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2011年1月21日 (金)

多くの人に望まれても話が進まないのには理由があるもので

先日は東京で統合失調症で加療中であった40代の男性が腸閉塞で亡くなるという事件がありましたが、週末の夜に2時間半にわたって大学病院など13病院にあたったものの搬送先が見つからず搬送を断念、結局翌日昼に自宅で亡くなるという経過もあってか、毎日新聞などは前後の状況をかなり詳しく取り上げています。
天下の大都会の最中で起こっただけになかなかショッキングな出来事であったのでしょう、毎日も類似の症例を発掘してくるなど何本も続報記事を出していますけれども、読者からも大きな反響があったということで、今や国民総鬱病時代というくらいに心の病も身近なものになっているだけに決して人ごとではないという意識もあるのでしょう。
また逆にこういう記事を見た人が「心の不調を感じても精神科にだけはかからない方がよさそうだ」と思い込んでしまうとなれば、また別の大きな社会的問題を呼び起こしそうですから、産科救急などと同じようにこれまた喫緊の課題として対処していく必要がありそうですね。

「統合失調症の男性、搬送先見つからず翌日死亡」 読者から多くの反響(2011年1月19日毎日新聞)

 ◆精神と身体の「合併症」
 ◇治療体制不備、浮き彫り 医療現場「拒否ではなく不可能」
 ◇医師「先に精神科の治療を」/「迷惑かけぬ」と約束

 東京都東久留米市で体調不良を訴えた統合失調症の男性(当時44歳)の救急搬送先が見つからず翌日死亡した問題を取り上げた記事に、多くの反響が寄せられた。「統合失調症のめいが気絶して救急搬送を頼んだが、数カ所の病院に受け入れてもらえなかった」「精神科の治療をしてからでないとやけどの治療はできないと言われた」。読者の声からも精神と身体の「合併症」をめぐる治療体制の不備が浮かび上がった。

 大阪府の男性(69)は昨年12月27日午後10時ごろ、統合失調症のめい(22)が外出先で突然気絶したため、救急搬送を要請した。しかし数カ所に受け入れを断られ、病院が見つかるまで20~30分かかった。男性は「大阪でも東京と同じようなことが起きている。受け入れ体制の整備をしてほしい」と訴える。

 関東地方の20代の男性は軽度のうつ病などの治療を続けていた昨冬、事故で手足をやけどするなど重傷を負い、救急搬送された。検査の結果、手術が必要と診断されたが、医師は「命に別条はない。先に精神科の治療を終わらせてから来てほしい」と話した。

 男性の母親は「手術後は息子を家族が監視し、病院には一切迷惑はかけません」と約束して手術をしてもらった。「うちは病院で診てもらえただけよかった」と振り返る。

 東京都の30代の女性は記事を読み、精神科にかかっていた40代の知人男性を思い出したという。

 男性は金曜日の夜、嘔吐(おうと)と激しい腹痛に襲われ、タクシーで総合病院に向かった。内科医に「処方された向精神薬の影響による腸閉塞(へいそく)で入院が必要」と診断されたが、「月曜日まで待ってかかりつけの精神科医に入院先を探してもらってください」と言われ、帰された。後日別の病院に入院して治療を受けられたが、病院側の対応に疑問を持ち続けていたという。

 一方、東京都の大学病院の看護師長(44)は「(心身合併症患者の)受け入れ拒否ではなく不可能な状態」と指摘する。

 夜勤時間帯は看護師が少なく、多忙を極める。合併症患者を受け入れれば患者につきっきりになり、他の仕事に手が回らなくなる。「医療現場の人間には大きなジレンマがある」と言う。【奧山智己】

こころを救う:心身合併症急患、茨城・土浦でも通院女性死亡(2011年1月20日毎日新聞)

 ◇腸閉塞、内科・精神科連携できず

 茨城県土浦市で09年3月、長年精神科病院に通院していた女性(当時49歳)が腸閉塞(へいそく)などで死亡した。連日嘔吐(おうと)して内科診療所に行ったが、精神科の受診歴を理由に診察を断られ、精神科病院で応急処置したものの、体の病には気付いてもらえなかった。地元の精神障害者支援団体などは「精神障害と身体疾患の合併症患者を受け入れる総合病院があれば助かった可能性がある」と指摘する。

