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2009年1月 3日 (土)

他人を信じず被害者意識を捨てきれない医者たち

何か面白い話はないかと探しておりましたら、話のネタになりそうなこういう話を見つけました。
日本医療政策機構のインタビューですが、九州大学大学院医療システム学教室教授信友浩一先生からの御提言だそうです。
「全国でも数少ない医療政策や医療マネジメントの専門大学院で数多くの人材を輩出してきただけでなく、全国各地の自治体の政策や医療機関の経営戦略立案などを多数手がけておられます。」だそうですが、崩壊に直面する医療現場に何をもたらすことが出来るのでしょうか?

【緊急提言】第8回「医師は被害者意識を捨てよ」

1.医療政策における重要課題、そして課題解決の方法などについてお聞かせください。

議論の大きな枠組みを考えよ

政策を論議するときに、前提、あるいは議論の枠組みがないので、さまざまな関係者が、みな自分にとって都合のいい話ばかりをしているような印象がある。たとえば、医療崩壊は医師が足りないから、つまり量の問題だと言う。そういう発想自体が、「私は、今のままでいい」ということにつながりかねず、思考停止を招くのではないか。量が増えたとしてもシステムを変えなければ、単に医学部の教授が喜ぶだけ。将棋の駒が増えるだけで、結局、何も変わらない。
(略)
2.医療政策課題にまつわる5つのキーワードを教えてください。

①医師は応召義務を果たしていない

医療問題にまつわるひとつ目のキーワードは、医師の応召義務。医師は、医療業務を独占している。独占しているのだから、必ず義務も出てくる。それが、応召義務。たとえば電力会社は、すべての国民に電力を供給しなければならない。その代わりに、地域の電力供給を独占できる権限が付与されている。つまり権利と義務を、同時に持っているのだ。へき地だから電気を供給しない、儲からないから送らないというとはできないのである。医師は、医療業務を独占していながら、応召義務を果たしていない。これが医療のもっとも本質的な問題だ

東京や奈良のたらい回し事件もそう。自分の施設が満床だったら断るということが、習慣化されてしまっているから起きる。「施設完結型医療」を前提にしているなら、応召義務も果たしてもらわなければ理にかなわない。

「いまあるもの」で何とかするのが医療だ

求められているのは「地域完結型」の医療。自分の病院で対応できなければ、ほかの病院が対応できないか探してみるべきだろう。医師が不足していようが多かろうが、今いる人員でどうにかする。それが医療の大原則である。

我々はエコーの検査、超音波による検査機器がないからといって、診断をさぼったりはしない。あるいは、血圧計がなく、血圧が測れないからといって何も手当しないなどということもない。そもそも医療は、今あるものでどうにかするものだ。「CTがないからできない」──ありえない。「満床だから」──そんな理由でなぜ診療を断っていい、なぜ、許されるのか。そんな習慣をつけたのは誰か。医師たる者が、業務を独占しながら、応召義務を果たさない。いつ、医師の神経は麻痺したのだろうか。

少なくても、私たちの世代、団塊の世代までは、そんなことはなかったと記憶ししている。何々がないからできませんなどと言ったら、上司からこっぴどく怒られた。「患者を見殺しにするのか!」と。そう叱咤する指導者もいなくなったのだろう。たぶん我々の10歳年下からの世代から、そういう習慣ができ上がっていった。そんな気がしている。

②医師は被害者意識を捨てよ

2 つ目のキーワードは、被害者意識。こんなものがあったら絶対新しいものは生まれないし、元気になれない。阪神大震災があったときに、東部地区の灘や西灘ではすぐに自警団を組んで、ゴミを勝手に捨てるな、変なやつが来たら追い出せ――そんな自発的なコントロールがすぐにできたという。おそらく彼らに、被害者だとの意識がなかったからだ。たとえ、被災者ではあったとしても。

