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2011年4月10日 (日)

今日のぐり:「ハートランド・キャナルグランデ」

震災に関連して沢山の驚くべきニュースには事欠きませんけれども、なかでも少しばかり驚いたのがこちらの記事です。

流された乳牛14頭、宮城農高に帰ってきた!(2011年4月5日読売新聞)

 東日本大震災の津波で校舎が破壊された宮城県名取市の県立宮城農業高校で、津波にさらわれた実習用の乳牛34頭のうち14頭が生き延びて戻ってきた。

 生存をあきらめていた学校関係者は「よく生きていてくれた」と喜び、牛とともに学校の再生を誓っている。

 地震発生の3月11日、同高実習助手の渥美勇人さん(36)は牛舎で生徒約10人と実習していた。津波の警報を受けて生徒といったん校舎に避難したが、「牛を助けなければ」と引き返した。だが、全頭を避難させることはできない。「せめて逃げてくれ」との思いで牛の首輪を外した。牛舎近くの高台のやぐらに避難した渥美さんは、牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけを出してもがく姿を見た。「生きてくれ」と祈ることしかできなかった。

 ところが、この日の晩のうちに5、6頭が高台まで帰ってきた。さらに2日後には、数頭がけがを負いながらも戻った。「よく戻ってきてくれた」。渥美さんが1頭1頭抱きしめると顔をなめてくれ、胸がいっぱいになった。流されたのか学校から約5キロ離れた場所でも牛が見つかり、近所の人がえさや水を与えて面倒をみてくれていた。

もちろん津波に流されながら生きていたというのも驚くべきことではあるのですが、それよりも何よりも牛ってちゃんと元の場所まで戻ってくるものなんだということに改めて驚きますね。
津波関連と言えばあちらこちらから「○○のおかげで助かった!」という話も伝わってきますけれども、やはり先人の言う事には耳を貸さなければならないのだなと思わされるのがこちらの話ではないでしょうか。

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う(2011年3月30日読売新聞)

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

地震に限らず色々な災害で言えることなんですが、おおむね昔から家が建っている場所というのは数々の災害に耐えてきた場所でもあったものを、昨今の無秩序な宅地開発で昔なら家を建てなかった場所まで宅地化した結果、思わぬ大きな被害を招くということもままあるようですよね。
そうした時代の流れの中でも、個人の努力でささやかな抵抗を試みてきた人々もいらっしゃるようですが、これも平時であれば単なる変人と言われて終わっていたかも知れません。

手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島(2011年3月31日朝日新聞)

 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。

 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。

 近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。

 地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。

 いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。

 夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、先見の明があった」と感謝する。

 一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。

 佐藤さんは「老後の道楽も兼ねて造った避難所で一人でも多く助かってよかった」と喜ぶ一方、「もっと多くの人に『ここに逃げて』と伝えられていれば」と悔しさもにじませる。

 「佐藤山」には、もともとあった山桜のほか、しだれ桜や数々の山野草が植えられている。津波に襲われた登り口付近の梅の木は、地震後に白い花を満開にさせた。「早く平和な日常が戻るように」。佐藤さんは、様変わりした野蒜地区を見てそう祈っている。(木下こゆる)

この佐藤山、記事の写真を見ても本当に手作り感が漂うというものなのですが、まさに備えあれば憂い無しを地でいくような話ですよね。
こういうのも地震の間接的な影響と言うのでしょうか、この地域では昔からの因縁も続いているという話は側聞していたのですが、今回のことが契機になって関係改善も進んでいるようです。

会津若松へ長州・萩から義援金 旧敵でも「ありがたい」(2011年4月2日朝日新聞)

 福島県会津若松市は2日、山口県萩市から震災の義援金2200万円の目録と、保存食や下着類、ランドセルなどの支援物資を受け取った。幕末の戊辰戦争で両市にそれぞれ拠点を置いた会津藩と長州藩は激しく対立。今もわだかまりを抱える関係にあるが、震災を受けて萩市が支援を申し入れた。

