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2009年3月10日 (火)

岩手県立病院再編計画続報と絡めて

先日も取り上げました岩手の県立病院再編計画につきまして、地元紙にその後の報道がありましたので紹介します。

「実態踏まえ議論を」 無床化案で県議会空転(2009年3月7日岩手日報WEBNEWS)

 県議会は6日、県立6医療施設の無床化に関連する2008年度補正予算案の修正案審議などをめぐり空転。達増知事が県議会史上初めて「再議」を求めるなど異例の事態となった。この日も県医療局の新経営計画の一時凍結を求める議員らが「一方的だ」と反発。「このままでは医療崩壊が進む」と4月からの計画実施に理解を求める県との間で平行線をたどった。県内の医療関係者からは「議員は現場の実態を見ていない」と批判や失望の声が上がっている

 修正案の「再議」を受けて6日午後8時半に始まった県議会総務、環境福祉常任委の連合審査会。修正案を提案した議員からは「再議に付す必然性があったのか」「再議は議会に対して反省を求める意味がある」など、議論の入り口で知事への批判が相次ぎ、同11時をすぎても同様の議論が続いた。

 県医療局が、無床化を盛り込んだ新経営計画案を示したのは昨年11月。以来、「計画が唐突」「地域医療の切り捨て」などの反発が続き、12月定例会から議論は平行線のままだ。

 こうした状況について、県立宮古病院に勤務経験のある熊坂義裕宮古市長は「県議会は医療現場とあまりにかけ離れている。医師が減り、県内でもどんどん医療崩壊が進んでいるのに、非現実的な議論で反対ばかりを唱えている」と批判。

 県立病院に13年間勤務経験のある二戸市堀野の薬剤師森川則子さん(55)は「病院の現状を理解していないから反対しているのではないか。住民の気持ちも分かるが、こういうときこそ、議員は県内の現状を理解して住民に教える役割がある」と不信感を募らせる。

 県立中央病院の佐々木崇院長は「それぞれの立場はあると思うが、中途半端な結論は許されない。医療局にとって、今回の計画は(岩手の医療を守るための)最初のステップ。もう一度医療体制をつくるためには、地域の自助や互助も求められている」と冷静な議論を求める。

 県議会は昨年12月定例会で新経営計画案の撤回を求める請願を賛成多数で採択。2月定例会前の2月16日には議員有志26人が県と県医療局に計画の一時凍結を求める要請を行った。

 しかし、医師不足の現状や勤務医の過重勤務の実態は次々と表面化しており、一時凍結を求める議員からは「振り上げたこぶしを降ろせなくなっている」と本音も聞かれる

こういう利害関係が複雑に絡み合った問題というものは何であれ、誰もが円満に満足して終わるような解決策ってなかなか難しいですよね。
しかし色々と問題があって崩壊の危機に直面しているのは何よりも現場でのことなんですから、現場の人間の声に耳を傾けないような計画なんてものは単なる机上の空論と言われても仕方がないんじゃないかと思います。
現場で診療に当たっているスタッフ達は別になにがしかの計画を求めているわけではなくて、どうしようもなくなって今まさに崩壊しつつある現状を何とかしてくれ(そうじゃないと逃げるよ)と言っているわけなので、現状に対処し得ない計画など出していただいたところで屁のつっぱりにもならへんと言うことなんですよ。

むしろこの報道で注目すべきなのは、まさにこうした再編計画で病院を取り上げられるような地域の「住民の気持ち」に支えられて存在しているという立場にある地方紙にこうした記事が載るようになったという点なのかも知れませんね。
そう思ってもう一度見なおしてみますと、もしやこれは紙面記事ではなくてウェブニュース限定の記事なのかな?という気もしてくるのですがどうなんでしょうか?
これで実は紙面の方では「県民の声を無視!知事の横暴許すまじ!」みたいな論陣を張っていたら非常に面白いんですけどね(苦笑)。

急性期医療を担当する都市部の基幹病院の惨状については色々な方面でその実態が取り上げられるようになりましたが、必ずといっていいほど現場の医療従事者の悲鳴じみた訴えがキャッチーなコピーとともに紙面を飾っていますよね。
ところが僻地医療の話題と言うと地域医療が崩壊して住民が困っている云々と言った妙に総論的な話に終始している傾向があるようで、僻地医療の現場を支える医療従事者の生の声と言うのがあまり報道されてこなかったという印象がありませんか。
今回の岩手の県立病院再編計画に関わる一連の報道においても同様の傾向があるのですが、例えば以前にも取り上げました「まるで休みに来ているよう。失礼な言い方だが、ばかばかしいとも感じる」なんて応援当直医師の話を聞いてみれば、ああそれは確かにおいそれと取り上げるわけにもいかないんだろうなあと納得はできます。

