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2011年3月 4日 (金)

多少違った意味においても興味深い事件です

先日ごく小さく報道されましたのがこちらの記事なんですが、事件性があると言えば確かにありそうなのも確かながら、むしろそれ以上に大きな問題提起をはらんでいそうに感じられた方も多いのではないかと思います。

人工呼吸器のバルブ閉められ、入院の女性死亡(2011年3月1日読売新聞)

 28日午前11時45分頃、名古屋市天白区平針の名古屋記念病院で、入院中の愛知県日進市、無職女性(58)に取り付けられていた人工呼吸器の異常を知らせるアラームが鳴った。

 看護師が駆け付けると、人工呼吸器の酸素注入バルブが閉められ、女性は意識がなかった。同病院で蘇生措置を施したが、約2時間半後に死亡した。

 愛知県警天白署の発表によると、女性は同病院の個室に入院中。アラームが鳴った当時、室内には夫ら家族3人がおり、同署員が事情を聞いたところ、3人は「知らない」などと説明したという。

 女性は末期の肺がんで昨年から同病院に入院。28日に大部屋から個室に移ったばかりで、寝たきり状態だった。アラームが鳴る直前、女性看護師が人工呼吸器を確認したところ異常はなかったという。同署で引き続き、3人から当時の状況などについて事情を聞く。

こうして見ますと警察が介入しているというくらいですから、事故ないしは犯罪として扱われているのかなと思えるのですが、おそらく院内での異常死ということで病院側から届け出があり、その結果警察が動いたということなのではないかと言う気がします。
末期癌で呼吸器がついていたというくらいですから、普通に考えてこういう状態で酸素をいきなりオフにすればそれこそあっという間に急変するはずで、大急ぎで看護師が駆けつけてみればそこにいたのは付き添いの家族だけということになれば、ははんこれは…と誰でもそういうことなんだろうなと思いますよね。
逆に言えば家族がついている間にもし他の誰かがそういう操作をしていたのだとすれば、直後から目の前で容体急変していく患者の変化に気がつかないはずもないわけですし、そうでなくともこんなところを触る人間は限られているのですから、バルブについた指紋などを調べて見れば部外者が触っていたとしても丸わかりになってしまうでしょう。
といったことを色々と考えてみますと、警察側としても正直あまり事件性を云々などと高らかに言いたくない、というよりそもそもこんな話に巻き込まれて内心少し困っているということであったのかも知れませんけれども、どうもそうとばかりも言っていられない方向に話が進んでいるようなんですね。

酸素供給器具の目盛りゼロ 名古屋の入院患者不審死(2011年3月1日47ニュース)

 名古屋市天白区の名古屋記念病院で起きた入院患者の不審死で、死亡した佐藤光代さん(58)=愛知県日進市赤池=に酸素を供給していた器具の目盛りが「ゼロ」で、バルブが完全に閉まった状態だったことが1日、愛知県警への取材で分かった。県警は当時の状況について家族や病院関係者から詳しく事情を聴くとともに、司法解剖して死因を調べる。

 県警によると、2月28日午前11時45分ごろ、モニターアラームが作動。医師が確認すると、通常目盛り「3」程度だった酸素供給量が「ゼロ」になっており、佐藤さんは約2時間半後に死亡した。バルブは手で回して開閉する仕組みで、看護師が午前11時15分ごろ、確認した際に異常はなかったという。

 佐藤さんは末期の肺がんで、付き添っていた夫(67)は「異変には気付かなかった。病院は『器具が壊れていたかも』などと説明しているが、全然納得がいかない」と話した

 県警は、佐藤さんの死亡時に娘2人も病院にいたとしていたが、夫は「自分だけだった」と述べた

はあ、「異変には気付かなかった」「病院の説明には全然納得がいかない」ですか…となると、それはもう事件あるいは犯罪として何がどうなったのかということを、徹底的に調べないではおけないということになってしまいますよね…
いずれにしてもこの件については関わる人間も限定されているわけですから、後日詳しい捜査の結果が出てくるんじゃないかと思いますけれども、ネット上で見てみますと「うちの場合看取りはこうだった」なんて告白スレのような状況になっていて、やはり人間誰しも家族などがもうこれ以上どうしようもないという末期状態になったとき、さて自分ならどうするということを考えずにはいられないんだなと改めて実感します。
例えばこんな書き込みもありましたけれども、「ああ、そういうことあるあるある」と思わず小膝叩いて(略)な方も多いのではないでしょうか?

祖母が脳梗塞で倒れた時
イカ月ぐらい入院してから心筋梗塞も併発して死んだんだが、
心臓が止まってからも数時間人工呼吸器を付けて、
親戚が集まった所で医者が人工呼吸器を止めて
「はい、○時○分御臨終です」ってやった
んだが、