 萩市の槌田郁利・総合政策部長らが会津若松市役所を訪れた。同市の菅家一郎市長は「歴史的な課題もあるなか、萩の皆さまの温かい支援はありがたい」と応じた。物資は会津若松市内にいる避難者や、同市に集団移転する福島県大熊町の住民への支援に役立てられる。

 萩市は福島県の富岡町や大熊町、須賀川市から被災者計10人を受け入れており、市民や企業が「東日本地震災害を救援する萩市の会」を結成して募金活動などに取り組んでいる。萩市の地元JAは会津若松市の避難所での炊き出しや、萩市内での会津産野菜の販売を計画しており、過去の対立を乗り越えて福島県への支援の輪が広がっている。(池田拓哉)

国内外から色々と支援の手が伸びていますけれども、こうしたきっかけで思わぬ縁が深まるということであれば決して悪い話ばかりでもないですよね。
海外でも震災関連の報道は少なからず行われていますけれども、国内よりもむしろ海外でこそ話題になっているかも知れないというのがこちらの方です。

妻と母親を助け出した男性、「ランボー」のようだとロサンゼルス・タイムズで紹介される(2011年3月19日ロケットニュース24)

地震で被災しながらも、自ら妻と母親を捜し出し、さらに現在も他の行方不明者を捜索し続けている宮城県の男性が「ランボー」のようだと海外で話題になっている。

43歳のこの男性は、上はスウェット、下は迷彩パンツを履いた上からビニールで覆ってテープで固定するという出で立ち。履いているスニーカーはすでに泥だらけである。

津波が押し寄せて来たとき、自宅から数キロメートル離れた職場にいたそうだ。急いで自宅周辺へ戻ってみると、辺りはすでに水で溢れかえっていたという。家の中に取り残されているかもしれない妻のことが心配で居ても立っても居られず、救助隊の到着を待たずに、スキューバダイビング用の装備を手に入れ自ら水の中へと進んでいった。水面に浮かぶ瓦礫(がれき)は、水中を進む男性にとって大きな障害となった。ようやく自宅にたどり着き、妻を発見すると、安全な場所まで避難させた。

「水は冷たいし、暗くてとても怖かったです。瓦礫をかき分けながら200メートルほど泳ぎ、やっとのことで妻を助け出すことができました」と、男性は当時の様子を語った。

妻は救助したものの、その後母親の安否が確認できず、何度も市役所や避難所に捜しに行ったという。地震発生から4日後、母親を捜しに、水の中へ再び入っていった。姿が最後に確認されたと聞いた自宅近くにたどり着くと、周辺から取り残された家の2階で救助を待ち続けている母親を発見した。

「母は独り取り残されて、パニックになっていました。発見した時は、本当に安心しました」と当時を振り返った。

妻と母を助け出し安堵した男性だったが、これで終わりではなかった。その後もなお、1人でも多くの人を救助するため、水、懐中電灯、軍手、軍隊も採用する折り畳み式ナイフなどの装備を整えて瓦礫のなかを捜索しているという。

参照元:Los Angeles Times(英文)

失礼ながら記事の写真を拝見してもどこにでもいる普通のおじさんという感じなんですが、この非常時にあっても冷静に必要な装備を調えているあたり、よほどに冷静な判断力を持っている方なのでしょうね。
最後に控えますのはご存知ブリから震災関連報道の話題なのですが、まあこれもブリであるということであれば了解可能…なんでしょうか…

日本の震災を伝える英新聞の紙面がポケモンだらけに(2011年3月18日KOTAKU Japan)

なんだか複雑...。

英国での『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』発売を受けて、ポケモン達が英Metro紙のあらゆるところに登場...、したのは良いんですが、ちょっと場違いなような...。

というのも、日本の東北関東大震災を伝えるページにお茶目なポケモン達が愛らしく掲載されているんですよね。タイミングが悪いとしか言いようが無いんですが、なんだか震災の深刻さが伝わり難いような、皮肉に見えるような...。

米Kotaku読者のTopHatLaytonさんが送ってくれた無料配布新聞のスキャン画像。

任天堂がデカデカと広告を載せたのは良いんだけど、どうにもこうにも間が悪いと言うか、なんかね、「避難する子供達のトラウマ」や、「安否不明の英国人を心配する声」と悲劇を伝える見出しの横にお茶目なポケモン達のイラスト...。

