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2009年1月 5日 (月)

ご利用は計画的に ~ 医療資源の限界

年が明けますといろいろな組織や団体で「年頭の所感」といったものが出ていることと思います。
ほとんどはどうでも良いようなつまらないものが多いのは皆さんも周知のところだと思いますが、中には後世に残すべき素晴らしい名文もあったりするものなのですね。
かねてから医療に関わる諸問題に対して積極的な発言を行っていることで知られる団体「医療情報の公開・開示を求める市民の会」において、世話人の勝村久司氏が年頭所感を書かれているのですが、これが全医療人必読とも言うべき素晴らしい内容ですので紹介させていただきます。

なお、極めて御高名なる勝村氏ですから改めて述べるまでもないことだとは思いますが、慣例に従いまして御略歴を記載させていただきますと、

勝村久司(かつむら ひさし)
1961年生。京都教育大学卒。高校教師(地学担当)。
1990年長女を失ったことを契機に医療訴訟に関わり、以後「陣痛促進剤による被害を考える会」を初めとする市民運動に取り組むようになる。
現「全国薬害被害者団体連絡協議会」副代表。「陣痛促進剤による被害を考える会」「医療情報の公開・開示を求める市民の会」世話人。
主な著書:
 ぼくの「星の王子さま」へ~医療裁判10年の記録~(幻冬舎)
 レセプト開示で不正医療を見破ろう!(小学館)
 患者と医療者のためのカルテ開示Q&A(岩波書店)

経歴からも判りますように、今やこうした市民運動における一つのカリスマと言っても過言ではないでしょう。

2009年 年頭所感 (世話人 勝村久司)

 ここ数年は、医療改革にとっては「失われた数年」だったと総括すべきかもしれません。
 マスコミ報道が、それがまるで医療改革の切り札であるかのように、再三取り上げたことは、「病院の中に患者の苦情処理係や紛争処理係としてメディエーターとよぶ職業を新たに配置していこう」とか、「小児の夜間救急においてコンビニ受診を控えるような動きを広げていこう」とか、「医師賠償責任保険に加えて、新たに、過失があろうとなかろうとお金を支払う産科医療の無過失補償制度を導入するために出産一時金を引き上げよう」等、どれをとっても、医療の中身とは本質的に関係のない医療の外側のことばかりで、すべて、患者の言動を変えようとすることばかりです。まるで、医療の中身の議論をすること自体がタブーになったのか、と思わざるをえないような報道が続きました。「患者の声を打ち消す」「患者に我慢を強いる」「患者に裁判をさせないようにする」というだけでは、医療改革の議論はなかったも同然です。
 唯一「医師数と医療費の総額を増やす」という話がありましたが、これだけでは、歪んだ医療の形をそのまま相似形で大きくするだけで、「時間(救急)」「空間(僻地)」「種類(診療科)」「報酬(収入や単価)」そして「質(技術や倫理)」の格差を更に拡大してしまうことになります。医療の様々な格差を解消するために、医療システムのグランドデザインを描き、医療資源を健全に配置しようとする議論が不足しているばかりか、そのためのリーダーシップをとろうにも、現状の歪みや格差を知るための情報さえ蓄積されていません。医療は外側の形が歪んでいることはわかっても、その中身は高い壁によって遮られ、見ることさえできないのです。人口が減少していく時代に、右肩上がりで量を増やしていくだけで、いろいろな問題が自然に解決していく、と思うのは明らかに幻想です。今の社会はそのような歴史の負の遺産である開きすぎた「格差」をどうやって縮小していくかがテーマであるはずです。
 また、「訴訟リスク」「萎縮医療」という意味のわからない言葉も再三マスコミは報道してきました。そして「医師は刑事訴訟を免責すべきだ」という論まで広がりました。民事訴訟や刑事訴訟を減らすためには、患者や司法を変えるのではなく、あまりにもひどい医療事故や医療被害をなくすことこそが大切です。医療裁判に寄り添ったことがない、医療事故を見出しでしか知らないような人たちが、これらの言葉を使っているとしか思えません。
 長年、漫然と繰り返される医療事故の被害者たちは、医療裁判で、事実経過を争ってきただけです。病院側が情報を隠して、真実と異なる事実経過を、まるで真実であるかのように主張し始めるたびに、被害者たちは泣き寝入りか、真実を訴えるための裁判せざるをえないかの二者択一を迫られるところに追い込まれてきたのです。
 「ごく普通の医療が誠実になされていたら助かっていた命が失われ、一部の医療とはよべないような行為やあまりにもひどい不誠実な対応によって被害が繰り返されている」のに「医療は精一杯やっても結果が悪くなることがあるのに、それを理解できない患者が裁判をしている」という偏見を流布し続けてきた医療界。だから、医療の内部は何も改善する必要も変わる必要もなく、拡大をしていくだけでよい。さらに、医療事故の情報を蓄積する必要もないし、医療費の明細書を患者に手渡す必要もない。「変わるべきは医療界ではなくて患者の方だ」というだけでなく、「医療被害者が医療を崩壊させた」という本末転倒の誹謗中傷まで広がってしまっています。
 2009年も、このようなマスコミ報道が続き、それを見聞きした国会議員が、それが医療改革の議論だと勘違いし続けたら、日本の医療に未来はないでしょう。幸い、2008年は、私たちと同じ思いの健全なマスコミ関係者や国会議員、医師たちとたくさん出会い、励まされ、世の中は捨てたものじゃない、と思える年でした。11月末には、日本医学会会長が会長を兼任する「医療の質・安全学会」が、医療事故や医療費の情報開示を求め続けてきた「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の10年間の功績をたたえ表彰してくれました。12月末には2時間近くのNHKスペシャル「医療再建」が、私に発言の機会をくれただけでなく、これからのあるべき議論の土俵の土台を作ってくれました。
 サイレントマジョリティである国民の多くに、溢れるデマや偏見ではなく、必要な情報を正しく健全に伝えていく必要があります。患者のために精一杯仕事をしているために過労気味になっている多くの医療者も、不本意な医療を受けてしまった患者も、その苦しみの体験や立場は違いますが、実は、「だから、こうすればよいのに」と考えることはたいてい同じなのです。反対側で苦しんでいる者どうしが、実は、同じ改革を求めているのです。
 だからこそ新しい年には、将来、医療者にも患者にもなる子どもたちのために、誰にとっても本当に意味のある議論を始めていく必要があります。そのためには、医療情報の蓄積、公開、共有が欠かせません。医療の壁を取り払い、医療の中身の議論と、医療の様々な格差を解消していくシステムの議論を始めていきましょう。

