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2010年12月

2010年12月31日 (金)

今日のぐり:「中国料理 娘々(にゃんにゃん)」

先日見ていまして、おいおいそれはどうなのよと思ってしまった「大失敗」の記事がこちらです。

“不審者はこう見分けろ”警視庁北沢署員 APEC警備資料を紛失(2010年12月29日スポニチ)

 警視庁北沢署員が11月、横浜市で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の警備関連の内部資料を紛失していたことが29日、同署への取材で分かった。不審車両の検問などのために借りたレンタカーに置き忘れた可能性が高いという。

 北沢署は「管理に万全を期さなければならないのに、紛失したのは遺憾。署員への指導を徹底し、再発防止に努めたい」としている。

 北沢署によると、紛失した資料は、APEC期間中の検問に関するもので、A4判で計5枚。検問にあたる署員の態勢表や資材一覧、不審者を見分けるための着眼点などが記されており、クリアファイルに入っていた。一般人の個人情報は含まれていなかったという。

 検問に使用したレンタカーに1部ずつ置いていたが、APEC終了後に、回収状況を確認していなかったという。

もちろん色々と漏れてはならない情報も含まれているのでしょうが、何より不審者を見分けるための着眼点なんてものが当の不審者にとってはありがたい情報ということになったのかも知れませんね。
今日は年末特番?と言いますか、世界各地から「あっていいの?それは」と思わず突っ込みたくなるニュースを紹介してみますが、まずは同じ警察つながりということでこちらから取り上げてみましょう。

ドイツの警官、若者に雪玉投げられ唐辛子スプレーで反撃(2010年12月28日産経新聞)

 ベルリンの警察は26日、警察官2人が約40人の若者の集団から雪玉を投げ付けられ、唐辛子スプレーで対抗したと明かした。

 警官らは25日早朝、乱闘騒ぎについて捜査を行っていた。当初25人ほどの若者が警官に立ち去るよう求めたが、警官らが無視していたところ、若者らが雪玉を投げ始めた。その人数はすぐに約40人に増えたという。

 これに対し、警官が唐辛子スプレーを噴射して反撃。若者らは逃走したものの、その多くが逮捕された。けが人などは出ていない。(ロイター)

しかしドイツ人と言えばお堅いイメージもある中で、雪玉攻撃に対して唐辛子スプレーで反撃とは想像するとはお茶目な光景にも思えるんですが、実際のところはこの唐辛子スプレーというのは世界各国で暴徒鎮圧用にも用いられているという実績のあるもので、なかなかに侮れないものであるらしいんですね。
侮れないと言えば昨今ではすっかりネタソースとしての地位を確立している中国からはまたこんな話が出ていますが、いつものことながら何故それがそうなるのかと全く意味不明なのはさすがです。

温水式便座が爆発…便器本体も大破、黒煙が充満=中国(2010年12月10日サーチナ)

 浙江省寧波(ニンポー)市内のマンションの一室で9日朝、温水式の洗浄便座が爆発した。使用中ではなく、負傷者は出なかった。便座は焼けこげ、便器本体も破壊された。トイレ室内には黒煙が充満したという。中国新聞社が報じた。

 爆発した便座は、保温や温水洗浄機能つきだった。住人の女性によると、2004年に部屋を改修した際に業者が持ち込んだもので、メーカー名は覚えていないという。

 同じ棟に住む住民の多くが爆発音を聞いた。爆発が発生した部屋の窓から、黒煙が出ていたという。便座の爆発で便器本体も2つに割れるなど大破した。水タンクも壊れて焼けこげるなどで、爆発の威力が大きかったことが分かる。消防が原因を調べているが、これまでに便器の上部からの水漏れがあったことが分かっており、漏電の可能性があるという。(編集担当:如月隼人)

いやしかし漏電で家が丸焼けになったとか言う話は日本でも時に発生するのは確かなんですが、何故それが爆発にまで結びつくのかというのがどうもよく判りませんよね…
よく判らないと言えばこちらの記事もそうなんですが、こういうのもお役所仕事ということなんでしょうかね?

スペイン女性が太陽の所有権を取得し物議(2010年12月1日ロケットニュース24)

スペインの49歳の女性が、太陽の所有権を取得し物議をかもしている。彼女は、アメリカ人男性が月と太陽系の惑星の所有権を登録していることを知り、その真似をしてこの9月に太陽の権利を登録。すでに受理されたというのだ。彼女の行動に対して、批判が相次いでいるのだが、彼女は無意味に権利を主張しているのではない。財政難にあえぐスペイン政府を救済するために、このアイディアを思いついたのだ。

スペインのガリシア州に住むアンヘレス・デュランさん(49歳)は、地元エル・ムンド紙のインタビューに応えて「太陽の所有権を取得した」と語っている。彼女によれば、今年9月にアメリカの男性が、月と太陽系の惑星の所有権を登録したことを知り、自分は太陽の権利を登録しようと思ったそうだ。ガリシア当局に相談したところ、「国家が地球外の星の所有を主張することは、国際的な合意で認められていないが、個人が登録してはいけないという決まりはない」と説明を受け、ただちに登録することにした。

そして本当に登録が受理されてしまったのだ。彼女が取得した証書には、彼女の名前が明記されており、太陽の所有者であることを証明するのに十分に足る内容になっている。このことについて彼女は、「私は馬鹿ではありません。法律のことも良くわかっています。私の主張は法的に認められることになりました」と、自らの正当性を訴えているのだ。

彼女がこのような行動に出たのには訳があった。現在激しい財政難にあえぐスペイン政府を救いたいという思いから、このアイディアを思いついたそうだ。仮に彼女の主張が国際的に認められた場合、地球上の誰もが彼女に太陽の使用料を支払うことになる。そうして得たお金の半分をスペイン政府に支払い、 20パーセントをスペインの年金基金に。さらに学術研究と世界の飢餓を根絶するために10パーセントずつ使用すると語っている。

しかしながら、この主張が世界中から受け入れられるはずはなく、無謀と言わざるを得ないだろう。だが、国を助けたいという思いには、共感する人も多いようだ。彼女は同紙のインタビューをこう結んでいる。「経済回復と人々の福祉増進のために生かせるアイディアがあるなら、それを使うべきではないですか?」と。発想と行動力には感心させられる。

まあデュラン氏の野望が成就するかどうかはともかくとして、太陽の所有者であるということは当然ながら太陽に起因する地球上の数多の自然災害等についても責任を問われてしかるべき立場であるということですから、これは果たして金が入るのが先か破産するのが先かと思われるような話でもありますよね。
暖かい話が出たところで今度は寒いロシアの話題を紹介してみたいと思いますが、寒い地方で迂闊なことをすると命の危険があるという、これは一つの実例なんでしょうね。

ファッションデザイナーによる新しいロシア軍服を着たら100人が病院送りに(2010年12月17日らばQ)

軍服ともなると機能面重視の作りになっていますが、デザインも考えられるようになってきました。

ロシアでファッションデザイナーが新しい軍服をデザインしたところ、なんと100人以上が病気になってしまったそうです。

やはりファッション性重視のデザインは軍隊に向かなかったようで、生地が薄すぎたことから60人~250人が風邪をひき、インフルエンザや肺炎にかかる人も出たそうです。

デザインを担当したのはファッション界では有名なバレンティン・ユダシュキン氏でしたが、極寒の北極圏でこの新しい軍服を着ると、まるで裸でいるかのような寒さだったと言います。

エレガントさや形状へのこだわり、金の刺繍が入るなど、外観は素晴らしかったようですが、防寒としては役に立たなかったようで病人が相次ぐ結果となってしまいました。

寒いことくらい前もって予想できそうなものですが、冬になる前に不平不満のクレームは一切なかったと言うから、もしかするとロシア軍人は非常に我慢強いのかもしれません。

しかし記事の写真を見ますといずれにしても実用向きというよりは儀式向けといった印象のデザインで、何かしらの式典などに使うにはよかったということなのかも知れませんけれどもね。
次は関連する二つの記事を続けて紹介してみたいと思いますけれども、こういうのも熱い友情と言うべきなのかどうか何とも微妙な内容ではあります。

変死の英スパイにSMや女装の趣味?(2010年12月27日産経新聞)

 今年8月にロンドンにある自宅の旅行カバンの中から遺体で発見された英秘密情報部(SIS)、通称「MI6」の職員、ガレス・ウィリアムズさん(31)が生前、SM関連のウェブサイトを訪問し、女性用の服を大量に持っていたことなどが分かった。25日、AFP通信が伝えた。

 ロンドン警視庁によると、ウィリアムズさんは事件発覚の4日前、ロンドンにある同性愛者などが集まる飲食店を訪問。SM行為に関心のある人物、あるいは同性愛者が事件に関係している可能性が高いという。一方、ウィリアムズさんの親しい友人は「彼は同性愛者ではない。ガールフレンドを欲しがっていた」と語っている。

変死のMI6職員「スパイ訓練中だった」、幼なじみが証言(2010年12月27日AFP)

【12月27日 AFP】英秘密情報部(Secret Intelligence Service、SIS)、通称「MI6」の職員が8月に英ロンドン(London)の自宅でカバンの中から遺体で発見された事件で、この職員は事件発生当時、諜報員になるための訓練を受けている最中だったと、大衆紙メール・オン・サンデー(Mail on Sunday)が26日報じた。

 遺体で見つかったガレス・ウィリアムズ(Gareth Williams)さんを幼い頃から知る友人で、ファッション・スタイリストのシアン・ロイドジョーンズ(Sian Lloyd-Jones)さん(33)が、同紙に明かしたという。

 これによると、ウィリアムズさんは今年始めにロイドジョーンズさん宅を訪れた際、自分が「成りすますことになる人物について勉強中」だと明かしたという。ウィリアムズさんは、ロイドジョーンズさん宅に仕事を持ち込むことがよくあり、その夜も「大量の資料ファイルを抱えてきて、目を通していた。彼はパスポートを2つ持っていた」とロイドジョーンズさんは語った。

 事件当時、ウィリアムズさんは暗号解読担当からの異動が決まっていたが、異動先が諜報活動部門だった可能性が出てきた。

■同性愛疑惑は否定

 捜査当局は、ウィリアムズさんがSMプレー用ボンデージのウェブサイトを訪問していたことや、未使用の高価な女性用ブランド服が大量に発見されたことから、ウィリアムズさんが同性愛者である可能性を指摘。ウィリアムズさんの謎めいた死をめぐる世間の関心は、最近、MI6職務との関連からウィリアムズさんの私生活に移っている。

 しかしロイドジョーンズさんは、これを否定。「彼はガールフレンドを欲しがっていたし、結婚して家庭を持ちたいと語っていた」と証言するとともに、女性用の服は、自分やウィリアムズさんの妹へのプレゼントだったのではないかと話した。

 捜査当局は22日、6月末から7月頃にウィリアムズさんのアパートを訪れた南欧出身とみられる男女の写真を公開し、現在行方を追っている。(c)AFP

しかしこの記事、今さらブリをして実は変態だったなどと言われても誰も驚かないんですけれども、実は変態じゃなかったと言われた方がむしろ新鮮な驚きを感じるものなのだなと改めて実感しましたね。
もう一つブリらしい諧謔に満ちたジョークと受け取るべきなのか、あるいは正真正銘本気であると考えるべきなのか判りませんけれども、先日は空母まで売り出したというお国柄だけにやはり真面目な話なんでしょうね。

飛行機の出品! トイレ、コックピット完備!飛行機に住める!!(2010年12月27日yahooオークション)

商品説明

なんと、ボーイング727の出品です! ボーイング727中距離用のジェット旅客機として注目を浴び、大発展していった旅客機です。
  当初は2つといわれていたエンジンを3つにし、客席を増やすなど飛行機業界の発展にかかわってきた機体です。 今回はなんとそのボーイング727がイギリスから出品されます!! 
  そしてなんといってもお値段が据え置き!! たったの5000万円で購入できます!   本社一同も驚きの安さです。
  そして、なんといってもイギリスから日本への輸送方式が船を一隻使って大々的に輸送します。   注目が集まる事間違いなし!!
  この商品のメインとなる使い方は「家」としての活用を目的として出品しますが、お客様次第によっては、ホテルなり注目を集める為に活用されても持ち前の存在感により目立つ事間違いありません!! そして、旅客機ということもあり機密性も高く保存がきくためなかなか実用的でもあります。 是非、ボーイング727をよろしくお願いします。

・なお、こちらの商品は飛べませんのでご注意ください。
・保存のきく断熱がよくできる家としての出品です。
・家としての扱いですが、正式な登録は難しいと思われるのでご注意ください。
・この料金には日本国内の輸送料金が含まれています。
・日本国内での輸送はお客様にお任せします。
・最後に、国内に輸送するとき航空便は対応していません
・ 以上です。 ご閲覧ありがとうございました。

当然ながら質問が殺到しているわりに何らの入札もないという状況にあるわけですが、この見るからに怪しい物件に誰か手を出す人間がいるのかどうか、1月3日までオークションは続いているということですから結果に注目していただきたいと思いますね。

今日のぐり:「中国料理 娘々(にゃんにゃん)」

年末年始と言いますと運動量が落ちやすい一方で何かとカロリー過剰なお誘いも多いもので、出来ればあっさりと蕎麦くらいを食べて終わりにしたいところなんですけれども、そういいつつも倉敷市内でも有名なこちらのお店に来ていたりするのは何故なんでしょうかね?
すでに老舗と言っていい人気店とは言え、さすがに昨今ではひと頃のように店の前まで行列待ちということはあまりないようですけれども、それでもかなり待つことにもなるというのは時期的に団体さんが多いということもあるのでしょうか?
今回は人数が多いと言うこともあって面倒くさいからとコースでもいいかとも思ったのですが、結局は適当に見つくろって頼んでしまうというのはやはり後で「あれが食べたかったのに」なんて言われることを避けるためには無難なところなのでしょう(苦笑)。

前菜の盛り合わせは良くあるような内容なんですが、しこしこした食感を保ちながらしっかりした味のキクラゲや濃厚かつさっぱりという棒々鶏など、とりあえず料理を待つまでのひと皿としては十二分に仕事をしてくれる内容です。
こちらのニラ餃子は蒸籠に入った広東風の蒸し餃子なんですが、向かいの席の人が口に入れた瞬間テーブル越しにニラの香りが伝わってくるというくらいに濃厚なニラの風味が一杯なのは良いとして、やや蒸し加減の見極めがあまかったのか、少し皮がヘタリ気味なのはマイナス評価でしょうか。
ちなみにこちらは浮き粉を使った皮なんですが、もう一つ焼きニラ餃子というのもあるようで、そちらは普通の小麦粉の皮なんでしょうかね?
貝柱と黄ニラ炒めと言うと文字通りご当地岡山県の特産である「黄ニラ」を使っている分風味が良く貝柱とも合わせやすいんだと思いますが、この店は全般に海鮮と野菜の炒め物がうまいと思うのですが、これも炒め具合、味加減といずれもなかなか良い出来ですよね。
ただ青ニラ風味の強いニラ餃子の後だったためか黄ニラ自体の味は埋没してしまったかなという印象で、単なる貝柱と野菜の炒め物のように感じられてしまったのが残念でした。
白菜のクリーム煮も非常にポピュラーな料理ですが、濃厚なソースのコクが白菜に絡まると非常にいい感じですし、個人的に好みである牛肉の味噌炒め薄餅包みなどもとりわけ難しい料理でも高級な料理でもないんですが、包んで齧り付くという旨さが堪能できる点でお勧めなんじゃないかと思います。

基本的に酢豚はあまり好きな料理でもないんですが、苦手な酸味も比較的抑えられていてこれも悪くはないと思う一方で、酢豚として考えるならこれよりずっと美味しいものも知っていますから少し物足りないという気もしますがどうでしょうね?
鶏肉の唐揚げ特殊ソース掛けと書いてありますが、漢字を読んでみれば油淋鶏ということで、ここの普通の鶏唐揚げはやや薄味のものを塩などでいただくんですが、薬味の入ったこちらの特殊ソースの方がうまいと思いますし、普通に飯のおかずとして食べてもうまいんでしょうが、コクがある割に意外にさっぱりといただけますから単品でも楽しめます。
肉団子甘酢あんかけと言えばやはり苦手な甘酢あんがたっぷりなんですが、肉団子の濃厚な味の方が勝っていることもあって意外に美味しくいただけました。
貝柱入り粥は個人的にはほぼ定番ですが、やはりうまいですしさっぱりした味わいですから、他の料理に合わせていただく主食系メニューとしてもおすすめではないかと思います。
こちらのチマキもごく無難にうまいんですが、チマキ単独として考えるともう少し濃厚な味付けでもいいかなとも思うのですけれども、他の料理と合わせて楽しむ分にはこれくらいが丁度いいのかなとも思えますね。
杏仁豆腐なども最近は結構凝ったものを出す店もあるようですが、こちらは非常にオーソドックスな杏仁豆腐で、フルーツなどで水増し?していない潔い姿勢が目立つくらいなものなのですが、今の時代のデザートの感覚からすると味も見た目も少しあっさりしすぎるくらいであるものの、濃厚で脂気も旨みも強い料理が並んだ後ではこのシンプルさが好ましいですね。

ところで料理が出てくる順番なんですが、こうして書き並べてみるとコース風にも思えるんですが実際にはこういう順番ではなかったと言いますか、普段こういう店で出てくる並びと少しイメージが違うところがあって今回多少戸惑うところもなしとしませんでした。
特に店としての方針はなく作った端から並べているだけということなのかも知れませんが、いくら大きめのテーブルとは言っても同時に全部が並ぶというわけでもない以上、コースではなくともサーブする時間や順番に関してある程度組み立てのようなものもあってもいいかなと思いますけれどもね。
昔はそのあたりの面で非常にきっちりしているお店だなという印象があって安心していられたんですけれども、どうもフロア担当がすっかり入れ替わってしまったのか味以前の段階で何かしら不満が残ることが増えてきているのは、少々いただけないかなと思います。

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2010年12月30日 (木)

年の瀬と言えばそういう時期ですが

先日唐突に出てきまして、ちょっとした話題を呼んでいるのがこちらのニュースです。

ユニセフ募金活動、協会に届けを 県支部呼び掛け(2010年12月23日佐賀新聞)

年末年始に多い募金活動で、日本ユニセフ協会佐賀県支部の富崎鈴代事務局長は「協会に届け出ないでユニセフへの募金活動が行われるケースがある」として、届け出を呼び掛けている。

ユニセフへの募金活動を行う個人・団体は事前に協会への届け出が必要。届け出た協力者にはポスターや指定の募金箱などを貸し出し、寄付後には領収書を送っている。

富崎さんによると、数年前の正月、人通りが多い場所で同協会のポスターを持ち、活動する数人を見かけた。確認したところ「お金はユニセフに送っている」と領収書を見せられたが、募金箱は同協会指定ではなかったという。

同様の活動は以降、ほぼ毎年見かけられ、誤解を生むこともあるため、富崎さんは「ユニセフへの募金活動を街頭で行う場合は届け出を」と話している。同支部は電話0952(28)2077。

記事としては要するに詐欺師紛いの行為に対する注意というものを呼び掛けるという意図なのでしょうが、ユニセフへの募金活動を何故日本ユニセフ協会(以後協会)が我が事のように仕切っているのか、いったい何の権限があって言っているのかと事情を知る人間であれば誰でも思う話です。
国連組織であるユニセフに募金を行うのに協会に届け出をする義務などと言うものは全く存在していないわけですが(そもそも協会の英語名は「the Japan Committee for UNICEFF」ですし、日本にも本家ユニセフの事務所が存在し黒柳さんらの支援を行っています)、そうであるからこそ協会の言うこともあくまでも届け出の「呼び掛け」という、何ら拘束力のないものになっているわけですね。
実際に協会のHPも非常に微妙な表現になっていて、冒頭で「(財)日本ユニセフ協会へ事前に連絡することなく、街頭でユニセフ募金活動を行なうことはできません。」と断言しておきながら「全国では(財)日本ユニセフ協会が認知していない街頭でのユニセフ募金活動が実施されている場合がありますのでご注意ください。当協会が認知していない街頭での募金活動は状況を把握しかねますことをご了承ください。」ともあるのですね。
本当に禁止されているのであればあってはならないはずの行為が普通にあるかのように記載されているのはそういう事情があるわけですが、要するに募金の中抜きを商売にしている協会とすれば全ての募金を自分達経由で集めたい、そうであるからこそ法的根拠などは無視してでも「ユニセフ宛の募金は協会経由でなければいけないんですよ」なんて嘘をつかざるを得ないというわけでしょう。

そうなりますと「協会に届け出ないでユニセフへの募金活動が行われるケース」とは黒柳さんのことか?!と誰しも思ってしまいますけれども、この協会という組織が国連のユニセフという組織とは全く別物であること、そして国連組織である本家ユニセフが任命した国連ユニセフ親善大使である黒柳徹子さんとは微妙な関係にあるということは、以前にもお伝えした通りです。
協会としては当然ながら国連お墨付きの黒柳さんを表看板に使いたいのだけれども断られた、その理由というのが黒柳さんが協会のやり方にいい感情を抱いていないというところにあって、そうであるからこそ協会としては別な看板を独自に擁立するしかなかったわけですね。
ちなみに協会側では黒柳さんについて「”色々なお考え”からうちを通したくない方はどうぞ黒柳さんへ」と言っているようですが、ドキュメンタリーを中心に手がけ、黒柳さんともたびたび取材で一緒になる事の多いテレビプロデューサーの田川一郎氏が書いていますけれども、当の黒柳さんはこうした協会の活動を面白く思ってはいないようです。

第143話:国連ユニセフと日本ユニセフ協会(田川一郎氏HP)より抜粋

ユニセフは国連の一つの機関で『国連児童基金』といい、世界の子供達が健全に育ち、教育が受けられるように彼等をサポートしています。
 本部はニューヨークにあり、日本にはその支所にあたる駐日事務所があります。
 日本政府との交渉や物資の調達、広報などの仕事をしています。
 女優の黒柳徹子さんは、親善大使として、ニューヨークの本部と契約を交わし、駐日事務所がマネジメントをしています。

 『日本ユニセフ協会』という財団法人があります。
 募金活動が主な仕事です。
 カードの販売もしていますから、利用された方もあるでしょう。
 募金協力のダイレクトメールを受け取られた方もあるでしょう。
 7/9の東京新聞です。

 【ユニセフが流用】
 「地球の歩き方」読者37万人の個人情報

 寄付集めのダイレクトメール用の住所氏名を「地球の歩き方」の出版社から提供してもらったという記事です。
 本に挟み込んであるアンケート用紙を書いた人の住所氏名が渡されたようです。
 この本の読者は意識が高く、寄付の確率が極めて高い、と聞きました。
 この新聞記事はファックスで黒柳徹子さんからボクの職場に届きました
 メモがありました。
 「“私とは違う”と言いたい所です

 黒柳徹子さんは自分の口座を第一勧業銀行六本木支店に開いて独自に募金活動をしています。
 日本ユニセフ協会の募金活動と混同される事が度々あります。
 “黒柳徹子さんに寄付したのに、また募金協力の手紙が来ました。何故ですか?”
 このような混乱です。
 黒柳徹子さんはダイレクトメールは出していませんから、『日本ユニセフ協会』から来たものです。
 最近、『日本ユニセフ協会』はアグネス・チャンを『日本ユニセフ協会大使』に任命しました。
 二人とも肩書に“ユニセフ”と“大使”が付き、両名とも募金活動をするわけですから、どう違うのだ、という混乱があります。
 日本ユニセフ協会では“黒柳徹子さんは、地球規模で、アグネス・チャンは国内中心に活動してもらう”と説明しています。

 黒柳徹子さんがユニセフ親善大使になってから16年目になりますが、これまでにも
 募金を『日本ユニセフ協会』を通してユニセフ本部に納めて欲しい、という話はあったようです。
 黒柳徹子さんの意向は“頂いた募金は一円も無駄にしないで現地に届けたい”というものでした。
 『日本ユニセフ協会』が集める募金は経費(事務所経費、人件費、広告費、ダイレクトメール発送費など)として25%(ボクの推定)くらいを使いますから、募金金額が全部そっくり現地に届きません
 経費が掛かるのは当然ですし、それを非難しているわけではありませんが、“いいことをしているんだから、いいじゃないか”という思い上がりは、個人情報をもらう方も提供する方も謹んでもらいたいものです。
 新聞に載った両者の言い分は、そんな気分に満ちていました。
高い意識を持って意義ある仕事をしている人ほど守ってもらわなければならない社会のルールです。
自分の情報を使われて不快に思っている人もいるのですから。

最近しばしば話題になるのがこの協会の行っているDMなどの募金勧誘活動が、あまりに執拗過ぎるのではないか?という話で、黒柳さんならずとも不快に思っている人が日々増え続けているということです。
不快と言いますか、気持ち悪いと言いますか、ちょっと本当なのか?と思うような異常なことが行われているらしいという情報もあるわけですが、かれこれ数年前から社会的にもこの協会の無茶苦茶な活動ぶりが社会問題化していて、あちらからもこちらからも批判の声が上がっていることが一般紙にも取り上げられるようになっています。
元はと言えば協会のなりふり構わぬ勧誘が招いた結果ではあるわけですが、情報の入手経路など全く公開しないという姿勢を貫いている協会が、集めた巨額の資金を湯水のように使って更に自己拡大再生産を続けているという現状に何を感じるかということでしょう。

【参考】名字だけの募金依頼DM、ユニセフ送付に「本物か」(2007年1月6日読売新聞)

【参考】日本ユニセフ協会の一人勝ちで募金活動に出始めた“反発” なぜか一般公開されないDM送付のリスト入手先(2005年12月エルネオス)

昨今ではこうした状況から「協会って何か変なんじゃないの?」と素朴な疑問を抱く人も多いらしく、そしてその気になって調べれば調べるほど前述のような怪しい実態というものが幾らでも出てくるわけですから、「あれれ?もしかして子供のためにと思って募金に協力してたのに、何か間違ったことしちゃった?」と思い直す人も増えているようです。
その結果ネット上では「協会に上納金を貢ぎたければどうぞ協会へ、世界の子供のためにユニセフに募金をしたければ黒柳さんへ」という声が盛んになってきていますが、そうなると募金の上がりで食べている協会としても困るということなのでしょう、昨今では火消しに一生懸命なんだそうですね。

日本ユニセフに対するネット上の誹謗中傷的書き込みについてを聞いた 「本家ユニセフとは別だがユニセフファミリー」 (2010年5月25日ガジェット通信)

日本ユニセフ協会がウェブサイト上に掲載した『当協会に対するインターネット上の誹謗中傷的書き込み等について』という文章。これはここ数年ネット上にて日本ユニセフへの誹謗中傷が相次ぎその内容について書かれたものだ。

しかしこの文章では具体性に欠けるので、ガジェット通信が日本ユニセフ協会に話を聞いてみたぞ。

記者 ウェブサイト上に掲載されている『当協会に対するインターネット上の誹謗中傷的書き込み等について』という文章が具体的にどういったものか教えて欲しいのですが。

担当 ブログとか『2ちゃんねる』への書き込みですね。そういった所に「ユニセフは本物で日本ユニセフ協会は偽物」という書き込みがあるのです。

記者 そんな書き込みがあるんですか! 何故そんなことが書かれるんですか?

担当 うーん、状況証拠と言えば状況証拠になってしまうんですが、日本ユニセフ協会が目に付けられ始めたのって2008年なんですよね。我々2008年に児童ポルノを無くそうというキャンペーンを行ったんです。

記者 それは大勢を敵に回しましたね。

担当 で、それ以来目に見えて増えたんです。

記者 なるほど、それが切っ掛けでネットのユーザーに誹謗中傷されるようになったと。

担当 なのかなと思うんですけどね。児童ポルノのキャンペーンは二次元の創作物なども入っているんですが、改正に賛同されているPTAの方にも誹謗中傷が殺到したんですよね。だからと言って状況証拠的なことしか言えないんですけどね。立証出来ないので。

記者 実際には日本ユニセフはユニセフのイチ協会なんですか?

担当 ユニセフはユニークな組織であって各国にユニセフ協会があって窓口として行っているのが日本ユニセフ協会なんです。世界に36箇所あるんですよ。近くでは韓国や香港にもあるんです。厳密には法律上では国際機関のユニセフと一緒では無いんですよ。日本でいうと特定公益増進法人という財団法人になります。

記者 日本独自で行っていると?

担当 そうですね、韓国は韓国、香港は香港で独自で行ってます。しかしユニセフの本部と協力協定という契約を結んでます。ユニセフの方では「ユニセフ・ファミリーの一員です」と言ってます。そういった意味では大きなくくりの中の一員です。

以上のように2008年頃の児童ポルノのキャンペーン以降に日本ユニセフ協会への誹謗中傷が増え、今回のようにウェブサイト上に掲載するに至ったという。しかしネットでの誹謗中傷はそれ以前から行われており、いいわけのようにも聞こえた
まるで児童ポルノを規制されたユーザーが私怨で誹謗中傷したかの言い方だ。ネットで書き込まれているもの全てが誹謗中傷というわけでなく中には苦情レベルの物もある。それらがひとくくりにされ今回の様に掲載された。今回のウェブサイト上のメッセージに対して早くもネット上にて反論が挙がっている。

そんな日本ユニセフが言うには「ユニセフ・ファミリーの一員」らしいぞ。

児童ポルノ法云々については確かにアグネス氏に対する反発という意味ではその通りなのかも知れませんが、前述の記事などにも見られるように協会批判はそれより以前から起こっていたということで少し無理のある話に感じられる一方、こうした反発に対して火に油を注いだらしいのが当の協会の弁解であったのは確かであるらしく、あちらこちらにそのあたりの経緯が掲載されていますのでご参照いただければと思います。
いずれにしても募金の中抜き、ピンハネ問題や、せっかくの募金から25億円もかけて「世界で唯一」のユニセフハウスなんて豪華なハコモノを建設することの是非はどうなのよと言うことなんですが、ここで考え方を変えて協会経由でユニセフに募金をするということの効率、有効性ということを考えてみたいと思いますね。
まずは協会による中抜きということに関連して、少し前にこういう記事が出ていましたが、御覧になりましたでしょうか。

パラリンピック募金で行政指導 NPO活動実態に問題と厚労省(2010年8月30日47ニュース)

 「日本パラリンピック委員会」(JPC)からパラリンピックの名称使用許可を受けて募金活動をしているNPO法人の活動実態に問題があったとして、厚生労働省は30日までに、JPC側にこのNPO法人との契約解除を行政指導した。

 厚労省によると、NPO法人は「日本パラリンピック支援機構」(東京都新宿区)。JPC側からパラリンピックの名称使用の許可を得て、2004年から選手強化費の一部に使われる募金活動を始めた。

 厚労省は、機構が募金にかかる経費を一律3割取っていた点や、JPC側との契約に基づいた、募金やチャリティーオークションなど各事業ごとの決算報告をせず、公表もしていなかった点に問題があったとしている。

 JPC側によると、機構は04~08年度に計約6100万円をJPCに寄付。機構が募金経費を一律3割としていたことについてJPC側は「04年当初から容認していた」と説明。決算報告の提出がなかった点には「毎年求めたが、提出してもらえなかった」としている。

要するに募金の三割も中抜きするのは問題だと行政指導が入ったと言うことなんですが、協会側は本家ユニセフから25%までの中抜きは認められているのに、うちは経費節約に努めたったの20%しか抜いていないんだから良心的だ、無問題であると言っているようです。
いずれにしても協会を経由した段階で二割引なのは確定なのですが、その潤沢な資金を誇る協会公認の広告塔であるアグネス氏ともなるとさすがにと言うべきか、ボランティアに関わる領域の人としては異例に高い講演料金(100~130万)がかかるということなんですね。
さて、先日は協会の九州本部主催でアグネス氏の講演会が行われたそうですが、その結果募金箱に集まった募金がなんと13万円!だそうで、もちろんこれ自体は非常な大金で募金活動としては大きな成果を上げたということになるのでしょうけれども、それなら最初から講演料百万円を丸々ユニセフに送っておけばスタッフ人件費等の余計なコストもかからず、はるかに良かったのではないかと誰でも思う話ですよね。

常々「いただいた募金は一円たりとも損なうことなく送りたい」と公言している黒柳さんですが、自身のサイト「トットチャンネル」でこんなことを書いています。

7)『世界ふしぎ発見』のトップ賞でいろいろな商品をもらいますが、私の場合、ペンダントヘッドが多く、パソコンとか、純金の時計とか、高価な物をもらったことがありません。
 それでも、年末には、私の1年間に着た衣装と一緒に日本場の高島屋でバザーを開きます
 1千万円くらいの売り上げになります。
 『青年と共に歩む会』に寄付しています
 こ施設で過ごした子供が中学を卒業すると同時に施設を出なければなりません。
 そんな変な法律があるのです。
 その子たちのための家を作る資金にしています。
 今までに3軒建てました。

一方でアグネス氏と言えば正直本業?の芸能人としては失礼ながらさほどアクティブな活動をしているようにも見えないわけですが、何故か非常に立派な豪邸をお持ちであるということでも有名なお方ですよね。
ご本人は「あれは豪邸じゃなく事務所」「協会の大使は無償」と言ってらっしゃいますけれども、協会からは無報酬でも協会の大使という肩書きを使って巨額の講演料を稼いでいるということであれば、少なくともボランティア活動で儲けているのはどうよ?と言う声は上がっても全く不思議ではないと思いますがどうでしょう?
結局のところ子供達のために家を建ててあげたいと思うのなら黒柳さんに協力すれば一番確実であるし、アグネスさんのために豪邸を建ててあげたいと思うのなら協会に協力した方が効率がよいということになるのでしょうが、後はお金を出す一人一人がどう考えるかということではないでしょうか。

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2010年12月29日 (水)

今年の話題を振り返っての雑感

年末もこの時期になりますと今年一年の回顧系の記事があちこちで出てきますけれども、そう言えばそういう話題があったなと思い出されたのがこちらの記事です。

2010回顧 宮古ニセ医者 確保急ぎ失態 /岩手(2010年12月27日朝日新聞)

 約3年間外来を休診していた宮古市の県立宮古病院の循環器科に、新しく採用された女性医師。彼女が無資格なのに医師をかたったなどとして医師法違反で逮捕された事件は、宮古市民にとどまらず、全国にも驚きを与えた。

 女性が逮捕された5月、盛岡市内から県立宮古病院まで国道106号を車で約2時間かけて走り、取材に向かった。循環器科が休診している宮古病院はこの道を通って、心筋梗塞(こうそく)の発症者らを救急車で盛岡市内まで運んでいる。「この距離と時間、『死を覚悟してください』と言われているようなものだ」。医師不足の深刻さを物語っているように感じた。

 病院の取材はもちろん、女性がどんな人物なのか知りたくて、彼女が住む大阪まで出向いた。近所の人に話を聞いていると、「岩手の人がなぜあの人にだまされたのかわからない」と度々聞かれることがあった。取材できた限りでは、女性の地元での言動や行動は明らかに異様に見えた。病院側は医師確保を急ぐ余りそれを見抜けなかった。やっと見つかった常勤医。女性の気分を害さないよう、医師免許確認を強く求めなかった事情は同情の余地もある。

 厚生労働省が今年9月に初めて実施した「必要医師数実態調査」で、全国で約1万8千人の医師が不足していることがわかっている。医師不足は岩手のみならず、全国的な課題だ。各地で、医師確保合戦が繰り広げられている

 県医療局によると、県内では今年4~12月までに13人の医師が関係者の人脈や県のリクルートで岩手に赴任した。県内で勤務する臨床研修医も増える傾向にあるという。

 だが、辞めたり県外に移ったりする医師が年間約90~100人いるのも事実。県内で医師を育てる中核機関となっている岩手医大の地元出身者は約2割と少なく、卒業すれば県外に出てしまう人も多い。「地元出身の医学生をもっと増やして、この土地に残ってくれる医師を増やさないと医師不足は解決しない」と話す宮古市内の住民もいた。

 朗報は、宮古病院の循環器科に1月から待望の常勤医が赴任することだ。ただ、外来を再開するめどはたっていないという。地元で充実した医療が受けられるよう、病院や市をあげて医師をサポートしてもらいたい。

 女性の動機が判然としないまま盛岡地検は9月に不起訴処分(起訴猶予)とした。処分の理由は「処罰を求めるまでの判断には至らなかった」からだ。他の地検関係者の中には「このような判断が続けば検察不信になる人もいるんじゃないか」と疑問を投げかける人もいた。私自身、記者として、1人の岩手県民として、なぜ女性を採用するまでに至ったのか、どのように県費が使われたのか、公判の場で知りたかった。

この事件については以前にも何度か取り上げまして、記事にもありますように医者として通用するような知識なりを持っている人物には到底見えないらしいのに騙されてしまうというのが、いかに宮古病院が追い詰められているかという証拠なんでしょうね。
この短い記事だけでも地域医療への人材提供を期待されているはずの地方公立医学部で県外出身者ばかりというのはどうなのかとか、少なくない額の公費を浪費していながら問われるのは医師法違反(医師の詐称)だけなのかとか、色々と興味深い話題を提供してくれそうな事例ではあったのだなと今見直しても思えます。
この事件のみならず地域医療の問題ということが近年大きな話題となっていて、医療問題というマイナーだった話題にようやく世間の目が向くようになったというのも、こうした地域医療崩壊という現象が契機であったとも言えるわけですが、それだけにこうしたキャッチーな事件をとっかかりにして地域医療のみならず、現在の医療現場の抱える諸問題を利用者たる国民が我が事として考えていくようにしていかなければならないはずですよね。

今年の話題と言えば例の医療ツーリズムがいよいよ稼働に向けて動き始めたということも上げられると思いますが、一般紙も特集記事を出すなど徐々に世間的にも滲透してきている様子です。
もちろんどの程度の需要があるのか、そしてその経済効果はどうか、何より国内の逼迫する医療受給に悪影響を与えないかと様々な疑問や懸念もあるわけですけれども、そんな中で先日はこんな記事が出ていましたので紹介してみましょう。

「ドクタープロモーション」で顔の見える訴求を―観光庁研究会(2010年12月24日CBニュース)

 観光庁は12月24日、「インバウンド医療観光に関する研究会」(座長=上松瀬勝男・日大名誉教授)の5回目の会合を開いた。会合では、同庁から医療観光に関するマーケティングとプロモーションについて委託を受けているコンサルタント会社2社が、それぞれの調査結果を報告した。このうち海外でのプロモーション活動については、医師自身が海外に出向いて日本の医療の技術力などをPRする「ドクタープロモーション」が提案された

 医療観光をめぐっては、来年1月から治療目的での外国人の訪日を促すための医療滞在ビザが創設されるなど、国内での医療観光の促進に向けた取り組みが加速している。

 会合では、マーケティングを委託されたみずほ情報総研の担当者が、医療観光に関連した渡航者の動向などを報告。全体的な傾向として、隣接した国・地域の間でGDP(国内総生産)が高い国から低い国への動きが顕著であることや、フライト時間で4-6時間以内での移動が一つの目安になっていることが報告された。

 プロモーションを委託されたアクセンチュアの担当者は、日本の医療水準などの認知度が諸外国で低いため、まず日本の医療の優位性を確立する必要があると指摘。その上で、海外に日本の医療を訴求する手段として、医師自身が海外に出向いて現地の医療関係者などと交流しながら技術の高さや質の良さをPRする「ドクタープロモーション」を提案した。
 既に数人の医師の協力の下、来年1月から3月にかけて中国や台湾、米国に出向き、現地の旅行会社などを対象に、試験的なプレゼンテーションと商談会を実施する計画が進んでいるという。

 委員の意見交換では、丁野朗委員(社団法人日本観光協会総合研究所長)が、ドクタープロモーションを評価しつつ、「医療観光を進めていく上では地域、都市間の連携も進んでいる」とし、医師個人の連携にとどまらないプロモーションの展開への期待を示した。
 また高見裕一委員(高見裕一事務所)は、外務省が医療滞在ビザの創設を発表した際、来年の発給目標を1000件としたことについて、「国が目指す医療観光の渡航者数と大きく懸け離れた数字。医療観光を進めていくとしても、大使館サイドの考えを乗り越えていかないと、掛け声だけでは難しいのでは」と指摘した。

先日も競争激しい海外の目から見ると日本が顧客を集められるはずがないなんて厳しい声を紹介しましたが、そういう商業的な観点から見るとまさしく海外に出て積極的にアピールする必要があるというのは非常に正しいという話になりますよね。
何しろ医療関係者にはあまり良い評判を聞かないこのメディカルツーリズムであるだけに、とりあえず動き出したからにはきちんと投入したリソースに見合うだけの成果、あるいはより具体的に言えば支出に見合っただけの収入が保証出来るようなものにしてもらわなければならないわけです。
ただ問題は今の医療の状況からしておいそれと外国にまでプロモーションに歩いて回れる医者がいるのか、いたとしてその医者が出かけてしまった場合に医療現場は回るのかという懸念は当然にあると思うのですが、これもものは考えようということなんだと思いますね。
退官した大学教授など語学も弁舌も達者だけれども、現在の第一線臨床に従事するにはいささかどうかと言う人々は国内にもそれなりにいて、大抵が関連病院の院長職などをやっていたりするわけですが、そういう人材の有効活用という面ではこういう作業も案外いいんじゃないかと思いますし、何より病院に顧客を呼び込むという意味ではまさにこれは経営側の仕事でもあるように思います。

先日も文科省の研究会の話題を紹介しましたように、医者をどの程度まで増やすかということに関しては今だ確固たるコンセンサスが得られていないという状況ですけれども、同じ国家資格ということでしばしば語られるのが先行して大幅な人員増を行った歯科や弁護士といった諸業界の崩壊ぶりです。
歯科医ワープア化など一昔前であれば考えられなかったようなことが起こる時代にあって、これは近年社会問題化している医療訴訟を始めとして弁護士過剰問題が悪い影響を及ぼさなければいいがと懸念する人も多かったのでしょうが、やはりと言いますかこういう話もあるようですね。

「事故で寝たきり」とウソ、賠償請求 東京の弁護士懲戒(2010年12月27日朝日新聞)

 第一東京弁護士会は27日、依頼人の交通事故の後遺症を誇張したとして、加茂隆康弁護士(61)を業務停止4カ月の懲戒処分とし、発表した。

 同弁護士会によると、加茂弁護士は2001年12月、交通事故の後遺症があるという都内(当時)の男性から損害賠償請求の依頼を受けた。東京地裁に提訴する際、男性の介護は必要ないと知りながら「ほとんど寝たきり状態」と主張し、本来請求できない「将来の介護費(6400万円)」を盛り込んだという。

 訴訟では後遺症の程度が争点となり、加茂弁護士は、実際は同居していない男性の母親が介護に専念しているよう装う書面などを提出。ところが、被告の保険会社側から、男性と母親が歩いて買い物している様子を撮影したビデオが証拠として提出され、うそが発覚した。

 加茂弁護士は交通事故の損害賠償請求に関する著書が多く、ホームページには「弁護士がつけば、賠償金額が数倍になることもまれではありません」と記している。最近では裁判員裁判と死刑をテーマにした小説も執筆した。

例の貸金業者の過払い金問題でちょっとそれはどうなのよとトラブルになっている弁護士も多いそうですが、この「弁護士がつけば、賠償金額が数倍になることもまれではありません」といったうたい文句にも典型的に見られるように、昨今弁護士業界においても何事もお金優先という考え方が広がっているらしいと懸念する声があるようです。
医療訴訟なども一昔前は「待合室に弁護士が待機していて、暗い顔で診察室から出てきた患者にそっとすり寄っていく」なんて話はジョークで通じましたけれども、近頃の弁護士過剰時代ともなるともはや案件を選んではいられない、とにかく少しでも多くの報酬を得たいと言う弁護士が出てくる、そうなると当然ながら損害賠償などにおいてもより大きな金額を求めてくるという流れになってきますから、損害額が大きい=報酬も大きい医療訴訟は今後増えていくのでは、なんて予想もあるようです。
もちろんこの加茂隆康弁護士のようなベテランともなればそれなりの顧客もあれば収入もあるでしょうから、金に追われてと言うよりこれは単に個人の資質の問題であると言う言い方は出来るのでしょうが、医学の追究のためにはモラルを超越することが当然あり得るという社会的コンセンサスすらありそうな(苦笑)医者稼業と違って、それなりに正義の味方的イメージの強かった弁護士業界でもこういう話が出てくるのが世間的にどうなのかです。

こうした事件は今後ますます増えてくるんじゃないかとも予想してしまうのですが、ちょうど先頃ちょっとした話題になったトンデモレーシック眼科医などの問題と照らし合わせて考えた場合に、この事件は業界内での処分のあり方という問題についても考えさせられるところがありそうですよね。
ご存知のように弁護士という仕事に就くと皆かならず弁護士会に入ることになっていて、それが弁護士という人々に対する弁護士会の強制力発揮の根拠にもなっているわけですけれども、医療の世界では日医あたりが「全ての医者は日医に加入しましょう!その方が大きな政治力を発揮できます!」なんてピント外れの主張をしているばかりで、同様な強制力を発揮出来るような全国的・全科横断的な組織は存在しません。
かつて不妊治療などと絡んで産科医が学会から除名されたなんて話がありますけれども、別に学会から除名されようが日々の仕事になんらの不都合もないという事実を考えた場合に、医療業界でも将来の医師大増員時代に備えて今から何らかのモラル担保のシステムを、なんて声が出てきても不思議ではないですよね。

日医と言うものが出てきたついでに、その日医がかねて強固に反対しているのが混合診療問題ですけれども、公認会計士資格を持つ評論家として主に経済畑を中心に活動を続けている勝間和代氏が毎日新聞に連載をしていまして、先日はこういう記事が出ていました。

患者本位へ、混合診療解禁を(2010年12月22日毎日新聞)

 今回は政府の規制改革会議でも大きなテーマとなっている「混合診療」の問題を取り上げます。現在の日本の医療保険制度では、保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する混合診療が原則禁止されています。私たちが治療を受ける時、保険の適用が認められていない保険外診療が診療内容に加わった場合、患者は保険外診療の分だけでなく、本来、保険で賄われる分も全額自己負担になります。

 一部の先進治療は「評価療養」や「選定療養」という制度で保険診療との併用が認められますが、大変限られた分野です。現在の制度は、私たちに保険の適用範囲内での治療にとどめることを期待しているわけですが、それで国民本位の制度と言えるでしょうか。

 厚生労働省は混合診療の解禁に慎重な理由として(1)医療格差の拡大を招く(2)保険治療範囲の縮小につながる(3)患者が医療事故に遭うリスクが高まる--の三つの懸念をあげています。具体的には(1)は混合診療が一般化すれば、経済力によって受けられる医療に大きな格差が生じるという理屈です。高度先進医療を行える病院とそうでない病院で提供するサービスに格差が生じるとも指摘します。(2)は混合診療が一般化すると、新薬や新しい治療法を保険の適用対象にするインセンティブが薄れ、多くの患者は結局、保険適用外の高い自己負担をしないと、満足な治療が受けられなくなる可能性があるとの意見です。また、(3)は安全性・有効性が確認されていない治療が横行し、患者に悪影響が及ぶというものです。そのうえで、厚労省は先進的な治療法の取り扱いについて、安全性や効果を確認した上で保険対象に加える手順を踏むべきだとしています。

 これに対し、混合診療の解禁派は、混合診療が認められれば、患者の負担が現在より減り、より幅広い層が充実した医療を受けられると反論。厚労省の理屈とは逆に、「医療格差は縮小する」と主張しています。また、混合診療で治療期間が短くなれば、医療保険の給付が節約されるとも指摘します。さらに、がんなどの生死に関わり、治療の時間が限られる病気の場合、患者は先進的な治療法が保険適用になるまで待つ余裕はないと訴えています。混合診療解禁の是非は裁判でも争われ、東京地裁は07年11月「保険外診療の併用により、保険対象の診療分まで給付が受けられなくなる根拠は見いだせない」と混合診療禁止に疑問を示しました。一方、控訴審の東京高裁は09年9月、国の混合診療禁止を適法とし、現在、最高裁で係争中です。

 このように意見は分かれていますが、私は混合診療の原則解禁を求めます。理由は、現在の医療保険制度が医師や患者の実態に合致せず、医療の発展を妨げていると考えるからです。外国で承認済みの先端医療や薬品が日本で保険の適用対象になるまでにはかなりのタイムラグがあり、患者本位になっていません。また、古い医療技術を使って長い時間をかけて治療するよりも、新しい医療技術で短期間で病気を治す方が保険医療全体のコスト節約にもなるはずです。病院は新しい治療法を導入し、切磋琢磨(せっさたくま)すれば、医療サービスの向上も期待できます。

 

日本医師会は混合診療の解禁に慎重ですが、現場の医師には解禁賛成派も多くいます。高齢化が進む中、公的医療保険制度の見直しが不可欠ですが、中でも混合診療の解禁は最優先で検討すべきです。みなさんのさまざまな角度からの意見をお待ちしています。(経済評論家)

記事自体は経済系の評論家氏が考えるとまあそんなもんだろうなという内容で特に新味はないのですが、この記事で興味深いのは同時に実施されている記事への賛否を問うアンケートの結果、そして記事に寄せられたコメントの内容なんですね。
アンケートによれば「賛成」45%、「だいたい賛成」24%と実に7割が記事の賛成に回っているのに対して、「反対」21%、「どちらかと言えば反対」11%と反対派はわずかに3割ほどにしかならず、医療系でも何でもない毎日という一般紙による結果としてこれをどう考えるのかです。
寄せられているコメントも興味深いのですが、一般人の目線から見てこういう風に見えているのだなと参考になりそうな内容でもありますので引用させていただきましょう。

国民の大半が貧しかった昭和後半までは「何時でも、何処でも、誰でも同じ内容の医療を受けられる制度」は必要でした。しかし、現在のように成熟した自由主義経済下では、支払う金額に応じてサービスに差がある方が公平ですし、医療技術などの進歩も格段に進むと思います。旧ソ連と米国の医療、どちらが優れているかは素人でも分かります。

 今のわが国で行われている護送船団方式の医療・医療制度は開業医のための医療制度であり、今や国民が信頼し真に必要としている医療を提供する障害ともなっていると思います。

保険財政破綻の前に護送船団方式の医療制度を改め、国民個々に「真に必要とする医療」を提供できる医療制度を構築すべきと思います。

 病院経営や混合診療の導入など医療に市場原理を導入することにより、医療に競争原理が働き、医師には患者に選ばれるため日々の努力が必要となり、日進月歩の医学・医療を学ぶ医師が増え、わが国の医療水準向上に繋がると考えます。

公的医療保険の意義が所得の低い人や病気がちの人も安心できることであることを前提として、今の診療報酬をより学問的、合理的に大幅に改善した上で、当面は患者が正しく評価・選択できる領域や予防医療を先進医療の対象として対応し、その後、一定水準以上の医療機関を対象として混合診療を解禁すれば、安全性などの確保は担保されると考えます。

むしろ、今の自由診療は野放し状態で、安全性が確認されていない治療法や医薬品、医療材料が安易に使われ、根拠に乏しい安全性が担保されていない医療を受ける恐れがあると思います。

今後は、医療の質の向上を目指しての市場原理導入により、より質の良い医療が適正な価格で提供できるような医療制度の構築が必要だと考えます。

問題は、日進月歩の医学・医療技術を学ぶことを避ける医療関係者が、比較され、選択されることを嫌い、市場原理に反対していることだと思います。

まあいちいち突っ込みはしないにしても、当の記事に「現場の医師には解禁賛成派も多くいます」と書いてあるのに医療関係者が反対しているという認識もどうなのかですけれども、個人的な見解としてこれが20年ほど前に提起された話であったとしたら、恐らく今以上に圧倒的な支持を得られていたのではないかとも思うのですね。
ところが今は経済が長期低迷の中にあり今後も劇的な改善は期待出来そうにない、そうなるとかつてのように「普通の医療を受けられる一般人と、特別の医療を受けられる金持ち」という図式で語るのは間違いで、むしろ増え続ける貧困層への医療提供をどうするかということに考えを及ぼさなければならない。
個人的には基本的に混合診療解禁派ではあるのですけれども、そのあたりの社会情勢の変化を考慮せずに昭和の時代の感覚で混合診療を論じていたのでは互いの認識に大きな齟齬を来すだろうし、導入論を推し進めるにしてもまず無保険者、貧困層への対策というものを担保していくのが筋ではないかと思います。

実のところこのあたりにこそ医療従事者と一般人との感覚の相違の最たるものがあって、例えば世間では「お金がないからといって医療に格差をつけるのはケシカラン!」なんて論調がまだまだ大きな地位を占めていますけれども、医療関係者に言わせると例えば「生保(生活保護受給者)には安いジェネリックしか使えないようにするのが当然だろjk」なんて声も根強いものです。
日常的に貧困層に接していて実態を知っているからこその意見というものもあるのでしょうが、それ以上に日本の医療制度において一番いい医療を受けられるのは医療費全額公費負担の生保患者であるという現実に、何かしら釈然としないものを感じている現場の人間も多いということが背景にあるわけですよね。
このあたりは高齢者医療などの問題とも絡んできますけれども、何歳になろうが寝たきりだろうが透析も血液製剤も使い放題という医療をしている国はむしろ世界的には稀少であるだけに、一体国民に等しく保証されるべき医療水準とはどんなものなのか、受ける医療に差があるということは絶対悪なのかという点についてもコンセンサスを求めていくべき時期なのではないでしょうかね。

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2010年12月28日 (火)

文科省の描く医療の未来図とは

先日紹介しました文科省の大学医学部の入学定員に関する有識者検討会の件ですけれども、予定通りこの22日に第一回の会合が開かれたと言うことです。
医学部定員を云々すると言いながら実際には医療の行く末を見据えた議論が不可欠であるだけに、こうした話を文科省単独で進めていることには何かしらの危惧も感じるわけですが、まずは記事から紹介してみましょう。

今後の医師養成数は? 医学部定員の議論がスタート(2010年12月24日CBニュース)

 2012年度以降の中長期的な医師養成の在り方を探るため設置された文部科学省の「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」は12月22日、初会合を開いた。依然として続く医師不足を背景に、協議では、医学部の新設を含め、養成数を増やすことに積極的な意見が相次いだ一方で、大学側の受け入れ体制や学生の質の確保といった点から慎重な議論を求める声も出された。

 人口当たりの医師数や医学部定員の推移、「地域枠」の取り組み状況、厚生労働省が行った必要医師数の実態調査結果などについて事務局の説明を受けた後、現状の問題認識に関して意見を交換した。

 「地方の立場から言えば、医師は全然足りない」と強調したのは、全国知事会を代表して出席した平井伸治・鳥取県知事。臨床研修制度で地方に医師が集まらないといった地域差を指摘し、「国全体というマクロの視点だけでなく、ミクロの視点も含めて判断いただきたい」とした。ほかにも、基礎研究や産婦人科などの特定診療科、医薬品開発といった分野での医師不足を訴え、養成数を増やすべきだとする声が多く上がった。

 ただ、教員や設備など各大学の受け入れ体制については、近年の定員増に伴い、「限界に達しているのではないか」(矢崎義雄・国立病院機構理事長)との指摘も。今井浩三・東大医科学研究所附属病院長は、「(既存医学部の定員増より)新設の方が、ずっと(話が)早いのではないか」と述べた。

 一方、既存医学部の定員増で対応すべきとする中川俊男・日本医師会副会長は、将来的に医師数が充足することを考慮して「医学部新設はあり得ない」と反対。黒岩義之・全国医学部長病院長会議会長は、全体の養成数を増やすこと自体には肯定的な立場ながら、「これまでの定員増で、人口千人当たりの医師数がOECD(経済協力開発機構)加盟国の平均を超える時期も来るだろう。少子化の中での医学生の質の確保、卒業後の定着率など、総合的な視野が必要だ」として、慎重な議論を求めた。
 このほか、医師の偏在や、医学部の「出口」である臨床研修制度の課題、女性医師のワーク・ライフ・バランスといった論点が出された。

 検討会は、医師不足や高齢化の進展などを踏まえ、将来の医学・医療ニーズに対応した医師養成を図るため、過去の定員増の検証などを含めて調査・研究を行う。1年をめどに結論を出したい考え。委員は国公私立の大学や市中病院、自治体、産業界、患者会などの代表20人で構成し、この日の会合で慶応義塾学事顧問の安西祐一郎氏を座長に選出した。

 文科省によると、今年度の医学部定員は8846人で、来年度はさらに8923人に増員する。定員の抑制方針が取られていた07年度(7625人)に比べ1298人の増。

前回も書きましたが、医師不足と言えばとかく臨床医の不足ばかりが取りざたされる中で、今回の初会合では基礎研究や医薬品開発などの分野での医師不足も指摘されたというのは良い傾向だと思います。
ただ研究に専念すべき医師までが臨床に加わることで辛うじて現場が維持されているということも一面の真理なのですが、一方でとりわけ大学などに見られるように臨床のアルバイトでもやらなければ研究だけでは食べていけない薄給(あるいは無給)の研究者が多いというのも一面の真理であって、研究者が研究に専念できるようにするためには単に人員面のみならず報酬面にも目を向けていく必要はありそうですよね。
また今回少なからず意外であったのは、既存医学部の定員増もそろそろ限界ではないかという文脈から「いっそ新設の方が手っ取り早い」なんて話が医者側の立場に近い参加者から出ているという点ですけれども、実のところこれこそ「待ち望まれていた現場の声」だったらしいということが後々明らかになってきます。

いずれにしても国の立場として考えると、医師国家試験の足切りラインは幾らでも高く出来るわけですから、医学部を幾ら新設しようが定員を増やそうが将来的には国試の難易度調節で医師数はコントロールできると考えているのでしょうけれども、その場合真っ先に当落線上に位置することになるだろう全国数多くのいわゆる底辺私大医学部において何がどうなるのかです。
すでに同様の国家試験合格者数調節によるコントロールが行われている司法畑においてもそうですけれども、通らない学校では本当に合格者ゼロなんてことも普通にあるという状況になった場合に、法科大学院よりもずっと年数が長く学費も高い私大医学部に通わせながら国試には通らなかったとなれば、本人は元より学費を負担しているだろう親としても立場がないですよね。
法科大学院の方ではすでに合格率が低い学校は潰していこうという段階にまで至っているようですが、何しろ六年間という長い就学期間を要求する医学部であるだけに、いざ定員を減らしましょう、学部も廃止しましょうと言うことになっても法科より小回りはずっと効きにくいということは確実でしょう。
そうしたことを考えた場合に医大新設論者というものがどの程度のメリット、デメリットを考えて発言しているのか、単に新設の方が話が簡単だからという程度の認識でよいのかということが気になってきますが、ちょうどロハス・メディカルさんでこの議論の様子を取り上げているので、それぞれの委員がどんな態度で参加しているのかを参照させていただきましょう。

なぜ、医師を増やすの?(2010年12月25日ロハス・メディカル)

 医師不足だから医師を増やす。医学部の定員を増やす、医学部を新設する。答えは簡単......だろうか? (新井裕充)

 文部科学省は12月22日、「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」(座長=安西祐一郎・慶應義塾学事顧問)の初会合を開いた。

 冒頭の挨拶で、鈴木寛・文部科学副大臣がライフ・イノベーション(医療・介護分野革新)の重要性を強調。その後、各委員がそれぞれ意見を述べた。

 同検討会の最終ゴールは医学部の定員増か、医学部新設か、海外大学の誘致か、それとも現状分析にとどまるのか、同日の議論からは見えない。ただ、医師の増員をめぐる論点はほぼ出尽くした感がある。

 「本格的な人口減少時代に入った」と言われる中、医師を大幅に増やすべきか。医師増よりも、まず偏在を解消する手立てはないか。いったん増やした医師は簡単には減らせないが、それでいいか。

 もし増やすとした場合、どの程度の増員を考えるのか。その方法は何か。医学部の定員増や新設など、あくまでも「官製」にこだわるのか、社会人に医師への道を開く「メディカル・スクール」では駄目なのか。

 出席した18委員らの発言について、詳しくは2ページ以下を参照。
(略)

