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2009年4月 9日 (木)

ADR稼働 安全はけっしてタダではない

この4月から全国初の医療版ADR(裁判外紛争解決手続き)が稼働しているということで、まずはこちらの記事を紹介してみましょう。

医療紛争相談センター:6日から、全国初のADR業務開始 第三者機関が調停 /千葉(2009年4月3日毎日新聞)

 医療事故など医師と患者間の紛争について、裁判外紛争解決手続き(ADR)にあたる「医療紛争相談センター」が、6日から業務を始める。医師と法律専門家が参加し医療紛争のADRに取り組む第三者機関は全国初。今年中にADR法に基づく法務省の認証取得を目指す。

 センターは、NPO法人「医療紛争研究会」(代表・植木哲千葉大教授)内に設置。医療紛争では、民事訴訟を起こした場合、和解や判決まで通常2~3年を要するが、ADRでは調停と話し合いで3~4カ月をめどに解決を図る。簡単で迅速な手続きが特徴という。

 センターによると、県内で医療行為に関する患者からの相談は07年で約3000件あり、このうち医療過誤は約240件。千葉地裁に約25件が提訴された。植木代表は「民事訴訟として表に出るのはごく一部。潜在している紛争を解決する機関が必要」と話す。

 手続きは、患者か医療機関側が医師や看護師からなる相談委員と面談。その後、調停を申し立て、相手側が調停参加を了承した場合、医師、弁護士、学識経験者の3人の調停委員が和解を目指す。

 相談は無料。調停申し立て手数料は患者側2万1000円、医療機関側4万2000円。当事者双方が調停期日ごとに手数料1万500円を支払う。和解額に応じた成立手数料が必要。和解額が1000万円の場合は、約50万円の費用がかかる計算になる。

医療事故の和解へ相談所設立 千葉で開始、電話相次ぐ(2009年4月6日47ニュース)

 裁判ではなく、話し合いによる和解を目指す裁判外紛争解決(ADR)機関の「医療紛争相談センター」が6日、千葉市中央区で業務を始め、スタッフが電話での相談受け付けに追われた。弁護士や医師らでつくる特定非営利活動法人(NPO法人)が設立した。

 千葉県内を中心とした首都圏から電話が鳴り続け、相談者は「手術後に家族が亡くなったのに、医師から何の説明もない」などと訴えていた。

 センターによると、2007年度に千葉県に寄せられた医療相談は約3000件で、うち医療事故に関するものは約240件。裁判に持ち込まれたのは25件という。

 同センターの岡田知也弁護士は「裁判所に行かず和解をしたい人は多いのに、医療紛争では専門的な受け皿がない。裁判を起こすほどお金がない人にも和解の機会を提供できる役割は大きい」と話した。

日弁連はこのADRを全国に広めようとしているという話は以前にも書きましたが、おそらく今後各地で同様の組織が立ち上げられていくことになるのでしょう。
一つ気になるのは以前にも取り上げた法科大学院の惨状と言うものに関連して政府用党内でも司法試験合格者増加政策を見直す動きがあり、日弁連側からも合格者数現状維持を求める声が上がっているということです。
法曹人口も決して需要に対して多すぎるようには見えませんが、こうした新規業務を手広く行っていくということであれば人手の問題は果たしてどうなのかとも思うところですがね。

そうした懸念はともかくとして、先頃の産科無過失補償制度(極めて限定的ですが)導入に続いて医療訴訟という以外の医療紛争解決の道が整備されてきたことは評価すべきことではないでしょうか。
しかし問題はそれによって実際に患者側の不満が解消するのか、そして最終的に医療訴訟が減るのかといった実効性の面がどうなのかと言うことですよね。

