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2010年6月 1日 (火)

とある医療事故の後日談を見ての雑感

今日の本題には直接関係ないんですけれども、先日ニュースを見ていてあれ?と思ったのが、こちら国家財政が破綻したと大騒ぎになっているギリシアの話題です。

薬がなくなる!? 製薬会社がギリシャへの糖尿病薬などの供給停止(2010年5月31日産経新聞)

 ギリシャからの報道によると、財政危機に陥った同国政府が緊縮策の一環として薬剤購入価格を一方的に25%引き下げたことに抗議して、デンマークの製薬2社が30日までにギリシャへの糖尿病治療薬などの供給を停止すると発表した。他の多くの製薬会社が追随する可能性もある。

 ギリシャでは処方薬の購入費の一部を国庫補助、政府にとり重い財政負担となっていた。供給停止を決めたのはノボノルディスクとレオファーマで、特にノボノルディスクの糖尿病治療薬は5万人以上の患者が使用、供給停止で大きな影響が出るとみられる。患者団体は「社会的責任を放棄した行為」と批判した。

 両社は「価格引き下げを受け入れれば、赤字経営を余儀なくされる」と説明している。(共同)

製薬も商行為である以上は価格的に折り合いがつかなければ撤退するというのは資本主義社会では当然のことで、これはどう見ても事前交渉の手間を惜しんだギリシア政府当局の失態ではないかと思うのですけれども、その批判の矛先が「社会的責任の放棄」などと言って製薬会社の方に向いているというのが興味深いことだなと思います。
この件に限らず医療の場合とりわけ何かしらあれば命の沙汰に直結するということで、世間の大抵の業種以上にその行為責任というものが厳しく問われる傾向にあるように感じていますけれども、見ていますと感覚的にそれはちょっとどうなのかな?と感じるような責任追及がされている話も結構ありますよね。
少し前にもちょっとした話題になったのが青森県の公立金木病院で起こった誤投薬の事例なんですが、そもそもの発端はありがちなケアレスミスからだったという誰にとっても決して他人事ではない話でした。

公立金木病院で薬誤投与の患者死亡 処方せん作成でミス(2008年8月23日47ニュース)

 五所川原市の公立金木病院(小野裕明院長代理)で今年6月、肝硬変で入院した西北五地域の70代女性患者が薬を誤投与されて意識不明となり、半月後に亡くなる医療事故が起きていたことが22日分かった。同日、小野院長代理と石戸谷鏡治事務局長が記者会見し「薬の誤投与と死因の因果関係は特定できていないものの、あってはならない医療事故を起こし、遺族に対して心よりおわび申し上げます」と陳謝、事故の経過と再発防止に向けたチェック態勢を説明した。
 同病院によると患者は6月13日、内科に入院。患者の腹水を体外に出すため利尿剤の「アルマトール」を投与すべきところを、誤って血糖値を下げる糖尿病治療薬の「アマリール」を20日夜から22日朝まで計4回投与した。患者は22日夜に容体が急変、意識不明になったという。
 事故を受けて病院側は27日、院内に事故調査委員会を組織するとともに、患者の家族に薬の誤投与について説明、謝罪した。また五所川原保健所に報告し、28日には五所川原警察署に通報した。
 患者は末期の肝硬変による肝不全で7月8日夜、亡くなった。
 事故原因は処方せんを作成する際、医師の書いた処方内容に基づき病院職員が薬名を検索、本来「アルマトール」とするべきところを、名前の似ていた「アマリール」を誤って選び出して印刷。薬局に渡す際にも医師、看護師が内容を確認しておらず、ミスが重なって発生した。
 同病院では再発防止策として、先月14日から処方せんの内容を必ず医師が確認。さらに看護師もカルテなどで薬の名前が処方せんの内容と一致しているか、確認してから薬局に提出、また出された薬が一致しているか、確認してから入院患者に渡す―などのチェック態勢を取っている。
 ほか、名称が似ている薬については効用が同じ別の薬に変更したという。

末期肝硬変ということで生命予後に誤投薬がどれほど関わったのかは記事からははっきりしませんが、問題の薬剤などはかねてその名称の類似性が広く指摘されていたものではあって、その意味ではいずれ起こって不思議ではなかった過誤ではあったかと言えると思います。
また医師の指示が誰にも確認されることなく薬局に回り患者に投与されたようにも見えるあたり、チェックシステムにも相応に不備はあったとも取れる記事ではありますよね。
ただこの件については今春になって処方を書いた医師が書類送検されたということで、一気に全国区の知名度となったことは皆さん御記憶のところだと思いますね(ただし警察としては業務上、こうして調べた以上は検察に立件するかどうか判断を仰がざるを得ないという事情はあるということです)。

金木病院の元勤務医を書類送検 (2010年3月17日東奥日報)

