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2011年5月 3日 (火)

放射線基準問題 結論もさることながら経緯が大いに問題では

すでに報道などでご存知の通り、総理が任命したはずの内閣官房参与が「やってられない」とばかりに参与を辞するという事件が発生し、その上当の菅総理らを厳しく批判しているというので、これは一体何が起こっているのかと世間の話題になっています。

小佐古参与が抗議の辞意 子供の被曝基準「容認できぬ」(2011年4月29日朝日新聞)

 内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判した。

 小佐古氏は会見に先立って首相官邸を訪ね、今月30日付の辞表を提出した。

 会見では特に、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判。「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた。「通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。

 また、緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測が4月下旬までに2回しか公表されなかったことも批判。「今のやり方は、東京で数字をぼっと決めてやっている」と指摘し、政権の対応について「私がやってきたことからは外れているので、これ以上とどまっている理由はあまりない」と語った。

 小佐古氏は放射線安全学などが専門で、東日本大震災発生後の3月16日、原発事故の助言を政権に求められて参与に就任した。菅直人首相は小佐古氏ら計6人の原子力専門家らを次々に内閣官房参与に任命した。

政権内部の混乱露呈=参与辞任、広がる波紋(2011年4月30日時事ドットコム)

 小佐古敏荘内閣官房参与が福島第1原発事故への政府の対応を批判して辞任したことは、菅直人首相にとって大きな痛手となった。首相が自ら任命したアドバイザーを十分に活用できず、政権内部の混乱も露呈した。野党からは、首相の「指導力の欠如」に批判が上がった。
 「決して場当たり的な対応はしていない」。首相は30日の衆院予算委員会で、小佐古氏が29日に辞任を表明した際、政府の対応を「場当たり的」と断じたことについてただされると、こう反論した。
 東日本大震災後、菅政権は対策本部や会議などを次々に設置、役割や性格が似通った組織が乱立状態となっている。首相も、東京電力や経済産業省原子力安全・保安院などへの不信感から、小佐古氏を含め原子力、放射線などの専門家6人を内閣官房参与に任命した。
 もともと、首相には「会議を開くばかりで、原発事故への対応は後手に回っている」との批判が絶えなかった。一時期とはいえ首相と身近に接した小佐古氏が「官邸はその場限りの対応を行い、事態収束を遅らせているように見える」と抗議の辞任に及んだことは、首相への厳しい見方が間違っていないことを裏付けた形だ。
 原発事故で収束の兆しが見えず、先行きへの不安が払拭(ふっしょく)されない中での小佐古氏の辞任。民主党の中堅議員は30日、「専門分野の権威だけに、政権に与える影響は小さくない」と語った。
 一方、自民党の谷垣禎一総裁は同日の記者会見で「(小佐古氏の辞任は)首相の指導力の問題点を大きく浮き彫りにした」と指摘。公明党の井上義久幹事長も「政府の対応に大きな問題のあったことの象徴だ」と追随した。

首相「原発対応、場当たり的でない」 辞任参与に反論(2011年4月30日朝日新聞)

 菅直人首相は30日午前の衆院予算委員会で、放射線安全学が専門の小佐古敏荘(こさこ・としそう)東大大学院教授が菅政権の原発事故対応を批判して内閣官房参与を辞任したことについて「専門家の間の見解の相違から辞任された。大変残念だが、決して場当たり的な対応ではない」と答弁した。

 小佐古氏は原発事故への助言を求められ3月16日に参与に就任したが、4月29日に菅政権の対応を「法律や指針を軽視し、その場限りだ」として辞意を表明。特に小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した放射線の年間被曝(ひばく)量20ミリシーベルトという基準を「とんでもなく高い数値。年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」と厳しく批判した。