医療事故と司法ということに関しては以前に大野病院事件と関連して和田仁孝氏のコメントを紹介しましたが、今の医療訴訟の一つ大きな問題が「誰にとっても良い結果にならない」ということではないでしょうか。
医療訴訟と言うと医療側には「司法は後出しジャンケンで裁いているではないか」という不満がある、一方患者側には「司法は一番知りたいことは何も答えてくれないじゃないか」という不満がある、結局お互い余計に気分が悪くなるだけで誰一人満足していないじゃないかというわけです。
こうした不満と言うのは多かれ少なかれ訴訟(ことに民事訴訟)に対する理解不足から来るものも多いようで、それに対する司法側の答えの一つが「裁判所は謝罪をする場所ではない、こころのケアをする場でもない、金額を決める場所です」という言葉に集約されているのかも知れません。

いずれにしても医療側も患者側も医療訴訟というものに対する過剰な(場違いな?)期待感というものを排除し冷静に向き合うためには、ある程度司法側のものの考え方、方法論といったものも理解しておかなければならないということなのでしょう。
そのあたりの司法のロジックというものを個人的にかなり納得できたのが「新小児科医のつぶやき」さんのところにありました下記のカキコです。

2007-03-02 神奈川帝王切開賠償訴訟」より転載

# an-do 『>暇人28号
私も以前知人の弁護士と同じような話になったのですが「普通に考えればわかる」というのは法律関係者への批判としては不適切だと言われました。
なぜなら、裁判と言うのは可能なかぎり「常識」を排除した上で、双方の言い分のみを比較し、どちらがより説得力があるかで勝敗がつくものだからだそうです。
極論を言えば、Aさんが「海は青い、なぜなら私が見た海は青かったからだ」と主張し、Bさんが「海は青くない、私はこのコップの中に海の水を入れてきたが、この水は青くないからだ」と主張すれば、例え裁判官が毎日青い海をみながら通勤していたとしても、裁判ではより説得力のあるBさんの主張が通り「海は青くない」という結論になるのだそうです。
そう考えると、法律関係者の意見としては、この判決がもし誤りだとすれば、それは判断を下した裁判官の責任ではなく「帝王切開決定から出産まで1時間16分かかったことは医学的に妥当である」ということを証明できなかった医療側に落ち度があると言う事になるのでしょう。

特に証拠の何たるかに厳しい刑事訴訟と比べると民事訴訟においては証拠能力(証拠となる資格)に関する制限がゆるいということですが、このあたりの考え方を理解するための材料として例えば最高裁の判断で「東大病院ルンバール事件」と呼ばれるものがあります。
1955年に東大病院で発生した患児死亡事例に関して民事訴訟となり、一、二審は原告敗訴、最高裁で逆転勝訴となったものですが、事件の概要を引用してみましょう。

用語解説◇東大病院ルンバール事件より抜粋

 原告は3歳児です。化膿性髄膜炎で入院中に、連日のルンバール検査の実施と投薬治療によって、症状は次第に軽快していました。

 事件当日は、担当医師が学会に出席するため、通常は避けている昼食20分後にルンバール検査を実施しました。その際、患者がいやがって泣き叫びましたが、医師は馬乗りになって患児の体を固定し、何度も穿刺してようやく成功しましたが、この間30分かかっていました。

 ところが、その15分ないし20分後に、患児は突然嘔吐し、けいれん発作を起こし、その後、右半身不全麻痺や言語障害、知的障害、運動障害が発症、後遺症として残ってしまったものです。

 争点は3つ。1つ目は、不全麻痺、知的障害、運動障害の原因は何かというものです。2つ目は、不全麻痺や知的障害、運動障害の発症と、医師が行ったルンバール検査との間に因果関係があるのかどうかです。最後の3つ目は、最終的に医師に過失が存在したのかどうかです。

 裁判の結果です。1審、2審とも医師の過失はなかったと認定。原告側の主張を退けました。

 第1審判決は、1965年2月28日東京地裁で下されたものです。判決は、発作や後遺症が生じた原因は脳出血と認定し、その上で、ルンバール検査と脳出血との因果関係は認めましたが、医師の過失はないと判断しました。

