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2010年6月24日 (木)

思いがけないところから飛び出した思いがけない話

全く今日の主題に関係ない話ですが、南アフリカで開催中のサッカーワールドカップ一次リーグ最終戦で、日本がデンマーク代表と決勝トーナメントへの勝ち上がりをかけた勝負をすることになりました。
そんなこんなで先日新聞のスポーツ欄をつらつらと眺めていましたら、ちょうどデンマーク代表に関するこんな話題が出ていましたんですね。

さあ最終決戦…デンマークはリラックス(2010年6月21日デイリースポーツ)

 【サッカー日本代表 密着レポート】
 本日は日本代表が完全オフということで、運命の最終戦の相手デンマークを取材にジョージから車で60キロ離れたリゾート地ナイズナへ。1次リーグ突破へは勝利のみが条件となるだけに、さぞかしピリピリしているのかと思えば、選手たちはみな拍子抜けするほど、リラックスした様子。
 練習前の取材にも気さくに応じてくれ、FWトマソンは「日本から来たの?日本はいい国だよね。日韓W杯にはいい思い出(4得点)があるから」と、笑顔。あまりのナイスガイっぷりに完全に毒気を抜かれてしまった。
 ちなみに戦争の荒地を我慢強く開墾し、農業と牧畜とで国づくりを行ってきたデンマーク人の気質は「温厚でユーモアを好む」「弱者への配慮に富む」に加えて「争いを好まない」なんだとか。まあ24日はそういうわけにはいかないんでしょうが…。

今やチームの大ベテランとなったこのトマソン選手の「いい思い出」という話を聞いてすぐに思い出したのが、今を去ること8年前の2002年のワールドカップ当時に話題になったデンマーク代表のキャンプ地和歌山県でのエピソードです。
ただこのネタ、その後本にまでなるくらいに人口に膾炙したのはいいんですが、上記の記事にも登場する一方の主役トマソン選手がその後インタビューで語ったところによれば「その話は知らないし、そもそも僕は一人っ子」だと言うことですから、どうやらフィクションだったようなんですね(残念!)。
2002年の大会と言えばこういう話も記憶に残っていますけれども、思い出しますと日本サッカー界が世界に向かって登り続けていたあの時代というのはサポーターも夢と希望に満ち溢れていたし、今にして思うといい時代でしたね。

そうした余談はともかく、2009年2月に起きた北海道での殺人で懲役9年の有罪判決を受けた事件の控訴審で、何やら非常に興味深いことが起こったようですね。
一審の記事を見る限りでは、どこにでもあるありふれた事件という感じでの扱いであるらしいところを見ても、当時はそんなにもめるような話とも考えられていなかったのでしょうが、控訴審は思わぬ爆弾投下となったようです。

「治療適切なら救命も」 殺人事件で解剖医証言(2010年6月22日47ニュース)

 同居の男性を刺殺したとして殺人罪に問われ一審で懲役9年とされた無職出口志津子被告(40)の控訴審公判が22日、札幌高裁(小川育央裁判長)であり、司法解剖を担当した医師が、搬送先の病院が適切な治療をしていれば「助かった可能性があった」と証言した。

 医師は弁護側証人として出廷した旭川医大の清水恵子教授。証言は、殺意や刺傷行為と死亡の因果関係を否定した被告側主張に沿った内容で、殺人罪の成否をめぐり二審の判断が注目される。

 清水教授は証人尋問で、男性の搬送先の病院が、胸部にたまった血や空気を適切に除いていれば救命可能性があったとした上で、司法解剖の鑑定書に記した同趣旨の指摘について「(検察に)一部削除を求められた」と明かした。

 また、一審判決は「首に向け包丁を振り下ろした」として殺意を認定したが清水教授は「刃の向きは水平だった」と指摘。「解剖内容を理解してもらっていたら、(判決は)違った」と述べた。

司法解剖医、検察立証に反論…興部殺人控訴審(2010年6月23日読売新聞)

 北海道興部町で昨年2月、同居中の男性(当時38歳)の首を包丁で刺して殺害したとして、殺人罪に問われ、1審・旭川地裁で懲役9年の実刑判決を受けた同町、無職出口志津子被告(40)の控訴審公判が22日、札幌高裁(小川育央裁判長)であった。男性の司法解剖をした医師が弁護側証人で出廷し、「犯行状況や死因が異なる」として、1審の認定事実を否定する証言をした。司法解剖を担当した医師が、弁護側証人として検察側立証に反論するのは異例

