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2010年12月18日 (土)

シーシェパード始動 新しい広告塔は天然極上もの?

先日少しばかり笑ってしまったのがこちらのネタですけれども、そう言われれば確かにと言う気がしてきます。

衝撃の事実!? 捕鯨妨害船の名前に使われた怪獣は、鯨を食べていた!(2010年12月08日リアルライブ)

 「世界の海洋における野生生物の棲息環境破壊と虐殺の終焉」を目指して活動を続けている団体、シーシェパード。彼らは日本の調査捕鯨船に対しても、船に体当たりをしたり、酪酸の入ったビンを投げつけるといった武力を行使した過激な「抗議活動」を行い続けてきました。
 そんなシーシェパードの捕鯨妨害船「アディ・ギル号」が日本の調査捕鯨船「第二昭南丸」に体当たりを行ったところ、船が大破、沈没してしまうという事件が今年の1月に起こり世間を騒がせましたが、沈没した「アディ・ギル号」に続く、シーシェパードの新型捕鯨妨害船が完成、航海を行うことが先日明らかになりました。

 新型捕鯨妨害船の名前は「Gojira(ゴジラ)号」。
 名前を見れば一発でお分かりだと思いますが、日本の超人気キャラクター、「ゴジラ」の名前を使用した船で、船の先頭部分にはゴジラらしき怪獣が描かれてもいます。
 当然ですが、ゴジラの版権元である「東宝」の許可などは得ておりません。無断使用な一品となっています。
 彼らには地球環境を守ることを考える前に、著作権を守ることについても考えていただきたかったものであります。
 それにしてもなぜ、彼らは自分たちの船に「ゴジラ」という名前を与えたのでしょうか? 捕鯨を行っている人たちにとって脅威の存在であるということをアピールしたかったのでしょうか。

 しかし、彼らは実に重要なことを見落としているのです!
 …というのも、実はゴジラって鯨を食べるんですよ!!
 シリーズ第5作目の『三大怪獣 地球最大の決戦』では、ゴジラが鯨を食べるために追いかけているシーンが描かれていますし、シリーズ22作目の『ゴジラvsデストロイア』では、ゴジラの息子であるゴジラジュニアが大量の鯨を食べてすくすくと成長していく様子が描かれているのです。

 捕鯨を妨害する目的で作られた船によりによって、鯨を餌として食べている怪獣の名前を使用してしまったシーシェパード。
 ゴジラといえば、全世界で愛されているキャラクター。世界中のゴジラファンからツッコミの嵐を浴びせられる前に、ゴジラ号は改名しておいた方がよいかもしれません。

しかしながらこの一件、シーシェパード(SS)にとって反捕鯨とはあくまで目的ではなく手段であるということ、そしてゴジラという怪物は何故か日本ばかりを目の敵にして襲ってくるということを考えて見ると、実は彼らにとってはこれ以上ないほどふさわしい名前ではないかという気がしてきます。
実際のところSSがどこまで深く考えてこんな名前を付けたのかは判りませんけれども、いずれにしても日本の捕鯨船団も南氷洋へと出航したこれからのシーズンが彼らにとっても稼ぎ時であるわけですから、いったい今回はどんなテロ活動を仕掛けてくるのかと今から気になるところです。
ちなみに今回の妨害船は船籍をニュージーランドからオーストラリアに移したということですけれども、これも先日のニュージーランド人であるベスーン元船長とワトソン代表との確執が一つの原因であるのかどうか、いずれにしてもオーストラリアもニュージーランドも彼らの活動を認めてはいないわけですから、口で言う通りにきちんとした法的対応も期待したいところでしょう。

米豪など調査捕鯨妨害を非難…日本にも「残念」(2010年12月11日読売新聞)

 【ワシントン=小川聡】米国、オーストラリア、ニュージーランド、オランダの4か国は10日、南極海での日本の調査捕鯨開始を前に、反捕鯨団体が妨害活動を行っていることに関連し、「人命を危険にさらすいかなる行動も非難する」として、すべての船に「責任ある行動」を求める共同声明を出した。

