駄遣いになる――といったことでしょう。

 日本の病院数やベッド数は対医師数比や対人口比でアメリカよりも多いということですから、その分、両国で提供できる医療のスタンダードは大きく違うでしょう。それでも、「お正月だから家に帰るというくらい軽症なら入院しなくてよいのでは?」というのが、アメリカで医療を学んだ者の率直な感想です。日本の診療報酬システムはベッドを埋める方が効率的であるように設計されているのでしょうか? アメリカとはあまりに異なる状況に、本当にびっくりしました。

日本においても昨今では入院日数短縮が厳しく言われるようになりましたが、未だに「何か判らないから入院させといたから後よろしく」なんて下の先生に丸投げしたがる老部長先生にも事欠きませんし、そもそも平均入院日数調節のために入院適応も怪しい短期入院などというものを行うというのも本末転倒かも知れませんね。
記事中にもあるように日本ではとにかくベッドをどれだけ埋めるかが診療報酬を決めるようになっていて、ベッドを空けておくくらいならとにかく埋めろとは言われるところですが、その結果余計なベッドまで抱え込んで更にベッド埋めに奔走しなければならないのでは本末転倒ですよね。
日本の病床数が諸外国に比べて極めて多いということは以前から言われていますが、この理由の一端に諸外国では介護の範疇で行っている部分まで病院が社会的入院という形で行っていることも指摘されていて、近年では医療と介護を分離する一方で社会的入院を担ってきた療養病床を削減していこうという動きが見られることは周知の通りです。
要するに医療と介護をしっかり分けていこうということなんですが、後述するように日本特有の事情もあって、必ずしもこのあたりの切り分けがうまく行えない状況になっているというのも日本の医療が自縄自縛に陥っていることの一側面とは言えそうです。
そんな中で先日はこんな記事が出ていましたけれども、ひと頃はこうした話は先送りするかと思われていた民主党政権においてもずいぶんと大胆なアイデアが出てきたものだなと思いますね。

病院ベッド140万床に抑制 厚労省案、入院日数3分の1削減 社会保障・税の一体改革 医療費抑制へ2025年メド(2011年5月29日日本経済新聞)

 厚生労働省が「社会保障と税の一体改革」に盛り込む病院改革の具体案が明らかになった。機能別に病床を再編するとともに、現在の130万床から2025年に170万床以上に増えるとみられるベッド数を140万床弱におさえる。また平均入院日数を一般的な病床で3分の1程度削減し、医療費を抑制する計画だ。

 日本は欧米などに比べて人口に対する病院ベッド数が多く、入院日数も長い。これが医療費が膨らむ一因になっている。
 厚労省は現状で107万床の一般病床を、25年に高度な医療を担う病床約25万床、一般の病床50万床、リハビリ用の病床40万床に分け、それぞれに特化した人材や設備を配置する。主に長期入院用の療養病床は現状の23万床に抑える。

 病床を機能別に分けることで、患者のたらい回しなどを防ぐほか、平均入院日数を最大3分の1ほど減らす考え。一般的な救急病床では約13日の平均入院日数を約9日にすることを目指す。病院にいるだけで医療行為が提供されない状態をなくし、集中的に治療をして早期退院を促す。これによって医療費は数兆円単位で抑制されると同省は計算している。

 ただ、医師の数を増やすことによる人件費や、リハビリ設備の充実など機能強化の改革にかかる費用は抑制効果を上回る見込み。機能別再編は病院との調整が難しく実現してこなかった経緯もあり、具体的な成果には不透明な面も残る。