 身体疾患のある精神障害者を巡っては、腸閉塞を発症した東京都東久留米市の統合失調症の男性(当時44歳)の救急搬送先が見つからず死亡した問題が明らかになったばかり

 土浦市の女性は20代半ばから、理由なく父親を激しくののしるようになった。精神科病院を受診し、向精神薬の服用を続けたが、症状は改善しなかった。

 両親は09年1月、別の精神科病院に入院させたが母親(75)に何度も「帰りたい」と訴え、3月6日に一時帰宅。約1週間後、女性が嘔吐し、2、3日たっても続いた。母親は3月半ばに内科診療所に連れて行った。

 母親が医師に既往症を説明すると「精神科にかかっていた患者さんは分からないことがあるので診察できない」と言われた。母親は救急病院の受診も考えたが、精神障害者支援団体の仲間から「あそこは精神科の患者を断る」と聞いていたため見送ったという。

 嘔吐は1日2、3回になり、母親は3月20日「体の症状を診てくれるか分からないが、もうここしかない」と女性が入院していた精神科病院に診察を頼んだ。精神科医に吐き気止めの処置をしてもらったが、病名の説明はなかったという。

 21日夜、女性が自宅のトイレに入ったまま出てこないため、母親が見に行くと倒れていた。救急搬送されたが病院で間もなく息を引き取った。死因は腸閉塞と多臓器不全。母親は「内科の症状を診てくれる病院があれば、よくなっていたかもしれない」と悔やむ。

 女性が最初に訪れた診療所の医師は「記録がないので詳しい経緯は分からないが、症状をうまく伝えられない精神障害者の場合は診察しない」と説明する。入院していた精神科病院の院長は「精神科医が身体疾患を診るのは非常に難しい。精神科病床のある総合病院があればよかった」と話す。

 女性を支援してきた茨城県精神保健福祉会連合会の中川正次会長(80)は「精神疾患があると一般診療科に受け入れられにくい。結果的に手遅れになってしまった。せめて精神科病院と一般病院の連携がスムーズだったら」と言う。

 精神科病床のある総合病院の所在地について、日本総合病院精神医学会が07年に調査したところ、国が入院医療の体制を整備するため全国の市町村を367地域に分けた「2次医療圏」のうち、40都道府県の126地域(34%)で一つもなかった。茨城県内には2カ所のみで、土浦地域は08年3月末、国立病院機構・霞ケ浦医療センターが精神科病床を閉鎖し、空白地域になっている。【奥山智己】

今回の事例で一体何が悪かったのかと考えて見ると幾らでも指摘は出来るのですが、例えばかかりつけである精神科病院は真っ先に悪性症候群など精神科救急を鑑別する必要もあったでしょうし、少なくとも自ら診療情報提供をするなりしていればもう少し話が付きやすかったのではとも思うし、意識障害があるにも関わらず三次救急に当たることもなく搬送を断念した救急隊の対応もどうなのかとも感じられるところでしょう。
一般に安定期の精神疾患であれば治療上別に大した問題でもないし、天涯孤独というのならともかく本件のように家族がいるような場合であれば救急の側でも対処法は幾らでもあったと思いますが、事が一段落した後に精神科の側から「まだ熱があるから」「食事が十分食べられないから」といった理由で受け入れを拒否される事例も多く、「引き受けてもバックアップがないのであれば」と躊躇させる一因にもなっているのかとも思います。
結局のところ精神科にも救急にしても少しばかり相手領域にクロスオーバーする知識があれば何と言うことはない場合がほとんどなのですが、日頃から顔をつきあわせているはずの内科と外科でも同じ病気に対する治療法が全く違うなんてことがままある位で、これが精神医学と身体医学ともなると何十年も別個の道を歩んできた結果、お互い意思疎通も困難なくらいに遠い医学になってしまっているわけです。
それだけにお互い「仮にも医師免許持ってるならこれくらい常識だろう」と思う知識が全く共有されていないなんてことがあり得るもので、たぶん双方とも「なんでこの程度のことに対応が出来ないんだ!」と日頃からストレスを募らせているのでしょうが、今後はローテート研修によって精神科医も一定の身体医学的スキルを持つようになると、このあたりの事情は徐々に変わっていくのかも知れないですよね。