 声明はまた、「平和的に抗議する権利を尊重すると同時に、すべての関係者の危険で暴力的な活動を非難する。不法活動は、国際法と国内法に従って処罰される」と指摘した。

 さらに、南極海での捕鯨反対の立場から、「日本の捕鯨船団出港は残念だ」とした。

さて、日本船団の出航に合わせて彼らの方でも活動性を上げてきている昨今ですが、メディア露出を期待してあちこちから盛んに気勢を上げる声が聞こえてくるのは当然ですけれども、結局借金まみれのベスーン元船長もこの商売からは離れられなかったという、予想されたオチがついたということのようですね。
もちろん本家本元のSSもお布施集めにかけては負けてはいられませんが、今シーズンの妨害要員の中には日本人も含まれているということが、昨今彼らSS自身の手によってしきりにアナウンスされている点が注目されます。

反捕鯨新団体に300人支援=SS元メンバーが立ち上げ(2010年12月4日時事ドットコム)

 【シドニー時事】調査捕鯨船妨害事件で東京地裁の有罪判決後に強制退去処分となったニュージーランド人のピーター・ベスーン氏(45)は4日までに、時事通信との電話取材に応じた。同氏は11月下旬に新たな反捕鯨団体「アースレース」の設立を発表。これまでに300人以上から支援や協力の申し入れがあったという。
 同氏は「シー・シェパード(SS)」のメンバーだったが、SS代表のポール・ワトソン容疑者(妨害事件で国際指名手配)の「偽装体質」を指摘して対立、たもとを分かった。ベスーン氏は、ワトソン代表には「不正直なところが多過ぎる」と批判した。

SSが新抗議船導入、日本人メンバーも参加(2010年12月8日日テレニュース24)

 反捕鯨団体「シー・シェパード」は、今月以降に南極海で始まる調査捕鯨を妨害するための新たな抗議船「ゴジラ」を導入した。妨害活動に参加する日本人メンバーはNNNの取材に対し、「クジラを守るためには暴力もいとわない」と話している。

 日本の怪獣映画やクジラにちなんで名づけられたという「ゴジラ」は、全長35メートルで高速航行が可能。シー・シェパードは今月以降、「ゴジラ」を含め3隻態勢で日本の調査捕鯨の妨害にあたる予定。

 今回の妨害活動には日本人メンバー2人が参加している。親川久仁子さんは「日本が世界の規約に反する行動をしている。日本が違法捕鯨をしている」「(Q暴力でぶつかり合う場面が来てもいとわない?)いとわないです。地球を守る、クジラを守るために命を落としても全然構わない」と話した

 水産庁は、今シーズンの調査捕鯨船に海上保安官を同乗させるなど警戒を強めている。

ま、こうして日本人も参加していますよとアピールしたくなる彼らSSの立場というものも分かりやすいのは分かりやすいのですが、正直こと日本人相手の宣伝ということに関しては逆効果なのではないかなという気がしないでもありません。
いちいち使い捨ての末端工作員にまで構っていても仕方がないという考え方もあるのでしょうが、当の本人達自身が盛んに宣伝しているということでもあり、またこの親川久仁子なる人物がなかなか興味深い経歴を持っている様子ですので、彼らの宣伝に協力する形になってしまうのはどうなのかですけれども、今回少し詳しく取り上げてみましょう。
さて、その親川久仁子氏についてはすでにネット上で正体がすっかり判明していますけれども、SSの宣伝材料になって喜んでいる単なる少し弱い人かと思えばさに非ず、実はこの人物は結構したたかな(あるいは、とびきり濃い)人間なのではないかと思わされるエピソードに事欠きません。

No Sea Shepherd - 日本人シーシェパード・クルー(2010年12月3日ブログ記事)