何によって、あるいは誰によって「失われた数年」となったのかは諸説あるところだと思いますが、「国民の多くに、溢れるデマや偏見ではなく、必要な情報を正しく健全に伝えていく必要があります」とは全く同感で、さすが御高名なる勝村氏ならではの御見識としか言いようがありません。
日本の医療というものの行く末は未だ明らかならざるところがありますが、需要と供給の不均衡が医療崩壊という現象の根本原因だとするならば、供給が直ちに改善されることが見込まれない以上は需要の側を何とかしていくしかないのは自明の理だと思いますね。
勝村氏の仰るとおり、新しい年には国民全てを巻き込んで医療に関する議論の質を深めていかなければならないと決意を新たにするところです。

勝村氏の場合はこういうキャラであるからこそ現在の地位に立っているという点で立場上当然の発言かと思いますが、実際のところ患者側も「黙って病院に行けば病気は治してもらえるもの」という誤解をいい加減に正していかなければならない時期ではないでしょうか。
その昔のスモンなどという薬害事件も何でも薬を出し過ぎる時代背景が一因とも言われるほど、一昔前は過剰診療の問題がマスコミで叩かれていた時代もありましたが、近ごろではあまりそういう話も聞きませんよね。
根拠に乏しい治療を戒める医学教育の普及や保険の査定が厳しくなったという背景事情もありますが、過剰な医療を受けても患者にとって痛くもかゆくもなかったという日本の誇る国民皆保険制度も政策的にどんどん厳しく制限されてきているのは確かでしょう。
その一方で国民感覚が未だに一昔前の「水と安全と医療はタダ同然で当たり前」という感覚のままでいるというミスマッチこそ、現在の医療行政の行き詰まりの遠因とも言えるのではないでしょうか。

