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2011年1月22日 (土)

多様な意見の排除を図る態度は、民主主義社会とは最も縁遠いものです

本日まず最初に、以前にも紹介しましたあのあきれるばかりの事件について当然ながら有罪判決が出たという記事から紹介してみましょう。

TBSカート事故で有罪判決 自らの都合で無理に発進/高知(2011年1月20日47ニュース)

 高知県芸西村のゴルフ場で2009年11月、TBSの中継用ゴルフカートが暴走し、観客3人が重軽傷を負った事故で、自動車運転過失傷害罪に問われたフリーカメラマンの田中雅人被告(48)=東京都練馬区貫井=に高知地裁は20日、禁錮2年、執行猶予4年(求刑禁錮2年)の判決を言い渡した。

 平出喜一裁判官は判決理由で「良い映像を撮りたいという自分の都合で無理に発進し、十分な間隔をとらなかった過失は重大」と指摘。一方でカートが暴走する可能性が高いとまで認識していなかったなどとして、執行猶予付きが妥当とした。

以前に紹介したときにも驚くべきTBSの取材ぶりは紹介しましたが、何しろ事故が起こった瞬間真っ先に大会スタッフの口から「このカート、ずっとマークしていたんだ!!」なんて怒声が上がったというくらいで、このような事故を起こすことが半ば以上予想されていたというのは穏やかではありませんよね。
TBSといえば昨年末にもバラエティー番組制作で小学生の腕を叩き折ったというくらいで、もはやその暴走ぶりはとどまるところを知らないという勢いですけれども、こうした傍若無人な姿勢は別にTBSに限った話でもなく業界全般に共通するものであるらしいですね。
例えば日テレの「バンキシャ!」は韓国のスケート選手の非公開練習を盗撮したとして同選手のマネジメント会社から猛抗議を受けたということですが、当初「通常の取材で何も問題ありませんが何か?」と知らぬ存ぜぬを決め込んでいたものを、結局隠し通せなくなって謝罪文を送りつける羽目になるという「いつも通り」の恥ずかしい振る舞いに及んでいます。
この正月1日にはNHK職員が他人の車の中に入り込んで物色しているところを所有者に見つかり、窃盗未遂の現行犯で逮捕されるという事件が起こっていますけれども、このあきれた泥棒スタッフ氏の逮捕後第一声が「弁護士を呼べ!」だったということですから、他人の権利を侵害することには無頓着でも自分の権利を守ることにだけは熱心であるという彼らのスタイルが判るというものでしょう。
NHKと言えば先日は大河ドラマの肝心なシーンでどうでもいいテロップを被せたと日本中から大ブーイングでしたが、どうやらあれも確信犯的に行われたことらしいという噂もあるくらいで、今度はアナログ放送の画面にデカデカと放送終了の文字を被せるなんて視聴者無視としか思えない蛮行をやるというのも、当然ながら彼らなりの深慮遠謀が隠されているということなのでしょうね。

テレビなども「女子アナ残酷物語」などと言うくらいに経営危機が叫ばれつつ、それでも速報性を武器になんとか生き残りの道を模索しているようですが、これが新聞社となるとすでにメディアとしての性質自体が完全に終わったもの扱いである上に、その論調すら今どきの若年世代を完全に敵に回すかのような言動を続けているのですから将来にわたって二度と浮かばれる可能性はなさそうですよね。
先日は天下の朝日も英字新聞から撤退するという発表がありましたが、業績低迷でどうにも首が回らなくなった状況を称して「電子配信を強化するための戦略的撤退」とは、さすが全滅を玉砕と言い換えてきた歴史と伝統を誇る新聞社だけのことはあると感心させられます。
こうした日本の新聞業界の低迷ぶりは今や世界的にも注目を集めるに至ったということなのか、「ニューズウィーク」にも大々的に取り上げられるようになったというのですから「ロウソクの炎は燃え尽きる前の最後が一番…」ということなんでしょうかね?

