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2009年3月18日 (水)

福島県の医療崩壊の現場から

先日も岩手県の県立病院再編問題について書きましたが、地域医療の危機ということに関して東北地方は以前から医師不足が顕著な土地柄であることが知られています。
大野病院事件で一躍全国に名を轟かせた福島県では福島民友が「医療危機'09ふくしまの現場から」という連載を続けていて以前にも断片的に取り上げさせていただいてはいましたが、この3月16日から第二部の連載がはじまりました。
これがまだ連載途中ですがなかなか香ばしいネタが満載ですので、さっそく既連載分を取り上げさせていただきます。

【救命救急センター】 医師の疲弊深刻に(2009年3月16日福島民友)

 軽症患者を取り扱う診療所は「初期救急」、入院治療が必要な患者を取り扱う病院は「二次救急」と呼ばれる。「三次救急」として高度な治療を施す救命救急センターは福島医大など県内4カ所。患者の症状に応じた適切な役割分担が理想とされる。

 「税金でやってるんだろ。2日も寝込んで来たんだ。早く診てくれ」。事故や急病などで生命の危機にある患者に対応するため、昨年1月に整備された福島医大付属病院の救命救急センターで男性が医師に声を荒らげた。男性の症状は風邪だった。
 この男性に応対した医師は本県の救急医療の第一人者で同センタートップの田勢長一郎部長。田勢部長は「地域の救急医療システムが机上の空論となっている。軽症の人が救命救急センターに来るケースは珍しくない」と話す。診療所や民間病院が休みになる土、日曜日は特に多いという。
 入院治療が必要で地域の診療所では対応できない症状の患者は病院が受け入れ、病院でも対応が難しい重篤な患者を救命救急センターが引き受ける機能分担が救急医療の基本的なシステム。しかし、実際には軽症を含む多くの患者が病院に殺到しているのが現実だ。

 救急医療をめぐっては近年、搬送受け入れ先の医療機関が決まらず、極端な場合には治療を前に死亡する事例が全国で報道されている。新聞紙面には「診療拒否」などの見出しが躍る。
 本県でも昨年12月、事故で重体となった女性が6病院で受け入れを断られ、最終的に救急車到着から1時間12分後に現場から約58キロ離れた病院に運ばれた事例があったばかり。
 「実際には『対応不可能』が事態を正確に表現する言葉だろう」と田勢部長は現場の医師の声を代弁する。患者で病床が次々と埋まり、本当に入院治療が必要な患者が運ばれてきたときに空床がなければ、「対応不可能」となる。また、当直の医師全員が患者の対応に当たっている場合も受け入れられないのが実情だ。

 救急医療ならではの重責も医師を疲弊させる。田勢部長は救急医療の現場を「患者がいつ運び込まれるか分からず、頭から足の先まで、外科系も内科系も全部診断して適切な治療を行い、少しの見逃しも許されない現場」と表現する。病院勤務医の不足が叫ばれる中、限られた医師数で責任を背負い、殺到する患者に対応する。その多忙さは計り知れない。
 田勢部長は「救急は医の原点だと、救急専門医の志望者もいたけれど、みんな燃え尽きてしまう。救急に対する理解は少ないと思いますよ」と静かに語った。

三次救急に軽症患者が云々といった話題は今さら感も強いのですが、この場合気になるのは三次救急の救急センタートップが「地域の救急医療システムが机上の空論となっている。軽症の人が救命救急センターに来るケースは珍しくない」と他人事口調で語っていていいのかということですかね。
三次救急医療機関といえば「二次救急体制では対応できない重症および複数の診療科領域にわたるすべての重篤な救急患者(頭部損傷、心筋梗塞、脳卒中など)を24時間体制で受け入れる体制と高度な診療機能をもつ医療機関」を言うわけですから、本来患者が自己判断で勝手にやってくるような医療機関ではないし、そうあるべきでもないのです。
本来なら二次救急以下からの搬送患者への対応だけに特化すべきところですがシステム上自己受診患者にもある程度対応せざるを得ない、その負担を多少なりとも軽減するために時間外料金加算は病院側で判断して幾らにするか決めなさいよという話になっているわけですから、要は病院側の設定が機能していないというだけの話ではないですか。
福島県立医大と言えば昨春に時間外負担金を全額自己負担化するというニュースがありましたが、この時点でも「導入には利用者の反発が予想され」云々などと言う議論が出てくること自体が三次救急の役割を当事者が理解していないということのように思えてなりません。

