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2011年4月 1日 (金)

無名な管理人は好き放題言わせてもらいます

今日は本題に入る前にちょっとどうでもいい話をします。
他の多くのスポーツと同様に、日本のサッカー界にも胡散臭くまとわりついている人間は少なからずいますけれども、個人的にその中でも誰が嫌いと言って杉山茂樹馳星周の両名に勝るものはいません、
それでも一応本業は作家だと主張する馳あたりは部外者の妄言として放置しておいてもよさそうなものですが、自称スポーツライターなるこの杉山という人物をサッカー場に立ち入らせることにいったいどんなメリットがあるのか、日本のサッカーの将来を考えると関係者は真剣に考えておくべきではないかと常々思っています。
その杉山が先日行われた日本代表vsJリーグ選抜のチャリティーマッチに関して、またこんなことを書いていますよね。

三浦知良、44歳。恐るべし。(2011年3月30日杉山茂樹のBLOGマガジン)

岩政は闘莉王にヘッドで競り負けろと言われたのだろうか。森脇はそのこぼれ球への反応を遅らせろと指示されていたのだろうか。瞬間、僕は眼下で起きている光景に目を疑い、そして言葉を失った。

100点満点の演技。ケチの付けようのない完璧な芝居。芝居や演技だとしても、二度とお目にかかれない離れ業。斎藤佑樹投手をはじめ、世の中に「持っている」選手は多々いるが、ここまでのものを持っている選手はそう多くない。まさに神がかり的。神秘的で魔術的で。長い間サッカーを見てきたけれど、ここまでの非現実的なプレイを僕は見た試しがない

三浦知良、44歳。恐るべし。前から少し、変わっているなと思っていたけれど、突き抜けてしまった感じがある。誤解を恐れず言わせてもらえば、変態度はスポーツ界ダントツのナンバーワン。ここまでおめでたい選手を。僕は見たことがない。さすがに「キング・カズ」と、自ら名乗るだけのことはある。天晴れ!カズ。
(略)

ま、物事には何につけ見る者の主観というものがありますから、これに関してもいちいちコメントをしようとは思いませんけれども、とりあえず一般論として日本サッカー界に有害無益な寄生虫は不要であるとは繰り返しておきたいと思いますね。
こういうことを言うと「何を言う!寄生虫はアレルギー軽減に役立ってるんだぞ!」なんてお叱りを受けそうですから、突っ込まれる前に謝っておきます。申し訳ありませんでした。寄生虫を思いっきり侮辱してしまったことを謝罪します。

いずれにしてもゼロ以下のものを何倍したところでプラスにはならないことから考えると、およそ多少なりともまともな人ともなれば某スポーツライター(笑)の無限大倍も日本のサッカーに貢献していると見なして間違いないわけですが、その点からすると衆目の一致するところ大いに貢献してきた方の一人としてラモス瑠偉の名を挙げることに躊躇する人は少ないと思います。
ラモスと言えばフランスW杯でのNHKでのあの有名なコメントを始め、あまりにヒートアップするあまりに放送禁止まがいの発言連発で、ついに解説者としてはお呼びがかからなくなったという逸話を持つくらいに、現役時代から熱いキャラで知られているナイスガイですよね。
それほど日本と日本のサッカーに対しては熱い感情を噴出させずにはいられないラモスですが、いかにも彼らしいというべきなのでしょうか、今回の地震に関連してこんなことを言っているのを取り上げてみたいと思います。

ラモス氏怒りぶちまけ「逃げるやつ2度と来るな」(2011年3月30日スポニチ)

東日本大震災復興支援チャリティーマッチ  日本代表2―1Jリーグ選抜 (3月29日  長居)

 Jリーグ選手OB会(柱谷哲二会長)が29日、長居スタジアムで募金活動を行い、元日本代表のラモス瑠偉氏、武田修宏氏ら12人が約3時間協力を呼び掛けた。

 ラモス氏は「小さな力が大きなエネルギーに変わる。日本は必ず復活できる」と目頭を熱くした一方で「買い占めするヤツとか小さすぎるヨ!東京から逃げるヤツや海外に逃げるヤツも。2度と来るんじゃねぇよ」と怒りをぶちまけるシーンも。またJ2水戸監督の柱谷会長はクラブの練習を欠席して参加。今夏に慈善試合を開催する意向も示した。

