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2010年6月22日 (火)

僻地医療問題だって簡単に解決するっ!?

全国どこにでもありふれた光景と言えばそれまでですが、こんな記事が出ていました。

医療過疎 見えぬ打開策 /福井(2010年6月21日読売新聞)

休廃校増加、伝統行事に影響も

大野市の中心部から南東に約20キロ、深緑のにおいと霧の漂う山あいの集落に、古びた民家や商店がぽつりぽつりと点在する。緩やかな坂を上ると、白っぽい平屋の建物が姿を現した。同市朝日の「和泉診療所」。旧和泉村にあたる地域で唯一の医療機関だ。

 「痛めた腰の調子はいかがですか」。医師の銅(あかがね)愛所長(32)の笑顔に、患者の表情が和らいだ。大きめの窓から差し込む光が、診察室を明るく照らす。医師1人に看護師1人、胃カメラさえない診療所だが、病気の治療から健康診断、高齢者の往診まで、あらゆる医療を一手に担う。住民にとってはまさに〈命の砦(とりで)>だ。「住み慣れた村を一生離れたくない」という近所の男性(49)は、「近くにお医者さんがいるだけで安心」と喜ぶ。

 旧和泉村地区の人口は1日現在、594人10年前と比べて約3割少なく、65歳以上の高齢者が3分の1を占める。県内でも過疎化の著しい地域の一つだ。

 県によると、65歳以上の高齢者が5割超の中山間地域「限界集落」は4月1日現在、95か所で、2年前から10か所増えた。働き盛りの若者はいなくなり、地域からはますます活気が失われていく。

 中でも深刻なのが〈医療過疎〉。住民の命を守る医師の数が減り続け、都市部との格差は広がる一方だ。

 県の調査では、50人以上の住民がいて、半径4キロ以内に医療機関のない「無医地区」は県内で10か所ある。空白を埋める「へき地診療所」が13か所あるものの、医師の常駐は4か所にとどまる。県の担当者は「民間の医療機関では採算が合わず、自治体が赤字覚悟の運営を強いられている」と説明。さらに「大病院でさえ医師不足が深刻で、診療所まで手が回らない」と本音を漏らした。

 人口減少と高齢化に悩む過疎地では、子どもが遊び回る風景も減りつつある。県教委によると、2006年度以降、県内で新設された公立小学校が1校なのに対し、休廃校は10校に上る。若年層が減少すれば、地域の伝統文化がすたれる心配もある。おなかの前で太鼓を打ち鳴らしながら踊る敦賀市の「太鼓踊」など、担い手や資金の不足で休止している祭りが少なくない。

 国土交通省がまとめた1月1日現在の公示地価の下落率(全用途)は、過疎化が深刻な大野市が7・9%、勝山市が8・4%に達した。県不動産鑑定士協会の梅田真副会長(51)は、地価を「地域の社会・経済的な位置付けを示すバロメーター」と定義したうえで、「過疎という構造的な問題を抱えた地域は、今後も地価の回復は見込めないだろう」と指摘した。(おわり 高橋健太郎、小野隆明、青木さやかが担当しました)

読売新聞と言えばかねてから「国は医師強制配置を強力に推進せよ!」なんて社説でまで取り上げている会社ですから、こういう記事をどこにつなげていきたいのかということは話が見えていますけれども、注目すべきは医療過疎というタイトルと裏腹にこの旧和泉村集落の問題点は、医療過疎ではなく単なる(と言っては失礼ですが)過疎問題であると言うことでしょうか。
過疎化が進行し数々の社会資本も崩壊しているこの地域にあって医師数に関しては実は1人/594人すなわち人口十万人あたりで168人と、厚労省統計による全国平均約200人/十万人とそう見劣りしない水準が維持されている(埼玉や千葉など首都圏より多い!)わけですから、むしろ医療に関してはこんな僻地の割によく維持されていると言ってもいいほどだと思います。
実際に銅先生にしても診療所で都市部大病院の医師ほどの仕事量があるとも思えませんが、それでも近所に〇〇科がない、遠くて通うのに不便であるといった不満がある以上は医療過疎であるとするならば、それでは医療過疎の定義とはなんなのかというところにまで遡って議論していかなければならないでしょうね。

