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2009年3月14日 (土)

救急医療 崩壊への処方箋は存在するのか?

ひと頃世間では救急搬送拒否だ、たらい回しだと大騒ぎしていましたが、最近ではあまりにもありふれすぎてニュースバリューが落ちてきたのかマスコミも大々的には取り上げなくなってきた印象があります。
もちろん報道が減ったからと言って実際の状況は改善するどころか日々悪化の一途を辿っているわけなのですが、こうして危機的な実態を無視したまま日常に埋もれさせてしまっていい話なのかという疑問は以前から抱いています。
まずは下記の記事から紹介してみましょう。

5年前の5倍以上 救急搬送交渉で5回超/兵庫(2009年3月11日神戸新聞)

 神戸市消防局による二〇〇八年の救急搬送で、患者受け入れまでに病院と五回以上、交渉したケースが約九百四十件に上り、五年前の五倍以上に増えていることが十日、分かった。このうち十回以上のケースは四十七件あった。夜間や休日に受け入れる病院が減ったことなどが原因。同局によると、大半が軽症か中等症の患者で、生命に影響するケースはなかったという。

 同局によると、昨年一年間に救急搬送した患者数は約五万三千人。このうち、受け入れまで病院と五回以上(一病院に複数回の要請含む)交渉したケースは九百三十六件で、全体の1・75%を占めた。

 〇三年の百八十二件(全体の0・32%)から五倍以上に増加。特に、〇六年=四百十四件(同0・72%)▽〇七年=九百五十件(同1・64%)とここ二、三年の増加が著しい。

 背景に医師不足があるとみられる。市内の救急患者は、市第二次救急病院協議会に参加する民間病院などに搬送される。だが、同協議会の参加病院は、〇三年度は六十-六十一病院だったが、〇六年度から五十三病院に減っており、同局は「夜間や休日は対応が難しいと断られるケースが増えている」としている。

「背景に医師不足がある」というのも確かに事実ではあるのだと思いますが、それで結論としてしまうと「じゃあ今後10年は改善の見込みがないんだね。ご愁傷様」という話になりかねないわけですから、たまにはもう少し別な側面からも眺めてみるべきかなとも思いますね。
兵庫県と言えば例のJBMの王様とも言うべき加古川心筋梗塞訴訟で一躍名を挙げた地域ですが、聞くところによるとかの一件以来末端の救急担当医にも「対応困難な症例は無理して受けない」といった意識改革がかなり滲透したと言う話ですし、また救急病院協議会参加病院が激減している点からも確かに受け皿の減少ということはあるのでしょう。
とはいえ記事を読んでみると必ずしも重症であるから搬送不能というわけでもない、むしろ軽傷者がほとんどで「生命に影響するケースはなかった」ということですから、「夜間や休日は対応が難しい」という言葉を鵜呑みにするのも少し違うのかなという気がしますね。

もちろん全ての地域でそういうわけでもないことは言うまでもありませんが、特にこうした救急搬送に難渋することの多い地域において救急隊と病院側の受け入れ交渉というものは騙し合い的な要素が多かれ少なかれ出てくるものです。
「意識障害!レベル300です!」で送られてきたら泥酔者だったといった話は昔からありますが、例えば毎回どうでもいいようなことで救急車を呼ぶ困ったちゃんであるとか、常習的に治療費を踏み倒して逃げるようないわゆるブラックリスト患者などはどこの病院でも受け入れたくないのは当然ですよね。
救急隊から連絡を受けると救急担当医(多くの場合当直医が代行しています)が電話で状況を聞いて受け入れの可否を決めるという病院は多いと思いますが、こうした場合にとても救急車を呼ぶようにも思えない患者の搬送要請とくれば「ははぁ、さては…」と警戒されてしまう場合も多いでしょうね。

