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2009年7月19日 (日)

今日のぐり「劉備」

気がつけば、当「ぐり研ブログ」もかれこれ一周年らしいのですね。
思いのほか長く続いているものだなと見るべきなのか、思いのほか大勢の方々に見ていただいているものだなと見るべきなのか、いずれにしても駄文におつき合いいただいている皆様方には感謝しきりです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、今日は少しばかり原点回帰といった感じでこんな話題を取り上げてみましょうか。
先日こういう裁判があったということをちらっとお目にかけられた方もいらっしゃるかと思いますが、まあよくある話題と言えば話題です。

★『違う考え認める学校に』 原告教諭通知で現場息苦しく(2009年7月15日東京新聞)

 県立学校の教職員ら百三十五人が県に、入学式や卒業式で日の丸に向かって起立して君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟の判決が十六日、横浜地裁で言い渡される。県教委が二〇〇四年十一月、各校長に送った起立斉唱を義務付ける通知が「思想・良心の自由」を保障した憲法一九条に違反するかどうかの判断が焦点となる。原告に判決にかける思いを聞いた。 (岸本拓也)

 「人と違う考えを認め合えない教育現場であってはならない」

 湘南地区の県立高校で社会科を教える竹下雅悦教諭(50)は、そんな思いから裁判に参加した。高校教師になったのは一九八三年。赴任先の入学式や卒業式で、君が代斉唱の際に不起立を貫いてきた。

 日の丸への違和感を抱いたきっかけは、父の戦争体験。戦時中、父がスパイと思い込み処刑した中国人が、無実の農民だと学生時代に読んだ文献で知った。父は事実を知らず、最期まで日の丸や君が代を愛した。竹下さんは「父のような人を多く生んだ教育の象徴である日の丸・君が代を敬うことはできない」と話す。

 裁判で県側は「起立斉唱は儀式的行為にすぎず、個人の内心に踏み込むものではない」と主張する。

 しかし、竹下さんは県教委の通知後、現場の雰囲気が変わったと感じる。県教委は不起立教員の氏名収集を、県の審査会で二度も不適当とされたにもかかわらず続ける。現場には息苦しさが漂う。

 竹下さんの学校には日本国籍以外の生徒も少なくない。生徒には国旗国歌を敬う自由と、そうでない自由が許されることを教える。

 「生徒に画一的な思想を押しつける意図が、個人の権利を保障する憲法や民主主義の基本を学ぶ学校にあってはならない。判決もそうあってほしい」

東京新聞 【神奈川】『一方的な乱暴判決』 日の丸・君が代訴訟 原告、怒りあらわ(2009年7月17日東京新聞)

 公務員には日の丸・君が代への起立斉唱義務がある-。県立学校の教職員が、入学式や卒業式で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で十六日、横浜地裁判決は原告の主張をことごとく退けた。原告団は「起立斉唱の強制を望まない国民の常識から懸け離れている」と怒りをあらわにした。 (岸本拓也)

 「われわれの主張への判断を一ミリも反映していない判決に激しい怒りを感じる」

 判決後の会見で、原告弁護団の神原元弁護士は強い口調で判決を批判した。判決では、起立斉唱命令が国旗国歌への「敬意」の強制にあたるとした原告の主張への具体的判断は示されなかった。

 また、判決は「教員が起立斉唱に従わないと、来賓や保護者に不信感を抱かせ、対外的な信用を失墜させる」と指摘。原告弁護団代表の大川隆司弁護士は「一方的価値観でしか物事を見ない乱暴な判決」と述べた。

 県教委は二〇〇六年春から、起立をしない教員の氏名収集を始め、県の審議会などで二度も不適当との答申を受けても続けている。原告団長の三輪勝美さんは「力による支配で、教育現場が負のスパイラルに陥っている。高裁で、個の思想信条が尊重される判決を勝ち取りたい」と話した。
◆『粘り強く指導する』 県教委

 「国歌斉唱時の起立は国際的なマナー」とする県教委。十六日の横浜地裁判決はほぼ、この主張通りだった。

 かつて県内では、卒業式で君が代を斉唱しない県立高校がほとんどだった。しかし、国旗国歌法成立後の二〇〇〇年には100%に。以降、不起立教職員への「指導」を強めてきた。