世間では一口に医療崩壊といい医師不足と言いますが、その内実を見てみればこのように全く異なる(そしてしばしば相互対立的な)現象を一括りに語ってしまっているわけで、それぞれの利害関係を持つ当事者達が好き勝手な解釈で「(俺たちのための)医療は崩壊しているんだ!(俺たちのために)もっと医者をよこせ!」と叫んでいるという傾向がなきにしもあらず(控えめな表現)というのが現状です。
このあたりの世間の姿勢に対しては当然ながら現場の人間にも言いたいことはあると思うんですが、例えば破綻した夕張市の医療再建を託された僻地医療のプロとも言える村上先生はこんなことを書いています。

村上智彦の「夕張希望の杜」月報(2008年8月)

■8月15日

夕張市は42.7%と日本一高齢化が進んでいるのに保健、福祉は遅れています。それは総合病院が171床という病床を持ち、問題が病院に丸投げになっていたからです。
この問題のすり替えが医師や医療従事者の離職を生み、医療崩壊の原因にもなっていました。在宅や福祉の遅れは不安の原因になり、不必要な医療や救急を生んでいます。

夕張市立総合病院時代の入院患者の多くは社会的入院で在宅サービスは皆無でした。現在も夕張市の訪問看護ステーションは24時間体制になっていません。
つい先日も1人暮らしの高齢者が熱中症で民間の施設の介護支援専門員に発見され、施設を介して医療センターに入院しました。
この方は1カ月前に行政が把握していたのに放置されていました。「財政破綻しているから」といえば何でも許されるわけではありません。

また別の日には90歳の高齢者の一人暮らしの方が、紹介状を持ちご家族に連れられて受診しました。
「毎日市外の医療機関に通い点滴をしていたので入院させて欲しい」とのご希望でした。
紹介状を読むと特に大きな病気もなく、不安の解消のために点滴に通っているとの事でした。

高齢の方が毎日何もせず、役割もなく、水分もあまりとらずにただ病院へ点滴に行くだけの毎日ですから、弱っていくのが当たり前に思えます。
こんな状態が夕張では「ニーズ」とか「高齢者に必要な医療」と言われていて、それが出来ない事を医療の後退と言われています
早速ご家族とも話し合い、安全な生活を送るために老人保健施設を使って歩行を主体としたリハビリテーションを開始する事にしました。

比較的元気な80代の女性が以前は薬を飲んでいたが、今は特に病院に行っていないので不安だという主訴でご家族と歩いて来院しました。驚いた事にこの方の要介護度は4でした。(要介護度3で車いすです)
以前に骨折して入院していた時の介護度のままで、平成20年7月31日に更新されていて歩ける方が「要介護度4」のままではあまりに不自然なので、市役所に電話して担当者に問いただしたところ
「介護保険は一度要介護度が決まると本人が言わない限り変わらない制度なんです」と説明されました。これは全くの嘘で、夕張市以外では通用しません。更新は要介護の状態の変化をとらえるためにやるものです。
ただ単に担当者の怠慢なのか、便宜を図って意図的に要介護度を決めているのか解りませんが、不適切な要介護認定は介護保険制度の根幹に関わる問題です。

高齢化が進んだ町で必要なのはまずは保健・福祉の充実です。それがないから医療機関に依存し、丸投げにしているから莫大な医療費がかかりますが、その割には住民の不安は消えません。
医療は目的ではなく生活のための手段であり、不安の解消のためにあるのではなくて命や健康を守るためにあるものです。
どんなに高度な医療を充実させてもその地域の平均寿命が120歳にはなりませんし、不安は解消されません。
むしろ以前の夕張のように、健康作りをしないで医療機関に丸投げにするといった弊害を生み出し、結果として不必要な医療費の増大は住民の負担という形で帰ってきます。

夕張市は以前の繁栄のせいか、破綻を受け入れていない人たちはプライドはあるらしく、周囲の町の取組みを参考にしたり、日本全体の制度の変化を受け入れません。
自治体には地域の「保健福祉計画」というのを作る義務があります。
それを元に私たちも医療に取り組むというもので、地域の保健・医療・福祉の雛型になる大切な自治体のビジョンともいえるものですが、夕張市ではそれをまだ作っていません。
やるべき事をやらないで、以前のやり方と違う事を非難するだけでは問題は解決しません。少ない人材で予算がないからこそ知恵と工夫が必要だと思います。
毎日健康作りのために歩いて、食事に気をつけて十分な水分を取って頑張っている住民を見ると、結果に責任を取らない人たちが夕張を破綻させ、再生も邪魔していると感じています。
(略)