極めて詳細に発言内容を追っていることもあってずいぶんと長い記事ですから、実際のところは読者の皆さんで確認して頂くとして興味深いところだけ引用させていただこうと思います。
まずは冒頭、鈴木寛・文部科学副大臣が挨拶に立つのですが、どうでもよさそうにも見える(失礼)話の中で気になったのが冒頭で確かに医師確保のための医学部定員増ということにも言及しているものの、話のほとんどを占めているのが例の医療主導の新成長戦略であるとか、(例の医療ツーリズムも念頭においた?)国際的医療貢献といった観点から議論をよろしくと言っているように聞こえるところですね。
日医は元より、参加している自治体や病院の関係者は恐らくそのほとんどが、今ある医師不足という現象の中での医学部定員に関わる議論というつもりで来ているのではないかと思いますが、それに対して当の厚労省ではそんな目先のことではない、もっと遠い将来の話をして欲しいんだと言う意向なのだとすれば、先日も少しばかり取り上げました奇妙な人選というものも理解可能になるのかも知れません。

そうなりますと委員の間でのコンセンサスは大丈夫なのかとも気になりますけれども、前回何故参加しているのか?と疑問を呈した情報科学が専門の安西祐一郎氏が「中央教育審議会の大学分科会の議長を務めており、高等教育政策の全体を把握している。さらに、慶應義塾大学の学長のご経験から大学運営の実際にも精通している(推薦した矢崎義雄委員談)」として座長に推されているのも気になります。
一応は文科省として大学の定員を云々しようという場ですから大学関係者が座長になっても全くおかしくはないのですが、挨拶に当たって「副大臣が言われましたように、特に「世界最高水準の医療をこれから続けていくためにはどうしたらいいのか」ということも含めて」とわざわざ強調するあたり、やはり目先の医師不足問題にとらわれた議論を主導するつもりはないように見えますよね。
もちろん文科省筋とすればそこらの医者などよりずっと近しい立場でもあるでしょうし、厚労省の手垢のついた現場の医療関係者よりはこういう大学関係者に議論を主導させた方がやりやすいのでしょうが、何やら早くも議論の収束していく先が見えてくるようにも思われる話です。
この後はいつものごとく棒読みの資料提示に続いて質疑応答が始まったわけですが、幾つか追加資料の要求については次回以降に改めてということになるのは妥当として、それら質疑応答の締めくくりという形で安西氏を座長に推した矢崎委員からわざわざこういう「らしい」発言が出ているところにも注目しておくべきでしょう。

[矢崎義雄委員(独立行政法人国立病院機構理事長)]
 医学部定員については、先ほど副大臣がおっしゃいました医師不足や医師の偏在など、このたびの事態を深刻に受け止めつつも、その時々の、一時的な趨勢に流されることなく深い現状分析を行って、かつ冷静に議論をお願いいただければと存じます。

 さて、医学部の現状の定員でございますが、文科省の資料によると、定員が相当多くなっています。そのときにですね、私は現在の医学部の定員はスタッフ数から見て限界に達しているのではないかと危惧しています。
(略)

わざわざこういう念押しするような発言をしているのが何故なのか、これが文科省のシナリオにそった発言だとすればやはり「医師不足問題だけで定員問題を論じるべきではない」「既存の医学部定員はすでにこれ以上増やせない」という二つのポイントが重要視されているということでしょうね。
素直に読み解くとそうであるからこそ医学部は新設されるべきであるし、仮に今後医師不足が解消されようとも国策として医療を巨大産業に育てていこうとしているわけですから、さらに医者は増やすべきだというのが文科省の意向であるということになりそうですが、同時に文科省とすれば傘下にある大学がどんどん大きくなっていくということは悪い話ではないという考えなのでしょうか。
こうした発言を踏まえて直後に始まった実質的な質疑応答で真っ先に手を上げたのが「医学部新設反対派」である日医副会長の中川俊男委員だというのもある意味当然ではあるし、いったいこの検討会の目的とするところは何かというところを確認しようと言うのもこれまた当然ではありますよね。

[中川俊男委員(日本医師会副会長)]
 (不機嫌そうな声で)あの......、最初なのでおききしたいんですけれども......。(略)本日の第1回の検討会は、全国的にひじょーーに注目度が高いです。それが地域医療崩壊という現状の中でですね、待ち望んでたんですよ。

 ▼ 医学部の定員を増やしても、18歳が即戦力の医師になるのは10年後。

 この検討会の位置付けを委員の皆さんと共通認識を持ちたいんですが、鈴木副大臣が冒頭でおっしゃったですね、「ライフ・イノベーション」、「新成長戦略」の中の位置付けで、この検討会を議論することではないと思いますよ。

 もう、地域医療が崩壊しているという現状の中で、緊急の課題ということで検討する会で、そのことをやっぱり共通に認識していただきたいと思います。 

 (安西座長、疲れたような表情で眼鏡を外した)

ま、当然ながらこういう日医の場の空気を読めない発言というものは華麗にスルーされるわけですが(苦笑)、逆にそのことが検討会の目的、あるいは文科省の描くシナリオというのをはっきりと確定させる形になったという点では、日医GJと言うべきなのでしょうね。
こういう不規則発言が出てくることを警戒してか(苦笑)以後の発言は座長が順次指名するという形になるわけですが、座長から真っ先に指名された東大医科研附属病院長の今井浩三委員が「臨床医が足りない足りないと言っているが実は研究医も足りない、行政の医者も足りない。そういう領域での医師不足ももっと考えて欲しい」と猛烈アピールを始めます。
この文脈において医者は「今、とても足りないので、十分に増やしていくことが大事」であり、「教員も増えていなければ施設もないという状況の中で」これ以上の定員増は難しい、むしろ「新たな医学部として立ち上げていく方がずっと早い」と、まさにシナリオ通りと思われる発言をしてくれたのには座長もニンマリというところなのでしょう。

[今井浩三委員(東京大学医科学研究所附属病院長)]
 私は、どういうポイントで話を進めるかということが非常に重要だと思います。地域医療が直ちに壊れていくという現状を十分認識した上で、全体の枠組みについても少し発言させていただきたい。

 まず、地域医療を担う医者が重要であることはもう......、現場の医者ですから間違いないんですが、その他に、今後の医療を担うような、研究をするような方も非常に重要であると考えております。

 ここ(文科省の資料)にはちょっとしか出ていなかったですが、非常に、我が国では(研究者が)枯渇しつつあるという現状がございます。これを考慮に入れないで議論できないと思います。

 それからもう1つ、行政に携わる方とかですね、そういう、ちょっと、一見、(地域医療の現場に)関係ないように見えるけれども、我が国の医療を考える場合に非常に重要な役割を担っている方のことも十分に考慮に入れながら考えていく必要がある

 ▼ 再生医療などの基礎研究に携わる医師のほか、死因究明に必要な病理医や法医学者の不足も問題になっている。

 なかんずくですね、現場で困っている地域医療について、全体のプロポーションを見ながらですね、しかも成熟した、ある程度成熟した国としての医療の体制をきちんと整えていくためには、やはり展望を持ちながら、地域医療に従事する人たちを......。
 今、とても足りないので、十分に増やしていくことが大事だろうと思います。

 今、既存の医学部に何人かずつ増やしていますけれども、これは先ほど矢崎委員(国立病院機構理事長)からも出ましたが、教員も増えていなければ施設もないという状況の中でですね、そこを現場に強いるというのはやはり限界があると思います。

 ▼ 教員を増やすために近隣の病院から即戦力の医師が引っ張られると、地域医療の崩壊がますます加速するという批判がある。

 先ほど、私が申し上げたような観点に立てばですね、新たな、むしろ新たな医学部として立ち上げていく方がずっと早いのではないかと考えております。以上です。

続いて指名されたのが長崎大学長の片峰茂委員ですが、離島医療の多い自県での例を引きながら医師の偏在問題について「国民の税金を使って医師を育てるわけですから、その中で公益、公益をですね、観点としてですね、やっぱりガバナンスを発揮するべき時期に来ているんではないかという気がします」と、医学部からの「出口」問題も議論すべきだと主張する。
続いて日本私立医科大学協会副会長の栗原敏委員が「医学教育はとにかく金がかかる」と私立医大学長らしい視点から問題提起し、だからこそ単にどんどん数を増やせばいいでは経済的にも大問題で、既存の医療資源を有効活用するという議論が必要だと、要するにこれまた片峰委員と同様に公益に基づいたガバナンスを発揮すべきだと言う見解を述べる。
何やら厚労省あたりの主催する検討会でこそ出てくるのがふさわしいような話なんですが、これらの委員に続いて指名された横浜市立大学医学部長の黒岩義之委員は、地域医療崩壊という現象に留意しつつもそれに引きずられ過ぎてはならないと言う論点から、むしろ将来の定員削減を見据えておくべきだというコメントを提示しているのは注目されます。

[黒岩義之委員(全国医学部長病院長会議会長、横浜市立大学医学部長)]
 全国医学部長病院長会議の黒岩でございます。この検討会におきます重要なテーマとして2つあると思います。
 1つは、地域の医療崩壊に対してどういう対策を立てられるかという問題。もう1つは、医学部の入学定員の適正数はどこら辺にあるかという、この2点かと思います。
(略)
 まず医師数の問題については、人口千人当たり2.1人でございますが、2008年以降の1221名の定員増によりまして、人口千人当たりの医師数は(人口減少が深刻化する)2032年には3人、2040年には3.4人、2050年には3.9人になると推定されております。

 現在のOECD加盟国の平均値3.1人を超える時代が来るであろうということ。これについては、慎重な検討が必要かと思います。
(略)
 今後も18歳人口が減少していきますので、いずれは18歳人口100人に1人が医学部に入学するということになりますので、学生の質の確保と言いますか、それが......。

 ▼ この検討会の趣旨に逆行する意見だからか、他の委員らは雑談している。

 先ほど、鈴木寛副大臣も言われましたように、WHOで世界最高水準と自負していい、そういう医療水準を持っているわけですが、国民の利益、安心、安全ということを考えますと、医師の数だけではなくて、質の確保ということが非常に重要であるということ。

▼ 医師も色々......、大学も色々あるわけで......。弁護士の増員をめぐる議論に似ている。

 そういうことで、今後、将来、現在の入学定員8846人をそのまま維持できるのか。場合によっては3000人以下に大幅に削減する必要があるような、そういう時代が来るかもしれないという観点に立って、総合的な視野に立って考えていくべきと思っております。

この後は産科看護研究そして製薬といった各業界から、それぞれの立場に基づいた「うちも困っているんだ!」という現場の声というものが続きますが、いずれも初回の顔見せ発言的な要素が強いものの、座長以下文科省の意図に沿って議論を主導したい側には好都合な意見の持ち主が多いということですよね。
そしてようやく順番の回ってきた日医の中川委員ですが、日本の医師不足は偏在の要素が大きいのであって、これを医師不足だからと定員を増やしすぎると早晩歯科のような定員割れの相次ぐ「悲劇的」な状況になると考えるならば、今井委員の言うような医学部新設論というものは「現時点においては到底あり得ないこと」だと言い切ってしまいます。

[中川俊男委員(日本医師会副会長)]
 第1回目ですので、各論の細かいことを申し上げるつもりはございません。今回、厚労省の資料の15ページ(病院等における必要医師数実態調査)にありますが......。 

 ▼ 同調査はこちらを参照。調査の概況によると、「必要求人医師数は18,288人であり、現員医師数と必要求人医師数の合計数は、現員医師数の1.11倍であった。また、調査時点において求人していないが、医療機関が必要と考えている必要非求人医師数を含めた必要医師数は24,033人であり、現員医師数と必要医師数の合計数は、現員医師数の1.14倍であった」としている。

 必要医師数の実態調査ですね。こちら、1.1~1.2倍という結果には、現場の感覚から言うと驚いたわけです。ところがですね、短期的な解消方針としては......。

 もちろん、(医師の)絶対数は十分ではありませんが、日本の医師不足の特徴として、偏在というものが一番大きいんだと思います。その解消策をどうするのかが、この検討会の1つの重要な論点だと思っております。(中略)

 「偏在をどう解消するか」ってことに知恵を絞るんだろうと思います。来年度から8923名という医学部定員で行けば、2020年、2025年には、例えばG7(先進7か国)の平均並みに到達するわけですね。

 その時、私、黒岩委員(全国医学部長病院長会議会長)が言ったことに賛同するのですが、将来的に医師数が過剰になった場合にですね、日本の医学部の定員数の調整でやっていくことだと思っているんです。

 あの、事務局に次回出していただきたいんですが、歯科の先生方、ひじょーーに苦労してます。もう簡単に言うと、誤解を恐れずに言うと、悲劇的っていうか、大問題になっています。

 これは定員割れの大学が続出しているわけですよね。そういうことも考えれば、今井委員(東大医科研究病院長)がおっしゃいましたけれども、医学部を新設するということはですね、現時点においては到底あり得ないこと。第1回目なので、あえて申し上げたいと思います。以上です。

これに続く京大病院長の中村孝志委員は、定員を増やさずに地域への定着率向上を目指している国立大を例に引きながら医学部新設論を暗に否定する、名古屋大学総長の濱口道成委員は医者の数というものは簡単に調節がきくものではない、質のコントロールもなしに青天井で増やしたのでは粗製濫造になると、いずれも中川委員とは慎重に距離を置きながらもどちらかと言えば反対論に近い主張を展開しています。
こうしてやや流れに逆らうような意見が散見されるようになった中で登場するのが矢崎義雄委員ですが、副大臣の発言を引用しつつ「幅広い分野で活動する医師の育成も非常に大きな課題」であり、そのことを踏まえて「モデル事業として新しい構想の医学部創設も、その対策の1つになる」と、何やら強引にも聞こえる論法を提示してくるというのはやはり「取り込まれている」ということなのでしょうか?(苦笑)

[矢崎義雄委員(独立行政法人国立病院機構理事長)]
 医師数と共にですね、最初に副大臣がおっしゃられたように、やはり幅広い分野で活動する医師の育成も非常に大きな課題ではないかと思います。

 専門領域において活躍されることも欠かせませんが、地域医療の建て直しや医学研究への貢献、あるいは製薬などの医療産業や、我が国にとどまらずに国際的に活躍する医師の育成が求められている

 現在、文科省の医学教育のコアカリキュラムでも、総合的診療能力の習得、地域医療への使命感の向上、基礎と臨床の有機的連携による研究マインドの醸成となっています。

 しかし今、アウトカムベースドの評価になりますと、必ずしもそれが実感されていないことが指摘されています。それはやはりスタッフのサポートが乏しいということが大きな原因ではないかと思います。

 私としてはですね、このような視点から、1つ提案したいと思います。

モデル事業として新しい構想の医学部創設も、その対策の1つになるのではないかということです。その内容につきましては、私なりの考えもありますけれども、慎重に検討すべきではないかと思います。

 そして人材育成のアウトカムを比較しますと、自ずから医学教育の抜本的な改革への大きな推進力になるのではないかと期待されていますので、その方面からの検討もぜひお願いしたいと思います。

最後に登場するのが元・日本病院会長という肩書きを持つ山本修三委員ですけれども、「医師が足りない」とはすなわち病院、特に急性期の病院で働く医師が足りないということに他ならないという観点から、地域や診療科での医師偏在問題は単に数を増やすということでは対応出来ないはずだと指摘し、「医療の資源の適正配置という仕組み」を考えるべきだと主張しています。
このあたりになるともう文科省というよりは厚労省あるいは総務省あたりの問題になってくる気がしますけれども、いずれにしてもこうして全体の流れを見ていきますとごく現場に近い立場の人間からは「うちはまだまだ医者が足りない。早く何とかしてくれ」という素朴な声が上がっている一方、日医を筆頭に医師数大幅増に警戒している向きは総じて医師の偏在を公権力によって是正すべきだとも併せて主張しているように見えます。
そしてもう一派として医師数を増やすのは国策であり、単に現場の医師不足解消という狭い視点からのみ不足だ、充足だと語るのは間違っていると言い切る一派が存在していて、主催する文科省を始め検討会を主導する立場の方々はそろってこちらに与しているらしいことが見えてきますよね。

厚労省は厚労省で医師偏在を是正する方策を検討しているところなのでしょうが、今回の流れを見る限りでは特に厚労省側での話の流れと(委員個々の重複などは別とすれば)リンクしているような気配は見えない、となれば文科省は独自の思惑から医学部新設も含めて定員を更に大きく拡大し、しかもそれを国策として現場の状況とは無関係に続けるつもりであるらしいということになりそうです。
仮に近い将来にでも厚労省側が日医などの言うように、医師配置の是正によって臨床現場の医師不足問題を解消し得た場合であっても、後から後から文科省お墨付きの新卒医者はやってくるとなれば、どうしたって臨床の現場からあふれた医者が関連分野に流出するなり新たなビジネスを開拓するなりせざるを得ないのは明らかですし、まさに文科省としてはそういう未来絵図を描いているらしいわけですよね。
そうなりますと日医の言う定員大幅増で先行する歯科で起こっているような「ひじょーーに苦労」している状況、あるいはロースクール乱立でわずか三年で弁護士の年収が6割減なんて状況は、単に行き過ぎた専門職増員政策の勇み足だったと考えられていますけれども、どうやら医者の世界で今後起こることは意図して行われることらしいと言うわけですから、今まで以上に徹底した結果が期待出来るということなのでしょう。

何やら非常に面白いことになりそうだなという予感はあるわけですが、今後は医療行政は自分の仕事と考えている厚労省あたりがこの文科省の方針に対してどういうスタンスで接するつもりなのか、そのあたりにも注目しながら経過を見ていきたいと思います。

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2010年12月27日 (月)

南の島の公立病院も結構すごい

先日出ていた記事ですけれども、本日まずはこちらから紹介させて頂きましょう。

公立病院の独法化広がる 高まる自由度、課題は医師確保(2010年12月24日朝日新聞)

7割が赤字とされる全国の公立病院で「地方独立行政法人」に移行する動きが広がっている。患者増を狙って医師や看護師らを積極的に採用して成功した病院がある一方、慢性的な医師、看護師不足のあおりを受け、つまずく病院も出ている。

 「何かお困りですか?」

 大阪市住吉区の府立急性期・総合医療センターで、紺の制服姿の女性が入院手続きに来た車いすの高齢者に声をかけた。9月から導入された「ホスピタルコンシェルジュ」で、ホテルの接客係のように来院者の案内や受付機械の操作などを手伝う。

 同センターを含む府立5病院は、約66億円の不良債務を5年以内に解消することを条件に地方独立行政法人への移行が認可され、2006年4月に府立病院機構となった。4年目の09年度決算で債務を2.5億円まで圧縮。期間内での目標達成はほぼ確実だ。

 独法化のメリットは人の配置や予算のつけ方で自由度が高まる点だ。同機構では事務職員を100人減らして、府よりも給与体系の低い機構採用の職員に切り替える一方、独法化前には定員の枠があって不可能だった医療スタッフの増員に着手。診療科ごとの評価をボーナスに反映させるなどの待遇改善を図り、5年間で医師36人、看護師208人を増やし、その結果、患者も約7千人増となった。

 総務省によると、08年度で全国936ある公立病院のうち7割が赤字で、負債総額は1845億円に上る。救急医療を抱えるなど高コスト体質も原因とされるが、同省は自治体に対し、経営の効率化を求める一方、病院の統合・再編や経営形態の見直しを求めている。選択肢の一つが地方独法で、今年4月には全国で21病院が移行し、現在42病院に広がる。

 しかし、独法化すれば必ず成果が出るとは限らない。05年4月に日本で初めて地方独法化した長崎県佐世保市の北松中央病院(旧江迎町)では医師不足が足を引っ張る。今春、外科医2人が派遣元の大学病院に戻り、常勤医が9人に減った。現在は5階建て病棟の4階部分を閉鎖。入院患者数はこの5年で約1万人減ったという。

 府内では昨年、赤字が続く府南部の公立3病院(泉佐野、貝塚、阪南市)と府立泉州救命救急センターの経営統合による独法化が頓挫した。あてにしていた国の特例交付金が予算見直しで大幅減額され、協議がストップ。07年に内科医が一斉退職した阪南市立病院は特に影響が大きく、市は単独で来年度から指定管理者に運営を委ねる「公設民営」の導入を進める

 地域医療に詳しい城西大の伊関友伸(ともとし)准教授は「独法化で経営の自由度が高まれば、収益改善につながる可能性は高い。ただ、無理な形で導入すれば医師や看護師がやる気を失い、大量退職につながる危険性もある」と指摘する。(石木歩)

独法化がどの程度収益改善につながるのかは単に独法化という行為自体の問題ではなく、その結果何をどう改善するのかという部分によるところが大きいはずですが、とりあえず上層部がやる気がある病院にとっては運用上の自由度が増すというのは何かと良い局面は多そうですよね。
また公務員体質そのものの公立病院一般事務職なんてものが淘汰され外注になっただとか、ふんぞり返っていたコメディカルがきちんと動くようになったなんて話も聞かれるところで、それまでが酷かった公立病院ほどこの独法化による改善の余地も大きいということは言えそうに思えます。
もちろん記事にもあるように独法化したところで何もよくならなかったという場合もままあるわけですが、とりあえず全国的な傾向として公立病院独法化ということが一つのブームとなっているという現状を把握した上で、こちらは南の沖縄県八重山から以前にも一度紹介させて頂いた一年前の記事をもう一度紹介させて頂きます。

医師5人が時間外勤務拒否 県立八重山病院(2009年3月11日八重山毎日新聞)

2月分以降手当支給停止で
なお拡大すれば 医療サービスに影響

 県立八重山病院で2月分以降の時間外勤務手当の支給が停止され、数人の医師が当直を含めた時間外勤務を拒否していることが10日、関係者の話で分かった。これまで不払い分は次年度の4月に遅配という形で支給されてきたが、今回は県病院事業局が予算措置しないと通知してきたため。関係者によると、すでに時間外勤務を拒否している医師は5人。拒否者が増えると残った医師に負担がかかり、過重労働によって「優しい気持ちで仕事ができなくなるのではないか」との懸念も出始めている。住民への医療サービスが低下するおそれもあるだけに、一刻も早い解決が求められそうだ。

 時間外手当は午後5時15分から翌午前8時半までの時間外と土日の勤務に支給される手当。事業局によると、これまでは病院経営の厳しさから、時間外手当は繰り延べされ、次年度予算で支払いをしてきたのが慣例。関係者によると、八重山病院の場合は10月以降の分が翌年度に支給されてきた。
 事業局によると、2008年度はこれまでと違い、時間外手当などの経費を含めた予算編成を行い、通年予算として各病院に執行させたという。八重山病院では今年2月から時間外手当の執行額が当初予算額を超過、3月4日付で事業局と調整を終えるまで時間外手当を停止すると職員に通知した。
 形式上は院長の命令で時間外勤務をしているが、手当がないということは業務命令ではないとして医師の間では「ボランティアで仕事をしていることになる」との批判が出ている。
 事業局は「08年度は時間外勤務手当などを含めて予算措置したが、なお足りないというのであれば、特殊な要因があるかないか精査し、病院側と調整した上で検討していく」としている。

公立と言えば親方日の丸という言葉があるくらいに、赤字だろうが何だろうが取りあえず給料は出るということが良くも悪くも特徴のようなところがありましたが、こちら八重山病院では県当局が予算も付けないと言ってきたわけですから、それは県の意志として医者に無駄な餌は与えない方針であるという解釈になるのでしょうかね?
実のところ先日も紹介しましたようにこの沖縄という土地では、県立病院の医者のボーナスはもっと減らそうだとか、保健所で働く医者には医師手当を廃止しようだとかなかなか香ばしい話題が近年相次いでいるという状況なのですが、それ自体は県の方針であるわけですから粛々と遂行して頂くしかなかろうという話ですよね。
実はこの八重山病院にしても前述のような流れに沿って独法化してはどうかという話が出ているのですが、これに反対する八重山毎日新聞曰く「独法化で八重山の医療が良くなるとの「絶対安心の担保」が県から示されない限り八重山郡民は断固反対を貫き、独法化を決して許してはならない」と言うことで、当面は県立病院のままで存続するという状況になっているようです。
さて、そういう八方ふさがりの県立八重山病院においてこういう話が出てくるのをどう解釈するべきなのかですが、まずは記事から紹介させて頂きましょう。

待遇改善など指摘も 中山市長ら八重山病院医師確保を要請(2010年12月25日八重山毎日新聞)

 【那覇】中山義隆石垣市長と松本廣嗣八重山病院長は24日、県病院事業局を訪ね、伊江朝次局長に八重山病院の医師確保協力を要請した。また琉球大学や中部病院、南部病院へも医師派遣を依頼したが、人材確保のための勤務体制、待遇改善などの課題も指摘された。

 八重山病院は来年3月、内科医9人のうち8人が退職することになっており、医療体制の縮小が懸念されている。このため県病院事業局は、県立病院の人事ローテーションで人員を確保することにしているが、同数の人員を確保できるかは分からないという。

 中山市長らの要請に伊江局長は、「できるだけ協力をしていく」としたうえで、「人材確保のためには待遇改善などを含め、地域や県で互いに知恵をしぼっていかなければならない」と理解を求めた
 中山市長は「地域医療を守るためにも、行政としてサポートできる体制を作りたい」と説明、松本院長は「研修を多く受け入れ、八重山病院の良さを研修医から各病院のスタッフへ伝え、医師の派遣受け入れにつなげたい」と話した。

県の方針として医者にはアメをしゃぶらせるつもりなど更々ない、そして県立病院であることを止めて独法化するという動きも事実上阻止されているわけですから、それは勤務する医者にしても「それじゃ勝手にさせていただきます」という結論になるのも当然なのですが、そうなりますと今後は内科医9人中8人と言わず全科全医師一斉退職という第二の舞鶴化の期待も高まろうと言うものですよね。
むしろこうまでされて来年三月まで医者が残るつもりであるということに驚きますけれども、残る内科医一人(これは松本院長その人ということなのでしょうか?)では当然ながら今に数倍する過重労働を強いられることは確定的でしょうから、いずれにしても診療体制は激変を強いられざるを得ないというのも、八重山毎日新聞の言うような今以上良くなる担保などというあり得ないものを求めすぎたが故の帰結というものなのでしょうか?
しかしこの状況で「研修を多く受け入れ、八重山病院の良さを研修医から各病院のスタッフへ伝え、医師の派遣受け入れにつなげたい」と言う院長の認識もどうなのかですが、恐らくこういう状況になると各病院スタッフに伝わるのは別な種類の情報になることは確実でしょうから、今後も状況がおいそれと改善することだけはなさそうに思われます。

さて、こういう当然きわまる状況を生み出したのが何であるのか、誰がその行為の主体であるのかと言うことに興味が湧くところですが、前述の記事では医師時間外手当の予算措置をしないと通達してきた県の病院事業局が、『「人材確保のためには待遇改善などを含め、地域や県で互いに知恵をしぼっていかなければならない」と理解を求めた』という表現になっていることが気になります。
普通に考えるならば県病院事務局の医者いじめがそもそもの大きな原因の一つであると思われますから、その局長としては人材確保のために県立病院医師の待遇改善などを「検討する」というのであればまだ判るのですが、何とかしてくれと要求している現地の人間に「理解を求めた」と言うからには当然ながらその前段階として「いやそれは無理ですから」という発言があっただろうことは想像出来ますよね。
となると、八重山の医療体制の改善を阻害している最大要因とは他ならぬ県立病院の地位に留まり続けていることであるとも受け取れるのですが、こうした現状を踏まえた上でなお八重山毎日新聞が独法化反対の立場を続けるというのであるなら、それに代わる対案を示す必要はあるでしょう。

沖縄の場合は以前にも「群星沖縄」という多病院間の研修システムを紹介しましたように、新臨床研修制度導入以来むしろ研修医の希望が増えているという下地があるわけですから、増悪因子をきちんと除外していけば案外うまく回るようになるんじゃないかという期待感はあります。
もちろん地理的には僻地と呼ばれる地域であるのは間違いないですから、単純に完全自立経営でやれでは難しいところもあるのでしょうが、少なくとも県当局がこういう態度を続けるというのであれば独法化であれ公設民営であれ今より悪くはならなさそうに思えますし、無理に県立病院の地位にしがみつくことが得策とも思えないものがありますよね。
地元自治体の中山市長にしても「地域医療を守るためにも、行政としてサポートできる体制を作りたい」と言っているわけですから、市独自の支援の元に現場の理解を得られるような経営体制を模索していくという道もあるのではないかと思うし、現体制のまま何をどうしたところで一度貼られた世間のレッテルはそうそう綺麗に剥がせるものでもないだろうという気がします。

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2010年12月26日 (日)

今日のぐり:「大蔵屋」

先日中国から発信されたさいには、恐らく世界中の人間が「いやいやそれはない絶対ない」と突っ込んだであろうニュースがこちらです。

「62年間ウソの報道はない」 人民日報幹部の発言に国民騒然(2010年12月18日大紀元)

 【大紀元日本12月18日】今年9月、人民日報社の副秘書長に昇進し、検索エンジン「人民捜索」の総裁にも就任した元女子卓球中国代表・鄧亜萍(トウ・アヒョウ)氏は8日、北京郵電大学が開催した宣伝イベントの会場で、「人民日報は創刊して62年間、一度もウソの報道をしたことがない」と発言し、会場を騒然とさせた。この発言は、瞬く間にインターネット上に広がり、批判や揶揄の的となっている。

 今回の同氏の発言について、人民日報ウェブ版「人民ネット」の関連報道の中では言及されなかったが、北京の大学が運営する多くのフォーラムに転載され、香港のメディアも報道した。また、アジア自由ラジオ(RFA)の報道によると、鄧氏は当時会場にいた学生から「人民捜索は共産党のために検索するのか、それとも人民のために検索するのか」という質問を受けたが、慌てて話題を換えて、質問には回答しなかったという。

 北京在住のジャーナリスト・凌滄洲氏は、鄧氏の今回の発言について、「客観的な事実を無視し、事実無根な話をしている」とRFAにコメントした。その具体例として凌氏は、「大躍進時代に人民日報がでっち上げた穀物生産量の報道や、文化大革命のときに人民日報が掲載した※陳伯達氏の『全ての牛鬼蛇神(粛清対象を魔物化した罵語)を一掃する』と題する社説は真っ赤なウソではなかったのか」と、鄧氏に問いかけた。

 鄧氏は、昨年4月に中国共産党の下部組織である共産主義青年団の北京市委員会副書記に就いて以来、世間を騒がす発言が相次いでいた。

 今回の発言の少し前にも、清華大学で行われたイベントで、「官界で昇進し、立身出世するための秘訣は何ですか」という来場者からの問いに対し、「個人がもつ価値が国家の利益に符合した時に、その個人の価値は無限に広がります。私がその良い例です」と答えたことがメディアに報じられ、ネット上でも波紋を広げていた。

 バルセロナ五輪・アトランタ五輪を通じて4個の金メダルを獲得した国家的アスリートから政界や実業界の要人に転身した鄧亜萍氏。当局の機嫌を取るつもりの発言が、国民の嘲笑を買う結果となったようだ。 

 ※陳伯達

 中国共産党中央委員会の機関紙「紅旗」の編集主幹(当時)。

在米華僑系のメディアである大紀元だからこそ突っ込みが入っているわけですが、彼の地においてはこういう話題もカレーにスルーされていたであろうことは想像に難くないところでしょうね。
昨今ではブリと並ぶ世界のネタソースとしてとみに評価の高まっているこの中国という国ですけれども、本日はかの国に敬意を表してこちらの素晴らしい国家的成果から紹介してみましょう。

中国の農産物「96%以上は安全」 農業省がアピール (2010年12月8日日本経済新聞)

 【北京=進藤英樹】中国農業省の陳萌山報道官は8日開いた記者会見で、「野菜、畜産品、水産物など主要な農産物の検査・測定の合格率は96%以上を維持している」と述べた。中国では、今年も廃油を再利用した食用油など「食の安全」への不安が問題となっているが、農産物の品質の安全は信頼できるレベルであるとアピールした。

 陳報道官によると、安全性が確保できている要因として「監視・管理を強化してきた」と指摘。昨年6月に施行した、食品の生産・流通の監督システムと違反者の罰則を強化した食品安全法などが奏功していると見られる。

96%は大丈夫というお墨付きの信頼性はともかくとして、中華料理の野菜炒め一つにもいったい何種類の農産物が使われているかを考えると、一回の食事当たりの当たりを引く確率というものを考えただけでも相当なものになりそうなんですが、あまりそういうことに突っ込んではいけないというのもお約束ということなんですかね?
食品と言えば農産物のみならず偽卵だの下水道油だのとあり得ないものが流通しているというのも中国の食糧事情の一端を示すものでしょうが、最近ではさらに想像を絶する境地にまで達してきているようなのですね。

髪の毛から醤油、工業用氷酢酸から酢を製造、暴露で波紋=中国(2010年12月20日サーチナ)

  山東省青島市で調味料製造業を営(いとな)む男性がこのほど、「小規模の工場ではコストを抑えるため髪の毛から醤油(しょうゆ)を製造している」ことを暴露、波紋が広がっている。中国新聞社が報じた。

  同市莱西にある製造工場の労働者も「醤油は発酵させて作るが、小規模の工場では発酵過程を行わず、髪の毛から抽出した動物性アミノ酸を加えて醤油を作っている」とコメント、「醤油製造用に髪の毛を回収している村もある」と述べた。

  労働者によれば、「以前働いていた河北省のある工場では、カラメル色の水に塩やアミノ酸、汚い水を入れて醤油を作っていた。アミノ酸を生産する場所には髪の毛や動物の毛がたくさん保管されており、恐ろしくて気持ちが悪かった」と述べた。

  また、「酢酸(さくさん)にカラメル色の水を加えると酢ができた。村には醤油製造工場がたくさんあったが、村人たちは村の醤油製造工場で作られた醤油や酢は絶対使わずに、有名な会社の調味料を買っていた」と述べた。

  また、別の労働者は「小さな工場では氷酢酸に、水を加えて、酢を作っている。まともな工場では食用氷酢酸を使っているが、悪徳業者の工場では工業用氷酢酸を使用している」と暴露。工業用氷酢酸は不純物や発がん性物質を大量に含んでいるため、中国は食用としての使用を禁止している。(編集担当:畠山栄)

ものすごく素朴な疑問として髪の毛の方が一般的な醤油原料よりもコストが安いものなのだろうかとも思うのですが、こういうものもうっかりすると「無化調天然素材」なんて売り文句でそこらで売られていたりするものなんでしょうかね?
建築方面においても地震でもないのに何故か唐突に建物が崩れ落ちたりと不思議な現象が続発するのが中国の特徴ですが、どうも冗談ではなく「仕様です」であったらしいということが判るのがこちらの記事です。

中国の建築は短命すぎ!耐用100年のはずが20年もたない例、続発―中国紙(2010年11月1日レコードチャイナ)

2010年11月1日、人民網によると、中国で「短命」な建築物によって莫大な資源が浪費されている。

記事によると、06年10月に、山東省青島市のシンボルホテルだった築年数20年の青島大酒店が爆破・解体された。その後も次々と築10数年のビルが爆破され、今年5月には北京市最中心部・建国門に位置する築20年の凱莱大酒店の解体が発表されたばかりだ。

なぜこれほど「短命」なのか。都市のシンボル的建築物だけでなく、数え切れないほどのマンションなどが、さまざまな理由によって解体されているという。住宅・都市建設部の仇保興(チウ・バオシン)副部長によると、中国で毎年新たに着工する建築面積は20億平方メートルに及ぶが、その平均寿命は 25~30年しかないという。しかし中国の「民用建築設計通則」では重要な建築物あるいは高層建築物の耐用年数は100年、一般建築物の場合は 50~100年と定められている。

建設と解体を繰り返す中国は、2つの「世界一」を手に入れた。世界一のコンクリートと鋼材の消費国、そして世界一の建設廃棄物の産出国という肩書きだ。建設廃棄物は年間4億トンにもなるという。その背景には、悪質なコンクリートの多用など品質的問題と、地方政府が土地売却益を得るために安易に再開発許可を出すなどの問題が横たわっている。

建築物があまりにも短命だと、人々のなかに「町の記憶」がほとんど残らないなどの弊害も大きい、と同記事は指摘している。(翻訳・編集/津野尾)

国として建築しては解体し、また作り直すという無限サイクルを構築しているということであれば建築業界は大もうけなのかも知れませんが、果たしてこれからの時代もこの調子で続けていってよいものなのかと人ごとながら不安になってくるような話ではありますね。
かくて上からビルが崩れてくる脅威ばかりに気を取られていると、今度は思いがけず足下をすくわれかねないというのがこちらのニュースなのですが、これは状況を想像するとかなり怖い話ではないでしょうか。

地中から鉄パイプ飛び出し、地上の自動車を突き刺す=中国(2010年12月8日サーチナ)

  雲南省昆明市西山区の路上で8日昼、地中から突然鉄パイプが飛び出し、自動車を突き刺した。鉄パイプは地面から大人の身長程度の高さにまで伸び、自動車の右・前側のドアを貫通した。中国新聞社が報じた。

  自動車は、たまたま現場を通りかかったという。中国では自動車が右側通行であるため、前部右側座席が助手席だ。鉄パイプに貫かれた自動車の助手席に座っていた女性は「(鉄パイプは)私の体のすぐ近くを貫いていった。少しずれたら、私が突き刺されていた」と述べた。

  近くではビルの建設工事が進められていた。地中からパイプが出現した原因は、いまのところ不明という。(編集担当:如月隼人)

この場合には地面から唐突に鉄パイプが出現したことに驚くべきなのか、それとも出てきたのが鉄パイプであって竹ではなかったことに驚くべきなのか微妙なんですが、串刺しになった車の写真を見てみるとこれでよく人身事故にならなかったなと驚くような状況ですよね。
先日はまたこのノリかと人々をうんざりさせたのがこちらのニュースですが、まずは記事から紹介してみましょう。

中国にニセ実物大ガンダム立つ? 独特なオレンジ色も造形はそっくり。(2010年12月10日ナリナリドットコム)

これまで中国のテーマパークでは、ディズニーや日本のアニメキャラクターの無断使用がたびたび発覚しては問題となってきたが、最近「四川省のテーマパークで“実物大ガンダム”が建造されている」との中国発の情報が流れ、中国の掲示板サイト「百度貼子」や「玩家網」、日本のブログ「『日中文化交流』と書いてオタ活動と読む」や「今日もやられやく」などで話題を呼んでいる。

実物大ガンダムは昨夏東京・お台場の潮風公園での展示を経て、現在は静岡市のイベントに出展中。特にお台場での展示では400万人以上の人々が訪れ、ファンはもちろん、普段あまりガンダムに興味のない人も関心を寄せ、大きな注目を浴びたのは記憶に新しい。

その実物大ガンダムが、四川省のテーマパークでも建造されているという。現時点では情報が少ないためハッキリとしたことはよくわからない状況だが、このガンダムは本物とはまったく異なるオレンジ色で、大きさは日本のものよりも少し小さいようだ。しかしながら、その造形はガンダムと瓜二つであり、実物大ガンダムの「山塞」(=ニセモノ)であることは間違いない。

中国ではこの写真がネットにアップロードされるや否や、多くのガンダムファンと思われる人からの書き込みが相次いでいる。その意見はさまざまだが、中国人から見てもやはり何かがおかしいと感じている人が多いようだ。

ちなみに、中国産の実物大ガンダムの写真の右下には、小さくテーマパークの名前が記されており、そこには「国色天香楽園」とある。公式サイトによると、同テーマパークは四川省成都市温江区にある施設で、園内は「ビール王国」や「桜の都」など9つのテーマランドで構成。中には「日本館」「アメリカ館」のように、各国をテーマにした施設もあるようだ。なお、同テーマパークに写真の実物大ガンダムについて問い合わせをしているが、今のところまだ返事はもらえていない。

いずれにせよ、現在はブログや掲示板での情報が中心で、中国産の実物大ガンダムの詳細は不明。四川省に関する新聞報道を集めたポータルサイトでも関連情報は見当たらないため、今後新しい情報が入ることに期待したい。

どの程度のパチモノなのかは記事の写真を参照頂くとして、ちなみに続報によればこのチャイナガンダム、「当初イメージしていたものと違う仕上がりになったため」として突然布で覆われて「修理中」となり、さらにその後何故か突然撤去された挙げ句に「巨大立像? そんなの知らない」と言い張っているということなのですが、何なんでしょうねえ…
最後に控えますのは最近日本や韓国領海でも盛んに取り締まりを受けている中国漁船団の話題なんですが、正直「その手があったか!」と目から鱗のような話です。

違法操業の中国漁船団、合体して取り締まりに対抗(2010年12月23日AFP)

韓国沖の黄海(Yellow Sea)で21日、違法操業中に韓国海洋警察庁による取り締まりを受けた中国漁船12隻が、船体を互いにロープで縛ってひとかたまりの大船団を作り上げ、逃走を図った。黄海の韓国の排他的経済水域(EEZ)では中国漁船による密漁が常態化しており、海洋警察庁によると過去1年に332隻を拿捕したという(2010年12月21日撮影)。

文章だけではいったい何が起こっているのかが判りにくいので、これは是非とも唖然とすべき元記事の写真をご参照頂きたいと思いますけれども、まさかこんなところで漁船のめざしが見られるとは誰も思っていなかったでしょうね。
一応こういう状況になりますとうかつに海保などが乗り込むと数を頼りに袋だたきにされかねないわけで、これはこれで厄介なことを考えたものだとは思いますけれども、あるいは連環の計には火計で突っ込めと体を張ってのボケを演じているということなのでしょうか?

今日のぐり:「大蔵屋」

所用で広島県府中市を訪問しました折に、「府中焼きというものを是非食べて行ってください」と地元の方にすすめられ、お邪魔させていただいたのがこちらのお店なんですが、裏通りも良いところにある目立たない小さなお店で、これは知っていないと立ち寄れないですよね。
メニューを見ますとごく普通の広島焼きのお店なのかとも思えますけれども、カレイの煮付けだの本日の焼き物だの飲み屋っぽい単品メニューも結構並んでいる一方で、レギュラーメニューはお好み焼きに焼きそば、そしてそばめしとごくシンプルなものになっているようです。
また見ていますとむしろ持ち帰りのお客の方が多いらしく、店構えに相応してさほど大きくはない鉄板は常時フル回転状態と、こんな場所にあって実は以外に人気店なのか?とも思えるような状況ですが、客層自体も子供連れや若い人から年配の方まで実に多彩な様子で、こういう地域で愛されているお店というのは期待が出来そうですね。

ここはごくベーシックにそば肉玉シングルで、サイズもいろいろある中で普通のサイズを頼んでみましたが、モダンにしてはずいぶんと割安感を感じる価格設定もさることながら、こういう店でダブルは珍しくないんですが小さいサイズも選べるのは意外にいい工夫かも知れませんね。
さてその府中焼きと言うものの正体や如何にということなんですが、そばを鉄板で焼かずにキャベツの上にそのまま載せて、その上から薄切り肉などの代わりに挽肉を散らすというスタイルがこちらの特徴のようですが、なんでも肉の脂で麺がカリカリになるのが府中焼きの売りなんだそうです。
ただこちらのお店の場合は挽肉と言うよりも細かく刻んだ薄切り肉という感じで、これが果たしてデフォルトのものであるのか、あるいはこちらのお店独自の解釈であるのかはどうなんでしょうね?
ちなみに見ていますとそばめしは先に飯を卵と混ぜてからそばにあわせるという独特の作り方をしているようなんですが、見ていますとこれもうまそうで一度試してみたくなるものでした。

お好み焼きの方に使われているこのわずかにスパイシーながら基本甘口のソースは、広島風では主流派のおたふくソースとはちょっと違うなと思っていましたが、なんでも府中ではカープソースを使うのが基本なんだそうで、あまり食べたことはなかったのですがこれはこれで悪くないですよね。
全体的には正直何も言われずに食べているとさほど劇的な広島風との違いがあるのか微妙なところなんですが、存在感を主張する肉の食感を取るか渾然一体となった濃厚な味を取るのかと難しく考えずとも、これはこれでうまいんじゃないかというくらいの結論で良さそうに思います。
またテーブル席のお客には洋食屋っぽい鉄皿を焼いて出すと言うのは非常にいい工夫だと思いましたが、先のサイズが色々と選べる工夫といい、顧客層の間口が広いというのもこういう地道な工夫がその理由の一端になっているのかも知れません。

そうしたわけで家族経営らしい小さな店構えの割に随所に工夫の凝らされた経営スタイルには好感が持てるものですし、お好み焼き屋としては広島界隈の基準で考えてもごく普通にうまいと思うんですが、肝腎の?府中焼きなるものの正体と言うことになると同行者も「どこが違うのか判らなかった」という意見が多かったというのはちょっと拍子抜けでした。
こちらの場合ネットの情報で見る限りでは典型的な府中焼きとも少しばかり違うスタイルであるらしいので、このあたりはまた別なお店ででも比較してみないことには何とも言えないという結論になりそうですが、少なくともこれはこれでいいんじゃないかと感じさせる流儀ではありそうですよね。
しかし紹介してくれた方には失礼ながら味には正直あまり期待せずに入ったのですが、こんな裏通りの小さなお店でもこの水準のものが当たり前に出てくるというのが、お好み焼きという庶民料理の侮りがたさということなんでしょうね。

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2010年12月25日 (土)

既存メディアは這いつくばってでも前へと進まなければならない

当の本人は真剣に書いているのでしょうが、端から見ていて失礼ながら思わず笑ってしまう話というのも結構ありますよね。
先日は毎日新聞の秋山信一記者が紙面で憤慨していると一部方面でちょっとした話題になっていましたけれども、延々と続くスレのどこを見てもただの一人として「その通り!お前が正しい」と賛同する声が聞こえてこなかったのが印象的でしたね。

にじ:私は泥棒? /愛知(2010年12月16日毎日新聞)

 今月のある夜、取材先を訪ねた。集合住宅の入り口で住民らしき男性とすれ違う。チャイムを鳴らしたが取材先は不在。出てくると男性が待っていた。

 「お前何だ」「新聞記者です」「本当は泥棒だろ」。泥棒呼ばわりされたのは人生で初めてだ。しかも「身分証を見せろ」ときた。

 男性は「警察官」だというが、ラフな格好で息は酒臭い。簡単に応じるのは嫌だと思い「お互い、身分証を見せましょう」と言った。すると今度は「お前が先に見せろ」と怒鳴る。周辺住民が心配そうにベランダから見ている。男性に軽く腕を小突かれたため、私は110番した。

 30分後。私の身分証を確認した警察官は「最初から見せればすむ話でしょ」と一言。男性の自宅に行った別の警察官に男性の身元を聞いたが、「個人情報」とにべもなかった。警察官が男性にも同じことを言ったとすれば、結局、何の解決にもならなかった

 私も、男性も、警察官も、個人情報に過敏だったのではないか。「無駄な時間だった」。その思いもまた3者に共通していたと思う。【秋山信一】

しかし記事を見てみますとアポイントメントもなしで夜に他人宅を訪れたということなんでしょうか、酔った住民ならずともどう見てもこれは不審者というしかない存在ですけれども、こうして取材のついでに自作自演ででも事件をでっち上げておけば、コラムのネタも用意出来て一粒の取材で二度おいしいというものなのでしょうね。
こうして見ると毎日新聞という会社の日々の取材のやり方というものがよく判る話ではありますが、一番痛いのは当の本人がそうした自分達の方法論に何らの疑問も感じることはなく、これは社会的にも共感される話に違いない、そうだ今度のコラムのネタにしようとこうして記事にまでしてしまう、そして会社もそれを特に何とも言わずに掲載の許可を与えてしまうということではないかと思います。
ただ毎日新聞社の名誉のためにも一言申し上げておきますと、別に毎日の記者だけが特別モラルが低いとか言うわけでも何でもなくて、ごく当たり前のマスコミの平均値であるに過ぎないらしいというあたりに問題の深刻さが現れていると思いますね。

マスコミ業界と言えばよってたかって他業界をバッシングして一儲けするという経営モデルを確立している業界でもありますが、こうした経営が成り立つというのも彼らが長年情報発信媒体としての地位を独占してきたという背景があるわけですよね。
ところが近年ではネットを始めとしてマスコミに対抗し得るだけの情報発信力を持つメディアが台頭してきているわけですが、試しに今までのマスコミ流のやり方をマスコミ自身に対して行ってみると大きな話題性を発揮しやすいということが知られるようになり、それがまた新興メディアの表看板の一つにもなり成長を支えてきたという経緯があります。
こうしてひとたび確固たる対抗軸が形成されてしまうと、当「ぐり研」でもご登場頂いた上杉隆氏佐々木俊尚氏と言った業界の現状に危機感を持つ方々もそちらに軸足を移すようになるのは当然で、今やマスコミ批判こそ最も旬の話題と言っても過言ではないかも知れません。

既存マスコミの営業目的の無責任なバッシングと違って、こうした方々の背景にあるのはこんなことではマスコミの存在意義がないという深刻な危機感ではないかと思いますけれども、それを単に「我々に対して攻撃的なネットメディアはケシカラン!なんとしても潰してしまわなければ!」と捉えているだけではいつまでも正道への回帰は適わない理屈ですよね。
先日はこういう記事が出ていまして、なるほど今の時代は「マスコミが言うなら嘘と思っておけば間違いない」というくらいになっているんだなと改めて感じると同時に、果たしてメディアとしてそれで良いのかと不安になってくる話でもあります。

日本のメディアは腐っている(2010年12月10日JB PRESS)

マット安川 偏向報道、世論誘導など、メディアに疑問を持つ方が、ますます増えてきていると思います。

 そんな中、西村さんは「MPJ(メディア・パトロール・ジャパン)」という明解な組織を立ち上げ、厳しく分かりやすい視点で日本の立て直しを図っておられます。今回も、国民みんなが首を傾げるこの国の病巣を、細かく指摘・分析していただきました。

マスメディアの情報を鵜呑みにしてはいけない

西村 今回の尖閣問題で、マスメディアの情報は鵜呑みにできないことに気づいた人が多いと思います。なぜ政府はあのビデオ映像を隠そうとしていたのか、あれが機密情報なのかと。冗談みたいな話です。

 2001年の北朝鮮工作船事件では、海上保安庁は銃撃戦の様子まで記録していて、いまでも見ることができます。オープンにされている情報なわけです。あれと比べても、隠す理由などありません。

 また尖閣問題では、反中国デモが東京や横浜、大阪、神戸、名古屋など全国で行われました。

 ところが、全国規模で日本人が行動を起こしているということを、一般のメディアが伝えない。報道したのはごく一部のメディアだけです。

 一方で、中国での反日デモは伝える。普通に考えてこの状況はおかしいと思います。結局、日本のメディアは誰が支配しているのかということですね。

 この問題で1つ疑問があるのは、海上保安庁の職員がユーチューブに投稿する前にCNNにSDカードを送ったという証言が後から出てきていることです。

 ところが、CNNは誰から送られてきたものか分からないから、それを捨てたと言っている。

 けれども、実はこういう指摘があります。テレビ朝日が報道で使ったユーチューブの画像が、ほかの局と違い画質がすごく良いというのです。

 そのためネット上では、CNNが捨てたという素材を使ったのではないかという憶測がささやかれているわけです。CNNが捨てたというのはウソで、密かにテレビ朝日に渡していた可能性もある。これは検証すべきだと思います。

情報の受け手がリテラシー能力を養うことが重要

 ウィキリークスの存在は、既存の情報回路を刺激するものであることは間違いありません。ただ、それはウィキリークスがいいか悪いかの問題とは別で、私は留保をつけたい。

 世界各国には当然、国家機密があります。ジュリアン・アサンジ(ウィキリークス創設者)という人は、すべての情報は機密にしてはいけないというコンセプトでウィキリークスを作ったと言いながら、アメリカの情報しか出ていない

 中国、あるいはロシアの情報はどこまで出せるのか、という問題があります。また、ウィキリークス自体に関する情報の透明度というのが全くない。そういう矛盾も抱えています。

 ウィキリークスをリークする別のカウンターリークスが出てきてもいいわけですが、ただそうなると、どこに本物があるのかが分からなくなってしまうという問題はあります。

 いずれにしろ、これらは情報化社会がもたらした1つの結果であり、情報の受け手としては、何をもって正しい情報であるのかを判断するリテラシー能力を養っていくことが一番重要だと思います。

世界規模で進む枠組みの大転換に対応できない日本政府とメディア

 現在は、大きく時代が変わろうとしている時です。やっと変革の時代が来たというか、本来だったら40年前あるいは20年前、特に冷戦終了後に来ていなければいけなかった。

 日本は冷戦構造の枠組みから放り出された時に、自立の道をきちんと考えるべきだったのに、それをしないままずっと安穏ときてしまった。

 いま世界では新しい枠組みを求めて各国がしのぎを削っています。自分たちの国益を死守しようとあらゆるところで戦っている。それが一番端的に現れているのが、私たちの住んでいる東アジアなのです。

 今日(12月3日)から始まった日米合同演習は戦後最大規模です。ところが、当事国である日本の政府がその重要性を理解していないのではないかと思います。今回の演習にはどういう意図があり、どういう意味を持っているのかということを。

 東アジアの平和はもう終わったんです。なぜそれが分からないのか。なぜそういう認識を持てないのか。メディアもそれをきちんと報道していません

「メディア・パトロール・ジャパン」でマスメディアを厳しくチェック

 マスメディアの劣化、特にテレビの劣化は本当にひどい。視聴者を見下しているというか、これくらいのものを与えておけばいいだろうというのが見え見えです。

 すべてパターン化していて、何でもかんでもお笑い芸人が出てくる。また、言葉にしろ何にしろ規制をかけて、当たり障りのないものだけを流している。だから横並びになってしまうんです。

 私は今年3月に「メディア・パトロール・ジャパン(MPJ)」というサイトを開設しました。日本のマスコミはちょっとおかしいんじゃないかという声がとても多く、そういう人たちの声を集約しようという目的からです。

 例えば、こんな変な報道があったというようなことを報告してもらう。また、いま一般の方がたくさんブログを書いていますが、時事問題や外交問題など独自の視点による優れたものが多い。

 ヘタな評論家より素晴らしいブログが数多くある中から、MPJがセレクトしたものをまとめて読めるようにしています。

 また、プロの執筆者によるコラムもありますし、各種メディアの普通のニュースも見ることができます。そうしたさまざまな機能を備えたサイトです。

 実は、試運転を終えて9月にリニューアルしようとしていた矢先に攻撃を受け、突然サイトを閲覧することができなくなってしまいました。復旧するのに約3カ月かかり、11月にようやく再オープンという形でリニューアルスタートしたところです。

 まだ完璧な状態ではないですが、これからより機能を充実させていく考えです。ぜひ見ていただければと思います。

西村氏の言うところの「情報の受け手としては、何をもって正しい情報であるのかを判断するリテラシー能力を養っていくことが一番重要」とは全くアグリーなのですが、要するに情報を発信するにしても収集するにしても今の時代ひどく手軽に誰でも出来るようになっただけに、受け手の側でもきちんとしたセレクションを行わなければ何が何やら判らなくなりますよということですよね。
一昔前に比べると何か調べ物をしよう、何らかの情報を集めようとすると一瞬で膨大な情報量が手に入るようになった、そういう点だけを見て何と情報入手が容易になったことかと喜んでいる人も多いんじゃないかと思いますが、例えばネットでは現場当事者からの生情報(一次ソース)が重視されるという特徴がありますけれども、どんなシンプルな問題であれ関係者一同の認識が完全に一致するなんてことはあり得ないわけです。
そうであるからこそなるべく多数の主観的な情報を収集した上で現場で起こった事実を自分の中で再構築し、自分であったらどう感じただろうと改めて問題を捉え直すという作業が大事になってくるわけですが、実のところこうした受け手側に要求されている余計な一手間を考えると、総体としての手間暇は以前とそう変わらないんじゃないかという声もあるかも知れません。

いずれにしても今までせいぜい数社の新聞やテレビ各社によるお仕着せのセレクションに甘んじていた情報が、こうして受け手各個人レベルによるセレクションに移行してきたということによって、自ずから別な問題も出てくることになったわけですね。
要するに今まではマスコミの一方的に送り出してくる情報を国民全てが等しく受け取る中でそうそう情報格差など大きくはなかったものが、どこまで情報を収集するかという時点でまず情報量の大きな個人格差が生まれ、そしてそれをどうセレクションしていくかの段階で今度は情報の質の大きな個人格差が生まれているということでしょう。
この格差は単に金融資産の多寡のように「あの人は情報リッチ」「この人は情報プア」と一次元的なものではなく、セレクション能力に長けた人であっても知識のない領域に関してはそこらの素人以下ということも当然にあり得るわけですから、いわゆるその道の権威であってもうっかりするとブログ炎上なんてことが当たり前に起こるというわけです。

かつての一億総情報中流時代からするとずいぶんと情報格差が広がっているということは、西村氏も言及している「すべてパターン化していて、何でもかんでもお笑い芸人が出てくる」テレビの劣化にも現れていて、要するにあの一山幾らのお笑い芸人の群れというものは、今どき既存の情報ルート程度しか情報を得る手段を持っていない人間とはこういう程度のものなのだという、一つのカリカチュアであるとも言えるんじゃないかと思います。
万一にもテレビ業界が「あなた達はなんてお馬鹿な芸人だと笑っていますけれども、それはテレビという鏡に映る自分自身の姿を笑っているんですよ」という問題意識を持って意図的にやっているのだとすれば、これはこれで国民に対する問題提示として重要な啓蒙的行為だということになりますけれども、外から見ている限りはむしろ作っている側も出演者と同レベルなんじゃないかと言う可能性の方がはるかに高そうですよね。
一般に他人に物事をきちんと分かりやすく説明しようとするならば自分自身が物事に精通していなければならないのが道理であって、そうであるならばなおさら既存マスコミも視聴者と同レベルに甘んじてはいけないわけで、むしろ進んで自らを高め「視聴者を見下ろして」いられるくらいの境地にまで駆け上がってもらわなければならないはずなのです。

今や否応なしにネットという外部からの批判の目に対抗する必要性に駆られた既存マスコミが、その過程において少しでも自ら考え、質的に向上していくというモチベーションを発揮出来るようになると言うのであれば国民にとっても良い話であるわけですから、「(我々にとって)有害な情報の氾濫するネットは是非とも規制しなければ!」なんて後ろ向きなキャンペーン張ってるような場合じゃないということですよホント(苦笑)。

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2010年12月24日 (金)

何を置いてもまずは現場にゆとりを

急いでやらなければならない大事な仕事が立て込んでいるからこそ多忙であると言えるわけですが、多忙な時ほどうっかりミスが増え仕事の質が低下しやすいということは、どこの業界でも共通して見られる現象ですよね。
そのうっかりミスが人の命に即座に関わってくるようではよほどに慎重に事に当たらなければならないのは当然ですが、慎重にばかりしていられないほど時間的にも切迫している事がままあるというのが医療の現場と言うもので、しかも全ての過程において一歩間違えれば大惨事となりかねないほど小さな間違いが重大な結果を招く緊張を強いられているわけです。
となれば、医療の質を最も効率的に上げるためには「今以上にもっと働け!ミスなどゆるさんぞ!」と世界一多忙な日本の医者達にムチを振るうよりは、彼らがゆとりをもって働けるような環境を用意してやることこそ医療安全の観点からも最重要であるわけで、当「ぐり研」としてもそうした点から医者の労働環境問題には決して無関心ではいられません。

先日も各地の大学病院で労基署からの勧告が相次いでいるという話を紹介しましたが、その後も金沢大など地方大学病院に加え、市立川崎病院のような市中基幹病院まで是正勧告が相次いでいるということですから、これは労基署としても相当に気合いを入れて臨んでいるらしいことが判りますよね。
その背景にあるのが長年放置されてきた医療現場の労基法無視の労働慣習であることは言うまでもありませんが、医者も人間である異常はその労働者としての権利を守るという当然の話のみならず、昨今では医者の過労こそが患者の利益にも深く関わる重大問題であることが広く認識されてきたということでしょう。
そんな中でまたぞろこうした訴訟が起こっているということ自体が残念であるというしかありませんが、これを機に少しでも医療現場が世間並みの常識の通用する環境になっていくことを期待せずにはいられません。

