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2010年6月30日 (水)

無過失保証制度 弁護士からの視点

湯浅氏風に表現するならば、「フ~~・・」って感じでしょうかね。
力戦敢闘むなしくついに敗れ去った日本代表でしたけれども、出てきた選手、そしてベンチで声を出す選手の誰もが120%の力を発揮してくれたことを我々は誇りに思うべきでしょう。
特にこのチームではずっとレギュラー格でやっていながら今大会控えに回ることになった中村憲剛選手、いきなり厳しい場面での出番で試合への入り方が難しかったんじゃないかと思いますが、非常にいいパフォーマンスを見せてくれたのは「ベンチも含めて23人全員で戦った」というこのチームを象徴していたんじゃないかと思いますね。
そして最後の一分一秒に至るまで、あのピッチに立てなかった遼ちゃん達の分までジュビロ魂を発揮してくれたにも感謝を…色々と思うところはあって当然だと思いますが、決して下を向くなと、堂々と胸をはって日本に帰って来いと言いたいですね。

前書きはそれくらいにして、おそらく誰しもが眠いだろう中で(苦笑)本日まずは先日出ましたこちらの記事を紹介しておきましょう。

医療事故対策:厚労省モデル事業、死因究明は目標の1割--05年度開始からの5年(2010年6月28日毎日新聞)

◇解剖同意、周知不足が壁に

 診療行為に関連して死亡した患者の死因を究明し、再発防止を図る厚生労働省のモデル事業の受付件数が、年間200件とした当初の目標を大幅に下回り、05年度の事業開始からの5年間で105件にとどまったことが分かった。遺族から解剖の同意が得られないことや、医療機関や警察に対する事業の周知不足などが理由とみられる。こうした事態を受け、運営主体の日本医療安全調査機構は、事業の見直しを始めた。

 モデル事業は、医療事故の原因究明と再発防止を担う第三者機関の創設を視野に、東京や大阪など10カ所で実施。入院中や診療直後の急死事案があった場合、医療機関は遺族の承諾を得て各地の事務局に連絡し、機構に登録した解剖担当医らが解剖を行うとともにカルテを調査する。弁護士らも交えた評価委員会が報告書をまとめる

 機構によると、目標件数は行政解剖件数などを参考に決められたが、05年度(7カ月)は13件、06年度は36件と低迷。3年目の07年度からは目標を年間80件に下げたが、年10~20件台で推移し、5年間では当初目標の10分の1にとどまった。

 事務局に相談があったものの、対象にならなかった事例も196件あった。内訳は「解剖の同意が得られなかった」が最多で60件。遺族の中には遺体を傷つけたくないと考えたり、大学病院に遺体を移動することへの抵抗感があるという。

 そのほか、「医師法21条(異状死体の届け出義務)に基づき警察にも届けられ、司法解剖や行政解剖の対象になった」が33件、「遺族の相談を受けたが、調査の前提となる医療機関からの依頼がなかった」が30件--などとなっている。

 機構は今月、見直しに向けた会議の初会合を開催。解剖の同意を得やすい環境整備のため、解剖担当医などを派遣し、依頼があった医療機関でも解剖を行う方向で調整することを決めた。さらに、司法、行政解剖の対象にならなかった事例はモデル事業に委ねてもらうよう、警察庁へ働きかけることを厚労省に要請する方針だ。

 第三者機関の創設を巡っては、各病院での事故調査を優先すべきだとする民主党が政権を握り、論議は止まっている。【佐々木洋】

死因究明と再発防止と言いますが、当然ながらそこには責任追及という議論も出てこないではいられないのがこの事故調問題であることは、すでに当「ぐり研」でも繰り返し取り上げてきたところでもあり、未だに議論が滞っていることもそのあたりで関係各方面の警戒感が根強くあるという背景事情もあるかと思います。
その意味でこれまた繰り返しになりますけれども、「本当のことを言えば処罰される(かも知れない)」という状況で本当の事を言ってしまうのは本物の聖人か本物の馬○くらいなもので、その他大多数の凡人から構成されているこの世界においては、真実を追い求める者であればこそどうやったら本当のことをしゃべってくれるかを、必ずセットで考えていかなければならないはずだと思います。
このあたりは実は何かあった時に限った話でもなく、医療という不確実性が必至でありながら100%が求められるという矛盾した要求を突きつけられやすい業界においては、それこそ日常的に「もっとも患者にとっての利益になるやり方とは何か」ということを、何より他人に命を預ける患者自身が考えていかなければならないはずなんですね。