"シンブンキシャ"の思考は停止中? なぜ日本の新聞はダメなのか(2011年1月17日日刊サイゾー)より抜粋

【元木昌彦の「週刊誌スクープ大賞」第75回(1月13日~1月17日発売号より)】

第1位
「だから新聞はつまらない」(「ニューズウイーク日本版」1月19日号)

第2位
「『抗がん剤は効かない』は本当か!?」(「週刊文春」1月20日号)

第3位
「現場の磁力 ルポライター故・朝倉喬司さんが見た〈異界〉の風景」(「週刊ポスト」1月28日号)

(略)
 今週の第1位は、日本の新聞記者を「ニューズウイーク」が徹底批判した記事。

 なぜ日本の新聞はテレビと並んで「マズゴミ」とまで酷評されているのか。それはよく言われるような記者クラブの閉鎖性や、クラブを通して権力者たちと癒着しているだけではない。問題の本質は「シンブンキシャ」という人種の多くが思考停止していることにある。その原因は、失敗を過度に恐れる文化や硬直した企業体質、それに現場主義と客観報道の妄信にあるとしている。

 なかでも政治部記者は、記者会見が始まると一斉にノートパソコンのキーボードをたたきはじめ、その姿はジャーナリストというよりタイピストか速記係のようだと揶揄している。

 さらに思考停止する理由は、日本の記者が掲げる「現場至上主義」にあるのではないか。現場に行って取材すればそれで終わりと満足し、ニュースについて深く考える機会を自ら放棄しているというのだ。

 高いレベルのジャーナリスト精神や膨大な情報をもっている記者もいるのに、紙面に反映されることがないのは、事実や中立性に重きを置く「客観報道」を理想とあがめ、それを、名誉毀損で訴えられたときの逃げ道にもしていると斬り込んでいる。

 日本の新聞が変われないのは、これまでの硬直化したメディア環境を当然だとしてきた読者側にもあり、新聞を批判する側も思考停止に陥っていると結んでいるが、欲をいえば、もっと多くの第一線の記者や編集の責任者のインタビューをして、病根を深く掘り下げてほしかったと思うが、ピリッと胡椒のきいた新聞批判にはなっている。

 新聞はもはや、速さを競ったりスクープ合戦できるメディアではない。外国のクオリティペーパーのように、遅いけれど正確な分析記事を書くような新聞にするのか、中立公正・客観報道などという幻想を棄てて、一人ひとりの記者の主観で、読者の読みたい情報を提供する新聞にしていくのか。どちらにしても、新聞を含めたメディアにとって、今年は生き残りをかけた厳しい年になることは間違いない

元木氏の指摘するような問題点はすでに久しく以前から各方面によって出されているものばかりですけれども、こうした思考停止をしていかなければ務まらない日本のメディアなるものの硬直化した環境自体が自己改革の目を自ら摘み取り、更なる思考停止を来した記者達の拡大再生産を続けていく源泉となっているのだとすれば、これは自主的な改革など望み得ないものなのかも知れません。
新聞とテレビとを問わず彼ら既存の大メディアがどこまで落ちるところまで落ちているのかを指摘する声は昨今一つや二つではありませんけれども、一方で第三権力を振るい放題な相手に向かっては捏造、偏向報道を当然と公言して見せ、一方でそれに対して否定的なネット言論に恐慌の体を示してみせると言うのであれば、要するに彼らに気骨とか気概とか呼ばれるものは存在しないのかという話しですよね。

自民党改革(2011年1月19日三原じゅん子オフィシャルブログ)より抜粋

毎日新聞社 特別編集委員であるテレビでもお馴染みの岸井成格氏が講演に来てくださいました。
その中で自民党への注文などもありました。
(略)
沢山の議員との意見交換もありました。
山本一太議員からは、ディベート能力の話についての発言がありました。
メディアに対し「テレビの討論番組も民主党議員が嫌がって避けていて2度もキャンセルになった」現状では、やりこめられることを恐れて1対1での討論を避けるのだそうです。

その上「予算委員会などで、わが党が具体的な政策を打ち出ししっかり議論しているところは全く放送せずに、たまたま大臣の失言などを批判しているほんの1部分だけを放送する。その挙句には、自民党は批判ばかりでこんな事でいいのか!!とまで。」これはマスコミの報道にいつも矛盾を感じていた私とも同意見であった。

