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2009年3月11日 (水)

今や医療訴訟は避けてばかりもいられない(!?)

最近では医療訴訟絡みの記事が紙面を飾らない日の方が珍しいくらいですが、こちらは以前に民事訴訟で話題になった事件が今回改めて書類送検されたという話題です。
今になってこういう行動に出た県警の意図もまだ明確でもないのですが、まずが記事から紹介してみましょう。

ロス手術高3死亡 心臓外科医を書類送検 業務上過失致死容疑で/茨城(2009年3月10日読売新聞)

 水戸済生会総合病院(水戸市双葉台、早野信也院長)で2004年、「ロス手術」と呼ばれる心臓手術を受けた鉾田市の高校3年石津圭一郎さん(当時18歳)が2日後に多臓器不全で死亡した問題で、県警捜査1課と水戸署が、執刀した心臓外科医の男性(47)を業務上過失致死容疑で水戸地検に書類送検していたことがわかった。

 捜査関係者らによると、大動脈弁が正常に閉まらず、心臓に血液が逆流する「大動脈弁閉鎖不全症」と診断された石津さんに、医師は04年7月、肺動脈弁を大動脈弁に移植し、肺動脈弁は人工血管などを縫いつけて代用する難度の高いロス手術を行った。ところが、医師は切除した肺動脈に適合しない人工血管を使ったうえ、人工血管と肺動脈の縫合部付近に狭さくを生じさせ、血の流れが悪くなり、右心不全に起因する多臓器不全を引き起こし、2日後に死亡させた疑い。医師は「人工血管の選択は適切で、狭さくも手術中に回復させた」と容疑を否認している。治療には、一般的には大動脈弁を人工弁に付け替える「人工弁置換手術」が行われるが、血液を固まりにくくする薬を飲まなくて済むなどの利点があるロス手術が選択された。県警によると、医師はロス手術の経験が1例しかなかった。

石津さんの両親は06年、病院を運営する社会福祉法人「恩賜財団済生会」と医師を相手取り、計約1億1000万円の損害賠償を求めて提訴し、現在、水戸地裁で係争中。病院は「書類送検についてまったく把握しておらず、過失があったかも聞いておらず、コメントできない」としている。

 「多少は息子の無念を晴らせた気持ち」――。圭一郎さんの父親の洋さん(53)が鉾田市内の自宅で読売新聞の取材に応じ、心境を語った。

 1月末、県警の捜査員から、書類送検の準備が整ったという報告を受け、妻の百美子さん(50)と、すぐに遺影が飾られた仏壇に報告したという。「長く、苦しいつらい時間だった」と振り返る一方で、捜査の状況などを報告し続けた県警に対しては「良くやってくれたという思いでいっぱい」と感謝する。

 ただ、担当医や病院に対しては「あんな医者がいるのも許せないし、それを見抜けなかった病院の責任も重い」と怒りをあらわにする。手術前の「海外でロス手術の経験が20~30回ある」という担当医からの説明が、事故後には「あれはロス手術の後の処置経験の回数だった」と変わり、「聞いていれば手術は頼まなかった」と語気を強めた。

 明るい性格の圭一郎さんは高校で吹奏楽部に入部したり、バンドを組んだりしながら、高校生活を楽しんでいた。

 「手術が終わったら思い切り抱きしめようと思っていたが、出来なかった。それが悲しくて悔しい。民事裁判もきっと見守ってくれていると思う」と話すと、そっと仏壇に手を合わせた。

解説

「明確な過失の立証には至らなかった」。県警は医師の過失を認定する一方、心臓外科医ら7人の専門家の意見では、明確な過失が裏付けられなかったとする意見を付したうえで、医師を書類送検し、処分を水戸地検の判断にゆだねた。医療過誤に詳しい加藤良夫・南山大教授によると、産婦人科医が逮捕され、無罪になった福島・大野病院事件以降、術者の判断ミスや微妙な手技ミスについて、検察は起訴を慎重に判断する流れになっており、今回の事故で水戸地検が起訴の判断を下すかどうかは微妙だ。

 ただ、警察はすべての医療事故を書類送検するわけではない。重大な事故でも、反省し、再発防止策が取られていれば、書類送検されないケースもあるという。県警が手がける医療過誤の案件は数十件に上る。そうした中で送検された重みを、医師も病院も真剣に受け止める必要がある。

