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2010年12月 7日 (火)

どこの業界も同じ悩みを抱えているようです

本日まずは、先日出ておりましたこちらの記事から紹介させて頂きましょう。

いじめ自殺報道が常に「学校=悪」の理由「叩きやすいから」(2010年12月6日NEWSポストセブン)

 テレビのいじめ自殺報道はワンパターンで、被害者の親と学校という単純な対立構図で描き、まるですべての責任が学校側にあるかのように非難する。なぜこんな単純な構図の報道ばかりが流されるのか。

 ある地方テレビ局の制作部長は、記者の取材に、「今たずねられるまで、いじめ自殺の取材はこんなものだと思っていた」と率直に答えた。その上で、ワンパターンの報道がなくならない理由を自戒を込めるようにこう語った。

限られた時間のなかで放送に間に合わせなければならない。すると、被害者遺族の言い分を聞き、加害者の代弁者的な学校の弁明を聞き、教育委員会の話を聞けば、それでよいと思ってしまう。おそらくほかの局も同じでしょうね」

 キー局ワイドショーのディレクターも、「学校から『子供に対する直接取材は自粛してください』と規制されるので、取材できるのは、学校、教育委員会、遺族の親に限られてしまう」と口を揃える。取材できるところだけ手っ取り早く取材すると、怒りと悲しみに暮れる遺族と、それを受け止める学校・教育委員会という構図になり、必然的に、学校が加害者の代弁者として悪者の役を演じることになる。

 元テレビ局報道記者でメディアジャーナリストの渡辺真由子氏はこういう。

「いじめが起こるのは学校だけの責任ではありませんが、学校が責められることが多いのは、報道する立場からすれば、叩きやすい存在だからです。たとえば、いじめの加害者である子供などに直接取材すると、あとで親や弁護士からクレームが来るなど面倒なことになるので、結果、報道を自粛することになる。私も加害少年を取材して上司にボツにされたことが2回ぐらいあります」

いじめ報道などを見ていましても常々思うのですが、どうも我々が承知している教育現場の常識と乖離していると言いますか、そもそも報道だけを見ていますとこれはいったいどんな現象が起こっているのかさっぱり理解出来ないということがないでしょうか?
個人的によく教育関係の方々とお話をする機会があるのですが、顧客のモンスター化や訴訟リスクの増加など、日常的に抱える問題点の多くが医療業界と驚くほど似通っているものだなと常々感じさせられます。
そして彼らも口を揃えて言うのが現場の実態を全く無視した不当なマスコミのバッシングに対する不満ですけれども、これまた医療業界におけるそれと相似形と言っていいほど似通っているということには驚かされますが、その根底にあるのが上記の記事にあるようなマスコミの商業主義であるということは当事者の声からしても明白ですよね。
そんな中で先日はこんな記事が出ていまして、前述の記事と照らし合わせながら見て頂きますとこれまた全く同じ構図であるということがよくお判りいただけるのではないかと思います。

TVでは「かわいそうな患者とヒドイ病院」とやれば外れはない(2010年11月5日NEWSポストセブン) 

 報道では患者はいつも「かわいそうな被害者」だ。病院側の事情は一切考慮されず、どんな状況であっても患者をすべて受け入れ、ミスを犯してはならないと迫られる。1999年に発生した「割り箸死」事件報道を振り返って、ジャーナリストの黒岩祐治氏が検証する。

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 11年前、転倒した4歳の保育園児が割り箸を喉に刺して死亡した事故。その第一報を受けて、当時、夕方の『FNNスーパーニュース』(フジテレビ系)のキャスターだった私は、怒りを込めて次のようにコメントした。

「どうしてドクターはCTスキャンなどしなかったんでしょうね。信じられませんね。そういう基本的なことさえキチンとしていればこんなことにはならなかった。ご遺族の気持ちを思うといたたまれないですね」

 それから9年後、いったん逮捕された担当医師の無罪が確定した。私のコメントは的外れだったことになる。かつての自分自身のコメントをどう総括するべきなのだろうか?

 私自身、ずっと心に引っかかっていた。医療は自分の得意分野などとなまじ自負していたことがアダとなった。医療とマスコミを論じる上で、当事者であった自分自身から目をそらすわけにはいかない。

 1999年7月、東京都杉並区の盆踊り大会に参加していた杉野隼三君が転倒し、綿あめの割り箸が喉に刺さった。救急車で杏林大学付属病院に運び込まれたが、医師は傷口に消毒薬を塗って痛み止めの薬を渡しただけで、家に帰した。

 翌朝、隼三君は自宅で容態が急変し、再び救急車で運ばれたが、死亡した。司法解剖の結果、7.6センチの割り箸の切れ端が小脳にまで達し、頭蓋内損傷を起こしていたことが分かった。