まあ、正直なところ多かれ少なかれラモスと同様のことを感じている方々も多いんじゃないかとは思いますし、心情的には共感するところも確かにあるのですけれども、ラモスほどの社会的影響力を持つ人間が公の場でこういうことを言ってしまうということの意味を考えて見なければなりませんよね。
実のところ東北地方を中心に起きた今回の大災害についても、長年暮らした父祖伝来の土地を離れるなんて出来ないという声が根強くあることは大いに理解できるし、なるべく昔のままの生活が取り戻せるならそれにこしたことはない以上、いくら政府が「この際沿岸部の人は山間部に移住して貰いましょう」なんて「合理的判断」を下すというのにも抵抗があるのは当然です。
しかし一方でそうした土地への愛着、郷土への愛情が行きすぎるということになりますと、これが容易に「逃げるヤツは2度と来るんじゃねぇよ」になってしまうという困ったことにもなるのですね。

東日本大震災 「疎開」進まず 被災者「故郷 離れたくない」(2011年3月30日産経新聞)

 ■受け入れ自治体 宙に浮く善意

 東日本大震災の被災者支援で公営住宅の空き部屋などを活用し受け入れ態勢を整えた全国の自治体への被災者の受け入れが思うように進んでいない。多数の被災者が「疎開」を強いられる可能性は避けられない半面で、被災者は肉親の遺体も見つかっていない段階でふるさとを離れることに抵抗感が強い。移住で地域住民が離散することを懸念する被災者も多く、自治体の善意が宙に浮いた格好だ。(原川真太郎)

 「思ったより話が進まない。被災地も混乱しているのだろうが…」。沖縄県の被災者受け入れ支援の担当者はこう話す。

 震災に伴う避難所生活者は計約18万人近くにのぼる。国は少なくとも被災地に計約3万2千戸の仮設住宅を供給予定だが、国土交通省によると、用地選定などの問題もあり着工が始まったのは29日現在で2641戸。全戸整備の時期のめどは立っていない。

 このため、今も約8万人が避難生活を送る宮城県では、村井嘉浩知事が県外避難を呼び掛け「一時疎開」が現実的な対応策として浮上。全国の都道府県が受け入れに名乗りを上げた。

 ◆沖縄は3千人規模準備

 沖縄県も、チャーター機を手配し3千人規模の受け入れ態勢を整えたが、これまでに約100人の自主避難者はいるものの、団体で移住する予定の被災者はゼロ。他自治体でも、首都圏などを除けば長期滞在を想定した住宅での受け入れは数十~数百人規模にとどまっている

 「まずは県内の仮設住宅に入居したいという人が大半。それが無理なら近隣の県に一時避難するという人が多い」。宮城県の担当者は、被災者の心情をこう代弁する。

 受け入れを表明した自治体には、家賃の減免や学校の転入手続きの簡素化など被災者の長期滞在を想定しているところも多いが、いまだに約1万6千人の行方不明者がおり「肉親の安否が分からない人も多く、まだとてもそんな気になれない」(同県)。

 被災者には高齢者も多く、離れるなら、地域ごと集団で一カ所に移動したいという希望も強いという。
(略)

 平成7年の阪神大震災では、発生から約半年後に希望者全員が仮設住宅に入居。地域のつながりも考慮されずに抽選などで入居先を決めたため、孤立感を深めて自殺する高齢の被災者も出ており、今後はこうした事態を招かない備えも重要になる。
(略)

集団疎開、心の痛み抱えて 残る住民、わだかまりも(2011年3月27日朝日新聞)

 26日午後1時、避難所になっている岩手県釜石市の市民体育館前に、「災害支援釜石2号車」と書かれた大型バスが横付けされた。

 「先に行ってごめん。みんなも早くきてね」

 三浦八重子さん(70)は見送りに出た避難所の仲間一人ひとりにこう声をかけながら、携帯カイロを配った。

 この日、岩手県が進める被災者の内陸部への集団疎開が本格的に始まった。「釜石2号車」の行き先は盛岡市の温泉旅館。2~3カ月間滞在する予定だという。

 三浦さんは「みんなを残して行くわけにはいかない」と、いったんは断った。しかし、同じ集落の高齢者の大半が移ることになり、決心した。「避難所に残る人がいる。地元を離れるのは心が痛む」と漏らした。