 1審判決は、検察側の主張通り、出口被告が包丁を振り下ろし、男性の首に突き刺したことで、「出血性ショックと左肺血気胸で死亡した」と認定し、「被害者が死ぬかもしれないという殺意を持って突き刺した」と殺意も認めた。

 これに対し医師は、「包丁は振り下ろされたのではなく、水平方向から刺さった」と指摘し、死因も「大量出血を起こす損傷はなく、輸血も十分だったので出血性ショックにはならない。病院で適切な処置がされていれば助かった可能性が高い」と述べた。

殺人事件の死因否定 札幌高裁 司法解剖の教授証言(2010年6月23日北海道新聞)

 オホーツク管内興部町で昨年2月、同居の男性を包丁で刺殺したとして殺人罪に問われた同町興部、無職出口志津子被告(40)の控訴審第2回公判が22日、札幌高裁(小川育央裁判長)であった。男性の司法解剖を担当した旭医大の清水恵子教授の証人尋問が行われ、清水教授は鑑定書に記載した死因について、一審旭川地裁の初公判前に旭川地検から削除を求められたことを明らかにした。

 清水教授は22日の公判で、男性の死因は一審判決が認定した出血性ショックなどでなく、「搬送先の病院が適切な処置をしなかったことによる緊張性血気胸だった」と述べた。弁護側はこの証言を基に、男性にけがをさせたことと死亡の因果関係は証明されていないとし、殺人罪でなく傷害罪に止まり、執行猶予が相当と主張した。

 旭川地検は、異例だが一審で清水教授の鑑定結果を証拠請求せず、男性が搬送され死亡が確認された病院の医師の所見をもとに、死因を出血性ショックと左肺血気胸と主張。弁護側も死因について争わず、一審は地検の主張を認め、出口被告に殺人罪を適用し、懲役9年(求刑懲役13年)を言い渡した。

 22日の証人尋問で弁護側証人として出廷した清水教授は、「男性は(病院で)輸血を受けており、(その後)出血性ショックになるはずがなかった」と指摘した。

 また、犯行の状況について一審は、首の傷について「上から振り下ろした」として殺意を認定したが、清水教授は「包丁を(首と)水平に突き出してできた」と証言し、一審判決の事実認定を否定した。弁護側は、出口被告が包丁を持った手を反射的に伸ばした際に刺さったと主張した。

 清水教授は、搬送先の病院で適切な処置が行われなかったことが直接の死因とする司法解剖の鑑定書を旭川地検に提出したが、地検は死因について記載の一部削除を求め、拒否したと述べた。

 弁護側によると、同地検は鑑定書を証拠申請しなかったという。

 控訴審から担当した弁護人は「一審段階で取り調べるべき(鑑定書の)証拠が調べられず、(一審は)事実を誤認した」としている。

 旭川地検の鈴木慎二郎次席検事は取材に対し、「鑑定書の扱いについて詳細を把握しておらず、答える段階にない」としている。

「司法解剖を担当した医師が、弁護側証人として検察側立証に反論するのは異例」ということですが、「鑑定書に記載した死因について、一審旭川地裁の初公判前に旭川地検から削除を求められた」という話が事実だとすると、これが拒否された結果地検としては殺人罪立証に都合の良い病院側の証拠を出してきたという筋書きになるのでしょうか。
殺意の有無やら法廷戦術やらの話は当「ぐり研」の扱うべき範疇でもなさそうですから置くとしても、司法解剖医が治療次第で救命の可能性をどうこう言うというのも随分と違和感のある話だなと思って記事を読んだのですが、この先生の業績を見てみましても救命可能性を云々できるほど救急医療の実際に通じている方とも思えないのですけれどもね?
「男性は(病院で)輸血を受けており、(その後)出血性ショックになるはずがなかった」なんてことも記事には書いてありますが、これだけ聞くと「毎年健診を受けているのに何故胃癌になったんだ?!」レベルの発言とも取れるような話で、どのような判断でそういうご発言をされていたのかと気になるところです。

清水教授の救命可能性に関する主張の是非は鑑定内容や実際の法廷での証言の様子なども判らないことにはなんとも言い難いのですが、そうしたゴシップ的側面を置いてもこの件で非常に興味深いなと思ったのが、以前から半分ネタで言われていた「殺人事件の犯人が被害者を救命出来なかったせいで殺人罪にされたと病院を訴える」といった話がいよいよ本当になるのかなということです。
以前にも少しばかり取り上げたことがありますけれども、多少異なった経緯ながら病院が殺人事件の加害者側から訴えられるという事例はすでにあったわけで、少し長くなりますがこの「加害者と被害者双方から訴えられる病院」の話も関連記事とともにもう一度紹介しておきましょう。
ちなみに同裁判に関しては当事者の方の経時的な報告が公開されていますので、併せてご参照いただいてもいいかと思います。