例えばアメリカと言う国では日本以上に医療から物理的に隔絶された地域が多く、その分昔から飛行機やヘリコプターが患者搬送に活用されてきたと言っても日本よりもずっと医療へのアクセスが悪い地域が多いのですが、それでも医療過疎だということはあまり大きく言われてはいません。
医者からも遠く離れた僻地に住み暮らすのも各人の自由というわけで、何事も自己責任という考え方が徹底しているということもあるのかも知れませんが、わざわざ田舎に住んでいるのは単に不便なだけでなくて他に何かしら得ているものも多いからなんでしょ?という発想で、全国どこでも同じ街並み、同じ社会資本がなければ地域格差だ!と大騒ぎする日本とは根本的にものの考え方が違うということですよね。
人間が少ない、社会資本も劣っていると言う観点から見れば田舎は都市部に劣っているのだというのもひとつの価値観ですが、単なる優劣以外の価値観もあるのではないかと考えた場合に、全てを横並びのデータで平均値に近づけなければよしとしない考え方だけが正しいのかと考え直してみることも必要でしょう。

よく言われる半分ジョークというネタで、大金をかけて僻地に道路を通し病院を始め社会資本を整備するくらいなら、住民全部を都市部にそっくり移住させた方がよほど簡単で安上がりだという声もありますけれども、実のところそうした考えもひとつの考え方ではあるんですよね。
最近ちょっとしたブームのコンパクトシティなんて発想も、その考え方のひとつに行動範囲の狭い老人などの社会的弱者ほどインフラの集積した都市部に住むべきだと言う考え方がありますが、あちらにパラパラ、こちらにパラパラとインフラが散財している僻地集落が「自然が豊かから」と言って、お年寄りに優しいとは決して言えないのも事実です。
データだけで話をするのであれば公共のお金をわざわざ非効率に使えと言っているに近いわけですから、いきなり仕分け対象とまでは言わずとも説明責任が求められるのは今の時代仕方のないところで、過疎地住民としても単に社会的弱者であり保護されて当然であると漫然と考えているだけでは駄目で、この地域を維持することがこれだけのメリットにつながりますとどんどん自己主張をしていかなければいけないということでしょう。

僻地ネタを語りだすとまた脱線しましたけれども、本日の本題は実はそういう話ではなくて、先の読売の記事と対比するかのようにこれまた最近出ましたこちらのニュースの方なんですね。

弁護士過疎地、年内解消へ 日弁連、派遣基金種まき10年(2010年6月21日産経新聞)

 ■公設事務所開設「都会よりやりがい」

 日本弁護士連合会(日弁連)が弁護士過疎地に弁護士を派遣する「ひまわり基金」が今月で丸10年を迎えた。公設事務所の開設を進めた結果、71あった過疎地は5カ所にまで減少した。最近の弁護士人口の急増も手伝い、赴任希望者やそのまま現地に定着する弁護士も増えており、過疎地の完全解消という悲願も年内に達成する見通しだ。

 全国の50地裁には計203支部が置かれている。このうち管内に弁護士がゼロまたは1人しかいない過疎地域は「ゼロワン地域」と呼ばれる。

 日弁連は平成11年、過疎地の住民が弁護士に相談できず泣き寝入りを強いられるとして、過疎地の解消に取り組むため、会員から特別会費を集めてひまわり基金を創設。公設事務所を設け、3年交代で弁護士を派遣する事業をスタートさせた。

 ちょうど10年前の12年6月に島根県浜田市に第1号事務所を開設。以後、北海道稚内市から沖縄県石垣市までゼロワン地域を中心に102カ所に設置し、このうち27カ所で弁護士が定着したという。

 近畿で初めて開設された「宮津ひまわり基金法律事務所」(京都府宮津市)に約4年半勤めた後、今月1日に現地で弁護士法人を立ち上げた藤居弘之弁護士(38)は「都会に比べて依頼者や相手方と近い距離で紛争解決に当たれるのが魅力。一つ一つの事件にしっかりとした手応えを感じられるところにやりがいがある」と話す。

過疎地赴任を希望する若手弁護士や司法修習生も増えている。今年3月の現地見学会には募集定員を大幅に上回る約60人が参加。バスを2台に増やした。

 来春の赴任に向け研修中の上原千可子弁護士(28)=大阪弁護士会=は「都会で埋もれるより若くても必要とされる過疎地で思う存分力を発揮したい」と意気込んでいる。

 一方、18年4月に設立された国の機関、日本司法支援センター(法テラス)も同様の対策を進めている。弁護士過疎地に事務所を設置し、3年任期で弁護士を派遣。現在、ゼロワン地域を中心に全国26カ所に広がった。

 法テラス常勤弁護士総合企画課の赤羽史子課長は「資力が乏しい市民へのバックアップなど日弁連では難しい案件をカバーするなど協力し合っている」として、残り5カ所の過疎地も日弁連と分担設置する方向で協議しており、年内にも解消するという。

