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2009年8月26日 (水)

遠ざかれば遠ざかるほど近づいてくる何か

少し前にこういう記事が出ていましたのを御存知でしょうか。

名前似た薬を誤点滴し死亡、医師を書類送検(2009年8月20日読売新聞)

 徳島県鳴門市の健康保険鳴門病院で昨年11月、入院していた男性患者(当時70歳)が、抗炎症剤と名称が類似している筋弛緩(しかん)剤を誤って点滴されて死亡した医療事故で、県警は20日、薬の投与を看護師らに指示した女性医師(37)(休職中)を業務上過失致死容疑で書類送検した。

 県警の任意の聴取に対し、女性医師は容疑を認めているという。

 県警の発表などによると、女性医師は昨年11月17日、肺気腫の疑いがあり、40度近い熱があった男性患者に解熱作用もある抗炎症剤「サクシゾン」を使うつもりだったが、筋弛緩剤「サクシン」200ミリ・グラムを薬剤師や看護師に指示して、投与。翌18日未明、薬物中毒により窒息死させた疑い。

 女性医師は、サクシゾンの投与を看護師や薬剤師に端末のパソコンを通して指示する際、「サクシ」と3文字を入力、変換。画面には「サクシン」が表示されたのに、確認を怠り、誤ったまま伝えたという。

 鳴門病院は、二つの薬剤を取り違わないように、約7年前からサクシゾンは置いていなかったが、この女性医師は昨年4月に着任し、事情を知らなかったという。

 一方、事故を受け、サクシンを製造販売している製薬会社は今年7月から商品名を「スキサメトニウム」と改めている

この件に関しては非常に教訓的な事例ということでネット上でもあちこちで取り上げられてきましたが、今までさんざん間違える間違えると言われ続けながらやっとメーカーも名称変更に重い腰を上げたかという印象が強い記事でもあります。
かつて手術場等での配管の誤接続がさんざん問題となって以来、送る気体の種類によってコネクターの形状が変えられ物理的に誤接続できなくするという対策が取られたことがありました。
最も多忙で時間的余裕がないだろう現場の最前線に判断をさせることをなるべく減らし、余裕のある後方領域でその分をカバーするという基本の徹底が重要であると、改めて考えさせられる事例ではありました。

さて、医療業界においても他業界と同様に日常的な事故の危険性が多々あるわけですが、これも他業界と同様に未だに事故発生ゼロを達成するという目標が達成されたことはなく、恐らく今後も達成されることはないでしょう。
特に医療業界の場合多くの事故は生命や健康に直結するという事態に至る可能性が高いことから国民の関心も高いと思いますが、しばしばこの点で問題になるのが「ゼロリスクを追及しすぎるとかえって利益に反する場合が多い」という事実であることは過去にも多くの方々が指摘してきた通りです。

登山をやめれば転落死の危険は減らせるでしょうが、多くの人間が錯綜しながら生活している現代社会においては、誰かの手放したリスクは消えるのではなく単に他の誰かに移動するだけという現象がしばしば起こります。
誰かが本来負うべきリスクを放棄するならば、それは負うべきではなかった誰かにリスクを負わせているというわけで、負わされる方もたまったものではありませんから何とかリスクを回避しようとする、その結果社会に妙な歪みが出てくるということは望ましいことではないですよね。
リスク回避を図るとすればそれは単なる転嫁ではなく社会の総体としてリスクを軽減する方向で行われなければならない、あるいは別の言葉で言えば、関係者全てがWin-Winの関係を結べるよう現場ではなく社会として工夫する必要があるわけです。
その意味で産科で始められた無過失補償制度などは大きな期待の寄せられるところないのですが、そのためにも医療関係者は元より国民一人一人の理解というものが欠かせないことは言うまでもないと思いますね。

医療事故への真摯な姿勢が国民の理解につながる(2009年8月22日CBニュース)

【第75回】 上田 茂さん(日本医療機能評価機構理事)