香川町男性刺殺、病院側争う姿勢/損賠訴訟(2009年2月3日四国新聞)

 2005年12月、高松市香川町の駐車場で高知市の会社役員矢野真木人さん=当時(28)=が刺殺された事件で、殺人罪などで服役中の男性受刑者(39)の両親が、受刑者が事件を起こしたのは、当時入院していた高松市内の精神科病院が外出禁止など必要な措置を取らなかったためとして、運営する医療法人と主治医に慰謝料2000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が2日、高松地裁(吉田肇裁判長)であった。

 病院側は「犯行は精神症状に導かれて引き起こされたものではない」などとする答弁書を提出。両親側に請求の棄却を求め、全面的に争う姿勢を示した。

 訴状によると、受刑者は04年10月、統合失調症の治療で同病院に入院。病院側は受刑者が同症の影響で強迫観念に基づく興奮状態になることを分かっていながら、外出禁止措置や看護師を付き添わせるなどの診療義務を怠り、05年12月6日、病院から単独で外出中の受刑者が事件を起こした。両親は精神的苦痛を受けたとしている。

被害者の両親も、同病院の監督義務違反を訴えて係争中で、高松地裁は2日、2つの公判を併合した。


揺らぐ精神障害者の開放処遇~殺人事件の波紋~(2005年12月18日四国新聞掲載) より抜粋

(略)
厳しい現実=人権と安全・安心の間で

 矢野さんを殺害したとして逮捕された男が、精神科病院に入院したのは昨年十月。自ら希望した「任意入院」だった。
 男は当初、興奮しやすい状態で、かぎの掛かる「閉鎖病棟」にいたが、約一カ月で「開放病棟」に移り、退院に向けた訓練を開始。金銭管理トレーニングなどを経て、日中の二時間、一人での外出が認められるようになった。
 男が突然の凶行に及んだ理由は明らかになっていない。送検後の取り調べでも供述は安定せず、近く精神鑑定を受ける見込みだ。男の主治医でもある院長は、「入院中、暴力的な行動は一切なかった。命令的な妄想も認められず、犯行はまったく予見できなかった」と話している。

高い自由度

 「入院中、あなたの処遇は開放的に行うよう努めます」「不明な点、納得のいかない点がありましたら、遠慮なく申し出てください」
 精神科病院に患者本人の意思で入院する「任意入院」の場合、こうした趣旨の告知が文書とともに行われ、患者は原則として、病棟や病院を自由に出入りできる「開放処遇」を受ける
 開放処遇そのものに明確な基準はない。現実は医師が病状などに応じて患者の自由度を個別に判断している。外出も許可制だ。しかし、あくまで患者の同意の下、人権を確保しながら最適な治療を行うのが大前提。「閉鎖処遇」は自傷他害の恐れがあるケースなどに限られる。処遇に不満があれば、いつでも退院できる点は一般の病院に入院する場合と変わらない。当然、退院の近い患者の自由度は高い。逮捕された男は来年一月にも退院予定だった。
(略)

脱施設化へ

 「人権の擁護」「社会復帰の促進」をうたい文句に、日本の精神医療政策は今、病院での入院治療から抜け出そうとしている。一九九〇年代以降の傾向として、右肩上がりで増え続けていた全国の精神病床数が微減に転じた一方、任意入院の患者数は増加している。
 政策転換のきっかけの一つが、八四年に宇都宮市で起きた「宇都宮病院事件」だ。看護助手らの暴行で患者二人が死亡したことが発覚し、隔離された閉鎖病棟の在り方が問題化。これを契機に八七年、通信・面会の制限などがあった従来の精神衛生法に代わり、任意入院制度などを盛り込んだ精神保健法が成立した。
 同法は九五年に精神保健福祉法に改正。精神障害者が障害者基本法(九三年)の対象として明確に位置付けられ、社会復帰施設やグループホームの充実など「地域での自立した生活」に向けた福祉施策が求められるようになった。
 国がこうした政策転換を急ぐ背景には、日本の精神医療が世界の流れから取り残されている状況もある。六〇年代から、「脱施設」を掲げて病床数を減らしてきた欧米各国と比べ、日本の人口当たりの病床数は依然数倍多く、入院の長期化や患者への人権侵害など、看護コストの低い閉鎖処遇が招く問題は解消されていない

