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2010年7月 5日 (月)

楢山がなくなれば姥捨てもなくなる、というわけではなさそうです

そうなんだろうなと誰しも予想していた話でも、意外と裏付けデータはなかったなんてことは結構あるもので、先日出ていましたこちらの話も興味深く拝見したのですが、しかしこれは相応に波乱を呼びそうな内容でもありますよね。

後期高齢者 医療費85万円(2010年7月3日東京新聞)

 二〇〇八年度の一年間で国民一人当たりにかかった医療費は、七十五歳以上の後期高齢者医療制度では八十五万五千六百六円だったことが、厚生労働省が二日までにまとめた医療給付実態調査で分かった。

 公的医療保険の各制度のうち後期医療が最も高く、最も低い大企業の健康保険組合(十二万二百八十円)と七倍の差があった。後期医療の加入者の平均年齢は八一・八歳で、健保組合の三三・八歳と大きく開きがあるため。

 ほかは、自営業者らの国民健康保険(国保)が二十六万六千六百十八円、公務員らの共済組合は十四万七千四百十円、中小企業の従業員らが加入する全国健康保険協会(協会けんぽ)で十四万五千八十一円だった。国保が高水準なのは、退職者が加入し平均年齢が高いことが主な理由

 これまで厚労省は協会けんぽの前身である政府管掌健康保険と、国保については医療費の調査をまとめていたが、医療保険制度全体を調べたのは今回が初めて。

高齢者が高いことは予想できることですが、国保自体が実は元々高コスト体質であるという点には留意いただきたいところで、要するに元々国保の財政が悪化する下地はしっかりあったということですよね。
この件でネットの非医療従事者の意見を見ていて、今の「金持ち老人vs貧乏若年者」といった世相を反映してか「年寄りに医療費をつぎ込むなんて無駄」なんて声が予想以上に多いんですけれども、「年寄りが10種類以上も薬飲んでるなんて無駄」だとか、「暇つぶしに病院行ってるくせに医者の前でだけ悪そうな顔するな」なんて批判はこの場合、ちょっと本質から外れているのかなとも思います。
現代の医療はエヴィデンスが求められるというのは当然ですが、逆にエヴィデンスに基づいて適切な治療を行っていなければ何かあったときに訴えられても仕方がないわけですから、別に好むと好まざるとに関わらず病気が見つかれば標準治療をしていかざるを得ません。
というわけで、病気が見つかれば薬も出すだろうし、長く生きていればそれだけ薬も増えていくのは当然ですけれども、これ自体は個人あるいは社会としてどこまで疾患のリスクを許容するかという問題であって、高齢者だからどうこうという話でなないですよね。

そして外来が老人サロンと化していることへの批判も今に始まったことではありませんが、正直こんなところで幾らたむろっていてもかかる医療費などたかが知れているわけで、それでは何が老人医療費を押し上げているのかで、外来よりも何よりも入院医療にこそ大きなお金がかかっているわけです。
極端な話が田舎に行きますと現金収入というものは非常に少なくて、そんなところではお爺ちゃんお婆ちゃんの恩給やら年金やらで暮らしている世帯なんてのも普通にいるものですが、そうした人たちが「一日でも長く!」と収入源の安泰を望むのも当然ですから、こんな老人によくもまあと感心するほどの医療資源が投入されているという例も珍しいものではありません。
このあたりは家で看取るより病院に預けっぱなしの方が安上がりで手もかからないという日本の社会的構造にも由来する話で、都市部などで一部の不心得な生活保護の方が「お金がなくなってきたからそろそろ入院を」なんて言ってくるのと同様に、入院させていた方が儲かるという差益を何とかしないことにはどうしようもないですよね。

現場での実感としても高齢者医療はお金がかかるのは確かですが、これは必ずしも高齢者だからという話だけではなくて、日本の医療で何もせず黙って看取るということが少なくなっている以上は、亡くなる最後の期間で大きなお金が必要となってくるのは当然であって、死亡率の高い高齢者の方が平均すると若年者よりお金を使っているということも言えるかと思います。
そうは言っても現実問題としてこういう数字が出てきたわけですから、それをどう考えるべきなのかということなんですが、何より気になりますのは先日も少しばかり書きましたように、政府が後期高齢者医療制度を廃止して国保に編入する方針を固めたなんて話が出ていることですよね。
ただでさえ財政状況が悪い国保に高齢者を組み入れて大丈夫なのかということは誰しも思うところですけれども、実際にこういう数字が出てきてみますとこれは大変な問題で、下手をすると国保があっさり潰れるなんて話にもなりかねません。