先日、シーシェパードに参加している日本人クルーについて書かれたThe Japan Times の記事を紹介した。
この記事を書く事にあたり、迷いがあったが、本人がマスコミを利用して自己主張をしようとしていることに憤りを覚えたので公開する。

現在、シーシェパードの船舶に乗船している日本人クルーの一人は 親川 久仁子 という女性である。横浜の野毛通信社という居酒屋の店主だったようだ。
http://www.hamakei.com/headline/3805/

twitter で「野毛の連中」のことを The Japan Times が書いたことを「うれしい」と綴っていた。どうやら、野毛がクジラ料理で飲食業を発展させようとしたことに反発し確執があったことをにおわせている。2010年6月21日には『ザ・コーヴ』上映を支持する会・横浜にSea Shepherd 会員として名を連ねていることから、間違いないだろう。
http://blog.livedoor.jp/movie_fun_yokohama/archives/1410551.html

シーシェパードに参加する側の心情を知るための貴重なサンプルだと私は思って見ていたが、日々陰謀説や自己陶酔とも思えるコメントを残してるだけならよいものの、シドニーの共同通信に自分の事を取上げさせようとしたというコメントも残していたため、この記事を公開することにした。

私は2年間ネット上でシーシェパードを追ってきたが、フカヒレを密売する架空の組織をでっちあげるは、銃撃を偽装するは、タスマニアにストランディングしたマッコウクジラを救出しようとしたという嘘の発表をするは、これほど金を食って海洋動物の保護に貢献しない団体はない。他の正当な団体の活動を支援するためにもただちに解体すべきだ。シーシェパードに参加する連中はエコロジストでもナチュラリストでもない。自己愛に満ちたヒッピーどもだ

自己愛に満ちたヒッピーかどうかはともかくとして、とにかく今回のようなSSのテロ活動に参加する以前からやたらとメディアへの露出が多い、しかも自ら好んで露出しようとするタイプの人物であるということは確かなようです。
上記ブログ記事にも引用されているのが野毛でもちょっとした名物的存在だったのでは?と思わせるこちらの古い記事なんですが、まずは引用してみましょう。

野毛の「猥雑パワー」が産み出した規格外の新雑誌「NGT」のメッセージ(2005年10月14日ヨコハマ経済新聞)

みなとみらいの再開発やMM線開通に伴う東急東横線桜木町駅の廃駅によって、以前より人通りが少なくなった野毛。だが、そんな野毛に新しい動きが起きようとしている。野毛の居酒屋から生まれた新雑誌「NGT」――この新雑誌が紙面を通して訴えるのは、かつての野毛が持っていた精神性の復活である。かつては闇市として栄えた野毛の、魅力と可能性とはいったい何なのだろうか?

■野毛から生まれた風変わりな新雑誌

戦後間もない頃から、闇市として賑わった野毛界隈。だが、多くの人が集い、さまざまな文化が生まれた野毛も、近年はそうした活気が失われつつあるという。とりわけ、昨年のMM線開通に伴う東急東横線桜木町駅の廃駅で、野毛への人の流れはさらに減少した。

そんな野毛から、ちょっと風変わりな雑誌が創刊された。その名も「NGT」……。雑誌と銘打ちながら、この「NGT」には何と記事が全く掲載されていない。文字原稿が1文字もなく、全て野毛界隈の風景を撮影した写真中心のビジュアルのみ。当然、その写真にも何の説明もなく、野毛を訪れたことのない人にとっては全く何のことやらわからないに違いない。かといって写真集というわけでもなく、あくまでも「雑誌」。さらに、この雑誌には表紙もない。単語帳のようにリングで綴じているため、見るのをやめた時に一番上に来るページが「表紙」なのだという。編集者の独自の視点で切り取った野毛の風景の断片をアトランダムに束ねただけ、と言った方がいいかもしれない。何もかもが「規格外」のこの雑誌、ここまで説明しても恐らく具体的なイメージが浮かばないだろう。もう実際に手に取ってご覧になっていただくしかないのだが、定価の方も雑誌としては規格外の2,500円なのである。しかも、立ち読みができないようパッケージングされている。中身がわからない雑誌に2,500円も出すというのは、一種の「賭け」のようなものである。
(略)

