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2010年4月24日 (土)

国民皆保険の建前を続けるためには とある事件と絡めての雑感

今日は例によって毎日新聞ネタを取り上げるつもりだったのを少し予定変更して違う話を書いてみようかと思いますが、しかし今週は医療ネタばかりでまるで医療系ブログのような様相を呈しているのは問題ですねえ?
さて、ちょうど少し前にごくひっそりと出てきたこんな記事がありましたけれども、御覧になりましたでしょうか。

射水市民病院の元外科部長、伊藤医師に勧告書…富山(2010年3月30日読売新聞)

延命措置中止で県弁護士会

 射水市民病院の元外科部長、伊藤雅之医師(54)らが不起訴となった延命措置中止問題で、県弁護士会(本多利光会長)が、伊藤医師に対し、延命措置を中止する際は病状や患者の意思について客観的に検証するよう求める勧告書を出したことが29日、わかった。勧告は25日付。

 勧告書では、伊藤医師は2000~5年、同病院で末期患者のうち少なくとも6人の人工呼吸器を取り外したが、取り外すまでの過程が書面などに残されていなかった。このため、患者本人や家族の意思、延命措置中止の妥当性などについて客観的に検証することができず、人権侵害に当たる恐れがある、としている。

 勧告書について、伊藤医師は本紙の取材に「医療の中で『人権』を最重要課題として実践してきた。検察にもそれを認めてもらったからこそ、不起訴の判断が出たはずだ」とコメントした。

 今回の勧告は07年、大阪の市民団体「『脳死』臓器移植による人権侵害監視委員会・大阪」(岡本隆吉代表)が、亡くなった患者の人権を救済するよう、県弁護士会に申し立てたことを受けて出された。

当時それなりに話題になった事件で、当「ぐり研」でも取り上げさせていただいた記憶がありますけれども、いわゆる尊厳死、安楽死といった問題に関しては日医を始め一通りのガイドラインが揃っていて医療の世界ではかなり厳格な運用をするようにという考えが主導的である一方、安楽死をさせて医師が罪に問われたのは昨年末の一件のみと司法的にも決して厳罰主義的ではなかったことも以前に紹介した通りです。
このあたりは日本の場合レスピをつないで濃厚医療を続けたところで高額医療費の上限というものがありますから患者負担は一定額以上にはならなかった、そんな事情もあって家族の方も十分に腹が据わるまで幾らでも「できるだけの医療」を希望することができたという背景もあって、逆に言えばそういう決断をするともなれば余人が介入出来ないほどによほど腹をくくった結果であろうと推測できるだけの社会的土壌があったということの反映なのでしょう。
そうは言っても純粋に法律の文言を眺めてみれば弁護士側としてはこう言わざるを得ないだろうなという話であり、ガイドラインなどに基づいた現代の医療業界内における一般常識からしても伊藤医師の対応こそ異端と言うべき行為なのも確かですが、一方で理屈の上で正しい、正しくないという議論と、感情の上で良い、悪いという話とはまた別の問題であるとは言えるかと思いますね。

さて、ご存知のように最近では不景気だ、失業率の増加だと社会情勢自体が一昔前とは変わってきていて、一昔前には行き倒れくらいでしか見ることのなかった無保険者が医療機関にとって問題となる程度にまで増えてきているという現実があります。
そうした時代にあってなかなかに悩ませるような事件の判決が先日出たと言うことで一般紙にも取り上げられましたので、皆さんも御覧になったのではないでしょうか。

10裁判員:自殺図り、意識戻らぬ長男を刺殺 「母さん頼む」聞こえた(2010年4月20日毎日新聞)

 ◇「高額医療費」を悲観--東京地裁初公判

 自殺を図り意識が戻らなくなった長男(当時40歳)を刺殺したとして、殺人罪に問われた千葉県我孫子市の無職、和田京子被告(67)の裁判員裁判が19日、東京地裁(山口裕之裁判長)で始まった。高額な医療費がかかるのに自殺未遂だと健康保険は原則、適用されない。嫁や孫の将来を悲観した末の惨劇だった。審理を担当する男性2人、女性4人の裁判員は、事件とどう向き合うのだろうか。【長野宏美】