 〇四年には、県教育長が、県立学校の校長に、入学式・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱の指導を徹底するよう通知。指示に従わない教職員には「服務上の責任を問い、厳正に対処していく」として懲戒処分も示唆した。

 ただ、県教委は取材に対し、「処分は具体的には検討していない。粘り強く継続的に指導していく」としている。 (中沢穣)

こういう話を聞いて個人的に以前から大変に気になっていることですが、日本人の場合国際試合等で行われる国歌斉唱の場面できわめて行儀が悪くて、他国の国歌が流れている最中に平気で大騒ぎしていたりするのはどうにかしてもらいたいと思うのです。
やってきた相手の選手が何処の国の人であれ、国歌が流れている間はきちんと起立し背筋を伸ばして聞く、それが国際的に当たり前に求められる最低限のマナーと言うもので、こうした最低限のマナーすら守れない人々というのは普通の国の人々から見ると非常にイメージが悪いものです。
日本のサッカー代表が初めてW杯に出場した98年フランス大会では日本のサポーターは試合場のゴミをきっちり片付けて変えるなど非常にマナーが良いと評判になりましたが、一方でこういう基本的なところがなっていないと言うのはどうしたことなんでしょうか。

思うに基本的な原因として、他人を尊重する、そして他人の尊重するものをも尊重するという態度が子供の時代からしっかり身についていないのではないかと思います。
例えば先日はオーストラリアの有名な観光名所でもあるエアーズロックが入山禁止になると言う話が出ていましたが、現地の人がはるか祖先の代から聖地と崇めてきたものを部外者に土足で好き放題踏みにじられたとしたらどう感じるかという視点を持たなければならないと思いますね。
海外の名所旧跡にみっともない日本語の落書きなどして自ら恥を晒すような行為をしているのを時折見かけますが、我々の先祖が大事に守ってきた国宝級の古刹に"Kilroy was here"なんて大書してあるのを見たらどう感じるかという想像力が働かないものでしょうか。
昔の学校というところはそういう基本的な他人に対する思いやりを養成する場所でもあったと思うのですが、どうも最近の学校ではそうでもないということなのでしょうか、「自分が嫌いなものは嫌いで結構、後ろ足で砂かけようが土足で踏みにじろうが好きにしていいんだよ」なんて妙な心得違いを教師が先頭に立って広めているんじゃないかという懸念が拭えません。

自由民主主義の大前提として存在する基本的概念が何かと言えば、相互の尊重という考え方だと思いますね。
私はあなたに私の自由と権利を尊重してもらいたい、そのかわり私はあなたの自由と権利を尊重しますという相互主義があってこそ、各人が好き勝手に振る舞っているように見える中にも社会がそれなりにうまく回っていくわけです。
他人の尊重するものを尊重しない人間は結局他人を尊重することが出来ないという人間であって、自由民主主義社会にふさわしい態度を身につけているとは認められないですし、何よりそんな人間が自らの尊ぶところだけを他人から尊ばれたいなんて得手勝手な主張をしているのは片腹痛いというものです。

今日のぐり「劉備」

水玉ブリッジライン(と言うんでしたっけ?)の西側の終点あたりにある、のどかな田園地帯の真ん中にぽつんと立つのがここ、「中華そば専門店 劉備」です。
こんな場所にありますがなかなかの人気店で、この日も店内は満席状態でしたのでカウンターの片隅に腰を下ろしたのですが…久しぶりに来てみると何か変わってないですか?
そもそも昔は親父さんとせいぜいフロアが一人くらいでやっていた店という記憶があるんですが、今見てみますと厨房には若い人たちばかり大勢詰めています。
声もちゃんと出ていますし、やってくる客の数までチェックしているというくらいですから、これはそれなりに気合いが入っているということなんでしょうか?
どうも後に調べたところではいつの間にか代替わりしたとも聞くのですが、HPが出来ていたりしてやる気もあるようですし、店員の動きが良く士気が高い店は期待できるというのが自分の経験則なんですが、さて…

