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2011年4月28日 (木)

国家による情報隠蔽は遠い国の話ではなかったようです

かねて記者クラブ制度にどっぷり使った日本の御用マスコミを問題視してきた人々は少なくありませんが、今年の初めにこうした既存大手メディアに対抗する形で新たに「日本自由報道記者クラブ協会」が発足したことはすでにお伝えしたところです。
こうした試みがどのような方向へと発展していくのかは今後の経過を見守っていかなければなりませんけれども、少なくともお上の公式発表をただコピペするだけの御用マスコミは信用できないんじゃないか?ということは、多くの人々の認識するところとなったようですね。
今回の震災においても被災地の悲惨な現実は海外メディアでは幾らでも流れているにも関わらず、国内メディアでは一切出て来ないなんてことが良いのか悪いのかは別として、ともかくこの国には強力な報道規制が存在するらしいということが明確に示された形ではありますが、当然そうした馴れ合いのエセジャーナリズムは真っ当なジャーナリストの受け入れるところではなかったようです。
原発関連の公式発表はどうも信用が出来ないんじゃないかとは当初から言われてきたところですが、近年珍しく日本に興味を持ったという海外メディアなどはこの状況にあきれ果てた挙げ句、非常に露骨な意思表示をしているということがこちらのニュースからも明らかですよね。

外人は来ない保安院・東電の会見(2011年4月26日ブログ記事)
より抜粋

外国の記者を相手にした保安院と東電の会見には、最近、記者1人、説明側10人ということが続いたが、4月25日、ついに誰も記者は来なかった

無人の記者席に向かって、「誰もいないのに」説明をするという非人間的なことをする保安院の役人の姿が印象的だった。

海外では福島原発の事故についての関心は強い.関心が強いので、保安院や東電の記者会見に出ても、ウソを教えられるので、聞いても意味が無いのだ。

日本人として哀しい。

日本人の記者会見は相変わらず盛況だ. 事実と違うことを聞いても政府の言うことなら「黒も白」なのだろう。
(略)

一人も聞く記者がいないとはいったいどのような状況であるのか、まさにこの一枚の写真が異常な状況をこれ以上ないほど明白に示しているところですが、大盛況の日本人向け記者会見の様子と比べて見れば確かにこれは「日本人として哀しい」と言うしかない話ですよね。
何しろこの放射線関連の情報というものは非常に強力に規制されていて、お上の公式発表以外には現地に行って自分で測定するしかないという状況であったわけです。
そういう状況下においてまともな情報であるとは受け取られていないわけですから、それではいったいどこの誰がまともな情報を隠し持っているのか、それは果たして国民一般に向けて公表されることはあるのかと誰でも気になりますよね。
当然ながら国民としてはいい加減にしろ、きちんとした情報を隠さず公表しろと言いたくなるのですが、どうやら今後ますます情報統制を徹底しようという動きが出てきているらしいのですから驚きます。

記者会見、25日から一本化=東電、保安院など-福島第1原発事故(2011年4月23日時事ドットコム)

 福島第1原発事故で、政府と東京電力の事故対策統合本部は23日、東電本社と経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会が別々に行っている記者会見を25日から一本化すると正式に発表した。毎日午後5時をめどに東電本社で行う。説明の食い違い解消が目的という。

 会見には同本部事務局長の細野豪志首相補佐官も出席。記者は事前登録制となる。東電によると会見にはフリージャーナリストも参加可能だが、参加の可否は保安院が審査するといい、批判の声が出そうだ。

 保安院の西山英彦審議官は参加記者に条件を付ける理由について、「メディアにふさわしい方に聞いていただきたいと考えている」と説明した。

なるほど、「(御用)メディアにふさわしい方に聞いていただきたい」と…となると、公式の情報流出ルートとしては今後猫も食わない…もとい、海外ジャーナリストからも見放された保安院ルートしか存在しなくなるということですよね(苦笑)。
しかもここで堂々と参加資格を規制しようとしていることが注目されますけれども、要するにお上の公式発表に何ら疑問など差し挟むことなくそのままを国民に向けて垂れ流すような、立派な御用マスコミだけに用があるのだと文脈上解釈するしかなさそうです。
いや、幾らなんでも先進国としてありえないとかそういう話はおいておくとしても、日本のマスコミはこの不可思議な状況に誰一人突っ込みを入れようともしないということの方がよほどあり得ないと思うのですが、そんなことを言い出せば「ふさわしくない」と審査ではねられるという仕掛けなのでしょう。
先日も放射性物質の拡散予報を国が公開してこなかった、やっと公開したと思ったらわざと隠すかのような場所でこっそりやっていたなんて笑い話のようなことがありましたが、どうやらこの背後にも国による徹底した口止めがあったという点で各方面の証言が一致していて、一体これは何なのか?どこの世界の話なのか?と思わずにはいられません。