 ◇写真胸に包丁突き立て

 午後1時過ぎ、上下黒の服を着た和田被告が法廷に入ってきた。度々メガネを外し、白いハンカチで目頭を押さえている。長男は妻と息子2人の4人で暮らしていた。息子の運動会に顔を出し、家族で海外旅行にも出掛けていた。近所の人の目には「幸せな家庭」に映っていたという。

 一家に何があったのか。検察側や弁護側の冒頭陳述から、事件を再現する。

 昨年7月15日、長男は勤務先の会社屋上で首をつって自殺を図った。「だまされて人生転がり落ちた」。遺書には、だまされて借金をしたと記されていた。一命は取り留めたが、回復の見込みはほとんどない

 「月末までに医療費500万円が必要です」。7月24日、家族は病院から説明を受けた。1日の医療費は10万~35万円。長男の勤務先からは、自殺未遂だと保険が原則として適用されないとも告げられていた。

 将来を悲観したのは和田被告だけではなかった。「私が呼吸器を外す」。長男の妻は、医師の前で泣き崩れたという。様子を伝え聞いた和田被告は決意した。「産みの親である私が死なせよう」。呼吸器を外しても病院だとすぐ気づかれる。確実に殺そうと考え、40年以上も愛用していた出刃包丁を自宅から持ち出した。胸には長男の写真を抱いていた。

 夕刻の病室に、長男と2人きり。たくさんの管につながれ、頻繁にけいれんする姿を見ていると、「母さん頼む」という息子の声が聞こえた気がした。包丁をつき立てると廊下にいた看護師に「警察を呼んでください」と告げた。

 「義母を恨むことはありません。子供は『バアバがお父さんを天国へ連れて行ってくれたんだね』と言っています」。審理の後半で妻の調書が読み上げられた。判決は22日に言い渡される。
(略)

長男刺殺の母 実刑回避 東京地裁裁判員裁判(2010年4月23日東京新聞)

 自殺を図り意識不明になった長男=当時(40)=を刺殺したとして、殺人罪に問われた千葉県我孫子市、無職和田京子被告(67)の裁判員裁判が二十二日、東京地裁で開かれ、山口裕之裁判長は「自殺未遂後、十日間であきらめ、殺害に及んだのは短絡的」とする一方、「異常とも言える心理状態で犯行に至り、同情の余地は多々ある」とし、懲役三年、執行猶予五年(求刑懲役五年)の判決を言い渡した。

 判決によると、長男は意識不明から回復する見込みがほとんどなく、自殺未遂の場合には精神疾患などがないと治療に保険が適用されないため、医療費が将来にわたって日額十万円以上と高額になった。長男の妻が延命治療の中止を医師に申し入れたが拒まれ、「わたしが人工呼吸器を外す」と訴えたため、和田被告は、長男に手をかけるのは親である自分の責任と考えた。

 山口裁判長は「夫や長男の妻と励まし合い、この局面を乗り越えるべく手段を尽くす余地はあった」としながらも、「精神的に追い込まれていく状況下で、衝動的に、長男の妻や孫を守るためには長男の命を絶つしかないと考えた。実刑にはちゅうちょを覚える」と述べた。

 さらに「被告は深い自責の念を持っている」とした。

 判決によると、和田被告は二〇〇九年七月二十五日、東京都内の病院で、意識不明で入院中の長男の左胸を包丁で四回突き刺し、殺害した。

◆『自分が被告だったら…』 思い悩んだ裁判員

 山口裁判長は判決言い渡し後、「裁判員みんなで思い悩み、この結論に達した。判決は、人を殺すこと自体を是認するものではない。重い有罪判決を受けたことを、(長男の子どもである)お孫さんにもしっかり伝えてください」と説諭した。和田被告は涙を流しながら「ありがとうございました」と述べ、何度も頭を下げた。