■全ては一軒の居酒屋から始まった……

「NGT」のもうひとりの仕掛け人が、野毛の沖縄居酒屋「波之上」を営む親川久仁子さんである。穂積氏はそこへ客として通っていた。その意味では、「NGT」は波之上という居酒屋で生まれたと言っていい。昭和23年に野毛で開店した波之上は、終戦後の興隆から現在の衰退まで野毛の栄枯盛衰を見続けてきた存在だ。もともとは親川さんの母親が経営していたが、母親の死去に伴い6年前に滞在先のベルギーから帰国して経営を引き継ぎ、現在に至っている

創業間もない頃の波之上は、左翼関係者たちのサロン的な存在だったという。「横浜市長や社会党委員長を務めた飛鳥田一雄さんや神奈川県知事だった長洲一二さんも波之上の常連で連夜、激論を戦わせていた」。もちろん、そうした文化人や有識者だけでなく野毛の興隆に伴い、さまざまな層の人たちが波之上に集まり、ある種濃密な関係を形成した。そうした交流は産経新聞の連載として約1年半にわたり紹介され、それが好評を呼んで『野毛ストーリー』という1冊の本を生み出すことになる。

■店主と来店客とのコラボレーション

昭和61年に発行された『野毛ストーリー』は、言ってみれば野毛で生活する人が語る「野毛の歴史の本」だ。事実、野毛で生活している人のナマの声を収録したものだけに、今となっては非常に貴重な記録である。当時、店主だった親川さんの母親と、来店客だった古くからの野毛在住者や新聞社の社員らが意気投合して発行されたもの。今風に言えば、店主と来店客とのコラボレーションである。「その意味では、『NGT』が生まれる素地のようなものは伝統的にあったのよね(笑)」と、親川さんは笑う。

親川さんはこれまで、野毛の街の賑わいを取り戻すために試行錯誤を繰り返してきた。2年前に始めた、「野毛飲兵衛ラリー」というはしご酒の企画もそのひとつ。野毛札という 3,500円のクーポン券を購入し、1ドリンク+一品の飲食を5軒はしごできるというものだ。また、野毛の魅力を地元から発信する情報誌「野毛通信」を発行したこともある。同誌は編集委員を来店客がボランティアで務め、執筆者も野毛に直接かかわってきた人ばかりというものだったが、1号限りで休刊となった。そして、その「野毛通信」の復刊を模索していた親川さんの前に現れたのが、前出の穂積さんだった。昨年末のことである。
(略)
穂積さんにしてみれば、野毛を題材にした雑誌を出すことが重要なのではなく、波之上、もっと言えば野毛で何か面白いことやっているという事実が重要なのだという。だから、今後「NGT」で扱う内容も、必ずしも野毛に関するものだけではないのだとか。「とにかく『NGT』では、参加者のやりたいことや思いついたアイデアをとことん追求したい。そして、こんな面白いことをやっている連中が野毛にいる、という評判になれば、結果的に野毛の活性化につながるのでは」(穂積さん)。一方の親川さんも「そういう穂積さんの考え方には、私も賛成です。もちろん全面的に穂積さんと同じ考えではないし、私自身の思いというものもあるけれど、いろんな人が野毛にいて誰にも邪魔されずに、それぞれが思い思いのことをやるというのが大事なのよね」。
(略)
■ひとつにまとまる必要なんてない