 首相は「政府は参与の意見も踏まえた議論の結果に基づく助言で対応している」と、小佐古氏の批判はあたらないと反論した。

 高木義明文部科学相は年間被曝量20ミリシーベルトの基準について「国際放射線防護委員会の勧告を踏まえた。この方針で心配ない」と述べた。高木氏は「放射線による疾病よりも、被曝ということ自体のストレスが大きな問題だという評価もある。過度の心配をするのはよくない」とも述べた。

 枝野幸男官房長官は30日の記者会見で、小佐古氏の辞表を同日受理したとしたうえで、「(小佐古氏は)明らかに誤解している。20ミリシーベルトまでの被曝を許容する基準では全くなく、20ミリを大幅に下回る見通しのもとで示している」と説明。「辞任の意向と聞き、今日の予算委終了後に総理が会うと伝えたが、突然辞表を持ってきた。慰留する状況ではなかった」とも明らかにした。

 海江田万里経済産業相は衆院予算委で、原発事故に伴う東京電力の賠償までの期間が長引いた場合、政府が一時的に立て替えて被害者に支払うことを検討する考えを明らかにした。「(賠償まで)あまり長引くようなら考えないといけない」と語った。

 衆院予算委員会は30日午前、震災の復旧対策を盛り込んだ第1次補正予算案を、全会一致で可決した。30日午後に衆院本会議で可決される見込み。

小佐古氏による政府批判に関してはちょうど同氏の辞任会見時の資料「内閣官房参与の辞任にあたって」がNHKから公開されていまして、そちらを参照していただければと思いますけれども、基準自体の妥当性もさることながら、その決定プロセスにおいても相当な不満があったのかと思わせる内容になっています。
多くの人々が感じているだろう問題として、大人に関して年間20mSv程度の被爆であればともかく、放射線発がんのリスクも高いと言われる子供についてはもう少し配慮が必要なのではないか?という点があると思いますし、実際に校庭のような埃まみれになる環境では内部被曝の問題も無視出来ないわけですから、日弁連なども特に声明を出すほどの危機感を抱いているわけです。
こうした場合の小児の被爆許容量については「なるべく少ないにこしたことはない」という常識的な判断以外にあまりはっきりした基準も定まっていなかったようで、2007年の国際放射線防護委員会(ICRP)最新勧告においても特に小児被爆に言及しているのは「(4)放射性核種による治療を受けた患者の介護者及び介助者の防護」の項目の中の「(351)子供及び幼児は1mSv/年」くらいのようです。
もちろん医療被曝の基準を今回そのまま準用するのは無理がありますが、例えば同じ4月30日付けの記事でこういう二つを並べてみますと、「結局20mSvは妥当なのか妥当でないのか、どっちやねん!」と「場当たり的」と言いたくもなる気持ちは十分理解出来ます。

校庭利用基準、変更せず=年間20ミリシーベルト-細野補佐官(2011年4月30日時事ドットコム)

 細野豪志首相補佐官は29日夜、TBSの番組に出演し、辞任表明した小佐古敏荘内閣官房参与が甘すぎると批判した学校の校庭利用制限に関する放射線量の基準について「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している。政府の最終判断だ」と述べ、変更しない方針を示した
 同時に「通っているお子さんや親御さんの気持ちがあるから、(被ばく量を)できるだけ下げる努力を当然すべきだ」と強調した。

校庭利用基準を見直し=首相、原発対応「場当たり」批判に反論(2011年4月30日時事ドットコム)

 菅直人首相は30日午前の衆院予算委員会で、福島第1原発事故に伴い、周辺の学校の校庭利用の放射線量上限を年間20ミリシーベルトとする政府の安全基準について、「子どもの健康が最優先だ。これで大丈夫というより、ここをスタートにして、線量を下げる努力をしなければならない」と述べ、基準を厳しくする方向で見直す考えを表明した。社民党の阿部知子氏が基準を厳しくするよう求めたのに答えた。
(略)