■8月29日

ある日の外来での出来事でした。高齢の父親の付き添いで、50代の娘さんが一緒に外来に来ていました。
父親の診察を終えてから娘さんとしばし会話をしていると、娘さんは自宅近くの医師が一人で運営する診療所に通院しているとの事でした。

娘さんがこんな事を言っていました。
「この前の土日に、お腹を壊してひどい目にあいました。辛くて仕方ないので、近くのその先生に電話したら居てくれて、処置してくれてとても助かりました。あの先生には絶対夕張に居てほしいです。先生方もあの先生も仲間に入れてずっと夕張にいてくれたらいいのに……」

一見嬉しく聞こえるかもしれない言葉ですが、私は敢えて反論しました。
「失礼ですが、何故その日の当番医を調べて受診しなかったのですか?先生はお一人だから、土日も潰して診て下さったのですよね?」
すると娘さんが「たまたま居てくれたから。それにあの日だけですし」と答えました。

少々意地悪に聞こえるかも知れませんが、私はその娘さんに次のような事を話しました。
「私も長く一人で診療所をやっていた時期があります。あなたのようなその日だけの人が何百人もいて、結局その先生は365日拘束されることになると思いませんか? 本当にその先生に長く居て欲しいのなら、土日を休ませてあげようと思いませんか? その先生は休みもなく、家族と過ごす時間もなく、勉強のために学会にも行けず、いずれは疲弊して辞める事になると思いませんか? 夕張市立総合病院の先生方も、2人で24時間365日土日も休みなく診ていて辞めていきましたが、同じ事になるとは思いませんか?

医師であれば休みもなくて当然だし、いつでも診てくれて患者さんの欲しい薬をたくさんくれたら良い先生で、診療以外の町の行事にも参加してくれて、眠らなくても病気もせずに笑顔で優しくていつまでもいてくれる先生が理想の先生なら、地域から医師はいなくなります。少なくともそんな先生はほとんどいないと思います。

実は厚生労働省の規定では「病院の当直は入院患者を守るためにあり、それに支障のある外来を受けてはいけないし、週1回を限度とする」と決まっています。
診療所で入院がなければその義務もありません。
労働基準法にも違反していて、それを「医師だから仕方ない」と何故か法律を守らない事が医療崩壊の原因の一つになっています

赤ひげのような献身的な先生が頑張っていると、住民の評判も良くなり、多くの人が受診するようになります。
しかし、その先生が疲弊し、燃え尽きて辞めようとすると、署名運動が起こり、さらに気が重くなって辞めると、「先生は住民を見放した」と今度は後ろから石を投げつけます
それを見ている若い医師たちが望んでこの地域に来るのでしょうか? 「そこへ行くと自分も同じ目にあい、使い捨てられるんだ」と考えるのが普通です。

多くの場合、次の先生が来ると住民は「前の先生はいつでも診てくれた」「もっと住民の声を聞いてくれた」と言い、途端に医療機関の評判が悪くなり、せっかくやって来たその先生が去ると、もう来る医師はいなくなります。
すると住民から、「首長の責任で医師を連れて来るべきだ」「住民は良い医療を受ける権利がある」「医師を確保できないのは道や国の責任だ」といった声が上がり、マスコミが住民の悲惨な声を伝えます。
私が書いたこの話をオーバーだとか仮定の話と感じておられる方もいるでしょうが、私はたくさんの地域でこんな事が繰り返されるのを散々見て来ました。

おそらく医師を含めた医療資源を大事にする地域には医師は来るし、病院も残ります。そう出来ない地域には医療は確保されずに、安全が保障されない地域は消えていくと思います。
夕張で目指しているのは、医師個人の頑張りや献身ではなく、普通の医師が来てもやって行けるという「住民が健康や医療を大切にする事で支えていく仕組み」だと思っています。
ここへ来て2年近くなりますが、まだまだ先は遠いのが現実です。
そんな中で夜間や休日の時間外受信が減り、仮に来ても「休みにすいません」という患者さんが増えたことが私たちの心の支えになっています。

村上先生は既に地域医療で実績を上げ名を成した方ですからこれだけの事が言えるわけですが、これを名も無き木っ端医者が実名で書いたりするとあっという間に炎上してしまいそうな話だと思いませんか(苦笑)。
夕張市民の自覚を促すために敢えて厳しく書かれているのだと思いますが、程度の差など多少の違いこそあれこうした事例は夕張市の特殊事情などと言うものではなくて、全国どこに言っても大なり小なり当たり前に起こり得るような話であるということをまず認識しておかなければなりません。

