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2009年6月10日 (水)

人の死とは単なる生物学的意味での個体の終焉にとどまらず

以前にもお伝えしましたように、千葉を始め全国で医療版ADRが稼働し始めています。
稼働からおよそ二ヶ月ばかりが経過した現在、その現状がどうなっているのかを記事から紹介してみましょう。

「対話が重要」 裁判せず解決、医療ADR 医師と患者、双方にメリット(2009年5月31日産経新聞)

 医療事故などのトラブルを裁判によらずに解決する医療ADR(裁判外紛争解決手続き)の取り組みが広がっている。千葉市では4月に相談センターの業務が始まり、秋には岡山弁護士会も仲裁センターを開設する。民事訴訟で法的責任を追及するには3、4年かかるが、医療ADRは半年程度での和解成立を目指す。費用負担が少ないメリットのほか、医師と患者の話し合いの場としても期待されている。(長島雅子)

                   ◇

 「死亡診断書の内容が納得できない」「薬の過剰投与が死因ではないか」

 千葉市中央区に4月6日、発足した「医療紛争相談センター」。業務開始以降、170件以上の電話相談が寄せられ、面談の予約は2カ月先まで一杯だ。

 センターを運営するNPO法人「医事紛争研究会」の植木哲代表(千葉大教授)は「千葉県の医療安全相談センターには毎年約3000件の相談が寄せられるが、千葉地裁に提訴されるケースは年25件程度。医療に不満があるのに行き場のない人は多い」と語る。

 センターでは、まず電話で相談を受け付ける。調停の申し立てがあれば医師、弁護士、学識経験者の3人が当事者双方から話を聞き、紛争の原因や因果関係を解明。半年をめどに和解の成立を目指す。

 相談は無料だが、調停申し立て手数料は患者側が2万1000円で医療機関側が4万2000円。双方が調停期日ごとに手数料1万500円を支払う。和解額に応じた手数料も必要で100万円の場合は約8万円の費用を折半する。

 9月に運用開始予定の「医療仲裁センター岡山」。岡山弁護士会医療ADR部会長の水田美由紀弁護士は「医療紛争は当事者双方のコミュニケーションギャップが大きく、対話によって解決する問題は多い。説明しても納得してもらえず疲弊している医療側の救済も目的」としている。

 医師会が中心の「茨城県医療問題中立処理委員会」は、全国初の医療ADRとして18年4月に発足。これまでに扱った38件のうち、和解は6件だが、交渉終了後の話し合いで和解が成立したケースもあるという。

 前立腺がん摘出手術の直後に尿が直腸に流出する症状が出た60代の男性が調停を申し立てたケースでは、病院側が調停会議で治療経過を説明し、謝罪。3回の話し合いで男性は納得し、申し立てから9カ月後に和解した。

 同委員会を立ち上げた小沢眼科内科病院の小沢忠彦院長は「これまで防ぎようのない事故を患者に説明する場がなかった。患者と医療者が情報を共有する場が必要だ」と指摘する。

 消毒薬の誤投与で妻を失い、民事訴訟で勝訴した永井裕之さん(68)も「医療側が誠意を持って対応することが大事。そうでなければADRという言葉がひとり歩きするだけだ」と訴える。

【用語解説】ADR

 Alternative Dispute Resolutionの略。裁判外紛争解決手続きと訳される。交通事故紛争処理センターのように、仲裁、調停、斡旋(あっせん)といった方法で紛争を解決する。平成19年4月に施行されたADR法では、消費者トラブルなど民事上の紛争全般を想定している。

立ち上げたばかりということで今までたまっていた案件が集中している可能性もあると思いますが、結構たくさんの利用があるものだなという感じでしょうか。
こうしてある程度公的な権威をもった組織が仲立ちに入ることで、紛争が必要以上に焦げ付いてしまうことを回避できるのではないかとも期待されるところですが、今後実際にどういう結末に至ったのかをデータとして公表していってもらえるといいかなと思いますね。

こうしたトラブルの事例を見ていていつも思うのですが、医療に限らず専門職と非専門の利用者との間のコミュニケーションギャップの問題は非常に大きいという気がしています。
実際にトラブルに至った事例でも医師同志で話を聞いている分には「なんでそれがトラブるんだ?クレーマーか?」と思えるような事例が大多数であろうし、一方で患者同士で話をしていれば「あり得ない!絶対医療ミスだよね!」と言う結論に至って何ら不思議ではない場合が多いのでしょう。
理解の前提条件となる知識の偏在という問題ももちろんありますが、お互いに話したいことだけを話し、聞きたいことだけを聞くという態度が話をこじらせている部分が非常に大きいんじゃないかなと思うのですが、その実例としてちょうどよさそうな記事がありましたので紹介しておきます。