「俺に何かあったら舎弟が黙っちゃいねえぞ」なんて最初からプレッシャーをかけられた状況下での診療ということになれば、「いや当院では万全の医療が出来ませんので」とさっさと紹介状をつけて送り出されるか、そうでなくとも「幸福を最大化」する医療ではなく「不幸を最小化」する医療しか受けられなくなってしまうのも当然ですよね。
早い話がある種の癌などでは手術をしないと決まった時点で完治は見込めないということが確定してしまう場合がありますが、「手術して治らなかったらどうしてくれる!」「手術の合併症があったら誰が責任を取るんだ!」と言われれば、「それではなるべくそうした問題がないように」と最初からベストサポーティブケアをやっておくのが一番間違いがないという話になってしまいます。
リスクばかりを過剰に取り上げることで、本来得られたはずのベネフィットを得られないというのは誰にとっても幸せな結果とは言えないはずですが、治療に伴う副作用や合併症といった数々の不幸を最小化することだけを考えていると、いつの間にかとんでもない話になってしまうという一つの例でもあるし、実際に似た様な話は程度の差こそあれ日常臨床ではごくありふれたものであるわけですよね。

このあたり外野からすれば、「医者は専門家なんだから何がベストなのか判断して患者に示す義務があるはずだ!」なんて声もあるでしょうが、医者の手前勝手な押し付けではなく患者の自己決定権を優先せよと主張してきたのは当の患者であって、何より現場の医者も本当に良いこととは何かなんて他人のために頭を悩ませていられるほど暇ではなくなってしまっているということです。
健診で高血圧だと引っかかって外来にやってくる、待合室には高血圧がどれだけ色々な病気を引き起こすのか、治療した方が治療しなかった時よりどれだけお得なのかといった情報は幾らでもパンフレットを置いているし、医師だって面と向かって「治療したほうがあなたにとってメリットが大きいですよ」ということは言っているわけです。
ところが「いや血圧の薬は飲み始めると一生飲み続けないといけなくなるし」だの「友人に紹介してもらったサプリメントで治すから」なんて治療拒否されれば、それは患者の自己決定権を押しのけてまで最善の道を強要する権利は医者にはありません(ちなみに万一同等の効果があったとしても、ほとんどが保険負担になる降圧薬と利益第一のサプリメントでどちらが安上がりかは子どもでも判る話だと思いますけれどもね)。

いささか話が脱線しましたけれども、医療という世界はゼロリスクを追求していくにはどうも折り合いが悪い、むしろ多少のリスクは飲み込んでえいやっ!と決断してしまった方がはるかに大きな見返りがあるという局面が日常的に存在するという物騒な業界であって、そうであるからこそ予めリスクを見込んでおくということが医療側にも患者側にも求められているわけですね。
そう言ってしまうと何やらおそろしい世界のようにも聞こえますけれども、年間一万人近くが事故死しているような恐ろしい乗り物に誰でも日常的に乗っているのと同様、リスク過敏症とも言えるゼロリスク症候群を離れてリスクとベネフィットというものを冷静に比較できるようになれば、ほとんどの場合社会というものはうまく回るようになっているんだと思います。
その点でちょうど先日ロハス・メディカルさんに掲載された無過失保証制度に関するインタビュー記事ですが、長年医療問題にも関わり当「ぐり研」でもご登場いただいた井上弁護士らしい問題意識がなかなか傾聴に価すると思いながら読ませていただきましたので、本日はこちらの概略を紹介させていただくことにしましょう。

村重直子の眼6・井上清成弁護士(2010年6月5日ロハス・メディカル)より抜粋

 元厚生労働省大臣室政策官の村重直子氏が在野のキラリと光る人たちと対談していくシリーズ、本日から第2クールに入ります。対談していただくのは、医療事故調の問題や出産育児一時金の問題などで、皆さんにもすっかりおなじみとなった井上清成弁護士。ただし今回のテーマは無過失補償制度です。(担当・構成 川口恭)

村重
「私は、日本の医療には無過失補償・免責制度が必要だと思っています。井上先生は、無過失補償制度として裏の国民皆保険というものを提唱なさっていますが、どういうコンセプトで、どういうものが必要と考えてらっしゃるのか教えてください」