そんなことも考えるとこの場合、こうした軽症での救急搬送依頼が多くなっているという点にこそ対策を講じる必要があるように思いますね。
救急何でもいらっしゃいという病院が地域に幾つかあったとしても、不要不急の患者が殺到すると早晩受け入れ不能になってしまうことは当たり前ですし、そうした状況を何度か経験すればやる気のある病院ほど「うちは重症患者の受け入れに特化しよう。軽症は他の病院に回してもらおう」と受け入れを渋るということになりがちです。
重症患者の受け入れを如何に素早く適切な施設で行えるかという問題と併せて、軽症患者の不要不急の搬送要請に対してもきちんと対応をしていかなければならない、そしてそれは病院に搬送されてくる以前の問題であって、何でも医師不足で片付けるのではなく消防救急や行政の側でしっかり対策をしていく必要があることだと思いますけどね。
たとえどれだけ反感を買おうが、「救急搬送はこれだけ危機的な状況になってるんだ!そこのお前!深爪で救急車呼んでるお前みたいなやつのせいでもあるんだよ!」といったことをきっちり啓蒙していく、それこそが当局の説明責任ということなんじゃないんでしょうか。

軽症搬送の話はそれとして、病院側の容量不足などに起因する受け入れ不能も大きな問題となっているのは確かですが、こちらの問題が難しいのはリソース不足という根本原因がある以上そう簡単には抜本的改善が困難だろうという現場の共通認識があることですね。
相次いで報道された搬送困難事例を受けて東京都では救急医療体制を早急に見直すと言ってきましたが、その一つとして周産期救急であれば何でも受け入れるという「スーパー総合周産期母子医療センター」なるものを導入しようとしていることは以前にもここで書いたことです。
このスーパー総合もさっそくこの三月下旬から運用が始まると言う話ですが、どうやら全例搬送に対応できるようなシステムをきちんと組み上げることもせずに単にそれらしい病院を指定しただけと言うのが実情らしく現場では当然ながら前途を危惧する声が上がっているようです。

どうもこうした不毛な名前遊びじみた行動に終始する姿勢というのは東京都に限らないようで、厚労省でも周産期センター分類を見直そうという話が出ているようです。
これが思わぬ寝た子を起こさなければよいかなと思うのですが、まずは記事を紹介してみましょう。

周産期センター、4分類に再編へ(2009年3月5日CBニュース)

 妊婦が複数の病院に受け入れを断られて死亡したケースが頻発したことを受けて設置された厚生労働省の「周産期医療と救急医療の確保と連携に関する懇談会」(座長=岡井崇・昭和大教授)は3月4日、最終報告をまとめた。周産期母子医療センターの指定基準の見直しについては、現在の2分類から4分類に再編する方針が固まった。同省は月内に各都道府県に通知し、経過措置などを設けた上で、4月から新制度を導入したい考えだ。

 周産期母子医療センターは現在、規模によって「総合」と「地域」に分かれているが、来年度は「母体」と「新生児」の機能の評価を加えることで、▽総合周産期母子医療センター(母体・胎児・新生児型)▽総合周産期母子医療センター(胎児・新生児型)▽地域周産期母子医療センター(母体型)▽地域新生児搬送センター(新生児型)―の4つに再編成される。報告書案では3分類だったが、最終報告では地域新生児搬送センターが加わった。
 各センターの要件例としては、▽母体・胎児・新生児型=産科、MFICU、小児科(新生児)、NICU(小児外科・小児心臓外科)、救命救急センター、麻酔科、脳神経外科、心臓外科など▽胎児・新生児型=産科、MFICU、小児科(新生児)、NICU(小児外科・小児心臓外科)、麻酔科▽母体型=産科、小児科(新生児)、救命救急センター、麻酔科、脳神経外科、心臓外科など▽新生児型=小児科(同)、関連診療科(地域における新生児搬送およびそのコントロール機能を持つ)―となっている。

「総合周産期母子医療センターが、母子救急の最後の砦であるように報道されているのだが、成り立ちの経緯はそういうものでは全くない(北里大学医学部産婦人科学・海野信也教授)」などという話は以前から出ていましたから、確かに虚像を廃し実態に合わせるということはそれなりに必要性のあることなのかも知れません。
しかし東京のような医療機関が数多く存在している地域であればともかく、全国ほとんどの地域では例え能力が不足しようが実態を反映していなかろうが現に存在する病院に送るしかないという現実もあるわけで、言ってみれば虚像にすがることで何とか地域医療の「安心」を担保してきたという実情もあるわけです。
想像するに遠からぬ将来において「何てこった!俺たちの街にはまともな周産期センターもないんじゃないか!早くなんとかしてくれなきゃ困るぞ!」という声が全国あちこちから上がってくるんじゃないかと思いますが、ここでも厚労省はその声に対してどう応えるつもりなのかという説明責任があるんじゃないかと思いますね。