しあわせのトンボ:「余命半年」=近藤勝重(2009年6月3日毎日新聞)

 知り合いのA氏が末期の肺がんだと奥さんから知らされた。

 医師は「余命半年」と本人に告げたそうで、「ひどいこと言うでしょ」と奥さんは電話口で声をつまらせる。

 どういうことなのか、いきさつを聞いた。精密検査の結果が出た際、A氏は何か察するものがあったとみえ、自ら「あと何カ月ですか」と担当の医師に聞いたのだそうだ。

 本人が尋ねれば医師はストレートに答えるんだ、と今日のがん告知のドライさを思う一方で、しかしほかに言いようもあるだろうと思った。

 以前、がんと余命のことを調べたことがある。ある総合病院の医師は4人に1人の割合で余命予測が大きく外れているというデータを得て、1カ月以上生きられる患者には「1カ月ごとにみていきましょう」と説明しているということであった。

 昨今は身辺の整理がしたいので余命を教えてほしい、と医師に聞く患者もいるようだ。しかしそんなふうに割り切れる人はどれほどいるだろう。

 ぼくなりに何人かのがん患者と向き合ってきたが、彼らは道端の一木一草にも目をとめて一日一日をいとおしみ、その一日一日で強気と弱気が交錯している印象だった。

 それにしても医師は、患者には酷と思える余命をなぜ口にできるのだろう。がんの正しい理解を呼び掛けて精力的に活動中の東京大付属病院放射線科准教授、中川恵一氏が先日、安田講堂で開かれたがんのシンポジウムでこんな話をしているのを本紙で読んだ。

 <今は多くの医師が平気で「余命3カ月」と言います。一方、そう言われた患者さんの多くは1年以上生きます。なぜか。短く言っておいた方が医師に得だからです。「余命3カ月」と言って1年生きたら、「先生のおかげで延命できた」となるわけです>

 中川氏もふれていたが、本来パートナーであるはずの医師と患者の信頼関係の維持が難しくなっているようである。相次ぐ医療訴訟に加え、病院経営も厳しくなって、医師もまた追い詰められた側にいるのかもしれない。

 A氏のがんに話を戻すが、奥さんによると、今はホスピスのお世話になっているという。たばこは駄目ながら、好きな酒は医師の許しを得て、毎日1合ちょっと飲んでいるらしい。

 余命はどうあれ、A氏には生と死の間を埋めんと注ぐ酒であろう。(夕刊編集長)

内容に関して敢えてコメントはしませんが、おそらくこの記事、読む人間の立場によってずいぶんと違った解釈をしながら見ているんだろうなと推察されるところです。
別にそれぞれの異なった解釈のうちで何が正しくて何が間違いと言うわけでもありませんが、そうした「異なっている」ということ自体が無用なトラブルの原因になっているということであれば、これは医療従事者側にとっても利用者側にとっても不幸な行き違いとしか言い難いことですよね。
一応マスコミなどというところは本来専門職の言葉をわかりやすく非専門家に伝え、非専門家の生の声を専門職にフィードバックするなどといった相互無理解の仲立ちをするべき役目も期待されていたんじゃないかと思いますが、実際にはむしろ…ま、ここではそういう話はやめておきましょうか。

ところで、医療トラブルにおいてその最たる理由の一つになってくるのが死因がはっきりしない、医者の説明に納得できないということではないかと思います。
例の事故調設立に関わる一連の議論を振り返ってみても、死因を決めるというのは単に科学的事実の確定のみならず何らかの社会的判断をも行うことが紛糾の原因となっていたように思うのですが、そのあたりが一定のフォーマットが確立している自動車事故などと比べても関係者それぞれの認識が未だ成熟に至っていないのかなと思わされるところです。
そんな件もあって久しく前から迷走していた厚労省の「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」ですが、久しぶりにその話題を聞いたと思いましたらこんなことになっていたんですね。

死因究明で意見取りまとめ、夏にずれ込みも―日病協(2009年5月29日CBニュース)

 日本病院会など11団体でつくる「日本病院団体協議会」(日病協、議長=小山信彌・日本私立医科大学協会病院部会担当理事)は5月29日の代表者会議終了後、記者会見を開き、死因究明制度について当初6月末にもまとめたいとしていたワーキンググループの報告が、夏ごろにずれ込むとの見通しを示した。

