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2009年12月25日 (金)

足元をおろそかにすると結局高くつく危険性もあるのでは

選挙の頃には医療崩壊をどうするかというのは結構大きな争点になっていた気がしましたけれども、診療報酬が極めて政治的判断で(笑)決まった後のあっさりした報道を見ていますと、どうもあれも単なる票集めのための議論だったのかという気もしてくる昨今です。
改訂を巡る議論を見ていて「激務をこなしていても報われない医者達をもっと評価しなければ」と言われるとなるほど確かにと言いたくもなりますけれども、逆に言えばどうでもいい仕事をしながら楽して儲けている医者というものもいて、彼らにはあまり報いなくてもいいんだと言う認識の裏返しでもあるということははっきり認識しておかなければならないと思いますね。
例えば眼科医が楽して儲けているのかどうかはともかくとして、社会的評価がそういうことであるならば低い評価をされる人間としては当然に面白くなかろうということだけは確実なんだろうなと思いつつ、そうした国の認識が医療現場に、ひいては国民生活に与える影響と言うものを考えていく必要があるんだろうなと思うところです。

さて、先日読んでいて面白いなと思ったのがこちらのニュースなんですが、ある意味で時代に逆行するかのような話と言う点でなかなか興味深い試みですよね。

重症患者受け入れ拒否防げ 尾三圏域で成果 /広島(2009年12月8日読売新聞)

軽傷は診療所に搬送 

 特定の医療機関に救急患者の搬送が集中し、重症患者の受け入れ拒否が起きるのを防ごうと、尾道市、三原市、世羅町の医師会や消防などが、軽傷の外傷患者に限って診療所に優先的に運ぶ取り組みを6月から展開し、成果を上げている。地域の診療所も加わった搬送の振り分けシステムは珍しく、救急医療の専門家も注目している。(石原敦之)

 医師会、保健所、消防本部などでつくる県尾三圏域メディカルコントロール協議会(片山寿会長)が始めた。日中の診療時間に軽傷の救急患者を受け入れるよう診療所に要請し、31診療所を「協力医療機関」に指定した。救急隊員の判断で患者を優先的に運ぶ。

 2008年に尾道市消防局が搬送した外傷患者の多くは、市内の救急告示医療機関に運び、特に尾道市立市民病院など二つの総合病院に65%が集中。一方で、診療所に運んだのは4%にとどまった。救急搬送した患者の半数以上は軽症で、「かすり傷の治療のために、手術を中断するケースがある」との声も上がっていた

 システムの導入後の6~9月に2市1町で交通事故や転倒などによる救急搬送は1033件あり、協力医療機関への搬送は74件(7・1%)。前年同期間の1003件中31件(3%)の2倍以上となった。協議会事務局の尾道市消防局は「搬送の振り分けが円滑にできた。患者にとっても近くの診療所に運ばれる利点は大きい」としている。

 尾道市立市民病院の突沖満則医局長は「搬送が分散されて負担が減り、圏域の救急体制の連携も強まった。今後は内科系の患者搬送にも広がれば」と言う。

 日本救急医療財団理事長の島崎修次・杏林大医学部教授は「診療所が自主的に役割分担をし、適切な救急医療を守ろうという地方発の画期的な試み。診療所に負担がかかり過ぎないよう他の医療機関や行政の支援も重要だ」と話している。

システムとしては今までと逆のパターンと言いますか、地域の大病院に医療資源を集約して24時間どんな患者でも受け入れ可能なセンターを作ろう、なんて力技とは真逆な方向性で、言ってみれば一頃あれだけ絶賛されながら結局崩壊してしまった小児救急の「鹿屋方式」の一般救急向けモディファイ版という感じなのですかね。
しかしこれ、医師会、保健所、消防本部などが決めたと言っているんですが、そうなりますと本当に「診療所が自主的に役割分担をし」て始まったのかという疑問があるのですが(苦笑)、今後の永続性の鍵もそのあたりの自主性にありそうな気がするのは自分だけでしょうか。