人間という生き物は良くも悪くも環境に適応していく力の強い生き物ですから、地域の備える医療環境に応じて医療資源の利用の仕方というものが変わっていくことに対して一概に非難するつもりはありません。
しかしながら一方で「医療資源は偏在している!どこに住んでいようと命の価値は同じであるはずだ!」と主張するのであれば、他方で自らが享受している優れた医療環境を手放し他者に分け与えるということも語らなければフェアではありませんよね。
そうしたことをせず自分の手札を隠したままで「まだまだ足りない!もっともっと寄こせ!」と一方的に言い張るのは医療僻地ではなくて、心の僻地と呼ばれるべき場所なのかも知れませんよ。

あるいはまた別な方面での僻地医療の実態というものに関して、同じ北海道は上川町立病院の斎藤秀秋院長がかなりぶっちゃけちゃって書いていらっしゃるので紹介してみましょう。

僻地勤務の過重労働について(2009年3月1日北海道医報第1086号)

勤務医の過重労働といえば、 一般的には都市部の基幹病院に勤務している医師のことを思い浮かべるのではないだろうか。近年、医師に過重労働を強いる病院は敬遠される傾向にあり、 著しく不当な過重労働は改善されつつあるように思う。 しかし反面では研修医制度の改革や医療訴訟の増加、 診療報酬の改定などによる病院経営の悪化が、 都市部においてさえ医師の偏在を生み、 さらには一部の診療科に従事する医師の著しい不足などの問題を生み出している。
さて本稿では僻地の地方自治体病院勤務における過重労働について考えてみたいと思う。 都市であろうと過疎地であろうと罹患する疾病そのものに大きな差はない。 そのため僻地では時として重篤な疾患や専門外の診療にも単独で当たらなければならない。 それでも近郊に受け入れてくれる二次病院があればよいが、 この点でご苦労されている先生方が多いのではないかと思う。道北・道東の僻地自治体病院の医師不足はこういった点にも原因があるのではないかと思う。 これらの地域では一部の基幹病院にすら医師が不足していると聞いている。
僻地勤務における最大の問題点は、 勤務する医師数が少ないため休息や休日を取ることができないことである。 年休や当直後の代休などはもってのほか、 親の死に目に会える人は運が良いといっていいだろう。さらにノロウイルスに感染しても、インフルエンザになっても休めずに、 患者さんから 「大丈夫ですか」 と気遣われたという笑い話もよく聞く。 これは院内感染予防の点からも大問題である。また、 僻地勤務の過重労働に疲れて辞めようと思っても、 地域医療に計り知れないダメージを与えるだけでなく、 病院に勤務する職員の職場を奪う恐れがあるため辞められないといった先生もいらっしゃった。そして、医師の不足する僻地に赴任する医師がいればヒーローのごとく扱われるが、 新聞には経歴が書かれ個人情報はだだ漏れである。 写真付きのこともあり、 殺人犯だってもうちょっと配慮がなされるのではないかと思う。 疲れ果てて辞めれば、 地域医療の崩壊は主に医師のせいになるようである (住民のコンビ二受診が問題だとされていたのもあったが・・・)。
北海道の僻地の地方自治体病院では多くが1~3名の医師で運営されているのではないだろうか。 平日の当直を1回、土・日・祝日の当直を2回と考えると、2人では年間240回、 3人では年間160回の当直をすることになる。おそらく、多くの先生方は研修医時代や若い頃はもっと厳しい条件で働いておられただろうが、 ある程度年をとるとこのような条件下では長い間は続けられないのではないか。 私の勤務する病院では常勤医3名と大学医局に応援を依頼し、常勤医1人あたり年間100回の当直をこなしてきた。 日勤帯は忙しすぎるということはないし、 当直回数も準僻地の地方自治体の病院としてはまずまずの勤務条件であると思う。 しかし病院の赤字のためなのか出張医を切り、 常勤医のみによる365日勤務を打診された。年間約160回の当直である。もちろんお断りしたが、退職を勧奨された次第である。今後、診療所に転換する予定であると聞くが、 広報には 「(診療所に転換するのは) 極端な医師の労働過重の実態をやわらげるための規模、 内容の医療機関に見直す必要があります」と書かれ、さらに新聞では「常勤医が退職することから、 道内の医療法人と委託契約し新体制に移行する方針」となっていた。これはもうお約束事であろうと失笑している。
以前から感じていたことだが、 どうやら世間では医師はメンテナンス料の高い機械だと思われているようである。未曾有の不況の中、職を失う人、医師よりもっと苛烈な労働条件下で働く人も多いのだろう。国民の税金で医師にしていただき、高い給与をもらうのだから、 年間160日程度の当直ごときでは「過重労働である」 と文句を言ってはいけなかったのかもしれない。