放射能拡散情報公表が遅れた背景に「政府の初動ミス隠し」(2011年4月26日NEWSポストセブン)

 政府には、原発事故発生の際に稼働する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(通称“SPEEDI”)」がある。

 SPEEDIには、全国の原子力施設の炉型や周辺地形などがデータとして組み込まれている。原発事故が発生して放射性物質が放出されると、気象庁のアメダスと連動して、風向や風速、気温などから放射性物質の拡散を計算して図形化し、最大79時間後までの飛散を予測する能力を持つ。

 SPEEDIは事故直後の3月11日17時から動き始めたものの、最初に拡散予測図が公表されたのは3月23日、その後4月11日に2枚目が公表されたにとどまっている。その背景を追跡してみた。

 東京電力は地震発生翌日の3月12日に1号機と3号機で炉内の圧力を下げるために放射能を帯びた水蒸気などを建屋外に放出する「ベント」に踏み切り、13日には2号機でも実施。さらに、15日にはフィルターを通さない緊急措置である「ドライベント」も行なった

 このタイミングで大量の放射性物質が飛散したことは間違いない。それはモニタリングのデータもはっきり示している。

 だが、枝野幸男・官房長官は1号機のベント後に、「放出はただちに健康に影響を及ぼすものではない」(12日)と発言し、20km圏のみの避難指示を変更しなかった。センターの証言によれば、枝野氏はSPEEDIのデータを知っていたはずだ。

 SPEEDIを担当する文科省科学技術・学術政策局内部から重大証言を得た。

官邸幹部から、SPEEDI情報は公表するなと命じられていた。さらに、2号機でベントが行なわれた翌日(16日)には、官邸の指示でSPEEDIの担当が文科省から内閣府の原子力安全委に移された

 名指しされた官邸幹部は「そうした事実はない」と大慌てで否定したが、政府が“口止め”した疑いは強い。なぜなら関連自治体も同様に証言するからだ。

 システム通り、福島県庁にもSPEEDIの試算図は当初から送られていたが、県は周辺市町村や県民に警報を出していない。その理由を福島県災害対策本部原子力班はこう説明した。

「原子力安全委が公表するかどうか判断するので、県が勝手に公表してはならないと釘を刺されました

 福島県は、玄葉光一郎・国家戦略相や渡部恒三・民主党最高顧問という菅政権幹部の地元だ。玄葉氏は原子力行政を推進する立場の科学技術政策担当相を兼務しており、渡部氏は自民党時代に福島への原発誘致に関わった政治家である。

 この経緯は、国会で徹底的に解明されなければならない。「政府が情報を隠して国民を被曝させた」とすれば、チェルノブイリ事故を隠して大量の被曝者を出した旧ソビエト政府と全く同じ歴史的大罪である。

 しかも、その後も「安全だ」と言い続けた経緯を考えると、その動機は「政府の初動ミスを隠すため」だったと考えるのが妥当だろう。

このベント開放による放射性物質の飛散に関しては、当時放射線を測定していた文科省から「原発から約20キロ離れた福島県浪江町内の放射線が極めて高い」というデータが直ちに官邸側に報告されていたのですが、これに対して枝野官房長官から直々に「住民の健康被害については一切コメントするな」と文科省に指示があったということが知られています。
常識的に考えれば20km地点で「一般の人の年間被ばく限度の2233〜2890倍」などという高線量が記録されているのであれば、避難するにしてももう少し広い範囲で行わなければならないのでは?と思える話ですし、国として何らかの判断から避難範囲を限定するにしても国民各自が自主的に判断し避難するということはあっていいはずです。
ところがその判断の根拠となる情報が今回徹底的に隠蔽されているということなのですから、一体国としては国民の健康に責任を持つ意志はあるのか、それともそれ以上に重視する何かでもあるのかと勘ぐりたくもなる話ですよね。