そもそも診療所で対応できるような軽症が救急車を呼ぶというのがどうなのよという声もあるのでしょうが、いつでもどこでも誰でも無料でお運びしますという制度を続けている限りは便利使いする人が出てくるのも当然で、中には飲んだ帰りに家の近所の病院を指定し文字通りタクシー代わりに利用するといった例もあるようですね。
こういうところになんとかセレクションをかけられるようになるだけでもかなり救急医療の状況は変わると思うのですが、それはともかくとして、診療報酬改定で更なる開業医冷遇方針が確定する中での将来を見据えての地区医師会の実績作りと見るべきなのか、いずれにしてもこのご時世によく現場の協力が得られたなと感心する話ではあると思います。
こういうふうに地域の先生方が頑張ってくれればどれだけ医療全般がうまく回るようになるか計り知れないものがありますけれども、この国の現状ではむしろそうした縁の下の力持ちを切り捨てようとしているかのように見えるのが気がかりですよね。

以前に厚労省の研究班で英国の家庭医制度を紹介したなんて話がありましたけれども、ちょうど今年2009年の夏に第一回目の家庭医療専門医認定試験が行われたという話題があったように、日本でも最近ようやくこの家庭医というものが注目されるようになってきていて、福島県立医大のように地域・家庭医療部なんてものを設立するところも出てきました。
大辞泉によれば家庭医とは「患者の年齢・性別・疾患などに関わらず、地域住民の健康を支える医師。患者や患者の家族と密接な連携を保つことで、予防・治療・リハビリなどを行う。状況に応じて専門医を紹介するのも家庭医の重要な役割とされる」ということなんですけれども、従来の診療科別に別れた医師養成システムではこうした横断的な診療能力はなかなか養い難いところがありますよね。
欧米などでは家庭医と専門医とは最初から区別された別の存在ということが多いようですけれども、日本では医師の教育は将来の専門・方向性に関わらず皆が同じ内容ということになっている点でいささか事情が違うのですが、いずれにしても家庭医とは専門医の下位概念ではなく別概念であることは認識しておく必要があって、最近ではこうした点を踏まえて専門医に対して総合医という言い方もしているようです。

現状でほぼ唯一制度的に総合医に近い存在を養成しているのが自治医大ですけれども、こちらも学費を出すかわりに卒業後は指示されたところで9年間奉公しろといういささか21世紀にもなってそれはどうよ?と思われるシステムで、逆に言えばそういう強制力でも発揮しない限りこうした非専門領域(家庭医というプロフェッショナルであると自負する先生もいらっしゃいますが)には人材が集まらなかったということではあるのでしょうか。
近年は例の親臨床研修制度でローテート研修が必須となり、全医師に家庭医レベルの初期診療能力を付与するという建前になっていますけれども、(ごく控えめな表現をするならば)正直たかだか二年間程度のお客さま研修で身につくほど家庭医の能力というものは安いのかとも言えるでしょうし、そもそも家庭医を専門医の片手間仕事のように考えているのが間違いではないかという気がします。

以前にはかかりつけ医を持ちましょうなんて話で家庭医がもてはやされた時代がありましたが、このところの医師不足で地方の地域医療においては全科の医者を取り揃えてなんてことはまずありませんから、初診レベルでは全科横断的に診てもらえる総合医といったものの需要が非常に大きいのは当然の話ですよね。
そんなこともあって最近改めてこの家庭医・総合医の重要性が見直されているようですが、無論ここでも問題なしとしないところがあるわけです。

医師養成の方向性議論 県の総合力育成検討委初会合(2009年12月23日岩手日報)

 中小規模の地域病院を担う医師の「総合力」育成を目指す県の検討委初会合は22日、盛岡市内で開かれた。地域医療に必要な技術や研修プログラム構築の方向性について議論。課題である人材確保に向けては「働く魅力を感じる仕組みづくりが必要」などの意見が出た

 検討委は県内の国保病院、県立病院の院長ら7人で構成。座長に県立中央病院の佐々木崇院長を選出した。

 総合力育成の主な対象は後期研修医で、県は一定規模の「拠点病院」が指導者確保や参加者の募集を行い、総合診療の実践は地域病院や診療所で行う―とのたたき台を示した。

 必要な技術について県立釜石病院の遠藤秀彦院長は「救急と内科ができれば自信を持てる」として県北や沿岸などの基幹病院での育成を提言。県立磐井病院の加藤博孝副院長は「育成実績のある県外の病院に派遣するのはどうか」と述べた。

 人材確保に向けて国保藤沢町民病院の佐藤元美院長は「勉強のための長期休暇や研修制度などを整え、県外からも医師が集まる魅力づくりが必要だ」と指摘。総合医の仕事について「社会的に評価されてこそ医師はやりがいを感じる」と県民周知の必要性も課題に挙げられた。