 また、第2審は、1973年2月2日、東京高裁で下されました。判決は、発作と後遺症の原因については、「脳出血によるものか、化膿性髄膜炎もしくはこれに伴う脳実質の病変の再燃によるものか、判定しがたい」と認定しました。

 この原因が明らかでないとの認定が前提となり、ルンバール検査との因果関係は断定しがたいと判断されました。結局、医師の過失も認められないとし、原告側の控訴を棄却しました。

 争いは、最高裁に持ち込まれました。そこで下された判断は以下のようなものでした。

 「訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りる」。

 「高度の蓋然性」を証明することで因果関係の立証は足りるとの判断は、その後の医療訴訟に大きな影響を与えることになりました。「1点の疑義も許されない自然科学的証明」から「高度の蓋然性の証明」へと舵が切られたわけで、その意味でターニングポイントとなる判決だったのです。

 最高裁の結論は、「化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別な事情も認められず、他に特段の事情が認められない限り、経験則上、本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールによって発生したものとして、その間の因果関係を肯定するのが相当である」というものでした。

この事件に関しては最近になっても未だに詳説が出ているようで、今に至るも色々と議論の余地もあるというのは確かなようです。
またこのところの司法のスタンスとしてはかつての「賠償金額を決めてから判決文を書く」といった患者救済優先の考えから転換しつつあるとも言いますから、必ずしも現在の医療訴訟の現場がこうした方針に基づいて動いているわけでもないのかも知れません。
しかし医療訴訟事情に詳しくないごく一般的な医療従事者の視線で見れば、ひとたび法廷に引き出されるとこんなふうに厳しいことを言われるんだなと考えてしまいそうな話ではありますよね。
患者と司法の関わり方と同様に医療機関における司法との関わり方というものは長年の蓄積によって決定されてきた経緯もありますから、何かしら新しいシステムが稼働しただとか検察の偉い方々が声明を出しただとかいった一事によって直ちに劇的に変わるものでもなく、気長に取り組むべきものであることは関係者全てが認識しておかなければならないでしょうね。

裁判沙汰などと大事にならない予防が大事という点では医療そのものとも似通った側面がありますが、現場での取り組みはどうなっているのでしょうか。
今の時代医療現場でひとたび何かが起こるとあちらからもこちらからも人非人のように集中砲火を浴びるわけですが、医療従事者にしても患者がすっきり治って退院していってくれればそれにこしたことはないわけですから、別に望んで医療事故を起こそうとしているわけでもない以上は少しでも安全に業務が行えるように改善していくモチベーションはあるわけです。
ただそのモチベーションなるものの所以が、現場の人間にとっては「医療訴訟なんてこわい、勘弁して欲しい」だとか「事故なんて起こしたら寝覚めが悪い」だとかいった気持ちの問題で片付くにしても、今の経営状態最悪な医療機関にとってはもう少し実利的なものが必要なんだと思いますね。
このあたりの事情が伺える記事も紹介しておきましょう。

医療クライシス:コストカットの現場で/5 費用がかかる安全対策

 ◇取り組むほど経営厳しく

 医療の安全対策の先進病院として知られる船橋市立医療センター(千葉県)。特に力を入れているのが、他病院での事例も含め、発生したトラブルの内容や防止策を図解などで職員に分かりやすく伝える「医療安全対策文書」の発行だ。

 作業の中心を担うのは、副院長以下3人がほぼ常駐する医療安全管理室。多い時には毎日のように発行し、02年9月からの6年半で750号に達した。得られた教訓は年1回、「ルールブック」としてまとめている。

 厚生労働省はこうした取り組みを推進するため、06年度の診療報酬改定で、専従の「医療安全管理者」を置いた病院には入院患者1人につき50点(500円)を加算する仕組みにした。だが、年間入院患者約9000人の同センターの場合、加算は約450万円で看護師1人分しかない。小沢俊・前院長は「経営面で言えば、医療安全に取り組むほど病院は損をする」と話す。