井上
「通常言われる国民皆保険制度は、医療を受ける時に、誰でもいつでもどこでも、それで安く適切な質の医療を提供してもらえるというものですよね。その国民皆保険を守らないといけないと皆言っていて、原則論としては合意があるわけですね。だけど、医療には、いわゆる事故が起こりうるし、その頻度は他の分野に比べても高いです。過誤とかじゃなくてもですね」

村重
「普通にやっていても、副作用はありますからね」

井上
「いわゆる有害事象ですね。それらが副作用なのか、法律に言う『重大な過失』なのか、『過失』と言っていいのかも分からないものなのかは別にして、いずれにせよ、いっぱいあります。医療に関して多くの問題が起こりうるんだったら、その分をどうするのか、と。個別に裁判をやって、被害の救済とか制裁とかというのはあまり芳しくない。なぜかと言うと、元が皆保険の枠の中でやっているものなのに、問題が起こるとそのまますぐ裁判というのはバランスが悪いですね。そこで裏の皆保険という話になるのですが、医療を受ける時に保険でやるんだったら、そこから生じたイレギュラーな副作用や過失・過誤による事故のようなものの補償も保険でやったらどうかという話です」

村重
「そうですね、かなりの確率で望ましくない結果が起こるわけですからね」

井上
「患者さんにとって思わしい結果が出ないということはままありますし、医療に伴う有害事象もままある、だったらそういうものは保険に込みにしたらよいではないかということです。ハッピーな結末に終わるものへの保険給付と同時に、そうならなかった場合への保険給付があってもいいんじゃないでしょうか。それが皆に公平に分配できてこそ、真の皆保険になると思います」

村重
「飛行機に乗る時も皆さん保険かけるわけですから、医療を受ける時の表の保険と同時に裏の保険もかけておくということですね」

井上
「表の方も皆保険ですから、一つ一つ明示的にかけるわけじゃないけれども、そうですね。本人が、リスクとか利益とかいちいち狙ってやるものではない。だったら裏の保険も、一つ一つ意識はしないけど、たまたまぶつかってしまった人、ラッキーなことにぶつからなかった人をトータルに見て公平に行くようにできないかと」

村重
「皆でリスクを分散させましょうということですね」

井上
「そういうことです。目的は、不公平な残念な結果を甘受しなければならないある特定の人に対して、できるだけ公平に起きてしまった損害、被害というと加害者がいるようですが法律家的に言うならば、不公平な被害を皆で補填してあげようと。あくまでも起こった被害というか被害者を救済してあげようというのが目的です」

村重
誰かの責任を追及するのが目的でなくて、救済が目的と」

井上
加害者を探して制裁を加えるということが第一義的に大切なことではなくて、起きてしまった被害をいかにして皆救うかという方が重要なことなので、まずはそれをどこまでやれるかということですね」

村重
加害者を特定する必要がないわけですね」

井上
「できるだけ多くの人を救済しましょう、できるだけ公平に救済しましょうということを皆保険でできれば、表と合わせて本当の名実共に皆保険になると思います」

村重
「公平に救済しましょうというのは、裁判を起こした人だけがたくさんお金をもらえるのではなくて、ということですね。裁判という大きなハードルを越えなくても、公平に皆が救済される」
(略)

無過失保障のなかなか分かりやすい解説にもなっているかと思いますが、注目すべきは無過失保障制度は裁判を回避する手段でもあるということを、いわば裁判で飯を食っている側の井上氏が言ってしまっていることで、このあたりは後述する話との関連でまた取り上げたいと思います。
ここで語られていることの根底にある考え方は、「大多数の人間は自分にとって利益が大きいと思われる道を選択する」というものではないかと思うのですが、逆に言えば多くの人々にとって医者と敵対関係になるより良好な協力関係になった方が得であるというシステムさえ構築できれば、お互いにとってwin-win関係になり得るということなんだと思いますね。
医療訴訟というのは別に真実を明らかにする場ではないということは司法関係者も繰り返し語っているし、実際に裁判になった人たちも結局何も判らなかったと皆が口を揃えている、それでも裁判にするというのは他の救済のルートが用意されていないからで、そちらが整備されてくればわざわざ高いハードルを超えたがる人間は決して多くはないだろうという推測が前提にあるわけです。