人工呼吸器を止めた事を医者が殺しただの何だのって言い出す親戚が居て参った。

こういう「遠い親戚問題」というのは常々医療関係者を悩ませるものですけれども、普段から病院に顔を出していない人ほど患者にプラスの貢献を出来ていないという自覚あるいは負い目があるからなのでしょうか、たまに病院に顔を出すと普通以上に「患者のために私はこんなに努力しているんだ!」とアピールしたがるという傾向はあるように思います。
もちろんそれで患者さん本人の喜ぶ結果になれば何も問題はないわけですが、担当する病院側にしても患者さん本人や親しい家族にしても、ずっと以前からこの日あるを想定して何度も面会を重ねた上で方針を煮詰めてきたわけで、それらの事情も何も承知していない「部外者」がいきなり横からしゃしゃり出てきて、いきなりちゃぶ台返すような真似をしたところでどうするよ?と言うのが多くの人に共通する本音ですよね。
当の患者さん本人やずっとそばに付き添ってきた家族が長い長い心身の苦痛に耐え、やっと死というものを受容しようとしているときに「なんでこんなになるまで放っておいた!ここの医者はヤブか!」では、それはさすがに少しは空気読めと思われても仕方がないと思うのですが、多くの場合ご本人達には困ったことをしているという自覚がないだけに対処に苦慮するというものです。
ただ当然のことながら、どうせ死という結論が避けがたいのであればなるべく楽にというのは人間の偽らざる気持ちなのは当然なんですが、そういう点で見ると患者さんにとって気になるデータというのがこんなところになってくるのでしょうか。

J-HOPE研究の結果、がん診療連携拠点病院における苦痛緩和の早急な改善が必要(2010年6月22日がんナビ)
より抜粋

 全国のがん診療連携拠点病院(がん拠点病院)、緩和ケア病棟、在宅ホスピスなどの施設を対象に行われた遺族調査「J-HOPE研究」の結果が報告された。全般的に「満足」という結果は得られたものの、がん拠点病院における苦痛の緩和には改善の必要があることが示された。6月18日、19日と東京都内で開催された第15回日本緩和医療学会学術大会で、東北大学大学院医学系研究科保健学専攻緩和ケア看護学分野の宮下光令氏が発表した。
(略)
 調査項目は「ケアプロセス(Care Evaluation Scale)」や「アウトカム(Good Death Inventory)」など。

 研究の結果、ケアプロセスの「医師は患者のつらい症状にすみやかに対処していた」に対する回答は、拠点病院で55%、緩和ケア病棟が78%、在宅ケア施設が77%。「看護師は必要な知識や技術に熟練していた」への回答は、拠点病院が51%、緩和ケア病棟76%、在宅ケア施設が78%と、いずれもがん拠点病院での評価が低い結果となった。

 発表した宮下氏は調査結果から、がん拠点病院については、「医師への信頼感」や「人として大切にされる」などの基本的なケアについては、満足感が得られたとしながらも、苦痛の緩和については50%が不十分と回答している点を強調し、早急な改善が必要であると指摘した。

 また、緩和ケア病棟と在宅ケア施設に関しては、全般的な満足度や苦痛の緩和など基本的な項目で遺族が高く評価していると示唆する一方で、2002年と 2007年とを比較して改善がみられなかった項目として、「医師が患者や家族に将来の見通しについて十分説明した」や「支払った費用は妥当だった」「必要なときに待たずに利用できた」などだったことを指摘した。
(美奈川由紀=医学ライター)

「実際に癌の治療を行う拠点病院ほど癌の苦痛を放置しているってどういうこと?!」と思うような話ですが、実のところこういうデータの読み方も難しいところで、もちろん担当者が適切な疼痛緩和の方法論を知らないなんてのは論外にしても、今の時代純粋に苦痛除去だけを目的とするならば幾らでも方法があるというのに、何故こういう結果が出てくるのかということですね。
例えば冒頭の記事のような末期呼吸器癌であれば癌性疼痛などの痛みは無論のこと、何より常時窒息しかけているような呼吸苦が一番患者にとっての苦痛であるわけですが、これらに対しても極端な話が苦痛を感じないくらいに徹底して鎮静をかけてしまえばよいわけですし、事実ホスピスなどの終末期緩和施設では必要とあらばそうしたことを行うわけですよね。
ところがそんな状態にしてしまえば当然ながら癌に対する治療などは行えない、となれば元々がそこらの病院では手に負えない癌という難病の治療目的だからこそベッドのやりくりをしてでも基幹病院に入院しているわけで、その目的が達成できなくなったのであればホスピスにでもお移りいただいて、その分のベッドを他の治療目的の患者の為に使っていくべきだという話になってしまいます。
癌という死病と闘うためには、その苦痛にも耐えられるほどに元気でなければならないと言うのは何とも逆説的ですが、日本で保険診療をやっている限りはそうしなさいというのが国の方針であり、近頃ますますその締め付けが厳しくなっているからこそ「長年ここで治療してもらったのに、最後の看取りもしてくれないのか!」という患者の声が全国から聞こえて来ているわけです。

繰り返しますが、癌自体に対して全く治療を目的とせず苦痛の緩和だけをひたすらやるというのであれば、今は薬も進歩していますから末期だからとそう苦しむようなことはなくなっている(もっとも、周りから見て苦しそうに見えるということはありますが)、ただそうしたレベルの苦痛緩和を求めるのであれば「癌治療のための」病院ではなく、きちんと「苦痛の緩和を専門にしている」ホスピスなどにかかるべきだということです。
そう考えると患者からすると何の病気であれついつい大きくて立派な基幹病院でと思ってしまいますが、やはり適切な医療機関を選択するということが結局は患者自身のためでもあるということだと思いますし、日医などにしてもいつまでも医者は全て同じ、病院は全部一緒などとあり得ないタテマエばかり垂れ流していないで、実態に即した医療機関の使い分けを国民に示していく義務があるんだろうなと思いますね。
そうした情報の提示が患者の選択の自由を奪い自己決定権を損なうと言うのであれば、その結果患者自身の苦痛が増し場合によっては健康や生命すら損なうことになるということも同時にアナウンスしていかなければ、それこそインフォームドコンセントの欠如として後から非難されかねないということでしょう。

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