基本的には病床削減自体は規定の方針というものですから、後はいつからどれだけをという部分だけが残っていたわけですが、正直記事から見ていますと全国的な病院再編など「そううまくいくものかな」という気がしないでもない話です。
入院日数の短縮とは実のところベッド数削減とは表裏の関係にあって、急性期の施設は現状でもベッドを回すためにも一日でも入院日数を短くという方向で動いているからまだしも、慢性期病床再編が長く言われながら遅々として進まないというのは社会的背景も伴ったそれなりの理由もあるわけですね。
そもそも日本において医療が介護の一端まで担ってきたのは、食事が食べられなければ経管栄養だ、痰が絡むから気管切開だと言った調子でとにかく一日でも長く生かそうとする医療が当たり前であったために、介護スタッフでは手に負えないレベルの患者が大勢出来上がってしまったという事情もあるわけで、医療従事者と国民とが「自分で食べられなくなれば一切の処置はしない」という北欧方式でも受け入れなければ根本的解消は難しい問題でしょう。
諸外国のように人工呼吸器をつなぎ透析機を回しと濃厚医療をしようとすれば「先生やめてくれ!俺たちが首を吊らなければならなくなる!」と家族からストッ プがかかる状況と違い、日本ではとりあえず「なんでもやれることは全てやってください」と言えば安い定額制で濃厚医療が受けられる、その結果命だけは助かってもひどく手のかかる患者が日々生み出され、国の望む安上がりな医療はどんどん遠ざかっているわけです。
背景には「出来るだけのことをして看取りたい」という国民感情であるとか、御老人の年金が貴重な現金収入になっている家庭事情であるとか様々な要因があるのでしょうが、病院に押し込めておくのが一番手がかからず安上がりで長生きするという事情があるわけですから、家族からすれば敢えて家に引き取るなどという面倒な道を選択しようというモチベーションも生まれるはずがありません。

近年政府は病院の患者を施設に、施設の患者を家庭にと少しでも国にとって安上がりな医療を目指していますけれども、御老人が一人家庭に入れば少なくとも一人の労働年齢の家族がつきっきりでいなければならず、国にとっては安上がりでも家庭にとってはそれだけ収入が大きく減るわけです。
現在はそうした部分もお金になる労働として産業化を試みているわけですが、全業界でも有数という介護業界の低い待遇や厳しい労働環境がいくらかは改善の兆しがあるとは言え、他業界に比べて圧倒的に高い心理的忌避感が解消されるほど業界イメージが一朝一夕に良くなるかと考えれば、今後も高い求人倍率は解消することはなさそうですよね。
そして引取先がなければ施設はいつまでたっても入所に数年待ちという状況は改善されず、引取先のない方々が相変わらず病院のベッドを埋め大きなマンパワーを消費し続けるとなれば、果たしてそううまく話が進むものだろうかと誰でも考えることでしょう。

とは言え、過去にも医療と言うものが診療報酬などの外因によって誘導されてきた経緯を考えると、今回もこうした行政側の規制によって現場はそれなりの対応策を打ち出して環境に適応していくのではないかとは想像されます。
DPC導入によって急性期の医療はずいぶんと様変わりしましたが、慢性期においては未だに昔ながらのよく判らない医療を続けている施設も多々あり(と言うより、もはやマンパワー的にもそうした医療しか提供できないというのが現実なのでしょうが)、そうした施設が政策的に赤字になるように誘導されるとすれば、これを機会に廃院するか施設への転換を図るというケースは増えそうですよね。
もちろん診療現場においてもひと頃話題になったように「元通りになっていないのに病院から出て行けと追い出された!」なんて話がさらに増えていくことになるでしょうし、少しでも入院日数を減らすためには米国並みに毎日外来に治療に通うなんてケースも今以上に出てくるでしょうが、それが必ずしも悪いことばかりであるとも限らず、時代に適合した新しい医療のスタイルが生まれてくるかも知れません。

例えばEBMこそ正義といった風潮が医学教育においても滲透するようになると、なんでもかんでも点滴したがるのは藪医者の象徴のように言われるようになり、おかげで外来を追い出された点滴中毒の人達を狙って点滴バーなんてものが生まれたのは記憶に新しいところですが、医学的根拠だの医の倫理だのと難しいことを抜きにして考えれば、多忙な診療に負われる医者にとってああいうのも一つの助けだとは言えるわけです。
今どきの職場環境では「絶対入院なんて出来ない!」という人は多いもので、そうした人向けに夜間早朝の外来治療に特化した診療所なんてものも需要はあるでしょうし、発熱の御老人は病院に預けて終わりなんてことが許されないご時世となれば、病院併設型の施設において短期入所と外来通院をセットにした医療サービスなんてことも考えられるかも知れませんね。
新しい時代に対応して国からも多すぎると公式認定された日本の病院が生き残っていけるかどうかは、結局どこまで頭を柔軟にして時代にあったサービスを提供できるかということと表裏一体であるのでしょうが、どこまでも国の都合で主導されつつある新時代の医療が誰にとって好ましいものとなっていくのかを国民は注視していかなければならないでしょう。

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