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2011年2月14日 (月)

大相撲八百長問題 実は小さくないその意味

先日以来世間を賑わせているのが大相撲の八百長問題ですけれども、正直八百長云々という話自体に関しては某都知事ではありませんが「今さら何を」といった感のある方も多いのではないかと思います。
ただ今回は八百長が実際に行われているということが証拠つきでほぼ確定した、しかもその話がゴシップ誌レベルではなく一般紙やテレビと言ったレベルで世間に広まってしまったという点で、さすがに協会としても「八百長?ありませんが何か?」とダンマリを決め込むわけにもいかなくなったということなのでしょう。
ただ見ているとおもしろいのはこういう話が表に出て当然ながら大々的な調査が始まっているわけですけれども、どうもすんなりと進んでいるでもないらしいということなんですね。

八百長疑惑、力士ら非協力で調査に限界(2011年2月11日産経新聞)

 大相撲の八百長疑惑をめぐる日本相撲協会の調査が行き詰まっている。力士への聴取であいまいな回答が相次ぐほか、携帯電話を「壊した」などと提出しない力士もいる。調査に強制力はなく、関係者からは「全真実を明らかにできるかは分からない」と弱気な言葉が漏れ始めている。

 「本人が認めないのに八百長認定は難しい。裁判を起こされる可能性もある」。文部科学省幹部はこう話す。疑惑発覚当初は「早期の全容解明」「公益法人認可取り消しも」と強い姿勢だった文科省が最近、慎重な発言に終始している。

 理由は協会の調査が進まない現状だ。協会の特別調査委員会は八百長関与が疑われる14人や十両以上の全力士に事情聴取を行っているが、「知らない」「よく覚えていない」などあいまいな回答をする力士が少なくないという。

 八百長関与を認めたのは3人だけ。警視庁が強制捜査で押収した携帯電話でメールのやりとりが明らかになった力士らで、メールで名前を挙げられただけの力士や親方は全員否定している。関係者は「特別調査委は逮捕も家宅捜索もできない。力士に協力する気持ちがないと解明は難しい」と漏らす。

 携帯電話のメール記録の確認も進まない。関与が疑われる14人の中には「壊した」「機種を変更した」と弁解し、携帯電話の提出に応じないケースもあった。高木義明文科相も「調査に協力を」と苦言を呈する。

 協会は今月14日の臨時理事会で特別調査委の報告を受ける予定。しかし、まだ全容解明が難しいため、力士らの処分は先送りされる可能性が高くなった。

 文科省幹部は「保身のために調査に協力しない力士がいるならば、こんな愚かなことはない。国民の理解を得られないと、大相撲は沈没する。そうすれば、自分の八百長を隠し通しても結局、協会ごと沈むしかないのに」とぼやく。

八百長問題そのものよりも今回の一連の騒動が興味深いというのはこうした状況にあると思うのですが、いささか大人げないほど露骨過ぎる態度に見えますが、実はこういうところにかねて言われる事故調議論などにも共通する問題点、あるいは真相追求の限界というものがあると言えそうですよね。
本当のことを言えば自分が処罰される、調査に協力すれば他の誰かに迷惑がかかるといった不利益にしかならないような状況で、いったい誰が素直に本当の事を喋るだろうかと考えて見ればごく自然な反応ですし、逆にこういうごく自然な反応しか返ってこない場合に真相追求が困難になるということが判りきっているからこそ、多くの人間が真相追求と処罰、そして再発防止とはきちんと区別しなければならないと言っているわけです。
故意と過失との違いを問わず、どんな世界においても保身をかなぐり捨てて調査に協力するような聖人君子ばかりが揃っているなんてことはあり得ないわけですから、人間は自分に利益になるように真実を偽る生き物であるという大前提を無視しては何ら実りのある議論にはならないのは当然で、そういう意味でも今回の八百長問題は非常に興味深いテーマを提供しているんじゃないかという気がします。

そもそも大前提というものに立ち返るなら大相撲において何故八百長が起こるのかを考えなければなりませんが、その理由は諸説ありますけれども一番大きな理由としては特定の状況における勝つと負けるとの差が極端に大きすぎて、大金を払ってでも勝ちを買った方がずっとお得であるという明確な理由があるわけですよね。
とある調査によれば千秋楽の7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する勝率が79.6%であると言いますが、もちろん人間心理として勝ち越しで地位安泰が決まった後は100%本気にもなれないにしても、単純に実力勝負だけで取り組みが行われていると受け取るにはいささか極端な数字が残っているのは事実であるようです。
勝ち越せばそれだけ給料が上がっていくだとか、幕下と関取との間のあまりに大きな待遇格差だとか、大相撲独特の給与制度は昔からの慣習もあって続いているのでしょうが、過去にも多くの力士が証言しているようにたった一勝の差で人生が全く変わるとなれば買ってでも勝たざるを得ない、何しろ生活がかかっているのだからというのは正直なところなのではないでしょうか。
となれば、八百長を根絶するためには力士にモラル教育をする(苦笑)だとかいった「体質改善」なんてものはあまり意味がないはずで、故障や引退した力士の生活保障だとか給与体系改善といったやり方の方がはるかに有効であるはずなんですが、どうも見ている世間の側ではそういう風には考えていないらしいのですね。

大相撲体質改善「期待できず」57%…読売調査(2011年2月5日読売新聞)

 読売新聞社のスポーツに関する全国世論調査(面接方式)で、不祥事が相次ぐ大相撲について聞いたところ、日本相撲協会の体質改善に向けた取り組みが、成果を上げられると思う人は35%にとどまり、「そうは思わない」が57%に上った。