「過労自殺は上司が原因」と提訴=死亡医師の両親-鳥取地裁支部(2010年12月8日時事ドットコム)

 兵庫県養父市の公立八鹿病院に勤務していた整形外科医の男性=当時(34)=がうつ病で自殺したのは、長時間勤務と上司のパワーハラスメントが原因として、鳥取県に住む両親が8日、病院と元上司2人に総額約1億5300万円の損害賠償を求める訴訟を、鳥取地裁米子支部に起こした。
 原告側の弁護士によると、医師の過労自殺をめぐる訴訟で、上司の責任を問うのは初という。
 訴状によると、男性は2007年10月から同病院に勤務。同年12月に自殺するまで、勤務時間は平均で週約100時間に上った。また、上司だった医師から叱責されたり、頭をたたかれるなど日常的にパワハラを受けていたという。このため男性はうつ病を発症し、自殺したとしている。
 両親は提訴後に記者会見し、「若手医師が置かれている厳しい環境が変わる一助になればと思い、裁判を起こした」と話した。男性は今年8月、地方公務員災害補償基金兵庫県支部から公務災害と認定されている。
 公立八鹿病院の話 訴状が届いてから対応を考える。

「医師自殺、原因は過労といじめ」遺族が病院側提訴(2010年12月8日朝日新聞)

 兵庫県養父(やぶ)市の公立八鹿(ようか)病院の医師だった男性(当時34)が自殺したのは、長時間労働と上司のいじめが原因だとして、鳥取県内の遺族が8日、同病院を運営する病院組合と当時の上司2人を相手取り、慰謝料など約1億5千万円の損害賠償を求める訴訟を鳥取地裁米子支部に起こした。原告側の弁護士によると、医療現場の過労自殺をめぐって、上司の責任を問う訴訟は初めてという。

 訴状によると、男性は2007年10月から八鹿病院に勤めたが、同12月、住んでいた官舎で自殺した。

 遺族側は、男性が週60時間近い時間外労働を強いられていたと主張。さらに患者の前で上司から怒鳴られたり、頭をたたかれる暴力を受けたりしていたと指摘し、「指導を逸脱した叱責(しっせき)や人格をないがしろにしたいじめがあった」と訴えている。

 男性の自殺については第三者による調査委員会が08年に報告書をまとめ、「(上司の)不適切な指導や対応が日常化し、本件発生の大きな原因になったと認めざるを得ない」と結論づけている。地方公務員災害補償基金兵庫県支部も今年8月、過重労働による公務上の労災と認めた

 男性の母親(64)は記者会見し、「若い医師が置かれている環境が変わり、再発防止の一助になって欲しい」と話した。病院側は「訴状を見た上で今後の対応を検討したい」とコメントした。

見て頂ければ判る通り今回の裁判、病院側のみならず直接の上司の責任も問う形であるというのが非常に注目されるところですけれども、一昔前までは(今でも施設によっては?)特に外科系などでは阿呆馬鹿死ねといった罵倒は当たり前の慣用表現で、うっかりミスでもしょうものなら即座に手ならぬ足が出る(両手は清潔でないといけませんからね)と言ったことが普通でした。
その意味でこの指導医先生が本当に不適格な人物であったかは記事だけでは何とも言えませんが、患者の前で(少なくとも意識のある患者の前で)怒鳴るというのはさすがに昔であっても褒められたことではありませんし、臨床現場における教育システムが指導医個人の力量、資質に依存していることは、日本の医学教育の問題とはかねて指摘されてきたところではありますよね。
もちろん今どき自殺するまで追い詰められるくらいならさっさと離職していればとは誰しも思うところで、その点からすると外に向かって発散できず何でも抱え込み思い詰めてしまうタイプの先生だったのでしょうが、自ら声を上げられない先生が少なくないからこそ医療現場環境は個々の医師の自発的防御策に頼るのみならず、組織としてきちんと対応していかなければならない問題だとも言えるでしょう。

少し前に「ドクターの離職を防止するコンサルティング」という新しいサービスが登場したとちょっとした話題になりましたけれども、こういう話を見ていましてもこうした外部からの視点というのはそのまま医療界へフィットさせられるかどうかは別としても、やはりなかなか興味深いポイントが幾つもあるものだなと感じさせられます。

日本初 病院向けドクター離職防止コンサルティング開始(2010年11月25日DREAM NEWS)

組織・人材のアセスメント・コンサルティングを専門とする株式会社マネジメントベース(東京都文京区:代表 本田宏文)は、医療・医薬業界におけるコンサルティングで豊富な経験をもつ国際医療戦略研究センター(埼玉県本庄市:代表 武藤和仁)の協力を得て、本年12月より、病院向けに、日本で初めて(※弊社調べ)、医師に特化した、離職防止を支援するコンサルティングサービスを提供致します。

昨今、医師不足が叫ばれる中、医師の離職は病院経営にとり大きなダメージを与えます。医師一人当たり約1億円の医療報酬をもたらすといわれており、経営の面からも影響は小さくありません。また地域の場合、地域医療の質の低下を招きかねません

本サービスでは、医師の離職を防ぐためにどのような経営努力やサポートが必要であるか、現在不足しているかを明確にし、必要な改善策を提案します。さらに、その実行支援を行います。これらのサービスを通じて、医師の離職意向を低下改善させると共に、潜在的な離職率を定点観測し問題があった際、アラームを発することにより、医師が定着する病院作りに貢献します。

株式会社マネジメントベースでは、従業員のモチベーション、組織の活性化に関するアセスメントやコンサルティングを多くの業界で手がけてきました。それらの知見に基づくと、病院組織は、一部のタレントに大きく依存する業種と高い類似性を持つことがわかっております。タレント依存型の組織とは、芸能事務所、コンサルティング会社、弁護士事務所、設計士事務所等、有資格者やタレント(才能)を有する一部の従業員を中心にサービスを提供し収益をあげている組織のことをさします。
このタレント依存型組織では、タレント一人一人の価値観やモチベーション向上またはリテンション意向を促進する要因が大きく異なることがわかっています。その為、医師を集団として捉えるのではなく、一人一人の個人特性(価値観、行動規範、興味・関心等)を把握した上で、満足度を向上させる組織を作ることが重要となります。また一般的に打ち手として「報酬」に目がいきがちですが、実際の個人ニーズは多様化しており、個別性を無視した結果、ちょっとしたボタンの掛け違いで、医師の離職につながることも多く、辞めてから気づくことも少なくありません。

試験的に本サービスを導入した病院の事例では、病院組織全体の問題として捉えて改善することで大きな効果があることが実証されました。
本サービスの報酬は、医師の年間報酬の2~5%相当を目処として個別に見積もりを致します。年間契約の形態をとり、4つの段階((1)現状診断、(2)改革提案、(3)実行支援、(4)継続フォローアップ)に応じたサービス提供を行います。
(略)

「タレント依存型組織では、タレント一人一人の価値観やモチベーション向上またはリテンション意向を促進する要因が大きく異なる」とか、「集団として捉えるのではなく、一人一人の個人特性(価値観、行動規範、興味・関心等)を把握した上で、満足度を向上させる組織を作ることが重要」だとか、実感としても非常にアグリーなところではないかと思いますが如何でしょうか?
もちろん理屈としてはその通りだとしても出てくる対策の実効性としてはどうなんだ、そもそも医者が自分の価値観を素直に口に出すかどうかも判らないじゃないかと言う意見もありでしょうが、何かと物入りな昨今において単に助教授クラスが飛んでくるような巨額の札束で頬を叩くような真似ではなく、他の部分で大きく医者のモチベーションを引き上げられるのであれば労使双方に取って悪い話ではないはずですよね。
大学病院や国公立病院においては近年独法化ということが進められていて、看護師が採血をしてくれるようになった、技師が時間外の検査でも受けてくれるようになった、動かすのは口だけだった事務がようやく仕事らしいことをするようになったと、それこそどうでもいいような小さな改善に泣いて喜んでいる医者も少なからずいるという現実を思うとき、顧客同様医者のニーズを探ることも今後の病院経営に不可欠だと言えそうです。

こういう点で病院の運営状況というものを考えた場合に、現場の声がどれだけ風通し良く上に到達し、それがまた現場に反映してくるかということは円滑な医療を行うという観点からも非常に重要で、経営改善の名の下に「コスト削減のため緊急用のドレナージチューブは院内在庫を置かない」なんてお馬鹿なことを言うようなことでは、現場のモチベーション以前に患者の生命と健康上どうなのよと突っ込まれても仕方がないということですよね。
先日は医師向けサイトの会員を対象にこういう調査が行われたということなんですが、見ていますとこんな調子ではボトムアップの労働環境改善などと言うはるか以前の状況ではないのかと不安にもなってきます。

「勤務医の病院経営への関与」の調査結果について(2010年12月6日メドピア)より抜粋

 メドピア株式会社(本社:東京都港区、代表取締役:石見陽)は、同社が運営する医師コミュニティサイト「MedPeer」(URL: https://medpeer.jp/ )にて、本調査を実施した結果がまとまりましたので報告いたします。

 調査手法は、MedPeer会員(登録会員数:32,507名、2010年12月1日時点)である医師を対象とした「ポスティング調査」と呼ばれるオープン回答型のインターネットリサーチ。調査期間は、11月12日(金)~11月25日(木)。有効回答数は 2,850件。(複数回答)

【リサーチ結果概要】

○「勤務医の病院経営への関与の機会」について、「定期的な経営情報の公開」と回答した医師は25.9%。「経営層との定期的な意見交換の場」は24.2%、「勤務医全員が参加可能な意思決定の場」は11.3%だった。

○「勤務医であっても主体的な経営参加は必要」「経営情報の開示は必要」とする前向きなコメントがある一方、「参加しても意見はあまりとおらない」「会議はほぼ一方通行」「給与アップにはつながらない」といったコメントもあった。

「勤務医が病院経営に関与できる機会が無い、または、その必要は無い」と回答した医師は全体の25%。「忙しすぎて参加できない」「勤務医は医療にのみ専念すべき」「大学病院なので直接経営に関わることはない」「経営は専門家に任せたほうがいい」といった意見があり、「意見を述べる場はまったくない」というコメントもみられた。
(略)

臨床能力に長けた現場向きの医者ほど経営など余計な仕事に時間を取られたくないという意識もあるのでしょうが、病院経営における医者というポストの重要性を考えれば経営参加の機会自体が存在しないと言うのは論外にしても、単に一方的な上意下達の場と化した会議にどんな意味があるのかと疑問視(あるいは、諦観と言うべきでしょうか?)している医者は多そうですよね。
個別の意見を見てみますと現場で一生懸命汗を流しているだろう先生方ほど経営参加の機会がないという悲しい現実が浮かんで来ますが、そうであるからこそ暇な事務職員など声だけが大きい者の意見が優先され、現場はますます不遇な環境に追いやられているという側面もありそうに思えます。
その意味では今どき最初から聞く耳すら持たないなんて施設は話になりませんけれども、現場で働いている側ももっと経営に関して知識と見識を持ち、積極的に意見を出していくべきであると考える人が少なからずいるというのは納得出来る話ではあるし、それが「同じ結果が期待出来るなら経営上もメリットの大きいやり方でやってみよう」という現場の正しいコスト意識にもつながっていくのではないでしょうかね。

いずれにしても現場の人間がもう少し落ち着いて全体像を見渡せるくらいの余裕がなければまともな医療も出来るはずがありませんから、まずはきちんと全員が意思表示を出来る(恐らくは電子的な?)システムを組み上げた上で、そこに皆が参加できるような時間的余裕を持たせていくことが必要なんじゃないでしょうか。
現場が正しい医療を行えるように心身の余裕をどう捻出するべきかは、個々の医者の努力にばかり依存していては駄目なのはすでに立証されていることですから、その方法論が診療の制限なのかサポートスタッフ拡充なのかやり方は多々あるのでしょうけれども、まずは組織の側がきちんとした対策を打ち出してこないことにはどうにもなりませんよね。
そう考えると誰が好きだと言うわけでもなく実効性にも乏しく、無駄に時間ばかり浪費して何の意味もない会議の山なんてものを整理していくといったことも、真っ先に手を付けていくには手頃な「カイゼン」の目標にはなるのかも知れませんよね(笑)。

 ・現在の厳しい経済状況においては、勤務医も常に経営の視点をもつことが求められており、積極的な意見交換と認識の共有が肝要である。(50代、一般内科)

 ・経営状況が厳しい、ということは聴かされるが、具体的な内容について職員が共有する機会がない。多職種の多くの職員が問題意識を共有したうえで、そこで出てくる意見が実際に生かすことができなければ、意味がない。(50代、血液内科)

 ・当院では、ガバナンスが非常にしっかりしており、毎月医局会で財務に関する情報公開もされ、毎年大黒字経営である。(60代、一般内科)

 ・経営方針の決定は理事が行いますが、方針や経営情報の公開がしっかりしていると勤務医の意識の改革になります。(40代、腎臓内科)

 ・勤務医といえど、勤務している病院から給与が出ているわけで、その経営に無関心でいることは出来ないと思う。(30代、一般内科)

 ・経営に関与するということは、その結果についても責任を負うことが求められること。つまり業績に応じて給与を増減される覚悟が必要と思います。現在の一般的な病院管理職のように給与に業績が関係しないようでは真剣に経営に取り組んでいるとはいえないでしょう。(40代、一般外科)

 ・医師が経営に関与することは可能なシステムにはなっているが、関与する医師は時間にかなり余裕のある医師であり、結局は第一線で忙しく働いている医師の立場を反映するものにはなっていない。(40代、小児科)

 ・勤務医の意見を反映して、経営のノウハウを持っているプロが経営するのが、理想でしょうね。(50代、一般内科)

 ・経営戦略会議が月回開かれて、定期的な経営情報の公開と、経営の問題点が話し合われる。医師は全員一応その会議のメンバーになっている。しかし、忙しさで必ずしも勤務医がすべて参加しているわけでなく、きちんと機能しているかとなると話は別であるが。(40代、小児科)

 ・当院では各科部長が経営改善会議、病院の経営状況などの情報を毎月公開してくれているので、現在の経営状況が分かり非常に助かっています。医師さらにはその他の医療職に対して、外部講師を迎えての病院経営のノウハウなどを講演してもらえるようなら一層経営状況の改善に貢献できるのではないかと考えています。(40代、麻酔科)

 ・勤務医が病院の経営状態を詳しく知ることは、経営改善に向けての第一歩と思います。(40代、麻酔科)

 ・殆どの医師は病院の経営についての関心が低く、公立病院の赤字や経営難の一因だと思います。将来破綻する病院が続出するでしょう。(60代、産婦人科)

 ・公立病院としてはいろいろあるものの、経営への関与を過剰に期待されずぎる傾向にあると感じる。医療の質向上に加えて、経営の改善、黒字化に至るまで何もかもスーパーマンのように医師が解決してくれるとでも思っているのだろうか。そうであれば事務方の存在価値など全く無いに等しいと思う。(40代、呼吸器外科)

 ・勤務医にインセンティブが得られるように、経営に加わることで、勤務医も開業医と同じような気持ちで仕事に取り組めるようになる。現場の意見を反映できる場があることは必要。(50代、一般内科)

 ・定期ではないが、経営状況の報告会議・意見を述べる場がないわけではない。しかし、聞いてもよくわからないことがほとんどです。こちらからの意見もただ聞いているだけで、それにより何かが変わることもまったくない。(50代、麻酔科)

 ・そのような機会は全くない。病院経営は経営のプロが行なうべきで、彼らが勤務医から様々な情報を入手するよう努力すべきである。(40代、脳神経外科)

 ・経営に関与し経営改善につながっても医師の収入に反映されない以上関与しても仕方がない。(50代、一般内科)

 ・病院経営の立場と医療現場の立場の融合が生き残りには大事。(50代、一般内科)

 ・医師は現場の医療に専念すべきです。(50代、血液内科)

 ・実質経営権がなければ参加しても意味がないと思いますし、そのような権限がありません。だから皆勤務医がいやになって開業するのではないでしょうか。(30代、一般内科)

 ・大学病院では、一診療医員や医長が経営に関与する機会は全くありません。(50代、消化器外科)

 ・経営情報の開示は必要であり、また勤務医もそれを知っておく必要がある。しかしながら勤務医が経営を考え過ぎると過剰な医療内容となってしまうことが危惧される。(50代、泌尿器科)

 ・外部の経営コンサルタントが入っている。その助言により徐々に経営状態は改善しているようである。勤務医は自分の専門領域でいかに利益をあげるかを追求すればよいのではないかと思う。(40代、一般内科)

 ・朝礼で経営情報の報告はありますが、収入を上げるよう一方的に言われるだけです。(50代、皮膚科)

 ・経営と運営、診療はある程度つながり、ある程度離れているほうがよいと思います。経営を何も知らずに診療をするのはよろしくないでしょう。(40代、消化器外科)

 ・意見を聞かれてもほとんど通らないが、定期的な集まりはあります。(40代、心療内科)

 ・一部の幹部クラスの医師は、運営委員会みたいのに参加している。病院全体の収益は、院内ランで月に1回、医師全員に送られてくる。収益に関して、自分でできる事はやっているつもりだが、基本的に診断治療が本来の医師の仕事と思うので、収益を最優先に考えるのは、本末転倒で現場の医師のあるべき姿ではないと思う。(30代、一般内科)

 ・月1回のペースで意見交換がなされおり、意思疎通は十分です。相手の立場に立って考えることができ理解が深まり、助かります。(30代、一般内科)

 ・公立病院なので、経営層では無く、上層部、院長、事務長との定期的な意見交換の場=院内(経営)会議がある。その他、ここ数年、自治体の方とも連携した経営改善会議が行われていました。しかし、各種の縛りがあって、これと言った対策がとれている様にはみえません。(40代、耳鼻咽喉科)

 ・勤務医は経営責任を問われないが、経営に参考となる現場の情報を知らせる位の責任はあると思う。(60代、一般内科)

 ・経営層とのヒアリング形式で、問題点、改善点を検討する場はありますが、その後の意見の反映、上層部の見解などのフィードバックされる機会がない。(50代、神経内科)

 ・専門家を招いて、経営について学ぶ上で、勤務医が質問、提案し、検討に供される。勤務医はもとより、全員にその機会がある。(40代、皮膚科)

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2010年12月23日 (木)

今日のぐり:「豚蒲焼専門店 かばくろ」

先日何気なく見ていて、あまりに不幸すぎて泣けたというのがこちらの事故の記事です。

広島でイノシシに接触、転倒か バイクの男性死亡(2010年12月20日47ニュース)

 20日午前5時10分ごろ、広島県尾道市因島重井町の西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)上り線で、大阪市旭区中宮、バイク便運転手入江信幸さん(35)のオートバイが転倒、入江さんは後続車にひかれ、現場で死亡が確認された。

 広島県警高速隊によると、現場付近で「車でイノシシをはねた」と通報があり、その直後に後続の車から事故の通報があった。別の車と衝突して路上に倒れたイノシシに、入江さんが乗り上げて転倒したとみられる。高速隊が詳しい死因などを調べている。

 現場付近ではイノシシの絡む事故が多いという。入江さんは愛媛県への配達の帰りだった。

まず高速道路で車がイノシシをはねた→倒れたイノシシにバイクの男性が接触して転倒した→転倒したところを後続車が轢いて死亡事故という悲しい事故であったということなんですが、先日紹介したイノシシ一家轢死事件と言い、昨今のイノシシはレアケースを競っているとでも言うのでしょうか?
今日はこちらの記事にちなんで生き物が絡んだ珍しい出来事というものを紹介してみますけれども、同じくイノシシ絡みの話題でやはりこいつら狙っているのか?と思える記事からいってみましょう。

牛牧場にイノシシの赤ちゃん=すっかり同化、鳴きまねも―ドイツ(2010年11月6日時事ドットコム)

 【ベルリン時事】ドイツ中部のニーダーザクセン州ワーケで、牧場の牛の群れに野生のイノシシの赤ちゃんが迷い込んだ。イノシシは子牛と並んで雌牛の乳を飲む一方、牛の鳴き声をまねる練習を始め、すっかり牛の生活になじんでいる。
 イノシシは推定生後4カ月。牧場主が地元紙に語ったところによると、9月中旬に現れたイノシシは、程なくして26頭から成る牛の群れに受け入れられ、一緒に牧場を駆け回るようになった。牛と同じように草をはみ、牛が寝ると自分も横になるという。
 牧場主は当初、雄だと思い、「フレディー」と名付けたが、後に雌らしいことが判明した。専門家は、牛とイノシシの共生は聞いたことがないと首をひねっている。

豚とイノシシならまあ勘違いも納得できるかというものですが、牛と勘違いしたイノシシというのもその将来に何かしら不安を感じさせるものではありますよね。
不安どころではない深刻な危険というものについてはこちらの記事もそうなのですが、今どきこれは一体何がどうなっているのかとも思わされる話です。

米NYで大発生のナンキンムシ、ついに国連本部も襲撃(2010年10月28日AFP)

【10月28日 AFP】米ニューヨーク(New York)で大量発生し問題となっているトコジラミ(ナンキンムシ、bedbug)が、ついに国連(UN)本部にも侵入したことが27日、明らかになった。

 国連報道官によると、トコジラミは前週に上層階の床で、22日には図書室で発見されたという。被害に遭った職員はまだいないと強調している。

 ニューヨークではここ数か月、大量発生したトコジラミの被害が拡大しており、観光客に人気の有名ホテルや百貨店、果てはエンパイア・ステート・ビル(Empire State Building)でも見つかっている。こうした中、マイケル・ブルームバーグ(Michael Bloomberg)市長は今週、市のイメージ低下に懸念を表明したばかりだった。

関連記事によれば今やナンキンムシに汚染されていない建物の方が珍しいというくらいで大変な騒ぎのようですが、ひとたびは絶滅していたはずのナンキンムシが再び大発生しているのも国際化の影響だということですから、日本も決して人ごとではなさそうに思えます。
続いては当の動物にとっても深刻な問題ですけれども、人間にとってもとんでもない大問題だという話題を紹介してみましょう。

羊52頭が崖から次々と“自殺”、トルコでは過去に1,500頭が飛んだ事例も。(2010年11月18日ナリナリドットコム)

約50頭の羊が次々と崖から“飛び降り自殺”した――。先日トルコでそんな不可解な出来事があり、飼い主の男性は「財産が跡形もなく消えた」と落胆。地元メディアも衝撃をもってこの一件を伝えている。しかし、同国では以前にも、1,500頭の羊が崖から飛び降りた例があるそうだ。

トルコ紙ラジカルによると、この一件が起きたのはトルコ東部にあるエルジンジャン近くの山地。150頭の放牧を終えた夜、飼い主の男性の息子が羊を引き連れて村へ帰ろうとしていたときに、突然この中の52頭が高さ150メートルの崖から飛び出し、落下したという。息子の話を聞いた男性が現場に駆け付けると、落下した羊はすべて絶命していたそうだ。

男性の話によると、放牧は毎日高い場所で行っており、なぜこの日に限って崖から飛び降りたのかは全くの謎。状況的には「1匹の羊が突然崖から飛び出すと、残りの群れが続いていった」そうで、男性は「非常に残念」(ラジカル紙より)と落ち込んでいる。ただ、トルコ国内で起きた原因不明の羊の“集団自殺”は、今回が初めてではない。2005年には、1,500頭もの羊の群れが崖から飛び降りた例もあった。

英放送局BBCの当時の報道によると、この事件はトルコ東部ヴァン県の村で発生。この村の村民たちが飼っていた1,500頭の羊が、高さ15メートルの崖を歩いていた際に、突如1匹の羊が崖から飛び降りると、残りの羊たちが一斉に崖から落ちたという。これにより、最初のほうに飛んだ 400頭が死に、後に続いた1,100頭は先に落下した羊がクッションとなり、助かったそうだ。

このときも様子を見ていた飼い主は羊が飛んだ原因が分からず、「怖かった」と地元紙に語ったと伝えられている。今回、トルコでまたも悲劇が起きた形だが、原因が分からなくては飼い主にとっても打つ手はない。貴重な財産として飼われているだけに、羊の突発的な行動を防ぐヒントが見つからないか、少しでも原因の究明に期待したいところだ。

環境要因なのか、それとも何らかの神経系異常を来すような感染症なりとあったのかとも思える話なんですが、先の宮崎の大騒動を見ても判るように牧羊家の方々にとってはとんでもない事件なのは明らかですよね。
この不景気にあえぐ日本にも少しばかり明るい話題と言う事で、今度は日本初のニュースが世界で絶讚?されているという記事を紹介してみましょう。

“チワワ警察犬”に世界も注目、2011年1月から1年間警察犬任務に。(2010年11月24日ナリナリドットコム)

先日、奈良県警が行った警察犬の採用試験に、チワワが合格したというニュースが話題を呼んだ。警察犬といえば、シェパードなどの大型犬が逃げる犯人を捕まえたり、鼻を利かせて危険物を探し出したりするイメージが強いだけに、ペットとして大人気の小型犬・チワワの警察犬誕生は驚きを持って受け止められている。日本でも珍しい警察犬となったチワワ、体重約3.5キロという小柄な体を活かして狭い場所での捜索活動などの活躍が期待されているが、この話題は日本のみならず、世界各国でも広くメディアに取り上げられ、高い関心を呼んでいるようだ。

すっかり世界的な“有名犬”となったのは、奈良県に住む女性会社員が飼っている7歳メスのロングコートチワワ「桃」。桃は今月、奈良県警が行った嘱託警察犬審査会の「捜索救助の部」に参加し、倒れている警察官を5分以内に見つけるという条件を見事にクリアした。70頭が参加した今回の試験で合格したのは32 頭。その中でほかの大型犬と共にチワワが試験に合格するのは、「極めてまれ」と警察庁が認めるほどの快挙だという。

というのも、日本の採用試験の多くで犬種が限定されているほか、能力の差から通常は大型犬が採用されるケースが一般的なため。しかし、今回の採用試験では犬種の限定がなく、能力を発揮した桃は晴れて“チワワ警察犬”となることができた。桃には災害時に大型犬では難しい狭い場所での捜索などが期待され、2011年1月から1年間警察犬の任務に就く予定だ。

この桃の快挙は、日本では愛らしく、珍しい警察犬が誕生したと話題を呼んだが、それは世界でも同じ。この話題をロイターやAFP、APといった通信社が配信したこともあり、欧米やアジアを中心に広く紹介されている。特に取り上げるメディアが多いのは英国で、英紙デイリー・メールは桃の採用を「驚き」として伝えているほか、英紙ガーディアンは「日本警察の雇用機会均等の方針がチワワの捜索犬採用に至った」と好意的な反応だ。

ほかにも英放送局BBCや米放送局CBSといった主要メディアをはじめ、中国やインド、南アフリカのメディアでも桃を紹介。この中でコメント欄が設けられているデイリー・メール電子版には、「彼女を尊敬する」「なんて立派な犬なんだ」など桃を称賛する声が並び、評判は上々のようだ。日本のみならず世界からも注目を集める“チワワ警察犬”の桃。来年1年間しっかり能力を発揮して、今度は活躍の一報に期待したい。

ま、警察犬の採用基準に雇用機会均等が関係しているのかどうかはよく判りませんけれども、驚くことにこの一件が報じられて以来あちらこちらでうちの小型犬でも警察犬になれるのかと問い合わせが相次いでいるということですから、社会的な関心はずいぶんと高そうだとは言えるようですよね。
警察犬と言えば捜し物に大きな力を発揮してくれることが期待されますけれども、こちらではさらに小さな生き物たちがもっとシビアな捜し物に精出しているという話題を紹介しましょう。

アフリカの地雷探知にネズミが大活躍(2010年9月13日CNN)

内戦で大量の地雷が埋められ多くの犠牲者が出ているアフリカで、 ネズミが地雷の探知に活躍している。

タンザニアで教員の仕事をやめ、7年前からネズミを使った地雷探しに従事しているニコ・ムシさん(32)も、最初は懐疑的だったという。しかし初めてモザンビークの地雷地帯に出かけた初日だけで、ネズミは16個の地雷を探知。それまで嫌われ者だったネズミに対する地元の人たちの見方も変わったという。

地雷発見に使われるアフリカ原産のネズミは、ベルギーの非政府組織APOPOが訓練に当たっている。このネズミは地雷を嗅ぎ分けられるだけでなく、熱帯病にも強く、体重が軽いため地雷を爆発させずに済む。また、訓練費が1匹あたり6000ユーロ(約64万円)と、犬に比べて3分の1程度のコストで済み、輸送しやすいという利点もある。

モザンビークでは1992年まで続いた内戦で多数の地雷が埋められた。2008年から09年にかけて、約30匹のネズミが400個近い地雷などを探知したが、国連によれば、09年の時点で地雷除去が必要な土地はあと960万平方キロメートル残っているという。

地雷禁止を訴える国際団体によると、1999年から2009年にかけ、世界で7万3576人が地雷により死傷した。07に実施したキャンペーンの統計では、死傷者5426人のうち、アフリカ24カ国での犠牲者が約5分の1を占めるという。

APOPOはいずれ、アンゴラなどにもネズミを投入したい意向。地雷のほかに結核やガス漏れなどの発見、がれきの中からの人命救助といった分野での活躍も期待されている。

いやしかし考えて見ますと、犬に比べて三分の一とは言ってもネズミ一匹当たり64万円と言えばアフリカの物価ではとんでもない巨額ではないかとも思えるだけに、犬の方がネズミよりも寿命は長いだろうことを考え合わせるともう少し慎重なコストの検討も必要ではないかという気もしますけれどもね。
珍しい動物ネタはあちらこちらから事欠きませんが、まずはこちらの伝説の生物発見か?!という話題から紹介してみましょう。

ついにペガサスを発見か!? カモシカの撮影中にプロカメラマンが偶然出会う(2010年12月14日ロケットニュース24)

インドでカモシカの撮影をしていたプロのカメラマンが、偶然ペガサスを撮影する事に成功した。ペガサスは伝説の生き物としてあらゆる伝記に書かれてきており、目撃例も多数あるようだが、このように鮮明な写真として撮影されたのは初めてだと思われる。

欧米で絶大な支持を得ているマスメディア『LIFE』もこのペガサスを大々的に報じており、世界規模で大きな話題となっている。ペガサスが発見されたとなると、今後、ペガサスの乱獲防止や保護などが議論される事になるだろう。

……と言いたいところだが、この写真はどうやらカモシカと鳥が重なって撮影されたため、偶然ペガサスのように写っただけの写真であることが判明した。『LIFE』もそのことを知ってて、あえて報じているようだ。そもそも、ペガサスは羽根の生えた馬なのでカモシカではない。

写真をよく見てみると、巨大なカモシカと鳥が重なっているのがわかる。鳥の足がしっかりとカモシカの背後に写っているのだ。本当にペガサスが発見されたと歓喜している人もいるようだが、意図的ではないにしろ偽ペガサスだったわけで、ガッカリしている人もいるようだ。

思わせぶりなタイトルに釣られて読んでみればなんだという話なんですが、確かにこの写真がなかなか秀逸で一見するとあれ?と思わされるものですから、カメラマンとしてはしてやったりというところなんでしょうかね。
最後に控えますのは正真正銘の珍しい生き物ということになりますが、何やら見ていますと笑えてくるのは自分だけでしょうか?

マリリンモンローの生まれ変わりはアヒル!?(2010年11月19日ロケットニュース24)

マリリンモンローの生まれ変わりではないかと、人々を驚かせているアヒルがいるという。

海外のニュースサイト「デイリーメール」によると、話題になっているアヒルはアマチュアカメラマンが米国カリフォルニア州で撮影したもので、本人も最初に発見したときはマリリンモンローの生まれ変わりじゃないかと驚きを隠せなかったそうです。

写真を見ると、たしかにアヒルの頭上には普通のアヒルには見られない、毛足の長い立派なカールが掛かった髪の毛……いや、羽毛が生えているではないですか! このブロッコリーのようにこんもりとした柔らかな様子、まるでマリリンモンローに見えなくもありません。ボディの手羽先や尻尾が四方八方に乱れている様子は、風で翻る真っ白なドレスに見えなくもない。

見方によっては、中世ヨーロッパの上流階級で流行した白髪のカツラをかぶっているモーツァルトのようにも見えますが、きっとマリリンモンローの生まれ変わりなのでしょう、ええ、きっとそうだ、間違いない!

……と驚いていたら、このように頭に飾り毛があるアヒルの多くは遺伝子変異によるもので、海外のサイトによれば主に南米で多く見られるのだそう。ちなみに、海外ではCrested Duck(トサカの付いたアヒル)と呼ばれているそうです。

「マリリンモンローが生まれ変わったアヒル」の正体は、初めて見た人にはカツラをかぶっているようにしか見えない、とてもオシャレなアヒルでした。

とにかくこの写真を見て頂くのが話が早いのではないかと思いますが、アメリカ人なら確かにモンローを連想するのかも知れませんけれども、日本人だと何かしらお笑い系漫画のキャラでも想像してしまいそうな姿ではないでしょうか?
おしゃれかどうかはともかくとして、池のアヒルの中にこういうのが混じっていれば日本でも騒ぎになっても不思議ではないですけれども、またぞろ「モーツァルト」とか妙なあだ名でも付けられてしまうんでしょうね…

今日のぐり:「豚蒲焼専門店 かばくろ」

昨今全国的にB級グルメというものが大人気なんだそうで、岡山県というところは蒜山焼きそばに津山ホルモンうどん、デミカツ丼に日生カキオコと結構そういうネタも豊富なんだそうですが、最近唐突に岡山市内でちょっとした話題になってきているのが「ぶたかば」すなわち豚肉の蒲焼きなるものなんだそうです。
元々は岡山市中心部にある「真栄田」なるお店がまかない料理から考案したものだと言うことで、お昼限定のメニューとしてお客に出してみたところ大人気となったため、それならと「ぶたかば」専門店として出店したのがこちら「かばくろ」なんだそうですね。
外から見る限り店構えはちょいと小洒落た今風のラーメン屋といっても通用しそうな感じなんですが、入ってみるとぐっと渋い作りでメニューは「ぶたかば」のみで並み、大盛り、そして特上(おそらく鰻重同様に肉が多いということなんでしょうね)と盛り具合の違いだけということで、まさにウナギ屋などと同様のスタイルを取っているようです。

今回は一番ベーシックな豚蒲重並500円を頼んでみましたが、一見するとカツ丼並の値段で牛丼よりは高いか?と思わせる価格設定も、汁なども付いてのことですからそう割高という感じではありませんし、そもそも本店で食べるよりよほど安いんですよね。
この「ぶたかば」なるもの、肉の切り方にはとにかくこだわるという話だけに、きちんとお重に入った見た目は確かに鰻重鰻重そっくりで、これですまし汁(本店ではどうも味噌汁らしいのですが、これも専門店としてのこだわりなんでしょうね)に炙りレバーでも入れてあれば完璧だったかも知れませんね。
味の方はと言いますと確かに蒲焼き風のタレではあるのですが、ウナギと豚肉の差からか全体の印象はかなり違うことに加えて、個人的にウナギにはほとんど使うことのない山椒が意外なほど合うのには少し意外な驚きを感じました。
そんなこんなでうまいうまいと調子に乗って最後まで食べてしまうと、正直季節のウナギと比べても少し脂の味が強かったかなと思わないでもないんですけれども、店の顧客層を考えると当然若い人が中心でしょうから、これくらいメリハリの効いた味の方が受けるということなんでしょう。

そういう面で見ると少しアンバランスに感じたのが内装や従業員の物腰もウナギ屋風にこだわったということなのでしょうが、こういう味の組み立てからすると少しばかり上品すぎるのではないかと言う印象で、元々の本店がしっかりした料理屋であるのですから逆にこちらのお店はもう少しカジュアルに振ってもいいのかなとも感じられましたが、まあこの路線で行くというのもこだわりなのでしょう。
また駐車場が妙に狭いと言いますか、平面系と立地の関係から出入りしにくいというのがこの市街地郊外という場所柄を考えればどうなのかですが、今のところ大混雑という感じでもなさそうですし何とか回っているということなんでしょうね。
今後は本格的に岡山発のB級グルメブランドとして続いていくかどうかですが、デミカツ丼のように普通にどこのお店でも食べられるように普及させる度量があるということであれば、値段やボリュームは工夫できそうなメニューだけに広がっていきそうには思えます。

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2010年12月22日 (水)

国策としてのメディカルツーリズム 今のところごく小さな動きですが

経産省あたりが中心となって昨今国を挙げて推進している感のある医療ツーリズムですけれども、各省庁が横断的に協力して少しずつ条件整備が進んでいるということで、最近もこういう記事が出てきました。

中国・ロシアのお金持ち用…長期医療ビザ創設へ(2010年12月17日読売新聞)

 政府は、長期入院を伴う医療目的で日本に入国・滞在する外国人患者と、その付添人のための「医療滞在査証(ビザ)」を創設することを決めた。

 法務省が17日付の官報で、在留資格の変更を示した。医療滞在ビザでの在留期間は6か月とし、施行は来年1月1日。

 医療目的で入国する外国人は現在、短期査証で入国するのが通例で、在留期間は90日だった。しかし、長期のリハビリを伴う治療なども含め、日本の高度先進医療を受けたいという希望は多く、「日本の医療の強みを生かした国際医療の交流にもつながる」(法務省)として、医療滞在に特化したビザを新設した。

中国やロシアなどの富裕層の医療目的での来日がもたらす経済効果に期待して、政府は「医療ツーリズム」を成長戦略の一環として位置づけてきた経緯がある。

医療滞在ビザ新設へ 中国などの患者誘致へ「成長戦略」(2010年12月17日朝日新聞)

 菅内閣は16日、治療や健診が目的の外国人の来日を促進するため、来年1月に「医療滞在査証(ビザ)」を新設することを決めた。中国などのアジアの富裕層を狙った「新成長戦略」の一環で、渡航回数や滞在期間などを緩和する。前原誠司外相が17日にも発表する。

 治療目的の外国人はこれまで「短期滞在」「特定活動」ビザでの入国が可能だった。だが、原則として1回しか入国できず、家族らの同伴も認められていなかった。外務省によると過去約2年間に「短期滞在」で医療目的に来日した外国人は340人、「特定活動」はゼロだという。

 新設される医療滞在ビザは、有効期間を従来のビザの3カ月から最大3年に延長する。1回の滞在期間は最長で半年。1回の滞在が90日以内であれば、期限内に何度でも来日でき、同伴者も、治療する人と基本的に同じ条件の医療滞在ビザの発給を認めるようにする。必要に応じて、親族以外の同伴も可能にする。

 こうした内容は、外国人患者の受け入れで先行しているシンガポールや韓国などよりも全般的に緩やかな条件になっており、外務省幹部は「後発国なので、より魅力的な条件になるよう努めた。成長戦略の一環だから、できるだけ間口を広げることが重要だ」としている。

 厚生労働省も外国人が日本で医療を受けやすくなる環境の整備の検討を始めている。その一つが、外国語や食事、生活習慣に対応できる医療機関を認証する制度の創設だ。同省は2012年度の実施をめざし、11年度予算の概算要求で検討費として3900万円を計上している。

 医療滞在ビザの新設など、医療機関への外国人患者の受け入れ体制整備は、6月に閣議決定された菅政権の「新成長戦略」に盛り込まれた。同戦略では「アジアの富裕層等を対象とした健診、治療等の医療および関連サービスを観光とも連携して促進していく」とうたわれている。(山尾有紀恵)

記事を見て頂いても判るところですけれども、経産省が今年の三月に公表した平成21年度事業である「国際メディカルツーリズム調査事業報告書」においても、中国やロシアを中心とする各国富裕層にいかにアピールするかということが強調されており、まさしくお金持ち相手の商売であるということが判ると思います。
これが日本人相手であれば「金持ち優遇ケシカラン!」なんて声が上がりそうなところですけれども、諸外国から日本にお金を落としに来てくれるというのですから、それなら多少の便宜は図ってでもより以上のお金を使ってくれるような体制整備を進めた方がよいという判断なのでしょう。
今のところ来日しているのは観光を兼ねた健診目的という人がほとんどだそうですが、こうして長期滞在が可能になれば例えば高度医療といったものに対しても出てくるでしょうし、健診で何度か来日し環境に慣れてくれば「それならついでに治療も日本でしてもらおうか」と考える人も増えてくるのでしょうね。

共通の医療資源を使う以上はこういう話も広い意味での医療行政の一環と捉える事が出来ると思いますが、日本人相手の医療資源も不足しているのに外国人に回すような余力があるのかだとか、いろいろと懸念する声も出ているのは事実ですよね。
当面のところは健診を主体にやっているということであれば、それこそ第一線を引退した老先生などを中心に回してもらえば医者の手当ては案外つきそうに思いますけれども、こうして治療も見据えた長期ビザが出てきたということになりますと、一日二日では終わらない長期入院患者への対応も考えていかなければならないわけです。
先に上げた経産省の調査報告においてもとにかく通訳の質の確保ということが大きなポイントに上げられていますけれども、これに加えて長期入院ということになりますと数ヶ月単位で24時間の通訳需要が出てくるわけですから、これはそこらの旅行業者あたりが育成している通訳レベルで足りるのかという懸念も出てきます。

もちろん費用面でも大いに問題があるところで、以前に日本旅行中に突然の急病で治療費が600万円を超え、支払い不能に陥った中国人旅行者の例を挙げたことがありますけれども、無保険の患者が長期にわたって本格的な高度医療を受けるとなるとこんなレベルで済むとも思われません。
幾ら富裕層とは言っても際限なく治療費を払える人ばかりではありませんから、どこかで「もうこれ以上は無理。勘弁してください」と言う話になる可能性は念頭においておかなければなりませんが、そういう状況の患者がおいそれと海を渡って遠い祖国まで帰れる状況とも思えませんから、医療を提供する側にもいざというときどうするかという心構えと準備は必要でしょうね。
いったいに日本の医者というものは医療を行うにあたってお金のことを考えながらしているという人が少ないですけれども、日本においても無保険者の医療費問題が近年大きくクローズアップされてきているのですから、この機会に医療とその費用という問題について広く注意喚起していくべき時期なのでしょう。

さて、日本ではこのように富裕層相手に高付加価値の医療サービスを提供するという形でのメディカルツーリズムが始まったわけですけれども、意外なことにと言いましょうか、もともと競合する東南アジアなどで広く行われているメディカルツーリズムというものは、こうしたものとは少しばかり趣を異にしているのですね。
というのも、例えばアメリカなどではようやく国民皆保険制度が動き始めた段階ですけれども、そもそもお金持ちであれば民間の保険に入ったり自前の金で好きな医療を受けられる、一方貧乏であれば国の用意したメディケイドなどの公的サービスが受けられるということで、無保険で困っている人というのは実はごく普通の中流家庭ばかりという現実があるわけです。
こういう人たちにとって世界一高いアメリカで無保険の高度医療を受けるなんてとても無理だとあきらめていたところへ、東南アジアならば遙かに格安で同じ治療が受けられるという、それならあちらに行って手術を受けてみようかというのが現在ごく一般的なメディカルツーリズムであって、その意味では価格とサービス内容の両面で非常にシビアな(つまりは、日本の医療が苦手とする)厳し意競争の世界と言えるものです。

「メディカル・ツーリズム」の最前線 「名医」は日本の外にいる (選択 2010年3月号)より抜粋

(略)
 最も一般的なメディカル・ツーリズムの定義とは、医療をサービス資源として海外から患者を呼び、外貨を獲得することである。2008年のレポートによると、米国人が心臓手術のためにメディカル・ツーリズム先進国のインド、シンガポール、タイ、マレーシアなどへ出向いた数は55,000人以上。米国は医療費も医療保険も高く、保険に加入できない人が4,000万人以上いる。富裕層は国内で世界最先端の治療を受け、ミドル層は治療費の安い諸外国へ出ていく傾向か年々強まっている

 心臓手術にかかる費用は米国内がおよそ240万~250万円なのに対し、インドは60万~80万円、タイは80万円、シンガポールは約100万円。渡航費をかけてもお釣りがくる。もちろん、医療の質に問題がないことは保証されている。

国際認証病院は国内に一つだけ

 メディカル・ツーリズムの成立には低コスト、世界水準の医療の質・サービス、言葉が通じること、手術までの待ち時間が短いことなどの条件が必要だ。

 まず、前述のメディカル・ツーリズム先進国では現在、米国の3分の1から8分の1のコストで医療を受けられる。次に、病院の質を保証する国際的な認定機関である米国のジョイント・コミッション・インターナショナル(JCI)から「JCI認証」を受ければ、病院は世界ランク入りだ。メディカル・ツーリズムに詳しい東京厚生年金病院の溝尾朗医師によると、現在、世界25カ国以上に125を超える認証病院があるという。シンガポール16、インド15、タイ9、台湾9、マレーシア6、中国5、韓国2、インドネシア1、ベトナム1など。日本では昨年、ようやく亀田総合病院(千葉県鴨川市)が日本初の認証病院となったに過ぎない

 メディカル・ツーリズム先進国の現状はというと、例えばインドには06年の時点で既に年間約15万人の外国人患者が訪れた。早くから国をあげて力を入れてきた結果だ。医師の数は約60万人、看護師は約100万人、歯科医師は約200万人。うち約5%が欧米先進国での医療経験を積んでいる。大手のアポロ病院グループは38病院を運営し、約4,000人の医師を抱える。心臓手術は55,000件、成功率は99.6%を誇る。

 タイは、08年の外国人患者数が滞在中の外国人を含めて約170万人。今年は200万人に達する見込みだ。有名なバンコク病院(420床)の外国人患者は年約15万人。患者数の上では日本人が39,000人と最も多いが、医療費の比較では日本人は2位となり、1位のアラブ人とは5倍の開きがある。つまり、アラブの富裕層がバンコク病院に積極的に医療を受けに来ているのだ。
(略)
 このようにアジア各国がそれぞれの強みを生かした戦略でメディカル・ツーリズムに力を入れているのに対し、日本はどうか。寂しいことに、後れをとる以前の段階だ。国民皆保険制度で「広く平等な医療」を提供するというドグマのもとでは当然ながら国際競争とは無縁。しかも一方で、日本の病院団体の重鎮だった医師が心臓手術を米国で受け、ある大学病院の教授も心臓手術が必要になったら「米国へ行く」と公言するなど、最先端治療で日本は総合的に世界水準にないことを医師自身の言論・言指が示している。この本音と建前に大きなギャップがあるという実態を、国民もうすうすと感じ始めている。

 にもかかわらず、日本の医療界は「護送船団」にしがみつき、同じような医師を生み出し続ける教育を十年一日のごとく施している。若手医師の中には米国で最先端の訓練を受ける者もいるが、優秀な医師ほど日本に帰らないことはよく知られている。日本の病院勤務では国際レベルの力を発揮できないからだ。
(略)
 国際競争力に対応できるのはPET‐CT検査と内視鏡検査、消化器・泌尿器科などの内規鏡治療だけ。経産省の実験に参画している全日本病院協会副会長で同協会の神野正博国際メディカルツーリズム事業委員会委員長は述べる。要するに日本は、健診ツアーしかないというお寒い状況なのだ。

 患者が、より良い医療を求めて国境を自由に行き来するという流れは誰にも止められない。韓国や東南アジアヘ治療を受けに行く日本人も増え続けるだろう。だからこそ関係者は、メディカル・ツーリズムの興隆に真正面から向かい合うべきなのだ。さもないと、日本の医療は世界だけでなく、国内の患者からも取り残されよう。

日本の医療の質が国際的にどうであるのかと言う点についてはまた諸説ありますけれども、少なくともこうしたメディカルツーリズム先進国の間で日々なされている価格と質の激しい競争に比べれば、日本の医療現場でそうした方面での競争に耐える人材は極めて少なそうだとは言えそうですよね。
前述の記事中にも登場するバンコク病院で日本人向けマーケットを担当している田中耕太郎氏は、こうした状況をもって「日本など競争相手にもならない」と豪語していますけれども、確かにこの方面で日本が圧倒的に立ち後れている現実は否定しようがなさそうですし、そうした指摘の中に単にメディカルツーリズム対応力に留まらない日本の医療の問題点が見え隠れしているようにも思えます。

メディカルツーリズムで日本に勝ち目はない 田中耕太郎(タイ・バンコク病院JMSマーケティングマネジャー)(2010年5月13日日経メディカルオンライン)より抜粋

(略)
年20万人の外国人が受診するバンコク病院

 バンコク病院は、心臓専門病院、眼専門病院、外国人専門病院、各専門科病院の4つの病院で構成されている。タイ全土に18カ所、カンボジアに2カ所、合計20病院を擁する、タイ株式市場に上場する私立病院グループの基幹病院で、常勤300 人、非常勤400人の医師と、600人の看護師、800人の一般職員が働いている。病床数は約500で全室個室である。

 外国人患者様の誘致にも積極的で、年間20万人の海外からの患者様が受診している。うち、日本人は年間約4万人で、主にタイに駐在している日本企業の従業員や旅行者だ。ただ、日本人のように来タイの目的がほかにあるケースは、ほかの外国人では少なく、バンコク病院を受診する外国人の多くは、医療を受けるためにタイに来られている
(略)
 さて、そのような病院のマーケット担当者から見て、日本の病院は、われわれの外国人患者誘致の脅威となるとは全く思っていない。物価や言葉、提供される医療サービス、医療レベルなど、メディカルツーリズムに相応しい水準にないためだ。私自身、仮に医療費を気にしなくてよいとしても、日本で手術を受けたいとは思わない。例えば循環器疾患ならば、バンコク病院の心臓循環病院で担当医を探すかたわら、米国の病院でその手術の権威を探し、両医師チームの空き状況や旅行に耐える体の状態なのかを総合的に判断して、どちらかで手術を受けるだろう。
(略)

日本の医療従事者が「サービス」と割り切れるか

 日本の医療従事者が、メディカルツーリズムの患者様に対してビジネスとして医療を提供できるか、という問題もある。日本の医療従事者はこれまで、公的医療制度にのっとって、半ば"福祉"として医療サービスを提供してきた。そこにあったのは「顧客満足度」ではなく、「数をこなす効率性」だったはずだ。だが、メディカルツーリズムはビジネスとしてのサービス提供になる。日本の医療従事者がいきなり、一サービス従事者として対応できるか、疑問が残る。

 私は10年前、インドネシアのメディカルアシスタンス会社で勤務していた。その際、心臓発作を起こし、非常に難しい合併症の手術が必要な患者様を、インドネシアからシンガポールの病院へ搬送する仕事を手がけたことがある。手術が成功した後、担当医からは診断書報告とともに、「非常にチャレンジングな難しい患者様をご紹介していただき、有難うございました。今後ともよろしくお願いします」という感謝状が添えられていた。わずかそれだけのことだが、われわれの中でのその担当医の株は上がった。当時、シンガポールの病院に近隣諸国の外国人患者様が集まったのは、実はこういう医師たちの認識と行動にあったのではないだろうか。

 ひるがえって日本の医療機関は、海外からの患者の紹介に対して消極的だ。タイで手術した後の、リハビリなどの継続治療を受け入れる病院を探すことさえ難しい。いわく「ベッドが空いていない」「(その病院にとって)旧患者なら考えるが新患は駄目」「患者の感染症検査はしたのか。日本語で診断書を送ってくれたら検討する」などなど。「外国からの患者は変な菌を持っていて面倒なので、受け入れたくない」と直接言ってくる病院まであった。「困っている同じ日本国民を助ける気がないのか」と電話を切った後、ため息をついたことも一度や二度ではない。

 メディカルツーリストの患者様を誘致するには、公的な医療以上に「お客様をご紹介してくださって有難う」、という先に述べたシンガポールの専門医の感覚が必要になる。この感覚がないと患者様は紹介されないし、わざわざ日本には行かないだろう。これは非常に重要な問題だと思う。
(略)
 また、そもそも日本の医療水準について、海外では必ずしも高く評価されていない。閉鎖的で、どのような医療が行われているかが分からないからだ。日本を旅行中に病気になった経験を持つ、米国人やドイツ人にも日本の医療サービスの評判は芳しくなかった。

 さらに、元東大医学部教授で、日本医大の救命救急センターでの勤務経験もある、バンコク病院のソムアッツ・ウォンコムトォン院長の話によると、日本にある外国の大使館館員(特に欧米系)たちの間では、「病気になったら日本の病院で治そうとするな、誤診されるぞ、すぐ本国に帰国しろ」が合言葉になってしまっているという。その認識の正否は別として、少なくとも彼らの目には日本の医療界全体がよく分からないものに映っているのは間違いない。外国人患者様を誘致する場合、外国人から見た日本の医療を変えていくことから始めなければいけないだろう。

田中氏の指摘の多くの部分は実のところコミュニケーション能力の不足という言葉でまとめられそうな内容なんですが、それ以前になぜ日本の病院が伝統的に(と言っていいのでしょう)患者を受け入れることに消極的なのか、むしろ紹介されることを嫌がるのかということを考えた場合に、昨今の医療リスクの問題はまた別としても日本においては患者を受け入れることのメリットが存在しないということがあると思いますね。
アメリカを始め各国では勤務医であろうと医師個人への報酬であるドクターフィーというものが当たり前で、きちんと真面目に働き顧客から高い評価を得ることが自らの実利に結びつくということが担保されているわけですが、日本では幾ら働こうが給料はなんら変わるわけでもない、となればただでさえ諸外国より遙かに多くの患者をさばく必要があるのに、これ以上引き受けていられないと考えるのは自然なことでしょう。
このあたりは医者の診療行為自体にはろくなお金が出ない診療報酬体系を見ても判る通り、モノではなくヒトの行為に対して金銭で報いるという習慣の乏しい日本の土壌にも根ざした伝統なのかも知れませんが、現場の人間が「こんな仕事やっていられるか!」と有形無形のサポタージュに手を出すようになってしまっては、これは業界として終わっていませんかということになりますよね。
その意味で田中氏の言う「福祉としての医療」から「ビジネスとしての医療」へ転換できるのか、「数をこなす効率性」から「顧客満足度」へと軸足を移せるのかという問いかけは、単に商業主義的な観点のみならず医療従事者自身の労働問題とも深く関連する話なのではないかという気がします。

昨今ではようやく国としてもドクターフィー導入の議論を始めたというところですが、当然のようにその後全く話が進んでいるという噂も聞かないあたり、どうも日本の医療と言うものは現場の人間は黙っていても能力の限度一杯まで働くのが当然という、高い職業的なモラル(道徳)とモラール(士気)とを前提に制度設計されているのだと改めて思い知らされますよね。
産業としてのメディカルツーリズムが日本に根付くかどうか、それが国際的競争力を発揮できるのかといった話とは別次元で、こうした新たな挑戦が日本の医療そのものにどういう影響を与えるかということも興味深いものがありますし、「外国から健診客を呼び込む?どこにそんな暇人がいるんだよ!」なんて考えている多忙な現場の人間こそ何かを感じなければならない問題でもありそうです。
メディカルツーリズムを国を挙げて推進などと大騒ぎしたところで、少しばかりの外国人が入って来たからと言ってそうそう医療の何が変わるわけでもないという考えもあるでしょうが、その背後にある概念の差に気付く人間が増えるほど案外小さからざる影響を医療の現場にもたらすのかも知れませんし、実際に大きな議論のネタになって欲しいとも思いますね。

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2010年12月21日 (火)

見方を変えれば思い切って長期戦略を練り直す好機?