こういう話を聞くとやはり医者たるもの診療科横断的な知識は必要だ、これからは総合診療こそ社会に求められているのだと考える人もいると思いますが、諸外国のようにgeneralist(総合医)とspecialist(専門医)の区別が特にあるわけでもなく、総合医たるを期待されている人々が単に第一線を引退した元専門医に過ぎないことが一般的な日本では今までこの領域が弱かったことは確かでしょう。
先日は読売新聞が「連載5000回記念に総合診療に関する記事を書いていますけれども、いつもながらの自画自賛ぶりにはいささか閉口するにしても(苦笑)、単に専門家たる技量を持っていないといった消極的な意味での総合医ではなく、全科横断的な初期診療能力を持つ有能な総合医がいれば色々と便利だろうなと誰しも思うところではないでしょうか。

[展望2011]総合診療、危機打開のカギ(2011年1月19日読売新聞)

医療情報部長・田中秀一

 読売新聞朝刊の連載「医療ルネサンス」が17日、通算5000回を迎えた。「心と体に優しい医療」の実現を願って1992年にスタートし、専門的な医療情報をわかりやすく伝えて医師と患者の橋渡しとなるよう心がけてきた。

 連載の開始時に比べて医療を取り巻く状況は大きく変わった。あまり行われていなかったがん告知は、今では当然のことになった。当時導入されたばかりだった内視鏡手術が多くの分野に広がるなど、技術は格段に進歩した。

 一方で、医師不足など医療の危機が深刻になった。これには様々な要因がある。

 風邪をひくと、多くの人が医療機関に行き、抗生物質を処方される。だが、風邪の原因の大半はウイルスで、抗生物質は効かない。実際には効果のない薬を求める人たちで病院が混雑している

 次々に新しい抗がん剤が登場し、がん治療は飛躍的に進歩したと言われる。最新治療を求めて病院を渡り歩く「がん難民」という言葉も生まれた。だが、がんの新薬の多くは数か月間の延命効果がある程度で、白血病などを除けば、がんを完治させる薬はまだ見当たらない。

 「医療が進歩したのだから、病院に行けば治してくれるはず」。過剰な期待が、医療現場に重い負担となる。

 医療側にも問題はある。多くの医療機関が競って高度な検査機器を導入し、日本にはCT(コンピューター断層撮影)装置が人口あたりの数で米国の3倍、英国の13倍もある。こうした機器に頼って安易に検査を行えば、過剰検査で医療スタッフは忙殺され、医療費も高騰する

 この現状を打開する鍵の一つが「総合診療」だ。臓器別に専門分化した縦割り診療でなく、様々な病気を総合的に診ることを指す。

 昨年、総合診療をテーマにしたテレビドラマ「GM~踊れドクター」(TBS)が話題になった。GMは総合診療科のことで、潔癖症で患者に直接触れることができない主人公の医師が、問診の情報で病名を解明していく。

 「10人の専門医が1人の患者を診るのではなく、1人の医者の頭の中に10人の専門医がいるつもりで診療する」。このドラマを監修した生坂政臣・千葉大病院総合診療部教授は、総合診療の極意をそう説明する。患者の7~8割は問診だけで診断でき、問診の精度を高めれば95%は検査なしに診断できるという。

 全国の医師約28万人に対し、専門医資格を持つ医師は延べ約30万人もいる。1人の医師が複数の専門医資格を持つ場合もあるためだが、専門的な診療が必要な病気はそれほど多くない。患者が求めているのは、心身を総合的に診てくれる医師だ。

 日本では患者1人あたりの受診回数が年間13・4回と、米英の3倍ほど多く、医師の不足や過重勤務につながっている。軽症でも救急外来を訪れる人も少なくない。医療の限界を知って過剰な期待を払拭し、受診が必要なのはどのような場合かを学ぶことは、医療危機の緩和に役立つ。

 もちろん、患者や医師個人の努力だけで危機は解消できない。政府は、検査や薬に頼らなくても医療機関が経営できるよう診療報酬のあり方を改め、特定の診療科や専門医に偏った医師の配置を是正する仕組みを作るべきだ

