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2011年1月

2011年1月31日 (月)

崩壊はまた再生への第一歩でもあるわけで

今年はどうしたのか、あちらでもこちらでも救急受け入れ停止のニュースが相次いでいますけれども、今どき急性期の基幹病院が満床だなんて話は珍しくも何ともないとは言え、慢性期中心の病院まで受け入れ停止なんてことを言い出すのも珍しいと言うべきか、そもそも救急を受けるべきなのかと見るべきか微妙なところですよね。
そんな中で沖縄あたりではかなり深刻な状態になっているという話なんですが、見ていますとどうもこれは以前からあった構造的な問題が、患者急増を契機についに表面化したということのようなんですね。

沖縄の救急医療:病院「患者を廊下に」 軽症受診、救急車“タクシー”(2011年1月26日琉球新報)

 「非常事態」「災害時と同じだ」。これまでほとんどなかった消防からの救急搬送受け入れ要請拒否が大幅に増加し、「断らない救急」を誇ってきた県内の医療体制に赤信号が点滅し始めている。病床が足りず、「患者を廊下に寝かさざるを得ない」と窮状を訴える病院も。軽症にもかかわらず救急病院に頼る患者も多く、関係者からは県民に対して昼間の受診やかかりつけ医の受診、救急車の適正利用を求める意見が相次いだ

 患者数の増加で、救急搬送の受け入れが困難となる状況は急激に冷え込んだ昨年末から起きている。沖縄気象台によると昨年12月下旬の平均気温は16・1度で例年の17・7度を1・6度下回った。今月に入ってからも例年の平均気温を1・5~2・3度下回る状態が続いている。

 患者は主に高齢者。肺炎や脳卒中などが増加している。通常でも満床に近い状態を退院調整でやりくりしている現場に、患者数の急増があり「災害のような状態」(県医務課)という。病院側は「夜間救急は待ち時間が長くなる。自覚症状がある場合は昼間に受診してほしい」と一様に要望した。

 県防災危機管理課は「救急車の適正利用をお願いしたい」と呼び掛ける。2009年に病気で救急搬送された例のうち、53%は入院に至らない軽症患者だった。琉球新報の取材に対して各消防本部からは救急車をタクシーのように利用する“常連”の存在や、病気でないのに救急車を呼ぶ人がいる実態を明らかにした。

 一方、搬送受け入れ拒否がほとんどなかった中部地区も病床に余裕があるわけではない。ある病院は「救急室の廊下に患者があふれ、入院できずに廊下で寝かさざるを得ない状況。断っていないが限界に近づいている」と現状を説明。「中部は病床数が足りていない。後方施設も患者がいっぱい。一つの病院で対応できる問題ではなく、地域の問題として医療行政が何とかしてほしい。救急病院や連携する後方施設を中心に病床数を増やしてほしい」と要望した。

 ◇<解説>高齢者長期入院も背景

 救急搬送患者の受け入れが難しくなっている背景には、緊急でないのに救急車を利用したり、救急病院を受診する人の多さに加え、高齢者を中心とした救急病院の長期入院患者が多いことがある。

 国は入院医療から在宅医療への転換を進めるが、県民所得が全国一低く、共働きが多い県内は家族の介護力は低い。訪問診療をしている医師も少なく、訪問看護も充足しているとは言えない。在宅医療、介護は難しく、現状は施設や病院頼みだ。

 医療機関は緊急性が高く症状が安定しない「急性期」、状態の安定した「慢性期」で機能を分担しているが、近年は国の療養病床の削減もあり、慢性期を担う病床が不足している。急性期病院が状態の落ち着いた患者を慢性期病院に転院させようにもできない事態が発生している。県内の救急病院の中には30日以上入院している長期入院患者が全入院患者の3~4割を占める病院もある。

 救急病院に働く医師からは老人保健施設などでみとりができないため、終末期の高齢者が救急搬送され、延命治療をしているという指摘もある。ただ施設側も本人や家族の明確な意思表示がなければ、救急搬送せざるを得ない。高齢社会の中で限りある医療資源をどう有効活用するか、老いをどう支えていくかが問われている。(玉城江梨子)

一般病院に協力依頼 救急満床問題、県が文書 /沖縄(2011年1月27日琉球新報)

 病床が満床のため、本島南部の救急病院で救急搬送患者の受け入れが困難となっている問題で、県福祉保健部は26日、本島中南部の救急病院以外の全医療機関に対して救急の現状周知と軽症患者の受け入れなど協力依頼文書を送付することを決めた。県が医療機関に連絡、周知をする場合、医師会を通すことが慣例で、県が直接文書を送付するのは極めて異例。さらに27日にも報道機関に対して県民へかかりつけ医の受診などの周知を求める

 救急搬送された患者のうち、病院側に断られた延べ回数について、本紙が本島中南部の11消防本部に確認したところ、今月1日から25日までの間で延べ324回に上ることが26日までに分かった。今月に入り平年以上の寒さで入院患者が増加、病院の満床状態が続き救急が受け入れられない状況があらためて明らかになった。
 さらに、救急現場では一般病床だけでなく集中治療室(ICU)も満床状態が続いているため、週明けにも南部地区でICUのある医療機関などを集めた連携会議を開く。ICUの空床状況の共有システムを構築し、重症患者が受け入れられないという最悪の事態を防ぐのが狙い。

 県の宮里達也保健衛生統括監は「救急医療を破綻(はたん)させないために、みんなが連携して乗り越えないといけない事態」と強調。県が調整役となって、連携体制を構築していく方針を示した。
 医療機関宛ての文書では、救急病院以外の病院に対し(1)救急病院の安定している長期入院患者の転院受け入れ(2)軽症患者はできる限り救急病院に送らない―の2点を要請。病床を持つ診療所に対しては(1)インフルエンザの外来患者の受け入れ(2)長期入院患者の受け入れ(3)高齢者のみとりへの対応― の3点の協力を求めている。(玉城江梨子)

救急 厳しさ北部も 過重負担 常態化も「断れない」 /沖縄(2011年1月29日琉球新報)

 【北部】救急病院の病床が満床となり、救急搬送患者の受け入れが困難な事態に陥った中南部の救急病院と同様、北部地域の救急医療も厳しい状況が続いている。事実上、救患を受け入れなかった事例はないものの、慢性的な医師・看護師不足に加え、軽症患者の救急利用による患者増などで、医師らの過重負担が常態化。北部病院の窪田忠夫地域連携室長(外科医)は「このままでは将来的に、救急受け入れそのものができなくなる可能性もある」と危機感を募らせている。

 北部地区で急性期医療を提供するのは名護市の県立北部病院と北部地区医師会病院の2病院。
 北部病院にはここ数年、年間約2万6千人の救急患者が訪れるが、約半数は緊急性の低い軽症患者。医師会病院も同様で、年約1万人の救急患者中軽症者の割合は少なくない。患者数は10年前と比較すると1・5倍になったが、医師や看護師数は増えていない。両院とも「軽症者は民間病院の活用や、平日昼間の受診を」と呼び掛ける。
 北部病院の場合、平日でも50~60人、休日だと80人以上、特に多いときには200人もの救急患者が訪れる。それを3人の当直医で診察するため、最低でも1人約20人の患者を診る。加えて入院患者や救急搬送の対応などを含めると、休む間もない忙しさになる。

 2病院は救急患者の受け入れを事実上断ったことはないが、医師会病院の上江洲安勝看護師長は「救急医療を提供する病院が二つしかなく、断らないのではなく断れないのが実情」と説明する。入院が必要な患者が搬送されても、両院ともに満床か数床の空きしかない場合もある。満床の時は一時的に救急室などで休ませ、翌朝に入院患者の調整をして受け入れるという“綱渡り”の対応を取ることもある。
 また、あらかじめ消防に満床であることを伝え、空いている方の病院に搬送してもらう場合もある。

 現状の打開策として窪田室長は「(病院利用すべきかを相談できる)小児医療の#8000を成人にも拡大することや、市民向けの講座を開き、救急医療の目的を地道に広めていくことも大事」、上江洲看護師長は「入院患者の対応に関し病院同士の連携を密にすることに加え、行政の支援も欠かせない」と訴えた。(外間愛也)

沖縄では12月の平均気温が16度でも患者急増というのがいかにも南国らしい話題という気もしますけれども、不要不急の救急受診の増加や慢性的な病床数不足、医師らスタッフの不足という問題が元々あったところで寒波という外圧で一気に破綻に至ったという経緯が見て取れるかと思います。
施設からの看取り患者の搬送であるとか、平素から200人も救急が来ていたなんて話を聞くにつけ、どうも早くから対策を講じておくべきだった問題を先延ばしにしてきた結果がここに来て出てきているという印象もあるのですが、全国どこでもこんな風に長年にわたって漫然と増え続ける需要に対応してきた結果、そろそろ慢性的にキャパシティーを超えつつあるという施設は多そうですよね。
こういう話を聞くとカエルを熱湯に入れるとすぐ飛び出すが、水から入れて火にかけるとじっとしたまま煮上がってしまうという話を思い出すのですが、人間本当に追い込まれないと動かない側面も多々あることを思えば、地域の医療受給バランス是正を供給側の一方的な努力に頼るばかりではなく、需要側の努力が必須であるという視点で考え直すにはよい機会であるのかも知れません。

しかしこの問題、沖縄という物理的にも狭く閉鎖された土地柄であるからこそ結局は落ち着くべきとことに落ち着くしかないのでしょうが、例えばこれが本土のどこかで発生したことであって、しかも元々当地はもとより周辺地域でも慢性的な供給過少の状況であった場合、連鎖的な破綻が一気に波及していくという可能性もありそうですよね。
例えば千葉県などももともとあれだけの人口を抱えながら医大が一つしかないという土地柄で、以前に東金病院に始まる見事な病院崩壊ドミノ倒しを実演して見せたり、あるいは銚子市民病院の崩壊によって近隣の旭中央が押し寄せる患者の海におぼれかけ、さらに今度はその余波が成田にまで及ぶ勢いであったりと、この方面ではかねて先進地として知られていた土地柄です。
この千葉では全国的に名の知られていたあの亀田ですら、ついに緊急事態に陥ってしまったというのですから、これは穏やかではない話ですよね。

亀田総合病院 「患者増で入院受け入れに支障」(2011年1月27日房日新聞)

報道機関に異例の声明
31日に院長が記者会見

鴨川市の亀田総合病院(亀田信介院長)は26日、県内に取材拠点を持つ報道機関に対し「とうとう入院病棟が足らなくなり、救急患者さまをこれまで通り受け入れることができなくなってしまった」とする異例の声明を発表した。

声明は、特別な処置を必要とする救命救急患者はこれまで通り受け入れているものの、正月明けから「重症度の低い患者」や「他の病院に入院している患者」の入院を断らざるを得ない状況がしばしば発生していると言及。その原因として、①医師と看護師不足②医師、病床の不足している山武・長生・夷隅地区、君津地区からの患者の増加――などを挙げている。

同病院はこのような状況について、亀田院長と小松秀樹副院長が31日午後に記者会見を行い、「現状を具体的に説明したい」としている。

亀田総合病院は1985年に千葉県の第3次救命救急センターに指定され、それ以来、県南の基幹病院として地域の高度医療、救急医療を担ってきた

声明では、病床不足の直接的な原因として「寒い時期の、高齢者の病気の増加」を挙げる一方、構造的な要因として▽高齢化の進行▽医療需要の増加にもかかわらず、医療サービスの提供量が県全体で大幅に不足していること――があると指摘。その結果、現状では地域住民に対して、「今ある資源を有効に活用するため、不要・不急の救急受診を避けていただくなどの協力が不可欠」だとしている。

亀田の入院患者は現在、その53%が安房医療圏以外の住民で占められ、「収容できる患者さまの数は限界に達している」という。

小松副院長は今月19日に掲載された「医療ガバナンス学会」ウェブサイトへの寄稿で、「かねてから予想されていたが、亀田総合病院がパンクした」と指摘。看護師不足による病棟の一部閉鎖に加え、近隣地域の医療崩壊で「あふれた患者が(亀田に)押しかけてきている」と、その背景について説明している。

ちょうど本日午後に院長らの会見があると言うことですから注目していきたいと思いますけれども、亀田と言えば混合診療積極推進派でメディカルツーリズムにも積極的とかねて攻めの姿勢で知られていた病院であるだけに、その亀田がこうした声明を出すに至ったというのはなかなか象徴的な事態ではないかと思わされますが、やはりここでも構造的な問題が背景に見え隠れしています。
本来亀田のような病院は地域のお年寄りなどを扱っている場合ではなく、日本全国から難しい症例の患者を集めて先端医療を行っていくことにこそ特化すべきなのでしょうが、病院間の機能分化が未熟な日本の医療環境でこんな田舎(失礼)にこれほどの巨大病院があれば、それは患者にしても地域の医療機関にしても「とりあえず亀田へ」と便利遣いしてしまうだろうことは想像に難くないところですよね。
もちろんその背後にあるのは、こうした高齢者の患者も含めて急性期を過ぎたところで速やかに引き取っていくべきバックアップの病床の欠乏であり、そもそも本当に亀田でなければならないのかということを考えず何でもかんでも大病院至上主義な地域住民および土着の医療関係者の意識の問題でもあるということでしょう。

さて、こうした地域医療の抱える本当の病根とは、今まではベッドが足りないんだからもっとベッドを増やせ、医者が激務でヒイヒイ言っているんだからもっと医者を集めろと、医療側の一方的な努力ばかりで問題の解消を図ってきたことも、結局医療従事者が自らの首を絞める結果につながったのではないかと言うことです。
患者の側からすれば夜中でも専門医に診察させろ!と言えば専門医が律儀に待っている、待ち時間が長いぞ!と言えば当直や待機の医者を増やしてくるとなれば、それは言えば言うだけ自分達の利便性が向上するわけですから、言わない方が馬鹿、要求しなければ損だと考えるようになるのは当たり前ですよね。
その結果勤務医が疲弊する、病院が維持出来なくなると言われたところではあ?今までそんなことは誰も言ってなかったじゃないかという話で、結局のところ医療従事者達の「聖職者さながらの献身」が患者側の際限のない要求水準上昇を産み、医療従事者の疲弊を加速させたのみならず、最後には地域医療の破綻という形で患者自身に帰ってきていると言うことです。
となれば、この負の循環を止めるべく動いてこなかった責任は際限ない要求水準の増長を来してきた患者側にもあるだろうし、「それは結局あなた達のためになりませんよ」とアナウンスしてこなかった医療従事者にもあるということになりますから、この問題を医療を提供する側だけの問題として解消を図るということは、今となってはむしろ事態を更に悪化させかねないとも言えそうです。

ひと頃は逃散という形で現場の医者達が無言の抵抗を試み、結果として地域住民がこの負の循環の意味を思い知るという形で「もっとお医者さんを大事にしてあげよう」式の草の根運動がブームになってきた経緯もありましたが、さすがにこうなると「患者様がこうおっしゃっている!もっと馬車馬のように働け!」と現場の尻を叩くしか能の無かった病院管理職側にも多少は問題意識が広まってきているようです。
見ていますと正直まだまだかなというところも多々あるようですし、現場の抱える問題解決の方法論として何がよいのかと議論すべき点は多々ありそうですけれども、少なくとも医療というものは一方的な医療従事者の自己犠牲によって達成されるべきものではなく、利用者である国民の側にこそ問題解決のボールがあるはずだと言う認識が出てきただけでも改善の兆しはあると言えますよね。
この問題点追求の軸足を医療の供給側から需要の側へと移行させていく流れが今後当の国民の側にも共有されるところとなっていけば、それこそが医療現場の抜本的な改革の大きな原動力ともなりそうなんですが、少なくともそうした認識がもっと一般的になっていくまでは、最前線の現場当事者こそ問題の所在点について一番大きな声を上げていかなければならないということなのでしょう。

医療者の自己犠牲は限界 公・互・自助の費用分担を(2011年1月29日山陰中央新報)

 益田地域医療センター医師会病院院長 狩野稔久

 「日本の医療は世界一」という。医療崩壊、医師不足、看護師不足など医療状況の疲弊が連日のように新聞の見出しを飾り、存亡の岐路に立つ島根の地域医療の窮状を報告する山陰中央新報連載の「地域医療のあす」を読む限りでは、にわかに信じがたいというのが実感であろう。

 しかし、間違いなく日本人の平均寿命、健康寿命は世界一であるし、乳児死亡率は世界最低。世界保健機関(WHO)の健康達成度総合評価でも世界一なのである。

 では、その世界一の医療を担保するのにかかる医療費はどうか。対国内総生産(GDP)比では経済協力開発機構(OECD)加盟国中18位で、米国の半分程度の費用で賄われている

 ちなみに日本の公共事業費はサミット参加先進6カ国の合計より多い。インフラ整備がいかに遅れているとしても、これはこれで考えさせられる問題である。

 要するに日本の医療現場では、低いコストで質の高い医療が提供されている

 一般的に安くて良いものは、なかなか手に入りにくい。良いものにはそれなりの対価を伴うのが世の常だが、それでは日本の低コスト高品質の医療を支えているものは何か。その一つは医療者の高い職業倫理という精神的、文化的な要因で、自虐的にいえば医療者の自己犠牲がある。

 ぎりぎりの人数で昼夜を問わず、数多くの医療者たちが働いている。実際、病床100床あたりの医師数は米国の5分の1、ドイツの3分の1だ。看護師数もドイツの半分しかいない。

 医療の高度化、人権意識の高揚に伴う業務量の増加、複雑化、理不尽なクレーム、目まぐるしく変わる医療制度への対応…。「もうやってられない」。多くの医療現場から悲鳴が上がり、医療崩壊に危機感を募らせる。

 ことここに至り、政府も財政のみの視点から医療費をひたすら抑制し続けてきた、これまでの方針を転換し、手だてを講じてきてはいるが、残念ながら即効性は期待できない。ただ、ここで行政批判していても、何も生み出さないのは自明の理。医療者自らも医療崩壊を食い止めるために創意工夫する必要がある。
(略)

 とはいえ、医療者側の努力にも限界がある。社会保障的意味合いの強いわが国の医療保険制度は、社会の経済との調和の上に成り立っており、その負担能力を超えて医療費が増加していくことは許されないのも当然である。それを承知の上で言えば、住民のニーズに応えられる質の高い医療を提供するためには、やはり、それに見合ったコストを誰かが負担しなければならない。税金にせよ、保険料にせよ、患者負担にせよ、誰がどう賄うのか。

 そろそろ公助、互助、自助の費用分担をいかにするか、みんなが自分のこととして真剣に考えなければ、近い将来、地域の医療機関は崩壊し、「日本の医療は世界一」は過去のものとなる。

 …………………………………

 かりの・としひさ 1954年、雲南市大東町生まれ。自治医科大医学部卒。島根県立中央病院医員、島前町村組合立島前診療所長などを経て1997年から現職。医療のTQM推進協議会幹事、日本医学看護学教育学会理事、島根大医学部臨床教授。益田市在住。

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2011年1月30日 (日)

今日のぐり:「おふくろ亭 本店」

やばい、中国がおもしろすぎる(笑)。
いや、おもしろいと言うと不謹慎なのかも知れませんが、とりあえず何がどうなっているのかとこちらの記事を読んでみていただければと思います。

電磁調理器が爆発…「一生使っても壊れません」と販売=北京(2011年1月27日サーチナ)

  北京市内で、広東省に本社を置く家電メーカー「美的」製の電磁調理器(IT調理器)の不具合を訴える消費者が相次いでいる。同社製品はこれまでに、爆発事故を起こしたこともあるが、「一生使っても壊れません」との販売員のセールス・トークを信じて購入した人も多いという。網易などが報じた。

  美的は保証期間内に不具合が出た製品をサービス・ステーションに持ち込んだ場合、無料修理に応じているが、「半年前に購入した調理器は、作動したりしなかったり。サービスステーションまで持っていくのは面倒で、踏ん切りがつかない」と不満をもらす消費者もいる。

  2010年には、使用後2年の同社製品が爆発した。調理器の上に鍋を置いてスイッチを入れ、家族全員で隣室でテレビを見ていたら、爆発したという。大きな音に驚いて駆けつけると、電磁調理器の破片が飛び散り、上部にあった棚も壊れ、調味料の容器が散乱していた。

  同社の販売員は、「一生使っても壊れません」とのセールス・トークで電離調理器などを販売していた。信じて購入した人も多いという。

  「美的」製の電磁調理器2008年にも爆発事故で問題になった。同社は当初、「爆発事故で負傷者が出たのはデマ」などとの見方を示した。(編集担当:如月隼人)

「象が踏んでも壊れない」で有名な筆入れが最近またちょっとしたブーム再燃なんだそうですが、一生ものだと言われて買ったのに爆発!ではそれは腹も立つでしょうし、それ以前にそもそも電磁調理器が爆発するという時点で何かしら意味不明な?という気がするのではないでしょうか?
業者が否定しているというのも単なる都市伝説であるということなのか、それともかの国によくある現象であるのか判断に迷うところですけれども、恐ろしいことに「まさかそんなものが!」と驚くような大爆発があちらでは普通に起こっているようなのですね。

電気あんかが充電中に爆発、女子大学院生がやけど=中国(2011年1月26日サーチナ)

 湖北省武漢市で19日、女子大学院生が自室で電気あんかを使おうと充電したところ、爆発したことが分かった。内部の液体が噴出し、大学院生は太ももにやけどをした。病院によると、整形手術をしないと跡が残る可能性があるという。楚天都市報などが報じた。

 やけどをしたのは華中科技大学の大学院生。寒いので電気あんかを使おうと考え、午後5時ごろから充電しはじめた。しばらくして、電気あんかが異常にふくらみだしたという。取り扱い説明に「充電時にふくらみ始めた場合、ただちに電源を抜いてください」と書いていたことを思い出してコンセントを抜いたが、直後に大きな音とともに爆発した。

 製造会社は賠償金約1万元(約12万8000円)を支払う意向を示したが、病院によると、整形手術を含めた治療費は3万元程度になる。大学院生は、製造会社に賠償額をさらに2万元上乗せするよう求める考えだ。(編集担当:如月隼人)

何をどうやったら電気あんかが爆発するのかはさておき、取説に万一の場合の対処法まで書いてあるというのが親切というより怖いという話なんですが、日本ですと慰謝料込みで結構な額になりそうな事件のところ、治療費にもならない額しが出てこないというのもご当地流なんでしょうかね?
こちらなど何となく爆発したら大変なんだろうなと思われるようなものであるだけに、普通は爆発しないように設計段階で工夫してあるものだと思うのですが、結局爆発してしまうというのもどういうことなんでしょうね?

ボイラー爆発:吹き飛んで民家直撃・従業員が3人死亡=中国(2011年1月27日サーチナ)

  山西省呂梁市臨県のホテルで10日に発生したボイラーの爆発事故で、爆発したボイラーが吹き飛び、隣家の屋根を突き破って室内に落下していたことが分かった。民家では死傷者が出なかったが、同事故ではホテルの従業員3人が死亡し、4人が負傷した。山西新聞網などが26日になって報じた。

  事故が発生したのは10日午後5時ごろで、ホテルの客室で温水が出なくなったとの連絡を受けた作業員らがボイラー棟に入った直後に爆発したという。レンガ造りのボイラー棟は全壊した。爆発の衝撃で重さ数トンのボイラーが吹き飛び、約30メートルの距離にある民家の屋根を直撃して、寝室内に落下した。住民は別の部屋にいて無事だった。

  当局は13日、「事件の可能性は排除された」として、事故原因に解明を進める考えを明らかにした。

  山西省ではボイラーの爆発事故が相次いでいる。2010年3月13日には、太原市内の建物内のボイラーが爆発して2人が重傷。9月23日には金属工場のボイラーが爆発して研究棟が倒壊し、9人が死亡、4人が負傷。10月20日には違法操業をしていた製紙工場のボイラーが爆発し、作業員2人が負傷した。11月30日にはガラス工場のボイラーが爆発し、2人が死亡した。工場がボイラーを改造した際に、圧力に耐えられない水タンクに圧力がかかる構造にしていたため、事故が発生したという。(編集担当:如月隼人)

何かしらこう、後先考えない無茶な改造ぶりがいかにもらしいという話なんですが、そんなことで三人も亡くなっているというのもさることながら、こんな大事件が決して珍しいものではないらしいということが救われませんよね。
ボイラーなどそうそう近づくものではないだろうという人であっても、こんなものまで爆発するとなればどうでしょうね?

アルコールランプが爆発、飲食店の客9人が負傷=天津(2011年1月20日サーチナ)

  天津市薊県で、飲食店でなべ料理に使ったアルコールランプが爆発し、テーブルを囲んでいた客9人がやけどなどのけがをしたことが分かった。天津網などが報じた。

  従業員がアルコールランプを取り替えようとしたところ、突然爆発し、漏れたアルコールに引火したという。9人は店側に治療費や燃えた服の弁償を求めた。消費者協会が仲裁に入り、店側が9000元(約11万2400円)を支払うことで、20日までに和解した。(編集担当:如月隼人)

何しろ目の前の食卓に置かれるものですから逃げようがないという話ですが、中国茶などでもアルコールランプを使うところがありますし、たまたま通りかかった日本人旅行者などにとっても決して人ごとではないですよね。
こちらなども一体何がどうなっているのか理解不能な話なんですけれども、もはやかの国の事象に対して深く考えを及ぼすということ自体が徒労感に襲われそうです。

高速列車内で爆発…電気系統ショート・乗客避難=中国(2011年1月25日サーチナ)

 広東省広州南駅内で発車を控えていた武広高速鉄道のG1018号列車内で23日午後4時ごろ、電気系統を収めたボックスでトラブルが発生した。チャイナネットなど中国メディアは「故障が発生」、「激しい火花が出た」など伝えた。香港の明報は「電気系統のボックスが爆発。乗客1000人が避難した」と報じた。

 チャイナネットによると、乗客は予備の編成の列車に乗り換え、約50分遅れで出発した。“故障”が原因で、武広高速鉄道では後続の6便の列車が 10-30分遅れた。技術スタッフは午後5時20分までに、問題を起こした列車の修理を終えた。電気系統のショートだったという。

 香港紙・明報によると、電気系統を収めたボックスが大音響とともに爆発して、火花が飛び散るとともに出火。全車両が停電し、乗客1000人が緊急避難した。(編集担当:如月隼人)

世界に冠たる高速鉄道技術を擁するはずの(苦笑)中国にしてはずいぶんとお粗末な話という気もしますけれども、テロでもないのに電車が爆発するようでは乗客もおちおち乗っていられませんよね。
この事件などはせっかくの高速鉄道なのに予定に遅れてしまった方々はお気の毒で済む話ですが、もはや行為の目的から結果までどこをどう突っ込んで良いものやらという話がこちらです。

風邪薬から覚醒剤作ろうとして失敗・爆発、2人負傷=重慶(2011年1月25日サーチナ)

  重慶市長寿区で11月、男3人が風邪薬から合成覚醒剤(かくせいざい)のメタンフェタミンを合成しようとして失敗し、爆発事故を起こしたことが分かった。重慶商報が報じた。

  爆発で、2人が顔などに大やけどを負った。家族や治療を受けた病院には「工事現場で、建設用機械の燃料が漏れて爆発した」と説明していた。

  3人はその後、四川省成都市で違法薬物を入手し、密売した。交通警察官が通行車両の検査をしていた際に、タクシーの乗客の様子がおかしいことに気づき、調べた結果、薬物を使用していることが分かった。同乗客の自供にもとづき捜査した結果、違法薬物の販売ルートが発覚。容疑者の身柄を拘束して取り調べた結果、「爆発事故」を起こしていたことが判明したという。

  3人は、インターネットに掲載されていた「風邪薬からメタンフェタミンを作る方法」を見て、自分たちで合成しようとした。成都市からのルートで仕入れた違法薬物を密売して得た金で、改めてメタンフェタミンを合成しようと準備していたという。(編集担当:如月隼人)

中国では麻薬の類はずいぶんと取り締まりが厳しいそうですから、この方々がどういうことになるのかは判りませんけれども、辿る道のりはどうであれ最終的にたどり着く結論が同じというのが民族の文化ということなのでしょうか?
しかし最も恐ろしいのは、この新年が明けてからわずか数日の期間だけでもこれだけ爆発ネタが出てくるということだと思うのですが、さすが中国広いものだと考えるべきなのか、あまりにも斜め上過ぎるとあきれるべきなのか、果たしてどちらなんでしょうね?

今日のぐり:「おふくろ亭 本店」

最近あちこちで見かける気がするこのおふくろ亭というお店、普段着の味を強調した町の食堂という位置づけですが、要するによくあるセルフサービスのお店というやつですよね。
ただこちらネットで見ますと本店と言いますか本部扱いになっているようなんですが、他の店の方が先に出来ていたような気もするのは単なる勘違いなんでしょうか?
いずれにしても出来たてという感じの小綺麗な作りのお店で、窓も大きいせいか昭和の食堂的な薄暗く怪しげなところがないのは入りやすいところで、実際に性別、年齢を問わず様々な顧客が入っているようなんですね。

今回は味を試してみるという気で入ったものですから特に奇をてらわずということで、一応看板メニューの一つっぽい扱いになっているらしいさば煮をメインに、後は野菜のおかずをと言うことでナス煮と筑前煮を頼んでみました。
この食べ甲斐のある大ぶりのサイズの煮サバですが、日本のサバにはない大味な模様と言い、どこからどう見ても庶民の味方ノルウェーサバなんですが、なかなかに心地よく生姜風味の効いたメリハリのある味つけで、ノルウェーサバらしくうま味もしっかり濃厚と、ボリューム込みで飯のおかずにはこれ一つで十分という感じです。
となると、後は副菜の方の塩梅がどうかなんですが、ナス煮の方は煮加減、味加減ともにいまいちしゃっきりしないと言いますか、そもそも味が染みてない上に妙にナスの青臭さが気になるのはマイナスで、これは正直いただけませんでした。
見たところあっさり仕立ててあるなと感じさせる筑前煮の方はピーマンはさすがにどうかとも思うのですが(そういうものを入れる土地もあるのでしょうかね?)、こういうお総菜の店ということで考えていたよりも薄味で、主菜と言うより野菜の副菜としては悪くないですね。

こういう店では結構濃い味の店もありますが、ここの場合はそこそこ薄味であるのはいいとして、全体的に甘い味付けなのかなという印象は受けたのですが、近辺が労働者の町で濃いめで脂っこい味のお店も多いだけに、逆にこういう味だからこそいいという顧客も多いのでしょう。
内容と比べると値段は特に高くもないと思いますが、さすがによく出来た定食屋よりはコスパは落ちるのかなと言う感じで、このあたりは廃棄分が多くなりそうなことを思うとシステム上仕方がないところなんでしょうが、欲を言えばどんなおかずと合わせるにしても骨格となる飯や汁の味にはもう少しこだわってもらいたいかなと思います。
もっとも自分で好きなものを好きなだけ取って食べられるというのがこういう店の良いところで、店によって客層がある程度決まっている普通の定食屋と比べると、実際に若い人から年配の人まで様々な人が集まっているわけですから、これはこれで良いということなのでしょうね。

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2011年1月29日 (土)

目を閉ざし、耳をふさいでも確実に迫り来る現実とは

先日以来ちょっとした騒ぎになっているのがこちらの事件ですが、まずは記事から紹介してみましょう。

これで人生もZERO!?日テレ系プロデューサー大麻逮捕(2011年1月27日zakzak)

 日本テレビ系の番組制作会社、日テレAX-ON(アックスオン、東京・二番町)のプロデューサー、原経厳(はら・けいげん)容疑者(45)が、大麻取締法違反(所持)容疑で警視庁王子署に現行犯逮捕されていたことが27日、分かった。

 同署によると、原容疑者は26日午後、都内の自宅で大麻の葉片数グラムを所持していたところを、家宅捜索に入った捜査員に逮捕された。大麻は中国人から購入していたとみられ、調べに対し「違法なものとは知っていたが、大麻とは思わなかった」とあいまいな供述をしているという。

 日テレAX-ONは、日テレ・グループ・ホールディングスの100%子会社。原容疑者は、「進め!電波少年」「世界丸見え!テレビ特捜部」「NEWS ZERO」といった、同局の看板番組を数多く担当してきたという。

 日テレAX-ONは「逮捕の事実は聞いていますが、詳細は何もわかりません。現在事実関係を確認中です」(広報担当者)としている。

あいまいと言いますか、いずれにしても犯罪行為は自覚していたということなんでしょうが、同社の幹部候補だったということで世間では「日テレ大物プロデューサー逮捕!」と大騒ぎになっているようですね。
産経新聞の記事によれば何でも別事件で家宅捜索中にたまたま見つかったということですから、そもそも何の容疑で警察のご厄介になっていたのかということも気になりますけれども、同容疑者は麻薬撲滅キャンペーン関連の番組にも関わっていたという話もあるようですから、一体何をやっていたのかという話ですよね。
こうした業界人のモラル低下ということに関しては今に叫ばれ始めたことでもありませんけれども、個人の犯罪行為で終わっているというのであればともかく、自らの利益のために報道機関としての責務をもないがしろにするということであればとんでもない話のはずが、なぜか当たり前にそれが行われているというのですから恐れ入ります。

TV界は視聴率が下がるから菅首相映すなの大合唱(2011年1月15日現代ネット)

 支持率低下でテンパっている菅首相にはダブルパンチだろう。菅首相はテレビからも見放されようとしている。

 テレビ界で話題になっているのは今月5日に菅首相が出演した「報道ステーション」(テレビ朝日)。他局に先駆けての生出演で、キャスターの古舘伊知郎も現役首相を引きずり出して「してやったり」だったが、すでに報じられているようにビックリの低視聴率になった。

「報ステ」の視聴率は良い時には15%を超え、平均でも12~13%前後ある。この時点の前4週の平均は14.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)だった。ところが、菅首相が生出演した時はなんと半分の6.9%。これには古舘もテレ朝も真っ青で正月気分のTVマンの酔いも覚めた。

 そして一気に広まったのは菅首相は支持率も視聴率も急降下の“ダブル降下説”である。そこでテレビ業界では「菅を映すな」となっている

「ワイドショーはもちろん、ニュースでも菅首相の顔が出ると視聴者がチャンネルを変えるので視聴率がガクンと下がる。そこで報道などの現場では極力、映さないようにという“指令”が出ています。そういえば、最近あまり顔を見ないと思っている人も多いのではないか」(ワイドショー関係者)

 ちなみに、ライバルの小沢一郎元幹事長を取り上げると、視聴率がビビビと上がるという。必死になればなるほど嫌われ、負のスパイラル入りした菅首相はもはや打つ手なしだろう。

はて、先日は政治家がマスコミではなくネットメディアを通じて国民に語りかけることをケシカラン!と主張していた方々が、その政治家に語る機会すら与えないというのはどういうことかという話なんですが、彼らにすれば首相の発言を国民に伝えるよりも目先の視聴率の方が重要だと言うことなのでしょう。
この姿勢が更に進んでくると、自分達の利益のために政治家を好きなように操作するという話にもなってきますけれども、一体何様のつもりなのかと驚くような話が彼らにとっては単なる日常的な営業活動の一環として行われているらしいのですね。

「与謝野氏入閣は朝日新聞の進言。読売も歓迎」と菅首相側近(2011年1月24日NEWSポストセブン)

菅内閣にとって正念場となる通常国会が始まった。問題が山積みの管内閣だが、与野党、国民の反発さえも、当の菅首相は“サプライズ人事にみんな驚いているぞ”と、ご満悦なのだ。

菅首相の奇妙な自信には理由がある。実は、今回の内閣改造には大メディアが大きく関与している。与謝野氏が読売新聞の渡辺恒雄・グループ本社会長と極めて近いことはよく知られている。だが、菅首相に直接、与謝野起用を進言したのは、読売のライバルの朝日新聞の編集幹部だという。菅側近が打ち明ける。

「改造前に総理が最も憂慮していたのはメディアの風当たりが強くなっていることだった。そこで昨年末に各紙の幹部とお忍びで会談を重ねた。中でも総理が信頼する朝日の編集幹部は、消費税引き上げと環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加、小沢切りの3 点セットを断行すれば菅内閣を社をあげて支援すると約束して、与謝野氏起用を強く進言した。読売がこの人事を歓迎するのは想定内だったが、“天下の朝日” の後押しが迷っていた総理を動かした

この編集幹部は紙面でも、民主・自民の大連立など、菅長期政権の可能性に言及している。実際、与野党から総スカン状態の与謝野氏の入閣だが、大メディアは揃って歓迎した。

内閣改造翌日の各紙の社説を見ると、読売新聞は、〈与謝野氏が言うように、国の命運を左右するような課題には各党が「政争の場を離れて」取り組むべきだ〉と書き、朝日新聞は与謝野氏起用を〈目指す目標を明確にし、人事を通じ実行する態勢を整えようとした意図は理解できる〉と評価したうえで、小沢一郎・元代表の政治倫理審査会出席問題について、〈この問題を早急に処理しない限り、「最強の態勢」もつかの間の掛け声に終わるほかない〉と「小沢切り」を促す書き方をしている。前出の菅側近の証言と一致するが、朝日新聞は編集幹部が菅首相に与謝野氏の起用を進言したことを否定した

いやはや、さすがは朝日だけに椿事件を彷彿とさせるような手際の良さですけれども、自分達が勝手に祭り上げておいて今度は自分達でバッシングするとは、これは世間では俗にマッチポンプなどと言われ忌避される行為ではないでしょうかね?
今や存在自体が忌避されている彼らマスコミの論調によれば、たとえ当の本人が否定しようが疑惑というものが存在する以上は国民の前で釈明する義務があるということのようですから、朝日新聞としても自社ネットワークを使うなりして大々的に全国国民に向けて誤解を解く努力をする必要があるのでしょうね。

さて、昨今ではマスコミの世界のリストラの嵐ということで、あちらでもこちらでも悲鳴が続いているということですけれども、多くの国民と同じ苦しみを味わってみると言う事で報道にも一段と真実みが増すと前向きに理解しておくべきなのでしょうが、問題はリストラを行っていくにあたっての基準ですよね。
過去数々の問題を起こしてきた毎日新聞などは経営不振で今や倒産寸前と叫ばれているわけですから、当然ながら社員の質ということについて厳選に厳選を重ねなければどうしようもないはずですが、どうみてもこんな人間を何故残す?と思うようなレベルの方々もいらっしゃるようです。

牧太郎の大きな声では言えないが…:普通においしい?(2011年1月25日毎日新聞)

 東京・新橋のバス停前。とあるラーメン屋に列ができている。

 列の最後尾の若者に「ここ、うまいの?」と聞けば「普通においしいですよ」。

 

普通においしい? よく分からないが……ともかく並んだ。

 うまかった。太麺。味はこってり。5枚も入っている「海苔」はバリバリとして最上品なのだろう。隣り合った、例の若者に「うまいじゃないか?」と言うと「そうでしょ」と笑っている

 何か、彼とは日本語が通じたような、通じないような……会社に戻って、この奇妙な経験を同僚に話すと「普通においしい、というのは、すごくおいしい!という意味ですよ」。

 

エッ、本当なのか?

 普通の「普」は「並」の下に「日」と書く。「並」は横に広がることを表し「通」はあまねく知れ渡っているという意味。だから広辞苑で「普通」は(1)ひろく一般に通ずること(2)どこにでも見受けるようなものであること……とある。この若者は「広く知れ渡ったおいしさ」とでも言いたかったのか? でも「普通においしい」はやっぱりおかしい。

 同僚は「今の若者は、もの心ついてから不況の連続。自分のことを“普通以下”と考えている。だから彼らが言う“普通”とはワンランク上の事なんですよ」。

 そういえば「普通」という言葉は曖昧だ。

 社会現象になった「AKB48」を「ごく普通の娘じゃないか」と思っている。彼女らにオーラを感じない。だから、といって「嫌い」ではない。普通である。

 昔の大スターには熱狂的なファンがいる半面「嫌いだ」という人も多かった。美空ひばり、松田聖子……大スターに対する「好き嫌い」は両極端だった。

 「AKB48」を嫌いな人は少ないような気がする。誰もが嫌いでないのが、大スター? 彼女たちは「普通」にして「すごい大スター」なのかもしれない。

 僕が東京・秋葉原の近くに住んでいると聞いて、親戚の若者が「毎日、AKB48が見れますね」とうらやましげに言う。「AKB48」は秋葉原のビル8階の専用劇場で毎日、公演しているらしい。

 「AKB48? 興味はあるけど……毎日は見ないよ。普通の日本人だから」と言ってから……当方の言い分が正確に通じたか?ちょっと心配になって……。日本語は変わったのか?(専門編集委員)

ま、心配せずとも今どき毎日新聞などにおつとめの方を「普通の日本人」と考える人間もそうはいないでしょうから、無理に世間に合わせようなどとお考えにならずともよろしいのではないですかね(苦笑)。
しかし言ってみればただ一言「私は世間知らずの馬鹿ですごめんなさい」で済む話なのに、延々とチラ裏レベルの無駄話を書き連ねて「今の若者」には夢のような高い給料をもらえるというのですから、それは新聞記者って普通においしい商売なんですねとも言われるところでしょうが、恐ろしいことにこういうレベルの方々が専門編集委員などと立派な役職についていられるというのですから、それは毎日も経営が傾くのが道理ですよね。
もちろん世間の方でも見るに値しないメディアに対しては徹底的に冷淡なのは当然で、モラルも低く社会常識もない、情報は好き放題恣意的に操作する、それどころか国政の行方まで口を出すということになれば、むしろ彼らの存在価値を探す方が難しいくらいではないでしょうか?

地デジ化まで半年ですが… 若者はテレビ離れ?(2011年1月24日東京新聞)

 七月二十四日の地上波の完全デジタル化まで、あと半年に迫った。テレビ業界や総務省は、デジタル対応テレビへの買い替えなどが遅れる“地デジ難民”が出ないよう、今後取り組みを加速させる。一方で、インターネットでの情報収集や動画視聴をしている若い世代で、完全デジタル化を機にテレビ視聴をやめるという調査結果もあり、その動向が注目されている。テレビとの距離感について、上智大学の学生に聞いてみた。 (早川由紀美)

 協力してもらったのは、新聞学科の学生たち。ゼミの後、残ってもらった二十一人に、「余暇の過ごし方でテレビよりもネットを優先する」という人を聞くと十四人が手を挙げた。「浪人のころから見なくなった。純粋に面白くなくなった」「興味が偏ってきた。サッカーが見られればいい」などがその理由だ。

 自宅から通学している斎藤千明さん(20)は、リビングとは別に自分の部屋にあるアナログテレビを地デジ対応に買い替えるかどうか、迷っているという。

 「集中して見るなら、録画をしておいてリビングで見ればいい。インターネットをするようになって部屋のテレビを熱心には見なくなった。ユーチューブやミクシィの方が面白い」

 佐藤駿さん(20)は「テレビ離れはコンテンツの質の低下ではないところに原因がある」と考えている。電車広告でテレビ東京のドラマ「モリのアサガオ」を知り、見たいと思ったが放送日時を忘れてしまい、そのままになった。「ドキュメンタリーなどで見たい番組があっても、それに自分の時間を合わせるほどには意識を向けていない」。DVDレンタルや、ゲーム機などへの有料配信など、見逃した番組を気軽に見られる仕組みを充実してほしいという。熱心なテレビファンではないものの、環境が整えば番組を見たいという潜在的な欲求はあるようだ。

 就職活動中の学生は、情報収集に不可欠なネットに軸足を置かざるを得ないという事情もある。一方で「テレビを見ながら家族で話し合うことも多いため、重要なコミュニケーションツール」=花山りささん(21)=という声もある。

 「テレビをやめてもいいと思う人」に手を挙げてもらうと、「日本のバラエティーは笑いのコードが合わない」という留学生一人だけだった。テレビをやめない理由について、宮島紗穂さん(20)は「わが家は一人一台テレビがある環境で育ってきた。今まで二十年間生きてきて、テレビがなかったことはないから」と説明してくれた。

 最後に「テレビに一言」というお題で一人ずつ紙に書いて掲げてもらうと、「生活の一部」「空気みたいな存在」「寂しいときに、ふとつけるもの」などの言葉が並んだ。蜜月関係とはいえないものの、長年連れ添った夫婦のような情愛が、学生とテレビの間には流れているようだ。
(略)

信頼度ではインターネットがTV、新聞を抜く(2011年1月26日財経新聞)

 一般生活者は日常的(月に1回程度以上)に健康や病気、薬などの医療に関する情報をどのメディアから得ているかで、テレビが77%と最も多かったが、2 番目にインターネット(73%)が入り、新聞(51%)や雑誌(23%)を抜いたほか、最も信頼できるメディアとしてはインターネット(32%)がテレビ (25%)を超えてトップになった。新聞は19%で3位だった。

 これはキューライフが行ったテレビが患者や医療現場に与える影響調査で分かったもの。インターネット情報の影響力が大きくなってきていることを裏付ける結果になった。

 また、最も行動に影響のあるメディアでもテレビ(37%)に次いでインターネット(34%)が2位に入った。新聞(11%)は3位になった。

 なお、調査の目的だった「テレビ番組で自身や家族が服用している薬の話が出ていたらどうするか」の問いでは93%が気になると答え、副作用の話が出ていたらどうするかでは、男性の71%、女性の77%は医師や薬剤師に相談するとしたが、13%の男女が服用を中止する、または中止させる。5%の男性、3%の女性は服用量を減らすと回答していた。これは、同社が全国の2198人から有効回答を得たもの。

いや自画自賛キモ過ぎると言いますか、今どき「空気のような」って決して褒め言葉じゃないと思うんですけれども、既存のマスメディアと言うものの生活の中での重要性が低下する一方である、そしてその理由の大きな部分として世間の人達は新聞やテレビなど信用に値しないと思っているらしいと言うことがよく判る話ですよね。
確かに今まで報道されることすらなかった彼ら業界の真実が明らかになってくると、さすがにそれを知りながら信用せよとは無茶だろうと思われるようなネタじみた話がてんこ盛りなんですけれども、恐ろしいことに業界の側では「これではいけない!もっと自浄作用を発揮して組織を立て直さなければ!」という考えなどないらしいんですね。
近頃では既存メディアの地盤沈下ぶりが著しく、相対的にネットの重要性が急上昇の最中ですが、まともな人間であれば「よし!我々も負けないように頑張ろう!」となるべきところを、ひたすら逃避を繰り返すばかりで現実を見ようとしないのが彼らの特質であるようです。

ネットは結局テレビも新聞も「消せない」と茂木健一郎氏指摘(2011年1月26日NEWSポストセブン)

 インターネットの発展に、「紙の本」、「大学」、「新聞」、「テレビ」といった「旧体制側」の関係者たちは、「絶滅する」とおびえていたはずだった。だが、時代の空気は大きく変わってきたと、脳科学者の茂木健一郎氏が指摘する。

 * * *
 時代の流れが見えにくくなっている大きな要因の一つは、このところ世界の変化を促す原動力となってきた「インターネット」の社会の中における位置付け自体が、見えにくくなってきているということもあるのだろう。果たしてインターネットは社会を変えるのか、変えるとしたら、どのような方向に変えるのか、「正念場」を迎えている。

 一時期、インターネットを「隕石」に例える議論が流行した。かつて、地球上に巨大な隕石が落下して、それをきっかけに恐竜たちを始めとする多くの生物が絶滅したのと同じように、インターネットの登場によって、これまで社会の中で当たり前のように存在していた様々なものが消滅し、新しいものが建設されると予想されたのである。

 インターネットによって、大量絶滅がもたらされるという予測は、すでにエスタブリッシュされたものにかかわる人間にとっては、恐怖や不安の種だったかもしれない。「紙の本」、「大学」、「新聞」、「テレビ」。これら「旧体制側」の関係者たちは、来るべき変化の時代の足音におびえていたはずだった。

 一方、既存の秩序を破壊し、新しい世界を建築しようと願う者たちにとっては、インターネットは、希望の星のはずだった。生物は、創造のために「空白」を必要とする。第二次大戦後の焼け野原が、「復興」へ向けた「未来」の受け皿になったように、インターネットが古いものを破壊するならば、その後に自分たちが何かを建設しよう。そんな志にあふれた人たちもいたのである。

 ところが、「古いやつら」は案外しぶとかった。一時期「黒船到来」とばかりに騒がれた電子書籍も、フォーマットが統一されないなどとモタモタしているうちに、勢いを失っている。本の流通が電子化されるという時代の趨勢は変わらないにせよ、「紙の本」があっという間になくなってしまうというような「激変」がすぐ起こると信じている人はもはやいない。

「新聞が消える」という威勢の良い論調も、一時期ほど喧伝されなくなってきた。その結果、「記者クラブ」や「横並び記事」など、日本の新聞の悪弊とされてきた慣習も、そのまま温存されそうである。「テレビ」がインターネットによって脅かされるという予測も、なかなか「メジャー感」を出せないネット側のもたつきによって、過去のものになりつつある。

 新聞は消えない。記者クラブも、おそらくは存在し続ける。テレビは、メジャーなままである。電子書籍は存在感を増すだろうが、一方で紙の本も流通する。結局、「代わり映えのしない」日本が、今後もあり続けるのではないか。

いやいや、結局何も代わり映えはしませんと言うのであればどうぞこのまま恐竜としての生を全うしていただければ結構だと思いますが、現実世界の方が彼らの考えるように進んでいかなければならないという理屈もないわけですけれどもね。
国民大多数にとっての利益に結びつきそうだという意味でも、是非これからも彼らには彼らなりの我が道を突き進んでいっていただければと思います。

       父さんな、実はな
      /ヽ  , 会社倒産しちゃったんだ
    /´  `´ |      /ヽ_____/l
    '、      ,l      /     '、
  / ̄  ,_,..ノ        l      l
  /    '、       _,ゝ    _,.ノ  あーあー聞こえない
 /    , ヽ     l´      `ヽ
 |    /`ヽ、`'‐‐-、w_|        |
 l   '`   ` ̄_,.' ヽl i     / l, 、
  ヽ、__,. -‐ '' ´   .ヽ`' |     l.,_,! /
              ヽ '      /
               `、.,____  ,.′

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2011年1月28日 (金)

無原則に増やす代わりに偏在解消をと言うのですが

先日も文科省で医師増員の議論が始まったという話をしましたが、医療の日本の新成長戦略の基幹産業にという時の政府の方針を反映してか、とにかく増やせ、どんどん増やせと大増員が既定の路線であるという現状に、いささかそれはどうなのよと危惧を抱いている人間は少なくないようです。
増やされる側の医学部のトップ達が揃って「いやそれはちょっとやめて」と声を上げているのもそうした受け止め方の発露なのでしょうが、まずはこちらの記事から紹介させていただきましょう。

医学部新設に改めて反対、「質の低下招く」―医学部長病院長会議(2011年1月20日CBニュース)

 全国医学部長病院長会議(会長=黒岩義之・横浜市立大医学部長)は1月20日の定例記者会見で、医師不足をめぐる医学部新設の動きに対して、「医学生の質、医療の質が確保できない」と改めて反対する考えを表明した。医師数の不足は、既存医学部の定員増で対応するのが妥当だと強調。その上で、「医師不足を数だけで議論する時代は終わった」とし、地域偏在・診療科偏在の是正や、将来の養成数の調整も含めた検討が行われるべきだと訴えた。

 文部科学省が新たに設置した「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」で委員を務める黒岩会長は、これまでの定員増により、必要医師数の充足に一定のめどが付いたことを評価。一方で、▽このまま推移すれば2030年には、人口当たりの臨床医数がOECD(経済協力開発機構)加盟国平均を超える▽ 急激な定員増は医学生の学力低下を招き、日本の高い医療レベルが維持できない―など、今後も養成増を続けることの問題点を指摘し、将来の養成数の調整や、医学教育の質の確保が困難な医学部新設に否定的な姿勢を示した。

 その上で、医師不足の解消については、「偏在の解決がないままでは、単に数を増やしても、国民の求める医師養成とは程遠い」と述べ、臨床研修制度の見直しを含めた幅広い視点で検討する必要性を主張した。
 嘉山孝正相談役(国立がん研究センター理事長)も、現行の臨床研修制度や診療科の自由標榜の課題に言及。医療制度の面からの改善が医師不足の解消には実効性が高いとした。

 一方、「医学部新設を進め、競争による質の向上を目指すべきだ」との考え方があることに対し、森山寛副会長(慈恵医大附属病院長)は、「一人の医師を養成するのに約1億円の税金が掛かるとされる」とし、厳しい財政状況下で過剰な養成は適切ではないと反論した。

医師不足に対しては数だけの議論ではダメで、他の方法論が必要であるという点についてもまた様々な意見があるところでしょうが、とりあえず何故反対なのかという主要な論点の一つとして医学部学生の質が下がる、医療のレベルが低下するということを逝っている点には注目しておくべきでしょう。
すでに日本も不況だ、不景気だと長く言われていますけれども、その中でとりあえず入学さえすれば食っていく心配がないという点で医学部信奉というのが近年めざましいのだそうで、そのターゲットとして最近どこの大学でも整備されている地域枠というものが受験生の狙い所となっているそうですよね。
あれなども卒後のお礼奉公さえ約束しておけば金銭的な面倒を見てくれる上に、何より地域医療に貢献する(という志を持っています)と一筆入れるだけで(実行するかどうかは別として)受験の難易度が劇的に下がると言いますから、それは医者を目指す学生達にしてみればずいぶんとおいしい制度に見えていることでしょう。

もちろん実際にお礼奉公を拒否するとなれば出してもらったお金は耳を揃えて返さなければならないわけですが、最近は医者不足の厳しい病院の方でも心得たもので「うちで勤務してくれるなら奨学金返済はやっておきます」なんて施設も出ているようで、要するに地域医療充実という表看板とは別に限りなく裏口に近い存在になりつつあるとも言えそうです。
そもそも一県一医大と称して全国各地に駅弁医大と呼ばれる医学部が相次いで建設された時代がありましたが、あれも実際には地方の医学部は偏差値絡みの都市部からの都落ち組がずいぶんと多かったもので、さらに底辺などと言われる私大医学部の存在などを考えれば、もともと医学生のレベルが云々というのも単なる幻想であったのかも知れません。
ただ高度成長期にはあれほど持てはやされた理工系学部の凋落ぶりや、近年ではとうとう定員割れも珍しくなくなったという歯学部の惨状などを見るにつけ、社会的な評価が急落していけばやがて学生の質も下がっていくということは常識的に考えられる話で、ただでさえ急増する新米医師の教育に苦労している現場からすれば「せめて最低限の質くらいは維持してくれよ」と言いたくなるのも無理からぬところなのでしょうね。

一方で先日は「これからの医療は県単位に」「開業したければ田舎勤務を義務づけろ」と原中会長が持論を展開した日医ですが、こちらも医学部新設に反対という姿勢では一貫しています(もっとも日医の場合、歴史的に医者を増やすということ自体に反対してきた経緯もありますが)。
久しく以前から「日医なりのアイデアを発表する」と言い続けてきた医師養成の日医プランとも呼ぶべきものが先日発表されたということなんですが、これがよく言えばなかなか野心的な内容になっているようなんですね。

「地域の大学を中心に8年かけて育てる」-日医・医師養成改革案(2011年1月19日CBニュース)

 日本医師会は1月19日の定例記者会見で、医学部教育から初期臨床研修までの医師養成制度の改革案を示した。改革案は、「医師は、地域の大学を中心に8 年かけて育てること」を骨格とし、原則として初期臨床研修を出身大学病院やその地域の臨床研修病院で行うことなどを提案している。医師の偏在の解消につなげるのが狙いで、2月にも正式に取りまとめ、「グランドデザイン」の見直しに反映させる。

 改革案は医学部教育と初期臨床研修制度の2本柱で、初期臨床研修については、出身大学のある都道府県で行うことを提案。医学部教育からの8年間、一貫して地域医療を学習し、実践的な技術を身に付けることを目的にしている。医学生は卒業後に、各大学に設置される「臨床研修センター」(仮称)に登録。同センターが、初期臨床研修先のマッチングを図る。また、同センターが一定の裁量を持てる仕組みとした。
 中川俊男副会長は会見で、「医師が地域への愛着を深め、ひいては医師の地域的偏在の解消につながることを期待したい」と述べた。

 初期臨床研修プログラムについては、1年目に内科、救急医療、地域医療、精神科を必修とし、一定のプライマリーケア能力の獲得を目指す。2年目には将来専門にすると考えている診療科を中心に研修し、この診療科である程度自立してプライマリーケアを行えるようにすることを目標にした。 

 一方、医学部教育については、5、6年生で医行為を行うために、国家ライセンスの取得を義務付け、参加型の臨床実習の実現を目指す。このほか、1-4年生では、医療経済や社会保障、ワークライフバランスなどについても学習すべきだとしている。

以前から漏れ聞こえて来た話も散見される中で、特に骨子として日医が強調するのが「医者は卒業後も出身大学とその近隣地域に縛り付けるべきである」という考え方で、先に挙げたような「医師免許さえ取れば後はさっさとおさらば」という国試留学というものを真っ向否定する内容となっているのが注目されます。
かねて医師への統制強化を図ってきた日医とすれば、これで田舎でも医者不足が解消されていくだろうと言いたいのでしょうが、問題は人口71万人の島根県も人口620万人の千葉県もどちらも医学部は一つ、定員は100人であるという既存の医学部の極端な偏在をそのままにして、こうした各県毎の分断されたシステムを導入すればあっという間に大学間の格差は急拡大するだろうということではないでしょうか?
もちろん人口の少ない地方にとって見れば今までよりも都会に吸い出される医者は減っていくでしょうが、卒業後もそんな地域で縛りつけられる県外者がどれほどいるのかと考えた場合に受験のモチベーションは急低下せざるを得ないでしょうし、逆に人口の割に医学部過疎の県においては医学部の偏差値急騰程度ならともかく、ますます医師不足が加速しかねないと反発する声も出てきそうなアイデアですよね。
日医としてもこうした声に一応は配慮したということなのでしょうか、発表用の資料を見てみますとこんなことが書いてあります。

日本医師会の医師養成改革案の基本骨格は、「医師は、地域の大学を中心に8 年かけて育てる」ことである。すなわち、初期臨床研修制度は、原則、出身大学の都道府県で行なう。窮屈な印象もあるかもしれないが、地域でこそ、あたたかく育てたいと考える
医師の偏在、地域医療の崩壊が、日本医師会の初期臨床研修制度改革案によって全面的に解決するわけではないが、医師が地域に根付き、医師偏在解消の糸口になること、若手医師が地域に根ざし、地域医療を担ってくれることを期待する。また、そのために、日本医師会は必要な支援を行ないたい。
(略)
またこれにより、医師が地域への愛着を深め、ひいては医師の地域的偏在の解消の一助となることを期待する。

(1)都道府県ごとの「医師研修機構(仮称)」による運営

都道府県ごとに、都道府県医師会、行政、住民代表、大学(医学部および附属病院)、大学以外の臨床研修病院からなる「医師研修機構(仮称)」を設置し、たとえば次のような運営機能を担う。

・ 各都道府県下の単年度の初期臨床研修医数が、おおむね当該都道府県の医学部卒業生数に一致するように調整する。
・ 初期臨床研修医の需要に対して医学部が少ない都道府県から研修医派遣の要請を受けた場合、大学病院等と調整する。
地域で特色ある研修プログラムを検討する。
・ 臨床研修病院の確保および育成に努める。
・ 研修医に対する地域密着型の生活支援を行なう。

なお、各都道府県の機構のあり方は必ずしも全国同じである必要はなく、むしろ地域の特色をいかした組織にすべきと考える。

鉄は熱いうちに打てという言葉があるくらい重要な初期研修をこうまで拘束しようと言う日医がどういう考えで言っているのか判りませんけれども、医療が日本全国は元より世界規模で標準化すべきであると言っている時代に都道府県毎に独自の医師教育を推進していくということですから、どうしたって教育水準が全国同じものになるとは思えませんし、ますます大学間格差が拡大かつ固定化するだけに思えてなりません。
人口1100万で数多の大学、大病院からナショナルセンターも擁する東京の医者と、失礼ながらろくに高度医療が出来る施設もない70万の島根の医者(すみません、島根に特別な意趣はありません)とで、後々どれほどの格差が形成されていくのかも興味深いんですが、やがては出身大学が違えば医療のやり方も違うなんて一昔前の話以上の意思疎通の欠如が各都道府県の医師間で生まれてくるかも知れませんね。
いずれにしてもこれらの人生全てにも及びかねない影響が全て18かそこらの時期の大学選び一つにかかっている、さらに言えば地域枠拡大傾向などを考えるなら下手すると生まれついた土地で半ば将来が決められてしまうことにもつながりかねないという、仮に実現すれば極めてヒエラルキー固定的な制度になっていきそうにも思えますが、日医とすれば「これじゃ若い連中が苦労する?俺たちの知ったことじゃねえよ」ということなのでしょうか。

先の会長発言にある「お前らも開業したければ田舎で奉公してこいや」といった上から目線の発言といい、いかにも既得権益をしっかり確保した御老人方の言い出しそうな話ではあるのかなという印象なんですが、一番の問題はこうした日医流の改革によって都道府県間での医師流通が制限された結果、どれだけ医師の偏在という当初の問題が解消するのかが全く見えてこないということです。
もちろん県下の大学における卒後の進路が明らかに県外への出超で来ていた県にとってはありがたい話ではあるのかも知れませんが、逆に他県から入超が続いていた県にとっては医師の供給が絶たれるわけですから、日本全国トータルで見てどれほど医師不足なり偏在なりの解消に役立つのかという検証が必要とされるはずなんですが、公表された資料を見る限りではそうした検証を行っているような気配が見られないですよね。
もちろん今どき日医が何を言おうが日本の医療制度に何ほどの影響があるのかという考えが常識的なんだろうと思いますが、少なくとも説得力のある客観的な裏付けもなくこういう妙な話をいきなり打ち出してくることに何の違和感も抱かない日医の方々というのも、やはり相当に浮世離れした感覚の持ち主であるとは言えそうな気がしますし、そんな方々に好き放題言わせているから「医者の常識は世間の非常識」と言われるのでしょう。

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2011年1月27日 (木)

単なる風の噂を信じてはいけません?

