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2009年12月10日 (木)

延命治療中止で医師に初めての有罪判決

昨日ちょうどこんな記事が出ていましたけれども、この事件もかれこれ10年も前のことになったのですね。
意外な、という気がしないでもないのですが、こうしたケースで医師の有罪判決が確定するのは初めてということでよいのでしょうか?

延命中止で最高裁が初判断、医師の殺人罪成立(2009年12月9日読売新聞)

 川崎協同病院(川崎市)で入院中の男性患者(当時58歳)から気管内チューブを抜き、筋弛緩(しかん)剤を投与して死亡させたとして、殺人罪に問われた医師須田セツ子被告(55)の上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。

 決定は7日付。懲役1年6月、執行猶予3年とした2審・東京高裁判決が確定する。

 尊厳死などの延命治療の中止を巡って医師が殺人罪に問われたケースで、最高裁が判断を示したのは初めて。

 被告側は上告審で、「男性の家族の強い要請でチューブを抜いた。尊厳死にあたり、違法性はなかった」として無罪を主張したが、同小法廷は、「脳波などの検査をしておらず、余命について的確な判断を下せる状況にはなかった。チューブを抜いた行為も被害者の推定的意思に基づくとは言えない」として、法律上許される治療中止には当たらないとの判断を示した。

 1、2審判決によると、須田被告は1998年11月、ぜんそく発作で意識不明となった男性患者の治療を担当したが、入院から15日目に気管内チューブを抜き、准看護師に指示して筋弛緩剤を投与して死亡させた。

 1審・横浜地裁は2005年3月、須田被告が治療を尽くさず、家族の依頼がないのにチューブを抜いたなどとして殺人罪の成立を認め、懲役3年、執行猶予5年の有罪を言い渡した。

 これに対し2審は07年2月、「家族からチューブを抜くよう要請されて決断したもので、その決断を事後的に非難するのは酷な面がある」と述べて刑を軽減した。

この事件、当時「わざわざ筋弛緩剤を使うとはよくやるなあ」と思った記憶がありますけれども、記事を見る限り裁判の争点はそこではなくチューブ抜去の是非であったという印象です(ただし、筋弛緩剤投与の経緯については後に状況が判明してきますけれども、安楽死目的で投与したわけではなかったということも関係しているのかもしれません)。
日本ではこの安楽死、尊厳死の領域はまだ未開拓と言ってもよく、とりあえず各団体のガイドラインに従ってやってみようかということで散発的に行われている程度ですけれども、このガイドライン自体が今一つ使い勝手が悪いと言いますか、あまり実際的でない部分が多かったりするのが当面の課題ですよね。
日医のガイドラインなどでも患者本人の同意が大前提ということになっていて、それが不可能なら家族が普段の言動から推定し文書で同意をということになっていますけれども、この意思確認というのが後で一番困難、かつもめやすいところである一方、アメリカなどではすでに医療チームが医学的に無意味であると判断した場合に、本人意思不明どころか家族の反対があっても延命治療を中止できるという判例まで出ているようですね。

むろん日本であっても当事者、関係者がことごとく治療中止を望んで行ったということであれば有罪判決が出るまでのおおごとになることもなかっただろうと思われるところですが、どうもこの事件に関してはいささか院内でのきな臭い状況もあったようで、なぜこの事件がここにまで至ったのかをフジテレビの黒岩氏が当事者に取材しています。

終末期医療のリスク(2009年12月10日黒岩祐治の頼むぞ!ナース)より抜粋

 私は先日、かつて殺人罪に問われた女性医師にインタビューする機会をえました。終末期医療のあり方に一石を投じた川崎協同病院事件で殺人罪に問われた須田セツ子被告です。平成10年、喘息の重症発作で入院していた男性患者の気管チューブを抜いた上、筋弛緩剤を投与して死なせたとして、彼女は殺人容疑で逮捕されました。美人医師による密室殺人ということで、連日メディアを賑わせました。平成19年2月の東京高裁は、彼女に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。一審より軽くはなったとはいえ、殺人罪が認定されたことに変わりはありませんでした。
(略)
 終末期の患者に筋弛緩剤を使用したことが須田被告が殺人罪に問われた最大のポイントですが、どうしてそのような薬剤を使用したのか、当日の流れを振り返ってみましょう。

 心肺停止状態で病院に運びこまれた患者は蘇生には成功したものの、深い昏睡状態が続き、須田被告は回復の見込みがないと判断しました。そこで家族の了解を得て、気管に入った管を抜くことにしました。家族の見守る中、須田医師は管を抜きました。すると、患者は突然、えびぞりになって苦しみ始めたのです。これは須田医師にとっては想定外のことでした。「家族が10人以上見守る中でのことでしたから、みなさんにつらい思いをさせてしまったことはほんとうに申し訳ないと思います。」

 そこで、苦しみを除去しようとして鎮静剤を使いましたが、うまく効きませんでした。同僚の医師に相談したところ、勧められたのが筋弛緩剤のミオブロックでした。ただ、この時、その医師は「再び挿管をするものとばかり思っていた」と証言しています。しかし、須田被告は再挿菅を考えていませんでした。あくまで苦しみを除去するために、筋弛緩剤を投与したのです。