 患者と医師が互いに理解することは、医療をより良くすることにつながる。医療ルネサンスは、今後も患者と医師の懸け橋となる報道をしていきたい。

ま、人間の能力的に一人の医者が10人の専門医の役を務めるというのも無理があると思いますし、明らかに専門医にかかるべき状況であれば遠慮なく専門医に回してもらえばいいわけですけれども、こういう総合医の有用性を認めるのであればその数を増やすために何が必要なのかという議論もまた必要なはずですよね。
医者の本当の能力、とりわけ臨床の能力というものは一緒に働いてみて初めて判る類のものではないかと思うのですが、世間的には今のところ専門医などという外面的な資格でしかそれを図る術がなく、医者の世界においてもとりあえず専門医取得を目指してというのが一つのゴールドスタンダードであったわけですが、そうなると生粋の総合医にとってはひどく困った状況になりますよね。
専門医を取るためには特定領域の疾患が集まった学会認定の研修施設でひたすら同じような症例の数をこなしていくわけですが、当然ながらそうした症例はすでに診断がついている段階で回ってくるわけですから初診での診療能力は鍛えられない、何より総合医として幾らスキルアップしてもそれを評価する客観的指標というものが存在しない以上、医者の側としても何を目安に修練を積んだらよいかと迷いますよね。
そして施設の側にとっても専門医が多くいれば認定施設の看板を掲げられ研修医集めや診療報酬上の恩恵を受けられる可能性がある一方、熟練の総合医が「俺は95%は検査なしに診断できるぜ」と豪語したところでそれでは何の収入にもならないわけですから、なんだ結局総合医なんていない方がいいというように社会の仕組みがなっているわけです。

もちろんgeneralistは診療所レベルで初診を担当し、specialistが基幹病院で専門的治療を担当するという分担が出来るのであれば、例えば外来診療に特化したgeneralistは給料は安めだが仕事は定時で楽な一方、重症入院患者を受け持ち多忙なspecialistは給与や社会的評価を高めにすることで報いるといった縦の関係もありでしょうし、実際そういう図式になっている国も多いですよね。
ところが日本ではそこらの町医者だろうが大学病院の専門家だろうが、いつでもどこでも誰にでも自由にかかれるということを医療制度の売りにしてきた経緯があって、しかもこうした医者の区分の導入ということには日医などが一生懸命反対しているということもありますから、結局専門医が総合診療的な業務まで押しつけられて「なんだ、専門医なんて取れば取るだけ損なだけじゃないか」と考える人間も増えてきているわけです。
そんな中で内科学会の「総合内科専門医」 などは一つの評価基準の提供を目指しているのでしょうが、試験の内容などを見ると「これは総合医としての臨床能力を測る指標として適切なのか?」とも思え る一方で、そもそも受験資格自体が地域で長年第一線の総合医として診療に当たってきた人間にハードルが高すぎるという、いささかちぐはぐなことになってい るのはどうなのかです。

患者にしても意味のない専門医指向なるものを是正していく必要があるのはもちろんですけれども、診療報酬やスキルとしての評価も含めた制度的にも、業界内部での当事者の意識的にも大幅に変えていかないと、専門医ですら何のメリットもないと言われる中で総合医なんて何の得にもならないスキル取得を目指す奇特な人間などいないのも当然ですよね。
「総合医って単に診断のつかない面倒な患者を押しつけられるだけの損な医者だよね」なんて悪評が定着してしまってからでは、社会が切実に求めてももはや誰もなり手がないということにもなりかねませんから、まずはきちんとした仕事の評価とそれに見合った報酬のシステムも考えていかなければならないですし、そのためには診療報酬を握っている国も動かなければ話にならないということでしょう。

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コメント

某大病院の内科部長だった先生がセミリタイアして精神病院で勤務されました。
その先生の感想が
「精神病院は体の病気を持つ患者さんを受け入れしないんじゃない、出来ないんだってことに、精神病院で働いてようやくわかった」
でした。
人的な問題だけではなく、設備的な問題もかなり大きいのです。

投稿: | 2011年1月21日 (金) 13時26分

とある公立基幹病院の産科病棟でのこと、喘息持ちの妊婦さんが入って来たということで点滴もしたことない病棟NS様からクレームの大合唱。

NS「喘息の患者なんて私たち責任を持てません!何とかしてください!」
指導医「う~ん、そうか~」
内科ローテート済みの研修医「この程度の喘息なんて大したことないじゃないですか。ここで診ましょうよ」
指導医「う~ん、でもNSがああ言ってるしなあ」

結局研修医は喘息持ちさんを引き受けてもらえないかと頼みにICU(藁)まで走らされることになったんだと。

投稿: aaa | 2011年1月21日 (金) 18時16分

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