もちろん意図してやったわけじゃないし、こんなことになる前から計画していたことだからしょうがないんだと思いますけどね。

Japan Disaster Coverage Invaded By Rampaging Pokémon [Kotaku]

しかしこれも考えようによっては、海外において日本を代表するイメージとしてポケモンというものが滲透していると考えられる話なんですが、確かにリンク先の写真を見ますといささか間抜けな印象もぬぐえませんかね…
これもブリの日本に対する親近感の表れだと考えるならば、今後かの国に万一の災害などが起こった際には日本としても感謝の気持ちを込めて、一杯の紅茶と共にたっぷりのハギスを送り届けなければならないということなんでしょうか。

今日のぐり:「ハートランド・キャナルグランデ」

こちらのお店も以前にお邪魔した姉妹店の「Ryoutei」さんと同様キリンビールと資本関係があるのでしょうか、お店の言うところからすると居酒屋だということなんですが、店名通り水がコンセプトということなんでしょうか、とにかくやたらに水気の多い店構えが一体これは何の店かと思わせますね。
店内に入ってもあちらもこちらもお前は水芸か!と突っ込みたくなるような水だらけ、おまけに鏡で広さを演出しているのはいいのですが、少なくともどこからどう見ても大運河には全く見えないのだけは確かでしょう。
全て個室だということで、今回は団体と言う事で奥まった大きめの個室に案内されたのですが、壁の酒が飲み放題なのはいいとしていかにもありがちな焼酎の一升瓶などばかりが並んでいるあたり、表向きの雰囲気とはいささかミスマッチなんじゃないかという気がして仕方がありません。

この日出てきたのが恐らく「ルモンド」なる和洋折衷コースなんだと思うのですが、突き出しが妙に和風な割にその後出てくるのはサラダに海老コロッケ、パンピザと洋風なものばかりと、味の組み立てで言えば並んだ焼酎との相性的にはどうなのか?という気もしないでもありませんね。
ここでキャベツのスパゲティが出てくるのは確かにコースとして考えると間違ってもいないんでしょうが、居酒屋として考えるとちょっとどうなのと言うべきかですし、食べもの屋としてもさほど感銘を受けるような味でもなかったことが、一同の前に並んだ料理の片付き具合からも推察されるところです。
そしていきなり方針転換でやたらとマスタードのソースが辛い煮玉子に漬かり加減が浅めの南蛮漬けと来て、ホタテのトマトソースをメインとして最後に炊き込みご飯が出てくるというのは、コースの順序からしても和洋折衷しているということなのかも知れませんが、全体的にこのメリハリのきいてないボヤけた味が続くと、料理としても酒のつまみとしてもかなり微妙な感じでしょうか。
結局のところデザートに出てきたムースが一番食べられるものだったと言うのがオチになるのでしょうが、これくらいのお金をかければもっとおいしいものが食べられただろうにと考えると、少なからぬ時間も使ってこれかと少しばかり悲しくなるような後味を覚えざるを得ませんね。

この手の飲み放題では一般的なように接遇面ではほぼ放置状態なんですが、呼び出しに対する反応は悪くないということは救われる一方で、グラスが一人一個の使い回しなので酒の味に細かいことを言う人には向かないですよね(たぶん品揃えを見ても、そういう人はまず来ないと思いますが)。
ちなみにおしぼりがやたらとカルキ臭かったなという印象が強いのですが、今の時代こういう再利用タイプのものは衛生上こういうことになってしまいがちですから、料理や酒に繊細な感覚を追求するようなお店では少し考えていかなければならないのかも知れません。
しかしキリンビールを飲んでいる分にはどこの店でも同じ味だとは言え、通りすがりにふらりと立ち寄るにしては立地がかなり微妙な場所にあり、指名で立ち寄るにしては味覚の面で相当に微妙なところにあり、唯一の売りとも思えるのは居酒屋らしからぬ店構えだけと、これまた「Ryoutei」さんと同様に飲食業というものについて色々と考えさせてくれるお店ではありました。

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