このためのコストを誰が負担するかということですが、産科の無過失補償のように当事者である患者負担ということもありなのでしょうが、全国民の救済を目指すという観点から健康保険と同様に社会的なコスト負担としてやっていくのもありかなとも思います。
口蹄疫を封じ込めるのに大きなお金がかかっていますけれども、宮崎で牛を飼っている人たちにとっては正直に申告して牛を殺するよりは、闇ルートででも叩き売ってしまった方がメリットがあるなんて邪念?を起こさせないだけの補償を行っていかないことには、日本中に狂牛病が広まってはるかに大きな額のお金が必要になってしまうわけですよね。
医療も同様に社会的になくなるよりはあった方がよいものだというコンセンサスがあるのであれば、それに関わる諸々のコストも社会的に負担しておいた方が結局得だろうということですが、一方でそうなってしまうと公的支出の増大を恐れた結果、今度はあまりに補償額が低すぎて訴訟抑制効果が期待できないという可能性も出てくるという話も出てきています。

井上
「個別の案件における適正さとは別に、皆で税金払いましょうという財源の全体の中での公平さを含めた意味での適正さがどこにあるのかというのは、残念ながらまだ十分に議論されていないと思います。公平さまで含めた意味での適正さで、できるだけ多くの人が公平に救済できるようにするのが大切でしょう。同じ皆保険制の下で医療を受けて、それでハッピーな人が多いけれど、残念ながら不幸な結果が出てしまった人がいれば、それをできるだけ漏らさずに救済するというのが基本的な理念です。ですから、あえて適正と公平と言葉を分けるとしたら、どちらかと言えば公平を重視して物事をまず考える。それが裁判風の適正に近づけば近づくほどいいけれど、そのために公平を崩してしまっては何にもなりません」

村重
「表の医療費が他の先進国に比べてかなり安く抑えられていますから、裏の皆保険側だけ高くというわけにはいかないでしょうね」

井上
「金額が、適正でなく、安くなってしまう可能性もあります。安くなった場合に、裁判における適正と裏の皆保険による公平さを含めた適正金額の落差とをどう考えればいいのか、これが非常に重要な問題です。裏の皆保険を実現するとしたら国民の間のコンセンサスが必要になるんじゃないかと思うんですが、その時にその落差を裁判で埋める手を残すべきなのか、なくすべきなのか、これが非常に重要な問題になっちゃうわけですね」

村重
免責を入れて、無過失補償を受けたら訴訟できなくするかどうかですね」

井上
落差の部分を個別に裁判でやればいいじゃないかという政策を取ってしまうと、何のために公平な金額を皆に補償しようとしたのかということが分からなくなる。被害を受けた方が、つらい中で弁護士を頼んだり支援を受けながら必死で裁判をやって自分の被害を何とかカバーして行くというのは、その人個人を評価すれば偉いと思います。それ自体、個人をとった場合には何も非難すべきことはないですけれど、それを皆がやっていったとしたら、もしくはできない人もいたら。できないというのは能力だけの問題ではなくて、諸環境もあるでしょうから、そこにまた落差ができてしまったとしたら、何のために無理して公平さの中に適正さを求めたのか分からなくなってしまいます。これが一番大きいです。皆保険で、皆が満足快適100%というのは、実際には絵空事だと思うんです。多少なりとも我慢しながら、皆がトータルでハッピーになろうとしている時に、裏の方では頑張っただけ差があるというのは、表と裏で違いがあるのでうまくいかないと思います」

村重
「そうですね」

井上
「ただ弁護士風に言えば、難しいのは、本来は権利があるんじゃないのか、それをなくしていいのか、という側面もあるわけです。全体の中で押し潰すという風に、人によっては受け取るかもしれません」

村重
「それについては、どちらを取るか選択できるのであれば克服できるのでないかと思います。落差の分が大きいと、選択と言っても実質的な意味がなくなりますが、公平さの中に適正さをなんとか入れることができるなら、裁判という『頑張り料』分はもらわなくても、少し安いけれど、簡便な手続きで、皆で支えてもらったお金を受け取る裏の皆保険か、裁判か、どちらか選んでねというのはあり得るんでないかと思います」

井上
「それがアメリカで現実にやられている形ですよね」

村重
「そうですね。アメリカとフランスで」

井上
「典型的なアメリカのは、選択をして、もらうなら終わり。リスクまでトータルに考えて裁判やるぞという場合はもらわない。たとえ裁判に負けたからといって戻ってもらうことはできないと。チャンスを本人が主体的に選ぶということでクリアしています」

