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2008年10月 9日 (木)

延命処置と安楽死・尊厳死

まずは記事を紹介します。

呼吸器外しの意思尊重を  倫理委が異例の提言

 千葉県鴨川市の亀田総合病院の倫理委員会がことし4月、全身の筋肉が動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が提出した「病状が進行して意思疎通ができなくなった時は人工呼吸器を外してほしい」という要望書について、意思を尊重するよう病院長に提言していたことが6日、分かった。

 個別のALS患者のこうした要望について病院の倫理委が判断したのは異例という。

同病院の亀田信介院長は「現行法では呼吸器を外せば(殺人容疑などで)逮捕される恐れがあり、難しい。社会的な議論が必要」として、呼吸器外しには難色を示している。難病患者を支援する関係者らも「自分の意思で外すことを認めれば、患者が周囲に気兼ねして死を選んでしまう恐れがある」と懸念している。

 患者は同県内に住む68歳の男性で、49歳でALSを発症。1992年に呼吸困難に陥り、同病院で呼吸器を付けた。現在はかすかに動くほおにスイッチを付けてパソコンを操り、執筆活動などをしている。

以前から呼吸器外しで担当医が送検されたなどと言う話題が何度か出ているところですが、今回は珍しくイケイケな話です。
安楽死、尊厳死といった言葉の定義もいささか議論あるところだと思いますが、今回は詳しくは突っ込みません。
少なくとも医療業界がこの種の問題、特にその実行面に関してかなり及び腰になっているのは確かだと思いますが、その理由は何かと言うことですね。

とある病院での例ですが、療養病床に入ってくる患者の急変時に人工呼吸、心マッサージなどを含めた積極的な延命処置を行うかどうか、入院時に確認しようと言うことになりました。
こういうところに入ってくる患者というのは基礎疾患持ちの超高齢者ばかりですから、病室に行ってみると息をしていなかったと言うことが多々あるわけです。
一度呼吸器につないでしまうと外せなくなるものですから、もしそうまでせずとも…という希望があるのなら最初から行わないということですね。

実際に行ってみて判ったことは、担当医によってこうした処置を希望する家族の率というのが随分違うらしいと言うことです。
ある医師は「大半の家族は積極的延命処置など希望していない」と言い、またある医師は「延命処置をしなくていいという家族はほとんどない」と言う。
個々の医師による説明時の言い回しの違いなど色々な要因が絡んでいることだと思いますが、こうした問題で確固たる自分の意見を持っている患者・家族というものはそれほど多くはないのではないかなという印象を与える事例だと思いますね。
もちろんこれに加えてよく言われる年金や恩給絡みでの家族内利権などもあるわけですから、よほどしっかりとした説明と同意をやっておかないと後でどこからかトラブってくる可能性は常にあると考えておくべきでしょう。

安楽死・尊厳死の問題が話題になるたびに思うのですが、実行面における一番の問題は患者本人意思を尊重する主体が誰かということではないでしょうか。
そもそも法的な話をするのであれば呼吸器を外すのは治療などというものではなく、別に医師でなければ行ってはならないという類の行為ではないわけです。
安楽死、尊厳死といったものに関して、法的問題がクリア出来るのであれば積極的にとは言わないまでも本人選択枝の一つとして許容するという医師は割合に多いのではないでしょうか。
しかし何故腰がひけているかと言えば、治療でもない(医師の本分でない)行為に善意で手を出したあげく後々のトラブルに巻き込まれると言った場合に救われないからでしょう。
ぶっちゃけた話をするならば「望むのなら止めはしない、ただし後でこっちに責任おしつけないでね」というのが本音なのではないかと思いますね。

法曹界からは「延命処置の停止はガイドライン等に則って行われるのであれば、刑事責任を問われるリスクはほとんどない」という声も聞こえます。
しかし「普段病院に顔を出さなかった遠い親戚」を筆頭に、民事訴訟のリスクは決してなくなることはありません。
法曹関係者からは「民事と刑事を一緒くたにするな」とよく言われますが、はっきり言って現場の感じるストレスからすると刑事と民事のどちらも大きなものであるのは間違いないわけです。
例えて言うならば料理屋で飯を食ったら食あたりしたと言う場合、原因は外国産の食材に毒物が入っていたせいだから大丈夫ですと言われてどうなのかと言うようなものです。
確かにそう言われて店の腕は信用できるかも知れませんが、安心できるかどうかは全く別問題ですよね。
ただでさえ頭を悩ます問題が多数山積している今の医療界において、敢えて危ない橋を渡ってみせるようなメリットなどどこにも見あたりません。

現状で法的に限りなくグレーな領域を敢えて希望すると言うのであれば、その希望する主体である本人または家族が自ら行うのが筋ではないかと思いますね。
何らかの法律ができるならば理想的ではありますが、そうでなければ医療側からは訴追のリスクを考え謙抑的運用というものにならざるを得ないのは当然だと思います。
実際に海外ではいわゆる「自殺装置」の類が用いられている場所もありますし、何らの専門知識がなくとも技術的にも手技的にも実行に問題はないわけです。
「いやよく判らないので先生お願いします」と言うのは単なる当事者の責任回避であって、無関係な他人に謂われなき法的責任を押し付けようという態度こそ一番の問題でしょう。
どうしても自分が手を汚したくないと言うのであれば世論に訴えて法を整備すればいいのであって、それこそが権利を求める人びとが取るべき行動ではないでしょうか。

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