« 閉鎖的な医療業界にとって異業種との連携は基本的に良いことだと思いますが | トップページ | 今日のぐり:「ステーキハウス 楽園」 »

2011年5月28日 (土)

地震と原発で揺れているのは日本だけではないようです

政府はもちろん東電も全く預かり知らないところで実は原発の注水が継続されていたなんてびっくり話が出てきて、いや証拠も何もなくいきなりそんな話をされてもねという感想は誰しも抱くところでしょうし、それは諸悪の根源宣告を受けながら罪自体が雲散霧消してしまった形の斑目氏ならずとも「いったい何だったのか。何がどうなっているのか教えて欲しい」と言いたくもなるというものですよね。
ま、この件関してはこれからも当分紛糾するものと思いますけれども、はるか遠いイタリアにおいても地震と原発という二つの問題で大揺れになっているようで、まずはこちら原発絡みの記事から紹介してみましょう。

伊、原発議論凍結の政令承認 国民投票の中止狙う?(2011年5月26日47ニュース)

 【ローマ共同】イタリア下院で25日、同国での原発再開議論を無期限凍結することなどを定めた政令案が賛成多数で承認された。野党は、6月12、13日に予定される原発再開の是非を問う国民投票を中止に追い込む政府の策略だとして同政令に反対していた。

 ベルルスコーニ政権は、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を受けて1987年の国民投票で廃止が決まった原発の再開を推進。反対する野党の求めで憲法裁がことし1月、国民投票実施を認める判断をした。

 しかし福島第1原発事故に伴う反対世論の高まりを受け、政権は国民投票での否決を恐れて政令制定に動いた。「議論凍結により国民投票には意味がなくなった」として中止に持ち込む作戦とみられている。

 政令が官報に掲載された後、最高裁が国民投票実施の可否を判断することになっており、行方が注目されている。

 国民投票では水道事業の民営化や、首相に裁判出廷義務を免除する特権を与える法律の是非も問われる。これらについては予定通り実施される見込み。

イタリアの原発凍結法案、可決 首相保身の思惑も(2011年5月25日朝日新聞)

 閉鎖中の原子力発電所の再開の是非を問う国民投票を来月中旬に予定するイタリアで、原発再開を無期限に凍結する法案が24日、下院で可決された。すでに上院は通過しており、政府はこの法案を理由に国民投票の中止を狙うが、ベルルスコーニ首相の保身の思惑が強い

 イタリアは1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故後、原発6基を順次廃炉にし、現在はゼロ

 法案は「安全性に関する科学的知見を得るため、政府は原発新設の手続きを進めないと決めた」との一文があり、事実上、無期限の再開凍結と解釈されている。政府は「法律で原発凍結を決めたので国民投票は意味がない」との論理で中止させたい考えだ。

 ベルルスコーニ首相が中止にこだわるのは別の理由がある。同じ日の国民投票で、首相の裁判不出廷特権法の是非も問われるからだ。少女買春裁判を抱える首相は、東日本大震災を機に、投票率50%以上となって国民投票が成立することを強く警戒。特権法はすでに憲法裁から違憲判決が出ているものの、国民から改めてノーを突きつけられれば、政治的な打撃は大きいと恐れている。

 とはいえ、投票を中止できるのは最高裁だけだ。可決後数日で判断が出るとみられるが、「法案はあくまで『凍結』であり、国民投票が問う『原発をやめるかどうか』ではない」(ローマ大法学部のアザリッティ教授)との見方もあり、この法案では国民投票を中止できない可能性もある。

 元々、首相は「誰も投票に行かないので(国民投票は)どうせ成立しない、と高をくくっていた」(地元ジャーナリスト)。国民投票を設定した6月中旬は、夏のバカンス前の雰囲気で、国民の政治への関心が低いためだ。だが、福島第一原発事故が発生し、今月17日にサルデーニャ州地方選と同時に行われた原発新設の是非を問う住民投票では、約97%が「反対」を投じるなど、「反原発」機運が盛り上がっている。(ジュネーブ=前川浩之)