 終了後、佐々木座長は「検討課題は多いが、うまく制度づくりができれば医師不足の本県医療にとって大きな力になる」と期待感を示した。

 今後は年度内に2回の会合を開き、引き続き方向性を議論。2010年度にプログラム策定や参加者募集などを行い、11年度から実施する方針。

需要があるのになり手が少ないというのは何が問題かと言えば、記事中にもある「社会的に評価されてこそ医師はやりがいを感じる」ことの裏返しで「家庭医、総合医として地域医療に貢献したところで誰からも何も評価されてこなかった」という事情があったことを指摘しなければならないと思いますね。
海外のように専門医と家庭医を元々別の存在にしていればこうしたことは避けられたのかも知れませんが、日本では従来「専門医が総合医になることはできるが、総合医が専門医になることはできない」という考え方が主導的で、家庭医など引退したロートルか使えない医者の行くところでまともな医者が従事すべき仕事ではないという見方が(表向きはともかく)結構根強かったものです。

何しろ今までの専門医認定制度では基本的に認定施設(通常は地域の基幹医療施設たる大病院です)での一定年数のキャリアがなければ受験資格を得られなかった、すなわち逆に言えば一度地域の中小医療機関に流れてしまうと専門医としてのキャリアアップをほぼ断念しなければならないということがありました。
自治医大の先生方などは卒後の御礼奉公期間中に後期研修として一定年数基幹病院で研修するルートが設けられていたりするようですけれども、専門医の能力というものは取得はもちろん常時最新データにアップデートを続けなければ使い物になりませんから、言ってみれば地域医療に従事する医者というのは高度な専門性を備えたスキルの高い医者としては終わった存在的に(医者からも住民からも)見られていたわけです。

それ以上に問題なのがこのところの診療報酬改定の議論の中でもさんざん出てきましたように、中核的医療機関で高度医療に従事する医者こそ偉い存在で、地域の診療所などで誰でもできるような仕事をしている医者など二束三文で買い叩かれて当然という認識が世の中に広く広まってきていることです。
日本の医療制度ではどんな医者も全て平等であり、全国どこの病院でも同レベルの医療を行っているという前提でシステムが組まれていますけれども、実際には一口に医者といっても能力やキャリアの差以前にその専門性や方向性の違いというものがあるわけで、とりわけ社会的需要ということで言えば本来総合医的な医者こそ一番数が求められるはずなんですが、そこを切り捨てていくとどうなるか。
言ってみれば「家庭医=賤業」という図式を国が先頭に立って広めて回っているわけですから、それは苦労して医師免許を取った挙句に名誉もなく金銭的にも報われずただ無名の雑草として一生を終える覚悟のあるよほどの変わり者しか成り手がないのも当然ということになりますよね。

特に安上がりで効率のよい医療を行うためにも初診を担当する地域の家庭医の役割こそ一番重要なはずなのに、そこを切り捨てていくと結局医療が高く非効率なものになってしまうことは認識しておかなければなりません。
社会的評価が下がれば当然成り手も減っていくでしょうし、初診の数や質が低下すればその分専門医の仕事が増えて良く道理ですから、それこそ風邪を引いたら大学病院で血液疾患から心疾患まで全部鑑別診断を行う、なんて笑い話のような事態が普通になってしまいかねません(すでにネタではなくなりつつありますが)。
このあたりは昨今では訴訟対策絡みの過剰診療問題ともあわせてなかなかに話が難しいところですけれども、実際問題として医療費上限がほぼ決まってしまっている時代となってきたわけですから、特に初診レベルでは今後ますます少ないお金でより質の高い医療をやっていかざるを得ないはずです。
その為には相応に高いスキルと総合医としての専門性が必要であるわけで、もちろんその質の保証をどうするかという議論は必要ですが、こんな医療費抑制の時代だからこそ社会としても能力の高い総合医の価値を認め積極的に評価していく必要があるんじゃないかと思うのですけれどもね。

近頃厚労省ではナースプラクティショナー導入に向けての議論も進んできているようですけれども、もしこれを安上がりな家庭医的ポジションに据えることを意図しているというのであれば、下手をすると地域の初診担当者=安かろう悪かろうという図式がますます定着してしまう危険性もあるのかなと思って見ているのですが、さてどうなりますか…

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