 今年1月1日からスタートした産科医療補償制度は、日本の医療における初めての「無過失補償制度」であると同時に、行われた診療行為について医学的評価を行い、再発防止策を提言するという「原因分析」の仕組みも取り入れている。日本医療機能評価機構で同制度の事業管理者として策定に携わった上田茂理事は、金銭の補償だけにとどまらず、原因を明らかにして、不幸な医療事故の再発防止につなげることを目的にしたこの制度へ医療界が真摯に取り組むことが、国民の医療に対する評価や理解につながることと考えている。医療界が注目する同制度にかける思いを聞いた。(津川一馬)

―産科医療補償制度の策定に至った背景を教えてください。
 日本の周産期死亡率や新生児死亡率では世界でもトップクラスの低さです。しかし、近年は産科に従事する若手の医師が大きく減少し、産科の病医院や助産所が次々に廃院するという事態に至っています。
 その要因はまず、産科医がハードワークであるということ。常に24時間の対応を求められます。もう一つは、訴訟の増加です。この問題がかなり産科医の負担になってきていました。

 こうした問題について、2003年頃から「訴訟の問題については無過失補償制度で」という動きが医療界の中で出てきました。これを受け、自民党政務調査会でも、まずは現行制度の中で無過失補償制度を早く立ち上げようという考えをまとめました。これにより、厚生労働省から日本医療機能評価機構に無過失補償制度について検討するよう要請があり、準備委員会を立ち上げ、一年間検討してきました。

―検討過程ではどのような課題があったのでしょう。
 今回の制度は、自民党の枠組みに沿って、補償対象を、分娩に関連して発症した重度の脳性まひに限定しています。その上で、「出生体重2000グラム以上かつ在胎週数33週以上」などの基準を設けました。ただ、先天性要因や未熟児の脳性まひを対象から外すことについては、疑問の声が上がりました。
 また、3000万円の補償金を得ることができる人と、そうでない人が出てくることで、障害者の格差を生むという指摘や、仕組みが複雑すぎるとの指摘もありました。

 私どもは、産科医療を守るという観点から制度設計しています。この守るというのは、「医師を守る」ことだけを意味しているのではありません。お産をする場所がなくなると困るのは妊産婦であり、国民です。国民にとっての産科医療を守ることでもあります。
 これまで挙げたような産科医療の問題を解決するには、この制度以外にも、いろいろな対策を考えないといけません。もちろん、この制度も産科医療を維持、発展させるためには必要なので、まずできるだけ早く立ち上げて、実際に運用する中で、課題があれば見直していくことが大事ではないかと考えています。そのため、この制度は遅くとも5年後に見直すことになっています。
(略)

―医療事故について「第三者委員会が調査する」とした死因究明制度をめぐる議論はなかなかまとまりませんが、それに先立って「原因分析」を実施することに難しさはありませんか。
 やはり、患者側との対立を招くことを医療側は懸念しています。この制度は、医療側に積極的に協力していただかない限り、なかなか広がりません。原因分析を行うに当たっては、きちっとした情報を分娩機関から提出してもらう必要があるからです。
 先駆的に医療事故補償制度を進めてきた国の一つであるスウェーデンでは、医療側から積極的に協力してもらえるような体制になっています。「No blame for doctors」、医療機関から提供された情報の中身については責めないという考え方があります。患者側からの苦情申し立てについては別の受け皿もありますが、この補償制度は、資料を出しやすく、そして協力しやすいように、という考え方の下で運営されています。

 一方、原因分析を行うに当たって、家族の意見を聞かないままでは、いくら専門家が作った報告書だといっても、受け入れていただけないのではないか、信頼されないのではないかと思います。
 原因分析委員会でも患者側の委員から、家族の意見を十分に聞くべきとの指摘があったため、医学的評価を行う前に、分娩機関からだけではなく、家族にも意見を求める仕組みになっています。

―原因分析のあり方を検討する原因分析委員会では、脳性まひ回避の可能性の記載について特に議論が白熱しました。
 行われた診療行為が、その時点において問題があったかなかったかという医学的評価は当然行います。ただ、脳性まひが回避できた可能性というものは、医学的評価では判断しづらいものなのです。
 医学的評価の結果は、家族にしっかりと伝えなくてはならないと思います。しかし、もう一つ重要なのが、どのように再発防止をするかという点です。
 往々にして、診療行為についての医学的評価と、再発防止のための改善事項が、整理されずに混同して書かれることがあります。大事なのは、原因を究明するための「診療行為が行われた時点での医学的評価」と、再発防止策を挙げるための「振り返った上での評価」を、明確に区別することです。