最近トラブル続出とちょっとした話題になっているのが「ペニーオークション」というものなのですが、まずはとうとう消費者に警告が出ましたという記事から紹介してみましょう。

国民生活センター、“ペニーオークション”のトラブル急増で注意喚起(2011年1月24日RBB TODAY)

 独立行政法人 国民生活センターは24日、新品の電化製品やブランド品等が非常に格安で出品される、いわゆる“ペニーオークション”に関する相談が最近増加しているとして、報告書および注意喚起文を公開した。

【画像】ペニーオークションの仕組みや具体例

 「ペニーオークション」とは、日本では2009年頃よりみられるようになったインターネットオークションの新形式。一般のインターネットオークションでは、入札には費用がかからず落札者した1名だけが商品代金を支払うが、いわゆる“ペニーオークション”は、(落札できなくとも)入札するたびに手数料を支払う形式となっている。

 「人気商品を新品で市場価格よりかなり格安で手に入れることができる」とうたわれているが、入札手数料がかかりすぎ、実際には思ったような価格で落札できないことも多い。そのため、「破格の安さで出品されているのに釣られ、ペニーオークションの仕組みを理解せずに利用してしまった」という相談が、全国の消費生活センターに寄せられているという。PIO-NET(全国消費生活情報ネットワーク・システム)では、相談は2009年11月から寄せられ始め、これまで192件となっている。年度別では、2009年度が19件、2010年度は173件と急増傾向にある。

 主な相談事例としては、「途中でやめると手数料が無駄になると思い、入札し続けた」「落札したものの、高額請求になってしまった」「サクラの可能性に不審」「落札したが、出品商品が未入荷で取り消しに」といった事例が挙げられている。これに対して国民生活センターでは、消費者へのアドバイスとして「参加するなら、冷静な判断力を失わないこと」「一度“通貨”を購入すると返金されない」「不審なサイトは利用しない」といった注意を呼びかけている。

従来のネットオークションというものは今も普通にあるわけですが、これに対してペニーオークションの定義は何かと言えば「入札のたびに料金が発生する新型のネットオークションの総称」なんだそうで、出品者としては安く買われても参加者さえ一定数あれば元が取れるわけですから、逆にいえば相場を無視した破格値で売れる理屈だというのが表向きの売りだということになっています。
この場合業者は商品そのものの売買で利益を得るというのではなくて、要するにダイヤルQ2と同じような利用料で稼ぐ仕組みなんですが、一方では皆が積み上げたチップを買った人間と胴元とで総取りするという、何やら賭博めいた側面もあるということは言えそうですよね。
それでもこれだけを見ていますとオークションなんですから、思ったように入手出来ないのも当然だろうと考える人も多いと思う記事ですが、どうも話を聞いてみますとやっていること自体が阿漕なのではないかと思われる節があって、よくよく聞いてみるとこれはよく言って詐欺紛いの行為なのではないかとも思えてきますから穏やかではありません。

広がるペニーオークションに罠 落札できず手数料取られ…(2010年9月30日産経新聞)

 出品価格が安い代わりに、入札をするたびに手数料がかかるインターネットオークション「ペニーオークション」が広がりをみせている。新品の家電などが市場の9割引きで買えることもあり、利用者は増加。だが、落札できなければ入札手数料だけが取られることになり、利用には冷静な判断力が必要だ。(道丸摩耶)

 いつまでも終了せず

 ペニーオークションのサイトを見ると、新品の商品が破格の値段で出品されていることにまず驚く。

 大手ペニーオークションサイトでは、市場価格約6万8千円の「iPad」が401円、市場価格約8万円の富士通のノートパソコンが575円で落札された、とある。中古品ではなく、いずれも新品だ。

 どうしてこのような価格で落札できるのか。仕組みを理解しようと、実際に入札に参加してみた。

 名前や住所などの登録を済ませ、750円で模擬通貨の「コイン」を購入する。入札手数料は1回75円のため、これで10回の入札が可能だ。

 市場価格は10万円近い地デジ対応薄型テレビが、なんと1千円台。残り5分ほどでオークションが終了するというので、まずは1回、入札してみた。

 しかし、終了間際になると、次々に入札が入る。入札が入ると終了時間が20秒延びるため、一気に終了予定時間が1時間ほど延びた。午前0時を回っても、画面は「終了間近→誰かが入札→終了予定時刻延長」を繰り返す。明け方まで待ったが、オークションが終わる気配はなかった

 結局、このテレビが落札されたのは2日後。落札価格は1万円を超えていた。私は最初に75円を消費しただけだったが、本気で落札しようとすれば時間もお金もかかってしまう。

 相談も増加傾向

 国民生活センターによると、こうしたペニーオークションに関する相談は今年に入って増えている。「落札していないのに参加費(手数料)がかかるのはおかしい」「なかなか落札できないが、販売方法に問題はないか」といった内容が多いという。

 日本でペニーオークションが広がったのは、ここ1年ほど。次々と新しいサイトがオープンするものの、サイトが有名になれば参加者も増える。“ライバル”が増えて落札が難しくなると、利用者は別の新しいサイトに流れる。利用者が減って閉鎖するサイトもあり、せっかく入札のために買った模擬通貨が無駄になるケースもある。

 また、「お金を払って入札したからには入札手数料を回収しよう」と、意地でも落札しようとするケースも多い。その結果、落札額がはね上がり、多くの参加者が多額の手数料をとられることになる。

 国民生活センターは7月、「安く落札できると入札を重ねても、入札手数料が積み重なり、最終的に落札できたとしても、手数料と落札価格を合計するとさほど安くなかったということになる可能性がある」とホームページで“警告”。利用規約を理解し、熱くなりすぎないよう呼びかけている。

 ネットで入札のたび50~80円

 ペニーオークションとは、入札のたびに料金が発生する新型のネットオークションの総称。0円など破格の値段で新品の家電などが出品され、入札1件ごとにおよそ1~20円単位で価格が上がっていく。落札するには、手数料として各サイト内のみで使える“模擬通貨”を購入する必要がある。入札1回につき、模擬通貨代として約50~80円がかかる。

 例えば、0円で出品され、入札1回で1円ずつ価格が上がる「iPad」の例を見てみよう。入札には3人が参加し、最終的に500円でAさんが落札したとする。

 入札には1回50円が必要で、Aさんが250回入札したとすると、手数料を含め計1万3千円を支払うことになる。

 ほかのオークションと大きく違うのは、落札できなかったBさん、Cさんも入札手数料を取られる点だ。落札額だけを見れば、「iPad」が500円で落札された格好だが、出品者(オークション運営者)側には3人分の入札額を含めた計2万5500円が入る

この「落札しそうになるたびに入札が入る」という点が問題で、それも記事から判る通り夜も昼もずっと終了間際になると決まって入札が入り続けるという状況は、例えサクラにしてもどうも普通の人間がやっていることのようにも思われないんですが、ともかく入札に参加したはいいが落札できないという声が極めて多いというのがこのシステムの特徴となっています。
しかも実際に落札できたという人が数は少数ながらいるのですが、そうなると今度は「商品が入手不能」などと称してオークション自体がご破算にされてしまうというのですから、これは一体どういうことなのかと誰でも思うところでしょうが、この問題を検証した人によればどうも単なるサクラどころではない巧妙なシステムが使われている可能性があるようなんですね。

「DMM.com ポイントオークション」が詐欺過ぎて吹いた、と思ったら…(2011年1月14日ブログ記事)
より抜粋

まとめ

「DMM.com ポイントオークション」、および他のペニーオークションサイトについての考察、および「DMM、ゲオ、GMOインターネット、サイバーエージェントはじめとする大手業者は、即刻ペニーオークションから手を引くべき」という主張。

どこが詐欺に見えるか

「最高額入札者」のユーザ名を見れば一目瞭然…。以下は1月13日の午前4時に確認できたユーザ名の一覧。
(略)
明らかに形容詞・名詞のテーブルを使って自動生成している名前だ。いわゆる「自動入札bot」を用いてオークションを引き延ばし、一般入札者からの入札を待っている。おそらく一般入札者が入札したら自動的に応札し、損益分岐点を越えるまでは擬似的な「競り」が行われるようにプログラムされているのだろう。
(略)

なぜ「詐欺だ」と言い切れないか

「DMM.com」にクレジットカード情報を登録し、「ポイントオークション」の登録画面を開くと…

    DMMポイントオークションでは、専用のオークションネームをご利用いただきます。
    下記の中からお好きなオークションネームをお選びください。

    憂うカキツバタ 元気づける阿波座駅 すこやか出目駅 手近いランサローテ島
    ...(同様の自動生成された名前が20個)

な、なんだってー
利用規約をよくよく読んでみると、

    DMMポイントオークション利用規約
    第3条 オークションネーム
    会員に自動発行されるオークションネームは、本サービス専用のものとなります。
    5件落札するたびに、別のオークションネームへ変更していただきます。

とのことらしい。
つまり
「DMM.com ポイントオークション」は、

    * オークションネームを強制的に自動生成の名前にさせて
    * さらに5件落札するたび名前を強制変更させている

という複雑奇怪なシステムを採用しているのだ。「なぜか?」それは運営に聞いてみるしかない。まあここからは推察だが、この「オークションネームシステム」は、もしも大手業者DMM.comが「自動入札bot」や「サクラ」をオークションに放流した場合、以下のような利点がある。今までのbotだと発生した、

    * 同じ名前のユーザが24時間常駐しているように見える
    * 矛盾した行動(入札手数料を積算すると明らかに赤字になるような入札)を取るユーザが出現する
    * 同じ商品を二回落札するユーザがいるように見える
    * 「一般参加者っぽい名前」を考える手間がかかる

などという問題がすべて解決するのだ。
いやーすごいなDMM.com。やっぱ大手業者は考えることが違いますね。

「DMM.com ポイントオークション」の過去

奇怪な「オークションネーム」制度が導入される前、インターネットでは「DMM.comはサクラや自動入札botを仕掛けているのではないか」という噂が立った。以下のブログは、その中でも詳細にレポートを記している。

    * DMMポイントオークションの「サクラ」かもしれないユーザ一覧: 愛と苦悩の日記

    * DMMポイントオークションの自動入札は限りなく「クロ」に近い?: 愛と苦悩の日記

    * DMMポイントオークションの必勝パターン発見!!: 愛と苦悩の日記

    * DMMポイントオークションにも一部該当する「オークション詐欺5つの戦術」: 愛と苦悩の日記

    * DMMポイントオークションのようなペニーオークションは詐欺か?: 愛と苦悩の日記

先に記した「botが起こしうる矛盾した行動」は、多くが「DMM.com ポイントオークションのサイトで目撃された」とこのブログの中で指摘されているものだ。そして、オークションネーム制度が導入されたのはこの2ヶ月後
普通に考えれば必然性のない複雑な制度を、運営の中途から導入した「DMM.com ポイントオークション」にどのような意図があったのかは分からないが、少なくともこの状況を見れば「サクラや自動入札botが存在する、という検証を不可能にするためにオークションネーム制度を導入した」と疑われてもしかたないのではないだろうか。
(略)

実際に紹介されているリンク先の検証記事を見てみますと、なるほど確かにこれは限りなく黒かなと思える話なんですが、こうした検証記事による指摘を受けて反省し正道に復帰するどころか、どうやら更に一段と深淵へと足を踏み込んでいるらしいということのようなのですね。
業者の側からするとただオークションに参加させるだけで元は取れるのですから、究極的に言えば何一つ参加者に落札されないようにしておいた方が商品の不良在庫を抱え込むリスクは少なくて済む、というよりは最初から商品の実物などは全く用意していなくて、万一落札されてしまったときにはオークション不成立で言い逃れるというのが最も効率がよい商売のやり方ということになりますよね。
これだけの状況証拠を見ているだけでもひどく怪しいとは誰しも感じるところだし、実際に苦情殺到という事実があるからこそ国も動いたということなのでしょうが、どうやらそれだけで終わる話ではないらしいというのが、こんな落札困難なオークションであるにも関わらず簡単に落札できてしまったと公言して回っている人達が実際にいるという点から見えてきています。

アメブロ芸能人がペニーオークションで続々落札? サイバーエージェント「一切関与していない」(2011年01月24日ITmedia News)

 「iPadを855円で落札」──「アメブロ」でブログを書いている複数の芸能人が、「ペニーオークション」と呼ばれるオークションサイトで落札した体験談をそろってブログに掲載していたことがネットで波紋を広げている。

 ペニーオークションは高額な商品を格安に落札できることをうたっているが、入札するだけで手数料が取られる上、落札がかなり難しいともされており、国民生活センターなどへ苦情も寄せられている。アメブロを運営するサイバーエージェントは、「弊社は一切関与していない」と、自社の関与を否定している。

昨年秋以降、ほしのあきさんや東原亜希さん、永井大さんなど複数の芸能人が、ペニーオークションの利用体験談とオークションへのリンクを自らのアメブロに掲載していた。ペニーオークションは競争率が高く落札が難しいとされるが、体験談を掲載した芸能人は、初参加でも失敗することなく格安落札に成功していることから、「不自然だ」という指摘が多い。各芸能人が言及したペニーオークションサイトは1つではなく複数だったが、ほとんどが同じ会社によって運営されていた。

 アメブロには、企業などから商品の紹介を受け、芸能人に体験してもらってブログに掲載してもらうという広告メニューが存在するが、サイバーエージェントの広報担当者は「今回の件は、弊社としては一切関与していない」としている。

 ペニーオークションは、入札手数料(1入札ごとに50~100円前後)を支払って入札するオークションサイト。落札額は一般のオークションより低額だが、入札手数料は落札の成否にかかわらず返却されないため、大金を支払ったのに商品が手に入らない――ということがあり得るほか、プログラムを使って自動的に価格をつり上げているとみられるサイトも報告されている

 国民生活センターには昨年以降、「落札していないのに参加費(手数料)がかかるのはおかしい」といったペニーオークションに関する相談が増えている。消費者庁も注意喚起に向けて情報収集を進めているという。

 ペニーオークションサイトは昨年ごろから急増したが、昨年秋以降、「事業モデルに対しての社会的な情勢変化」を挙げて閉鎖するサイトが相次いでいる

実際に問題となっている芸能人のブログを見てみますと、「無料登録して、なっなんと!!1080円で落札したの(^O^)/ 落札したの(‐^▽^‐)すごいよー よかったら見てみてね♪」とリンクまで張られているという、例えブログ広告にしてももう少し広告らしくない言い回しはないのかと思えるような「テンプレ通り」の記事が出ているのですが、更に判りやすいことにこの手の記事が片っ端から削除されているんですよね(苦笑)。
それでもこういう世の中ですからあちらこちらからログが出てくるのですけれども、当然ながらそこから更に興味深い指摘も出てきています。

東原亜希  http://ameblo.jp/higashihara-aki/entry-10750524990.html  ←←← 削除!New

446 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/01/25(火) 11:19:56 ID:euDBxB3y0 [2/2]

ひがしはらがiPad落札した図w
http://smalldesign.jp/?pid=26401516

487 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2011/01/25(火) 12:01:29 ID:Lchi7pu90 [4/6]

>>446
これがマジで落札画像だったなら、
ブログの内容おかしいだろwwww

http://megalodon.jp/2011-0124-1830-53/ameblo.jp/higashihara-aki/entry-10750524990.html

何で落札当日に商品が手元にあるんだよwwwww

もちろん公人である芸能人なんですから、企業からお金をもらって広告を打つことは別に恥じるべきことでも何でもないはずですが、一方でこういう隠蔽操作紛いのことをやっているとは一体何なのかと考えた場合に、なるほどこれは「ステルスマーケティング」と呼ばれる手法であったのかと改めて気付かされます。
こういう第三者としての立場を偽って広告を打つというやり方は商道徳的にも非難されてしかるべきですし、当の企業にも荷担した芸能人にも結局はマイナスにしかならないのではないかと思うのですが、昨今テレビなどの業界も業績低迷でギャラが急落中ということですから、「一回あたり60万~300万」という少なくない額の謝礼は食べて行く上で無視出来ないということなんでしょうか。
ま、こういう「風の噂」を逆逆用してすかさずネタにしてしまうのも今の時代のネット住民のたくましさというものなんですが、噂をばら撒かれる方の企業の側では「悪質な噂話を放置してはいけない」「今後は法務対応を徹底的に強化します」とやる気満々になっているようですから、今後は公の場で事の真相が明らかになっていくということになるのでしょうか?
もちろんペニーオークションを利用してきた多くの善良な消費者にとっても、事の真実が明らかになる方がずっと望ましいのは言うまでもないんじゃないかと思うんですよね。

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2011年1月26日 (水)

嘉山先生、また吠える

間質性肺炎の副作用で知られる非小細胞肺癌の治療薬「イレッサ」に関して、副作用によって死亡した患者遺族が国と製薬会社を訴えていた民事訴訟ですけれども、結審後判決を待っている段階で裁判所から和解勧告が出ていたことは先日報道されたところです。

薬害イレッサ訴訟 2地裁が「被告側に救済責任」(2011年1月7日産経新聞)

 副作用で800人以上の死者が報告されている肺がん治療薬「イレッサ」をめぐり、副作用の危険性を知りながら対策を怠ったとして、死亡した患者の遺族ら計15人が国と販売元の「アストラゼネカ」(大阪市)に計1億8150万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁(松並重雄裁判長)と大阪地裁(高橋文清裁判長)は7日、「被告側は患者の救済を図る責任がある」として、国と同社が和解金を支払うことなどを内容とする和解を当事者双方に勧告した。

 訴訟はいずれも結審しており、判決期日は東京地裁が3月23日、大阪地裁が2月25日に指定。一方で原告側は昨年11月、両地裁に和解勧告を求める上申書を提出し、両地裁は「統一的解決を図る観点」で和解の枠組みを協議していた。

 原告側弁護団によると、和解勧告で両地裁は「本件の経緯と原告らの心情をみるとき、和解成立が最も望ましい解決と考える」などと指摘。イレッサが承認された平成14年7月5日から副作用の注意を喚起する緊急安全性情報が出された同年10月15日の間には「副作用に関する十分な記載がなされていたとはいえない状況にあった」とし、この間に投与を受け、副作用による重い間質性肺炎を発症した患者について、被告側が患者や遺族の原告に和解金を支払うべきとした。

 一方で全面解決に向け、緊急安全性情報が出された後に服用し、副作用を発症した患者とも誠実に協議するよう要請。和解勧告の所見に対する双方の意見を、今月28日までに伝えることを求めた。

 和解勧告について、原告・弁護団は「被告の責任を明確にしている点で高く評価できる」との声明を発表。一方、厚生労働省は「対応は関係機関とも協議した上で決定したい」、アストラゼネカ広報部も「勧告内容を吟味した上で決めたい」としている。

この和解勧告に関しては元々原告側から裁判所に要請されたという経緯もあって、当然ながら原告側はおおむね主張に沿ったものだと評価し早期に受け入れを表明したわけですが、これに対して国は受け入れを容易に認められる状況でもなく、製薬会社の方は明確に受け入れを拒否したと(多くの主要マスコミからは否定的論調で)報道されています。
最近は肝炎訴訟などを始めとしてこうした患者救済の裁判というものが数多くありますけれども、患者の救済と言うこととはもちろん社会的責任として重要なことではありますけれども、裁判の結果としてこういう結論が歴史に残ってしまうという意味を考えれば、物事の行く末に深く考えが及んでいる良心的な人間であるほどおいそれと頷けないということも当然のことではありますよね。
訴訟の当事者である国や製薬会社だけであれば立場上のこともありますが、医療業界からも和解に対する批判的見解が相次いでいるという状況ですから、これは久しぶりに国民(+マスコミ)vs医療関係者という全面対立の構図にも発展しそうな勢いです。

苦渋…国「薬事行政揺らぐ」 イレッサ訴訟(2011年1月13日産経新聞)

 原告・弁護側が東京、大阪両地裁の和解勧告受け入れの意思を明確にしているのに対し、国などはまだ態度を表明していない。厚生労働省の担当者は「副作用が有効性よりも重視されるということになれば、医薬品の承認の在り方に影響を与えることになる」と話し合いのテーブルに簡単につけない理由を話した。

 裁判所が和解を勧告した7日、ある厚労省幹部は「判決でも負けるとは思っていなかった。まさか国の責任が認められる内容になるとは…」と絶句した。この幹部は「薬は承認後も大勢の人が使用する中で想定外の副作用は出てくるもの。承認後に分かった内容で、承認時の責任を問われるならば、薬事行政の根幹を揺るがすことになる」と話す。

 医薬品副作用被害対策の担当者は「副作用を見逃したり、無視したわけではない。イレッサの承認が問題となれば、他の新薬の承認で慎重にならざるを得なくなる」と強調。海外で使える医薬品が日本で使えないドラッグ・ラグの原因になると指摘する。

 別の幹部は「政治判断で和解に応じる可能性はある。しかし、役人だけで決めるなら和解はありえない」と話している。

イレッサ訴訟・早期解決に暗雲、原告は強く反発(2011年1月24日産経新聞)

早期解決の道筋に、暗雲がたれ込めた。肺がん治療薬「イレッサ」をめぐる訴訟で、被告企業の「アストラゼネカ」(大阪市)は24日、和解勧告を拒否し、「副作用への注意喚起は適切だった」と従来の主張を繰り返した。原告側は「患者や遺族に二重三重の苦しみを与える」と反発。いまだ態度を表明していない国に和解協議入りを訴えた。

 「和解であいまいに解決すると、今後の抗がん剤治療に重大な影響を及ぼす

 大阪市内で会見したア社側代理人の池田裕彦弁護士は、和解拒否の理由をこう説明。「イレッサの有用性に疑問を差し挟む専門家はいない」と強調し、原告側が要求している謝罪については「不適正だったことが前提となる。謝罪はできない」と述べた

 イレッサ承認当初の初版添付文書では「重大な副作用」欄の1番目に下痢が挙げられ、間質性肺炎は4番目の記載だった。

 裁判所の所見は「下痢よりも重要でないものと読まれる可能性があった」と指摘したが、池田弁護士は「添付文書は医師向けのもの。4番目だから安心と考える医師はいない」と、初版段階から注意喚起が適切だったとの認識を改めて示した。

 ア社側の対応について、原告・弁護団は「最大限の社会的非難が加えられるべきだ。真摯な反省のもとに和解について再考し、協議に応じることを強く求める」とのコメントを発表。弁護団の1人は「ア社の救済責任を認めた裁判所の所見を軽視している。不遜度といわざるを得ない」と批判した。

 大阪原告団の清水英喜さん(55)は「本当にショック。訴訟を長期化させたところで何のメリットもない」と落胆し、「あとは国の出方を待つしかない」と国が和解に応じることに望みを託した。

イレッサ訴訟 全面救済、遠い道のり 医療界「萎縮招く」(2011年1月25日産経新聞)

 肺がん治療薬「イレッサ」の副作用をめぐる訴訟で被告企業の「アストラゼネカ」(大阪市)が24日、東京・大阪地裁の和解勧告受け入れを拒否したことで、ア社との和解協議入りの可能性は低くなった。原告側は回答期限の28日までア社ともう一方の被告の国に対し、和解協議の席につくよう求める方針だ。国は態度を保留するが、「簡単に応じることはできない」と慎重な姿勢。原告側が求める「早期全面救済」への道のりは容易ではない。

 両地裁は今月7日に和解を勧告。イレッサが承認された平成14年7月5日からア社が厚生労働省の指示で緊急安全性情報を出した同年10月15日まで「添付文書に致死的な副作用に関する十分な情報が記載されていなかった」と指摘。この間、イレッサを使い、間質性肺炎を起こした患者の救済を図る責任があるとした。

 勧告所見は、承認前の治験や治験外使用から致死的な間質性肺炎の副作用は予見可能だったと指摘するが、国は「市販後になって致死的な副作用と分かり、きちんと対応してきた」と反論。和解協議に応じることは、「薬事行政の根幹を揺るがすことになる」と受け止めている。医療界も24日、所見の内容を懸念する見解を公表。日本肺癌学会は「重篤な間質性肺炎発生の可能性を承認前や承認後ごく早期に予見することは困難だった。責任を問うならば、薬事行政のさらなる萎縮は明らか」とした。

 これに対し、薬害オンブズパースン会議代表の鈴木利広弁護士は「所見は添付文書に『致死的な副作用』を明記していないことを問題にしているのに、一部の医療界は承認の問題にすり替えた。医療界が正面から問題に向き合わなければ、医薬品の安全性は確立できない」としている。

原告側が色々と言いたいことがあるのは十二分に理解出来ることですけれども、裁判という公の場で何かしらの公式な結論が出るということの意味を考えた場合に、それはすり替えだとか言う言葉の問題ではなく社会的意味を持たずにはいられないわけですから、その影響がどこまで及ぶかということも考えないでただ訴えれば良い、勝てば良いでは済まない話だと思います。
こうした訴訟を見ていて思うのは被害者の公的救済と責任追及、そして真相究明と再発防止といった事柄が全てごちゃ混ぜになってしまい、最終的に「ただ金額を決めるだけ」の民事訴訟の場にそれら全ての判断がひとまとめに丸投げにされるというシステム上の不備で、こうした抗がん剤であっても副作用にはきちんと、それも早急な公的救済を行うシステムでもあればここまで面倒な話にならなかったようにも思います。
抗がん剤というものはその性質上副作用が必発であり、しかも多くの場合最終的には患者さんが亡くなってしまうわけですから、軽々に救済システムを用意すると「実質的に無料で治療することと同じになる」という反対意見もありますが、ちょうど本件も受けて国会議員の間からも議論すべきだとの声が上がっているようですから、財政面も含めて社会的にも容認し得る落としどころを探っていただきたいものだと思いますね。
補償範囲を広げると無制限に公費支出が膨らむという懸念はもっともですが、個人的にはむしろそうした出口側の議論をとっかかりにしてむしろ入り口側への議論の広がり、すなわち何歳になろうがあらゆる治療を若年者と同じような医療を行っていくのが良いことなのかと行った方向にも、この際国民的なコンセンサスを得ていくようにしていくことも重要なのではないかなと感じています。

いずれにしてもこうまで社会的注目を浴びる事態になってしまうと、医療業界も訴訟の与える社会的影響というものを考えて対応せざるを得ませんけれども、山形大学から国立がんセンターに移った嘉山が「和解勧告は医療の根本を否定するものだ!」なんて、またぞろマスコミ的にはおいしい燃料投下をしているのですから当分沈静化しそうもありませんよね。

イレッサ和解勧告は「医療の根本を否定」―国立がんセンターが見解(2011年1月24日CBニュース)

 肺がん治療薬「イレッサ」をめぐる訴訟で東京、大阪両地裁が示した和解勧告に対し、国立がん研究センター(嘉山孝正理事長)は1月24日、イレッサ被害は薬害ではなく、あくまで副作用によるものだとし、「副作用での不幸な結果の責任を問うという判断は、医療の根本を否定する」との見解を発表した。

 見解では、イレッサの副作用である間質性肺炎について、▽身近な薬でも発生する副作用の一つである▽添付文書に重大な副作用として記載されているほか、国は市販後も副作用情報を集め、緊急安全性情報を出している―といった点から、「薬害エイズやB型肝炎のような人為的過誤による薬害被害とは全く異なる」「(国は)医療現場から見ても、イレッサの安全性の確保に十分注意してきた」と説明。不可避なリスクの責任も問われるようになれば、「すべての医療は困難になり、効果のある患者さんも恩恵が受けられなくなる」と強調している。

 嘉山理事長は記者会見で、「誰も予測できなかった副作用を誰かのせいにしては、医療が成り立たない」と述べ、抗がん剤の副作用による健康被害に対しても、ほかの医薬品のような国の救済制度を創設すべきだと主張した。また、会見に同席した卵巣がん体験者の会スマイリーの片木美穂代表、NPO法人グループ・ネクサスの天野慎介理事長は、今後の薬事承認への影響を懸念し、「イレッサが必要な患者もいる」「安全で迅速な承認が阻害されないよう祈っている」などと語った。

■「薬事行政の委縮を危惧」―肺癌学会も見解

 日本肺癌学会も同日、和解勧告に対する見解を発表した。
 見解では、重篤な間質性肺炎が起こる可能性を承認前や承認直後に予見するのは、非常に難しかったと指摘。当時の判断や対応について過度の責任を求めることで、「新しい医療技術や医薬を迅速に国民に提供することがきわめて困難になることを危惧する」としている。また、こうした責任追及が、「薬事行政のさらなる委縮、製薬会社の開発意欲の阻喪、ひいては世界標準治療が我が国においてのみ受けられないという大きな負の遺産」につながると訴えている。

嘉山先生の言い分も確かにごもっともな部分も多々あるのですが、世間での報道の論調なども見ていますとこれがどう受け取られているのかと言うことは想像に難くないところで、またぞろこの先生が(極めて控えめに表現するならば)誤解を恐れないいつもの調子でやっているものだから大変ですよね。
ちょうどロハス・メディカルさんでこの会見の様子を取り上げているのですが、嘉山先生の発言を中心に目に付くところを取り上げてみることにしましょう。

イレッサ和解勧告で、国立がん研究センターが緊急会見(2011年1月24日ロハス・メディカル)より抜粋

[嘉山孝正・国立がん研究センター理事長]
 がんセンターの嘉山です。

 今回、イレッサに関して裁判所が和解勧告をしたことは、我々は報道でしか分かりません。詳しいことは、色々な事例の判断を裁判所がどのようにしたのかについては和解勧告書を手に入れておりませんので分かりませんので、コンセプトとしての見解、つまり原理的なものをちょっとお話しして、我々の考えをお伝えしたいと思います。

 私自身は、「全国医学部長病院長会議」の医療事故の対応委員長を6年やっておりまして、前任地では医療事故を隠蔽した教授を懲戒にするという立場の者と、まずご理解願いたいと思います。

 従いまして、今回の見解に関しましても、科学的なこと、あるいは国民の皆様の全ての健康を......、特にがんに関する健康を預かる「国立がん研究センター」の責任者として見解を述べるということをご理解願いたいと思います。

まずは嘉山先生の音頭で犠牲者に対する黙祷を捧げてからの会見となったわけですが、この冒頭の段階では嘉山先生としてもあくまで部外者として一般論、原理的なものを述べるというスタンスなんだと表明しているわけです。
ご自身もおっしゃっている通り同じ医療関係者に対して常日頃から容赦ないことを言ってきた先生だけに、別に同業擁護だとか言う発想から出ているというわけではないことは言っておきたかったのでしょうが、その一方としてがんセンターのトップという立場からも見過ごしに出来ない問題であるという判断なのでしょう、まずは「原理的なもの」からこういうセンターとしての公式見解を表明しているのは当然でしょう。

[嘉山孝正・国立がん研究センター理事長]
 それでは、イレッサの和解勧告案に対する国立がん研究センターの見解について、皆様のお手元にあるものを読ませていただきます。

 まず、イレッサの副作用により急性肺障害・間質性肺炎を起こし、亡くなられた患者さんには心より哀悼の意を表し、心より御冥福をお祈りいたします。

 今回、肺がんの治療薬であるイレッサの訴訟において、東京地裁と大阪地裁が和解勧告を提示しました。報道によると、裁判所の判断は、世界に先駆けて販売承認を行ったわが国の安全対策が不十分で、イレッサによる副作用の被害が拡大したと思わせます

 この裁判所の判断は、自然科学を人間に施行しているすべての医療人にとっては大きな衝撃を与えるもので、全ての患者さんにとっても不利益になるものと思わざるを得ません。

 その理由は、今回のイレッサによる副作用についての訴訟は、これまでの非加熱製剤によるHIV(エイズウィルス)訴訟やB 型肝炎訴訟等の明らかな人為的過誤による薬害被害とは全く異なるからです。

 HIVやB型肝炎の感染は、当時予想することが難しかったものの、他に感染を防ぐ方法は当時もあったと考え、薬害と言えると思います。

 一方、今回のイレッサによる急性肺障害・間質性肺炎は、抗がん剤のほか漢方薬や抗生物質などの身近な薬においても発症する副作用の1つとして知られております。

 すなわち、今回のイレッサによる副作用での不幸な結果の責任を問うという判断は、医療の根本を否定すると危惧します。すべての医療は安全であるべきです。

 しかし、自然科学である人間を対象とする医学には、どんな努力をしても、絶対安全は残念ではありますがありません。どのような安全と考えられている薬剤でも副作用があります。

 今回の判断は、医療に伴うリスクが出た場合に国家ないし医師が責任を取ることを意味していることになりかねません。これを外科手術にたとえれば、不可避的な副作用を受認しないことを意味しています。

 結果、医療における不可避の副作用を認めなくなれば、すべての医療は困難になり、このような治療薬で効果がある患者さんも医療の恩恵を受けられなくなり、医療崩壊になると危惧します。

 今回の件では、抗がん剤を投与する治療医は常に急性肺障害・間質性肺炎などの重大な副作用が起きる危険性を認識しながら治療に当たってきましたし、現在もそのようにしております。

 また、発売開始前の治験においてイレッサは高い効果を示しましたが、投与を受けた患者さんの中に急性肺障害・間質性肺炎を起こした方がいたことから、当時の厚生労働省内の国立医薬品食品衛生研究所・医薬品医療機器審査センターは治験結果を科学的に審査し、イレッサによる急性肺障害・間質性肺炎を重大な副作用として添付文書に記載し、注意を呼びかけるよう指導しています。

 しかし、市販後、日本全国の施設で新しい治療を待ち望む患者さんに広く使用されるようになり、時に重篤かつ致死的な急性肺障害を引き起こすことが明らかになってきました。

 厚生労働省は販売承認後もイレッサの副作用情報を集め、販売開始3か月目に急性肺障害・間質性肺炎の緊急安全性情報を出すなど、医療現場から見てもイレッサの安全性の確保に十分注意してきたと考えます。

 イレッサが世界に先駆けて日本で承認されたことによって、日本人の多くの患者さんがその恩恵を受けました。また、その効果を世界に発信し、重大な副作用の情報についても最初に世界に伝えたことは、日本人のみならず世界中でがんと闘う患者さんのためにも大きく貢献したと思います。

 今回のような薬剤の副作用で不幸な転帰をとり、受認とされた患者さんやご家族を救済する制度としては、国の医薬品副作用救済制度により健康被害について救済給付が行われていますが、抗がん剤や免疫抑制剤などは対象除外医薬品となっています。

 抗がん剤は一般薬に比べて重大な副作用が見られることがあり、投与に当たっては患者さんに対して十分に治療のメリットとデメリットを説明した上で治療を行っていますが、抗がん剤よる副作用が見られた場合の重大な健康被害の救済制度を創設すべきと考えます。

 すなわち、本件の個別の問題に限局するのではなく、国民的な議論が必要であり、国会で十分に議論する必要があると思います。

 今後も、国立がん研究センターは職員が一丸となって、国や他の機関と共に、すべての治療が安全に行われ、1人でも多くのがん患者さんの命が救われるように、医療と研究の発展に努力してまいります。

 重ねて、イレッサをはじめ急性肺障害・間質性肺炎など様々な副作用を生じた患者さんや、亡くなられた患者さんに対して心より哀悼の意を表します。

 平成23年1月24日、国立がん研究センター 理事長・嘉山孝正

これだけの公式見解の朗読で終わっていれば立場上そういうとらえ方になるのは当然なのかなで済んだ話だと思うのですが、朗読を離れて嘉山先生の口から言葉が飛び出してくるようになりますと、平素からいささか思うところがあったんだろうなと言う話も出てきます。

[嘉山孝正・国立がん研究センター理事長]
 今、お話ししたように、私どもの見解は薬害ではなく副作用であるということです。その副作用も、販売時から間質性肺炎のことについて十分に知っておりましたし、認識してその治療に当たってきたわけです。

 途中でリスクファクターも分かりましたし、それを世界に発信し、世界では、日本以外ではそういうことが防げたという事実がございます。
(略)
 世界で最初にこのお薬を使ったのは日本ですので、世界が......少なくて済んだということが言えるわけです。ですから、「日本が多すぎるのではないか」ということではなく......。

 イレッサだけではなく、どのお薬でも最初に使った国ではそういう副作用が多いわけですね。それを世界にまた還元するというのが医療の......、一般的な薬剤の使い方なんですね。

 従いまして、今度の和解勧告に関しては、細かいことは我々は......、まだ和解勧告書を見ておりませんので分かりませんが、根本的なものとして薬害ではなくて......。

副作用を誰かの責任にするというのは、医療が成り立たなくなるということでございます。

患者側からすれば「他の国の人間のために日本人同胞を人柱にしたのか!」という話なのでしょうが、逆の視点で見れば今まで他国の人間に人柱役をさせてきたのが日本と言う国であり、世界の常識から外れたゼロリスクの追及が日本のドラッグラグという問題を重篤化した結果、近年そのデメリットこそがことさらに問題視されるようになってきたわけです。
現政権の言うように世界の先頭に立って治療技術をリードしていくという志を持つのであれば、新薬に期待されるメリットと同時にそのリスクもまた甘受していかなければならないのは当然で、それが嫌なら古来連綿と受け継がれてきた「枯れた」治療法ばかりを使っていくしかありませんよというのもまた当たり前の話ではありますよね。
裁判所の勧告で取り上げられていた「添付文書における副作用の記載順」なる問題も取り上げていますけれども、言っていること自体はごくごく常識的な知識の開陳で済む話であるはずなのに、思わず余計な一言を付け加えてしまうのが嘉山先生の先生たる所以ということでしょうか(苦笑)。

[嘉山孝正・国立がん研究センター理事長]
 新聞報道によりますと、(添付文書「重大な副作用」欄の記載順で)間質性肺炎が何番目だとか番号が遅いとか......。そんなことはですね、私どもは1番に書いてあるから......、1番が一番頻度が高いという順番は一切ありません

 カテゴリーで書いてあるので、例えば全体......、血液に関係するものを1番目に書くとか、そういうことですので、いろんな臓器は順番が後になるんですね。

 従いまして、これ(資料)をご覧になりますと、イレッサは4つ重篤な副作用が書いてありますが、4番目だと......。これは4番目だから注意しなくていいよ、ということではなくて、私ども医療人としてはどんな順番で書いてあっても同じように、対等に「重大な副作用」として扱う
(略)
 従って、裁判所の判断は自然界というか、こういうことを全く理解していない判断だと私は考え、医療が崩壊する。私は外科医ですので......。

 例えば、「重大な副作用」というのを手術における重大な併発症、合併症と考えると、手術をして、危険性があるということを言って......。もちろん、インフォームド・コンセントを取る時にこの副作用のお話はします。

 手術をして、それで何か出た場合に、それで誰かに責任を押し付けるかといえば、そういうことはないわけですね。従いまして、イレッサのようなことをやってしまいますと、プリンシプル、原理でやってしまいますと、手術はできない

 つまり、医療というものができないということになりますので、医療を受けて助かる患者さんの人権、人格が失われるということが言えると考えています。
(略)
 最近では、(脳性まひの)赤ちゃんが生まれた場合の給付制度がありますが、あのような制度をつくればですね、今度のような患者さんを救えるのに、今度のような裁判所の判断をされてしまいますと、医療界が......。

世界で日本だけが唯一、このようなことで裁判所がこのような判断をする。副作用まで誰かのせいにすることになるので、非常に危惧しています。世界からまた、文化程度が低いということで笑われてしまうのではないかと考えています。
(略)
 裁判所が和解勧告をしましたが、国がどういう反応を取るか私どもには分かりませんが、医学者として、あるいは医療人として、これを原理的に見てみると、医療、医学が、自然科学が成り立たなくなるということで非常に危惧したので、今日、見解を発表させていただきました。

ま、裁判所というものに対しては今回の件に限らず色々と言いたいこともあるのでしょうけれども、特に嘉山先生が力説しているのがイレッサの副作用というものは薬害ではない、あくまでも「明記された副作用」なんだと、それは使う側の医者も知っていることであり、患者に対して説明責任も果たしている、その上で起こったことである以上これは「いわゆる人為的な薬害」ではないということですね。
患者側からするとこの副作用と薬害との違いというものはなかなか判りにくいところですけれども、結局言わんとしていることはリスクがあることも知った上でそれでも利益を取るという判断をした果ての結果と、リスクがあることも判らないまま行われた末の結果とでは話が違うでしょう?ということなんだと思いますが、確かにそうした前提が成立しないのであればそもそもインフォームドコンセントなどという行為自体に意味がなくなりますよね。
嘉山先生はこうした議論の大前提として、他の数多の治療法と同様にリスクがあることが判っている上で治療効果という利益を求めてやっているのであるから、その結果起きた副作用というリスクに対しても他の薬剤と同様に公的救済の対象としていくべきだと主張していますが、今回の和解勧告を受け入れがたいと言っている以上は、国としてもこの方面で何らかのリアクションを示していくのが社会的な責任ではないかと思います。

また今回の会見で興味深いなと思ったのが、患者側の立場からのコメントとして「卵巣がん体験者の会スマイリー」代表の片木美穂氏も発言していることですけれども、この片木氏は先日の朝日と東大医科研の間に交わされた「癌ワクチン騒動」においてもコメントを出していることは先日紹介した通りです。

[片木美穂・卵巣がん体験者の会スマイリー代表]
(略)
 そういった副作用が起きたことについて私たちはどう感じるかと言うと、すごく難しい話なんですけれども、少なくともイレッサのことが、私たちドラッグ・ラグを訴える......、少なくとも私、「スマイリー」には影響がありまして......。何かと言うと......。

 治験というのは限られた患者さんが受けています。それが市販されると、多くの患者さんがその薬を使うことになります。だから、治験で分からないことがあっても、市販されることによって副作用というのが......、知らない副作用が起きることがあるかもしれないということを知りました。

 そして、でも、一方で、私自身も今、自分が受けた抗がん剤の後遺症と言うとあれですが、副作用のしびれは今現在も消えていません。先生から、しびれについてきちんと説明を受けていたので、後悔はしておりませんけれども......。

 そういった副作用があってもリスクがあっても治療を受けたいという患者の気持ちというのも、私自身は分かっているつもりです。

 ですから、副作用があるということを、イレッサの問題で私たちもしっかり頭に刻んで、だからこそ薬が欲しいという気持ちもきっちり伝えなきゃいけないということを知りました。

 そして、夢のような薬はないということを知るべきだと思いました。
(略)
 ちょっと踏み込みすぎの話をしているのかもしれないんですけれども、こういうことが起こることで、よくインターネット上で見るのは、何でもかんでもお上が悪い......っていうんじゃないですけれども、「厚生労働省が悪い」「何もしていないじゃないか」って言うことによって......。

 彼らが、もしかしたらこのまま行くと、無意識に承認を躊躇してしまうんじゃないかっていうところを、とても私自身は危惧しています。

 そして私自身、薬害肝炎の検討会などに出させていただいてヒアリングを受けたりしていますが、私たちは決して対立軸ではないのに、なんかまた比べられる時が来るんじゃないかなっていうのをすごく懸念しているんですけれども......。

 一緒にお薬のことを考える存在でありたいなと思っているので、できれば......、上手に説明できないんですけれども、できれば冷静な報道とか......。

 今後、和解につながるのか、そうじゃないのか分かりませんけれども、きっちりと、何が問われているのか、そして国が何を努力してきたのか、どういう患者さんがいるのかをしっかり報じていただきたいなと思っています。

医者とは日常世界において唯一合法的に他人を傷つけることを許されている職業だなんてことを言う人もいますが、そもそも医療という行為自体がリスクと利益の兼ね合いの上で成立しているのだという基本認識を、まず誰もが持っていなければ議論にも何もなりませんよね。
その大前提がある以上、リスクを承知の上で利益を取りたいという患者側の声も当然にあるはずですが、訴訟の原告側はどちらかと言えばリスクを引いてしまった側、そして片木氏などは利益を引き当てたい側ということで確かに立場は違うとは言え、それが本質的な対立関係になってしまうのかと言えば、決してそんなことはないというのがこの場での共通認識なんだと思いますね。
その上で嘉山先生が強調することは、一つには国民的合意の上できちんとした救済制度を作るべき時期に来ているのではないかということで、これについては世論としても反対の声は出ないのではないかと思いますが、逆に今までそれが躊躇されてきたということは財政的な問題もあるのだろうし、産科補償制度に見られるような補償と真相究明、責任追及といったものの区分が我が国では曖昧になっていることも一因かも知れません。
しかし一方でこうして訴訟沙汰になるたびに社会は「また何か問題を起こしたか」と国なり医者なりを批判的に見るようになる、その結果として医療に跳ね返ってくる有形無形のデメリットというものも込みで考えた場合に、例えば北欧方式の低額だが極めて広範な補償システムを作り上げるということは大いに意味のあることではないかと思いますし、むしろ安上がりになる可能性すらあるんじゃないでしょうか。

嘉山先生の言うように、100万人に1人はどんな薬でもアナフィラキシーショックを起こす、だからと言ってその薬で治る99万9999人を犠牲にしていいのかという問いかけ、また一方で命を失った方がいるという事実に対してどうするのかという問いかけへの議論が今まで国民的にもなされてこなかったのだとすれば、助かるべく医療を受けていく過程で必然的に発生する被害の救済は当然医療そのものとセットで語られなければならないはずですよね。
少なくともそうした話を進めていくというベクトル上においては、今回の原告と被告ですらも決して対立関係にあるのではなく、同じ一つの線の上に立って共に進んでいける関係なのではないかと思いますし、そもそも原告にとっても被告にとっても不毛な法廷闘争の場に話を持ち込まざるを得なかったという時点で、判決の如何に関わらずいずれの側にとっても負けであったとも言えるかも知れません。
その意味で今回の裁判に意味を持たせるということを考えるとすれば、それが社会的な変化の契機となると言うことがもっとも望ましいことなのでしょうし、目先の救済しか眼中にないまま「結局誰かが悪かったのだ」式の話に帰着させてしまうのは、嘉山先生の言うが如く「投げやりというか、先送りして問題を曖昧にしてきちんと整理されていない勧告案」とも言えるのでしょうね。

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2011年1月25日 (火)

こちら立てればあちら立たず 地域医療を巡る最近の話題から

最近は全国どこの地区でも急性期の医療を担当する基幹病院は多忙どころではない状況ですが、とりわけこうした基幹病院の絶対数自体が少ない地方では極端な一極集中が様々な悲劇を呼んでいるということは、全国的にも大きな話題を呼んだ高知新聞の特集「医師が危ない」を見ても判るところですよね。
山陰中央新報でも先日以来島根県唯一の県立急性期医療施設である県立中央病院の特集を続けていて、医者が「入院患者32人を受け持ち、忙しさに陰で泣きながら病棟を回って」いるという同病院の悲惨な状況が明らかになっていますけれども、その県中もついにオーバーフローを起こしているようです。

救急搬送の制限依頼 島根県立中央病院で満床2回(2011年1月23日中国新聞)

 ▽周辺の医師不足背景

病床の利用率が100%を超える状況が相次いでいるため、島根県立中央病院(出雲市)が救急搬送を制限するよう出雲市消防本部と出雲医師会に依頼したことが22日、分かった。雲南市や大田市など周辺の医師不足などが背景にあるとみられている。

 病床数は679。病院事務局によると、入院患者は600~650人が正常だが、昨年11月10日に685人、今年1月18日に683人と、2回にわたり病床数をオーバーした。2008~10年度では初めての事態という。

 生命の危険がある重篤患者を受け入れる3次救急の医療機関の一つだが、信頼の高さから軽い症状の患者も集中しやすいという。医師不足の雲南市や大田市の圏域からの入院患者も増えている

 病院は昨年11月と今年1月の2回、軽、中程度の患者は受け入れを拒否しないが、周辺の病院に回すことを徹底するよう市消防本部と出雲医師会に求めた。出雲医師会は開業医に要請を周知した。

 介護施設や療養型病院にも協力を働き掛け、入院患者に転院を促す対策に取り組む。病院事務局の担当者は「県立中央も決して医師が十分とはいえない。いざというときのため、重篤以外の患者は他病院を利用するよう理解してもらいたい」と呼び掛けている。(河野揚)

いや100%になりましたというのならまだしも、100%を超えてしまうのはいけないのではないかと思うのですが、本来こういうところはお上のご指導が入ってしかるべきところ、特にお目こぼしを頂いているということなのでしょうか?
こういう基幹病院に重症患者が集中するのは仕方のない側面もありますが、逆に言えば重症患者が集中するからこそその他の軽症患者はなるべく他の施設で分担しなければならないはずのところを、実際には単なる何でも屋、便利屋的に使われていたのではそれは早晩破綻もするだろうということですよね。
特に他圏域からの患者が増えているという点も注目されますけれども、今の時代こうした「越境医療難民」は奈良の大淀病院事件でも見られたように単に急性期のみにとどまるわけではなく、寝たきり高齢者等の慢性期の患者においても同じように深刻な問題となっていることは理解しておかなければならないでしょうね。

病院も年を取り老いていくとはしばしば言われるところですが、出来た当初は活気に満ちた急性期病院であっても、やがて医者が一人去り二人減り、施設も老朽化していくにつれて次第に慢性期主体に移行していくということはよくあることで、本来ならば現在の地域医療内で果たすべき役割に応じて病床数なども各施設感で適切に調節されているべきなのでしょう。
ところが基準病床数の関係もあって一度ベッドを減らせば二度と増やせないということで、どこの施設も現在の病床数を維持することに執着している、その結果医療需要の変化や各施設の役割分担に応じた病床数コントロールなど不可能なわけで、要するに同じ地域内でも常時ベッドが不足している施設もあれば遊んでいる施設もあるということですから、時代の変化に臨機応変に対応できているとはお世辞にも言えなくなっているわけです。
同じ現象はその病床を活用していくはずの医者の分布にも言えることで、地域や施設毎の需給バランス不均衡が是正されないどころか拡大基調にすらある今の時代、医者は余所から奪い取ってくるものであるという医師争奪戦の様相すら呈しつつあるようですが、見ていますとずいぶんと悲劇的、あるいはある種喜劇的な話もあるようなんですね。

医師不足:首長自ら陣頭、医師探し 松本市長、北海道まで出向き確保 /長野(2011年1月19日毎日新聞)

 ◇「意気込み示すこと大切」

 県内の医師不足は深刻だが、トップが率先して気持ちを述べれば、医師の心を動かすこともできる--。松本市の菅谷昭市長は18日の会見で、市内の病院の後任院長探しで、候補者がいる北海道まで自ら出向いて就任を要請、了承にこぎつけたと明らかにした。菅谷市長は「幸運もあったが、首長自らが陣頭に立つ意気込みを示すことが大切」と語った。

 発端は昨年10月。松本市中心部から北へ約13キロ離れた四賀地区の市国民健康保険会田病院(31床)で、70歳となる鈴岡正博院長が、高齢などを理由に今年3月末の退任を申し出た。菅谷市長によると、自身の出身の信州大付属病院に後任の医師派遣を打診したが良い返事が得られず、難航していたという。

 そこへ、市職員の高校時代の同級生が、北海道稚内市の南約150キロにある美深(びふか)町(人口約5000人)の美深厚生病院で副院長をしていることが判明。さっそく、松本市の病院局長が連絡を取って就任を打診した。さらに12月には菅谷市長が現地に飛んだ。

 旭川市内で首長自らの懇請を受けた松本出身の北原徳也医師(58)は、就任する予定だった他の病院の話を断り、「故郷に恩返しがしたい」と受諾したという。菅谷市長は会見で「机の上だけの人探しでなく、首長がもっと動くべきだ」と話した。【高橋龍介】

旧郡部の31床の病院ということでその性質は想像出来るところでしょうが、すでに北原医師が着任すると言う事は県下のニュースとして取り上げられているようで、もはや「医師捕獲!」なんて話は珍獣捕獲並みのニュースバリューがあるのかと改めて感じざるを得ません。
さてこの記事、一見すると何かしら美談か何かのようにも書かれているのですけれども、市職員が率先して個人情報を垂れ流しているという痛さもさることながら、引き抜き先の美深厚生病院というところが院長一人、副院長一人の二人体制だと言うのですから、せっかく平成12年に大金を投じて改装したという同病院としてはあっという間に存続の危機に追い込まれているという話ですよね。
こういう話を「意気込みを示すことが大切」なんて記事にして全国発信してしまっていいものかどうか、むしろ大多数のまともな感覚を持っている医者からは余計敬遠されるのではなかろうかという懸念があるのですが、年代的に見ますと北原医師あたりがこういう作戦の奏功する一番のターゲットということになるのでしょうかね?
このように一人を引き抜いただけでもその影響は小さからざるものがあるのでしょうが、これがもっと大々的になればどういうことになるのかと誰しも思うところで、そうした計画を県が推進すべき大方針として掲げるとどうなるのかと言うのがこちらの話です。

5年で医師800人増目標 県総合計画審議会が答申 /茨城(2010年12月29日朝日新聞)

 県総合計画審議会(会長=関正夫・茨城産業会議議長)は、来年度からの県政運営の新たな基本方針となる県総合計画を橋本昌知事に答申した。名称は「いきいき いばらき生活大県プラン」で、橋本知事が知事選で掲げた「生活大県」を色濃く反映した内容となっている。

 「競争力のある産業が育ち、雇用が確保され、安心して健やかに暮らせる、元気で住みよい地域社会」を「生活大県」と位置づけている。計画では「みんなで創る 人が輝く 元気で住みよい いばらき」を基本理念とし、県民をはじめ企業、大学やNPOなどが連携して生活大県づくりを目指す。

 5年間で取り組む基本計画には、203の数値目標を盛り込んだ。特に重点的に取り組む施策を「生活大県プロジェクト」として12項目列挙している。

プロジェクトの先頭に掲げる「地域医療充実」では、医科大との連携による医師確保などで医師数を現状の4800人から2015年には5600人まで増やす目標を設定。このほか茨城空港を活用してアジア地域からの観光客誘致を進める「アジアへ広がる観光・交流推進」や、「暮らしの安全・安心」「社会全体で取り組む子育て支援」「泳げる霞ケ浦再生」といったプロジェクトも実施していく。

 今年度までの総合計画「元気いばらき戦略プラン」では産業振興に重点が置かれた。この結果、企業立地や交通網整備が一定の成果を挙げたとして、新総合計画では、生活を重視する県づくりに重心を移している。ヒアリングや公聴会、アンケートをもとに県民の意見や期待を整理し、反映した。

 少子化などにより県人口は現在の295万人から25年後には245万~255万人に減ると試算。一方、県経済は今後10年間は国の成長戦略の目標を上回る平均で実質2.2%の成長が続くと見込み、達成すべき目標を設定している。

 県は来年2月にも計画を庁議決定し、新年度からスタートさせる。

今のご時世に5年で15%の医師数増加を目指すというのですから、何とも気宇壮大と受け取るべきか何らかの能力の深刻な欠如を疑うべきか微妙なところですけれども、とにかく茨城県としてはこうした政策を最優先課題として行っていくということになったということです。
ちなみに茨城県で唯一の医学部がある筑波大学の定員は100人ですから、どう考えても自前の医師養成能力だけで年間160人ペースでの医師数増加などあり得ないことは誰でも判る話ですから、要するに他府県で活躍中の医者をどうにかして引き抜き茨城県内へと引き込もうという計画であるわけですよね。
茨城県がこういう素晴らしく野心的な計画を公にするにあたって、その具体的方策をどのように考えているのかということなんですが、おもしろいなと思ったのが「いきいき いばらき生活大県プラン」なるものの内容からこのあたりに関連しそうな話を見てみますと、まさしく「生活大県プロジェクト」のいの一番にこんなことが書いてあるんですね。

生 活 大 県 プ ロ ジ ェ ク ト

「生活大県プロジェクト」とは,政策展開の基本方向で示した各施策を3つの目標にまたがるような重要性の高いテーマに基づき再構築したものであり,施策の実効性や効率性をより高めるため,政策分野横断的に施策を組み合わせた「施策群」によるプロジェクトと位置づけ,今後5年間に県として重点的に取り組むこととします。

1 地域医療充実プロジェクト

【プロジェクトの目的】

地域医療に従事する医師等の確保を促進するとともに,限られた医療資源を有効に活用するため,医療機関の役割分担のもとに連携を進め,どこに住んでいても,安心して質の高い適切な医療を受けられる体制づくりを推進します。

【主な取組内容】

○医師等の医療従事者の確保(寄附講座の開設など医科大学との連携による医師確保,医学部への茨城県地域枠の設置,高校生に対する医学部進学支援など)

○救急医療(搬送)体制の充実(救命救急センターの整備,消防機関と医療機関の情報共有,ドクターヘリの活用や隣接県との総合利用の促進など)
○生活習慣病対策の充実(若年期からの運動習慣の普及,食生活の改善,健康管理や健康増進への取組支援)
○がん対策の充実(がんに関する正しい知識と予防の普及・啓発,がん検診の推進,がん医療体制の整備)
○感染症対策の充実(感染症の予防やまん延防止の取組推進,エイズ・感染症に関する正しい知識の普及・啓発,相談・検査体制の充実)
○医療機関の役割分担と連携の推進(「かかりつけ医」の普及・定着,中核的な医療施設を拠点とした保健医療の充実など)

【主な数値目標】

□医師数

現状(H20):4,805人 目標(H27):5,600人 ※医療を支える人材の確保状況を示す指標であり,本県の必要医師数分(現員医師数の15%)の増を目指します。

「医師等の医療従事者の確保」と称して「寄附講座の開設など医科大学との連携による医師確保,医学部への茨城県地域枠の設置,高校生に対する医学部進学支援など」という取り組みが並んでいるわけですけれども、失礼ながらこの内容で何をどう考えると茨城県に医者がどんどん押し寄せてウハウハという未来絵図が描けるのかと、疑問よりもむしろ確信に近いものを感じざるを得ない内容となっています。
近頃医者という稀少な存在はさながらレアモンスターのごとく、施設間、自治体間で奪い合うべき主要目標となっているわけですが、少なくとも茨城県に対してはさほど引き抜きに対する懸念を感じずに済みそうだと、こうした計画案を見て思わず胸をなで下ろしている全国関係者も多いのではないでしょうか。
千葉や福島を始め近隣諸県の医者も決して余っているわけではない、むしろどこも深刻な不足を来しているという状況の中で、この茨城の他愛的決断は他県にとってはある種の福音と捉えるべきなのかも知れませんけれども、引き抜きが大がかりに成功を収めても引き抜き先への影響が少なからずある、そして引き抜きが有名無実化しても茨城県民にとっての失望につながると、かなり八方ふさがりな状況ではありますよね。

医学部新設の議論に各方面から反対論が根強い中で、これも先行して多数の医学部を抱え込んだ県の既得権益問題であると捉えることも出来そうなんですが、病床数問題と同様にこちらもおいそれと解消は難しそうな気配ですから、いっそ全てを一度ぶち壊した方が話が早いと考えている人達ほど「医師数はとにかく増やせ!需給バランスが崩壊するほど徹底的に増やしまくれ!」と極論に走ってしまうものなのでしょうか。
ただしその結果思いがけないところまでが思いがけず崩壊してしまったといった事態に対してもきちんと考えを及ぼしておくことなく、単に何とかの一つ覚えのごとく「OECD平均まではまだまだ遠い!」なんて叫ぶばかりでは、「足りない医者は余所から引き抜けばいい」という発想に輪をかけて傍迷惑な話ともなりかねないと思うのですが。

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2011年1月24日 (月)

改革は逆境を呼び、逆行は改革の好機ともなり得る?