枝野長官と言えばすでに放射線も下火になりつつある頃になってようやく被災地を訪れたものの、物々しい防護服を着ても車から降りたのはたったの5分間だけだったとか、フル装備の枝野長官の背後ではマスク一つの人々が普通に働いていただとか、この人はよほど放射線障害というものに対してよほど過敏な体質なのか?とも推測されるようなエピソードには事欠かないお方です。
そのご本人が折に触れて「直ちに健康に影響はない」を繰り返す姿に「あのアレルギー体質の人がそこまで言うのだから安心だ」と考えるか、それとももう少し別な感想を抱くかは受け取る各個人の感性というものかも知れませんが、率直に申し上げて我々の周囲にこういう人間がいれば果たして社会的信用を得られているだろうか?と考えざるを得ませんよね。
今回の原発事故はこの国に根強く横たわる原発アレルギーをもう一度考え直す好機であったはずなんですが、肝心の国の中心がこんな不適切な過剰免疫反応に終始しているようでは、到底その払拭など及びもつかないことだと言う気がしてきます。

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コメント

震災発生から1か月以上が経ったが、救援物資の運搬や不明者捜索で被災地を飛び回った
関東地方の陸上自衛隊ヘリ部隊の隊員は、活動をこう振り返る。

 * * *

今回は自衛隊機も米軍機も仙台の霞目駐屯地をベース(拠点)として活動しました。
こうした形での共同作戦は初めてなので仕方ないかもしれませんが、
米軍機の離着陸や燃料補給が優先され、われわれは後回しにされることが多かった。
上層部には米軍に遠慮せざるを得ない空気があったのでしょう。

現場として「無理があった」と思うのは、初動で10万人もの隊員を一挙に投入したことです。
出動命令を出す立場の方は「全力を挙げている」ことを世間に示したかったのでしょうが、
これは24時間で3交替という原則を無視している。

われわれは休みなく活動する覚悟もあるし、実際に陸上部隊には3日間も不眠不休で活動していた隊員も多い。
しかし、実際には1か所に必要以上の隊員が集まったり、疲労のために倒れる隊員がいました。
「全力」は挙げましたが、決して「最高」のパフォーマンスではなかった。

最高司令官は交替も補給もないまま突き進んで
3万人以上が死んだ「インパール作戦の失敗」をご存じないのかもしれませんね(苦笑)。

われわれの活動は総じて好意的に報じられていますが、
現場も上層部も反省すべき点は多かったと思っています。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110422-18049/1.htm

投稿: ここにも牟田口? | 2011年4月28日 (木) 11時40分

現場の人がまさに牟田口の名前を出していて笑えるw

自衛隊員 震災当初の10万人投入はパフォーマンスと指摘
2011年4月22日(金)16時0分配信 NEWSポストセブン 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110422-18049/1.htm

 震災発生から1か月以上が経ったが、救援物資の運搬や不明者捜索で被災地を飛び回った関東地方の陸上自衛隊ヘリ部隊の隊員は、活動をこう振り返る。

 * * *
 今回は自衛隊機も米軍機も仙台の霞目駐屯地をベース(拠点)として活動しました。こうした形での共同作戦は初めてなので仕方ないかもしれませんが、米軍機の離着陸や燃料補給が優先され、われわれは後回しにされることが多かった。上層部には米軍に遠慮せざるを得ない空気があったのでしょう。

 現場として「無理があった」と思うのは、初動で10万人もの隊員を一挙に投入したことです。出動命令を出す立場の方は「全力を挙げている」ことを世間に示したかったのでしょうが、これは24時間で3交替という原則を無視している。

 われわれは休みなく活動する覚悟もあるし、実際に陸上部隊には3日間も不眠不休で活動していた隊員も多い。しかし、実際には1か所に必要以上の隊員が集まったり、疲労のために倒れる隊員がいました。「全力」は挙げましたが、決して「最高」のパフォーマンスではなかった。
 
 最高司令官は交替も補給もないまま突き進んで3万人以上が死んだ「インパール作戦の失敗」をご存じないのかもしれませんね(苦笑)。われわれの活動は総じて好意的に報じられていますが、現場も上層部も反省すべき点は多かったと思っています。

※週刊ポスト2011年4月29日号

投稿: aaa | 2011年4月30日 (土) 16時27分

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