ところが、被害者意識を持っていた地域では、「いつゴミを取りに来るんだ」、「俺たちは被害者だ」――と訴えるばかりで、何も進まなかった。被災者ではなく、被害者だと言う。行政は何もしてくれないと言い、いまだもって自立できていない。被害者意識だけしかないから立ち直れないのだ。
医師も同じ。「私は悪くない。制度が悪い。被害者だ」――だからうまくいかない。「私たちは自らこれを変える。だから行政はこうしてくれ」というのが、本来のプロ集団でありネットワークであろう。

昨日、経営がうまくいっていない病院で、勤務医との間に次のようなやり取りがあった。「なぜ、君らの病院はうまくいかないんだ。時代にも適応していないし、必要な診療科のスクラップ・アンド・ビルドもできていないのは、なぜか?」、「院長が悪い」、「わかった。お前たちは悪くないというんだな。じゃあ院長をいかに辞めさせたらいいか、クーデターの起こし方を私が教えてやろう」、「結構ですよ」。これが典型的な例だろう。自分たちに当事者意識がまったくない。

発想を変えれば良い。誰が悪いかという犯人探しをしても意味はないのだ。発想を変えられないのに、発想を変えられる人の邪魔をするなと言いたい。発想を変えれば、世の中も変わる。

ヒエラルキーの中で育った医師は、二言目には「教授が」、「院長が」と言う。自分で考える癖をつけてこなかったせいだろう。

先ほども触れたが、当事者意識がないのは、医師だけではない。東京大学医療政策人材養成講座のグループが47都道府県知事に「救急医療体制はあなたの問題だと思いますか」というアンケートをしたら、「YES」回答をしたのは、たった2人の知事だけ。ほとんどの知事が、それは国の問題・担当部局だと答えたそうだ。
まず、知事に当事者意識がないことが、地域での最大の問題。私がお手伝いをしている地域の方々は、どなたも当事者意識を持っている。三重県のある院長は、市長や医師会長といっしょになって自ら100ヵ所くらいでタウンミーティングを行っていると聞く。要は、地域の問題についは、知事や市長などトップ自らが当事者意識を持って解決しようとしなければ何も始まらないのだ。

③数値と事実で議論を

3 つ目は、フィギュア・アンド・ファクト、つまり数値と事実。何をどうしたらいいかを、データと事実のみで議論する。覚えやすいようにFFとでも呼ぶといいかもしれない。「足りない」などの感覚値ではなくて、そこにある医療資源をどのようにシステム化したらいいか、ネットワーク化したらいいかを、数値にもとづいて考えるべきだ。
(略)
ある市長からも医師不足で困っていると相談を受け、対策に乗り出した。その市の場合は、まず、責任診療地区を設けた。マーケット調査をし、互いの病院が不足している診療科を補完し合うようにしたのだ。また、基幹病院である5つの病院国立、済生会、市立、社会保険病院と市民病院の院長に集まってもらい、診療科の再編成を行った。各病院には非常勤の雇用をやめ、常勤医で担える科のみを存続させ、存続できない科は、他の基幹病院にまわすことにしていただいた。
また、院長が派遣元の大学と交渉し、4人か5人はその大学の派遣でない医師を受け入れられる枠づくりをした。
数値と事実をもとに、適切なネットワークをつくれば、医師不足の問題もなんとかなるものだ。

④医師も弁護士型の専門家集団にすべき

そして4つ目は、臨床医のコントロール。今、医師は、その身分を生涯にわたって保証されている。一方で、目の前の患者及びコミュニティに対して適切に医療を行える感性や経験、そしてモラルがあるかなどは問われてはいない。

よく比較されるが、弁護士は司法試験という国家試験を通ったあと、自由にどこででも弁護士業務ができるかと言えば、できない。司法試験に合格したら司法研修所で共通の研修プログラムを受け、修了して、さらに47都道府県の弁護士会という業務統制型の専門職集団に所属することで、初めて弁護士実務ができる。