そもそも20mSv以上であれば校庭使用禁止であるのに、20mSv以下なら通常使用して構わないという通達を出しているのも理解しがたいところで、放射線障害にはこれ以下なら安全という閾値が存在しないことは常識である以上、使ってはならないというレベルの下にはなるべく使うべきでないというレベルが存在していなければおかしいはずですよね。
そうであるからこそ3月21日のICRPのコメントにおいても汚染地域での居住に関して「年間1~20mSv」という一応の参考値を挙げつつも、同時に「人々がその地域を放棄することなく住み続けることができるよう、当局が必要なあらゆる防護策を講じることが一般的」という前提条件を付けているわけです。
それが何故前提条件を無視して「20mSv以下なら何もしなくてもいいんだよ」のような話になってしまっているのか、こうした基準が決まってくるまでの経緯を追ってみるとなかなかおもしろい状況が浮かび上がってきます。

福島第1原発:子どもは年10ミリシーベルト目安(2011年4月13日毎日新聞)

 福島第1原発事故の影響で、福島県内の一部の小中学校などで大気中の放射線量の値が高くなっている問題で、内閣府原子力安全委員会は13日、年間の累積被ばく放射線量について「子どもは10ミリシーベルト程度に抑えるのが望ましい」との見解を示した。同委員会は、10ミリシーベルトを目安とするよう文科省に伝えたという。

 10ミリシーベルトは、政府が福島第1原発から20キロ圏外の「計画的避難区域」の基準とした年間被ばく放射線量の20ミリシーベルトの半分にあたる。子どもは、大人よりも放射線の影響を受けやすいとされている。代谷誠治委員は会見で「校庭で土壌から巻き上げられた放射性物質を吸い込み、内部被ばくする場合もあることを考慮すべきだ」と述べ、「学校でのモニタリング調査を継続して実施する必要がある」とした。
(略)

学校再開の被曝量目安、安全委が撤回(2011年4月14日朝日新聞)

 原子力安全委員会は14日、前日の記者会見で学校再開の目安を「年間被曝(ひばく)量を成人の半分の10ミリシーベルト程度におさえる」と示したことについて、委員会の決定ではないとして撤回した。理由は、学校の安全基準は文部科学省が検討しており、それに影響を与えないため、としている。

 前日、目安を示した代谷誠治委員は14日の会見で「委員会として10ミリが基準と決定したわけではない。うまく言葉が伝わらなかった」と述べた。文科省からの助言要請を待って、正式に委員会を開いて考え方を決めると話した。
(略)

審議2時間で「妥当」判断 原子力安全委、学校基準で(2011年4月30日47ニュース)

 福島第1原発事故で、文部科学省から小中学校などの屋外活動を制限する基準値への助言を求められた国の原子力安全委員会(班目春樹委員長)が、正式な委員会を招集せず、助言要請から約2時間後には「妥当だ」との助言をまとめ、回答していたことが30日、関係者の話で分かった。

 安全委事務局は「臨機応変の対応だった」と反論するが、正式な委員会が開かれなかったため議事録も作られておらず、助言までに至る議論の内容が確認できないことも判明。審議の検証ができなくなった異例の事態に「国の政策を追認しただけだ」と批判の声が上がっている。

 国は、目安を一般人の年間許容限度の20倍という高さの年間20ミリシーベルトとした根拠について国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に準拠したとしているが、子どもに高い放射線量の被ばくを認めることになるため、内外の専門家から批判が続出。29日、内閣官房参与の小佐古敏荘・東大大学院教授が辞任する一因ともなった。

 関係者によると、文科省などが「年間の積算放射線量が20ミリシーベルトに達するかどうかを目安とし、毎時3・8マイクロシーベルトを学校での屋外活動の基準とする」との原案への助言を安全委に求めたのは19日午後2時ごろ。安全委側は正式な委員会を開かず「委員会内部で検討し」(関係者)、午後4時ごろに「妥当だ」と回答した。だが、議事録が残っていないため、安全委内部でどのような議論が行われたかは明らかではないという。