村重
「本人の意思で選ぶということであれば、権利を制限したことにはならないと思います」

井上
「それは十分に言えます。権利の制限ではなく自己決定だと言えるわけですよね。だから、そういう考え方で通すという手もあります。もう一つの場合は、ニュージーランドのような国が典型ですが、法律で無過失の制度だけでやるんだと決めてしまう」

村重
「過失を問うという発想そのものを持たない国ですね」

井上
「いわゆる事故については、医療事故であろうと交通事故であろうと」

村重
「スポーツの事故とか家で転んだとかもカバーされるみたいですね」

井上
「それこそアクシデントということで考えて、アクシデントに対する補償というのは、この位のものなんだという金額レベルの国民的コンセンサスがあれば、権利を制限したことにはならないわけです。たとえば今、医療過誤訴訟の裁判で慰謝料3000万円を取れるという時に、3000万円という金額自体が本当に権利なのかという問題はあります。世によって時代によって大きく動きます。それを考えると、皆で決めた場合には、必ずしも奪うことのできない権利と言うことはできません。そうなればニュージーランド風に事故はこの位の金額のものなんですよと、皆で考えて、不当でない金額で合意してしまえば、そうすればそれはそれで終わるということで決まりますよね。もう少し実務的にやるのがスウェーデン。補償の金額と裁判の金額がほぼ同じなんですよね。だから裁判をあえて起こすインセンティブがないので、医療過誤訴訟もないんですね。わざわざ弁護士頼んでも同じ金額なら、そりゃ無過失補償にしますよ、当たり前の話です。ただ、ここにはトリックがありまして、例えば慰謝料が概ねないとか、元々の裁判の金額の水準が低いとかの背景事情があるわけです。ところが日本は、戦後すっかりアメリカナイズされてしまったので、損害賠償が高額化してしまったんですね。皆がその意識を持っているので、そのベースで考えると、なかなかスウェーデン風に無過失の金額を裁判に揃えるというのは難しいです。残念ながら現在の国民の意識として、スウェーデン方式を直輸入するわけにはいかない」
(略)
村重
「医療費がアメリカと日本とではかなり違うじゃないですか。医者の収入もケタ違いなわけですよ。その中でアメリカの医者は収入の何割かを保険料に払ってます。要は、民事訴訟は最後はお金で解決するということで、ハイリスクハイリターンと言いますか、収入も高いし保険料も高いし賠償金も高いということで成り立っている世界です。日本の場合は、給料が安い、特に若いうちはタダ働きが当たり前で、正規の雇用もない、社会保障もない、労災もないという状況で安く安く働いている中で、ほとんど保険料を払えないんですよ。そこのアンバランスもあると思いました」

井上
「バランスがある一定以上崩れたら精神論だけでは通用しません」

村重
「だから、もうやってられないということで診療所とか病院を閉めるという話になってきます」

井上
「なってきますよね。経済的に見て、あまりにもアンバランスが行き過ぎれば、当然途中で破綻しちゃいますね。精神論でカバーできる方が美しいけれど、ものには限度があります。医療費をアメリカ並みに高騰させるわけにはいかないのだとしたら、補償の部分も、皆で議論しながら、イチ、ニのサンでやらないといけない時期にきているんじゃないかと思います」

結局のところこのシステム、希望者だけ参加してくださいではあまり医療の保護ということには効果がなくて、やるなら医療を利用する皆が原則参加するという形にしていかないといけないだろうと、とすれば補償額はどれくらいに設定するべきなのか、それに対する保険料支出がいくらくらいになるのかといった議論がなければ始まりません。
産科の無過失補償の場合は言ってみれば対象の状態が非常に均質なので話が簡単ですが、実際の医療被害ということになるとそれこそ小さなものから大きなものまで千差万別ですから、この補償額を決めていくという作業でもまたコンセンサスを得るのが大変なことになりそうですよね。
コンセンサスと言えば国民の間でのコンセンサスもさることながら、非常に面白いなと思ったのが後段に出てくるこの話で、実は一方の当事者である患者や医療従事者もさることながら、広範な無過失補償の導入ということになりますと弁護士こそ大変な話になりかねないという「暴露話」が飛び出してきています。