 診療行為を振り返り、「ベストの医療を行うためにはこうすべき」と記載することは、再発防止策として当然必要な要素です。一方、「診療行為が行われた時点での医学的評価」については、「医療行為には幅がある」ということを勘案しなくてはいけません。

 私は、医学的評価を厳しくすることで、まじめに医療に取り組む医師たちが委縮することは避けたいと思っています。
 幅のある診療行為において、ミスが出た時にどう評価するかについては、これから整理が必要だと思います。

―原因分析が医療裁判に与える影響をどのように考えていますか。
 今回の制度では、原因分析を行った後に、その結果を家族、分娩機関にフィードバックします。このことが逆に裁判につながるのではないか、あるいは補償金が入ることで裁判しやすくなるのではないかという意見は確かにあります。
 しかし、きちんと医学的な問題点についての評価をした報告書を家族に示すとともに、医療側も報告書の内容を真摯に受け止めて、再発防止策も進めるということであれば、家族にはご理解いただけるのではないでしょうか。この報告書を基に医療側と家族側が話し合うことで、裁判の前の段階で解決を図ることが可能になるのではないかと思っています。

 課題はこの原因分析報告書が評価されなくてはならないということです。
 現在、原因分析委員会を開き、評価方法について検討を進めていますが、ここには医師、助産師、有識者、弁護士、患者の代表が入っています。さらに、中心となって原因分析を行う6つの部会についても弁護士が参加することになっています。こうした透明性の高い原因分析を行うことで、信頼性を高めなくてはいけません。
(略)

―この制度で医療界がどう変わることを求めていますか。
 医療の評価や、原因分析を制度として行うのは初めてです。原因分析について、医療関係者は報告書が家族に渡されれば、かえって訴訟につながるのではなどと、いろいろ懸念されています。
 そういう中で、報告書の作成に当たって家族の意見を丁寧に聞く形で進めていますし、原因分析委員会には弁護士なども参加してもらっています。また、報告書を家族にフィードバックするとともに、個人情報方保護に十分配慮して公開することを検討しています。原因分析は医療側に負担をかけますが、こうした医療界のオープンな取り組みが、長い目で見た時に、国民の医療に対する評価や理解につながっていくのではないかと思っています。

記事中にもありますスウェーデンの医療補償制度につきましては以前にも取り上げてきたところですが、こうした制度が「医師などの医療要員と患者の間の信頼を強化するための基盤を創造」するのだとしたら関係者双方にとっての福音と呼ぶべきものですよね。
しかし残念ながら日本においては産科無過失補償制度も極めて限定的な運用が開始されたばかりであって、その他の診療科においてはこうした制度自体が存在していないわけで、現実問題として大きな影響が実際に現れ始めているのですね。

例えば以前から「医療訴訟激増の結果、処分を恐れて?副作用・合併症報告が激減している」という話題がありましたが、かつては心ある一部専門家の危惧であったものが、最近では一般紙においても取り上げられるようなネタになってきたわけですね。

【産科医解体新書】(50)なぜ減った日本人論文数(2009年8月18日産経新聞)

 医師の仕事の一つに、臨床で得た治療の成果や珍しい症例を論文にまとめて発表するという作業があります。こうした研究は臨床の合間にすることになります。世界のどの地域でも医師にはそういう役割が求められています。

 2003年から06年にかけ、臨床医学の論文数は世界的に7%増加しているというデータがあります。単に数が多ければよいものではありませんが、多ければ内容の優れた論文が発表される可能性も増えます。

 ところが、同じ期間の日本人の論文数を検証した人によると、増えているどころか10%ほど減少しているそうです。日本には医師が論文を書きたくても書けない、なんらかの原因が存在しているのかもしれません。

 日本では論文を“医師が偉くなるための手段”と思っている人も多いのですが、論文発表されることで、効果的な治療が臨床の場にフィードバックされ、日本の医療が発達する小さな礎になります。若い医師にとって、ベテラン医師の論文発表は臨床での生きた教材になります。