【専門医志向】 敬遠される専門外(2009年3月17日福島民友) 

 「満床」「専門医がいない」などの理由で病院が救急搬送の受け入れを断り、患者が死亡に至るケースが全国で相次いでいる。県内では昨年、郡山市と矢祭町で発生、県は医療機関や消防と対策を急ぐ方針を確認している。

 昨年2月、太田西ノ内病院救命救急センター(郡山市)など同市内の5病院で受け入れを断られた女性が別の搬送先で死亡した問題。救命の「最後のとりで」となる同センターまでもが受け入れできなかったことが、救急医療のもろさを浮き彫りにした。
 同センターの篠原一彰所長(46)は「昨年の受け入れ患者数は、12年前の約2倍だが、センターの医師数は変わらない」と語る。県医療計画によると、県全体の救急搬送は2006(平成18)年までの10年間で約1.4倍の増加で、同センターの受け入れ患者数の急増ぶりが際立つ。昨年2月に女性の搬送を要請された際も、満床で処置室にも患者がいた。

 命にかかわる重症患者が増加したわけではない。篠原所長は、患者の専門医志向が背景にあると考える。患者は、夜間や休日でも症状に応じた専門医による診療を求める。各病院の医師も呼応するように、救急で専門外の患者を診ることを敬遠するようになった。結果として「どんな症状でも診る」(篠原所長)という同センターに患者が集中する。
 専門医志向は救急病床の確保も難しくしている。患者、家族は高度な医療機器が整っている救急病床を専門的な治療が受けられる最上の環境と認識、症状が改善しても転院を嫌う。篠原所長は「次の患者のために、土下座でお願いして移ってもらったこともある」。

 急病という非常事態で、患者、家族が最上の診療を求めるのは必然-。篠原所長はそう理解しているが「本県の医療資源が限られていることは分かってほしい」と言う。救急を敬遠しがちな医師にも「専門外であっても救急患者は診る心構えが必要」と苦言を。日本救急医学会は昨年12月にまとめた国への提言で「専門外への対応について責任範囲を明確に定め、医師が救急医療に参画しやすい体制をつくる」ことを求めた。
 篠原所長は患者、医師に警鐘を鳴らす。「双方が現状を理解して意識を変えないと、受け入れできずに患者を死なせる悲劇が、また起こる」

今どき「救急を敬遠しがちな医師にも「専門外であっても救急患者は診る心構えが必要」と苦言」などと対外的に公言してしまう人間が上に立っている施設というのもどうよと思うのですが、そうやって平素から背後から銃を撃つような真似をしているから現場の人間は何かあった時にも同じように背後から撃たれると警戒してしまうのではないでしょうか。
「次の患者のために、土下座でお願いして移ってもらったこともある」などとなると最早理解困難な領域としか言いようがありませんが、この発言を見ると篠原一彰所長は担当医の役割というものを誤解されているのではないかという危惧すら感じられるところです。

急性期から慢性期へと移行していく過程においてそれぞれの時期で治療の目的も行うべき内容も異なってくる、そして現在の保健医療体系では一つの医療機関でそれら全段階を網羅することはほぼ不可能となっているわけです。
そうであるなら最上の環境を求める患者にこそ時期を得た転院加療というものが必須になってくるわけで、医療が他施設も含めてシステム化されつつある今の時代の担当医は単に治療だけをやっていればいいという存在ではなく、治療のエンドポイントに至るまでの最善の治療スケジュールを提示する役割が求められているはずなんです。
こうした場合の転院と言うものもあくまで当該患者の利益が最大化するように行われるべきものであって決して「次の患者のために」行うような話ではないわけで、自施設で出来もしないことを出来るかのようにごまかして患者の回復を阻害しているようなことになっては本末転倒ということになりかねません。