先日アメリカの銃乱射事件で下院議員が重症を負った件は記憶に新しいところですが、その背景にはオバマ大統領の進める医療保険制度改革への不満があったという意見が広まっているようです。
テロに対する是非とはまた別として、国民の間では医療保険制度改革に対する根強い反発があるのは事実であるようで、与野党逆転の下院ではついに廃止法案が可決されたということなのですね。

米国:アリゾナ州銃乱射 背景に政治対立激化 医療保険改革巡り、脅迫・襲撃頻発(2011年1月11日毎日新聞)

 【ワシントン小松健一】米アリゾナ州トゥーソンで8日、民主党のガブリエル・ギフォーズ連邦下院議員(40)の政治集会で銃が乱射された事件は、医療保険改革や移民問題などを巡り、深刻化する政治対立と社会的価値観の分断が背景にあるとの見方が広まっている。乱射事件の動機は不明だが、連邦議員を狙った銃撃事件は過去30年以上例がなく、オバマ政権と議会の民主、共和両党は衝撃を受けている。

 ギフォーズ議員は今も集中治療室に入っているが、「手を握って」などという指示に反応し、コミュニケーションが可能だという。

 オバマ大統領は事件後に声明を出し、10日午前11時(日本時間11日午前1時)に犠牲者を追悼し、ギフォーズ議員の回復をともに祈ろうと国民に呼びかけた。大統領は11日に予定していたニューヨーク出張を取りやめた。

 下院多数派の共和党指導部は8日、医療保険改革法撤回法案の採決(12日)を含む当面の審議日程を延期することを決めた。

 米国では、オバマ政権が推進した医療保険改革を巡って09年夏以降に論争が過熱。賛成派の議員には脅迫状が送りつけられたり、議員事務所の窓ガラスが割られる事件が頻発した。ギフォーズ議員も狙われた一人だ。

 テレビでは保守系とリベラル系の二分化が進み、非難の応酬を展開する。75~87年に民主党上院議員を務めたゲーリー・ハート氏は米メディアに「政治を巡る発言がどんどん過激になっている。それが事件を招いた」と憂慮した。

 事件を受けて、民主党内ではギフォーズ議員を非難してきた茶会運動への反発が強くなっている。特に、茶会運動の人気政治家であるペイリン前共和党副大統領候補がやり玉に挙がる。ペイリン氏は、ギフォーズ議員ら20人の民主党議員を公職から排除すべきだと主張。ウェブサイトで各議員の選出州の地図に銃の照準器(スコープ)をデザインした「攻撃マーク」を付けて批判していた。対立をあおる言動が目立つペイリン氏については「政治的なダメージは避けられないだろう」(議会スタッフ)との指摘も出ている。

 一方、共和党は事件が政治的逆風とならないよう議会運営を図りたい意向だ。ベイナー下院議長(共和党)は「一人の議員に対する攻撃は、我々議員全員への攻撃だ」との非難声明を出し、民主党との連帯を強調した。

米下院:廃止法案を可決 医療保険改革法(2011年1月20日毎日新聞)

 【ワシントン古本陽荘】米下院は19日、オバマ大統領が内政上の最優先課題として昨年3月に成立させた医療保険改革法を廃止する法案を賛成245、反対189の賛成多数で可決した。

 改革法の廃止は、下院で多数党となった共和党が昨年11月の中間選挙の公約として掲げていたもの。象徴的な意味合いはあるものの、与党の民主党が過半数を握る上院で可決される可能性はなく、廃案となる見通し

 採決では共和党全員に加え、民主党議員3人も賛成に回った

 ベイナー下院議長は「廃止は我々の公約だ。この法律は財政支出を拡大し、増税につながり、職を奪うものだからだ」と訴えた。

 一方、オバマ政権側はホワイトハウスのホームページなどを通じ、「廃止された場合は保険料の高騰につながる」などと反論している。

アメリカのように巨大な医療費を要するようになっている社会で公的な皆保険制度を導入することは財政上極めて危険な行動であるとも思えるのですが、本当に医療が必要な有病者ほど民間保険では排除されやすい中で、医療費による個人破産が社会問題化するというほど先進国らしからぬ暗い一面もあるアメリカ社会での医療というものに対して、公的救済の道筋をつけたいという大統領の意志も理解はできるところです。
これに対して日本と違って人の生死に関わる問題においても自己責任による自己判断というものが重視されるアメリカ社会だけに、巨額の公費を注ぎ込んで強制的に公的保険制度を整備することに対する反発は文化背景上も根強いのでしょうが、インテリ層(すなわち、高所得者が多い層)ほど健康意識が高く結果として有病率も低くなるという現実も関係あるのでしょうね。
ご存知のようにアメリカでも特にジャンクフードと呼ばれるものはカロリーとボリュームにばかり特化していて、自炊率の低さと相まって低所得者ほど世界一の肥満率がさらに悪化しやすい環境であるわけですが、一生懸命食事や運動に気を遣っている知識階級の人々にとっては「なぜ不健康な生活の果てに体を壊すような連中の医療費を自分達が負担しなければならないんだ」と不満も大きいでしょう。
そう考えると世界一の医療保険制度を持つとも言われた日本と言う国は、もともと日本食が健康食として注目されるくらいに基本的な生活習慣が良かったことに加えて、まだ医療費が安く済んでいた時代に国民皆保険制度を導入出来たという世界的に見ても非常に恵まれた、言葉を換えればかなり例外的な事例であったとも言えるのかも知れませんね。

しかし老人は自宅で看取ることが普通であった当時と比べればほとんどが病院内で亡くなる時代となり、世界一の長寿国と言われるようになった今の日本においては当時とは比較にならないほど高齢者の医療費がかかるようになっている、そして右肩上がりの経済成長が終焉を迎え非正規雇用層を中心にワープア化が進み、メガ食ブームなどと若年貧困世代の生活状態もアメリカ同様悪化しつつあるわけです。
これらの人々のほとんどが国保の対象になっているということを考えると、今後その行く末はずいぶんと暗雲立ちこめていることを覚悟しなければなりませんけれども、こうした将来予測に国としても対応を進めている最中ということで、国保の都道府県単位への移行といった話と同時にその保険料負担のあり方についても変化が見られるようなんですね。

旧ただし書きに一本化 25年度から国保料・税所得割/厚労省方針(2010年09月10日国民健康保険中央会)

 厚労省は国保料・税の所得割算定方式について、25年度から住民税方式と本文方式を廃止し、旧ただし書き所得方式に一本化する方針を固めた。税制改正が国保料・税へ与える影響を無くすとともに、25年度の高齢者医療制度改革で国保の高齢者部分に旧ただし書き方式が採用される見通しであることも見据え、算定方式の統一を図る。同時に全保険者を対象に、保険者独自の国保料・税の減免(条例減免)費用を、賦課総額に上乗せできる「新賦課総額」の仕組みを導入。法定外の一般会計繰入ではなく、国保料・税で減免分を賄うことが可能な仕組みとし、旧ただし書き方式への移行が円滑に進むようにする。一般会計繰入を減らし、国保の都道府県単位化に向けた環境を整備する狙いもある。

高齢者医療制度改革に対応

 国保税は来年の通常国会で地方税法を改正、国保料は今年度中に政令改正する。
 今年度、住民税方式を採る保険者は37区市町、世帯数は合計約333万世帯。うち国保料方式を採用するのが東京23区(23年度に旧ただし書き方式に移行予定)や横浜市、名古屋市など36区市町で、国保税採用保険者が愛知県豊橋市となっている。
 住民税方式を巡っては、24年度の扶養控除等見直しによる国保料・税への影響を無くすことが課題になっていた。政府税調のプロジェクトチームの方針を踏まえ、厚労省は、(1)24年度に扶養控除廃止の影響を緩和する「税額調整控除」を新設(2)25年度から旧ただし書き方式へ移行―という2段階で見直す方針を決めた。
 広く薄く保険料を賦課する旧ただし書き方式へ一本化で、負担の公平化を図る狙いだが、25年度の高齢者医療制度改革で国保の高齢者部分(65歳以上か75歳以上。年末までに決定)の所得割算定方式に旧ただし書き方式が採用される見通しであることも踏まえた対応だ。
 厚労省は将来的に若人部分の国保も都道府県単位化したい考え。若人部分の算定方式を高齢者部分と同じにすることで、「若年国保と高齢者国保の統合がし易くなる」(同省)とみている。

 ただ住民税非課税となる場合や多くの控除がある住民税方式と異なり、基礎控除33万円のみの旧ただし書き方式では低所得層を中心に負担が重くなる
 このため保険者の多くは旧ただし書き方式に移行する際には激変緩和措置を導入し、独自に保険料を減免するとみられるが、現在の条例減免制度ではその費用は法定外の一般会計に頼るしかない。一般会計からの繰入が困難な保険者からは「保険料でも賄えるようにしてもらいたい」との要望が挙がっていた。
 そこで同省は、条例減免の費用を賦課総額(基礎賦課額)に含めることができるよう所要の規定を改正することにした。この「新賦課総額」の採用は住民税方式から旧ただし書き方式へ移行する保険者だけでなく、全保険者が対象。「できる規定」のため、実施するか否かは各保険者の判断となる。
 新賦課総額の導入は、高齢化に伴う医療費の高騰などで上がり続ける国保料・税に「減免圧力」がかかることも想定したもの。低所得者の保険料負担を軽くし、その分を賦課総額に含めれば結果的に高所得者に負担を求めることにつながる
 同省ではこれまで賦課・課税限度額の引き上げを通じて高所得者から低所得者への制度内(被保険者間)の所得再分配を進めており、この政策とも整合性のある改正となる。
 一般会計繰入は国保被保険者以外の住民が国保の費用を負担することになるため、厚労省は「望ましくない。本来あるべき姿に戻していく必要がある」との姿勢。同省は全年齢の都道府県単位化を実現するまでの「環境整備」期間で法定外一般会計繰入の原則廃止をめざしており、今回の措置も通じて繰入額を減らしたい考えだ。

賦課限度額 介護分2万円引き上げ 医療と後期各1万円

 一方、同省は国保料・税の賦課・課税限度額について、23年度から基礎分を51万円(現在50万円)、後期高齢者支援金分を14万円(同13万円)、介護納付金分を12万円(同10万円)にそれぞれ引き上げる方針も決めた。これで基礎・後期・介護の賦課・課税限度額は73万円だったのが、来年度は77万円となる。
 介護納金分は3年に一度の介護保険料改定時期に引き上げてきたが、限度額を超える世帯が医療分に比べ多くなったため、今回初めて改定時期以外に引き上げることにした。

低所得者に国保料増 計算方式全国一本化 負担1.8倍も(2011年1月20日しんぶん赤旗)

 政府が国民健康保険(国保)の保険料(税)の計算方式を、低所得者に負担が重くなる方式に全国的に一本化するため、地方税法や国保法施行令を改定する方針を固めたことが19日までにわかりました。2013年度からの実施をめざして、地方税法改定案は24日に始まる通常国会に提出し、国保法施行令は今年度中に改定する意向です。(3面に関連記事、解説)

 市町村ごとに運営される国保の保険料の所得割額の計算には、主に「住民税方式」と「旧ただし書き方式」があります。政府は今回、「旧ただし書き方式」に統一することを打ち出しました。

 「住民税方式」と違い「旧ただし書き方式」では扶養控除などの各種控除が適用されないため、控除を受けている低・中所得世帯や障害者、家族人数の多い世帯の負担が重くなります。住民税非課税であっても所得割を課される世帯が出ます。

 東京23区は今年4月に同様の計算方式の変更を予定しています。豊島区では年収250万円の4人家族の場合、現行の「住民税方式」では年12万7680円の保険料が、「旧ただし書き方式」に変更すると22万7996円に、1・8倍に上がります。「経過措置」として一時的に軽減をしても15万2759円(1・2倍)に上がります。扶養家族がさらに多い世帯や障害者を扶養する世帯は負担が数倍にはね上がります

 さらに政府は、自治体が低所得者向けに独自の保険料軽減措置を実施する場合、その財源を一般会計(税金)でなく国保財政でまかなえるよう、国保法施行令を改定する方針を示しています。国保財政を悪化させ、保険料水準全体をさらに高騰させる道です。

ちなみに全国ほとんどの自治体はすでに制度移行を済ませていて住民税方式は使っていないということですから、実際には今回新たに影響を被るのは東京や横浜、名古屋など一部地域の人に限られることになるのでしょうが(それでも人口で言えば大きなものですけれどもね)、低所得層にとっては各種の控除等の非適用化によって従来よりも負担増になってくるという場合も確かにあるようですね。
逆に言えば今までよりも広く薄く保険料負担をしてもらうことで、結果として安くなる世帯もあるということなんですが、ごく最近に制度移行をした四日市市の事例などを見ていて興味深いと感じたのは、もともと扶養控除がない単身世帯や高所得層では今までより保険料が安くなるのに対して、控除がなくなる影響で二人以上の低所得世帯だけは負担が重くなるということです。
扶養者がいると余計にお金がかかるということになれば、もともとの収入が少ない国保若年層にとっては結婚だ、出産だと言ってもいられなくなる道理で、一生懸命子ども手当だ、少子化対策だと言っている割には何かしら矛盾した話にも聞こえてきますが、だからと言ってやれ増税だ、そらばらまきだと考えのない方向に走るのもどうかと言う話ですよね。

先頃には与謝野経財相の「年金支給年齢引き上げ」発言が飛び出したりと、今の政権もずいぶんと国民に厳しいことを言うようになったものですが、財政が厳しいということは国民の方でも判っているわけですから、きちんと将来ビジョンを説明をしながら締めるべきところはきっちり締めていくには、案外この逆境こそが政治的な追い風になるのかも知れません。
ただそうは言ってもあまりに締め上げ過ぎますと低所得層は保険料が払えない、高所得層はこれなら民間保険でもかけておいた方が得だと、いずれにしても制度自体の崩壊を招きかねませんから、空気を読みながらの微妙なさじ加減が必要であることは言うまでもありませんよね。
もっともその空気を読みながらということが、どうも昨今一番怪しいんじゃないかという気がしないでもないんですが…

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2011年1月23日 (日)

今日のぐり:「ラーメン もんじゅ」

先日見ていまして、これは笑うべきなのかいずれの登場人物に同情すべきなのかと迷わしい思いを感じさせられたのがこちらのニュースです。

肥だめ爆発:爆竹でメタンに引火…責任めぐり“なすり合い”=中国(2011年1月21日サーチナ)

  天津市の裁判所はこのほど、児童が放った爆竹で屎尿(しにょう)だめ内にたまったメタンガスが爆発して停車中の自動車が破損した事故で、行政と児童の保護者、マンション管理業者にそれぞれ責任があるとして、修理費用の賠償を命ずる判決を言いわたした。毎日新報が報じた。

  爆発が発生したのは2010年2月12日午後3時ごろ。12歳の男児が父親に爆竹を買ってもらい遊んでいたところ、マンション敷地内の地下にある屎尿だめから出たメタンガスに引火して爆発した。児童は負傷し、入院した。

  爆発でコンクリート製のふたが飛び、すぐ近くに停めてあった自動車のドア部分などを傷つけた。修理代をめぐり争いになり、自動車の持ち主は、児童と母親、マンションの管理業者、行政の排水管理部門を相手に訴訟を起こした。

  児童の母親は、引火の危険表示などはなく、12歳の子どもにメタンガスの危険性を知る能力はないので、責任はないと主張。マンション管理業者は、排水の管理は行政が行っているので無関係と主張。行政は、屎尿だめの周りには鉄の鎖を取り付けているにもかかわらず、勝手に駐車していたとして、安全性の確保を怠った管理業者と自動車の持ち主に責任があると主張した。

  裁判所は、児童の爆竹遊びは、保護者にも管理責任があったと指摘。一方、マンションの管理業者も、車を停めておいた場合、危険があるとの表示をしていなかったと、それぞれ一定の責任があるとの判断を示した。行政に対しては、屎尿だめの清掃や発生したメタンガスの濃度の把握や危険性除去を怠り、爆発事故に対して主たる責任があるとの考えを示した。(編集担当:如月隼人)

当事者達にしてみれば笑うどころではないということなんでしょうが、何か近頃では中国という国に関しては何でもありという気配すら漂っているようにも思われるのは気のせいでしょうか?
今日は不幸な方々に敬意を表して、まさしく「何でもあり」状態という中国のニュースをお伝えしたいと思いますけれども、まずは同じく爆発ネタを紹介してみましょう。

道路が爆発…バスが爆風で持ち上げられた後、大穴に転落=中国(2011年1月17日サーチナ)

  浙江省温州瑞安市で16日午後4時ごろ、道路が爆発した。通りかかったバスが爆風で4メートルほど持ち上げられた後、爆発でできた大穴に転落した。乗客は乗っておらず乗務員は救出された。チャイナネットが報じた。

  バスは運転士1人が乗っていた。運転士によると、車体が持ち上げられ、気がつくと穴に落ちていたという。

  爆発で直径約10メートル、深さ10メートル以上の穴が開いた。通りかかったバスが爆風で約4メートル持ち上げられてから、車体後部が穴に落ちた。車体は大きく傾き、前輪部分は宙に浮いた。

  住民によると、爆発が起こった場所には以前、水がたまった大きな穴があり、住民がごみを捨てていた。現在は下水管が通っている。そのため、地下にたまったメタンガスが爆発した可能性もあるという。(編集担当:如月隼人)

冷静になって考えて見るととんでもない大事件なんですが、幸い乗客がいなかったとはいえ、一体何がどうなるとこういう現象が発生するのかと考えさせられる話ですよね。
同じくよくある問題と言っては失礼なんですが、なにしろ量り売りの食品にはとりあえず水なり鉛なりの注入がデフォというお国柄だけに不思議ではないと感じさせられるのがこちらの記事です。

犬にヘロイン注射…ペット販売で「病気隠し元気に見せる」=中国(2011年1月3日サーチナ)

 重慶市ではペット販売業者の間で、病気の犬に「興奮剤」を注射して元気に見せかける手口が横行していることが分かった。ヘロインやモルヒネを使う場合があり、「元気だったはずの犬が、購入して3日目に死んでしまった」という人もいる。中国新聞社が報じた。

 重慶七星ペット病院の王肇海獣医師によると、ペットを扱う業者はしばしば、病気の犬を持ち込む。短期間での全治は難しいと説明したところ「興奮剤を注射してくれ」と頼まれ、拒否したことも多い。業者から買ったばかりの犬の具合が悪くなったと来院する飼い主もいるが「興奮剤を注射されていた可能性が高い」場合があるという。王獣医師とは別に、個人名を明かさないことを条件に「犬に興奮剤を注射したことがある」と述べた獣医師もいる。

 王獣医師によると、犬の病気をきちんと治療する場合、1000元(約1万2000円)程度が必要になるが、「興奮剤」ならば数元程度で足りるという。王医師は「ペットショップで、兄弟に比べて異常に活発な子犬がいた場合、興奮剤を打たれている可能性が極めて高い」と述べた。(編集担当:如月隼人)

もう無茶苦茶ではないかと思うような話なんですが、そんなに気楽に麻薬が手に入る状況だけに、現地でうっかり運び屋まがいの行為に荷担して死刑判決など受けてしまわないよう旅行者も注意が必要ですよね。
犬だけが対象であればともかく人間相手に同じような感覚でやってしまうと大問題ですが、昨今彼の地では医療不信が限界に達しつつあるというのは怖い話ですが、一方でそんな病院相手なら何をやっても許されるというわけでもないのは当然のことです。

“暇つぶし”に病院乱入、患者らに暴行…男3人を身柄拘束=北京(2011年1月4日サーチナ)

 北京市延慶県で7月1日、男3人が病院に乱入し患者や付き添いの親族らに殴る蹴る(ける)の乱暴をはたらいたことが分かった。3人は警察に身柄を拘束され、起訴された。中国新聞社が報じた。

  3人は7月1日午後5時ごろから飲食店で酒を飲んだが、「その後、やることがないので、暇つぶしにだれかを殴ってやろう」と意見が一致した。3 人は通りかかった病院に入り、病室で入院中の患者や親族の計4人に殴る蹴るの乱暴を働いた。病院が警察に通報し、駆けつけた警察官に3人は身柄を拘束された。8歳の児童を含む被害者4人は、いずれも軽傷だったという。

  延慶県検察院はこのほど、3人を「無理由騒乱罪」で起訴した。(編集担当:如月隼人)

これまた幸いにも被害者が軽症で済んだという点は喜ぶべきことですけれども、一体何をどう考えるとこういう行動に出るのかと日本の環境からは想像が付きにくいだけに、現地における病院というものの社会的ポジションが垣間見えるような話でもあるのでしょうか。
中国らしい話題と言えばこちらの話題などもそうですが、黙っていてもあちらこちらが崩壊していくというお国柄だけにこういうこともあるんだろうなと妙に納得させられてしまいます。

マンションぼろぼろに…施工業者「よく分からず工事した」=中国(2010年12月30日サーチナ)

  江蘇省連雲港市内の17階マンションの土台部分が「ぼろぼろ」になった。隣接地は32階建てオフィスビルの建設地で、工事を始めたところ、問題が出はじめた。オフィスビルの施工業者は「土の問題について、よく知らずに工事を進めた」と認めた。中国新聞社が報じた。

  問題が出たマンションは連雲港市内の傑瑞花園5号楼。隣接地でオフィスビルの工事を始めたところ、地盤が異常な沈下をしはじめた。オフィスビルの地下部分を作るために穴を掘った結果、土中の圧力が変化してマンション側から土が移動していったためとみられる。

  マンション棟の西側には外部からの作業員用の宿舎があったが、すでに倒壊。マンション棟本体も、1階部分の一部が、下の土がえぐりとられるように消失して宙に浮いたため、コンクリートブロックなどで応急の補強をした。住民は、2009年6月に上海で完成目前のマンションが倒れた事故の「二の舞」になるのではと恐れている。

  マンション住民が異常に気づいたのは10月中旬で、建物の壁や周囲の路面に亀裂が発生したという。住民側は施工業者に工事の中止を求めたが、業者は続行。12月上旬にはマンションの敷地周辺の壁が倒れたりしたため、住民側は同月24日、工事続行を「実力阻止」した。

  施工業者は、「土の問題について、よく知らずに工事を進めた」と認めたが、マンションの建物本体に問題は出ていないと主張した。市建設局は、施工業者側に改善案を提出させ、マンション住民も同意して選んだ専門家に改善案を鑑定させる考えを示した。事態の打開方法が確定したあとに、改めて現状に至るまでの施工業者の責任を追究する考えだ。(編集担当:如月隼人)

なんでも向こうでは高層建築でもきちんと専門家に設計を依頼することもなく行き当たりばったりで工事を始めてしまうのだそうで、上の方の階に行くほど辻褄合わせぶりがすごいことになっているらしいんですが、そういう状況で立てられるものが山ほどあるだけに作っては壊し、また作っては壊しと土建業界の成長ぶりもハンパではないということです。
これまたいかにも[「らしい」記事ということになるのでしょうが、かの国的にはここまで来ると単なるコピーの域を超えてオリジナリティーを主張していいはずだということになってくるのでしょうかね?

合成にせ豆腐:中国の省6割超で流通、包装は先進技術で識別困難(2010年12月29日サーチナ)

  江蘇省蘇州呉江市に本社を置く典発食品の法務部責任者は、同社製品の豆腐の粗悪な「偽豆腐」が、中国の省・民族自治区の6割以上で流通していたことを明らかにした。包装には偽物防止のために先進技術を使用したホログラム・タグなども使っており、同責任者も「(本物との)区別は私にも難しい」と述べた。現代快報が報じた。

  典発食品は2005年の創業で、ブランドとしての認知度と全国的なシェアを急速に伸ばした。しかし、08年ごろから偽商品の出現が相次ぎ、会社として警戒を強めたという。2010年8月には、湖南省・湖北省での売り上げげ急減したため調査したところ、にせの「合成豆腐」が出回っていることが分かった。。

  08年から現在まで河北・河南・新疆・広東・福建・山東・浙江・湖北・湖南など全国の省・民族自治区の6割以上で、同社のにせ商品が見つかったという。

  にせ商品関連で、特に問題視されているのが「合成豆腐」だ。大豆たんぱくや変性でんぷん、油、塩、合成調味料を練りあわせて蒸して作るもので、同社によると「価格が極めて安く、口に含むと不自然に硬い。泡も多い」などで分かるが、包装は本物と極めてよく似ている。偽物防止のホログラム・タグなども使っており、同社法務部の責任者も「(本物との)区別は私にも難しい」と述べた。

  中国では食の安全問題が深刻視されているが、「合成にせ豆腐」の材料は食品用として通常に使われているもので、ただちに健康被害に結びつく恐れはないとされている。(編集担当:如月隼人)

その努力をもっと有意義な方向に生かせよと言いますか、正直ここまでの労力を注ぎ込むくらいなら素直に豆腐を作った方が早いんじゃないかとつい思ってしまうのですが、中国人の食にかける情熱というものはそれほどに恐ろしいものがあるということなんでしょうか。
こちらの方も過去に類似のニュースを何度も紹介しているような話題ですけれども、アグネス何某さんなどは決して取り上げない類の話でもありますよね。

児童傷つけ障害者に…物乞い目当てで多発、「同情引くため」=中国(2011年1月4日サーチナ)

  中国では、人通りの多い路上などで「物乞い」の姿をよく見かける。特に目立つのが「子連れ」のケースだ。「同情を引いた方が有利」と、児童を傷つけて障害者にする場合が多いという。中国青年報などが報じた。

  民間ボランティア団体「宝貝回家(子宝を家に戻そう)」は誘拐された児童を探し出し、家に戻す活動をしている。同団体の関係者によると「街頭で物乞いをさせられている児童は誘拐されたり、父母に捨てられた、あるいは貧困のために売られたケースが多い」、「完全に物乞いのための“道具”にさせられており、人とはみなされていない。哀れに見せかけるため、人の手で障害者にさせられている」という。

  同団体には、物乞いのために児童が刃物で傷をつけられ、治ると、また傷つけられるケースがあるとの報告も寄せられた。幼い女児に硫酸をかけて傷を負わせていた例もあった。女児は大人の物乞いに「お願いだから硫酸はやめて。刃物の傷にして」と哀願していたという。

  同団体幹部は「われわれは力が乏しく、どうしようもないことが多い。せめてもの方法として、関係者を通じて、物乞い集団に児童がいる場合、金などを与えないように呼びかけている。金品を渡しても児童のものにはならず、かえって、児童を物乞いに使う考えを増長してしまうからだ」と述べた。

  警察が、児童を伴って物乞いをする大人に事情を尋ねる場合もあるが、大人が「家族だ」と言い張ると、それ以上に調べられなくなるケースが多いという。(編集担当:如月隼人)

写真を見ているだけでも心が痛むような話ですけれども、一番悲しい点は子供に同情してお金を出してしまうほど、搾取する側(多くは実の親)はそれが有効なやり方なんだとさらに子供を傷つけていくということで、このあたりアグネスさんもまだまだ祖国で働くべき余地は多々あるということなんでしょうね。
しかし遠いブリであればまだしも、つい目と鼻の先といっていいお隣さんの国でさえこうまで豊富な話題が転がっているのですから、つくづく世界は広いものだと思います。

今日のぐり:「ラーメン もんじゅ」

いきなり脱線なんですが、先日本屋に行った折にたまたま目に付いたもので「グルメの嘘 (新潮新書)」という本を買って読んだのですが、飲食店側の接待を排し全て自腹かつ匿名でのグルメ批評を心がけているという筆者の手になる、心得違いをした一部の飲食店とともにその恩恵に連なる商業主義の評論家をバッサリという本です。
読んでみますと「まあその通り」という内容が六割、「それはちょっとどうかな」という内容が四割といった感じだったのですが、グルメ批評を商売にしようと思う限りは飲食店側との癒着は避けられないという指摘には確かに頷かされるものがありましたね(ちなみに筆者自身は中小企業の経営者が本業だということです)。
そもそも人気があり、ちゃんとお客さんが来ている店であればわざわざメディア上で露出する必要性もないわけで、露出先が地域情報紙からグルメ雑誌、そしてテレビへとステップアップするごとに「ハズレ」を引く確率が高くなってくるという個人的な経験則(苦笑)が図らずも経済原則の面から裏付けられた形です。
だいたいが取材だと断って店を訪問し、店主を呼びつけて裏事情まで聞いてくるともなれば、当然店の側としてはどこかにそれが掲載されて当然と考えるわけで、世のグルメ本に出ているのがまずい店はなく全てうまい店ばかりだと言う時点で、ああいうものには何か嘘があると考えなければならないわけです。

これまた余談ながら今はそういう時代でもないんでしょうが、ひと頃は自動車評論家というのもずいぶんと持てはやされた時代があって、某御大の書いた本が本屋の目立つところに平積みされているなんて頃もあったわけですが、あれも考えて見ると馬鹿馬鹿しい話が満載でもありました。
だいたいがスポーツカーならまだしもファミリーカーだろうがミニバンだろうが決まって箱根に持ち込んでブイブイ言わせる、「限界域での挙動は少しシビアで」なんて言ったところでそれに乗る人間はあんな道で限界一杯攻めるようなことは間違ってもしないようなお父さんばかりなのに、一体何を評価しているんだという話でしょう。
そうかと思えば車と見れば必ずレッドゾーンまで綺麗に吹け上がるかどうかを確かめずにはいられない方もいらっしゃるようで、こういう人達は闘牛場の牛並みに精神的に成熟していらっしゃるんだと思いますけれども、人の乗り物の評価は人に任せて牛さんは自分の乗る荷馬車の評価をやっていれば良いわけでしょう。
ただそうは言っても今にして思うと、ああいう評価をする人達も毎回メーカーから車を出してもらわなければ商売にならないわけで、その意味ではメーカーにとって耳に痛いことを言っても誰も何の得にもならないわけですから、「好きな人にはたまらない」式のポイントを外したコメントも彼らなりの誠意ではあったのでしょうかね?

余談はそれとして、もちろん内容的には幾つか言いたいこともあって、今回の本ではいささか総論的な方面に特化しているのが読み応えの点では少しマイナスなのもそうなのですが、作者の評価軸が大都市部での比較的高額な店に対するそれを基準に行われているらしいという面では、飲食店全般には少し一般化しにくいところもありますよね。
例えば昨今では全国的にもラーメンブームなんて言われますし、実際に大都市部はもちろんのこと地方に行っても新規出店が相次いでいますけれども、このラーメンというものは評論家の評価がどうあろうが世間の人気がどうあろうが、消費者は結局自分の好みの店に定着していく傾向があるように思います。
もちろんその結果社会的な嗜好の分布を反映して人気店、不人気店というものが自然に別れてくるわけですが、ちょっとこれは癖も強すぎるしどうなのよと思う不人気店でも案外根強い常連客が居座っているあたり、結局身近な食べ物に対しては自分の舌が一番重要な評価基準なんだろうなと言うことなんでしょうね。
近頃ではラーメン専門の評論家なんて方々もいて、見ていると確かにそういう評価の仕方もありなんだなと参考になることもままあるのですが、評論家だのマニアだのが高い評価を付けた店ほど案外さっさと潰れてしまうことも多くて、結局彼らの発言には「こちら豚骨鶏ガラベースのこってり醤油系で」なんて記号的な意味以上の価値はないのかと空しい気もしてきます。

ま、当「ぐり研」で取り上げるのは別に批評だの評論だののつもりもない個人の感想ないし仲間内の口コミレベルの話ばかりですけれども、来てくださる方々のリンク元などを見てみますと意外にまじめな評価を期待している方も多いのかなと言う気もして、そんな大それたものではないですよとはお断りしておきたいと思いますね。
そもそも同じ店に何度か通ったことがある方なら誰でも知っていると思いますけれども、世界中どこでもいつも同じ味のチェーン店ならともかく、きちんと季節季節の素材を使っているような店ほど一定の味のレベルを保つのに並々ならぬ苦労があるものですから、あくまで訪問したその日その時に食べた料理の評価と店への評価とは区別しなければならないのは当然ですよね。
一応個人的な好みとして「素材費よりも調理技術にお金を払いたい」「無難にまとまった味のお店より大外れを出してもチャレンジするお店が好き」といった傾向はありますけれども、これは迂闊な噂が広まるとマジで経営的にやばいなと思うようなお店(ただし大資本経営店を除く)に関しては「好きな人にはたまらない」方式でやってるつもりですので、たまにうっかり筆が滑っても笑ってご容赦いただければと思います。

脱線はそれくらいにして、本日取り上げますのは岡山市内の一角にあるこちらのお店「ラーメンもんじゅ」さん、昨秋に開店したばかりということでまだペンキ塗り立てという感じの新店ですけれども、以前は別のラーメン屋だったはずなんですが、同じラーメン屋ながらいつの間にか別な店になっていたということに気付いて立ち寄ってみました。
メニューを見てみますと濃厚豚骨醤油とつけ麺が売りらしいのですが、今回は博多豚骨と瀬戸内の魚介が持ち味というWもんじゅを麺の堅さは普通で頼んでみましたが、メニューの内容からするとごく普通の奇をてらわないラーメン屋という感じですよね。

さて、実際にものが来てみますとこちらはどうやら豚骨醤油ではない、見た目もトッピングもごく普通の博多風豚骨ラーメンという感じで、これまた博多風らしく出て来るのも早いのは正統派っぽいですよね。
低加水の細打ち麺は硬すぎず柔らかすぎず頃合いの茹で加減で、昨今は黙っていても硬めで出す店も多いですが、やはりデフォルトではこれくらいに設定しておいてもらった方がいいんじゃないかと思います。
とろとろと濃厚なスープはいかにもカルシウムがたっぷりという味で、豚骨ラーメンとしては普通にうまいんと言える水準だと思うんですが、予想していたような昨今の魚臭いほどに魚系出汁風味が前面に出たラーメンとは違って、あくまで豚骨の味を下支えする範囲でという感じでしょうか。
もちろん豚骨系を基本に据えておくということであればこの方向で正しいんじゃないかと思いますが、ネットなどで見てみますと醤油豚骨やつけ麺の方は魚系の風味が濃厚であるようで、これは魚介を売りにしているwもんじゅの方が魚風味が薄いということなのか、それとも味の日差が大きいということなんでしょうか?(ただ他の方の撮影した写真を見ても、wもんじゅも今回食べたものとは何かまるで別物に見えて仕方がないんですが…)
トッピングは割合にネギが多めだったのが個人的にはうれしいところですが、チャーシューなどもそれなりにしっかりしたものですし、キクラゲの食感も保たれているしで、取り立てて主張してくるようなポイントはないものの全体に作りはしっかりしているラーメンという印象を受けました。

出来たばかりの店らしく、まだあちらこちらで試行錯誤しているような気配もあるんですが、その割に店長が妙に落ち着いているのは実際に経験豊富であるのか、もともとそういうキャラクターなのかどちらなんでしょうね?
豚骨系の中でも山下商店のような系統が好きという向きには合いそうなラーメンに思えるんですが、一つ気になったことにカウンターと厨房の仕切りが高いものですから、この上に水や伝票を黙って置かれると見逃しやすいんじゃないかと思いますね。
ついでにこれまたどうでもいいことなのかも知れませんが、昨今のラーメン屋のメニューというものはどうも一見して何と読んでよいものやら迷うようなものが多くて、何しろラーメンというものは国民食というくらいにあらゆる社会的階層の人達が食べに来るものなのですから、このあたりは業界全般の課題として解消していってもらえるとありがたいのですけれどもね。

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2011年1月22日 (土)

多様な意見の排除を図る態度は、民主主義社会とは最も縁遠いものです

本日まず最初に、以前にも紹介しましたあのあきれるばかりの事件について当然ながら有罪判決が出たという記事から紹介してみましょう。

TBSカート事故で有罪判決 自らの都合で無理に発進/高知(2011年1月20日47ニュース)

 高知県芸西村のゴルフ場で2009年11月、TBSの中継用ゴルフカートが暴走し、観客3人が重軽傷を負った事故で、自動車運転過失傷害罪に問われたフリーカメラマンの田中雅人被告(48)=東京都練馬区貫井=に高知地裁は20日、禁錮2年、執行猶予4年(求刑禁錮2年)の判決を言い渡した。

 平出喜一裁判官は判決理由で「良い映像を撮りたいという自分の都合で無理に発進し、十分な間隔をとらなかった過失は重大」と指摘。一方でカートが暴走する可能性が高いとまで認識していなかったなどとして、執行猶予付きが妥当とした。

以前に紹介したときにも驚くべきTBSの取材ぶりは紹介しましたが、何しろ事故が起こった瞬間真っ先に大会スタッフの口から「このカート、ずっとマークしていたんだ!!」なんて怒声が上がったというくらいで、このような事故を起こすことが半ば以上予想されていたというのは穏やかではありませんよね。
TBSといえば昨年末にもバラエティー番組制作で小学生の腕を叩き折ったというくらいで、もはやその暴走ぶりはとどまるところを知らないという勢いですけれども、こうした傍若無人な姿勢は別にTBSに限った話でもなく業界全般に共通するものであるらしいですね。
例えば日テレの「バンキシャ!」は韓国のスケート選手の非公開練習を盗撮したとして同選手のマネジメント会社から猛抗議を受けたということですが、当初「通常の取材で何も問題ありませんが何か?」と知らぬ存ぜぬを決め込んでいたものを、結局隠し通せなくなって謝罪文を送りつける羽目になるという「いつも通り」の恥ずかしい振る舞いに及んでいます。
この正月1日にはNHK職員が他人の車の中に入り込んで物色しているところを所有者に見つかり、窃盗未遂の現行犯で逮捕されるという事件が起こっていますけれども、このあきれた泥棒スタッフ氏の逮捕後第一声が「弁護士を呼べ!」だったということですから、他人の権利を侵害することには無頓着でも自分の権利を守ることにだけは熱心であるという彼らのスタイルが判るというものでしょう。
NHKと言えば先日は大河ドラマの肝心なシーンでどうでもいいテロップを被せたと日本中から大ブーイングでしたが、どうやらあれも確信犯的に行われたことらしいという噂もあるくらいで、今度はアナログ放送の画面にデカデカと放送終了の文字を被せるなんて視聴者無視としか思えない蛮行をやるというのも、当然ながら彼らなりの深慮遠謀が隠されているということなのでしょうね。

テレビなども「女子アナ残酷物語」などと言うくらいに経営危機が叫ばれつつ、それでも速報性を武器になんとか生き残りの道を模索しているようですが、これが新聞社となるとすでにメディアとしての性質自体が完全に終わったもの扱いである上に、その論調すら今どきの若年世代を完全に敵に回すかのような言動を続けているのですから将来にわたって二度と浮かばれる可能性はなさそうですよね。
先日は天下の朝日も英字新聞から撤退するという発表がありましたが、業績低迷でどうにも首が回らなくなった状況を称して「電子配信を強化するための戦略的撤退」とは、さすが全滅を玉砕と言い換えてきた歴史と伝統を誇る新聞社だけのことはあると感心させられます。
こうした日本の新聞業界の低迷ぶりは今や世界的にも注目を集めるに至ったということなのか、「ニューズウィーク」にも大々的に取り上げられるようになったというのですから「ロウソクの炎は燃え尽きる前の最後が一番…」ということなんでしょうかね?

"シンブンキシャ"の思考は停止中? なぜ日本の新聞はダメなのか(2011年1月17日日刊サイゾー)より抜粋

【元木昌彦の「週刊誌スクープ大賞」第75回(1月13日~1月17日発売号より)】

第1位
「だから新聞はつまらない」(「ニューズウイーク日本版」1月19日号)

第2位
「『抗がん剤は効かない』は本当か!?」(「週刊文春」1月20日号)

第3位
「現場の磁力 ルポライター故・朝倉喬司さんが見た〈異界〉の風景」(「週刊ポスト」1月28日号)

(略)
 今週の第1位は、日本の新聞記者を「ニューズウイーク」が徹底批判した記事。

 なぜ日本の新聞はテレビと並んで「マズゴミ」とまで酷評されているのか。それはよく言われるような記者クラブの閉鎖性や、クラブを通して権力者たちと癒着しているだけではない。問題の本質は「シンブンキシャ」という人種の多くが思考停止していることにある。その原因は、失敗を過度に恐れる文化や硬直した企業体質、それに現場主義と客観報道の妄信にあるとしている。

 なかでも政治部記者は、記者会見が始まると一斉にノートパソコンのキーボードをたたきはじめ、その姿はジャーナリストというよりタイピストか速記係のようだと揶揄している。

 さらに思考停止する理由は、日本の記者が掲げる「現場至上主義」にあるのではないか。現場に行って取材すればそれで終わりと満足し、ニュースについて深く考える機会を自ら放棄しているというのだ。

 高いレベルのジャーナリスト精神や膨大な情報をもっている記者もいるのに、紙面に反映されることがないのは、事実や中立性に重きを置く「客観報道」を理想とあがめ、それを、名誉毀損で訴えられたときの逃げ道にもしていると斬り込んでいる。

 日本の新聞が変われないのは、これまでの硬直化したメディア環境を当然だとしてきた読者側にもあり、新聞を批判する側も思考停止に陥っていると結んでいるが、欲をいえば、もっと多くの第一線の記者や編集の責任者のインタビューをして、病根を深く掘り下げてほしかったと思うが、ピリッと胡椒のきいた新聞批判にはなっている。

 新聞はもはや、速さを競ったりスクープ合戦できるメディアではない。外国のクオリティペーパーのように、遅いけれど正確な分析記事を書くような新聞にするのか、中立公正・客観報道などという幻想を棄てて、一人ひとりの記者の主観で、読者の読みたい情報を提供する新聞にしていくのか。どちらにしても、新聞を含めたメディアにとって、今年は生き残りをかけた厳しい年になることは間違いない

元木氏の指摘するような問題点はすでに久しく以前から各方面によって出されているものばかりですけれども、こうした思考停止をしていかなければ務まらない日本のメディアなるものの硬直化した環境自体が自己改革の目を自ら摘み取り、更なる思考停止を来した記者達の拡大再生産を続けていく源泉となっているのだとすれば、これは自主的な改革など望み得ないものなのかも知れません。
新聞とテレビとを問わず彼ら既存の大メディアがどこまで落ちるところまで落ちているのかを指摘する声は昨今一つや二つではありませんけれども、一方で第三権力を振るい放題な相手に向かっては捏造、偏向報道を当然と公言して見せ、一方でそれに対して否定的なネット言論に恐慌の体を示してみせると言うのであれば、要するに彼らに気骨とか気概とか呼ばれるものは存在しないのかという話しですよね。

自民党改革(2011年1月19日三原じゅん子オフィシャルブログ)より抜粋

毎日新聞社 特別編集委員であるテレビでもお馴染みの岸井成格氏が講演に来てくださいました。
その中で自民党への注文などもありました。
(略)
沢山の議員との意見交換もありました。
山本一太議員からは、ディベート能力の話についての発言がありました。
メディアに対し「テレビの討論番組も民主党議員が嫌がって避けていて2度もキャンセルになった」現状では、やりこめられることを恐れて1対1での討論を避けるのだそうです。

その上「予算委員会などで、わが党が具体的な政策を打ち出ししっかり議論しているところは全く放送せずに、たまたま大臣の失言などを批判しているほんの1部分だけを放送する。その挙句には、自民党は批判ばかりでこんな事でいいのか!!とまで。」これはマスコミの報道にいつも矛盾を感じていた私とも同意見であった。

すると岸井氏はマスコミのそういうありかたをあっさり認め、視聴者が喜びそうなネタ(揚げ足とりが面白いらしい)の部分しか放送したがらない、記事にしないとの事だった
それで自民党に支持が戻っていないと言われるのは明らかに矛盾を感じざるをえない
メディアの操作で世論の感情を左右してしまっているのか。
政権交代はその影響もあったということか。
(略)

大メディア ネットでの言論増加に対し完全にパニック状態(2011年1月19日ニュースポストセブン)

 正月に官邸で番記者らを接待するなどマスコミにすり寄る菅政権。しかし、菅政権のマスコミ頼みは、もう国民を欺けない。

 菅首相が1月5日に出演した『報道ステーション』が6.9%の「超」低視聴率に終わったことを見れば明らかだ。「菅の顔など見たくない」という国民の審判であると同時に、既存の大メディアに対する不信感でもある。芸人を集めたバラエティ番組では視聴率を取れても、もはや国政の重大事を記者クラブ・メディアで判断しようという国民は日に日に減っている。それを自覚しているからこそ、テレビのニュース番組はますますバラエティ化し、「クマ出没」「人気ラーメン店」がヘッドラインを飾るのだ。

 その一方で、菅氏が「潰したかった」という同日の小沢一郎・元民主党代表のBS11出演は、「視聴率は調べていないが、局へのメールなどの反響は通常の政治インタビュー番組の4~5倍あった」(同社幹部)という。また、昨年末に小沢氏はインターネットのインタビューに出演したが、その視聴者数はのべ20 万人を超えている。

 そうした“権威”の失墜に慌て、ニューメディアを敵視する大マスコミは、記者に「ツイッター禁止」を命じたり、閣僚や官庁の記者会見場からニューメディアを追い出そうとしたりと、完全にパニック症状だ。

 朝日新聞などは、広島市の秋葉忠利・市長が、記者クラブ会見ではなく、ネットの動画サイトに退任談話を配信したことに怒り、6段抜きの大きな記事を掲載して(1月6日)、「会見拒否」「真意不明」などと秋葉氏をコキおろした

 記事に登場する大学院教授のコメントが興味深い。政治家のネット出演は「編集されたり、批判的なコメントを加えられたりすることを嫌がる権力者に都合のよい手法」だというのだが、そういえば小沢氏は、テレビ出演の条件を「編集されないこと」としていた。その条件をのむ局がなかったからネットに出演したのだが、「そのまま放映」と「編集」が、権力者とメディア、国民の誰にとって都合がよいのか、難しい問題だ。

この政治家のネット出演の件に関しても先日取り上げましたが、要するに昔ながらのメディアによる情報操作と世論誘導というものは、複数のソースから当たり前のように情報を仕入れている今の若年世代には通用しなくなってきている、むしろ彼らの意図とは逆に強烈な反感を買うだけになりつつある、そして彼ら自身がその事実に気付き焦燥に駆られているという状況が見て取れると思います。
興味深いのはテレビ出演を拒否したと伝えられている小沢氏にしても、勝手に発言を編集されないのであれば出演をしていた可能性があったということで、とりあえず小沢氏の主張したいところを語らせるということを優先したネットメディアに比べて、こうした意見公表の自由すらも認めないほどに硬直した既存メディアのありようというものが改めて明らかになる話でもあるわけですね。
当「ぐり研」にも何度か登場いただいた上杉隆氏などは、既存のメディアは一体いつまでこうしたニューメディアを矮小化あるいは無視しつづけるつもりなのかと苦言を呈していますけれども、確かに若年人口が減る中で今はまだ社会的な絶対多数を形成するには至っていないのかも知れませんが、こうしたニューメディアを新聞やテレビと同様、あるいはそれ以上に当たり前の情報ソースと考える人間は今後増え続けることだけは確実であるわけです。
既存メディアの危機を自覚しながら、旧態依然とした自分達だけの世界での議論に終始している彼ら旧世代の遺物と、開かれた情報世界として日々拡大を続けているニューメディアと、どちらが今後の主流になっていくのかは間もなく誰の目にも明らかになっていくのかも知れませんね。

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2011年1月21日 (金)

多くの人に望まれても話が進まないのには理由があるもので

先日は東京で統合失調症で加療中であった40代の男性が腸閉塞で亡くなるという事件がありましたが、週末の夜に2時間半にわたって大学病院など13病院にあたったものの搬送先が見つからず搬送を断念、結局翌日昼に自宅で亡くなるという経過もあってか、毎日新聞などは前後の状況をかなり詳しく取り上げています。
天下の大都会の最中で起こっただけになかなかショッキングな出来事であったのでしょう、毎日も類似の症例を発掘してくるなど何本も続報記事を出していますけれども、読者からも大きな反響があったということで、今や国民総鬱病時代というくらいに心の病も身近なものになっているだけに決して人ごとではないという意識もあるのでしょう。
また逆にこういう記事を見た人が「心の不調を感じても精神科にだけはかからない方がよさそうだ」と思い込んでしまうとなれば、また別の大きな社会的問題を呼び起こしそうですから、産科救急などと同じようにこれまた喫緊の課題として対処していく必要がありそうですね。

「統合失調症の男性、搬送先見つからず翌日死亡」 読者から多くの反響(2011年1月19日毎日新聞)

 ◆精神と身体の「合併症」
 ◇治療体制不備、浮き彫り 医療現場「拒否ではなく不可能」
 ◇医師「先に精神科の治療を」/「迷惑かけぬ」と約束

 東京都東久留米市で体調不良を訴えた統合失調症の男性(当時44歳)の救急搬送先が見つからず翌日死亡した問題を取り上げた記事に、多くの反響が寄せられた。「統合失調症のめいが気絶して救急搬送を頼んだが、数カ所の病院に受け入れてもらえなかった」「精神科の治療をしてからでないとやけどの治療はできないと言われた」。読者の声からも精神と身体の「合併症」をめぐる治療体制の不備が浮かび上がった。

 大阪府の男性(69)は昨年12月27日午後10時ごろ、統合失調症のめい(22)が外出先で突然気絶したため、救急搬送を要請した。しかし数カ所に受け入れを断られ、病院が見つかるまで20~30分かかった。男性は「大阪でも東京と同じようなことが起きている。受け入れ体制の整備をしてほしい」と訴える。

 関東地方の20代の男性は軽度のうつ病などの治療を続けていた昨冬、事故で手足をやけどするなど重傷を負い、救急搬送された。検査の結果、手術が必要と診断されたが、医師は「命に別条はない。先に精神科の治療を終わらせてから来てほしい」と話した。

 男性の母親は「手術後は息子を家族が監視し、病院には一切迷惑はかけません」と約束して手術をしてもらった。「うちは病院で診てもらえただけよかった」と振り返る。

 東京都の30代の女性は記事を読み、精神科にかかっていた40代の知人男性を思い出したという。

 男性は金曜日の夜、嘔吐(おうと)と激しい腹痛に襲われ、タクシーで総合病院に向かった。内科医に「処方された向精神薬の影響による腸閉塞(へいそく)で入院が必要」と診断されたが、「月曜日まで待ってかかりつけの精神科医に入院先を探してもらってください」と言われ、帰された。後日別の病院に入院して治療を受けられたが、病院側の対応に疑問を持ち続けていたという。

 一方、東京都の大学病院の看護師長(44)は「(心身合併症患者の)受け入れ拒否ではなく不可能な状態」と指摘する。

 夜勤時間帯は看護師が少なく、多忙を極める。合併症患者を受け入れれば患者につきっきりになり、他の仕事に手が回らなくなる。「医療現場の人間には大きなジレンマがある」と言う。【奧山智己】

こころを救う:心身合併症急患、茨城・土浦でも通院女性死亡(2011年1月20日毎日新聞)

 ◇腸閉塞、内科・精神科連携できず

 茨城県土浦市で09年3月、長年精神科病院に通院していた女性(当時49歳)が腸閉塞(へいそく)などで死亡した。連日嘔吐(おうと)して内科診療所に行ったが、精神科の受診歴を理由に診察を断られ、精神科病院で応急処置したものの、体の病には気付いてもらえなかった。地元の精神障害者支援団体などは「精神障害と身体疾患の合併症患者を受け入れる総合病院があれば助かった可能性がある」と指摘する。

 身体疾患のある精神障害者を巡っては、腸閉塞を発症した東京都東久留米市の統合失調症の男性(当時44歳)の救急搬送先が見つからず死亡した問題が明らかになったばかり

 土浦市の女性は20代半ばから、理由なく父親を激しくののしるようになった。精神科病院を受診し、向精神薬の服用を続けたが、症状は改善しなかった。

 両親は09年1月、別の精神科病院に入院させたが母親(75)に何度も「帰りたい」と訴え、3月6日に一時帰宅。約1週間後、女性が嘔吐し、2、3日たっても続いた。母親は3月半ばに内科診療所に連れて行った。

 母親が医師に既往症を説明すると「精神科にかかっていた患者さんは分からないことがあるので診察できない」と言われた。母親は救急病院の受診も考えたが、精神障害者支援団体の仲間から「あそこは精神科の患者を断る」と聞いていたため見送ったという。

 嘔吐は1日2、3回になり、母親は3月20日「体の症状を診てくれるか分からないが、もうここしかない」と女性が入院していた精神科病院に診察を頼んだ。精神科医に吐き気止めの処置をしてもらったが、病名の説明はなかったという。

 21日夜、女性が自宅のトイレに入ったまま出てこないため、母親が見に行くと倒れていた。救急搬送されたが病院で間もなく息を引き取った。死因は腸閉塞と多臓器不全。母親は「内科の症状を診てくれる病院があれば、よくなっていたかもしれない」と悔やむ。

 女性が最初に訪れた診療所の医師は「記録がないので詳しい経緯は分からないが、症状をうまく伝えられない精神障害者の場合は診察しない」と説明する。入院していた精神科病院の院長は「精神科医が身体疾患を診るのは非常に難しい。精神科病床のある総合病院があればよかった」と話す。

 女性を支援してきた茨城県精神保健福祉会連合会の中川正次会長(80)は「精神疾患があると一般診療科に受け入れられにくい。結果的に手遅れになってしまった。せめて精神科病院と一般病院の連携がスムーズだったら」と言う。

 精神科病床のある総合病院の所在地について、日本総合病院精神医学会が07年に調査したところ、国が入院医療の体制を整備するため全国の市町村を367地域に分けた「2次医療圏」のうち、40都道府県の126地域(34%)で一つもなかった。茨城県内には2カ所のみで、土浦地域は08年3月末、国立病院機構・霞ケ浦医療センターが精神科病床を閉鎖し、空白地域になっている。【奥山智己】

今回の事例で一体何が悪かったのかと考えて見ると幾らでも指摘は出来るのですが、例えばかかりつけである精神科病院は真っ先に悪性症候群など精神科救急を鑑別する必要もあったでしょうし、少なくとも自ら診療情報提供をするなりしていればもう少し話が付きやすかったのではとも思うし、意識障害があるにも関わらず三次救急に当たることもなく搬送を断念した救急隊の対応もどうなのかとも感じられるところでしょう。
一般に安定期の精神疾患であれば治療上別に大した問題でもないし、天涯孤独というのならともかく本件のように家族がいるような場合であれば救急の側でも対処法は幾らでもあったと思いますが、事が一段落した後に精神科の側から「まだ熱があるから」「食事が十分食べられないから」といった理由で受け入れを拒否される事例も多く、「引き受けてもバックアップがないのであれば」と躊躇させる一因にもなっているのかとも思います。
結局のところ精神科にも救急にしても少しばかり相手領域にクロスオーバーする知識があれば何と言うことはない場合がほとんどなのですが、日頃から顔をつきあわせているはずの内科と外科でも同じ病気に対する治療法が全く違うなんてことがままある位で、これが精神医学と身体医学ともなると何十年も別個の道を歩んできた結果、お互い意思疎通も困難なくらいに遠い医学になってしまっているわけです。
それだけにお互い「仮にも医師免許持ってるならこれくらい常識だろう」と思う知識が全く共有されていないなんてことがあり得るもので、たぶん双方とも「なんでこの程度のことに対応が出来ないんだ!」と日頃からストレスを募らせているのでしょうが、今後はローテート研修によって精神科医も一定の身体医学的スキルを持つようになると、このあたりの事情は徐々に変わっていくのかも知れないですよね。

こういう話を聞くとやはり医者たるもの診療科横断的な知識は必要だ、これからは総合診療こそ社会に求められているのだと考える人もいると思いますが、諸外国のようにgeneralist(総合医)とspecialist(専門医)の区別が特にあるわけでもなく、総合医たるを期待されている人々が単に第一線を引退した元専門医に過ぎないことが一般的な日本では今までこの領域が弱かったことは確かでしょう。
先日は読売新聞が「連載5000回記念に総合診療に関する記事を書いていますけれども、いつもながらの自画自賛ぶりにはいささか閉口するにしても(苦笑)、単に専門家たる技量を持っていないといった消極的な意味での総合医ではなく、全科横断的な初期診療能力を持つ有能な総合医がいれば色々と便利だろうなと誰しも思うところではないでしょうか。

[展望2011]総合診療、危機打開のカギ(2011年1月19日読売新聞)

医療情報部長・田中秀一

 読売新聞朝刊の連載「医療ルネサンス」が17日、通算5000回を迎えた。「心と体に優しい医療」の実現を願って1992年にスタートし、専門的な医療情報をわかりやすく伝えて医師と患者の橋渡しとなるよう心がけてきた。

 連載の開始時に比べて医療を取り巻く状況は大きく変わった。あまり行われていなかったがん告知は、今では当然のことになった。当時導入されたばかりだった内視鏡手術が多くの分野に広がるなど、技術は格段に進歩した。

 一方で、医師不足など医療の危機が深刻になった。これには様々な要因がある。

 風邪をひくと、多くの人が医療機関に行き、抗生物質を処方される。だが、風邪の原因の大半はウイルスで、抗生物質は効かない。実際には効果のない薬を求める人たちで病院が混雑している

 次々に新しい抗がん剤が登場し、がん治療は飛躍的に進歩したと言われる。最新治療を求めて病院を渡り歩く「がん難民」という言葉も生まれた。だが、がんの新薬の多くは数か月間の延命効果がある程度で、白血病などを除けば、がんを完治させる薬はまだ見当たらない。

 「医療が進歩したのだから、病院に行けば治してくれるはず」。過剰な期待が、医療現場に重い負担となる。

 医療側にも問題はある。多くの医療機関が競って高度な検査機器を導入し、日本にはCT(コンピューター断層撮影)装置が人口あたりの数で米国の3倍、英国の13倍もある。こうした機器に頼って安易に検査を行えば、過剰検査で医療スタッフは忙殺され、医療費も高騰する

 この現状を打開する鍵の一つが「総合診療」だ。臓器別に専門分化した縦割り診療でなく、様々な病気を総合的に診ることを指す。

 昨年、総合診療をテーマにしたテレビドラマ「GM~踊れドクター」(TBS)が話題になった。GMは総合診療科のことで、潔癖症で患者に直接触れることができない主人公の医師が、問診の情報で病名を解明していく。

 「10人の専門医が1人の患者を診るのではなく、1人の医者の頭の中に10人の専門医がいるつもりで診療する」。このドラマを監修した生坂政臣・千葉大病院総合診療部教授は、総合診療の極意をそう説明する。患者の7~8割は問診だけで診断でき、問診の精度を高めれば95%は検査なしに診断できるという。

 全国の医師約28万人に対し、専門医資格を持つ医師は延べ約30万人もいる。1人の医師が複数の専門医資格を持つ場合もあるためだが、専門的な診療が必要な病気はそれほど多くない。患者が求めているのは、心身を総合的に診てくれる医師だ。

 日本では患者1人あたりの受診回数が年間13・4回と、米英の3倍ほど多く、医師の不足や過重勤務につながっている。軽症でも救急外来を訪れる人も少なくない。医療の限界を知って過剰な期待を払拭し、受診が必要なのはどのような場合かを学ぶことは、医療危機の緩和に役立つ。

 もちろん、患者や医師個人の努力だけで危機は解消できない。政府は、検査や薬に頼らなくても医療機関が経営できるよう診療報酬のあり方を改め、特定の診療科や専門医に偏った医師の配置を是正する仕組みを作るべきだ