後期高齢者医療制度では1300万人が対象だったと言いますが、これらの方々の医療給付費の5割を公費で、4割を現役世代の加入する医療保険で負担し、残りの1割を高齢者の保険料で負担するという制度設計であったわけです。
実際の高齢者の保険料は保険者である広域連合ごとに設定されていますけれども、もともと高齢者が実際に負担する部分は一割と少なく現役世代の負担の方がはるかに大きいと言われていた制度で、しかも所得が少ない高齢者は多くが減免措置で保険料額が減っていたと考えられますから、利用者である高齢者の実質の負担割合は全体の数%以下ということになりますよね。
あらたに国保に高齢者を組み入れるとしても大幅に保険料負担を増やすことは現実的ではないでしょうから、そうなるとただでさえ財政厳しい国保側の高齢者医療の持ち出しは大変なものになるだろうなと容易に想像できますが、逆に言えばこんな誰でも判る話を国が進めようとする意図はどこにあるのかということです。

ダイヤモンド社論説委員の辻広雅文氏は「後期高齢者医療制度が「現代の姥捨て山」と批判される本当の理由」なる一文の中で、後期高齢者医療制度を批判して「極めて無責任」な制度設計であると批判していますが、誰が高齢者医療の責任を負うのか、言い換えれば誰がマスコミや世論へのスケープゴートとなるのかという押し付け合いがその背景にあったということですよね。
同氏曰く、財政責任を負う運営主体になるのを嫌がった市町村に配慮して政府が保険料を年金からの天引きにしたことで、市町村は財政責任を負わず、保険料徴収の苦労もなくなったことに加え、運営主体が広域連合という“架空の地方自治体”となったため、結局国からも市町村からも給付抑制のインセンテイブが働かない「三重の無責任体制」になったと指摘していますが、要は国や自治体としてストレスの少ない制度設計ではあったわけです。
加入と給付、負担と受益の一体化が保険の基本ということですが、給付費が増えれば当然保険料は上がるわけで、その結果加入者側に保険を使いすぎることへの抑制がかかるかと言えば、もともと高額医療費の還付制度で一定額以上は定額制である医療費においては、むしろ「高い保険料を取られているんだから徹底的に使わなければ元が取れない」という発想に結びつく危険性が高いと思いますね。

ではなぜそんな制度をわざわざ国が設計したかと言えば、やはり「あなた達はこんなにも医療費を使っている。保険料も高くなります。もっと大事に節約して使いましょうね」とお金を出す側が言いやすいということで、これは給付自体を抑制するよう働きかける道具としては使いやすいという側面があったからですよね。
その結果たとえば「高齢者医療は火の車である。では高齢者医療に限って○○は保険診療から除外しましょう」なんて「世代別の医療」導入へのシナリオも描きやすくなるでしょうし、金を出す側として医療を金銭面からコントロールするには便利なんだろうなとは想像できますが、逆にそういうことを実行に移したとたんに世論マスコミから大バッシングを受けるだろうとも想像できるわけです。
とすると、今回の国保編入の一件で国の意図はどうなのかと言うことですが、穿った見方をすれば高齢者を国保に導きさらにその財政を悪化させることで、国としては自らは老人いじめの後期高齢者医療制度撤廃!とポイントを稼げる一方、火の車となった自治体が高齢者医療給付を(あくまで自主的に!)抑制し総医療費が抑えられる(そして、バッシングも引き受ける)という、二重の効果を見込んでいるのかも知れませんね。

保険診療の大枠を動かすなどと大層なことをせずとも、医療機関から保険者への請求の段階でカットオフラインを少しばかり厳しめに操作するだけで、医療機関側としても「どうせ切られるなら最初から請求しないでおこう」という自主的な判断が働くようになるでしょうから、何もわざわざ制度を変えずとも医療給付抑制が達成できてしまう可能性もあるわけです。
制度が決まって実際に現場で動く段階になるまで何とも言えないことですが、後期高齢者医療制度が廃止されて良かった!と喜んだ数ヶ月後あたりから、何か妙に病院がお爺ちゃんお婆ちゃんに冷たくなってきた、以前は○○をやってくれていたのにしてくれなくなったなんて話が出てくるようになるかも知れませんね。
センセーショナルなマスコミの見出しに踊らされてとにかく現代の姥捨て山廃止!と突き進むのはいいのですが、その結果現場で何がどうなるかというところにまで想像力を働かせておかないと、なんだかえって前より悪くなったじゃないかという話にもなりかねないということでしょうか。

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