 一方、論文発表したことで同業者から厳しい指摘を受けることもあります

 医学の発達はものすごい速さで進んでいます。昨日までよいとされた治療法が今日には効果に乏しいと判明することもあります。論文発表で世界との差が開いていけば、日本の医療は独自の道を進むしかなくなります。

 海外からおいてきぼりにならないために、医師は論文を書く努力を怠ってはいけないのだと思います。ぼくも論文を書くための努力をしていますが、なかなか難しいのが現状です。

 もちろん、「ブログや新聞に原稿を書く暇があったら論文を書け」という意見もあると思いますが、僕一人が論文をせっせと書いたから日本人の論文数が増えるわけではありません。

 日本の医師が他の国の医師と同様に論文を書くためには何が必要なのか、社会全体で考える必要もあると思うのです。(産科医・ブロガー 田村正明)

田村先生も何か奥歯に物が挟まったようなことを書いているものだなと思うわけですが、もちろん責任追及のリスク云々ではなしに単に多忙のせいだとしても、こうした現象の意味というものは極めて大きなものがあるわけですよね。
ひと頃自動車会社のリコール隠しなんてことが社会問題になりましたが、もしもある日を境にして現場の修理工場から一切不具合の報告が上がってこないなんてことになったら社会がどうなるか、想像してみるとどうでしょうか。
リコールを隠すどころではなく不具合の存在すら知られず世の中でただ事故だけが発生していく、何より恐ろしいことはそうしたフィードバックがない以上、新型にモデルチェンジしようが相変わらず不具合はそのまま残ると思われるわけですから、何年経っても自動車の安全性などというものは何の進歩もないということになりかねないですよね。
それがどれほど恐ろしい社会をもたらすのかということが今ひとつピンと来ない方であっても、あるいはこういう話題であればもう少し身近なものとして感じられるのではないかと思うのですが、どうでしょうか?

8500万円支払いなどで和解 出産時医療ミス(2009年2月26日河北新報)

 出産時の医師らの不適切な対応で次女が脳性まひになり、4歳9カ月で死亡したとして、福島市の法科大学院研究生幕田智広さん(42)と妻の美江さん(42)が福島県立医大(福島市)に1億円の損害賠償を求めた訴訟は26日、医大が和解金8500万円を支払い、出産事故防止に向けた改善策を講じることで、仙台高裁で和解した。

 和解条項に盛り込まれた改善策は(1)妊婦やその夫から十分なインフォームドコンセント(十分な説明と同意)を得る(2)切迫子宮破裂の兆候を認めた場合、速やかに緊急帝王切開を行う(3)原告の意見を聞いた上で、医師や看護師ら向けの要領や指針を半年以内に作成する―が内容。

 記者会見で、智広さんは「判決を得たかった気持ちもあるが、和解は医療の在り方を考えてもらう上で有意義だったと思う」と評価。美江さんも「前(再発防止)に進んでいくことができる。次女の死は無駄ではなかった」と語った。

福島医大病院取りやめ/帝王切開経験者の自然分娩(2009年8月25日福島民友ニュース)

 福島市の福島医大付属病院で1995(平成7)年、同市の幕田智広さん(43)と美江さん(42)夫妻の次女未風(みゅう)ちゃん=2000年3月に死亡=が仮死状態で生まれた件を受け、同病院が今年4月から、帝王切開の経験のある妊婦の自然分娩(ぶんべん)の取り扱いをやめていたことが24日、同医大などへの取材で分かった。
 幕田さん側が同医大に損害賠償を求めた訴訟が2月に和解、和解条件に同医大が再発防止策を講じることが盛り込まれていたため、これに対応する形で同医大が決定、幕田さんに同日報告した。

この症例、「福島医大VBAC事件」として非常に有名なものでして、「産科医療のこれから」さんでも過去に詳しく取り上げられた事例ですので、是非とも一度参照いただければと思います。

【参照】裁判は公正? ― VBACと30分ルールをめぐって 現場との乖離(産科医療のこれから)