 調査は八百長問題が持ち上がる前の1月29~30日に実施したが、体質改善に否定的な見方が多数を占め、角界に向けられる世論の視線はさらに厳しさを増しそうだ。

 今の大相撲に望むこと(複数回答)は「日本人力士が活躍する」64%が最も多かった。ただ、これに続くのは「暴力団の排除などで体質を改善する」40%、「力士の品位を向上させる」36%で、角界正常化への注文が目立った。「指導者のレベルを向上させる」も31%あった。

まさに当事者が言っているように一つの勝ち星が即座に給料に関わる世界で食っていくためにやっている話に対して、これが第三者の考える各界改善への方法論なんだとすれば何とも的外れと言うしかありませんけれども、まさしく事故調に関わる議論などにおいても全く同様に「現場のモラル改善を!」なんて何らの実効性もなさそうな「対策」ばかりが出てくることと驚くほど共通点が感じられると思います。
「なぜそうしたことが起こるのか」という問いかけに対しては外野の観念論など無意味で、やはり現場で何がどうなっているのかという当事者の生の声こそが重要であるし、そのためにも現場の当事者が何の躊躇いもなく事実を語り、あるいは最善と信じる対策を提案できる環境が保証されなければならないはずですが、相撲の世界もまたそうした状況には程遠いということですよね。
八百長問題など今さらどうでもいいじゃないかと無関心派の方が多いらしいなんてことも言いますけれども、社会の問題解決に向けた方法論という視点で見ていくとこれは非常に興味深いテーマでもあるし、実効性ある対策というものをどうやって見出し、それを実施していくかという過程を見ていくことは、他の類似の問題に対する良い学習機会にもなるんじゃないかという気がします。
こういう話になるととかく日本人というものは非合目的的な観念論と言いますか、実効性よりも妙な原理原則にこだわりすぎる傾向があって、その点からするといっそこうした問題の対処に慣れた外部の声に素直に耳を傾けた方が早いのかも知れないですけれどね。

【オピニオン】八百長相撲の根絶には報酬制度の改革を/マーク・シリング(2011年2月9日ウォール・ストリート・ジャーナル)
 このところの八百長問題は、相撲2000年の歴史で最大の危機だ。日本の国技で新たに生じた現象だからではない。過去にも同じような疑惑が浮上したことはあり、相撲が持つこの暗い側面について知るファンは多い。ただ、今回は動かぬ証拠があるため、日本人は問題の深刻さと現実を突きつけられている。

 八百長は、昨年夏の野球賭博問題の捜査過程で発覚した。警察が力士の携帯電話から削除されたメールを復元したところ、支払われる金額や使う取り口といった八百長計画の詳細が見つかった。これまでに14人が関与を疑われ、うち3人が認めている。

2日にマスコミが取り上げてから、日本相撲協会は春場所の開催中止を決めた。同協会の放駒理事長は記者団に対し、「長い相撲の歴史で最大の汚点」であり「おわびのしようもない」と述べた。その上で、協会として広範な調査を開始すると言明した。開催中止が増える結果になっても、必要な時間をかけて八百長を完全に撲滅するという。

 力士が特に八百長の誘惑にかられるのは、黒星が増え、場所を負け越しそうなときだ。負け越せば降格というときはなおさらである。力士の階級は大きく6段階に分かれるが、本当にプロの地位と報酬を享受しているのは上2段階(幕内と十両)だけだ。

 幕内と十両は、それぞれの場所で8勝し、階級を維持することに専念する。千秋楽が近づくと、負けが多い一部力士は、既に「安全」地帯に入っており星を売ってくれそうな対戦相手はいないかと考え始める。

 一つ考えられる解決策は、月給と比較的少額の報奨金という現行制度をやめ、ボクシングのように勝ったときに手にする金額と負けたときの差を大きくすることだ。賞金が場所の初めより最後に高くなるよう調整してもいい。現行制度では、翌場所の階級が確定している力士が大したダメージも受けずに取組相手を「手助け」できる。3秒とかからずに負けて簡単に小遣いを稼げるのだ。今後の取り組みで白星を返してもらってもいい。

 ということは、相撲はショーなのか。甘いかもしれないが、わたしは今でも違うと信じている。地方巡業の取り組みには何もかかっておらず、誰もけがをしたくないため、動きが演出されているように見える。これに対し本場所では、取り組みは明らかに激しく、力士がけがをすることも多い。大けがもある。八百長が常に行われていたら、休場ないし引退を余儀なくされるようなけがをほぼすべての力士が経験することはないはずだ。

 最後に、日本相撲協会が興業を指揮しているなら、現在優勢な外国人軍団よりも日本人力士の勝ちが多くなるはずだ。ファンは間違いなくそう願っている。しかし、日本人力士が前回優勝杯を手にしたのは2006年1月だ。 

 何より、ファンはクリーンな相撲を望んでいる。菅直人首相が八百長疑惑について、あったとすれば「国民に対する背信行為」だと言ったほどだ。これまでの改革の失敗をみると、現在の対処についても先行き明るいとは言えないが、相撲の存続はここにかかっている。報酬制度を変えない限り、八百長はじわじわと復活するだろう。ちょうどこれまでと同じように

(マーク・シリング氏は東京を拠点とするフリーランスライターで”Sumo: A Fan’s Guide”の著者。1980~2000年に初の英字相撲雑誌「スモウ・ワールド」のライター、91年以来NHKの二カ国語相撲放送のコメンテーターを務める)

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