 患者と医師が互いに理解することは、医療をより良くすることにつながる。医療ルネサンスは、今後も患者と医師の懸け橋となる報道をしていきたい。

ま、人間の能力的に一人の医者が10人の専門医の役を務めるというのも無理があると思いますし、明らかに専門医にかかるべき状況であれば遠慮なく専門医に回してもらえばいいわけですけれども、こういう総合医の有用性を認めるのであればその数を増やすために何が必要なのかという議論もまた必要なはずですよね。
医者の本当の能力、とりわけ臨床の能力というものは一緒に働いてみて初めて判る類のものではないかと思うのですが、世間的には今のところ専門医などという外面的な資格でしかそれを図る術がなく、医者の世界においてもとりあえず専門医取得を目指してというのが一つのゴールドスタンダードであったわけですが、そうなると生粋の総合医にとってはひどく困った状況になりますよね。
専門医を取るためには特定領域の疾患が集まった学会認定の研修施設でひたすら同じような症例の数をこなしていくわけですが、当然ながらそうした症例はすでに診断がついている段階で回ってくるわけですから初診での診療能力は鍛えられない、何より総合医として幾らスキルアップしてもそれを評価する客観的指標というものが存在しない以上、医者の側としても何を目安に修練を積んだらよいかと迷いますよね。
そして施設の側にとっても専門医が多くいれば認定施設の看板を掲げられ研修医集めや診療報酬上の恩恵を受けられる可能性がある一方、熟練の総合医が「俺は95%は検査なしに診断できるぜ」と豪語したところでそれでは何の収入にもならないわけですから、なんだ結局総合医なんていない方がいいというように社会の仕組みがなっているわけです。

もちろんgeneralistは診療所レベルで初診を担当し、specialistが基幹病院で専門的治療を担当するという分担が出来るのであれば、例えば外来診療に特化したgeneralistは給料は安めだが仕事は定時で楽な一方、重症入院患者を受け持ち多忙なspecialistは給与や社会的評価を高めにすることで報いるといった縦の関係もありでしょうし、実際そういう図式になっている国も多いですよね。
ところが日本ではそこらの町医者だろうが大学病院の専門家だろうが、いつでもどこでも誰にでも自由にかかれるということを医療制度の売りにしてきた経緯があって、しかもこうした医者の区分の導入ということには日医などが一生懸命反対しているということもありますから、結局専門医が総合診療的な業務まで押しつけられて「なんだ、専門医なんて取れば取るだけ損なだけじゃないか」と考える人間も増えてきているわけです。
そんな中で内科学会の「総合内科専門医」 などは一つの評価基準の提供を目指しているのでしょうが、試験の内容などを見ると「これは総合医としての臨床能力を測る指標として適切なのか?」とも思え る一方で、そもそも受験資格自体が地域で長年第一線の総合医として診療に当たってきた人間にハードルが高すぎるという、いささかちぐはぐなことになってい るのはどうなのかです。

患者にしても意味のない専門医指向なるものを是正していく必要があるのはもちろんですけれども、診療報酬やスキルとしての評価も含めた制度的にも、業界内部での当事者の意識的にも大幅に変えていかないと、専門医ですら何のメリットもないと言われる中で総合医なんて何の得にもならないスキル取得を目指す奇特な人間などいないのも当然ですよね。
「総合医って単に診断のつかない面倒な患者を押しつけられるだけの損な医者だよね」なんて悪評が定着してしまってからでは、社会が切実に求めてももはや誰もなり手がないということにもなりかねませんから、まずはきちんとした仕事の評価とそれに見合った報酬のシステムも考えていかなければならないですし、そのためには診療報酬を握っている国も動かなければ話にならないということでしょう。

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2011年1月20日 (木)

街を破壊する怪獣ゴジラも、元をたどれば核の犠牲者でした

医療関係者と教育関係者の双方が集まる場に参加する機会がしばしばあるものですから、色々と裏話のようなものも自然と耳に入ってくるのですけれども、医療と教育という一見全く関連のなさそうな業界で、なぜこうまで似たような状況になっているのかと感じさせられることがしばしばです。
とりわけ笑えたのが医者が「患者は医者のことを週三回、半日だけ外来仕事をしていればいいと思っている!入院患者の相手の方がはるかに大変に決まってるだろう!」と猛り狂えば、教師の方も「未だに先生は長い長いお休みがあるからうらやましいですなんて言う親がいる!子供は休み中だろうがこっちはずっと忙しいんだ!」と吠えるといった塩梅で、まあお互い似たような問題は多々抱え込んでいるんでしょうね。
そして双方とも「最近の顧客はとんでもない!モンスターばかりじゃないか!」という点では意見の一致を見るのですが、興味深いのがお互いに患者や子供本人よりもその家族や保護者に対して「なんだあいつらは!」と憤りを感じているということで、逆に見れば本当の当事者に対する職業的責任感を失っていないというのはまだ救いがあるんじゃないかという気がします(もっとも、それがいつまで保つかが問題ですが)。
さて、そうした数々の問題点を抱えている教育ということに関連する話題を今日は取り上げてみますけれども、、当時からその展開が香ばしすぎると話題になった事件なんですが、何やら相当に複雑な状況に至りつつあるらしいと感じさせられるのがこちらの記事です。

校長を殺人容疑告訴、自殺生徒の母親に賠償命令(2011年1月15日読売新聞)

 2005年に長野県立丸子実業高校(現・丸子修学館高校)1年の男子生徒(当時16歳)が自殺した問題を巡り、殺人容疑で告訴されるなどして精神的な苦痛を受けたとして、当時の男性校長が、男子生徒の母親と代理人の弁護士を相手取り、600万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が14日、長野地裁上田支部であった。

 川口泰司裁判長は「原告の社会的評価を低下させ、名誉を傷付けた」として、母親と弁護士に計165万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた

 母親の告訴について、川口裁判長は「自殺を予見することは困難で、犯罪の嫌疑をかける客観的な根拠はなかった」と判断した。

 判決によると、男子生徒は05年9月から不登校となり、同12月6日に自宅で自殺した。母親は06年1月、校長を殺人容疑などで告訴。内容を記者会見やブログなどで発表したが、長野地検上田支部は07年10月、犯罪に当たらないと判断した。

学校側の管理責任を問うといった話であればまだしも、殺人容疑での告訴というのは素人目にもかなり無理筋なんじゃないかという気がするのですが、聞くところによるとちゃんと弁護士が付いていてこういう話になったということですから、弁護士の読みが浅すぎたのかよほど遺族の意志が強固であったということなのか、どちらなんでしょうね?
お亡くなりになった男子生徒にはお悔やみを申し上げるしかありませんが、以前ならばただ黙って平謝りで終わっていたかも知れない事件が、こうして双方の訴訟合戦にまで発展するようになったということは、少しばかり時代の変化を感じさせられますね。
遺族側の主張するように虐めや学校側の不適切な行為によって生徒が自殺に追い込まれたという経緯が全て事実であったとしても、では遺族側がそうした事実を楯に何をやってもよいのかと言えば法治国家である以上守るべきルールはあるはずで、少なくともそうしたルール違反に対しては厳しく社会的・法的責任を追求されるようになってきたし、世の中もそうした追求を是とするようになってきたということでしょうか。

こういう変化の背景には、いわゆるモンスターとかクレーマーと呼ばれる顧客の存在が大いに影響しているということは言うまでもないように思えますが、とりわけ医療と教育の業界はどうやら彼らの二大ターゲットと化しているようで、こういう業界の人達同士で話をしてみるとお互いに全く同じ問題を抱えているということに気付かされます。
その理由として教師にしろ医師にしろ漠然とした社会的権威にその地位が裏付けられていた一方で、それを明文的に裏付ける法的、制度的権威というものは特に用意されていなかったわけで、そうした社会的権威というものがひとたび崩壊してしまえば非常に無防備な態度が目に付く、すなわちモンスターにとっては幾らでも突っ込みどころがある存在ということでしょう。
もちろん責任ある立場としてそうした無防備な態度自体が社会的批判を受けるべきものであるとも言えますが、今までは先生先生と奉られていた人々がいきなり容赦のない攻撃に晒されるようになり、ただでさえ多忙な業務に追われる中で為すべきところを知らず右往左往しているというのが実際のところであるようです。

もちろん個人としては同情の余地があるとしても、病院や学校といった組織としてそのレベルではさすがに許されない時代ですから、昨今では他業界における方法論を参考にようやく二大業界においてもモンスター対策が講じられ始めているわけですよね。
当事者が場当たり的に対応せず専任のクレーム処理担当者に任せると言った、いわば社会常識として当たり前の防衛システムもようやく整備され始めている一方、一線を越えた顧客に対してはきちんと法的対応を取るようにと指導しているそうで、今回の事例においてもあるいはそうしたシステムが発動した結果なのかとも思えます。
子供さんを亡くした上にモンスター扱いでは親としては泣くに泣けないということでしょうが、何しろこういう時代ですから真面目に学校なり病院なりの不備について非を鳴らしたいと望んでいる親ほど、自分がモンスターではないということを自主的に立証していかなければならないということでしょうし、その意味で今回の親の取った方法論はいささか脇が甘すぎたのではないかという気がします。

ただモンスターには受けて立つということになってきますと、当事者双方がお互いに燃料投下を続ける形で行き着くところまで行き着いてしまうということが以前より増えてきそうに思われますけれども、実際に一昔前であればそうまでこじれる前に収まっていたのではないかとも思える事例でも、炎上し紛争化しているという場合がままあるようですね。
もちろん昔は不当な要求であっても片方がひたすら黙って我慢していただけで、これが正当なあり方なのだと言われればそうなのかも知れませんが、端から見ていますと本当の当事者を置き去りにして周囲がヒートアップしているだけではないか?と思えるような場合もあるようです。

「保護者の苦情で不眠症」教諭提訴 保護者「娘に差別」(2011年1月18日朝日新聞)

 埼玉県の市立小学校に勤務する女性教諭が、再三クレームを受けて不眠症に陥ったとして、担任する学級の女子児童の両親を提訴していたことがわかった。慰謝料500万円を求め、さいたま地裁熊谷支部で係争中だ。文部科学省によると、「保護者が学校を訴える例はあるが、逆のケースは聞いたことがない」という。

 提訴したのは昨年9月。訴状などによると、教諭は1991年に教員になり、昨年4月からこの女児の学級を担任。同年6月、女児と他の女子児童とのいさかいを仲裁した際、母親から電話で「相手が悪いのに娘に謝らせようとした」と非難された

 これを皮切りに、同月末から7月中旬にかけて、児童の近況を伝える連絡帳に母親から「先生が自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけています」などと8度書き込まれた

 さらに、父親や母親から文科省や市教育委員会に対し、口頭や文書で批判されたほか、女児の背中に触れただけで警察に暴行容疑で被害を訴えられたという。

 こうした一連の行為により教諭は不眠症に陥り、「教員生活の継続に重大な支障を生じさせられた」と主張している。教諭ら学校側と両親が話し合う場も設定されたが、両親が拒否したという。

 小学校側は提訴の翌月、市教委に対し、「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている」という校長名の文書を提出している。

 両親は訴訟の中で、連絡帳への書き込みについて「娘は繰り返し嫌がらせや差別をされ、ストレスで体調が悪くなっている。このままでは学校に行けなくなってしまうので、抗議した」と説明。市教委に文書を提出した点については「教諭が話し合いを拒否している。娘が安心して学校に通うための正当な行為」と主張し、訴えを退けるように求めている。

 朝日新聞の取材に対しては「娘は担任教諭から、ほかの児童の前で数十分間しかられたり、授業中に手を挙げても無視されたりするなど差別的な扱いを受けた。訴えられるのは心外で、学校側も実態を調べないで自分たちをモンスターペアレンツに仕立て上げた」と話している。

 小学校の教頭は取材に対し、「教諭と保護者のそれぞれの人権を尊重しているため、コメントできない」、市教委は「訴訟中なので、何も答えられない」としている。

モンスターに反撃始めたのか 先生が保護者を訴える異常事態(2011年1月18日J-CASTニュース)

   学校の先生がモンスターペアレントだとして保護者を訴える――。こんな特異なケースが埼玉県の市立小学校であり、学校側もモンスター対策に本腰を入れ始めたのかと話題になっている。

    「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている

再三の苦情で女性教諭が不眠症に

   新聞各紙によると、小学校側は2010年10月、市教委に対し、こんな校長名の文書を提出した。先生が保護者を訴えるのは異例というが、ようやく学校側もモンスター対策に法的手段を持ち出してきたわけだ。

   訴えたのは、3年生のクラス担任をしている女性教諭(45)だ。訴えによると、この教諭は6月、女子児童(9)が別の児童から「ぞうきんで殴られた」と訴えたトラブルを仲裁した。これに対し、女子児童の母親が電話で「相手が悪いのに娘に謝らせようとした」と教諭を非難。その後もトラブルがあり、教諭がクラス内で話し合いをさせたところ、母親は「2人の問題をクラスの問題にした」と再び教諭を問い詰めた

   さらに、非難は止まず、7月中旬までに、児童の近況を伝える連絡帳に母親から8度も書き込みがあったという。「先生が自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけています」「最低な先生」といった内容のものだ。

   そして、行動はますますエスカレート。女子児童の両親が文科省や市教委に教諭への苦情を寄せたり、給食の時間に児童の背中に触れただけで県警に暴行罪で告訴したりしたというのだ。8月下旬には、学校側が話し合いの場を設定したが、両親は拒否したという。

   女子児童の両親による再三のクレームで、女性教諭は9月に不眠症と診断されたといい、その慰謝料500万円を求め、さいたま地裁熊谷支部に同28日付で両親を提訴した。

「訴訟までに学校側もやるべきことがあった」

   この両親は、2010年11、12月に2回あった口頭弁論で、訴えを退けることを求めた。教諭が、クラス内でしかっていじめの可能性を作ったり、授業中に手を挙げても無視したりと、女子児童に差別的な扱いをしたと強調。学校側は実態を調べないで勝手にモンスターペアレントに仕立て上げた、と主張しているという。

   学校側が「教員を代表して」としているということは、ほかの教員も被害に遭ったのか。両親の主張について、どう受け止めているのか。

   こうした点について、市教委に取材すると、学校教育課長は、「あくまでも担任と保護者の間の訴訟と認識しています。訴訟に影響してはいけませんので、コメントはお断りしています」とだけ話している。どうやら、学校側と認識に違いがあるようだ。

   教育評論家の尾木直樹法政大教授は、苦情を訴えた両親について、こうみている。

    「子どもに全面的に味方する自己中心型と、8回にもわたって苦情を言ったりするノーモラル型の混合タイプだと思います。警察に告訴までするというのは、かなり重いですね。『教員を代表して』訴訟を行っていると言っていることは、ほかの教員も苦情などを受けたのでしょう」

   ただ、両親は行き過ぎているとしながらも、訴訟を起こすまでに学校側もやるべきことがあったと指摘する。

    「8回もの苦情や話し合い拒否などは事実かもしれませんが、親の心情を分析して、まずエキセントリックになる気持ちを鎮めなければなりません。初期対応が決定的に大事ということです。こうした場合、校長ら第3者も上手に仲立ちしないといけないでしょう。学校側が結束してしまえば、親は敏感になるので、ますますエスカレートしてしまいます。今回より深刻なケースも実はたくさんあり、一つ一つ訴訟を起こしていたら、何万件もしないといけないですから」

さてこの一件、テレビ報道でも取り上げられたくらいに結構大きな反響を呼んでいるようで、報道から受ける印象からはお互いそれぞれに反省すべきところが少なからずあったのかと感じるのですが、親の側としてはこれだけ抗議を繰り返すほど子供の教育環境に問題を認識していたにも関わらず、その解決のための話し合いを拒否したというのであれば一体誰のためにやっていたのか?という批判は免れないように思いますね。
しばしば「自分はモンスターじゃない!正当な抗議をしているだけだ!」と根拠を挙げて一生懸命反論してくださる方がいるのですが、モンスターとかクレーマーとか言う呼称はその抗議の内容が故あることなのかどうかで判断されるものではなく、その抗議のやり方が社会常識を逸脱しているかという点で判断されるものだと考えると、今回の親の行為は明らかにモンスターと呼ばれるべき段階にまで至ってしまっているように思えます。
もちろんたいていの人間は感情を抜きにして対人関係を処理するということは非常に難しいもので、おそらく子供の保護という当初の行動目的が途中から次第にエスカレートして担任攻撃になってしまったんだろうとは想像出来るのですけれども、いずれにしてもこうして話し合いも拒否する、問題行動を一向に沈静化させる様子もないという顧客(親)に対してどういう対応を取るのが正解であったのかですよね。
親としては何より担任のキャラクター自体が気に入らなかったのでしょうから、評論家先生からは初期段階の校長ら周囲の対応への批判はあるのでしょうが、そうは言ってもひとたびこの状況になれば学校側の人間の言うことなど親も相手にする気にもならないでしょうから、エスカレートしきってしまった段階となると現状では訴訟にでもする以外に打つ手があまりなかったというのも事実だったのでしょう。

目的も手段もどこからどう見ても反社会的という本物のモンスターなんてものはそうそう多いものでもなく、もちろん根っからの本物である場合には容赦なくあらゆる手段を使って反撃するのに躊躇しませんが、大多数の顧客はちょっとしたトラブルのこじれから結果としてモンスターになってしまったと言う側面があって、相手の脇が甘いからと容赦なく反撃して叩きつぶすというのも何かしら釈然としませんよね。
当初の目的がどうあれ、ひとたび感情的対立が一線を越えてしまうともはや当事者間での話し合いでまともな決着がつくとも思えませんから、こういう場合に不毛な訴訟合戦に至る前のもうワンクッションが欲しいところなんじゃないかと思いますが、医療の世界においては例えばADR(裁判外紛争解決手続)なんてシステムが昨今整備されつつあって、双方の感情的対立のこじれた場合に第三者が仲立ちをするようになっています。
こうした紛争解決システムは医療以外に用いても全く構わないのですが、専門性の壁もあって極端な当事者間の情報の偏在が存在する医療と違って、教育という現場ではしばしば親と教師との間にさほどの知識の差がないことが逆に千日手じみた対立を招いている気配もあって、早い話が親が教育にうるさい場合ほど「あんな青二才教師の言うことなど信用できるか!」といった類の感情的対立も根深そうですよね。
そして、例え紛争が解決したとしても治療が終われば病院との付き合いも終わる医療と違って、公立学校などでは基本的に卒業するまで地元の学校に通い続けなければ仕方がないわけですから、何よりもこうした大人同士のトラブルによって子供の教育環境があり得ないほど悪化してしまうだろうことは想像に難くありません。

そうして考えていきますと文句があるなら医者を変えればいいだけの医療と比べると、自分で好きで入った私立はともかく公立の学校では少しばかり保護者側に配慮のある紛争解決のあり方というものを考えていくのがフェアなのでしょうし、何より事が起こった後の生徒、児童に対する十分な救済措置というものは考えていかなければならないのでしょう。
医療の場合は何かあった場合に責任を取って元に戻せと言われても無理である場合が多いわけで、逆に言えば最終的にはお金で解決するしかないという場合がほとんどであるわけですが、教育と言うことであれば何度でもやり直して正しい道に戻ることが出来るでしょうから、そうした子供の救済のためのシステムを構築していくのが今後学校側に課せられた責務ということになるのでしょうか。
しかしまあ、教育現場も医療現場と同様に多忙すぎて細かい配慮の部分まで手が回っていないという側面が濃厚にあるようですが、きちんと子供の救済策まで考慮していけるくらいのゆとりある状況になってくれば、自ずからモンスターの出現する確率も激減してくるのかも知れません…と考えていくと、なんだそれも医療の世界と同じような状況ってことですか。

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2011年1月19日 (水)

閑話休題 とある調査を見ての雑感

まったくどうでもいいような話なんですけれども、全国千人の医師を対象に行ったというこんな調査が先日出ていたんですが、これをどう解釈すべきなのかちょっと考えてしまいました。

診療科イメージランキング(2011年1月11日日経メディカル)より抜粋

知ってるようで、意外と知らない他の診療科。
自分の科も、他科からは結構色眼鏡で見られていたりする。
医師1000人を対象に「診療科イメージ調査」を実施
キャラクター、モテ度、懐具合などに関する各科の印象を尋ねた。
少々ムッとするような内容が含まれていても、あくまで“イメージ”なので笑ってお許しを。

 穏やかできまじめな内科系、せっかちだが陽気な外科系─。今回の調査では、そんなイメージがはっきりと浮かび上がった。

「温和な人が多そう」の1位は、ダントツで小児科。2位は精神科で、これも3位以下を大きく引き離している。子どもやその両親、精神的な悩みを抱えた人など、繊細な対応が必要とされる患者と辛抱強く付き合うケースが多いからだろう。

 小児科は、「医局の雰囲気が良さそう」でも4位に入っている。「温和」というイメージが好印象につながったのかもしれない。

 一方、「短気な人が多そう」のトップは胸部・血管外科で、2位の消化器外科の1.5倍のポイントを集めての“独走”。生死にかかわる緊急症例を扱うことも多く、納得できる結果ともいえる。また、胸部・血管外科は、短気な印象からか「医局の雰囲気が悪そう」でも1位に。

 「きまじめな人が多そう」は内科系が上位を占め、トップは循環器内科。ただし、循環器内科は他の内科とは若干異なるイメージを持たれているようで、外科系が上位に名を連ねる「短気な人が多そう」「医局の雰囲気が悪そう」でも、それぞれ3位、2位に食い込んでいる。内科とはいえ、心臓カテーテルなどの処置を手がけ、緊急対応も多いことから、外科と似たイメージが漂うようだ。

 

「アバウトな人が多そう」のトップは整形外科で、これも2位を大きく引き離している。整形外科はまた、「社交的で陽気な人が多そう」の2位で、「医局の雰囲気が良さそう」は1位。おおらかで明るいというイメージが、医局への好印象にもつながっているのだろう。

 消化器外科も、整形外科と似たイメージが強い。「アバウトな人が多そう」では2位、「社交的で陽気な人が多い」では1位。同じ外科でも、胸部・血管外科や脳神経外科とは少々異なるテイストを感じさせるようだ。

自由意見欄から

●「同じホテルの別の会場での忘年会。内科はスーツ姿、外科はコスプレだった」(34歳、皮膚科)

●「整形外科、泌尿器科の先生は飲み会の場で脱ぐのが好き」(34歳、整形外科)

●「おとなしく几帳面だった人が、消化器外科に入り明るく気の強い雰囲気を醸し出すようになったり、チャラチャラしていて授業にも出なかった人が、血液内科に入り研究を始めた途端、英文ペーパーを大量に出し学年トップレベルになったしまったり・・・。診療科は人を変える」(51歳、総合・一般内科)

●「外科系の医師の駄洒落は、時に苦痛。勉強会の時の病理の先生や小児科の先生の熱心さには頭が下がります」(52歳、消化器外科)

●「脳神経外科は自信家が多い。患者を紹介する際の印象は、総じてあまり良くない」(48歳、消化器内科)

●「放射線科には、物静かな先生が多い」(41歳、循環器内科)

●「自分が所属する消化器外科は、“外科の王道”という意識から他科を見下しがち。内科系の先生方は、やはりまじめで勉強熱心な印象。ただ、少々話しかけづらい雰囲気があり、コミュニケーションに困ることがある」(31歳、消化器外科)

●「精神科医には変わった人が多いような気がします」(51歳、消化器内科)

得票を見ていておもしろいのは、医局の雰囲気などはどの科も大差ないドングリの背比べ状態なんですが、例えば「温和そうな人が多いのは?」という質問に対して小児科が圧倒的支持を得ていたり、同様に「短気そうな人が多いのは?」という問いに胸部・血管外科がこれまた二位以下を圧倒していたりと、妙に固定観念が根強い領域もあるらしいんですね。
個人的に頷いてしまったのは「アバウトな人が多そうなのは?」という質問に対して、独走状態で一位を獲得したのが整形外科であったということなんですが(苦笑)、医局の雰囲気も一番いいという評価ですから決して悪い評価というわけでもない…んでしょうね、たぶん…
こういう調査、医師同士で調べるのと一般人に問うのとではずいぶんと結果も違いそうな気がするんですが、そもそも一般人においては呼吸器内科と消化器内科の違いも特に意識していなさそうにも思えますから、設問自体が成立しないという可能性も高いんでしょうかね?
さて、どうせなら「最も忙しそうな診療科は?」なんて調査もやってみればよかったのにとも思うのですが、先日見ていてこれもおもしろい調査だなと思ったのがこちらの記事です。

医師の出勤時間 正規の診療開始時間の30分~1時間前 3人に1人と最多(2011年1月17日ミクスonline)

医師限定コミュニティサイト「MedPeer」を運営するメドピアはこのほど、医師の出勤時間に関する調査結果をまとめた。正規の診療開始時間の30 分~1時間前が33%と最多。次いで開始時間の15分前が24%、15分~30分前が21%――だった。書類整理やメールチェックなどを30分程度行っているようだ。また、開始時間の1時間~2時間前が18%、2時間以上前も4%いて、予約外来に伴うカルテチェックのため5時間前に出勤しているとの医師もいた。MedPeer会員は約3万4000人。

調査は昨年の12月10日~23日に実施した。有効回答数は2598件。調査は会員医師が他の会員医師に日常診療などの素朴な疑問を聞き、回答を得るもの。今回は施設への出勤時間を聞いた。

その結果、最も多かった正規の診療開始時間の30分~1時間前と回答した医師からは、「前日の病院日誌、夜間の入院患者と救急患者、当日の予定、メールチェックなど」(60代、消化器外科等)、「朝8時までに集合し、前日実施した画像検査を全員でチェックしている」(40代、整形外科等)、「入院患者の回診のみなら30分で済む。カンファレンスなどがあると1時間以上前」(40代、脳神経外科)、「メールチェックや書類整理など」(30代、一般内科等)、「電車が止まるなどの事故に備え約1時間前に到着」(40代、一般内科等)――などのコメントが寄せられた。

15分前との回答医師からは「外来のみの仕事だから」(50代、皮膚科)、「子供と過ごす時間をとるようにしているため、ギリギリの出勤」(30代、小児科)、「早い出勤だとスタッフに嫌がられる」(50代、眼科)、「公立病院勤務につき、公務員として始業直前勤務。もちろん終業も勤務終了直後」(40 代、一般内科)――などが見られた。

一方、1時間~2時間前では、「医局の雑務処理」(50代、産婦人科)のほか、「外来業務の前に入院患者の回診と指示を済ませたい」(50代、一般内科等)や「医師が指示を出してはじめてコメディカルが動ける」(50代、整形外科等)など通常業務がスムーズにいくためとのコメントも目立った

医者の世界と言いますととかく残業が多い、勤務時間が長いとどこの病院でも不平不満が渦巻いていますけれども、もちろん絶対的業務量が多いという背景事情もあるにしても、見ていますとひどく時間の使い方が下手な先生と言うのもいらっしゃるようで、その仕事のやり方では確かに帰るのが遅くなるだろうなと傍目からでも思えるような場合も結構あるものです。
以前にとある先生が見ている限り絶対に残業をしていないように見えるのが不思議で、一体どんなことをやっているのかと観察していたことがあるのですが、確かに仕事自体も決断が早く手も良く動く先生ではあるんですけれども、何より一日の業務量を見極めて仕事の多い日には必ず早出出勤で始業前に出来る仕事を片付けてしまっているという点が印象に残りました。
医者の世界においては仕事のこなし方をきちんと系統立てて教わるということもあまりないことですが、ビジネスの世界では早起きして早朝から仕事を始めなさいということは様々なノウハウ本などでも必ず言われていることですし、自分の仕事の時間配分を自分できちんとマネージメント出来ているという姿勢は上司の信頼にも結びつくものですから、学ばない手はありませんよね。

研修医や若手の先生によく見られるパターンですが、毎日夜遅くまで病棟に居残ってへとへとになって帰宅する日々が続いている、そして毎日のように遅刻しそうになりながら朝食も取らずに始業時間ぎりぎりに駆け込んでくるということでは、それは一日の始まりから負けが確定しているようなもので、一生懸命頑張っているのは判るんですが一番効率は悪い仕事ぶりですよね。
多くの病院では検査や処置と言った複数の人間、部署が関わる業務はなるべく9時から5時のコアタイムに入るようにしていると思いますが、逆に言えば病棟回診や翌日以降の指示出しといった一人で出来る業務はいつやっても良いわけですから、何も一日の仕事が終わった後に空腹を抱え疲れた足を引きずり低血糖で働かない頭をさらに酷使して、病棟巡りなどといういつでもいい仕事をしなくてもいいだろうということでしょう。
例えば朝一番で入院患者のチェックを済ませ、夜の間に変化があればその場で追加の指示を出すなり、出勤してきた上司や他科医と相談するなりしておけば通常業務と同じ流れでほとんどの場合に対処出来るわけで、一日で一番頭の冴えている朝と疲れ果てた夜とでは同じ仕事をこなすにしても効率がまるで違うはずですし、何より夜間や時間外にバタバタと指示出しをしていた頃に比べると看護師はじめスタッフの視線は必ず好意的なものになってくるでしょうね(苦笑)。

ただし一般に勤務時間帯以後の仕事は超勤の対象になっても、勤務時間帯以前の仕事は(絶対に、というわけではないようですが)普通対象にはなりませんから、その点では少しばかり損をしたような気になるかも知れませんけれども、正しいリズムで要領よく仕事をこなせるようになれば一日を通しての空き時間は必ず増えるはずですから、かえってお得だという考えも出来るんじゃないでしょうか。
「それで、空いた時間に何をすればいいの?」という仕事中毒の先生もいらっしゃるかも知れませんが、そういう時こそ「ぐりとは何か?」とその理解と研鑽に努めるというのが当「ぐり研」のそもそもの趣旨なのですから、日本全国にぐり研の精神が広がっていけば世の中もっと平和になるんじゃないかという野望も、あながち的外れなものでもないのかも知れません(笑)。

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2011年1月18日 (火)

医療の黒船?

今や制度的にも様々な問題が山積していることが誰の目にも明らかになり始めた日本の医療、とりわけ国民皆保険制度下での医療と言うものを、半世紀前から続く古いシステムのマイナーチェンジを繰り返すばかりでひたすら延命を図るということも一つの考え方ではあるのでしょうが、逆に考えて見ると抜本的なシステムの改変を図るには今という時代こそまさに良いタイミングであるとも言えるんじゃないかと思います。
医療崩壊などと言う言葉が一般マスコミにもごく当たり前に取り上げられるようになって、今や国民的にもどうやら医療というものはうまくいっていないらしいと言う認識が出てきたからこそ、それを正すために一時の不便を忍んでくださいという言い方もしやすいはずなんだと思うのですが、どうも肝心の医療関係者の方で「今の体制だけは何としても死守しなければ」と硬直思考に陥ってしまっている気配がありますよね。
こういう視野狭窄を起こしてしまうと「現状で手一杯なんだから新しいことなんて何も出来ない」となってしまいますから、とりあえず良い悪いは別として外圧という形ででも強制的に一度システムをリセットしてしまうということも必要なんじゃないかと言う気がしますし、その意味で昨今各地で相次いでいる地域医療の崩壊という現象も、医療体制の抜本的な再編成の好機として前向きに捉えるべきなのではないかとも考えています。
さて、そうした医療を取り巻く状況の中で、今までにない医療のあり方として国の主導で推進され、昨今急速にその体制整備が進んでいるメディカルツーリズムですが、先日もこういう記事が出ていました。

日光の観光医療 中国人ら月40人受け入れ(2010年11月16日読売新聞)

独協医大、月末にも本格始動

 栃木県日光市内の温泉ホテルと提携し、外国人旅行者向けの人間ドックを行おうと準備している独協医科大日光医療センターが、11月末にも中国・台湾人を中心に、受け入れを本格的に開始する。

 近く大手旅行会社と契約し、1か月に最大約40人を受け入れる態勢とする。同センターは住民の診療を優先するため、外国人には当面、治療は行わない方針だが、県内の医療関係者からは「地元患者の診療が後回しにされないか」といった懸念の声もある。

 同センターが外国人向けに行う人間ドックは1泊2日。血液検査や胃内視鏡検査など標準的な人間ドックを行う「スタンダードコース」、全身のがんを調べる陽電子放射断層撮影(PET)も加えた「プレミアムコース」など4コースを設け、料金は8万4000~27万3000円に設定した。

 料金は日本人の人間ドックよりそれぞれ1、2万円高いが、中国人看護師による通訳や、中国語で検査結果の書類を作成する必要経費と、旅行会社の仲介手数料の分だという。中元隆明・同センター院長は「外国人から過大な料金を取れば利益主義と批判されかねないので、日本人とほぼ同じ料金にした」と強調する。

 外国人の受け入れは月曜~水曜に限り、人数は1週間で最大9人の予定。受診者に治療が必要と診断された場合は、同センターが連携する上海の同済大学付属同済医院などを紹介する。

 外国人向け人間ドックを始める理由について、中元院長は「日光の観光振興に医療機関も協力すべきと考えた」と話す。これに加え、非都市部での病院経営の厳しさも背景にある。

 同センターは、2005年度に廃止された国立の珪肺(けいはい)労災病院から土地・建物を委譲され開設。観光客が多数訪れる日光に救急医療機関を残すため、県などが独協医大に要請した。しかし地域医療は不採算の場合が多く、同医大は病院を維持していくため、人間ドックと観光を結び付けた事業を開始。10月9日には国際観光医療学会も発足した。

 一方、日本医師会は医療ツーリズムは医療のビジネス化が進む恐れがあるとして、反対の立場だ。県医師会の太田照男会長も「病院が経営維持のために医療ツーリズムに取り組むのはやむを得ないが、懸念もある。MRI(磁気共鳴画像装置)やPETは、検診より一般患者の診断を優先すべきで、倫理観をもって行ってほしい」と話している。同センターには今後、年間400人以上の外国人が人間ドックを受けに訪れる可能性もある。地域医療との両立の可否が注目される。

観光とセットでという点は医療ツーリズムとして別に目新しいものでも何でもないのですが、この記事を見ていていままでの記事と少しばかり違った空気を感じる人もいるんじゃないかと思いますが、その理由として何やらずいぶんとネガティブな側面を強調したかのような記事になっている点に気がつきます。
前身が前身だけにいかにも田舎の公的施設という面影を残す同センターですけれども、外来表などを見ても大学からの非常勤医派遣で何とかしのいでいるという気配が濃厚ですし、立地を考えても純然たる医療施設としての経営は簡単なものではなさそうだなと想像できますから、病院存続のために新たな収入源を模索するのは地域医療存続のために褒められこそすれ、批判されるような話でもないと思うのですけれどもね。
推進する国にしてももともと医療と言う技術を売って外貨を稼ぐという政策であり、同センターにしても経営のためにやる業務に今さら利益主義云々もどうなのかですけれども、例えば地元民優先のために外国人への治療は行わずドック業務だけに専念しますなんて言い訳めいたことを言っていたりとか、医師会から「倫理観をもって行ってほしい」なんてお小言を頂戴したりだとか、地元から注がれる視線はずいぶんと厳しそうですよね。

地元としては元々国の療養所があって医療体制には恵まれていた、それが廃止された後も「いやうちは観光客も多いのでね。立派な病院がないと困るんですわ」と大学まで巻き込んで施設を温存した、そういう意味では確かに今まで地域医療の勝ち組であったわけですが、いつまでも分不相応な施設を抱え込みたいという一方で病院の自助努力も否定するというのでは外部からはどう見えるかということですよね。
あるのはゴルフ場ばかりの田舎に200床の病院が存在しているという不自然さは見て見ぬふりをしてきた、もちろんその経営がどうなっているかという視点も全く無い、ただ病院の診療体制が少しでも以前より悪化するのは困る、赤字?そんなものは自分らで何とかしろ、何のために大学を関わらしているのだという考えであれば、失礼ながら世間を知らなすぎると批判されても仕方がないとは思います。
そういう観点で見ると国策の一環として堂々と保険外診療に手を染められるようになってきたと言う現状は、亀田などを筆頭とする一部病院にとっては非常に大きなビジネスチャンスであって、多かれ少なかれ地域医療にも影響を及ぼさずにはいられないのかも知れませんが、一方ではそれに対する批判の声も何も日医や読売に留まるものではないらしいのですね。

医療滞在ビザ/国内事情と整合性図って(2011年01月17日河北新報)

 外国から日本に長期間滞在して最先端医療を受けられる「医療滞在ビザ(査証)」が新設され、今月中にも発給が始まる。
 シンガポールやタイ、韓国などが中国、中近東などの富裕層を受け入れて経済活性化、観光客増加を図る「医療ツーリズム」を推進しており、日本も国際的な風潮から乗り遅れまいと制度を整えた格好だ。
 医療滞在ビザの創設は、菅直人政権が昨年6月に閣議決定した新成長戦略に盛り込まれた。高度医療から長期療養、人間ドックまであらゆるサービスを実施、特に画像診断などで多くの需要が見込めるとしている。
 「強い社会保障」の下、医療分野を新たな産業に育てようという狙いがある。だが、国内では勤務医不足や診療所の縮小などで、目の前の患者の対応にも追われる状況にある。
 難病に悩む外国人を救うことに異議はないが、最初から大掛かりに展開するより、人道的な観点から受け入れを始めるなど国内事情と整合性を取りながら慎重に進めてもらいたい
 これまでは最長90日間滞在できる短期ビザでの入国だった。長期入院には期間延長が必要で、手続きの煩わしさから一昨年、長期滞在したのは約100人にとどまる。医療ビザは、滞在期間を最長6カ月間とし、1度取得すれば3年以内に何度でも出入国できる。
 利点の一つは医療機関の経営改善。長く医療費抑制の傾向が続き、収益確保に苦しむ病院にとって保険外の自費診療は魅力が大きいとされる。
 日本が強みを見せるのは充実した医療設備だ。診断に使われる磁気共鳴画像装置(MRI)、検査や治療に用いられる内視鏡などの普及度はかなり高い。
 外国人を受け入れ、検査機器などの市場を開拓することで、医療産業のすそ野を広げ、ひいては人材育成、雇用創出につなげる。政府が成長戦略に位置付けた理由もここにある。
 しかし、そんなにすんなりと事が運ぶのだろうか。国による診察システムの違い、薬の継続的な投与、言葉の問題に起因する医療過誤の恐れなど、いくつもの不安要因が思い浮かぶ。
 医療ツーリズムによる経済効果も明確さに欠ける。何より国民皆保険制度の日本で、富裕層への高額な診療が混在することへの懸念がある。
 一部の医療機関が利潤追求に走る事態を招かないか。日本医師会は「市場原理が入り込み、地域間格差が拡大しかねない」と慎重な見解を表明し、拙速な対応にくぎを刺す。
 経済力にかかわらず医療を受けられる公平性、利潤を第一の目的としない倫理観の確立。受け入れに当たって、共通のコンセンサスを確認しておく重要性を指摘しておきたい。

マスコミが普段からさんざんバッシングしてきた日医のコメントを錦の御旗に掲げるのもおもしろい現象だなとは思うのですが、国としては医療を経済成長の原動力となるように産業として大々的に養成していくという基本方針が先にあり、その一端として外国人富裕層からもお金を稼げるシステムを作りましょうと言っているわけですから、今さらお金持ち相手の商売はケシカランもずいぶんと的外れな批判ではないかという気がします。
しかしよくよく見てみますと本当に批判したいのは外国人相手の金儲けがどうこうではなく、大きな利益が見込める保険診療外の医療が拡大すれば既存の皆保険システム下での医療がおろそかになるのではないかということのようですから、何のことはない日本人の既得権益をゆるがせにして外国人相手の医療などとんでもないじゃないかという妙に後ろ向きな話であるようですね。
その背景にある医療は決して儲けてはいけないし、目の前に儲けるための道があっても華麗にスルーしていなければならないという発想の是非はともかくとして、当然ながら国としては今さら何を?という話ですから、ますます医療によるお金儲けのための道を拡大することに熱心であるようです。

病院を丸ごと輸出 中露などに官民で開設へ、来年度10件着手(2010年1月17日産経新聞)

 日本の高度な医療技術や機器、サービスの新興国向け輸出を振興するため、政府はモスクワや北京、カンボジアのプノンペンなどで官民共同による医療センターの開設に着手する。来年度中に救急病院や内視鏡施術施設など10件前後の決定を目指す。医療機器のほか、運営やサービスのノウハウを含めた日本方式の病院を丸ごと輸出。医療需要が高まっているアジアや中東、東欧などの新興国市場を開拓し、国内の医療産業を活性化する。

 政府は医療・介護・健康関連産業を昨年6月に決めた新成長戦略の柱の一つに位置付けており、病院の輸出と訪日外国人への医療サービスの提供を合わせ、2020(平成32)年までに約1兆円の経済効果と5万人の雇用創出を見込んでいる。

 病院輸出プロジェクトでは、経済産業省ががんや循環器の治療、内視鏡施術、再生医療など日本が得意とする分野で、新興国への進出を希望する民間の医療機関や医療機器メーカーなどを募っている。

 すでに「モスクワ内視鏡施術センター」(仮称)のほか、北京や広州の中核病院やプノンペンに開設される救急病院の中に「日本医療センター」(同)を設ける案件について、具体的な調整を進めている。来年度から準備に入り、数年内にオープンする予定だ。

 センターには、日本から医師や看護師らを派遣するほか、医療機器だけでなく、ベッドや内装などの病院設備、食事などを含む運営システムを提供。日本の医療方式を現地で普及させることにより、継続的な需要獲得につなげることを狙っている。

 政府は、現地が必要とする医療ニーズや市場価格などを調査するほか、医療過誤などの紛争処理の現状など課題を洗い出し、進出を支援する態勢を整える。また、具体的な開設にあたっては、現地の政府機関との許認可などの交渉も担当する。

 政府は、医療関連産業の活性化に向け、1月に日本で病気の治療や健康診断などを行う外国人と付添人に最長で半年間の滞在を認める「医療滞在査証(ビザ)」を創設したほか、外国語による医療情報の提供なども拡充する。こうした外国人の誘致による医療ツーリズムの促進と病院の輸出を2本柱とし、成長や雇用創出につなげる考えだ。

しかし正直何事に付けて腰の重い政府がこの段階でこうまで話を進めてきていたということには驚きを感じますけれども、考えて見るとかねて国内市場の先も見えている医療業界において不満を募らせてきた日本の医師達にとっては、決して悪い話ばかりでもないのかなという気がします。
日本の医療水準が世界的に見てどうなのかという点については諸説ありますけれども、例えば内視鏡なんて分野ではテクニック、テクノロジーの双方において間違いなく世界トップ水準であると言えますから、少なくとも進出先の国を選んでの商売であれば十分売り物になりそうですよね。
かねて医療崩壊だと叫ばれる中で嫌なら辞めろとばかりに逃散が叫ばれてきた経緯がありますが、国外への逃散という究極的な選択枝をこうして国が全面的にバックアップしてくれるということであればありがたい話でもあるし、こうして行き場を確保しておくことは国内市場においても発言力の強化につながるんじゃないかという気がします。

何にしろ保険診療専門でやっている限りにおいては医療の統制はますます厳しくなっていく一方でしょうし、ひと頃の医療崩壊阻止のための医師厚遇という流れから今後時間を追う毎に医者にとっては労働条件改善の要求を通しにくい状況になっていく中で、これもまた一つの使える好機として捉えていくという視点が必要であるということでしょう。
相変わらず日医などはますます医者に対する締め付けを強化することにばかりに熱心ですし、自分達の手を離れた医者が勝手に商売するなんて許さないという立場を強化していますから、当然ながらこうした国の方針に対しても近々反論を打ってくるのだと思いますけれども、その時マスコミ各社がどうするかという点にも興味が集まりますよね。
マスコミと言えばかねて医師会=医者の既得権益を擁護する悪徳業界団体としてバッシングを重ねてきたもので、「医療のことはよく判らないが、医師会がこうすべしと言ってるからとりあえず反対しておこう」なんて態度も露わにしてきたことは今さらではありませんけれども、まさか今さら口をぬぐって日医と共闘なんて路線変更をしてくるなんてこともあっていいはずがありませんよね(苦笑)。
そして地域ぐるみで無為に医者を抱え込んできた国民にとっても、閉鎖された島国の中で「医者の常識は世間の非常識」とまで言われてきた日本の医者達が、こうして世界水準の医療に触れ世界の常識を学べるようになるということは全く悪い話ではないはずですから、国民総出で日の丸の小旗を片手に送り出すくらいの度量は示してもいいんじゃないでしょうか。

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2011年1月17日 (月)

時代はどんどんと変わっていくはずですが

本日まずはかねてからの懸案という話題の続報を二つばかり紹介しておきますが、最初にこちらの記事からいってみましょう。

新上野原市立病院:土地改良区が同意 造成工事着手へ /山梨(2011年1月13日毎日新聞)

 3月の本体工事着工が計画されている上野原市の新市立病院について、周辺道路造成予定地に水路を持つ地権者の上野原土地改良区(理事長・奈良明彦前市長)は12日、理事会を開き、市が造成工事で土地を使用することに同意した。造成工事は昨年11月に着手予定だったが、改良区の反対でストップしていた。周辺道路は本体着工に不可欠。今回の同意で、新病院建設が前進することになった。

 奈良理事長は記者会見で「同意しないと、国の耐震化工事など補助金約10億円がもらえず、新病院が建設できなくなる」と説明した。補助金は3月末までに着工すれば交付される

 会見によると、理事会には江口英雄市長が出席し、奈良理事長に「新病院建設の諸手続きで、市の不手際から、多大なご迷惑をかけ、誠に申し訳ありません」とする文書を提出。文書には、奈良理事長が同意の条件とした上野原医師会との和解について「(医師会と)協議しているが理解をいただいていない。医師会の理解を得るよう鋭意努力を重ねる」と記されていた。

 江口市長は「奈良理事長らに感謝する。医師会とも協調し、12年春の新病院開設を目指す」とのコメントを発表した。【福沢光一】

上野原市民病院の話題は過去にも何度か取り上げていて、先日は新病院造成工事開始のための条件であった市と医師会の和解を医師会側が断固拒否しているということをお伝えしましたけれども、どうやら市側が歩み寄ると言う路線で決着しそうな気配ですね。
医師会のメンツはともかく新病院の今後ということから考えると、一番の問題はかねて不採算となる事が確実視されている産科や循環器救急といった市長のごり押し項目がどうなるのかでしょうが、もはやここまで後退に次ぐ後退を続けてきた市長としても今さら「いや、あれはやっぱりやりますから」などと言い出せば、病院計画自体が頓挫しかねないというくらいの空気は読んでもらいたいものです。
それなら病院の指定管理者である地域医療振興協会の言うことを最初から聞いていれば良かったという話なんですが、一連の新病院問題は医療と言うものが地方自治体における票集めにも非常に大きな影響力を持つようになった時代にあって、現場の経営努力や方針を無視して自治体首長が「自治体病院ですからあれもやります!これもやります!」と好き放題言って回ることに非常に大きな警鐘を鳴らした事例と言えるのでしょうね。

さて話はかわって、先日は大阪高裁で「当直は労働時間である」という一審判決を支持する判断が示された県立奈良病院の産科医による民事訴訟ですけれども、どうやら原告たる産科医側はさらに攻め込むつもりであるようです。

産科医割増賃金訴訟:産科医側3回目提訴 08、09年割増賃金支払い求め /奈良(2011年1月14日毎日新聞)

 県立奈良病院(奈良市)の産婦人科医2人が、夜間や土曜休日の宿日直勤務を時間外労働と認めないのは違法として、県に04、05年分の割増賃金の支払いを求めた訴訟を巡り、産婦人科医側が新たに08、09年分の割増賃金約5000万円の支払いを求めて奈良地裁に提訴したことが、訴訟関係者らへの取材で分かった。提訴は昨年12月30日付で一連の問題では3回目

 04、05年分については奈良地裁が09年4月、宿日直勤務を時間外労働と認め、県に計約1540万円の支払いを命じ、大阪高裁も昨年11月、地裁判決を支持、原告・被告双方の控訴を棄却。県が上告している。

 また、06、07年分についても、産婦人科医側が計約1億円の支払い求めた訴訟が奈良地裁で係争中。産婦人科医側は3回目の提訴をしたことについて「時効が成立するため」としている。

 県と同病院は昨年7月に労使協定を締結。医師の時間外労働は年間1440時間を上限とし、特別な事情があれば協議の上でさらに360時間延長できるとした。荒井正吾知事は昨年12月、細川律夫厚生労働相に対し、法整備などを含め、医師の夜間や休日勤務について全国的に対応するよう要望している。【高瀬浩平】

おそらく自らは訴訟を起こさないまでも、全国各地で多くの勤務医が心情的に両産科医の応援をしているのではないかと思いますが、いずれにしてもこうした訴訟の場における奈良県当局の主張の数々が明らかになっていくほどに、同県の聖地としての地位はいや増そうと言うものですから、他府県に対しての以て他山の石とするべき教訓としてもこの訴訟の意味は小さいものではありませんよね。
何よりネット時代に入ってから他業種との情報交流がようやく進むようになり、全国の勤務医が次第に「あれ?俺たちってまさかとんでもない非常識なことやらされてる?」と気付くようになった、その一連の流れに対して司法の場での判断が裏付けをしていっているわけですから、今後同様の境遇にある勤務医達にとって法廷に持ち込めばかなり高い確率で勝てそうだと言う確信を与えることになったんじゃないでしょうか。
考えて見れば医者という専門職は希少価値もあれば伝統的に売り手市場でもあって、本来なら労使交渉において相応の発言力もあるはずですが、いままではそうした交渉自体に興味がなかったということなのか、勤務条件や給与なども含めてただ黙って言われた通りに働くという場合が多かったのですが、いつまでもそうした「医者の常識は世間の非常識」が通用するわけにもいきません。

今の時代には医者は聖職であるなんて特権的?意識は否定されていて、医者も世間並みの常識を身につけなければならないという声が主導的ですから、これまた世間並みにきちんとした契約に基づいて労働を行い、その対価として正当な報酬を要求するということは当たり前のことなのでしょう。
ちょうどネット上から始まった医者の意識改革とちょうど相前後するように、長年「白い巨塔」などと世間で言われてきた大学医局の権威の否定や、新臨床研修制度導入による新卒医師の流動化が進んだ結果、医者が自分で病院と交渉し自由に仕事を得るという世間並みのスタイルが急速に一般化しつつあるのは非常におもしろい現象だと思いますが、一方ではそれに対抗するような動きもあるようなんですね。
特権的地位を剥奪されつつある大学医局が意外にさばけていると言いますか、これも時代の流れと割り切っているらしいのと対照的に、近年「全ての医者は医師会へ加入せよ」だの「開業の資格を得るためには僻地勤務を義務づけるようにせよ」なんてなりふり構わぬ主張をしていらっしゃる日医などは、いっそ清々しいほどの態度で医者に新たな首輪を付けて回ることに熱心であるようです。

臨床実習に国家ライセンスを-日医が改革案(2011年1月12日CBニュース)

 日本医師会は1月12日の定例記者会見で、医学部教育から初期臨床研修までの教育研修の在り方についての制度改革案の骨子を示した。骨子では、医学部 5、6年生が行う臨床実習で医行為を行うために、国家ライセンスを取得することを義務付けるとしている。改革案は、今月にも正式に発表する。

 改革案は、医師の教育研修の在り方の問題点を把握するために、日本医師会総合政策研究機構(日医総研)が都道府県医師会の会長や大学病院の教育関係者など37人にインタビュー調査を実施し、その結果を踏まえたもの。

 改革案は、▽医学部教育における臨床実習のライセンス化▽医師国家試験の臨床への集中▽初期臨床研修における初期対応力養成を基本とする柔軟なコース設計-の3本柱。

 臨床実習については、日医総研の調査で、医療事故の際の責任の所在がはっきりしないことなどを理由に、実際に医行為を行う実習が不足していると指摘する声が上がった。これを受け、改革案では医学生が臨床実習に進むために国家ライセンスを取得しなければならないとした。ライセンスの取得には、必要不可欠な医学的知識を問う「CBT」、症例への具体的な対応が求められ、技能・態度が問われる「OSCE」に合格しなければならないとしている。
 また、実際に医療事故が起きた場合に、医学生個人の責任を問わなければならないケースがあると指摘。国家ライセンスを取得した医学生には医師賠償責任保険への加入を義務付けるとしている。医賠責保険については、日医が運営している一般医師向けのものを拡大して臨床実習生にも提供する仕組みをつくるとした。

 このほか、国家試験については、臨床面に焦点を当てるとしている。一方、初期臨床研修については、初期処置能力獲得を共通の目標に設定し、それが達成されるかぎりは柔軟なコース設計が可能としている。

日医さんもかねて医師教育についても今後持論を展開しますよなんて予告はしていましたけれども、蓋を開けてみればこういうことを言い出すというのですから開いた口がふさがらないと言いますか、相変わらず何をどう考えているのか理解しがたいようなところがありますよね。
そもそも臨床実習に進むために国家ライセンスが必要であると言うのであれば、当然ながら臨床実習の始まる以前の四年生末までに必要不可欠な医学的知識だの症例への具体的な対応や技能・態度が身についていなければならないわけですが、こうしたものはいままで五~六年生の臨床実習期間を通じて身につけていたものです。
当然ながら二年間分を前倒しするということになれば臨床実習に必要な能力を身につける前提となる基礎医学的知識はそれ以前の段階で身につけておかなければならない、となれば従来そうした時期に行われていた一般教養などはどうなるのかという話で、要するに医学部というところを医療以外何らの知識も教養も持たない人間を量産するだけの国試予備校化したいと言うことなんでしょうか?
事故の際の責任の所在が云々と言っていますが、そうした責任論と医療知識、技能の問題は全く別な賠償保険の領域であることに加えて、そもそも医師免許を取得してもいない医学生に医療事故の責任を問われるような実習を行わせることの是非も問われるわけですが、一体日医が何をどう考えてこんな話を出してきたのかということが気になります。

わずか37人へのインタビューで決めたというこうした内容が日医内部においてもどの程度のコンセンサスを経て形成されてきたものなのかも判りませんけれども、例えば昨今話題の救急隊への教育の必要性などといった話の流れで臨床研修向けのライセンスを創設すべしなんてことであればまだしも理解できますが、あまりにも唐突すぎる提案の意図がいったいどこにあるのか疑問の余地無しとしません。
下世話な考えをするならば、このシナリオの中で医賠責保険に関しては日医御用達のそれを医学生にも適用しようと言うことですから、なるほどそのあたりに何かしらの利権構造でも発生するのかとも推測されますけれども、こうした医師教育改革案の出所が大学関係者はともかく、都道府県医師会会長などというおよそ教育研修ということに関しては最も縁遠そうな人々であるというのはどうなんでしょう?
医者がようやく旧来の因習を離れて自由になりつつあるという時代に、改めて医者に自前の首輪を用意しようと昨今の日医が一生懸命努力されているのは判るのですが、その究極的な目的が医者の世界における日医という組織の特権的地位確立などという小さく邪なところにあるのだとすれば、これはどう考えても多くの支持を得られるようには思えません。

ところでこんなことを言っていても世間では日医って、医者の利権団体か何かのように言われているらしいんですが(笑)、どこの世界の業界利権団体だよと思わず突っ込みたくなる主張の数々を思い返して見ると、なるほど医者の常識は世間の非常識とはこういうことかとうなずけるところはありますかね。

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2011年1月16日 (日)

今日のぐり:「長十郎 本店」

先日何気なく見ていて、思わず脱力してしまったのがこちらのニュースです。

あまりにも狭い部屋で踊る素人美人がネットで人気爆発! (2010年12月18日ガジェット通信)

あまりにも狭い部屋の、あまりにも狭いスペースで、あまりにもカワイイ声で歌いながら、あまりにもキュートなダンスを踊る美女がインターネット上で話題となっています。

その美女の部屋はベッドやストーブ、ぬいぐるみなどがギッシリと置いてあるため、どう考えてもダンスには不向き。彼女は、そんな狭すぎる部屋でダンスを踊り、そのようすをパソコンで録画して『ニコニコ動画』に掲載しているのです。

しかもこの美女、かなりのドジっ子なのか、ストーブに足をぶつけて大転倒! うまくダンスをはじめるまでに何度も撮り直ししているのです。しかし多くのインターネットユーザーたちにドジっ子ぶりがウケたのか、撮影を失敗しているのに大絶賛されるという事態に発展。なんと、『ニコニコ動画』の「踊ってみた」のランキングで1位に輝いたのです。

さらに、この美女のドジっ子ぶりは続きます。なんと、パソコンから流れている音楽の音量がとても小さいため、美女の歌声だけが響くという状態になっているのです。なんとも非常にシュールな動画になっています。しかしこういう天然な部分は、プロのアイドルにはない素人特有のモノといえるでしょう。彼女はブログ『はみがきしたならうがいをするよ! やみんブログ』( http://ameblo.jp/kurage-yaming/ )もやっているようなので、覗いてみてはいかが?

詳細はリンク先の動画を見ていただければ一目瞭然なんですが…まあなんと言いますか、世間に流出させるまえにせめて編集するなりもう少し自分を飾れよと言いますかね…
今日はちょっとその行為は人としてどうなのよという話題を紹介してみたいと思いますが、まずは情けないと言えばあまりに情けないというしかないこちらの記事からいってみましょう。

【海外こぼれ話】侵入した民家で深酒 警察に助け求め、男を逮捕(2011年1月7日産経新聞)

 米デラウェア州の当局者によると、男(44)が侵入先の民家で酒を飲んで酔っぱらって外に出られなくなり、警察に助けを求める電話をかけて逮捕された。

 男は裏窓から侵入。民家は留守で、男は数日とどまって飲酒。飲みすぎたため、よじ登って窓の外に出ることができなくなったという。

 男は以前にもこの家に侵入。これを受け、住人は鍵がないと外に出られない仕掛けにしていた。(AP)

おい常習かよ!という話なんですけれども、こうまで対抗措置を講じてもなお侵入せざるを得ないほどの魅力がこの家にはあるということなんですかね…
こちらはタイトルだけを見てみますといろいろと想像をかき立てられるニュースなんですが、よくよく読んでみますと思わず「本物かいっ!」と突っ込んでしまいたくなるような話題のようです。

マレーシア人男性、「悪魔」の妻との離婚を切望/マレーシア(2011年1月6日ロイター)

[クアラルンプール 6日 ロイター]  自分の妻が「悪魔」だと霊媒師に告げられたマレーシア人の男性が、殺されるのを恐れて離婚したがっている。6日付のスター紙が報じた。

 同紙が妻ロウさんの話として伝えたところによると、工場長の夫は離婚を望んでいるほか、2人の10代の子供たちと会うことも拒んでいる。妻が自分を殺すために、子供たちを利用するのではないかと恐れているようだ。

 クアラルンプールで行われた記者会見で、ロウさんは「霊媒師は夫に、私がこの15年間のろいをかけていたと告げた。夫は私が毒をもっていると信じ、家では食べ物や飲み物を口にすることも拒んだ」と語った。

 ロウさんによれば、この霊媒師は借金まみれで、夫は子供たちの預金を引き出していたという。

 マレーシアでは、人々が信仰療法師や霊媒師、呪術医などから個人的な問題や仕事のことについて、霊的なアドバイスを受けることはよくある。

 しかし、詐欺や性的嫌がらせの苦情が増え続けており、マレーシア政府は、信仰治療師の保健省への登録を義務づける法案を検討するとしている。

妻が悪魔だなんて言いますといろいろと想像もするところですが、この場合はどうやら悪徳宗教にも通じるような話であるようで、さすがにこうまで入れ込んでしまうのもどうかということでしょう。
同じく女絡みの事件と言えばドイツからこんな話題が出ていますけれども、こちらの方は悪魔ならぬ女王様ということであったようです。

「女王様から罰を受けていた・・・」男性奴隷が巻き起こしたテロ騒動/ドイツ(2011年1月9日世界の珍ニュース)

「女王様」の命令により、屋外で「奴隷」トレーニングを行っていた男性が、テロ騒動を巻き起こしていたことが分かった。

警察によると、キャットスーツに身を包み、ガスマスクを着用したこの男性「奴隷」は、「罰」として雪の積もった路上を転がり回るよう女王様に命じられたという。しかし通行人の一人が、苦しそうにあえぐ「奴隷」を見て、「テロリストの毒ガス攻撃を受け死にかけている」と勘違いしたことから警察に通報。警察が大規模なテロ警戒態勢を敷くまでに騒動は拡大してしまった。

結局、男性の事情聴取によって誤解は解けたが、「奴隷」と「女王様」は公の場で「プレイ」をしないよう警察から警告を受けたという。

また今回、男性は自分の意志で「プレイ」を行っており、法に触れる行為はしていないことから立件は見送られた。

ある警官はこの男性「奴隷」について、「彼が女王様から受けている罰に比べたら、どんな法的罰則も軽いものだ」と述べている。

奴隷氏がどういう状況であったのかは元記事の写真を参照していただければと思うのですが、なんと言いますか何故ガスマスクなんでしょうねえ…
こういう話題と言えばまずはブリの独壇場と相場は決まっているものですけれども、海外においてまで自分達の天然極上ぶりを晒して回る心境というのは何なんでしょうね?

