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2009年4月10日 (金)

産科無過失補償制度 医療に何を求めるのか?

今年から運用が始まった産科無過失補償制度に関しては、これまでにも制度設計上の問題運用手続き上の問題を取り上げてきました。
特に後者に関連してこんな記事が出ていますので、まずは紹介してみましょう。

産科補償制度で「専用診断書」(2009年3月26日CBニュース)

 日本医療機能評価機構は3月25日、産科医療補償制度運営委員会を開き、脳性麻痺児への補償認定を請求する際に使用する「専用診断書」の様式を決めた。同制度が独自に定めている障害程度の等級などを書き込むもので、補償対象にするかどうかは、同機構内の審査委員会が専用診断書などを基に審査する。

 専用診断書を作成するのは、▽「肢体不自由の認定に係る小児の診療等を専門分野とする医師」▽日本小児神経学会が認定する小児神経科専門医-のいずれかの要件を満たす「診断協力医」。
 脳性麻痺児の家族が診断協力医に専用診断書の作成を依頼し、その後、分娩機関に提出。補償の対象は、審査委員会の審査を踏まえて運営委員会が認定する。認定請求は7月以降に始まる見通しだ。

 専用診断書は、障害の「等級区分」や「新生児期からの障害の経過・現症」などを書き込む「(総括表)脳性麻痺診断書」のほか、「脳性麻痺の状況及び所見」「検査結果」「神経学的所見及び臨床経過」「写真及び検査データ貼付欄」から成っている。全13ページにもなることから、25日の運営委員会では、「診断協力医の負担が大き過ぎる」と懸念する声もあった。

 専用診断書は、全国の診断協力医などに送付する。診断協力医については現在、約300人の委嘱手続きを進めており、関係学会などに呼び掛け、当面は1000人程度の確保を目指す。
 同機構では、専用診断書の作成マニュアルを5月ごろにまとめる方針だ。

一見して金を出す気がないんだなとも取られかねないような話なんですが、このあたりの報告書の書式策定の経緯については、少し古いですが下記の記事が参照になるかと思います。

中立的な事例分析を―産科補償制度(2009年2月18日CBニュース)

 今年1月1日からスタートした「産科医療補償制度」の中で、脳性麻痺発症の原因分析などを行う「産科医療補償制度原因分析委員会」が2月18日、初会合を開いた。委員長に就任した日本産科婦人科学会の岡井崇常務理事は、「この制度が社会にとって良い制度として定着するためにも、この委員会が果たす役割は大きい。医療提供者の側をやみくもに非難することなく、中立的な立場で事例の分析を行っていかなくてはいけないと考えている」と述べた。

 同委員会では、まず下部組織である部会が、分娩機関から提出された診療録などや脳性麻痺児の家族からの情報に基づいて医学的観点から検証・分析を行い、原因分析報告書案を作成。その後、同委員会で正式な報告書を作成する。報告書は、家族と分娩機関に提出するとともに、一般にも情報公開する。
 同委員会は今後、仮想事例を基にした原因分析のシミュレーションなどを行い、早ければ7月の会合で原因分析報告書の作成に入る予定。

 18日の初会合では、部会が作成する原因分析報告書案の作成マニュアル案や情報収集のあり方などについて意見交換した。
 部会は、「児・家族、国民、法律家などから見ても分かりやすく、信頼できる内容とする」「医学的評価に当たっては、検討すべき事象の発症時に視点を置き、その時点で行う妥当な分娩管理などは何かという観点で事例を分析する」などに留意して、▽原因分析報告書の位置付け・目的▽事例の概要▽脳性麻痺発症の原因▽臨床経過に関する医学的評価▽今後の産科医療向上のために検討すべき事項―の5項目から成る報告書案を作成する。
 マニュアル案では、発症原因の分析に当たっては、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会監修の「産婦人科診療ガイドライン産科編」や、米国産婦人科学会 (ACOG)特別委員会が定めた「脳性麻痺を起こすのに十分なほどの急性の分娩中の出来事を定義する診断基準」など、科学的エビデンスに基づいた資料を参考にするよう求めている
 臨床経過に関する医学的評価については、結果から診療行為を評価するのではなく、診療行為をした時点での判断に基づいて評価することや、当事者の責任の有無につながるような文言は極力避け、医学的判断の根拠やそのレベルを示す必要があるとした。また、診療録などと家族からの情報の内容が異なる場合は、それぞれの視点で分析・評価し、場合によっては両論併記とすることもあるとした。

 弁護士の鈴木利廣委員はマニュアル案について、「医学の立場から見て、望ましくないことが行われたときに、当事者の責任につながる文言を避けると、少しバイアスの掛かった報告書と見られかねない」と指摘した。
 また複数の委員から、報告書の情報公開時には、分娩機関名などが黒塗りされるのに対し、家族や分娩機関に渡されるものについては、こうした措置が取られないため、「家族がオープンにすることには規制がないのか」との疑問の声が上った。

 「産科医療補償制度」は、分娩に伴い重度の脳性麻痺を発症した新生児やその家族に補償するとともに、原因分析や情報提供を行うことで、紛争の防止・早期解決や産科医療の質の向上を図ることを目的としている。補償額は、看護・介護を行う基盤整備のための準備一時金600万円と、毎年の補償分割金120万円が20回の計3000万円。

こちらを見てみますと決定の段階で一番問題になったのは客観に徹した内容を求めるといったことであったようで、それだけに証拠固めということに関してはいささか神経質というほどのものを求める内容になってしまったと言うことなのでしょうか。
しかし科学的、客観的といえば聞こえは良いですが、厚労省やマスコミが好んで強調している「医療訴訟の軽減」や「患者救済」という側面は直接的には配慮されていなかったらしいことが、少なくともこの記事からは読み取れるようにも思えるのは気のせいでしょうか?

