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2010年12月15日 (水)

あまり注目されずにいるリスク要因

医療安全と言う事に関しては今の時代誰でも感心がないはずはありませんし、どこの施設でもそれぞれに日々の向上努力を怠りないものだと思いますが、それでもどうしても一定の割合で望まない結果が起こってしまうのも現実ではありますよね。
そんな時代にあって先日はこういう記事が出ていまして、かねてこの産科無過失補償制度に注目してきた立場からすると確かに数としてそれなりにはなってきたのですが、まだこんなものかと感じると同時に未だ制度自体に問題なしとはしないのかとも思わされる話ですよね。

産科医療補償制度、補償対象の累計101件に(2010年12月8日CBニュース)

 日本医療機能評価機構が12月8日に開いた産科医療補償制度運営委員会(委員長=上田茂・同機構理事)での報告によると、昨年1月にスタートした産科医療補償制度でこれまでに審査された事例の累計は107件で、このうち101件が補償対象となったことが明らかになった。

 事務局によると、審査事例のうち補償対象とならなかった6件については、1件は脳性まひが発生した原因が新生児期の要因によるものと判断され「補償対象外」となったほか、3件は適切な時期に再度診断を受けることで補償対象となり得るとして「再申請可能」、2件は「継続審議」とされた。

 一方、補償対象となった事例の分析については、原因分析委員会の6つの部会で作成された「原因分析報告書」の審議件数の累計22件のうち、本委員会の審議で承認されたものはなく、20件が委員長預かりとする「条件付承認」、2件が「再審議」となった。

 こうした審議結果について弁護士の鈴木利廣委員は、「部会と本委員会の間に、根本的な評価の違いがあるのでは」と指摘。「本委員会でどういう意見が付いたのか、部会に打ち返すなどして審議のギャップを埋めるべき。こういう結果では、部会もやる気をなくしてしまう」と述べた。また弁護士の近藤純五郎委員も、今後の審議件数の増加を見越した対応策として、「主な事例に絞って本委員会で検討し、ある程度の審議は部会に一任しては」と提案した。
 これに対して事務局側は、各部会長が報告書をまとめた事例については、できる限り本委員会への出席を促すなどして、両者の間での評価のギャップを埋めていきたいと述べた。

実際に原因分析報告書を作成する原因分析委員会の部会がどうも機能していないのではないかと思える結果になっているということで、このあたりはかねて言われているようにそもそもの制度の目的とその方法論という点に関して、未だ十分なコンセンサスが出来上がっていないのかとも感じられるのですが、実際のところはどうなんでしょうね。
先日は医療事故調に関する早期設立の要求が一部団体から提出されたと話題になっていましたが、とりわけ近年「お産は病気ではない」などと言う妙な格言?が流行して安全性ばかりが強調されてきた産科領域においては、「こんなはずではなかったのに」と関係者双方が納得しがたい結果に終わるという事例も多く、ひいては産科医の疲弊や逃散といった社会現象にもつながっています。
そんな中で「産科医療のこれから」さんを拝見しておりましたら、「このままいけば病院での出産は10年後には20%の減少見込み」なんていう産婦人科医会の推計が取り上げられていまして、いずれは病院以外でのお産が逆転するということですから、何やら厚労省あたりが言うところの医療集約化の流れと逆の現象が起こっているのかと興味深いですよね。

もちろん疲弊する産科医を救済すべく助産師をもっと活用すべしなどといった話は今さらなのですが、これまた何度も取り上げているように病院外でのいわゆる「自然なお産」なるもののリスクというものを考えた場合に、医療が純粋な質の追求から様々な制約下での妥当性の追求へと重心を移していかなければならない時代にあっての、これは先行するモデルケースとなりえるのかも知れません。
全ての妊婦が常に最善最良の体制でお産に臨めるなら理想的なのでしょうが、現実問題コストやマンパワーなどといった制約もある以上それは不可能であるとすれば、どういったあたりに妥協点を見いだすべきなのか、それを社会的にどうコンセンサスを得ていくのかといった点は、他領域の医療従事者も非常に関心をもって注視していかなければならないでしょうね。
そんな中でお産に関わるリスク要因の一つとして個人的に注目してきたのが院外で助産所を開く開業助産師という存在なのですが、タイミングがいいのか悪いのか、最近病院外出産というもののリスクを敢えて取り上げる記事が、今まで「自然なお産」を盛んにヨイショしてきたマスコミの側から出てきましたので、なかなかショッキングなこちらの記事を紹介させて頂きましょう。

病院外出産の悲劇 ブログで警鐘 母子の安全、まず考えて(2010年11月25日産経新聞)

 医療介入をなるべくしない助産院や自宅での分娩(ぶんべん)は、“自然なお産”として美化して伝えられることが少なくない。しかし、実際には医療介入があれば救えたはずの命が失われたり、負う必要がなかった重い障害を負っているケースもある。こうした悲劇を減らそうと、助産院の出産で長女を亡くした女性が“自然なお産”に警鐘を鳴らすブログを開設。「母子の安全を守るという観点で助産院や自宅分娩の問題点を広く考えてほしい」と訴えている。(平沢裕子)

 この女性は北関東に住む「琴子の母(琴母)」さん(39)。平成15年8月に助産院で出産した長女、琴子ちゃんは妊娠中に逆子(さかご)(骨盤位)と分かった。最初に予約していた実家近くの助産院では「逆子なら病院」と断られたが、知人から「逆子直しの名人」として別の助産院を紹介される