最近どうも大丈夫なのか?と思うような話も多いのですけれども、本日はこちらの話から見て頂きましょう。

医学部定員に関する検討会を設置―文科省(2010年12月16日CBニュース)

 文部科学省は12月16日、大学医学部の入学定員に関する有識者検討会を設置すると発表した。医師不足を受けた医学部の新設や定員の上限撤廃を含め、2012年度以降の中長期的な医師養成の在り方を議論する。22日に初会合を開く。

 「今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会」は、将来の医学・医療ニーズに対応した医師養成を図るため、医学部の入学定員の在り方について、過去の定員増の検証などを含め、調査・研究を行う。委員は、国公私立の大学や市中病院、自治体、産業界、患者会などの代表20人で構成。厚生労働省医政局と総務省自治財政局がオブザーバーとして加わる。

 鈴木寛文科副大臣は同日の記者会見で、「これまでは地域医療の充実を中心に、短期的な在り方を議論してきた。(検討会では)これからの10年、20年の医療需要などを見据えた上で、中長期的な観点から、そもそもの医学部定員について議論していきたい」と説明。検討の視点として、▽高齢化をはじめとする将来の人口動態の変化などを踏まえた医師確保、地域医療の立て直し▽イノベーションを支える基礎研究の人材確保▽国際的な医療交流を担う人材確保―などを挙げた。

 スケジュールについては、「来夏くらいに中間的な取りまとめがあり、だいたい1年をめどに一定の結論を出すのが一般的ではある」としながらも、「予見を持たずに、しっかりと意見を伺いたい」と述べた。

 検討会委員は次の通り。(敬称略)
 安西祐一郎(慶応義塾学事顧問)▽今井浩三(東大医科学研究所附属病院長)▽片峰茂(長崎大学長)▽木場弘子(キャスター)▽栗原敏(日本私立医科大学協会副会長)▽黒岩義之(全国医学部長病院長会議会長)▽桑江千鶴子(都立多摩総合医療センター産婦人科部長)▽坂本すが(日本看護協会副会長)▽妙中義之(国立循環器病研究センター研究開発基盤センター長)▽竹中登一(アステラス製薬代表取締役会長)▽丹生裕子(県立柏原病院の小児科を守る会代表)▽永井和之(中央大総長)▽中川俊男(日本医師会副会長)▽中村孝志(京大医学部附属病院長)▽西村周三(国立社会保障・人口問題研究所長)▽浜口道成(名大総長)▽平井伸治(鳥取県知事)▽森民夫(新潟県長岡市長)▽矢崎義雄(国立病院機構理事長)▽山本修三(日本病院共済会代表取締役社長)

ちょうど先日はその鈴木寛副大臣の口から「医学部の定員増はもう限界」というコメントがあったばかりという状況で、医学部の新設はともかく「定員の上限撤廃を含め」議論するとはずいぶんと思い切ったことを言い出したなと思いますが、文科省としては医学部定員がどれだけ増えようが国試の足切りライン調節で医師数は自在にコントロールできるでしょ?という含みもあってのことなのでしょうね。
中長期的な観点から医療需要などを見据えた上で医学部定員を議論すると言うのは当然ではあるのですけれども、このあたりはデータの収集から現場の声のフィードバックに至るまでことごとく厚労省の領域になってきそうなのが気になりますし、そもそも文科省が医療現場に詳しい筋にどの程度のコネクションがあるものかと思いますよね。
実際に検討会委員の顔ぶれを見てみますと情報科学が専門の安西祐一郎氏、元スポーツ番組キャスターの木場弘子氏、商法学者の永井和之氏などは一体何を期待して参加してもらうのかよく判らない人選ですし、医学畑のメンバーにしてもいかにも文科省人脈らしく明らかに臨床というより研究寄りの人材に集中している印象で、正直これで何をどう議論するつもりなのかと疑問にも感じられるところです。

考えて見れば日本の医師国家試験というのもなかなか面白いもので、受験するには文科省が所轄するところの医学部医学科で六年間勉強しましたという資格が必要である一方、実際に試験をするのは大学教育とは関わりない厚労省ですから、このあたりは阿吽の呼吸で省庁間のバランスを取っていたということが言えそうです。
実際に国試合格率の推移を見ていますと、このままでは医者余りになる!と医学部定員が一斉に削減され始めた昭和末期から平成時代初め頃の受験者数ピークの時期では合格率は8割台前半が普通であったものが、医師不足が叫ばれ始めた近年は軒並み9割前後をキープしていますから、かなり恣意的な基準で運用されているのではないかと推測されるものではありますよね。
仮にこうした場で医学部定員はまだまだ増やせという結論になったとして、その通りに各大学(おそらく私大が中心になるのでしょう)が定員を増やしたとして、法科大学院や歯学部といった先行例に見られるように遠からず増やしすぎた、定員割れだなんて話になるでしょうし、一部法科大学院のように高い学費を取ったのに合格率が限りなくゼロに近いという「学費詐欺」紛い(失礼)の大学も出てくることになるでしょう。

かつての医学部定員削減の原動力となったとも言われる日医なども昨今ではさすがに医者余りだとも言いませんが、相変わらず医師不足だ医師不足だと拙速に医学部定員を増やすべきではないとは主張していて、「医者は足りないのが問題なのではなく、偏在しているのが問題なのだ」という、どこかで聞いたような主張を盛んに繰り返しているようですよね。
もちろん今の調子で医学部定員を際限無しに増やしていけば、早い遅いの差こそあれいずれはどこかで医者余りということが問題になってくるとは多くの人間が感じているところでしょうが、結局はどの時点をもってこれでいい、これ以上は要らないと決めるのかという社会的コンセンサスがないことの方がよほど問題なのかも知れないと近頃考えているところです。
僻地医療や救急・周産期といった忌避される領域に医者が回ってくるまで漫然と増やし続けるというのであれば、世の中医者がだぶついて大変な状態になるだろうなとは想像出来るでしょうし、そうであるからこそ医者の進路は国家権力によってコントロールされるべきだという人々が少なからずいるわけですが、難しいのはそうした臨床領域の事ばかり考えていると思わぬ足下をすくわれかねない現実というものもあるわけですよね。

近年ますます重要性を増しつつある病理医なんてものは年中不足だ不足だと言っていますし、テレビなどでは結構格好良さげに描かれている法医学領域なんて崩壊目前のような言われようですし、法的に必要とされている保健所長刑務所内で働く医者なんてのも常に絶讚募集中ですし、今後重要性を増すばかりの医学研究に従事する医者も減る一方だと騒ぎになっています。
以前に留学中の先生から聞いたところによると、なんでも中国あたりでは医者の進路というものは国によって決められるのだとかで、それは向き不向きもあるでしょうに色々と大変ですねと言いますと「だから留学した」なんてことを言うのですけれども、医師強制配置絶対反対なんて反発を抜きにしても国としてそういう方向性が果たして正しいのかと疑問には感じる話ですよね。
どう考えても保健所の管理業務に向いている人間や研究職に適正がある人間と、救急の第一線でバリバリ働くのにふさわしい人間が同じだとは到底思われませんから、計画配置を推し進めるなら推し進めるで単純に定員がいっぱいだから他に回ってください式のやり方で良いのかですし、単に20万余人の多様な人間が集まった集団を医者というひとくくりで扱うのが正しいのかどうかでしょう。

もちろんこの国の現状を見た場合に、そういうはるか以前の段階で何かしら大丈夫なのか?と心配になってくるような話が多いのも確かなんですが、そうであるからこそ目先の事ばかり継ぎ接ぎで対応するばかりなのが良いことなのかどうなのか、医療崩壊などと言われるどん底の時期であるからこそ「これ以上悪くはならないだろう」と皆で腹をくくって、とことん議論してみるのも良いように思うのですけれどもね。

【中医協】事業仕分けに不満噴出‐遺憾意見提出へ(2010年12月16日薬事日報)

 政府の行政刷新会議の事業仕分けで、医師確保、救急・周産期対策向け補助金について、診療報酬による手当てと重複する事業の廃止を含めた見直しを行う判定が出たことに、15日の中央社会保険医療協議会総会で不満が噴出した。

 口火を切った国立がん研究センターの嘉山孝正理事長は、中医協として遺憾の意を表明すべきと主張。健康保険組合連合会の白川修二専務理事は、国費削減の理由に診療報酬が使われることに、「本末転倒はなはだしい」と不快感を示したものの、意見提出の実効性を疑問視して慎重姿勢を示したが、京都府医師会の安達秀樹氏は「補助金と診療報酬は性格が違う」「「遺憾であるとストレートに申し上げておかないと、政権与党の腰骨が定まらない」と強調した。

 普段は中立的な立場で診療報酬論議に参加している公益委員の小林麻里早稲田大学大学院教授も、「医療費は国家的な優先順位が高く、社会保障の問題は避けて通れない国家の重要課題。それを事業仕分けの対象にするというのは、政府の見識が問われる」と批判した。

 最終的に遠藤久夫会長が、「次回、皆さんに諮って、中医協としてメッセージを作成する方向にしたい」と収拾した。

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2010年12月20日 (月)

はや頓挫しつつある高齢者医療改革案

新たな高齢者医療制度については先日ようやく骨格が決まったような話を紹介したところですけれども、まともな議論も経ないうちから早々と先送りにされてしまったらしいというのはどういうものなのでしょうね。

高齢者負担増の厚労省案、民主WTが「反対」(2010年12月14日読売新聞)

 民主党政策調査会の高齢者医療制度改革ワーキングチーム(主査・柚木道義衆院議員)は14日、厚生労働省が来年の通常国会に関連法案提出を目指す制度改革案について「法案作成、提出までに政府・与党間で更なる調整が求められる」とする提言をまとめた。

 

70~74歳の窓口負担を1割から2割に引き上げるなど、負担増の内容が含まれているためだ。

 党側が厚労省案に反対する姿勢を示したことで、関連法案提出は来秋の臨時国会以降にずれ込む可能性も出てきた。

<後期高齢者医療>新制度1年遅れも…通常国会法案見送りへ(2010年12月17日毎日新聞)

 厚生労働省は75歳以上の後期高齢者医療制度に代わる新制度の改革関連法案について、来年の通常国会への提出を見送る方向で検討に入った。高齢者らの負担増を盛り込んだ同省の改革案に、民主党内に来春の統一地方選への影響を懸念する声が出ているほか野党の反発も強く成立の見通しが立たないためだ。同省は新制度を13年3月にスタートさせる意向だったが、最短でも1年程度ずれ込む可能性が高まっている

 厚労省の改革案のうち、民主党が最も問題視するのは(1)現在1割の70~74歳の医療費窓口負担割合を2割にアップ(2)最大9割となっている75歳以上の低所得者への保険料軽減措置を最大7割に縮小--の2点だ。

 70~74歳の窓口負担割合は現在も制度上は2割で、低所得者への保険料軽減も最大7割だが、政府はともに予算措置(年額計約2500億円)で特例的に負担を軽くしている。(1)(2)案は特例をやめるだけなので法改正は不要だが、野党から「なぜ軽減措置をやめるのか」と追及されるのは必至。また、法案の柱となる市町村の国民健康保険(国保)の都道府県への移管に対しては全国知事会が反発し、調整がついていない。

 このため厚労省は、来年秋に想定される臨時国会への法案提出を視野に、与野党双方と調整を進める考えだ。【鈴木直、山田夢留】

結果としてこのまま何もしない方がいいんじゃないかという話はさておき、この高齢者医療制度改革と言うもの、あちらでもこちらでも反対の声ばかりが聞こえてきますけれども、それぞれ反対の立ち位置というものが全く違うということには注意しておかなければなりませんよね。
以前に後期高齢者医療制度というものが出来た時には、海外の識者からは「日本はうまいことを考えた」と好意的に捉えられたものであるし、実際に長期的な社会保障の行く末を考えていく上でも高齢者の医療制度というものは抜本的に変えて行かざるを得なかったはずなのですが、何かしら姥捨て山だの年金天引きが気に入らないだのと本質を外れた議論でさんざん叩かれたのは記憶に新しいところです。
その叩く側の主体であった民主党が中心となって新政権が出来たわけですから、当然ながらこういうトンデモナイ制度はさっさと廃止しなければという話になることは当然なんですけれども、現政権も実際にいざ廃止をと検討してみるとあれれ?これはもしかして大変なことになるんじゃないの?と気づき始めているのではないかと言う気配があるのが昨今の状況に思えます。

今回の厚労省案にしても正直かなり不完全な内容に留まっている印象ですが、この上さらに民主党が主張するように高齢者の医療はただ同然という状況を維持したいということであれば、これは言葉を変えればその分は現役世代が負担するべきということと同義ですから、万一にも若い世代が「年寄りの医療の話なんて関係ないし」などと考えているのだとしたら誤解の最たるものということになりますよね。
このあたりは一体今の時代にあってお金を持っているのは誰かというところにも話が戻ってきそうではありますが、日医なんて組織の現状を見ても判るように今の時代一番政治力を発揮しているのはお年寄りだとも言えますから、黙ってみていれば社会の実態とは無関係に話が進んでいくのは必然であって、今どき声なき声なんてものは誰の耳のも届かないということです。
ま、この場であまり世代間闘争じみたことばかり煽っても仕方がありませんけれども、単純に政治向きの話として考えてもこういう流れはどうもうまくないんじゃないかとは誰しも感じるところなのでしょう、先日はこういう記事も出ていました。

【河合雅司の「ちょっと待った!」】本気度が疑われる民主党の社会保障改革(2010年12月19日産経新聞)

 民主党政権は、社会保障制度改革に本気で取り組むつもりがあるのだろうか。

 政府は14日、社会保障の機能強化と財政健全化を同時に達成するために、税制との一体改革の具体案と工程表を来年半ばまでに策定することを閣議決定した。菅直人首相が本部長を務める「政府・与党社会保障改革検討本部」が決めた基本方針に沿ったものだ。

 5年後には団塊世代がすべて高齢者となる。社会保障制度を超高齢化社会に耐えうるものに変えるのは、時間との戦いである。民主党政権発足から1年以上も経過しており、あまりに遅い着手ではあるが、取り組み始めたことは歓迎したい。

 ただ、問題はその中身だ。閣議決定された基本方針には、肝心の「消費税」の文字が見あたらない。

 社会保障費は現行制度を維持するだけでも毎年1兆円を超すペースで膨らみ続ける。社会保障給付費も100兆円を超え、15年後にはさらに40兆円以上膨らむとの試算もある。

現役世代の負担は限界に近付きつつある。もはや消費税率を引き上げるしかないことは、多くの国民が理解していることだ。基本方針で消費税を前面に出さなかったのは、政権の覚悟と意欲が疑われる。

 そもそも、菅首相は参院選直前の6月の記者会見で、今年度内に消費税率の引き上げ幅を示すと約束し、自民党が提案した「10%」を参考にするとも明言していた。

 参院選での大敗によって消費税議論そのものを封印してしまったことから、今回、基本方針をまとめただけで、あたかも一歩前進したかのように錯覚する。しかし、こうして6月の発言と比べてみると、実際には後退しているのだ。
(略)
 選挙を優先するなりふり構わぬ姿勢は、菅首相に限った話ではない。

 厚生労働省が介護サービス計画(ケアプラン)作成費の自己負担化や、介護の必要度の低い人の負担の2割への引き上げなどを盛り込んだ介護保険制度の改革案をまとめたが、民主党のワーキングチームから批判が相次ぎ、法案化に向けた作業は進んでいない

 高齢者医療制度の見直しも同様だ。「自爆テロのような案だ。民主党に任せたら医療は安心だと思ったのに何なんだ、ということになる」(柚木道義衆院議員)といった声が代表するように、民主党の部門会議では、70~74歳の窓口負担の2割への引き上げや、75歳以上の低所得者向け負担軽減策の縮小を示した厚労省案に反対する方針を決定した。

 それどころか、来年の通常国会への関連法案提出自体を先送りすべきだとの意見まで出ている

民主党は後期高齢者医療制度の廃止を政権公約(マニフェスト)の目玉の一つに掲げ、すぐにでも公約を実現するかのように語ってきた。これでは、言っていることと、やってることが違うと言わざるを得ない。

 財源のめども立たないのに、「利用者の負担増には反対、サービスの拡充は行え」では、うまくいくはずがない。いまだに野党気分が抜けきらないのではないのか。
(略)
 社会保障制度というのは、現役世代の「仕送り」によって高齢者の年金や医療保険、介護保険の財源を支える仕組みになっている。この「仕送り方式」というのは、現役世代が多く、高齢者が少なかったからこそ成り立ってきたシステムだ。

 かつては10人ほどの現役世代で1人の高齢者を支えていたが、現在は3人で1人の高齢者を支えなければならない。マンツーマンで支えなければならない時代がやってくることを考えると続かない。

 もちろん、高齢者が増えることが悪いわけではない。むしろ多くの人が元気で老後を迎えられるというのは、日本がすばらしい国であることの証だ。

 批判されるべきは、人口の年齢構成が大きく変わることが分かっていながら、なんら対策を取ってこなかった政治家である。

 もっと早い段階で、国民に実態を説明して負担を求めていれば、いま取りうる選択肢はもっと多かったであろう。目先の一票を気にして、政策効果に疑問が残るバラマキ政策を繰り返し、国債発行という将来世代へのツケ回しを漫然と続けてきた。

 日本は膨大な累積債務を抱え、これ以上の問題先送りは許されない。社会保障制度の改革の方向性は、自公政権下の社会保障国民会議や安心社会実現会議など専門家の議論によってすでに示されている。いまさら議論を長々と繰り返している暇はない。

 いま民主党政権に求められているのは、団塊世代の大量退職に間に合うよう改革を実現させる決断力と実行力だ。

 15年後の平成37年には高齢者人口が約3500万人とピークを迎える。現役世代はもちろん、高齢者にも支払い能力に応じた負担を求めない限り、社会保障は維持できないであろう。

 言いづらいことであろうとも、国民に負担の協力をねばり強く求めていくのが、政権政党の責務である。(論説委員)

民主党にしても医療や介護方面に強いという自負でやってきたからこそ日医を始め医療関係者の支持を取り付けたわけですし、今さら手のひら返しも出来ないのは当然ですけれども、何しろ社会保障関係と言えば金額も半端でないものですから、漫然と選挙協力いただいた方々にばらまきを続けるなんてことだけはあってはならないはずですよね。
社会保障の中でもとりわけ伸びが予想される医療費だけに、こういう時代ですから財源には誰しも頭が痛いところではないかと思いますが、かつてにように企業におんぶにだっこという姿勢は通用しない、また国保はどこも青息吐息ということになれば、少なくとも受益者にも応分の負担をという話の流れになるのは当然ではあるでしょう。
ちょうど先日は日医が高齢者は別立ての保険でという従来の方針を大転換し、民主党の掲げるところの医療保険一本化にすり寄るという方針を発表したばかりですけれども、興味深いのは「税収によって社会保障費が抑制される」と消費税の目的税化には反対しているということで、正直日医ももう少し社会の現実を見ろと言いたくもなる話に思えます。

現役層は全員が一定の収入があり、極端な貧困者もそうそういなかったという時代と違って、今は国民総中流というかつての制度の前提自体が崩れているわけですから、昔ながらの制度にいつまでもしがみついていても仕方がないのは当然で、現在は元よりこれからの時代にあった新制度を組み立てていかなければ国が保たないという時代であるわけです。
純粋に消費税増税がベストの答えであるという考えの人もそう多くはないのでしょうが、現状で取り得る現実的な手段は限られている中でタイムリミットだけは刻々と近づいていることを考えるならば、実際にあるのかどうかも判らない「正解」を探してただ延々と議論のための議論にのみ時を費やすということだけは避けなければならないということなのでしょう。
もちろんその議論にあたって念頭にあるのが国の行く末を考えてということではなく、単に次の選挙での得票がどうかといった視点であるとしたら論外ですけれども、少なくない確率でそういう可能性がありそうだから怖いんですよねえ…

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2010年12月19日 (日)

今日のぐり:「北前そば高田屋 倉敷中庄店」

先日見ていまして、思わずちょっと笑ってしまったのがこちらのニュースです。

こわもてプーチン首相、子犬には笑顔で頬ずり(2010年11月13日ロイター)

戦闘機やF1マシンに乗って見せるなど、いつもは強面(こわもて)で鳴らすプーチン首相だが、この日の記者会見では嬉しそうに子犬に頬ずりするなど、無類の犬好きという一面も垣間見せた。

ブッシュ前米大統領の回顧録「Decision Points(決断の瞬間)」では、ロシア大統領時代のプーチン氏が飼い犬を自慢するエピソードも披露されている。ブッシュ氏はキャンプデービッドに招いたプーチン氏に飼い犬「バーニー」を紹介したが、その後ロシアを訪問した際にプーチン氏から愛犬「コニー」を見せられ、「バーニーより大きく、強く、速い」と自慢されたという。

プーチン首相も笑顔でスリスリ…ブルガリア首相が犬のプレゼント(2010年11月15日産経新聞)

 ブルガリアのボイコ・ボリソフ首相(51)は13日、エネルギー問題を話し合うために首都ソフィアを訪れたロシアのウラジーミル・プーチン首相(58)にブルガリアン・シェパードの子犬をプレゼントした。ロイター通信が伝えた。

 いつもは強面(こわもて)のプーチン首相もうれしそうに子犬を抱き、ほおずりしていた。犬好きとして知られるボリソフ首相はプーチン氏に「政治家はこの犬のように(国民に)忠実で、強くなけれなならないですね」と話しかけた。

いやまあ、自慢の仕返しなんてのもいささかどうよとも思うのですが、この(個人戦闘力として)世界最強の国家元首とも言われるプーチン首相に頬擦りされている子犬の妙に諦観したような顔が何とも言い難いですよね。
今日はプーチン首相に敬意を表して近来の動物の話題の中でも、特に一見すると笑えるんですけれどもよく考えると迷惑しているのではないかという話を取り上げてみたいと思いますが、まずは犬と並んで身近な存在であるこちらの話題からいってみましょう。

ニャンと!エンジンルームに猫(2010年12月11日大分合同新聞)

 先日の朝、別府市消防署浜町出張所で署員がいつものように消防車を点検していたところ、ポンプ車からかすかに動物の鳴き声が聞こえた。耳を澄ますと、「ニャーニャー」と弱々しい猫の鳴き声だった。署員が手分けして、猫が入り込みそうな所を“捜索”。エンジンルームを開けた途端、中から茶色っぽい子猫が飛び出してきた。子猫はものすごい勢いでダッシュし、近くのフェンスに数回衝突。フラフラした後、正気を取り戻して走り去ったという。「見つけることができて良かった。点検は大切です」と署員。

大分合同新聞と言えばこの手の話題でいつも愉快なイラストをつけてくれることでも密かに人気ですが、今回も何やら妙に味がありますよね。
同じく猫の話題としてこういうものがありますが、こちらは少しばかり大騒ぎになったということのようです。

ネコ爆弾だニャン! ニャニャニャーン!(2010年10月29日GIZMODO)

ニャ? ニャニャニャ? ニャーーーン!
ニャニャー! ニャ? ニャーーーン!ニャニャー!

ネコ語から翻訳しますと...。

フロリダのソーシャルセキュリティオフィスから建物の前に不審な箱があると爆弾処理班に通報が! 爆弾では...? すぐにかけつけた爆弾処理班が見つけたものとは。時限爆弾が時をきざむチクタクチクタクの音のかわりにニャーニャーニャニャーンの子猫の鳴き声。箱をあけると2匹の子ネコがでてきたそうです。ネタ元のNBC Miamiの報道がこれまたかわいい。「あまりのかわいさに今にも爆発寸前」なネコちゃん。まさにその通りですね。箱を開けると、驚いた1匹はどこかへ逃げてしまったそう。もう1匹は動物保護施設へ。

爆弾処理班でもなんでも、箱の中にはいったネコちゃんが無事見つかって外にでれてよかったです。

ま、ネコ語の翻訳精度がどの程度のものなのかはともかくとして、一連の騒動がばっちり証拠写真にまで撮られているというのですからネコとしても逃げ隠れも出来ませんよね。
同じく大騒ぎと言えばこういう話題もありますけれども、実のところ当事者にとっては笑い話どころではない状況ではあったのでしょう。

ゴキブリに火、作業場全焼 駆除の炎が建物に広がる(2010年11月10日47ニュース)

 10日午前11時35分ごろ、香川県三豊市のしいたけ栽培農家で、ゴキブリ駆除のためアルコールをまいて火を付けたところ、ゴキブリが逃げ炎が広がり、鉄骨平屋のしいたけ栽培作業場約500平方メートルを全焼した。

 燃えたのは同市高瀬町、香川忠さん(64)方の作業場。

 三豊署によると、作業場にいたゴキブリ数匹を駆除するため、香川さんがゴキブリや周辺にアルコールをかけて火を付けた。

 同署は断熱材の部分が激しく燃えていることから、機械などにかかったアルコールの炎が直接建物に引火した可能性もあるとみて、詳しい出火原因を調べている。

ちょっと想像するとびっくりな光景だったのでしょうが、こういう話を聞きますと殺虫剤の可燃性ガスに点火して火焔放射!なんてやっている場合ではないという気になりますよね。
お次も一見するとちょっと笑い話にも思えるんですが、よくよく考えるとこれはかなり悲惨な事故だったのではないかと思えてくる話です。

イノシシ一家受難、6頭はねられ即死(2010年11月20日読売新聞)

 19日午後9時45分頃、香川県三豊市高瀬町上麻の県道で、近くの男性会社員(29)運転の乗用車が、路上にいたイノシシ6頭の群れにぶつかった。

 イノシシは体長1メートルほどの2頭と一回り小さな4頭で、親子とみられ、6頭とも即死した。乗用車は前部が大破したが、男性にけがはなかった。

 同県警三豊署の発表によると、現場は山中の道路のカーブ付近で、男性は「前を見たらイノシシが集まり、団子状態になっていた」と話しているという。同署は「イノシシ6頭が絡む事故は聞いたことがない」としている。

団子三兄弟ならぬイノシシ四兄弟に親まで一緒にとなるとこれは大惨劇ですけれども、確かに一度に六頭というのはどんな偶然なのかというくらいの確率でしょうか。
こちらも笑ってはいけないはずの真面目なニュースなんですが、何やら想像するとちょっと笑えてしまうのはどうなんでしょうね。

世界の雑記帳:カナダで大麻栽培の2人組、「用心棒」にクマを利用(2010年8月20日毎日新聞)

[バンクーバー 18日 ロイター] カナダ西部で大麻を栽培していた疑いで逮捕された2人組が、「用心棒」として10頭のクマを利用していたことが分かった。警察が18日に明らかにした。

 カナダ連邦警察によると、ブリティッシュコロンビア州のクリスティナ湖周辺で、屋外にある大麻栽培地2カ所を調べていたところ、10頭の大きなクマが敷地内にいるのを発見。警官らは当初警戒していたが、クマは非常におとなしく、大麻の押収時も周辺で座っているだけだったという。

 クマはドッグフードで飼育されていたとみられ、警察では、野生動物当局が人間に慣れてしまったと判断した場合、安楽死させられる可能性もあると話している。

肝心な時にいったい何の役に立っているのかという話なんですけれども、実はただの熊ではなくテディーベアだのプーさんだのであったということであれば納得は出来そうなということなんでしょうか?
最後もこれまた笑ってはいけないのでしょうが、どうしても笑えてしまうという困った記事を紹介してみましょう。

自動車が来るまでに横断できるのか!? ナマケモノが道路を横断(2010年11月27日ロケットニュース24)

私たちは何気なく道路を横断していますが、動物たちにとって自動車が走っている道路の横断は命がけの大冒険のようです。猫や犬、ネズミ、カルガモ、あらゆる動物が道路を横断していますが、見ているこっちがヒヤヒヤしてしまいますよね。

しかし、動物は動物でも、ナマケモノの道路横断は本当の意味での「命がけ」のようです。動画共有サイトYouTubeに、ナマケモノが道路を横断する動画が掲載されて話題を呼んでいるのです。

このナマケモノ、何を思ったのかアスファルトの道路の横断を決意。いくら頑張っても動きがスローモーなので、なかなか前に進みません。途中で疲れてしまい、進まなくなるシーンもありました。

しかも地面にへばりついた状態で横断しているため、自動車がきてもナマケモノに気がつかない可能性があります。結局、このナマケモノがどうなったのか? 真相はYouTubeの動画『Three-toed sloth road escort』でご覧ください。

いやしかし、普段あまり目にすることもないナマケモノの生態をこうも身近に観察できるというのは非常に貴重なことだと思いますが、やはりこいつら死ぬ気で頑張ってもこんな感じなんですね…

今日のぐり:「北前そば高田屋 倉敷中庄店」

普段蕎麦屋なんてものは何気なく入っていましたけれども、ことこの店に関しては入るか入るまいかとずいぶん躊躇したものです。
それというのも確かに蕎麦屋を名乗っているというのに、店先に並べられているメニューの類がどう見ても蕎麦屋というより居酒屋そのものなんですからね。
なんでも全国展開しているチェーン店で、「廻船問屋の高田屋嘉兵衛という男が北前船を操り全国各地と蝦夷地の交易を築きあげました。高田屋では、その精神を受け継ぎ全国から新鮮で美味しい食材を使った料理とお酒を提供しています」ということですから、何のことはないやはり蕎麦屋というより居酒屋であるということではないですか。

店構えや内装もいかにも居酒屋風なんですが、接客までが居酒屋そのものというのは蕎麦屋を名乗る店としてどうなのよという気がしますが、とりあえずは数ある居酒屋系メニューは一切無視してせいろそば一択で注文します。
ところでこのせいろそば、同じせいろなのにメニューの2カ所に載っていて値段が違うというのはどういう意味があるのか判らないのですが、別に注文する際にも確認されなかったので単なるミスプリントか何かだったんでしょうかね?
ちなみにお冷やと見せてアイスの蕎麦茶が出てくるというのはいささか意表をつきますが、正直蕎麦に合うかと言われれば極めて微妙なものがありますので、後で出てくる暖かい蕎麦茶の方を合わせた方がよさそうに思います。

さて待つという間もなくあっという間に出てきたこの蕎麦、見た目はごく普通の盛りという感じで、ちゃんと蕎麦つゆも徳利で出てくるのはいいんですが、いったいこの時期の蕎麦らしからぬこの黒い色は何なのかと思ったら、もしやこちらでは胡麻そばなるものを出しているということなのでしょうか、なにしろせっかくの蕎麦にそれ以上に風味の強いものを練り込むというのですから味も推して知るべしですよね。
とにかくこれが味以前にとても蕎麦とは思えない食感だなと思いながら噛みしめていたのですが、よくよく考えるとこの食感はこんにゃく麺そのものか?と思いついた頃にはもうお腹いっぱいと言いますか、、たった一枚のせいろを空けるのにずいぶんと苦労したような気分になりましたね。
蕎麦つゆは舌にびりびりと後味が残るどこぞのメーカーのめんつゆ風ですし、薬味についてくる妙に萎びたネギとワサビにこれまた100均っぽいおろし金と萎える要素はてんこ盛りなんですが、とりあえず蕎麦湯がポットに入れてテーブル上に常備されているという点だけがちょっと面白いかなと感じたところでしょうか(ちなみにこちらの蕎麦湯はまさしくストレートそのものでしたが)。

世間の評判を聞いてみればリーズナブルな価格でそれなりに味もボリュームも満足出来る店とそう悪い声もないようなんですが、とりあえず蕎麦屋としてはどうなのよということでしょう。
ま、別に店の由来を聞いても特に蕎麦である必然性はなさそうなことではあるし、その他のメニューを食べている分には特に不自由はないのかも知れませんけれども、そういうことであればわざわざ紛らわしい看板を掲げないでいただきたいというのも率直な感想というものですよね。
せっかくこの時期の蕎麦を食べた後にわざわざ口直しに別な店に直行するという経験も滅多にないだけに、ここは良い社会勉強をさせていただいたと前向きに考えておくべきなんでしょうか。

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2010年12月18日 (土)

シーシェパード始動 新しい広告塔は天然極上もの?

先日少しばかり笑ってしまったのがこちらのネタですけれども、そう言われれば確かにと言う気がしてきます。

衝撃の事実!? 捕鯨妨害船の名前に使われた怪獣は、鯨を食べていた!(2010年12月08日リアルライブ)

 「世界の海洋における野生生物の棲息環境破壊と虐殺の終焉」を目指して活動を続けている団体、シーシェパード。彼らは日本の調査捕鯨船に対しても、船に体当たりをしたり、酪酸の入ったビンを投げつけるといった武力を行使した過激な「抗議活動」を行い続けてきました。
 そんなシーシェパードの捕鯨妨害船「アディ・ギル号」が日本の調査捕鯨船「第二昭南丸」に体当たりを行ったところ、船が大破、沈没してしまうという事件が今年の1月に起こり世間を騒がせましたが、沈没した「アディ・ギル号」に続く、シーシェパードの新型捕鯨妨害船が完成、航海を行うことが先日明らかになりました。

 新型捕鯨妨害船の名前は「Gojira(ゴジラ)号」。
 名前を見れば一発でお分かりだと思いますが、日本の超人気キャラクター、「ゴジラ」の名前を使用した船で、船の先頭部分にはゴジラらしき怪獣が描かれてもいます。
 当然ですが、ゴジラの版権元である「東宝」の許可などは得ておりません。無断使用な一品となっています。
 彼らには地球環境を守ることを考える前に、著作権を守ることについても考えていただきたかったものであります。
 それにしてもなぜ、彼らは自分たちの船に「ゴジラ」という名前を与えたのでしょうか? 捕鯨を行っている人たちにとって脅威の存在であるということをアピールしたかったのでしょうか。

 しかし、彼らは実に重要なことを見落としているのです!
 …というのも、実はゴジラって鯨を食べるんですよ!!
 シリーズ第5作目の『三大怪獣 地球最大の決戦』では、ゴジラが鯨を食べるために追いかけているシーンが描かれていますし、シリーズ22作目の『ゴジラvsデストロイア』では、ゴジラの息子であるゴジラジュニアが大量の鯨を食べてすくすくと成長していく様子が描かれているのです。

 捕鯨を妨害する目的で作られた船によりによって、鯨を餌として食べている怪獣の名前を使用してしまったシーシェパード。
 ゴジラといえば、全世界で愛されているキャラクター。世界中のゴジラファンからツッコミの嵐を浴びせられる前に、ゴジラ号は改名しておいた方がよいかもしれません。

しかしながらこの一件、シーシェパード(SS)にとって反捕鯨とはあくまで目的ではなく手段であるということ、そしてゴジラという怪物は何故か日本ばかりを目の敵にして襲ってくるということを考えて見ると、実は彼らにとってはこれ以上ないほどふさわしい名前ではないかという気がしてきます。
実際のところSSがどこまで深く考えてこんな名前を付けたのかは判りませんけれども、いずれにしても日本の捕鯨船団も南氷洋へと出航したこれからのシーズンが彼らにとっても稼ぎ時であるわけですから、いったい今回はどんなテロ活動を仕掛けてくるのかと今から気になるところです。
ちなみに今回の妨害船は船籍をニュージーランドからオーストラリアに移したということですけれども、これも先日のニュージーランド人であるベスーン元船長とワトソン代表との確執が一つの原因であるのかどうか、いずれにしてもオーストラリアもニュージーランドも彼らの活動を認めてはいないわけですから、口で言う通りにきちんとした法的対応も期待したいところでしょう。

米豪など調査捕鯨妨害を非難…日本にも「残念」(2010年12月11日読売新聞)

 【ワシントン=小川聡】米国、オーストラリア、ニュージーランド、オランダの4か国は10日、南極海での日本の調査捕鯨開始を前に、反捕鯨団体が妨害活動を行っていることに関連し、「人命を危険にさらすいかなる行動も非難する」として、すべての船に「責任ある行動」を求める共同声明を出した。

 声明はまた、「平和的に抗議する権利を尊重すると同時に、すべての関係者の危険で暴力的な活動を非難する。不法活動は、国際法と国内法に従って処罰される」と指摘した。

 さらに、南極海での捕鯨反対の立場から、「日本の捕鯨船団出港は残念だ」とした。

さて、日本船団の出航に合わせて彼らの方でも活動性を上げてきている昨今ですが、メディア露出を期待してあちこちから盛んに気勢を上げる声が聞こえてくるのは当然ですけれども、結局借金まみれのベスーン元船長もこの商売からは離れられなかったという、予想されたオチがついたということのようですね。
もちろん本家本元のSSもお布施集めにかけては負けてはいられませんが、今シーズンの妨害要員の中には日本人も含まれているということが、昨今彼らSS自身の手によってしきりにアナウンスされている点が注目されます。

反捕鯨新団体に300人支援=SS元メンバーが立ち上げ(2010年12月4日時事ドットコム)

 【シドニー時事】調査捕鯨船妨害事件で東京地裁の有罪判決後に強制退去処分となったニュージーランド人のピーター・ベスーン氏(45)は4日までに、時事通信との電話取材に応じた。同氏は11月下旬に新たな反捕鯨団体「アースレース」の設立を発表。これまでに300人以上から支援や協力の申し入れがあったという。
 同氏は「シー・シェパード(SS)」のメンバーだったが、SS代表のポール・ワトソン容疑者(妨害事件で国際指名手配)の「偽装体質」を指摘して対立、たもとを分かった。ベスーン氏は、ワトソン代表には「不正直なところが多過ぎる」と批判した。

SSが新抗議船導入、日本人メンバーも参加(2010年12月8日日テレニュース24)

 反捕鯨団体「シー・シェパード」は、今月以降に南極海で始まる調査捕鯨を妨害するための新たな抗議船「ゴジラ」を導入した。妨害活動に参加する日本人メンバーはNNNの取材に対し、「クジラを守るためには暴力もいとわない」と話している。

 日本の怪獣映画やクジラにちなんで名づけられたという「ゴジラ」は、全長35メートルで高速航行が可能。シー・シェパードは今月以降、「ゴジラ」を含め3隻態勢で日本の調査捕鯨の妨害にあたる予定。

 今回の妨害活動には日本人メンバー2人が参加している。親川久仁子さんは「日本が世界の規約に反する行動をしている。日本が違法捕鯨をしている」「(Q暴力でぶつかり合う場面が来てもいとわない?)いとわないです。地球を守る、クジラを守るために命を落としても全然構わない」と話した

 水産庁は、今シーズンの調査捕鯨船に海上保安官を同乗させるなど警戒を強めている。

ま、こうして日本人も参加していますよとアピールしたくなる彼らSSの立場というものも分かりやすいのは分かりやすいのですが、正直こと日本人相手の宣伝ということに関しては逆効果なのではないかなという気がしないでもありません。
いちいち使い捨ての末端工作員にまで構っていても仕方がないという考え方もあるのでしょうが、当の本人達自身が盛んに宣伝しているということでもあり、またこの親川久仁子なる人物がなかなか興味深い経歴を持っている様子ですので、彼らの宣伝に協力する形になってしまうのはどうなのかですけれども、今回少し詳しく取り上げてみましょう。
さて、その親川久仁子氏についてはすでにネット上で正体がすっかり判明していますけれども、SSの宣伝材料になって喜んでいる単なる少し弱い人かと思えばさに非ず、実はこの人物は結構したたかな(あるいは、とびきり濃い)人間なのではないかと思わされるエピソードに事欠きません。

No Sea Shepherd - 日本人シーシェパード・クルー(2010年12月3日ブログ記事)

先日、シーシェパードに参加している日本人クルーについて書かれたThe Japan Times の記事を紹介した。
この記事を書く事にあたり、迷いがあったが、本人がマスコミを利用して自己主張をしようとしていることに憤りを覚えたので公開する。

現在、シーシェパードの船舶に乗船している日本人クルーの一人は 親川 久仁子 という女性である。横浜の野毛通信社という居酒屋の店主だったようだ。
http://www.hamakei.com/headline/3805/

twitter で「野毛の連中」のことを The Japan Times が書いたことを「うれしい」と綴っていた。どうやら、野毛がクジラ料理で飲食業を発展させようとしたことに反発し確執があったことをにおわせている。2010年6月21日には『ザ・コーヴ』上映を支持する会・横浜にSea Shepherd 会員として名を連ねていることから、間違いないだろう。
http://blog.livedoor.jp/movie_fun_yokohama/archives/1410551.html

シーシェパードに参加する側の心情を知るための貴重なサンプルだと私は思って見ていたが、日々陰謀説や自己陶酔とも思えるコメントを残してるだけならよいものの、シドニーの共同通信に自分の事を取上げさせようとしたというコメントも残していたため、この記事を公開することにした。

私は2年間ネット上でシーシェパードを追ってきたが、フカヒレを密売する架空の組織をでっちあげるは、銃撃を偽装するは、タスマニアにストランディングしたマッコウクジラを救出しようとしたという嘘の発表をするは、これほど金を食って海洋動物の保護に貢献しない団体はない。他の正当な団体の活動を支援するためにもただちに解体すべきだ。シーシェパードに参加する連中はエコロジストでもナチュラリストでもない。自己愛に満ちたヒッピーどもだ

自己愛に満ちたヒッピーかどうかはともかくとして、とにかく今回のようなSSのテロ活動に参加する以前からやたらとメディアへの露出が多い、しかも自ら好んで露出しようとするタイプの人物であるということは確かなようです。
上記ブログ記事にも引用されているのが野毛でもちょっとした名物的存在だったのでは?と思わせるこちらの古い記事なんですが、まずは引用してみましょう。

野毛の「猥雑パワー」が産み出した規格外の新雑誌「NGT」のメッセージ(2005年10月14日ヨコハマ経済新聞)

みなとみらいの再開発やMM線開通に伴う東急東横線桜木町駅の廃駅によって、以前より人通りが少なくなった野毛。だが、そんな野毛に新しい動きが起きようとしている。野毛の居酒屋から生まれた新雑誌「NGT」――この新雑誌が紙面を通して訴えるのは、かつての野毛が持っていた精神性の復活である。かつては闇市として栄えた野毛の、魅力と可能性とはいったい何なのだろうか?

■野毛から生まれた風変わりな新雑誌

戦後間もない頃から、闇市として賑わった野毛界隈。だが、多くの人が集い、さまざまな文化が生まれた野毛も、近年はそうした活気が失われつつあるという。とりわけ、昨年のMM線開通に伴う東急東横線桜木町駅の廃駅で、野毛への人の流れはさらに減少した。

そんな野毛から、ちょっと風変わりな雑誌が創刊された。その名も「NGT」……。雑誌と銘打ちながら、この「NGT」には何と記事が全く掲載されていない。文字原稿が1文字もなく、全て野毛界隈の風景を撮影した写真中心のビジュアルのみ。当然、その写真にも何の説明もなく、野毛を訪れたことのない人にとっては全く何のことやらわからないに違いない。かといって写真集というわけでもなく、あくまでも「雑誌」。さらに、この雑誌には表紙もない。単語帳のようにリングで綴じているため、見るのをやめた時に一番上に来るページが「表紙」なのだという。編集者の独自の視点で切り取った野毛の風景の断片をアトランダムに束ねただけ、と言った方がいいかもしれない。何もかもが「規格外」のこの雑誌、ここまで説明しても恐らく具体的なイメージが浮かばないだろう。もう実際に手に取ってご覧になっていただくしかないのだが、定価の方も雑誌としては規格外の2,500円なのである。しかも、立ち読みができないようパッケージングされている。中身がわからない雑誌に2,500円も出すというのは、一種の「賭け」のようなものである。
(略)

■全ては一軒の居酒屋から始まった……

「NGT」のもうひとりの仕掛け人が、野毛の沖縄居酒屋「波之上」を営む親川久仁子さんである。穂積氏はそこへ客として通っていた。その意味では、「NGT」は波之上という居酒屋で生まれたと言っていい。昭和23年に野毛で開店した波之上は、終戦後の興隆から現在の衰退まで野毛の栄枯盛衰を見続けてきた存在だ。もともとは親川さんの母親が経営していたが、母親の死去に伴い6年前に滞在先のベルギーから帰国して経営を引き継ぎ、現在に至っている

創業間もない頃の波之上は、左翼関係者たちのサロン的な存在だったという。「横浜市長や社会党委員長を務めた飛鳥田一雄さんや神奈川県知事だった長洲一二さんも波之上の常連で連夜、激論を戦わせていた」。もちろん、そうした文化人や有識者だけでなく野毛の興隆に伴い、さまざまな層の人たちが波之上に集まり、ある種濃密な関係を形成した。そうした交流は産経新聞の連載として約1年半にわたり紹介され、それが好評を呼んで『野毛ストーリー』という1冊の本を生み出すことになる。

■店主と来店客とのコラボレーション

昭和61年に発行された『野毛ストーリー』は、言ってみれば野毛で生活する人が語る「野毛の歴史の本」だ。事実、野毛で生活している人のナマの声を収録したものだけに、今となっては非常に貴重な記録である。当時、店主だった親川さんの母親と、来店客だった古くからの野毛在住者や新聞社の社員らが意気投合して発行されたもの。今風に言えば、店主と来店客とのコラボレーションである。「その意味では、『NGT』が生まれる素地のようなものは伝統的にあったのよね(笑)」と、親川さんは笑う。

親川さんはこれまで、野毛の街の賑わいを取り戻すために試行錯誤を繰り返してきた。2年前に始めた、「野毛飲兵衛ラリー」というはしご酒の企画もそのひとつ。野毛札という 3,500円のクーポン券を購入し、1ドリンク+一品の飲食を5軒はしごできるというものだ。また、野毛の魅力を地元から発信する情報誌「野毛通信」を発行したこともある。同誌は編集委員を来店客がボランティアで務め、執筆者も野毛に直接かかわってきた人ばかりというものだったが、1号限りで休刊となった。そして、その「野毛通信」の復刊を模索していた親川さんの前に現れたのが、前出の穂積さんだった。昨年末のことである。
(略)
穂積さんにしてみれば、野毛を題材にした雑誌を出すことが重要なのではなく、波之上、もっと言えば野毛で何か面白いことやっているという事実が重要なのだという。だから、今後「NGT」で扱う内容も、必ずしも野毛に関するものだけではないのだとか。「とにかく『NGT』では、参加者のやりたいことや思いついたアイデアをとことん追求したい。そして、こんな面白いことをやっている連中が野毛にいる、という評判になれば、結果的に野毛の活性化につながるのでは」(穂積さん)。一方の親川さんも「そういう穂積さんの考え方には、私も賛成です。もちろん全面的に穂積さんと同じ考えではないし、私自身の思いというものもあるけれど、いろんな人が野毛にいて誰にも邪魔されずに、それぞれが思い思いのことをやるというのが大事なのよね」。
(略)
■ひとつにまとまる必要なんてない

時代の流れの中で、野毛が失ってしまった精神性とは何なのか? それはあらゆる層の人たちが野毛に集い、何かを生み出そうとする猥雑なパワーのようなものなのだろう。6年前に帰国した親川さんは当時、久しぶりの野毛の街を目の当たりにしてショックを受けたことがあるという。「野毛というか横浜というのは、開国によって外国人を受け入れるために人工的に作られた街。そんな街だから、海外からも日本全国からもいろんな人たちが集まってきた場所なの。だから、そこにはマジョリティはなくて、マイノリティの集まりでしかなかった。特に、野毛はその象徴のような街だった。ところが久しぶりに帰国してみたら、横浜は東京を意識しない日本で唯一の街だったはずなのに、東京志向の見事に均一化された街に成り果てていた。そして、行政の対応ひとつ取ってみても、何かと言うとひとつにまとまることを強要して少数派を圧殺しようとする。まとまらないのが野毛のいいところだったのに」と憤る。
(略)

「ひとつにまとまる必要なんてない」というのが一つのキーワードになっていると思いますが、これは単に野毛という町を指して言うのみならず、親川氏自身の信条であるらしいと言うことが後々判ってきますけれども、さてそういう人物がSSというワトソン氏の統制厳しい団体に参戦して何がどうなるのかですかね。
いずれにしても出自と言い経歴と言い、こうしてみるとかなり自由な考え方をお持ちの方なんだろうなと感じさせられますが、記事中にもありますように元々女性トライアルライダーの草分けとして外国暮らしの長い人物で、旦那さんともモトクロス王国ベルギーで結婚したというくらいですから、いわゆる典型的日本人というものとは少しばかり離れた独自の思考をお持ちなのは確かなのかも知れませんね。
もうずいぶんと前になりますけれども、地元のヨコハマチャンネルがわざわざこの親川氏とのやりとりを取り上げているということで、なるほどどの方面に対しても昔からアグレッシブに働きかけるという行動力をお持ちの様子がありありと判ると同時に、思わず取り上げざるを得なかった記者氏にしても困惑していると言いますか、その思い込みの強さはいささかもてあましているらしいという状況が理解出来るかと思います。

親川久仁子さん(中区)(2003年7月19日ヨコハマチャンネル)

野毛〔中区〕の親川久仁子さんから、7月17日付けの「カシワバ・ドライブ」に反応を寄せていただいたのがきっかけとなって、親川さんとメールのやり取りが始まりました。注釈を加えず、親川さんのお許しを得て、採録します。二人の真剣な対話から、何かをくみ取っていただければ、幸いです。 〔量がかさむので、はしょっておりますが、対話のエッセンスは伝わるはずです=ヨコチャン編集長こと、松浦一樹〕

 【親川さん】〔野毛発7月17日〕横浜がもし松浦さんのいうように「ダメになった」のだとしたら、それをやった人々は、あなた方「マスコミ界」ではないのでしょうか?
 かつての横浜と他の日本の都市との一番大きな違いは、日本中が「中央」のようになろうとしていた時に、横浜人だけは横浜を見ていたことのはずです。よそと自分の町とを比べる必要がなかったのが、私たちのまちでした。だから政財界から一般庶民まで、よその町とは違う雰囲気だったのです。「個性は集団の中に埋もれて…」にしてしまったのは、あなた方なのですよ。「アメリカかぶれ、西洋かぶれ」であることが、「横浜的」だなんて、取り違えもはなはだしい。もっと活字にはなっていない横浜文化も探ってください。
 私は「横浜がだめになった」なんて思っていません。ただ、昔の横浜と違ってきたことは感じます。何が違うのか、よく考えてみると「限りなく他の日本の都市と同じになってきた」ということです。
 せっかくとても良いウェブサイトを立ち上げたのですから、間違った方向には行かないでください

 【ヨコチャン編集長】親川さん、私はマスコミが横浜をおかしくしたのだとは、思っていません。街を動かすのは、地元の人々であり、政界であり、財界のはず。マスコミはお手伝いできても、当事者にはなれません。そんな限界を感じたから、ヨコハマチャンネルをやろうと思ったんです。
  横浜をどうにかしたいと思っているのは、私だけではありません。自分が動かなければ、この街に活気は戻ってこないんだ、と思って、がんばっている人たちが一杯いる。そういう意味では、この街がダメになったなどとは思っていません。この中には、浜っ子もそうでない人もいて、みんなただ、ただ、横浜が好きだから、どうにかしたいと思っている。野毛の大道芸をやっている人たちだって、必死じゃありませんか。お店が次々につぶれているのを「景気が悪いから」のひとことで、すましたくないんだと思う。
  それより、親川さんがおっしゃるように、どうして横浜はほかの都市と同じようになってしまったのですか。それが知りたいし、そうはなりたくないから、何とかしようと思ってるんです。「カシワバ・ドライブ」の語調が昨日はちょっときつくなって、親川さんには不快感を与えてしまったかも、知れません。その点はおわびします。親川さんのように、いろいろ真剣に考えていらっしゃる方が、この街を支えていることは、重々承知です。

 【親川さん】つい数時間前まで、松浦さんの文章に怒り狂っていましたが、とても丁寧なお返事を読んで、気分も治まったようです。昨日はあの文章をA3の紙に印刷して、私の店に貼りました。念のために同じ物10枚をそこら中に貼って、店に来る人、全員に読ませました。松浦さんが記者だということもわかりました。「ただの若僧だよ。」というひともいました。面白かったのは「こういう風に書くのは青葉区か都筑区あたりに住んでいるやつにちがいない」というのが数人いたこと。
  私の生活のメインテーマが「私のふるさと横浜」なのです。だから横浜にとてもこだわりを持っています。どうしてか、ぜひ松浦さんにも知ってもらいたいので、説明します。生まれは中区池袋、間門〔まかど〕です。人種的には100%沖縄です。ただし父方の祖母は明治のころ、ハワイにお嫁に行き、昭和7年に横浜に来て、ホテルを経営、そして間門の家をドイツ人から買い取り、私はそこで生まれました。
  その後、いろいろな事情で幼いころは滝頭〔磯子区〕にいて、10歳から野毛山にいます。高校をでてすぐにヨーロッパに行き、母が死ぬまで〔平成11(1999)年2月〕のほとんど、30年近くを、外国で過ごしました。全く帰らなかったのではないのですが、日本での社会経験はこの4年数か月だけです。母がやっていた野毛の小さい店〔昭和23(1948)年から、同じ場所でやっています)を引き継ぎました。
  横浜にずっといる人たちには目に見えない変化も、私のように数十年のブランクがあると、とても浮き出てみえるのです。外国に長く暮らしていても、生まれ育ったふるさとに対する思いは、とても強いものがありました。外国に長くいたからこそ「自分のアイデンティティー」を考えるようになったのかも知れません。
  松浦さんはニューヨークが「国際都市」の代表だと思っているようですが、私はそう思いません。「国際的」とはどういうことでしょうか?私が26年間住んでいたベルギーの首都ブリュッセルの方がはるかに「国際的」だと思いますが。私は横浜に戻る前の数年間、ブリュッセルの中心地で「手漉〔す〕きの紙」のお店をやっていました。店番をしていると、一日で4~5か国語を使わなければいけません。ブリュッセルではこれが普通なんです。ニューヨークでは何か国語必要ですか?あらゆる人種がいても「アメリカ式」にしなければいけないのではないですか?松浦さんは「アメリカかぶれ」イコール「国際的」だと思っているのですか?どうして横浜とニューヨークを比べるのですか?自分のアイデンティティーを堂々とさらけ出しても、自由でいられるブリュッセルの方がはるかに「国際的」のような気がします。
  かつての横浜は自分たちとほかの人々を比べたりすることは絶対なかったはずです。外国が横浜に自然に入っていたので「かぶれ」る人もいませんでした。松浦さんのような考え方では「君は横浜生まれかね」と聞かれるのは当然です。多分私も聞くでしょう。
横浜は日本中が東京を見て「追いつけ、追いつけ」をやっている時、東京がどうあろうと「横浜は横浜」と思っていたはず。私の学生時代、友だちもみな、東京に目がいくひとはいませんでした。横浜は日本で唯一「完結」した町でした。それが今は横浜とよその町を比べたがる「よそから来た横浜人」が多くなった。これでしょうね、きっと。横浜がよその都市と同じになったのは。
 「自分のアイデンティティーを堂々とさらけ出しても自由でいられる」これが「輝かしい横浜の歴史」であり、伝統であったはずです。私もそれを理想とします。「ジャズが好き」と言えばかっこよく思われるから、わかりもしない音楽を聞きに行く。そういうよそからの見栄っ張りが多くなったのも、横浜がよその都市と同じになった理由ではないですか?ちなみに私は「西洋かぶれ」も「アメリカかぶれ」も大嫌い。もっと嫌いなのはジャズ関係者。自分のアイデンティティーを見つめ直し、自然に生きてください。
  私は松浦さんのグループとは多分意見も合わないと思います。でも時々は意見の交換をしましょう。「横浜が好き」であることにはかわりません。松浦さんのサイトでとても気に入っていることは、堂々と意見を言っていること。ずっと続けてください。色々な人々がいることが、横浜の楽しさです。

 【ヨコチャン編集長】親川さんのお気持ちよくわかりました。本当にありがとうございます。腹を割ってお話できることが、うれしくてなりません。
  私は、横浜生まれではありません。東京・新宿の生まれで、都会から都会に移り住んできた流れ者です。ただ、東京が故郷、という思いはなく、心のふるさとを探し求めていたら、横浜を見つけた。「ここだ」と思っちゃったんですよね。最初は冷たい街だと思いましたが、五年、十年、十五年と経つうちに、少しずつ受け入れてもらえるようになり、今はかなりの数の友だちもいます。ヨコハマチャンネルはそうしたみんなへの恩返しでもあります。
 「青葉区、都筑区辺り」。私は住んだことはありませんが、確かにヨコハマに対する関心は薄い。私は東京を捨てて、こっちに来ているから、それがしゃくにさわる。なんで、もっとヨコハマを好きになんないのか。入ってこようとしない人たちと、なかなか受け入れようとしない人たちが同じ都市に住んでいるのだから、うまくいきません。出てけ、というのは簡単ですが、この両者になかよくしようよ、というのは容易じゃない。私はこの後者を選ぶ。ヨコハマだって、表向きはどんどんやってこいよと方々でふれまわっているのに、いざ、やってくると、そっぽを向く。「開かれた街」が聞いて、あきれてしまう。
  西洋文化が好きかどうかは別にして、ここがいち早く受け入れてきた場所だという歴史は変えられない。この歴史の流れを、私は大事にしようと思っています。それから、私はニューヨークが横浜よりすぐれているとも、ブリュッセルよりすぐれているとも思わない。各国語が入り交じって、たいへんなところです。常に緊張感があって、住みやすいかどうかは、まったく別の問題。ただ、「国際都市」であり、活気があることだけは、まちがいありません。
 「若造」と呼ばれて、引っ込む私ではありません。親川さんのお仲間にも若いころは、あったでしょう。大人にとやかくいわれて、引っ込むような人たちじゃなかったんじゃありませんか。ただ、こうしてお便りをいただけることが、本当にうれしい。あの挑発的な文章を読んで、ムカッときた人たちは、もっと、たくさんいると思うのですが、こうしてお手紙をいただいたのは、親川さんだけです。これからも、よろしくお願いします。

 【親川さん】私の「いつもの辛口」に真剣に答えてくれて、とてもうれしいです。私の考えは私の周りのだれでもが知っている事です。
  実は、松浦さんのように「心のふるさとを探し求めていたら、横浜を見つけた。」というのが一番うれしいことなんです。そして、そのような人々が「自分をもっと横浜的にしよう」ではなく、「自然のままでいてくれる」方が、長くいる横浜っこにはうれしいのです。
  例えば、関西の人々はどこへ行っても堂々と「関西弁」ですよね。すばらしいことです。日本中の人々がそういうふうにしてくれたら、横浜はもっと面白くなるでしょう。「東京だと方言はばかにされるけど、横浜だと自分の言葉(方言)でも堂々と暮らせる」。私はそんな横浜になってほしいと思っています。多種多様であることが、「私のふるさと横浜」です。
  ところで、戦後の横浜文化の原点である野毛の一番の特徴は何だか知っていますか?それは「ホモ〔※〕の人口」が多い事。密度からいうと、多分日本一でしょうね。日本で最初の「ホモバー」も野毛にあります。今でも、80過ぎのマスターは、元気に店をやっています。そういう「特種〔※〕」な人々が、自然に野毛の町に溶け込んでいるので、あまり目立たないだけです。アメリカの社会学者、Richard Floridaというひとが、ホモ〔※〕の人口の割合が高いほど、その社会は将来性がある、と言っています。ホモ〔※〕にも居心地が良い社会は、その他の「特種〔※〕な人々」にも居心地がいいはず。ホモ〔※〕がバロメーターになって、その社会の「多種多様性」が測られるそうです。そして、資本主義と物質社会が壁にぶちあたった今、将来を考えるには、どうしても「創造的」な人々が多く出てこなければ、「地方都市」として発展しない。「創造的」な人々は「多種多様性」から生まれてくるのです。
  私は「多種多様」という言葉がすきです。全員が一丸となって一つの町を作り上げるのではなく、多種多様な人々が、各々居心地が良い、と思える町にしたいです。これからも意見交換しましょうね。

 〔※は「不適切」とされ、新聞・テレビなどのメディアでは使用されない表現ですが、敵意・悪意は全く感じられないので、そのまま使わせていただきました=ヨコチャン編集長〕

自分もモトクロスだとか言う方面は全く存じ上げませんので何とも言えませんが、それなりにハードな競技だけに多少なりとも体育会系的ノリなのかと漠然と思っておりましたら、何やらずいぶんと違った雰囲気であるようにも思われますけれども、これは親川氏個人がたまたまこういうキャラであるということなんでしょうかね?
むしろこういうやりとりを見て強く感じたのは、ネットのいわゆる専門板なんてところによく出没する系統のキャラなんだろうなあということなんですけれども、正直リアル社会でもこの調子で日々過ごしていらっしゃるというのは、周りの人たちもかなりアレなんだろうなと感じたのは自分だけでしょうか?
いずれにしてもこういう人物がSSの活動に本格参戦ということになりますと、単に広告塔兼末端工作員として言われるとおりの仕事をこなすに留まるとは思えませんから、その場合果たして同様に唯我独尊系のキャラであるらしいワトソン氏との関係がどうなるのか、それともベスーン元船長を始め過去数多の同種の事例と同様に喧嘩別れして終わるのか、下世話ながら何とも楽しみな状況にはなってきた気がします。

しかし同じ日本人ということで比較の対象にしやすいだけ標準偏差からの逸脱ぶりがよく判りますけれども、こういうとびきり濃い人達が大勢集まっている妨害船の船上というのも相当なものなんだろうなと、妙に見てみたいような見てみたくないような…

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2010年12月17日 (金)

実は意外なところに意外な抜け道があったようで

医薬分業以来何かと面倒が増えたという患者さんの声は根強いようですが、先日はこういう記事が出ていまして、なるほど確かにこういう問題があったかと目から鱗ですよね。

個人薬局から悲鳴 大手ストアで処方薬にポイント(2010年12月15日夕刊フジ)

 大手ドラッグストアがポイントの適用範囲を拡大させている。今秋あたりから、ドラッグストアの調剤薬局で医療機関から受けた処方薬を受ける際、患者負担分の代金に応じてポイントが得られるようになった。たまったポイントは各ストアの医薬品や日用品に代えられるため利用客からウケがいい。だが、個人や小規模薬局は「患者を奪われかねない」と猛烈に反発している。

 「ポイントカードをお持ちですか?」

 先日、千葉県内の女性会社員(30)が大学病院で治療を受けた際、ドラッグストアに処方箋を持参したところ、会計時にこう告げられた。処方薬でポイントがつくとは思わなかっただけにかなり得した気分になったという。

処方薬でポイントを付ける薬局が急速に増えている。ドラッグ最大手のマツモトキヨシホールディングスでは主力店「マツモトキヨシ」のうち、調剤部門を持つ約80店などで処方薬のポイントサービスを始めた。ツルハホールディングスでも「ツルハドラッグ」など調剤部門を備える全国約200店で導入。グローウェルホールディングスでは傘下の「ウエルシア関東」をはじめ関西のグループなど約420店でスタートさせている。

 各ストアともに通常の商品と同様、購入金額の1~3%分をポイントで還元する仕組み。たまった分は保険が適用される処方薬の購入以外なら使えるため「正直、利用者のウケはいい」(都内の大手ストア)。

 だが、黙っていないのが個人の調剤薬局。患者を奪われがちで死活問題に直面しているからだ。

 日本保険薬局協会は「健康保険法では治療代金を過不足なく支払うことが義務づけられている。ポイント制度は支払い時に減免していないとはいえ間接的に減免している」(担当者)。日本薬剤師会も「処方薬の公定価格制度は処方箋のサービスを均一に受けるためのもので、ポイントによる過剰な商業サービスは理念に反する」(広報)と指摘し、「結果的な値引き」に危機感を募らせる。

 監督する厚生労働省はこの事態をどうみているのか。ポイント範囲の拡大について「特に規制はない」との解釈を示唆しており、静観の構えのよう。業界内は紛糾するものの、ポイントに慣れた消費者からすれば当然の流れの側面も。もはや止められないか。

この問題については二つの解釈があって、一つは記事のタイトルにもなっているように小資本の個人調剤薬局が経営的に成り立たなくなるのではないかという懸念がありますが、この種の問題は調剤薬局に限らずどこの業界でも見られる話で、今の時代むしろ薬局業界は昔ながらの個人商店が温存されてきた方だと言えそうですよね。
顧客からすれば今どき大手ドラッグストアでポイントが付かない方が違和感があるというくらいですが、反面こうしたところはそれだけ経営にもシビアですから、将来的に長年地域でやってきた小薬局が廃業した後でやはり経営的に成り立たないと大手が撤退してしまえば、後日の利便性はかえって低下してしまうのではという危惧もぬぐえません。
また門前薬局ならずとも地域の薬局はおおむね近隣の医療機関での採用薬は常備しているものですが、こうした大手は大規模店に大きな駐車場を用意して広範囲に顧客を集めるという手法をとっていますから、行ってみたはいいがいつもの処方薬が取り寄せになった、なんて話もこれからは増えそうですよね。

もう一つは全国どこでも同一内容の医療は同一価格でという国民皆保険制度の建前上、各店舗が好き勝手に値引き販売をしていいものなのかという疑問があるわけですが、面白いことにこういう方面でいつもうるさい印象のある厚労省がこの問題を静観しているということです。
ちょうど先日11月19日に開かれた国会で、自身も薬剤師資格を持ち日本薬剤師連盟副会長を歴任した自民党参院議員の藤井基之氏からこの問題に関する質問が出ていまして、こちらを見てみますと静観というよりもむしろ容認している?という印象すら受けるような答弁になっているようなのですね。