医師は、医師国家試験を通ったあと、共通の研修プログラムもなければ、どこかに所属しないと実務ができないという専門職集団に属す必要もなく、いわば野放図。この状況は、いかがなものだろうか。医師法を改正して、弁護士会と同じように業務統制型の専門職集団に属すよう義務づければ、医師のクオリティコントロールも、配分コントロールもできるようになるのではないだろうか。

⑤「医療理念法」を

5 つ目は、医療理念法。そもそも医療とは何かという医療の理念法が、我が国にはない。「ああ、がんが話題になったからがん対策基本法をつくろう」、「自殺が多い?取り組みましょう」、「予防接種、ああ、そうしましょう」。私は、医療はなんぞやとの理念を明確にしなければならないと思う。そのうえで、医療提供のためのコストとリスクとベネフィット──コストは医療提供側、プロバイダーが負わないといけないリスクもある。同時に、患者さんが負わないといけないリスクもある。ベネフィットも、個人的なベネフィットと社会的なベネフィットがある――の配分をどうするかを決めるべきだ。

国がやるべきことは、医療理念法をつくることだろう。隣の韓国や台湾では口腔ケアの理念法ができたらしい。日本は近隣のアジア諸国よりも取り組みが遅れている。
(略)
3.課題解決を実現するための財源確保の方法は?

1970年代、高度経済成長が終わるまで、道路などのインフラをはじめ、数え切れないほどの公共サービスを行ってきた。低経済成長になった今、その公共サービスを誰の負担でやればいいのか。本来であれば、政治も政策も1970年代後半に大転換が必要だったのだ。

それまでの高度経済成長期の政治及び政策は、利益配分型の政治政策だった。税収増を誰がどういう理屈で分けていくか――。それが、1970年代の後半からコスト配分型の政治、そして政策に転換しなければならなくなった。しかし、政治家はコストを選挙民に負わせようとせず、子どもや孫に払わせようと決めた。
そういう政策選択をした当時の選挙民は、今の50代以上。自分の利益を子どもや孫に払わせるなどという厚かましい選択をしてきたのだから、すみませんと謝罪し、腹をくくって相続税なりで返済する決断をすべきだろう。それを消費税アップで自分たちが引き起こした財政難を補おうとは卑怯としか言いようがない。政治家も国民も己のしてきたことを反省してほしい。

4.課題解決のためにご自身が行っている、あるいは行おうとしていることをお聞かせください。

今、私が医療に関してできることは、とにかく知事に当事者意識を持ってもらい、周囲で活動を支援していくこと。医療を変えた、そんな地域を増やすこと。医師不足に関しても、どうにかなるのだとわかってくれば、日本全体が変わっていくだろう。まずは、現場主導で変わっている地域の存在を、どんどん紹介していきたいと思っている。
(略)
5.我が国の医療政策に必要な、もっとも重要なキーワードなどを「ひとこと」で示してください。

「他人を信じなさい」
これは主に医師に対するメッセージである。とにかく自分以外の他人を信じない――日本の医師の、最大の欠点だろう。かつて国鉄にいたとき、組織マネジメントのタブーとして「上位の者は下位の者の業務を代行してはいけない」というものがあった。駅長が助役の代わりをしたら、助役はいつまでも困ったら駅長に頼ってしまう。だから人を育てる、組織を育てるときには、上の者は下位の者の業務を代行してはいけない。手を出さないよう辛抱することが大事だ。

でも、医師は違う。できなかったら「どけっ」と言ってすぐ自分が手術してしまう。看護士が失敗すると「なんだ」と叱って、やはり自分でやってしまう。それで、医師はますます忙しくなる。人と組織を育てる発想がないから、他人を信じる力が医師にないから、自分が忙しくなってしまうのだ。

小学校、中学校、高校、大学と、周囲から「できる、できる」と言われて育ち、自分はできるという全能感を持ったまま現場に出る。だから、他人の力を借りるとか、自分の弱いところを出して助けてくれなどと言えない。人間の弱さへの共感もない。幅広い人間性に欠ける傾向にあるのだろう。