 2008年6月に五所川原市の公立金木病院に入院中の70代女性患者が薬を誤って投与され、その後死亡した事故で、五所川原署は16日、同病院に勤めていた当時30代の男性医師を業務上過失致死の疑いで青森地検弘前支部に書類送検した。捜査関係者によると、誤投与と死因に因果関係があったと判断した。

 これまでの同病院の説明によると、肝硬変で入院した西北五地域に住む女性患者の腹水を体外に出すため、利尿剤の「アルマトール」を投与すべきところを、誤って血糖降下剤の「アマリール」を投与した。女性はその後、容体が急変し、意識不明となった後に死亡した。薬を処方した同医師は、病院職員がパソコンで処方せんを作成する過程で薬名を誤って記入したにもかかわらず、確認していなかったという。

 金木病院によると、同医師は09年4月末に退職したという。同病院の石戸谷鏡治事務局長は「ご遺族の方には誠意を尽くして対応してきた。書類送検については警察から連絡が来ていないためコメントできない」と取材に答えた。

 病院側は同医師の名前や年齢、現在の勤務先を明らかにしていない。

 県健康福祉部の石岡博文次長は「今回のような医療過誤はめったにないが、金木病院は医療安全に対する取り組みが甘かったと言わざるを得ない。金木病院に限らず、医療機関には安全対策の責任を全うしてもらいたい」と話した。

入院患者の処方を出す手順と言えば病院ごとに多少の違いはありますが、通常医師が指示を書いて看護師がそれを受ける、そしてそれが薬局に回って薬となって病棟に届き、看護師から患者の手にわたるということで、途中で改めて医師のチェックを受ける機会というものは普通ありませんよね。
医師自身が誤った処方を書いたというのならともかく、全く与り知らぬところで間違っていたものまで責任を取らされるのではかなわないと言う声が上がったのも当然ですけれども、金木病院ではこの対策として事務が入力した処方箋を医師が再確認するということになったということなんですが、これで万事抜かりなしとは残念ながら言えません。
今回の場合たまたま入力の段階でミスがあったわけですが、ミスが起こるのは薬局で隣の薬と取り違えたなんてこともあるかも知れませんし、患者に渡す段階で別人の処方と取り違えるということがあるかも知れない(実際これが多いのです)、そうなると最後の患者に手渡す段階でもこれは指示通りの処方で間違いないと確認しなければ「確認していなかった罪」を免れ得ないことになってしまいます。

金木病院の件では結局医師を含め関係者四人ともが起訴猶予となったそうですが、ここでも「最終的に処方したのは医師」であって、地検としては実際に入力ミスを起こした事務職員よりも医師の責任を厳しく問う論調であるということに留意ください。
要するに医者というものは医療現場における司令塔役として相応の権力と共に責任を負っていて、列車が脱線すればJRの社長が罪を問われるといったのと同様に現場での行為の責任が問われる可能性があるというのが、世間における医療というものの認識であるということを肝に銘じておかなければならないわけです(そうまで言うならスタッフの人事権も渡せだとか、皆さん色々と言いたいことはあるでしょうけれどもね…)。

業務上過失致死容疑で送検の医師ら4人を起訴猶予 青森の誤投薬事件で(2010年5月24日産経新聞)

 青森地検弘前支部は24日までに、青森県五所川原市の公立金木病院で平成20年6月、入院していた70代の女性に誤った薬を投与し、死亡させたとして業務上過失致死容疑で書類送検されていた30代の男性医師と女性看護師ら計4人を起訴猶予処分とした。処分は21日付。
 地検は医師について「責任を取って退職している。病院から遺族に慰謝料が支払われ、遺族の感情は当時より回復している」と説明。看護師と女性事務職員2人については「過失はあるが、最終的に処方したのは医師。それぞれ反省している」とした。
 地検によると、医師の指示書に基づき事務職員が処方箋(せん)を作成した際に、薬を間違えた。医師と看護師は薬を確認せずに投与したという。

こういう患者の場合あらかじめ薬をパッケージから外して投薬の時期毎にひとまとめにする(一包化)とか、更には粒の薬を粉砕して混ぜてしまうということも行われるわけですが、そうなると後で見ても確認が難しいのは当然ですから、医者が確認しなかったことの責任を問われ対処を迫られるというのは実は真面目に受け取るほど、現場にとっては対処が大変な話です。
さらには金木病院ではそうでもないのかも知れませんが、俗に「三分診療」などと揶揄されるような日本の医療現場では医師がオーバーワークなのがデフォですから、「取り違えなんてトンデモナイ!やはりきちんと医者が確認しなければ!」なんて新たな義務を課していけばいくほど過労状態に追い込まれ、更なるケアレスミスを呼ぶという悪循環に陥りやすいのですね(実際、そういう施設も多いものですが)。
そうは言っても確かに金木病院のようなノーチェックというのはいささかどうよ?と思われても仕方がありませんから、全国の医療現場でもこれを他山の石として何かしら現実的な方法論を考えなければなりませんが、これは大きく支持受け側での確認と指示出し側での確認とに分けて考えるべきなのでしょう。