保険調剤におけるいわゆる「ポイントサービス」の提供に関する質問主意書(2010年11月19日第176回国会)

 最近、一部の多店舗展開している保険薬局において、保険調剤を行った際、患者から徴収する一部負担金に対し、その金額に応じて、いわゆる「ポイント」を提供するサービスが行われている。
 保険診療及び保険調剤に係る一部負担金については、健康保険法第七十四条において規定されており、療養の給付を受ける者は、定められた金額を保険医療機関又は保険薬局に支払わなければならないとされている。また、一部負担金の減額については、健康保険法第七十五条の二において、災害等特別の事情がある場合以外は認められていない
(略)
 そこで、以下のとおり質問する。

一 一部の多店舗展開している保険薬局において、保険調剤に係る一部負担金の支払に当たって、いわゆる「ポイント」を提供していることについて、政府は把握しているのか。

二 保険薬局を利用して「ポイント」を提供された者が、当該保険薬局又は関連保険薬局において、保険調剤に係る一部負担金の支払に当たって当該「ポイント」を充てて減額を求めることは認められないと考えるが、政府の見解を示されたい。

三 保険薬局において保険調剤に係る一部負担金の支払額に応じて「ポイント」を提供された患者が、当該保険薬局又は関連保険薬局を次回以降利用した場合に、保険調剤に係る一部負担金の支払以外の支払に当たって当該「ポイント」を使用することは、患者にとって費用負担の減額の効果を与えることになり、結果として保険調剤に係る一部負担金の減額に当たると考えられ、認められないと考えるが、政府の見解を示されたい。

四 保険薬局において保険調剤に係る一部負担金の支払に対する「ポイント」の提供が認められる場合には、保険薬局に対する個別指導や共同指導などにおいて不適切であるとされている過剰な景品類の提供など経済的サービスの提供という行為にも繋がり、健康保険法第七十四条の規定が形骸化することにもなりかねないと考えるが、政府の見解を示されたい。

五 保険調剤に係る一部負担金の支払に対する「ポイント」の提供は、「ポイントサービス」の多寡による保険薬局の選択に繋がり、保険医療の質の低下を招く恐れがあると考えるが、政府の見解を示されたい。

六 保険調剤は健康保険法等に基づく療養の給付であり、一般的な商取引ではない。従って、保険調剤に係る一部負担金の支払に対する「ポイント」の提供は、公的医療保険制度の根幹を揺るがすことに繋がると考えられる。政府はこれを認めることがないよう対応を取るべきと考えるが、見解を示されたい。

藤井議員の質問の要旨としてはさすがに個人薬局圧迫ケシカランとは表だって言えませんから「ポイントサービスの多寡による保険薬局の選択に繋がり」云々と曖昧な表現に留まっている一方で、医療保険制度の趣旨に反するのではないかという内容となっています。
これに対する菅総理の答弁書がこちらなんですが、少なくともどこからどう見てもやってはならんと言っているようには見えませんよね。

答弁書(2010年11月30日第176回国会)

   参議院議員藤井基之君提出保険調剤におけるいわゆる「ポイントサービス」の提供に関する質問に対する答弁書

一について

 お尋ねのような事例があることは承知している。

二から四までについて

 健康保険法(大正十一年法律第七十号)等の医療保険各法においては、御指摘のような「ポイント」の提供又は使用自体を規制する規定はないが、保険薬局及び保険薬剤師療養担当規則(昭和三十二年厚生省令第十六号)第四条第一項等において、保険薬局は健康保険法第七十四条の規定による一部負担金等の支払を受けるものとされ、その減額は許されないことから、「ポイント」の提供又は使用が一部負担金の減額に当たる場合があれば、これらの規定に違反することとなると考える。

五及び六について

 保険薬局が担当する療養の給付については、健康保険法等に基づき、その適正な実施を確保しているところであり、御指摘のような「ポイント」の提供が、直ちに「保険医療の質の低下」を招いたり、「公的医療保険制度の根幹を揺るがすことに繋がる」とは考えにくいが、今後とも、健康保険法等に基づき、保険薬局に対する適正な指導に努めてまいりたい。

「ポイントの提供又は使用が一部負担金の減額に当たる場合があれば、これらの規定に違反することとなる」と言うのであれば、今回の質問に出たような状況は違反なのか違反ではないのかはっきりしろと言いたくなるところですが、その後段においてポイント制度自体に対して必ずしも否定していないらしい様子がありありですから、要するに違反ではないと言っているのと同じ事なのかと受け取れる内容です。
菅総理の答弁から勝手に解釈してみますと、要するにポイントを付けるということ自体は禁止するつもりはない、そしてそれを保険調剤以外の部分に使うことも認める用意があるが、もし保険調剤の値引きに使うということがあればそれは駄目ですよということを言いたいのでしょう。
法令上はポイント制度などというもの自体への言及がない以上は、何とも玉虫色のこうした解釈になるのもやむなしなのかとも思えるのですが、そうなりますとこれは自ずから別な問題をはらんできますよね。

法律の条文上ポイント制度への言及がないということは調剤に限らず医療の現場においても同じことですから、例えば来院一回につき何ポイント、検査一つで何ポイントといった形で医療機関がポイントを付けていくということも、法律の条文上は禁止されていないということになってしまうでしょう。
そしてこれまた国の解釈によれば、そうして付与されたポイントを保険診療以外の部分で用いるということも別段禁止されるものではないということですから、例えば保険診療外の人間ドックなどでこうしたポイントの還元を行っても許されるという解釈は成立しそうですよね。
さらに裏技的に言えば、例えば今の保険診療制度では特定のドクター個人を指名して受診するということは制度上の規定がありませんけれども、例えばポイントが幾ら以上あれば院長先生の外来に予約が優先して入りますとか、救急でご来院の場合は優先して診させていただきますなんてことも、法律の条文を文字通りに解釈する限りは出来ない話ではなさそうですよね。

実のところ以前にも紹介しました通り、順天堂大学あたりでは会員制の「リフレッセクラブ」なんてものを運用していまして、基本的にはドックや日常的な健康管理が目的なんですが、「疾病の治療のため、予約診察室を用いて速やかに診察を行い、疾病内容により、適切な専門医を紹介して、診察を受けることができます」なんて規定があるのは、まさにこうしたお得意様優遇のための制度と言えそうです。
入会金が百万円(別に預託金百万円)に年会費が三十万円余と言えば庶民がおいそれと利用できるようなものでもありませんが、二年ほど前にこの話が出てから今日まで変わらず(つまり、お上の指導を受けることもなく)運用されているという現実を見るに付け、なるほど確かに国としてはこういうのは有りとしているのだなと考えさせられる話ですよね。
こうした事情を総合して考えると国としては混合診療紛いのことも決して無碍に否定しているわけではなく、むしろ黙認という形であってもやりたきゃやればと認めているわけですから、これは影響力低下の著しい「混合診療絶対反対!」の日医あたりはますます立場がないということになってきそうです。

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2010年12月16日 (木)

あの聖地は今… 地域医療の行方を考える

先日こういう記事が出ていまして、村上先生も相変わらず大変なんだろうなと想像される記事ではありますよね。

【記者コラム:窓】 自治体と病院 (2010年12月14日中日新聞) 

 二〇〇七年に財政破綻した北海道夕張市。先月、その市立診療所を、公立穴水総合病院内の能登北部地域医療研究所のメンバーが視察に訪れた。記者はその視察に同行した。

 今や夕張市には市街地と呼べるものはなく、昼夜とも人影は少ない。想像以上に財政破綻が市民生活に暗い影を落としていた。診療所も、内科の常勤医が一人のため救急患者を満足に受け入れられず、受け入れを望む役所との対立は深刻だ。

 自治体が破綻すれば地域医療の核となる自治体病院も機能しない。しかも近い将来、能登地域の自治体の規模、予算が縮小することは明らかだ。役所職員、住民が協力して支えなくてはならないという時は、すぐそこに迫っている。 (宮畑譲)

失礼ながら「市街地と呼べるものはなく、昼夜とも人影は少ない」ような過疎地域の一人常勤の診療所で、今どきのハードルが上がる一方の救急受け入れをするような医療施設を望む方もどうなのかですが、夕張市としては財政破綻を理由に救急整備に必要な予算も満足につけるつもりもないということですから、なるべくしてなった事態と言う他ないのではないかとも思えます。
夕張や能登に限らず今どきの地方ではどこでも多かれ少なかれ似たような状況ではありますけれども、何しろ田舎は過疎化で人口が減り続けている一方で都市部では人口集中で医療需要が急増しているわけですから、他のインフラと同様に医療資源も再配置や統廃合が進むのはごく当たり前の現象であって、それが嫌なら大量の補助金を投じてでも分不相応な公立病院を維持していくしかないということでしょう。
実際に「住民サービスを低下させない」と首長らが公約してしまった自治体では自前の公立病院維持のために増え続ける補助金捻出に四苦八苦しているようですが、昨今公立病院を手放すという自治体も増えてきている中で、地方行政の抱える負の遺産とも言うべき自治体病院を今後どう扱うべきのか、いわゆる聖地と呼ばれてきた崩壊先進地などはその点でよい症例検討の対象になりそうですよね。

【東北再考】第2部 地域医療は生き残れるか(4)“四位一体”で自治体病院を守る/福島(2010年12月13日産経新聞)

地域医療は誰が守るのか。医師不足が引き起こした医療崩壊は、こんな命題を地域に突きつけている。

 裏を返せば、医療関係者に患者を診てあげているというおごりがないか、患者に行政や病院が住民の命を守るのは当然という甘えがないかを見つめ直す、絶好の機会とも言える。

「尻に火」

 福島県須賀川市に医療崩壊の足音が忍び寄ったのは、平成17年9月。国立病院機構福島病院で内科医3人が辞め、入院患者の受け入れができなくなった。医療関係者の誰もが「尻に火がついた」と感じた。

 須賀川市と周辺3町村の一部事務組合で管理する公立岩瀬病院にもすぐに飛び火する。18年に27人いた常勤医は19年4月に22人まで減少。さらに6月に2人、7、11月に1人ずつ辞めて18人まで落ち込む。産婦人科は閉鎖され、内科なども規模の縮小を迫られた。

 経営面でも19年度は3億円超の赤字。20年度は入院患者が前年度比8千人減の6万千人、外来患者が1万3千人減の8万千人で、4億8千万円まで赤字が膨らんだ。ちょうど、総務省の公立改革ガイドラインが示され、経営改善は避けられない事態だった。

 手始めに21年4月、地方公営企業法を全部適用し、企業団に移行。県庁OBで危機管理の経験がある伊東幸雄氏を初代企業長に据えた。伊東企業長が赴任直後に常勤医から聞かされたのが、「コンビニ受診」による徒労感だった。

 コンビニ受診とは、診療時間外の夜間や休日に緊急性がない軽症患者が受診すること。岩瀬病院の当直医は1人で、当番日は36時間勤務となることも珍しくない。夜間に仮眠ができればいいが、コンビニ受診が続けばそれも許されない。

時間外患者は20年10月~21年9月で7137人に上り、その半数が小児科。伊東企業長は「子供の症状よりも、『日中は仕事で来られない』などという両親の都合が少なくない。このままでは重症患者への対応に手が回らなくなるおそれがあった」と打ち明ける。

 打開策として、昨年10月からコンビニ受診に「時間外診察加算料」で、2400~5千円の負担を求めることにした。ただ、軽症患者の受け皿も必要になる。伊東企業長は市と須賀川医師会に協力を仰いだ。
(略)
 診療所はこれまで日曜、祝日だけだったが、岩瀬病院が時間外加算を導入するのに合わせ、昨年11月からは平日の午後7時半~10時も開業。平日は医師会員の内科医、小児科医計36人が当番制で担当している。

 市も20年10月の広報誌から5回連続で地域医療の特集を組んだほか、昨年7月からは医師会と合同で住民説明会を開き、医師不足やコンビニ受診の現状を訴えた。岩瀬病院の時間外患者は昨年10月~今年9月で5105人となり、前年同時期より2千人減った

 須賀川医師会長で、黒沢医院の黒沢三良院長は「住民は医療が満たされていると誤解しているところがある。とくに母親に自覚を持ってもらいたい」。最近は、患者から「先生も大変なのね」と声をかけられるようになったという。

 地域医療は誰が守るのか。その答えは黒沢院長の言葉に集約されている。

 「勤務医と開業医、片方だけでは地域医療は成り立たない。開業医は岩瀬病院に入院患者を受け入れ、重症の救急患者を診てもらわないと困る。地域医療は共通の財産で、地域で責任を負う。住民は賢い患者になり、後世に引き継いでいかなければならない

東北6県の公立病院数、赤字病院数、目標達成度

 総務省の「公立病院改革ガイドライン」に基づき、公立病院は改革プランを策定。経営効率化に向け、単年度ごとに経常収支などの数値目標を設定している。岩瀬病院は平成21年度に2億1000万円の赤字と設定していたが、実際は1億2000万円の赤字で抑えた。東北6県の公立病院数、赤字病院数、目標達成度などは以下の通り。

県/病院数/赤字病院数/赤字合計額(百万円)/目標達成

青森/28/17/3800/15

岩手/33/16/2497/6

宮城/32/22/3631/18

秋田/14/7/1716/12

山形/19/11/1591/9

福島/18/12/4117/13

※数値はいずれも21年度。プランの目標達成は経常収支のみ。岩手は県立病院でまとめて1つのプランを策定し、目標は未達成。

不惑の原発銀座2:豊かな地、なぜ医療過疎 /福島(2010年12月14日朝日新聞)

 ●「交付金あるのに、医療守れない」

 富岡町のホールで9月、200人超の集まる住民集会が開かれた。テーマは、原発の立地する双葉地域の医療のこれから。県立大野病院(大熊町)と双葉厚生病院(双葉町)の統合を来春に控え、県病院局幹部が説明に訪れた。

 集会では住民の不安と不満の声が引きも切らなかった

 「原発でたくさんの交付金があるのに、県は医療を守れないのか」「原発地域の住民の生活は危険を伴っている。医療に責任をもってほしい

 県幹部は「医療を守るために、統合で地域に中核病院を作る必要がある」との説明を繰り返したが、参加者は納得の様子を見せない。統合は民間のJA福島厚生連の病院に、県立病院の運営が委譲される全国でも珍しい形態。住民の目には「県が地域の医療から一歩退く」と映った

 原発建設以来、放射線災害への備えが築かれた地。大野病院も初期被曝(ひ・ばく)医療機関として、万一の事故への訓練を続けてきた。しかし、今や住民が最も不安なのは救急医療。集会でも、参加者が「指の切断事故が起きたが、病院がなかなか決まらなかった」「吐血して救急車を呼んでも、運ぶ病院がなくて1時間半近く自宅待機した」などと体験を語った。双葉地域は、南相馬市やいわき市など域外の病院への救急搬送率が約4割に達する。県平均の2倍だ。

 ●病院統合で、医師確保ねらう

 主因は、医師不足。地域の中核の両病院合わせ、2004年に24人いた医師が09年に17人まで減った。県内7地区別に医師数を比べると、双葉郡を含む相双地区は南会津と並んで低い=グラフ。県は病院統合で医師の集まる環境を整え、13年に25人まで増やす計画だ。救急態勢の充実につなげ、域外への搬送率を2割に抑える目標も掲げる。

 「双葉郡は、県内で最も医師が集まりにくい地域」と厚生連の森合桂一・業務部長は医師不足に陥った背景を説明する。医師派遣の中核を担う県立医大から遠いことや、専門医研修を受ける態勢が整っていないことなど、要因はいくつか考えられる。子育てなどの生活環境を気にかける医療関係者の声もある。

 両病院は来春の統合に向け、準備作業のまっただ中。大きな課題は、看護師ら医療スタッフの異動だ。県立病院職員は、民間病院への統合で給与減など待遇が変わる。このため、県立病院の看護師は退職したり、他の病院に移ったり、県の医療部門にとどまってほかの地域に移ったり、と進む道が分かれる。新病院の看護師は、募集した40人のうちまだ半数程度の採用だ。

 もはや統合の動きは後戻りする段階になく、「できるだけ早く、新病院がしっかりと機能するように」(双葉郡医師会の井坂晶会長)との思いは地域の願い。一方で、原発で豊かになったはずの地だけに、医療過疎という現実に住民は戸惑いを感じている

ま、人口や経済力、医療需要や地理的要因といった客観的判断材料以上に医者が集まりにくいからこそ聖地と呼ばれるのだと考えるならば、今や全国医療関係者に名を知られる大野病院を抱えた福島県などはその資格は十二分にあるかと思われますが、実際にこうした状況になっているというのはある意味当然ではないかとも思われますね。
正直外から見ている分にはさほど大きな違いがあるようには思えない東北六県の中で福島県の赤字額が突出している一方、多数の公立病院を抱えながら例の病院統廃合の成果か比較的赤字の少ない岩手県の存在が印象的なんですが、岩手にしても福島と同様に住民の反対は根強くあったにも関わらず強いリーダーシップで押し切った、その結果がこうして現れているようにも感じられます。
そもそも金さえ出せば医者など幾らでも集められるというのであれば尾鷲の産科医が逃げ出すこともなかったわけで、財政のみならずマンパワー上も医療環境が改善すればその分不足しているところに手厚く回せる余裕も出来るはずだと住民を説得し、きちんと長期戦略に基づいた医療行政を行えているかどうかが将来の分かれ目にもなりかねないという、これは一つの大きな教訓にはなりそうな事例ですよね。

その聖地・尾鷲を擁する三重県ですが、以前から何度か取り上げている伊賀・名張地方の病院統合問題について、結局病院再編によって機能分担をするという話は流れてしまったらしいと言う予想通りの結末に終わったようですね。

伊賀、名張両市が近く連携協定 当面、各市で医師確保/三重(2010年12月14日中日新聞)

 伊賀、名張両市は13日、伊賀地域の医師不足に対応するため、近く両市で「医療連携協定書」を交わすことを明らかにした。両市は3月に両市立病院の機能分担や統合を約束する確認書に調印したが、現状では実現不可能と判断し、当面は各市で医師確保などに専念する

 3月の確認書では、両市立病院がそれぞれ急性期か慢性期を担う機能分担をことし7月から実施すると明記。さらに2011年度をめどに経営統合し、5~10年後に拠点病院を設置することも約束したが、深刻な医師不足により議論が進んでいないままだった。

 今回の協定書では、機能分担や経営統合、拠点病院設置について両市で「連携」と「協力」をするとしたが、いずれも具体的な時期は削除した。結果的に議論を先送りした形となり、伊賀市の角田康一副市長は「再度、一から両市で検討していきたい」と説明した。

 両市によると、今後、伊賀市立上野総合市民病院はがん総合治療に特化した医療、名張市立病院は小児科を特色としてそれぞれ医師確保に努める。二次救急は、伊賀市の岡波総合病院を含む3病院で輪番制を継続する。 (河北彬光、川合正夫)

救急医療体制:名張市立と上野市民病院、2次救急の機能分担を断念へ /三重(2010年12月14日毎日新聞)

 ◇前提の内科医補充できず

 名張市健康福祉部は13日、市議会全員協議会で、伊賀地域の2公立病院で実施するとしていた2次救急の機能分担は困難と報告した。岡波総合病院(伊賀市)を含めた3病院による2次救急輪番制を維持しながら、両公立病院は、疾患に応じ専門性を高めた診療をしていくという。また、来年1月から名張市立病院の外科医2人が伊賀市立上野総合市民病院に異動することも発表した。【藤原弘、宮地佳那子】

 ◇輪番維持し、専門性高める

 機能分担は、伊賀、名張両市長が今年3月に締結した「確認書」に基づき、両公立病院が「急性期」「慢性期」別に診療する方針。しかし、機能分担の前提となる内科医の補充が三重大から得られず困難となった。そこで両市は、確認書に差し替え「医療連携協定書」を遅くとも来年1月中に締結する。

 同協定書案では、それぞれの医療資源を有効活用するとしている。名張市立はカテーテルを用い、心疾患、脳疾患など血管内治療を強化。上野総合市民は消化器疾患、がん総合医療などを強化する。上野総合市民の消化器疾患の強化を受け、名張市立の外科医2人が上野総合市民に異動。名張市立は「アルバイトや三重大の協力で、救急医療に影響はない」とし、引き続き輪番制について月約50%の担当を維持するという。通常時についても、上野総合市民の外科医が応援に来るという。

 同協定書では、拠点病院の設立や両公立病院の経営統合実施については確認書を基本的には踏襲したが、時期の明言を削った。市議からは「経営統合なしに外科医が上野総合市民に行くのは心配」「方針がどんどん変わり、信頼性がなくなってくる」などと批判的な意見が相次いだ

 一方、伊賀市はこの日の市議会全員懇談会で、医療連携協定書案などについて説明。市議の質問に、角田康一副市長は「救急をどうするかの取り組みをやってきて、(拠点病院、経営統合については)手つかずの状態だ。一から、できるのか、できないのかを検討する」などと答えた。

「おらが町の病院を潰すなんてとんでもねえ」だとか「隣町にあるのと同じものがなんでこの町にはないんだ」なんてありがちな住民意識を考えれば、どうもこうした自治体病院間の統廃合や機能再編といった話はまともにまとまりそうにはないなと感じてはいましたが、あまりに予想通り過ぎる結末でもう少しオチをひねれよと突っ込みたくなるあたりが聖地三重と呼ばれる所以なのでしょうか?
既得権益は決して手放さないという地域住民感情に従って漫然と現状維持を続けている限り、これからの地域医療は到底立ちゆかないということを示す新たなエヴィデンスとなりそうな勢いですが、県立病院ではなく市立病院同士の問題であるだけに、強力なリーダーシップを発揮出来る存在が不在であったことも教訓として挙げられるかと思いますね。
いずれにしても個々の自治体病院が行き詰まって来ているという現実が何ら変わったわけではないし、外部からの支援も到底見込まれない(何しろ三重ですしね!)以上、遠からずより大規模なカタストロフィへと至ることがほぼ確定的となったように思えますが、当面の注目点としてはいつまで輪番制が破綻せずに続けられるのかといったあたりになるのでしょうか?

以前にも取り上げさせていただいて、今やニューカマー聖地としてとみに声望の高まっている山梨県は上野原市の新病院建設問題ですが、先日は急転直下の展開で市長側が経営上無謀な要求を引っ込め問題解決か?!と思いましたら、今度は造成工事着手に絡んで地元医師会が「市当局は信用できない!」と話し合いすら拒否しているという話題をお伝えしました。
お互いにかれこれいい年でしょうに一体何をやっているのかと言う話ですが、そろそろ外野からもうんざりしたという声が聞こえてきているようです。

泉:面談拒否では進まない /山梨(2010年12月14日毎日新聞)

 来年3月の本体工事着工が危ぶまれている上野原市の新市立病院建設を巡り、地元の上野原医師会(渡部一雄会長)が、医師でもある江口英雄市長から要請されている面談の日程調整の交渉を打ち切るという。しかし、医師会が理由に挙げる江口市長の言動に不信感が募るのなら、面談して主張するのが筋ではないだろうか。生命を守る医師として、より良い病院にしたい理念は同じなのだから。

 医師会は1日に江口市長に提出した文書で「市長の公的な発言などに多くの矛盾が認められ、口頭でのやりとりは問題がある」などとして不信感をあらわにし、「市長による侮辱行為について、我々の名誉を回復するため、記者会見での謝罪を求める」と主張した。文面から確執がありありと伝わるが、両者は医師であり、新病院のあり方に不満があるなら、専門家同士が議論するのが良いだろう。

 そもそも面談が必要なのは、前段の造成工事が地権者の上野原土地改良区の反対で着工できず、同意条件として市長と医師会の「和解」を挙げたため。改良区理事長は奈良明彦前市長で、引退した09年市長選で、江口市長を後継者としなかった

 関係者は早急に話し合いのテーブルにつくべきだ。市民不在の迷走劇に「喝」を入れたいのは私だけだろうか。【富士吉田通信部・福沢光一】

新市長となった江口氏が「まず公約実現ありき」の姿勢で現場も経営事情も無視で突っ走ったことが最初の行き違いの原因であったとするならば、まずは市長側から和解のための歩み寄りをしていくことが筋ではないかとも感じるのですが、今のところ市長側が敢えて腰を低くしてという印象ではないだけに、そうそう簡単にも解決しそうにはない話という印象を受けます。
この件に限らず昨今では民間を入れて公立病院の経営を改善するということをあちこちでやっていますけれども、上野原市の場合はせっかく経営再建の軌道が見えてきていたところへ、新市長の横やりで全てがぶちこわしになりかねないという危機が訪れた形であるだけに、長年に渡って公立病院経営を損なってきた責任を持つ自治体側が今さら現場の運営に口を出してくることの是非は問われそうですよね。
冒頭に登場いただいた夕張などにおいてもそうですけれども、病院運営ということに関して公務員は全く使えないということはほぼ全国的な定説と考えてよさそうな現状において、自身も医師出身であるという江口市長には自分が現場側に立っていたとしたら、無能な行政の介入をどう感じていただろうかという視点が抜け落ちていたのではないかと言う気がします。

こうして聖地と呼ばれる各地の話題を拾い上げてみますとある程度の傾向と対策がつかめるのではないかと思いますが、とりあえず自治体病院の運営ということに関して自治体側が医療の現場にばかり注文を付けてくるような地域ではうまく行っていない、逆に数少ない成功例としては自治体側が現場の代弁者としてきちんと住民に向き合い、説明責任を果たしているという言い方が出来そうに思えます。
行政の言うとおりにやっていたのでは病院などまともに運営できないことは既に数多の実例によって立証済みであるわけですから、いかに現場が動きやすいようにフリーハンドを与え財政面等で必要なサポートを与えられるかと同時に、行政側が医療現場を守る立場にたってきちんと地域住民のエゴと向き合うということが大事であるということでしょうね。
田舎の行政なんてものはおおよそ利権や地縁・血縁によってがんじがらめになっているだけに、下手なことをすると自治体首長とは言えただではすまないという現実もあるのでしょうが、そうであるなら県や国といったより大きな立場に立つ存在が間に入っていかなければ、まとまる話もまとまらないのではないかと言う気がします。

もっとも、昨今では国にそんなリーダーシップを求める方がよほど酷な要求なのではないかという話もありましてね…(苦笑)

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2010年12月15日 (水)

あまり注目されずにいるリスク要因

医療安全と言う事に関しては今の時代誰でも感心がないはずはありませんし、どこの施設でもそれぞれに日々の向上努力を怠りないものだと思いますが、それでもどうしても一定の割合で望まない結果が起こってしまうのも現実ではありますよね。
そんな時代にあって先日はこういう記事が出ていまして、かねてこの産科無過失補償制度に注目してきた立場からすると確かに数としてそれなりにはなってきたのですが、まだこんなものかと感じると同時に未だ制度自体に問題なしとはしないのかとも思わされる話ですよね。

産科医療補償制度、補償対象の累計101件に(2010年12月8日CBニュース)

 日本医療機能評価機構が12月8日に開いた産科医療補償制度運営委員会(委員長=上田茂・同機構理事)での報告によると、昨年1月にスタートした産科医療補償制度でこれまでに審査された事例の累計は107件で、このうち101件が補償対象となったことが明らかになった。

 事務局によると、審査事例のうち補償対象とならなかった6件については、1件は脳性まひが発生した原因が新生児期の要因によるものと判断され「補償対象外」となったほか、3件は適切な時期に再度診断を受けることで補償対象となり得るとして「再申請可能」、2件は「継続審議」とされた。

 一方、補償対象となった事例の分析については、原因分析委員会の6つの部会で作成された「原因分析報告書」の審議件数の累計22件のうち、本委員会の審議で承認されたものはなく、20件が委員長預かりとする「条件付承認」、2件が「再審議」となった。

 こうした審議結果について弁護士の鈴木利廣委員は、「部会と本委員会の間に、根本的な評価の違いがあるのでは」と指摘。「本委員会でどういう意見が付いたのか、部会に打ち返すなどして審議のギャップを埋めるべき。こういう結果では、部会もやる気をなくしてしまう」と述べた。また弁護士の近藤純五郎委員も、今後の審議件数の増加を見越した対応策として、「主な事例に絞って本委員会で検討し、ある程度の審議は部会に一任しては」と提案した。
 これに対して事務局側は、各部会長が報告書をまとめた事例については、できる限り本委員会への出席を促すなどして、両者の間での評価のギャップを埋めていきたいと述べた。

実際に原因分析報告書を作成する原因分析委員会の部会がどうも機能していないのではないかと思える結果になっているということで、このあたりはかねて言われているようにそもそもの制度の目的とその方法論という点に関して、未だ十分なコンセンサスが出来上がっていないのかとも感じられるのですが、実際のところはどうなんでしょうね。
先日は医療事故調に関する早期設立の要求が一部団体から提出されたと話題になっていましたが、とりわけ近年「お産は病気ではない」などと言う妙な格言?が流行して安全性ばかりが強調されてきた産科領域においては、「こんなはずではなかったのに」と関係者双方が納得しがたい結果に終わるという事例も多く、ひいては産科医の疲弊や逃散といった社会現象にもつながっています。
そんな中で「産科医療のこれから」さんを拝見しておりましたら、「このままいけば病院での出産は10年後には20%の減少見込み」なんていう産婦人科医会の推計が取り上げられていまして、いずれは病院以外でのお産が逆転するということですから、何やら厚労省あたりが言うところの医療集約化の流れと逆の現象が起こっているのかと興味深いですよね。

もちろん疲弊する産科医を救済すべく助産師をもっと活用すべしなどといった話は今さらなのですが、これまた何度も取り上げているように病院外でのいわゆる「自然なお産」なるもののリスクというものを考えた場合に、医療が純粋な質の追求から様々な制約下での妥当性の追求へと重心を移していかなければならない時代にあっての、これは先行するモデルケースとなりえるのかも知れません。
全ての妊婦が常に最善最良の体制でお産に臨めるなら理想的なのでしょうが、現実問題コストやマンパワーなどといった制約もある以上それは不可能であるとすれば、どういったあたりに妥協点を見いだすべきなのか、それを社会的にどうコンセンサスを得ていくのかといった点は、他領域の医療従事者も非常に関心をもって注視していかなければならないでしょうね。
そんな中でお産に関わるリスク要因の一つとして個人的に注目してきたのが院外で助産所を開く開業助産師という存在なのですが、タイミングがいいのか悪いのか、最近病院外出産というもののリスクを敢えて取り上げる記事が、今まで「自然なお産」を盛んにヨイショしてきたマスコミの側から出てきましたので、なかなかショッキングなこちらの記事を紹介させて頂きましょう。

病院外出産の悲劇 ブログで警鐘 母子の安全、まず考えて(2010年11月25日産経新聞)

 医療介入をなるべくしない助産院や自宅での分娩(ぶんべん)は、“自然なお産”として美化して伝えられることが少なくない。しかし、実際には医療介入があれば救えたはずの命が失われたり、負う必要がなかった重い障害を負っているケースもある。こうした悲劇を減らそうと、助産院の出産で長女を亡くした女性が“自然なお産”に警鐘を鳴らすブログを開設。「母子の安全を守るという観点で助産院や自宅分娩の問題点を広く考えてほしい」と訴えている。(平沢裕子)

 この女性は北関東に住む「琴子の母(琴母)」さん(39)。平成15年8月に助産院で出産した長女、琴子ちゃんは妊娠中に逆子(さかご)(骨盤位)と分かった。最初に予約していた実家近くの助産院では「逆子なら病院」と断られたが、知人から「逆子直しの名人」として別の助産院を紹介される

 助産師から「逆子の方が簡単」と言われ、また、ネットで「逆子でも助産院で産んだ」という情報が多かったこともあり、助産院での出産を決める。

病院へ搬送されず

 逆子直しを3度したが、分娩時に逆子だった琴子ちゃんは、意識のない状態で生まれてきたのに病院への搬送をしてもらえず、2時間後に亡くなった。

 琴母さんは「最終的に助産院を選んだのは私で、自分が一番悪いのはよく分かっている。ただ、日本助産師会が『逆子を助産院で扱ってはいけない』と言っているのを知ったのは出産後。もっと早く知りたかった」と悔やむ。

 もちろん病院での出産でも赤ちゃんや母親が命を落としたり、重篤な障害を負ったりすることはゼロではない。しかし琴子ちゃんの場合は、病院で帝王切開で産んでいれば助かった可能性が高く、1年後に起こした民事訴訟でも助産師の過失が認められている

子供を救える場所か

 病院でのトラブルは医師らの過失として大きく報じられるが、助産院や自宅出産でのトラブルを目にする機会は少ない。病院に比べて出産数が少ないことや、病院以外の出産を選択した自己責任と考える人が多いためだ。一方で、自然なお産を無条件にすばらしいとするテレビ番組やネットの情報は氾濫(はんらん)している。

 「同じ過ちを繰り返してはいけない」との思いから、琴母さんは出産から2年後の17年、「助産院は安全?」というブログ(http://d.hatena.ne.jp/jyosanin/)を開設。助産院や自宅出産の問題点をはじめ、妊娠・出産する女性に知ってもらいたい情報を発信している。

 琴母さんは「順調な妊娠経過でも、突然危険な状態になることがあり、そのときの対応で子供の生死や障害の度合いが異なってくる。これから出産する人には、出産する場所が万が一のときに子供を救える場所なのか見極めて選んでほしい」と話している。

以前にも取り上げさせて頂いた「天漢日乗」さんの「今どき産褥熱」といったケースは極端にしても、やはり助産所では正常分娩しか取り上げられないはずであるのに守られていないという現実がある、それも知らなかったからというのではなく最初から確信犯的に法律の範囲を逸脱する助産行為が行われているというのですから、これは何とも困った話だと思いますよね。
この件に関連しては記事中にも取り上げられていますように「助産院は安全?」というブログがありまして、「産婆から助産師への歴史と業務拡大について」なんて記事は興味深く拝見させていただいたのですが、歴史的経緯もさることながら現実問題として医者の指示のもとに業務を遂行する看護師と比べても、助産師という方々はどうもミニ医者的な自主独立精神旺盛な方々が多い印象は受けるところですよね。
このあたりは医者とは全く別の存在として発達してきた歴史的経緯のなせる技であるのか、それとも正常分娩であれば医者抜きでも最初から最後まで妊婦の面倒を見ることを許されているという法的地位が、いつの間にか「正常分娩であれば」という肝心なところが抜け落ちて「ナニ産科医?あんな下手くに任せられるか!」と妙な自信ばかりが先行しているのでしょうか。

現在の医療は西洋医療と呼ばれますけれども、看護師や技師、薬剤師といった各方面の専門家を医者という存在が統合し一つのシステムとして医療を行っているわけですから、「いや我々助産師はそういう下請け連中とは出自が違いますから」と好き勝手をするというのであれば、これは大きな勘違いと言うしかないでしょう。
放射線技師の方が医者より綺麗な写真を撮るだとか、看護師の方が医者より採血がうまいだとか、個々の高い技量をもった専門家がいるのは当然ですが、彼らが「私の方が血を採るのがうまいんだから薬もこっちで処方させていただきますね」なんて言い出すのはあり得ないのに対して、一部助産師には妙な自負あるいは医者への対抗心というものが感じられるのはどうなのかです。
もちろん最近流行の院内助産所のように、システムとしての医療現場の中で存分に技量を発揮している方々も多いわけですが、そうしたシステムを離れ法律にすら背いて好き勝手をした結果重大な結果を招いてしまうのでは社会的に許されざることでしょうし、そんな勘違いを「カリスマ」だと持ち上げる側も道義的責任を問われてしかるべきではないでしょうか?

先日取り上げたホメオパシー問題などでもそうですが、単独で業務を遂行する権限を与えられているということはそれに伴う責任もあるということであって、エヴィデンスも何も無視して好き放題をやった挙げ句に「それじゃ産科の先生、あと始末はよろしくね」で責任だけ丸投げというのであれば、それは誰も助産所のバックアップなどやりたがらなくなるのも当然だという話でしょう。
産科事故調における原因調査の中で、「結局助産師にかかったことが悪かったのだ」なんて結論が出るような羽目になっては何とも悲しいことだし、スキルを備えた人材の有効活用という面から見ても社会的な損失というしかありませんよね。

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2010年12月14日 (火)

聞こえてくるのは何の足音か

昨今では不景気が長く続いているせいか公務員は勝ち組であるとか、各種資格も取れる自衛隊なども大卒者の間で大変な人気だという話ですけれども、医者の世界というのもなかなかに人気があるということです。
とりあえず医師免許を持っていれば食いっぱぐれないということはそれなりに事実に近いところにあるのでしょうが、昨今では何やら妙にこの経済的安定性という側面ばかりが強調されているようで、見ていますと果たしてこの調子で入学して将来医者としてやっていけるのかと不安も感じますよね。

“医学部は将来が安泰”どうして?(2010年12月12日exciteニュース)より抜粋

◆医学部に入れれば将来は安泰か?

 医学部受験の倍率は、国公立大学前期日程で、平均およそ4.6倍。後期日程でおよそ17.3倍。私立医学部で平均15倍と、高い競争率を誇っています。

 依然として、“狭き門”の医学部。医学部に入学すればほぼ将来も約束されたといって過言ではないというイメージもあります。
 では医学部に入り、医者になれば本当に安泰なのでしょうか。

 講談社から出版されている『子どもを医学部に合格させる父親はこうやっている』(松原好之/著)に興味深い一文が載っていました。

「子どもを医学部へ進ませたい父親としては、子どもに話す際、とくに強調してほしいことがある。自己破産した場合に、弁護士や司法書士、公認会計士などは資格が剥奪されるが、医者は免許を剥奪されない、ということだ。私の知人の医者で病院経営に失敗して自己破産した者がいる。彼は自己破産直後に北海道の北見の過疎の無医村から誘いを受けて、破産の翌日から早くも、年収4000万~5000万円の生活に入った。それ以前に蓄えた貯金はもちろん全て奪われ、手元のお金はいったんゼロになった。したがってもちろん、自己破産前後の生活は確かに困窮する。しかし、破産後に稼いだお金は、すべて自分のものになる。働き口が確保できれば、不安を抱く必要はない。医者の場合は資格が奪われないのだから、働き口がなくなることはない。
うちの子は商売やビジネスの才覚がないどころか、取り得がなにもないと思ったら、医者にさせるのが一番良いと思う」

 一流大学を出たからといって、卒業後に高収入の仕事があるとは限りませんが、医学部は入学した瞬間、ほぼ医者になる将来が約束されるのです。これは魅力的と言わざるを得ません
(略)

記事では以後医学部入学のコツというものが紹介されているのですが、医学部などというところは数々の都市伝説に彩られていて世間の誤解を大いに受けている側面もありますから、この種のハウツーなどを通じて何かしら実態の一部なりとも紹介するというのも悪いことではないのかも知れないとも思える一方で、新たに妙な誤解を招いているような気がするのは自分だけでしょうかね?
いずれにしても昨今では医学部進学本なんてものも結構な人気なんだそうで、これも世間的には医学部がそれだけ魅力的であるということの反映なのでしょうが、こういう本の類は医療畑ではなく進学指導畑の人間が書いているというだけに、見ていますと何かしら新鮮な驚きを感じさせる記述も多いようです。
先日も日経メディカルブログで「大手予備校のカリスマ英語教師、そして医系予備校「進学塾ビッグバン」の主宰者」であるという松原好之氏がこんなことを書いていますけれども、なるほど昨今の医学部進学から卒後の勤務先に至る諸事情というのは外からはこういう風にも見えているのかと、逆に興味深い内容ではありますよね。

◆松原好之の「子どもを医学部に入れよう!」息子に田舎の病院を継がせるための奇策(2010年10月13日日経メディカルブログ)

 第1回のブログは、いささか緊張して書かせていただいたのですが、予想外に様々な好意ある反応をいただいて、ホッとしています。

 さて、今はどこもかしこもモノが余っている時代なので、何事につけ「獲得する」ことより「選ぶ」ことに腐心します。もちろん医学部は相変わらず激戦なので「獲得する」というスタンスは相変わらず必要ですが、それでも落ちる子は15、6校受けてもことごとく落ちるのに、合格する子は受験校のほとんどに合格し、そこから選ばなくてはならない、という落ちた子からすれば実にうらやましい現実もあります。

 そんな時、選ぶ基準の第一はやはり学費です。国公立に受かれば、地方大学であってもまず入学することになるでしょう。それが親の希望だからです。子どもとしては、首都圏か関西の大学に行きたいというのが本音でしょう。若者は誰しも都会でバラ色の大学生活を送りたいと思うものです。でも、最終的には親の顔色を見て地方の国公立というケースが多いようです。

 では、受験生はなぜ地方を嫌うのでしょうか。理由はいろいろあるようですが、「医師のイメージは、自由で高収入が保障されること。組織に縛られるのはイヤだ」と彼らの多くは答えます。「地方=田舎」のイメージが強く、田舎特有の因習やしがらみ、さらには、当該地域での一定期間の勤務義務という「地域枠」の条件から想起される“ヒモ付き”の印象が、地方は避けたいと思わせる理由になっているのではないかと思われます。

 確かに、地方の医科大学は、国公立・私立を問わず、とにかく医師が足りないという地元の声を反映して、なるべく地元に残ってくれる医師を欲しがっています。その表れが「AO入試」とか「地域枠推薦入試」とか名付けられた「地域枠」、いわば「地元生優先入試」です。私は東京生まれだから関係ない、大阪生まれだから無縁だ…という方も「募集要項」をじっくり読んでみてください。福岡大医学部など、祖父母が九州、沖縄、山口に住んでいればOKなのです。もっとも1浪まで、しかも現役・1浪合わせて1人1回限りという制限つきですが。

 先でも触れたように学費は大学選びの際の大きなポイントですが、ちょっと裏技的な調達法もあります。例えば、大阪府枚方市にある社会福祉法人・枚方療育園は、受験生の時点で面接などを経て“内定”していた高校生・浪人が医学部に合格した場合、6年間の学費を全額負担してくれます。その代わり、卒業後は枚方療育園の関連施設で10年間は勤務する条件になっています(厳密には6年間の修学資金を貸与し、10年勤務後は返還免除となります)。

 この制度は、進学先がどこの医学部でも構いません。たとえ、学費が最も高い帝京大医学部であっても、6年間は全額面倒を見てくれます。また、勤務地となる枚方市はへき地ではありませんから、都会暮らしにこだわるのであれば、一つの選択肢にはなるでしょう。

 ちなみに、この話を愛媛県で民間病院を経営しておられる方に話したところ、「うちだって、本当に10年いてくれるものなら、6年間の学費なんぞ2人でも3人でも出してやりますよ」と言われました。地方の医師不足は、それほど深刻だということでしょう。

 以前、九州の地方都市に住む開業医の方から、こんな相談を受けたことがあります。「めでたく東京の私立医科大に入学し5年生まで進んだ息子が、『郷里には帰りたくない、跡も継ぎたくない、東京で勤務医になるか、ビル診の開業医にでもなって生きていきたい』と言い出した。どう説得したらいいか?」という内容でした。東京生まれの彼女ができたことも理由の一つらしく、「こんなことなら、センター試験を無理矢理でも受けさせて、地域枠で地方国公立大に行かせるべきだった」と嘆いておられました。

 私はこんなアドバイスをしました。「卒業後、郷里に戻ってくる代わりに、お父様が出資なさって、東京に息子さん名義で小さな“お店”を出してやる、という約束をされたらどうですか。趣味に応じて小売業でも、バーのような飲食業でもいい。今は地価も下がっていて、先生なら買うこともできるでしょうし、テナントとして比較的廉価で借り上げることもできるでしょう。誰か信頼できる人を探して店を任せ、月に 1・2度、会計監査の名目で息子さんが上京できるようにする。ずーっと田舎暮らしと思うから息子さんは嫌がるのです。月に1・2度の上京は会計監査というより“ガス抜き”です。別に店自体はそう儲からなくていいんです。東京生まれの彼女が将来、奥さんになられるなら、彼女も東京に仕事名目で里帰りできるじゃありませんか」

 するとその開業医は「それは名案ですね。早速息子に相談してみます」と言っておられました。その後、このアドバイスが実現したかどうか聞いていませんが、都会と地方の格差は拡がるばかりです。都会の楽しさを知ってしまった息子、娘を呼び戻すには、時としてこれぐらいの奇策も必要になってくるのです。

 ところで、前回のブログに対し、「これからの歯学部はもはや絶望的なんじゃないか」という質問がありました。確かに歯科医は今飽和状態ですし、歯科国家試験も点数ではなく人数で絞り込もうとしています。ただし、それも昔のイメージからの発想で、歯科医は必ずお金持ちになれる、という時代ではなくなっただけで、今でも儲かっている歯科医はたくさんおられます。要はやり方次第です。つまり一般社会と同じく「歯科も競争社会に突入した」と思うべきです。

 医師の世界もすでに都会では競争社会の様相を呈しています。安閑と医者然としているだけでは以前のような高収入は得られなくなっているのはどこの世界も同じです。10年近くに及ぶ「ゆとり教育」によって、「楽してもいい暮らしができるんだ」などという幻想を信じ込まされたとしたらそれは悲劇です。親も子も “官”が誤って主導した「ゆとり」からきっぱりと足を洗い、いろいろな意味で私たちが若かったころの猛勉強の姿勢を取り戻さなくては勝てない競争社会に生きていることを、自覚するべきでしょう。

この息子の都会志向に悩む地方開業医へのアドバイスなるもの自体がものすごくバブリーな発想で、さすがに今どきそれはどうよとも思うし、それを「名案」だと感じてしまう父親というのも果たして親という以前に経営者としてどうなのよと思わないでもないんですが、ここで進学担当者の視点で見た現在の医学部入試のポイントというものが幾つか出ているのは注目されますよね。
例えば以前から現場の常識となっているように、昨今急増している地域枠の類というものは「大穴」として狙われているということ、そして学生にそうした制度利用を勧める側としては別に地域医療に対する高尚な志があるからとかそんなことはどうでもよくて、単に裏技的に使ってでも楽に医学部に入れる制度としてしか認識されていないらしいということがあります。
もちろん学生がどんな手を使ってどんな意志と共に入学しようが、将来を金で縛りさえすれば同じじゃないかとスポンサーたる自治体側では考えているかも知れませんが、前述のように何の沙汰であれ金次第という感覚で入学してきた人々が、おとなしく借金のカタに僻地奉公をするものだろうかという素朴な疑問はありますよね。

もう一点、医学部に入れば将来バラ色という中で、最後にとってつけたように歯学部は云々という記述が出てきますけれども(実際にとってつけたのでしょうが)、「今でも儲かっている歯科医はたくさんおられます」とは言うものの、それはやり方次第というよりもどれだけ既存の固定客を抱え込んでいるか次第ではないでしょうか?
その意味で新参の歯科医が儲かるかどうかもやり方次第だと取れる表現はフェアではないでしょうし、こういう記事を読んで今から医学部に進もうとしている若い人々にも同じようにバラ色の未来が用意されているかどうかは何とも言い難いわけですから、正直怪しげな商売の勧誘じみたものを感じないでもないですよね。
幾らなんでもこれはと感じた人間が少なからずだったということなのか、実際にコメント欄には記事に対するネガティブな意見が並んでいますけれども、逆にいえば医療の世界の常識は世間の非常識であるという古き格言?がここでも実証されたと考えると、なるほど世間並みの考え方とはこういうものなのかと蒙を啓かれたと考えるべきなのかも知れません。

今や国策として医学部定員は絶讚急増中であることは先日もお伝えした通りで、某大先生あたりは大喜びしているとしても心ある多くの人間が「本当にこのままで大丈夫なのか?」と危惧を覚えているところでしょうが、先の記事にも一般社会と同じく競争社会に突入したという表現が見られる通り、実のところ医者が世にあふれたところで世の中そうそう困る人間は多くはないようなのですね。
かつては厚労省あたりも本気で「医者が増えれば増えるほど医療費が増える」などと医師抑制論を唱えてきた時代もありましたが、現在では医師数がどうだろうが医療費は医療費であって総額でコントロールされるべきものということになっている、要するに後は業界内で勝手に配分を決めればいいでしょう?ということであれば、医師数が増えて困るということもないわけです。
昨今では田舎自治体病院あたりも「3000万も出せば助教授クラスが飛んでくる」とばかりに巨額の報酬で医者を釣ろうとする動きが盛んですけれども、むしろ国策として医者余りの状況を作り出した方が安く幾らでも医者を引っ張りやすくなる、結果として自治体も地域住人も安く大勢の医者が手に入って万々歳というものでしょう。
もちろん某大先生のように、医者を安く大勢抱え込めればそれに越したことはないという病院管理職の方々にとっても朗報であるのは言うまでもないですから、結局医者余り時代となっても国民のほとんどは何も困らないということになりそうですよね。

別に今さら医者の既得権益がどうとか言うつもりもありませんが、そうした時代になって現役医師の多数派を占めてくるようになるのが前述ような記事を信じて「医学部進学=将来安泰へのパスポート」という考えでやってきた方々だということになれば、おそらく医者というもののイメージもずいぶんと変わってくるだろうことは間違いありません。
無論そうした食っていくための生業としての医療が否定されるべきものでもないはずでし、世間並みの商業主義を医療の世界に導入せよとは社会的要請でもあるわけですが、それが今までにない良いものをもたらすこともあると同時に、今まで当たり前だった医療の何かを劇的に変えてしまう可能性も知っておかなければ「こんなはずじゃなかった」となってしまいますよね。
そういう意味で昨今見ていて先行するケースとして非常に興味深いのが新司法試験導入以来の弁護士業界の変質ぶりなのですが、文系知的エリートとしての弁護士という仕事に未だそれなりの幻想も抱いている自分らのような人間にとっては、こういうスーパーの特売じみた話を聞くと何やら夢もロマンもあったものじゃないと正直幻滅してしまいそうになります(苦笑)。

「破格の値段です」…法科大学院、学生争奪で正念場の冬(2010年12月11日産経新聞)

 法曹専門家を養成する各地の法科大学院で新年度入試が本格化し、熾烈(しれつ)な学生争奪戦が繰り広げられている。乱立気味と指摘される全国74校の統廃合を視野に文部科学省は、新年度入試の競争倍率が低迷するなどの“不人気校”に対し、助成金を大幅減額する構えをみせており、各校は戦々恐々。OB会による支援や授業料の全額免除を打ち出すなど、あの手この手で生き残りに躍起だ。

同窓会が支援

 「卒業生がこぞって応援しているというメッセージを学生に伝えたい」。京都産業大学の同窓会(会員数約9万7000人)は11月の総会で、法科大学院を積極支援する異例の決議をした。

 今後、同窓会員の弁護士事務所や企業の法務部門での研修受け入れなど、同窓会人脈を生かしたサポートを行う。今井一雄会長は「将来的には修了生の就職支援も行いたい」と話す。

 同窓会の動きを大学院側も歓迎。学生確保のため入試の日程を2回から4回に拡充するほか、10月以降の入試で合格した法学部出身者には授業料を全額免除することも決めた。

破格の減免

 こうした背景には、存続に向けた危機感がある。

 文科省は9月、法科大学院に対する公的支援の削減基準を提示。乱立状態に終止符を打つべく、統合・再編への圧力を強めた。

 具体的には(1)今回の平成23年度入試の競争倍率が2倍未満(2)過去3回の新司法試験の合格率がいずれも全国平均の半分未満-の基準に該当すると、24年度から助成金を削減する方針。

 こうした逆風の中、龍谷大(京都市)は授業料の大幅減免に打って出た。

 今年度入試の競争倍率が全国ワーストの1・06倍だった同大は、新年度から法学部出身者の授業料を免除し、法学部以外の出身者にも国立大と同等の80万4000円に設定。その上で約24万円の奨学金を個別に給付するとしており、実質的な授業料は50万円台になる計算。担当者も「破格の値段です」と自負する。

国立大は…

 ただ、低迷する法科大学院の多くは赤字経営に陥っており、「いつまで続けられるか分からない」と明かす大学関係者も。

 私大のように柔軟な減免策を取れない地方の国立大はさらに深刻だ。

 文科省の見直し対象に入る可能性がある島根大では、9月の前期入試で2・11倍の競争率を達成したが、後期の結果次第では定員割れの懸念が残る。

 地元弁護士会との連携など地域に根ざした教育には定評があるだけに、藤田達朗・法務研究科長は「地方と都市部では競争条件が違う。都市部の定員を減らして地方に人材が集まるようにするなど、見直しの前にやるべきことがあるはずだ」と文科省の“締め付け”に疑問を呈した。

正直破格の値段で卒業したとしても司法試験に合格できる当てがあるわけでもない、まして無事に弁護士資格を取得したところで働き口があるわけでもないと、未だ国際水準から遙かに遠い弁護士数に過ぎない現状ですら、たったの三年で収入が三分の一に激減するという冬の時代を迎えているのが司法業界です。
もちろん身近にいつでも相談できる弁護士が増えていいじゃないか、しかも安くて選び放題なら願ったり適ったりだという考え方もあるでしょうが、例えば医者の世界でもあまりに特定分野での数が増えすぎると一人当たりの症例数減少からレベルの低下を来すと言われているように、食うや食わずで携帯で仕事依頼待ちというワープアな弁護士の方々にどれほどの専門的技量が、そして職業的に求められるモラルが期待出来るのかと不安は感じますよね。
その意味で崩壊の実例として先行する司法業界が今後どういうことになっていくのかは興味が尽きないところですけれども、何より不安なのがこの先司法業界がどれほどトンデモな状況になって「新司法試験導入は大失敗だった」なんてことが社会的コンセンサスになったとしても、その失敗の経験が医療行政に何かしらフィードバックされるという期待が全く持てないというところでしょう。

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2010年12月13日 (月)

医療崩壊への処方箋 まだ手を付けられていない問題もあるのでは

地域の医療崩壊と言う事が叫ばれてはや久しいですが、崩壊だ、大変だ、何とかしてくれと他力本願を期待して叫んでいるだけではどうしようもないもので、各地で自助努力ということに向けた様々なアイデアが出てきているようです。
そんな中で先日はこういう記事が出ていまして、なるほど総動員体制とはこういうものかと妙に納得させられたものでした。

地域医療のあす : 第5部 (4)逆支援/開業医が大病院へ/島根(2010年12月9日山陰中央新報)

 第5部 「なぜ、かかりつけ医は望まれるのか」

 地域の人材を有効活用

 産婦人科と内科を掲げる「三原医院」(出雲市今市町)の三原崇文院長(44)は毎週金曜日、午前中の外来診察を終えると、県立中央病院に出向く。車で10分ほどの距離だ。

 病院に着くと足早に1日平均150人の患者が訪れる産婦人科の不妊外来へ。主治医のそばで、不妊治療の最前線に触れる。いつもの「診療応援」は、こうして始まる。

 診療応援と言えば、基幹病院から診療所などに出張し、代診するイメージが強い。だが、三原院長のケースはその逆だ。

 狙いは、症例数の多い県立中央での”武者修行”。不妊外来では吉野直樹産婦人科医長(52)の診察に見入り、診断技術はもちろんのこと、患者との会話など接し方も吸収する。三原院長は言う。

 「ベテラン医師から学ぶことは実に多い。世間話や訓話を織り交ぜ、患者の心を開かせていく。このプラスアルファの部分が大きい」

   ※  ※

 今年6月、産婦人科医院を営んでいた亡き父親の後を継ぎ、医院を新築して開業した。

 岡山大医学部付属病院を皮切りに、国立病院や香川県立中央病院などで産婦人科医として勤務してきたが、途中から内科医に転身。帰郷すると、主に消化器系を専門に島根医科大(現、島根大医学部)や県立中央で腕を磨き、開業直前には益田赤十字病院に籍を置いていた。

 三原院長の診療応援は、3年目を迎える。この間、県立中央で産婦人科がカバーする「産科」と「婦人科」の領域で実践的な再教育を受け、かつて携わっていた現場の感覚を取り戻す

 県立中央の産婦人科医で、医療局の岩成治次長(60)は言う。

 「複数の開業医の支援を受け、外来は支えられている。診療応援はフェースツーフェース(顔の見える)の関係を保つことができ、スムーズな病診連携につながっている」

 スキルアップに励む三原院長も「子宮がん検診など、自分のできる範囲の診療を行う。基幹病院をパンクさせないことが開業医の役目」と、診療応援の意義を話す。

 県立中央は、医師不足にある診療科や専門分野の診療を対象に、地元の開業医らに委嘱状を交付。現在、13人が小児内分泌代謝や小児循環器などの外来で、定期的に応援診療に当たっている

 いわば、マンパワー不足にある基幹病院とそれを取り囲む開業医との連携で、限られた地域医療資源の有効活用を図る取り組みだ。

   ※  ※

 開業医が基幹病院をサポートする試みは、医師確保難にあえぐ県西部の江津市でも始まっている。

 今春、東京都内からUターンした開業医の後継者は週に数回、済生会江津総合病院の消化器内科で診療を受け持つ。診療支援のおかげで、病院の消化器内科態勢は5人となり、厚みを増した。

 行政側も支援に乗りだし、市は7月の一般会計補正予算に「開業医支援事業」(事業費約100万円)を盛り込んだ。

 済生会江津で定期的な診療応援を行う地元開業医に、一定の助成金を出す事業だ。市内には現在、22診療所がある。

 その狙いについて、市地域医療政策室の石原和典室長は「開業医の高齢化が進む中で、開業医の新規開業などを促し、病院を支える体制整備につなげたい」と期待を寄せる。

 深刻な医師不足を補うため、診療応援で診療機能維持に腐心する地域医療の拠点病院。地域密着の開業医が、新たなマンパワーとして存在感を放つようになってきた。

 ~データ~

 島根県内の診療所 2008年10月1日現在の圏域別数は▽松江247(9増)▽雲南58(2増)▽出雲170(22増)▽大田80(8減)▽浜田94(9減)▽益田75(5増)▽隠岐21(6減)。県全体では745(15増)。ほぼ「東高西低」で推移している。※かっこの数字は1996年と比較した増減数。

昨今では日本でも産科を始めあちこちの基幹病院で開放型病床というものが用意されるようになっていますが、もともとアメリカなどではクリニックの開業医が入院患者は病院に入れて自分で診るというスタイルがごく普通にあるわけで、別に日本でも有床診療所だの小病院だのと入院施設を各地に分散配置せずともいいだろうという考え方もあっていいはずですよね。
医者の業務量をはかる目安というのは幾つもありますけれども、例えばその一つに入院患者を何人持っているかということは普通に簡便な目安として用いられますが、マンパワーに比して病床数が多ければ当然抱え込む患者は多くなる一方、昨今どこの自治体でも病床は限度いっぱいで一度減らせばまず元には戻せないという事情もあって、病院側は人手が減っても病床を減らすことは嫌がるものです。
現場が突っ張り通すだけの気概があれば自主的な病床数管理などという技も使えますけれども、どうせ空きベッドを作るくらいなら活用して頂いた方が収入面でも助けになる道理ですし、やる気のある開業医にとってもクリニックでは出来ない医療をやれるチャンスでもあるわけですよね。

もっとも理念としてはそれとして、実際には外部から人が入ってくるということでどうしても現場での軋轢というものは発生するもので、例えば元部長といった病院OBなどが応援に入るとなれば院内ルールなどは熟知しているはずですが、逆に管理職時代の昔の顔というものを過信するせいか面倒なところだけは人に押しつける困ったちゃんにもなりかねないものです。
島根県の場合は専ら外来診療に特化した診療応援と言うことのようですが、こういう場合も例えば開業医の感覚で「よく判らないがとりあえず入院で」から話を始められると「またあの先生が適応も考えずに何でも入院させて」と病棟担当医側に不満が鬱積することにもなりかねないといった塩梅で、このあたりの診療基準の摺り合わせや業務に応じた妥当な報酬体系の検討も今後の課題ではあるのでしょうね。
とは言え、こうして基幹病院が近隣にある場合にはやはりそちらに重症患者が集中してくるのはやむを得ませんから、患者を送る側の開業医側としても応分の負担をと言うことで、何であれ出来ることは協力していただけるというのであれば大いに歓迎すべきことだと思います。