遅れる対策

 「国の方針通り積極的に開放処遇を進めれば、必然的に『事故』は多くなる」。患者の人権尊重とトラブル防止の責務。事件を受けた医師たちの言葉からは一様にジレンマがうかがえる
 同様の事件を防ぐ手たては何か。望ましいのは手厚いケア体制だが「はっきり言って遅れている」。県立丸亀病院の近藤健治院長が強調するのは精神医療の水準の低さ。代表例が入院患者数に対する医師や看護師らの配置基準が一般病院より少なくて済む精神科特例。特例は二〇〇一年三月に一応廃止されたが、五年間の経過措置がある上、「一般病院の三分の一」という医師数の最低基準は据え置かれた。
 また、〇三年の国民医療費に占める精神医療費の割合は5・8%。全入院患者数の四分の一が精神科であることを考えるといかにも少ない。「予算的にはまったく理念に追いついていない」。近藤院長は現状をこう指摘する。

さまざまな思い=向き合う上質医療を 地域の信頼関係も大切

 「相当ショックを受けた精神疾患の患者さんもいた。中には避難のため入院したいと打ち明ける通院患者も」
 ある精神科医は、今回の事件が患者に与えた衝撃の大きさを語る。また「(患者の)お母さんがうちの息子は大丈夫か。入院させるべきか」と相談に来たとも。
 福祉関係者の一人は、「どうにも、ふに落ちない」と首をかしげる。詳細は分からないけれど、と前置きしながらも、患者はきっとサインを出していたはず。それを見落としたのが悔やまれるというのだ。
 「患者は、自分の状態が良くないから入院を希望して治療を託した。何人ものスタッフがかかわっていて見落としたのであれば、病院の責任は重いと思う」とも話す。
 前県精神保健福祉センター所長で精神科医の花岡正憲さんは、「もし病状悪化が原因による行為(刺殺)であるなら、病院は遺族に対してでなく、患者に対して謝罪すべき」と話し、病院側の患者に対する視点の欠如を疑問視する。

はらむリスク

 一方、病院側の立場は違う。日本精神科病院協会県支部長で三船病院(丸亀市)の三船和史院長は、国の施策に基づいて退院促進や開放処遇に病院側も懸命に取り組んでいた矢先の出来事と指摘した上で、「開放は常にリスクをはらんでいる」と説明する。
 「どこの病院でもあり得る。万が一はあってはならないが、絶対ないとは言い切れない。患者の病状を十二分に把握していても、パーフェクトは無理な一面もある」と医療現場の事情を話す。
(略)

そう言えばその昔、「風の息づかいを感じていれば(略)」という名?言を残した新聞社もいらっしゃいましたけれども、ここにも見え隠れするのはゼロリスク症候群というあり得ない幻想が生んだ悲劇ということでしょうか。
いずれにしても香川のような精神科医療絡みの事件は素人が考えても色々と社会的にも難しい側面があるのだろうなとは判ると思いますが、北海道の事例のような比較的シンプルな殺人事件においても「やり方次第で助けられた!殺人罪に問われたのは病院のせいだ!」と犯人の側からも突っ込まれる余地はあるということです。

最近では刑事訴訟の判決に納得出来ない被害者側が民事でも訴えるという事例も多いようですが、一般的に殺人を犯すような人がそうそうお金持ちであるとも思えませんから、例え勝訴したところで損害賠償金を回収できる可能性は低いと考えられますよね。
となれば取りやすいところから取ろうと考えるのが民事訴訟というもので、下手をすると加害者側、被害者側が暗黙のタッグを組んで病院を相手に民事訴訟をという構図もあり得るのかも知れません。
そしてその場合問題になるのが、こうした殺人事件などの解剖(司法解剖)を行っているのが病理学者など臨床の現場を知る人間ではなく、全く畑違いで何等の臨床キャリアもない法医学者であるということでしょう。