 閉廷後の会見では、裁判員を務めた人たちから「自分が被告の立場だったらどうしたか、という結論は出せなかった」などの声が聞かれた。

 補充裁判員を務めた女性(30)は「残された家族のことがいろいろ思い浮かんだ」と話し、会社員の男性(34)は「家に帰ってもずっと事件のことが頭にあった。同じようなことが起こらないよう、保険制度や医療のことを見直していくことが大切」と話した。

この件について病院側が呼吸器を外すことを拒否したのは脳死判定など安楽死のガイドラインに適合しなかったからだと側聞しますが、冒頭の記事にあるように患者の人権を守るべく厳格なシステム的対応を求めれば求めるほど別な面での人権侵害になりかねないという、ある意味おかしな状況が生まれつつある時代ではあるという気がします。
皆保険制度なのに保険が適用されないとはどういうことだとお思いになるかと思いますが、はるかな大昔の昭和33年に厚生省国民健康保険課長回答という形でこういう通達が出ていますので紹介しておきましょう。

故意の場合の給付制限

【基準】
法第60条の規定による。

第60条 被保険者が、自己の故意の犯罪行為により、又は故意に疾病にかかり、又は負傷したときは、当該疾病又は負傷に係る療養の給付等は、行わない

法第60条中「故意の疾病、犯罪行為による疾病」については

 麻薬中毒、無許可の銃の爆発による負傷、道路交通関係法令違反による事故にもとづく負傷、自殺未遂、自傷行為などによる負傷など。

国民健康保険給付の取扱については、

「昭和35年5月2日保発第53号 厚生省国民健康保険課長回答」による。

多くの場合自殺(未遂も含め)患者の治療も保険診療枠扱いで行われているのは、自殺するくらいの人ならうつ病など何かしらの基礎疾患があるだろうと言うことで、言ってみれば保険病名に近い場合が多いとも思われますから、もしこれは後日の査定などで突っ込まれると支払い分の治療費は全て自主返還の上で世のマスコミからは「また悪徳医師の不正請求か?!」などと吊し上げられるのも已む無しということですよね。
むろんそうは言いつつも一般病院であれば通例的にそうした行為が行われてきたのも事実でしょうが、普段学会などで「その診断は正しいのですか?」なんて突っ込みを入れて回っていただろう大学病院の先生方であれば、まさか治療費捻出目的でいい加減な診断名をつけるなんてことも出来なかったという事情もあったのかも知れません。

今回はたまたま特殊なケースでの話となりましたが、例えば今の時代会社から解雇され急に無保険になったなんて話は幾らでもありますし、ひき逃げ被害なども国の救済制度上は上限支払額が120万円までと決まっている、裏技的に生活保護申請を考えても昨今認定が厳しいという話ですから、いつ誰が同様の決断を迫られてもまったくおかしくはないという話ですよね。
今後日本が劇的に経済がよくなるかどうかはともかくとして、無保険状態での診療という事態が一朝一夕に消えてなくなるとも思えませんから、いつ自分が当事者となりかねない国民一人一人も無論ですが、今や構造的に経営が厳しく訳あり患者だからとロハで医療を施すなど到底無理な状況にある医療機関の側でも真剣に対策を考えて行かないとならないでしょう。

ちょうど今の時期政界再編なんてことが盛んに騒がれるようになっていて、とりわけ日本は企業の税負担が割高になっているから法人税は安くしよう、社会保障の財源を確保するためにも間接税をもっと引き上げようという話もかなり大きな声で語られるようになりましたけれども、こうした話が医療に対する影響というものも決して馬鹿にできません。
アメリカなどでは大手メーカーが自動車が売れない時代に賃上げが出来ない、そのかわりに医療保険を手厚くしますという労使交渉を繰り返した結果、社員になれば退職してもずっと手厚い医療保護を受けられるようになったのはいいんですが、その結果企業側のコスト負担が激増して結局大手メーカーが潰れかけ、医療費給付もご破算になったなんて話がありました。
日本の大手企業もそういう海の向こうの事情を見ているものですからあまり医療に金を出したくない、最近では保険料が上がりすぎたと企業が自前の健保組合を解散するという話が出てきていますが、企業が負担をやめればその分は税金で負担していくしかないわけですから、いずれにしても保険方式というよりは実質的に公費負担へと移行しつつあるとも言えるように思えます。