もちろん地域内のトータルで医療資源がある程度需要に対して充足しているというのであれば、これは現場レベルでのやりくり上手で何とか出来る余地もあるのでしょうが、往々にしてこの需給バランス自体が崩壊しているというのが近来の医療崩壊という現象の一つの特徴となっています。
日本でもほんの半世紀ほど前には医者にかかるのは臨終の確認の時だけという地域も少なからずあったわけですが、今や国民皆保険制度もすっかり定着した結果医者にかかることが人生における特別な行事であるという時代ではもちろんなくなった、むしろ昔を知る高齢者のいない多くの世帯においては受診を躊躇すべきなどという文化自体が継承されていない場合の方が多いわけです。
こうした時代においても相変わらず日医などは「何か気になることがあればすぐ医者にかかりましょう!早期発見早期治療が大事です!」なんて基本姿勢を崩していないようですが、その意味では今騒がれているコンビニ受診などは医療需給バランス崩壊を無視した、時代錯誤の間違った患者教育を続けてきたことの当たり前の結果であるとも言えそうですよね。

減らそう“コンビニ受診”/福岡(2010年12月9日RKB毎日放送)

「コンビニ受診」という言葉をご存知でしょうか。

特に緊急性のない患者が、休日や夜間などに救急外来を利用することを指しています。

地方の医療現場では深刻な問題となっていて、いま様々な取り組みが始まっています。

●サポーターミーティングで説明する人

「(夜間は)基本的には、3次救急(重篤な患者)に備える態勢を作っている。だから、こういったご要望に100パーセント対応する体制は、なかなか用意できないというのが実情」

飯塚病院に集まったおよそ40人の地域住民。

筑豊地区の医療を支えるには、何が必要なのか、患者の目線で意見を出し合いました。

●ミーティングノイの参加者

一人ひとりがもっと考えて、救急車は呼ばないといけないのかなと思う」

人口およそ45万人の筑豊地区で唯一、救命救急センターを備える飯塚病院。

夜間の外来患者に対応するため、それぞれの科で原則1人の医師が当直勤務に当たっています。

しかしそれに対し、一晩に病院を訪れる患者はおよそ100人にも上っています。

問題は、この夜間の患者のうち9割程度が、特に急ぐ必要のない軽症の患者、いわゆるコンビニ受診だということです。

そこで飯塚病院が市民に呼びかけ、今年から始まったのが、“地域医療サポーター制度"です。

コンビニ受診が増えれば、その分、本当に治療が必要な人の機会を奪うことになる

そのことをまずは知り、そして地域に広げていこうという試みです。

自分達の体を守るためにはどうしたらいいのか、医師からの講演を受け、積極的な質疑応答が行われています。

あわせて3回、講義に参加した人が、“地域医療サポーター"に認定されます。

3月に初めて開かれた講義の受講者は60人でしたが、先月にはおよそ150人にまで増えました。

●講座の参加者

「こういうところは病院にいくべきだ、こっちは家でもできるんだなという、おおよその目安にはなったかなと思う」

“地域医療サポーター"と病院のスタッフによる会議では、サポーターから積極的な発言が相次ぎました。

●地域医療サポーターの男性

「かかりつけ医にかかっていけば、こういった問題は解決できるのではないかと思う。地域で集会や会合があったときには、今日の話を出せたらいいなと思います」

●飯塚病院・鮎川勝彦副院長

「各サポーターが自主的に動いていただいて、その輪を広げていくところが目標。(地域医療を支えるためには)みんなで共通認識を持って、協力していくことが必要だと思う」

一方、こちらは久留米市立金丸小学校。

6年2組の子どもたちです。

今年9月から3か月間、近くの聖マリア病院を訪ね、医師や看護師に直接、話を聞きながら“コンビニ受診"の問題について調べてきました。

現在、聖マリア病院では、平日の診療時間帯よりも休日や夜間に受診する患者の方が、年間で2,000人も多い状況だといいます。

●“コンビニ受診"について発表の練習をする児童

「病院の迷惑について調べました。自分の都合で時間外に来て、病院の人は少し迷惑だそうです」

●聞いてアドバイスする聖マリア病院の医師

「病院側はこないでほしいとは言わないです。迷惑だなんて思わないです。ただ有効に使ってほしいんですね」

●アドバイスを受けた児童

「自分たちが調べても、まだ足りないところがあったので、これからもっと調べたい」

●聖マリア病院・大部敬三副院長

「子どもらしく単刀直入で、(私たちが)おびえるような言葉もありましたので、その辺は、我々と違う良さがあるなと思います」

子どもたちは病院で起きている問題を市役所で発表しました。

●発表する児童

「医師の人たちは私たち患者のために働いて、辛くても最大限の努力をしています。それなのに私たちは何も考えずに、病院を当たり前のように利用するのはおかしいと思います。これからは、本当に病院にいく必要があるのかを考えて利用してもらえたらいいです」

●発表を聞いた人

「私も子どもを夜、熱出して連れて行って、やたら待ち時間が多いなということは実感していたんですけど、こういう問題になっているとは思わなかった」(男性)
「これから私たち自身も、そういうことを考えなくちゃいけないなと思った」(女性)

医師不足を抱える地方の病院の苦悩に、さらに拍車をかけるコンビニ受診。

問題の解決は、利用する側の私たち一人ひとりの心がけにかかっています。

そもそも今まではコンビニ受診が悪いことだという教育を誰もしてこなかった、むしろ過去半世紀近くにわたっていつでもいらっしゃいと早期受診を呼びかけてきたわけですから、現在生きている多くの日本人が何かあればすぐ病院にかかることは正しいのだと言う認識を持っているはずですし、社会自体がそうした考え方の元に全ての行動基準を組み立てているはずなのです。
例えば、ある企業では社員の家族にインフルエンザ罹患者が出た場合、ただちに病院に出向いて診断を受けるようにという「社員マニュアル」があると言いますが、その結果シーズンともなれば近隣の病院はやれ迅速だ、やれ診断書だと押し寄せる未発症者の山で大混乱することになるわけで、こういう話を聞くと社会自体がコンビニ受診を促進する方向にどんどん加速しているとしか思えないですよね。
こういう時代になってきますと医療の供給側での対策ばかりをやっていても、果てしなく増大する医療需要に追いつかないのは当然で、どこかで需要側に対する一定の抑制をかけていかなければならないはずですが、実のところ医療の供給側にとってこそ重要なはずのそうした患者教育が、今までさして熱意を持って行われていなかったというのも正直なところでしょう。

むしろ時間外加算を取ると言えば「いや、本当に悪い人が受診を控えるようになるかも知れない」といい、コンビニ受診はやめようと言えば「いや、一見軽症に見えても実は重症の人もいるのだ」という、確かにそれはその通りではあるのでしょうが、ではそうした万一のリスクに備えるために日常的な医療現場の危機に対して無対策であると言うのであれば、どちらの方が結局より多くの患者の健康に対して有害であるのかです。
その背後にあるのは長年続いた「医療とはいつでもどこでもどの患者に対しても、常に最善のものを提供されなければならない」という医学教育であるのでしょうが、一見すると高邁な理想を追求しているようにも見えるこの思想の背景にあるのは、実のところゼロリスク症候群と同様の間違った発想があったらしいということに今さらながらに気付かされます。
そう考えると多くの患者は単に知らなかったが故に結果として問題行動を取っていただけですから、必要な知識を学ばせるというだけで大きな改善効果が期待出来ますけれども、医者をはじめとして自分こそは医療の専門家であると自負している医療の供給側における発想の転換こそ、実は極めて難しいのではないかと言う気がしてきます。

医療訴訟における現場の実情を無視したいわゆるトンデモ判決なんてものが、実は現場の実情を無視したトンデモ鑑定に由来していたという現実に見られるように、自分に自信がある専門家ほど「緊急帝切は30分以内に」などと無理な要求を掲げてしまいがちですが、今の時代理想と現実とはきっちりと区別して考えなければ回り回ってどんな歪みが現場に押し寄せるか知れたものではないということでしょう。
医療崩壊だと言いますとネット界隈では何しろ患者側要因ばかりが取りざたされる傾向があるし、実際そちらの啓蒙は今後さらに強力に推し進めていかなければならないのは言うまでもありませんが、医療業界内部にも単に医者が足りないだとか言う以前の大きな問題があり、早い時期に改善していかなければならないはずだという認識は必要なんだと思いますね。

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2010年12月12日 (日)

今日のぐり:「そば処 神門(ごうど)」

先日NASAが鳴り物入りで「重大発表!」とやらかしたものですから、世間の注目が集まったと思いますけれども、確かに生物学的には常識を覆す大発見と言ってもいい話である一方で、なぜNASAが?と思わないでもない話でもありましたね。
もちろん地球外環境における生物存在の可能性を広げるという意味で極めて宇宙的な話題でもあったわけですが、予想通りと言うべきでしょうか各方面からこんな声が上がっているようです。

宇宙人発見かと思ったのに…NASAにやられました(2010年12月3日朝日新聞)

 「宇宙人捕獲じゃなかったの?」「地球で見つかった細菌ってことか」――。「地球外生命体の発見か」の事前報道に期待して、日本時間の3日午前4時から中継された米航空宇宙局(NASA)の会見を見ていた人たちは「ヒ素を食べる細菌の新発見」との内容に肩すかしを食らった。

 騒ぎの発端は11月末。NASAが「宇宙生物学上の発見について」と題した会見予定を公表したことだった。会見出席者ぐらいしか詳細な情報はなく、様々な臆測を呼んだ。

 米CBSや、CNNのニュースブログは「地球外生命体発見か」と報じ、国内の一部新聞社やテレビのワイドショーも取り上げた。「ウィキリークスに暴露されそうになったため、自ら発表することにしたのではないか」との見方も出た。

 関心の高まりを受けて、ネットで流れるNASAの会見を動画サイト「ニコニコ動画」は日本語に同時通訳して配信、「ユーストリーム」なども中継して、計数万人が視聴した。

 NASAの発表は、生物学の常識を覆す科学的成果だったものの、地球外生命の発見でないことが判明すると、「がっかり」「すごい発見だけど……」「宇宙人が出てくるのを期待してたのに」と落胆の書き込みが相次いだ。

 国立天文台の渡部潤一教授は「科学的には面白い話だけど、成果を大きく周知したいNASAの思わせぶりな作戦にメディアもみんなもうまいことやられたね」と話した。(東山正宜)

まあ日本にしても例の仕分けで宇宙関連の予算は削るの削らないのと大騒ぎになっているくらいで、日本とは比較にならない巨額の予算を使っているNASAとしてもこの不景気で世間にアピールする必要はあるのでしょうけれどもね。
今日はこのNASAの話にちなんで、結構すごいことなんだろうけれどもちょっと残念でもあるという話題を紹介してみようかと思いますけれども、まずは何と言っても先日大いに世界を湧かせたこちらのニュースを取り上げてみましょう。

アップルのカウントダウンはビートルズのiTunes配信だった! ネットの反応「ズコー」「どうでもいい!」(2010年11月17日ロケットニュース24)

アップルが11月17日の0時にむけて自社サイトにてティザーカウントダウンを行っていたのはご存じだろうか? 日本時間の0時にその全貌が明らかになるのだが、ネット上では様々な憶測が飛び交っていた。『Twitter』や『2ちゃんねる』を覗くと「iTunes定額制かな」「Adobe Flash解禁来たか!」とワクワクするような内容ばかり。

しかし実際に発表された内容はビートルズの楽曲が『iTunes』で配信されるという内容だった。ビートルズの楽曲がネットで配信されるのは初であり、ビートルズファンにとってはたまらない発表だっただろう。しかしそうでない人は肩すかしを食らったようだ。

そんなネットユーザーの反応は以下の通り。

・どうでもいい
・いままでなかったのかよ
・もちろんリマスターだろ
・「コンサートを見る」をクリックしたら40分くらいの動画が始まった。
・ひどい釣りだな

カウントダウン中は「明日、いつもと同じ一日が、忘れられない一日になります」とサイトに書かれ何が起こるのかとワクワクさせられたが、実際発表してみると想定の範囲内の物だった。またこの発表はサイトが解析され発表前に既に情報が漏れていたという。

ではアップルは何故このような大げさな告知をしたのだろうか。アップルとビートルズは過去に“Apple”の商標をめぐって揉めていたが、そのビートルズがiTunesに楽曲を提供してくれたという実に素晴らしい話。もちろんビートルズというビッグネームだけでも凄いがアップル側からしたら折角なので大々的に扱いたいということなのだろう。

ま、アップル側としてはむしろ顧客どうこうと言うよりも、せっかく和解したというビートルズとの関係を考えてこういう取り上げ方をしたのかも知れませんが、正直こういうニュースとは思わなかったと言う声の方が圧倒的に多かったようですね。
海外などからもまるで人間のような形をした野菜というのは定期的にニュースが入ってくるもので、こんなものを引っこ抜いたらさぞや恐ろしい叫び声でも上がるのかと身構えてしまいますけれども、こうまでそのものずばりとなると別な意味で恐ろしくなりそうなのがこちらの野菜です。

ひとの腕?あまりにリアル… じつは自然薯(2010年12月9日朝日新聞)

 大阪府能勢町で右腕そっくりの自然薯(じねんじょ)が採れた。全長約60センチで、長さ14センチほどの「指」が並ぶ。親指が2本ある以外は本物そっくりだ。

 豊中市職員の大黒義高さん(61)が6日、能勢町の知人が畑で育てたのを紙袋でもらい、家で袋を開けてみて驚いたという。「色といい丸みといいリアルすぎる」

 「なんかくれ」と言ってるようだと「手のひら」に千円札を載せて写真を撮った人もいた。「立派な自然薯なので早く食べたいが、包丁入れにくいですわ」と苦笑い。

この記事の写真を見て頂けば一目瞭然なんですが、「なんかくれ」というよりも何と言いますか、こういうニュースでよくあるお笑い要素が皆無と言いますか…こんなものが土の中からにょっきり出てきたらこれは怖いだろうなあと想像せずにはいられないような形ですよね。
さて、世の中には確かにすごいのかも知れないがいささか時代に先駆けすぎているのではないかと思われるようなアイデアは数多くありますが、その中でもかなり上位に位置しているようにも思われるのがこちらの画期的な「ハイブリッドカー」の話題です。

自動車とバイクが融合したハイブリッドカー誕生!(2010年12月2日ロケットニュース24)

エコな世の中、ガソリンと電気のハイブリッドカーが話題を呼んでいるが、これから紹介するハイブリッドカーは同じハイブッドでも別の意味のハイブリッドカーである。なんと、自動車とバイクが融合したハイブリッドカーなのだ! つまり、自動車としても使えるしバイクとしても使えるというわけだ。

そろそろ皆さんもお気づきだと思うが、何の利点もなければ誰も得しないこのハイブリッドカー。見た目だけが奇抜なので目立ちたがり屋にとっては最高のハイブリッドカーといえるかもしれない。「どうやって運転するんだ?」や「自動車とバイク、どっちがメインなんだ?」という声が聞こえてきそうだが、自動車として運転してもいいし、バイクとして運転してもいいらしい……。

このハイブリッドカーを作った男性は約164万円の費用をかけ、できるだけリサイクル品を使って完成にこぎつけたという。けっこう完成度は高いと思われ、164万円という費用はかなり安いと思われる。しかし完成までに10年間を要したらしく、ここまでくる道のりは険しかったようだ。

ところでこのハイブリッドカーは自動車なのかバイクなのか? 大は小を兼ねるということで、どうやら自動車として登録されているらしい。それにしてもこのハイブリッドカー、バイクとして運転した場合、かなり運転が難しそうだが、そのあたり大丈夫なのだろうか?

いやもうすごいのすごくないのと言う前に、とりあえずこちらの写真を見て頂ければどういう状況なのかは一目瞭然ではないかと思いますけれども、一体これはどうやって乗りこなせばいいのかと途方に暮れる人間も多そうなのは確かですよね。
こういう話題になると他の追随を許さないほどの斜め上方向への独走ぶりを見せるのがブリというお国柄ですけれども、本日これは確かにすごい!という話題を紹介してみましょう。

看護師が足をくすぐり…69歳女性、昏睡状態から半年ぶりに覚醒!/英(2010年12月3日UK TODAY)

回復の見込みはないとされていた老婦人が、看護婦に足をくすぐられたことがきっかけで6ヵ月に及ぶ昏睡状態から覚醒し、医者たちを驚かせたという。「メトロ」紙が報じている。

ノーサンプシャーのコービー在住のキャサリン・オニールさん(69)は、生と死の境目をさまよう意識不明の状態で、最悪の事態も予想されていたが、看護師が体を洗浄する際に、意図せず足をくすぐる形になったという。オニールさんがこれに反応を示したため、知らせを受けた医師が水分とステロイド剤を投入したところ、4時間後に覚醒。しかし、脳スキャンの結果、出血していることが判明したため、再度の手術が必要だったという。

娘のトレーシーさん(41)は、「ここ6ヵ月間は母にとって大変な試練のときだった。(覚醒しても)母の具合はまだ悪く、生命維持装置につながれていたが、ありがたいことに、今は回復に向かっている」と語っている。

オニールさんはまだ病院に通わなければならないものの「医者は私の状態に満足しているし、だいぶよくなったように思う」と話している。

また、コービー地区の自治体はオニールさんが病気から回復するために新しく家を提供。オニールさんは「病院には長くいすぎた。やっと庭のある家に住めて本当に嬉しい。あと必要なのは良い天気だけ」と喜びを表現しているという。

いや、確かに喜ばしい美談であり奇跡であると言うしかないんですけれども、全てのきっかけが足をくすぐったというところからスタートしているというあたりもさることながら、半年ぶりに目が覚めてもまず気にするのが「あと必要なのは良い天気だけ」というあたり、常に期待を裏切るということのないブリ的なニュースであったということなんですかね?
さて、最後にもうひとつブリネタを取り上げてみたいと思いますけれども、まずは黙ってこちらの記事から読んで頂きましょう。

透明のマントももうすぐ?物体が見えなくなる物質「メタフレックス」(2010年11月08日AFP)

【11月8日 AFP】英スコットランドの物理学者チームが、光を曲げて、ハリー・ポッター(Harry Potter)に出てくる「透明マント」のように物体を見えなくすることができる可能性に一歩近づく「メタフレックス」と呼ばれる物質を作製したと、英専門誌『New Journal of Physics』に発表した。

 この物質はナノレベル構造をもち、入射した光を表面で屈折させることができる。これによって、光は物質に吸収されるのではなく、水が岩の表面に沿って流れるように、周囲に沿って屈折するため遮蔽効果が生まれる。

 人間の目が認識できる可視光線の波長は400ナノメートル(青や紫の光)~700ナノメートル(深紅の光の波長)だが、現段階のメタフレックスは620ナノメートル前後の波長の光を屈折させる。

 まだ試作段階で、遮蔽効果が現れる波長や色、スペクトルは限定されているが、従来は硬い物質から作成していたこの物質を今回、スコットランドのセント・アンドルーズ大学(University of St. Andrews)のアンドレア・ディ・ファルコ(Andrea di Falco)氏らの研究チームは商業用の可塑性ポリマーから作成し、利用の可能性を広げた。可塑性について、チームはコンタクトレンズの上という小さな面積に、メタフレックスの層を重ねる実験で示した。

 ディ・ファルコ氏は「メタマテリアルは、光の性質を操作するという究極の能力をわれわれに与えてくれるもの」で、光学機器から衣服まで広く採用できる可能性があると述べた。

文字だけを追っていますとものすごい研究のように見える話で、実際に素晴らしい成果でもあるのでしょうけれども、何しろ記事の写真に出ている開発者チーム?があまりにあまりな姿のものですから、これはいったい真面目に受け取っていい話なのかどうか迷いの余地無しとしませんよね。
さすがこんなところでまで受けを取るとは、まさにこれはブリ的と言うしかない話ではないでしょうか。

今日のぐり:「そば処 神門(ごうど)」

出雲蕎麦と言いますとお参りがてら大社町界隈を歩いて回るのもいいのですが、もちろん昔からの蕎麦処だけに市内各所に蕎麦屋が点在しています。
出雲ドームに近い田んぼの真ん中に位置するこちらのお店は、最近出来たお店らしく広い駐車場とゆとりのある店構えが今風ですが、公務員から蕎麦打ち職人に転身したとも側聞するご主人が自家製粉の石臼挽き蕎麦粉にこだわるというなかなか本格的な蕎麦屋でもあるのですね。
ちなみに駐車場を見回したところ意外なほど地元ナンバーが多い、と言うより、見た限りで自分達以外は全て島根ナンバーというのがまず驚きますが、入ってみてさらに驚くのは年配客を中心に、いかにも蕎麦食いと言った面々で席が埋まっているということで、一応は一大観光地の出雲大社からもほど遠からぬ場所にある店として、これはなかなか異様な光景ですよね。

メニューを見ますともちろん割子もあるのですが、全般的にはせいろや鴨南蛮といったごく普通の蕎麦屋っぽい蕎麦の品揃えで、さらにそばがきや蕎麦懐石に加えて鍋や酒や肴も充実しているという、ちょっとした料理屋的な雰囲気もあるのは良いのか悪いのかでしょうか。
せいろと割子を頼んで見たのですが、まず気がつくのは出雲界隈でよくあるいかにも田舎風の蕎麦とは違う、しゃっきりと細打ちの蕎麦屋の蕎麦であるということで、これを辛めの蕎麦つゆで頂いてみますと舌触り、香り、のど越しといずれもなかなかいいじゃありませんか。
薬味も刻みネギに大根おろし、わさびとごく当たり前のもので、これだけを食べていますとごく普通に街のうまい蕎麦屋に来たのかと思えるような仕上がりですよね。

ただ気になるのはこの蕎麦で割子に合うのかということなのですが、蕎麦は同じなのですがどうも蕎麦つゆのかえしが違うのでしょうか、これはこれでちゃんと割子っぽく仕上がっているのは感心しましたね。
この割子の薬味にのっている海苔というものが板状に整形していないでそのまま乾燥させた海苔なのが面白いんですが、正直この蕎麦にまぶして食べるという分にはちょっと海苔の風味が強くなりすぎていささかどうなのよと思わないでもありません。
蕎麦湯は今風に濃厚タイプなんですが、食事時でこれだけお客が入っているというのであればそのまま出してもいい蕎麦湯になっているでしょうに、まあこのあたりは好みの問題もあるのでしょうかね。

しかしこれだけまともな蕎麦を出す店でうどんもあるというのは、蕎麦アレルギー回避の目的にしても特に調理などを分けていなさそうなだけに何なのよですが、逆に蕎麦はありふれた土地柄だけにうどんの需要があるということなんでしょうかね。
接遇面ではフロア係はよく働いているし、それなりに気も回る様子はあるんですが、何しろこれだけ席も多い店で待ち客が出るほど満席状態では手が足りないのも当然で、せっかくの良い雰囲気の店構えであるのに何とも気ぜわしい気配が漂っているのはちょっと残念でしたかね。
これが他ならぬ出雲を離れてそこらの街中にあれば逆に普通にうまい蕎麦屋というだけで終わっていたのかも知れませんが、確かにそこらによくある出雲蕎麦に食べ飽きた蕎麦食いはこういうのが食べたくなりそうなお店ではありました。

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2010年12月11日 (土)

没落を続けるマスメディア

先日は中国でアジア大会が開かれたことは未だ記憶に新しいところですけれども、それに関連してこういう記事が出ていました。

【外信コラム】北京春秋 当然、潮田でしょ(2010年12月8日産経新聞)

 広州アジア大会の取材中、携帯電話が鳴った。出てみると同業他社の記者からだった。「いつの間に取材受けた?」。頭の中に?マークが浮かんだ。

 なんでも、広東省の地元紙に、卓球女子の福原愛とバドミントン女子の潮田玲子の特集記事が載っていて、「産経新聞記者」の談話が引用されているという。中国語が堪能で知名度が高い福原と、美人選手として取り上げられた潮田の人気度を比較した内容で、その「産経新聞記者」は「福原と潮田? そりゃ当然、潮田でしょ」と答えていたらしい。

 取材団のうち、曲がりなりにも中国語を話せるのは私一人だけ。「当然」というフレーズもよく口にしていたから、思い込むのもさもありなん。しかし、当の本人は、取材を受けた記憶も、名刺交換した覚えも、まったくない。そんな記事を書いたこともない。

 推測するに、良くも悪くも中国メディアの中で知られている産経新聞の名を勝手に借用し、談話を捏造(ねつぞう)したのだろう。その後、系列スポーツ紙の記者も、同様の“被害”に遭っていたことが発覚した。

 国際競技大会の度に、ルールを無視した中国メディアの取材態度には辟易(へきえき)していたが、まさか談話まで作ってしまうとは…。怒りと恥ずかしさで、顔が赤くなった。(川越一)

新華社などでも美人アスリート特集ということで福原、潮田両選手が取り上げられたというくらいですから、両選手とも中国での知名度は高いのだろうと想像しますけれども、取材ルール無視の上にこうして談話まで作ってしまうと中国メディアを批判する資格のある日本のメディアが、果たしてどれだけ存在しているのかということも興味深いですよね。
先日以来「捏造疑惑」で揺れる朝日などもそうですが、例えば同社の系列各社においてもこんな話が幾らでもあるわけですから、他人に向かって「ルール無視だ!」と批判するばかりでは「つ鏡」と返される恐れが多分にありそうですよね。

朝日放送、症例写真を無断使用(2010年11月30日読売新聞)

 朝日放送(大阪市)は30日、今月16日にテレビ朝日系で放送した「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」で、一部の症例写真を無断で使用していた、と発表した。

 番組終了後に著作権者から指摘を受け、発覚した。

 写真は、指の爪の先が変形する「スプーンネイル」と呼ばれる症例の画像。名古屋市内の皮膚科医院がホームページに掲載しているもので、同番組に出演した他の医師が参考に提供したものを、番組スタッフが著作権の有無を確認しないまま使用してしまったという。

 朝日放送は30日、自社ホームページに経緯とおわびを掲載、同日夜に放送予定の同番組内でもおわびするとしている。

公立学校長が暴露!  AERA(朝日新聞社)の手抜き記事…(2010年12月4日ブログ記事)
…AERA 所詮 他の記事もネット情報の焼き直し程度の内容なのでしょうね

公立中高一貫校をまともに知らない記者が ネット検索?して適当に記事を作って
お金をとって嘘の内容を堂々と掲載してしまうAERAって 最低ですね…
小学生新聞の信頼まで落としかねないですよ…朝日新聞さん…

平塚中等教育学校の校長エッセイは(こちら
(該当部分のコピー)

校風について

「アエラ」11月1日号の特集記事は全国の公立中一貫校の校風の紹介でした。
さっそく平塚中等の校風を見ますと、
「郷土の地域学習を重視。”かながわ”から次世代のリーダーを育てる」とあります。
ちなみに兄弟(姉妹)校の相模原中等の校風については、
「科学・論理的思考力」「表現コミュニケーション力」「社会生活実践力」とありますが、
これは両校共通の「育成する3つの力」であり、校風ではありません
たぶん、アエラの記者は平塚中等の活動実践報告をHP上で読んだのだろうと思われます。
校風について、もしインタビューされるようなことがあったら、
次のように答えるつもりで用意しているのですが、いまのところ「アポ」はありません
「なんでもガンバル、そして楽しんで泣く(喜んでも、失敗しても)」

ま、朝日的には記事を書くのに当事者に取材などする必要もないという見識でおられることは、先日も東大医科研の中村教授らが同社を訴えた一件でも明らかな話ですが、その結果デタラメを世間に広めて平然としているというのであればこれはどうなのよです。
あるいは「でっち上げ」ということに関しましてはかねて一言なしではいられないのが毎日新聞ですけれども、先日ネット上で多くの方々から「お前が言うな!」と突っ込まれたというのがこちらの記事です。

【ワイドショー通信簿】「W杯サッカー招致」日本早々に敗退―人気ない国になった証拠(2010年12月03日J-CASTテレビウォッチ)

朝ズバッ!

   サッカーW杯の2018年、22年大会の開催地を決める国際サッカー連盟(FIFA)の投票が行われ、18年大会は旧共産圏では初めてのロシア、22年大会は中東では初めてのカタールが決まった。日本は2回目の投票で消えてしまった

   投票は単独開催を目指す日本、韓国、オーストラリア、カタール、アメリカの5か国について、22人のFIFA理事の無記名でおこなわれた。過半数獲得の国が出るまで投票を繰り返す。

    1回目―カタール11、韓国4、日本・アメリカ3、オーストラリア1(落選)
    2回目―カタール10、韓国・アメリカ5、日本2(落選)
    3回目―カタール11、アメリカ6、韓国5(落選)
    4回目―カタール14、アメリカ8

圧倒的支持誇ったカタール

   司会のみのもんたが投票結果を見ながら、得意のダジャレで「これ、なにをものカタールと思いますか」と問いかける。

与良正男(毎日新聞論説副委員長)「五輪招致も失敗し、人気のない国になってしまたんだと思う」

    吉川美代子(TBS解説委員)「世界のパワーバランスが変わってきたんですよ」

ちょっと視点を変えたコメントが元日銀職員の池田健三郎(浜松大教授)。

    「いろんなところでやってみようというのはいいことだと思う、経済効果も大きいし」

   2002年大会で共催した韓国よりも早く脱落した日本はなにが原因だったのか。招致費用が前回大会に比べ10分の1の10億円、国の支援も不足していたという報道もある。これも国力が衰えた証拠。外から見ると新鮮な魅力感じられなくなったということなのか。(モンブラン)

いやいやいや!人気のない国になってしまったって!そこは日本を人気のない国にしようと必死に努力してきた毎日新聞の論説副委員長がしれっとして言うところじゃないですから!
いずれにしても日本が人気がないという以上に昨今人気がないという方々がいらっしゃるというのが面白いんですが、その人気のない方々というのがこのところ嬉々として取り上げている話題というのがこちらなんですね。

国際学力テスト:新聞読むほど高学力 世界共通(2010年12月7日毎日新聞)

 低落傾向にあった日本の子供たちの読解力に改善の兆しが見えてきた。7日、世界同時発表された経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト「PISA」。調査からは、世界のどの地域でも、新聞を読んでいる生徒ほど学力が高いという結果が明らかになった

 新聞やマンガなどをどの程度読むか、「週に数回」「月に数回」「月に1回ぐらい」「年に2~3回」「全くか、ほとんどない」の五つの選択肢を挙げて聞き、「月に数回」以上の回答を「読む」、「月に1回ぐらい」以下を「読まない」に分類した。

 新聞を読む日本の生徒は57.6%で、OECD26カ国平均(59.4%)よりもやや少ない程度だった。読解力トップの中国・上海は71.1%が新聞を読んでいた。他方、マンガを読む日本の生徒は72.4%と、OECD平均の24.3%を大きく上回った。

 学力との関連性を調べたところ、新聞を読む日本の生徒の読解力の平均得点は531点で、読まない生徒(506点)よりも高かった。この傾向は上海を含む他の上位国やOECD平均でも同様だった。一方、マンガを読む日本の生徒の平均点は522点で、読まない生徒(516点)との差は新聞ほど大きくなかった。世界的に見ても、マンガを読むか読まないかと、学力との間には明白な関連性が見られなかった。

 現実には、世界的に新聞離れが進んでいる。00年のPISA結果と比較すると、新聞を読んでいる日本の生徒は12.3ポイント減少。読解力2位の韓国でも24.6ポイント減っており、OECD平均では5ポイントのマイナスだった。【井上俊樹、遠藤拓】

ま、学力の高い子供なら新聞くらい普通に読めるでしょうし、新聞を読むことと学力が高いことの間に相関関係があるらしいというデータではあっても、別に因果関係を証明するような話でもなんでもないんですけれども、この話題を受けて各社は「それ見たことか!さあ皆で新聞を読んで賢くなりましょう!」なんてなもので、かねて一部でささやかれていた新聞への公的支援論議なんてものまで蒸し返しかねない勢いですよね。
彼らがそれほどまでに自分達がどれほど有用で社会に有益であるかを主張したい根拠というものがあるのかと気になりますが、少なくとも彼らにとってはアピールすべき差し迫る必要性はあるのだと理解出来るのがこちらの話です。

退職金一億円に六十八人、朝日新聞社の希望退職続出(2010年12月号エルネオス)

 朝日新聞社が募集した九月三十日付の希望退職に六十八人が応募した。事前の予想を上回る人数だったうえ、大阪本社の清水祐一・編集局長補佐をはじめ、著作が数冊あるベテラン記者や海外特派員経験者が相次いで応募したことに社内で驚きの声が広がる。一億円という退職一時金に釣られてのこととはいえ、沈没寸前の船から脱走するネズミのよう。落日の朝日を象徴する出来事だ。
 今回の希望退職(転進支援制度)は四十五歳以上、五十八歳以下を対象にしている。本来受け取れる通常の退職金に、年収の半分を十年分割り増す(上限年収一千八百万円)という破格の好条件である。五十歳代前半の人を例にとると、通常受け取れる退職金約二千万円に割り増し分が約九千万円もあるといい、一時金の合計額は一億円を超える。
 朝日幹部によると、来年一月に応募する第二回募集(退職日は来年三月末日)の合計で百人を上回るのは確実と見られる。
 一億円の大盤振る舞いをしても、朝日側は百人がそのまま在職し続ける場合よりも十億円の人件費削減効果があると試算している。朝日は二〇〇九年に社員の賞与を三割削減させ、一一年度からは基本給の平均一割賃下げを実施する方向で、労使間で交渉中だ。これに厚生年金の代行返上による退職給付債務の削減を含めると、〇八年度比で総額百三十億円の人件費削減が実施できるらしい。
 問題は、これだけコストを削減しても将来に明るい展望が見えない点だ。読者からの信頼性調査でも二十代~四十代の読者層では「日本経済新聞」のほうが上回り、今の朝日に昔日の高級紙のイメージはない

この朝日の希望退職問題を巡っては現代ビジネスなどにも詳しく取り上げられていますけれども、まず根っこの部分では新聞社自身の取材能力の低下や電子配信記事の普及で新聞というメディア自体の存在意義が問われている、そして何よりそうした企業としての経営危機を背景に社内モラルが低下する一方であるという事情が語られています。
試みに同記事から幾つかの話題を取り上げてみますけれども、一般論としてもこういう末期的状況にある企業に将来性などあるのかと、誰でも思うのが当たり前ですよね。

記者としての基礎的な訓練が積まれていないため、入社2、3年目になっても「知事の記者会見で何を聞いたらいいか分からない若手もいる」と、この中堅記者は怒る。そして最悪なのは、注意したり指導したりすると、すぐに「パワハラ」だと騒ぐことだ。(中略)筆者の取材では、朝日の別の部暑には、何かあるとすぐに「パワハラ」を叫び、実際に厳しい上司が飛ばされたことに味を占め、同じことを繰り返して、周囲から「パワハラゴロ」と呼ばれる若手記者もいた。」

「私は時間をかけて人脈を作り、他紙が書かないような掘り下げた記事を書きたいと考えています。県庁の発表モノを引き伸ばして書けと指示を受け、それを拒否したところ、無視されるようになった。その挙げ句に、デスクは『日頃取材を優先してきた人も、たまには原稿を書いてください』という内容のメールを全員に送る。こんな会社は新聞社と言えるのでしょうか

「地方紙から朝日に転職してきたベテラン記者は、社内のあまりの静けさに「ここは無人工場ですか」と驚いたという。(略)議論がなくなった代わりに陰口が増えたと語る記者もいた。「会社に対する不満が外部に漏れないように『ツイッター禁止令』を出したところもある。残念ながら、言論の自由どころか、社内言論の自由すら、いまの新聞社にはなくなりつつあるんです」(大手紙の30代記者)」

「「中国報道が重要視されているのに、中国特派員を2度経験した朝日で中国語が一番うまい記者も退社しました。彼は非常に個性が豊かでしたが、そうした人材を使いこなせる風土が会社の中になくなった」辞めた記者たちのなかには、故郷に帰って農業をしたり、大学の職員に転じたりした人もいるという。」

「会社にいても収入は減るばかり。希望退職を使って退職し、転職したほうが得策ではないか。仮に朝日より給料の安いところに転職しても退職金を分割でもらえば、年間に地方公務員並みの『別給料』も入ってくる。9月末に退職した人がどのような第二の人生を歩むか注視しながら迷っている人も多い」

別にこうした事情は朝日一社に限ったことではなく、どこの新聞社でも同様の事情であって、「5~6年前からもうダメだろうという思いはあったんです。新しい雑誌もなかなか出ませんしね。新製品を出せないメーカーが衰退するのは当然のことですから。」なんて話を聞けば、もはや業界として斜陽であるということを感じずにはいられない話です。
新聞などというものは基本的に平素から半ば習慣的に読むもので、その意味では経営が堅い代わりにいざ斜陽となれば立て直す劇的な新材料もないまま先細りに衰退していくことも必然ですけれども、よりエンターテインメント性が高く一見さんが多いということで、商売として自由度が高いはずのテレビ業界においても全く同様の話題が昨今賑やかなのは奇妙な符合ではないかという気がしますね。

日本テレビが“聖域”にメス、賃金3割カットを強行(2010年12月7日東洋経済)

生涯収入が最大で3割減。日本テレビ放送網が10月に強行導入した残業単価の引き下げなどを含む新賃金制度をめぐり、労使間の緊張感が高まっている。

 3月の経営陣による提示以降、撤回を求めてきた日テレ労働組合は、9月末に36時間に及ぶ大規模ストライキを決行。3回目となるストで応戦したが、労使合意には至らず。交渉余地は少なくなっており、年明けにも法廷闘争へ発展する可能性が出てきた。

 新制度はA3用紙で13枚にも上り「10年に1回あるかないかの大変更」(日テレ幹部)。年功序列から評価給への変更に加えて、テレビ局に多い、手厚い“特別手当”にメスを入れたのが特徴だ。

 最も大きな変更点は定期昇給の見直し。従来、年1回の昇給があったが、新制度では、評価実績に応じて積み上げられたポイントの累計が一定点数に達しないと昇給できない仕組みに変更。労組幹部は「4~5年に1回程度の昇給ペースになる」と訴える。

年収を下支えしてきた数々の手当も減る。ほぼ全社員に支給され、残業単価に含まれる固定職務手当6万7800円が廃止されるほか、年4回のボーナスとは別に年4回支給されてきた業績連動手当も実質削減される。同手当は四半期の単体売上高に連動し、1回につき約15万円が支給されていたが、今後は評価次第で7万円程度に下がる。

表向きは「格差」是正

 日テレではすでに、2008年度以降入社の社員を対象に、現社員とは違う賃金制度を導入。業務内容は同じでも、給与は約2割低い水準で働いている。今回の新制度導入は、表向きには二つの制度(中途は職種別年俸制で別枠)を一本化するのが趣旨で、評価制度導入により一時的に年収がアップする社員が出てくる可能性もあるとしている。

 ただ、新制度では退職金も大幅カットされるため、総合職社員の平均生涯収入は、4・2億円から3億円へと最大3割ダウンする見込みだ。

 日テレが強行策に踏み切った背景にあるのは、業績の低迷だ。企業からのテレビ広告出稿が減る中、単体収益は10年以上右肩下がり傾向が続いており、01年3月期に631億円あった営業利益は10年3月期に222億円まで縮小。足元の視聴率は好調で、業績も小幅ながら回復の兆しが見られるものの、今後大きく伸びる見通しは立てにくい

 対して労組は「3年間の激変緩和措置があったとしても、会社側の説明は不誠実。人件費を削減しないと、会社が本当に立ち行かないのか」(労組幹部)と疑問を投げかける。東京都労働委員会に斡旋を申し立て、年末までの団交再開を要求している。一方、日テレ幹部は「地方局では3年間で35%人件費を落とした局もある。それでも年収は県庁役員と同じぐらい高い。商品力は落ちない」と強気な姿勢を崩さない。事態に進展がなければ、労組側は不当労働行為などで提訴することを視野に入れている。

TBSでも大ナタ

 人件費に大ナタを振るっているのは日テレだけではない。視聴率4位に低迷するTBSホールディングスは民放他局に先駆けて04年に分社化し、09年に持ち株会社に移行。本体よりも賃金水準が2割低い子会社・TBSテレビへの転籍を進めており、管理職以上は今期までに終了した。今後労組との交渉に突入するが、対立激化は避けられそうにない。フジテレビジョンも、制作現場から「年間4回以上あった特別手当が2回に減り、年収が1割減った」との声が漏れる。

 ただ、テレビ局の平均年収はフジ(1452万円)、日テレ(1262万円)、TBS(1357万円)など、高いのも事実だ。免許事業ゆえに参入障壁が高く、高収益を築いてこられたが、今やインターネットなど新興勢力の台頭で本業はジリ貧状態。日テレの氏家齊一郎会長はかねてから「広告減少が続く中では生き残れるキー局は2~3社」と指摘している。テレビ局を囲む環境が今後一段と厳しさを増すのは間違いない。

昨今どこの世界もワープア化だと四苦八苦している中で、未だバブリーな頃のままの体質でやってきたということであればこうした経営の再建策は必然ではありますけれども、むしろ注目しなければならないのはそうした経営再建の行方として彼ら既存マスメディアがどういう方向へと舵を切っていくかということですよね。
これまた現代ビジネスの記事によれば、読売新聞が財務省元次官などという「官僚中の官僚」を社外監査役に招いたという昨今の事例がありますけれども、その背後には政界各方面に広く顔が利くだとか、いざ税務上何かあっても財務省OBがいれば安心だとか、要するに中央政官界とメディアとの癒着とも言うべき話でもあるということです。
その背後にあるのが「業界の先行きは暗い、もっとコスト削減しなければ」というトップの経営至上主義であるとなれば、「巨大なメディア権力をバックに自民党の派閥の領袖たちに食い込み、権力の深層部に踏み込んでトップの座を射止めた」人々が「権力至上主義に陥り、ジャーナリストでありながら自らプレーヤーになってしまった」と批判されてもやむなしでしょう。

もちろん他業界から見てマスコミ業界、とりわけテレビ業界の時代錯誤とも言うべきバブリーな体質が昨今目に余るのも事実として、その改革にあたってはまず何よりもジャーナリズムとしてあるべき理念を優先しなければならないはずですが、このままですと単に安かろう悪かろうの大衆娯楽産業に過ぎなかったことを自ら立証することにもなりかねません。
労使交渉も単に経営至上主義と既得権益絶対死守の対決となれば国民にとって不毛なのは当然であって、「これだけ高給を取っていてもまだ不満か?!」とますますテレビ離れが進む一因ともなりかねない話なだけに、経営再建の最中にあってもまず死守すべき部分は何なのかというコンセンサスが労使双方に必要になるでしょうね。
あまりに過激な下請けいじめ、番組制作の根幹にも関わるコストカットといった体質を放置したまま目先の議論で落としどころを探る態度に終始するようであれば、どのチャンネルを回してもどうでもいい芸人達のつまらないバラエティーばかりという、作り手の都合最優先な現状がますます強固になってしまいかねないでしょう。

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2010年12月10日 (金)

朝日問題続報 いよいよ白黒つけなければ決着は困難?!

先日以来続いています朝日の癌ワクチン報道問題は未だ収まりどころが見えない状態ですが、本日まずはこちらの記事から紹介させていただきましょう。

朝日新聞社、医師らに抗議 東大医科研巡る記事(2010年12月7日朝日新聞)

 東京大学医科学研究所付属病院のがんペプチドワクチンの臨床試験に関する朝日新聞の記事中の証言について、「捏造(ねつぞう)と考えられる」などとインターネット上に掲載している団体の代表者らに対し、朝日新聞社は6日、極めて重大な名誉毀損(きそん)であるとして削除などを求める書面を送った

 送付先は、「Captivation Network臨床共同研究施設」の代表世話人を務める医師ら。

 朝日新聞は、臨床試験で起きた有害事象が、同種のペプチドを医科研から提供された他施設に伝えられなかったことを報じた10月15日付朝刊の記事に、大学病院関係者の「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか」との証言を掲載した。これについて「捏造」などと主張している団体などに対し、記者の取材に応じた関係者が記事の通り述べたことは確たる事実であると申し入れた。

ちなみに申し入れ書というのはこちらですけれども、要点としては「対面取材を受けたのは大阪大学関係者だけではなく、また、取材は対面取材だけではありません。さらに、大学関係者は各大学とも多数います。」という理由から、阪大関係者のみの調査で証言はなかったとは言えないという内容ですが、残念ながら件の抗議は阪大関係者のみを調べてのことではありませんから、これまた意図的なミスリードですかね。
「当該箇所を削除するとともに、訂正と謝罪の記事をブログに掲載」されなければ法的措置を検討するというのですから、是非とも法廷の場で白黒をはっきりさせていただければ双方とも願ったり叶ったりだと思いますが(苦笑)、同じような事を考えたのか東大医科研の方が一足早かったということのようですね。

東大医科研教授ら朝日新聞を提訴 がんワクチン報道で(2010年12月8日47ニュース)

 臨床試験中のがんワクチンをめぐる記事で名誉を傷つけられたとして、東大医科学研究所の中村祐輔教授とバイオベンチャー企業「オンコセラピー・サイエンス」(川崎市)が8日、朝日新聞社と執筆した編集委員ら2人に計2億円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴した。

 問題とされたのは、朝日新聞が10月15日付朝刊に「『患者が出血』伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン」の見出しで報じた1面トップ記事のほか、社会面の関連記事、翌16日付朝刊の社説

 中村教授らは東京・霞が関の司法クラブで会見し「出血はがんの進行に伴うものだった可能性が高い」と指摘。「自身やオンコ社への直接取材もなく、記事は不正確で問題がある」としている。

がんワクチン報道で朝日新聞を提訴、東大医科研・中村教授ら(2010年12月8日CBニュース)

 東大医科学研究所(医科研)で開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐる朝日新聞の報道で名誉を棄損されたとして、医科研の中村祐輔教授と、医科研発の創薬ベンチャー企業「オンコセラピー・サイエンス社」(川崎市、角田卓也社長)は12月8日、朝日新聞社と記事を執筆した論説委員、編集委員に合わせて2億円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こした。

 中村教授とオ社が名誉棄損としているのは、朝日新聞の10月15日付朝刊の記事と16日付朝刊の社説。これらが一般読者に対して、「医科研が被験者に起きた消化管出血を他病院に知らせなかったことが、あたかも反倫理的行為で問題があるとの印象を与える」「(中村教授とオ社の)経済的利益が優先された結果であるとの印象を与える」などと指摘している。また、中村教授を「ワクチン開発者」と記載するなど、「記事の内容や理解が不正確、不適切」と主張している。

 中村教授とオ社は8日、東京都内で記者会見を開き、中村教授は「わたしに悪意を持った記事の構成に強い憤りを感じる。がんペプチドワクチンが世界的に注目されている中、こうした記事で臨床試験にブレーキがかかるのは非常に残念で、このままにしておけない」と語った。

 朝日新聞社広報部は「記事は臨床試験制度の問題点を被験者保護の観点から医科研病院の事例を通じて指摘したもので、確かな取材に基づいています」としている。

■朝日新聞「『記事捏造(ねつぞう)』は名誉棄損」
 一方、朝日新聞社は、記事について「捏造と考えられる」などと批判している医師らの団体に対し、「新聞社に対する極めて重大な名誉棄損行為」として、ブログからの削除などを求める申し入れ書を6日付で送付した。
 申し入れ書は、がんペプチドワクチンの臨床試験を実施する大学病院などで構成する「キャプティベーションネットワーク臨床共同研究施設の代表世話人」など4か所に送付。同社ホームページで公開している。

 大学病院関係者が「(出血の情報を)なぜ提供してくれなかったのだろうか」と話したという記事(10月15日付朝刊)に対し、同ネットワークなどが「われわれの調査では『関係者』は存在しない」「極めて捏造の可能性が高い」と抗議していることについて、朝日新聞社の申し入れ書では、「関係者が記事記載のとおり述べたことは確たる事実」「貴殿らの調査は不完全」と主張。ブログからの削除と訂正・謝罪の記事掲載を求め、応じない場合は法的措置を検討するとしている。

記事の対象となる個人なり団体なりに直接取材もなしに記事を書いたと言うのであれば、朝日が法廷の場でどのように自らの取材方法を正当化するのかが注目されるところでしょうし、先の臨床共同研究施設代表世話人らとの間の問題もこの際法廷の場で解決を図るということになれば、これは全国で支援の輪が大きく広がりそうな気がするところですよね。
一方で先日もお伝えしました通り、朝日は11月26日に東大医科研に対する反論文なるものを公表すると共に、11月30日には「何が起きた?/どこが問題か/社説の意図は」なんて言い訳がましいタイトルの弁解記事を載せているわけですが、かねてこの問題について全国に警鐘を鳴らしてきた「医療報道を考える臨床医の会」がこれら一連の朝日側主張に対して猛然と反論しています。
外野から眺めていても朝日の主張は「しょせん見解の相違ですが何か?」と木で鼻をくくったような態度に終始しているところが見受けられますけれども、失礼ながらしょせん素人に過ぎない朝日が本気になった専門家の総攻撃からどの程度の反論をひねり出せるものかと、そちらの方面でも注目しながら経過を見させて頂いているところです。

(続)捏造報道の正当化・議論すり替えを図る朝日新聞(2010年12月6日医療報道を考える臨床医の会)

11月26日朝日新聞朝刊37面社会面に「東大医科研の抗議 本社が抗議回答書」と題する記事、さらには11月30日朝日新聞朝刊37面社会面に、「ワクチン臨床試験報道」と題する記事が掲載されました。
しかしながら以下に述べるように、これらの記事は、10月15日、16日の記事に寄せられた多数の抗議と事実誤認の指摘に対し、誠意ある回答になっていません
私たちはここに再び抗議いたします。

また、当該記事の訂正と謝罪、朝日新聞社のガバナンス(組織統治)体制の再構築を求める署名募集を継続いたします。
10月27日の署名開始以降、4週間で20000名を超える皆様からのご署名をいただいております。署名は朝日新聞社の社長及び『報道と人権委員会』(社内第三者機関)に提出いたします。

【1】事実関係の誤りは、いつ訂正するのでしょうか

10月15日付記事で触れられたペプチドの開発者は、朝日新聞社から東大医科研にあてた回答書を見ても、明らかに中村祐輔教授ではありません
訂正しないのでしょうか。

【2】私たちの質問には答えていただけないのでしょうか

当会では11/12の声明で、朝日新聞記事の事実誤認、黙殺されている重要な事実について言及しましたが、11/26、11/30の記事で回答は行われていません
以下、特に問題と考える箇所を再度列挙(斜体部は11/12の声明)します。
また、回答を求めないとお返事いただけないようなので、今回は以下の質問(下線・太字で記しました)に対して、朝日新聞社に誠意ある回答を求めたいと思います。

・医科研病院の消化管出血は、膵頭部癌進行による門脈圧亢進に伴う食道静脈瘤からの出血であり、がんペプチドワクチンとの関連はなく膵癌の進行によるものと判断され、外部委員を含む治験審査委員会で審議され、問題なしと判断されていました。消化管出血がワクチン投与との因果関係が疑われる「副作用」であるかのような誤解を読者に与えることに朝日新聞は執着しています。

11/30の記事では、「出血が起きた患者は、評価が定まっていない、薬になりそうな候補物質の被験者です。有害事象が起きた時に『この病気ではありうる症状だから』で片づけてしまえば、被験者の安全を守ることも、候補物質の適正な安全性評価も難しくなりかねません。被験者保護の観点から、重要な事実と考えています。」と記載していますが、患者さんが進行膵癌を有している、という大前提を無視しています。

『膵頭部癌進行による門脈圧亢進に伴う食道静脈瘤からの出血』は、ワクチン投与との因果関係が疑われる『副作用』ですか?

・消化器癌進行に伴う消化管出血は医学的常識であり、臨床研究を行う臨床医の間で周知であり、臨床試験実施の如何に関わらず、患者さん・ご家族にも説明されていること。進行した消化器癌に伴う、既知の合併症として通常説明される事象を、朝日新聞が「臨床試験のリスク」の「説明義務」ありと誤認しています。

『末期の消化器癌進行に伴う消化管出血』は、『臨床試験のリスク』の『説明義務』ありとお考えですか?

・2008年2月に、他のがんペプチドワクチンを用いた臨床試験を実施している和歌山県立医大山上教授により、がんペプチドワクチン投与後の消化管出血が報告され、がんペプチドワクチンの臨床試験を行う臨床医の間で、情報が共有されていたこと(この消化管出血も、ワクチン投与とは関連なしとされましたが、念のために発表されたとのことです)。

がんペプチドワクチンの臨床試験を行う臨床医が全員参加する研究会、(Captivation Network)で、消化管出血の情報が共有されていました」が、それでも医科研病院は他施設(Captivation Network)に、『末期の消化器癌進行に伴う消化管出血』を伝えるべきだったと、お考えですか?

・医科研病院の消化管出血は、2008年2月から遅れること8ヶ月、2008年10月であったこと。

Captivation Networkの消化管出血の情報共有の8ヶ月後に、医科研病院の末期の消化器癌進行に伴う消化管出血は生じましたが、それでも医科研病院は他施設 (Captivation Network)に、『末期の消化器癌進行に伴う消化管出血』を伝えるべきだったと、お考えですか?

・「患者出血なぜ知らせぬ 協力の病院、困惑」とされた関係者が存在しないこと。他機関関係者を全て含む研究団体であるCaptivation  Networkの臨床医団体から、「『関係者』とされる人物は存在し得ない」との公式抗議が出され、記事捏造の可能性が高いこと。我々臨床医の視点からも、このコメントは非常に不自然、あり得ない内容であり、朝日新聞記者の捏造であると考えます。

Captivation Networkから、「『なぜ知らせぬ』と語った『関係者』とされる人物は存在し得ない」との公式抗議が出されています。これに対して11/30の記事では、『複数の施設の関係者に対面取材しております。取材源の秘匿の原則から、詳細は説明できませんが、記事中の発言を臨床試験施設の関係者がしたことは、揺らぐことのない事実です。』と返答しています。

臨床医グループ関係者が名前を公表して抗議しているにもかかわらず、取材源秘匿という形でのごまかしは許されません。また、仮に、万が一こう語った関係者が存在したとすると、このコメントは、専門家の総意(コンセンサス)、臨床医の常識からかけ離れており、その専門性と見識を疑わざるを得ません。
『関係者』とは、本当に臨床試験を実施している医師でしょうか? その存在を証明してください。

11/30の記事では、『(捏造の)指摘は全く事実無根で、朝日新聞社の名誉を傷つけるものです。』とあります。しかし、自身の10/15、10/16の事実誤認に基づいた記事で、ナチス・ドイツの人体実験まで持ち出し、対象者の名誉を傷つけた自覚はないのでしょうか。11/30の記事の『今回の問題とナチの人体実験を同列に論じたものでは全くありません』という記載に、自覚と反省は全く認められません
朝日新聞記者行動基準には、「報道にかかわる一切の記録・報告に、虚偽や捏造、誇張があってはならない」「表現には品位と節度を重んじる。」とされています。
論説記事の見出しを撤回するつもりはありませんか?

・そもそも、医科研病院と和歌山県立医大他施設のがんペプチドは全く別物であり、臨床研究としても全く別であることから、医科研病院と和歌山県立医大他施設は、共同研究者ではないこと(この点は、恣意的な解釈のもとに共同研究者と翻訳する以外にないことを記事中で認めています)。(当会注:米国政府の臨床試験登録公開サイト、clinicaltrials.govによれば医科研病院の臨床試験はNCT00683085。一方和歌山県立医大の臨床試験はNCT00622622。用いたペプチドは医科研病院がVEGFR1-A02-770、和歌山県立医大がVEGFR2-169と、全く別になります。)

11/30の記事では『被験者保護の原則に照らして、ペプチドを他施設に提供している医科研が、「重篤な有害事象」の発生を、同種のペプチドを使って臨床試験をしている他施設に伝えていないことは、医の倫理上、問題があると判断しました。』としています。
貴社は、いつから臨床試験を管理し『医の倫理上、問題があると判断する』立場になられたのでしょうか?

・記事ではペプチドを複数組み合わせたり、抗がん剤と併用すると副作用がわからなくなるとしていますが、2009年9月に出された米国食品医薬品局(FDA)のがん治療用ワクチンガイダンスには、複数ペプチドの併用、抗癌剤との併用についての記載があること。

米国食品医薬品局(FDA)のがん治療用ワクチンガイダンスについて取材した上で、一連の記事を掲載されていますか??

・記事ではがんの「ワクチン治療」はまだ確立しておらず、研究段階だとしていますが、米国食品医薬品局(FDA)は2010年5月に前立腺がんワクチン、Provengeを既に承認していること。
以上、がんワクチンに関しては世界標準から逸脱した記事内容となっていること。

世界標準のがんワクチンの情報について、取材を行っておられますか?

・東京大学医科学研究所ヒトゲノムセンター長、中村祐輔教授ならびにオンコセラピー・サイエンス社は、無関係であるにもかかわらず記事に記載したこと。臨床試験のあり方、被験者保護を論じるために、何故本臨床試験と関係ない、2者を持ち出されたのか

朝日新聞の回答書には特許公報に触れた部分がありますが、特許公報には発明者が明記されており、中村教授が発明者でないことは何より貴社が最もよくご存じのはずです。
また、11/30の記事では、中村祐輔教授がペプチドワクチン「開発者」と判断した理由について、講演・著書の恣意的引用を延々と記載していますが、科学的な根拠に基づいた理由はありません。米国政府の臨床試験登録公開サイト、clinicaltrials.govにおいて、医科研病院の臨床試験 NCT00683085、及び用いたペプチドVEGFR1-A02-770について、中村祐輔教授、オンコセラピー・サイエンス社の名前を見つけることはできません
さらには、中村教授は臨床医ではなく、臨床研究の遂行に関与する立場にも、有害事象の情報の扱いに関与する立場でもありませんでした。

臨床試験のあり方、被験者保護を論じるために、何故本臨床試験の実施・遂行には関与していない、中村祐輔教授、オンコセラピー・サイエンス社2者をあえて持ち出される必要があったのでしょうか?

最後に、もう二つだけ質問です。

倫理的にも、科学的にも、ルール上も、他の施設に報告すべき必要のない、医科研病院患者さんの消化管出血を、新聞1面・社会面・社説に持ち出した意図は何ですか?

臨床試験の問題点、被験者保護を論じるのに、倫理的にも、科学的にも、ルール上も、他の施設に報告する必要のない、医科研病院患者さんの消化管出血を、記事にした意図は何ですか?