そもそも法医学者というのは死因を究明するプロではありますが臨床の知識には乏しい、もちろん当初臨床家からキャリアをスタートして法医学に転向した方々も大勢いらっしゃいますが、鑑定書を書く責任者である教授にまで上り詰めるほど長年法医学領域での研鑽を積んできたということは、それだけ遠い昔に臨床の現場からは離れているということでもあるわけですよね。
法医学一筋何十年!なんて方になれば下手をすると学生時代に習ったカビの生えた臨床の知識の欠片しか持っていないことになりますが、そうでなくとも日進月歩の臨床医療の世界において下手な旧知識など有害無益とも言うべきもので、それを前提に救命可能性の是非を云々されるというのも臨床家にとっては悪夢でしょう。
もちろん清水教授の臨床医療に対する知識、経験が如何ほどのものであるかは存じ上げませんが、法医学者が全く世間的にキャリアを認められていない救命可能性などといった話を法廷の場でするというのは、国立医療センター研修医上がりの皮膚科医が内視鏡処置の実際についてコメントするのと同じようなものか、なまじ素人目には権威がありそうに見えるだけにそれ以上に始末が悪いではないのかなという気がします。

最近では医療訴訟の風向きが少しばかり変わってきたなんてことも言われていますが、もちろん大野事件、大淀事件といった社会的関心も高い裁判が続いて医療の実際というものにも目が向けられるようになり、一昔前のような見舞金的な意味合いでの支払い命令というのが減ってきているということも確かにあるでしょう。
しかし他方では「トンデモ判決の陰にはトンデモ鑑定書あり」というくらいで、そんなことをするのは実際に功名心絡みなのか何なのかは知りませんが、およそ臨床現場の常識からかけ離れた鑑定書を書きまくってきた鑑定医の存在も決して無視できないものがあったのは確かだと思いますね。
大野病院事件などもああまで大騒ぎになった背景には、「ミスがあったと書かないと賠償金が出ない」などと無理やり担当医の過失に仕立て上げた県の医療事故調の当初レポートがあったと言われていますが、いざ肝心の裁判では有責だと主張するのは婦人科腫瘍学が専門の検察側証人だけで、日本中の選りすぐりの産科医療の大御所が声を揃えて過失なしと答えたことは記憶に新しいところです。

日本の医学教育カリキュラムでは未だ訴訟関連の教育が不十分で、しかも性善説的な話ばかりになっているのがどうなのかと思っているのですが、いい加減な医療をすれば治ってしかるべき患者さんに取り返しのつかない障害を残してしまうこともあるのと同様、いい加減な鑑定をすれば罪もない誰かに取り返しのつかないダメージを与えてしまうということも、きちんと教育しないといけないんじゃないかと言う気がします。
そして幾ら若い世代に幾ら教育をしたところで、実際の鑑定医として呼ばれるベテランの方々が何らの教育も受けていない鑑定の素人ばかりではお話になりませんから、今後はこの方面でもしかるべき生涯教育の方法論なりについての議論くらいはあっていいとも思うのです。
なんにしろ裁判では双方が自分たちにとって都合のいい鑑定医を探して駆け回るわけですから、どんなトンデモ鑑定でも探せばやってくれる医者の一人や二人は出てくるのでしょうけれども、何かしら公的な資格なり推薦・認定のシステムなりでも考えないことには質の保証など出来ないはずですし、医療に対する国民の信頼を損ねる一因ともなりかねないでしょう。

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コメント

 毎日興味深く読ませていただいております。
 清水先生はきちんとした人格者で、自分の経験の疎い臨床領域に口出しするような浅はかな
人ではありません。中途半端な知識でものをいうことはないと断言できます。
間違ってもトンデモ鑑定書を粗造濫造するようなことはありません。
 おそらく司法解剖時に相当ひどい血気胸があり、死亡原因と推定され
たのでしょう。んでもって血気胸が死亡原因ならば、血気胸の治療が適切に行われて
いれば、もちろん助かった可能性(あくまで可能性)はあったでしょう。
 さきの黒木大先生は自分の専門とは全く無関係の内視鏡領域に対して、
それも自分が全くかかわらなかったイベントに対してコメントしておりましたが、
今回は司法解剖という本人の専門分野であり、そしてまた本人が司法解剖を行ったのですから
なんら問題ないのではないでしょうか。
 過去にトンデモ鑑定書が山のようにあったこと、黒木先生のように他領域のことについて
うかつに口出しする人がいたからといって、清水先生もまた同様である可能性があると
書くのは公平ではないと考えます。

投稿: 旭川医科大学出身者 | 2010年6月24日 (木) 17時53分

血気胸が死因であると言うところまで判断するのが清水教授の仕事で、その先は蛇足ですわな。
病理学の権威が「いやこの担当医の診断は違う」というのはありでも、「いやこの担当医の治療は違う」って言うのは違うのと同じこと。

投稿: | 2010年6月25日 (金) 03時44分

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