違う言葉で言えば、人間の弱いところ、不安だとか恐怖感、甘えを、医師はそのまま受け入れることができない。結局、「私がもっとやらないといけない」となってしまう。

もうひとつ例を挙げれば、「チーム医療」。「チーム医療だから私の言うことを聞け」と言う教授をよく見る。こういう医師は、チーム医療を野球からイメージしている。自分はチームの監督だから「私の言うことをきけ」とやる。そして、ファーストにはファーストの役割だけ果たせ、決してショートの役割などしなくていいと役割を限定してしまう。

ところが、たぶんチーム医療の本来の意味は、ラグビーのイメージだ。監督は観客席にいて戦いぶりを見る。フィールドにいる者に一応役割はあるけれども、要は自分で考えて、今の場の雰囲気を読んでプレイをする。場を読み自分のポジショニングを考えながら点を取りに行く、トライする。これが本来のチームだろう。医師の場合なら、今、それぞれが何をしないといけないかを読み取って医療をする。これが本来のチーム医療だ。しかし、日本の医師は、これができない。ラグビーをイメージしたチーム医療をすれば、今の少ない数の医師でも、医療はまだ十分にやれるに違いない

う~む、口頭インタビューから起こしているのかも知れませんが、文脈があまりにデタラメすぎじゃありませんかね?
のっけから「医師は、医療業務を独占していながら、応召義務を果たしていない」と断罪しておきながら、後段では「でも、医師は違う。できなかったら「どけっ」と言ってすぐ自分が手術してしまう。」と全く異なる医師像を平然と提示する。
ラグビーの場合こういう御仁は何とお呼びするのかは存じ上げませんが、世間の常識では「二枚舌」などと呼称されるであろうこういう神経の太さは見習うべき美点かも知れませんね。
「今あるもので何とかするのが医療だ」なんて、昨今の医療の標準化の流れに真っ向から反対するかのような御意見をこんなところで公言されてしまってよろしいのかと他人事ながら心配になってまいりますが、そうすると加古川事件などと言うものは先生的には「転送などけしからん!あるもので何とかしろ!」と言う事例に相当するのでしょうかね。

「医療とは何かまず定義付けを」なんて、好意的に解釈すれば幾らか見るべきところもなきにしもあらずな部分もあるのですが、あまりに突っ込み所が多すぎで説得力も何もあったものじゃありません。
というわけで当初はどこぞの爺医の「俺たちの若い頃は」な繰り言かと読み流すつもりだったんですが、先生の御略歴を拝見いたしまして思いっきり吹きましたよ(苦笑)。

■略歴■
信友 浩一 九州大学大学院医学研究院医療システム学分野教授
1971年九州大学医学部卒。九州大学医学部助手。78年医学博士。80年ハーバード大学大学院(公衆衛生学)卒業。82年国鉄中央保健管理所主任医長、88年厚生省を経て96年九州大学大学院医学研究院医療システム学分野教授。01年から04年まで九州大学医学部附属病院副病院長兼任。

なんだ、いつもの「戦場から遠い者ほど…」な牟田口の法則ですか(苦笑)。
「何々がないからできませんなどと言ったら、上司からこっぴどく怒られた。「患者を見殺しにするのか!」と。そう叱咤する指導者もいなくなったのだろう」って、いやしくも医師免許を持っていながら現場から真っ先に逃げ出してるような方が遠くから吠えたところで説得力がありすぎて困るのですが先生(爆笑)。
まあ「さまざまな関係者が、みな自分にとって都合のいい話ばかりをして」いても仕方がないんですが、こちら「東京日和@元勤務医の日々」さんのところの記事「病気になったら死ねというのか 医療難民の時代」にも信友先生のお名前が見えますので、面白そうだから該当箇所から引用させていただきます。

「厳寒期の医療を考える-医師不足は生じていないとすれば」
九州大学大学院医療システム学 信友浩一 先生
(略)