各方面から様々な突っ込みどころはあると思いますが、今回の記事に関わる根本的な疑問として、朝日の側は「日本の臨床試験の問題点を追求する意図だった」と主張しているにも関わらず、その実際の内容は臨床試験そのものではなく単に特定の個人を批判する内容に留まっている、しかもその個人が記事の内容と直接関わり合いのない人物であるのは何故なのかという点がコンセンサスとなりつつある印象です。
朝日の取材能力や論理的思考能力については平素から広く知られているところですから、確かに彼らが全く純真に「テレビの故障を直すためには天板を斜め45度の角度で叩く必要があるのだ!」と信じ込んでいる可能性も無くはないとは思うのですが、外から見ている限りは単にいつもの朝日レベルな記事であることを証明したかったのか、それとも朝日側の言う表向きの意図とは別の何かが裏にあったのかという疑問は感じますよね。
冒頭に取り上げました朝日にコメントしたという「関係者」にしても、その実在性云々はともかくとして事実関係者であるならば、この時この場でこうしたコメントを出してくることの違和感と言うものを東大医科研付属病院の釣田義一郎先生が真摯に語っていて、この関係者氏の、そしてそれを取り上げる朝日の行動論理、意図するところとは何なのかと、誰しも疑問に感じざるを得ないのではないかと思います。

今回の報道にまつわるそうした違和感というものは、先日の小松秀樹先生のコメント(今回の一連の事件のまとめとしても分かりやすい内容です)からも読み取れるところで、要するに朝日の言う目的に対しては全く合目的的な記事内容でない上に、その意図する(と彼らが主張する)目的と敢えて遠ざかる方向にミスリードしようとするかのような文言ばかりが連なった記事とは、一体何が目的だったのかと言うことですよね。
朝日が言い訳に言い訳を重ねた結果患者団体と医者団体との結束がますます強く固まることになった、それこそが今回の事件における唯一の望ましい副産物だったのかも知れませんが、反省無き弁明に終始する朝日を社会が今後どう扱うのかにも注目せざるを得ませんし、そして突っ込みどころ満載のネタを敢えてこの時期一面トップで取り上げた朝日の本当の意図とは何だったのかということにも、興味をひかれて仕方がありません。

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2010年12月 9日 (木)

目先の指摘の背後にある大きな問題

近頃では各地の公立病院などでは「うちは新臨床研修制度のせいでお医者さんが来ないんです~」なんてすっかり社会的弱者のような顔をしていますけれども、その実態はあまりにトンデモな労働環境が放置されている結果医者が逃げ出しているだけだと明らかになってきているわけです。
近年は医療崩壊ということが社会的にも問題視される流れにあるためでしょうか、こうした公立病院の反社会的行為に対してようやく労基署あたりも重い腰を上げた結果、あちらこちらの公立病院が是正勧告を受けるという報道が相次いでいるわけですが、この流れがとうとう大学病院にまで及んできたようですね。

京都府立医大 残業代3億円支払わず(2010年12月07日スポニチ)

 京都府立医大(京都市上京区)が付属病院の医師ら約500人に、大学法人化以降の残業代計約3億円を支払っていなかったとして、京都上労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが7日、大学への取材で分かった。

 大学によると、医師と同病院の間で時間外労働に関する協定がなく、2007年12月と09年10月に当直手当以外の賃金が支払われていないとして是正勧告を受けた。大学側は08年4月の法人化以降の時間外労働のうち、約1億6000万円をすでに支払い、残りも本年度中に支払うという。

 大学は「09年12月に時間外労働に関する規約をつくり、現在は適正に支払っている」としている。

是正勧告:医大病院と分院、超過勤務手当支払わず 08、09年に受ける /和歌山(2010年12月7日毎日新聞)

 県立医大付属病院(和歌山市)と紀北分院(かつらぎ町)が、医師ら365人分の時間外・深夜労働の割増賃金など計6030万円を支払っていなかったとして、和歌山・橋本両労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが分かった。いずれも支払いは終えたという。

 付属病院総務課によると、勧告は09年10月15日。同年6~8月の医師と技師283人分、計5616万円を支払っていなかったと指摘された。当直勤務中、救急外来患者が何度も来た場合は当直とはいえず、超過勤務手当を支払うべきだと労基署に指摘されたという。同課は「すべて超過勤務手当を払うと経営が成り立たない」と懸念を示している。

 一方、紀北分院への勧告は08年11月27日。08年中の看護師や医師ら82人分、計414万円を支払っていなかったと指摘を受けた。衛生管理者や産業医の未選任、定期健康診断結果の未提出も指摘された。同課は「(提出などを)認識していなかった」と釈明した。【山下貴史】

残業代未払い 東大に是正勧告(2010年12月8日NHK)

東京大学が、医学部附属病院などに勤務する看護師や事務職員らに対し残業代を支払っていないなどとして、ことし3月までの6年間に8回にわたって労働基準監督署の是正勧告を受けていたことが分かりました。

是正勧告を受けていたのは、東京大学医学部附属病院や医科学研究所など大学にある4つの組織です。大学によりますと、附属病院に勤務する医師や看護師、それに大学の事務職員ら、延べ、およそ700人に対して、残業代の割り増し賃金を支払わなかったり、規定を超えた時間外労働をさせたりするなど、労働基準法に違反しているとして労働基準監督署から是正勧告を受けていたということです。是正勧告は、大学が法人化して労働基準法の適用対象となった平成16年度以降、ほぼ毎年行われ、ことし3月までにあわせて8回にわたっています。このうち残業代などの未払い賃金は、総額でおよそ9700万円に上り、大学は是正勧告を受けて全額を支払ったとしています。東京大学本部広報課は「故意に残業代を支払っていなかったわけではなく、時間外勤務の一部を自己研さんの時間と考えるなどしていたため結果的に未払いになった。勧告を受けるたびに会議などの場で再発の防止を呼びかけてきたが、徹底できていなかった。今後はこのようなことがないようにしたい」と話しています。

残業代の規定すらないという時点でどうなのよですが、全国同時多発的にこうして同様の話が出てくるということは、さすがにかなり上の方からの統一意志に基づいた行動であると理解するしかありませんけれども、問題は大学病院医師の労働問題が単に時間外労働に対する代価を払えば済むというレベルのものではないということです。
わずか月6万円で過労死するまで酷使され続けた挙げ句、「過労死?単に自発的に働いてただけでしょ?だいたい研修医は労働者じゃないし」と強弁したという伝説の関西医大研修医過労死訴訟などを見るまでもなく、ありえない低賃金どころかしばしば無給で、その上医局費や研究費などという名目で上納金すら取り上げらて過酷な労働を強いている大学の現実をスルーするのはどうなのよですよね。
「嫌なら大学なんていかなけりゃいいじゃん」というのは確かに正論ですが、問題は当の大学は元よりマスコミや公立病院が中心になって、医療崩壊の原因は新臨床研修制度の結果大学の人手が足りなくなった、そのために各地の関連病院からスタッフを引き上げざるを得なくなったからだというシナリオが、未だ何の検証もなく既定の事実として語られ続けているということです。

かねて言われていることには、自分の支配下にある大学の権威を高めたい文科省としては大学病院の権限が低下することは望ましいことではなく、何とかその復権を目指して画策している一方、大学から医師の派遣機能などといった権限を奪って自分達のシマである各地の基幹病院にその代替をさせようとしている厚労省とすれば、今さら白い巨塔の復活などあり得ない話ということになりますよね。
しかしそうした暗闘の中にあって当事者である医者達の労働者としての権利擁護などという視点があったかと言えば、正直単なる数合わせの駒としか見られていなかったという側面が否定できないと思いますね。
昨今では大学医局においても医者の嫌がる病院には一切派遣はしませんと公言するなど、結果として労働環境の改善が進んできた部分もあるにせよ、それらはあくまで教授や医局長といった医者同士の配慮の中で行われてきた話であって、組織としての大学が改革されているわけではないことは留意しておかなければなりません。

近頃では公立病院にしろ大学にしろ独法化ということになっていて、国立の大学病院においても「ナースが点滴をしてくれるようになった!」「三時を過ぎても指示を受けてくれるようになった!」なんていじましい環境改善の報告(苦笑)が相次いでいますけれども、民間と公立との医者当たり労働生産性の差というものを考えて見れば、こうした改善とはすなわち医療の質の向上に結びつく話だと知れますよね。
医療現場の中でもとりわけ高度な専門職である医者が薬局に薬を取りに行く、患者さんの車椅子を押すといった専門性のかけらもない仕事に忙殺された結果、「医者が足りない!国の強権で何とかしてくれ!」なんて言われたところで、まともな人間からはお前ら頭に悪い虫でも湧いているのかと正気を疑われるのがせいぜいでしょう。
地域においてもっとも高度な医療を担う建前の大学病院で、実際に働いているのは過労でふらふらの医者ばかりということになれば、国民にとっても自らの生命と健康に危機感を覚えずにはいられないはずなのですから、単に表面的な体裁を整えてそれでよしとするのではなく、これを契機に社会常識の通用するまともな職場環境構築へ向けての抜本的改革を推し進めていくのが社会的責任というものではないでしょうか。

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2010年12月 8日 (水)

まさか適当な思いつきでやっているというわけでは…?

今のところソースが朝日だけというのがどうなのかですが、先日こういう予想されたような話が記事として出ていまして、さてどの程度具体化してきているのかと見てみればこれがなかなか興味深いのですね。

千葉・成田市に医大誘致構想、医師増加狙うが、地元では慎重論も(2010年11月19日朝日新聞)

 千葉県成田市が医科大誘致に向けて動き始めた。鈴木寛文部科学副大臣に市長らが誘致の意向を伝え、シンポジウムなどで発信し始めた。だが、地元医師会幹部は「現実的でない」と慎重で、今後議論を呼びそうだ。

 「医科大の拡充などについて文科省の中で検討が始まった。候補地として成田もぜひ検討いただければ幸いだ」

 10月17日、市役所で開かれたシンポジウム「国際都市成田の将来と新しい医科大学構想」で、医療を担当する関根賢次副市長はこう発言し、数日前に鈴木副大臣にその意向を伝えたことを明かした。

 成田商工会議所の諸岡孝昭会頭も「商工業発展の立場から、医療ツーリズムや医科大の誘致には、もろ手をあげて賛成申し上げたい」と賛同。会場から意見を求められた小泉一成市長も「(医大が)あれば成田としてもクオリティー(質)が上がるなと思う」と前向きな姿勢を示した。

 このシンポジウムは、政策シンクタンク「医療構想・千葉」(竜崇正代表)と市が共催した。文科省が医学部新設の是非を検討する会議を年内にも設置する方針を出したことを受け、竜代表は「千葉大だけでは千葉県の医療を支えられない。豊富な土地と資金力、国際的ブランド力がある成田に医大を誘致すべきだ」と力説した。会場は医大誘致に前向きな意見であふれた。

 市内には、救命救急センターを備える成田赤十字病院がある。だが、医師不足に悩まされ、常勤医師が確保できずに呼吸器内科を2009年度から、同外科を今年4月から休診している。市は同病院の負担を減らすため、09年度は8500万円、10年度は1億7千万円の負担金を出し、夜間に初期救急医療に当たる医師の手当などにあてている。10月から内科の常勤医師が4人増えるなどの効果は出ているが、いまだ医師の負担は大きいという。

 だが、地元からは慎重な意見も漏れ聞こえる。成田市医師団の真鍋溥団長は「住民にとってはありがたいことで、千葉県の医者を増やそうという発想はいいが、実際の可能性としては無理がある」。医大を造れば付属病院も同時に造ることになるが、研修医が自由に研修場所を選べる現在の制度下では、医師や看護師の確保が難しいという。成田市役所近くの富里市日吉台には徳洲会グループが病院(285床)を建設予定で、「成田地区で病院が足りないわけではない」とも言う。

 シンポジウムを傍聴していた一部議員からも慎重な意見があがっている。共産・馬込勝未市議は「初めて聞いた。いざそうなれば地元負担の問題が出てくる」と話し、26日に開会する市議会12月定例会で質問する予定だ。成田赤十字病院は医大誘致構想について「今の時点では感想を述べる段階ではない」と推移を見守っている。

よくよく記事を読んでいただければ判る話なんですが、市長らが医大を誘致したいと発言し、地元の商工会議所がそれはいいと賛同した、言ってみればそれだけの話であるということに過ぎないのであって、いきなりこんな思いつきレベルの話が飛び出したのでは「初めて聞いた」と市議が首をかしげるのも当然ですよね。
しかもその誘致というのが単に「医大があれば成田のクオリティーが上がる」なんて次元の発想であって、しかも地元にはすでに立派な病院がちゃんと揃っていて今後も更に新設予定であるということですから、この上医大病院までと言うのであれば成田市はどこまで医療資源を求めれば気が済むのかとも思われそうです。
当然ながら医大が降って湧くような話でもなく、地元にも応分の負担が求められる可能性が高いでしょうに、持続的な財政支出をそこまで増加させて市政は大丈夫なのかと人ごとながら心配になりますが、市長としてはそれが問題になる頃には自分はどうせいないし…とでも考えているのでしょうか。

成田市の今後についてはともかくとしても、国としては引き続き医学部定員増加を推し進めるという方針には変わりがないようで、先日は三年連続で記録更新というこんな記事が出ていました。

医学部の入学定員、23年度は77人増 総定員は3年連続最多を更新(2010年12月6日産経新聞)

 深刻な医師不足の解消に向け、文部科学省は6日、平成23年度の大学医学部入学定員を国公私立の26大学で合わせて77人増員すると発表した。増員後の総定員は、国公私立79大学で計8923人と3年連続で過去最多を更新。大学設置・学校法人審議会の審議を経て年内に正式決定する。

 増員の内訳は国立が18大学で50人、公立が1大学で5人、私立が7大学で22人。22年度に引き続き、奨学金を活用して地元学生を優先的に受け入れる「地域枠」を設けた大学▽複数大学と連携して研究医を養成する大学▽歯学部と医学部の両学部を持つ大学で、歯学部の入学定員を削減した大学-の3つの枠組みで、増員を認めた。ただ、10月の中間集計段階に比べ、「地域枠」での増員ができなかった大学があり、見通しよりも10人減った。

 文科省では「医師不足の解消には中長期的な取り組みが必要」とし、24年度以降の定員数などは有識者会議を設置して検討予定。

世間では大学生の就職内定率が過去最低を更新したなんて話も出ている中で、こうしてみると医療業界というのはずいぶんと人気なのかと思ってしまいそうですけれども、よくよく見てみますと定員増を認める条件の一つとして歯学部の定員を削減した場合というものが入っていることに気がつきますよね。
当「ぐり研」においても何度か取り上げているように、すでに歯学部界隈では私立大歯学部の17学部のうち11学部で入学者が定員を下回ったなんて話も出ていまして、司法同様に急激な定員増加から業界内バランス崩壊、そしてワープア化という昨今の国家資格職の多くが辿っているコースを一足早く達成していることが知られています。
さすがに国としてもそろそろ定員を絞った方がよさそうだと考え始めていることが判る話ですが、逆にいえばひとたび国がそうと決めればシステムが完全に崩壊するまで一気に突っ走ってしまうということがよく判る事例ではないかと思いますね。

こういう話を見ますと定員増だ、もっと増やせと言う行動の主体が文科省であることが判ると思いますけれども、医療行政全般を司っているのはご存知の通り厚労省、そして先日も話題に出ましたような自治体病院などを取り扱っているのは総務省といった具合に、およそ医療に関わる役所だけでもあちらこちらに分散しているというのはどうなのかですよね。
噂に漏れ聞くところによれば、厚労省内部では文科省がどんどんと医学部定員を増やし続けていることに不満を感じている人もいるということなんですが、教育を所轄する組織ではあっても医療を云々する組織ではない文科省の中で、一体どういう人たちが医師不足の解消を云々しているのか、よもや某大先生のような声の大きい人の言いなりになっているだけなのではないかと不安にもなるところです。
単独の省庁がやっていることでも小回りが効かず困ったことになる場合が多いというのに、これだけ複雑に絡み合った各省庁の絡む医療行政の中で、医療の未来絵図を思い描きながらきちんと制度設計をしている責任者となるべき人間が誰かいるのかと疑問に感じるのは自分だけではないと思いますが、過去の事例から推察するに少なくとも将来何がどうなっても責任を取ると言う事だけはないことは確実なんだろうと思いますね。

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2010年12月 7日 (火)

どこの業界も同じ悩みを抱えているようです

本日まずは、先日出ておりましたこちらの記事から紹介させて頂きましょう。

いじめ自殺報道が常に「学校=悪」の理由「叩きやすいから」(2010年12月6日NEWSポストセブン)

 テレビのいじめ自殺報道はワンパターンで、被害者の親と学校という単純な対立構図で描き、まるですべての責任が学校側にあるかのように非難する。なぜこんな単純な構図の報道ばかりが流されるのか。

 ある地方テレビ局の制作部長は、記者の取材に、「今たずねられるまで、いじめ自殺の取材はこんなものだと思っていた」と率直に答えた。その上で、ワンパターンの報道がなくならない理由を自戒を込めるようにこう語った。

限られた時間のなかで放送に間に合わせなければならない。すると、被害者遺族の言い分を聞き、加害者の代弁者的な学校の弁明を聞き、教育委員会の話を聞けば、それでよいと思ってしまう。おそらくほかの局も同じでしょうね」

 キー局ワイドショーのディレクターも、「学校から『子供に対する直接取材は自粛してください』と規制されるので、取材できるのは、学校、教育委員会、遺族の親に限られてしまう」と口を揃える。取材できるところだけ手っ取り早く取材すると、怒りと悲しみに暮れる遺族と、それを受け止める学校・教育委員会という構図になり、必然的に、学校が加害者の代弁者として悪者の役を演じることになる。

 元テレビ局報道記者でメディアジャーナリストの渡辺真由子氏はこういう。

「いじめが起こるのは学校だけの責任ではありませんが、学校が責められることが多いのは、報道する立場からすれば、叩きやすい存在だからです。たとえば、いじめの加害者である子供などに直接取材すると、あとで親や弁護士からクレームが来るなど面倒なことになるので、結果、報道を自粛することになる。私も加害少年を取材して上司にボツにされたことが2回ぐらいあります」

いじめ報道などを見ていましても常々思うのですが、どうも我々が承知している教育現場の常識と乖離していると言いますか、そもそも報道だけを見ていますとこれはいったいどんな現象が起こっているのかさっぱり理解出来ないということがないでしょうか?
個人的によく教育関係の方々とお話をする機会があるのですが、顧客のモンスター化や訴訟リスクの増加など、日常的に抱える問題点の多くが医療業界と驚くほど似通っているものだなと常々感じさせられます。
そして彼らも口を揃えて言うのが現場の実態を全く無視した不当なマスコミのバッシングに対する不満ですけれども、これまた医療業界におけるそれと相似形と言っていいほど似通っているということには驚かされますが、その根底にあるのが上記の記事にあるようなマスコミの商業主義であるということは当事者の声からしても明白ですよね。
そんな中で先日はこんな記事が出ていまして、前述の記事と照らし合わせながら見て頂きますとこれまた全く同じ構図であるということがよくお判りいただけるのではないかと思います。

TVでは「かわいそうな患者とヒドイ病院」とやれば外れはない(2010年11月5日NEWSポストセブン) 

 報道では患者はいつも「かわいそうな被害者」だ。病院側の事情は一切考慮されず、どんな状況であっても患者をすべて受け入れ、ミスを犯してはならないと迫られる。1999年に発生した「割り箸死」事件報道を振り返って、ジャーナリストの黒岩祐治氏が検証する。

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 11年前、転倒した4歳の保育園児が割り箸を喉に刺して死亡した事故。その第一報を受けて、当時、夕方の『FNNスーパーニュース』(フジテレビ系)のキャスターだった私は、怒りを込めて次のようにコメントした。

「どうしてドクターはCTスキャンなどしなかったんでしょうね。信じられませんね。そういう基本的なことさえキチンとしていればこんなことにはならなかった。ご遺族の気持ちを思うといたたまれないですね」

 それから9年後、いったん逮捕された担当医師の無罪が確定した。私のコメントは的外れだったことになる。かつての自分自身のコメントをどう総括するべきなのだろうか?

 私自身、ずっと心に引っかかっていた。医療は自分の得意分野などとなまじ自負していたことがアダとなった。医療とマスコミを論じる上で、当事者であった自分自身から目をそらすわけにはいかない。

 1999年7月、東京都杉並区の盆踊り大会に参加していた杉野隼三君が転倒し、綿あめの割り箸が喉に刺さった。救急車で杏林大学付属病院に運び込まれたが、医師は傷口に消毒薬を塗って痛み止めの薬を渡しただけで、家に帰した。

 翌朝、隼三君は自宅で容態が急変し、再び救急車で運ばれたが、死亡した。司法解剖の結果、7.6センチの割り箸の切れ端が小脳にまで達し、頭蓋内損傷を起こしていたことが分かった。

 病院側は過失を認めなかったが、警察は医師を業務上過失致死容疑で逮捕した。テレビは連日、大きく取り上げた。母親が遺影を前に涙ながらに語る姿はニュースだけでなく、ワイドショーの格好のネタとなった

 可愛い盛りの4歳でこの世を去ったかわいそうな隼三君、突然最愛の息子を失った悲運の母親、脳に刺さった割り箸を発見することもできなかったヤブ医者、杜撰な診察、お粗末な病院の現状……。

 ストーリーが完成するのに時間は必要なかった。私自身、第一報のニュースからそのストーリーを何の疑問も持たないまま、受け入れていた

 かわいそうな患者とヒドイ病院。勧善懲悪の時代劇さながらに、その定型的な構図はあまりにも分かりやすい。病院が過失を認めなかったとなると、巨大な組織が弱い個人を痛めつけるという典型的な構図がさらに鮮明になる。マスコミは弱者の味方ぶるのを最も得意とするところであるから、その流れに乗じていれば、外すことはない

 報道が社会の改善につながることはマスコミ人として職業冥利に尽きるが、果たして純粋にそういう意識の下で取材活動をしているかは自省すべき問題である。

 特に記者クラブの記者は、そういう発想をする余裕もなく、目の前のニュースに追い回されるのが常だ。そして前述のような単純な構図の報道が出来上がる。

  患者が病院をたらい回しにされて死亡した事件などで使われるたらい回しという表現自体、病院側の“受け入れ拒否”であって、ヒドイ病院というニュアンスが込められている。病院側からすれば、“受け入れ不能”なのだ。

 割り箸死亡事故は裁判の結果、「特異な事例で医師が想定するのは極めて困難」「治療しても延命の可能性が低かった」として、医師は無罪となった。

 まさかそんな結果になるとは私自身、想像もしていなかった。我々は割り箸が脳に刺さっていたという結果を知った上で判断していた。だからこそ医師の対応に「信じられない」という言葉を軽々しく使えたのだ。

 医師が4歳児への問診の中でどこまで類推しうるものなのか? そういう想像力を私も働かせず、素人判断でコメントしていたのである。その危うさに気づいていなかった私自身、「知的な劣化」といわれても仕方がない。

いまどきは猿ですら反省はするという時代ですから、反省した上でなにをどう変えていくのかという部分がなければ「知的な劣化」どころではないということになりますよね。
ちなみにこの黒岩祐治氏、医療問題に目覚めジャーナリストから国際医療福祉大学教授に転身したという変わり種ですけれども、「検証!医療報道の光と影2~大野病院妊婦事件 メディアの功罪」なんて自己批判的な番組を手がけてみたりと、現在の専門分野である医療福祉ジャーナリズムの領域ではそれなりにアクティブな活動をしている人物です。
昨今では週刊ポスト上で「「ホメオパシー叩き」に隠された「統合医療は迷信」の権威主義」なんて記事を掲載して、「NATROMの日記」さんなどでも取り上げ大いに批判を受けたところへもってきて、両者の論争に日本ホメオパシー医学協会が割って入って三つどもえの争いに発展したりと、とりあえず火のないところには火を付けておこうというマスコミ的技術論には十分精通された御仁ではないかとお見受けします。

週ポスの記事はたまたま自分も拝見しておりまして、たぶんこの人は細部に関しての知識もあり相応に見聞も広いのだろうけれども、物事を俯瞰しての全体像というものを正しく思い描けないタイプの人なんだろうなあという印象を受けたのですが、「NATROMの日記」さんの「黒岩氏の主張は間違っていない。ただ、わら人形論法なだけである。」とは言い得て妙だと感心したものでした。
ただ黒岩氏に突っ込みどころが多々あることは無論その通りであるにしても、マスコミ業界の関係者でおそらく最も医療報道の問題点を認識している一人であろう氏にしてこの程度であるという点にこそ、マスコミ業界の人材難を感じさせると共にこの問題の根深さを思わせるのではないかと思いますね。

とりあえず目に見えるものを提示できるテレビというメディアが世の中を席巻して以来、マスコミ業界はこの安い、早い、しかしよく味わってみると決してうまくはないという安直な報道のあり方に安住してしまったと言う事なのか、物事を深く考え理解するということに関してずいぶんと凋落してしまっているのではないかという気がします。
本質に何ら迫るところのない手抜き取材で絵を揃え、目先のことだけしか見えていない安直な「感想」を吐くだけのコメンテーター(苦笑)を並べておけば取りあえず安く早くで番組は出来るのでしょうが、そんなものに日々洗脳され続ける国民がどうなるのかと考えると、これは昨今うるさい煙害問題など比較にならないほどの社会的損失をもたらしているのではないかと思いますね。
黒岩氏も「医療は自分の得意分野」などと見当外れの見栄を張る前に、まずこれほどまでに課題が山積している病根たるマスコミ問題の専門家を目指してみた方が、より深く広い範囲で社会の改善につながるのではないでしょうか。

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2010年12月 6日 (月)

問題を抱え続ける地域医療の今

先日島根県は大田市からこんな話題が出ていましたが、まずは記事から紹介してみましょう。

大田市立病院:「救急充実」が7割 指定再開に期待--市民調査 /島根(2010年12月4日毎日新聞)

医師不足から市立病院が救急告示を取り下げた大田市で、市民に地域医療への意識を問うアンケート結果がまとまり、3日に開かれた同市地域医療支援対策協議会(会長、中村一夫・市自治会連合会長)で報告された。市立病院で力を入れるべきこととして、「救急医療の充実」を7割が挙げるなど、外科・整形外科を含む救急指定告示の再開と、中核病院としての高度・専門医療に期待する声が高かった。アンケートは9~11月に実施。市民1000人に用紙を送り、667通の回答があった。

 回答者の58・6%が定期的に医療機関にかかっており、最もよく使う医療機関は1位が「(同病院以外の)市内機関」(63・3%)、2位が同病院(14・8%)で、合わせて8割近く。同病院を「受診したい」と思う人は48・7%、思わない人は30・9%で、その理由(回答二つ以内)のトップはそれぞれ「専門的な治療を受けられる(受けられない)」となっていた。機能充実で力を入れるべきこと(回答二つ以内)は、1位が「救急医療」(72%)、2位が「高度診療、最新の検査」(41・4%)で、二次医療圏の中核病院として重視されていることを裏付けた。【鈴木健太郎】

島根県の中程に位置する大田市はこの地域の中心都市とは言え人口わずか4万人足らず、すぐお隣は島根大学医学部のある出雲市ですから難しい病気の方々はどうぞそちらにお越しくださいと考えたくなるような場所柄ですが、救急医療充実はともかく高度の専門医療や最新の検査を求める声がこれだけあるということをどう考えるかですね。
こんな小さな地方都市の崩壊最中にある病院に対してこういう声が出てくるという時点で民度としてどうかという多々意見もあるでしょうが、これは別に大田市が特別だというわけではなくて、全国どこの地方に行っても同種のアンケート調査には同じような結果の答えが並んできているという現実は認めなければならないかと思います。
救急を充実しろ、市内でお産が出来るようにしろ、24時間小児科専門医が対応しろ、癌や難病を近くの病院で治療できるようにしろ、etc…もちろん単に希望を述べよと言われれば誰でも好きに希望は述べるのが当然なのですが、逆にこういうアンケート結果を見てみますと厚労省あたりの主導する医療集約化などという話に対して、一般市民というものが全く理解が追いついていないのではないかという印象も受けますね。

近年医療崩壊などという言葉と共に医療資源が不足しているということが盛んに叫ばれていて、では医者を国家権力によって僻地に送り込めばいいという読売新聞などを始めとする医師強制配置論者などが一定の支持を得ている所以ですが、その影に隠れてあまり話題にならないのが一昔前とは医療の内容自体が大きく変化しているということです。
かつてはそこらの町医者がお年寄りから子供まで何でも見ていた、専門外だろうが何だろうが取りあえず診てやろうという医者が多かったわけですが、そうした古い時代の診療を完膚無きまでに破壊したのが医療訴訟の急増などに見られる社会的な責任追及意識の高まりです。
医療に求められる水準というものがそれなりに高くなってしまえば、当然その担い手は減っていくのは道理であって、世の中に星の数ほどある疾患、病態に対応するためにはそれだけ多数の各専門領域の医者を揃えなければならないし、それぞれの医者に求められる医療の質すなわち業務量というものもずっと増えてきているということですよね。

こういう時代になればせいぜい内科数人、外科数人くらいで一通りの地域需要を満たすことを求められていた地方の中小病院などが最もその影響を被ったことは当然で、そこで無理をさせて出来もしない業務をやらせ続けた施設は崩壊し、身の丈にあったレベルにまで業務を整理した施設は生き残っているという現状も当たり前の現象だと思いますが、利用者の側から見れば別の論理があるのも前述の記事の通りです。
昨今では上野原市の新市立病院建設問題などを幾度か取り上げさせて頂いていて、どう見ても身の丈を超えたレベルの医療を求める市長側の要求を経営側がはねつけたというところまでは先日お伝えしたところなんですが、なにやらその後も相変わらずゴタゴタ続きであるということなんですね。

市長と面談中止 医師会側が通告・上野原 /山梨(2010年12月03日朝日新聞)

 市長と医師会との「和解」が造成工事着工の条件となっている上野原新市立病院建設問題で、上野原医師会は江口英雄市長との面談に向けた日程交渉を「いったん中止する」との文書を市側に提出した。建設問題は2日に開かれた市議会一般質問でも論議が集中したが、早期の収拾は難しそうな雲行きだ。(永持裕紀)

 同医師会の文書は、1日に渡部一雄会長名で提出された。造成工事着工には上野原土地改良区の同意が必要で、改良区は市と医師会の「和解」を条件としている。このため江口市長ら市側は11月上旬から医師会との面談に向けた折衝を始めていた。

 医師会は文書で、「(市長の記者会見などでの言動から)急いで医師会と和解するのは改良区の(同意を示す)ハンコのため、ということが明らかになった」と指摘。市長に謝罪や名誉回復などを求めてきた同会側は、「謝罪する姿勢は形ばかり」として、交渉をひとまず中断したうえで「出直し」を求めた形だ。

 一方、2日の市議会一般質問で、各議員は「来年3月末までに新病院が着工できるのか」という点をただした。国の耐震化工事補助金など約13億円の交付条件は「今年度中の本体工事着工」で、交付の有無は市財政に大きく影響する。市側は、来年1~2月に造成工事に入れば交付の条件を満たすことにならないか、県などと折衝する方針を明らかにしたが、着工時期のめどについては「改良区とさらに密に調整して理解していただく」(病院対策課)とだけ答え、明言できなかった。

 今後の対応を問われた江口市長は、「医師会と話をする中で私の配慮が足りなかった点については説明したい」と語った。

深まる溝、建設にも暗雲 上野原新市立病院 市長と医療関係者対立 「一方的」募る不信感 関係修復、道筋見えず(2010年12月05日山梨日日新聞)

 上野原市が2012年春の開院を目指している新市立病院計画をめぐって生じた、江口英雄市長と市内の医療関係者との溝が埋まらない。病院計画では一部歩み寄りも見られたものの、医療関係者の中には、市側の病院建設の進め方について「一方的だ」との不信感が根強くある。両者の溝が新病院建設の遅れや地域医療への悪影響を招きかねない、と心配する声が出ている。

 指定管理者との溝が顕著となったのは新病院の設計。市立病院の指定管理者「地域医療振興協会」が策定した基本設計案に対し、江口市長は産科と救急循環器診療体制の確立を含む血管造影室を構想に加えた。自身の「産める、育てるまちづくり」という公約を盛り込んだ形だった。
 これに対し病院の経営再建に取り組んでいる協会は「(市長の要望は)発展途上の病院の身の丈に合っていない」(両角敦郎院長)と指摘。しかし市側は指摘を受け入れず、江口市長の構想を基本設計に盛り込むことを通知。結局、江口市長が要望を撤回し、折り合いがついた。
 だが、協会側は撤回するまでの市側の姿勢に不信感を募らせた。協会の指摘に腰を据えた協議もないまま「市長案採用」を通知してきたことや、協会として市の病院建設に対する考えをただした質問書に対する詳細な回答がなかったことがその要因。「市は一方的に考えを押しつけるばかりで、対話の姿勢や誠意がない」(両角院長)と感じた。

撤退も危惧

 市内の開業医でつくる任意団体・上野原医師会(渡部一雄会長)と江口市長の関係もぎくしゃくしている。
 当選後は地元医療関係者と地域医療について協力体制を構築していく考えを示していた江口市長。しかし、「新病院の在り方をあらためて検討する」という公約を実現するために委嘱した委員などに「地域医療振興協会に批判的」(渡部会長)な市外在住者を重用し続けた。
 地元医療関係者との協力体制を期待していた医師会側は、江口市長の一連の対応に「裏切られた」との思いを強めた。常勤医が減り、一時は閉院の危機を迎えた市立病院再建に成果を上げてきた地域医療振興協会の市立病院からの“撤退”も危惧し、市長との対立を深めていった。
 今春には市長と医師会の対立から、医師会が務める小中学校の学校医が不在となる事態にも発展。学校医は医師会が譲歩し復活したが、市が補助する各種予防接種の窓口代行業務は「辞退」したまま。12月定例市議会では複数の市議が「市民の不満が高まっている」と解決を求めた。

解決の糸口

 両者の対立は病院建設自体にも影響し、予定地の造成工事に入れない状態となった。工事道路予定地に管理する水路がある上野原土地改良区が、市と医師会の和解を着工同意の条件に挙げたためだ。
 市は和解へ向け、医師会と直接協議の場を設けようとしている。しかし、「医師会との問題は次元が違う話だが、改良区の同意が必要なので早く解決の糸口を見つけたい」などとした江口市長の発言に、医師会側は「和解と言っているのは、改良区から同意のはんこがほしいだけ」と指摘。江口市長の真意を疑問視し、市側から求められた協議の日程交渉を打ち切った。
 12月定例市議会で「市の医療、福祉、保健は行政、市立病院と地元医師会が一体となってやるべき」とし、医師会との和解に向けて努力する考えを強調した江口市長。しかし、「一体」への具体的な道筋は今も見えない
 改良区の同意がなければ、病院の本体工事がずれ込み、国の補助金を得る条件である「年度内の本体建設工事着工」にも影響を与えかねなくなった江口市長と医療関係者との対立。地域医療を担う新病院計画実現には、早急な関係修復が求められている。

ま、正直こういう田舎町の行政なんてものは色々としがらみだらけであるのがデフォルトというもので、特にこの市長さんの場合はかねて市議や地元企業の贈賄問題などを告発してきたとか、公立病院建設費は高すぎる!なんて土建業批判までしてきた経緯があるわけですから、それは市長としても市外の人間を重用せざるを得ない状況であろうというのも納得はいく話ではあるのですけれどもね。
ただ今の時代こうした地方公立病院でかくあるべし論で話を進めてもどうにもならないという事例はすでに世の中に満ちあふれているにも関わらず、現実の裏付けのない公約という形でそうした幻想に対する市民の期待値を高め続けたまま市長の座についてしまったということがそもそものボタンの掛け違いというもので、その点については率直に下手打ったなという印象は受けるところです。
市長も元医者だと言うことですから、現実はしばしば理屈を超越するという常識はよくわきまえているはずだと思うのですが、少なくともこの問題に関するインフォームドコンセントという点に関しては一体いつの時代の流儀でやっているのだと、今のところ落第点しかつけられない状況なのではないでしょうか?

すでに市の運営によって一度破綻しかけた公立病院が何とか民間の力で再生を目指して苦闘している中で、本来ならその破綻に至る責任を真摯に反省し、真っ先にその再生をサポートすべき行政側がむしろ最大の阻害要因となっているというのでは、いったいどこまで役立たずなんだと市民の不満も高まりかねませんよね。
市長を始めとする行政側としてはこうした地域医療の現実というものをきちんと市民に説明し、いったい同市にとっての身の丈にあった医療とはどんなものなのか、それによって起こりえる市民の不具合、不都合に対して市側はどのような解決策を用意するつもりなのかということを、この機会にしっかりと周知徹底してコンセンサスを形成していくことこそ最も求められている仕事なのではないかという気がします。
そしてもちろん、最終的には現代の医療の抱える限界というものを医療の受益者たる市民がどれだけ我が事として理解し、時代にあった医療との関わり合い方を模索していけるかどうかが問われることは言うまでもありません。

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2010年12月 5日 (日)

今日のぐり:「本家大梶」&「田中屋」

最近お食事系の記事が少ないのではないかとクレームをいただきまして、それならばと今回は食べ物に関連する話ということで注目すべき話題を取り上げてみたいと思いますね。
まずは最近ちょっとした人気というこちらの記事からですけれども、まあクロレラなどというものも売られているくらいですから…ねえ…?

1切れ2億匹!ミドリムシ入りカステラ大人気(2010年11月24日産経新聞)

 高松市の菓子店「宗家くつわ堂」が、健康効果が期待されるミドリムシを使ったカステラの商品化に成功、売り出しから約3カ月で全国から注文がくる人気という。

 ミドリムシは水中にすむ原生動物で、体長0.1ミリ以下。ビタミンB群、亜鉛など多様な栄養素を含むため美容、健康効果が期待できるといい、カステラ1切れ(厚さ約2・5センチ)に約2億2千万匹が入っている。

 ミドリムシは、東京大学内で研究開発しているユーグレナ社が、世界で初めて屋外大量培養に成功。同社とミドリムシ入りサプリメント「まいにちみどりん。」を開発した高松市の会社が「多くの人にミドリムシを食べてほしい。お菓子にできないか」と、旧知のくつわ堂総務部長、田村照夫さん(48)に相談した。

 試行錯誤の末、「みどりむしかすてら」が誕生したものの、「最初は売れるか心配だった」と田村部長。店頭やインターネットの大手ショッピングサイトで8月から販売したところ、問い合わせが相次ぎ、今では1日に約10本売れるという。

 ミドリムシの乾燥粉末や抹茶のほか、こんにゃく粉を混ぜ、通常よりカロリーを半減した。1本1995円。問い合わせは同店(電話087・851・9280)。

どこの池にもいるこのミドリムシという生き物、炭酸ガスと日光があれば日に二倍というペースで増えていくという性質があって、近頃ではバイオ燃料の材料などとしても期待されているということですから、まさにこの地球温暖化時代に最適の食材ということになりますけれども、結局は味ですかね?
先日見かけて以来ちょくちょくと話題になっているらしいのがこちらのニュースですが、人間の食というものに対する業の深さのようなものを感じさせる話でもありますね。

不潔vs香り 世界一高いコーヒー「飲んじゃダメ」(2010年7月21日産経新聞)

 インドネシアにおけるイスラム教の最高権威「ウラマー評議会」がジャコウネコの糞(ふん)から採れる世界で最も高価なコーヒー「コピ・ルアク」をイスラム教徒が飲むことを禁止するファトワ(宗教裁定)を出すことになりそうだ。19日、AP通信が伝えた。

 理由は「不潔だから」という。コピ・ルアクとは、ジャコウネコがコーヒーの果実を食べ、消化されずに排出された種を洗浄したもの。独特で複雑な香りが特徴で、1キロ440ドル(約3万8000円)もするという。

今の時代ですからネットで見るとあちこちで「飲んだ!」という話題が出てくるのですが、プラセボ効果込みなのかも知れませんが甘く強い香りが素晴らしいと専らの評判で、これはインドネシア人ならずともコーヒー好きは一度は試してみたくなるものなんでしょうか?
人間の業ということで言えばこちらもまあそうなんだろうなと感じる話題ですけれども、こちらの場合はなにやら思いがけない結末になったようです。

30キロ増バーガーのせい、マックに支払い命令(2010年10月29日読売新聞)

 【リオデジャネイロ=浜砂雅一】ブラジル南部リオグランデドスル州の労働裁判所が、「12年間で30キロ太ったのはハンバーガー試食を強制されたせい」というマクドナルド元店長の男性(32)の訴えを認め、同社に3万レアル(約140万円)の支払いを命じた。

 28日、ブラジル紙「エスタード・デ・サンパウロ」が報じた。

 男性は、会社が店に送り込む秘密調査員に備えるため、ハンバーガーの試食を毎日、事実上強制されていたと主張。従業員に無料提供される昼食は高カロリーのメニューばかりで、70キロ余りだった体重が105キロに増えたのは会社の責任だと訴えた。マクドナルドのブラジル本部は、「従業員にはバランスのとれたメニューを提供している」と反論し、控訴を検討しているという。

こういう話題では訴訟大国アメリカを象徴するような電子レンジ猫なんて話が有名で、結局あれは単なる都市伝説ということになったようですけれども、今回の場合は一応強制性があったと言うことがポイントだったんだと思うのですが、素朴な疑問としてマクドナルドの試食が「バランスの取れたメニュー」と言えるかどうかは突っ込みどころですよね。
おなじみブリからはまた例によって有益なのかどうなのか微妙な研究が発表されていますけれども、これは麻薬類が禁止されている日本のような国と合法化されている国とではいささか受け取り方が異なりそうな調査結果ではありますかね。

アルコールはコカインやヘロインより危険? 英研究(2010年11月2日CNN)

ロンドン(CNN) アルコールはコカインやヘロインなどの薬物に比べ、摂取する本人と他人にとって危険性が高い――このような研究論文が1日、英医学誌「ランセット」のウェブサイトに掲載された。

この研究は、英刑事司法研究センターの支援を受け、薬物に関する独立科学委員会の研究者らが行ったもの。16項目の評価基準を用い、20種類の薬物等の身体的、精神的、社会的問題を評価、比較した。その結果、アルコールの危険性は100点中72点と、総合的に最も高いことが示された。これは、コカインやたばこの約3倍の危険性に相当するという。

個別にみると、摂取する本人への危険性が最も高いのはヘロイン、コカイン、メタンフェタミン、他人への危険性が最も高いのはアルコール、ヘロイン、コカインとなった。

研究者らは論文のなかで、薬物所持や薬物取引の処罰を判断する際の基準とされる英国の薬物分類システムは、薬物の本来の危険性とほとんど関連性がないと指摘。さらに公衆衛生上、アルコール害に特化した対策が有効かつ必要ともしている。

この論文の共著者は、エクスタシーは乗馬ほど危険ではないとする論文を昨年発表して議論を巻き起こしたデイビッド・ナット教授だ。同教授は後に、この論文を不快に感じた人やエクスタシーで家族を失った人などに対し謝罪したうえで、薬物の危険性を矮小(わいしょう)化する意図はなく、危険性を比較したかっただけだと主張した。

今回ランセットに発表された論文では、エクスタシーの危険性は9点で、アルコールのわずか8分の1とされる。

個人的な意見として、麻薬類というのは大抵が一定量を使用するものですが、アルコールの場合摂取量にその都度極めて大きな差がありますから、どの程度の摂取かということも非常に重要な要素になるのではないかと思うのですが、逆にほろ酔い加減であるからこそ飲酒運転に走るといった類の危険性もあるのかも、ですね。
先日見かけてちょっと気になったのがこちらのニュースですが、なるほどこれも文化の差というものかと妙に納得するところもありそうな話です。

【注目ワードコラム】カレーは混ぜる派?混ぜない派?(2010年08月27日livedoorニュース)

誰にでも手軽に美味しく作ることができるルーの登場により、家庭料理として広く定着した日本の国民食、カレーライス。それぞれの家庭にはそれぞれの味、それぞれの食べ方があるのではないでしょうか。さて、その「食べ方」に関してとりわけ多くの議論を呼ぶのが、食べる前にご飯とルーを全部混ぜるか、否かという問題。みなさんは、カレーライスを食べるとき、全部混ぜる派、それとも混ぜない派?

●カレーの食べ方で結婚生活が破綻する?

1月に投稿された、発言小町の「カレーを混ぜて食べる彼って…」という質問が注目を集めました。トピ主によると、結婚を考えている恋人を家に招待し、母親の手作りカレーライスをふるまったところ、ルーとご飯を混ぜてから食べ始めたのだそう。すると後日、トピ主の母親が「彼のカレーの食べ方には驚いたね」と発言。それをきっかけに、彼との結婚生活について考え始めたトピ主。「カレーの食べ方ひとつで結婚生活が破綻することはあるのか」と投げかけたところ、回答者からは「そんな人はどこにでもいます」、「結婚は異文化の激突」、「結婚なんてそんなもの」など、大した問題ではないとする声が多く聞かれました。さらには、カレーの本場・インドの作法や、食通で知られるタモリさんが混ぜる派であることなどから、「混ぜてから食べる行為はマナー違反ではないのでは」という見解も。しかし一部の回答者からは、「全部ぐちゃぐちゃはハシタナイ」「他人がそうしていたら嫌いにはならないが、できれば見たくない」という声も上がっていました。

では、実際のところ、カレーライスを混ぜて食べる人はどのくらいいるのでしょうか。YOMIURI ONLINE「カレーライス、全部混ぜますか?」のアンケートによると、「混ぜない」と答えた人が63.2%、「混ぜる」と答えた人が「35.5%」と、混ぜない派が多いようです。前述のトピックの回答も含めると、自分は混ぜない派でも、他人の食べ方まではいちいち気にしないというのが、一般的な意見なのかもしれません。

●カレーとご飯、どっちが右?

さて、カレーの食べ方に関しては、ご飯とルーの位置関係が気になるというこんな質問も。教えて!goo「カレーの食べ方攻め方」は、他の人とカレーの食べ方が違うことに気付いたという質問者からの投稿。「むかって右側がカレーになるように皿を置き、ご飯との境目から攻める」という質問者に対し、ご飯とルーの左右が逆、ご飯とルーを垂直に配置するなど、回答者からはさまざまなパターンが挙がっています。中でも興味深いのが「ご飯をルー側に寄せるようにして食べる」という回答。こうすることで、食べ終わった後カレーのルーで皿の汚れている分量が少なく、見た目にきれいに食べ終われるのだそう。

庶民の胃袋を満たす大衆食、カレーライス。これがマナー違反であるという明確なルールはないようですが、食べ方には人それぞれの強いこだわりがあるようですね。(熊)

結婚生活すら破綻しかねないとなればこれは大問題ですけれども、むしろカレー皿の置き方にこだわる人間も結構いるという点が興味深いんですが、こちらの方はそれぞれにきちんと理由もあってのことであるようなのが面白いもので、ちなみに管理人は混ぜない、カレー右側で統一しているというスタンスです。
さて、同じくカレーつながりでこういう記事もありますけれども、これはちょっと哀しい物語ということになるのでしょうか?

悲しすぎるネパールカレー屋(2010年11月9日ロケットニュース24)

カレーというと、もはや国民食といっていいほど日本人に定着した料理だ。日本式のカレーも美味しいが、ナンやサフランライスで食べるインドカレーも美味しい。そんな日本人に愛されてるカレーだが、東京都板橋区に珍しい「ネパールカレー」のレストランを発見した。

そのレストランの名は『だいすき日本』。日本が大好きなネパール人店主が、2010年10月19日に新規オープンした店のようだ。しかしこの店、経営状況がよろしくないようで、店主がTwitterで悩みや今の不安な気持ちを語っているのである。彼がTwitterに書き込みしたつぶやきは以下の通りだ。

・きようも とっても つらいランチ でした ひと くみでふたり おわってしまった ちらし くばりとか やってますけど ちらしもってきた きやくは いまのところ きてない びかす どうなちゃうだろ ほんとに こわくなってきました

・天気 は はれなのに おきやくさん こなくて まってました きよう はじめて ツイッター みて おきゃくさん きました。おいしい まだ ともだち つれてきます と いいました

・デイナは 男と おんな ふたりだけきました 19:00じ すぎ ふたりとも キ-マと ナン たべて かいりました

・おひるは 6 くみで 11にんです。 びかすの おんなのひと ともだち のぼり つくってくれたひと きてくれた うれしかた まだ 電車 なので 25:00 じ ごろ おうち つくともうので ついたら おやすみします

・東京 はれでしよう いま よるは ごにん おきやくさんきました ひとくみは びん ビルと ちよっと おつまみ たべて かえりました けど おひる ランチ で きてくれた おきやくさんで うれしい かったです

このつぶやきはバイオハザードの研究員の日記ではなく、店主のメールを代理人がtwitterにそのまま転載したもののようだ。それにしても、内容があまりにも悲しすぎる。

実際にこの店でカレーを食べた人の感想をブログや掲示板で読んでみると、どれも絶賛のコメントばかり。客がこないというだけで、味は絶品のようだ。

彼のツイートを100人以上がリツイートしており、応援する人も少しずつ増えている様子。悲しすぎるネパールカレー屋が、美味しすぎて繁盛するネパールカレー屋になる日は来るのだろうか?

ちなみにツイッターのおかげなのかどうか、昨今では少しずつお客さんも増えてきて嬉しいという近況報告が出ているようで、いよいよ定休日も導入するなんて話がまたいじましくて泣けるんですが、当「ぐり研」的には足を運んでみたという方は是非ともリポートをいただければと思いますね。
さて、ネット界隈を徘徊していると時折「これはいったい何?」と思うしかないような困惑する話題も珍しくありませんが、その一つを紹介してみましょう。

ドラマサザエさんスペシャルで伝説の回「全自動卵割り機」がきた! 「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛」 (2010年8月8日ガジェット通信)

本日の18時半から放送している『夏休みスペシャルドラマ サザエさん2!! アニメとドラマで2時間半!』にて19時30分頃の予告に伝説の回「全自動卵割り機」が再度放送されるとの情報が。現在この記事が書いている時点ですでに『2ちゃんねる』の実況スレッドで盛り上がっており以下の様な書き込みがされている。

・タマゴ割り機キタああああああああああああああああああ
・自動卵割りきだと!!
・伝説の神回w
・ちょwフジわかってるな!
・スレが荒れる予感キタ━━━━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━━━━!!!!!!!
・自動卵割り機なんて誰向けだよw
・風呂いけねーw

と、「全自動卵割り機」の回のネットでの知名度はなかなかのものだ。

「全自動卵割り機」というのを分からない人の為に補足をしておこう。「全自動卵割り機」は実際にアニメサザエさんで放送された回でそのエピソードの正式なタイトルは「父さん発明の母」。波平がお土産に「いいもの買ってきたぞー、ほーれー! あっと驚く主婦の味方だよ」と「全自動卵割り機」を買ってきたのだ。そしてお土産の「全自動卵割り機」を実演してみたところカツオ、ワカメ、タラオが食いつき何個も卵を割る始末に……。仕方なくだし巻き卵を作ったところそれを食べたマスオが「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛ やっぱり機械で割ったたまごはひと味違いますねえ!」と伝説のセリフを。この中の「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛」が動画サイトでも流行りMAD動画(改変動画)まで多く作られるようになった。

今回は実写版ドラマで19時53分頃に「全自動卵割り機」が登場。アニメとは異なり波平が竹で自作した物のようで、更に卵がろくに割れないポンコツ卵割り機だった。アニメのような機械仕掛けではなくピタゴラ装置のような物を想像してくれたらいい。ドラマで卵を割るようになった経緯はホットケーキを作っている際に卵を楽に割れるようにということらしい。その卵割り機はエピソードの最後に流しそうめんとなり再利用されましたとさ。

フジテレビもネットユーザーの間での卵割り機の人気を知っているのだろうか? どうせなら徹底して「びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ぃ゛」を再現して欲しかった。中途半端で消化不良……。

ま、リンク先の方では「伝説」の動画なども出ているようなんですけれども、むしろネラーなんて人種がサザエさんまでこまめにチェックしているということの方が意外性がある話でしょうかね?
最後に卵つながりということで、おなじみブリからこういう話題を紹介してみようかと思いますけれども、ちょっと想像するのに困難を覚える話なのも確かですかね。

通常の2倍以上 長さ9cmの鶏卵産まれる 英国(2010年12月02日国際時事新聞)

 英国で、産卵開始後間もない雌鶏が長さ9センチにもなる巨大な卵を産んだと、英デイリー・メール紙が報じた(Daily Mail 2010年11月29日)。

 巨大な卵を産んだのは、イングランド南西部のドーセット州クライストチャーチ在住のデニス・スローンさん(52)が飼育する「ボルト」という名前の雌鶏。先月、生後20週で巨大な卵を産み落とした。

 卵の大きさは通常の2倍以上で、長さは9センチ。無精卵のため、ふ化することはないという。

 ボルトは産卵開始後まだ3週間の若鶏で、これまでに産んだ卵はすべて通常の大きさだったとのこと。鶏を飼育して15年になるというスローンさんだが、これほど巨大な卵が産まれたのは初めてとのことで、「アヒルの卵より大きい。オムレツが2つ作れちゃう」と驚きを口にしているという。

ちなみに国内でも時々同種の「特大卵」報告というものはあるのですが、一般に卵のサイズが変わっても卵黄の部分はそう大きな差はないということですから、オムレツにして食べるにはいささか水っぽい味になってしまいそうですかね?

今日のぐり:「本家大梶」&「田中屋

出雲大社の門前には沢山の蕎麦屋が軒先を連ねていますけれども、その中でも比較的外れに近い場所に位置しているのがこちら老舗の「大梶」さんです。
といっても、ちょうど目の前がレトロで味のある木造駅舎が保存されている旧大社駅ということで、昔はこちらの方が表口直近だったのだなと考えればその立地にも納得できますよね。
当然ながらこちらはそれだけの老舗であるということなんですが、いかにも昭和時代の田舎の食堂風な見かけの割に店内は意外なほど小綺麗で、トイレもきちんとされているのは好印象である一方、どうせトイレに手すりまでつけておくのであれば観光地なのですから洋式にしておけばとも感じさせるあたりが、やはり時代を感じさせるということなのでしょうか?