時代の流れの中で、野毛が失ってしまった精神性とは何なのか? それはあらゆる層の人たちが野毛に集い、何かを生み出そうとする猥雑なパワーのようなものなのだろう。6年前に帰国した親川さんは当時、久しぶりの野毛の街を目の当たりにしてショックを受けたことがあるという。「野毛というか横浜というのは、開国によって外国人を受け入れるために人工的に作られた街。そんな街だから、海外からも日本全国からもいろんな人たちが集まってきた場所なの。だから、そこにはマジョリティはなくて、マイノリティの集まりでしかなかった。特に、野毛はその象徴のような街だった。ところが久しぶりに帰国してみたら、横浜は東京を意識しない日本で唯一の街だったはずなのに、東京志向の見事に均一化された街に成り果てていた。そして、行政の対応ひとつ取ってみても、何かと言うとひとつにまとまることを強要して少数派を圧殺しようとする。まとまらないのが野毛のいいところだったのに」と憤る。
(略)

「ひとつにまとまる必要なんてない」というのが一つのキーワードになっていると思いますが、これは単に野毛という町を指して言うのみならず、親川氏自身の信条であるらしいと言うことが後々判ってきますけれども、さてそういう人物がSSというワトソン氏の統制厳しい団体に参戦して何がどうなるのかですかね。
いずれにしても出自と言い経歴と言い、こうしてみるとかなり自由な考え方をお持ちの方なんだろうなと感じさせられますが、記事中にもありますように元々女性トライアルライダーの草分けとして外国暮らしの長い人物で、旦那さんともモトクロス王国ベルギーで結婚したというくらいですから、いわゆる典型的日本人というものとは少しばかり離れた独自の思考をお持ちなのは確かなのかも知れませんね。
もうずいぶんと前になりますけれども、地元のヨコハマチャンネルがわざわざこの親川氏とのやりとりを取り上げているということで、なるほどどの方面に対しても昔からアグレッシブに働きかけるという行動力をお持ちの様子がありありと判ると同時に、思わず取り上げざるを得なかった記者氏にしても困惑していると言いますか、その思い込みの強さはいささかもてあましているらしいという状況が理解出来るかと思います。

親川久仁子さん(中区)(2003年7月19日ヨコハマチャンネル)

野毛〔中区〕の親川久仁子さんから、7月17日付けの「カシワバ・ドライブ」に反応を寄せていただいたのがきっかけとなって、親川さんとメールのやり取りが始まりました。注釈を加えず、親川さんのお許しを得て、採録します。二人の真剣な対話から、何かをくみ取っていただければ、幸いです。 〔量がかさむので、はしょっておりますが、対話のエッセンスは伝わるはずです=ヨコチャン編集長こと、松浦一樹〕

 【親川さん】〔野毛発7月17日〕横浜がもし松浦さんのいうように「ダメになった」のだとしたら、それをやった人々は、あなた方「マスコミ界」ではないのでしょうか?
 かつての横浜と他の日本の都市との一番大きな違いは、日本中が「中央」のようになろうとしていた時に、横浜人だけは横浜を見ていたことのはずです。よそと自分の町とを比べる必要がなかったのが、私たちのまちでした。だから政財界から一般庶民まで、よその町とは違う雰囲気だったのです。「個性は集団の中に埋もれて…」にしてしまったのは、あなた方なのですよ。「アメリカかぶれ、西洋かぶれ」であることが、「横浜的」だなんて、取り違えもはなはだしい。もっと活字にはなっていない横浜文化も探ってください。
 私は「横浜がだめになった」なんて思っていません。ただ、昔の横浜と違ってきたことは感じます。何が違うのか、よく考えてみると「限りなく他の日本の都市と同じになってきた」ということです。
 せっかくとても良いウェブサイトを立ち上げたのですから、間違った方向には行かないでください