お産というのは御存知の通り非常に力の入る大仕事で、それに耐えられるように子宮という臓器は非常に丈夫な筋肉の固まりで出来ています(焼き肉屋で言うコブクロというこりこりしたものが牛の子宮をさしますが、もっとも多くの場合あれも子宮本体ではなく脇についている卵管部分のことが多いようですね)。
帝王切開というものはこの子宮に切れ目を入れて胎児を取り出すという作業ですから、帝王切開を行った妊婦が今度は通常の経腟分娩(VBAC:帝王切開後経腟分娩)を行うと、出産時の負荷によってもしや子宮が裂けてしまう(子宮破裂)んじゃないかとは素人にも心配になってくるところです。
「産科医療のこれから」さんも詳しく解説していただいているように、実際かつては非常に危険なものであった時代もありますが、現代では安全性向上の研究もずいぶんと進んできているし、それぞれの合併症のリスクも具体的にこれくらいと明示できるようになっています。

一方でこのVBACというもの、むしろ現代においては医学的なリスク以上に訴訟リスクというものの方が大変なんじゃないかとも言えるような状況となっていて、実際この件に限らず行ったなら行ったで、また行わなかったなら行わなかったでよくトラブルとなるところではあります。
しかしいずれにしても大前提として「何かあっても対応できる施設で慎重に行うこと」ということは当然な話なのですが、これがそのあたりの緊急対応も出来かねる町医者レベルであればともかく、一般に「何かあったときに対応してくれるべき施設」である大学病院での話だと言うことが象徴的ですよね。
今の時代にあって大学病院でさえリスクマネージメントとして「危ないことは行わないようにしよう」という選択をしてしまう、今回のように社会的要求として対応を強いられるならば当然そういう結論になるしかないわけですが、では果たしてそれが患者にとっての利益になるのかということも考えなければならないでしょうね。

別に医療に限ったことではないと思いますが、今の時代どうもリスクというものを他人に丸投げするという行為が当たり前に行われるようになってきているのではないかと思います。
「リスクはあるけどやってみますか」という言葉の裏には、当然ながら一定の確率で何かが起こるリスクをあなたは背負い込まなければならないんですよという意味が込められているわけです。
しかしリスクには知らぬ顔をしてその行為によるベネフィットだけを手にすることが当たり前だと思っている、あるいはリスクに直面した場合に「こんなつもりじゃなかった、どうしてくれる」と承知したはずのリスクを相手に押し付けるという行為が続くようであれば、これはサービスを提供する側としても相手の利益ではなく、純粋にリスクを最小化することを目指して動くしかないですよね。

とりわけ病院の半数が赤字という時代、医療現場において今や訴訟や金銭と言ったリスクを抱え込むということは即破綻に直結する死活問題であって、たとえ気持ちの上で受けたくとも現実問題として無理という局面も多くなってきています。
利用者の側がリスクは嫌だと感じるように、提供者の側も同じことを考えているのだとすれば、医療現場における最もローリスクな結論は「危ないものには近づくな」という話になってくるわけですが、今の現場にまさしくそうした意識が滲透しつつあるように見えるのは何故か、負うべきリスクの放棄が結局誰の利益、不利益につながるのかを、利用者自身も知らなければなりません。

「“未管理妊婦”受け入れリスク」(2009年8月20日毎日放送VOICE)

「未管理妊婦」という言葉をご存知でしょうか。
妊娠してから1度も診察を受けないまま、いきなり出産の時を迎える妊婦のことなんですが、ほとんどの病院がトラブルを避けるため受け入れようとしません
そんな中、大阪にすべての妊婦を受け入れるという病院ができました。
そこでの密着取材を通じて、今の「妊婦」を取り巻く問題を取材しました。

~今年2月~

「がんばる時に、なるべく長くがんばろうか」
陣痛が始まって5時間が過ぎました。
「子宮内胎児死亡…。40週を越えているような…」
深刻な表情の医師。
保険に入ってない
「ソーシャルワーカーさんにも来てもらって」
当直日誌に残る、「未管理」・「自宅出産」の文字。
「育てる気がは?」
「ないと言ってる」
「授乳は?」
「していません」
すべての妊婦を受け入れる、日本初の画期的な診療を掲げる産婦人科。
しかし、日々妊婦と向き合う医師たちは、その異変を感じはじめています。