都市部基幹病院とは異なった意味での負担というものももちろんですが、ここでは僻地医師のプライバシーの無さというのもきちんと書いていらっしゃる点には注目しておくべきですかね。
少し前に鹿児島県阿久根市の市長がHPに市職員全員の給料を公開した件がちょっとした話題になっていましたが、人口2万人くらいの阿久根市の数字を見ていただいても判るとおり田舎では医師ってすごい高給取りって認識なわけです。

役場や公共施設以外にろくな産業もないような僻地における公立病院医師というのは下手するとおらが村で一番の金持ちって話になりかねませんから、公費(すなわち村にとっては貴重な外貨である国からの補助金)を誰よりも沢山手にすることになる医師達の行動には始終注目しています。
昨日はどこの店で幾ら金を落としただとか、いつもあそこの店ばかり贔屓にしているなんて話はあっという間に広がりますし、ましてや金を地元に還元しないままトンズラなんてしようものなら何を言われるかってことですよ。

医局人事などで田舎病院に赴任してみると「どうせあんたもすぐいなくなるんだろ?」なんてのっけから攻撃的な態度を取ってくる患者がけっこう多いなんて話はよく聞く話ですが、都市部の病院であっても同様に医師の転勤なんて話は珍しくないのにあまりそういう話は目立ちませんよね。
マスコミ報道なんかでは「たびたび担当医が変わることに対する不安が住民にはある。今こそ赤髭の志を持つ医師が求められている」なんて安易な総括をしちゃってますが、そういう表層的な話で終わっている限りは地域医療の実態なんてものは見えてこないということです。

岩手の医療問題もしかり、夕張や上川を初めとする北海道の地域医療もしかり、あるいは都市部の奴隷労働を強要する基幹病院しかり、とにかく今の時代は医者を大事にしない土地から真っ先に医者が逃げ出して行っているという現実があるわけです。
先の村上医師も強調していますが、熱心で優秀な医師を呼んで行政が主導して手厚いサポートを付けて頑張れば確かに地域医療はまだ再生できるかもしれない、しかしそれは件の医師がいなくなれば崩壊してしまうような個人的な力量に頼った一時的な現象にしか過ぎません。
ごく常識的に受験勉強をしてごく普通に大学で学び、ごく平凡な医師になったような大勢の名も無き一般医師であっても少しずつ力を寄せ合って支えていけるような医療環境を構築していかなければもう医療は保たないところにまで来ているということを、全ての当事者が認識しなければならないわけです。
当の医療従事者にも多いのですが、今どき「医師は聖職」なんてカビの生えた文言を振りかざす前に、ヒラリーの言うところの「聖職者さながらの献身」を強いられなくとも維持できるようなシステムを用意しろよってことですよね。

「当たり前の常識が通用するような医療を求めていこう」といったフレーズは、何も一部の先端的な患者団体だけが振り回すべきものでもないだろうと思うのです。
そしてそのために今なにが最も必要とされているのかと考えていけば、そこに出てくるのは「崩れていく現場を支える医療従事者のより一層の頑張り」なんてものではないんじゃないかなと言う気がしてきませんか。

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コメント

結局のところ県議会を構成する議員は、病院をなくされたら困るという
地域住民に選ばれた「選良」なわけで、彼らはその選ばれた地域の住民達の
利益代表として地域エゴを振りかざす事が票に繋がるという事。
そのために岩手県の医療界の現実とは乖離した要望だけが議会に充満してるのでしょうね。
知事も土下座ではなく医療の現実を広報すべきですよね。無理っぽいけど。

投稿: | 2009年3月10日 (火) 16時02分

Drコトーは罪深いですね。

投稿: | 2009年3月11日 (水) 09時23分

Drコトーがと言うより、医療漫画なりドラマなりで罪深くないものってほとんどないんじゃないですか?
最近では医療系ドラマなんてのもあれでけっこう人気だなんて聞きますが、まともな考証も出来てなくて有害無益どころか意図的なミスリードでも狙ってんのかと思うような内容が…

投稿: 管理人nobu | 2009年3月11日 (水) 10時59分

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