 安全委事務局は「9日ごろに文科省から相談したいとの依頼があり、委員らが複数回議論、その都度結果を文科省に口頭で連絡していた。正式な会議は開かなかったが、意思統一ができれば助言はできる」とコメント。「(検討時間の)妥当性については発言する立場にない」としている。

 基準の撤回を求めている環境保護団体、FoE(地球の友)ジャパンの満田夏花さんは「独立した規制機関であるはずの安全委が、ほとんど議論もせずに国の政策を追認したことは明らかだ」と指摘。「子どもの健康を守るという重要な責務も、社会への説明責任もまったく果たしていない」と批判している。

「臨機応変の対応だった」は良かったですが、とりあえず当初はもっと厳しい基準を原子力安全委員会の方でも言っていたのに「お上の方針を縛ることになってはいけないから」と唐突に引っ込めた、そして何故か後日開きますからと言っていた正式な会議もないまま、お上の方針を黙って追認してしまったという状況が見えてきます。
しかもその決定に至る過程の議事録も何も残っていないと言うのは、まるで「密室で勝手に決めました」と公言しているにも等しい話ですけれども、子ども手当にああまで執着したほど子供対策を熱心に主張してきたはずの民主党政権が、いったい何故内外の批判も覚悟でこうまで基準の切り下げにこだわったのかということは気になりますよね。
ここで原子力安全委員会から意見を求められた専門家の一人として名前の挙がった本間俊充氏から驚くべき話が出ているのですが、これが事実であるとすれば明らかな詐術が国の政策決定の上で用いられたということにならないでしょうか?

「『適切でない』と申し上げた」~”子どもにも20mSv/年”問題と放射線防護学の基礎(2011年5月1日江川紹子ジャーナル)より抜粋

「先生が、子どもの場合も、年間の許容被曝量が20mSvとすることが適切と考えられる理由を伺いたいのですが…」
 4月28日の午後、私は前夜の記者会見で、廣瀬研吉内閣府参与(原子力安全委員会担当)から、この値を支持した人の1人として名前が挙がった本間俊充氏((独)日本原子力研究開発機構安全研究センター研究主席・放射線防護学)に確認の電話を入れてみた。すると、本間氏の答えは意外なものだった。
「私は(緊急事態応急対策調査委員として)原子力安全委員会に詰めていたんですが、(子どもについても)20mSv/年が適切か、ということに関しては、私は『適切でない』と申し上げたんです」
 記者会見で安全委員会は、5人の原子力安全委員の他に、2人の専門家の意見を聞き、全員が20mSv/年を「適切」と判断した、と説明していた。ところが、その専門家である本間氏はまったく逆の意見を述べていた、というのだ。
 本間氏は、いきなりの電話だったにもかかわらず、国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年勧告の中で初めて打ち出した「参考レベル」という概念や、東電福島第一原発の事故によって放射能汚染の被害を受けている地域の人たちの防護について、1時間半にわたって説明してくれた。さらに、後日30分ほど、私の質問に答えて丁寧な補足説明があった。
(略)

なんと、全員一致で20mSvでいいでしょうと言ったからその値にしましたと言っていたはずが、少なくとも本間氏は20mSvではいけないと答えていた、とすれば誰かが嘘を言っていたということになるのですが、一体誰がどんな目的で嘘をついていたのか、そしてその嘘に政府がどの程度関わっていたのかが非常に気になりますよね。
以下、詳細な本間氏の解説が続くので是非ご一読いただければと思いますが、結局のところ何故20mSVでは適切ではないのかという問いに対しては、この答えが最も納得出来るように思います。

 私は、福島の学校の子どもたちについて意見をもとめられた時、現存被曝状況を適用して、被曝をできるだけ低くしなければならない、と申し上げました。20mSv/年というのは、飯舘村の計画的避難が決められた時に用いられました。これを越す可能性がある人たちは避難をしなさいということです。「それと同じ値を、学校を再開するために、子どもに適用することは反対です」と申し上げました。