いずれにしても実際に運用しなければ問題点の洗い出しも出来ませんから当面経過を見ていくしかないのかなとも思いますが、何にしても産科を含めた周産期医療にかつてないほど注目が集まってきている時代であることは確かなのでしょう。
実際のところは少子化時代真っ盛りで子供の数が増えているわけでもないのですが、新聞などメディア上において医療記事が載るとなればまずもって周産期絡みが多いのもそうした社会的興味を背景にしたものでしょうか。
一昔前の文学と言えばお約束だった「主人公の親はお産絡みで亡くなっている」などという話がリアル社会で全く聞かれなくなったことにも現れているように、周産期医療は過去半世紀余りの時を経て劇的にその成績を向上させて来ましたが、皮肉にもそのことが医療に対する期待値をかつてないほど高くしてしまっています。
「妊娠出産は病気ではない」という言葉が一人歩きした結果、「お産絡みで何かあればそれは医療ミス」という発想に直結してしまっているようでは産科の先達たる皆さんの寝食を忘れても苦労も何だったのかということになりかねませんよね。

最近になってようやく既存メディアもそうした当然予想されるべきリスクの問題を認識したのか、ひと頃の医療バッシング一辺倒の論調からは少しは脱出し始めているような気配もないわけではなさそうです(微妙な表現…)。
例えばかねてから医療問題に関して素晴らしい記事を相次いで飛ばしてきた産経新聞ですら、こんな記事が載るようになったのも時代ということなのでしょうか。

【産科医解体新書】(30)“自然なお産”とリスク(2990年3月24日産経新聞)

 分娩(ぶんべん)台でのお産は、一番合理的と考えられているスタイルです。何が合理的なのかというと、合併症などが起きたときに一番対処しやすいのです。このスタイルは、産科学によって長い間かけて発達し、定着してきたものです。ただ、医師にとっては合理的でも、患者さんにとっていいかどうかは意見が分かれます。

 分娩台でなく、もっとリラックスした形で自然に産みたいという患者さんが多いのも事実です。日本人ならではの畳の上や、水中出産など“自然なお産”は、病院で行う分娩台での出産に比べ、感染症などのリスクが高いのですが、このことを理解している方はあまり多くありません

 一時期、水中出産がマスコミでよく取り上げられたことがありました。僕は学校で、ヒトが魚から猿になり人間へと進化したことを学びました。せっかく進化して人間になったのに、あえて魚にまでさかのぼって水中出産するなんて、僕にはすごく不思議なことに思えます。

 カンガルーのまねをする方法も盛んです。なぜ、日本でオセアニアの一哺乳(ほにゅう)類のまねをする必要があるのか? これについてきちんと勉強したことがない僕には分かりませんが、分娩後にいろいろなメリットがあることは確かなようです。

 ただ、分娩時のトラブルに一番神経を使う産科医にとっては、いわゆる普通の分娩をしてほしいのが本音です。魚やカンガルーと同じような方法で出産しているとき、もし大量に出血し始めたらどうすればいいんだろうと思うからです。

 患者さんの選択の全部を否定するつもりはありません。なるべく患者さんの意に沿う良い分娩を提供したいとも思います。でも、分娩台での出産は、お母さんと赤ちゃんの命を守るために定着したことを、患者さんにも知ってほしい

 これから出産を予定している人は、自分でリスクをきちんと調べ、医師や助産師さんと相談したうえで、どういう形で産むのがいいかを決めてもらえればと思います。(産科医・ブロガー 田村正明)

世に医療崩壊と言い、その原因として医療費抑制政策が悪い、訴訟リスクが原因だと色々と言いますが、根源的な要因としてミスマッチというものがあるのではないかなと感じています。
近ごろではしばしば需要と供給の量的ミスマッチからくる受け入れ不能問題などが取り上げられますが、むしろ医療に対する期待値と実効値との間に存在する質的ミスマッチこそがより大きな問題の本質なんじゃないかと思いますね。
病院に入っていれば必ず病気は良くなる、適切な医療を受けてさえいれば急変などあり得ない、そんなことは実際にはそれこそ「あり得ない」ことなのですが、何故かあり得ない期待だけが一人歩きした結果「期待はずれだった。おかしい」という話に結びついていく。

昭和の初めには日本人の8割が自宅で亡くなっていましたが、今では8割が病院で亡くなっていて、死が日常から遠くなったなどとも言います。
医療の究極の目的が病を治し死から人を遠ざけることだとすれば、医療というものはほぼ確実に最終的な敗者となることを宿命づけられているということですから、そうした意味では責任論的有罪の立場から決して逃れることは出来ないとも言えるでしょうね。
そうした現実を見据えた上で何をどうすべきか、医療従事者は近ごろそれなりの答えを見いだしつつあるようですが、医療を受ける側はどうなのでしょうか?

少なくとも言えるのは常識と思っていたものは今や全く常識などではなく、何をどうしようが人は、生き物はすべていずれは死んでいくということから話を始めなければならない時代だということなのでしょう。
しかし果たしてそれは崩壊一途の現場を必死で支える医療人の果たすべき仕事なのか、何であれ命に関わる全てを医療人に期待し望むことが正しいことなのかという一抹の疑問も感じています。
誰しも等しく関わらざるを得ない生命と健康の問題に対する、国民の認識はどうなのでしょうね。

医療にどこまで求めるのか―特集・新生児医療「声なき声の実態」番外編・上(2009年3月2日CBニュース)

「不安はあるけど、この子と一緒にいたい」=小児科病床―特集「新生児医療“声なき声”の実態」番外編・中

「わたし」たちはどこまで命を救う―特集「新生児医療“声なき声”の実態」番外編・下

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