 信友先生は「日本の医師不足」を単純にOECD加盟国と比較するのは乱暴だということで、本田先生とはまた違った見方をされていました。
 最初に、アメリカのように医師の資格や専門領域について厳密に規定し、誰がどこまで治療を担当するか明確にしているのだが、日本の方式だと裁量性(つまり何でも自由)で、業務の内容も外科でも内科でも高血圧の治療をしたり、余分な仕事を行うことで、無理していると、本当に必要な医療の質の確保がままならない状態である。
 アメリカの方式であれば、専門家の団体が、規定した業務内容を担当できる医師以外の領域は別の専門家(つまり医師でなくてもできる仕事は薬剤師や専門看護師)に担当させ、医師は本当に必要なこと以外は行わない。こちらの方が、プロセスがはっきりしており、また医師については Professional society quality controlされており、支払い側も業務内容について払いやすく、安定している。
 一方、日本では看護師の仕事までも医師が分担して行っており、その分、医師が疲れて辞めてしまうと影響が大きく不安定である。また、質が担保されないため、支払い側も学会の認定医や専門医が質の保証がされていないため、安心して追認できない。

御高名なる本田大先生の御見識はともかくとして(苦笑)、まさにそうした「誰がどこまで治療を担当するか明確に」なってきた結果が先生のおっしゃるところの「応召義務を果たしていない」なんて無責任な外野から非難されるような現状になっているのではないかと愚考いたしますが。
先生の乏しい臨床経験から学ばれたような「場末の老開業医が心筋梗塞に漫然とヘパリン流して経過観察している」なんて事が許される時代ではなくなったのは御存知だろうと思いますが、なまじ国が狭くて交通網も発達している日本だからこそ要求される医療水準というものも高くなってしまっているのだとはお考えになりませんか?
個人的に今どき「アメリカでは」なんて仰る方はまず例外なくトンデモ論者と言う偏見があるんですが、まさか先生までその範疇に含まれるなんてことはないですよね?

 日本の西日本でも医療崩壊があるようですが、そんな中で、信友先生が関わったという出水総合医療センターでは、必要な医療について検討を住民や病院関係者、地域の医師会、自治体関係者と行い、その医療圏で必要とされる医療についてリソースアロケーション(見直し)を行って、地域完結型医療を推進したそうです。
 これについては詳しくは出水市病院事業の在り方に関する提言 を拝見いただくとして、いずれにせよ、このような形をとることで、地域医療の見直しを行うのをサポートしてきた先生の意見としては、医療の見直しは地域ごとに考える必要がある。
 政府はお金もないし、アイデアもない。だから地域でやれること(開業医や療養施設、急性期医療機関などとの地域連携型治療パス、救急分野、疾患分野ごとの分担制)を行いなさい。という大蔵省の「銀行の護送船団方式」の放棄と同じように、「病院の護送船団方式の終焉」を追認なさっているような感じでした。

地域完結型医療というのがこの先生の持論のようですが、特に地方において現在求められる水準の医療と言うものを地域内で充足しようとしますと実際問題大変だと思いますよ。
片田舎に巨大な医療センターでも作って非現実的な医師の集積を要求するか、地域と呼ぶのもおこがましいほど広域の医療圏を設定する必要があると思いますが、信友先生が関わったという出水総合医療センターの現状もこんな感じだと言うのにそんなお気楽なこと言っちゃってていいのですかね?(苦笑)。
ちなみに高齢者の多い地方の僻地ほど脳卒中や心筋梗塞といった疾患も多いだろうと予想されますが、例えばtPAによる血栓溶解の3時間ルールを守るだけでも日本中の津々浦々までどれだけの医療資源が必要となりますことやら。