国が定めた基準として年間20mSv以上は危険だから退避しなさいという、ところが大人よりも放射性感受性が高いはずの子供に対して20mSvを切りさえすれば安全だ、何の対策もしなくていいというのでは、それはおかしいんじゃないかとは誰でも思う話です。
避難の基準として20mSvが妥当だと判断したのなら、今回の校庭で同じ数字が出てくるべきではなくもっと低い数字が出てくるはずで、例えば当初言われていたような10mSvといった数字であればある程度整合性はあったでしょうに、何故こうした捏造までして不整合な値にしなければならなかったのかということですね。
ここからは全くの個人的な邪推モードですが、福島県の郡山市が国の基準を超えた学校だけでなく、それ以下の学校においても独自基準で校庭の汚染度を除去したことに関して、高木文科相は「土や砂を入れ替えなくても屋外活動ができる」と言い、枝野官房長官は「指針に基づいて対応をいただければ除去する必要はない」と言いと、まるで何を勝手に余計なことをと言いたげなコメントをしています。
武田邦彦・中部大学教授などはこうした国側の動きに対して「子供をできるだけ多く被ばくさせたいという異常な心理で、子供を被ばくさせるな!」と大いに批判していますけれども、自治体が勝手にやっている除染作業についてまで国が不快感を示すというのは何かしら妙な気がしますよね。

一つには今回の震災被災地で莫大な瓦礫が発生しているという問題があり、特に放射能汚染があるものに関しては現状ですでにその処分先をどうするかということについて頭が痛い状況であるのに、この上さらに低濃度汚染地域にまで際限のない「放射能のゴミ出し」を続けられては困るという意識があるのかも知れません。
そしてまた、先日も少しばかり紹介したように今回の原発事故の補償に関しては国も全く無関係とは言いきれない状況の中で、自治体が勝手に大金を通じて好き勝手なことをして回った挙げ句、後で請求書だけ国に送りつけてくるのではたまらないという心理もあるのかも知れません。
要するに国としては際限なく支出ばかりが増えていくことを一番警戒しているのかなとも邪推しているのですが、コストの関係で望ましい最良の対策は実行不可能ですと言うことまでは認めるにしても、それを国民に向かって説明し納得させる責任も当然国の側にあるはずなのですから、勝手に密室で決定しておいて後は黙って従えというのでは仮にも民主主義国家の為政者としてどうなのかでしょう。

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コメント

こんばんは.いつも読ませていただいております.

気になったのですが.

>放射線障害にはこれ以下なら安全という閾値が存在しないことは常識である以上

これは定説となっていないのではなかったかしら.

投稿: 耳鼻科医 | 2011年5月 5日 (木) 23時14分

貴重なご指摘ありがとうございます。
ご指摘の通り直線しきい値なし (LNT) モデルは大昔の耳学問丸写しだけで書き流してしまいましたが、今となってみると各種の異論も提起されているのが現状のようですしかなり怪しい、少なくとも臨床的に見ると限りなく無視して差し支えない線量というのはあると思います(ま、そうでないと実際上困りますし)。
ただ最新の2007年ICRPの勧告においてもこのモデルは明確には否定されないまま「とにかく可能な限り被曝量は下げろ」という方針が堅持されている点で、社会的な面から言えば概念的レベルとは言えモデルは生きていると考えるべきなのでしょう(こういうのは常識と言うのかどうかですが…)

今回の件に関して言えば、永続するものではない一過性暴露で年間20mSv程度であれば、放射線リスクの過度の強調も含めた震災関連の心身のストレスの方が医学的にははるかに重大な問題を招くんじゃないかと思いますが、社会的な評価はまた異なったものになるということなのでしょう。
放射線に対する日本のゼロリスク志向は未だ払拭出来そうにないという残念な現状の中で、今回の政府のやり方は火に油を注ぐことになりかねないのではと言うことを最も危惧するところです。

投稿: 管理人nobu | 2011年5月 6日 (金) 09時55分

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