いやしかし、国民投票と言えば直接的な民意を示すことの出来るという意味で民主主義国家にとって最後の砦とも言えるようなシステムだとも言えますけれども、それをこうやって潰しにかかるというのは問題の如何を問わず感心できる話とも思えません。
ベルルスコーニ首相と言えばつい先日もなかなかに若々しい?ゴシップネタを提供していただいたばかりの国際的有名人ですが、なんとこの斜め上な批判封じもそうした一連のスキャンダルが回り回っての話だというのですから困った爺さん(失礼)だと思ってしまいますね。
ヨーロッパでは原発推進、原発否定のいずれにとっても今回の福島原発事故は大きな影響を与えないではいられなかったようですが、国民的関心も高い原発問題を絡めてしまうことでうっかり投票が成立してしまうと困るにしても、これはさすがに露骨過ぎるというものではないでしょうか。
主に女性問題でのゴシップが絶えない同首相が高支持率を維持しているのはイタリア人の国民性に加えて、同首相がメディア王としてマスコミを牛耳っているという背景事情もあるそうですけれども、一向に回復する様子のない低支持率を誇る極東某国の首相にとってはこれは様々な意味でうらやましい話なのでしょうか。

これだけでも十分やっかいな話題ですけれども、考えようによってはこれ以上に重大な問題というものが相次いで報道されているというのは、いったいイタリアという国はどうなっているのかと考えないではいられません。
先年起こった地震で大きな犠牲を出したイタリアで、地震予報というもののあり方が問われる裁判が始まりそうです。

地震予知誤った学者ら起訴 イタリア、発生6日前に安全宣言(2011年5月26日中日新聞)

 【ドービル(フランス北部)=清水俊郎】2009年4月に309人が死亡したイタリア中部地震で、最も被害が大きかったラクイラの地裁の予審判事は25日、この地震を予知できなかった地球物理学者や防災庁幹部ら政府の災害対策委員会のメンバー7人を過失致死傷の疑いで起訴した。

 地震予知をめぐり、専門家が刑事責任を問われるのは世界でも異例。数カ月間にわたり弱い地震が続いていたのにもかかわらず、災害対策委が大地震の6日前に「安全宣言」を出したことが、被害を大きくしたとしている。初公判は9月20日。

 ANSA通信などによると、災害対策委は09年3月31日に会合を開き「ラクイラ周辺の群発地震は大地震の予兆とは言えず、住民は避難の必要がない」という内容の報告書を発表。ところが、同年4月6日にマグニチュード6.3の地震が発生した。

 被告側の弁護士は「地震を完全に予知することはできない」と裁判で争う構えをみせている。

伊 地震予知巡り異例の裁判へ(2011年5月26日NHKニュース)

イタリア中部で、おととし300人余りが犠牲になった地震を巡って、イタリアの裁判所は、リスクを評価する国の委員会が適切に警戒を呼びかけなかったとして、委員会の専門家7人を過失致死の罪で起訴し、地震予知の可能性を巡る異例の裁判が行われることになりました。

イタリア中部のラクイラでは、おととし、小規模な地震が数か月にわたって続いたあと、4月にマグニチュード6.3の地震が起き、300人が余りが犠牲になりました。これについて、イタリアの地方裁判所の予審判事は、25日、予兆があったのに、リスクを評価する国の委員会が強い揺れへの警戒を適切に呼びかけなかったとして、委員会の専門家7人を過失致死の罪で起訴しました。裁判は、ことし9月から始まるということで、地震予知の可能性と、その責任を巡る異例の裁判が行われることになりました。これについて、被告側の弁護士は、「地震を予知できないことは皆が知っている。しかも委員会は『リスクがない』とは言っていない」と述べ、全面的に争う姿勢を示しました。

政府防災委員、地震予測できず起訴…過失致死罪(2011年5月26日読売新聞)

【ローマ=末続哲也】300人以上が死亡した2009年4月のイタリア中部ラクイラの震災で、ラクイラ地裁の予審判事は25日、イタリア政府防災委員会に所属する地震研究者ら専門家7人を過失致死罪で起訴した。