初めてと言う事で比較の意味もあって定番の割子と釜揚げを注文してみましたが、やはり観光地らしく割子の食べ方指南までしてくださるのは恐縮である一方、三段重ねの割子の色柄が統一されていないというのは初めての経験で、このあたりも時代がかっているということなんですかね。
蕎麦自体はよくあるいかにも田舎蕎麦風の見た目なんですが、予想したような茹で伸びしただらしない蕎麦ではなく、しっかりした食感の中になめらかなのど越しも結構楽しめるもので、もちろん繊細な蕎麦の風味を楽しむというタイプではないにせよ、多めの盛り具合もあってとにかく食べ応えのある蕎麦という感じで、少しばかり甘口の蕎麦つゆとのマッチングも悪くありません。
出雲蕎麦というものも元々は地元の人間の間で日常食として発展した経緯があるようですから、本来の出雲蕎麦というものはこういう気取らないスタイルなのでしょうし、そういう昔を知るという意味でも楽しめる蕎麦ではありますでしょうか。

割子の方もそんな調子で決して悪くはないんですが、むしろこのお店の場合このしっかりした食感の蕎麦が釜揚げにすると何とも言えない塩梅で、蕎麦つゆとの相性もこちらこそベストマッチと思わされる仕上がりなのは驚きましたね。
もともと蕎麦と言えば冷水でしゃっきり締めて食べるもので、ぐでぐでとした茹で上がりの蕎麦をそのまま食するなど邪道と釜揚げと言うものにさほどいい印象を持っていなかったんですが、こちらの釜揚げを食べると蕎麦湯の絡まった何とも濃厚な蕎麦風味を満喫できるという点で、あるいは普通の盛りより楽しめる側面もあるかも知れません。
開店直後の時間帯なのにドロリとしてとびきり濃厚な蕎麦湯はまあ今時であれば仕方がないのでしょうが、こちらの場合はこの釜揚げもありますから常時ある程度の濃度は維持しておかなければならないという事情もあるのでしょうね。

お爺ちゃんお婆ちゃんの家族経営の食堂という見た目相応の接遇で、変に観光地ずれしていない点は気楽でいいんですけれども、車で来る場合には少し駐車場が離れた場所にあってわかりにくいものですから、思わず路上駐車などしてしまわないように注意が必要ですよね。
更級系だとかでとびきり研ぎ澄まされた味が好みという向きにはお勧めできませんですけれども、こういういかにも田舎風の蕎麦を食べさせる店としては決してレベルが低くないと思いますし、何気なく立ち寄ったお客さん達にしても意外に当たりだったと満足して帰れる店なのではないでしょうかね。

さて今度はこちら「田中屋」さんですが、出雲大社の参道の目の前にあって、いかにも今風の観光客受けを狙っていそうな外観、スィーツも売りのお店とくればどうしたって蕎麦食いは敬遠したくなりそうですけれども、それでも一度は入ってみなければ判らないものですよね。
開店直後であるにも関わらずあっという間に若い人たちで満席になってしまうと言うのはそれだけ観光客への訴求力もあるのでしょうが、カラー印刷で能書きの多いカラフルなメニューといい、懇切丁寧な食べ方の説明パンフレットといい、マニュアル的に手慣れた接客といい、なるほど今どきのファミレスに慣れた人たちならこういう店の方が落ち着くということなんでしょうかね。
定番の割子と釜揚げに加えて、ついつい名物メニューという縁結びそばぜんざいなるものまで頼んでしまいましたけれども、つい割子で済ませてしまうこういう場所の店としては、こうして客単価を稼いでいく手法というのは正しいんじゃないかと思いますね。

薬味は別になっていたりと見た目はまともそうなこちらの割子、食べて見ますと一見して口当たりは柔らかなのに噛みしめていくと意外に粘り腰を発揮するという、ちょっとこの界隈では食べたことのない食感の蕎麦なんですが、よくよく考えて見ますとこの食感は蕎麦というよりはうどんの食感に近いものがあるのかなと言う感じで、この意外性は少しばかり不意打ちでしたね。
この店の場合釜揚げの方はたっぷりかけ蕎麦並みに蕎麦湯大盛りなので、確かにかけ蕎麦などと比べると蕎麦の風味を濃厚に楽しめるのは嬉しいのですが、この独特の食感が釜揚げで更に強調されてしまうせいか、麺料理としてはなにか茹で伸びしたうどんを食べさせられているようながっかり感もあるところで、やはりこちらの場合は冷たい状態でいただくのが正解ということになるのでしょうか。
縁結びの神様だけに縁結びそばぜんざいとはいかなるものなのかですけれども、こちら結んだ蕎麦を入れているところで縁結びとしゃれ込んでいるのでしょうが、この蕎麦は蕎麦メニューで使っているそれとは少しばかり仕立てが違うのでしょうかね。

意外にと言っては失礼ですけれども、食べて見れば蕎麦つゆとのマッチングも相応に取れていてそう馬鹿にしたものでもないんでしょうが、とにかくこの独特の食感はしゃっきりした蕎麦を食べたいという向きにはちょっとどうなのかでしょうね。
ネット上での評判などを見ても蕎麦の味を云々というより甘いものなどの評価の方が目立つくらいで、もちろん立地を考えればそういう方向性が正しいのでしょうけれども、数ある出雲蕎麦の店の中でも蕎麦好きが真っ先に足を向ける店と言うわけにはなかなかいかなそうですね。

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2010年12月 4日 (土)

テロ集団シーシェパード(SS) 明かされるその実態

本日まずは、先日以来世間を賑わせている和歌山県は太地町からの話題をお伝えしてみましょう。

“湾の一部立ち入り禁止”(2010年12月1日NHK)

伝統的なクジラやイルカの追い込み漁が行われている和歌山県太地町の畠尻湾で、反捕鯨団体などが漁の妨害活動を行っていた湾の一部を立ち入り禁止にする条例がきょうから施行されます。
立ち入りが禁止されるのは、和歌山県太地町の畠尻湾を取り囲む長さ980メートルの遊歩道と、その周辺の山や漁の網が張られる岸辺などです。
太地町によりますと、畠尻湾の周辺では数年前から落石が頻繁に起きることから遊歩道に危険を知らせる立ち入り禁止の看板や防護さくを設置していましたが、立ち入る人が相次いでいました
このため許可なしでの立ち入りを禁止する区域を条例で設定したもので、きょうから施行され、違反したものに対して、5万円以下の過料を求めることができます。
畠尻湾では、平成15年に漁の網が切られ、国際的な反捕鯨活動団体「シー・シェパード」のメンバーが逮捕されたほか、近くの港でもことし9月、何者かにイルカの生けすの網が切られる事件が起きています。
またイルカ漁を批判的に描いてことし3月、アメリカのアカデミードキュメンタリー賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」に使われた映像もこれらの立入禁止の区域から隠し撮りしたとされています。

いささか遅きに失したと言う感もありますが、とりあえず対策が取られたということは一歩前進だと評価できる一方で、彼ら金満団体に5万円程度の罰則がどの程度の実効性を発揮するのかという疑問は残るところですよね。
かねて「クジラ戦争」を放送し実質的なSSのバックアップ団体となっている米TV局「アニマルプラネット」では、最近もこの捕鯨問題というものに関するアンケート(というより、視聴者への啓発?)などを行っていまして、こうした陰に日向にの援護射撃の結果、SSの収入はなんとわずか5年間で7倍以上!にも膨れあがっていると言うことです。
当然ながらこれからの捕鯨シーズンにおいては、彼らの攻撃は今まで以上の激しさを増すことになると予想されますけれども、日本側もかつてないほどの警戒感を以て事に当たっているということで、記事からそのあたりの様子を紹介してみましょう。

保安官乗船し調査捕鯨船団、南極海へ シー・シェパード3隻も追尾(2010年12月1日産経新聞)

 日本の調査捕鯨船団が今月上旬、南極海へ出港する。反捕鯨団体、シー・シェパード(SS)も抗議船3隻態勢で、2日にオーストラリアから船を出港させる。資金面で急成長を見せるSSは今回、新たに監視用ヘリや追跡用高速ボートなどの戦力を増強。日本側は3年ぶりに海上保安官を乗船させるが、乗組員の安全対策は十分といえず、航海中の危険性が高まっている。

 SSは米国に本部を置き、税の減免措置を受ける特別なNPO。毎年、米政府に活動報告書を提出する義務がある。2009年の報告書によれば、同年の年間収入は980万ドル(約8億2300万円)で5年前の7倍強に膨れあがった。

 日本の“捕鯨船たたき”によって知名度があがり、世界中から寄付金が集まるようになったからで、SSはこの資金をもとに、抗議船の設備を拡張している。

 SSは、南アフリカの会社が所有していた高速船を100万ドル超で購入。「ゴジラ」号と命名した。捕鯨船よりも航行速度が速く、一度、発見されれば追跡をふりきるのは困難だ。「4隻目の船も用意している」との情報もある。

 さらに、抗議船のヘリポートには、監視、撮影用のヘリコプターや捕鯨船の航行を妨害するための高速ゴムボートを格納。SSによれば、ヘリは「MD500」という機種で航続距離が約500キロと長時間の飛行が可能という。

 日本側は、安全対策と事件対応などのために今回、海上保安官を乗船させる。しかし、前回の乗船時にはSSが「武装保安官がわれわれを攻撃してきた」などと喧伝(けんでん)して、日本側を悪役に仕立て上げ、船団は情報戦でも劣勢となった。さらに、保安官が乗っていた母船・日新丸にもSSは大量の酪酸瓶を投擲(とうてき)し、妨害抑止にはならなかった。

 今年春にSS抗議船に乗船して、じかに実態を取材したオーストラリアのスティーブ・ジャービス記者は「情報戦では明らかに日本は不利。もし、衝突でどちらかに死者が出るような事態に陥れば、日本側の責任が高まり、調査捕鯨は完全に“敗北”するだろう」と指摘、双方に冷静になるよう呼びかけている。(佐々木正明)

「シー・シェパードの悪質さ強まっている」 捕鯨船3年ぶり海上保安官同乗 出航予定日は極秘(2010年11月26日毎日新聞)

 筒井信隆副農相は25日の会見で、今年度の南極海の調査捕鯨船団に、反捕鯨団体「シー・シェパード(SS)」対策として海上保安官が同乗する予定であることを明らかにした。水産庁によると、08、09年度は船団の装備充実を理由に海上保安庁に同乗を要請しなかったため、3年ぶりとなる。

 筒井副農相は「(SSの)悪質さが強まっている。(同乗する海上保安官の人数は)具体的には言わない方針だ」と述べた。水産庁は安全上の観点から出港予定日などを明らかにしていない

反捕鯨船、出港へ 「昨季より妨害に自信」とシー・シェパード代表 (2010年12月2日産経新聞)

 日本の南極海調査捕鯨船団による本年度の捕鯨シーズンを迎え、米国の反捕鯨団体「シー・シェパード」の抗議船が2日、調査捕鯨活動の妨害を目指し、オーストラリア南東タスマニア島のホバートを出港した。

 同団体は今年2月、抗議船の船長が日本側の船に酪酸入りの瓶を発射するなど、妨害活動は激しさを増す一方。海上保安庁が国際手配している代表のワトソン容疑者は「昨季より効果的に妨害する自信がある」と強調しており、今回の捕鯨活動も難航が予想される。

 シー・シェパードの抗議船「アディ・ギル号」は今年1月、日本側の船と衝突し、航行不能となった。今季は新たに、日本の怪獣映画にちなんで名付けた「ゴジラ号」(全長約35メートル)を導入。日本の船団より高速での航行が可能とし、ほかの2隻と計3隻態勢で捕鯨活動を監視する。(共同)

こうして見ていますと、少なくとも日本側にとってもSSらテロリストグループの存在は無視出来ないものになっている、そしてそのことが彼らにとってはスポンサー獲得のための良い宣伝ともなっていることは明らかですから、今後もますますヒートアップすることはあれ、おとなしくなるなどということはあり得ない話に思えますね。
そうなりますと昨年ですらあれだけのことをやってのけたのですから、今年はどれだけの被害が出るのかと言う話ですけれども、その昨年の一件に関して先日ニュージーランド海事安全当局(MNZ)が報告書を出してきたということが報道されています。

日本の捕鯨船、シー・シェパードの双方に責任 南極海の衝突でNZ当局(2010年11月18日産経新聞)

 反捕鯨団体「シー・シェパード」の抗議船(船籍ニュージーランド)が今年1月、南極海で日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」と衝突後に沈没したことについて、ニュージーランドの海事安全当局は18日、衝突の責任は双方にあるとの調査報告を公表した。

 一方で、調査報告は双方について「意図的に衝突を引き起こしたとの証拠はない」とした。

 報告では、第2昭南丸について「(抗議船と)接近しないよう速やかな行動を取らなかった」と指摘。抗議船側も接近が明らかになった後の行動が十分でなかったとし、「双方ともに適切に対処しなかったことが衝突につながったとみられる」と結論付けた。

 ニュージーランド人のベスーン元船長は2月に第2昭南丸に向けて酪酸入りのガラス瓶を撃ち込んだなどとして、傷害など五つの罪で起訴され、東京地裁で7月、執行猶予付きの有罪判決を受けた。(共同)

しかしこの場合、しつこく絡んでくる妨害船に対してどのような行動を取ることが適切な対処であったと言えるのか、自然な疑問は湧くところですよね。
この記事は共同発ですからごくごくあっさりしたもので詳細まではわかりませんけれども、いつもお世話になっています産経の佐々木記者によりますと、これがなかなか香ばしい内容の報告書であったということなのですね。
そもそも驚くべき事にこの報告書、衝突事件の一方の当事者であるSS側の言い分を聞くばかりで、日本側船団の意見を一切聞いてはいないということから「何それ?」なんですが、この事に関してMNZ側は次のように自信に満ちたコメントを出したということです。

「日本の船員への聴取は、(捜査に)有益だっただろうが、このことが、われわれの捜査に不可欠だったとは思えない。なぜなら、日本の当局から、多くの量のデータを受け取り、分析を行ったからだ」

そしてもう一点、これも非常に重要なポイントとしてそもそも衝突に至る最大要因であったはずのSS側の繰り返される妨害行為が、報告書においては一切取り上げられていないという事実には驚きますけれども、そもそも現地ニュージーランドではSSの妨害行為など報道もされていないわけで、当然ながら当事者のSS側も事情聴取に対して何も語るわけもありませんよね。
この点についてMNZ側では「この捜査は、船乗りの一般的な航行慣習や全般的な海事事案の見地から、(両船の)衝突(原因)に厳密に焦点をあてたものだ」などと言っているようですが、船乗りの一般的な航行慣習を全く無視する不法集団に対してのそうした捜査に再発防止上のどんな意味があるのかと、誰しも素朴な疑問に感じるところではないでしょうか。
そうした諸問題はそれとして、今回同事故に関して正式にまとめられたこの報告書の内容からは、それなりに興味深いものが読み取れるということですけれども、これまた佐々木記者の指摘から引用させていただきましょう。

【SS抗議船と日本船衝突】SSの無免許運転、証拠隠滅疑惑、そして暴かれる嘘@NZ捜査報告書より② (2010年11月24日ブログ記事)より抜粋

① シー・シェパード側がアディ号の航行記録を証拠隠滅しようとした疑いがあること。

 捜査報告書4ページ目にこの点が記されています。MNZは捜査の上で、SS側に、アディ号に積まれていた「シムラッド」(Simrad)を提出するよう要請していました。
 これは、アディ号がどのように海洋を航行したのかを残した記録装置です。つまり、アディ号が航行期間中、どのようなルートを辿り、衝突現場に至ったかについては、このシムラッドの記録を検証すれば再現できるのです。
(略)
 しかし、SS側は「シムラッドが見つからない」などとしてMNZに提出しませんでした。捜査員が問いただすと、クルーたちは「言い訳に困っていた」といいます。
 ところが、この重要な証拠は思わぬところで発見されます。今年3月に、タスマニア島のビーチに打ち上げられているのが見つかり、MNZに届けられたのです。
 「ボブ・バーカー号がタスマニア・ホバート港に着く前に、誰かが海に投げ捨てたのではないか」との疑惑が持ち上がり、SS側を追及すると、半ばこの疑惑を認めました。捜査報告書にも、この点が記されています。MNZは「SSクルーに衝突の責任が及ぶのをさけようと証拠隠滅を図った」と推察しました。
 さらに、分析を進めたところ、発見されたシムラッドに航行データが記録されていないこともわかりました。衝突時に、電源が入っていなかったか、故意に消されたのかは解析の結果わかりませんでした。
 不信感を抱いたMNZはSS側に、もう一つのシムラッドを提出するよう要求しました。そして、SS側は事故発生7ヶ月後の2010年8月16日に、「ボブ・バーカー号で偶然に発見された」として、MNZに提出したのです。
(略)

②第2昭南丸の衝突時、アディ号の操縦者は「無免許運転」だったこと

 日本で何らかの船舶を操縦するには、船舶免許が必要となります。ニュージーランドでも当然、公的資格をとらなくてはいけません。ましてや自国海域を離れ、公海に航行する場合は、海事当局が指導しなくてはなりません。さらに、公海上での「無免許運転」が発覚した場合、国際法に基づき厳格に処罰されるはずです。
 ところが、アディ号には船長のピーター・ベスーン以外のクルーは船舶免許を持っていなかったことが、MNZの捜査で判明しました。
 第2昭南丸との衝突時、アディ号の運転室で操縦していたのは元警察官のジェイソン・スチュワートであり、ベスーンではありませんでした。他の5人はアディ号の屋根の上にいたのです。
(略)
 不思議なのは、道路では無免許運転の事故は、どんな理由であれ、無免許のドライバーの責任が問われるはずなのに、MNZはベスーンにも、スチュワートにもこの無免許運転の責任追及をした形跡がまったく見られない事です。

③アディ号は、MNZの警告を振り切って、南極海へ出港したこと

 一方で、ニュージーランド海事当局(MNZ)の検査官は、アディ号が出港するにあたり、「この船は、氷山が浮遊する海洋での航海は危険で認める事はできない」と警告していました。
 アディ号はこれを振り切って、南極海へと向かったのです。
 ②、③については、MNZが徹底した取り締まりをしなかったが故に、アディ号の出港を許し、結局、衝突につながったとも言えます。これはMNZの怠慢と不作為です。
(略)

④アディ号は、構造上、運転席から視界が十分に確保されていなかったこと。さらに、デザイン重視のため、操縦性にも問題があったこと
(略)
 アディ号は左舷部分に、第2昭南丸の右舷と衝突しました。②で紹介したように、事故時に、操縦席にいたスチュワートは「衝突する直前まで、第2昭南丸の接近に気がつかなかった」と証言していますが、これは、アディ号の左舷後方の視界が狭かったという構造上の問題があったからとも言えます。
 また、アディ号はコックピットから後方がまったく見えず、例えば、後方にバックするときなどは、船尾で監視するクルーとの無線連絡に頼って、後方海域の状態を確認するしか方法はありませんでした。
 衝突時に、スチュワート以外のアディ号クルーは、船の屋根にあがっていて、第2昭南丸が接近してくることをちゃんと知っていました。しかし、スチュワートにはこの重要な情報を伝えていなかったのです。
(略)

⑤アディ号のランチャー攻撃は、第2昭南丸の無線アンテナを狙っていた

 両船は衝突する前に、小競り合いを続けていました。アディ号が第2昭南丸の舳先を横切ったり、航行を止めようと、プロペラにからませるロープを進行方向の海域に投げ入れたりしていました。
 さらに、レーザービームを照射して、第2昭南丸の船員の視力を奪う行為も繰り返していました
 日本側はこの蛮行を告発しようと、船員がカメラマンとなり、決定的瞬間を撮影した動画像を衛星電話で東京の水産庁に送信して、世界中のメディアにリリースしました。実は、この作戦が功を奏し、反捕鯨国のメディアでさえも、SS側の動画像ではなく、日本側の動画像を用いて、SSの暴力を批判的に報じていたのです。

『世界のメディアが報じたレーザービーム』
http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/1385020/

 SSは明らかに、日本側のこの告発作戦を嫌がっていました。ですから、アディ号は戦争時にとられる戦略のように、敵の前線部隊と総司令部の通信網を寸断する目的で、第2昭南丸のアンテナを破壊しようと試みたのです。
 アディ号のクルーは、MNZの捜査員に臆面も無くこう証言しました。

「スパッドガンと言う遠距離射撃ランチャーに、リンゴとじゃがいもをつめて、第2昭南丸のアンテナをねらって射撃した」

 これを陸上でやればどうなるのか?もちろん、その国の捜査機関が法に則り摘発するでしょう。
(略)

⑥【SSの誇大宣伝と嘘】肋骨を骨折したクルーは、実は骨折していなかった疑いがあること

 今回の衝突について、シー・シェパードを事故の相手から金をまきあげる「当たり屋」とみれば、簡単に理解できるでしょう。
(略)
 つまり、アディ号のクルーが1人、胸骨を折ったというのです。あの衝突で、1人が骨折の重傷を負ったとなれば、やはり、SS側に同情の声が集まり、怪我を負わせた日本側に非難が高まるのも無理はありません。
 しかし、この骨折自体が「嘘」だった可能性があるのです。
 MNZ捜査報告書にはこのように記されています。

 アディ号に乗船していた1人のカメラマンが胸に怪我を負った。ボブ・バー号の医師が、重度の打撲か骨折の可能性があると診断した。けがの具合がどれほどのものかは、レントゲンがなかったので診断できなかった。

 つまりクルーが骨折したとははっきりわかっていないのです。にもかかわらず、ワトソンは骨折を既成事実として、即時広報しました。
 これだけでは根拠にならないので、このシーンについて、アニマル・プラネットのWhale Warsを改めて見てみました。
 件のカメラマンは映像で見る限り、ぴんぴんしており、1人で縄をつたって船板にあがってきたり、再開した仲間と強く抱き合ったりして、胸部骨折のような素振りは見せていません
 ワトソンはかつて記した著書に、地球を守る環境保護団体の「戦士」になるための教えとして、こんな教義を書き記しています。

  相手の目の前で作り話をでっち上げ、それが真実であると相手が信じるような手がかりを残しなさい

 いまだに、「骨折した」との記述はニュージーランドや豪州のメディアに見られます。SSの発表にまったく疑いの目をむけず、過去記事をそのまま書き写しているのかもしれません。
(略)

⑦【SSの誇大宣伝と嘘】日本側がSSの救難信号に応じなかったはウソ

 さきほどのワトソンの教義には、こんなものもあります。

 自分の意図や動向については偽情報を流せ

 ワトソンは衝突事故後、「アディ号のクルーが遭難しかかって、救難信号を出したのに、日本側はこれを無視した」と各メディアに吹聴していました。1月5日のリリースには、このように記されています。
 もちろん、この写真を見れば、第2昭南丸が衝突後も現場海域を離脱したのではなく、付近を航行していたことがわかりますね。
 ニュージーランド海事当局(MNZ)が作成した捜査報告書も、日本側がSSの救難信号を無視したものではないことが、はっきり明記されています。以下のような事情があったのです。
 アディ号の付近を航行してたボブ・バーカー号がすぐに第2昭南丸にむけて、無線連絡してきました。こんなメッセージでした。
アディ・ギル号に近づいたら、我々は攻撃行為とみなす。必要があれば連絡する。近くで待機されたし」
 日本側がこの要請を忠実に守り、浮遊するアディ号の付近をしばらく航行していたわけです。決して無視したのではありません。
 当時、ワトソンの虚偽発表に基づき、いくつかのメディアがそのまま報じ、日本の捕鯨船団のイメージ悪化が広がりました。
(略)

⑧【SSの誇大宣伝と嘘】アディ号が沈没「自作自演」を裏付ける証言

 10月に、ピーター・ベスーンがシー・シェパード代表のポール・ワトソンに楯突き、内紛を起こしました。ベスーンは「ワトソンは嘘つきだ」と言って、「アディ号はワトソンの指示によって沈められた。自作自演だった」と暴露しました。
 この捜査報告書にもそれを裏打ちするような説明があります。
 SSは航行不能になったアディ号を、現場海域に比較的近かった南極のフランス基地に持ち込もうとしました。ボブ・バーカー号がアディ号にロープをつけてしばらく航行していましたが、事故2日後に、曳航ロープを自ら切ったのです。これ以上、浮揚できないとの判断からで、離脱した後は、付近を漂っていた。
 そして、報告書は「沈んだかどうか明確な証拠は無い」と結論づけています。
(略)

まあしかし、こうして読んでいるだけでもSSという組織はその全てが嘘とハッタリで出来上がっている団体であるということが判りますけれども、非常に興味深いのは反捕鯨国である現地ニュージーランドは元より、被害者であるはずの日本においてすらこうした情報が全く世間に流されていないという事実ですよね。
調べた範囲で前述の共同による何が何だかよく判らない短信を除けば、この件で報道されているのは産経新聞の(当然ながら、佐々木記者による)こちらの記事だけではないかと思いますけれども、失礼ながらこの記事一つでどれほどの社会的影響力があるものだろうかと疑問無しとしません。
このあたりは社会的関心というものとも無縁ではないのでしょうが、私見ながら昨今あちらこちらでどうでもいいような小さな問題でもあっさり炎上してしまうという現状を見たとき、これだけ好き放題のことをされていながら世間で全くスルーというのは何とも興味深い現象ではないかとは思いますね。

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2010年12月 3日 (金)

田舎は小さな都会ではない

いささか風邪が長引いていて調子が出ないんですが、無理のない範囲でちんたらとやらせていただいております(苦笑)。
さて、本日まずは先日北の北海道から出ていたこういうニュースをお伝えしてみましょう。

経営難の自治体病院 道、再編の調整役に 道議会一般質問(2010年12月1日北海道新聞)

 高橋はるみ知事は30日の道議会一般質問で医師不足や経営難にある道内の自治体病院を再編する道の「広域化・連携構想」の具体化を促すため、各地で難航している自治体間協議の調整に道が乗り出す考えを明らかにした。

 民主党・道民連合の稲村久男氏(空知管内)への答弁。知事は「道と市町村などが一体となって協議するとともに、よりスピード感を持って進展するよう努める」と述べた。

 同構想は自治体病院の経営改善などを図るため、道内を30区域に分けて自治体病院を再編するもので、2008年に策定された。これまでに26区域で地元市町村や病院関係者、住民などによる検討会議が設置されたが、病院の統廃合への住民の不安感などは強く、協議は進んでいない

 道は従来、検討会議では各地の保健所が事務局を務めるだけだったが、今後は本庁の担当者が加わって自治体間の意見の調整を行い、病院経営の専門家などの助言も仰ぎながら、再編の具体化を目指す。しかし、地元の反対などは依然根強く、道の調整によって協議が進展するかどうかは未知数だ。

今の時代、総務省や厚労省が一生懸命旗振りを務めるまでもなく地方自治体病院の再編というのは喫緊の課題になっていることは、かねて当「ぐり研」でも繰り返しお伝えしてきた通りですが、記事中にもあるとおり「地元の反対などは依然根強」いという状況であることも、これまた変わらない事実ではありますよね。
こうした地方公立病院再編と言えば決まって新たなハコモノ建設が云々という話になりがちで、またぞろ土建屋行政がと批判の声数多なのはお約束ですけれども、実際にそうした病院というものはすでに築何十年も経過しているということの現れでもあるわけです。
地域に根付いてウン十年と言えば聞こえはいいですけれども、その間の日本の社会構造の変化を考えれば人口移動や過疎化といった環境の激変があるわけですから、昔からこれこれの規模の病院がここにはあるのだからこれからもずっとあってもらわなければ困るなどと、地域住民もいたずらに既得権益ばかりを主張したところでどうなのよと言うことでしょう。

医療は労働集約型産業であると同時に技術集約型産業でもあって、スタッフや施設の能力的に一定レベル以下になってしまうともうその施設では出来ることは限られてしまうという現実があり、単純に人口比で均等に医者割りをしていけばいいと考えていると、とりわけ地方ではどこの施設も何も出来ない半端なものばかりが散在してしまうことになります。
しばしば言われるのは距離や人口を勘案して一定の地域ごとに医療圏を作り、その中で高度医療を担当する基幹病院と初診やバックアップを担当する関連病院を整備していくというやり方がいいとは言うのですが、これまたいざそうした再編を目指そうとすれば「それなら基幹病院は我が町内に」「いやいや我が町にもちゃんとした病院は必要です」と地域エゴがぶつからずにはいられないのも現実ですよね。
結局のところ岡目八目的に、限られた医療資源を地域住民にとっても一番いい形で分配していくことが出来れば、例えひと頃の恨みを買っても後で感謝される美談にもなるのでしょうが、その分配する側もまた何かしらのエゴに縛られずにはいられないというのがこうした問題の難しいところでもあります。

以前に何度か紹介した岩手の県立病院再編問題などは、そうした点でトップダウンでかなり強権的に地域医療を再編してしまったという稀な例ですけれども、とにかく田舎病院の医者にとってはいざというとき紹介先がないというのが一番困るだけに、きちんと受け皿を作ってもらうことは何にも増してありがたいものです。
実際に岩手でも報道で見る限りやってみれば案外うまく回っているようなのですが、理屈が通っていることに対して反対論が未だ根強くあるとすれば、一体誰が何のために強硬に反対しているのか、それは単なる地域エゴの一言で終わらせていいのかということにも目を向けておかなければならないわけですね。
ちょうどいい例題として先日こんな記事が出ていましたが、面積1100平方キロを超える市域に人口わずか3万人余りという旧郡部合併で誕生した北秋田市の、wikipediaの産業欄にも何一つ記載がないという田舎町の光景を想像しながらお読みいただけたらと思います。

米内沢総合病院:民間移管を断念 4月から診療所に--北秋田市長表明 /秋田(2010年12月1日毎日新聞)

 北秋田市の津谷永光市長は30日の市議会臨時会冒頭で、北秋田市上小阿仁村病院組合運営の公立米内沢総合病院の民間移管案について「条件整備が整わず、残念だが断念せざるを得ない」と説明。同組合解散後の11年4月から、病院を市立米内沢診療所(仮称)として運営することを正式に明らかにした。

 同病院の民間移管案は、大館市の医療法人が申し入れ検討が進められていた。市は療養病床(60床)の維持や医療スタッフ雇用の面から期待を寄せていたが、11月下旬に医療法人側が「経営条件が整わない」などの理由で正式に断念する意向を伝えてきたという。医療法人側は医師の確保の面でも予定通り進まず、民営化の協議が難航していた。

 市によると、米内沢診療所の診療科目は内科、小児科、整形外科、脳外科、心臓外科の5科で医療スタッフは常勤医師2人を含む21人。診療所になれば医療スタッフは現在の85人のほぼ4分の1となる見通し。現在の同病院職員は組合が解散する11年3月末で全員解雇される。【田村彦志】

あらかじめお断りしておきますけれども、当方としても米内沢総合病院の内情は全く存じ上げないのでここから先はあくまで同種地域での一般論ということになりますが、田舎の公立病院と言うともちろん地域住民にとっては「おらが村の病院」として重要な施設である一方、地域にとっての重要な雇用先でもあるという現実にも目を向けなければなりませんよね。
看護師や技師と言った専門職となりますと田舎ではちょいと学のある連中の上がりのパターンですし、様々な補助金が下りてくる役場や県立病院といったお役所筋ともなれば現金収入の少ない田舎においては貴重な「外貨」の稼ぎどころであるだけに、こうしたスタッフの採用に関しては部外者には非常にややこしい「ローカルルール」が設定されていたりするものです。
要するにこうした施設にスタッフとして潜り込むということは地域住民にとって既に大きな利権であるということですが、採用にあたっては特定の一族に偏らないようになんてしきたりすら決められているような閉鎖された経済環境にある土地柄で、それはいきなり病院をなくします、スタッフは各自新しい仕事を探してくださいと言われれば大騒ぎになるのも当然ですよね。

管理人は病院再編論者ですが、日本中が不景気だ、仕事がないと大騒ぎしているような時代ですけれども、それでもなんだかんだで収入を得る手段もまだ残されている都市部と比べれば、田舎というところはこと金銭面では本気で厳しいところも多々あるのが現実で(むろん、田舎だからこそやっていける道もあるわけですが)、そんな田舎に100人近い所帯を誇る「大企業」の存在が持つ意味は何なのかという視点も必要ですよね。
読売などは相変わらず医者の計画配置を推進せよなどと叫んでいて、もちろん東京の高層ビルに本社を構える大新聞社の視点から見れば問題は至ってシンプルに見えているということなのでしょうが、「子供は小さな大人ではない」という有名な格言と同様に「田舎は小さな都会ではない」という現実もまた認識しなければ、医療問題解決以前に余計な軋轢がますます増えるだけではないかと思います。
地域医療問題は一見して医療崩壊だ!田舎者は死ねと言うことか!なんて大騒ぎしている人々も多いが故に、なんだそれじゃあ地域の病院を何とか残そうか、基幹病院まで立派なアクセス道を整備しようかという話にばかりなりがちですけれども、表向きの主張に惑わされてその背後に隠れた声なき声を見過ごしていては、地方の抱える根本的な問題はなんら解決されないままで終わりかねないという気がします。

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2010年12月 2日 (木)

朝日医科研報道問題続報

…と書いておいて何ですが、まずは本日の本題に入る前に、奈良県GJ!というこちらのニュースを先に紹介させていただきましょう。

産科医宿直訴訟で上告=奈良県「現場実態と乖離」(2010年11月30日時事ドットコム)

 奈良県立奈良病院の産婦人科医2人が宿直勤務を時間外勤務と認め割増賃金を支払うよう求めた訴訟で、県は30日、時間外労働と認めて県に約1540万円の支払いを命じた一審判決を支持した大阪高裁判決を不服とし、上告したと発表した。
 上告理由について、県医療政策部は「厚生労働省通達で定める医師の宿日直勤務の定義の内容は医療現場の実態と乖離(かいり)しており、実態を踏まえない通達だけに基づく裁判所の判断は、労働基準法の解釈を誤っている」としている。

おかげさまでこの件に関して最高裁での判断が下されるということとなり、全国の現場臨床医は奈良県には深く感謝してもいいくらいだと思いますが、いずれにしてもこと公立病院勤務ということに関しては、奈良県という土地の評価が完全に定まったと言う点でも喜ばしいニュースではないかと思います。
聖地奈良の偉業はともかくとして、先日来続いています朝日の医科研報道に関しての続報ですが、ようやく一方の当事者である朝日新聞社側からの反論文が登場しました。

朝日新聞、「がんワクチン」問題で東大医科研に反論(2010年11月26日J-CASTニュース)
   朝日新聞が2010年10月15日朝刊1面に掲載した「がんワクチン」に関する記事に対して東京大学医科学研究所が抗議して謝罪を要求、さらに清木元治所長が「質問状」を出していた問題で、朝日新聞社は医科学研に対して反論する回答を送った。回答書の全文は11月26日、同社の医療サイト「アピタル」に掲載された。回答書では質問に対して具体的に反論しているほか、清木所長がウェブサイトで、記事中の関係者コメントを「ねつ造」などと指摘している点については、撤回を求めている

東大医科研の抗議、本社が反論回答書 臨床試験巡る記事(2010年11月26日朝日新聞)

 朝日新聞社は、10月15日付朝刊の記事「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」などに対して東京大学医科学研究所から寄せられた「抗議及び謝罪・訂正請求書」、同じく医科研の清木元治所長からの「質問状」に反論する回答書を送った。全文を26日、朝日新聞の医療サイト・アピタル(http://www.asahi.com/apital/)に掲載した。

 医科研ヒトゲノム解析センター長の中村祐輔教授が、がんペプチドワクチンのペプチド(たんぱく質の断片)の開発者であるとした記事の記述について、「抗議及び謝罪・訂正請求書」などは、本臨床試験のペプチド開発者は中村氏ではないと指摘。これに対して回答書は、医科研が開発したペプチド全体について、中村氏がワクチンの探索や実用化を進める過程で主導的役割を果たしていたことを、中村氏の著書などを示し説明している。

 また、臨床試験の実施状況や取材開始日など寄せられた質問には、一つひとつ具体的に反論している。

 回答書はさらに、清木所長が医科研のウェブサイトに掲載している文章で、記事中の関係者のコメントを「ねつ造」などと述べていることについて、事実に反し、社の名誉を傷つける記述だと指摘し、撤回を求めている

単なる弁解に留まらず、こういう反撃をしてくるとはさすが斜め上方向への独走ぶりには定評のある朝日侮り難しというところですが、実際の反論文の内容はご参照いただくとして、これが反論として成立しているかどうかは大いに主観的判断の入る余地がありそうですよね。
さすがに朝日としてもこれだけでは不足に感じたということなのでしょうか、こんな弁解がましい記事まで載せているというのは女々しいというしかありませんけれども、朝日の考える問題点なるものを認識する上でもまずは記事からそのままで紹介させていただきましょう。

【ワクチン臨床試験報道】 Q&A 何が起きた?/どこが問題か/社説の意図は(2010年11月30日朝日新聞)

 朝日新聞が報道した理由や考えを整理しました。

■ 何が起きた? ■

 Q がんペプチドワクチンの臨床試験をしていた医科研病院で何が起きたのですか。

 A 記事で取り上げた臨床試験は2008年に始まりました。膵臓がんの被験者1人が消化管から出血を起こし、輸血治療を受けました。

 医薬品になりそうな候補物質による影響かどうかに関係なく、被験者の身に起きるあらゆる好ましくない出来事を「有害事象」と言います。医科研病院では消化管出血が「重篤な有害事象」として院内報告されました。「重篤な有害事象」には「死亡」から「入院期間の延長」までさまざまなレベルがありますが、この場合は出血で入院期間が延びて「重篤」とされました。

 医科研病院は「ペプチド投与と消化管出血との因果関係を完全には否定できない」として、消化管出血が起きた臨床試験で使われていたペプチドと同種のペプチドを使う計9件の臨床試験の計画内容を変更し、消化管出血の危険が高いと見られる患者は被験者から除きました。そして、被験者候補に臨床試験のことを説明する文書にも消化管出血が発生したことを書き加えています。

■ どこが問題か ■

 Q どこが問題なのですか。

 A 医科研が開発したペプチドは、医薬品として未承認で、安全性や有効性がまだ確かめられていません。医科研病院での臨床試験のように安全性の確認を主目的とする早期の臨床試験では、候補物質にどんな危険が潜んでいるかわからないので、被験者を健康被害から守るためにとりわけ安全性情報に対する配慮が必要です。

 人を対象とする医学研究の倫理規範である世界医師会のヘルシンキ宣言では、被験者の安全確保や人権保護が重要とうたわれています。第6項には「研究被験者の福祉が他のすべての利益よりも優先されなければならない」(日本医師会訳)とあります。こうした被験者保護の原則に照らして、ペプチドを他施設に提供している医科研が、「重篤な有害事象」の発生を、同種のペプチドを使って臨床試験をしている他施設に伝えていないことは、医の倫理上、問題があると判断しました。

 今回のような研究者主導の臨床試験は、薬の製造販売承認を受けるための治験と違い、薬事法の規制を受けません。どのようにして被験者保護を担保するかが大きな課題と考えています。

 Q 今回の報道後、医療関係者の間に「膵臓がんで消化管出血はありうることではないか」との指摘もあるようですが。

 A 出血が起きた患者は、評価が定まっていない、薬になりそうな候補物質の被験者です。有害事象が起きた時に「この病気ではありうる症状だから」で片づけてしまえば、被験者の安全を守ることも、候補物質の適正な安全性評価も難しくなりかねません。被験者保護の観点から、重要な事実と考えています。

■ 社説の意図は ■

 Q 医科研の問題について、社説で、ナチス・ドイツの人体実験を持ち出し、研究者を批判したと言われています。

 A この問題を取り上げた10月16日付の社説「研究者の良心が問われる」では、被験者にリスクを十分に説明することなどは、ヘルシンキ宣言でもうたわれていると指摘しました。この宣言について「ナチス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたもの」と誕生の経緯を説明したもので、今回の問題とナチの人体実験を同列に論じたものでは全くありません

 Q 記事でふれた医科研の中村祐輔教授について、医科研は、当該ペプチドの開発者でも、臨床試験の責任者でもない、と説明しています。

 A 中村教授は医科研を中心にして、がんペプチドワクチンの探索やその実用化を推進するプロセスにおいて主導的な役割を果たしておられます。こうした趣旨、意味から、記事では、中村教授についてペプチドの「開発者」と記しました。「開発者」ということについて、取材過程でも中村教授から否定されたことはありません。また、同種のペプチドの提供を受けている他施設の臨床試験の実施計画書で、中村教授を研究協力者や共同研究者と記載しています。記事は、こうした事実を指摘しました。

 Q 今回の記事中の関係者のコメントについて、ペプチドワクチンの提供を受けて臨床試験をしている研究施設のグループが「極めて『捏造(ねつぞう)』の可能性が高い」と指摘しています。

 A 指摘は全く事実無根で、朝日新聞社の名誉を傷つけるものです。

 記事では、ペプチドの臨床試験を行っている大学病院の関係者の証言として「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らせるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか」と記しました。

 これに対し、臨床試験実施施設のグループは「対面取材に応じた施設は大阪大学のみだった」「(この関係者について)記事に書かれている発言が全く述べられていないことを確認した」と主張しています。

 朝日新聞では、複数の施設の関係者に対面取材しております。取材源の秘匿の原則から、詳細は説明できませんが、記事中の発言を臨床試験施設の関係者がしたことは、揺らぐことのない事実です。

 医科研の清木元治所長が、医科研のウェブサイトの文章で、このグループの意見表明を引きつつ「ねつ造」などと記述されていることについて、朝日新聞社は速やかに撤回するよう求めています

例の捏造コメント疑惑否定ということに関して言えば、結局のところ「ソースは明かせないが確かにそういうコメントはあった」という極めて説得力に乏しい反論しかしていないわけですが、この朝日流の報道のやり方というものは色々な方面で応用が利きそうではありますよね。
朝日の論拠の中心となっている患者利益の確保という点については当事者などから既に詳細な反論が出ていますけれども、個人的考えとすれば何よりも朝日によって擁護されるはずの患者側が、全く朝日の報道に同調する気配がないということがこの問題の本質を物語っているのではないかと思います。
いずれにしても天下の朝日がこうして公式に反論を載せ、逆ギレまでしてみせたことから本問題が早期に沈静化する可能性は限りなくゼロに近づいたことは確かでしょうが、非常に興味深いことに医療の側からこの朝日報道を支持するという立場の人間もいらっしゃるということで、少し長くなりますが紹介させていただきましょう。

政策部長談話 「医の倫理問う 朝日新聞報道を積極的に支持する」(2010年11月8日神奈川県保険医協会)

神奈川県保険医協会
政策部長  桑島 政臣

 10月15日の朝日新聞1面トップ報道「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」を巡り、医療界の権威筋より批判が相次いでいる。しかし、この記事は、混合診療解禁、医療特区、高度医療評価制度、先端医療開発特区(スーパー特区)と連綿と続く、医療保険制度の形骸化策動や、臨床試験のダブルスタンダード化、医療法制の規制緩和の動きの下、現実に起きた事実を伝え、医の倫理を医療界に正面から問いただした記事だと、われわれは理解している

 この朝日新聞のスクープは、他社が同日夕刊で東大医科研の会見を後追いで報道することとなるが、会見では臨床試験の費用の一部を公的医療保険に請求、禁止されている混合診療を行っていたことが明らかになり、朝日新聞はこのことも翌日朝刊で報じている。当協会はこれまで有効性・安全性の担保のない未承認薬の保険外併用療養の制度化や臨床試験のダブルスタンダード化と無原則な保険外併用につながる高度医療評価制度などに関し、被験者保護のヘルシンキ宣言や皆保険の制度理念に照らし、その問題性に警鐘をならし、撤回するよう論陣を張ってきた。健全なジャーナリズム精神を発揮した朝日新聞の報道姿勢に対し、われわれは積極的に支持を表明する。

 公的医療保険の下での日常診療における患者の治療と、ヒトを対象とした介入試験である臨床試験は全く別ものである。臨床試験は実施計画書(プロトコル)に基づき、対象の被験者も病態、病状など厳密に選定され、厳格な管理の下、「試験」が行われる。また被験者数の確保の観点から、複数の実施医療機関で行うのが一般的である。その中で、医薬品や医療機器の製造販売の承認のため成績データ集積をする臨床試験を薬事法では「治験」と定義し、倫理性・信頼性基準(GCP:省令)の下で行われている。当然ながら、臨床試験の費用は製薬メーカーや大学・研究機関などによる独自財政により運営されるものである。

 朝日の報道で問題とされた、がん治療ワクチン投与による消化管出血、つまり臨床試験における「有害事象」に関し、GCPでは「治験薬又は製造販売後臨床試験薬を投与された被験者に生じたすべての疾病または徴候をいう」と定義されている。また、医薬食品局審査管理課の課長通知で「被験者に生じたすべての好ましくない又は意図しない疾病又はその徴候をいい、当該治験薬又は当該製造販売後臨床試験薬との因果関係の有無を問わない」とされている。

 この有害事象の報告を、治験においては義務づけられている。つまり、被験者にとって軽度のものだから記録や報告が必要ないとはされず、これらの集積のなかから、のちに科学的推論に導かれて、その因果関係の評価がなされるのである。

 有害事象の報告について、治験ではない医師主導の臨床試験は、GCP(法令)の適応ではないため義務化されていない。薬事法と「臨床研究の倫理指針」(ガイドライン)のみである。

 朝日報道へ事実誤認との批判がなされているが、東大医科研はがんペプチド投与による出血および臨床研究の中止は事実と認めている。また、同種のペプチドを使う病院に報告をしなかったことも認めている。確かに、東大医科研のいうように「報告義務」はないが、果たして医療倫理上はどうかと朝日新聞の記事は投げかけ、「法規制なし対応限界」と臨床試験が法令による管理の治験と、行政指針によるそれ以外の臨床試験と、欧米の規制と異なるとダブルスタンダード化を衝いたのである。

 朝日新聞の報道にあるように、東大医科研は先端医療開発特区(スーパー特区)でペプチドワクチン臨床試験の統括を担っている。この「スーパー特区」とは、大学病院などの臨床研究施設を中核に企業や研究機関をネットワークで結んだ「複合体」に、最先端医療の戦略的テーマを設定させ、コンペ方式で政府が選抜し、各省庁の科学研究資金の一元的運用の自由を与え、特許の早期審査など大幅な規制特例をあたえるものである。しかも開発段階から厚労省と規制の特例を密接に協議し技術開発を支援する仕組みとなっている。このスーパー特区は経済財政諮問会議が提案し2008年5月に内閣府、文部省、厚労省、経産省の四省合同で決定したものである。

 この「スーパー特区」は一見、医療産業育成や知財戦略の一環の色彩を帯びているが、臨床現場から見て問題が多い。なぜなら、この「スーパー特区」は、治験を前提としない「高度医療評価制度」の活用を認めているからである。

 本来、健保法の認める保険外の医薬品等と医療保険の併用は、治験終了ないしは治験段階にある―法令(GCP)に則った有効性・安全性の確認、が前提だった。高度医療評価制度とは、これを反故にし、治験段階にさえない未承認薬と医療保険の併用を認めたものである。有効性・安全性の未確立なものが医療保険に入りこむことになる。逆に言えば臨床試験に医療保険財政が流用されることになる。また、治験ではない臨床試験が行われるため、集積されたデータは製造販売には連動しない。更には、「複合体」が高度医療評価制度を扱うため、「医療特区」で問題となった企業の医療保険参入の“迂回路”となる

 われわれは08年当時、このスーパー特区が企業の医療経営参入と産官学複合の投機マネーの誘導策であり、法令に則らない臨床試験の合法化やダブルスタンダード化や、その下での医療機器「試作品」の臨床研究への利用、事故補償の保険商品開発の準備など、人道的にも問題が大きく、“人体実験”の懼れがあり、ヘルシンキ宣言からの逸脱が非常に危惧されると、政策部長談話を発表し警鐘した。いまもその危惧は依然、払拭されていない。

 高度医療評価制度は、保険外併用療養の第3項先進医療(高度医療)と医療保険のなかで類型されているが、それでも適用にあたっては施設基準と大臣承認を必要としている。この未承認薬での第一号は久留米大学のがんペプチドであり、東大医科研は適用になっていない。だからこそ、記者会見で、禁止されている混合診療の認識の有無が問われたのである。

 朝日の報道への人権侵害批判も、ワクチン開発者の株式取得の事実は否定されておらず、利益相反、「李下に冠をたださず」の示唆に応えていない。

 われわれは、患者・国民のための医療・医学技術の進歩・発展、スピード化を否定するものではない。第一線の臨床家も治験に積極的に関与しはじめており、当会も治験審査委員会、倫理審査委員会を外郭と会内に設置し組織的対応をしている。

 またわれわれは過日、医科政策提言を厚労省で記者発表をし、その中で医療者と患者の倫理、医療ガバナンスの確立に触れている。

 朝日の報道は、投機マネー誘導、臨床研究の混合診療化、医療特区の全国化と、医療を蹂躙し産業界の野望に満ち溢れた「スーパー特区」を背景にした記事であり、事実による問題提起である。

 いま医療の倫理の確立は、日々その重要性を増している。ヘルシンキ宣言を遵守できない組織に医療ガバナンスを語る資格はない。医療界の冷静な議論と卓見を期待したい。

一読いただければ判る通り、臨床的な見地からの意見というよりは保険医協会という立場に由来する朝日擁護論であることは明白な内容ですが、逆にいえば今回の一連の朝日報道が何故突然この時期に行われたのかということに関する、かねて提示されてきた疑惑もあるいはそれなりに根拠あるものであったのかとも思わされる話ではないでしょうか。
話に政治向きのことが絡んでくるということになりますと、臨床の事しか頭にない凡百の医者にとってはいささか対応に熟慮を要するということになりますけれども、今後朝日がこの議論をどういう方面につなげていくのかによって同社が何かしらの意志を代弁して動いているのか、あるいは単に目先の功名に駆られただけだったのかも見えてくるように思いますね。

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2010年12月 1日 (水)

出せと言うからにはちゃんと使ってもらいたいものですが

民主党政権の一つの政策の目玉と言われてきた子ども手当の財源をどう捻出するかと目処も立たない状況が続いている中で、当然ながら予想された事態に至っているというのがこちらの記事です。

年金財源見当たらず 23年度予算編成作業入りも課題山積(2010年11月26日産経新聞)

 平成22年度補正予算の成立を受け、政府は23年度予算案の編成作業を本格化する。財源難から予算の大幅な絞り込みは避けられず、子ども手当などのマニフェスト(政権公約)政策をどこまで実現するかや基礎年金の国庫負担割合を50%に維持するための財源確保が焦点となる。

 「新成長戦略の本格稼働や経済活性化、国民生活の安心につながる予算にしたい」。野田佳彦財務相は26日の閣議後記者会見でこう述べ、2度目となる「民主党予算」の編成に強い意気込みを示した。だが、課題は山積だ。

 政府は6月決定の財政健全化計画で、23年度予算は国債費を除く「歳出の大枠」を約71兆円以下、新規国債発行額を約44兆円以下に抑えることを決めた。目標達成には国債費を除く約72兆6千億円の概算要求から1兆6千億円もの予算を絞り込む必要がある。

 政府は社会保障費の自然増分1兆2500億円の計上を認める一方で、事業仕分けによる削減効果は3千億円程度にとどまる見込みで、「相当切り込まないと健全化目標の達成は難しい」(財務省幹部)。

 焦点の一つは公約政策だ。子ども手当は3歳未満の子供に限って月1万3千円を2万円に引き上げる方針が固まったものの、増額には年間約2500億円が必要で、支給対象全体に所得制限をかけようと狙う財務省に対し、厚生労働省が反発を強める。

 国土交通省は高速道路無料化に関する要求額1500億円の半分を、省庁横断で予算配分する「特別枠」(1兆3千億円)で求めたが大幅絞り込みは必至。公約修正につながる予算カットは党内の批判を招く可能性もある。

 もう一つの焦点は基礎年金の国庫負担の財源。国庫負担割合を50%に維持するために活用してきた特別会計の「埋蔵金」は22年度でほぼ枯渇し、「50%維持」には別に2兆5千億円が必要だ。国庫負担割合を維持し続けるには、結局のところ財政健全化計画のタガをはずす国債増発か、消費税の税率引き上げかの選択を迫られることになる。

予算編成のたびに社会保障費の財源を捻出するのに四苦八苦するのは別に今に始まった事でもないとは言え、例の新成長戦略で医療費などは名目だけでもプラス成長を確保しなければならないとなれば、どこかで帳尻を合わせなければならないのは道理ではありますよね。
それにしても民主党がかねて増税はいらないと言う根拠にしてきた巨額の埋蔵金なるものが結局どこにいったのかですが、言われていた特別会計への切り込みもどうやら中途半端なままで終わりそうな中、具体的な財源として期待するにはどうなのかという状況で、この調子で財政健全化などと言っていられるものなのかと誰しも不安には感じるところでしょう。
そんな中で突然にこんな話が飛び出してきたものですから、これは誰しも「おいおい、大丈夫かい?!綱渡り杉だろjk」と言いたくもなる話ではないでしょうか?

基礎年金:国負担11年度から削減を 財務省が提示(2010年11月29日毎日新聞)

 財務省は29日、基礎年金支給額の50%を国が負担している措置について、11年度は負担割合を36.5%に引き下げる方針を厚生労働省に伝えた。過去2年間活用してきた特別会計の「埋蔵金」が枯渇したことで、必要な年2.5兆円の財源を確保するめどがたたないため。厚労省側は30日に回答するが、現状の負担率の継続を主張する方針。

 29日午前に開いた両省の政務官による協議の場で提案した。基礎年金は、個人、企業が支払う保険料収入以外に、一定割合を国が負担している。国庫負担率は、04年の年金制度改革で段階的に引き上げられ、09年度に36.5%から50%に引き上げられた。税制の抜本改革で安定財源を確保することが前提だったが、消費税増税が先送りされた結果、09、10年度は財政投融資特別会計の積立金を「つなぎ財源」として活用した。同特会の積立金は10年度末でほぼゼロになるため、11年度予算からは新たな代替財源が必要になっている。

 国庫負担率が下がると、年金の積立金をその分取り崩すことになる。ただちに個人、企業の保険料負担や年金支給額に影響は出ないが、将来の年金給付財源の先食いになる。財務省は厚労省に「11年度中に税制を抜本改正して安定財源を確保し、12年度以降に(11年度分の国庫負担を)穴埋めする」との案を提示した。

 これに対し、厚労省側は、「一時的でも国庫負担が減れば、年金制度への信頼が揺らぎかねない」と反対する姿勢を示した。同日中にも政務三役で財務省案を検討する。【坂井隆之】

基礎年金国庫負担36.5%への引き下げ検討打診=財務相(2010年 11月 30日ロイター)

 [東京 30日 ロイター] 野田佳彦財務相は30日、閣議後の会見で、2011年度予算編成で焦点のひとつである基礎年金国庫負担割合の2分の1への引き上げに伴う2.5兆円の財源確保は「大変難しい」とし、厚生労働省に対し、2011年度以降について国庫負担割合を36.5%に引き下げることも含め検討を打診していることを明らかにした。

 一方、国庫負担割合を引き下げても、年金特別会計の積立金を取り崩して対応し、保険料や給付額に直接影響を与えない方策も検討されているが、積立金の取り崩しの長期化への懸念が出ている。この点について野田財務相は「税制抜本改革を実現した暁には、遡及して年金財政に入れることも含め相談している」と説明。消費税を含む税制抜本改革は不退転の決意で臨むと強調した。

 ただ、現実には、参院選で大敗した後、政府・民主党内の税制抜本改革議論はほとんど進展していないのが実情。将来の税制改正を当てにした財源の先食いも問題視されるが、野田財務相は「なおさら税制の抜本改革は不退転の決意で実現しなければならない」と強調した。

 そのうえで、来年度予算編成では「年内編成が一番のテーマだ」とし、財源問題で暗礁に乗り上げた基礎年金国庫負担割合問題については「できるだけ早い時期に合意形成できるように努めたい」と語った。
(略)

基礎年金:国庫負担下げ提案 年金財源どこに 財務省、税制改革迫る(2010年11月30日毎日新聞)

<分析>

 財務省は29日、基礎年金の国庫負担率を現行の50%から、08年度以前の36・5%に戻す方針を厚生労働省に伝えた。50%を維持するために必要な年2・5兆円の財源確保のめどが立っていないため。厚労省は引き下げに強く反発しており、11年度予算編成に向けた大きな火種になりそうだ。【坂井隆之、鈴木直】

 「どう考えても財源が無い以上、この案が一番自然な解決法だ」。財務省幹部は、国庫負担率引き下げを提案した事情をこう説明する。

 少子高齢化に伴い増え続ける保険料負担に歯止めをかけようと政府は04年、基礎年金の国庫負担率を09年度から引き上げることを決めた。この際の前提が、消費税増税など「税制抜本改革による安定財源の確保」だった

 だが、自公政権は抜本改革を11年度まで先送り。09、10年度の2年間は、「埋蔵金」と呼ばれる財政投融資特別会計の積立金を財源に充てることで、国庫負担引き上げを見切り発車していた。

 09年9月の政権交代後も、鳩山由紀夫前首相は任期中の消費税増税を封印。菅直人首相は6月の就任後、消費税率を10%に引き上げることに意欲を見せたが参院選で惨敗したため、税制の抜本改革論議は大きく後退した。

 一方、09、10年度の財源に充てた財投特会の積立金の残高は、10年度末見込みで1000億円とほぼ使い果たした。政府はすでに11年度の国債発行を10年度並みの44・3兆円に抑える方針を閣議決定しており、国債増発で賄うのも困難。大幅な歳出削減のめども立たない中、財務省は「ない袖はふれない」と国庫負担のための財源確保を断念し、負担割合引き下げ提案に踏み切った。

 財務省によると「一時的に国庫負担を減らしても、年金受給者にすぐ影響が出るわけではない」(幹部)という。11年度の年金給付で不足した分は、年金特別会計の積立金で穴埋めするので、保険料が上昇したり、給付が減ることはないためだ。

 ただ、積立金取り崩しは将来の年金財政に悪影響を及ぼす恐れがある。財務省は「12年度以降、消費税の引き上げなどで安定財源を確保し、再び国庫負担を50%に引き上げるとともに、積立金の取り崩し分も事後的に穴埋めする」ことで、将来の影響を回避する考え。だが、これは、決まってもいない消費税増税による税収を「先食い」することを意味する。税制の抜本改革が先送りされない保証はなく、将来世代へのつけ回しがさらに拡大する可能性もある。

 ◇厚労省強く反発 50%維持を主張

 財務省が国庫負担割合の引き下げを提案したことに、厚生労働省は「一時的であれ、年金制度への信頼を揺るがしかねない」と強く反発している。政務三役の一人は「だれも納得しない。あり得ない案だ」として、あくまで50%負担の継続を主張していく構えを崩していない。

 現在の国民年金法の付則は、50%負担を前提に11年度に安定財源が得られない場合は「臨時の法制上及び財政上の措置を講ずる」としている。36・5%への引き下げには法改正が必要となり、厚労省は「参院で与野党が逆転するねじれ国会の下、野党の理解を得るのが難しい」と懸念する。

 ただ、安定財源の確保なしに50%負担を維持し続けるのは不可能。所得税法の付則は、消費税を含む税制の抜本改革について「11年度までに必要な法制上の措置を講ずる」と定めている。財務省の今回の国庫負担引き下げ提案には、消費税増税を含む税制改革なしには安定した年金運営はできないことを見せつける狙いもありそうだ。

 政府・民主党は社会保障と税制の一体的な改革について議論を進めており、年内には一定の方向性をまとめる方針だ。だが、民主党内には消費税増税への慎重論が根強く、容易に結論は出そうにない。五十嵐文彦副財務相は29日の会見で、「(11年度までの)法律上の期限が来るということで、(税制の)抜本改正をやらなければいけない」としながらも「間に合わないケースを当然想定して、いろんな手当てをしていかなきゃいけない」と言葉を濁した

元を辿れば歴代政権が税制改革の議論を先送りにしてきた、それが流れ流れてとうとうどうにもならないところにまでなってしまったわけですが、では現実問題としてそれでは来年からすぐに消費税を引き上げましょうなんてことも出来ない道理ですから、どうやら詰みが見えてきたということになるのでしょうか。
仮に財務省の言う通りに一時的に国庫負担分の減額で問題を先送りしたとしても、それが通用する大前提として直ちに消費税引き上げという新規財源確保策が成立することがあるわけで、果たしてそれだけの話がそうおいそれとまとまるものなのかどうか、誰しも不安に感じるところでしょうね。
ただこの問題、日本が高度経済成長路線から安定成長へ、そしてさらには低成長を経て経済の退潮へと進んでいく中で、今までの前例踏襲ばかりの予算編成ではいずれ行き詰まることは必然であったわけですから、収入と支出の両面から国政の抜本的な改革を促すという意味ではよい契機にはなる話であるのかも知れません。

こういう話になると国家の斜陽化なんてことが思い浮かぶ人が少なからずいると思いますが、非常に興味深いことにかつての世界帝国から斜陽の老大国なんて言われるようになったイギリスという国では、近年すさまじいほどの財政健全化が達成されているという点は注目に値しますよね。
その実態はとにかく強烈な行政コスト削減の積み重ねであるということのようなんですが、例えば大学一つ取ってみても助成金カットや授業料値上げくらいならまだ日本でもありそうな話ですけれども、さらに進んでそもそも大学に税金が入るのはおかしいんじゃないか、教育への公権力の干渉は大学自治を阻害するなんて言って全大学私学化なんて話まで飛び出してきたりする。
関西大学経済学部の橋本恭之教授がこのイギリス式財政改革の考え方を解説してくださっていますけれども、門外漢に理解出来る範囲で引用させていただきましょう。

イギリスの財政改革(財政学の館)より抜粋

1.イギリス財政の現状

イギリスの財政状況は、近年における2%台の成長をキープしている経済状態を反映して、きわめて良好な状態にある。イギリスは2000 年予算、2001 年予算とも財政黒字を計上している。表1 は、対GDP 比でみた一般政府の純借入と総債務の推移をみたものである。世界的なバブル崩壊後の1991 年から1994 年頃までは一般政府の純借入が増加し、ピーク時にはGDP 比の約8%となっていたものが、その後収支は、急速に改善されている。フローの収支の改善にあわせて、総債務も1995-96 年、1996-97 年に対GDP 比で52.4%にまで達していたものが、1999-00 年には43.7%にまで低下している。
(略)
2.最近のイギリスの財政改革

最近のイギリスの財政改革として最も興味深いものは、税制と社会保障給付制度の統合へ向けた動きである。これは、児童手当などの社会保障給付、最低賃金制度、所得税における控除を根本的に見直そうというものである。この背景には、従来のシステムが社会保障給付を受給している世帯の労働意欲を損ない、結果として貧困のわなを作り出してきたという反省がある。つまり、生活保護のような社会保障給付は、通常、対象世帯の所得が上昇した場合、減額されることになる。この減額割合が高ければ、受給世帯の勤労意欲を阻害することになる。このような弊害を防ぐためには、フリードマンの提唱した負の所得税を採用することが効果的であることが知られている。負の所得税システムとは、社会保障給付システムと所得税を統合し、すべての世帯に対してTax Credit を支給するものである。このTax Credit は、課税最低限を上回る世帯に対しては、税額控除として機能し、課税最低限以下の世帯に対しては、補助金として機能する。(略)イギリスにおける改革は、基本的にはこの負の所得税のアイデアを取り入れたものである。そのため、改革の内容は、社会保障制度、税制の両面にわたることになる。
(略)

(3)改革後の姿

図1は、税・社会保障給付システムの統合後の姿を描いたものである。まず子供を持つ世帯は定額の児童手当(child benefit)が交付される。さらに児童税額控除(integratede childcredit)が、子供を持つすべての世帯に対して、給付されている。ただし、週当りの収入が約630 ポンドを超えると徐々に削減されていくことになる。週当り収入が約50 ポンドを下回る世帯には所得補助(income support)が給付される。ただし、この所得補助は収入が上昇するにつれて急速に削減されていくことになる。勤労世帯税額控除(workingfamilies' tax credit)は、週当り収入が約50 ポンドを超えると支給対象となっている。この税額控除も収入の上昇につれて少しずつ減額されることになる。

3. むすび

このイギリスの税・社会保障システムの統合は、完全なる負の所得税を実現するものにはなっていないが、従来のシステムよりも社会保障給付受給者の労働意欲を促進するものとなっている。また、所得税における所得控除としての扶養控除を廃止し、児童税額控除に切替えるという改革は、税負担の公平性の点からも評価できるものである。所得控除として扶養控除を認めることは、適用限界税率の高い、高所得者ほど児童扶養による節税額を大きくしてしまうからである。
このような税制と社会保障給付システムの統合への改革は、わが国の税制・社会保障制度の改革においても取り入れるべきものである。近年の税制改革においては、各種の人的控除が大幅に拡充されてきている。たとえば、扶養割り増し控除の新設などがおこなわれてきた。しかし、このような所得控除の拡大は、高所得層に対して相対的に有利に働くことになる。わが国でも、近年、年少者に対する扶養割り増し控除が廃止され、児童手当に振り替えられるという改革がおこなわれたものの、税・社会保障給付制度の統合には程遠いのが現状である。近年のわが国における出生率の一層の低下により、少子化対策は、これまで以上に重要な政策目標となってきている。わが国においても、扶養控除を廃止し、児童手当に切替えるなどの抜本的な税・社会保障給付システムの統合が必要となろう。

「従来のシステムが社会保障給付を受給している世帯の労働意欲を損ない、結果として貧困のわなを作り出してきた」という反省に立った「負の所得税」という考え方がここでは紹介されていますけれども、こういうものを見ますとどうも日本の子ども手当などというものは、このイギリス流の表面だけを真似たものに過ぎないんじゃないかと思えてきます。
もちろん結果として財政再建に結びついているという成功の実績もさることながら、このシステムが「従来のシステムよりも社会保障給付受給者の労働意欲を促進するものとなっている」という点は、先日紹介させていただいたアメリカにおける医療費自己負担の話などとも絡めて興味深い示唆を与えているように思いますね。
要するに単に税金なり医療費なりで取られるばかりだと思えばそれはどこまで行ってもネガティブなものでしかありませんけれども、きちんとシステムとして何かしらの望ましいゴールを目指し誘導していくように制度設計をしてやれば、各人も幸せになれるし国の財政上も良い結果をもたらすという、win-win関係を構築できる可能性があるということでしょうね。

日本においても財政の政策決定などにはもちろんきちんとしたブレインがついているはずですが、ずいぶんと前から言われている税制改革なども一向に話が進まないまま、相変わらずばら撒きなどと言われる効果に疑問符が付くばかりの話が続いているあたり、どうも政策上の必要性よりも国民受けの方が優先度が高く設定されている気配が濃厚ですよね。
しかしただでさえ国が巨額の借金を抱え込んでいる、税金ももっと引き上げないと国が立ちゆかないなんて大騒ぎしているのですから、きちんとしたシステムの改革で将来の暮らし向きがよくなるのだとすれば、必要欠くべからざる負担には耐えられるものです。
実際のところ世論調査などを見ても国民の側は負担に耐える心構えは出来ているわけですから、後は集めたお金をどう有効に使っていくのか、その結果何がどう変わるのかという明確なビジョンを語ってもらうべき時期ではないかと思うのですが、このままですと何となくいつの間にか税率だけが上がっていた、そして結局何も変わらなかったなんて話になりかねないと危惧しているのは自分だけでしょうか。

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