井上
「弁護士でも医師でも誰でもそうだと思うんですけど、歳を取ってから、自分たちが若い頃にはなかったことに直面すると、その状況の想像がつかないんです。だから、それに対して何をしたらいいかというのもピンボケになるわけです。例えば医療の世界で言うと、昔は刑事処分なんかはもちろんなかったし、損害賠償訴訟も行政処分もほとんどなかった。若い時にそういう時代を過ごしてきて、でも今は訴訟が頻発して若い人が困っていると言われても、そういう上の方にいる人たちは現場から離れちゃっているというか、端的に言うと若い人の苦労が分からないわけです。勘が働かないと言ってもいいかもしれない。パラダイムシフトが必要な時に、そういう上の方の人だけで決めると、必ずピンボケになります。無過失補償の設計は昔ながらの官僚の発想では難しいのが当たり前です。それは官僚に限らず、医師でも法律家でも、昔ながらの人には難しい」

村重
「だからこそ議論百出させるしかありませんよね」

井上
「少なくとも一回選択肢を提示しとかないといけないだろうと思います。ところが法律家が皆黙っているもんですから。これは私が言っているわけではありませんよ。スウェーデンの無過失補償について調べに行った時に、そこのCEOの人から言われたんです。3年前だか4年前だかに行ってレクチャーを受けたわけですが、端っから黙って聴いているつもりはないもんですから質問責めにしたわけです。それも野党的質問というか、法律家的に言うと反対尋問ですね。向こうは当然いい話しかしませんけれど、何もかもうまい話があるわけない、無過失補償を可能にした何かがあるはずだと思って一生懸命掘り返そうと質問していたら、 CEOがついにキレましてね。それで言ったことが、日本の弁護士が無過失補償を採り入れたって、いいことないでしょうと。どうも元々スウェーデンというのはクレームの多いお国柄なんだそうですね。裁判が多かった。ところが無過失補償を入れたら訴訟が退治されたというかゼロに近くなったそうです。そんな制度を入れたら、弁護士は仕事がなくなるだろうと言ってキレたから、私は日本の弁護士代表として来たわけではないと言い返したんですけれど、後で考えたら反論になってなかったですね。無過失補償は、訴訟を根絶やしにするかはともかく大幅に減らして実効性をなくしてしまう程の劇薬になります。損害賠償訴訟をすることが正しいと思っているような人には、そんな制度自体想像がつかないものかもしれません。私の身の周りでも、皆が、えっ?と言いますね」

村重
「私もフランスの無過失補償のディレクターと話をしたら、フランスでは訴訟か無過失補償か選べる制度で、90~95%は無過失補償に行く、裁判は劇的に減ったと言ってましたね。フランスで制度ができたのは、患者さんたちが被害を救済される権利を求めて声を上げたところからだそうですが、弁護士にはとても評判が悪いそうです」

井上
弁護士で無過失補償を好む人はいないでしょうね」

村重
「そういった中で、よくぞ声を上げてくださったと思います。ありがとうございます」

井上
「何となく自爆している感じでしょうか」

いや「自爆している」なんてこともないんでしょうが(苦笑)、医療訴訟を専らに扱っている弁護士さんからすればこれは飯のネタを取り上げると言うにも等しい話で、こうした方面からあるいは強固な反対の論陣を張ってくる向きもあるとは考えておかなければならないでしょうね。
こんな話を聞きますと、昨今では弁護士もどんどん増えてきて下手するとワープアか?なんて話も出ているようですけれども、一方で「診察室から暗い顔で出てきた患者に弁護士が擦り寄っていく」なんて半分ネタのような話も聞こえてくるところで、これから医療訴訟で食っていく人間が増えるなんて言われている中での議論となれば、それはいい話とすんなりまとまるというわけにもいかないのでしょう。
しかしそれぞれの立場からの個別な批判はあるものの、少なくとも患者の立場からこれは悪い制度だという声はあまり聞こえてこないという点は追い風だと捉えるべきでしょうし、やはりこのあたりの議論は一度国民的にしっかりやっていかなければならないんじゃないかと思うところです。

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コメント

狂牛病ではなく口蹄疫ですね。

投稿: 狂牛病ではなく | 2010年6月30日 (水) 11時52分

これはかなり本音っぽいインタビュー記事ですね。

投稿: ふぉれ | 2010年7月 1日 (木) 08時52分

>狂牛病ではなく口蹄疫ですね。

すみません直しました。

投稿: 管理人nobu | 2010年7月 1日 (木) 13時42分

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