近ごろでは産科などは絶滅危惧種であるかのように言われていますが、特に周産期医療センターなどで周産期救急の最前線に立ってくれるような産科医は全国どこでもまったく補充の目処も立たない状況が続いています。
あるいは最近では神奈川の事例などを通じて緊急帝王切開は30分以内に完遂すべしというのがJBM的に要求される水準のようですが、実際に全国の周産期センターをみてもこの水準が達成可能な施設はわずかに3割しかないという現状があるわけですよね。

マスコミ報道や司法判断、あるいは被医療側である国民の声といったものを通じて社会が医療業界に要求する水準は近年高くなる一方でしたが、気がつけばその水準というものは現実に達成困難な遠いところにあった、しかも達成目標としてそれに近づくことすら今やいつ果たされるか判らない状況になっているというのが医療の実情であるわけです。
ありもしない虚像によって辛うじて住民不安を回避できていた医療の実像を白日の下に晒してくれるというのは医療従事者にとってはある意味医療への要求水準を低下させてくれるかも知れないありがたい話ではあるのですが、例えば東京都の搬送不能事例の報道において見られたようなパニックが起こったとして、それに対する説明責任というものは誰が負うべきなのでしょうか?

虚像に基づいた安心なんてけしからん!我々は断固真実を求める!と言う考えは一般論として正論だと思うのですが、この場合真実を求めるほどおいそれと改善できそうにない医療の現実が見えてきてしまうわけですよね。
そうであるなら最も手っ取り早く改善できるところとして医療を受ける側の教育と意識改革が必要だろうという話になってくる、その先頭に立つべき責任は寒い実情を白日の下に晒してしまったマスコミや行政といった側にもしっかりあるんじゃないかなと思うわけです。
ま、パンドラの箱を開けてしまった者とはいったいどんな顔をするものなのか、実際に見ることができるのは楽しみだというのも率直な気持ちではあるんですがね(笑)。

最後に付け足しのようなことになりましたが、マスコミを初め世間の皆さんが大好きな(苦笑)アメリカの救急事情について横須賀米国海軍病院救急医療科の許勝栄氏が一文を寄稿しています。
イギリスにしろアメリカにしろ救急医療と言うものはそれぞれに大きな問題を抱えていることが以前から知られていますが、日本とはまた違った意味であちらも大変なんだなとなかなか興味深く読める話だと思いますね。

救急医療の専門家として許氏なりの提言も盛り込まれていますが、氏自身が「各地域の救急医療を担う病院間の同意が不可欠」と書いているように、現状で如何なるシステムを導入するにせよ結局は現場がついてくるかどうかという点が最も重要なんだと思いますね。
日本の医療業界は今まで結構頑張ってきたんだなという認識はようやく広がりつつあるように思いますが、同時にそれは更なる余力という点で考えるならもうこれ以上は厳しいんだという意味でもあるわけですからね。

あるいはこのまま誰知らずうやむやのうちに事態を軟着陸させてしまうのが一番日本的な解決法なのかも知れませんが…

救急「たらい回し」と日米事情/許勝栄(横須賀米国海軍病院救急医療科)(2009年3月2日週刊医学界新聞第2820号)

 救急患者の「たらい回し」(この言葉が適切に実態を反映しているかどうかの問題はありますが,昨今よく用いられている象徴的な言葉として用います)が,メディアで大きく取り上げられています。患者を収容した救急車が受け入れ先を見つけることができない,あるいは,いったん病院で診察を受けたものの,より高度な治療のために転送受け入れ病院を探すもこれが見つからないなどで,不幸な転帰となってしまう。