   ■   ■

 国が医療事故防止に本腰を入れ始めたのは99年に横浜市立大病院や東京都立広尾病院で重大な事故が起きてから。02年の医療法施行規則改正で、病院・診療所に安全管理指針の整備や患者相談窓口の設置などを義務付け、04年10月からは大学病院などに医療事故の報告義務を課した。

 こうした対策には、どれぐらい費用がかかるのか。今中雄一・京都大教授(医療経済学)らは06年度の全国調査で、入院患者1人にかけている医療安全コスト(人件費や研修費など)を、大学などの臨床研修病院で1日975円、その他の病院で404円と算出。全国の病院が「月1回、1時間以上の安全管理委員会開催」など標準的な安全対策を実施するには、総額332億円の追加コストが必要と推計した。これに対し、医療安全管理者配置による診療報酬加算(07年)は、全国で約18億円。今中教授は「診療報酬は抑制される一方、医療安全の要求は高くなった。水準を上げるには資源投入が必要で、国は資源確保の仕組みを工夫すべきだ」と指摘する。

   ■   ■

 厚労省研究班が03~05年に全国18病院のカルテを調べた結果、有害事象(予期せぬ障害や合併症)は入院患者の6・8%に起きていた。ベッド100床当たり年約63件で、事故の手前の「ヒヤリ・ハット」は、その数十~数百倍あるとされる。

 ところが、国が01年から始めた「ヒヤリ・ハットの全例報告」に協力する240医療機関(計約10万床)から寄せられた07年の報告は約21万件。100床当たり約210件で、有害事象の推定数の3倍程度しかない。

 年間5000件前後のヒヤリ・ハットを報告している東海大病院(神奈川県伊勢原市)は、データ打ち込み専従の職員を雇う。安田聖栄副院長は「医師や看護師だけでは対応できない」と話し、人件費は病院の持ち出しだ。関東のある病院長は「報告1件でいくらといった手当でもないと、情報を上げきれない」と漏らす。

厚労省は「医療安全は医療機関の当然の責務」とする。だが、予算がなければ対策は進まず、被害に遭うのは患者だ。

医療費というものは何事も公定価格ですが、本来は自由に価格設定していいはずの産科なども好き放題な値付けをしていられるわけではありません。
例えば出産の一時金は先頃無過失保証の保険料分だけ上乗せされて38万円になっていますが、産科の先生に言わせると母子の安全のためにきっちりした仕事をするためには少なくとも40万円以上はかかる計算らしいですね。
医療機関に経営的なゆとりがあった時代には出産費用は一時金の範囲内で抑えておこうというのもありだったかも知れませんが、実際には全国各地の赤字医療機関続出という状況では出産費用の値上げが続いている結果、一時金だけでは足りないという事態になっていることは御存知の通りです。
ところが一部公立病院では出産費用改訂も議会の承認がいるということで未だ原価割れでのお産取り扱いを強いられているところもあるやに聞きますが、昨今の公立病院も経費削減にうるさいですからこういうことになってくると、削るべからざる何かを削らざるを得ないということになりますよね(実際に色々と噂は耳にしますが…)。

医療の側もいままでろくに収支計算もしないままどんぶり勘定でやってきたという点で同情に値しない部分もありますが、厚労省も診療報酬において加算するならするでちゃんと計算して意味がある加算をした方がいいんじゃないかという素朴な疑問が湧きませんか。
「日本人は水と安全はタダで当たり前だと思っている」とか「安全は金には換えられない」なんてことを一昔前にはさんざん言われていましたが(今でもか?)、マンパワー集約型産業の一つの典型である医療現場においてはサービスに対する対価というものをきっちり出してこそ安全が担保されるのだということをそろそろ政府も国民も、そして現場の人間も学習しなければならないのでしょうね。
なんにしろ医療対患者という関係に限らず様々な意味において「対価に見合ったサービス」という概念を理解できない病院はこれからの時代、どんどん淘汰されていくことでしょうかね。

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