すると岸井氏はマスコミのそういうありかたをあっさり認め、視聴者が喜びそうなネタ(揚げ足とりが面白いらしい)の部分しか放送したがらない、記事にしないとの事だった
それで自民党に支持が戻っていないと言われるのは明らかに矛盾を感じざるをえない
メディアの操作で世論の感情を左右してしまっているのか。
政権交代はその影響もあったということか。
(略)

大メディア ネットでの言論増加に対し完全にパニック状態(2011年1月19日ニュースポストセブン)

 正月に官邸で番記者らを接待するなどマスコミにすり寄る菅政権。しかし、菅政権のマスコミ頼みは、もう国民を欺けない。

 菅首相が1月5日に出演した『報道ステーション』が6.9%の「超」低視聴率に終わったことを見れば明らかだ。「菅の顔など見たくない」という国民の審判であると同時に、既存の大メディアに対する不信感でもある。芸人を集めたバラエティ番組では視聴率を取れても、もはや国政の重大事を記者クラブ・メディアで判断しようという国民は日に日に減っている。それを自覚しているからこそ、テレビのニュース番組はますますバラエティ化し、「クマ出没」「人気ラーメン店」がヘッドラインを飾るのだ。

 その一方で、菅氏が「潰したかった」という同日の小沢一郎・元民主党代表のBS11出演は、「視聴率は調べていないが、局へのメールなどの反響は通常の政治インタビュー番組の4~5倍あった」(同社幹部)という。また、昨年末に小沢氏はインターネットのインタビューに出演したが、その視聴者数はのべ20 万人を超えている。

 そうした“権威”の失墜に慌て、ニューメディアを敵視する大マスコミは、記者に「ツイッター禁止」を命じたり、閣僚や官庁の記者会見場からニューメディアを追い出そうとしたりと、完全にパニック症状だ。

 朝日新聞などは、広島市の秋葉忠利・市長が、記者クラブ会見ではなく、ネットの動画サイトに退任談話を配信したことに怒り、6段抜きの大きな記事を掲載して(1月6日)、「会見拒否」「真意不明」などと秋葉氏をコキおろした

 記事に登場する大学院教授のコメントが興味深い。政治家のネット出演は「編集されたり、批判的なコメントを加えられたりすることを嫌がる権力者に都合のよい手法」だというのだが、そういえば小沢氏は、テレビ出演の条件を「編集されないこと」としていた。その条件をのむ局がなかったからネットに出演したのだが、「そのまま放映」と「編集」が、権力者とメディア、国民の誰にとって都合がよいのか、難しい問題だ。

この政治家のネット出演の件に関しても先日取り上げましたが、要するに昔ながらのメディアによる情報操作と世論誘導というものは、複数のソースから当たり前のように情報を仕入れている今の若年世代には通用しなくなってきている、むしろ彼らの意図とは逆に強烈な反感を買うだけになりつつある、そして彼ら自身がその事実に気付き焦燥に駆られているという状況が見て取れると思います。
興味深いのはテレビ出演を拒否したと伝えられている小沢氏にしても、勝手に発言を編集されないのであれば出演をしていた可能性があったということで、とりあえず小沢氏の主張したいところを語らせるということを優先したネットメディアに比べて、こうした意見公表の自由すらも認めないほどに硬直した既存メディアのありようというものが改めて明らかになる話でもあるわけですね。
当「ぐり研」にも何度か登場いただいた上杉隆氏などは、既存のメディアは一体いつまでこうしたニューメディアを矮小化あるいは無視しつづけるつもりなのかと苦言を呈していますけれども、確かに若年人口が減る中で今はまだ社会的な絶対多数を形成するには至っていないのかも知れませんが、こうしたニューメディアを新聞やテレビと同様、あるいはそれ以上に当たり前の情報ソースと考える人間は今後増え続けることだけは確実であるわけです。
既存メディアの危機を自覚しながら、旧態依然とした自分達だけの世界での議論に終始している彼ら旧世代の遺物と、開かれた情報世界として日々拡大を続けているニューメディアと、どちらが今後の主流になっていくのかは間もなく誰の目にも明らかになっていくのかも知れませんね。

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