自分を神だと思い込み宿舎前で大声を上げて騒いでいた英国人を保護、パッタヤー/タイ(2010年11月14日報道動画)

 各報道によると、13日0:00過ぎ、チョンブリー県パッタヤー地区内の宿舎前で、上半身裸になって大声を上げて騒いでいたイギリス人男性(47)が警察に身柄を確保され病院に搬送された。

 当時男性は自分を神だと思い込んでおり、大声を上げながら神に化身しようとしていたという。

 宿舎のオーナーによると、約3ヶ月前に男性が宿舎に住み始めてから連日のようにタイ人女性や麻薬を使用していると思われる仲間を部屋に連れ込んでいたが、当日はまるで麻薬中毒者のように宿舎前で上半身裸になり騒ぎ始めたという。

元記事の方には動画もあるんですけれども、周りで見ているおまわりさんたちもあからさまに関わり合いになりたくなさそうな顔をしているのが何なのかですよね…
ブリと言えばジェームズ・ボンドで有名なお国柄ですけれども、リアル世界のジェームズ・ボンドはちょっと大丈夫なのか?と思うような失敗も多いようですね。

変装したイギリス諜報員、BBCインタビュー中にツケヒゲが取れる/イギリス(2008年9月25日らばQ)

MI6と言えば、あの007のジェームス・ボンドなどで知られるイギリスの諜報員がいる組織です。

正式名称は「イギリス情報局秘密情報部」、つまりは世間で言うところのスパイとして知られ、身分を明かしてはいけません。

映画の世界のような話ですが、実際にどんなスパイ活動を行っているのか謎に包まれています。

ところが先日、そのMI6のエージェントが、サングラスに口ヒゲで変装してBBCのインタビューを受けていたところ、なんと途中でこのヒゲが取れてしまったのです。

スパイの変装が公衆の面前でバレることくらい恥ずかしいことも無いと思うのですが、インタビュー開始時はテレビカメラの前で、きれいに揃えた口ひげを付けていました。

それが以下の写真です。
※決してコントではありません。

繰り返し言いますが、これはBBCのインタビューであり、組織の秘密諜報員が正式にテレビカメラで撮影されるのは初めてだったそうです。

接着が甘かったのか、重力に負けたのか、ヒゲはだんだん下のほうにずれていきます。照明の熱も手伝ってかどんどん接着がゆるんでいったのです。

レポーターの一人が無視できなくなり、「口ひげがとれかけてるよ」と伝えると、「そうなるんじゃないかと思った」とうまくかわして、完全に取り去ったそうです。

自分で取らなくても床に落ちるのは時間の問題でしたが、慌てず騒がず、実に落ち着いていたと言います。

取り去ったヒゲはポケットにしまったそうです。彼は20年以上MI6に所属しており、50代前半と見られています。写真はあまりきれいではありませんが、レポーターは「本物の口ひげだと思った」と伝えています。

写真を見る限りかなり怪しいのですが…、どうなんでしょう。

インタビューの内容ですが、

# イギリスの有名大学在学中にヘッドハンティングされた
# 家族は彼の仕事について…大人は知っているが子供たちは知らず、一定の年齢に達したら教えるつもり
# この仕事に就いた頃は、誰にどこまで話していいか非常に気を使った
# 逆に外国の諜報員からスパイされ、監視されることもある
# 007のように初日からアストン・マーチンの車が与えられるわけではなく、かなりの知性を必要とする
# ジェームス・ボンドのように人を殺すライセンスはないが、エキサイティングな仕事である

と答えています。

ヒゲが取れたのは収録中の出来事で、実際の放送ではヒゲが取れたところは放映せず、顔も映さないそうです。

007の映画のようではないと言いつつも、こんなにベタな変装が剥がれるところは別のコメディ映画のようですね。

いや、例え放送しようがしまいがこうして極東の島国にまで画像付きで配信されたのでは同じことではないかという素朴な疑問はあるのですが、まあこれもブリ故にということなんでしょうか。
こちらもかなり意味不明の話なんですが、まあブリだからと何となく納得してしまいそうになるのは自分だけでしょうか?

屋外風呂のある家ばかりを狙い犯行前に入浴する泥棒、現場にはパンツを残していく(2010年12月17日GigaZiNE)

ホットタブ(屋外に設置されたジャグジー風呂)のある住宅を狙い盗みに入る前に風呂に入り、金品を盗難した後ぬれた下着を残して行くという奇妙な家宅侵入・盗難事件がイギリスで相次いで発生し、ホットタブのオーナーたちを恐怖に陥れています。

ホットタブを設置している家は裕福な場合が多いため狙いをつけているともとれるのですが、普通の泥棒なら速やかに侵入し速やかに立ち去りたいと思われる犯行現場でなぜゆったりと入浴していくのか、被害者も警察も首をひねっているようです。

詳細は以下から。

'Hot Tub Gang' gets clean away after targeting homes with outdoor spas - Telegraph

「ホットタブ・ギャング」とあだ名される強盗グループはランカシャー州Oswaldtwistle周辺の地域で少なくとも4軒のホットタブ付き住宅に侵入し、入浴したのち合計数千ポンド(数十万円)相当の金品を奪ったとのこと。

ランカシャー警察のSimon Holderness巡査部長は「ここ数週間、ホットタブのある住宅の庭で異常な事件が発生しています。この地域では盗難発生件数はここ13年で最低となっていて、めったに事件が発生しない治安のよい地域であるだけに、これは笑い事ではなく深刻な問題です」と語っています。

最も最近の事件2件は、隣接した2軒の新築ホットタブ付き住宅で発生しました。両方の家でホットタブには普段はフタがしてあるのですが、事件の際フタは外され、庭用の家具は投げ散らかされ、ぬれた下着が残されていました。なお、Holderness巡査部長によるとこれらの下着が法医学捜査に回されたかは定かでないとのことです。

Oswaldtwistleで、近隣の家から離れた一軒家に住むAshleyさんとCherieさんのDeakin夫妻は、昨年2人の40歳の誕生日を祝ってホットタブを購入したそうです。「ホットタブ・ギャング」は夫妻と息子のNathaniel君(16歳)が夜寝ている間に塀を越えて庭に侵入し、ホットタブで入浴したのち家へ入り42インチのプラズマテレビや任天堂Wii、携帯電話やノートパソコン、財布など合計3500ポンド(約46万円)以上相当の金品を盗難したとのこと。

「家に泥棒に入る前にホットタブにつかるなんて度胸試しのようです。その厚かましさには驚かされました」と被害者のCherie Deakinさんは語っています。「泥棒は可能な限り素早く静かに住宅へ出入りしようとすると普通は思うでしょう。でもこの泥棒たちは違います。もしかすると快感のためにやっているのかもしれません。快感のためにスカイダイビングをする人たちがいるように、他人の家へ侵入しホットタブに漬かることを楽しんでいるのかもしれません」

犯人はまだ1人も捕まっていないそうです。

しかし度胸試しなのか愉快犯なのかははっきりしませんけれども、せめて自分の下着くらいは自分で片付けていった方がいいんじゃないでしょうかね?

今日のぐり:「長十郎 本店」

福山市の外れは東福山駅前にある、こちらは懐石料理のお店ということになっているようですが、何か個人的には寒い季節に鍋を食べる店というイメージがあります。
今回もやはり寒い季節に鍋を食べるということになってしまったわけですが、もちろん鍋以外にも色々と料理は出てくるので構わないと言えば構わないんですけどね。
ちなみに見た目も結構大きな店で店内も広いんですが、各席はほどよく仕切られていて静かに飲食したいという向きには悪くない造りで、まあ実際ちょいと立ち寄ってさっと食べて帰るという店でもないのでしょう、それなりにお客の入った時期でも落ち着いた雰囲気であるのはいいと思います。

席について料理が出てくるのを待っていますと最初に出てきたのがぬたと刺身なんですが、ぬたの方は個人的にちょっと苦手なんですが味は嫌みがなく案外食べられる、刺身の方もありふれたネタながら角が立って普通にうまいんですが、ただ最近甘口の醤油に慣れていたということなのかこちらの醤油はずいぶんと辛く感じられましたね。
そんなこんなでちびちびとやっていますと例によって出てきたのが鍋なんですが、こちら珍しく博多風の水炊きを出してくるお店ということで、この濃厚な白湯スープにたっぷりと入ったホロリと崩れる鶏肉のうまさもさることながら、やはりスープ自体が楽しめるというのはいいですよね。
こういう水炊きですと締めはそうめんなのか?と思っておりましたらラーメン、しかも博多ラーメンっぽく細麺ではなく比較的太打ちの麺というのは少なからず意表をつかれましたが、少し煮詰まりかけたこの濃厚スープに合わせて食べると悪くないですし、確かに低加水の細麺ですとこうして大勢でつつきながら食べるにはちょっと不向きなんでしょうね。

ただこれで締めなのかと思い込んでいましたらさらに巻き寿司が出てきたりするのは胃袋的に困ったものですが、太巻きの方は味の組み立ては悪くないものの少しばかり安っぽい作りで、確かに主食的に食べるにはいいんでしょうが今さらこの段階でご飯ばかり食べて腹を膨らませても仕方がない気分ですし、マグロの細巻きの方は最後の締めにはさすがに濃すぎてもう結構というところでしょうか。
味の方はともかく、こんな感じで何しろやたらに量が多いのが印象的なんですが、何やら少なからず無理矢理にボリュームを水増ししてる気配があるのはこういうお店の顧客層を考えるとどうなのかですし、そんなことをするくらいならさらっとお茶漬けでもあった方がまだ良かったかなという気がして、せっかくの鍋の後で少なからず不満が残ったのは残念でしたかね。
ところで個人的にはこういう店でのサービスというのは過不足なしというのがベストだと思っているのですが、悪気はないんでしょうが仲居さんに何でもかんでも手を出されると自分のペースで好きなようにという鍋の楽しみが奪われる気がして、いいからちょっと放置しといてくれないかと思ってしまうのは自分がせっかちなせいなんでしょうか(苦笑)。

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2011年1月15日 (土)

聞こえてきた終焉の足音

先日以来ネット界隈で話題になっているのが、1月10日の読売新聞朝刊に掲載された山崎正和氏の対談記事なんですが、問題になっている箇所というのがこちらなんだそうです。

山崎正和氏「ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある」(2011年1月10日読売新聞)より抜粋

もう一つ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、「責任を持って情報を選択する編集」が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある

これだけを見ていると知的訓練とか責任とか、マスコミと最も縁遠さそうな言葉が並んでいて、まあいやしくもネット時代の人間であれば「お前が言うな」と言いたくなるような話であるのは確かなようですね。
ネット上に公開もされていない紙面だけの記事ということで、またぞろ情報源と言えば新聞・テレビだけという情報弱者の方々を狙ったマスコミお得意の洗脳戦略なんだろうなと思っていたのですが、世間では山崎氏の妄言としてさんざんな言われようをしている中で、「新小児科医のつぶやき」さんの検証によればどうやら山崎氏は単に読売に利用されただけではないかという気配もあるようですね。

知的訓練が十分為されている読売(2010年1月11日ブログ記事)
より抜粋

さて寄り道をしましたが、いよいよ問題個所です。まず感じるのは、どうにも全体の構成で浮いている感じが禁じ得ません。言ってみればそこに入る必然性が非常に乏しいと感じます。いや全体の構成からして不要の段落としても差し支えないと思われます。もうちょっと言えば、無くとも全体の文章にはまったく影響がありません

文章の中で結末部と言うのは色んな役割を果たします。全体の構成により変わりますが、結論部として存在する事が多いですし、結論部の後の補足みたいな時もあります。あえて言えば、今回は結論部ではなく補足部とするぐらいは解釈可能です。補足部と言っても、文章全体からすると、第四次産業育成のための学校教育変更と言うか、充実の結論の補足です。

それが何故こんな形であるかです。この記事は上記した通り、聞き手が読売記者であり、書いたのも読売記者と判断できます。問題個所をよく読んで欲しいのですが、

       もう一つの心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、「責任を持って情報を選択する編集」が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある。

このうち間違い無く山崎氏が発言しているのは、

      「責任を持って情報を選択する編集

ここだけです。後はすべて記者が書いたものです。後は信用の問題になりますが、「」付の引用部以外の記事がどれほど信用が置けるかです。山崎氏の他の主張の部分から推測しても、この部分の主張はかなり浮いていると感じるとしましたが、どうにもここでマスコミ万歳が出るとは信じ難いところがあります。山崎氏の事もまったく存じ上げませんが、知的訓練を受けた人間がマスコミをこう評価するとは思えないからです。

どうもですが、微妙にニュアンスが違う言葉を組み替えた気がしてなりません。(略)どう考えてもブログやツイッターを一網打尽に貶める発言したとは想像し難いですし、ましてやここまでマスコミを無邪気に持ち上げたとも考えられないからです。

現在76歳の劇作家で同方面への評論活動でも知られるという山崎氏ですから、実際のところネットというものに対してこの程度の認識しか持っていないということであっても何ら不思議はないのですが、逆にブログだ、ツイッターだといった用語を一応は知っている上でこの程度の認識であれば今どき相当痛い人物ということになってしまいますから、確かに文化部植田滋記者の創作である可能性も少なくないでしょうね。
植田記者についてちょっと調べて見ますと歴史関係などいかにも文化部っぽい仕事が中心のようで、山崎氏とのつながりは頷けるにしてもこういう方面にさほどの意見がありそうな人物には見えないのですが、どうも読売という会社は最近「ツイッター禁止令」なんてものまで出しているらしく、どうやら結末部分に社としての意見が濃厚に反映された記事であったということのようです。
数年前に国立病院に関わる情報流出絡みでネット禁止令なんてものが出る騒ぎがありましたが、要するにマスコミ業界でもそれだけ流出しては困る情報が流出しているということなのでしょうが、逆にいえばそれだけ社員の忠誠心が低下しているということでしょうから、ましてや社外の人間におけるマスコミ諸社への信用度の低下は言うまでもないことですよね。
近頃では小沢一郎氏が既存のマスコミではなくネットを通じて声明を発表したり、先日も広島市の秋葉市長が引退の表明をネット上で行うにあたって「一部のマスコミは自分の作ったストーリーに合わせてコメントを利用する。信頼をおけない」とまで言い切ったことが注目されましたが、とうとうこの流れに総理まで乗ったというのですからマスコミ各社としては気が気ではないでしょうね。

支持回復狙い「生の姿」、小沢氏も意識 首相ネット出演(2011年1月8日朝日新聞)

 菅直人首相が7日、インターネットの生放送に出演した。ネットの生放送に現職首相が出演するのは初めてという。支持回復を狙ってのことだが、視聴者からは「国民の声を聞いて」「具体的に話して」という声が多く寄せられた。発言や映像を編集するという理由で既存メディアを嫌う政治家のネット発信は増えるが、対応を誤れば厳しい批判が瞬時に押し寄せる

 7日午後7時半。ネット上に背広姿の菅直人首相が現れた。「生の私の姿を伝えたいと思って出ました」と切り出し、約1時間半にわたって宮台真司・首都大学東京教授(社会学)らに自らの政治哲学を語った。

 ニュース専門インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」の番組だ。別のネット動画配信サービス「ニコニコ動画」(ニコ動)でも流され、ニコ動では7万3千人が見た。

 「いろんな思いが伝わらないことで、気持ちがなえるんです」。菅首相は終了間際、短命で終わった過去の首相たちの辞任理由をこう推し量った。一方で「私は徹底的にやってみようと思う」と政権運営への意欲も見せた。

 今回の出演は、首相本人の強い意向で実現した。首相には、昨夏の参院選での消費税発言が「大手マスコミを通じて誤解されて伝わった」との思いが強い。

 視線の先には、対立を深める民主党の小沢一郎元代表がいる。ネットへの露出で、小沢氏は先行する。

 昨年9月の党代表選で菅氏に敗れて以降、ネットメディアにすでに4回出演。一方で地上波テレビへの出演はほとんどなく、大手新聞や通信社の取材は、一貫して避けている。「政治とカネで、大手メディアから徹底的なバッシングを受けてきた」(側近議員)との強い不信感がある。

 「メディアは旧態依然で発想が古くさく、勉強していない。だから僕はネットに出る。ストレートで真実が直接伝わるからいい」。小沢氏は5日放映された衛星放送の番組でこう語った。(金子桂一、松田京平)

    ◇

 「ビデオニュース・ドットコム」があるのはJR目黒駅そばのマンション一室。リビングを改装したスタジオだ。

 新聞とテレビの総理番記者はスタジオに入れず、17人が1階ロビーに置かれたテレビで中継を見つめた。

 局を運営する「日本ビデオニュース」代表で、この日の番組で司会を務めた神保哲生さん(49)は「ネットが、総理にも出てもらえる情報の伝送路としてようやく認められた」と話した。首相の「なえる」発言については「台本に沿って時間通りに終わってしまうテレビでは引き出せない言葉だった」と言った。

 「権力監視」の役割をネットメディアも担えるかについて問うと、「メディアが多様化した現在では、権力を直接監視するだけではなく、視聴者が監視するための材料を提供する立場もあっていいのではないか」と語った。

 

記者会見を拒否し、動画投稿サイトで退任理由を語った秋葉忠利・広島市長など、政治家のネット利用は増えている。この動きをリードしてきたのがニコ動だ。昨年11月の「小沢一郎ネット会見~みなさんの質問にすべて答えます!」はこれまでに22万5773人が視聴している。

 広報担当者によると、ニコ動は従来、アニメやゲームなどサブカルチャー的な内容が主流だった。

    ◇

 生中継の間、簡易ブログ「ツイッター」上では、視聴者のコメントが首相に直接届かない番組づくりに視聴者の不満が多く書き込まれた。

 「伝えるだけで、意見を受ける気はないってことだ」「自分の意見がカットされないところに出たいわけね」

 この番組の形式は元々、ツイッター上の質問を菅首相に直接投げかけるものではなかった。またニコ動の売り物である視聴者の意見が画面上に表示される仕組みも使えなくなっていたからだ。両社によると、番組を製作したビデオニュースの放送スタイルにあわせたという。

 一方で「生出演したことは評価できる」「首相の一定時間の沈黙が、いろんな意味で考えさせられた」と評価する声もあった。

 ネットメディアに詳しい評論家の浜野智史さんは「首相の声が編集されずに1時間以上続く番組はテレビでは不可能で、その意味では画期的。ただ、国民の声を聞きたいといいながら双方向性は生かせなかった」と話した。

 浜野さんは今後の番組作りに期待する。「即時的なコメントは、視聴者のガス抜きにはなっても政策論議は深まらない。本当の意味で意見を集約できるあり方が求められる」

 既存メディアのあり方も問われる。ブログ「ガ島通信」を主宰するジャーナリストの藤代裕之さん(37)は「ネットの登場で、権力者は言いたいことを思うように言える場を得た。権力監視の役割を果たせるか、既存メディアの胆力が試される」と指摘する。(福井悠介、仲村和代)

こういう動きは非常に興味深いと思うのですが、以前から政治家や著名人といったマスコミのターゲットにされてきた人々の間からは「マスコミは自分のシナリオに沿って切り貼りした言葉を垂れ流しているだけ」という声はさんざん出ていて、その結果例えばひと頃のイチロー選手のように当のマスコミから「マスコミ嫌い」などとレッテル張りをされるくらいに、沈黙によって抵抗を示す人も出ていたわけです。
言い換えれば当時はマスコミのやり方が気に入らなくとも単に口を閉ざすくらいしか対抗手段がなかったわけですが、おかげでひと頃はイチロー選手=陰気で無口な人間なんてイメージがさんざん流布されたものですけれども、今のようにネットなど直接マスコミ外で情報を流せる時代になると、そんなイチロー選手がいつの間にか好感度第一位になっているというのも非常におもしろい現象だと思いますね。
政治家なども今や与野党問わず「権力監視の美名の元に、何を言ってもマスコミは揚げ足を取って叩くだけ」という不満は強いのでしょうが、どちらかと言えば野党時代からマスコミに乗せられる(あるいは、相乗りする)形で政権の座についた民主党政権からしてこういう状況になったとなれば、今後政権の行方がどうなろうとマスコミにシンパシーを感じる政治家など日本にいなくなっていく可能性もありますよね。

最近はマスコミにバッシングされた人間がネット上で直接に事の真相を語るなんてことは全く珍しくなくなりましたが、政治家にしろ著名人にしろ大事な話はまずネットを通して直接国民に語りかけるというスタイルが定着してくると、いよいよマスコミの存在意義というものは時代に乗り遅れた情弱な人達相手の商売に限られてくるということになりそうですね。
そして今の若い世代は物心ついたときからずっとネットの存在が当たり前になっているわけですから、今後はますますこうした傾向は加速されていくのは確実ということで、それは必死で子供の洗脳にでも取りかからなければ先行きが危ないと危機感を募らせもするのでしょう。

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2011年1月14日 (金)

判りにくい話はまとめてみました

一体これは何が起こっているのかと誰しも思うのが最近のNHK次期会長の人選を巡る一連の騒動なんですが、とりあえず時系列の順に件の人物の名が出てくるところまでを見てみることにしましょう。

不祥事発覚時の幹部除外=次期会長の条件-NHK経営委(2010年12月7日時事ドットコム)

 NHKの経営委員会は7日、来年の1月24日に任期満了を迎える福地茂雄会長の後任をめぐり、人選を議論する指名委員会を開いた。次期会長の条件として、2004年の番組制作費の不正流用など、不祥事が発覚した当時のNHK幹部は除外することで一致した
 会合後に記者会見した小丸成洋経営委員長(福山通運社長)は「次回(21日)までにある程度の方針を出したい」とした上で、NHKの内外を問わずに人選を進める考えを強調した。
 小丸委員長はこれまで、福地会長の続投が望ましいとの考えを示しており、この日も「気持ちとしては(続投してほしいとの思いは)ある」と語った。(2010/12/07-19:31)

福地会長の続投断念=NHK経営委(2010年12月21日時事ドットコム)

 NHKの経営委員会(委員長・小丸成洋福山通運社長)は21日、次期NHK会長の人選を議論する会合を開き、来年1月に任期が切れる福地茂雄会長の続投を断念することを決めた。同委が続投を要請したが、福地会長が固辞した。各委員が推薦した複数の候補者の中から後任を絞り込み、同月12日に決定する。

NHK会長に安西前慶応塾長(2010年12月29日時事ドットコム)

 来月24日に任期が切れるNHKの福地茂雄会長の後任に、慶応義塾前塾長の安西祐一郎氏(64)が就任することが29日、固まった。人選を行うNHK経営委員会の打診に対し、安西氏が受諾の意向を伝えた。同12日の経営委に諮り、12人の委員のうち9人以上の賛成を得て正式決定する。
 経営委は今月上旬、福地会長が続投を固辞したことを受けて後任選びを本格化。経営改革を進めるためには外部出身のトップが望ましいとの意見が多数を占め、企業経営者や学識経験者を軸に人選が行われた。
 この中で、政府の教育再生懇談会座長や文部科学省の中央教育審議会委員を務め、豊富な学識経験を持つ安西氏が候補の筆頭に浮上した。アサヒビール出身の福地会長に続き、2代続けて外部出身者がNHKのトップに就くことになる。会長の任期は3年間。

とまあ、高齢の前会長が再任を固辞した結果、昨年末の段階では無難に安西氏就任ということでまとまっていたかのように見える報道ですけれども、ここでとりあえず注目しておいていただきたいのが数々の不祥事を受けてということなのでしょう、今回の会長選任に関してはとにかくゴシップに縁遠い、身辺のクリーンな人間をという意志が強く働いていたらしいということですよね。
しかし表向きは経営改革を進めるためと言いながら、慶応の塾長を二期務める間に巨額の損失を計上した(そして後任者に代わった途端に損失が激減した)というように経営手腕に優れるという評判も聞かない安西氏の名を出してきたあたり、今回の(今回も?)会長人事に関してはまず実力や実績よりも、表看板としての掲げ甲斐という点の方を重視して選考が進んだらしいという想像が成り立ちそうです。
もちろんその看板としての価値というものは外受けの良さなどもさることながら、掲げる側にとって無害であるという点も非常に重要な要素であったものと想像するのですが、どこで何を間違ったのか年明け早々にシナリオがあっさり崩壊してしまったのは各社報道でご存知の通りで、その発端はこんなところにあったようです。

NHK経営委「安西新会長」に賛否二分(2011年1月7日産経新聞)

 NHKの新会長人事をめぐり、5日に開かれた最高意思決定機関の経営委員会(委員長・小丸成洋福山通運社長)の臨時会合で、慶応義塾前塾長の安西祐一郎氏(64)の会長任命に対して賛否が二分したことが6日、分かった。安西氏は経営委の就任要請を受諾する意向を示したとされるが、受諾に際して会長交際費などについて尋ねたことが一部の委員の不信を買っており、人事の行方が注目される。(草下健夫、三宅陽子)

 経営委は11日の会合で再び安西氏の新会長任命について議論し、委員12人中9人以上の賛同が得られれば、12日に安西氏に正式に就任を要請する。

 複数のNHK関係者によると、昨年暮れに経営委から就任要請を受けた安西氏は、受諾に当たっていくつかの質問を経営委側に投げかけ、その中に、(1)都心に居宅を用意できるか(安西氏は神奈川県在住)(2)副会長は自分が連れてくることができるか(3)会長の交際費はあるのか-の3点が含まれていたという。

 

安西氏が受諾の意向を示したことがNHK内に伝わった際に、この3点を安西氏が会長就任の「条件」として示したとする見方が広がり、波紋を呼んだ

 NHK幹部の一人は「質問なのか、条件なのかは分からない」と前置きしながら、「交際費のことを最初に聞くとは。福地茂雄現会長はそういうことに関心を寄せなかった」と戸惑いの表情を見せる。経営委員の一人は「不祥事があれば謝り、国会で責任を追及されるのがNHK会長の仕事。ボランティアの側面があり、処遇を先に気にするようで務まるのか」と不信感をあらわにする。

 また、安西氏が塾長在任中の平成20年度決算で、269億円の支出超過となったことなども、「経営者」としての手腕を不安視させる要因となっているようだ。

 経営委で9人の賛同が得られなかった場合、会長人事の焦点は、2番目の候補とされた早稲田大前総長の白井克彦氏(71)らに移る。ただ、福地会長の任期切れは24日に迫っており、経営委はより厳しい立場に追い込まれる。

混迷するNHK経営委 会長人事・安西氏辞退(2011年1月11日朝日新聞)

 24日に任期満了を迎えるNHKの会長人事で、任命権をもつNHKの経営委員会は、次期会長に前慶応義塾塾長の安西祐一郎氏(64)を起用する案を撤回することを決めた。同委員会が一度は決めた会長人事を翻したのは、NHK関係者の間で広まった「3条件」の話がきっかけだった。

 安西氏が、経営委からの就任要請を受諾したのは昨年12月27日。当初は安西氏が固辞していたこともあり、委員の間では安堵(あんど)の空気が広がった。ところがこの直後から、安西氏が就任にあたって「交際費の使用」など三つの条件をつけたという話が広まる。一部のスポーツ紙や週刊誌などにも掲載されたこともあり、一部の委員が安西氏起用に異論を唱え始めた

 安西氏は即座に「事実無根の話が広まっている」と小丸成洋委員長に抗議。5日の非公式会合でも委員の前で全面否定した。しかしその会合の安西氏がいない場で、安西氏の擁立を進めてきた小丸委員長が「実は安西氏のことをよく知らない」と発言し、さらなる紛糾を招いた。

 「知らない人に任せられない」。経営委が安西氏に受諾撤回を迫った理由はこの一言につきる。だが、「知らない」人物に公共放送のトップに就くよう求めたのはほかならぬ経営委であり、無責任のそしりをまぬがれない。

 経営委は11日午後から改めて人選に入るが、難航は必至だ。24日までに新会長が決められなければ、放送法の規定により、福地茂雄会長が緊急避難措置として会長職にとどまることになるが、その可能性も現実味を帯びてきた。(丸山玄則)

NHK会長人事、白紙に 安西氏、異論受け辞退(2011年1月11日朝日新聞)

 24日に任期満了を迎えるNHKの会長人事で、次期会長への就任を受諾していた前慶応義塾塾長の安西祐一郎氏(64)が11日、会長就任を辞退した。任命権をもち、就任を要請していたNHKの経営委員会が態度を一転させ、辞退を迫ったためだ。いったん経営委の総意で決めた人事が、経営委側の意向で白紙に戻る異例の事態となった。

 記者会見した安西氏は「経営委員会に対する不信は頂点に達した。会長就任を不本意ながら拒絶する」と語った。辞退の理由については「いわれなき中傷を含む風評に依存して動く経営委員会であれば、会長に就任してもNHKをさらによいものにするのは困難であると判断した」と語った。

 一方、経営委の小丸(こまる)成洋委員長(福山通運社長)も別に記者会見をし、「安西さんには大変ご迷惑をおかけした」と釈明した。異例の事態を招いた自身の責任については「会長の選択を、まだやらせていただきたい」と述べた。12日に、会長の選任方法を改めて議論するという。

 経営委は当初、11日からの会合で安西氏の会長就任を正式に議決する予定だった。ところが一部の委員から異論が出たため情勢は流動化。小丸委員長ら3人は10日、安西氏に会い、経営委で議決に踏み切った場合、否決される可能性が高まったと伝えた。

 その際、安西氏には受諾を撤回するよう促した。安西氏はいったん回答を保留したが、一夜明けて辞退を決意し、小丸委員長に伝えた。

 経営委は昨年12月の委員会で、小丸委員長が推薦した安西氏に会長就任を求めることを決めた。ところが、12月27日に安西氏が受諾したあと、会長就任にあたって「交際費の使用」「副会長を連れて行く」「都内に部屋を用意する」の3条件がついたという話がNHK関係者の間に広まり、一部の委員が安西氏の起用に難色を示し始めた。

 安西氏は5日に開かれた経営委の非公式会合に出席し、3条件を全面的に否定したが、委員との溝は埋まらなかった。

 安西氏は記者会見で3条件について「条件を提示した事実は一切ない。仕事の環境について説明を求めたことはあるが、そのことが条件として曲解されたのであれば、曲解されること自体が問われるべきだ」と話した。

「一貫した姿勢ない」安西氏…NHK後任混迷(2011年1月11日読売新聞)

 NHKの福地茂雄会長(76)の後任会長人事は11日、経営委員会が最優先候補として就任を要請し、これを受諾していた慶応義塾前塾長の安西祐一郎氏(64)が就任拒絶を表明したことで振り出しに戻った。

 福地氏の任期満了を今月24日に控え混迷の様相を深めている。

 「会長就任の要請が実は必ずしも経営委員会の総意とはいえないことが判明した」「一貫した対応姿勢をまったくもたない小丸委員長、および風評に依存して動く経営委員会」。

 11日、NHKで就任拒絶の記者会見をした安西氏の発言は、NHK経営委員会の小丸成洋委員長らに対する不信感に満ちていた。

 経営委員会は先月21日の会合で、安西氏を最優先候補として就任要請をすることを決定した。実際、この日の決定について、「候補者が受諾すれば全会一致で賛成することを申し合わせた」と証言する委員もおり、安西氏が就任要請を委員会の総意として受け取ったことは間違いない。

安西氏の就任拒絶「残念な結果」=NHK経営委員長が謝罪(2011年1月11日時事ドットコム)

 NHK経営委員会の小丸成洋委員長(福山通運社長)は11日夜に記者会見し、24日に任期満了を迎える福地茂雄NHK会長の後任人事をめぐり、慶応義塾前塾長の安西祐一郎氏(64)がいったん受諾した就任を拒絶した問題で、「残念な結果になって申し訳ない」と謝罪した。その上で、「24日まで(後任選びを)何が何でもやっていかねばならない」と述べ、改めて人選を急ぐ考えを強調した。
 小丸委員長は、安西氏への就任要請について「できるだけ若い人を選びたかった」と振り返った。10日に同氏に辞退を求めたことに関しては、安西氏が就任に際し12人の委員が賛成で一致することを求めていたが、「要請に応えられなかった」と理由を説明した。
 次期会長の候補には、早稲田大前総長の白井克彦氏(71)、日本郵船前会長の草刈隆郎氏(70)が挙がっている。小丸委員長は、両氏に打診するかどうかについては「12日に議論する」と明言を避けた。

「不祥事があれば謝り、国会で責任を追及されるのがNHK会長の仕事」とはあまりに率直すぎる話ですが、例の三条件なるものが流出してしまった件も含めてどうも安西氏ではゴシップ誌のネタになりかねないという懸念もあったようで、いきなり表看板が泥にまみれることを警戒する気持ちが根底にあったのかなという想像は働きます。
ただ背景の思惑はそれとしても、表だって伝えられる報道の通りに「乗り気でない安西氏に就任を要請、その後今度は手のひらを返して就任辞退を迫る」という話であったのなら、これはどんな裏事情があったにせよ社会常識として話にならないというものですし、安西氏が怒り心頭というのも当然のことと誰しも思うところですよね。
誰がどう考えても非常識すぎる話であるだけに、当のNHK経営委員会にしてもこういう非常識すぎる話には相応の理由提示がなければ「またNHKの不祥事か!」とますます悪評高まることは必至ですから、「処遇を先に気にするようで務まるのか」だの「知らない人には任せられない」だの子供じみた理由ではない、筋の通った説明が求められるという気がしますね。
この点で当事者の話がどうなっているのかが気になるところですけれども、安西氏側の声明が報道各社に送られてきているようですので、まずはこちらから参照してみることにしましょう。

安西氏「風評だけで評価」「不信は頂点」 NHK人事 会長就任「拒絶」の発表文全文 (2011年1月11日日本経済新聞)

 11日、NHK会長への就任を拒絶した安西祐一郎・前慶応義塾長が報道機関に配布した発表文の全文は以下の通り。

 日本放送協会(NHK)会長職について、12月19日に小丸NHK経営委員長から就任の要請がありましたが辞退し、さらに22日にも辞退しました。しかし、12月23日に、NHK経営委員会の総意として、小丸委員長からあらためてNHK会長への就任を要請されました。

 これに対して、私としては任が重すぎるため重ねて辞退しましたが、小丸委員長からその後もさらに要請が続きました。こうした中で、NHKが将来さらに良いものになりそれを通して日本が浮上する一助になればと考え、27日に、小丸委員長および経営委員会の全面的協力を前提とすることの了解を小丸委員長から得たうえで、まったくの善意で内諾の意向を伝えました

 なお、会長就任の要請から内諾時、さらに今日まで、一部報道にあるような条件を提示した事実は一切ありません。内諾するにあたって仕事の環境について説明を求めたことはありますので、そのことが条件をつけたと曲解されて伝わったのではないかと想像しますが、仮にそうであれば、曲解すること自体が問われるべきことだと思います。

 さらに、1月5日午後1時半から開催予定であった経営委員会打ち合わせ会合に出席してほしいとの小丸委員長からの懇請があり、それを受けて、同会合に同日午後2時半過ぎから出席しました。その場で、経営委員会が一致団結してNHK改革に取り組むことがNHKを良くするには必須だということを述べました。また、いくつかの条件をつけたという一部報道は事実ではないこともそこで述べました。これに対して質問はなく、またNHKの将来に対する私の考えに対しても具体的な内容を問う質問はありませんでした

 この間の経緯を垣間見るに、小丸委員長が私に対して会長就任の要請を何度も続けてこられたことが、実は必ずしも経営委員会の総意とは言えないことが判明してきました。また、経営委員の方々は、私のこれまでの経営・学術・教育改革等に関する活動や会長としての私に期待することなどを、十分に理解して要請したと認識していたのですが、実はそうではなく、要請しておいてから後になって、いわれなき中傷を含む風評だけで私を評価するようになったことも判明してきました。その一方で、小丸委員長に申し上げた情報が、曲解された形で流布され続けました。この間、小丸委員長に伝えた情報がまったく曲解された形で流布されることが度々起こりました。さらに、小丸委員長がいったん就任要請をし、私が内諾したにもかかわらず、今度は一転して私に辞退の勧告をするということも起こりました。この辞退勧告については、私は回答を留保いたしました。一部報道にあるような、経営委員会が会長就任要請を撤回したということは、私の知る限りまったくありません

 こうしたことが前提となって、私の小丸委員長および経営委員会に対する不信は頂点に達しました。とくに、一貫した対応姿勢をまったく持たない小丸委員長、および風評に依存して動く経営委員会では、仮に私がNHK会長に就任しても、NHKをさらに良いものにしていくことは困難であると判断します。

 以上に鑑み、今般小丸委員長を通じてNHK経営委員会から要請のあったNHK会長就任につきましては、不本意ながらこれを拒絶することを、小丸委員長に通知いたしました。

 なお、上記の件は、会長選任にかかわる経営委員長および経営委員会への不信と、それに基づくNHK会長就任辞退の理由に関するものであり、NHKの活動全般についての件ではありません。NHKの発展はこれからの日本にとってきわめて大切であり、NHKの活動につきましてはこれからも応援させていただく所存です。

そもそも安西氏擁立は小丸委員長が独断専行で動いているに近いものであった、ところがそれを経営委員会の総意と考えていた安西氏が就任受諾後実際に経営委員会に出てみるとどうも雰囲気が違う、委員は彼に対して最初から白けムードである上に今度は当の小丸委員長までが辞退勧告を出してくるというもので、これでは確かに一緒に仕事をしようと言う気にはなれないという話に見えます。
小丸氏の独断で話が進んでいたらしいことは先の1/11付け朝日の記事によっても判る話で、その上で肝腎の小丸氏が「実は安西氏をよく知らない」なんて言い出したものだから一気に場が紛糾したことは判るのですが、どうも流れを見ると当初は安西氏就任に賛意を示していたはずの委員会の人々が、年末から年始にかけての時期に一気に強固な反対派に回ってきたのかなという印象も受けるところです。
その理由が先に出たような三条件であったのかと考えるといささか情けない話であるような気もするのですが、いったい委員会メンバーの心中で何がどうなっていたのかということを類推するのに産経の記事が参考になりそうです。

迷走するNHK会長人事 小丸経営委員長の責任論も(2011年1月12日産経新聞)

 一度は経営委員会の「総意」で安西祐一郎氏に会長就任を要請しながら、手のひらを返したように要請を事実上撤回し、「就任辞退」を安西氏に求めた経営委員会と小丸成洋委員長。前代未聞の迷走となった人事の背景には、NHKの最高意思決定機関であるはずの経営委員会の混乱があった。

 ■駆け巡った風評

 安西氏によると、小丸氏から最初に会長就任要請があったのは昨年12月19日。「任が重すぎる」として辞退した安西氏に対し、小丸氏は再三、就任を要請。27日に「小丸委員長および経営委の全面的協力が前提」との了解の上で、安西氏は受諾の意向を示した。

 当初は「固辞」が伝えられた安西氏が受諾したことで、経営委員の間には安堵(あんど)の空気が流れたが、28日夜には「風評」も同時に駆け巡った

 「安西氏は会長交際費がどれぐらい使えるか聞いたらしい」「副会長を連れてくることと、都内に居宅をもらえることを条件としたらしい」…。NHK関係者によると、こうした風評は、小丸氏の福山通運側の側近社員を介して広まったとされる。不信はNHK幹部にも伝わり、ある幹部は「週刊誌に最初から書かれるようだと大変なことになる」と危機感を示した。

 ■これまで面識なし

 この風評については、スポーツ紙などが29日朝に報道。安西氏は出席を請われた1月5日の経営委臨時会合の席でこれを否定した。安西氏が小丸氏に決定的な不信を抱いたのも、この席だった。

 「経営委員会が一致団結してNHK改革に取り組むことがNHKをよくするには必須だ」

 会長就任を前提として熱弁を振るった安西氏に対し、経営委員らの反応は微妙なものだった。NHK運営についての考えを具体的にただす質問は出ず、安西氏が風評を否定しても質問は返ってこなかった。

 「就任要請は総意ではなかったのではないか」「私のこれまでの活動を理解して要請したのではなく、要請後になって風評だけで私を評価しているのではないか」…。

 一方の小丸氏は、安西氏と会長の就任打診まで面識がなかったことが判明。委員の一部から「よく知らない人に会長を任せるのか」と批判が噴出した。

 その結果、5日時点で「賛否二分」とされた委員の態度は、10日には「7~8人が任命反対」の情勢となり、12人中9人の賛同が必要な安西会長の任命は絶望的になった。

 関係者によると、安西氏の起用は片山善博総務相の後押しがあったとされる。

 ■総意固めぬまま

 小丸氏は11日夕の会見で、安西氏の会長就任が実現できなかったことを「思わぬことで全く予期していなかった。甘いと言われればそうだと思う」と反省の意を示し、候補者の扱いや人選方法を改めて検討する方針を示した。ただ、小丸氏は昨年11月、福地茂雄現会長が退任の意向を示していたにもかかわらず「続投を確信している」と述べ、今回も、経営委の総意を十分固めないままに、先行して安西氏と接触を重ねていた。こうした行動が混乱の元になっており、経営委内では小丸氏の責任を問う声が高まっている。

 経営委は12日、改めて人選を協議するが、難航は必至。24日までに新会長が決まらなかった場合、放送法の規定で、福地会長が現職にとどまるという緊急避難措置の可能性も出てきた。

「週刊誌に最初から書かれるようだと大変なことになる」と言う言葉を見ても安西氏にまつわる風評なるものが大きく関係していたことは明らかですが、見てみますと報道の形で風評が出たというのが29日朝であり、これに対して委員会内部に風評が駆け巡ったのが28日夜ということで、記事によればリーク元は小丸氏の側近ということになっているようですが、あまりに早すぎるマスコミへの流出も含めてこれは何とも奇異な話に聞こえますよね。
27日に安西氏が受託の意志を示したということですが、経緯を見ればこの段階までは小丸委員長が(委員会の内諾は得ていたとしても)ほぼ独断で動いていたらしいということが判りますから、小丸氏はせっかく一生懸命努力してきた安西氏就任の話を、それが実現しそうになった途端に自らぶち壊したということになってしまいます。
ここで別の推測をするならば、小丸氏の説得によってそれまで固辞を続けていた安西氏がついに翻意した、これを伝え聞いた何者かが正式決定になっては困るとばかりに慌てて風評をリークしたという考え方も成り立ちますが、そうなりますとNHK内のどこか(おそらく委員会以外)に安西氏に対する強力な反対勢力が存在していたということになるのでしょうか。

安西氏に関しては表に出た風評以外にも近々また大きなゴシップが表沙汰になるのでは?という噂もあって、何より会長には外受けの良い表看板に徹することを期待している向きにはそのあたりが意に反したのかも知れませんが、それならそれでこうまでもつれる前に反対の意思表示をしていれば済むことで、どうも経営委員会自体が何者かに踊らされていただけなのか?という気もしてきます。
星新一の作品に「企業内の聖人」という話があって、無能だけれども善良きわまりない男が企業のトップに祭り上げられ結果として会社を救うという物語なんですが、NHK内部で会長職とは単にそうした役割であるという認識があったのだとしたら、年間三千万ものお金を使ってそんなスケープゴート(あるいは、NHKの言うところのボランティアですか)を雇うことにスポンサーたる国民の理解が得られるものでしょうか。
表から見ても裏から見ても斜め上としか言いようのない事情が明らかになっていくほどに、いったいこの巨大組織の内部に潜む闇はどれほど深いものなのかと改めて思い知らされるような気がしてきます。

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2011年1月13日 (木)

増やせば増やすだけ楽になる?

先日出ていた何ともめでたいというニュースがこちらなんですが、まずは記事から紹介させていただきましょう。

新見に弁護士新事務所11日開設 本州唯一の「ゼロワン」解消へ/岡山(2011年1月6日山陽新聞)

 弁護士がゼロもしくは1人しかいない「ゼロワン」地域である岡山地裁新見支部管内の新見市に11日、岡山弁護士会所属の弁護士が事務所を開設する。管内2人目の常駐弁護士。全国に計253カ所ある地方裁判所・支部のうち、本州で唯一となっていたゼロワン地域が解消される。

 開設するのは、2008年に弁護士登録、10年末まで岡山市内の事務所に所属していた丹羽一裕弁護士(38)。弁護士不足の地域で事務所開設費用を支援する日本弁護士連合会(日弁連)の制度を活用し、新見市西方のビル1階に法律事務所を構え、常駐する。

 同支部管内には05年3月、司法過疎解消を狙いに、公設の新見ひまわり基金法律事務所(同所)が開設された。しかし、弁護士1人だけのため、利害関係者双方から相談があった場合、一方の依頼を断らざるを得ない状況で、民事裁判では弁護士を伴わず当事者だけが出廷するケースも少なくないという。

 「困っている人を助けるために弁護士になった」という丹羽弁護士は10年9月、そうしたゼロワンの“弊害”を解消したいと独立を決意。「法的ニーズの掘り起こしに努め、気軽に相談できる“町のお医者さん”のような事務所にしたい」としている。

確かにこういう状況では何かと不便なのも理解は出来るのですが、今どきの道路状況であれば新見市から岡山市まで一時間程度ではないかと思いますし、そもそも医業と異なって弁護士の仕事というのは一分一秒を争うような緊急の事ではないわけですから、わざわざ少数の弁護士を田舎に常駐させる意味がどれほどあるのかという疑問は感じてしまいます。
こういう言い方をしては失礼ですけれども、弁護士が二人ということになればどうしても紛争当事者はその優劣というものが気になるところで、下手をすれば紛争の度に先に○○先生を取った方が勝ち組、なんて話にもなってしまうんじゃないかという懸念もあるやも知れません。
いずれにしても今やこうして弁護士が積極的に法的ニーズを掘り起こしていかなければならない時代になったのかとも思える記事ですが、都市部ではすでにそれどころではない騒ぎになっているようですね。

弁護士、3万人時代 過疎改善も都市部は激戦 若手は“悲鳴”(2011年1月10日産経新聞)

 法曹人口増加の政府方針により弁護士が15年前の約2倍の3万人を超えた。地方の弁護士過疎に改善傾向がみられる一方、都心では競争激化で若手弁護士を中心に「仕事がない」との“悲鳴”も。法律事務所に就職できず、弁護士にならない人も急増している。

 日弁連によると、昨年12月16日現在で弁護士は約3万300人。年々増加する中、日弁連は地裁支部管内に弁護士が全くいないか1人しかいない「ゼロワン地域」解消のため、事務所開設資金を支援。その結果、1990年代に50カ所あった「ゼロ地域」は昨年末に消滅。それでも、関西地方のベテラン弁護士は「地方は経験10年未満の弁護士が過半数。サービスの質はまだ十分でない」と話す。

 一方、東京や大阪では激戦の様相。国選弁護人になるべく1日数件程度の依頼や抽選に若手弁護士が群がっているという。

新聞などを見ていますと色々と細かい事情も載っていたりするのですが、非常に興味深いなと思ったのは司法試験に合格しても弁護士登録をしないという人も結構いるらしいということです。
確かに弁護士会の会費などで年数十万単位の出費がいるそうですから、仕事が入る当てもない人にとっては到底払えない金額の固定出費ということになりますけれども、かつては最難関のエリート資格職とも言われた弁護士というものがそうまで追い込まれているということは注目されるべき事態ですよね。
そして前述のように各地で弁護士過疎地域の解消が図られているのはいいとして、その実態が単に職にあぶれた若手の逃散先になっているということであれば質的にどうなのかですし、何より過疎の田舎にも人材が行き渡るようになるまで増やすと言うことは、国全体で見るとこれだけの状況になってしまうという事実は見逃せません。
こういう弁護士過剰という状況になればどうしたって食べて行くために仕事を選んではいられないでしょうが、見ていますと非常に興味深い現象が起こっているらしいのですね。

企業内弁護士急増 5年で4倍に(2011年1月6日産経新聞)

 弁護士資格を持ちながら企業で社員として働く企業内弁護士が急増している。背景には、弁護士の増加による就職難で弁護士事務所以外の就職先を探さざるを得ない弁護士側の事情に加え、企業側のコンプライアンス(法令順守)意識の高まりや経済のグローバル化で法律業務が拡大し、弁護士需要が増大していることがあるという。

 日本組織内弁護士協会(東京)によると、調査を始めた平成13年に64人だった企業内弁護士は年々増加し、22年7月の調査で435人に。5年前の122人に比べ約4倍に増えた。

 その理由の1つは弁護士数の大幅な増加だ。日本弁護士連合会(日弁連)によると、22年12月1日時点で2万8868人と、5年前の2万1185人から約1・4倍に増加。23年には3万人を突破するのは確実で、15年前(1万5108人)の約2倍だ。

 弁護士数の増加に伴い、司法修習を終えたばかりの新人弁護士がそのまま企業などに就職するケースも目立つ。20年に弁護士登録した人のうち65人(全体の約3・2%)、21年登録のうち57人(同2・7%)が企業などに就職した。

 8人の企業内弁護士を抱えるパナソニック(大阪)では、3年以上の弁護士経験を目安に“即戦力”として採用している。その意義について、コーポレート法務グループの新井克彦マネジャーは「価値観を共有しながら、プロジェクトの初期段階から法的な検討を加えつつ意思決定できるのが魅力。必要なら、すぐに現地に飛んでもらえる機動性もある」と話す。

 4年余りの弁護士事務所勤務を経て同社に入社し、企業の合併・買収(M&A)などに携わる寒(さ)川(がわ)智美弁護士(38)は「世界を舞台に大勢の社員と力を合わせ、大きな仕事を成し遂げる達成感は弁護士事務所では味わえない」と醍醐味を語る。

 増加傾向が著しい企業内弁護士だが、日弁連副会長として新人弁護士の就業サポート担当を務めた小寺正史弁護士は「弁護士数の増加分に比べれば、思ったほどのペースでは増えていない」と指摘。

 日本組織内弁護士協会理事長で、日弁連組織内弁護士プロジェクトチームのメンバー、片岡詳子弁護士は「今後も企業内弁護士の需要は確実に高まる。認知度を高める努力を続けたい」としている。

企業の側にとってももちろん需要が高まっているというのは確かなのでしょうが、裏を返せばこうしてサラリーマンとして企業に入っていくくらいに弁護士の側にとっても求職の需要があるということで、かつての弁護士=高給取りの代名詞であったような時代からするとちょっと信じられないような話ですよね。
こういう状況が成立するための前提条件として、企業に勤めるということと弁護士として働くということの間に待遇面でさほどの違いがないということが必要なんだろうと思うのですが、以前にも紹介したように司法修習生の4割が就職先も決まらないだとか、わずか三年間で弁護士の平均年収が以前の4割水準にまで急降下したとか言う話を聞けば、安定した企業に就職した方が得なのではと考える人も当然少なくないのでしょう。
いずれにしても新司法試験でチャンスと見て弁護士を目指してきた方々にとっては「こんなはずじゃなかったのに」でしょうが、こういう状況が弁護士を身近におけるようになった地方の住民にとっても、弁護士の選択枝が増えた都市部の住民にとっても、そして安く自前の弁護士を抱えられるようになった企業にとっても、いずれも非常に喜ぶべき状況であるということは言えるんじゃないかと思います。

先日も文科省で医学部定員はどの程度にするべきかという議論が始まった件を紹介したところですが、どうやら現場で医者が足りているかどうかなんてレベルをはるかに突き抜けて国策として医者を大幅に増やすつもりだという気配が濃厚ですから、近い将来これ以上(あるいは以下?)の状況に医者の世界も追い込まれるということは確実だとして、それで誰が困るというわけでもないのもまた同様の話ですよね。
国民や企業にとってももちろんですが、たとえば「OECD平均まで!」が口癖の熱心な医師増員論者として知られる某大先生なども、基幹病院の管理職としての立場からすれば安く骨惜しみせず働く(それはこういう状況になれば、食っていくため誰しも必死にもなるでしょう)医者を幾らでも抱えられるようになって万々歳というもので、誰にとっても反対する理由などないわけです。
現場の人間が「いや、医者という人種のモラルが低下してしまって、ただ食っていくための道としてやるようになったら大変だよ?」と言ってみたところで、部外者にとってはしょせん既得権益擁護としか受け取られない話ですから、それなら残された時間において少しでもましな撤退戦の準備を整えておくのがまだマシであるということになるのでしょうか。

なぜか現場医師の代弁者のような顔をしている日医の原中会長などは、先日も「過疎地域に行った医師にポイントを与えて、将来、都市部で開業したい時には、ポイントを持っている人の開業を優先できるような方法が取れればいい」と持論を展開していましたが、実のところ国からすれば「開業権を得るのが医者の勝ち上がりの道となるべきだ」なんて日医の主張は願ったり適ったりなんだと思うんですね。
世論の後押しを受けて近年ますます開業医に対する診療報酬配分は冷遇されていますけれども、実質的によほどの軽装開業か親の継承ででもない限りは新規開業など地雷以外の何者でもないという状況に陥りつつある中で、それでも唯一勤務医無間地獄から脱出する逃げ場が食うや食わずの開業であるということになれば、逃散先の門戸は狭まる一方であるわけです。
ひと頃はさんざん馬鹿にされていた老人病院や老健施設の常勤医といったポストもすっかり埋まりつつあるという昨今、後から後から新規参入してくる医者達はどうしたって条件の悪い職場に就職せざるを得ない道理ですが、当然供給がそれだけ増えれば値崩れも起こしてくるということで、国にしろ国民にしろ大先生にしろ万々歳な状況はもはや目前に迫っていると言えそうですね。

過去三十年もずっと横ばいだった(つまり相対的に見ればずっと下がりっぱなしだった)勤務医の金銭的待遇が今さら下がろうがどうでもいいことかも知れませんが、問題は先の弁護士業界などの事例を見ても供給過剰の状況になったからと言って別に仕事が楽になったわけではない、むしろ以前よりずっと忙しくなっている側面も見え隠れしているという点で、まさしく単なる人員増が労働条件改善に結びつくわけではないということの傍証と言えるかと思います。
単純に考えても労働あたりの単価が下がればより多くの仕事をこなさなければならないというのは当然のことですけれども、例えば国選弁護士の仕事を求めて行列に並ぶだとか、新規顧客を開拓するためにあちらこちらに挨拶回りをするだとか、今までは司法書士など他業種がやっていた仕事にまで手を伸ばさなければ食べていけないだとか、気になるのがどうも弁護士の仕事の内容自体がより専門性の低い領域に変わってきているということですよね。
これを医者稼業に置き換えてみれば何のことはない、毎朝病棟を回って患者さんの採血や点滴をして回るだとか、薬局まで薬を取りに行き検査室に検体を持っていくだとか、患者さんの車椅子を検査センターまで押していくだとか、要するに医者余りの大学病院でやってきた医療が日本全国のスタンダードになっていくということになるのかも知れませんね。

さてそこで問題ですけれども、平均的水準よりずっと多くの医者を抱え込んでいる大学病院と、ずっと少ない医者しかいない市中病院とではどちらが医者の待遇が良く、日々の仕事がやりやすく、何より医者が医者として果たすべき仕事に専念出来ているのか、これは誰もが悩まざるを得ないほどの難しい問いかけですよね(笑)。
昼夜を問わず続く激務に悲鳴を上げ、もはや何ともならないのであれば逃散するしかないとまで思い詰めた全国勤務医の「現状を変えたい!」という切実な叫びを、その結末までも予想して自分達の望む方向に誘導してきたのだとすれば、大先生とは単なる声が大きいだけの○○だなどととんでもない、希代の策士として後世に語り継がれる偉人の一人であったのかも知れないと、実は最近ちょっと見直してます(笑)。

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2011年1月12日 (水)

その時日医はこう言った

すっかり存在感のなくなって久しい日本医師会(日医)という団体ですが、当事者達は未だに日本の医療に対してそれなりの影響力を発揮しているつもりではあるようで、何かしら主観と客観との間に存在するギャップもかの団体にとっての不幸の一つになっているような気がします。
そうした余談はともかくとして、先日は日医会長の原中氏がインタビューに答えてこんなことを言っていたということなんですが、これがどこから見てもなかなかに受けのとれそうな内容らしいということで、記事から引用してみましょう。

医師偏在解消も含め「医療は県単位の時代に」―展望2011(1)日医・原中勝征会長(2010年1月5日CBニュース)

 政権交代後初となった2010年4月の日本医師会会長選挙で、民主党とのパイプを強調した茨城県医師会長の原中勝征氏が、現職の唐澤祥人氏、京都府医師会長の森洋一氏らを破って当選し、新執行部による日医の運営が始まった。しかし、夏の参院選では、日医の政治団体である日本医師連盟が「推薦」または「支援」した候補が全員落選し、政治との距離の取り方の難しさが露呈した。内閣支持率が低迷する中、原中執行部は今後、どのようなスタンスで医療を取り巻く諸問題の解決に取り組んでいくのか―。10年の振り返りと11年の展望について、原中会長に聞いた。

―10年4月の日医会長選で初当選し、新執行部の8か月を振り返っていかがでしょうか。
 今回の役員選挙は、従来の「キャビネット選挙」ではありませんでした。その結果、わたしの推薦する人たちが思った以上に当選せず、「ねじれ日医になった」「新執行部は数か月しか持たない」とまで言われました。しかし幸いなことに、そんなことは全くありませんでした。今になってみると、(4人の会長候補のうち)3人を応援した人がそれぞれ執行部に入ったことで、日本全国の医師を代表する医師会執行部とすることができ、喜ばしく思っています。
 社会保障は、公金を使って行われることがほとんどなので、わたしたちの考えを実現するには政府との協議が不可欠です。そのため、執行部の一人ひとりが政府関係者ときちんと話し合える場を一生懸命つくってきました。今では、日医の思想や信念をはっきりと打ち出し、政権に対して、きちんとメッセージを伝えることができるようになってきたと思います。

日医執行部がどうとかいう話題は日医内部の御老人方しか興味がないところだと思いますので、別に誰がどれだけ続けようが世論の批判にも興味にも晒されることもないんだろうとは思うのですが、会長曰く今では政府に対しても「日医の思想や信念をはっきりと打ち出し、政権に対して、きちんとメッセージを伝え」られるようになったというのは素晴らしいですよね(笑)。
ただ問題は言うだけであれば修学旅行で田舎から上京してきた小学生の皆さんでも同様に陳情は出来るということで、それが時の政府に対してどの程度の影響力を発揮出来るのかという点こそが重要なのだと思いますが、どうも今までの医療行政に関わる議論の流れを見る限りでも、日医と言う団体が以前よりも影響力を強く発揮出来るようになったという気配は全く感じられません。
日医と言う団体が今後発言力を手にするには開業医の利権団体という立場から離れて、今や政府も世間も最も注目している現場勤務医の代弁者としてどれくらい機能できるかということが問われるはずなんですが、そのあたりに関してもずいぶんと主観と客観との間に乖離があるようなんですね。

―10年4月には診療報酬改定が行われました。
 今回の報酬改定では、08年の前回に引き続き、勤務医の負担軽減に重点が置かれました。確かに勤務医の労働環境は厳しいものがあります。負担軽減の観点から言えば、医師の代わりに入退院時の説明をしたり、事務を手伝ったりする「医療クラーク」を大至急養成する必要があります。わたしたちとしても、これまでの医療秘書の教育に医療クラークの教育を加え、補助者として働いてもらえるよう検討を始めています。
 そのほか、今回の改定では、(看護配置)15対1の病院の評価が相当下がりました。その前提に、「黒字だからもっと下げていい」ということがあったのだと思います。しかし実際に調べてみると、全国的に看護師が不足する中で、経営が非常に厳しいことが分かります。安い給料で雇って黒字を維持している可能性がある民間病院を除き、公的病院だけで改定の影響を比較すると、一番マイナスになったのは15対1の病院でした。これらの病院は、地域で救急医療も担っているのに職員の給料は下がり、さらに医師、看護師の確保も難しく、赤字が一番ひどくなっています。もちろん、診療所も全くプラスになっていません
 中央社会保険医療協議会(中医協)に出されるデータは、病院で働く看護師の給料がどれだけ安いかまでは検証していません。医療・介護に対する分析は、もっと厳密にやらないと間違いが起こるということです。

―11年は診療・介護報酬の同時改定に向けて議論を進める1年になります。
 先の参院選で「ねじれ国会」になったので、相当早くから議論をしないと間に合いません。日医では現在、医療、介護それぞれについて議論するチームをつくっています。いろいろな問題点をいち早く洗い出して、それを日医の意見として急いで集約していく予定です。10年の報酬改定で焦点となった病院と診療所の再診料統一のような誤りを繰り返さないよう、しっかりと意見を申し上げていきます

いや、勤務医の負担軽減策ということで真っ先に口から出てくる対策が「医療クラークを大至急養成すべし」ですか…ある意味日医らしい現場感覚の欠如がいっそ清々しいほどのものがありますけれども、医療クラークをいくら養成したところで勤務医を疲弊に追いやる救急当直の過酷さが解消されるとも思えないんですけれどもね。
15対1の慢性期病院の評価が相当下がって赤字だとも言っていますけれども、厚労省としてはこの種の病院は統廃合というのが既定路線であり、自治体病院を統括する総務省にしても赤字病院はさっさと整理する必要があると言っているわけですから、国が一生懸命潰そうと政策誘導しているものに向かって、これでは経営が厳しくなるなんて言ってどうするのかです。
国が特定の目的をもってやっていることに対して、それでは既存の施設が立ちゆかないからというスタイルの反論は単に既得権益擁護と取られるのも仕方がないところで、日医のこういう長期的ビジョンの提示のない場当たり的な主張というものが、ことにやる気のある医療従事者からそろってそっぽを向かれる一因となっていることは自覚された方がいいんじゃないかと思いますね。
その意味では日医が現場目線を語ることの馬鹿馬鹿しさというものは相当なものがあると思いますけれども、自覚してのことかどうなのか会長氏はこんなことを言っているようです(苦笑)。

―日医の提言・施策を実現するための政権政党への働き掛けはどのように行っていますか。

 

現場を無視した問題が起こるたびに、関係各所に説明に行っています。例えば療養病床削減の問題です。これからさらに高齢者が増えるという時に療養病床を減らせば、社会不安は増します。帰る場所もない人や、一人で生活をしている入院患者の移動先を政府が保障するのは困難でしょう。病院現場で何が起こっていて、患者をなぜ動かせないかを現場目線で一つ一つ説明しています。今では民主党の政調に話をしに行くか、厚生労働政務三役や官僚と直接話をすることが多くなっています。重要な場面では、わたしが首相や厚労相に話をします。政治的スタンスをよく問われますが、民主党だから、自民党だからということではなく、政策を決める権利があるのは政権政党です。だからこそ、政権政党に説明して理解をしてもらい、「悪いものは悪い」と認めてもらうことがわたしたちの仕事だと思います。

実際のところ現場目線で見ますと(苦笑)、いわゆる社会的入院の寝たきりお爺ちゃんお婆ちゃんを療養病床に押し込めてただ寝かせておくことほど楽な商売はないわけですが、現場の人間がそれを喜んでやっているかのように世間に誤解されるのは甚だ心外であると感じられている先生方も多いのではないでしょうか?
その昔とある郡部で唯一の入院施設である公立病院の先生が語って言うことに、訪問診療など医療・介護サービスの助けを借りながら田舎の一軒家で寝たきりのお爺ちゃんをお婆ちゃんが介護している家がたくさんある、それを入院させればただ寝かせているだけでも月30万かかるが在宅なら15万で済むとなると、お婆ちゃんは月々15万分の労働をして社会に貢献してんだというんですね。
国保世帯の連なる田舎では保険財政も逼迫していて、誰も彼もお年寄りを片っ端から入院させるなんてことは財政的にも、町立病院の病床数やマンパワー的にも不可能な話で、そうであるからこそ寝たきりのお年寄りが増えている!もっと療養病床が必要だ!なんて脊髄反射的な発想でやっていたのでは地域自体が崩壊してしまうわけです。

もちろんそのためには在宅での介護を支援する各種公的サービスを(それこそ自宅のバリアフリー化やアクセス道の整備までも含めて)整えなければならないですし、病院や入所型の介護施設にはサービスをより必要としている重症の人から公平に利用できる体制が出来てなければいけませんし、何より住民自身に対して医療、介護に関する教育、啓蒙ということが非常に重要になってきます。
単に病院内だけの仕事に留まらず地域に足を踏み出してそこまで汗水垂らして働いて、はじめて単なる託老所が医療と名乗るにふさわしいものになり得るわけですが、そのレベルになってもやはりどうしても入院でなければという人は案外少ないものですし、一度入院すればずっと最後まで病院に入りっぱなしなんて人はそうそう多くはないはずなんですよね。
日医が全国の医者の代弁者面をして「御老人のために療養病床を増やすこと、これが現場の総意です!」なんてことを言うのであれば、まずそれ以前に医者の代弁者として患者たる国民に対しても言っておかなければならないことは幾らでもあるはずなんですが、どこの医療現場に行っても日医からのメッセージが患者に届いてるなんて話はおよそ聞いたことがないのはどういうことなんでしょうか(苦笑)。

そうした話はそれとして、特に気になったのが先日以来取り上げている医学部定員に対する日医のスタンスの表明なんですが、医療の将来像ということも絡めて原中会長はこんなことを言っているようですね。

―厚労省が10年9月に発表した必要医師数実態調査結果では、全国で約2万4000人の医師が不足していることが明らかになりました。

 日医は、既存の医学部の定員増を一貫して主張しています。一つの医科大を新しくつくると、400人ほどの教員が必要になります。そのために地方の部長クラスの医師を引き抜けば、地域の医療崩壊はもっとひどくなります。現在の医学部の定員は、3年前から1200人増えています。このままのペースで定員を増やせば、日本の人口1000人当たり医師数は25年には2.8人を超え、G7の平均(1000人当たり2.9人)に近づくのです。
 新しい医科大をつくった後に「(医師数が)足りているから廃校しろ」とは言えませんが、既存医学部の定員は多くなったら減らせばいいことです。必要医師数の調整は定員数でできるわけですから、新しい医科大をつくる必要はありません

―医師の診療科・地域偏在はどのように解消していくべきでしょうか。
 できれば、法律うんぬんは別として、ほとんどの医師が(都道府県)医師会に入会し、知事と医師会長で諸問題を解決する体制を取れればいいと思います。民主党は中央政権から地方への権限移譲を掲げています。医療保険制度の在り方も含め、都道府県単位で医療を考える時代が来るとわたしは思います。その中で、ドイツやフランスで行われているように、過疎地域に行った医師にポイントを与えて、将来、都市部で開業したい時には、ポイントを持っている人の開業を優先できるような方法が取れればいいのではないかと考えています。

まあ全医師が医師会に加入すべしなんて日医の悲願はともかくとしても(苦笑)、ここで注目しておきたいのは日医としては医療は今後都道府県単位で考えるべきであると主張していることで、医師の偏在問題も都道府県でよく考えて解消しなさいと言うスタンスであるらしいということなんですね。
もちろん日医がそう考える自由は誰にも否定されるべきものではありませんけれども、最後の医学部が出来てからもはや30年が過ぎ、その後の人口動態や医療需要もずいぶんと変わってきている中で、都道府県毎の必要医師数と医師養成数とのミスマッチはますます拡大しつつある、その結果として都道府県間における医者の奪い合いが激化しているということが昨今言われています。
日医の主張からすれば人口や医師数から考えて明らかに医学部定員の少ない県は、各県独自の判断でさっさと医大を新設すべしということになるはずなんですが、医学部新設は断固として認めないとも主張しているわけですから、これは医大を多く抱えている「勝ち組県」の優位性を固定化する、日医お得意の既得権益保護の主張という理解でいいものなんでしょうか?