 このような事態の現状把握と原因究明,さらには今後の対策について,さまざまなレベルで検討が続いているようですが,本稿では,国民皆保険制度がなく,日本と比して国民の医療へのアクセスが保障されていない,と一般的にとらえられている米国の事情はどうなのか,歴史的背景とともに見てみたいと思います。

Patient Dumping

 1985年1月。側頭部を刺された男性がカリフォルニア州のある救急外来に搬入されます。救急医は脳神経外科医に専門的治療を要請するも,2人の脳神経外科医がこれを断ります。救急医は他院に搬送することを決断し,近隣2か所の病院の脳神経外科医に連絡をとるも断られ,4時間以上の後,ようやく確保した転送先に運ばれますが,3日後に彼は亡くなってしまいます。

 同年11月。若い妊婦が陣痛のために救急外来を受診します。しかし,彼女はMedicaid(低所得者対象の公的保険)患者であったことから,Medicaid患者のお産を扱っている他の病院へ転送されてしまい,ここでさらに不幸なことが起こります。州政府の手続きが遅れていたために,彼女の名前が被保険者リストに記載されていなかったのです。彼女はさらに別の病院へ転送されることとなり,到着直後,死産となってしまいます。

 経済的な理由で患者の診療を拒否したこれらの事例は,“patient dumping(ごみを捨てるように患者を投棄する様を表現)”と呼ばれ,1980年代前半から米国で多発していましたが,上記の例が引き金となってメディアで大きく取り上げられるようになりました。これが政治を動かし,当時の大統領レーガンのサインのもと,1986年8月にEmergency Medical Treatment and Active Labor Act(EMTALA)という法律が発効し,救急外来を持つ病院を受診するあらゆる患者への医療が法的に保障されることとなりました。この結果,患者が受診した病院が適切な診療を行わない場合には罰則の対象となったのです。しかし,これで問題が解決したわけではありませんでした。

Reverse Dumping

 デトロイトのある病院でのこと。強盗にバットで頭部を殴られた意識不明の女性が救急外来に搬入されます。救急医は重症の頭蓋内損傷と診断。脳神経外科医がいる高機能病院へ転送要請を行うも,患者の保険内容が不明であったことから,14の病院から拒否されます。中には,患者が亡くなった場合に家族が臓器提供同意書にサインをするのなら受け入れます,という病院もあったといいます。結局,受け入れ先は見つからず,彼女は数日後に亡くなってしまいます。彼女が米国の三大自動車メーカーの一つの社員であり,保険を持っていることがわかったのは亡くなってからのことでした。

 同じくデトロイトでのこと。顎を撃たれた若い男性が救急外来を受診します。高機能病院へ転送を依頼するも,彼が無保険患者であったことから,要請された病院はことごとくこれを断ります。19時間が経過したとき,誰かがそっと言いました。「この病院から勝手に出て行き,手術ができる病院へ直接行ってはどうか? いったん,向こうの病院に入れば,EMTALAにより診療拒否はできないはずだ」

 これらの事例は,先の2例のような最初に受診した病院が経済的な理由から患者を他院へ放り投げる“dumping”とは逆で,受け入れを要請された高機能病院が転送を断る事例であり,“reverse dumping”として知られることになり,大きく問題視されるようになりました。当初のEMTALAには,高機能病院が転送要請を断ってもこれを罰する規定がなかったことから,1989年に議会はEMTALAを修正し,対応できる場合には高機能病院は転送依頼を必ず引き受けることとし,違反例には罰則が科せられることとなったのです。

 この“reverse dumping”は,“dumping”という表現が必ずしも適切ではないと思いますが,一見,今まさにこの国で大きく取り上げられている問題に相当するかのように見えます。昨年の10月に,東京都で頭痛を訴える妊婦の転送先がなかなか見つからずに母親が亡くなった痛ましい事例は記憶に新しいところです。

 ならば,日本でもEMTALAのような法律を作ればいいのでしょうか? ここでは日米間の異なる背景に注意する必要があります。すなわち,米国では患者転送を断る主な理由が経済的事情であったことに対して,日本では医師の不足や偏在,相対的なベッド数不足が大きく関与しており,米国の事情とは決定的に異なります。ゆえに,現状のままではEMTALAのような法律を適用することは難しいと思われます。

Diversion

 難渋する転送先確保の問題と並んで,救急車からの受け入れ先確保の問題があります。受け入れ可能な病院が見つからず,搬送を開始できずに苦しい思いをしている患者や救急隊の姿が日本の現場には存在します。では,米国ではどうなのでしょうか? 救急車内の病院搬入前患者に対してもEMTALAが適用され,要請された病院は必ず引き受けることとされているのでしょうか?