 【ヨコチャン編集長】親川さん、私はマスコミが横浜をおかしくしたのだとは、思っていません。街を動かすのは、地元の人々であり、政界であり、財界のはず。マスコミはお手伝いできても、当事者にはなれません。そんな限界を感じたから、ヨコハマチャンネルをやろうと思ったんです。
  横浜をどうにかしたいと思っているのは、私だけではありません。自分が動かなければ、この街に活気は戻ってこないんだ、と思って、がんばっている人たちが一杯いる。そういう意味では、この街がダメになったなどとは思っていません。この中には、浜っ子もそうでない人もいて、みんなただ、ただ、横浜が好きだから、どうにかしたいと思っている。野毛の大道芸をやっている人たちだって、必死じゃありませんか。お店が次々につぶれているのを「景気が悪いから」のひとことで、すましたくないんだと思う。
  それより、親川さんがおっしゃるように、どうして横浜はほかの都市と同じようになってしまったのですか。それが知りたいし、そうはなりたくないから、何とかしようと思ってるんです。「カシワバ・ドライブ」の語調が昨日はちょっときつくなって、親川さんには不快感を与えてしまったかも、知れません。その点はおわびします。親川さんのように、いろいろ真剣に考えていらっしゃる方が、この街を支えていることは、重々承知です。

 【親川さん】つい数時間前まで、松浦さんの文章に怒り狂っていましたが、とても丁寧なお返事を読んで、気分も治まったようです。昨日はあの文章をA3の紙に印刷して、私の店に貼りました。念のために同じ物10枚をそこら中に貼って、店に来る人、全員に読ませました。松浦さんが記者だということもわかりました。「ただの若僧だよ。」というひともいました。面白かったのは「こういう風に書くのは青葉区か都筑区あたりに住んでいるやつにちがいない」というのが数人いたこと。
  私の生活のメインテーマが「私のふるさと横浜」なのです。だから横浜にとてもこだわりを持っています。どうしてか、ぜひ松浦さんにも知ってもらいたいので、説明します。生まれは中区池袋、間門〔まかど〕です。人種的には100%沖縄です。ただし父方の祖母は明治のころ、ハワイにお嫁に行き、昭和7年に横浜に来て、ホテルを経営、そして間門の家をドイツ人から買い取り、私はそこで生まれました。
  その後、いろいろな事情で幼いころは滝頭〔磯子区〕にいて、10歳から野毛山にいます。高校をでてすぐにヨーロッパに行き、母が死ぬまで〔平成11(1999)年2月〕のほとんど、30年近くを、外国で過ごしました。全く帰らなかったのではないのですが、日本での社会経験はこの4年数か月だけです。母がやっていた野毛の小さい店〔昭和23(1948)年から、同じ場所でやっています)を引き継ぎました。
  横浜にずっといる人たちには目に見えない変化も、私のように数十年のブランクがあると、とても浮き出てみえるのです。外国に長く暮らしていても、生まれ育ったふるさとに対する思いは、とても強いものがありました。外国に長くいたからこそ「自分のアイデンティティー」を考えるようになったのかも知れません。
  松浦さんはニューヨークが「国際都市」の代表だと思っているようですが、私はそう思いません。「国際的」とはどういうことでしょうか?私が26年間住んでいたベルギーの首都ブリュッセルの方がはるかに「国際的」だと思いますが。私は横浜に戻る前の数年間、ブリュッセルの中心地で「手漉〔す〕きの紙」のお店をやっていました。店番をしていると、一日で4~5か国語を使わなければいけません。ブリュッセルではこれが普通なんです。ニューヨークでは何か国語必要ですか?あらゆる人種がいても「アメリカ式」にしなければいけないのではないですか?松浦さんは「アメリカかぶれ」イコール「国際的」だと思っているのですか?どうして横浜とニューヨークを比べるのですか?自分のアイデンティティーを堂々とさらけ出しても、自由でいられるブリュッセルの方がはるかに「国際的」のような気がします。
  かつての横浜は自分たちとほかの人々を比べたりすることは絶対なかったはずです。外国が横浜に自然に入っていたので「かぶれ」る人もいませんでした。松浦さんのような考え方では「君は横浜生まれかね」と聞かれるのは当然です。多分私も聞くでしょう。
横浜は日本中が東京を見て「追いつけ、追いつけ」をやっている時、東京がどうあろうと「横浜は横浜」と思っていたはず。私の学生時代、友だちもみな、東京に目がいくひとはいませんでした。横浜は日本で唯一「完結」した町でした。それが今は横浜とよその町を比べたがる「よそから来た横浜人」が多くなった。これでしょうね、きっと。横浜がよその都市と同じになったのは。
 「自分のアイデンティティーを堂々とさらけ出しても自由でいられる」これが「輝かしい横浜の歴史」であり、伝統であったはずです。私もそれを理想とします。「ジャズが好き」と言えばかっこよく思われるから、わかりもしない音楽を聞きに行く。そういうよそからの見栄っ張りが多くなったのも、横浜がよその都市と同じになった理由ではないですか?ちなみに私は「西洋かぶれ」も「アメリカかぶれ」も大嫌い。もっと嫌いなのはジャズ関係者。自分のアイデンティティーを見つめ直し、自然に生きてください。
  私は松浦さんのグループとは多分意見も合わないと思います。でも時々は意見の交換をしましょう。「横浜が好き」であることにはかわりません。松浦さんのサイトでとても気に入っていることは、堂々と意見を言っていること。ずっと続けてください。色々な人々がいることが、横浜の楽しさです。