 つまり、一瞬に生じた誤解が筋弛緩剤投与につながってしまったのです。結局、患者はそのまま死に至りましたが、須田被告には間違った処置をしたという思いは全くありませんでした。カルテになに隠すわけでもなく、堂々と筋弛緩剤使用と明記していました。ところが、この記録が後々、須田被告にとっては致命傷になってしまったのです。

 高裁判決はこのあたりの事情には理解を示しています。「患者の苦悶呼吸がどのような手段をとっても止まらず、被告人としては追いつめられた状況において、同僚からミオブロック投与を助言されたことで本件投与に及んだという経緯をみれば、被告人は心ならずもミオブロック投与に及んでしまったものとみることができる。」このように理解を示してはいても、判決そのものはやはり殺人罪なのです。

 この事件はおきた当初は院内でも大きな問題にはなりませんでした。遺族側も問題視はしていませんでした。しかし、後に須田被告とことごとく対立していた麻酔科医がこの一件を遡って独自に調査し、カルテに「筋弛緩剤投与」の文字を見つけたことから、事態は大きく変わっていきました。彼は「殺人事件だ」と主張し、須田被告を辞めさせなければ、カルテのコピーをばらまくと院長に迫るなどしました。やがて事態はメディアの知るところともなり、須田被告は殺人罪で逮捕されることになったのです。患者が死亡してから4年の歳月が流れていました。

 話を直接聞いてみて、確かに須田医師には脇の甘さがあったと言わざるをえないという気がしました。家族に対して「9割9分脳死状態です」と言ったと言いますが、脳死判定もしていない状況で、そういう言い方をするのは軽率のそしりを免れないでしょう。

 しかも私たちの事前取材に対しても、「救急でいらっしゃった時にはすでに死んでおられたわけです」という言葉を平気で口にしていました。おそらく蘇生はできたけれど「すでに死んでいる」というのが、彼女の基本的な認識だったのでしょう。厳密さを求められる死の判定において、少しアバウトすぎる危なさが見えたような気がしました。

 しかし、彼女に殺意があったわけではないということだけは確かでしょう。殺意がなくても死なせたら殺人罪ということになることもあるのでしょうが、ギリギリの終末期医療の最前線での微妙な処置に殺人罪という言葉はふさわしくないと思わざるをえませんでした。

 管につなぎっぱなしにしておけば、殺人罪に問われることはありえません。患者やその家族の気持ちに思いを致すことなどしなければ、機械的にそうしておけばいいのです。しかし、そういう状態が長期化することでの家族への負担、患者本人がそれで幸せなのかなど、あれこれと心を配り始めると、最期をどうしていくかという課題は出てきます。

 まともに家族の苦悩に向き合おうとする医療者ほど、殺人罪に問われる可能性が高くなるというのは、釈然としません。現に、危ないことはできるだけ避けようとする風潮が医療現場に拡がりつつあるようです。それは医療の自滅です。終末期でなくとも、医療には常にリスクが伴います。それをある程度、許容することがなければ、医療は成立しません。
(略)
 須田被告は今、地元で開業していますが、「優しいいい先生」として評判となっています。殺人医師の汚名をかけられても、患者が選択し、殺到しているのです。そういう現状を目の当たりにすると、医療現場における“殺人”という言葉の意味について、改めて深く考えてみなければとならないと痛切に感じた次第です。

ちなみに日本で過去に尊厳死・安楽死で有罪となったのは医師ではなく家族によって為された積極的安楽死の二件のみで(要するに「高瀬舟」の状況ですね)、医師による消極的安楽死というものは今回の事例に至るまでは罪に問われたことはなかったようですが、量刑的には家族によるそれと似たような感じでこのあたりが司法的には妥当な判断だということなのでしょうか。
逆にいえば時折新聞沙汰になるような事例でもほとんどは立件されることもなく終わっているということで、元々それだけ家族の同意を得て行ってきた、あるいは同意が得られない、得られてもどうもあいまいであるといった場合には無理なことはしないという現場の暗黙の了解があったとも言えるでしょう。
その背景にはずっとレスピにつなぎっぱなしでも家族が破産することはないという日本の医療事情ももちろんあるでしょうが(多くの国でこんなことをやれば「先生もうやめてくれ!俺たちに首を吊らせる気か!」と家族に泣かれるでしょう)、実のところ今そうした日本の医療事情が大きく変化していくのではないかともささやかれています。

間近に迫った次回の診療報酬改定もどうやらずいぶんと厳しい結果になりそうな勢いですけれども、結局のところ医療費は可能な限り削減しなければ財政が持たないという議論の行き着くところ、「無意味な延命治療にコストとマンパワーを投入するのは如何なものか」という話がすでに中医協あたりでも大真面目に議論されているわけなのですね。
最近では医療費患者負担をもっと増やそうなんてことを言っていますが、世の中不景気で失業者も増え無保険者も多くなった、そうでなくとも食べていくのにやっとで毎月毎月延命治療に医療費を負担するなど無理だという人も増えているでしょうから、諸外国のような「命か、お金か」という問題は決して他人事ではなくなってくるということです。
今まではどちらかというと医療従事者、その中でもさらにごく一部の医者だけに関わる話であった安楽死・尊厳死という問題が、これからは国民すべてがいつ何時病院に呼ばれ「実はご家族が…」と選択を迫られることになるかも知れないと、今のうちから覚悟を決めておいた方がいいのかも知れませんね。

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