 日弁連過疎偏在総合政策検討ワーキンググループの斎藤ともよ弁護士=大阪弁護士会=は「成年後見制度に精通した弁護士を派遣するなど、実質的な過疎解消という共通の目標に向かって今後も法テラスと連携していきたい」としている。

このひまわり基金というもの、日弁連がお金を出して各地の弁護士過疎地に公設の事務所を開くというもので、開設のみならず運営資金も援助するというのですから、言ってみれば僻地診療所を医師会が独自にお金を出して運営しているようなものでしょうか。
僻地と言っても弁護士事務所の場合はその密度から言って地方都市在住となるわけですから、市部から郡部へ日替わり出張診療をしているような感覚に近いのかも知れませんが、弁護士法に規定されている団体とは言え単なる弁護士の自治団体がこういう公的な仕事をやっているというのはなかなか興味深い話だと思います。
もちろん医師会などと違ってこちらは強制的に全員加入の組織であって、弁護士の懲罰権など強力な権限を握っているからこそという側面があるのは否めませんが、それでも職にあぶれるほどの弁護士過剰養成という布石を打ち、強力な配置権限を活用して事に当たればわずか10年で司法僻地が解消したというのは、一部の方々にとって非常に「使いでのあるネタ」ではありますよね。

弁護士の場合は医者と違って「歩いていける距離にいてもらわなければ困る」なんて言われることもないでしょうし、日常的な需要の差ということを考えても要求される配置密度は随分と違ったものになりそうですが、僻地を支持基盤に持つどこぞの議員さんなりが「弁護士がやれたことを医者はなんで出来ないんだ!」なんて言い出したらどうでしょう?
読売新聞あたりに「日弁連の発揮した強力な指導力を思うとき、日医の努力には正直物足りなさが残るとの思いを禁じ得ない」なんて社説に書かれてしまった日には、日医執行部の方々が「医師会ももっと強力な権限を発揮していかなければ社会的期待に応えられない」なんて妙に発奮しちゃった日にはどうなるんでしょう?
あるいは遠からず政権与党の誰かあたりが「医師数をこれだけ増加させても僻地の医療は先細る一方である。何らかの強制的な医師配置への方法論が必要だと結論せざるを得ない」なんてことを言い出した日には、これが総務省あたりの地方公立病院支援計画と結びついてしまった日にはどうなるんでしょう?

僻地にも一定の医療資源は保証されるべきであるというのは今のところ一定の社会的コンセンサスを得ているように見えますから、そうなりますといずれ誰かが「それでは強制的に資源配置を」なんて言い出す日に備えて、現場の負担を許容範囲内に抑え公平性も最低限確保できるような方法論を考えておかなければならないでしょうね。
現実問題として仕事のない場所に駐在さんよろしく医者を張り付けにしておくのは、無駄という以前に医療需要の逼迫した地域住民に対する逆差別にもなりかねませんから、センター病院から週何回といった派遣診療のスタイルになるにせよ、まず客観的な需要把握とそれに見合った適正量の医療供給という原則は守られるべきなのではないかと思います。
「お医者さんがいてくれるだけで安心」なんてところまで応需して一日田んぼを眺めている医者ばかり増えていたのでは、いざという時に必要な医療すら全く行えなくなってしまい皆が共倒れになりかねないわけですから、このあたりはまず住民への教育ということがなにより最優先で行われるべき話になってくるのでしょうね。

いずれにしても「昔はこの村にもお医者さんがいたんだからずっといてもらわないと困る」という地域の状況変化を無視した話でも困るし、「僻地医療など適当に若い医者を送り込んでおけばいいんだ」なんて老権力者の人身御供思考でも困るとなれば、そろそろ医療提供をする側にしても何かしらの対案を先に出しておいた方がよさそうだということですよね。
このところ医療への民間参入なんてことが盛んになってきていますから、例えば僻地巡回診療を売りにする移動クリニックをやってみようなんて団体もあったら面白いかなとも思うのですが、採算性を考えると混合診療禁止の原則をどう回避して僻地割増料金を頂戴するかに知恵を絞る必要はありそうです。
そう考えると弁護士にしても医者にしても田舎で頑張ってやろうと考えている人材は一定数いるわけですが、とりわけ医療の場合は「全国どこでも同じ医療を同じ価格で」という医療を保証するための大原則こそが、採算性の厳しい地域にとって今や足かせにもなりつつあるとも言えるのかも知れませんね。

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