色々と悪いことを書きましたが、ここに名前が出ているような先生方はどれもこれも熱心に地域医療に従事されている方々なんだろうなと思います。
しかし現状のままではどうしようもない、早急に患者に対して、そして医療従事者側に対しても意識改革を迫っていく必要があると言うことには総論賛成なんだと思うのですが、どうもその実施面になると途端に他人の仕事という態度が顔に出てきていませんかという気がして仕方がないのですね。
確かに大きな事件が起こればしばらくの間はマスメディアも大々的に騒ぐかも知れない、医療への関心が高まっている今の時期でならこうした特集も組んでくれるかも知れない、けれどもテレビで見た、新聞で読んだといった話で果たして患者の受診行動がどこまで変わるものか、しょせん一過性の影響に過ぎないのではないかと言う気がします。
その点で激務に負われる現場の医師達にもうちょっとやれることはないのか(それもなるべく余計な労力をかけない方向で)と考えていくと、ちょっとした心がけの違いというものも案外重要なのかなと言う気もするんですね。

たとえば出来たばかりの医療機関には色々な患者がやってきますが、年月を経ていくうちにその客層というものには次第に色がついてくるものです。
地域性、土地柄といったものももちろんありますが、同じ地域内で似たような規模の施設でも明らかに客層が違っているということはしばしばあって、その理由は何かと言えば結局は医師の診療に臨む態度などを初めとする病院側の要因が最も大きいのではないかという気がしています。
周囲の様々な施設から患者を引き受けている地域の基幹病院で「あそこのクリニックから紹介されてくる患者っていつも○○な人ばかりだよね…」なんて噂されている施設が結構ありますが、そういう患者が集まっている最大要因はやはり医療機関側にあるんじゃないかと思うんですね。
客層の良い施設が激務で客層の悪い施設が楽だと言うわけでも必ずしもないわけで、こういうのは労力発揮の量的な問題というより質的な問題なんじゃないかなと言う気がするのです。

良ければ座布団を差し上げる、悪ければ取り上げるというのは某お笑い番組ですが、患者に対してもこうした教育が必要であるなら好むと好まざるとに関わらずその尖兵となるなのは現場で患者と顔を合わせる医療従事者だろうと思うのです。
たとえば患者にとって診察室で目の前に座る医師の態度なり語る内容なりと言うのはそれなりに重いし、逆に患者に影響力を発揮するという点で医師がみのもんたなどに劣っているようでは困るわけで、もしそんな医師がいたら是非とも反省し診療行動を改めていかなければならない。
一人一人に対する影響力が集団の行動パターンを変えるなんてずいぶんと気長な話だと思いますが、激務に疲弊して心を荒ませるところまでは仕方ないとしても肝心の顧客対応にまで手を抜いてしまえば客層はますます悪化し、結果として更に自分の首を絞めていくだけだと言うことです。

どうせ疲れるのなら少しでも実のある疲れ方をした方が後々少しは楽しい未来図を期待できる可能性が上がるかも知れない、そうした目的意識があるなら合法的に取り得る選択肢というものを現場の医師たちはずいぶんと沢山もっているんじゃありませんかと思うわけですね。
何より地方という相対的に対象のマスが小さな地域でこそ個人の影響力が集団に影響を与えやすいのだと考えれば、それもまた世間で持て囃されるところの「顔の見える医療」というものの一つなのかなとも言えるんじゃないでしょうか。
と言うわけで本日のテーマは「目指せ!ストレスフリーな診察室!」といったところでどうでしょうか(苦笑)。

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コメント

医療崩壊とか医療危機とかって聞くと日本の将来はどうなるんだろうって気がしてきますね。

投稿: 看護師求人 | 2009年3月18日 (水) 19時54分

福島民友連載の今日は「産科救急」でしたが
何故県内の産科が壊滅したかはスルーで生活圏外への搬送が
患者・家族への負担になってると問題視してますね。贅沢だなあ…

投稿: | 2009年3月19日 (木) 08時44分

岩手での無床化でキナ臭い話が・・・。

http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/52186702.html

火のないところに煙はたたないとはいいますが、
まぁ、ソースのない話なので「ウソをウソと(ry」で。

投稿: はにわ | 2009年3月19日 (木) 10時45分

公立病院無床化を検討されているような地域にこうした新規産業立地が見込まれるということであれば地域振興上きわめて喜ばしいことではないかと愚考いたしますが(苦笑)。

投稿: 管理人nobu | 2009年3月19日 (木) 11時27分

福島、産科医で検索してみれば何故当地の医療がこうなったかが一発で分かるでしょうw

投稿: 元外科医 | 2009年3月19日 (木) 20時48分

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