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2011年5月10日 (火)

救急隊搬送拒否事件について

ちょいと風邪をひいてしまったようで、すっかり調子を崩していますがご容赦ください。
それはさておき、東日本震災の現場では多数の要搬送患者が集中して大変だったということですが、そんな中でひと頃話題になったのがこんなニュースです。

屋内退避区域の患者搬送拒否 群馬など3県の消防援助隊(2011年3月23日47ニュース)

 東日本大震災で、事故が起きた福島第1原発の半径20~30キロ圏内の屋内退避区域にいた入院患者について、総務省消防庁から搬送2 件するよう要請を受けた現地の群馬、岐阜、静岡の計3県の緊急消防援助隊が「隊員の安全に不安が残る」として断っていたことが23日、分かった。

 総務省消防庁は「安全面に問題はないことは伝えた。しかし要請に法的強制力はなく、現場での判断にコメントはできない」としている。

 各地の消防当局によると、消防庁から16日、福島県の屋内退避区域での患者搬送2 件依頼を受けた。しかし「詳しい状況が分からない上、特別な装備もなく出動に不安が残る」などとして断った。

 福島県によると、入院患者はその後、警察と自衛隊のバスが搬送した。群馬の援助隊は8隊24人、岐阜は6隊18人、静岡は11隊33人が被災地入りしていた。

 半径30キロ圏内にいた入院患者や福祉施設入所者らの搬送は、ほぼ終了している。屋内退避区域の生活について政府は、マスクを着用し、肌の露出を減らすことなどを呼び掛けている。

現段階においても安全性に問題があるのかないのか未だにはっきりしないところもありますけれども、この当時の状況であれば全く情報が公開されていなかったわけですから、安全性に問題はないと言われても根拠の一つも示されなければ信用するわけにもいかなかったのは理解できます。
こうしたニュースが流れると当然のように全国各地から当該の消防救急隊に抗議の電話が鳴りっぱなしという状況だったようで、当初は沈黙を守っていた救急隊の側でも最近になって少しずつ状況を語り始めたということなんですね。

群馬県緊急消防援助隊 「搬送拒否」の真相 「自分守れなければ他人救えない」(2011年5月7日産経ニュース)

 東日本大震災直後に福島県に派遣された群馬県の緊急消防援助隊が政府の要請にもかかわらず、福島第1原発付近の入院患者の搬送を断った。搬送拒否が報道されると、県隊本部がある前橋市消防局に県民から非難の声が相次いだ。なぜ群馬県隊は拒否したのか。当時、福島県内で県隊を指揮した同市消防局、戸丸典昭消防司令長が重い口を開き、苦しい胸の内を明かした。

 「消防庁が群馬県隊に対し、福島第1原発の半径20~30キロ圏内にいる入院患者の搬送を求めている。対応が可能か」

 3月16日夕方。原発から北に約40キロ離れた福島県相馬市内で救助活動を進めていた戸丸司令長に、県隊本部から連絡が入った。群馬県隊は震災直後の3月11日夜には相馬市に入り、同月16日の時点で160人が集結していた。

 消防庁の要請に戸丸司令長は困惑した。同庁からの指示は当初、行方不明者の救助や遺体収容の支援要請で、原発対応の活動については具体的な言及がなかったからだ。このため、防護服などの放射線対策の装備を群馬県隊は持ち合わせていなかった

 水蒸気爆発が起こった原発付近の患者の搬送も急務だが、隊員の安全確保も譲れない。消防庁に難題を突き付けられた戸丸司令長は部下に意見を求めた。

 「『マスクをして肌の露出を避ければ搬送は可能』と政府が判断している。要請を受け入れるべきだ」

 「防護服や、危険を知らせる放射線計もない。装備がないまま現場に行くのは、裸で火事現場に向かうようなものだ

 賛否が入り乱れた。3月14日には福島第1原発方向から白煙が上がっているのを隊員らが目撃していた。現場は、「パニックになっていた」(戸丸司令長)という。

 ジレンマの中で戸丸司令長が出した結論は「要請拒否」だった。17日朝、戸丸司令長は県隊本部に決断を説明。消防庁からの要請をきっぱりと断った。

 「自分の命を守ることができない活動をしてはいけない。そんな救助活動では他人を救うことはできない」

 結局、戸丸司令長の持論が今回の決断で生かされた。「今回は一過性の震災現場とは違って、放射能が相手。何が起こるか分からない現場だからこそ、入念な準備が必要だった」と言い切る。