個人的に日医の言うことがしっかり理解出来たと思える事例の方が少ないくらいですし、日医として別に何をどう主張しようと自由なのも確かなんでしょうが、原中会長としてはこうした主張のそれぞれが医療現場の多数派の声そのものであると認識されているということなんでしょうか?
日医自身が日本の医療の将来像をどのように思い描いているのか未だにはっきりしないのですが、外から見ている限りでは「何も変えるな!とにかく現状維持で!」と叫んでいるだけにしか見えないところもあって、果たしてそうした日医の主張が現場多数派の指示を得ているのかどうか疑問の余地無しとしません。
社会的影響力低下に懸念してか、日医も昨今では全医師を医師会に!なんて夢物語を盛んに吹聴していますが、まずはそれ以前に基本方針くらいは会員全ての総意に基づいて決められるような民主的なシステムを構築されるよう、形ばかりでも努力されてみる方が先決ではないのでしょうかね?

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2011年1月11日 (火)

いつまでも世間は甘い顔をしていない?

先日は文科省の有識者会議によって医学部定員の検討が始まったという話題を紹介しましたけれども、考えようによってはすでに史上最多レベルにまで定員を増やしたところなのに、今さら検討を開始とは遅すぎるんじゃないか?とも言えそうですよね。
この件については各人各様の立場から様々な意見があって、どれが正解ということもないという類の問題なのかも知れませんけれども、少なくとも人手不足の影響を最も被っているはずの現場に近い筋から「この調子で無節操に医者を増やしていいのか?」という声が上がっているという点には注目すべきではないかと思います。
こうした現場からの懸念を反映したと言うことなのか、先日今度は文科省のお膝元とも言うべき当の大学病院からもこんな声が出てきたことは小さからぬ意味があるように思いますよね。

医師を増やすな!?全国の大学病院長らが医学部新設反対の“声明文”を公表へ(2011年1月7日週刊ダイヤモンド)

医学部新設による急激な医師の養成増は、かえって医療崩壊を促進し、後世に禍根を残しかねない」――。

 全国国公私立の医学部・医科大学の病院長や医学部長で組織する全国医学部長病院長会議は1月20日、医学部(医科大学)新設による医師増員策に対し、政府に慎重な対応を求める声明文をまとめ、公表する。

 これは深刻な医師不足を解消するため、昨年12月下旬に文部科学省が開催した大学医学部の新設などの是非を検討する専門家会議「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」の初会合に合わせて行なうものである。

 現在の民主党政権は、マニフェストに基づき、医師数の増加に取り組んでおり、医学部の新設を俎上に載せている。これを受けて、現在、表面化している大学だけでも、国際医療福祉大学(栃木県大田原市)、北海道医療大学(北海道当別町)、聖隷クリストファー大学(静岡県浜松市)の3私大のほか、公立では、はこだて未来大学(北海道函館市)で、医学部の新設構想が進んでいる。

 同会議は、こうした動きに対し、昨年2月にも政府に反対の要望書を提出しており、再度の“意見表明”を行うのである(昨年は全国自治体病院協議会、国立大学医学部長会議、日本医師会も同様の意見書を提出している)。

 救急車のたらい回しや、医療現場での医師の疲弊ぶりが表面化し、医師不足による「医療崩壊」が社会問題化したのは周知の通りだ。本来、医師の増員策は、医療関係者にとっても悲願であり、歓迎すべき問題のはずである。

 にもかかわらず、なぜ大学の病院長や医学部関係者らは、ここまで強く反対するのだろうか。

 問題にしているのは増員の方法だ。関係者らは「医師数を増やすこと自体は良い。ただ、その方法が医学部の新設となると弊害が多い」と口をそろえる。

 その理由は三つ。

 一つは、医師数の不足は解消が見えており、さらに医師を増やすにも、既存大学の定員増で十分に対応できるというものだ。

 たとえば、昨年9月に厚生労働省が発表した「必要医師数実態調査」では、十分な医療を確保するためには、約2万4000人の医師が必要としており、現在の医師数と必要な医師数の合計は約19万1000人で、現在の医師数の1.14倍としている。

 全国80大学の2010年度の医学部入学定員は8846人(11年度見込みは8923人)であり、2007年度に比べて1221人、医学部 12~13校に相当する数が増員されている。現状で毎年約4000人(勤務医は約3000人)ずつ医師数が増加しており、今回の厚労省の調査結果である約 2万4000人の不足分も、単純計算で6~8年後には解消できることになる。

「既存大学で、各校が定員をさらに2~5人程度増員すれば、日本全体で150~330人の増員、医学部2~4校分の医師養成数の増加が可能になる」(関係者)。

 二つ目は、医学部を新設する際、教員確保のため、医療現場からの中堅勤務医の引き抜きが生じ、地域病院の医師不足を加速させてしまうという懸念だ。

 医学部運営に必要とされる教員医師は1大学あたり約648人である。これに対し、厚労省のデータに基づいた試算では、人口100万人規模の県レベルでの病院勤務医は約960人。うち、教員候補となりうる30~40代の病院勤務医は約560人にすぎない。人口100万人規模の県レベルでの3分の2以上、30~40代の病院勤務医のすべてを投入しても足りない規模の人数を医療現場から引き抜けば、弊害が生じると懸念されているのだ。

 三つ目は、一旦、医学部を新設してしまうと、既存大学で定員を増加する方法に比べ、需給状況に応じて医師養成数を減らす調整が難しくなり、現在の歯科医師の世界で起こっているような「医師の過剰」を生み出す恐れがあるためだ。

 しかも、1960年代に比べ、医学部の定員は倍増し、少子化によって大学進学年齢人口は半分になっている。「医学部新設による急激な定員増は、医学生の学力低下を招き、医療の質の低下が危惧される」(関係者)という懸念もある。

 むろん、こうした意見については「既得権益を守ろうとしているだけではないか」という声もある。

 だが、全国医学部長病院長会議の森山寛副会長は「医師1人の養成には、約1億円という莫大な費用がかかり、血税も投入される。医師を増やすために医学部を新設するという政策はわかりやすいが、医師・医学生の質の維持や教育の点からは、既に行われている既存の医学部での増員が適切であり、新設については極めて慎重に考えるべきだ。地域や診療科による偏在の解消、女性医師の活用、医師の事務業務の軽減、勤務医の定年延長など、解決すべき課題はたくさんある」と指摘する。

 医学部新設は、1979年の琉球大学が最後で、その後は認められていない。新設されれば、約30年ぶりである。文科省では、年内までに一定の方向性を出す予定だが、この問題は地方自治体や新規参入する大学の意欲と関心が高いだけに、一筋縄では行きそうにない。

なにやら歯学部のように定員割れを懸念する既存医学部既得権益の主張か?とも受け取れる話なんですが、一見すると定員を増やす事自体は反対しません、ただ医学部新設はやめてくださいと言っているように見えて、実は全国の大学から「もうこれ以上の定員増は施設的にも人員的にも無理。勘弁して」という声が相次いでいるということが一つのポイントですよね。
要するに新設はダメだよと言いながら、一方で各大学の定員増もこれ以上はダメだよと言っているということですから、実質的に「これ以上の医学部定員増はノーサンキュー」と当の大学側が文科省に明言してしまったということで、なんだ議論も何もする前から結論が出てしまっているのか?とも思えるような状況です。
ただ先日紹介しました有識者会議の流れでも思い出して頂きたいのですが、文科省としては単に現場の需要を満たすなどという水準で満足することなく、それをはるかに超えて国策として医師数の大幅増加を目指しているという気配が濃厚であるわけですから、こうした大学側の声明発表がどの程度の影響力を発揮するかは何とも言えませんよね。

文科省の思惑はそれとして、医者の数が少なくとも当分は増え続けることになることの影響がどうなのかですが、例えば日本の病床数はこの十数年横ばいからわずがに微減を続けていて、先日厚労省から発表された医療施設動態調査によっても全国病床数は前年同月比8672床減の159万2605床(-0.5%)と、近年の傾向そのままの状況が続いています。
施設数の変化を見ると病院、有床診療所が徐々に減っている一方で無床診療所が増えているということは、中小病院淘汰と逃散開業医増加を示唆しているのかなとも思えるのですが、いずれにしても施設数が頭打ちのところに医者の数が増え続けているわけですから、生き残った病院の医師数は今後次第に増えていくだろうという予想は成り立ちそうですね。
ところが大規模基幹病院というところは一般に医者の給与が悪い施設が多いですし、今後医者が増えれば買い手市場化で勤務医の待遇は悪くなっていくと考えられる、一方で逃散して開業をやるにしてもすでに診療報酬の冷遇と過当競争によって、親の継承以外の新規開業はハイリスクローリターンと言うくらいに逃げ場も塞がれつつあるわけで、その見返りが何なのかと医者なら気になるところでしょう。

今は医療崩壊だ、医師不足だということですが、これを裏返してみれば医者というものの発言に近年稀なくらい世の中が注目しているわけですから、何か言いたいことがあるなら「給料増やせ!」でも「せめて休日くらいよこせ!」でも今言っておくべきであって、「医者をどんどん安売りしろ!」なんて主張が真っ先に出てくるなんて時点で交渉のテクニックとしてもどうなのよです。
一応某大先生などを始めとする一派によれば「現場はこんなにも過酷で青息吐息だ!医者をもっと増やさなければ回らないんだ!」ということになっていますけれども、医者という稼業の性質上どんなに医者が増えたところでやはり基幹病院の医者はそれなりに忙しいでしょうから、本気で労働環境改善を考えるのであればきちんと当直明けを休みにするなり、交代勤務を導入するなりの勤務態勢改革の主張が先であるべきでしょう。
ところが今の必要医師数予測というものはそうした現場の根本的な改革を抜きにして単に今の体制を維持するに足る人数ということですから、結局のところ単純に医者の数を増やしたところで過酷な現場の改善という意味ではさしたる実効性はないんじゃないかとも思えるし、単に買い手市場化して発言力低下を招くだけなんじゃないかとも思えます(大病院管理職の大先生にとってはその方が望ましいのは確かでしょうが)。

いずれにしても医者が現場環境の何を嫌だと思って逃散しているのかは医者にしか判らないことであって、せっかく世間が医者の言うことを聞いてやろうと耳を傾けている今こそ言いたいことは言っておかないと、これが十年、二十年と経つころには「粗製濫造の弊害!新たな医療崩壊の危機!」なんてまたぞろマスコミにバッシングされているなんて未来絵図が待ち受けているわけです。
医者は増えたが多忙な職場は相変わらず多忙なままである、しかもなんだか給料は減ってきたぞとなれば何のための医師大量養成だったかということなんですが、国にしろ国民にしろ医者が安く幾らでも使えて困ることは何もないわけですから、唯一困る医者の側から、それも今の時期にこそ言っておかなければ誰も医者の人権なんて考えるはずもないんですよね。
単に総数を増やせ減らせの議論だけでなく、どうやったら現場の労働環境が改善するのかという実効性の面から入る議論というのもやっておかないと、医者の側に要求するだけの交渉材料が何もなくなってからでは遅いということですが、少なくともそのタイムリミットは国策としてはっきり設定されたということが今の状況だと言うことです。

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2011年1月10日 (月)

テロリストの存在は誰にとっても有害無益

先日も新たな広告塔誕生か?!という話題を(果たして彼らの好感度向上につながるかどうかは別として)紹介したシー・シェパード(SS)ですが、いよいよ本格的な捕鯨シーズンの到来と共に活動を本格化させてきたようですね。
遠く南極での話題に移る前に本日まずは、和歌山県は太地町でのSSおよびその傘下の反イルカ漁団体であるコーヴ・ガーディアンの活躍?ぶりが判るこちらの動画を紹介させていただきましょう。
ちなみにこの動画は当のSS側の撮影によるものであるということですが、まさしく「This video is a proof of their real nature.」という内容となっているのは狙ってやっていることなんでしょうかね?

【参考】【字幕付き】 シーシェパードによる太地町漁民への嫌がらせ 1 2010.11

【参考】【字幕付き】 シーシェパードによる太地町漁民への嫌がらせ 2 2010.11

【参考】反イルカ漁団体「コーヴ・ガーディアン」の本性

卑しくも教養のある人間にはあまり見ていて楽しいものではありませんが、さすがにテキサス親父もこれには腹に据えかねたようで、わざわざ動画へのリンクまで貼り付けた上で「You need to go home!」なんてことを言っていますけれども、こうして自らの正体を暴露するような録画をわざわざして晒して回るというのも彼ら一流の自爆テロの一種として捉えていいのでしょうかね?(溜息)
ただテキサス親父の動画についている品のないコメントの数々なども見ていて思うのは、別にSSのような環境テロリストに名を連ねる連中が格別特殊な感性を持っているというわけではなく、彼らと同レベルの人々というのがこの世界には確実に、大勢存在していて、影に日向にSSを始めとする現場グループを支援しているらしいという事実でしょう。
人間が百人も集まれば一人や二人はアレな人もいるだろうとは良く言うところですが、全世界で自分の周囲の目に見える範囲以外にも関心のある何億人という人間のうち、わずかコンマ何パーセントかがこうした感性を持っているとしても、その総数としてどれほどのものになるだろうかとは考えて見なければならないということなのでしょうね。

いずれにしても他人様の国であろうがこうまで厚顔無恥になれる彼らのことですから、これが遠い南極の海ともなるとどういうことになるのか、想像するまでもなく判ることですよね。
先頃日本を出航した今シーズンの捕鯨船団ですけれども、さっそくSSによる継続的なテロ攻撃に晒されているということで、毎日のようにその情報が入ってきています。

シー・シェパードが日本船団に「われわれの勝利だ」(2010年12月31日産経新聞)

 毎年、日本の捕鯨船への過激な妨害活動を繰り広げる米団体シー・シェパード(SS)が31日、南極海で、12月初旬に日本を出港した調査捕鯨船団を発見したと発表した。公式HPには、船団の第2勇新丸とみられる船の写真が掲載されている。

 日本の水産庁は「乗組員の安全を考えて、この情報が正しいかどうか言える段階にない」としている。

 SSは今回、3隻の抗議船を用意して、12月にそれぞれオーストラリアの港を出港。南極海の調査捕鯨エリアに先回りして、日本船団の到着を待ち構えていた。公式HPで、「日本側が捕鯨を始める前に船団を発見することができた。これまでの活動で初めてのことであり、われわれの大きな勝利だ」と声明を出した。

 SSは今回、豊富な保有資金をもとに、哨戒用の新ヘリコプターや妨害用の高速ゴムボートを購入するなど装備を増強。今後、日本船団を執拗(しつよう)に追跡し、瓶を投げつたり、船ごと体当たりしてきたりして、過激な捕鯨妨害を展開してくるとみられる。

シー・シェパード、調査捕鯨船に妨害行為(2011年1月1日読売新聞)

 水産庁は1日、反捕鯨団体「シー・シェパード」が、南極海で活動中の調査捕鯨船「第3勇新丸」に対し、妨害行為を行ったと発表した。

 シー・シェパードによる妨害は今季初めて

 同庁によると同日午前8時頃(日本時間)から、シー・シェパードの抗議船「スティーブ・アーウィン」など3隻が、ロープを海中に投入してスクリューに絡ませようとしたほか、船体に瓶を投げつけた。第3勇新丸の乗組員にけがはなく、船体に損傷もなかった。

シー・シェパードが新たな妨害、抗議船「ゴジラ」も登場(2011年1月6日AFP)

【1月6日 AFP】日本鯨類研究所は5日、日本の調査捕鯨船団が南極海で同日、米環境保護団体シー・シェパード(Sea Shepherd Conservation Society、SS)による妨害を受けたと発表した。

 シー・シェパードは新たな抗議船「ゴジラ(Gojira)」を投入し、「第2勇新丸(Yushin Maru-2)」にビンを投げつけたり、スクリューにロープを巻き付けようとするなどの妨害活動を行ったという。

 一方、シー・シェパードは5日、1日に行った妨害活動の際、エンジン付きゴムボートの抗議船「デルタ(Delta)」号が捕鯨船「第3勇新丸(Yushin Maru-3)」から「放水砲攻撃を受けている」とする写真を公開した。

SS側の発表によれば例によって例のごとく「日本の捕鯨船団から攻撃を受けた!」ということになっているのがアレなんですが(苦笑)、やはり彼らの感性が少しばかり並みの人間とは違うらしい、少なくとも平均的日本人のそれとは大幅に違っているのは間違いないらしいと感じさせるのが、彼ら自身のプロパガンダ記事の内容にも現れています。
敢えて内容については事細かには触れませんけれども、SSのワトソン代表のコメントなどを見ても仮にも商売なんだからもう少し偽れよと言いますか、一般的な日本人の感性からすると大いに引いてしまうんですけれども、彼らにとってはこれでも外向けにいい顔をしているというつもりなんでしょうかね…

捕鯨----金がすべてだ!(2010年11月30日SS公式サイト)

コメント---船長ポールワトソン

米国フォックス・ネットワークも影が薄くなる、見え透いたプロパガンダ報道局フジテレビのリポートは、最新の反・シーシェパード報道は客観性の見せかけもない、ニュースキャスターによる取材はただ馬鹿馬鹿しいだけであった。

フジテレビの報道の一部では;

「フジテレビ報道局はシーシェパードの活動になんの共鳴もなく安藤優子はシーシェパードを子供っぽく偽善的で、何故、シーシェパードがオーストラリアのカンガルー狩りでなく日本に的を絞るのか知りたいと思うと決め付けた。

彼らはグラフでシーシェパードが日本のクジラやイルカに焦点を当てることで利益をもたらしているかを示した。シーシェパードは2004年度よりも10倍近く利益を算出していて、さらに利益を産むためには日本を攻撃し続けるであろう。」

としている。

今は、安藤優子がシーシェパードについて何を言いたいのかどうでもいいが、カンガルー保護団体ではなくて、シーシェパード環境保護団体についての予習はしておいてほしい。オーストラリア国内のカンガルー虐殺は胸が悪くなるし、もし日本がこの虐殺反対に人を送るなら私は寄付金を出すだろう。しかしながらカンガルーは海洋動物ではなく、シーシェパードはプランクトンからクジラまでの海洋の生物を守るために創立されているのだ。

シーシェパードはフェロー島のイルカ、地中海の黒マグロ、ガラパゴスのサメとナマコ、それに加えてノルウェー、デンマーク、ナンビア、カナダ、マルタ島の数々のプロジェクトに対して保護活動をしている。

日本のメディアの数社の視点は我々が日本人差別のもくろみで保護活動をしていると定義したいようだ。シーシェパードは行為に対して反対しているのであって、その行為の仕事に従事している人に対立しているのではない。捕鯨に反対しているのであって、日本人の捕鯨従事者にではない。イルカ虐殺に反対しているのであり、その関連の漁業者にではない。我々の船には日本人乗組員もいるしその活動には日本人サポーターもいる。フジテレビはただ単に日本国内の右翼の動きにに大げさに迎合しているに過ぎない。

シーシェパードの利益に関していえばその報告はばかばかしい。シーシェパードは利益団体ではなく、その財源は我々のキャンぺーン効果の見返りで、すなわち、クジラやイルカ虐殺の反対する人たちからの資金が財源なのである。

私の理解では近代日本の成功は利潤を産み出すことと同意語である。この尺度とフジテレビによれば、シーシェパードは成功しており捕鯨船はそうではない。フジテレビがシーシェパードがクジラやイルカを保護することでその財源が上がることを心配するなら、シーシェパードの援助を断って、日本政府に捕鯨とイルカ漁業を廃止することを奨励すべきだ。

シーシェパードにとって捕鯨やイルカ漁業の廃止撤廃で、寄付金が少なくなることは大いに結構だ。我々はいつでも休業できる。しかしながら重要なことは違法者の仕事をやめさせることだ。それは日本捕鯨団の違法捕鯨や太地町の暴漢の野蛮な残忍性のことを意味しているのだ。

今年はじめの日本のビデオウェブサイト”にこにこ動話”のアンケートによると、67%の日本人が捕鯨支持で9,1%が捕鯨撤廃を示した。9万2千430の投票者のうち84%がシーシェパードの活動を受け入れられないとし、5,5%が支持するとある。

グリーンピースは捕鯨賛成多数の意味することはキャンペーンが捕鯨反対の日本人の心を捉えることに成功したということに失望したと報告したが、 SSCSは全然失望していない。実にいい。私たちは5%もあったじゃないか!歴史の一つ一つすべての大変革は7%に達したときに何かが起こる。その方式で行けばたった1.5%で達するじゃないか。

実際には数字なんかどうでもいい。シーシェパードは日本人の心をつかむ為に南極海にいるのじゃない。オーストラリア政府の決定を無視したモラトリウム違反行為の違法捕鯨者から、捕鯨保護地区の危険にさらされているクジラを守るためにいるのだから。

それにほとんどの介入活動は公衆の意見によって決められるのではない。それはただ簡単に言えば経済が決めているのだ。カナダ人のほとんどがアザラシ狩り業を反対しているがカナダ政府はそれを支援している。ほとんどのニュージーランド人が日本捕鯨に妥協することを反対しているが、政府は妥協している。

これは道徳でも論理でもない。政府は道徳も論理にも注意を払わない。政府は金だけを会社は利潤と損失だけに注意をむけている。それがほとんどの場合彼らのもっとも主要な関心事である。

最初から我々シーシェパードの目的は日本国民の関心を買うことではなく、捕鯨船団を経済的に沈めることにある。我々はただそれをしているのだ。過去 5年間の間毎年、捕鯨割り当てを利益分を低くしている。彼らは何億円も借入れ金がある。毎年、彼らがやってくると、その前年度よりも更に衰えていくのだ。

今年は日本捕鯨船は海図や乗組員を損失してしまっているようだ。さもなくばただ単に日本を離れる余裕がないのかもしれない。12月1日に捕鯨船が日本にまだいるということはシーシェパードの勝利と見えなくはない。これはなにかトラブル--たいていは財政的なトラブルを意味するが--があったと見える。シーシェパードがこの財政的トラブルを引き起こしたのだ。

我々はクジラ戦争に勝っているし、引き続き捕鯨船とイルカ殺しを損失の戦法で彼らの残酷で違法な業務を財政的にボロボロにしていくのだ。

フジテレビはフジテレビや日本人はどんな意見も持てるし好きなように言えるといっているが、我々は彼らのサポートや賛成を勝ち取るために南極海や太地町に行くのではない。我々の依頼人はクジラやイルカである。クジラやイルカの代理をしているのだ。我々の本当の関心事はクジラやイルカの存続のことだけだ。人間が無知にも水銀で汚染されたイルカ肉や鯨肉を食べようがそれらは我々の関心事ではない。イルカやクジラに水銀が影響を及ぼすことを我々は心配しているのだ。

グリーンピースは日本の人々の心を捉えることに努力しているし我々は心からその試みを願っている。しかしながら、シーシェパードは利準を否定しクジラの捕鯨枠を低くカットすることで経済粉砕を目指している。いつでもどこでもその手段があるときはベストを尽くす。

いずれにしても人間よりも鯨の世界で生きていたいらしい方々には、今後も人間世界には進出せず別世界の存在であって欲しいと願うばかりですけれども、実のところこういう予定調和あるいはステロタイプ的な彼らの行動パターンを見ているよりも面白いなと思うのが、今話題の暴露サイトがこのところ相次いで公表している捕鯨関連の話題です。
例えばSS関連でもこんな記事が出ているのですけれども、こういう話を聞きますとテロリストの馬鹿げた振る舞いとは遠い次元で、各国関係者はきっちりと実務的な交渉を続けてきたらしいということが理解出来ますよね。

シー・シェパードめぐる日米協議の一端が明らかに、ウィキリークス(2011年01月04日AFP)

【1月4日 AFP】内部告発ウェブサイト「ウィキリークス(WikiLeaks)」が公開した在日米国大使館発の外交公電で、米環境保護団体シー・シェパード(Sea Shepherd)をめぐる日米両政府間のやりとりが3日、明らかになった。

 この公電によると、国際捕鯨委員会(International Whaling Commission、IWC)のモニカ・メディナ(Monica Medina)米政府代表と町田勝弘(Katsuhiro Machida)水産庁長官(当時)ら日本側高官が2009年11月に協議し、米国がシー・シェパードを免税の対象から外すことが話し合われた

 公電は、「(メディナ氏は)シー・シェパードの好戦的で有害な活動内容に鑑みて、USG(米政府)は同団体が課税免除団体としてふさわしくないことを示せると信じる、と述べた」としている。これに対し町田氏は謝意を示し、シー・シェパードへの対処はIWCにおける協議の成功に向けた「大きな要素」になるとの見方を示したという。

 IWCは捕鯨国と反捕鯨国との対立が続いたままこう着状態が続いている。2010年6月にモロッコで開かれたIWC年次総会では、24年間にわたって実施されている商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を10年間中断する代わりに、日本が捕鯨頭数の段階的削減に合意するとの案が話し合われたが、協議は決裂に終わった。

「捕鯨、政治問題化避けたい」東京発公電を公表(2011年1月3日読売新聞)

 【ワシントン=小川聡】内部告発サイト「ウィキリークス」は2日、在京米大使館作成の外交公電3件を初めて公表した。3件とも、捕鯨問題に関するもの

 それによると、2009年11月に町田勝弘水産庁長官(現農林水産次官)が、来日した米政府高官と会談した際、「(反捕鯨団体)シー・シェパードによる暴力的妨害は、日本政府の国際捕鯨委員会での交渉の柔軟性を制限する」と懸念を表明。そのうえで、米政府に対して、シー・シェパードを非課税対象とはしないように求めた。

 これに対し米政府高官は、「(シー・シェパードの)攻撃的で有害な活動からすると、非課税とするには値しないと立証できると思う」と述べ、同意する考えを示した。

結局のところIWCが潰れてしまえば一番困るのは反捕鯨国の側であって、そうであるからこそ科学的な調査結果をきちんと反映した上で本来の目的である鯨資源の持続的活用ということに向けた動きを示すべきだと日本はずっと主張しているわけですが、SSなどによる外野からの茶々入れはむしろ多数派の理性的な反捕鯨国にとってこそ痛し痒しなんじゃないかという気がします。
その傍証というべきでしょうか、いわゆる強硬派反捕鯨国の内情を示すようなこうした話も相次いで暴露されているのですけれども、内容の是非はまた別としてやはり現場で外交を担っている当事者同士だけに、いたずらに理念ばかり先走らせても意味がなく、理性的な粘り強い話し合いによる解決こそが大事であると理解しているのだろうし、結局それを阻害しているのが何かということもよく判る話です。

豪政府、捕鯨で対日妥協議論=10年間で5000頭削減案-米公電(2011年1月4日時事ドットコム)

【シドニー時事】4日付のオーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルドは、内部告発サイト「ウィキリークス」に流出したキャンベラ発の米外交公電の情報として、原則捕鯨廃止を掲げる豪政府が昨年2月まで、日本の捕鯨継続を容認する妥協の用意を水面下で進めていたと報じた。

 同紙によると、日本がザトウクジラなどの捕獲をやめ、さらに10年間で捕獲を5000頭減らす条件であれば、一定の管理下で日本の捕鯨を認めることで合意する可能性を議論していた。しかし、豪州の反捕鯨世論の高まりで妥協が困難になったという。
 また、捕鯨問題を担当していたギャレット環境相(当時)は、日本との交渉担当専門官よりも捕鯨廃止の考えが強かったという。

 ラッド首相(当時)は2月中旬、南極海での日本の調査捕鯨を外交的な話し合いでやめさせることができなければ、国際司法裁判所(ICJ)に提訴する考えを表明、5月末に日本を提訴した。6月の国際捕鯨委員会(IWC)総会では、豪州は捕鯨容認の議長提案に反発、合意に至らなかった。

抗議船衝突で豪当局者「日本の捕鯨船団に責任なし」(2011年1月8日産経新聞)

 南極海で昨年1月、日本の調査捕鯨船団と反捕鯨団体「シー・シェパード」の船が衝突した直後、オーストラリアの外交当局者が日本側に責任はないとの見方を示していたことが8日、明らかになった。同日付のオーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルドが、内部告発サイト「ウィキリークス」が入手した米外交公電の内容として報じた。

 米公電は一方「(当時の)ラッド豪政権が(日本の)調査捕鯨中止や縮小を実現できず、国内世論が不満を募らせている」ことなどから、日本側の“無実”を受け入れるのは「困難」と分析。米側の予想通り、豪政府は昨年5月に衝突の調査報告を発表した際、責任の所在を明確にしなかった。調査捕鯨の妨害を目指す同団体の抗議船「アディ・ギル号」は昨年1月、日本側の監視船と衝突し航行不能となった。(共同)

こうした話が事実であるとすれば、現場が一生懸命落としどころを探っている中でSSら無責任な外野がいたずらに煽り立てるような行為こそ一番の阻害要因という気もしますけれども、日本にしても捕鯨問題が現状で国論を左右するほどの大問題とはなっていないという現実があるだけに、まずは議論を深め国民としても態度を明確にしていく必要はあるのでしょうね。
その際には当然のことながら、いたずらに声が大きい連中のプロパガンダにばかり耳を傾けていても仕方がないわけですから、きちんと信用のおけるソースを元に各人がこの問題を考えていかなければならないし、まともなマスコミ関係者も国民の判断材料となる正しい情報を提供していく社会的責任があるということなのでしょう。
産経の佐々木正明記者なども以前から熱心にこの問題を追いかけていて、同記者のブログが「信じられないアクセス数を記録」しているというのも世の関心の表れだと思いますし、捕鯨賛成、反対と言った立場を超えてきちんと自分で考える材料が得られるという点で、SSらに代表される盲目的テロリストの百億倍も世の中のためになっているんじゃないかという気がします。

まあそうした諸事情を勘案するところ、結論としては記事タイトルの通りだということでFAなんでしょうかね(苦笑)。

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2011年1月 9日 (日)

今日のぐり:「中華そば 酒乱」

昨年の寅年から今年は兎年なんだそうで、各地でウサギにちなんだイベントも行われているようですけれども、先日思わず「それってありなの?」と思ってしまったのがこちら大阪発のニュースです。

干支:脱兎のごとく不況脱出を…通天閣で引き継ぎ式 大阪(2010年12月27日毎日新聞)

 大阪市浪速区の通天閣で27日、師走恒例の干支(えと)の引き継ぎ式があり、今年の「寅(とら)」と来年の「卯(うさぎ)」が対面した。

 メスの虎(4カ月)を連れた通天閣観光の西上雅章社長(60)が「事業仕分けなど、財政健全化を図りましたが、トラ(寅)ぬ狸(たぬき)の皮算用。期待はずれの張り子のトラ(寅)になりました」と今年を振り返った。

 続いて、オスのウサギ(6カ月)を抱いた天王寺動物園の長瀬健二郎園長(59)が「円高、デフレ、雇用問題。私の自慢の脚で、ホップ・ステップ・ジャンプ。脱兎(だっと)のごとく不況を抜け出してみせます」と、来年の“抱負”を述べた。【阿部弘賢】

干支の交代の主役だけに両雄の顔合わせは必須であったということなんでしょう、記事の写真で見てみますとトラはほ乳瓶で強制的に満腹に追いやられているようではあるのですが、正直このご対面は演出してしまって良いのか何しろトラとウサギだけにと、動物虐待の可能性すら出てきそうな危険な取り合わせではありますよね。
今日は無事に困難な任務を終えたウサギ君達の奮闘に敬意を表して、確かに気持ちは判らないでもないが正直そこまでやられると引くだろうという話題を紹介してみようと思いますけれども、まずはこちらのニュースから見て見ましょう。

ゲームメーカーが任天堂テレビCMのパロディ動画を公開「任天堂への憎しみは相当なもん」 (2010年12月30日ガジェット通信)

『ディシプリン*帝国の誕生』や『王様物語』などの人気ゲームを発売した事で有名なゲームメーカーのマーベラスエンターテイメントが、任天堂のテレビCMのパロディ動画を公開し、インターネット上で話題となっています。

任天堂は期待の新作ロールプレイングゲーム『ラストストーリー』のプレゼンテーション開催のお知らせをテレビCMとして放送したのですが、そのテレビCMをそっくり真似した(?)CM動画を作り、インターネット上で公開しているのです。

これに対してインターネット上では「マベはWiiで痛い目に合ってるからな。任天堂に対する憎しみも相当なもんだろう」や「任天堂への憎しみが見て取れるなwwwww」、「これパロでも許されないレベルwwww」、「任天堂の名にかけて処刑すべきだな」などの声があがっています。

マーベラスエンターテイメントが任天堂ハード向けに販売したゲームソフトがあまり売れなかったため、多くの人たちがこのパロディ動画を「任天堂に対する皮肉と仕返し」と感じているようです。しかしマーベラスエンターテイメントは2011年に任天堂ハード向けにゲームソフトを発売する予定なので、任天堂に対する皮肉のために作った動画とは一概にいえません。

説明が遅くなりましたが、この動画はマーベラスエンターテイメントの新作PSP専用ゲーム『勇者30 SECOND』のプレゼンテーションの告知動画となっています。気になる人は、プレゼンテーションに参加してみてはいかがでしょうか? 開催日は2011 年1月27日だそうです(これって『ラストストーリー』の発売日では……)。

実際のところどの程度パロディになっているのかはリンク先の動画を見ながら各自判断していただくとして、しかし実際に皮肉と仕返しでやっているのだとすれば大人げない話ですし、多くの視聴者にそう感じられたという時点でCMとしていささかどうなのよというところではないでしょうか?
この時期と言えば中緯度以北の北半球はどこも冬の季節ですけれども、そんな中で新年早々見るからに寒そうに見えるこんな話題が遠くスペインから出ていました。

熱気ムンムン!下着姿ならショッピング無料/スペイン(2011年1月4日産経新聞)

 下着姿ならショッピングはただに。スペインの首都マドリードで2日、衣料品店のセール初日の企画として、下着姿で来店した先着100人に、無料で商品を提供する催しが開かれた。押し寄せた若い男女らは、開店と同時に店舗入り口に押し寄せ=写真(ロイター)、お好みの衣類などを店側が用意した買い物袋いっぱいに詰め込んだ。商品が無料となるのは下着姿を見せている間だけというのが条件で、参加者は先を争って商品を選んだ。

いやまあ、この種の半イベント的な客寄せはどこの世界でも行われているんだとは思うのですが、何もこの冬の最中にわざわざこんな格好でやらずともよさそうなものじゃないでしょうかね?
こちらも季節的になるほどと思わされるような話題ではあるのですが、正直それは本当にエコなのかと問いかけたくなるような話です。

電気ウナギの電力でイルミネーション点灯/フィンランド(2010年12月21日ロケットニュース24)

フィンランドのヘルシンキ水族館でユニークなイベントが開催されました。電気ウナギの電力を利用してクリスマスツリーのライトを点灯するというもので、環境に優しい取り組みとしても注目されています。

その名のとおり、電気ウナギは強力な電気を発生させることができる大型魚。その威力は最高電圧600~800ボルト、電流1アンペアに達し、人間を感電死させることも可能だとか。クリスマスツリーのライトを点灯することなど朝飯前というわけです。

14日付けの英ニュースサイト「orange」によると、同館のMarkus Dernjatinさんは「私達はエネルギーを大切に使いたいと考えている。そこで、もっとエコな方法はないかと探した」と説明。「4本のプラスチック探針を使って電気ウナギの電力を集め、それでライトを点灯させた。電気ウナギがエサを食べているときは特に明るく点灯するよ。電力がぐんぐん上がる音が聞こえるほどだ」と話しています。

クリスマスシーズンに欠かせないイルミネーション。ですが、「電気がもったいないのでは」という考えがチラッと頭のなかをかすめます。電気ウナギの助けを借りれば、心置きなくその輝きを満喫できそうですね。

妙に元気の良さそうな電気ウナギの様子もさることながら、はたしてこれだけの仕組みを整えウナギを飼うという労力まで勘案に入れると、電気以外の何かがずいぶんと勿体ないような気がしないでもないですよね。
その強面と強権ぶりに反比例するかのような犬への盲愛ぶりから、近頃では「犬しか愛せない男」なんてありがたくないあだ名まで付けられているとかいうこちらの御仁ですけれども、本業の方では相変わらずのご様子であるようですね。

新年は停電家庭で過ごせ 露首相、知事に鶴の一声/ロシア(2011年1月3日産経新聞)

 「あなた自身が停電家庭に出向き、新年を迎えなさい」-。ロシアのプーチン首相は昨年の大みそか、モスクワ郊外での停電解消を急ぐようグロモフ・モスクワ州知事に厳命。首相の「鶴の一声」で、知事は灯油ランプを電灯代わりに使う家庭を夜中に回って元日を迎える羽目に陥った。ロシアのメディアが2日までに伝えた。

 モスクワ郊外では昨年12月26日、氷雨による送電線の切断などで大規模な停電が発生。31日夕の時点でも約4千人の家庭で停電が続いていた。

 首相は、同日午後6時までにすべての家庭への送電を復旧させると述べていたグロモフ知事を公邸に呼び、「確信がないなら約束するべきではなかった」と叱責。シマトコ・エネルギー相らとともに停電地域を訪れて復旧を急ぎ、結果を報告するよう命じた。

 知事らは1日午後、すべての停電を解消したと報告。首相はもっと頻繁に現場に赴くよう注文を付けた。(共同)

先の東北の停電でも「暖房も何も動かなくなった」と大騒ぎだったくらいですから、ロシア界隈ではどんな恐ろしいことになるのかという話なんですが、このあたりは責任者とは責任を取る人間のことであるということではあるのでしょうけれども、この人が言うと何か怖いんですよね…
同じくロシアからはこんなニュースも出ていますけれども、これなどもらしいと言えばらしい話ではあるのでしょうかね。

「新年の休暇に飲むな」、ロシア高官が呼びかけ/ロシア(2011年01月02日AFP)

【1月2日 AFP】「休暇を楽しむにはエタノールという名の化合物による人工的な刺激に頼るよりも、もっと適切な方法がいくらでもあることを忘れないように」─―。ロシア保健当局の高官が、新年の休暇の間パーティー三昧に明け暮れるであろうロシア国民に飲酒を控えるよう釘を刺した。

 インタファクス(Interfax)通信によると、ロシア連邦消費者保護局のゲンナジー・オニシチェンコ(Gennady Onishchenko)局長は2日、「暴飲暴食は新年休暇シーズンの深刻な問題。みなさんに覚えておいてほしい。エタノールは決して、新年を一緒に祝いたいような類の友人ではないのだ」と述べた。

 そして「健康のために外へ出て、もっと新鮮な空気を吸い、もっと運動すべきだ」と奨励した。オニシチェンコ局長によると、ロシアではアルコール関連の疾患で毎年8万人近くが死亡している。またアルコール依存症として登録されている人は220万人、「大量飲酒」の問題を抱える人が50万人いるという。

確かにそう言いたくもなるのも確かなんでしょうけれども、こればかりは民族的伝統とも密接に関わってくる問題だけに、果たして実効性はどうなのかと疑問にも感じられる話です。
昨今たびたび登場いただいている中国からはこんなニュースが出ていますけれども、何かしら美談かなにかのように見せておいて実は…というあたりが「らしい」ということなんでしょうか?

【外信コラム】上海余話 ネット世論の「力」/中国(2011年1月7日産経新聞)

 「父を助け出してくれた方に、私の体をささげます」。中国のインターネットに登場した「若い女性」の元日の書き込みだ。

 それによると、湖北省竹渓県の建設局に勤務していた正義感の強い父親、郭元栄氏が、上司の不正行為を何度も告発した結果、1998年に県の公安局に精神科病棟に送り込まれた。

 幽閉されたままの父親の“冤罪(えんざい)”を晴らしたい。自分の身を挺(てい)してでも家族の元に返してほしいとの悲痛な訴えだった。

 たちまち「郭元栄を救え!」と騒ぎが広がり、抗議に恐れをなした県側が急遽(きゅうきょ)、郭氏の「退院」を決めたのは3日のこと。

 郭氏は早くも4日に家族の元に戻ることができ、「ネット世論」のパワーを見せつけたが、実は郭氏に娘などいないことが分かった。

 5日付の上海紙によると、数年前に郭氏と同じ病棟に送り込まれた男性が、境遇の似た郭氏の家族と協力し「娘」をネット上で演じていたという。紙面では「美談」と扱われていた。

 ところが6日に急転直下。同じ上海紙が「郭氏は本物の精神疾患だった」とする記事を掲載し、郭氏たたきに転じた。別の当局がさらなるネット世論の高まりに怯(おび)えて指示でもしたのか。郭氏と本当の家族と男性の思いやいかに。(河崎真澄)

何にしろえん罪であったということであればこれは問題ですけれども、正直こうまでされてしまうと反動もそれなりにあるんじゃないかという気もしますかね?
ところでこういう話題になりますと恒例のブリの影が今回見当たらないんですが、確かに引くという記事は幾らでもあるものの、正直自分ごとき非修非学の輩には高尚すぎてブリの気持ちなど理解出来るはずもなかったということですかね…いやはや。

今日のぐり:「中華そば 酒乱」

田舎町に行きますと、のれんが掛かっていても「これって本当に営業しているの?」と思わずにはいられないような怪しげな店というものが結構ありますけれども、そうでなくともいやしくも21世紀に生きる店舗としてその店構えはどうなのよと思ってしまうようなお店というのは時折見かけるものです。
今回お邪魔したこちら「酒乱」さんなども、その見た目からして何者か?と思ってしまいそうですけれども、そもそも何故に中華そば屋で酒乱なのか?という根本的疑問を前に、以前に見かけたときから気になっていたにも関わらず今日までお邪魔するだけの決意がつかなかったという経緯があります。
今回一大決心をしてついにのれんをくぐってみたわけですが、結論として言いますと期待以上とも期待外れとも言える内容で、ちょっとこれは評価に迷うというところでしょうかね?

中に入ってみますと意外にも(失礼)満席に近いような状態なんですけれども、メニューを見てみれば中華そば各種の他に定食系もあり、一品料理も多数ありといった「田舎の食堂」っぽさ全開であるのはよしとして、こういう店の看板ともなるべきホワイトボードの一品料理に妙に季節外れなメニュー名が見受けられるのはどうなんでしょうね?
一応は昼食時ということで普通に日常生活の中で昼ご飯を食べに来ている人達のはずなんですが、この店内に漂うなんとも独特な雰囲気は到底昼飯時の定食屋の雰囲気ではないと言いますか、飯を食べてると言うよりたむろってるという方がふさわしいと言いますか、とにかく明るい昼の時間帯とは到底思えないような独特な雰囲気が充満しています。
当然ながらこういうお店ですから顧客層は地元の常連さんばかりなのでしょう、あの田舎の食堂に足を踏み入れた瞬間の「なにこいつ?」というスタッフと顧客の視線が集中する瞬間を何とか気力で乗り越え、とりあえず無難にしなちくそばを注文してみました。

しばらく待つほどにやってきたのは、とにかくネギとシナチクのトッピングがたっぷりという文字通り「しなちくそば」なんですが、失礼ながら案外見た目はごく普通と言いますか、正直ここまでどんぶりがきれいであるというのはちょっと拍子抜けしてしまいましたね。
食べて見てもごく当たり前な昭和風オールドスタイルのあっさり醤油ラーメンといった塩梅で、しなちくなどは特に言うほど美味ではないですけれども好きな人間にはこれも酒のつまみにもなるでしょうし、これまた昭和風に柔らかく茹で上げられた中細麺がボディの弱いスープとそれなりに合っているという、まさに「昔ながらの中華そば」といった感じの一杯でした。
これまた意外にもチャーシューなどは案外まじめに作ってあって、全体的にはうまいまずいはともかく値段相応にはコストもかけてある様子なのが好感が持てるのですけれども、正直今の時代にあって単品で見るといかにも押しが弱いというのも確かで、お店側でも設定しているように定食の中の一品として出してもらう分にはそう不満もないかなというタイプのラーメンであるようですね。

そんなこんなでラーメン屋としては見た目通り?という内容でさほど意外性もないというところなんですが、何しろ前述のようにお客さんもさることながらお店のおば…もとい、おねえさん方もまた雰囲気が独特で、この夜明け頃の飲み屋のおねえさん的な気だるい雰囲気がまさか真っ昼間から体験できようとは、それだけで一度は訪れてみる価値はあるかも知れません(二度目はいらないとは思いますが)。
店名を反映しているのでしょうか、店内に並んだ焼酎の瓶なども非常に気になるのですけれども、やはりここは夜になってお酒が入るような時間帯の方が本来の顔で、冷静になってよくある田舎の飲み屋兼食堂として捉えるとそんなにおかしなお店というわけでもないんでしょうね。
正直良きにつけ悪しきにつけもっとものすごいものが出てくるんじゃないかとそういう期待があったもので、その意味ではあまりに普通過ぎて何とも言い難いような内容だったのはちょっと期待はずれでもあったのですが、たまにはこういう地域密着型のお店も昭和の味を試してみるにはいいのかも知れません。

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2011年1月 8日 (土)

東京女子医大事件民事訴訟、高裁で和解成立

すでに各種報道でご存知のところだと思いますが、すでに刑事訴訟においては無罪が確定した東京女子医大事件の佐藤先生が名誉毀損を訴えた裁判において、このたび高裁で先生と女子医大側との和解が成立しました。
当事者すら与り知らぬところで作成された大学の事件報告書において、大学当局から事件の「主犯」であると名指しされた挙げ句に刑事訴訟の被告人席にまで立たされることになった佐藤先生にとってまずは朗報だと思いますけれども、各社の報道から引用してみましょう。

東京女子医大 死亡事故めぐり医師と和解(2011年1月6日TBS news i)

 10年前に東京女子医大病院で心臓手術を受けた少女が死亡した問題をめぐって刑事裁判で無罪が確定した医師が大学側を訴えていた裁判で、6日、双方の間で和解が成立しました。

 この問題は2001年3月、東京女子医大病院で心臓手術を受けた当時12歳の平柳明香さんが死亡したものです。弁護側によりますと、大学は「死亡の原因は手術で人工心肺装置を担当した佐藤一樹医師のミスによるもの」という内容の報告書をまとめ、佐藤医師は業務上過失致死の罪で逮捕・起訴されましたが、おととしに無罪が確定しました。

 佐藤医師は「誤った内部報告書で名誉を傷つけられた」などとして、東京女子医大と当時の院長を相手取り、5500万円の慰謝料などを求める訴えを起こしていましたが、6日、東京高裁で和解が成立。大学側が、報告書に佐藤医師の操作が死亡原因であるかのような誤った内容があったことを認め、佐藤医師に謝罪したうえで200万円を支払うことで双方が合意しました。佐藤医師は「大学側の謝罪を評価します」とコメントしています。

東京女子医大:無罪確定の医師と和解(2011年1月6日毎日新聞)

 東京女子医大病院で01年、心臓手術を受けた女児(当時12歳)が死亡した事故で業務上過失致死罪に問われ、無罪が確定した同病院元助手、佐藤一樹医師(47)が「大学側の誤った調査報告で名誉を傷つけられ、不当に解雇された」として、大学と元院長に慰謝料5500万円や未払い賃金の支払いを求めた訴訟は6日、東京高裁(園尾隆司裁判長)で和解が成立した。

 大学側が調査報告の誤りを認めて謝罪し、解決金200万円を支払う和解内容。

 佐藤医師は手術で人工心肺装置の操作を担当。手術中に装置が正常に作動しなくなり、女児は脳障害で3日後に死亡した。大学の調査報告は原因を「佐藤医師の初歩的な過失」としたが、刑事裁判の2審・東京高裁(09年3月)は「執刀医が装置の管を挿入した位置が悪かったことが原因」と指摘し、佐藤医師の操作と死亡の因果関係を否定していた。

 民事で東京地裁は昨年8月、調査報告の誤りは認めたものの、賠償請求権の時効(3年)成立を理由に請求を棄却していた。和解について佐藤医師は「誤りを認め、謝罪の文言が和解内容に入ったことを評価する」とコメント。女子医大は「大学病院として一層努力していく」との談話を出した。【和田武士】

東京女子医大事故で医師と大学側が和解 東京高裁(2011年1月6日産経新聞)

 東京女子医大病院(東京都新宿区)で平成13年、心臓手術を受けた当時12歳の女児が死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われ、無罪が確定した佐藤一樹医師(47)が、誤った内容の報告書で名誉を傷つけられたとして同大などに約5500万円の慰謝料などを求めた訴訟は6日、東京高裁(園尾隆司裁判長)で和解が成立した。

 佐藤医師の代理人によると、同大側が約200万円を支払うことなどが条件という。1審東京地裁は、提訴時に損害賠償請求権の時効が成立していたなどとして、佐藤医師の請求を棄却していた。

 和解成立を受け、佐藤医師は「大学などが『衷心から謝罪する』という文言を和解案に入れたことを評価する」、同大は「今後も、安全で高度の医療を提供する大学病院として一層努力していく」とのコメントを発表した。

 佐藤医師は人工心肺装置を不適切に操作し、女児を脳障害で死亡させたとして14年6月に逮捕されたが、1、2審はともに無罪となり、確定した。

東京女子医大が謝罪=「事故報告書は誤り」-無罪医師と和解・東京高裁(2011年1月6日時事ドットコム)

 東京女子医科大学病院(東京都新宿区)で2001年、心臓手術を受けた小6女児が死亡した医療事故をめぐり、機器の操作ミスが原因だとする調査報告書で名誉を傷つけられたなどとして、刑事事件で無罪となった佐藤一樹医師(47)が大学と元院長に損害賠償を求めた訴訟は6日、東京高裁(園尾隆司裁判長)で和解が成立した。大学側が報告書の誤りを認め、謝罪した。
 原告側代理人によると、高裁が昨年12月、和解案を提示。和解条項には200万円の解決金支払いも盛り込まれた。
 大学の報告書は、佐藤医師が人工心肺装置のポンプの回転数を上げたままだったことが原因と結論付けていた。昨年8月の一審東京地裁判決は「佐藤医師の過失は否定されるべきだ」と指摘する一方、損害賠償請求権の時効(3年間)を理由に請求を棄却した。
 佐藤医師は業務上過失致死罪で逮捕、起訴され、09年に無罪が確定した。和解後には「報告書を基に起訴された。全国の医師には、医療事故の『内部報告書』の危険性を検討してもらいたい」とのコメントを出した。
 東京女子医科大広報室は「今後も安全で高度の医療を提供する大学病院として一層努力する」としている。

この事件、詳細に経緯を知っていない方にはなかなか判りにくいところもあったと思いますけれども、当初マスコミで話題になったのは執刀医がカルテ改ざんをしたという話で、そちらについては特に目立った争いになるようなこともなくさっさと片が付いてしまったわけですが、問題は助手として手術に入っていた佐藤先生の裁判の方がこうまで長く続いてしまったということなんですね。
そのそもそもの発端となったのが、誰一人人工心肺の専門家もおらず、ろくに現場当事者の事情聴取もないまま「助手である佐藤医師のミスが事故の原因だった」と断定した大学当局の調査報告書であって、これを知った警察がすわ!それなら佐藤医師を逮捕しなければ!と乗り出してきたのが長い長い刑事訴訟にまで発展した一番の理由であるわけです。
この件について2008年の日本心血管インターベンション学会で当の佐藤先生自身が下のように語っていますけれども、先頃の福島は大野病院事件においても問題になった、真相究明よりも何よりも「まず組織としての目的ありき」の報告書なるものが、真実を究明し再発防止を図るという医療事故対策の上でも、そして社会正義の上でもどれほど有害無益なものかと考えさせられる話だと言えるのではないでしょうか?