そもそも医療政策的にそうした地域医療機関内での役割分担が進んできた結果が現在の急性期病院勤務医の激務から来る逃散と言う結果を招いているわけですが、そのことにつきましてはどのような対策を講じるおつもりなのでしょうか。
医療と言うものは診療科間、あるいは急性期と慢性期といった具合にはっきり区別出来るものは稀で、現状ではそうした境界症例が「より高次の医療機関へ任せておけば安心だろう」と言う患者の一局集中を招き、業務が集中する医師の疲弊を招いているわけです。
こうした状況を改善するためにもまず何よりも優先されるべきなのは、どこまでもゼロリスクを求めがちな住民の意識改革が必要だろうし、そうした方面こそ先生のような医療現場から距離を置いた方々が音頭を取って活躍していただかなければならない場所だと思うのですけれどね。

 また、研修制度が導入されたからには、大学は研究機関として生き残るべきだし、臨床研修病院は医師養成機関としてまったく違う役割を担うようになるであろう。いわゆる医師のキャリアパスがまったく二つ別個のモノになったのだから、いいことだという意見でした。

まあ確かに良いことだと思いますし、将来的に当然そうなっていくべきだと思っている人間も多いんだとは思いますよ。
しかしそういうことを仰るならまず隗より始めよで、九大病院の研修医募集枠を全廃せよとでも学内で声高に主張されてみれば地域の医療機関からずいぶん感謝されるのではないでしょうか(苦笑)。
現実に最も多くの医師を抱え込んでいる大学当局者がこういうことを言ったところで、特に医師不足に悩んでいる方々にすれば当事者意識に欠ける発言と取られても仕方がない話で、「お前が言うな」で終わりなんじゃないですかね。

やはり個々に見ていけばそれなりに面白い事も言える人なのかも知れませんが、全般的に現場を知らない人間によく見られる斜め上への結論の逸脱ぶりがなかなかに素敵で、寒さ厳しいこの時期に少しは冷え切った身も心も暖まる燃料になったかなと言うところでしょうか。

しかし行政担当者が当事者意識を持つことが重要であることは先生の指摘を待つまでもないことですが、仮にも最重要の当事者の一人たる医学部教授が当事者意識の欠如した批評家然とした姿勢に終始しているようでは医療業界も先が思いやられますかね。
なるほど、全国の医者がこういう妙にひねくれた「被害者意識」を捨てて、明るく前向きに「他人を信じ」ていれば日本の医療も少しは変わってくるということなのでしょうが、そういうのは単なる現実逃避と言うんじゃないかという疑問も無しとしない建設的な御提言ではありました。

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コメント

あけましておめでとうございます。ノブ先生、ネット上ではあちこちで叩かれていますね。ネットなどごらんにならないくらいアナクロなお方とお見受け致します。
20年以上前の臨床現場の経験で物を言われたりしたら、いまや医療は成り立ちませんよね(笑)

投稿: 元外科医 | 2009年1月 3日 (土) 17時04分

ノブ先生の正月明けが楽しみです。

本当にどこからつっこんでいいのか、という記事で、
新小児科医のつぶやきの網羅っぷりには頭が下がりました。

医療圏完結といいますが、おっしゃるとおり、産科医新生児科医不在地域で完結するためには医療圏を広大にするしかないわけで、もはや現実的ではないし、一方であるものでやるっていう・・・

投稿: | 2009年1月 4日 (日) 09時26分

新年あけましておめでとうございます。
どうでもいいですが「ノブ先生」は勘弁してください(苦笑)。

件の大先生に同情するところとしては、面と向かって話を聞いている分にはそれなりに面白い話だったのかも知れないかなと思うところもなくはないんですよ。
今回はおもしろおかしく突っ込み所を狙って突っ込みましたが、それなりに興味深そうな提言もなかったわけでもないですし。
ただそういう話を向ける先というのはあくまで医療の現場に対してではなかったのかなと言うのが率直な感想でしょうか。

被害者意識云々以前にこの先生が知るべきなのは「鬱の人間を不用意に励ましちゃいけないよ」なんてレベルの話なのかなと言う気もするんですけどね…

投稿: 管理人nobu | 2009年1月 4日 (日) 19時02分

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