この件に関しては既に2007年6月に民事訴訟となっていて現在も係争中とのことですが、このタイミングでの種類送検というのは何かしら意味なり意図なりがあるのでしょうかね。
記事の内容自体は例によって当事者の片方からの一方的見解の羅列に終始するという、この種の医療訴訟絡みの報道ではいつものパターンを踏襲していてさほど興味を引くものではありませんでした。
当該医療事故の内容や訴訟の経過についても今のところここで語るべき情報も持ち合わせていませんので何も書きませんが、この記事で注目すべきは解説部分にあるのかなという気がするんですね。

気になったのが警察からつけられた意見の内容で「心臓外科医ら7人の専門家の意見では、明確な過失が裏付けられなかった」と言うところです。
解説中にも記載されている通り、例の福島県・大野病院事件以降医療過誤訴訟に関しては慎重に取り扱うというのが検察側のスタンスになってきています。
ところでこうした件で起訴にまで持ち込むかどうかと言う判断に際しては専門家である医療従事者の鑑定や意見が大きなポイントとなるだろうことは容易に想像出来るところですが、今までであれば7人も医師の意見を聞けば、何人かは症例検討のノリで「いやここにはこんな改善の余地が」なんて言い出しそうなものじゃありませんか?

以前にも書きましたが、大野事件の際にもそもそもの発端である「県立大野病院医療事故調査委員会」報告書は元々患者への補償のために敢えて病院側の責任を認めるというものだった、ところがそれを根拠に刑事訴追に使われて関係者一同憤慨したといった話がありました。
あるいは検察側唯一の鑑定人である新潟大医学部産婦人科の田中憲一教授などはそもそも婦人科腫瘍学の専門家であるのに検察に請われて鑑定をしたところが、法廷では自ら信頼すると公言する産科領域の専門家諸氏からさんざん鑑定のいい加減さを批判されたといった話もありました。

こういう経緯を見れば誰しも「なぜ後から容易に突っ込まれるような報告書や鑑定書がまかり通るの?そんなものがなければ話は簡単にすんでいたかも知れないのに」と考えるところですが、医者という人種は症例検討会などで他人のあらを探し、重箱の隅を突くことこそ医療の進歩につながるのだと言う教育を受けて育っています。
医学的な意味での症例検討と司法の場で用いる鑑定書とは違うものだと頭では認識しているのでしょうが、実際の鑑定書の内容を見てみると長年の習慣というものはそうそう変わるものではなかったと思わされるものが多いようですね。

そしてもう一つには医師の裁量権というものに対する強い自意識があって、これが悪い方向に働くと他人は他人、自分は自分という我関せずの姿勢となる場合もあるようです。
日本産科学会では大野事件立件に対して抗議声明を出すなど支援を行いましたが、その内情を見れば発端となった事故報告書に対しては学会として「実質的には反論している」などと認めながら「敢えて調査委員会の報告書に触れない方が良い」などと華麗にスルーを決め込んでいたりする。
これなども一応はその道の最高権威を自任する(だと思いますが)専門家集団としてあまりに他人事過ぎると言いますか、そもそも今の時代需要も多いだろうに鑑定医レベルの向上という面でもどうよ?と思わされる話ではあります。

決してスタンダードではない一部鑑定医の見解を以て裁判の行方が決定されている、そしてそうした鑑定医の存在を何とかしなければと誰も言ってこなかったこともいわゆるトンデモ判決が続出した一因などと言われてもいますが、今回の記事を読んで「あれ?少し意識が変わってきたのかな?」という気がしてきませんでしょうか。
昨今の医療訴訟は年間1000件ペースで増加傾向が止まらず、特に産科ともなれば医師人生を通して二人に一人は訴訟沙汰に関わる計算だと言われるくらい高危険群に位置付けられていますが、これだけ訴訟リスクも大きなものになっているのですから、訴訟リスクや鑑定医に求められる資質など学生レベルから現場レベルまでに渡って広く教育と意識改革をやっていかなければならないと思いますね。