 佐々木センさん(87)は、避難所の出入り口付近で寝泊まりしていた。寒さに震える日々。「これ以上ここにいたら体がもたない」と疎開を決めた。それでも「生まれ育った土地と家を離れるのは正直つらいし、自分だけ行くのは申し訳ない。また戻りたい」。

 市民体育館には約300人が生活しているが、出発したのは19人だけだった。

   □    □   

 午後0時50分、大槌町の県立大槌高校からもバスが出た。同町の理容師、小国加奈子さん(38)は、12歳と7歳の子どもと一緒にバスに乗り込んだ。「この町に残りたい、行きたくないというのが本音。でも、家も仕事も学校も何もない。母子家庭がこの状態の町に残るのはきつい」

 一方、残る側も複雑な思いだ。「今の仲間を捨てて、旅館なんかに行けないよ」。300人を超える被災者が身を寄せる釜石市の避難所の責任者はつぶやいた。

 旅館に移る人から「家に戻って(津波で流れ込んだ泥などを)掃除する際には、またこの避難所に泊めて下さい」とも言われたが、納得できないという。「我々を捨てて出て行って、都合のいいときだけ泊めてくれなんて」。この避難所から疎開した人はほとんどいなかった

   □    □   

 岩手県は、疎開先として県内120施設で約9500人分の部屋を確保した。今回第1陣となった釜石市、大槌町、山田町で約1万7千人が避難所の学校などに身を寄せるが、3市町の疎開希望者は460人にとどまっている。

 県の現場担当者は「気兼ねや不安から移動を言い出せない人が多い」とみる。「避難所の中には、自治組織が『出て行ったヤツは、戻ってこないでくれ』と明確にしているところもある」という。

 県の狙いは、まずはお年寄りや妊婦、体調を崩した人たちに危険な状態から脱してもらうことにある。体調に不安のある家族が疎開すれば、残った人たちが安心して復旧作業に取り組むこともできる

 しかし、その目的は被災者に正しく伝わっていない

 釜石市の市民体育館では24日午後、県庁の担当者が疎開の申込書を配って、拡声機で説明。費用は県が支払う▽行き先は内陸部▽期間は仮設住宅ができるまで――といった内容だけで、約15分で終了した。被災者からはほとんど質問も出なかった。

 県の性急な説明に加え、特にお年寄りには、自分だけが恵まれた環境に移ることへの抵抗感が強い。89歳の母と妻の3人で避難所生活を送っている漁業の男性(69)は「おれだけ盛岡に行ったら、逃げたみたいな感じになる」。母と妻だけでも、疎開させようか悩んでいる。(赤井陽介、小俣勇貴、吉永岳央)

こうした昔ながらの地縁、血縁で結びついている地域社会の強固な関係というのは、その中で暮らしている分には極めて快適な部分もありますけれども、別な面から見るとこうしたウチとソトの峻別とは閉鎖性、排他性といったネガティブな性質とも裏表の関係であるとも言えます。
ちょうど昨日のエントリーも言ってみれば東北地方の田舎における閉鎖性、排他性といった点で共通するものが少なからずあるように思いますが、苦労している時こそ団結ということが重要になるのは確かであるとして、一方でそれは苦労という共通項で強固に結ばれた輪の中からひとたび飛び出した者に対する排斥ということにも容易に結びついてくるわけです。
全くのところ理屈ではなく感情の問題であるだけに話が難しいのですが、過去のこうした災害の例を見ても被災直後にはどうしても感情的にも高ぶっているだけに、地道に冷静な説得を続けながら時を待つしかないということなのでしょうか。
何もなくなった町の一角で、残った被災者同士がお互いに非難し合いながら残っているなんてことになっては悲しいと言うしかありませんから、ラモス始め社会的影響力のある人ほどこんな時は、少しばかりの寛容というものを呼び掛けてもらいたいものだと思いますね。(文中敬称略)

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