いつでもどこでも好きに専門家にかかってすぐに必要な処置を受けられる、しかも安価にと言うのは医療に限らず利用者にとっては大変ありがたい話なのは確かです。
しかしその価格設定が原価割れを強いるような公定価格であり、増え続ける需要に対して常に過小な人員で対応することを強いられているとすれば、現場はいずれ疲弊していくだろうことは容易に想像出来ることと思いますね。
現在のように医療を統制管理の下で公共資源的に運用し続けるのであれば、いつでも好き放題に望むだけという身勝手な受診態度を続けることは医療現場の更なる荒廃を招き、結局は回り回って自分自身に跳ね返ってくることを利用者である国民が理解していかなければなりません。
枯渇が危惧される石油などの天然資源利用に対して省エネという考えが次第に滲透してきているのと同じように、医療という社会資源の永続的利用に対しても利用者の自制による節度ある態度が求められているということです。

こうした状況になってきますと先日登場いただきました九州大学の信友浩一先生のような公衆衛生畑の諸先生方には今まで以上に市民への啓蒙にご活躍いただかなければならないわけですが、最も直接的な役割を担う立場としてマスコミの責任も極めて重大であることは言うまでもありません。
捏造報道によって一県の産科医療を崩壊に追い込むとか、「自分はマスコミ関係者だから」と不要不急の手術を要求するなどは論外としても、医療問題がこうまで微妙になっている時期にあまりに国民をミスリードするようなトンデモ報道の連続では困るわけです。
何よりもマスコミ自身が「医療資源は枯渇している」という適切な問題意識を持ち、未だ医療問題について必ずしも関心が高まっているとは言えない国民一般に対して広く啓発していくという姿勢を示していくことこそ求められるのだと思うのですが…

コラム「河北春秋」(2008年12月24日水曜日河北新報)

 日本人の薬好きや医者好きは、江戸時代には始まっていたらしい。1820年ごろの江戸には人口10万人当たり250人もの医者がいた、と言われる▼現在と比較しよう。10万人当たりの医師数は全国平均で206人(医師免許を持つ人の数)。江戸より少ないことに驚きませんか。東北に限ると、6県とも全国平均を下回った状態がずっと続いている

 ▼歴史家の磯田道史さんの「江戸の備忘録」(朝日新聞出版)で知ったのだが、医療が行き届かない村々を巡回する「郷医」や「郡医者」という制度を設けた藩もあったという。領民にはありがたがられた▼福祉を先取りしたような医療政策がこの時代に早くも行われていたのには、目からウロコだ。いやでも現在の医療崩壊と引き比べてしまう。ただしこの制度、大抵は長続きはしなかったそうだけれど

  ▼医師の臨床研修を見直す国の検討会が、研修医の受け入れ人数に地域ごとの上限を設ける素案を議論することになった。研修医が地方の病院を嫌って、大都市の病院に集中するのを防ごうという目的▼医師の地域的偏在を是正するには国のある程度の規制が必要に違いない。世界でトップクラスの長寿を支えるのは誰もが容易に受診できる日本の医療環境。薬好きや病院好きでいられるのは、悪いことではない。

おいおい、「薬好きや病院好きでいられるのは、悪いことではない。」って、頼むからあまり欲望を煽らないで欲しいですな(苦笑)。

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コメント

「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」という、超党派の組織があります。
http://www.iryogiren.net/index.html
「崩壊の危機に瀕する、わが国の医療現場を立て直し、すべての国民の生命と健康を守る、適切な医療提供体制の再構築を図るため、国民的な議論の喚起と必要な政策の実現を図る。」ことを目的としているそうです。
ここの会長は、尾辻秀久参議院議員が務めています。
その尾辻氏がこんな発言をしたそうです。
「科目、地域の偏りを大きくしたのは事実。何らかの方法で、無理やりにでも医師を配置する方法を考えなければ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009010502000075.html

無理やりにでも医師を配置する方法を考えなければ
無理やりにでも医師を配置する方法を考えなければ
無理やりにでも医師を配置する方法を考えなければ

…所詮国会議員なんてこんなもんなんですね。

投稿: orz | 2009年1月 5日 (月) 15時52分

尾辻氏と言えば「医師だけ必ず飯が食えるようにせよというのはおかしいのではないか」「腕のいい医者だけが生き残る」といった発言で有名な御仁ですね。
http://med2008.blog40.fc2.com/blog-entry-504.html
個人的には三方一両損的な中途半端な妥協を提示するよりは、絞れるだけ搾り取れってなくらいにやってもらった方が医師の被害者感情に訴えるところ大なのではないかと思いますが(苦笑)。

投稿: 管理人nobu | 2009年1月 6日 (火) 11時39分

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