社会保障の財源がどうこうという話とはまた別に、現実問題として無保険者が増えていたり保険給付を受けられず自己破産という某国のような事例が日本でも増えてきているわけですから、皆保険制度の建前を今後も維持していくならそろそろ税負担方式への移行を考えてもいい時期ですし、万人が支払う間接税でその財源を賄えば国内居住なら誰にでも給付対象にといった友愛的な(苦笑)話も可能になりそうに思います。
医療費の半分を占める保険料負担分を消費税でまかなうというなら少なくとも欧州諸国水準くらいには税率を引き上げなければならないでしょうが、最近では主要政党も競って消費税引き上げ引き上げと言っているご時世で、国民世論にしろかつてのように消費税引き上げケシカラン!なんて風潮でもないですから、いきなり全部と言わず段階的にしろ税による負担分を増やしていくことは不可能ではないでしょう。
その場合に一番抵抗勢力となりそうなのは、現状でさえ国庫支出が多すぎると大騒ぎしている一部省庁あたりになるのかなという気がするのですが、せっかく選挙も近くワープア層の保険料負担なども社会問題化しているご時世なんですから、どこかの政党が政治主導で何かしらこの辺りのネタでも取り上げてみないものでしょうかね?

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コメント

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100421/trl1004211942008-n1.htm
追い打ちをかけるように健康保険組合から言い渡されたのは、「自殺は保険が適用外」という事実。


ということなので、保険病名が付けられなかったという大学側の事情があるのかもしれません。

投稿: とおりすがり | 2010年4月25日 (日) 14時56分

単なる無保険であれば、入院すればすぐ病院から市役所に連絡をして、さっさと生活保護の申請をします。そのようなケースはだいたい申請が通ります。働けない証明がしやすいですので。
交通事故は保険証があればとりあえず使用できます。後で返還する必要はあります。
今回の自殺の件は、健康保険組合が保険適応を拒否しているケースなので、たとえ生活保護を申請しても医療扶助の給付は受けられません。医療扶助はあくまでも健康保険が適応される疾病のみです。今回の様な治療以外にも、差額ベッド、バイアグラ、セカンドオピニオンなどは現在のルールでは受けられません。
この件は会社で自殺を図っていますので、会社の健康保険組合が自殺と把握するのも容易だったものと推測されます。
私も、自殺企図で保険を通してもらえなかったケースを1例経験したことがあります。それも会社内での自殺企図でした。1週間のICUでどう見積もっても本人への請求は7桁だったろうと思われます。

投稿: 日直中 | 2010年4月25日 (日) 17時12分

人間の生死を決める権利なんて人には絶対にない。呼吸器取り外し事件は医療者 患者のコミュニケーションがうまくとれてなくて、医者が真剣に患者をみておらず、いつのまにかその患者の死が近づいてる事を見逃した結果だと思う。ちゃんと患者を診てたら延命処置希望かどうかを早い時期に家族と話を詰める事が出来たはず。それが出来てたら患者さんは苦痛をあじあうことはなかったと思います。どうせ、後になって可哀想だと言われ呼吸器を切られる事になるのだから。

投稿: 匿名希望 | 2011年1月 2日 (日) 02時12分

報道では呼吸器外しとか全部ひとくくりにまとめちゃってるけど、本当は個々の事例でよく見ないといけないと思うんだよね。
射水の時なんて末期患者なんかが入ってたみたいだけど、そういう放っておいてもすぐ亡くなるような患者をわざわざ数日余命を縮めるために呼吸器外す必要性がどれほどあるのか、苦痛感じないくらい過鎮静して寝かせとけばいいじゃないって思っちゃう。
それでもポリシーとして末期患者からは呼吸器外すというんならもう最初からつけるべきじゃないと思うし、そのあたりの事前の意思確認は全ての医療従事者がやっておかないといけないことなんじゃないかな。

投稿: | 2011年1月 2日 (日) 09時04分

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