 【ヨコチャン編集長】親川さんのお気持ちよくわかりました。本当にありがとうございます。腹を割ってお話できることが、うれしくてなりません。
  私は、横浜生まれではありません。東京・新宿の生まれで、都会から都会に移り住んできた流れ者です。ただ、東京が故郷、という思いはなく、心のふるさとを探し求めていたら、横浜を見つけた。「ここだ」と思っちゃったんですよね。最初は冷たい街だと思いましたが、五年、十年、十五年と経つうちに、少しずつ受け入れてもらえるようになり、今はかなりの数の友だちもいます。ヨコハマチャンネルはそうしたみんなへの恩返しでもあります。
 「青葉区、都筑区辺り」。私は住んだことはありませんが、確かにヨコハマに対する関心は薄い。私は東京を捨てて、こっちに来ているから、それがしゃくにさわる。なんで、もっとヨコハマを好きになんないのか。入ってこようとしない人たちと、なかなか受け入れようとしない人たちが同じ都市に住んでいるのだから、うまくいきません。出てけ、というのは簡単ですが、この両者になかよくしようよ、というのは容易じゃない。私はこの後者を選ぶ。ヨコハマだって、表向きはどんどんやってこいよと方々でふれまわっているのに、いざ、やってくると、そっぽを向く。「開かれた街」が聞いて、あきれてしまう。
  西洋文化が好きかどうかは別にして、ここがいち早く受け入れてきた場所だという歴史は変えられない。この歴史の流れを、私は大事にしようと思っています。それから、私はニューヨークが横浜よりすぐれているとも、ブリュッセルよりすぐれているとも思わない。各国語が入り交じって、たいへんなところです。常に緊張感があって、住みやすいかどうかは、まったく別の問題。ただ、「国際都市」であり、活気があることだけは、まちがいありません。
 「若造」と呼ばれて、引っ込む私ではありません。親川さんのお仲間にも若いころは、あったでしょう。大人にとやかくいわれて、引っ込むような人たちじゃなかったんじゃありませんか。ただ、こうしてお便りをいただけることが、本当にうれしい。あの挑発的な文章を読んで、ムカッときた人たちは、もっと、たくさんいると思うのですが、こうしてお手紙をいただいたのは、親川さんだけです。これからも、よろしくお願いします。