大阪府南部の貝塚市。
(略)
妊婦検診と婦人科は貝塚市民病院が、そしてお産はすべて市立泉佐野病院が担当します。
お産をひとつの施設に集約することで妊婦の受け入れ体制を強化し、産婦人科医の過重労働を少なくするのが狙いです。
(略)
公立病院から産婦人科がなくなりつつある中、地域医療を守るためにできた新たなシステムですが、今、妊婦の変化に危機感を抱いています。
『未払い』と『未管理』です。
(略)

<市立泉佐野病院・荻田和秀産婦人科部長>
「半分の方は泉州だけでなく、大阪市内から受け入れている」

その中で深刻なのが、一度も病院で検査を受けたことがない「未管理妊婦」の搬送です。
病院の取材を始めて2か月、その女性は運ばれてきました。

きのうの朝、破水なんだけど、本人はおしっこが出たと思っていたと」
「赤ちゃん?」
「2800。羊水は少ない。炎症が出ているのでしんどそう」

やって来たのは、30代の女性。
職場で破水し、別の病院から運ばれてきました。
陣痛がすでに始まっています。

女性は「未管理妊婦」。
妊娠何か月なのか、赤ちゃんの状態もまったくわかりません。

<医師>
「本人は妊娠はわからなかったと言っている。(結婚は)していない」

お腹の赤ちゃんと共に危険な状態で、すぐにお産の準備に入ります。
(略)
6時間後、男の子が産まれました。
しかし、泣き声が聞こえません。
仮死状態でした。
破水からしばらく放置していたため、汚染された羊水などを吸い込み、呼吸ができなかったようです。
(略)
なぜ、1度も検診を受けなかったのか。
その女性は、経済問題などをあげたといいます。

<医師>
「赤ちゃんは何も悪いわけじゃないし、次に同じことを繰り返さないでほしい」

普通に「おめでとう」と言えないお産は、医師も複雑です。
泉佐野病院には、こうした未管理の妊婦が去年だけでおよそ30人運ばれてきました。
なかには、分べんや入院費用を払わず赤ちゃんを置いて出て行く女性もいるといいます。
取材中、もう1人、自宅で出産したという未管理の妊婦が運ばれてきました。
お金がなく育児ができないという女性、病院の職員が面談を行います。

<職員>
「貯金は?」
<女性>
「全然なくて。働いてもいなかったので、全然ないんですけど。生活保護もらって、家を探そうかと」
<職員>
「生活保護は、働くことができない人がもらう制度」
<女性>
子どもとは別々でもいい。一緒にいると、子どもを見ていないといけないし、仕事も探せなくなる
<職員>
「自分に何ができるかを自覚してもらわないと。赤ちゃんが一番かわいそう」

結局、女性は赤ちゃんを乳児院に預けると言って退院していきました。
治療費の大半は親戚が支払ったといいます。
(略)
妊婦のたらい回しが社会問題となる中、すべての妊婦を受け入れる病院は今や貴重な存在です。
しかし、未管理妊婦の受け入れはリスクが大きい上、財政難に直面する公立病院にとって大きな負担です。

<市立泉佐野病院・荻田和秀産婦人科部長>
「トラブルに巻き込まれたくないという病院の気持ちもある程度は理解できる。1次救急のお産を受けられるのはある意味幸せ。大阪にも同じような拠点病院ができればいいが難しい部分もある。ただうちの施設が損をしているとは思わない」

「生まれ来る命を救う」のは、産婦人科医の使命。
今、その根本が揺らいでいます。

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コメント

泉佐野市早期健全化団体へ転落
http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009082601000309.html
治療費の未払いで、病院のみならず市もつぶすんでしょうか?
市民住宅の家賃不払いの夕張を思い出しますね。

投稿: 子持ちししゃも | 2009年8月26日 (水) 14時51分

あの界隈で中小自治体病院をそれぞれに抱えるというのもどうかなと思います。
結局自治体病院でなければならない患者層と言えば収益性に乏しい患者層と限りなくイコールであるわけですから、どうしてもと言うのであれば社会福祉的観点から最低限のものだけを公費で維持するというしかないと思うのですが、「きちんとした総合病院じゃないと困る!」なんてことを言われるんでしょうねえ…

投稿: 管理人nobu | 2009年8月27日 (木) 11時08分

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