 助産師から「逆子の方が簡単」と言われ、また、ネットで「逆子でも助産院で産んだ」という情報が多かったこともあり、助産院での出産を決める。

病院へ搬送されず

 逆子直しを3度したが、分娩時に逆子だった琴子ちゃんは、意識のない状態で生まれてきたのに病院への搬送をしてもらえず、2時間後に亡くなった。

 琴母さんは「最終的に助産院を選んだのは私で、自分が一番悪いのはよく分かっている。ただ、日本助産師会が『逆子を助産院で扱ってはいけない』と言っているのを知ったのは出産後。もっと早く知りたかった」と悔やむ。

 もちろん病院での出産でも赤ちゃんや母親が命を落としたり、重篤な障害を負ったりすることはゼロではない。しかし琴子ちゃんの場合は、病院で帝王切開で産んでいれば助かった可能性が高く、1年後に起こした民事訴訟でも助産師の過失が認められている

子供を救える場所か

 病院でのトラブルは医師らの過失として大きく報じられるが、助産院や自宅出産でのトラブルを目にする機会は少ない。病院に比べて出産数が少ないことや、病院以外の出産を選択した自己責任と考える人が多いためだ。一方で、自然なお産を無条件にすばらしいとするテレビ番組やネットの情報は氾濫(はんらん)している。

 「同じ過ちを繰り返してはいけない」との思いから、琴母さんは出産から2年後の17年、「助産院は安全?」というブログ(http://d.hatena.ne.jp/jyosanin/)を開設。助産院や自宅出産の問題点をはじめ、妊娠・出産する女性に知ってもらいたい情報を発信している。

 琴母さんは「順調な妊娠経過でも、突然危険な状態になることがあり、そのときの対応で子供の生死や障害の度合いが異なってくる。これから出産する人には、出産する場所が万が一のときに子供を救える場所なのか見極めて選んでほしい」と話している。

以前にも取り上げさせて頂いた「天漢日乗」さんの「今どき産褥熱」といったケースは極端にしても、やはり助産所では正常分娩しか取り上げられないはずであるのに守られていないという現実がある、それも知らなかったからというのではなく最初から確信犯的に法律の範囲を逸脱する助産行為が行われているというのですから、これは何とも困った話だと思いますよね。
この件に関連しては記事中にも取り上げられていますように「助産院は安全?」というブログがありまして、「産婆から助産師への歴史と業務拡大について」なんて記事は興味深く拝見させていただいたのですが、歴史的経緯もさることながら現実問題として医者の指示のもとに業務を遂行する看護師と比べても、助産師という方々はどうもミニ医者的な自主独立精神旺盛な方々が多い印象は受けるところですよね。
このあたりは医者とは全く別の存在として発達してきた歴史的経緯のなせる技であるのか、それとも正常分娩であれば医者抜きでも最初から最後まで妊婦の面倒を見ることを許されているという法的地位が、いつの間にか「正常分娩であれば」という肝心なところが抜け落ちて「ナニ産科医?あんな下手くに任せられるか!」と妙な自信ばかりが先行しているのでしょうか。

現在の医療は西洋医療と呼ばれますけれども、看護師や技師、薬剤師といった各方面の専門家を医者という存在が統合し一つのシステムとして医療を行っているわけですから、「いや我々助産師はそういう下請け連中とは出自が違いますから」と好き勝手をするというのであれば、これは大きな勘違いと言うしかないでしょう。
放射線技師の方が医者より綺麗な写真を撮るだとか、看護師の方が医者より採血がうまいだとか、個々の高い技量をもった専門家がいるのは当然ですが、彼らが「私の方が血を採るのがうまいんだから薬もこっちで処方させていただきますね」なんて言い出すのはあり得ないのに対して、一部助産師には妙な自負あるいは医者への対抗心というものが感じられるのはどうなのかです。
もちろん最近流行の院内助産所のように、システムとしての医療現場の中で存分に技量を発揮している方々も多いわけですが、そうしたシステムを離れ法律にすら背いて好き勝手をした結果重大な結果を招いてしまうのでは社会的に許されざることでしょうし、そんな勘違いを「カリスマ」だと持ち上げる側も道義的責任を問われてしかるべきではないでしょうか?

先日取り上げたホメオパシー問題などでもそうですが、単独で業務を遂行する権限を与えられているということはそれに伴う責任もあるということであって、エヴィデンスも何も無視して好き放題をやった挙げ句に「それじゃ産科の先生、あと始末はよろしくね」で責任だけ丸投げというのであれば、それは誰も助産所のバックアップなどやりたがらなくなるのも当然だという話でしょう。
産科事故調における原因調査の中で、「結局助産師にかかったことが悪かったのだ」なんて結論が出るような羽目になっては何とも悲しいことだし、スキルを備えた人材の有効活用という面から見ても社会的な損失というしかありませんよね。

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コメント

この産科補償制度というものは、「とりあえず原因が何であれ結果だけを見て速やかに補償しましょう」という制度のはずなのに、さんざん審査をして可否を決定する、というのであれば、制度としての意味をなしていないと思います。
原因検索は後回しにするのが筋じゃないんでしょうか。

まあ、出費をけちりたい(内部留保をため込みたい)機構側の役人の発想ではありますが。

しかも、補償を受けたら訴訟できない、という「世界標準」の考え方もなく、受けた補償で訴訟する、なんてロジックも成立しちゃってる制度なんて、産科医をフォローして、患者を救済するという制度に、理論上も現実的にもなっていないことの証明ですね。

投稿: | 2010年12月15日 (水) 11時45分

完全に同意いたします。
そもそもの制度設計の煮詰め不足がここにきてとうとう顕在化してきたのかと考えると、制度の行方に興味を持って見守ってきた身としてはいささか残念な展開です。
これを良い教材として無過失補償というものに関する議論が進めばまだしもですが、どこからもそんな話は聞こえてこないんですよね…

投稿: 管理人nobu | 2010年12月15日 (水) 12時50分

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