 【親川さん】私の「いつもの辛口」に真剣に答えてくれて、とてもうれしいです。私の考えは私の周りのだれでもが知っている事です。
  実は、松浦さんのように「心のふるさとを探し求めていたら、横浜を見つけた。」というのが一番うれしいことなんです。そして、そのような人々が「自分をもっと横浜的にしよう」ではなく、「自然のままでいてくれる」方が、長くいる横浜っこにはうれしいのです。
  例えば、関西の人々はどこへ行っても堂々と「関西弁」ですよね。すばらしいことです。日本中の人々がそういうふうにしてくれたら、横浜はもっと面白くなるでしょう。「東京だと方言はばかにされるけど、横浜だと自分の言葉(方言)でも堂々と暮らせる」。私はそんな横浜になってほしいと思っています。多種多様であることが、「私のふるさと横浜」です。
  ところで、戦後の横浜文化の原点である野毛の一番の特徴は何だか知っていますか?それは「ホモ〔※〕の人口」が多い事。密度からいうと、多分日本一でしょうね。日本で最初の「ホモバー」も野毛にあります。今でも、80過ぎのマスターは、元気に店をやっています。そういう「特種〔※〕」な人々が、自然に野毛の町に溶け込んでいるので、あまり目立たないだけです。アメリカの社会学者、Richard Floridaというひとが、ホモ〔※〕の人口の割合が高いほど、その社会は将来性がある、と言っています。ホモ〔※〕にも居心地が良い社会は、その他の「特種〔※〕な人々」にも居心地がいいはず。ホモ〔※〕がバロメーターになって、その社会の「多種多様性」が測られるそうです。そして、資本主義と物質社会が壁にぶちあたった今、将来を考えるには、どうしても「創造的」な人々が多く出てこなければ、「地方都市」として発展しない。「創造的」な人々は「多種多様性」から生まれてくるのです。
  私は「多種多様」という言葉がすきです。全員が一丸となって一つの町を作り上げるのではなく、多種多様な人々が、各々居心地が良い、と思える町にしたいです。これからも意見交換しましょうね。

 〔※は「不適切」とされ、新聞・テレビなどのメディアでは使用されない表現ですが、敵意・悪意は全く感じられないので、そのまま使わせていただきました=ヨコチャン編集長〕

自分もモトクロスだとか言う方面は全く存じ上げませんので何とも言えませんが、それなりにハードな競技だけに多少なりとも体育会系的ノリなのかと漠然と思っておりましたら、何やらずいぶんと違った雰囲気であるようにも思われますけれども、これは親川氏個人がたまたまこういうキャラであるということなんでしょうかね?
むしろこういうやりとりを見て強く感じたのは、ネットのいわゆる専門板なんてところによく出没する系統のキャラなんだろうなあということなんですけれども、正直リアル社会でもこの調子で日々過ごしていらっしゃるというのは、周りの人たちもかなりアレなんだろうなと感じたのは自分だけでしょうか?
いずれにしてもこういう人物がSSの活動に本格参戦ということになりますと、単に広告塔兼末端工作員として言われるとおりの仕事をこなすに留まるとは思えませんから、その場合果たして同様に唯我独尊系のキャラであるらしいワトソン氏との関係がどうなるのか、それともベスーン元船長を始め過去数多の同種の事例と同様に喧嘩別れして終わるのか、下世話ながら何とも楽しみな状況にはなってきた気がします。

しかし同じ日本人ということで比較の対象にしやすいだけ標準偏差からの逸脱ぶりがよく判りますけれども、こういうとびきり濃い人達が大勢集まっている妨害船の船上というのも相当なものなんだろうなと、妙に見てみたいような見てみたくないような…

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忘れがちな日本人 2010年6月頃まではあんなにも報道があったのに、報道自体が皆無となってしまいました(2010年10月現在)。 そんな中、産経新聞の佐々木記者が本書を出版していたので読んでみた。日本人としての立場で書いているけども、かなり公正な書き方をしていると思う。そういう意味で、非常に価値のある一冊でした。 あれほど怒っていた日本人の怒りはまったく別のものと置き換えられ、捕鯨のことなど忘れてしまったような印象を受けますが、皆さんはいかがでしょうか。 シーシェパードの正体がよくわかる 本書は本当... [続きを読む]

受信: 2010年12月26日 (日) 17時03分

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