支持受け側の作業で発生するミスは金木病院の事例のような転記など作業上の単純ミスが多いわけですが、当然ながらこうしたミスは理屈ではないだけに如何に確認作業の実を上げるかというところが課題になってきますが、まずは間違いやすい薬品名を職員一同周知徹底しておくというのは基本ではあるでしょう。
おおむね多忙な時ほどミスは生じやすいものですが、作業中にきちんとチェックシステムを組み入れようとすれば当然それだけのマンパワーも必要となるわけですからゆとりある人員配置が望ましいのはもちろん、確認作業をコスト的にも供給的にも人員確保の難しい医療専門職だけに頼るのが果たしてベストなのかという疑問はあります。
患者から遠い場所での確認作業は目の前のカルテや処方箋を見てやるしかないわけですから、用量チェックなどコンピューターにやらせた方がいいようなものを除けば基本的に要求されるスキルは間違い探しのそれに近いわけで、むしろ今回の事例のようにところどころに挟まる非専門職にスキルアップしてもらう方が費用対効果は高いようにも思えます。
また転記など中間作業のステップ数が増えれば増えるほどミスの入り込む余地も増えるわけですから、医師の医師が受けるべき対象にダイレクトに伝わるよう指示出しのシステム自体をなるべくシンプルにすることも重要でしょうが、逆に直接患者を知っている看護師らによるダブルチェックが働きにくくなる可能性もあって、この場合は薬が届いた時点でのチェックに重点を移して対応するべきなんでしょうね。

一方で指示出し側の処方ミスというのは出した医者の側のこれで正しいはずだという思い込みが一番の大敵なのですが、それがどんな意図で出された処方なのかを理解していなければ間違いかどうかの確認も行い難いわけですから、例えば処方箋に薬剤名だけでなく何の薬かと簡単な注釈が入るだけでも今回のようなあからさまな誤投薬は減るのかも知れませんね。
理想論を語るなら同程度に患者の状態に精通した医師二人以上によるダブルチェックですが現実問題難しい、そして仮に行ったとしても(実際国公立病院などではやっているところがありますが)例えば指導医と研修医といった上下関係の中では、上司の処方に疑問を抱いてもそういう教科書的でない薬の使い方もあるのかと、実質ノーチェックで済ませてしまいがちですよね。
現実的に多くの施設で行われているのは看護師によるダブルチェックでしょうが、これもきちんと患者の状況が判っている担当看護師がチェックするのが望ましいのは言うまでもなく、そして処方に疑問点があれば「先生、これはどうしてこの薬を使うんですか?」と即座に確認出来るようでなければやはり同様の問題が生じるでしょう。

そう考えてみますと指示出し側の問題というのはスタッフ間での知識や情報の共有もさることながら、疑問点をすぐ確認できるような相互の人間関係が重要でもあるし、医師もチーム全体の知識量を底上げしておくことが結局自分の身を守ることにつながるわけですから、普段からカルテ書きで何を目的にどんな治療をするといった治療方針を分かりやすくスタッフに示して行く必要もあると言うことでしょう。
このあたりはカルテの日本語による平易な記載などとも通じる話ですが、結局万人に理解できるような情報発信とその共有がミスを減らす効果を期待できる一方で、往々にして現場での律速段階となっている医者の作業に更に余計な手間を加えることになるデメリットとの間に、どういう折り合いをつけるべきかの判断になりそうですよね。
しかし多忙な時ほど知恵を使って業務を効率化しろとはどこの業界でも言われていることですけれども、医者なんて人種はなまじ偏差値の高い人間も多いだけに「俺はこんなに深く考えて仕事をしてるんだ!」と変なプライドがある人間も多いもので、こういう業務改善なんて話になってくると「お前らに何が判る!」と一番の抵抗勢力になりがちなものですけれども、ものは考えようだと思いますね。

部長や師長なんて現場から遠い人たちがやってる医療安全なんとかかんとか委員会なんてものがひねくりだしてきたような、単に仕事が増えて作業が煩雑になるだけで一体どんな役に立つのか意味不明な改善策なるものを無理やりやらされるくらいなら、実効性もあって現場の負担が減る(そのこと自体がミスの減少につながるはずですよね)対案を考えておいた方がずっと健全だし楽でしょ?ということです。
よく出来たシステムの常で立ち上げる時には相当な面倒に追われることになっても、ひとたび出来上がると格段に業務が効率化するということはあるわけですから、医療現場もそろそろ個人の資質頼りではなくシステマチックにやっていくよう改善していくべきなのでしょうし、そういう方面を研究し良いアイデアを出してくる人材も業界内外で育ってきても良さそうに思います。
医者といえば新しい薬や治療法の導入という点では皆さん柔軟性があるというより貪欲と言ってもいいくらいなんですから、このあたりのシステムとしての医療にももっと目を向けて検証していけば、案外安上がりに劇的な業務の改善効果が期待出来るような盲点が見つかってくるかも、ですかね。

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