 3月24日、前橋市消防局に消防庁から改めて第1原発30キロ圏内にいる要介護者の搬送要請があった。この時、群馬県隊は防護服などの装備を整えたうえで、現地での活動に奔走。結局、戸丸司令長は3月11日の震災発生以降、福島県に計21日間滞在。14人の被災者救助に携わった。

 「救助を拒否したことで県民から批判があったが、自分の判断は間違っていない」

 準備万端の装備で、戸丸司令長は今後も被災地に向かう。(西村利也)

ちなみに何が安全かを判断すべき原子力安全・保安員の皆様は、この時点でさっさと50kmも後方に逃げ出していたというのですから、さすがにこれで「俺は逃げるけど安全だから、お前らキリキリ働いてや」では誰も信用しないというものでしょう。
「装備がないまま現場に行くのは、裸で火事現場に向かうようなもの」という言葉がまさに状況を言い当てているように思いますが、例えば一酸化炭素中毒の現場で何も考えずに閉所に飛び込んで二重遭難するようでは、結局さらに余計な救助の手間を増やし事態を悪化させるだけですよね。
日常的な災害現場ではそうした当たり前の専門家の判断が是とされているわけで、実際に今回も当初は全く放射線汚染地域での活動を想定しなかったからこそ断ったものの、その後は準備を整えてきっちりと救助活動に奔走しているわけですから、これはプロフェッショナルとして当然の判断であったのではないかと思います。

ただ今回の一連の事件で当たり前の判断が出来たというのも、一つには消防救急という組織は常に組織として事に当たるということで、今回の場合もあくまで組織としてそうすべきだという判断をし、対応をしているということでしょうね。
例えば医療の世界では一応組織的な系統図は存在するものの、現実的には上は院長から下は下っ端医師までそれぞれが独立して判断し医療を行っているわけで、組織としての判断を行うという局面がほとんどありません。
今回の震災においてもキャパシティーを超えて生き残った医療機関に患者が集中するということが普通に見られましたが、例えば直接に後方他施設へ搬送した方がまだしも救命の可能性があると思われるような厳しい症例を受け入れるべきかどうかといった難しい判断が、多忙な現場医師個人の裁量一つにかかっていただろうことは想像出来るわけですね。
ひと頃「たらい回し」だとさんざんに叩かれたいわゆる救急搬送問題などもそうですが、何かトラブルがあっても消防救急が常に組織として問題に対処しているのに対して、医療機関側はともすると現場医師の判断一つに過度に依存している現状には、普段からしばしば危うさを感じています。

一昔前は何でも俺に任せろ!的なアクティブな先生がどこの施設にも一人や二人はいて、とにかくなんでもつれてこい!俺が診てやる!という時代もあったやに聞きますが、そうした先生方は多かれ少なかれ燃え尽きてドロップアウトしたか、あるいは医療訴訟などによって強制的に現場から追われていった後に現状があるとも言えるわけです。
以前にも「救急搬送をトリアージするなら消防救急レベルで」ということを主張してきましたが、一昔前の医者が裁量権を侵害されることを嫌って何でも医者がその都度判断するのが当たり前というシステムを作り上げてきた、その結果JBM時代の今の医者が組織という防波堤もないまま最前線に立たされる状況が続いているというのは、いざという時にかなり危なっかしいことのように思えてなりません。
その昔とある先生が「俺の患者が他人に勝手に触られるのは嫌だ」と断固として複数担当医を拒否していましたが、全国的にも交替勤務制の導入など相変わらず進んでいる気配がないことなども見るにつけ、医者ももう少しうまく組織化できるようになればずいぶんと仕事も楽になるのかなという気がしています。

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