 前兆とみられる微震が相次いだのに、住民への適切な情報提供を怠ったとしている。初公判は9月の予定。自然災害を予測できなかったことが罪に問われる異例の裁判となる。

 イタリア国内メディアの報道によると、地元では同年1月半ばから震災までに約200回の微震が観測され、大地震の前兆との見方が広がっていた。しかし、自然災害の危険性に関する判断を任されていた専門家7人は、震災1週間前に「大地震が起きる可能性は低い」との見解を表明。住民には自宅にとどまるよう呼びかけ、これが死傷者の増大につながったとされる。

思わずあのAAを思い出してしまいましたけれども、この話はおよそ地震に限らず非常に応用が効くんじゃないかという気がしますよね。
例えばよく健診で問題ないと言われたのに後になって癌が見つかった!どうしてくれる!なんてトラブルになることがありますけれども、胃癌で亡くなった逸見さんにしても毎年きちんと健診を受けていたにも関わらず発見時には進行癌ですでに腹膜播種を来していたと言いますし、こればかりは専門家にしても現時点はともかく将来に対して保証書など付けられないというしかない話です。
それでもこうしたトラブルは通常こじれるとしても民事訴訟に限られるわけですけれども、今回の場合刑事訴訟ということで、正直こういう裁判が起こされるということになるとこれは仕事がやりにくくなるなと感じる人は多いのではないでしょうか。

先日は原発の注水に絡んで「臨界が起こる可能性がある」云々の斑目発言が注目されましたけれども、あれも発言に関わる諸問題は別としても「可能性がゼロではないというのは事実上ゼロという意味だ」という同氏の釈明に関しては、確かに限りなくゼロだと感じていても正確を期そうと思えばそういう表現になるわなと言うしかないですよね。
イタリアの地震専門家が今回具体的にどういう表現を用いたのかは記事からは明らかではありませんけれども、「可能性は低い」と言っても予想を裏切って起こってしまうということは一定の確率であることで、それが許されないことであるということになれば専門家はいつでも言質を取られないよう、起こるかも知れないけど起こらないかも知れないというどっちつかずなコメントを出すしかないですよね。
もちろん起こってしまったことに関しては正しく起こる確率が高そうだと言って欲しかったというのは人情というものですが、こうした到底完全を期しがたいような現象に関して精度を批判されるまでならともかく、間違ってしまえば処罰されるということになれば誰も口を開きたがらなくなり、結局は専門家の助力を得られなくなった分一般人にとってもデメリットの方が多くなってしまいます。

じたばたしようもないところのある自然災害の予知以上に医療などで問題になると思うのは、白黒をつけようと精度を上げるために努力するほど手間暇はともかく、天井知らずにコストとマンパワーがかかるということです。
風邪かなと思って病院にかかった、あなたは一見風邪のように思えるが実は重大な病気が隠れているのかも知れないと言われれば誰だってそれでは調べてくれと思うでしょうが、レントゲンを撮ろうが血液を検査しようが診断が確定しない病気はいくらでもあるわけで、それではより確実な診断のために気管支鏡をしましょう、骨髄穿刺をしましょうでは結局どこまでやればいいのかという話ですよね。
風邪っぽい患者が来るたびにそんなことをやっていたのでは病院の業務は破綻するわ、医療費はとんでもなく膨大な額になるわでいずれにしても医療自体が立ちゆかなくなりますけれども、無制限にゼロリスクを求めるばかりではなくどこかで常識的な一線を引いて一定のリスクも甘受しないことには、削減できるリスクをはるかに上回る実際上のリスクが発生してしまうということです。
今回は日本ばかりでなく世界的にこうした妙な傾向が出てきているのかなと感じさせるニュースなんですが、「雨が降らないと言っていたのに雨が降った!おかげでおニューの服が台無しじゃないか!」なんて理由でお天気お姉さんが訴えられるような世界は誰だって住みにくそうで嫌だと思いますよね。

|

« 閉鎖的な医療業界にとって異業種との連携は基本的に良いことだと思いますが | トップページ | 今日のぐり:「ステーキハウス 楽園」 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/51781779

この記事へのトラックバック一覧です: 地震と原発で揺れているのは日本だけではないようです:

« 閉鎖的な医療業界にとって異業種との連携は基本的に良いことだと思いますが | トップページ | 今日のぐり:「ステーキハウス 楽園」 »