 病院側は過失を認めなかったが、警察は医師を業務上過失致死容疑で逮捕した。テレビは連日、大きく取り上げた。母親が遺影を前に涙ながらに語る姿はニュースだけでなく、ワイドショーの格好のネタとなった

 可愛い盛りの4歳でこの世を去ったかわいそうな隼三君、突然最愛の息子を失った悲運の母親、脳に刺さった割り箸を発見することもできなかったヤブ医者、杜撰な診察、お粗末な病院の現状……。

 ストーリーが完成するのに時間は必要なかった。私自身、第一報のニュースからそのストーリーを何の疑問も持たないまま、受け入れていた

 かわいそうな患者とヒドイ病院。勧善懲悪の時代劇さながらに、その定型的な構図はあまりにも分かりやすい。病院が過失を認めなかったとなると、巨大な組織が弱い個人を痛めつけるという典型的な構図がさらに鮮明になる。マスコミは弱者の味方ぶるのを最も得意とするところであるから、その流れに乗じていれば、外すことはない

 報道が社会の改善につながることはマスコミ人として職業冥利に尽きるが、果たして純粋にそういう意識の下で取材活動をしているかは自省すべき問題である。

 特に記者クラブの記者は、そういう発想をする余裕もなく、目の前のニュースに追い回されるのが常だ。そして前述のような単純な構図の報道が出来上がる。

  患者が病院をたらい回しにされて死亡した事件などで使われるたらい回しという表現自体、病院側の“受け入れ拒否”であって、ヒドイ病院というニュアンスが込められている。病院側からすれば、“受け入れ不能”なのだ。

 割り箸死亡事故は裁判の結果、「特異な事例で医師が想定するのは極めて困難」「治療しても延命の可能性が低かった」として、医師は無罪となった。

 まさかそんな結果になるとは私自身、想像もしていなかった。我々は割り箸が脳に刺さっていたという結果を知った上で判断していた。だからこそ医師の対応に「信じられない」という言葉を軽々しく使えたのだ。

 医師が4歳児への問診の中でどこまで類推しうるものなのか? そういう想像力を私も働かせず、素人判断でコメントしていたのである。その危うさに気づいていなかった私自身、「知的な劣化」といわれても仕方がない。

いまどきは猿ですら反省はするという時代ですから、反省した上でなにをどう変えていくのかという部分がなければ「知的な劣化」どころではないということになりますよね。
ちなみにこの黒岩祐治氏、医療問題に目覚めジャーナリストから国際医療福祉大学教授に転身したという変わり種ですけれども、「検証!医療報道の光と影2~大野病院妊婦事件 メディアの功罪」なんて自己批判的な番組を手がけてみたりと、現在の専門分野である医療福祉ジャーナリズムの領域ではそれなりにアクティブな活動をしている人物です。
昨今では週刊ポスト上で「「ホメオパシー叩き」に隠された「統合医療は迷信」の権威主義」なんて記事を掲載して、「NATROMの日記」さんなどでも取り上げ大いに批判を受けたところへもってきて、両者の論争に日本ホメオパシー医学協会が割って入って三つどもえの争いに発展したりと、とりあえず火のないところには火を付けておこうというマスコミ的技術論には十分精通された御仁ではないかとお見受けします。

週ポスの記事はたまたま自分も拝見しておりまして、たぶんこの人は細部に関しての知識もあり相応に見聞も広いのだろうけれども、物事を俯瞰しての全体像というものを正しく思い描けないタイプの人なんだろうなあという印象を受けたのですが、「NATROMの日記」さんの「黒岩氏の主張は間違っていない。ただ、わら人形論法なだけである。」とは言い得て妙だと感心したものでした。
ただ黒岩氏に突っ込みどころが多々あることは無論その通りであるにしても、マスコミ業界の関係者でおそらく最も医療報道の問題点を認識している一人であろう氏にしてこの程度であるという点にこそ、マスコミ業界の人材難を感じさせると共にこの問題の根深さを思わせるのではないかと思いますね。

とりあえず目に見えるものを提示できるテレビというメディアが世の中を席巻して以来、マスコミ業界はこの安い、早い、しかしよく味わってみると決してうまくはないという安直な報道のあり方に安住してしまったと言う事なのか、物事を深く考え理解するということに関してずいぶんと凋落してしまっているのではないかという気がします。
本質に何ら迫るところのない手抜き取材で絵を揃え、目先のことだけしか見えていない安直な「感想」を吐くだけのコメンテーター(苦笑)を並べておけば取りあえず安く早くで番組は出来るのでしょうが、そんなものに日々洗脳され続ける国民がどうなるのかと考えると、これは昨今うるさい煙害問題など比較にならないほどの社会的損失をもたらしているのではないかと思いますね。
黒岩氏も「医療は自分の得意分野」などと見当外れの見栄を張る前に、まずこれほどまでに課題が山積している病根たるマスコミ問題の専門家を目指してみた方が、より深く広い範囲で社会の改善につながるのではないでしょうか。

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