それはともかく、この日は少しカロリー的にも頑張って(苦笑)とり丼セットを頼んでみました。
まずやってきたのは中華そばなんですが、一目見た瞬間に「ん…?」と感じてしまったのはスープの色です。
昔食べた時の記憶では確かにあっさり系ではあるんですが、結構醤油ダレも切れ味するどくスープも相応に深濃い味わいで、同じ鶏ガラ系ということで例えるなら笠岡ラーメンの「一久」を今風に食べやすくしたようなスープという印象があったのですが、こうして見ると同じ笠岡ラーメンでもあっさり系の「司」?と思うような色調です。

とりあえず口に運んでみますと、これが見た目以上に記憶にあるのと全く違う味…それこそHPでは「あっさり鶏ガラスープ」と言いますが、今時のスープとしてはあっさりというより二番ダシかと思えるくらいに味が…と思えるし、薄味好みの自分の舌にとってもこの醤油ダレの曖昧な味はスープをまとめるにはいささか…といったところ。
一応麺茹でからトッピングまで見ていたところ湯切りの手際なども変な感じでもありませんでしたから、自分が全く記憶違いをしているのか、代替わりして味が変わってしまったのでしょうか?

細めの麺は味こそ特記すべきものでもありませんが、やや硬めの茹で加減でスープとの相性はまずまずですから、いよいよオペレーションが失敗しているわけでもなくこれが目指す方向だということなんでしょうか?
価格帯を考えるとチャーシューはそこそこ水準はクリアしているかといったところ、シナチクは味はまずまずなんですが食感がもう少しかなと感じられましたが、それ以上に少し気になったのがトッピングのネギ、それも味だの風味だのよりもその盛りつけ方です。
少しへたり気味なのはまあ許せる範囲なんですが、この微妙な量でこう漫然とスープの上に散らされると一昔前のインスタントラーメンの粉スープに入っている乾燥ネギがスープに浮いてきたところを思い出して、ちょっと見た目的に哀しいものがありますよね。
どっちにしろ味は同じだと言えば言えるんですが、商品の盛りつけとしてお客に見せることを考えるならもう少し工夫していただけるとさらに良かったかなという感じでしょうか。

少し遅れてやってきたとり丼ですが、これは単品の価格(\300)を見ても量を見ても完全にそばとセットでという扱いなんでしょうか(そう言いつつ単品で頼んでいるお客もいたようですが)。
なんでもこの界隈のラーメン屋御三家?として「あかり」「にぼし家」そしてこの「劉備」の名前が挙がるそうなんですが、これら三店ともそれぞれ特徴ある鶏料理が揃っているというのは地域性なのか、なかなか興味深いところではありますよね(あかりなんて純然たる豚骨系ですのに)。
にぼし家の特徴的なほどクリスピーな食感優先の唐揚げに比べると、こちら劉備のとり丼に載っているのはむしろ肉の味と噛み応えを楽しませるものといったところでしょうか、噛みしめる毎に飛び出してくるうま味という点ではこちらの方がずいぶんと上だと思います。
こうなるともはや完全に好みの問題ですが、個人的には唐揚げ単品で食べるならにぼし家、こうして丼として食べるならこちら劉備のスタイルがいいのかなというところで、いずれにしてもこのとり丼はラーメンの付け合わせとしては味も量も手頃な感じでいいと思いますね。

全体としては十分値段なりの価値はあるラーメンかなと思ったのですが、何にしろ記憶の中にある味との不整合が単なる記憶違いであれば良いのですが、ずっとこの味ということであれば昔の「何も飛び道具はないけど真面目にしっかり作りましたよ」と感じさせていた頃のようにはスープに高い点はつけられないかなとも思うところですね。
ネットでざっと画像を調べてみましたら記憶にあるような色調の日もあるように見えますから、あるいはこの日だけの何かしらの問題と言うことなのかも知れませんが、前の親父さんはスープには相当こだわっていた印象があっただけに、実際味を変えたということであればちょっと残念でしたね。
店員にやる気がある店に対してあまり水を差すようなことを言いたくもないので、とりあえず今回のところは代替わり後ということで判断を保留としておくべきなのでしょうか。

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