Ex-5 「~医療事故調、主役は厚労省ではない。医療界の覚悟こそが問われている~ 日本心血管インターベンション学会パネルディスカッション報告 2 」(2008年7月26日JMM)より抜粋

 ■ 佐藤一樹:医師・東京女子医大事件被告人

(略)
 担当講師のカルテ改ざんという極めて遺憾な行為があったことによって刑事事件に向かっていった。証拠保全が行われ、遺族は心研の所長に死亡原因に関する調査を要求した。タイミングの悪いことに、心臓外科の主任教授が空席だった。遺族が内部報告を急ぐよう激しく要求を繰り返したことは各種の調書から分かっている。

 

現場の医師と組織との間には利益相反が存在する。私に言わせれば、女子医大の院内報告書は意図的・組織的に作り上げられた歪んだ内部告発である。非専門家によって作成され、心臓外科医はすべて無視された。そもそも院内調査の目的は、家族への死亡原因報告。現場の医師から形ばかりの意見聴取を行ったものの、その意見を全く無視し、現場医師を切り捨てた。この内部報告書は当事者である現場の医師には誰にも見せずに遺族だけに手渡された。絶対に許し難い行為だ。今後、医療界にどのような院内調査報告書が登場して来るか分からないが、報告書の発行の前に現場の医師の意見を聴かずに作成されたものは破棄されるべきと思う。 

業務上過失は法人ではなく必ず個人が対象になる。端的にいうと、病院管理者と警察の利害は一致する。病院の特定機能病院指定が剥奪される代わりに、現場の医師を業務上過失致死に問わせるという手段で解決しようとした。瑕疵のある人工心肺というシステムエラーを、1個人の操作ミスというヒューマンエラーに置き換えようとした。本件だけでなく、院内調査報告書は捜査機関に対する内部告発と鑑定書の役割を果たす。検察官が起訴状に書き込むことは報告書に依拠する。本件の検察官は裁判途中で院内報告書の誤りに気づき訴因変更を行った。その結果として無罪判決が言い渡された

 私からの提言。医療事故の院内調査は病院組織による責任所在の決め付けの側面がある。客観性・中立性は担保されない。捜査機関に対する内部告発・鑑定書になる。外部専門家が存在しない院内調査は死因究明・責任追及過程が意図的に行われる可能性がある。先日発表された医療安全調査委員会設置法案大綱に関して、私は全面的に支持する立場にはないが、『医療事故調査を終える前に、原因に関係ありと認められる者に対し、意見を述べる機会を与えるべきである』との記載内容に関しては、今後絶対に重視させるべきであろうと考える。

医師・東京女子医大事件被告人:佐藤一樹

長年この件について関わってきただけに、佐藤医師の指摘には単に一当事者の発言というに留まらない重大な内容が含まれているように思いますが、ここにもまた「責任追及を目的とした調査報告は結局のところ事実の追求からは縁遠いものとなってしまう」という、こうした事故調問題に共通する背景が隠されていたようにも思えます。
従来から航空事故調などで言われているように自分の証言が責任追及に使われかねないとなれば、誰も本当のことなど証言するはずもないというのももちろんですが、今回明らかになったのは場合によっては組織としての責任を追及されかねないという、いわば事件の当事者たる病院という主体によって行われる内部報告なるものの限界でもあったと思います。
かねて医療事故調議論などにおいても「外部組織による検証に先立って、まず病院内部での検証を」という論調は一定の支持を得ていたわけですが、今回の民事訴訟を通して当事者による内部調査の客観性、中立性に大いに疑問符が付けられたという点からも、女子医大の行為は後世に残る非常に大きな影響力を発揮しかねないものなんじゃないかという気がしますね。

そしてもう一点、大野事件などにおいてもさんざんに検証されてきた「現代の事件はマスコミによって創られる」という側面が、この場合においても大いにありそうだということは改めて認識させられますよね。
佐藤先生のブログを見ていて感銘を受けたのが、とあるえん罪事件において一人の若い医師が社会的に排除されてしまった経緯を記した一文ですけれども、先の大野事件しかり、奈良の大淀事件しかり、そして今回の佐藤先生の事件もまたしかりと、今の時代こうした「え?なぜ?」という事件の背景には必ずと言って良いほどマスコミの影が見え隠れしています。
本件も当時マスコミがどれほど感情的なバッシングを行っていたかは今も記憶に新しいところですけれども、こうして大学当局ですら佐藤先生にわびを入れたという事実を報道するにあたって、実は一番戦々恐々としているのが当のマスコミであるのかも知れませんし、真っ先に謝罪の特番くらいは組んでもバチは当たらないはずだと思うのですけれどもね。

思わぬ人生の回り道をしてしまう羽目になった佐藤先生の将来に幸い多かれと祈りつつ、マスコミ諸社がどのように事件を総括するかを興味深く見守っていきたいと思います。

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2011年1月 7日 (金)

産科医療最近の話題から

世に「過ちて改めざる、是を過ちという」なんてことを言いますけれども、改められて初めてそれと世に知られる過ちというものも多々あるもので、先日はこんな記事が出ていました。

都立病院、分娩料を10月から上げ 一律15万7000円に(2011年1月5日日本経済新聞)

 東京都は都立病院の分娩料を10月から値上げする。現在の分娩料は出産の時間帯によって異なり、午前8時30分から午後5時15分は8万 6000円。夜間や早朝・深夜はこれに2万~3万円程度上乗せしている。10月からは時間帯に関係なく15万7000円に金額を一本化する。

 産科医療では医師不足が問題となっており、都は医師の待遇改善や人員補充に取り組んできた。都は値上げの理由を「医師の人件費が高騰しているため」と説明している。都立病院は年間に約3600件の出産を手掛けている。

いや、いくら基本料金だけとは言っても分娩料8万6千円って幾らなんでも安すぎるんじゃないかと思うところですが、調べて見ると全国の公立病院で結構こうした値付けをしているところはあるんですね(さすがに昨今では値上げしつつあるようですが)。
あちらこちらの施設で実際にかかった分娩費用の内訳というものを公開してくださっているものをみてみると、確かに公立病院の分娩料は不当に安く据え置かれているということがよく判りますが、今回の値上げ分を込みで考えてもやはり公立病院での分娩取り扱いというのは、医者らスタッフにとっては割の合わないものであるという状況は変わらないように思えます。
官民の病院における待遇格差なども同様の傾向ですけれども、世間ではお役所仕事と言えば非効率の代名詞のように言われる中で、ことこうした公立病院での医療という問題に限っては医者が奴隷のごとく酷使され、民間よりずっと安い医療を提供しているというのも何かしら興味深い現象ではないかという気がしますね。

まあそうした余談はともかくとして、こういう記事を見ますと分娩料値上げ料引き上げ分はそっくりそのまま医者の待遇改善に使われるものかと当然考えてしまうわけですが、もともと東京都というところは全国でも際だって公立病院医師の待遇が悪いことで知られていた土地柄です。
それが例の産科絡みの騒ぎが全国的に多発していると騒がれるようになった時期から考え直したということなのでしょうか、2008年から産科医に少しばかり手厚い手当を出すようにはなったと言うことなんですが、一方でざっと調べた限りでは分娩取り扱いで直接一件あたり幾らという手当がつくのは異常分娩に限られているように見えるのですが、実際のところどうなんでしょうね?
仮に相変わらず正常分娩は通常業務のうちということで報われない状況が続くということであれば、これは幾ら頑張ろうが疲れるだけだということで現場のモチベーションも上がらない、それどころか過労に追い込まれてうっかりミスでもするリスクを考えれば公立病院など働いたら負けだということで、全国公立病院で昨今みられるようになった自主的な労働調整が東京都においても進行していくかも知れませんね。
一応全国的に見ると近頃では分娩毎に手当をつけるという施設が増えてきていて、今では待遇が悪いことで有名な大学などでも四割超の施設で手当があるということですが、実際の手当支給の条件などを見てみると東京都の場合と同様に問題なしとしないようで、これでは実態を反映しない名ばかり形ばかりの「待遇改善」に過ぎないのではないかと言われても仕方がないところでしょう。

分娩当たり手当は増加、時間外は依然少数―産婦人科勤務医アンケート(2010年12月13日CBニュース)

 日本産科婦人科学会が実施した「大学病院産婦人科勤務医の待遇改善策の現況に関するアンケート調査」によると、調査対象となった106病院のうち、分娩当たりの手当が支給されているのは48病院で、全体の約45%だった。一方、当直時間帯の診療に対する時間外勤務手当について、完全に支給されているのはわずか15病院にとどまり、労働時間に見合った適切な処遇を求める現場の声と乖離した現状が浮き彫りになった。

 調査は2007年から毎年7月ごろに行われ、今回で4回目。調査対象は大学病院106病院で、内訳は国立大病院43病院、公立大病院8病院、私立大病院本院29病院、私立大病院分院26病院。

 調査結果によると、産婦人科医の当直体制について勤務超過を緩和するため、交代勤務制への移行が現場で模索されているが、実際に交代制が取られているのは国立の1病院のみで、それもMFICU(母体・胎児集中治療室)勤務に限られたケースだった。このほかは、少数の病院で宅直制が取られているものの、大多数が宿直制だった。

 分娩当たりの手当については、手当が支給されているのは106病院のうち48病院で、全体の45%だった。半数には満たないが、おととしの14病院と比べると、この2年で3倍超となった。ただ、手当の支給条件を時間外分娩に限定している病院も多く、本院では国立で27病院中13病院、私立で12病院中9 病院が時間外に限定していた。

 また当直時間帯の診療に対する付加的な報酬のうち、時間外勤務手当をすべて支給しているのは15病院、時間外手術に対する手当は37病院、緊急入院・搬送対応に対する手当は9病院にとどまった

大学病院などはアリバイだけの待遇改善だとしても、医療機関がどこも儲からない今の世にあって金銭的厚遇にも(特に、特定診療科だけとなりますと)自ずから限界もあるでしょうし、お産もかつてのような産めよ増やせよという時代背景の中で院内の稼ぎ頭という感じではなくなった、むしろ産科医を集めることの困難さや訴訟リスクの高さを考えると割に合わないと、お産からの撤退を検討あるいは実行している施設も少なくないようですよね。
産科医の側にしても様々な意味でバックアップ体制が整っていない施設ではお産などやりたくない人も多いでしょうから、今後徐々にお産施設の淘汰あるいは統廃合が進んでいく可能性もあるかと思うのですが、そうなると淘汰されていく側の施設としてはどうなのかということです。
とりわけ地方の公立病院あたりでは「うちの町の病院はお産も出来ないのか!」「産科医もいるのになぜお産を取らないんだ!」と市民からもお役所からも圧力がハンパないですから、一人医長の先生などは胃が痛い思いをしながら無理をしてお産を取り扱うか、いっそ職場を辞するかと決断に迫られる局面も増えているでしょうが、最近ではこの方面で人的な面でのサポートの必要性もようやく認められつつあるようですね。

奈良県立医大に院内助産所 役割分担でケア充実/奈良(2010年12月17日産経新聞)

 奈良県立医大病院(奈良県橿原市)で、正常な妊婦の出産を助産師が中心となってケアする「メディカルバースセンター(院内助産所)」が完成し、17日、報道陣に公開された。

問題を抱え、高度な医療が必要な妊婦は産科医が担当し、役割分担を明確化。医師不足の中でも必要なケアが行き渡るようにするのが狙い。

 奈良県では平成18年8月、同県大淀町の町立病院で分娩(ぶんべん)中に意識を失った女性が転院を相次いで断られ、搬送先で男児を出産した8日後に死亡する問題が起きた。県はこれ以降、産科医不足への対応策を検討していた。開設は来年1月11日。

 医師不足が深刻化する中、院内助産所は数年前から注目を集め始め、20年からは厚生労働省が整備に補助金を出す事業も始まっている

昨今ちょっとしたブームなのがこの院内助産というものなのですが、とうとう大学病院にも導入されたと言うことで、かねてなにかと問題が多いと言われて久しい開業助産所などと比べると産科医という限られた資源保護の点でも、チームによって医療の質を向上させるという昨今のトレンドに沿う意味でも積極的に活用されていくべき手法ではないかと思います。
もちろん産科医一人を雇うお金で助産師が三人雇えるだとか、金銭的にこれ以上お金はかけられないといった事情も背景にあるのかも知れませんけれども、個人的にこの院内助産については単純に産科医保護という側面だけではなく、むしろ先日も話題になったホメオパシー騒動にもみられるような一連の開業助産師問題に対する一つの解決策としても注目しています。
医者という人種は自信家が多いのか、「他人に任せるくらいなら俺がやった方がうまくいく」とばかりに何でも自分で片付けてしまう傾向がありますけれども、誰でも出来る仕事まで抱え込んだ結果過労を来たしミスを連発する、あるいは本当に自分にしか出来ない仕事に手が回らなくなってくるということでは本末転倒ですから、そろそろ他人をうまく使って楽をするということも真剣に考えていかないといけないはずですよね。

昨今国の方針として導入が進められそうな勢いのナースプラクティショナーなどもそうですが、コメディカルスタッフの業務拡大ということに関しては今も医者の側から反対意見も根強いのは事実で、その背景には「自分より下手な人間に仕事を任せるなんて不安」だとか、さらに進んで「下手くそな他人の失敗で尻ぬぐいを押しつけられるのではやっていられない」という素朴な反発があるように思います。
ただし医療の需要側の抑制が当面劇的に進展するということはまず考えられないわけであって、そうであれば今ある需要に対して医療業界全体としてどう対処していくのかという答えを提示することは専門職としての義務だと世間ではみているでしょうから、そろそろ医者も医療の全体像を見渡した中での適正な業務分担ということを考えておいた方が、何より結局は自分のためでもあるんじゃないでしょうか。
医療に対して社会的に出来ること、やろうとしていることが着々と話が進んでいく中で、現場を知らない人間に無茶苦茶に仕切られるくらいであれば医者が仕切った方がまだしも仕事は回る体制にもっていけるだろうし、後になって「誰が勝手にこんな阿呆なシステムを組みやがった!やってられるか!」と大騒ぎするくらいなら、今から声を出して言いたいことは主張しておいた方が気分はよくなりそうですよね。

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2011年1月 6日 (木)

何事もご利用は計画的に

お正月と言えば昔からおせち料理はつきものですが、先日以来「いくらなんでもこれはひどい!」と世間を賑わせているのがこちらのニュースです。

グルーポンで買ったおせち料理が「見本と違う」と話題に! 腐っているという報告も多数 (2011年1月1日ガジェット通信)

共同購入サイトで一気に人気を集めている『グルーポン』にて21000円のおせち料理が、500人の応募が集まることにより10500円という半額で購入出来る。そんなおせち料理が今話題になっている。

話題の内容は半額の値段ではなく、見た目のようだ。見本はかなり豪華な内容の4人前おせち料理がサンプル写真。しかし実際購入者に送られてきたのは中身スカスカのおせち料理だったという。品数も33品なのに対して数えてみると25品程しかないとのこと。

このおせち料理を販売した『バードカフェ』の掲示板は大荒れしており現在閲覧不可能な状態。さらに客の中には「おせちが腐ってます」、「おせち 腐敗」と苦情を寄せる人も居る。掲示板には「即冷蔵庫にいれて、夕方 来客とともに食べたら煮物はヤバイいたんだ味。鶏肉(手羽元)はもろに腐敗  かずのこは食べられないくらいのまずさ 新年そうそう食中毒は怖いので食べずに処分いたしました」と投稿されている。これが本当ならリコール問題になるだろう。

『グルーポン』とは複数の客が共同で購入することにより50%以上の割引が出来るというサービス。“共同購入型クーポン”と呼ばれ世界中に似たようなサービスがあるが日本では『グルーポン』が人気を集めているようだ。今ではテレビCMを流す程にまで成長している。

今回の問題は『グルーポン』よりもおせちを提供した店舗側にありそうだ。元旦のおせち料理を楽しみにしていた人はどうなるのだろうか……。

ちなみに記事に付いている見本と実物それぞれの写真がまさしく「使用前」「使用後」という感じなんですけれども、幾らなんでも羊頭狗肉杉だろうjkと思えるようなもので、特にこのおせちと言うには斬新すぎる三角チーズが何とも言えないくらい良い味を出していますよね(注:決して褒めていません)。
あまりに衝撃的すぎる事件のせいか相次いで続報が出ているのですけれども、今回の一件を受けて「バードカフェ」の社長は辞任することを公表したと言うことなんですが、その後の返金等は今に至るも全く進んでいないという状況のようで、もともとそんな大口の仕事をこなせるような能力もなかったのでは?という疑問の声も出ているところです。

グルーポンでバードカフェのおせち料理を買った方の声を集めてみた 「おせちを作るだけの実力がない」 (2011年1月5日ガジェット通信)

12月31日に中身が少な過ぎる等とネットで話題になった”おせち料理”。話題になってからやや遅れて著名人によるTwitterでのつぶやき等がおこなわれ、ネットでの議論はさらにヒートアップしているようだ。今後おせちの問題のみならず、ネット通販そのものや大幅な割引広告(クーポン)が生み出す問題といった方向にも議論が発展していくものと思われるが、ここでは実際に購入した方の声を整理して掲載してみたいとおもう。

先日ガジェット通信読者の中で実際に購入した人の声を募集したところ多くの情報が寄せられた。その中から掲載の許可を頂いた物を抜粋して紹介したいと思う(全て匿名です)。尚、今回掲載した情報は購入者自身の生の声です。(配信先によってはすべての画像を閲覧できない場合があります。その場合は、記事最後のリンクよりガジェット通信サイトにて画像を閲覧してください)

・Aさんの話

私は今回グルーポン経由で11月にバードカフェのおせちを購入しました。
結果、何も送られてきませんでした。グルーポンには1月1日に詳細の質問メールをしましたがいまだ回答はなしです。バードカフェからは本日1月3日の午後7時半ごろ社長の水口氏本人から電話がありました。
お正月のおせちだけにやはり納得がいきません
グルーポンも問い合わせがメールしかなく回答もなく納得がいきません。
正月早々納得がいかないことばかりです……。

こちらは千葉なのですが後日水口氏が私の自宅まで来るそうです。

▲これはおせち料理が宅配されないケース。

・Bさんの話

当日(31日)に御節が届きました。冷蔵便でえんじ色の保冷袋にはいっており、期待大。
しかし……。
中にはいっていたのは2ちゃんねるに掲載されている写真と同一。彼と二人で食べるはずが、苦い気持ちに。
それでも食べてみましたが、手羽、煮物、ローストビーフはニオイが古くダメでした。
食べれるものだけを食べて残りは冷蔵庫に入れたところ、再度配達予告メール。
1月1日AM着で再度バードカフェから配達
1月1日に受け取ったところ、31日に届いた御節よりもさらに具が少なくなっており、パセリが一つ増え、鴨の下に刺身のツマのようなものがひいてあるもの。
2個目の御節には1個目になかったアンケート用紙と献立、連絡先の記載の紙があり、少なくともこのおせちがアンケートを行うに値するものであったようです。
1月2日の夜に水口氏から電話がありましたが、辞任後は父が取締役に付くとおっしゃっていました。結局、何も代わらないようでとても残念でした。

▲届いたが料理が傷んでいるケース。この方が撮影した写真が下記の物。なおこちらの写真だが「あの騒ぎの前に冷蔵庫に移動するために、すでに2段に詰めなおしていまして、ご希望に添える写真はありません」とのことだ。

・Cさんのお話

10時頃に届き、お昼に客人と期待をもって開けました。
*保冷のお重専用袋に入っているにしては冷たくない
*黒に金文字の素敵な箱でしたが、開けてビックリ!!中身が踊り混ざっている
 十字の仕切りも×に。中身が本当に少ない。どうみても市販品?
 今さら仕方がないので、後日クレームする事にして頂きました。
 鳥好きな姪が一口食べて叫びました。「傷んでいない?」私も野菜を食べてみたらふにゃふにゃで匂いました
 子供たちに食べないでと言い、ごみ箱に。(他の方みたいに写真を撮らなかった事が悔やまれますが、あの時は怒り心頭に達してました。お節ですから。)

でも何か違いますよね? 通販生活の長い私ですが、初めての経験です。
社長が辞任する前に、電話かメールでお詫びするのが筋ではないでしょうか?

▲こちらお子様が居る主婦の方。実際に記者が電話でも何度かお話をして詳しく聞いたところ、ネットで書かれている事は大げさではなく真実とのこと。

・Dさんのお話

グルーポンで11月25日に「限定100」でおせちを私と嫁の実家、合計2セット購入いたしました。翌日、11月26日に追加「400」がおこなわれ、最終的に500に。
予想以上に注文に対応できなかったとコメントされていますが、最初から計画がずさんだったのだと思います。グルーポン側にも確認をきちんとしなかった責任と、関係者がおせちの詰め込み作業等を手伝っていた内容が明らかになり、ますますこのような騒ぎになったのだと思います。

さて、本題に戻りますが、12月31日午前にヤマト宅急便の冷蔵便で届きましたが、広告文章にあった「三段のお重に贅沢にあますところなく盛り込んだ究極のおせち」とは言い難い、たいへんに少ないおせち、また、腐りかけの匂いも。(煮物、肉類が腐敗していました)数の子は、皮もむけてなく、塩抜きされていない

年末年始、たいへんにがっかりいたしました。「詐欺+食の安全無視」だと思います。
あのスカスカなおせちを詰めて、誰も疑問に思わなかったのでしょうか??

▲グルーポンにて限定100が11月26日には400追加されていることに疑問を感じ、それが原因ではないのかと語っている。またこの方も写真を撮っていたとのことで、下記に掲載させていただきます。

・Eさんのお話

おせち購入者です。とてもひどいものだった。
名古屋までの配送だったので、中身はひっくり返り、片寄り・・・まるで食い散らかした残飯のようでした。
グルーポンは何度か利用してましたが、宣伝と内容が違うことは無かった。

今日、バードカフェから連絡があったけど、500人分作るのに時間がかかったとか言い訳ばかりで誠意は感じられませんでした。
ちなみに5000円の商品券を送ってくるそうです。
ふらんす亭の社長もお仲間なんだか、かばってるようだけど、新年のおせちにあんなんが送ってきて、実物見たら「一生懸命作った」なんて言えないと思う。発言軽すぎ。

あんなおせち、出来上がり見て発送OK出した人(社長?)頭悪いと思う。飲食店やる資格なし。

▲ふらんす亭社長の発言に対しても苦言。またバードカフェとは関係無いがグルーポンの商品は問題無かったという意見も届いている。たまたまバードカフェが粗悪おせち料理を送ったのか、数を500まで許可してしまったグルーポン側に問題があるのかは現時点では不明だ。

・Fさんのお話

東京在住のおせち購入者です。
送られてきたものは寿司は裏返り、仕切りはズレ、中身はぐちゃぐちゃでした。

数の子は明らかに塩抜きと筋取りができておらず不味いです。
お肉からは若干腐敗臭がしており、酸っぱい味もしました。

配送方法は通常の宅配でした(クール便でない)。
31日に届いたのですが、何故か1日に同じような状態のものがもう一つ届きました
何故もう一つ届いたのかは不明です。

それから1日の朝に謝罪の電話が来ました(母が取る)。
内容は返金についてです。私達におせちを作るだけの実力がないとも言っていました。
電話をかけた人間は不明です(男ではある)。

▲ネットの情報通り、「クール便ではなく、普通の宅配で届いた」との情報。また店舗側が「おせちを作るだけの実力がない」と語っていた、とのこと。この方が撮影した画像は下記に掲載

以上が寄せられた声の一部だ。この問題に関しては「バードカフェは十分に謝罪したのだからあとは返金対応するのを待てば良い」と言う意見も少なからず出ている。今回は実際購入された方の生の声を集め、整理させていただいたが、みなさんはどうお感じになっただろうか。

ネット上ではそもそも見本写真のように容器からはみ出すようなものを箱に詰めて送れるものだろうか?という素朴な疑問も出ているのですが、確かにこの容器にこの内容は無理だろうと考えれば、あるいは最初からそういうつもりであったのか?とも考えられそうな話ですよね。
これだけであれば良くある?話ということで終わりになっていたのかも知れませんけれども、今回の事件がこれだけ大騒ぎになったことで各方面から安易なサービス利用に対する批判も飛び出している、特にこうした制度自体のリスクというものを指摘する声が圧倒的に多いということが注目されるところで、例えば日本コカコーラのマーケッティング部門を統括する江端浩人氏などはこんなことを言っています。

「前払いクーポン割引サービス」で“おせち事件”はなぜ起こったのか(2011年1月5日アドタイ)

最初にお断りしておくが、本記事は今回起こった事件の当事者を非難もしくは弁護するものではない。本コラムで言いたいのは、サービスに適さない商材を扱うことによるリスクであり、それを指摘することでサービスを利用する消費者、商材を提供する店舗、サービスを提供する事業者が同じ間違いを繰り返さないことを願ってのことである。

「おせち」は前払いクーポンに向かない商材

2011年頭に「前払いクーポン割引サービス」が大きな失態を演じてしまった。以前に本連載で懸念したトラブルが残念ながら顕在化してしまったのである。インターネットの報道によると、半額で購入し自宅に送られてきたおせち料理が見本と違い、中には食用に適さないものもあったという。提供サービス事業者とレストランは全額返金などの対応を発表しているが、ツイッターや2ちゃんねるなどではおせち料理を提供したレストラン側を責める声が多く、レストランの代表が辞任する騒ぎに発展している。もちろん、主な責任は提供側にあるだろう。しかし、筆者の考えではおせち料理は「前払いクーポン割引サービス」に最も向いていない商材であったのだ。今後この様な失敗が繰り返されないよう、ここで商材の向き、不向きを論じてみたい。

この記事中では、誤解のないようにあえて「前払いクーポン割引サービス(略して前払いクーポン)」と記載する。「クーポン共同購入」と呼んでいること自体が誤解を与えている可能性が高いからである。「共同購入サービス」と「前払いクーポン割引サービス」には明確な違いがある

まず「共同購入サービス」は、仕入れのスケールメリットを提供企業が顧客に還元することにより値引きが可能なサービスを指す。最低数量をクリアすれば必ず商品を送るため、仕入れや送料、梱包などの実費がかかることから割引率を引き上げることは難しい。また、提供企業のメリットは主に利益であり大きな値引きができない。それは「利益」=「売り上げ」-「原価(仕入れ)」-「送料」-「追加人件費」-「手数料(提供サービスや決済)」という構造になるからである。

一方で「前払いクーポン」は通常、設備型の来店サービスに適用される。そして企業側は追加投資なしで売り上げを増やすことができ、顧客獲得や知名度向上などのメリットも期待できるので大幅な割り引きが可能である。企業側の利益は「売り上げ」-「原価(仕入れ)」-「送料」-「追加人件費」-「手数料(提供サービスや決済)」に加えて、直接的なプラス要因として、+「クーポン未使用率」+「原材料棄損率の低下」、間接的な効果として「体験者・リピーターの獲得」がある。ちょっと長くなるがひとつづつ解説してゆこう。

    * 原価(仕入れ)

レストランなどでは原材料が消費されずに廃棄されるケースが少なくない。クーポンを発売した後には予約が必要なケースがほとんどなので、消費される量が予測でき、適切な仕入れが可能になる。場合によっては、廃棄ロスとなっていた分で新規仕入れをカバーすることもできるだろう。このメリットは意外と見逃せないものである。当然、まったく仕入れを必要としない映画やレジャーなど施設型サービスもある。

    * 送料・追加人件費

店舗来店型の前払いクーポンは電子クーポン(紙で印刷)にしておけば送る必要がない。そして商品を梱包・発送するための手間(追加人件費)は必要にならない。また、レストランなどでも通常のシフトでカバーできる程度の予約枠で運用すれば追加は必要ない。

    * クーポン未使用率

ここが決定的な違いになる。共同購入は申し込み時点で発送が確定するのだが、前払いクーポンはサービスを利用しない顧客がかなりの割合で存在するのである。

    * 体験者・リピーターの獲得

新商品やサービスの場合には体験者を増やすことが必要であり、そのためにマーケティングのコストを多くの企業が負担している。自前で独自の顧客を獲得するよりは、すでに多くの顧客を持っている基盤で展開するほうが効率が良い。したがって多くの会員を有している前払いクーポンサイトでの集客は効率が良いのである。そしてその一部がリピーターになることでさらに効率が良くなる。ただし、単なる通販の割り引きであればリピーターの獲得は難しいだろう、顧客は店舗との情緒的なつながりよりも価格で判断すると考えられるからである。

サービスの収支構造とリスクの正しい理解を

コスト構造の説明がちょっと難しいかもしれないが、すでに存在している類似サービスを考えるとわかりやすいだろう。航空会社の前売り券割り引きと映画の前売り鑑賞券である。両サービスとも季節により一定の座席売れ残りが予測されるので、その券を前もって安く販売するのである。航空券の場合には少ないだろうが、キャンセル・返金が不可能なものがほとんどで事情により放棄するケースもあるだろう。映画の前売り券は未使用率がかなりあるということである。そして、何よりも乗客が一人増えようが、映画の観客が一人増えようがかかるコストはほとんど変わらない。前払いクーポンの手数料率は往々にして高いのであるが、それは適した商材では上記のように大きなコスト負担をすることなく売り上げの増加が見込めるから負担可能なのである。

では例のおせち通販を考えてみよう。まず通常商品ではないので追加の仕入れは必ず発生する上に、商品の未消化は発生しない、提供時期は一括の上、通常商品ではないのでリピーターは期待できない。しかも、生もので返品が効かないということである。費用はほとんどが変動費であり、手数料が折半だと考えると、税抜き1万円のクーポンの店の収入は5000円である。送料や容器代、追加の人件費を考えると定価2万円とうたっているおせち料理のセットにかけられる原資は限りなく少なくなってゆく。また、同じタイミングですべての商品を発送できないと意味がないので梱包・発送作業が集中する。しかも、店舗にとって直接リピーターにつながる可能性が少ないと思われるこの商品は、どう考えても無理があるのではないだろうか? そして通常得られるメリットが少ない場合には仕入れを抑えるというインセンティブにより「モラルハザード(倫理の欠如。倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと)」が発生する可能性が高いのである。

ただし、通販サービスの全てが前払いクーポンサービスに向いていないわけではない、固定費が比較的高く(変動費が比較的低い)、高付加価値なサービスには向いている。例えば、写真のプリントサービスなどである。写真の印画紙や薬品はある一定期間に使い切ることが必要なため、あるいは大量発注で通常商品のコストダウン期待できる分むしろ効率化に貢献する可能性もある。そして、画像という形で個人情報を開示するサービスは価格だけはなく信頼性が重要なので、一度体験することによってリピートする可能性がより高まるといえるだろう。

市場が急拡大するときには様々な問題が起きるのであるが、大切なのは同じ過ちを繰り返さないことである。運営者側も利用する消費者側も「共同購入」と「前払クーポン割引サービス」をきちんと区別し、サービスのリスクをきちんと理解した上で参加することが必要であろう。また、筆者は規制は原則好きではないが、今後のサービス拡大を考えると、新設された消費者庁などで業界の健全な成長のため、最低限必要な規律と監視に関して討議される時期に来ているかもしれないと感じている。

おせち自体が前払いクーポンに向いているかどうかはともかくとして、そもそも限定100セットの予定でいたものを注文が来たからと際限なく500にまで増やしているという時点で仕入れや設備、スタッフの能力が追いつくのかという疑問は誰しも抱くところですし、発送日の集中するこうした商品でそれを対応出来るだろうと甘い見通しを持ってしまうというのも、どうもこうした商売自体に不慣れだったらしいという想像は成り立ちますよね(社長自身は「浮き足立ってしまった」なんて言ってるようですが)。
管理人自身そこらでなかなか売っていないものなどはネット通販を利用するのですが、それもあくまでも市場に流通している規格品の工業製品的なものが中心で、さすがに見ず知らずの相手に生もの食品系をいきなり注文するというのは躊躇しますが、それはこうした通販では何かあった時にどこからが正当なクレーム対象となり得るかという点が確立されていない点にも理由があります。
店頭渡しであれば渡した時点=受け取った時点ですから、顧客としては開けてみておかしいじゃないかとなれば即座に返品なり返金なりを要求出来るという社会的コンセンサスがある、ところが通販で食品を送るとなると送った時点で問題なければよしとすべきなのか、それとも受け取った時点での品質を保証すべきなのかはっきりしませんよね。

通信販売においてはクーリングオフ制度は適用されない上に、一昨年改正された特定商取引法においても8日間の返品が認められるのは業者が返品の可否などを明示していない場合に限られ、実際に今も多くの業者が返品不可の「ノークレーム、ノーリターン」で販売を続けしばしば問題となっている現実があります。
無論今回のように明らかに別物じゃないかという場合には返品の対象となるわけですが、では特に商品としての個体差がもともと大きい食料品の場合はどこからが別物と言えるのか、例えば少しばかり小さいだとか鮮度が悪いとか二級品であるとか言った場合に、どこからが返品可能な範囲となるかという点については今もって非常に曖昧ですし、顔が見えないネット上であるだけに多くは泣き寝入りとなりかねません。
昨今ちょっとしたブームだというお取り寄せグルメ的なものにしても、よほど商いの歴史があるしっかりした業者でなければどんなものが送られてくるか判らないというリスクはありますから、いきなり「特売!」なんて広告につられて見ず知らずの業者に高額商品を発注する、しかもおせちや贈答品といった失敗が許されないものから始めるということでなく、まずはお試し的なところから様子を見ながら取引を始めてみるのが無難だと思いますね。

そしてやはりネット上での写真だけの判断では味も何も判らないわけですから、店頭で直接手にとってみることができるようなものと比べて、外れを引いてしまうリスクはもともとが高いのだということは知っておかなければならないのでしょう。
スーパー業界出身だという増沢隆太氏などは特売価格○割引きなるものの怪しさを取り上げていて、そもそもの元値なるものに相応する価値がある商品なのかということに疑問を呈していますけれども、二万円の料理というとそう日常的に口にするものでもないだけに、舞い上がって価値判断の基準がぶれてしまわないようによほどの注意が必要でしょうね。
店の選択肢も少ない地方に住んでいたりしますとネット通販も確かに便利なものですけれども、法的にも商慣習的にもまだまだ未成熟の部分が多々あるジャンルであるだけに、現状では利用する側にもそれなりの判断力が要求されるのは確かなんだろうと思います。

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2011年1月 5日 (水)

久しく叫ばれ続けてきた地域医療再編問題 今年はついに実行の段階へ?!

昨年末に社保審の医療部会から出ていました話がこちらなんですが、まずは記事から紹介してみましょう。

地域の実情に合った医療圏を-社保審医療部会(2010年12月22日CBニュース)

 社会保障審議会医療部会(部会長=齋藤英彦・名古屋セントラル病院長)は12月22日、医療計画や在宅医療などをめぐって議論し、都道府県ごとに設定する二次医療圏について、委員から「地域の実情に合っていないところがあり、見直すべきではないか」などの指摘があった。医療提供体制など総論の議論はこの日で一巡し、年明けからは各論の議論に入る。

 この日の会合では、▽医療計画▽救急医療▽周産期医療▽在宅医療▽外国人臨床修練制度-について意見を交わした。

 二次医療圏は、「地理的条件等の自然的条件」や「日常生活の需要の充足状況」などを考慮し、都道府県ごとに設定している。今年4月1日現在、全国で349医療圏があるが、人口、面積の最大格差が共に約100倍の開きがあるなど、医療圏によって多くの面で差が見られる。

 相澤孝夫委員(日本病院会副会長)は、二次医療圏間の格差が大きい点を指摘した上で、「地域をどのように設定するかによって医療計画は異なってくる」と述べた。これを受け、横倉義武委員(日本医師会副会長)は、「(医療圏は)地域の実情に応じているかどうかを加味して考えるべき」と主張。西澤寛俊委員(全日本病院協会会長)は、「それぞれの実情に合わせた医療圏の設定を各都道府県が自発的にするように促すことも検討すべき」との見解を示した。
(略)

一般論として地域医療の現状も一昔どころか二昔も前の状況をそのまま引き継いでいるようなところが多々あるわけでもあり、早い話が各地の公立病院が出来た昭和の時代と比べると人口分布も交通の状況も全く別世界と言っていいくらいに変わっている中で、単に「昔からここに病院があったんだから今後も有り続けるべき」という考え方もどうなのかでしょう。
当然ながらそうした現状を前提として検討されている医療計画も、到底その後の社会情勢の変化に対応出来ているとは言い切れないところはあるわけですから、抜本的な地域医療再編を目指すという話であるなら、この際その前提条件から見直しをしてきちんとした議論をしていく必要があるとは言えそうですよね。
そもそも二次医療圏と言っても単に人口だけ、地理的要因だけでなく、歴史的背景や現在の医療の実情まで考慮して設定しなければ実効性のある医療圏設定など出来るはずもないんですが、その決める主体としてどこが一番ふさわしいのか、国よりは都道府県の方が適任だとしても県境を越えた医療圏の仲立ちをするために国の存在も不可欠ではないかと、考えるべきことは多々あるわけですが、言ってみればそれは医療問題を語る上での地域とは何か?という問いかけにもつながる話です。
この点で興味深いのはちょうど先日ロハス・メディカルさんが中医協の慢性期分科会でのやりとりを掲載していて、この中で厚労省における地域というものは一体どのようなものなのかということが問われているということなんですね。

「地域」って、何?(2010年12月22日ロハス・メディカル)より抜粋

(略)
 今後の議論の進め方について厚労省が示した資料の中に「地域特性」という言葉があったため、高木安雄分科会長代理(慶應義塾大大学院教授)が質問した。

 「地域って、47都道府県なのか東と西なのかという議論をやると、『地域って何だ?』という話になる。『地域特性』とはどういうイメージで考えているんですか? 例えば、『地域包括ケア研究会』(の報告書)だと、(おおむね30分以内に必要なサービスが提供される圏域として)『中学校区』とある。医療圏って、(地域保健法で)『一次医療圏は市町村単位』って言っている。(医療法では)『医療圏は二次で考えましょう』というアプローチ。しかも、精神病床は医療計画では都道府県単位で三次です。『地域特性』って、どの辺をイメージしてるのか」

 厚労省保険局医療課の鈴木康裕課長はこう答えた。

 「例えば、かなりの規模の都会であれば一定程度、病床が機能分化している余地がある。例えば、『急性期』『亜急性期』『慢性期』です。ところが、地域によっては、医療機関の数があまりなくて、恐らくは1つの病院なり病棟で、かなり多種な患者さんに対応せざるを得ないという所がたぶんあるのではないか。とすると、あまり病棟単位でカチッと構造的に支払いなりを認定してしまうと動きづらい部分があるとすれば、そういう所にはどうしていくか、我々(医療課)の問題意識と中医協総会の問題意識もあると思います」

 「医療機能の分化と連携」が叫ばれて久しいが、鈴木課長は「施設完結型」の医療にも理解を示しているように聞こえる。とすると、病院同士が連携を図る地域はどこか、施設内で完結する地域はどこか?

■ 「地域特性」とは?

 現在、病院のベッドは患者の状態に応じて「一般病床」「療養病床」などに区分されており(医療法7条)、看護師の数などによって入院料が違う。看護師を多く確保できれば高い診療報酬を得られるので、もともと看護師が不足している地域の病院は経営が苦しいとの指摘もある。

 平成22年度改定に向けた議論の中では、看護師不足の地域にある病院に救済措置を講じるよう医療側の代表から意見が出されたが、診療報酬を支払う側から「同じサービスなのに地域によって料金が違うのは一物一価に反する」などの反論があり、最終的に合意できなかった

 今年2月、中医協が改定案を厚労大臣に答申した際の附帯帯意見には、「地域特性を踏まえた診療報酬の在り方について検討を行う」と書かれ、「地域特性」の論点は継続審議となった。しかし、「地域」の範囲はもちろん、「地域特性」をどのような観点から考慮するのかもまだ議論されていない

 都道府県の医療計画では、「二次医療圏」を1つの範囲として必要なベッド数(基準病床数)などを定めている。また、急性期病院と回復期病院などの連携(地域連携クリティカルパス)や災害拠点病院の配置なども「二次医療圏」を1つの目安にする。(東京都の「二次医療圏」はこちらを参照)

 しかし、例えば埼玉県内の病院から千葉県内の病院に転院する場合もある。患者の居住地が県境の場合など、「二次医療圏」の中で医療が完結するわけではない

 また、「医師不足」とか「医師の地域偏在」という場合、具体的にどの地域で不足しているのか分からない。例えば、75歳以上の高齢者しかいない離島に産科の病院がなくても、「産科医不足」とは言えない。
 全国のどの地域にどのような疾病が多いのか、患者の特性がどのように違うのか、それらを分析するデータが不足していることも問題になっている。

 こうした中、「医療と介護の連携」や「地域特性」といったフレーズが中医協の資料にたびたび顔を出すが、厚労省は「地域特性」をどのように考慮するのか、まだ明らかにしていない

 ただ、1つのヒントになるだろうか、診療報酬改定の基礎資料とするために実施する「医療経済実態調査」のスケジュールなどを審議した11月26日の中医協・調査実施小委員会で、厚労省は「国家公務員の地域手当に係る級地区分」を示している。

 「医療経済実態調査」は、開業医が勤務医よりも収入が多い根拠として使われるため開業医らの不評を買っている。次回も、「開業医と勤務医の収入比較」に関心が集まることは必至だが、新たな分析手法として「全国を国家公務員の地域手当における級地区分の6区分とその他の地域に分類し、この区分によって行う」としている点が注目される。

 鈴木課長は12月21日の慢性期分科会が閉会した後、記者らに対しこう語った。

 「コストを全体的に見たときに、田舎が安いかというと、医師だったら絶対的に地方の方が高い。かつ、介護と違って医療の場合には医師が占める人件費の割合が結構高い。6割が人件費として、半分ぐらい、3割ぐらいが医師。これが高いか低いかは結構大きい。物品はどうかと言うと、都会の方が安い。サプライがたくさんある。そう考えると、田舎の方が本当に安いのかというと、必ずしもそんなことはない。むしろ、田舎の特性というのは、『うまく分化ができない』とか、『従業員を集めにくい』という所にある可能性はある」
(略)

医師の人件費に関しては恐らく多くの人に異論のあるところでしょうが、とりわけ田舎の公立病院などでは圧倒的に医師以外の人件費の方がかかっているんじゃないかという印象も受けるわけですけれども(少なくとも人件費の半分が医師というのは無床診療所くらいしかないのでは?)、ここで注目すべきは厚労省としても医者の世界においては田舎の方がコストがかかるという認識を持っているらしいということですよね。
田舎の方が土地代が安いとは言っても「診療報酬では購入を見ません(鈴木課長)」と言い、物品の納入コストに関して言えば明らかに田舎の方が割高であるし、搬入に時間的遅れが出る分どうしてもデッドストックを多めに抱え込むことになってしまう、加えて人件費も高いということになれば、医療の集約化不足からくる非効率によるコスト高を差し引いても田舎の方が医療は高く付いて当然ということになります。
世間では一般に都市部の方が何かとコストが高くつくということで、給料などをみても都市部の方が高いということになっているわけですが、こと医療の世界においてはこの逆になっていることに加えて、保険診療のルールによって全国一律公定価格ということになっているわけですから、それは医者のみならず経営的な面で戦略を持つやる気満々の医療機関ほど田舎は避けようという気になるのも当然ですよね。

医療現場がこれだけ経営的に逼迫した状況になってくると、厚労省としても今まで何となくで決めてきた(ように見える)こうした医療コストというものに対する配慮を、きちんとしたデータと現場の実情を元に行っていかなければならないという考えは持っているらしいとは思われるのですが、それを診療報酬などにおいてどのように還元していくかとなるとまた難しいところですよね。
同一医療サービス同一価格の大前提からすれば患者の支払額に跳ね返ってくるような加算は無理でしょうし、仮に施設単位で加算を行うにしても実際に金を出す側の保険者側から「なぜ田舎だけそんな余計なコストを要求されるんだ!」と反発は必至でしょうし、そもそもこうした地域の患者となれば国保が多いでしょうから財政的に可能なのかということにもなりかねません。
仮に社会的に田舎の医療は高くつく、そうであるからこそ社会的に応分の負担と補助をしていくべきだという結論になったところで、今度はどこからを田舎と認定するのかという争いが勃発しそうですから、そもそも公平な前提条件ではないものを平等に扱うという制度そのものの設計が現状に即していないとは言えそうですよね。

まず田舎での医療は非効率かつ不経済であるという前提を認めた上で考えられる解決策の一つに、コストも余計にかかる田舎での医療を可能な限り縮小するというやり方があるわけですが、要するに医療全体のパイからみて田舎の取り分が限りなく小さくなるのであれば、多少の特権的な優遇も「まあ全体から見て誤差の範囲だし、仕方がないか」で済ませられるようになってくる可能性がありそうです。
もともと医療需要の小さい田舎では医療機関は原則無床の診療所だけにする、それも場合によっては週二ないし三日の巡回診療スタイルにすれば、常勤医が三人の僻地公立病院一つを解体して単純計算で六カ所から九カ所の地区で医療を継続出来るということになってきますから、地域の住民にとっては日常診療の利便性はむしろずっと向上するということになりそうです。
当然そうやって稼ぎ出した浮いた医療資源は基幹病院に集約化し、少しでも何かあれば病院に搬送するというルールを徹底するということになるわけでしょうが、まさに厚労省が長年主張してきた医師の再編、医療機関の統合という方向性に、今まで叫ばれてきた医者不足による必然性といった側面のみならず、財政面からもその必要性を強調するデータが今後続々と集積されていくことになるのでしょうね。

ちょうど昨年末に厚労省の有識者会議である「独立行政法人・公益法人等整理合理化委員会」において、国立病院や労災病院の統合や再編・整理のための検討会設置を求める報告書がまとめられ、これを受けて厚労省は「一年後には結論を出す」と言う大方針を固めたと言うことです。
自治体病院を統括する総務省なども、すでに以前から地方公立病院はさっさと統廃合しろとせっついているわけですから、後は地域の既得権益との絡みでどう落としどころを見つけてくるのかというだけの話なんですが、現実問題として小さな田舎町の公立病院に行きたがる医者などいない以上、経営的にもマンパワー的にもこうした小さな公立病院が淘汰されていくのは時代の趨勢だということなのでしょう。
日医の原中会長などは「過疎地域に行った医師にポイントを与えて、将来、都市部で開業したい時には、ポイントを持っている人の開業を優先できるような方法が取れればいい」なんて、すでに開業している医者の権益を確保し競合相手の新規参入を規制するような虫の良い主張をしているようですが、この状況下で医療行政における存在感を回復したい日医からの秋波と考えると、これもなかなか意味深な発言にも受け取れる内容ですよね。

こうして多方面から何重にも包囲網を敷かれた状況で、むしろ注目すべきは「実際に行われるのかどうか」ではなく「いつ行われるか」に移り変わりつつあるというのが、2011年の地域医療を取り巻く状況であるとも言えそうです。
先に光明の見えない負け戦においても、最後まで陣地を死守して玉砕というのもまた一つの考え方かも知れませんが、一方で少しでも良い引き際というものを模索すべき時期が近づきつつあるように感じられるのは自分だけでしょうか。

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2011年1月 4日 (火)

朝日の壮大な自爆 聞こえてくる崩壊の足音

先頃から何度かお伝えしている朝日新聞の癌ワクチン報道問題ですけれども、東大医科研が朝日を訴えたのと相前後して朝日の側も逆ギレ気味に反撃してきているところまでをお伝えしました。
こうして医療界全体が反朝日ということで足並みを揃えつつある中、関連する医療系の主要団体で唯一と言って良いほど沈黙を守っているのが日本医師会(日医)ですけれども、この態度にしびれを切らした小松先生がついにこういうことを言い出しています。

Vol. 389 日本医師会長への手紙 (2010年12月27日医療ガバナンス学会)

日本医師会長 原中勝征先生

謹啓

 先生が日本医師会長に就任されて9カ月になろうとしています。本格的な仕事ができる環境が整いつつあるのではないかと推察いたします。
 先生はかつて東京大学医科学研究所に在職され、がん研究者として活躍されていました。ご承知のことと思いますが、東京大学医科学研究所と研究所に勤務されている中村祐輔教授が2010年10月15日、16日、朝日新聞の1面、社会面、社説で強く非難されました。

 医科研のホームページには、これまでの医科研の反論が掲載されています。私自身、非難に根拠がないとする意見を発表しました(「朝日新聞医科研がんワクチン報道事件:正当な非難か誹謗中傷か」MRIC by 医療ガバナンス学会, 2010年12月6日)。当事者の医科研所長や中村教授だけでなく、患者団体や様々な医師から抗議の声があがりました。関連する学会、すなわち、日本癌学会、日本癌免疫学会、日本消化器病学会に加えて、日本医学会の高久史麿会長も抗議声明を発表しました。事件を機に結成された「医療報道を考える臨床医の会」は12月22日、抗議の署名が4万を超えたと発表しました。

 事件について私が書いた文章を11月28日に先生にお送りして、日本医師会として朝日新聞社に抗議するようお願いしました。メールが届いていないようでしたので、かつて中央公論誌上で「小松秀樹医師よ、共に戦おう」と私に共闘を呼びかけられた今村聡常任理事にも、推敲を加えた文章をお送りしました。同時に、日本医師会雑誌に掲載していただくようお願いいたしました。今村常任理事からは、約束はできないが検討してみたいとのご返答をいただきました。1カ月近くになりますが、日本医師会から抗議は表明されておりません。文章について問い合わせたところ、担当常任理事のところでとどまっているようでした。

 先生は、日本のマスメディアが、これまで、医療に対しどのような影響を及ぼしてきたのか、ご存じだろうと思います。今回の報道がまかり通れば、臨床試験全般に多大な支障をきたします。結果として、多くの患者の希望を奪うことになります。
 加えて、元NHKの和田努氏が『新医療』12月号の記事(「『患者出血』伝えずの新聞記事 記者の"悪意"は不在だったのか?」)で述べられているように、記者に"悪意"があったと思われます。

 これまで、勤務医にとって切実な問題に、日本医師会が、勤務医と共闘する形で本気で取り組んだことは、勤務医側から見る限りありませんでした。大野病院事件で逮捕された加藤先生の弁護に関して、日本医師会が大きな貢献をされたと最近うかがいました。これには、一勤務医として深く感謝します。残念なことに、このことは公表されず、勤務医との共闘場面もありませんでした。

 朝日新聞がんワクチン報道事件は、医師を代表する団体が立ち上がるべき象徴的な問題です。人々の記憶にとどめ、時代を進めるために、歴史的モニュメントとしての「首塚」が必要です。これまでの善悪フィルターで歪んだ医療報道を、冷静な科学的認識に基づく報道に変えられる可能性すらあると思っています。

 事件の発端から2ヶ月以上経過しました。日本医師会の沈黙に対し、日本の医療の維持運営責任を担っていないのではないかと、問題視する意見が強まりつつあるように思います。このままでは、日本医師会は開業医の経済的利益にしか関心がない、というステレオタイプな見方を裏付けることになります。結果として、開業医に不利に働きます。態度を明らかにしないこと自体、決定的な態度表明です。

 これまで、朝日新聞社は、非を認めておりません。逆に、抗議活動に立ちあがった医科研所長、がんワクチンの臨床研究グループである Captivation Network、「医療報道を考える臨床医の会」、個人として活動してきた上昌広医科研教授に対し、「捏造」と述べたことを撤回しなければ法的措置を検討するとの威嚇を伴う内容証明の手紙を送り付けました。抗議の先頭に立っているのは、当事者である医科研所長、中村教授を含めて、実質的に、個人あるいは、小さな団体です。第四の権力の代表格である朝日新聞と比較すると、象に対するアリのような存在です。中村教授とオンコセラピー社が提訴した民事裁判を別にすると、もっぱらネット上の言論だけを武器に戦っていますが、物量では到底かないません。

 日本医師会は、我々にない手段をお持ちです。2ヶ月が経過した今、抗議声明を発表するだけでは、現場の医師に本気だとは理解されません。日本医師会が、新聞にときどき大きな広告を出しているのを見かけます。朝日新聞には広告を出さないようにしていただけないでしょうか、朝日新聞に広告を出す会社の商品を買わないように、会員に働きかけていただけないでしょうか。朝日新聞の取材を拒否するよう医師に働きかけていただけないでしょうか。朝日新聞の不買運動を展開していただけないでしょうか。朝日新聞との戦いを、日本医師会のホームページや白クマ通信で詳細に中継していただけないでしょうか。これについては、資料を提供するなどお手伝いできると思います。

 お送りした文章については、その後も推敲を重ねております。事件についての記述もありますが、どちらかというと報道の論理の特性と時代の変化についての文章です。日本医師会雑誌に全文掲載されれば、驚天動地、社会からみた日本医師会像が変わると思っておりました。日本医師会雑誌が多様な意見の交流の場になることを示せたはずです。これまでの閉鎖的なイメージを変える千載一遇のチャンスになると思っておりました。しかし、日本医師会役員の想像力を超える突拍子もないお願いだったかもしれません。簡単に判断できないということは理解できます。いずれにしても、長く待てないので、他の発表媒体を探し始めようかと思います。長文なので、媒体が簡単に見つかるとは思いません。もし、日本医師会雑誌に掲載していただけるということでしたら、可能な限り優先したいのでご連絡ください。朝日新聞との戦いは、しばらく続きます。今後も文章の掲載をお願いすることがあるかもしれません。その節もよろしくお願いいたします。対応しにくい提案でご迷惑をおかけしていますことをお詫び申し上げます。

 日本医師会は、公益法人制度改革三法によって、2年11カ月以内に新組織に移行しなければ、解散したものとみなされます。自他ともに認める開業医だけの団体になるのか、勤務医も進んで参加する真に医師を代表する団体になるのか。これまでのような活動と組織形態では、開業医だけの団体にしかなれません。社会への影響力はなくなります。医師を代表する団体になろうとして、すぐれた定款を作成しても、それだけでは人の心が動きません。

 大朝日との戦いは、容易ではありません。たぶん長期戦になると思います。苦しい戦いと言いたいところですが、実際には、知的で楽しい多様多彩な活動にしないと勝てません。多くの異なる立場から、様々な意見が出され、社会が動いていくことが前提です。日本医師会-日本医師連盟は、これまで、一昔前の前衛政党と同じように、重要な政策については、中央が秘密裏に決定してきました。比較的短い言葉で表現できる利害に関する政策を、選挙や献金を通じて政権政党に働きかけて実現させてきました。内部の議論が表に出るのは、仲間割れによる権力闘争が生じた場合だけでした。前衛政党型組織から、多様な意見を扱えるネットワーク型組織に転換しないと、複雑で大きな認識や意見が扱えません。多様性を許容しないと、多くの参加が望めません。かつて、日医総研で問題が生じたのも、研究者に研究の自由を与えきれず、多様な意見を保持できなかったためではないでしょうか。

 朝日新聞と本気で戦い、成功体験を共有できれば、日本医師会をめぐる状況が変化します。組織改編問題に見通しが出てくるかもしれません。

 話の方向がずれました。日本医師会の再編問題は別にして、純粋に、朝日新聞がんワクチン報道事件に、参戦するかどうかを、日本医師会でご検討いただきたく、伏してお願い申し上げます。参考までに、未定稿ではありますが、私の推敲中の文章の最新版を同封いたします。

 抗議の署名をされた4万を超える方々をはじめ、全国の医師が日本医師会の今後の行動を期待しながら注目しています。

                      敬白
2010年12月25日
                   小松秀樹

同じ医療ガバナンス学会のメルマガで東大医科研の上昌広先生が日米の癌ワクチン開発状況を解説していますけれども、今回の朝日の報道は現政権が進める医療主導の経済成長ということに照らし合わせても大きなブレーキであるわけですから、単に医療に対するのみならず国策に照らし合わせても大問題であったと言えるかと思います。
そんな大問題ではあるのですが、日医としては長年医者の代表のような顔でマスコミ対応を一手に仕切ってきたということもありますから、やはり朝日のような大新聞社に喧嘩を売るような真似はおいそれと出来ないという背景事情もありそうですし、こうして沈黙を守っているというのもホメオパシー問題において看護協会が長く沈黙を守り続けたことと同様の政治的な判断であると思われますよね。
個人的には今さら日医がイメージチェンジを図る必要性もないようには思うのですが、臨床医の中でも今回の一件に遠いと見られている開業医の団体として日医がそれなりの立場を表明するということは、医療界一丸という意味ではある程度の社会的意味は認められるかも知れません。
こうして小松先生が公の場で名指しでの文章を公開してしまったわけですから、これに対して何らのリアクションも取らないということ自体が日医の立場を明らかにすることにもなるわけで、いずれにしても日医としても自らの立ち位置を明らかにするべき時期が来ているのではないかという気がします。

それはともかく、小松先生の過激なところは日医に対して朝日に広告を出すな、スポンサー不買運動を主導せよ、朝日の取材を拒否せよ、そもそも朝日を買わないよう働きかけよと、朝日に対する全面的な反対運動を主導せよと踏絵を提示しているというところですよね。
日医とマスコミは持ちつ持たれつの関係を長年続けてきたわけで(もっとも、マスコミ側としては日医など単に叩きやすい対象としてしか見ていなかったのかも知れず、ですが)、さすがにそこまでやるというのも現実的ではなさそうですけれども、いわば当の朝日によって世に出たとも言える小松先生がこうして反朝日を呼び掛けるということの意味は小さくないように思います。
単純に反朝日の署名だけでもこれだけの数が集まっている、署名をしないまでも朝日に対して面白からぬ感情を抱いた人間もその何倍もいるでしょうから、各地の医療機関から「医局の購買紙から朝日は切りました」なんて声が続々と上がっているというのも当然ではあるし、この問題が長引くほどにそうした動きは加速していくことになるのでしょう。

ただ世間的に見ると実のところ小松先生の呼び掛け以前に新聞業界自体が自壊しつつあるという状況でもあって、例えば日刊紙の総発行部数は六年連続の減少を続けており今や年百万部減という急落の真っ最中ですし、大幅赤字を続ける毎日などはもはや「こんな決算が存在しうるとは…(三橋貴明氏)」などと絶句されてしまうありさまです。
なにしろ20代の実に3/4が新聞など購読していないという時代で、今後もお先真っ暗なのは確定の終わっている業界であるだけに、今や世間においてはむしろ消えゆく歴史的遺物として新聞をみんなで大事にしてあげようと言う機運すら出てきているくらいなのですね。
先日はちょうどこういう記事が出ていまして、なるほどメディアを時制という観点から見るというのも分かりやすい分析だと思いましたので紹介させて頂きましょう。

【スポーツ経営放談】テレビと新聞 生き残る道は(2010年12月27日SankeiBiz)

 テレビと新聞はスポーツと大きな関わりを持つので、2010年最後のコラムは、テレビと新聞の将来について考察する。

 情報はモバイルから

 テレビ業界と新聞業界は広告収入の低下によって苦しい経営を余儀なくされている。日本経済の長期的低迷と定着した円高のため、日本の企業が商品輸出のみならず、現地生産・現地販売に力を入れるので、日本国内での広告宣伝機会が大きく減少しているからだ。加えて、大学生などの若年層が、モバイルとインターネットを彼らの生活に完全に組み入れ、テレビと新聞の構造的衰退を加速させている。

学生の多くは新聞を読んでいない。不思議なことに、自宅通学であっても彼らは日常的に新聞を読まない。彼らの新聞離れは想像を絶する。だが、彼らはモバイルを利用して情報を得ているから世の中の動きに疎いわけではない。

 彼らのモバイルは、電話とメールのほかに、テレビ・カメラ・辞書・計算機・住所録・電話帳の機能を果たし、彼らのスケジュールも管理している。だが、モバイルの画面に出る情報量は限られているので、彼らは情報を断片的に見ることに慣れてしまって、出来事の背景や原因を踏まえた将来見通しについて考えることは苦手な様子だ。

 アルバイトで忙しいのか、学生はテレビもあまり見ていない。筆者とは年齢差があり、当然、番組の嗜好(しこう)が違う。授業の参考になる番組を見たかどうか彼らに尋ねると大概見ていない。日英同盟が1902年、大リーグ誕生が1903年、国際サッカー連盟創設と日露戦争勃発が1904年、同じ頃の日本は、と言っても、100年以上も前の話だから興味がないのだろう。

 問題はこれからのテレビと新聞。特に、スポーツとの関わりについて考える。

 テレビと新聞の伝達区分を過去・現在・将来に分けると理解しやすい。テレビの特徴・強みは映像と即時性。特に、映像はテレビだけが持つ特性だ。だが、テレビは将来を映像化することができない。従って、テレビの役割は、過去の事実(経過)と現在の生中継に限られる。テレビはHi-Visionや3Dで他のメディアとの差別化を図っているが、「事実と現在進行形」を知る上では、小さな画面のモバイルやパソコンでも用が足りるので、テレビの相対的地盤低下は免れない。

 紙面に「未来」提示

 一方の新聞は生中継ができないので、「現在」がない。テレビがない時代を含め、ニュース(情報)である過去を伝達するのが新聞の重要な役割だった。

 しかし、この分野は事実を映像で見せるテレビにかなわない。新聞に残された領域はテレビが苦手な未来に特化することだ。豊富な取材に基づく鋭い「分析力」と蓄積された深い知識に培われた確かな「洞察力」に裏付けられた「将来」を記事にして読者に提供することが新聞の生き残る道である。ページ数や活字の大きさはさほど重要なことではない。政治・経済・文化・芸術・医療など国民が享受すべき「未来」を読者に記事で示すことだ。例えば、スポーツ欄。豊富なデータが鍵を握る。試合の前は、データに基づく見どころや予想に紙面を割き、試合の後は詳細な結果(ゴルフの場合、決勝ラウンドの全選手の結果を記載)で十分。写真もいらない。不祥事などの事件の場合、解説と将来対策を懇切に伝えてほしい。説得力が読者を増やすことになるだろう。
(略)

同様に業績低迷を続けているテレビ業界と比較しても、新聞というメディアにどれほど未来がないかということが丸わかりになる話なんですけれども、そうであるからこそ新聞は未来に生きなければならないということであれば、今回の朝日のように未来を叩きつぶすがごとき報道というのはどうなのかということでしょうか(苦笑)。
事実を報道するという点で新聞というメディアがすでに後発メディアにはるかに劣ることが明らかになった時代に、確かに単に事実を報道するという以外の部分で勝負をするしか生き残りの道はないのでしょうが、その場合に専門的知識に裏付けされた確かな分析力によって専門領域と一般人との橋渡しをしていくという作業が期待されている(いた)はずです。
今回のような事件でますます心ある専門家から「朝日の取材だけは受けるな」と名指しで非難されるようになれば、今後は今以上に専門的見地からは遠く離れた素人の妄想を垂れ流すだけになっていきそうですから、結局は自分で自分の首を一生懸命絞めているようにしか見えないんですけれども、朝日の中の人がもはやその程度の分別もつかなくなっているのであれば「その日」は遠くはなさそうですよね。

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2011年1月 3日 (月)

今日のぐり:「お好み焼き ひらの」

年末というと何かと「今年の○○は」式のランキングが出てくるものですが、昨年末出ていましたのがこちらの記事です。

【Web】ネット流行語大賞2010決定 1位は「そんな装備で大丈夫か?」(2010年12月2日産経新聞)

 今年インターネット上で流行した言葉を選ぶ「ネット流行語大賞2010」が決定。金賞は「そんな装備で大丈夫か?」、銀賞は「流出(sengoku38)」、銅賞は「~イカ? ~ゲソ」だった。同時に実施された「女子中高生ケータイ流行語大賞2010」では、金賞に「なう(なうい)」を選出。アンケートは11月18~24日の間、ネット流行語大賞実行委員会(事務局・産経新聞Web面編集担当)に参加する有名9サイトで行われ、ユーザー計18万8427人が投票した。

サッカーW杯や「ルーピー」も入賞

 金賞の「そんな装備で大丈夫か?」は、来春発売予定の3Dアクションゲーム「エルシャダイ」(イグニッション・エンターテインメント・リミテッド)の予告動画で登場するキャラクターのセリフ。

 ネット上では、このムービーをまねて、「そんな○○で大丈夫か?」と尋ねると、「大丈夫だ、問題ない」と答えるやりとりが大流行している。

 ゲームは、天界の書記官が人間を救うために堕天使を捕まえる物語。同社が今年6月、動画サイト「ニコニコ動画」に予告動画を投稿したところ、再生回数は12月1日までに340万回超え。ユーザーにより、1900以上の2次創作動画が公開される盛り上がりをみせている。

 銀賞の「流出」は、尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件に由来。動画サイト「ユーチューブ」の「sengoku38」というアカウントが使われたことから、ともにネット上で爆発的に広がった。

 銅賞の「~イカ? ~ゲソ」は、深夜テレビアニメ「侵略!イカ娘」の主人公が語尾に付ける言葉。「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で連載中の漫画だが、10月からアニメ化すると、ネット人気が過熱。

 作者の安部真弘さんは「うれしいです。こういう形で親しまれるのは、大変ありがたいこと。正直、誰でも思いつくような、どうしようもなくくだらないだじゃれです。だからこそ、身近に感じられるのではないかなと思います」と受賞のコメントを寄せた。

 4位につけた「本田△」や「どや」(5位)「岡ちゃん、ごめんね」(8位)はいずれもサッカーW杯南アフリカ大会で活躍した日本代表に関連する言葉。

 6位の「~とかマジ勘弁www」は、タレントの上地雄輔さんが遊助名義でリリースしたCD「ミツバチ」の歌詞からの引用。上地さんは「ふつふつと熱いものがわいてくるような曲にしたかったので、『草食系とかマジ勘弁』という歌詞にした。どんな形でも話のネタになるなら、それだけ誰かの耳に入ったということ。ありがたいです」と笑顔で語った。

 このほか、米紙が鳩山由紀夫前首相を呼んだ「ルーピー」(愚か者)が7位。SNSのミクシィやフェースブックの評価機能「イイネ!(いいね!)」が9位。ボーカロイド(音声合成ソフト)の「初音ミク」の技術に感動したユーザーが書き込んだ「胸熱(何か胸が熱くなるな)」が10位に滑り込んだ。

 ネット流行語大賞の発起人で「ガジェット通信」発行人の深水英一郎さんは「ネットとケータイで入賞語がまったく違うのが衝撃的でした」と話した。

ネット上ではこの一位に入った名台詞に色々とコメントがついていまして、「そんなものネットで使ってるの見たことない」だとか「流行ったのは”大丈夫だ、問題ない”の方だろ」だとか突っ込みも入っているようなんですが、ネットと携帯でもランキングが違うということですから所属するコミュニティによって全く違う結果が出るものなんでしょうね。
今日はこういうどうでもいいような(失礼)アンケート調査結果というものを幾つか紹介してみようと思いますけれども、個人的にかなりどうでもいい度が高かったのがこちらの記事です。

「この家金持ち!」と思うときってどんなとき? 「カルピスが濃い」「お手伝いさんがいる」 (2010年8月9日ガジェット通信)

一般人にはとても縁がない金持ちのお宅。そんなお金持ちの家に行ったとき「やっぱり金持ちはこうなんだ」と思わせる物がいくつかあるはずだ。ちなみに記者の頭の中での金持ちは『おぼっちゃまくん』だったりする。しかし実際にあんな金持ちの家に行ったこともなければ知り合いにもいない。

そんなお金持ちの家だと思ってしまうものをアンケート調査したのでご覧頂きたい。

1位が「お手伝いさんがいる」になった。実際にお手伝いさんを雇っている家はあるだろうが、家が大きく更に裕福じゃないと雇うことができないだろう。更に言うならお手伝いさんが泊まれる部屋があればベスト。

2位は「家が大きい」だった。まさにそのままで外見からして金持ちと分かる家。良い場所に住んでるんだろうなあ……。

3位は「門がでかい」だ。2位と多少被ってしまうが、こちらはスケールの違い。「ギギギギギギ」と開いた門の先には日本庭園があったりとか……。

4位は「プールがある」だ。これはまさに金持ちの象徴でしょう。門が大きいより嬉しいかも。夏にプール入り放題って良いよね。

5位は「家にたくさん車が止まってる」で、止まっている車は大抵黒い車がズラーっと……。中には高級外車も。

6位以下のランキングを観て欲しい。そのほか面白い項目として8位の「カルピスが濃い」が挙がっていた。

このアンケート調査のコメントには以下の様な意見が書かれていた。
・壁で分かる
・なんでこんなとこに? って場所に金かかってたりするよね
・おやつのお菓子が豪華だったとき
・本当の金持ちってのは縦じゃなくて横に広いんだぜ
・紅茶とピザが出てきた時
・お手伝いさんが居たら金持ちだろうなぁ
・トイレットペーパーの質が違う
・家電や車をものすごいサイクルで換える
・ゲストルームがあったり、応接室がある家は金持ちだなって思う
・植木の手入れが出来てるところかな

誰もが憧れる金持ちの家。みんなは以下の項目がいくつ当てはまったかな? また実際に以下のような金持ちと出会ったことある?