 代表者会議では、▽今年度から実験的に始める社会保障カードの構想▽診療報酬改定に係る要望書▽死因究明制度に係るワーキンググループ―などについて報告が行われた。
 死因究明制度について、深尾立(かたし)氏(労働者健康福祉機構千葉労災病院院長)は会見で、「各病院団体とも、病院団体としての意見統一がなされていないところが多い現状で、本当にこの団体協議会としてまとめられるかどうか分からない。場合によっては、いろんな意見を並列して記すだけになるかもしれない」としながらも、「やはり非常に重要な法案が審議に向かって進んでいるところで、病院団体が何らかの意見を表明していくことは極めて重要であると考え、できるだけ早く意見をまとめていきたい」とした。
 深尾氏は意見取りまとめの時期について、「当初の勢いでは、6月いっぱいということが小山先生の希望だったが、やってみるとなかなか大変なところがあって、6月は難しい。7月か8月くらいになるかもしれない」と述べた。小山議長は「政権がどうなるかによっても変わってくる」とした。
 また深尾氏は、「民主党案と自民党が推す厚生労働省の意見と大きく分けて2つあるが、いずれにもくみしない。団体としてどうあるべきかという意見をまとめることができたらいいなと思う」と述べた。

しかし「政権が変わるかも知れないから」と先送りにしていたのでは、当面安定政権など見込み薄である現今の政治情勢下でいつまでも結論など出そうにない話ですが…あるいは、そっちの方が表向きに出来ない真の目的ということなんでしょうか(苦笑)。
今ごろになって「いずれにもくみしない」と言われましても、今まで民主党案は全くのスルーで厚労省案でFAと結論ありきのアリバイ議論ばかりやってきたようなイメージがあったのも気のせいだったということなんでしょうかね?
この件についてはかねて民主党の方が積極的な提言を行ってきた経緯がありますが、本当に今夏にも政権交代が起こるということであるようなら今までの議論がそれこそひっくり返るようなあっと驚く結論が出てくる可能性もないことはないですよね。

ところでかなり話は変わりますが、同様に「死因究明」ということに関わる話題でこんなニュースが出ていましたので一緒に紹介しておきます。

警察庁が携帯エコー全国配備へ 現場で遺体内部検査(2009年6月7日47ニュース)

 遺体の死因などを調べる警察の検視の精度を高めて犯罪見落としを防ぐため、警察庁は7日までに、変死体の発見現場に持ち込み遺体内部の異常を調べることができる携帯型の超音波(エコー)検査装置をすべての警察本部に配備することを決めた。

 人員不足の検視官支援策として山形など5県に先行配備済みで、残る42都道府県分の機材購入費約8700万円が、先月成立した2009年度補正予算に盛り込まれた。

 犯罪の疑いがある遺体は、刑事部門で経験を10年以上積み法医学の専門講習を受けた検視官が、外側から観察したり触ったりして死因や事件性の有無を調べる。内部の確認には医師の解剖が必要だが、エコーを使うことで犯罪を見逃して解剖に回さないケースを防ぐ

 42都道府県のうち北海道を除く41都府県には警察本部に1台ずつ、管轄面積が広大な北海道警には道警本部に1台と、4カ所ある方面本部にも1台ずつ置く。当面は医師の指導の下で使用する。

 警察庁によると、昨年1年間に全国の警察が扱った変死体は16万体を超え、10年前の約1・5倍。

たぶんこの記事を見た全国医療関係者が「無理だろjk」と声を揃えただろうことに明日の昼飯代をかけてもよろしいですが(苦笑)、恐らく当の検視官の皆様方も同様なことを考えているのかも知れませんね(そうなると誰がこんなことを言いだしたのかが気になってきますが)。
そもそも検視官とツーカーと言えば指導を仰ぐ医師とは司法医のことだと思いますが、彼らにエコーを操作するスキルがあるのかどうかがまず問題ですし、逆にエコーになれた臨床医に指導を受けるとなればツテの有無はともかくとして、彼らに死因診断のスキルがあるかどうかが問題です。
ましてやこうした場合にしばしば警察の皆さんのお相手をしているだろう全国末端の医師会会員であるところの地域開業医の先生方などにおいては…まあ、そういうことも含めて当然全てなにがしかのマニュアルなりは整備しているんでしょうが、いずれにしてもこの計画がどれくらいの実効性を発揮できるのかには純然たる興味がありますね。

しかしあまり関係ないですが、この件の絡みでちょいと調べて見ましたら、最近はポータブルエコーもこんなものとかあんなものとか、ずいぶんと格好良いのが色々と出てきているようで、これなら一家に一台とは言いませんが一つくらいあっても便利がいいんだろうなと思わず購買意欲はそそられるところです。
ちなみにポータブルエコーの相場が新品で一台100万円前後とも側聞するのですが、導入数40数台に対して周辺の消耗品を込みとしても支出が計8700万円ということであれば、いろいろな意味でお安くはない買い物になったのかなという気もするのですが。
いやはや、この金も回すべきところに回せば警察活動にどれほどの貢献が出来るかとも思うところですが、どうでもいいところに使える金というのはあるところにはまだまだあるのだなと言う感じなのでしょうかね。

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