 答えはNoです。救急車内の病院搬入前患者にはEMTALAは適用されず,ベッドが満床などの理由があれば受け入れを断っても罰則の対象にはなりません。実際,米国救急医療の現場における大きな問題の一つにovercrowding(過密状態)というものがあり,救急車搬送患者を受け入れることができない,という事態が頻発しています。このため,救急車のdiversion,つまり搬送先の変更が行われており,Institute of Medicineの報告によると,その数は全米で年間50万件といわれ,毎分1回の割合で起こっていることになります。

Diversionを乗り越えて

 しかしながら,車内収容した重症患者の受け入れ先が見つからずに,救急車が例えば1時間も出発できずに患者が不幸な転帰をたどるというような深刻な事態は米国では見られないようです。その理由は,生命にかかわるような状況や急激な状態悪化が予想される場合には,病院側のdiversionary status(受け入れ不能状態)を乗り越えて患者を搬入する権限が救急隊に認められているからです。これは,EMTALAのような連邦政府による法律で規定されているものではありませんが,各地域の病院前救護体制の中で救急隊に与えられている権限であり,切迫する患者の救急医療への迅速なアクセスを保障するためのものです。

 「切迫する」の定義については議論が必要ですが,最低限このような「切迫する」患者については,たとえ受け入れ不能とされている病院であっても救急隊の判断で搬入してやむなし,という制度の地域での導入を日本でも検討してみてはどうか,と思われます。これにはもちろん,各地域の救急医療を担う病院間の同意が不可欠であることは言うまでもありません。また,「救急隊の判断で」ということが難しいようであれば,「地域メディカルコントロール(MC)担当医の判断で」とする方法もあるでしょう。中には,「切迫する」という,その時の現場での評価が本当に正しかったのか,疑問の声が上がることも考えられますが,このような場合こそ,MC会議のなかで妥当性を議論すればいいことなのでは,と考えます。

 救急患者の受け入れ不能問題は複合的であり,解決は容易ではありません。今後,一救急医として現場で地道に取り組んでいかなくては,と考えています。

許勝栄氏
1997年神戸大医学部卒。同年天理よろづ相談所病院ジュニアレジデント,99年同院循環器内科シニアレジデント。2001年沖縄米国海軍病院インターン,02年神戸市立中央市民病院救急部専攻医,03年同院救急部副医長を経て,04年よりOregon Health & Science Universityの救急医学レジデントとして,北米型救急医療を学ぶ。07年より現職。日本救急科専門医。米国救急科専門医。

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コメント

子供が3年生のとき、体温40.2、JCS20、SpO280で開業医の先生に相談して
救急搬送して貰ったのですが、入院にはなりませんでした。
点滴と吸入で回復したので(熱は下がりませんでしたが)帰宅したのですが、
落ち着いて考えてみると生命の危機ではなかったわけで、救急車利用は難しいと
今でも考えています。

投稿: | 2009年3月14日 (土) 20時18分

救急車の有料化とか小児の医療費を無料にしている自治体の場合は時間外は有料にする。
これでコンビニ受診を減らすしかないと思われます。あと明らかなミスを除いて刑事罰免責とか。

投稿: 浪速の勤務医 | 2009年3月15日 (日) 02時30分

管理人は救急車有料化論者ですが、実施するなら下手に「重症と診断されれば無料」などといった判断の余地を入れず全員一律幾らで徴収した方がいいと思いますね。
どうしても金銭負担を云々したい向きには後日患者側が申請すればしかるべき審査後に返金されるようなシステムでも作ればいいのであって、ただでさえパンクしかけている救急の現場に余計な手間をかけさせるのだけは勘弁してほしいです。

投稿: 管理人nobu | 2009年3月15日 (日) 19時04分

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