以前からたびたび書いてきていることですが、この種の医療事故というものは医師・病院vs患者・遺族といった対立の構図に持ち込んでしまっても双方にとって不毛なばかりです。
その点で日本においては当事者同士の話し合いで決裂してしまえば後は医療訴訟まで一直線で中間段階がないというのは関係者全てにとって不幸なことだと思いますが、最近ようやくこうした流れも変化の兆しを見せています。
今年から導入された産科補償制度は未だ極めて限定的ではありますが無過失補償による患者救済制度のモデルケースとなり得るものですし、弁護士などが中心となって設立の動きが活発となってきている医療版ADRなどは紛争となる以前の段階でトラブルの解決を目指したものです。
このあたり「お互いにとって不利益になることなら一致協力して回避しよう」という当たり前のコンセンサスが広がってきてくれればいいかなと思うところではありますね。

『医療危機'09ふくしまの現場から』 医療訴訟/福島(2009年1月14日福島民友)

― 現場の委縮が課題に  ―

 昨年12月25日、福島市の幕田智広さん(42)と妻美江さん(42)は複雑な表情で仙台高裁(仙台市)を出た。福島医大付属病院で医療過誤があったとして損害賠償を求めた訴訟の控訴審。この日、和解に向けた協議が初めて行われた。「判決が一番望ましいが、和解のメリットもある」と心は揺れる。ただ、長期化している訴訟に終わりが見えてきたことにはホッとしている。
 一審福島地裁判決によると、1995(平成7)年5月、同病院で自然分娩(ぶんべん)中、美江さんの子宮が破裂し、医師は帝王切開手術への移行を決定。別の医師の到着を待って手術が行われ、二女未風(みゅう)ちゃんは仮死状態で誕生。2000年3月、重度脳性まひで死亡した。
 幕田さん夫妻の提訴を受け、同地裁は昨年5月「分娩経過を注意深く監視し、緊急の帝王切開を行う準備をしておくべきだった」と約7344万円の支払いを同病院に命令。同病院が控訴し現在に至る。
 近年、医療過誤訴訟が増加し、医師不足と相まって臨床現場に大きな負担を強いている、との指摘がある。これに対し幕田さんは「求めているのは事故の再発防止。『医療崩壊』の議論と訴訟は切り離してほしい」と話す。一方、同病院のある医師は「こちらの勝訴はない」と病院の賠償責任を否定しないが、現場の医療を委縮させる内容の判決が一審で出たことに危機感を抱く。
 現場の医師を委縮させることが本意でないのは、医療側も被害者も同じ。訴訟に代わる医療事故調査委員会の設置を望む声は双方から上がる。ノンフィクション作家柳田邦男さん(72)は「医療事故被害者の体験は病院にとって掛け替えのない財産」と、双方に協力を呼び掛ける。昨年11月24日には、東京ビッグサイトで開かれたシンポジウムで講演した。
 柳田さんは、被害者の体験を医師の意識改革につなげるため、病院は被害者、遺族と意見交換の場を持つべきと訴える。医師個人への責任追及に向かいがちな遺族の感情に対しては「組織として責任を持つことが大事」と病院トップに覚悟を迫る。

医療訴訟の当事者がよく口にする「ただ真実を知りたいだけ」「二度とこうしたことが起こらないように」と言った願望は確かに心情として理解は出来るのですが、裁判、ことに民事訴訟とはそうしたものを求める場でも得られる場でもないとは多くの司法関係者が口を揃えて言うことです。
そして当事者が望むと望まざるとに関わらず医療訴訟の影響と言うものは決してそれら欲しかった結果だけにはとどまらない、むしろ現在の日本においては望外の社会的影響というものがはるかに大きいとなれば、これは紛争解決の手段としては誰にとっても良いことはあまりなさそうだとは理解できることでしょう。
このところ割り箸事件や大野病院事件など世間でも報じられたような相次ぐビッグイベントを通じて医者もようやく医療訴訟というものに真剣に向き合いはじめたのは良いことだと思うのですが、当の現場では多忙もあってか未だ単なる訴訟回避の技術論のようなところにとどまりがちに見えるのは残念と言うよりもったいないことだと思いますね。

今まさに医療業界も様々な面で大きく動いている時なんですから、どうせならこの機会に医療-被医療関係においても思い切った改革というものをやってみたらいいと思うのです。
妙なところで変に頑張ってしまうよりこういうところで少しばかりの手間暇をかけておくことが、後々になってずっと楽になるための布石なんじゃないかという気がするのですがどうでしょうかね。

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