一軒家じゃなくても良いから豪華なマンションに住みたいよね。

<「この家金持ち!」と思うときってどんなとき?>
1位:お手伝いさんがいる 112 (11.2%)
2位:家が大きい* 88 (8.8%)
3位:門がでかい 74 (7.4%)
4位:プールがある 65 (6.5%)
5位:家にたくさん車が止まってる 57 (5.7%)
6位:オーディオルーム、シアタールームがある 50 (5%)
7位:グランドピアノやバイオリンがある 49 (4.9%)
8位:カルピスが濃い* 34 (3.4%)
9位:トイレが数か所ある 31 (3.1%)
10位:シャンデリアがある 28 (2.8%)
11位:ゲストルームがある 26 (2.6%)
12位:100インチのテレビがある 25 (2.5%)
13位:マンションなのにすごい広い 24 (2.4%)
14位:門から玄関までが遠い* 22 (2.2%)
15位:階段が一箇所じゃない 19 (1.9%)
16位:兄弟(姉妹)が礼儀正しい 19 (1.9%)
17位:フワフワな猫がいる 18 (1.8%)
18位:トイレが広い 17 (1.7%)
19位:お風呂が広い 16 (1.6%)
20位:トイレのふたが勝手に開く 15 (1.5%)
21位:お母さんがキレイ 15 (1.5%)
22位:食事が豪華 13 (1.3%)
23位:良い匂いがする 12 (1.2%)
24位:絵が飾ってある 11 (1.1%)
25位:「泊まって行きなさい」と言われた 11 (1.1%)
26位:「好きな食べ物や嫌いな食べ物ある?」と聞かれた 10 (1%)
27位:庭が広い* 9 (0.9%)
28位:靴のままあがる 7 (0.7%)
29位:難しい本が多い 5 (0.5%)
30位:不思議なお茶を出してくれた 5 (0.5%)
   その他 85 (8.5%)

「お手伝いさん」だの「車がずらり」だのはまだしも、明らかに狙っているかのようなコメントが並んだせいか妙に票が別れているんですけれども、タイトルにもなっている「カルピスが濃い」なんてのはむしろ今どきカルピスなんて出す家があるのかと新鮮な驚きを感じた自分の方が変なんでしょうかね?
興味深いのはむしろこの姉妹編とも言うべきこちら貧乏編?なんですけれども、どうやら徹底してカルピスの濃度にこだわっている人間がいるらしいということが判る結果です(笑)。

「この家貧乏!」と思うときってどんなとき? 「カルピスが薄い」「冷蔵庫にシールだらけ」「でも、何故か楽しそう」 (2010年8月10日ガジェット通信)

前回行ったアンケート“「この家金持ち!」と思った”とは逆に今回は“「この貧乏!」と思うときってどんなとき?”というアンケートを採ってみた。貧乏なら慣れっこの記者が自ら人生経験をアンケート項目に追加。なるほどと共感されたのはどの項目なのだろうか。ちなみに記者の頭の中での貧乏のイメージは『びんぼっちゃま』だったりする。

1位は「独特な臭いがする」だった。金持ちにも似たような結果の「良い匂いがする」があったがこちらは“臭う”という漢字が違うことからあまり良い意味ではないだろう。

2位は「プリンの空きカップに飲み物入れられた」だ。再利用再利用!

3位は「クーラーじゃなくて扇風機」。これって小さい頃って普通だったよね? クーラー付けてても体に悪いからって切られたことがあるのだが。逆に最近は扇風機見なくなった気がする。

4位は「台所が汚い」だった。小さい台所だと散らかって見えるよね。

5位は「ゴミがたまってる」だったがゴミがたまるのって貧乏なの? 金持ちでもゴミくらいたまると思うのだが。

それ以下は「冷蔵庫にシールだらけ」、「玄関が狭い」、「カルピスが薄い」、「基本的に4~8畳」、「でも、何故か楽しそう」が挙がっている。

このアンケート調査のコメントには以下の様な意見が書かれていた。
・玄関から全ての部屋が見える
・呼ばれて行ったら橋の下だった
・ゴミが多い家って貧乏なことが多いよね
・アイスの裏のふたをなめる
・バナナジュース飲む?と言われて出されたものがカキ氷のレモンシロップを水で割ったものだった時
・もぉカルピスの濃度が貧富の基準でいーわ
・隙間をガムテープで塞いでいたりするのはどうかと思ったり。
・ワンカップ大関のビンをコップとして出されたとき思った。

うーん何個か当てはまってしまう記者だが、最終的には「でも、何故か楽しそう」で落ち着いちゃうよね。貧乏でも特に不便してないし楽しいよ! いやマジで。

何個か当てはまる人や経験している人もいるのではないだろうか?

<「この貧乏!」と思うときってどんなとき?>
1位:独特な臭いがする 82 (8.2%)
2位:プリンの空きカップに飲み物入れられた 73 (7.3%)
3位:クーラーじゃなくて扇風機 61 (6.1%)
4位:台所が汚い 57 (5.7%)
5位:ゴミがたまってる 50 (5%)
6位:冷蔵庫にシールだらけ 47 (4.7%)
7位:玄関が狭い 46 (4.6%)
8位:カルピスが薄い* 45 (4.5%)
9位:基本的に4畳~8畳 43 (4.3%)
10位:切れてる電球があるが放置 40 (4%)
11位:でも、何故か楽しそう 38 (3.8%)
12位:カレーにちくわが入ってた 28 (2.8%)
13位:兄弟(姉妹)が多い 25 (2.5%)
14位:靴下が汚れた 22 (2.2%)
15位:屋根がない* 21 (2.1%)
16位:おやつがガリガリ君 18 (1.8%)
17位:自分ちが貧乏です* 14 (1.4%)
18位:兄弟でゲーム機の取り合い 14 (1.4%)
19位:ない* 12 (1.2%)
20位:特製ジュースを出された* 9 (0.9%)
21位:子どもの将来の夢が壮大(総理大臣とか) 9 (0.9%)
22位:シングルマザー 9 (0.9%)
23位:特性ジュースを出された 9 (0.9%)
24位:肥満児* 8 (0.8%)
25位:漫画雑誌が山積み 8 (0.8%)
26位:お母さんが既に妊娠中 6 (0.6%)
27位:お婆ちゃんも同居 5 (0.5%)
28位:猫がいる 5 (0.5%)
29位:すごいもてなされる 4 (0.4%)
30位:トイレが汚い* 3 (0.3%)
   聖○新聞が山積み* 2 (0.2%)
その他 81 (8.1%)

それは確かにと思う話から、それで貧乏と言われたらちょっと悲しいだろうと思うような話もあるんですけれども、カルピス教団がここでも安定して票を獲得しているというのはいったい何なんでしょうね?
こういうものと比べるともう少しばかり有用性のありそうなアンケートも幾つか紹介してみますけれども、まずは昨今話題のブラック企業なんてものにも通用しそうなこちらの記事です。

2ちゃんねらーが語る「二度とやりたくないアルバイト」(2010年4月29日ガジェット通信)

さまざまな職業を経験してきた2ちゃんねらー(インターネット掲示板『2ちゃんねる』に頻繁に書き込みをする人)たちが、「二度とやりたくないアルバイト」を報告しあって話題となっている。『2ちゃんねる』はニートから社長までさまざまな職業の人たちが混在する世界だが、はたしてどんな「二度とやりたくないアルバイト」があがっているだろうか?

『2ちゃんねる』に作られた『二度とやりたくないアルバイトと言えば』というスレッド(掲示板)に報告された、二度とやりたくないアルバイトを抜粋して掲載したいと思う。もしかすると、今あなたがしている仕事があったりして!?

・治験
・コンビニの弁当作り
・オッサンしかいない事務所の電話番
・仕分け作業。同じこと延々とやるだけ
・倒れてるペットボトルを直す仕事
・真冬のカブでの新聞配達は地獄だった。雪の日に凍死しそうになった
・新聞配達って慣れてくるとマジで動作が流れ作業になるよね
・交通誘導とミスドのフライヤー。ミスドのフライヤーは軽く死ねる忙しさ
・バキュームカーの掃除は面倒だった
・冬の交通量調査は死ぬかと思った
・アフィブログを更新する作業
・シャーペンの芯を予備に1本だけ入れる仕事
・肉の加工工場。一日でバックレたのは始めて
・レストランのホールとか仕事覚えるまでが地獄
・裏ビデオの配達だな。楽で高給だったけど逮捕されたw
・臨時の公務員だけはもう絶対やりたくないな。女上司に精神崩壊させられたわ
・レトルト食品工場。時間経つのが遅く感じた
・広島に搬送するホタテ貝のカラの積み込み
・ゴミの仕分け。家庭ゴミを軍手一つで仕分けまくる
・タクシーの洗車。深夜から朝方の仕事だが社員は全員、人格破綻してた

書き込みのなかに「税理士事務所の帳票の数値入力のバイトは苦痛だったな。何が何だかわからん数値を延々と打ち込んでいくのはホント辛かった」という報告があったのだが、肉体的に疲れることよりも、単純作業なほど苦痛に感じるのかもしれない。

逆に天国のように楽しかったアルバイトとして、「プールの監視員は良かったなあ。客はロリだらけだし、バイトはJKばっかだし。もう天国かと思った。この時が一生続けばいいと思った 」、「遊園地のプールの警備員は水着見放題だし、売店の女の子と遊んだりしたし、いいことだらけだった」という声もあった。

書き込みした人はちょっとキケンな発想もしているようだが、プールの監視員は楽しいアルバイトのようだ。ちなみに記者は中学生当時、高熱なのに休まず新聞配達のアルバイトをして死にかけた事がある(どうしても休ませてもらえなかった)。自分の代わりに仕事をしてくれる人がいないアルバイトもつらいものだ。

身体的に苦痛というよりも精神的に苦痛であるというものが多く並んでいるというのが世相を反映しているのでしょうけれども、中にはちょっと「これがゆとりか…」なんて言われかねないようなものも並んでいるあたり、まあ仕事に文句を付けられるだけまだまだ余裕があるということなんでしょうかね?
こちらはもう少し真面目なアンケートと言いますか、何やら顧客調査という点でも有用そうな結果なんですが、この結果を意外と取るか当然と取るかが微妙ですよね。

手術を受けた奴にしか分からないこと「オペ室の照明の怖さ」(2010年12月29日ガジェット通信)

手術を受けた奴にしか分からないこと。そんな話題が『2ちゃんねる』で注目を集めています。できれば手術は受けたくないものですが、病気やケガで手術を受けなくてはならないことがあります。そんなときの体験は、確かに「手術を受けた奴にしか分からない体験」といえるでしょう。

はてさて、「手術を受けた奴にしか分からない体験」とはどんなものなのでしょうか? 『2ちゃんねる』から抜粋していくつかご紹介したいと思います。手術を受けたことがある人は「そうそうそう!」と共感できるかもしれませんね。手術を受けたことがない人は、ヒョエ~ッ! と背筋が凍る話になるかも?

<手術を受けた奴にしか分からないこと>
・うれしはずかしシビン
・気づいたら終わってる。ガチで
・うおお、これが全身麻酔か! どうなるのよ!? ズギュゥーンッ! …あれ? 既に病室のベッドの上
・尿道カテーテルの痛さ。さっき手術から帰ってきた
・「おれ昨日手術受けたわ」の集客率
・病棟に移動式ベッドが持ち運ばれてきて、それに乗る時の優越感
・オペ室の照明の怖さ
・やっぱし麻酔で薄れ行く記憶だな。手術台の六連ライトとかの記憶はあるけど、気づいたら元の病室
・体感時間5分。実際は3時間とか。脱腸で全身麻酔した。おととい
・下半身麻酔の気持ち悪さと寒気
・全身麻酔を入れたときのひんやり感→キングクリムゾン
・長時間かかった術後の寒さは異常
・目覚めたとき尿道カテーテルが入ってた衝撃といったらもう…
・バニラかメロン味の麻酔
・看護師にホ●なの?って聞かれて、否定してる途中に全身麻酔で意識を失った
・腸きった。目が覚めたら、お腹に管がささってた
・全身麻酔だか酸素マスクだか、とりあえずマスクがすっごいくさい
・局部麻酔なんだけど手術途中でくしゃみとかしたくなったらどうしようって不安になる
・尿カテーテルを抜く時、ウガァァって叫んでしまった
・指先の麻酔はほんと痛い。麻酔切れた後の痛みが恐ろしい
・麻酔から覚めるまで、覚めた後もおまいらの体調変化の観察が大変なんだ…わかってくれ… By現役看護師
・全身麻酔が解けてボーッとしてる時って変な事言っちゃうよな
・目の局所麻酔での手術は痛いし怖い
・指の骨折で固定するために指先から針金刺したんだけどすごく変な感覚だった
・同じ病室の人とかと仲良くなってるとその人が退院時にテレビカード貰えたりする

「虫歯が進行し過ぎて麻酔が効き辛くなって麻酔なしで歯に穴掘られた挙げ句神経に直接麻酔注射打たれた」という人もいましたが、さすがにそういう体験はしたくないものです。できれば体験したくない手術ですが、あなたにも忘れられない手術の経験があるのでは?

手術室の無影灯なんてものは確かにあれで真っ正面から照らされると取調室の容疑者もかくやという心境になりかねませんけれども、当然ながら全身麻酔か局所麻酔かでもずいぶんとコメントが違うもので、とりあえず目の覚めている患者さんというものは暇な時間が続くだけにずいぶんと色々なことを考えているんだなと判る話ですよね。
アメリカからはこういう記事が届いていますけれども、確かにそれが悪いということは判るんですが…といった気もするニュースです。

米サイトが発表。変更すべきパスワード1位は…(2010年12月20日webR25)

11月10日、長野県警は、三重県の男子中学生を不正アクセス禁止法違反などの疑いで書類送検。少年は、自宅のパソコンから長野県上田市の男性会社員のパスワードを不正に入手してインターネットのオンラインゲームに参加。男性のパスワードを書き変えるほか、男性が育ててきたゲームのキャラクターを横どりしたという。また11月24日には、他人のIDとパスワードで不正アクセスをおこない、ゲーム内アイテムや通貨をRMT(リアル・マネー・トレーディング:ゲーム内財産を現実の金銭で売買すること)で売却し、利益を得ていたとしてプログラマーの男性2人が神奈川県警に逮捕されるなど、不正アクセスが後をたたない。

そんななか、米『ウォール・ストリートジャーナル』誌のウェブサイトが、Gizmodeなどを運営するGawker Media系列のWebサイトから先週末流出したパスワードのなかで、特に多かったパターンを、「今すぐ変更したほうがいい危険なパスワード」として発表した。そのランキングをネットニュースサイト『秒刊サンデー』など日本のメディアが紹介し、話題になっている。流出した18万8279余りのパスワードのうち、実に3000を超えるユーザーのパスワードが「123456」。2位は「password」でこちらは2000弱。

普段の会話でパスワードを披露しあうことはあまりないと思われるが、このランキングを見たネットユーザーたちのなかには、

「確かに変更すべきだなw」

と、納得したり、なかには、

「俺どこもユーザーIDとパスワードほぼ同じなんだけどやばいかな」

と、ヒヤリとした人も。また、

「6文字以上ってのはまだいいが最近数字を組み合わせたパスじゃないと登録出来ないサイトとかあってむかつく」
「英数字を混合して使わないとパスワードとして認めてくれない時はイラッとくる
それに加えてある程度の文字数がないと駄目ってのに遭遇したら登録を躊躇うようになる
誰も俺のパスなんか利用しねえよ、だからシンプルに生年月日だけのパスワードにさせろ
そうじゃないと憶えにくいだろ」

と、パスワードが必要なのはわかるが、類推されやすいものや単純なものは登録させてもらえないことにイライラする人や、覚えにくくて困るという声もみられた。とはいえ、大事なパスワード。自分が忘れないようにと、パスワードを紙に書いて、パソコンなど人目につくところに貼っているweb R25読者も多いのではないだろうか?

昨今どこのサイトでも認証を要求されるし、確かにセキュリティ上は「かくあるべし」ってものはあるのでしょうが、サイト毎に数字だけとかアルファベットも入れなければならないとか文字数は何文字以上あるいは以下だとかルールが全部バラバラで、しかも分かりやすいのはダメだの全部サイト毎に変えろだのと言われると、もう何をどうすればいいのかと考えない人はいないんじゃないですかね?
最後に控えますのは昨今ブリに並ぶネタソース化が著しい中国からの調査結果ですけれども、これまた何と突っ込んでいいものやらというような内容となっています。

「中国人は偽物製造で能力を発揮」6割…自国民アンケ(2010年12月29日サーチナ)

  中国ではしばしば、「にせ食品」の問題が発生する。2007年には化学薬品と寒天で作った「にせ卵」、2010年には大豆たんぱくや変性でんぷんを使った「にせ豆腐」が出回るなど、にせ食品は、食の安全問題を一層深刻化する大きな要因だ。

  サーチナ総合研究所(上海サーチナ)のアンケート結果では、中国人の「偽造能力」について「非常に高い」、「かなり高い」とする回答が計約6割に達するなど、中国人自身に「わが国民は偽造問題で、その能力を発揮している」との見方が強いことが分かった。

◆「あなたは中国人の偽造能力について、どのように思いますか」との質問に対する回答状況は以下の通り(29日午前10時40分現在)。

(1)非常に高い…36.93%

(2)かなり高い…22.30%

(3)普通…15.11%

(4)高くはない…11.99%

(編集担当:如月隼人)

まあ何にしろ国として誇るべき点があるというのは喜ばしいことなのでしょうが、面白いのはこうした現状について一体誰が悪いのかという調査に関して中国人自身が悪いという答えは三割ほどに過ぎず、過半数は「国と当局が悪い」ということになっているというのもまたお国柄なんでしょうかね?いやはや…

今日のぐり:「お好み焼き ひらの」

広大医学部にも近い広島市街地の中にあるこちらのお店、結構有名なお好み焼き屋なんだそうですが、何が有名と言ってお好み焼きにご飯を入れるというやり方の発祥の店なんだそうですね。
このあたりは当の「ひらの」さんのHPでその誕生の経緯を書いているんですけれども、要するに開店後新メニューに挑戦する段階で「そばの代わりにご飯を使ったらどうか?」とやってみたら気持ち悪いと不評だった、そこで今度はそばとご飯を一緒に入れてみたら試食の学生さんに口コミで広まったと、そういった経緯があったようですね。
このあたり経営が軌道に乗るまで店主のおばちゃんも何やら色々と苦労もされているようですけれども、そうした学生の口コミで支えられてきた店であるだけに今も店主が自分で焼くというスタイルにこだわっていらっしゃるらしいのは大事なことなんですが、今や繁盛店であるだけに今後は経営の永続性という点ではもう少し何とか工夫されてみるのも、大勢の顧客に対する一番のサービスではないかとも思うのですけれどもね。

ま、そうした経緯はともかくとして、とりあえずその「お好み焼きそばライス」を注文してみましたけれども、鉄板にそばはともかくライスが並んでいるというのは何やら不思議な光景で、一体これはどうやるものなのかと見ておりましたらそばを乗せるまでは普通の焼き方なんですが、その上にさらにライスを乗せるというのがこちらの流儀なんですね。
ダブルなどになるともうすごいことになっていて、何しろそばと違ってごはんと言うのはまとまらないだけにひっくり返すのが正直大変そうなんですけれども、このボリュームの割にこのリーズナブルな価格というのはやはり学生に支えられてきた店という背景あってのことなんでしょうか?
先日ためしてみたところの「府中焼き」の「大蔵屋」さんと同様にこちらでも少数勢力のカープソースを使っていらっしゃるようなんですが、肉が厚切りというのは挽肉を使う府中焼きとは逆のパターンで、結局どちらの切り方がいいのかと言う点ではどっちでもいいような気がしないでもありません。
ただオリジナリティは認めるし別に不味いわけでもないんですが、純粋にお好み焼きとして味を評価すると正直特にどうこうと言うほどでもないと言う感じでもあり、ごはんを入れるというアイデアがボリュームアップ以外にさほど味の質的改善に結びついているようには思えないという点でも結構微妙な感じですよね。

何しろこのボリュームにしてこの価格は明らかに割安感がありますし、乏しい懐具合の中でもとにかくがっつり行きたいという学生さんなんかにとっては何よりありがたい店なんでしょうけれども、行列待ちに加えて持ち帰りも多い分とにかく待たされた挙げ句に食べる料理として考えると、個人的には話のネタに一度食べれば十分かなという感じではありました。
接遇面ではこういう状況ですから無愛想に近いものが正直ないでもない感じなんですけれども、まあこういうお店にその方面を期待して入る人もそうそういないでしょうし、客層に似合ったざっくばらんな雰囲気という言い方も出来るかとは思うんですけれども、混雑する店内ではオーダーが通っているのかどうかも判りにくいので、もう少しはっきり意思表示していただければなお良かったですかね。
いろいろと工夫をして顧客を呼び込む努力をしている、そしてそれが実際に成功を収めているという意味では個人経営の飲食店の手本になるようなお店であるだけに、くれぐれもお体には気をつけて末永くお好み焼きを焼いていっていただければと思います。

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2011年1月 2日 (日)

今日のぐり:「希望軒 倉敷店」

先日出ていました記事がこちらなんですが、まあこれは彼らに限らず誰でもそうだろうなとは思うところですよね。

米国人が最もイライラする言葉、「どうでもいい」=調査/アメリカ(2010年12月15日ロイター)

 [ニューヨーク 14日 ロイター] 米マリスト大学の調査で、米国人が最もイライラする英語表現は、2年連続で「whatever」(どうでもいい)だったことが分かった。

 調査に回答した1020人の米国人のうち、約39%が不快な言葉に「whatever」を挙げ、28%は「like」(という感じ)、15%は「you know what I mean」(分かるでしょ)を選んだ。

 マリスト大学のMary Azzoli氏は、「これらの言葉は映画などのポップカルチャーによって浸透し、よく使われている」と説明。「whateverは使い方によっては、人を見下しているように受け止められる」と話し、その言葉を使う状況によっても意味が変わることを指摘した。

 そのほか、「to tell you the truth」(実を言うと)や「actually」(実は)も、多くの人から最も不快な表現に挙げられた。

何やら思わず使ってしまいそうな表現が多いだけに危険が一杯という感じなんですが、あまりこういうことにばかり気を取られていては何を喋るにもいちいちフリーズしてしまうということにもなりかねないだけに注意が必要でしょう。
今日は一見するとどうでもいいんじゃないの?と思えるようなネタなのですが、よくよく考えて見ると実はけっこう大変なことなのかも?と思うような話を紹介させていただきますが、まずは日本では当たり前に使われているものが場所によっては…というこちらのニュースです。

「クマーは子供の脅威」と警告、米警察がチラシ作成もメディアは冷ややか。 (2010年9月14日ナリナリドットコム)

主に2ちゃんねるなどで多用されるアスキーアートのマスコット「クマ―」。コミカルな表現で和ませてくれる定番キャラクターだが、欧米では「Pedo Bear」の名で知られ、その意味合いが日本のそれとはかなり違う。米国の匿名掲示板「4chan」など英語圏のBBSでは、子どもの性的画像へリンクを貼る際に使用されることが多く、“変態”としてのイメージが強いという。しかし、最近は着ぐるみやハンカチといったネット以外で「Pedo Bear」を目にするケースが増えているようで、米カリフォルニア州の保安官事務所は「Pedo Bear」の隠れた意味を知るよう、子を持つ親へ警告している。  

米放送局NBC系列KSBY-TVによると、呼びかけを行っているのはカリフォルニア州にあるサン・ルイス・オビスポ郡保安官事務所。この保安官事務所は、ネット以外の場所でキャラクターを目にする機会が増えたとして、「“不安な新しい現象”について警告している」(KSBY-TVより)。同局が伝えたニュース映像では、サンディエゴで開催された「コミコン・インターナショナル」で着ぐるみの「Pedo Bear」が赤ちゃん連れの親子に接しているシーンや、フロントガラス部分にシールが貼られている車の写真を、保安官事務所作成の警告チラシを引用する形で紹介。確かにネットの中だけでなく、イベントや街中でこのキャラクターを目にする機会は、決して多くはないかもしれないがゼロではないようだ。

警告チラシでは「Pedo Bear」とは何なのかを説明すると共に、今年のコミコン開催以降、子どもたちがこのクマのイメージを見る機会が増え、存在が知れ渡ってきたとして、潜在的な意味を知るよう注意を促している。つまり、保安官事務所は、このキャラクターを持っている人が小児性愛者かもしれず、うかつに近づくと子どもに危険が及ぶ可能性があると伝えたいらしい。

この対応について、米ブログメディアのGawkerは「面白い警告」「バカな警察」とストレートに表現。性的な意味合いがあることは認めながらも、「ネット上で最も人気のあるキャラクターの1つ」として、こうした警告は「考え過ぎ」とする見解を示している。Gawkerは直接保安官事務所にコンタクトを取っているが、対応した担当者は「ネット上でふざけて使われている」キャラクターだと、理解はしているそうだ。ただ、「いずれにせよ両親に警告することを望んでいる」(英紙デイリー・メールより)という。

デイリー・メール紙も「おかしな警告」と伝え、保安官事務所のチラシは「ネットの笑いの種を作った、まじめくさったニュースレター」と評している。子どもを守るのは大人の務めとはいえ、保安官事務所が抱いた今回の不安は、欧米メディアから笑い飛ばされるほど極端過ぎる話だったようだ。

むしろ記事についている写真の方が気になるようなニュースで(まさにクマーそのものですものね)、それは確かにそういう意味合いで使われる場合もあるのでしょうけれども、この調子ではサン・ルイス・オビスポ郡保安官事務所が日本のネットなどを覗き見ると発狂しかねない勢いになるかもですね。
クマ繋がりでこういう記事も紹介してみますけれども、これもちょっと見にはよくあるこの手の団体の抗議という感じの話です。

英国近衛兵のふさふさ帽 クマの毛皮、愛護団体が批判/イギリス(2010年9月7日朝日新聞)

 英国のバッキンガム宮殿をさっそうと歩く赤い制服の近衛兵がかぶる、長くて黒いふさふさとした帽子は、野生のクマの毛皮で作られている。そこへ動物愛護団体がかみついた。人工皮革の帽子を開発し、英国防省に交換を求めている。しかし、伝統を重んじる国防省側の反応は鈍い。

 ロンドンのバッキンガム宮殿前。赤い制服にのっぽな帽子をかぶった兵隊が行進してくると、観光客がいっせいにカメラを向けた。ロンドンの観光名物の衛兵交代だ。

 この帽子は「ベアスキン帽」と呼ばれる。1815年のワーテルローの戦いで、英軍がナポレオン率いる仏軍をやぶったのを記念し、それまで仏軍がかぶっていた帽子を英軍がかぶり始めたのが起源とされる。背を高く見せる効果があるが、現代では一部の近衛兵がかぶるのみだ。

 それがカナダの野生グマの毛皮で作られていることは、あまり知られていない。北米にいるアメリカグマなどの毛皮を黒く染めて使う。国防省は約2500個持っている。

 動物愛護団体「PETA」のミミ・ベクシー部長によると、クマの背中の部分を使うため、1頭で一つしか作れない。雌グマの毛皮がより適しているせいで、母親グマが殺され、子グマが飢え死にした事例もあるという。

 ベクシー部長は「動物愛護に先進的な英国なのに、英国の象徴の一つとされる近衛兵の帽子が、クマを犠牲にするのはおかしい」と話す。

 PETAは2002年、毛皮の使用をやめるキャンペーンを開始。元ビートルズのポール・マッカートニーさんの娘で、人気デザイナーのステラ・マッカートニーさんと協力し、人工の皮革を使った代用品づくりに取り組んだ。

 05年に作った試作品では、国防省が定める耐水性基準に不合格。しかし、昨年、新たに人工繊維「ベア28」を使った試作品を作り、耐水性の基準をクリアした。

しょせん儀式用に少数が使われているだけのものにそこまで目くじらを立てずともいいような気もするのですけれども、大きくて目立つとは言えしょせん帽子に過ぎないものが熊1頭から1個しか作れないのか…と、何やら日本人的モッタイナイ精神を発動させてしまいそうな記事で、ちなみにブリではクマの缶詰などは作っているものなんですかね?(笑)
日本人的なと言えばこちらもある意味日本人的なのかも知れませんけれども、正直その努力をもっと有意義な方面に…と思わないでもない話ですよね。

「振動で眠れず頭に来た」 マンション階下に都市ガス注ぐ、電動ドリルで床に穴/東京(2010年12月20日産経新聞)

 マンション階下の住宅に都市ガスを注ぎ込んだとして、警視庁亀有署はガス等漏出の現行犯で、東京都葛飾区白鳥、タクシー運転手、川田実容疑者(61)を逮捕した。川田容疑者は近隣とのトラブルが相次いでいたといい、同署の調べに「下の人が起こす振動で夜も眠れず、頭に来てやった」と供述している。

 同署によると、川田容疑者は自室のフローリングをめくり、約1年かけて厚さ約13センチのコンクリート層を電動ドリルで“貫通”。キッチンのガスコンロにつないだビニールホースで都市ガスを注いでいた。

 ガスは、コンクリートと階下の天井板の間の約18センチの空洞に充満。11月19日以降、ガス会社には通報が相次ぎ、計14回、職員が駆けつける騒ぎになっていた。

 今月16日に同署が被害者宅の天井裏を調べた結果、約1・5センチの穴を発見。その後、検知機を設置して見張っていたところ、ガスが送り込まれるのを確認し、川田容疑者宅に踏み込んだ署員が犯行を確認した。

 逮捕容疑は19日午前11時20分から同11時40分ごろの間、階下の無職男性(74)宅に都市ガスを注ぎ込んだなどとしている。

 正直下の人が起こす振動よりも電動ドリルの振動の方がよほど激しくて眠れないものになりそうなんですが、ガスを注入して何をしようとしていたのかはともかく、うっかりすると自分が危ないんじゃないかといったあたりには気が回らなかったのですかね?
その日本では昨年「2位じゃダメなんでしょうか?」なんて発言が話題になったスパコン関連技術ですけれども、最近では思わぬところに思わぬ影響が出ているということなんですね。

PS3の「他のOSのインストール機能」廃止、米空軍も問題視/アメリカ(2010年05月13日Game Spark)

旧モデルPS3本体の「Install Other OS機能」がアップデートで廃止されたのを発端に米国で複数の集団訴訟が起こっていますが、クラスタ化した大量のPS3をスーパーコンピューターとして利用していた米空軍の担当者が、この件を問題視しているようです。

ArsTechniaの報告によると、米空軍は最近新たに1,700台のPS3を購入し、合計で2,000台ものクラスタ化した本体を軍内部の研究・監視目的で稼動。オペレーティングシステムにはもちろんLinuxがインストールされていたようです。

しかし、4月1日にソニーから他のOSが利用できなくなるファームウェアアップデート(バージョン3.21)がリリース。このファームウェアは自動アップデートではなく、また米軍のPS3も通常PlayStation Networkには接続していなかったため、当面は問題にならなかったとのこと。

ところが研究施設の担当者は別の問題があるとして取材に対し次のようにコメント。

    “既に手元にあるシステムは今後も使い続けるつもりですが、この件(ファームウェアアップデート)で故障した本体を交換するのが難しくなりました。ソニーから修理されて戻ってきた本体には新しいファームウェアがインストールされ、他のOSも利用できなくなるのは、問題があるように思えます。本体にもともとあったこの機能を取り除いたソニーに対し集団訴訟があるのは我々も認識しております。”

「他のOSのインストール機能」の廃止を巡っては、米国のユーザーらによって三件の集団訴訟が起こされています。

ご存知のように最近では安い汎用プロセッサを多数搭載したシステムがスパコンの世界でも主流になっていますけれども、その点で安くて高性能と人気なのがPS3だということで、せっかく米空軍も性能の割にコストは10分の1で済んだと喜んでいたものを、これは思わぬ落とし穴であったということになるのでしょうかね?
この手の話題ではどうでもいいような話題を大騒ぎしてみせるのがブリというものの性質なんですけれども、昨年末に明らかになったこちらの記事はあるいは本気で全世界的な問題となるかも知れないというニュースです。

サンタは危険?居眠り運転でそり激突の可能性 英研究/イギリス(2010年12月15日AFP)

【12月15日 AFP】毎年、世界中の子どもたちにクリスマスプレゼントを届けるために一睡もしないでそりを運転するサンタクロースは、医学的な見地から、一般市民への脅威になりかねない――。英ウォーリック大医学部(University of Warwick Medical School)の研究者らが14日、こう警鐘を鳴らした。

 一睡もせず、一晩中熱狂的にそりを走らせるサンタ。プレゼントを届けた先で、ツリーの下に感謝のしるしとして置かれたアルコールをチビチビやることだってあるだろう。同大のフランコ・カプッチオ(Franco Cappuccio)氏とミシェル・ミラー(Michelle Miller)氏は、睡眠不足がもたらす危険について執筆した本のなかで、サンタが被る、またはサンタがもたらす危険を分析した。

 サンタは非常に眠いため、注意力は散漫になり、思考能力や記憶力は減退するだろう。やがて、手綱を握ったまま眠り込んでしまい、そりは何かに激突するだろう。このとき他人を巻き込んでしまうかもしれない。

 健康へのリスクは、年に一度きりの仕事であることを考えれば、長期的には少ないかもしれないが、短期的には数多く存在する。

 また、一睡もしないでサンタのお供をしなければならない小人たちやトナカイにも健康リスクは及ぶだろう。

 2人の試算によると、世界中の子どもたちにプレゼントを送り届けるためにサンタに与えられた時間は31時間。煙突から中に入る時間も考慮すれば、1秒あたり約1000キロ移動しなければならない計算だという。

まあ過労問題はどこの業界でも気になる話で確かにサンタの注意力散漫も非常に大きな問題なんですけれども、むしろ歴とした大学医学部の研究者がこういうことに時間も労力も費やしているという事実にこそ、英国民の健康が果たしてどうなのかと心配にもなりそうな話ですよね。
さて、最後に控えますのは先日京都大学から発表された画期的な?研究成果ですけれども、まずは記事を紹介してみましょう。

「ヘビ怖がるのは本能」京大発表、3歳児も反応(2010年11月27日読売新聞)

 「人がヘビを怖がるのは本能」とする研究結果を京都大学の正高信男教授らが発表した。

 ヘビによる恐怖体験がない3歳児でも、大人と同じようにヘビに敏感に反応し攻撃姿勢を見分けられることを示した。

 研究チームは3歳児20人を対象に、「8枚の花と1枚のヘビ」の写真からヘビを選ぶ場合と、「8枚のヘビと1枚の花」の写真から花を選ぶ場合で、反応する速さを比較した。ヘビを選ぶ時間は花を選ぶののほぼ半分の2・5~3秒だった。ヘビの中でも、とぐろを巻いて攻撃姿勢を取る写真への反応時間が短かった。

 4歳児34人、大人20人の実験でも同じ傾向が示され年齢による変化はなかった。ムカデやゴムホースの写真を使った場合、花との違いがなく、細長いものや気持ち悪いものに反応しているわけではないという。

 世界中でヘビを恐れない文化はなく、本能なのか学習なのかの論争が19世紀から続いてきた。正高教授は「経験で恐怖感が身につくのなら年齢によって反応が変わるはず。今回の結果はヘビへの恐怖が本能であることを示す」と話している。

蛇への恐怖感というのはかつて人類が蛇の捕食対象であった記憶が残っているからだ、なんて説もありますけれども、同様に犠牲者数多だっただろう肉食獣などはむしろ可愛いなんて声もあるくらいですから、何かしら警戒心を呼び起こす未知のシグナルが存在しているのかも、ですね。
しかし研究成果はそれとして、「人間は蛇を恐れている」ということにこうしてなにがしかの裏付けめいたものが与えられたということについて、ほっと胸をなで下ろしている人間も世の中に大勢いるとかいないとか…え?いえいえ、自分は蛇などなんら恐ろしいことなどありませんよ?ええ、断じてですね…

       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\
    /   ⌒(__人__)⌒ \   < おい、お前「毒」持ってる?って蛇に聞いてみたんだ
    |      |r┬-|    |      そしたら何て答えたと思う?
     \     `ー'´   /

         ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゜((●)) ((●))゜o      ミ ミ     < 「Yes, I have.」だっておwww
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\    /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //   バ
| :::::::::::(⌒)     | |  |   /   ゝ  :::::::::::/      ン
|     ノ     | |  |   \  /  )  /    バ
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     ン
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

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   /z'' ..:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.... ー ニ三\____
  /y' .:::::::::≠:::::::::::::::::::::, - ─ - 、  ー≠ニ三三三`丶、
. /≠' .::::::::ニ=::::::::::::::, '           \       ''''ニ三 n
/    .z::::=三:::::::::/                \  / ? ` ー 、 `\
  ≠=:::::ー=    /              / /((○)) ((○)、三)
  z   三  '''' ,'                  ,' /  '⌒(__人__)⌒‘ゝ' ぎゃぁぁあぁぁぁあぁお
  ニ ー=, z≠!               V       |r┬-|    |
 ー' 三ニ ,kz'!               \    | |  |  /
  ,ィk =ニ=  ,z|                 ノ       | |  |  \

今日のぐり:「希望軒 倉敷店」

倉敷駅北側から岡山方向へと伸びていく道沿いというのは近頃ラーメン激戦区になっているんだそうで、チェーン店やら個人経営の支店やら様々なラーメン屋が建ち並んでいるのはなかなか楽しいですよね。
その中ではもっとも岡山寄り、すなわちラーメン街道の外れ近くに位置するこちらのお店は、関西を中心にけっこう手広く展開するチェーン店なんだそうですが、失礼ながら今まで見たことがありませんでしたもので今回初めて立ち寄らせていただきました。
看板にはデカデカと「とんこつ」がどうとか書いてあるので九州系なのか?とも思う一方、玄関先に完食者の写真リストまである激辛のウルトラつけ麺ってどんなのだと気にもなるのですけれども、メニューを見てもラーメンだけでも「とんこつ」の他に胡麻味噌だ、醤油だと取りそろえてあって、しかも問題の激辛系つけ麺もあったりと、ややこのあたりはラインアップが判りにくいような気もします。

とりあえず一番ベーシックに思えるとんこつラーメンを普通の固さで頼んでみたのですが、これが来てみますととんこつ醤油?と思うようなスープの色調ではあり、麺も少し加水率高めの中細めんと、どうも想像していた九州のそれとは似ても似つかないものであったようなのですね。
コラーゲン多めのスープはいかにも骨の溶けていそうなカルシウム味濃厚なものなのですが、冷めると結構脂が浮くくらいにこってりしているはずなのに食べている時は意外なほど脂控え目に感じるという、これだけ濃いのに意外に飲み干せる(飲んでいいかどうかは別にして)スープであるというのはこれまた意表を突かれました。
この麺も味、食感ともなかなか悪くない出来で、昨今の堅めがデフォみたいな中ではむしろ柔らかめくらいに言われそうな茹で加減なんですけれども、博多などの細麺と違ってこれくらいの麺だとこのくらいの茹で加減でちょうど良い感じではないでしょうか、麺とスープとの相性もいい感じですよね。
デフォルトでネギ多めなのが目に付くんですがトッピングも特に印象に残るほどではないものの今風に無難なもので、いわゆるとんこつラーメンを想像すると違うんですが、これはこれでいいかなと思えるものでした。

メニューを見てみますと他にすじ旨丼なんてものがあってちょっと気になるんですけれども、今回食べていないので実際のところはどうか判らないとしても、もしスープのベースがこのままであればつけ麺にしても胡麻味噌にしても激辛はちょっと合わないんじゃないかなとも感じましたが、実際のところどうなんでしょうね?
濃い割には飲んだ後の締めにも悪くなさそうな味だけに、街から外れた田んぼの真ん中(失礼)に位置するこの立地がどうなのかですし、価格競争力の点でも知名度の点でもそれなりに苦戦はしそうな気はしますけれども、食べて見れば特にこういう寒い時期にはあってそうなラーメンではあると思いました。
あとこちらチェーン店ということなんですが、スタッフの皆さんは良くも悪くも妙に家族経営的な雰囲気があると言いますか、いかにも田舎のラーメン屋っぽい接遇の感じが今風な店の雰囲気的に良いのか悪いのかですけれども、たまたま入ってみて外れだったと思わせる店でもなさそうですから、うまいこと固定客がついて繁盛すればいいんですけれどもね。

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2011年1月 1日 (土)

今日のぐり:「牡蠣屋」

あけましておめでとうございます。
旧年中は思いがけず大勢の方々にお越し頂きましたこともさることながら、とりわけあちらこちらで議論の中でも取り上げて頂いたというのはありがたいことでもあり、逆に恐縮しきりという状況でもありで、いずれにしてもお越し頂いた皆様方には厚く御礼申し上げるしかありません。
本年も時間と体力とメタボの許す限り「ぐり」の研究を続け、ますます「ぐり研」の輪を広げていきたいと思っておりますので、皆様のお引き立てをよろしくお願い申し上げます。

さて、先日見ていて生物学的にはあり得る話ですけれども、社会的な観点からすると何かしら釈然としないと感じたのがこの話題なんですが、やはり何したと言われるとナニをしたんでしょうねえ。

お母さん何した?世界7例目 双子の父親がそれぞれ違う!(2010年12月29日スポニチ)

 ポーランドで生まれた双子が、それぞれ別の男性を父親に持つことが分かった。世界で7例目の珍しいケースだという。

 双子は男の子と女の子。検査したところ、男の子の父親は夫であることが判明。しかし女の子の父親は別の男性だと分かった。

 母親は結婚しながら、夫以外の男性とも交際していたという。母親は出産後、離婚を申し立てた。 (共同)

わざわざ親が誰かを調べて見る気になるくらいですから元々結婚生活もうまくいっていなかったんでしょうが、俗に人間の三大欲求などというものの根深さを感じさせる話ではありますよね。
見てみますと似たような悲劇?はあちらこちらで散見されるようで、少し前にはこういうちょっと悲しすぎる事例も報告されていました。

離婚同居中に元妻妊娠で発覚。5人中3人が他人の子/台湾(2010年10月17日livedoorニュース)

自分の分身だと思っていた我が子が、実は自分の子でなかったら・・・。これほどショックなことはないに違いない。台南市で塾講師をしている男性は、12年前に結婚し、7年間に5人の女の子が生まれた。しかしその後、感情のすれ違いで4年前に離婚。それからは離婚同居の状態が続いていた。ところが、元妻がまさかの妊娠。疑念を抱いた男性がDNA鑑定を行ったところ、5人の娘のうち自分の子は次女と三女だけであることが判った。

男性の話によれば、現在39歳の男性と35歳の元妻は12年前、妊娠をきっかけに結婚した。離婚してからは、こどもたちを悲しませないようにと、平日は台南市の宿舎で過ごすものの、週末は台南県の家でこどもたちの相手をするようにしていたという。しかし、元妻とは離婚後ずっと寝室を共にすることはなかった。にもかかわらず、今年5月、元妻が6人目の子を妊娠。男性が尋ねると元妻は「あなたの子だ」と答えたという。

近所の住民の話では、3ヶ月前、2人は「こどもが誰の子か」で言い争い、警察沙汰になった。その後、男性は次女と三女だけを連れて出て行ったが、元妻は依然「こどもはみんな夫の子」だと言い張っているという。

男性は元妻を結婚詐欺罪と通姦罪で訴えたが、既に時効が過ぎているため検察は元妻を不起訴処分としている。
(TechinsightJapan編集部 片倉愛)

男性にとっては確かにショックな出来事だったのでしょうが、こういう話を聞きますと不謹慎ながら、古くからあるジョークを思い出しますね。

夫「なあお前、頼むから本当の事を言ってくれ。僕の子供達の中で末っ子だけが他の子と全然似ていない。まさか…」
妻「そうね、それじゃ本当の事を言うわ。末っ子の父親はあなたなのよ」

人間の欲望と言えば洋の東西を問わず、場所に関わりなくということになっているようですが、さすがにあまりにわきまえがなさ過ぎる場合には大いに問題になるということもあるようですね。

パラグアイ:刑務所で囚人がポルノ撮影 職員らも取り調べ(2010年9月21日毎日新聞)

 【メキシコ市・國枝すみれ】南米パラグアイの首都アスンシオンにある刑務所で、囚人が少女のポルノをビデオ撮影していたことが発覚した。検察は、囚人2人と刑務所職員らを取り調べている。

 検察の17日の発表では、犠牲となった少女3人はインターネット・フェースブックで囚人らと知り合った。囚人らにグーグルアースで自宅の位置を発見され、「親を殺すぞ」と脅迫され、刑務所に来るよう強要された。囚人らはデジタルカメラなどを使い監獄内でポルノを撮影していた。

 刑務所には教育用にコンピューターが設置されている。検察は「刑務官らがポルノ撮影を知らなかったはずがない」として、刑務所所長を解雇し職員らを取り調べている。

こういう言語道断な犯罪行為などは論外ですけれども、一般論としてストレスの溜まりやすい閉鎖空間ほど欲望の開放ということには気を遣わなければならないだけに、管理する側としても締め付けるばかりでもどうなのかということはあるのでしょうね。
ただしそれもやはり空気を読みながらということが期待されるわけで、あまりにストレートすぎる行動はしばしば思いがけない二次災害を引き起こしてしまうということにもなりかねません。

コモンウェルス・ゲームズ選手村のトイレ詰まり、原因は大量のコンドーム/インド(2010年10月07日AFP)

【10月7日 AFP】英連邦競技大会連盟(Commonwealth Games Federation)のマイク・フェンネル(Mike Fennell)会長は7日、インド・ニューデリーで3日開幕した英連邦競技大会(コモンウェルス・ゲームズ、Commonwealth Games)で、選手村のトイレが詰まるという問題が発生しているものの、選手たちがセーフセックスを実践していることは良いことだと語った。

 報道によると、選手7000人が滞在する選手村のトイレが、大量の使用済みコンドームで詰まってしまったという。

 フェンネル会長は「これは選手たちが責任のある行動をとり、セーフセックスを推進しているということを表している」と語った。

 英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)によると、選手村には約4000個のコンドームを提供する自動販売機が設置されていたという。

何をもって責任ある行動と呼ぶかはまた別問題として、とりあえず「備え付けの紙以外はトイレに流さないでください」という張り紙にはそれなりに根拠があったのだなと改めて感じさせられます。
イタリアのベルルスコーニ首相と言えば、かれこれいい年であるにも関わらず各方面で浮き名を流していることでも知られる御仁ですが、豊臣秀吉並みにその方面では至ってノーマルであると言うことなのでしょうか、今度はこういう話題を提供してくれています。

渦中の伊首相「同性愛者になるより、美しい女性が好きな方がいい」/イタリア(2010年11月4日産経新聞)

 17歳のモロッコ人ベリーダンサーとの売春疑惑などで退陣要求も出ているイタリアのシルビオ・ベルルスコーニ首相(74)が2日、北部ミラノで開催中のバイクフェアでスピーチ。その中で、「同性愛者になるより、美しい女性が好きな方がいい」と持論を展開した。AP通信が伝えた。
 この発言を受け、同性愛者権利擁護団体が猛反発。数十人が「同性愛者と女性両方を侮辱するものだ」として首相官邸周辺で抗議デモを行った。

この首相、日本であればとんでもない大騒ぎになりそうな発言連発で外野から見ている分には面白いんですが、長期政権を保っているのは言われているようにメディアを握っているという背景があるからなのか、あるいはこうした率直な発言の数々がイタリア人の琴線に触れているということなのか、いずれなんでしょうね?
それでも同性愛問題に関しては双方合意の上でと言うことであれば個人の趣味の問題ということになるのでしょうが、この合意ということがいい加減になってきますと思いがけない事件にも発展してしまいます。

「男と気づかず」キス、男性の舌かみ切られる(2010年10月8日読売新聞)

 男性の舌をかみ切ったとして、戸部署は7日、傷害の疑いで横浜市神奈川区に住む無職の男の容疑者(24)を現行犯逮捕した。

 逮捕容疑は、同日午前3時10分ごろ、同市西区南幸1丁目のホテルで、口づけしようとした鹿児島市の会社員男性(41)の舌を約3センチかみ切り、全治約2週間のけがを負わせた、としている。

 同署によると、同容疑者は出会い系サイト上で女性の名をかたり、男性と知り合った。身長約170センチで黒髪のロングヘア、女性用の服を着ており、男性は同性と気づかなかったという。

 男性が予約していたホテルに入室。口論となった後、口づけしようとした男性の舌をかみ切ったという。同容疑者は調べに対し、「いきなりキスしてきたので、かんでやった」などと供述しているという。

まあなんと言いますか、相手が男であれ女であれ無理矢理はいけないという話なんでしょうけれども、こういう話も日本も色々と多様な価値観が出てきているということの証明なんでしょうかね?
一方でアメリカあたりになりますと軍隊に同性愛者を入れるか入れないかで激論になるくらいに保守派からは同性愛者への忌避感も強いようですが、一方でやはり社会的には広がっているのだなと感じさせられたのがこちらのニュースです。

1割が「同性と性交渉」 NY高校生の調査 「両方」グループは「危険な行為」が高率/アメリカ(2010年10月26日産経新聞)

 ニューヨーク市の高校生に対する調査で、過去に性交渉の経験がある生徒のうち、同性と性交渉を持ったことがあると答えた人が9・3%に上ることが25日、分かった。AP通信が報じた。

 2005、07年に同市の高校で実施された調査結果によると、性交渉経験がある男子のうち「相手は女性のみ」は93・1%、「男性のみ」は3・2%、「両方」が3・7%だった。女子は「男性のみ」88・1%、「女性のみ」3・2%、「両方」8・7%。全体で同性との性交渉経験があるのは9・3%だった。

 また、最近の性交渉でコンドームを使った男子のうち「相手が女性のみ」は79・8%、「男性のみ」が62・3%だったのに対し、「両方」は44・1%と一番低かった。さらに「両方」のグループは、性交渉を強いたり暴力を振るうなど「危険な行為」を経験した率が高かった。(共同)

一説によればアメリカでの同性愛者比率が10%程度だと言いますからちょうどそれに合うような数字ではあるのですけれども、高校生にしてすでにこの状況というのは日本の腐女子あたりが聞けば驚喜しかねないだけに、そういう点では日本の方がずいぶんと進んでいる?というべきなのでしょうか。

今日のぐり:「牡蠣屋」

安芸の宮島と言いますと参拝や観光に加えてもみじ饅頭や穴子飯など食べる方の楽しみも多いところですけれども、寒い時期になりますと広島湾名産の牡蠣などもよいですよね。
宮島商店街の中程に位置するこちらのお店は今風の新しい店構えなんですが、2年ほど前に熟練の牡蠣職人が宮島唯一の牡蠣料理専門店として開いた店なんだそうで、まさに屋号通り牡蠣づくしが味わえると早くも人気になっているようです。
開店前から大量の牡蠣をさばいている様子がまた期待感を高めますけれども、同時に行列も長くなっていきますから往来の邪魔にならないように注意はしておかなければならないでしょうね。

こちら単品メニューや定食などいずれも牡蠣中心のものが揃っているのですが、特にネットで見た顧客だけが知っているというのがほぼ全ての料理を含むという「牡蠣屋定食」で、こちらはお店のお品書きには記載されていない裏メニュー扱いになっているようですね。
他にも幾つか単品メニューを組み合わせて注文してみたのですが、まず何と言っても焼き牡蠣がとにかくうまいということで、今まで焼き牡蠣というと妙に生臭みが残ったり逆に焼きすぎたりであまり良い印象ではなかったのですが、こちらはとにかく風味を立たせジューシーな味わいを最大限引き出す焼き加減が絶妙という、さすがに伊達に専門店を名乗ってはいないなという味です。
牡蠣フライと特選牡蠣フライという二種類あるのがどう違うのかと両方試してみたのですが、ノーマル牡蠣フライでも大ぶりな牡蠣のぶりぶりした身質と濃厚な味が楽しめるもので、これが特大サイズの特選牡蠣フライになりますとむしろ大きすぎるんじゃないかと思えるくらいですから、普通に食べる分にはノーマルな方で十分ではないでしょうか?
牡蠣屋定食にも付いてくる牡蠣のオイル漬けはおかずと言うより肴といった味わいなんですが、こういう濃厚な牡蠣の味、うま味をストレートに味わえる料理というのはなかなかないと思える一方で、アンチョビのように料理に使ってみても面白そうな味ですよね。
主食系として定食にも付いてくるかきめしはこういう場所柄らしく量はごく少なめなんですが、結構濃い味付けの料理が並ぶ中でなんとも微妙な味加減が好ましく、程よくお腹が膨れて味にも満足というところでしょうか。

周囲の店が昔ながらのやり方で朝早くから開いている中で、敢えて通常の料理屋的な開店時間を設定しているのは意図的なのかどうかは別として行列による客寄せ効果も発揮しているようなんですが、前述のように何しろ往来の激しい商店街の真ん中ですから、お店がこういう放置状態を続けていてはお客としてもそれなりに気を遣ってしまうのは確かですよね。
若い店員が多いというのは一見すると元気があって良さそうに思えるのですが、実際の接遇はバイトレベルの方が多いようで一部の勝手知ったる店員の苦労も多そうだなと感じさせられる一方、客商売なんですからせめてスマイル0円の基本姿勢くらいは徹底させておいてもらいたいというのも顧客としては正直なところではないでしょうか。
メニューの方はこういう場所柄らしく全部が英訳付きというのはいいんですが、大きな紙に単にプリントアウトしたものを置いているだけで片付けるに片付けられず、料理がテーブルの上に並んでくると邪魔で仕方がないというのもどうなのかですよね。
同様に牡蠣の産地として売り出している岡山県は日生あたりの「え?!この値段でこんなに!?」という鄙びた漁師町ならではの驚きからすると、コストパフォーマンス面では観光地価格というのも確かにあるのでしょうけれども、料理屋としてこのレベルなら特別不満もないのかなとも思えるものではありましたし、実際に競争激しい中でも大当たりしているというのは良いことなのでしょうね。

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